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本文ファイル - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ
NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE Title 交通と落下 ピエール・ロチ『秋の日本』論 Author(s) 遠藤, 文彦 Citation 長崎大学教養部紀要. 人文科学篇. 1997, 38(1), p.87-144 Issue Date 1997-09 URL http://hdl.handle.net/10069/15413 Right This document is downloaded at: 2017-03-31T15:33:15Z http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp 長崎大学教養部紀要(人文科学篇) 終刊号 第38巻 第1号 (1997年9月) 交通と落下 ピエール・ロチ『秋の日本』論 遠藤文彦 Circulation et chute Sur Japoneries d'automne de Pierre Loti Fumihiko ENDO はじめに-「ジャポヌリ」とは何か 『秋の日本』はピエール・ロチが1885年秋の日本滞在をもとに1889年に上梓した作品で ある。ただし書き下ろしではなく、かれが1886年から1887年にかけて執筆し、 『ヌーヴェ ル・ルヴユ』誌に寄稿したっぎの九編のテクストをまとめたものである。 「聖なる都・京都」 《Kioto, la ville sainte≫ 「江戸の舞踏会」 《Un bal h, Yeddo》 「じいさんばあさんの奇怪な料理」 《Extraordinaire Cuisine de deux vieux》 「皇后の装束」 《Toilette d'imperatrice》 「田舎の噺三つ」 〈Trois Legendes rustiques〉 「日光霊山」 《La Sainte Montagne de Nikko》 「サムライの墓にて」 《Au tombeau des samouraiis》 「江戸」 《Yeddo》 「観菊御苑」 《L'Imperatrice Printemps〉 (「皇后-ルコ」) まず、作品のタイトルから見てみよう。 『秋の日本』という題名は、この作品の邦訳が 昭和1 7年、青磁社より上梓された際の、訳者である村上菊一郎と吉永清とによるもので ある(上記各テクストの標題も両氏の訳による)。同書は当時、 「時の情報局からきびしい 干渉を受け、本文中数カ所削除の止むなきにいたった」ものであり、ようやく昭和28年に 遠藤文彦 88 なって角川文庫より完全なかたちで出版された。訳者もあらかじめ断っているように、原 題はJaponeries d'automne、すなわち「秋のJaponeries」であり、 「秋のJapon」では ない。 原題を直訳すれば《秋の日本的なるもの〉または〈秋の日本風物》というところであろ う。訳者らが本書を《秋の日本》として、あえて口調のいい《日本の秋》を採らなかっ たのは、原作の題名になるべく近接して、原作者の内容に対する真意を多少なりとも汲 まんとした以外に他意はない(1) 「日本の秋」が「秋の日本」よりも「口調がいい」のかどうかは別にしても、 《japoneries》の原義に比較的近い「日本的なるもの」ないし「日本風物」を避け、単純 に「日本」としたのは、なるほど単に「口調」の問題に配慮したからにすぎない(「他意 はない」)のであろう。 では、 japoneriesとは正確にいって何なのだろうか。辞書によると(2)、それは一義的に は「日本的様式をもった日本の美術品(objet d'art)、ないし骨董品(curiosite)」のこと である。 「ジャボヌリ」 《japonerie》は「ジャボネ-ズリ」 《japonaiserie》と同義であ るが、後者の方が初出は古く(1868年、ゴンクール兄弟の『日記』、前者は他ならぬ『秋 の日本』の1889年(3)¥、現在でもより一般的に使われている。それは、はじめは単に日本 の美術品・骨董品を意味していたが、やがてその種の事物への審美的関心を指すにいたり、 日本流の美的様式を志向する俗流美学、いわゆる「日本趣味」のような意味を持っことに なる。さらにそれは日本に関する一般的知識、共通の概念を指すこともある。 『秋の日本』 では、もともとの物質的意味(279)、第二の審美的意味(286)、第三の観念的意味(78)のい ずれもが認められる。表題の《japoneries》は、複数形で用いられていることからしても、 純粋な抽象的観念というより、対象の具体性を合意する第一の意味をベースにしていると いえるが、いずれ日本の美術工芸品の諸特徴を備えた日本的なものを喚起する諸々の文化 的表象(都市、建築、風景、習俗、人々、衣食住等々)に差し向けられ、結局、一般 、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ ヽ 、 に日本的とみなしうるもの全てを指しているように恩われる(「あらゆる種類の日本的な るもの」 《toute esp芭ce de Japonerie》 (271)といったときの含意)。その意味でそれは ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ヽ ヽ 特定の対象というより、明確な定義を欠く漠然としたイメージ(既に見たことのあるもの) にすぎない。いってみれば、固有性を代表し、譲渡不可能な価値を担うものとしての芸術 作品ではなく、非固有性を代表し、イメージとして流通する工業製品(それも実用性より も装飾性が優位を占める商品)の類である。 さて、このような意味での「ジャボヌリ」についていうと、われわれはそれをめぐって、 交通と落下 89 かって「珍妙さ」という概念を作品読解の鍵として『マダム・クリザンテ-ム』を論じた 際、若干の考察を加えたことがある(4)事実「珍妙さ」は、ほかならぬ「ジャボヌリ」の 第一義である日本産の置物(bibelot)を修飾する語として導入されていた。そしてそれ は、細部性、無道徳性、表面性、模造性など、いずれ否定的、軽蔑的なニュアンスをもっ て描かれていた。取るに足らないこと、大して価値のないこと、まともな興味に値しない こと、要するに非本質的であることが「ジャボヌリ」の本質的特徴なのであった。 『秋の 日本』の語り手は、京都の「陶磁器製造所」 《ces fabriques de porcelaine》を見学す る場面で、自分が日本の皿や壷、すなわち、もともとの意味での「ジャボヌリ」には特別 な関心を払いえないことを殊さらに記している。 「あまり興味はないのだけれど、やはり、 世界中に数え切れないほどの皿や壷をばらまいた、かの焼き物工場を訪ねておかないわけ にはいかない」 《Bien que cela m'interesse assez peu, il faut cependant visiter ces fabriques de porcelaine, ayant seme par le monde d'innombrables milliers de tasses et de potiches》 (36-7)。だが、まさしくこうした冷淡で侮蔑的な態度こそ「ジャ ボヌリ」の定義に対する律儀なほどに忠実な反応にはかならないのだ0 以上は『マダム・クリザンテ-ム』にも認められる「ジャボヌリ」の一般的・辞書的意 味である。ところで問題の『秋の日本』に描かれているのは、その冒頭に既に示唆されて いるように、ある種の特徴を備えた「既に見たことがあるもの」という意味での「日本的 なもの」ではない(少なくともそれだけではない)。というのも、この作品がとくに志向 しているのは、まさしくそれまでは不可視だったもの、近づきえなかったもの、したがっ て未知のものであるからだ。語り手は「聖なる都・京都」をこう始めている。 「ここ数年 前まで、それ[-京都]は西洋人には近づくことができず、神秘に包まれていた」 〈Jusqu'a ces derni芭res annees, elle etait inaccessible aux Europeens, mysterieuse.〉 (1)。また「皇后-ルコ」では、皇后のことを、 「まさしくその人の不可視性ゆえにこそ私 が見てみたいと夢みる、かの滅多に見られない皇后」 《cette presque invisible imperatrice, que je rSve de voir a cause de son invisibilite mァme ≫ (310)と述べ ている。ここには、 『マダム・クリザンテ-ム』に措かれた徹底した世俗性・表層性・日 常性(現在の日本)の次元とは対照的に、聖性・神秘性・超越性(過去の日本)の次元 (たとえそれが近代化のただ中にあって平板化しつつあるのだとしても) -の志向が認め られる。 ところで、イメージにすぎなかったものの現実を目で見、触れることのできなかったも のに実際に触れ、書くことによってそれらについての客観的情報(たとえば、西洋人が日 本女性のキモノと思っている華やかな衣装、あれは今では遊女のみが着るものであって、 庶民の着るものはもっと地味であり、また、宮廷の装束は古代から伝わるもので、西洋で 遠藤文彦 90 はまったく知られていないものであるという情報(308))を提供することは、一種の脱神 話的ないし啓蒙的機能を担うことである。また、それは同時に涜聖の意味をも帯びるであ ろう。というのも、本来不可視かつ不可蝕のもの、その限りで聖性を維持しているものを 痛く、すなわち、目に見え手で触れうるようにするということは、語り手が嘆いているか に見える世俗化の動きに、まさに書くという行為において彼もまた荷担し、それを遂行す ることにはかならないのだから。