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ダイヤモンドの雨

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ダイヤモンドの雨
A Letter from the U.S.A.
ダイヤモンドの雨
井原
久光
去年の春のことですが、朝のテレビが「ジャクリーン・オナシス夫人のダイヤモンドが
競売に出されました」と、ニュースで伝えていたことがありました。
私も、ダラスの大通りで起きた、あの悲劇の瞬間を、最初の宇宙テレビ中継で見た一人
として、愛らしいジャクリーン夫人の涙が心に残っています。その後の人生も含めて「気
になる女性」だったわけで、朝の忙しいひとときでしたが、テレビにふと注目しました。
ご存知のように、ジャクリーン・オナシス夫人は、アメリカ第35代大統領ジョン・F・
ケネディの妻で、ケネディ大統領が暗殺された後、ギリシャの造船王オナシス氏と再婚し、
豊かなアメリカを代表する華麗なヒロインとして常に注目された人です。
彼女は、1929年、ニューヨーク株式市場会員(仲買人)だった ブラックジャック ・
ブーヴィエ三世の子として生まれました。父親は強烈な個性をもつウォールストリートの
裕福な実力者でしたが、両親は彼女が幼いときに離婚したので、ジャクリーンは母親のも
とで育てられました。
彼女の母ジャネットは、離婚した4年後にヒュウ・オーチンクロス氏と再婚しますが、
オーチンクロス家は7代以上前からニューヨーク社交界の名門として知られた一族で、ジ
ャクリーンは、あちこちの舞踏会に呼ばれるなど、上流階級の暮らしを体験します。
いうまでもなく、彼女の上品で洗練された雰囲気はこうした暮らしから自然に生まれた
ものでしょうが、ジャクリーンの魅力を語る上で見過ごせないのは、彼女自身の内面に秘
められた感性や文学への関心を示すエピソードです。
たとえば、ジャクリーンをよく知るクラスメイトは「ジャッキー(ジャクリーン)はと
ても内気でおどおどしていて、誰とも遊ばず自分の馬だけを可愛がっていた」と回想して
います。
また、後にケネディ家に嫁いだ時にも、ケネディ大統領の母ローズは「ジャッキーはテ
ニスもフットボールもゴルフもしなかったが、突然、ジャック(ジョン・F・ケネディ)
について詩を書いたといって持ってきました。家族の中で誰一人詩を書く者などいません
でしたので、はっとしたのです」と述べています。
当時、ケネディ家では、仲間を集めて「カテゴリー」という雑学を競うゲームをよくや
ったそうですが、カテゴリーが文学に決まるとジャクリーンに勝てる者はいなかったとも
言われています。彼女の文学への関心は相当なものだったらしく、実際、オナシス夫人と
なった晩年には、単行本を編集する仕事もしています。
DEVELOP MAY 1998
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Copyright © Hisamitsu Ihara
A Letter from the U.S.A.
しかし、ジャクリーンは、妖精のような繊細さと同時に、現実を生き抜くしたたかさも
持ち合わせていたようです。
彼女は「ファーストレディ」のイメージを一新したとして有名ですが、そのために、カ
ッシーニを始めとするデザイナーを呼び集めて、自分なりの服装戦略を立てていたと言わ
れます。今では大統領夫人に専属のデザイナーがつくことくらい当たり前のことかも知れ
ませんが、ジャクリーンの時代には革新的なことだったようで、テレビをうまく利用した
ケネディ大統領と同様、計算された戦略がうががえます。
アリストテレス・ソクラテスという哲人のような名前のギリシャ人実業家オナシス氏と
再婚したことについても、さまざまな憶測ができましょう。政治やマスコミに翻弄される
ことを避けて自分自身の時間と世界を守ろうとしたとも思えますが、一代で財をなした富
豪の庇護のもと、やはり華麗に生きる道を選んだとも考えられます。
しかし、ケネディ大統領の母ローズが「私の本当の悲しみを分かってくれるのはジャッ
キーだけ」と述べているように、その後もケネディ家とも良好な関係を維持していたよう
で、1994年に64歳で亡くなった際にも、ケネディ家の女性は全員、彼女の葬儀に参
列しています。
現在、彼女は、アーリントン国立墓地にあるジョン・F・ケネディ大統領の傍らに眠り、
彼女自身が30年以上前にケネディ大統領の棺(ひつぎ)の前で灯した「永遠の火」に今
でも見守られています。
私は20年以上前にケネディ大統領が大好きな家族の家にホームスティしたこともあり、
ケネディの生まれた家や博物館などケネディ家ゆかりの地を何度か訪れたことがあります
し、暗殺されたダラスの教科書ビル前通りでは、車の往来のない時に、道路の真ん中に立
って当時を忍んだこともあります。そんなこともあって、私は、その日のニュースに、
「気
になる女性」のその後を知らされたような気分になりました。
しかし、ニュースはそれだけで終わり、すぐに天気予報が始まりました。それまで「ジ
ャクリーン夫人のダイヤモンドが競売に出された」というニュースを読んでいた女性アナ
ウンサーは、そんなニュースはどこかに行ってしまったような顔つきで「今日は雨になり
そうですね」と天気予報を担当する女性に呼びかけました。
座り直してテレビに向かい合った私は、ニュースがほんの一瞬で終わったので朝の支度
に戻ろうとしました。すると背中で天気予報の女性が「ええ、今日は全国的に雨になりそ
うですが、春の雨はダイヤモンドより貴重なのですよ」と受け応えている声が聞こえまし
た。
ただ、それだけだでした。それだけだったのですが、その日のその言葉は、私にとって
はとても強烈でした。そうなんですね。春のやさしい雨は、地上にあるすべての草木を育
て、ダイヤモンドよりも大切な「新しい命」を芽生えさせるのですね。
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A Letter from the U.S.A.
ああ、忘れていた。そんな当たり前のことを・・・さりげない一言でしたが、自分の心
が見えたようでドキッとしたのです。
子供が食卓もそのままに、慌ただしく小学校に出かけました。たまたまその日は新調の
黄色い傘を持たせたのですが、その子が角を曲がった頃、春の雨がパラパラと降り始めま
した。
(了)
後日談:
ジャクリーン夫人ゆかりの地には、残念ながら行くことができませんでした。ボストン
近郊にケネディが生まれ育った家が残っていて、ケネディバッチをたくさん買って帰りま
した。
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