見聞録としてのこの作品において書くということは、そ の本性上、見えざるものとしての聖なるものに接近し、それを見えるようにするというこ とであり、したがって、それが観念上は非難し抗議しているところの事態を物理的には実 行することなのだ。 加えて、この作品のもう一つのライト・モチーフをなしているのは、日本に固有の特徴 としての「ジャボヌリ」を消し去りつつある近代化-欧風化のテーマである。これは上の 第三の意味で使われた「ジャボヌリ」、つまり日本に関する一般的知識や概念にかかわる テーマである。すなわち、鹿鳴館に招かれた語り手が欧化政策の下にある日本の建築や風 俗習慣を前にしてこう独りごちる。 「正直いって、これ[-鹿鳴館で催される舞踏会への 招待状]は私が長崎に滞在して得た日本的なものの概念をことごとく混乱させる」 《j'avoue qu'il con fond toutes les notions de japonerie que mon sejour a, Nagasaki m'avait donnees》 (78)。この点についても、いかに語り手が日本の西洋化 を榔旅しようとも、彼が旅行者として日本に滞在していること自体が、日本に、そしてテ クストに異質なものを混在させる主たる要因となっており、彼が一方では嘆いている日本 の非日本化に貢献し、それを遂行しているのである。 こうして『秋の日本』においては、 「ジャボヌリ」の概念をめぐり、その一般的意味に 加えて、この作品に国有のものと恩われる三つのモチーフを区別することができる。すな わち、 1)日本における世俗的次元を代表し、日本に関して流通する諸々のイメージ(こ ジャポヌリビプロ れを物理的に形象化するのが商品としての日本の美術品であり置物である)、 2)日本に おいて世俗的なものを超越し、聖性・神秘性を代表する次元(これを語り手は「古代の日 本(人)」としてイデオロギー的に形象化している)、 3)固有に日本的なものを浸食し消 去しつつあるもの(その代表的象徴が「鉄道」である)、あるいは、日本に関するイメー ジを混乱させる非日本的なものの介入としての西欧化・近代化(その狂操的舞台が「ロク メイカン」である)0 第一の意味は、異国趣味の内容としてすでに流通している日本のイメージであり、日本 に関する既得の一般的知識(通説)を構成する。第二の意味は、旅行者としての語り手が その特権的報告者となるべき未知の日本、類型的に「現在」と切り離された「過去」の日 本に関係する(しかしこれも当の報告を通していずれ異国趣味を構成する新たな要素とな 交通と落下 91 るものであろう)。以上二つの意味は、いずれも伝統的という意味での日本の固有性・純 粋性を合意するO第三の意味(これも「ジャボヌリ」の意味の一つとみなすならば)は、 第一の意味および第二の意味とは矛盾するように見え、それらを消去するように機能する 日本の逆説的イメージである。 さて、日本における俗性(ジャボヌリI)と聖性(ジャボヌリⅡ)についていうと、そ れらは別の次元に属する互いに相容れない世界であると同時に、ある種の隣接関係をもっ ものとして提示されている。 「近代日本」 《le Japon moderne》 (26)と「古い日本」 《le vieux Japon》 (192)は、内容的に絶対的隔たりをもっていながら、空間的には隣接して おり、しかも両者の境界が哩味で困惑をおぼえさせる。連続してはいないが隣接している、 いわば連録しているこの奇妙な関係に由来する困惑は次の真面目とも皮肉ともっかない問 いに端的に要約されている。 「どこまでが神で、どこからが玩具なのか」 《Oもfinit le dieu, ou commence le joujou?》 (17)。要するに聖と俗の境界か不分明なのであり、そ の意味でいうと、ここにはいわゆる境界侵犯の条件が欠落している。俗から聖への超越も、 聖から俗-の失墜も、ここでは原理的にありえない(5)。 似たような受け入れがたい連接性は、日本的なものと西洋的なものの間にも認められる。 何度もくり返し語られるように、日本人と西洋人は人種に由来する絶対的隔たりに刻印さ れており、互いに他を理解することは原理的に不可能だとみなされている。例えば、 「こ の日本とわれわれとの間には、諸々の原初的起源の相違によって穿たれた大きな深淵があ る」 《Entre ce Japon et nous, les differences des origines premisres creusent un grand ab壬me》 (92)。にもかかわらず、純日本的なもの( 《[les] plus idealement japonaises》 (197))とごく西洋的なもの( 《tout ce qu'il y a de moins japonais》 (79))は、互いに異質なものとしてけっして融合することがないまま結合し、混在する。 上に示唆したとおり、こうした事態の狂操に満ちた場面を措いているのが「江戸の舞踏会」 であり、それを表す物理的イメージが「混合-合金」の比愉(「日本と十八世紀フランス の混ぜ合わせ」 《cet alliage de Japon et de XVIIIe si芭cle frangais》 (86))である。 しかしながら「日本的なものの概念をことごとく混乱させる」 (78)もの、つまり、日本の 固有性ないし純粋性を変質させるものとしての近代化・西洋化は、たとえ否定的価値しか 認められないとしても、それもまた第二度の、いわば一段ひねった意味においては日本に 固有のものに属するのではないだろうか。少なくとも作品においてはその通りである。事 実、日本は本来的に本来性を欠いた国、元来「バラバラで、異質なものからなり、本当ら しくない」 《disparate, heterog芭ne, invraisemblable》 (5)ところ、 「すべてが奇妙で対 照をなしている」 《tout est bizarrerie, contraste≫ (40)場所なのではないか。同じこ とを逆から見ることもできる。 「聖なる都・京都」で建設中の寺院を目にした語り手は、 遠藤文彦 92 そのことが「かくも突然に蒸気機関と進歩に夢中古手なった国民における、これもまた矛盾 のひとつ」 《une contradiction de plus chez ce peuple si subitement affole de vapeur et de progr芭S》 (47-8)であると言う。要するに、 「ジャボヌリ」の第三の意味と しての西洋化・近代化は一方通行的・不可逆的過程ではないのであり、逆にいえば、まさ にそうでないことにおいて、一筋縄ではいかない、奇妙に歪んだ概念としての「ジャボヌ リ」を構成しているのである。 かくして「ジャボヌリ」の三つの意味のあいだに融合や統合はないが、ある種の関係、 ないし連絡はある。というのも、作品が、それにどのような価値評価を与えるにせよ描い ているのは、第一の意味と第二の意味が連接するということ、すなわち両者の境界が結局 のところ不明瞭であるということ、そしてまさにそのことが日本に固有の特徴と思われる ということ(ジャボヌリI')であり、他方、第一の意味と第二の意味が代表する日本の 固有性・純粋性は、第三の意味に完全には消去されることなく浸食されることによって一 部喪失し一部存続するということ、そしてそれもまた日本的なものに見えるということ (ジャボヌリⅡ')である。要するに、テクストがもっぱら象ってみせているのは、第一の 意味でも第二の意味でも第三の意味でもない。重要なのはそれらの意味自体ではなく、第 一の意味と第二の意味が代表する「日本的なもの」における明確な境界の不在(「どこま でが神で、どこからが玩具なのか」)であり、また、前二者と第三の意味との関係におけ る「日本的なもの」の固有性・純粋性の部分的喪失、それにともなう概念的混乱(「日本 的なものの概念をことごとく混乱させる」)である。 じつのところ日本に固有と恩われるイメージのみが「ジャボヌリ」なのではない。 「ジャ ボヌリ」は元来矛盾をはらむ不純な概念である(6)。あるいは概念というよりも、矛盾をも 含むある種の突飛な関係が成立する場、さらにいえば、そもそも矛盾が矛盾として機能し ない場の形象である。 「ジャボヌリ」という語が、そもそも異質なものからなる歪んだ意 味関係を表象しているのだとすれば、日本における聖なるものと俗なるものとの境界の欠 如のみならず、日本固有のイメージをある意味では消し去り、ある意味では混乱させるそ の仕方(欧風化)自体も、日本に固有なもののように思われてくるであろう。さらには、 むしろ矛盾しつつ存続する、その執拙さ、強度こそが非固有性・非純粋性としての「ジャ ボヌリ」を特徴づけているのだと思われてくるであろう。すでに第一の意味と第二の意味 との連接関係が日本の固有性を構成的に規定しているのならば、第三の意味がもたらす矛 盾と困惑は、そのようなものとしての「ジャボヌリ」の本質的意味を一段上のレベルで、 いわば累乗的に遂行するものなのだ。固有性や純粋性ではなく、明確な境界の不在と異質 な要素の混在こそが「日本的なもの」を構成する。 「ジャボヌリ」、それは定義可能な固有 の内容をともなう実体的癖恵というよりも、固有の内容を持たず、極言すれば園有性の欠 交通と落下 93 落そのものに差し向けられたネガティブで空虚な彪象なのである。 われわれは以下、顕在的には実体的に分類可能と思われる三つの意味を出発点としなが らも、それらを絶対的に隔たったものとしての限りで疎通させ、切り結ぶテクストの潜在 的構造、その動き、振る舞い、リズムに焦点を当てて作品を読んでみたい。テクストがそ の物質的運動において遂行してみせているのは、この観念的には可能な区分と境界線の、 実践上の疎通と横断なのである。 I交通について テクストの下部構造としての「交通」 『秋の日本』には、端的にいって何が語られ、何が描かれているだろうか。それは、語 り手が1885年秋に滞在した日本のこと(7)であり、個々のトピック-話題-場所-と しては、その際訪問した都市(京都、鎌倉、江戸、日光)のこと、具体的にいうと、主と してそこで見た名所旧跡の類(清水寺、三十三間堂、聚楽第、鶴ケ岡八幡宮、浅草、浅岳 寺、大仏、上野、吉原、東照宮‥.)、付随的には聞いた話(「田舎の噺三っ」)、偶然の出 会い、出来事などである。これはあらためて述べるまでもない自明のことであろう。それ は要するに日本を対象とした紀行文なのだから。 しかるに、それらのトピックのあいだにあって、ときに明示的に語られ、ときに暗黙の うちに想定されるもの、だが常にそこに現前しているもの、それはそれらのトピックをっ なぐ「交通」である。 「交通」は、それがなくては旅行記ないし紀行文としての『秋の日 本』が成り立たない、いわばテクストの下部構造をなしている。必ずしも明示的に語られ ず、とりわけ書かれてはいても大抵の場合意識的には読まれることのない「交通」は、常 にそこに現前し、それを物語るテクストの形式を規定している。 そもそも「交通」については、第-のテクスト「聖なる都・京都」の冒頭から、近代化 にともなうある種の失墜のテーマと結びっけられ明示的に語られている。 ここ数年前まで、それ[-京都]は西洋人には近づくことができず、神秘に包まれて いた。今ではそこにも列車で行ける。つまり、通俗化し、失墜し、終わってしまったと いうことだ。 lヽ Jusqu'^. ces derni芭res annees, elle etait inaccessible aux Europeens, I mysterieuse; a present, voici qu'on y va en chemin de fer ; autant dire qu'elle est banalisee, dechue, finie.(l) 遠藤文彦 94 「ジャボヌリ」の第一の意味は、商品として流通する日本の事物であった。いったい商 品というものを第一義的に規定するのは、それが何に値するかというその内容ではなく、 それがいずれ何らかの価値として流通するということそれ自体であろう。神秘を維持して きたものが、その固有性を喪失し失墜してゆくということは、ここではそれがイメージと して流通するということ、すなわち商品化するということと同じである。引用した冒頭の 一節で嘆かれているのは、 「ジャボヌリⅡ」、すなわち神秘を秘めた対象としての日本が、 西洋化・近代化の過程において「ジャボヌリI」、すなわち固有性を欠いたものとしての イメージに堕してゆく、あるいはもうすでに堕してしまっているという事態であろう。注 目してみたいのは、この失墜が西洋化の一つの現れとしての近代的交通手段(鉄道)の導 入と結びつけられているということである。物の移動としての流通が人の移動としての交 通と重なり合う。この作品においては「交通」というテーマが「流通」のそれとともにテ クストの下部構造的(それゆえ多かれ少なかれ無意識的)主題系を構成し、そこからいく つかのモチーフが派生してきて、テクスト上にさまざまな形象となって現れてくるのでは ないか。以下の考察の出発点となっているのは、このような仮説である。 世俗的なものが聖なるものに通じ、西洋的なものが日本的なものを横切る。この疎通と 横断を可能にしているのが「交通」なのだが、ちな射こ、後者(ジャボヌリnoを遂行 しているのが日本の近代化・西洋化を象徴する「鉄道」だとすれば、前者(ジャボヌリI') を実現しているのは、前近代的で日本に固有のものと恩われる「人力車」である。いずれ にせよ、それが内容の交流や価値の交換をもたらすかどうかは別にしても、確実に言える のは、 「交通」は空間の疎通と事物の流通を保証するということである。そのようなもの として「交通」は『秋の日本』におけ.る「ジャボヌリ」の奇妙な意味構成の原理であり、 ひいてはテクストを生成する動力でもある。それは歴史的な現実であるとともに、テクス ト的形象でもあるのだ。 疾走するジン-速度とリズム 『秋の日本』にはいくつかの交通手段ないし輸送機閲が描かれている。すなわち、作品 ではその影しか垣間見ることはできないが、語り手が世界中を移動することを可能にし、 彼をここ日本にまで運んできた船舶。海上に停泊している艦から港までの往来をになう解。 都市と都市を結ぶ鉄道。そして市中の移動には欠かせない人力車。先はど見たとおり、こ こで特に近代化のテーマを担い、神秘の喪失というテーマと結びつくのは鉄道である。こ れに対して、語り手の日本における主要な移動手段であり、語り手にとって他に類をみず、 前近代的という意味で日本に固有なのはどれであったかといえば、それはいうまでもなく 人力車である。事実、人力車で市街を駆けめぐったことが語り手にとっては特に印象的で 交通と落下 95 あったことについて、やはり「聖なる都・京都」のはじめの方にこう記されている。 こうやってジンに引かれて駆け回ったことは、いろんなことを大急ぎで見たり行った りした京都滞在の日々でも、心に残る思い出のひとつである。速歩の馬のように、普通 の二倍の速さで運ばれて、轍から轍へと飛び跳ねたり、群衆を押し倒したり、崩れかけ た小さな橋を越えたり、人気のない一画をただ独り通り抜けたり。階段があれば登った り降りたりもする。そんなときは、一段ごとに、ぽんぽんぽんと、座席の上で跳ねたり、 弾んだりする。とうとう夕方には、ぼうっとしてしまい、ものが次から次に回って見え てくる。まるで、あまりにも速く動かすものだから、くるくる変わる光景で目が疲れて しまう、万華鏡の中の風景のように。 Ces courses en djin sont un des souvenirs qui restent, de ces journees de Kioto ou Ton se dep6che pour voir et faire tant de choses. Emporte deux fois vite comme par un cheval au trot, on sautille d'orni芭re en orm芭re, on bouscule des foules, on franchit des petits ponts croulants, on se trouve voyageant seul a travers des quartiers deserts. M6me on monte des escahers et on en descend ; alors, a chqque marche, pouf, pouf, pouf, on tressaute sur .ヽ son siege, on fait la paume. A la fin, le soir, un ahurissement vous vient, et on voit defiler les choses comme dans un kaleidoscope remue trop vite, dont les changements fatigueraient la vue. (p.ll) 「ジン・リキ・シャ、走る人間が引く一人乗りの小さな車」 〈Djin-richi-cha, petite voiture h, une place, trainee par un homme coureur〉 (3)。 「ジン・リキ・シャを 引く人間、ジン・リキ・サン」 (Djin-richi-san, homme qui tra壬ne la djin-richi-cha》 (7)。人力車の車夫のことを、彼ら西洋人たちは「ジン」 《djin》と呼ぶ。その方が言い やすいからというだけでなく、 「悪魔の子」 《diablotins》 (8)のように常に迅速に走り回 るその独特の動き、そしてまさしくその悪魔的な雰囲気がより的確に表現されるからだ。 それは例えば京都のようにかなり「広く」 (8)、かつ小路が入り組んで「迷路」 《dedale》 (8)のようになっている都市を移動するにはこの上なく便利な乗り物である。 -ハッ、 -ッ、ホッ、フッ。ジンは気合いを入れたり、通行人をどかすために、け ものじみた掛け声をとばす。かなり危ないものだ、こんな風に、全速力で走る人間に運 ばれて、ひどく軽いごく小さな車に乗って市中を駆け回るというのは。石にぶつかって は跳ね上がり、急な曲がり角では傾いて、人や物があれば引っかけたり倒したり。とて 遠藤文彦 96 も幅の広い並木道のところで、急な勾配の堤に挟まれた轟々と流れる川があり、そのす ぐそばをわれわれは疾走する。一瞬ごとに私は、その中に落っこちてゆくわが身を思い 描く。 -Ha! ha! ho! hu! Les djin poussent des ens de bete pour sexciter et ecarter les passants. Assez dangereuse, cette mamsre de circuler dans un tout petit char d'une leg芭rete excessive, emporte par des gens qui courent, qui courent a toutes jambes. Cela bondit sur les pierres, cela s'incline dans les tournants brusques, cela accroche ou renverse des gens ou des choses. Dans certame avenue trss large, ll y a un torrent qui roule, encaisse entre deux talus a pic, et tout au ras du bord nous passons ventre a terre. A toute minute言e me vois tomber la dedans.(9) 疾走と巡回、偏向と転落。この記述には、作品全体をっらぬくテクストの動き、その速 度とリズムが凝縮されている。確実に目的地に通じ、方向性が明確で、行程があらかじめ 決まっている鉄道とは対照的だ。直線性と不可逆性を特徴とする鉄道とは逆に、ジンは機 動性と融通性を持ち合わせてはいるが、その分っねに奇妙な不安定感を与え、転落の危悦 を抱かせる。目的地はあらかじめ決まっていても、そこまで行くのにどこを通過して行く のか、その道程は定かでない。それを知っているのはジンであり(ジンは交通手段である ガイド と同時に案内役でもある)、乗っている者はどこかに向かっているという感じよりも、ど こかに「連れ去られていく」 《emporte》という、何かしら主体性を奪われたような感じ を抱く(それはまさしく「悪魔にさらわれてしまえ!」 〈Quele diable t'emporte !》 というがごとくであり、これもまたジンが「小悪魔」 〈diablotins〉に喰えられているこ との一つの意味であろう)。宇都宮から日光に向かう場面も含めて、京都や江戸や鎌倉な どの都市をジンに乗って駆け巡る場合は、一定の方向性をもった移動というよりも無方向 ルート 的な漂流ないし迷走のイメージの方が優勢である。逆に鉄道の場合は、道筋が固定してお り、目的地もはっきりしている。鉄道旅行においては単調さと眠気が支配的である(神戸・ 京都間と横浜・宇都宮問の鉄道旅行の記述(2-6,155-159)を見よ。そこには有意味な差異 の知覚に乏しく、 《toujours》 、 《partout》 、 《pareil》 、 〈m&me〉といった同一者 の反復を示す語が頻出する)。いずれにしても「鉄道」が引く不可逆的な直線と「ジン」 が描く迷宮的なジグザグとの組合せ、交替は、作品の軸となる運動を形づくり、テクスト の特異な綾を構成しているように思われる。 さて、ジンがそこにおいて主要な交通手段となっている都市空間は、ごく物理的にいっ て予想外の広さとして捉えられる。たとえば京都については、 「なんとも大きなところだ、 交通と落下 97 この京都という都市は」 《Quelle immence ville, ce Kioto〉 (8)、江戸については、 「この都市は、私の間違いでなければ、バリよりも広い」 《cette ville [-], si je ne me trompe, est plus etendue que Paris》 (273)、 「桁外れの広がり」 《une etendue demesuree》 (279)、宇都宮については、 「それは非常に大きく、広い」 《C'est trss grand, trss etendu》 (162)‥.といった記述が見られる。都市の第一の属性、それはデ カルトの物体よろしく「延長」 《etendue》なのである。事実、この広さは一定の視点か ら望まれる遠近法的空間の展開ではなく、中心・方向性・意味を欠いた漠たる物理的広が りである。主体はそこでみずからの位置を画定することができない。そこから今度は、都 市を「迷宮」 《labyrinthe》ないし「迷路」 《dedale》にみたてる建築的喰えが出てく る。ジンも含めてこのテクストにおける重要な形象として案内役がいる(聚楽第、泉岳寺、 日光、鶴ヶ丘八幡宮などの場面を見よ)。彼らの役目は、目的地-連れて行くこと、禁止 されたところ-立ち入らせないこと、出口を示すことなどであり、文字通りの交通整理的 機能を担っている。 「われわれが迷い込みそうなあらゆる四辻には、赤いチョッキを着た 大勢いる例の従僕のうち誰かが必ずいて、どの道を通らなければならないか、どの道を行っ てはならないか、教えてくれる」 《A tous les carrefours oil nous pourrions nous ! 1 I egarer, quelqu'un de ces laquais a. gilet rouge, qui sont legion, se tient pour nous indiquer quelle route il faut suivre, quelles allees il nous est intercut de prendre》 (328)。彼らはまた、空間の導き手であるばかりでなく、知識の供給者でもあ る(京都の人力車夫カラカワと-マニシ、聚楽第や泉岳寺や日光の番僧など)。通行を制 御ないし許可するという意味で権力を表象するとともに、知を所有し神秘に通じていると いう意味でも、それは悪魔的形象なのだ。 迷宮 ジンがその担い手となる交通は、鉄道による交通が単調で眠気を催させ、均一化する視 像をもたらすのと対照的に、断片的で、変化に富んだ、文字通りの万華鏡的視覚をもたら す(鉄道をめぐる記述自体、この作品においては、近代批判のお決まりのトピックとして どちらかというと独創性に乏しく、またジンをめぐる記述のような豊かさは見られない)0 ジンが与えるスピード感も、実際の速度というより、むしろ一所に十分に静止しないこと、 ひとつの場所を深化させることなく他の場所に移動する、そのせわしなさに由来している カL/イドスコープ ように思われる(ちなみに「万華鏡」とは、 「美しいQialos)形-外観(eidos)を見せるも エイドスイデア の(-scope)」の意だが、ここでいう形-外観は、形相-本質に通じる語である。しかし イデア ながら、万華鏡の比職の中に観念の単一性・全体性・固有性は感じられない。それは複数 化・断片化し、非本質化してしまっている。ここに、全体的外観の美しさが全体性の破砕 遠藤文彦 98 に由来するという、万華鏡の美学を語ることもできよう)0 実際、ジンによる交通は、ばらばらの点と点、隔離され断絶した場所と場所を繋ぐもの ではあるが、その間の弁証法的対話を可能にしたり、そこに何らかの(失われた)全体性 ないし統一を回復したりするものではない。個々の場所は、統一的全体の有機的部分では なく、むしろその全景を見通すことのできない迷宮的空間の機械的部品のようなものだ。 このことは作品全体にも通じることであるが、ここでは、作品のまさしく一断片である 「タイコーサマの宮殿」 (聚楽第遺構)の場面を例にとってみよう。この宮殿は、通過する ことはできるが、振り返っても見極めることのできない空間的構成の形象となっている。 都市を「迷宮」とみる建築的比職は、建築的表象をとおして文字通りの展開を示している のである(8)。 タイコ-サマの宮殿は、その周囲に「大きな壁の囲い」 《Une enceinte de grands murs》をめぐらし、その他の空間から隔離された空間をなしている。語り手がその内部 に「侵入する」 《penetrer》 (涜聖ないし探検のテーマ)と、 宮殿の巨大な建物は、はじめ全然その全体の図面が見えてこない一種の無秩序において 私の眼前に現れる。 I Les immenses batiments du palais m'apparaissent d abord dans une esp芭ce de desordre ou ne se dem6le aucun plan d'ensemble.(26) そこで、 「誰の姿も見えないので、私は行き当たりばったりに進んでゆく」 《Ne voyant personne言e me dirige au hasard》 (ibid.}。しかしその内部で、語り手は文 字通り堂々巡りして同じ場所に戻ってくるという危険をおかさずには一歩も前進すること ができない。 「向かう」 《se diriger》という動詞が、特定の方向性・目的性(∼の方に versの目的語)を失ってしまうのだ。そこで語り手-訪問者は、実際上および物語上の必 然として、いずれ案内役の僧侶に出会うことになり、かくして宮殿内の各部屋、各区画に 侵大しては、そこを通過してゆくことができるようになる。宮殿の内部、奥の方の部屋は、 それぞれ隔離すると同時に通行を可能にする扉で、とにもかくにも互いに通じてはいるの だから。すなわち、 「それら[-内部の部屋]は見慣れず思いがけない形をした一種の扉 で通じている」 《Us [les appartements interieurs] ccmmuniquent entre eux par une espsce de portiques dont les formes sont inusitees et imprevues》 (30)< ここで「通じる」 《commumquer》という言葉に注目してみよう。この語は、いわゆ る意思の伝達という意味での「コミュニケーション」ではなく、物理の実験用具で「通底 器」 (vase communicant)というがごとく、文字通り物理的意味での疎通を意味してい 交通と落下 99 る。この迷宮においては、二つの場所の間に一方向的通行はあるが、双方向的な交流はな い(たとえ逆方向からの通行があっても、それはやはり相互的交流ではなく、あいかわら ず一方通行的交通であり、それが単に折り返してきたものにすぎない)。個々の部屋は隔 離されていると同時に、まさにそれゆえに通じているが、それも双方向的にではなく、一 方通行的にであり、その間に対話は存在しない。なるほど、ここに認められるのはコミュ ニケーションである。ただし、そこで重要なのは意志の疎通ではなく、空間の疎通、言い かえれば、伝達ではなく交通である。解釈し理解すること、すなわち意味や観念に達する ことではなく、通路を設け、交通を可能にすること、そうやって現象や物質の間に連絡を インフラ つけること-下部構造を確保すること-が問題なのだ。 さて、宮殿の内部には、 「例のごとく、なまの自然の風景をミニチュア模型のように縮 小して模した小さな中庭」 《des petits jardins interieurs, qui sont suivant l'usage japonais, des reductions en miniature de sites tr芭s sauvages》 (30)があって、金 でできた壮麗な宮殿とは「意外なコントラスト」 《Contraste inattendu au milieu de ce palais d'or》 (ibid.)を示している。しかるに、こうした突飛な統辞論的構造こそがま さしく迷宮の迷宮たる由縁の一つであろう。 さらにこの突飛な統辞を強化するように思われるのは「タイコーサマ」の私室である。 「同様に意外なのは、この偉大な征服者にして皇帝たるタイコーサマが自分用に選んだ個 室である。それは極々小さなもので、あらゆる中庭の中でも最もかわいらしく、凝った庭 に面している」 《Ce qui surprend aussi, c'est l'appartement particulier qu'avait choisi ce Taiko-Sama, qui fut un grand coquerant et un grand empereur. C est trss petit, tr芭s simple, et cela donne sur le plus mignon, le plus maniere de tous les jardinets》 (31)cこの迷宮的宮殿の中心(少なくともいずれその内部に位置するど こか重要な地点)には何もない。何も、とは、とくに見るに値するものは何も、という意 味である。迷宮の中心にあるもの、それは財宝ではない。考えてみれば当の迷宮自体が金 でできているのだから。中心にあるもの、それは意外なもの、予期せぬもの、ここの文脈 において端的にいえば、央垂である。 迷宮の突飛な統辞論的構造と中心の空虚に由来する驚き-失望という心理的効果は、さ らに概念的効果として、全体の全体としての意味を、すなわちその全体性を不確かなもの、 捉えがたいものとする。宮殿全体を見学したはずの語り手は、それを全体として構成する はずの中心を発見することができない。ゆえに、結局それを全体として把握することがで きない。そこで彼はこの全体性の欠落を、ほかならぬ「迷宮」という観念によって事後的 に合理化しようとする。 遠藤文彦 100 いまや確かに宮殿の全部を見たように恩う。だが、相変わらず部屋の配置、全体の図面 が把握できない。一人では迷宮の中にでも入ったように迷子になってしまうだろう。 .I Je crois bien que j ai tout vu mamtenant dans ce palais ; mais je continue a n'avoir pas compris l'agencement des salles, le plan d'ensemble. Seul, je me perdrais la dedans comme dans un labyrinthe. (35) 迷宮全体を通過し終えてみて、訪問者は結局何も兄いだすことなく、せめて迷宮の全体 の構造を見通すことさえできず、何の収穫もなしに手ぶらで帰ってくる。通過の前後にあ るべき弁証法的変化も、超越的なものへのイニシエーションもえられない。何も発見でき なかったということではない。発見に値するものがないことが発見されたのだ。いくら 「迷宮」の喰えで合理化してみても、この迷宮は奇妙な迷宮だ。まず、この迷宮というト ポスないしシークエンスにおいて、その行為論的帰結は中心-の到達、未知との遭遇、怪 物との格闘ではない。それは出口であり、たんに脱出することである。それも自力で難関 を突破し脱出に成功するというのでもない。実際、この迷宮ではそもそも迷う心配はなく、 脱出の努力など必要ないのだ。というのも、 「幸いにも私の案内役が私を、わざわざ靴を 履かせてくれた上で送り返してくれる」 《Heureusement, mon guide va me reconduire, apr芭s m'avoir rechausse lui一m6me》 (35)のだから。お帰りはこちら、と いうわけだ。迷いを制御してくれる(交通を整理してくれる)ガイドのおかげで「迷う」 というトポスさえここでは空回りしてしまう。 「冒険」という物語が意味を持たず、成立 しないのだ。結局ここで迷宮のトポスを主題論的に決定しているのは「探求」ではなく 「交通」のテーマである。より正確にいえば、ここでは交通のテーマの方が探求のテーマ よりも支配的・決定的に作用しているのであり、それも顕在的テーマである後者が潜在的 テーマである前者を合理化・自然化するという形で展開されているのである。 二つの橋 語り手はジンに乗っていたるところを駆け巡るが、ジンによって形象化されるテクスト 上の交通は原理的にはあらゆる場所に通じていながらも、差異や隔たりを還元するもので はない。類型的にいえば、俗(ジャボヌリI)と聖(ジャボヌリⅡ)は、互いに疎通し合 う空間でありながら、それによって融合することは決してなく、一方の他方に対する差異 はあくまで維持される。哩味なのはその境界線の位置であって、それがどこにあるか判然 としなくも、境界線自体は厳然としてあるのだ。階層化する隔たりをあざやかに形象化し ているのが、日光における俗界と聖山をっなぐ二つの橋である。 交通と落下 101 村はその[-聖山の]丁度ふもとのところで終わっているが、聖山からは、雑然と崩 れ落ちた岩の上を轟音をたてて流れる広く深い急流で分け離されている。 二つの湾曲した橋がその激流の上方、ずっと高いところに架けられている。一方の橋 は花尚岩でできており、われわれがいまから渡る参詣者の橋、一般庶民の橋である。か たや、その向こう側にある壮麗な橋は、五世紀前に当時の皇帝たちとその驚くべき行列 のためにつくられたもので、一般庶民が渡ることは禁じられている[-]。 Le village finit juste a. ses pieds, mais il en est separe par un torrent large et pro fond, qui roule avec un fracas de fureur qui roule sur un chaos de roches effondrees. Deux ponts courbes sont jetes sur tr芭s haut au dessus de ces eaux bomllonnantes ; l'un, en granit, le pont des p芭Ierins, le pont de tout le monde, celui par lequel nous allons passer ; l'autre, la-bas, le merveilleux, interdit aux simples humains, qui fut construit il y a cinq siscle pour les empereurs d'alors et leurs etonnants cort芭ges [- ] (190) 橋は異なるものをっなぎ、通じさせるもの、交通を可能にするものであるが、橋と橋の 問を渡ることはできない。ここで橋は双数化し、通じさせるものの象徴であるとともに、 到達することのできないものの象徴、ひいては到達ということ自体の否定の例証ともなっ ている。聖と俗の差異は絶対的なもので還元することはできない。その上、それは単に空 間だけの問題ではなく、より本質的には時間(「五世紀前」)の問題である。二つの橋は 「古い日本」と「近代日本」を隔てる「時」の空間的形象なのである。過去に達するには 向こうの橋を渡らなければならない。しかるに、こちらの橋からあちらの橋に架かる橋 (橋と橋をっなぐ橋)などというものは存在しない。 さて、聖と俗の空間は、差異を維持しながらも、交通によってとにもかくにも通じては いる。ただし先に示唆したように、両者を隔てる明確な境界線は見あたらない。 「どこま でが神で、どこからが玩具なのか」。もとより境界そのものがないというのではない。境 界はいずれどこかにはあるが、どこにあるのか、その位置を画定できないのである。一方、 上の引用個所では、境界は「激流」によって明確に指示されている。が、その境界は橋に よって容易に越えられてしまう。一方では位置づけがたさにおいて、もう一方では越境の あまりの容易さにおいて、 「境界」というものの意味が平板化し、非本質化してしまう。 っまり、境界のこちら側とあちら側は通じてはいるが、こちら側からあちら側に達すると いうことはない。それゆえ、越えるということに然るべき価値が認められなくなる。越境 (境界侵犯)はあっても、もはやそれが超越的・神秘的なものへの到達、ないし本質的な 遠藤文彦 102 ものの獲得を意味することはないのである。実際、 「交通」というものは、むろん上昇や 下降の動きをも示しはするが、ほかならぬ上昇や下降においてさえも、それは本質的に平 面性であり、表面性なのであって、飛躍や深化ではない(落下は、次節で見るように、交 通が不可避的に合意する不測の事態として、いわば必然的かつ偶然的に交通に組み込まれ 、 ヽ 、 、 、 、 ヽ ヽ ヽ 、 ヽ 、 ヽ 、 ヽ ヽ ヽ 、 ヽ ている)。交通はその本質において平増さを合意する。逆にいえば、交通があるところで は常に超越性や根源(始原)などの目的性の次元は消失する。その意味でいうと、目的地 (destination)は交通の自然主義的口実にすぎない。ここでもまたこのテクストの本来的 テーマが到達や獲得ではなく、交通それ自体であることが明らかになる。二つの橋、それ は交通を肯定するとともに到達を否定するもの(あるいはむしろ、到達を否定することに よって交通を十全的に肯定するもの)であり、その意味で「通過」の反語的形象なのであ る。 対話/会話 語り手は日本のことも、日本人のことも、結局のところ何も理解できない。それもたま たま(理解力不足、知識の欠如から)そうできないというのではなく、そのようなことは そもそも不可能であるとアプリオリに、つまりイデオロギー的に(人種主義的説明に基づ いて)断じられているのである。ところでこのような理解不可能性の設定は、しかしなが ら、対象の理解という深さの方向(交流-交換の垂直的次元)とは別な方向づけ(交通流通の水平的次元)をテクストに付与しているように思われる。実際、語り手の日本人と の関係においてはいかなる種類のコミュニケーションも成立していないというわけではな い。類型化して述べるなら、そこには本来的コミュニケーションとしての対話はないが、 非本来的なコミュニケーションとしての会話は随所に見られる。たとえば、大阪から京都 へ向うの車中での日本婦人との会話(6)、花魁とその身内や友達との「会話」 (46)、鹿鳴 館で婦人たちとの会話(96)、通訳嬢との「会話」 (100)、日光の宿の女中たちとの「会話」 (181)等々。 京都から神戸へ戻る途中、立ち寄ったある表具屋らしき店の前で用が終わるのを待ちな がらたたずんでいた語り手は、外国人を見っけて物珍しさからおそるおそる近寄ってきた 小さなムスメの一群に取り巻かれる。彼女達は、はじめおずおずしていたが、やがて馴れ てきて「おじさんはフランス人かイギリス人か、年は幾っか、ひとりで何しに来たのか、 箱には何が入っているのか」などと、他愛のない質問をする。 と突然、彼女たちの言うことが理解でき、大して困難を感じずに彼女らに分かるよう に答えることができることに、わたしは驚きをおぼえた。この日本と日本語とはごく最 交通と落下 I tlK 近のつきあいであり、頭の中でもちゃんと整理されているわけでもないのに[-]。も はや私には自分が発音するこれら未知の単語の中に自分自身の声の響きを認めることが できない。その響きはもう自分自身ではないかのようだ。 Un etonnement me vient tout h. coup de pouvoir entendre ce quelles me disent, et de savoir, sans trop chercher, faire des reponses quelles comprennent ; c'est encore si recent, si peu classe dans ma tfite, ce Japon et ce langage japonais [・-]. Et je ne reconnais plus le son de ma voix dans ces mots nouveaux que je prononce, il me semble n'6tre plus moi-m6me.(71-72) ここで「分かる」、 「理解できる」のは相手の言葉の字義通りの意味であり、もとより相 手も文字通りの意味以上のことを伝えようとしているわけではなく、また、こちらもそれ 以上の意味を読み取ろうとしているのでもない。しかもこの会話は、複雑な推論や深い感 情や未知の情報を内容とするものではなく、外国語学習でいういわゆる会話の初歩で習う ような型通りの(挨拶や自己紹介等としてコード化された)問答にすぎない。この字義通 りの単純素朴なやりとりが含みとして持っている唯一の意味は、 「わたしはあなたの存在 を認知しています」あるいは「あなとと共にこの同じ場にいることを私は是認します」と いう、いわゆる「交話的」意味(R・ヤコブソン)である。 ちなみに、 「会話」 《conversation〉の原義は「習慣上一つの場所に身をおくこと、誰 かとともに過ごすこと」 《se tenir habituellement dan un lieu, vivre avec quelqu'un》 (TLF)である。会話への欲求が自己の存在を他者に認知させたいという欲求であるとし てみよう(語り手が誘ってはならない「皇族の妃殿下」の一人を踊りに誘う場面(98-99) には、そうした欲求が認められる)。仮にそうだとしても、そこにヒステリックな内容は ない。そこでいう存在とは、充実した人格としての「私」ではなく、たまたま今ここにい て、あなたと出会い、一つの場を共にしている偶然的個別的存在としての私であるOそし てここでいう認知とは、他者とのいわばヘーゲル的な緊張関係(主人と奴隷のそれ)を合 意する認知ではなく、単に他者と場を共にしていることの確認(書くことの次元でいえば 場所を共にしたことの記録・証し)にすぎない。それゆえ、会話の意味は本質的にはむし ろ他者の存在の是認にあるといえよう。会話の遂行を通しておこなわれる他者の是認は、 他者が属する場所、習慣、規約への同意である。そしてそれは、対立と否定を介在させな い主体の非弁証法的変容を合意する(「それはもう私自身ではないかのようだ」)。前段の 引用個所に続いて、語り手が、 「その晩の私は、それらの娘たちをほとんど美しいと思う。 それはきっと、すでに私がそんなアジアの端っこの人達の顔に慣れてしまったからなのだ ろう」 《Ce soir言e les trouve presque jolies, ces mousmes ; c'est sans doute que 遠藤文彦 104 deja je m'habitue a ces visages d'extrsme Asie》 (72)と考えるのは、そうした同意 のあらわれであろう。このような他者化の経験は、いわゆる疎外のそれであろうか。なる ほど、そこには自己自身に対する疎速さや、本来性・固有性の喪失が生じているのかもし れない。しかしながら会話とは、そもそもそうした本来性・国有性への執着を(完全に絶 つといのでなければ)暫定的に(相手に対してというよりも自分自身に対して)緩和ない エポケ-エポノク し中断する時間-空間なのではないだろうか。たとえ愚かしいほどに素朴な会話ではあっ ても(あるいはまさにそれゆえにこそ)、自分自身の変容を不思議に感じる語り手のよう に、そこにある種の驚きと喜びが生じないともかぎらない。会話は、本来っねに初級にと どまる意志を合意し、中級ないし上級への格上げというヒステリックな欲望には結びつか ないものなのではないだろうか(逆にそれに結びついたとき対話への欲望が芽生えるとい うべきか)。してみると、 (初級)会話が言語のある種のユートピアを指しており、倫理的 企図に結びっくということもありうるのではないだろうか。 四十七士の墓(泉岳寺)を訪れた語り手は、案内の僧侶の説明(四十七士の物語)を聞 くが、その日本語は日常の会話の日本語より数段高度(《en une langue dont la plupart des mots malheureusement m'echappent〉 (268))で、彼には何を言ってい るのか十分に理解することができない。しかし、 「私は退屈せずに聞く」 〈Mais je l'ecoute sans ennui》 (268)。ここでは説明(情報の提供)が会話へと変容してしまって いる。聞き手は話を聞くこと自体には集中しておらず(そもそも彼はその内容をおおよそ 知っているのだから)、そのかぎりでは不謹慎な聞き手であるともいえよう。だが、そも そも会話における話の内容は口実(pretexte)にすぎないのではないか。会話の本当の意味 (そこでまさしく交わされるもの)はその中にではなく、むしろその癖らにある。そして、 そこを流れて行くのは、固定した意味ではなく、まさしく流動的意味、むしろ感覚( sensation)に近い意味(sens)なのだ。 「皇后パルコ」の観菊御宴において、皇后-ルコは招待された各国の婦人たちを一人ず つ呼んでここと三こと、ごく簡単な言葉を通訳を介して交わす(語り手はこれを「閑談」 《causenes》 (349)と呼んでいる)0 ニエマ嬢はフランス語で、妙に上品な調子で通訳する。それは意図的に素朴な驚くべ き質問である。昔日の仙女たちが、彼女たちの世界に迷い込んだ人間たちにしたであろ うような質問だ。 [-] 「皇后様におかれましては、貴女様が日本をお気に入りかどうか、お尋ねで御座います。 「皇后様におかれましては、貴女様が私どもの庭の花をお気に入りかどうか、お尋ねで 御座います。 交通と落下 105 「皇后様におかれましては、貴女様が本邦での御滞在に御満足されますことをお望みで 御座います。 いやはや!人種のかくも異なり、おそらくは観念と感情の全領域にわたってたった一 個の接点さえ持たないであろうこれら婦人たちの間で、ほかに何を話すことがあるとい うのだろう。このような子供じみた愚言が交わされるあいだ、皇后さまは非常に繊細で 優しい様子で微笑んでおられる。 〈Mademoiselle Nihema》 traduit en frangais, avec son accent d'une bizarrerie distinguee : ce sont de ces questions stupefiantes de naivete voulue, comme les fees d'autrefois en devaient faire aux mortelles qui s aventuraient sur leurs domaines[.‥]. 《L'imperatrice demande si vous vous plaisez au Japon? 《L'imperatrice demande si vous aimez les fleurs de nos jardins? 《L'imperatrice desire que vous vous trouviez heureuse dans son pays.〉 Mon Dieu! que dire autre chose, entre femmes de races si differentes, I n'ayant peut-fitre pas, dans tout le domame des idees et des sentiments, un seul point de contact? Pendant que s echangent ces niaiseries d'enfant, elle sourit, l'imperatrice, d'un air tr∂s fin et assez doux.(349-350) ここでは、そのもっとも愚かしい意味での会話が交わされている(愚かしさがあらゆる 会話の規定そのものであるというのでなければ)。そこでは何かが交換されている。しか しそれは観念でも感情でもない。意味のないもの、無に等しいものだ。重要なのは、通じ そL、、為という事実それ自体であって、その内容は副次的な意味しかもたない。質問の内容 が「意図的に素朴」と言われるのは、どうせ本質的なことは何も通じはしないだろうとの 予測(逆に言えば、本来ならそこには伝えるに値する何ものかがあるはずだ、というイデ オロギー的予断)があるからであろう。だがこうしたシニカルな事態の想定は、むろん皇 后自身によるものではなく、皇后に同一化して語る語り手エロチによるものであるにすぎ ない。じつのところ、この質問の素朴さはあるテクスト的機能を担っている。すなわち対 話への誘惑を挫く、あるいはむしろ、対話への欲望を殺ぐという機能である。そして、と りわけそれは通じなL、、という事態を是非とも回避するための配慮に由来する。対話がなく 会話があるのは、交流よりも交通(交通という意味でのコミュニケーション)そのものの 方が重要だからである。ここにはテクスト上の一つの倫理的賭金が掛けられている。なる ほど会話は儀礼的なものにすぎない。だがそれは、交流よりも交通を、伝達よりも疎通を 重視するテクスト的エートスに適うものなのである。 遠藤文彦 106 最後に付け加えておけば、通じるものとしての言葉は本質的にそして徹底的に世俗的な ものである。このことについては、次の引用を挙げておくにとどめよう。語り手は、鹿鳴 館で着飾った貴婦人たちと会話を交わしていると、彼女たちの口から日本語が発せられる のを聞いて奇妙な印象を持つ。 「恩いがけなかったのは、これら今風の身なりをした踊り 手たちの口から日本語の単語が出てくるのを聞くことだった。これまで私はこの言語を、 小市民や商人や、みんな一様に人形の着るような長いキモノを来た一般庶民を相手に、長 崎でしか使ったことがなかった。舞踏会の衣装を着たこれらの婦人相手では、もはやどん な言葉遣いをすればいいのか分からない」 《Une de mes impressions inattendues est d entendre des mots japonais sortir de la bouche de ces danseuses modernisees. 〉` Jusquici, je n'avais employe cette langue qua Nagasaki, avec des petits bourgeois, des marchands, des gens du peuples, tous en longue robe de magot. Avec ces femmes en toilette de bal言e ne trouve plus mes expressions》 (95)。 語り手は貴婦人たちが上品な言葉遣いをしていることに驚いているのではない。自分の理 解できる言葉が彼女たちの口から発せられること自体に驚いているのだ。交通が世界を平 イコール 坦化するのと同じように、通じるということは人を平等にする(9) 金と菊 語り手は日本のいたるところに象徴的形象を兄いだすが、その意味を把握することはで きない。 「それらの象徴をわれわれは理解できない」 《les symboles nous echappent》 (32)c語り手に理解できるのは鏡が真理を象徴する(18,57)ということぐらいだが、それ は西洋にも通じる、普遍的といえばいえるが、ある意味ではむしろ陳腐な紋切り型の象徴 にすぎない(もとより鏡が真理の象徴なのは、それが真実を正確に映すからなのか、映さ れた世界が空無だからなのかは不明だが)。むろん理解できないということが理解すべき ものの不在を意味するわけではない。それどころか語り手は常に秘められた深みへの関心 を示している。作品において象徴のありかを示す指標、あるいはむしろそのほとんど陳腐 化した記号となっているのは、 「深み」 《profondeur》 (18…) 「向こう側」 (165) 「裏側」 〈dessous》 (217)を暗示する「ほの暗さ」 《demi-obscurite》 (288‥.)あるいは「薄暗さ」 《penombre》 (227...)である。 『秋の日本』における象徴的物質のなかでも、その神秘的な質とおびただしい量におい て際立っているのは「金」である。語り手は、稲荷神社の狐が口にくわえている金色の物 体が何なのか、つまり、その象徴的意味が何なのか知りたく思う。 「寺のあの狐たちのと がった歯のあいだにあるいっも同じあの金色の小さな物体が何を表しているのか、私には わからない」 《Je ne sais pas bien ce que represente cette petite chose doree, 交通と落下 107 toujours la mSme, qui se retrouve entre toutes les dents pointues de ces renards des temples≫ (44)。ここで注目してみたいのは、その「小さな物体」それ自 体、すなわちそれがその形態において何を意味しているかではなく、 「金」という物質の 方である。ここで「金」は何を表しているだろうか。一般的にいえば、 「金」はあらゆる 卓越したもの、貴重なもの、疎外-譲渡しえないもの、要するに至高の価値の象徴である。 言いかえれば、それは最終的・絶対的目的であって(錬金術的含意).、いかなる意味にお いても手段ではないものの象徴である。だが、まさにそれゆえにこそ、それはあらゆるも のに取って代わりうると同時に、何ものによっても取って代わられることはできない (「金」は何かを喰えるものであって、何かがそれを喰えるところのものではない)。つま り、あらゆるものを交換・象徴しうるが、みずからを変質させ、自らの価値を下落させる ことなしに他の何ものかによって交換・象徴されることはない。それは他の諸々の事物の 価値をはかる根源的尺度、始原的基準であり、あらゆる本質的なものがそれと比較される ことを望むが、それ自体を何かに比較することはできない比較の原器、あらゆる卓越した ものを象徴しうるが、それ自体は何ものにも象徴されない象徴の零度である。かくして、 あらゆるものに取って代わりうるが、何ものによっても取って代わられえない「金」は、 比較・交換の原点、すなわち象徴的連鎖の出発点に位置する原一象徴であると同時に、象 徴の綱の上の盲点でもある。象徴化不可能な象徴、その向こうにはいかなるシニフイアン もない(したがってシニフイエとなりえない)根源的シニフイアンとして、 「金」は事物 の固有性、本来性、不動性を代表するもの、さらにいえば象徴不可能性を象徴するもので ある。この点、それが「柿」という日本に固有の物体の属性、というより、ほとんどその 実体として記述されているのは示唆的である( 《des vergers dont les arbres, tous d'une meme essence particulisre au Jpon, sont charges de fruits d'une belle couleur d'or》 (110), 《le kaki […] comme une boule en or bruni》 (144), 《les petites boules d'or des kakis〉 (146))。それは頑迷にそれ自体であり続け、それ自体 であるにとどまる。固有の場を離れて、流通することはないのだ。 さて、 「金」が至高の価値を表わすということは、それが自分自身以外に自らに値する ものを持たないということであろう。 「金」はものの交換価値ではなく、ものの固有の価 値を代表する。ところで、一般的にいって、あるものが意味を持っということは、それが それ自身とは別の、それ自身よりも重要な価値、少なくともそれ自身と等価な価値を担う ということである。ものはそれと等価でありかっそれとは別の何かに差し向けられること において意味を持っ(10)しかるに、 「金」はそれ自身以外にそれと等価な対象を持たない のだから、有意義なものに差し向けられない、無意味なものということになろう。この意 ヽ 、 味でいうと、それ自体において価値を持っということは、それ自体としては意味を持たな 遠藤文彦 108 いということである。 「金」はみずからのうちに同語反復的な無意味さ-金は金である -を抱えているのだ。 同じことを記述(描写)のレベルで考えてみると、記述とは、一般的にいって対象をそ れと等価な何か別のものによって代理し表象することである。その意味で、記述は記述さ 、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ 、 、 ヽ ヽ ヽ 、 れる対象の価値を志向すると言える。この点、象徴は記述の優れた方法とみなしうるが、 それならば何ものによっても象徴されえない「金」は記述不可能な対象であるということ になろう。記述は対象と等価であろうとする。しかるに、金は等価物(金を象徴する他者) を持たない。ゆえに、それは同語反復(「金は金である」)に陥ることなしに記述すること のできない対象であり、その意味で描写的には不毛な対象である。記述されえないものは、 意味を持たず単にそこにあるものとして、ただ記録されうるのみである。東照宮の記述を 例にとってみよう。そこでふんだんに使われてある金は、至高の価値を代表する。しかし それは何も意味しない。東照宮を描写しようとする語り手は、金がそこにあるごとにその 都度それを「金」と表記するが、そうすることは、記述を萎ませ平板化すること、つまり、 記述の隠喰性-意味(記述が記述の対象に値する能力)を減じることであり、対象をその 事実性(それが単にそこに在るということ)に還元することである。 「金」は記述の対象 とはなりえず、記録の対象でしかありえないことを、語り手も感知している。彼は「財産 目録」という、この際もっとも適切と思われる比職を用いてこう語っている。 [これほどの金を]見るのが疲れるなら、ましてや私の描写を読むのはもっと疲れるこ とだろう。それは描写というより、金という言葉が否応なしに一行ごとに現れる、事細 かに記録した一種の財産目録でしかありえない。 Et si c'est une fatigue de regarder [tant d'or], a plus forte raison sans doute en est-ce une de lire ces descriptions que je fais, qui ne peuvent 6tre que des especes de minutieux inventaires de richesse et ou le mot or revient fatalement a chaque ligne.(228-9) 「金」 (狐のくわえた金色の物体)の象徴を読みとろうとする語り手は、ある意味で不 毛な試みをしている。その意味が結果的に読みとれないからではなく、読みとるべき意味 などもともとないからである。なるほど、文化的コ-ドを参照してみるなら、それは形態 として観念的に「稲」を象徴している。しかしながらそれは、テクスト上、物質として象 徴不可能なものの象徴なのである。 「金」のこちら側にはあらゆるものがあるが、その向 こう側には何もない。目的性の観念は「金」それ自身のうちで完全に尽きてしまっている。 金が厳密に象りうる唯一のもの、それは無意味-東照宮の中心にある空虚(「何もない」 交通と落下 109 《il n'y a rien》 (222)、 「墓を閉じこめている小さな庭」 《la petite cour funsbre qui renferme le tombeau》 (223)、 「虚無の小さな中庭」 《la petite cour du Neant》 (227))である。そして、等価物を持たない金は、正当な交換によって合理化し、自 然化することができない。おびただしい金の描写が、制御可能な現実的視覚ではなく、統 覚しえない夢幻的視覚-「金の夢」 〈le r6ve d'or》 (256)、 「金の悪夢」 《un cauchemar d'or》 (212)-をもたらすのもそのためであろう。 このテクストにおいて「金」と並んで固有性・象徴不可能性を代表し、 「金」と同じよ うなテクスト的効果を生むのは「菊」である。とくに「皇后-ルコ」や「江戸の舞踏会」 におけるおびただしい菊の花は、描写しえないものとして、その都度記録されるのみであ る。 「菊」は、西洋の貴族と日本の皇族・華族・氏族との対応関係のように、社会的コー ドに照らして等価性が成り立っレヴェルでは理解可能・翻訳可能である。例えばそれは、 国花として様式化された図柄においては日本という国を象徴する(「日本における、我が 国の百合の花の等価物であるそれら大きな菊の御紋」 《ces larges chrysanth百mes heraldiques qui, au Japon, equivalent a nos fleurs de lis》 (83))。しかし物質性に おいてそれ自体として与えられた菊花群は概念把握できない(「我が国の秋の花壇には何 もその観念を与えてくれるもののない日本の菊の三重の生け垣」 《une triple haie de chrysanthsmes japonais dont rien ne peut donner l'idee dans nos parterres d'automne〉 (84))、つまり交換不可能・翻訳不可能なものとして提示される。かくして、 東照宮の「金」を目にしたときと同じように、観菊御苑における「菊」に対する実在的視 覚は夢幻的視覚-と変容してしまう(「そこには菊の別種の展示-というよりむしろ、 菊についての別種の幻想がある」 《…il y a d'autres expositions de fleurs, d'autres fantaisies sur les chrysanthames, pourrait-on dire plutCt.‥》 (332)), 象徴的示差的システムにおいて社会文化的レフェランスとしては理解しうる「菊」も、そ の実在性・物質性においては象徴性を欠いたただ単にそこに在るものとして、その事実性 において記録されるのみである。それは何かを象徴しうるが、何によっても象徴されえな い。結局、 「金」と「菊」はテクストにおいて修辞上同じ地位に置かれている。この点、 「菊」 (クリザンテーム)は、ギリシャ語を語源とし、 「金」を表すchrys(o)-と「花」を 表す-anthsmeからなるというのは示唆的だ。 「菊」、それは「金の花」であり、さらにい えば「黄金の国」日本のいわば同語反復的象徴なのである。 貨幣と合金 「金」はあらゆる至高の価値、すなわち何ものによっても代理しえないものを象徴する が、まさにそのことにおいて何ものによっても代理・象徴されえない。それは固有の場を 遠藤文彦 110 離れないものの不動性と不毛性を表わしている。固有性としての「金」の不動性・不毛性 を乗り越えるには、それを契約的に代理し、流通へと媒介するものが必要である。 「金」 カネ の契約的代理表象物、それは貨幣である。固有の価値を持っがそれ自体は何も意味しない 「金」とは逆に、それ自体としては固有の価値を持たないが、交換されることにおいて意 味を持っもの、そのような契約的機能を担うものである貨幣は、それが何に値するにせよ (言い換えればそれが媒介する交換価値が正当か否かにかかわらず)、いずれ流通するとい う点で現実的なものを代表している。貨幣は何に値するか。それは、それによって交換さ れる個々の対象以上に、より現実的には何よりも交通-流通そのものに値する。この作品 には金銭の支払いの場面がしばしば描かれるが、その際語り手が支払うのが、もっぱら交 通の代価(乗り物代、通行料、拝観料など)であることは示唆的だ。それが何に値するの かは別にして、本来不動のものである日本の事物-置物( 《bibelot〉-《japonerie》)か ら、死体(日光の熊の毛皮《ours》はテクスト上東照宮の金《or》に通じる)、女性(遊 郭の女郎)、物語(赤穂浪士の物語、ひいては『秋の日本』という物語)にいたるまで-は結局どれも商品として流通する。日本的なもの(ジャボヌリI)は日本の置物のごと く大した価値はない(内容は空虚である)が、とにもかくにも流通する。商品において重 要なのはそれが固有に持っ価値ではなく、それがとにかく交換されうること、そしてそれ によって流通するということ自体である。 「貨幣」は、それが流通を保証しているのは確実なことだが、それ自体としてはほとん ど実質的価値を持たない。一方「金」については事情が異なる。金は貨幣とは逆に象徴的 能力においてすぐれた対象である。行動主義的に見て、流通しないもの、不動のものは神 秘性を帯びる、要するに象徴の効果をもたらす。一方、先に示唆したように、イデオロギー 的に人種の違いによって説明されてはいるが、現実にはその固有性・不動性、要するに象 徴不可能性に由来している理解不可能性の設定は、対象(-日本)の理解という深さの方 向(象徴・交換の垂直的次元)とは別な方向づけ(交通・流通の水平的次元)をテクスト に付与している。それが交通ないし流通の方向である。そして、その方向の運動を媒介す るのが「貨幣」である。くり返すが、 「貨幣」はそれ自体においては固有の価値(象徴的 深み)を持たないが、何に対してであれいずれそれが交換されることにおいて意暁(実践 的流れ)をもたらす。 ところで、 「金」と「菊」はものの固有性・本質性を代表するが、それはまたものの純 粋さ(異物の不在)をも表わす。それは一方では「貨幣」に対立するが、他方では「合金」 に対立する(前者は「ジャボヌリI'」に通じ、後者は「ジャボヌリⅡ'」に通じている)。 フ7ルスメリメロ 「公式の笑劇」 (101)ないし「万国狂乱会」 (104)と評される鹿鳴館の舞踏会は、隣接して も決して融合することがないもの同士の突飛な組み合わせからなる「オペレッタ」 (87)で 交通と落下 111 あり、 「日本と十八世紀フランスの混ぜ合わせ[-合金]」 《cet alliage de Japon et de XVIIIe si芭cle frangais》 (86)を演出する舞台である。その純粋さにおいて日本の象徴とし て機能する「菊」は、同時に日本のイメージ-記号として流通するにいたる。じつに「金」 も「菊」もそれ自体「合金」を構成する要素なのではないか(この点、 「菊と怪物の銘の 入った日本の銭」 《Un sou nippon [-] marque d'un chrysanth芭me et d'un monstre》 (14-5)は、 「貨幣」と「合金」のテーマを統合して形象化している)。いずれ物が交 換されるということは、それが自らの固有性と純粋性を(少なくとも一部)失うというこ とである。そして、自らの固有性・純粋性を(少なくとも一部)喪失しているからこそ物 は流通するのだ。交換しえなし′、ものは流通しえない。本来的なもの・純粋なものは交換不 可能であり、したがって流通不可能なのである。 双数性と二重化 聖と俗、日本と西洋、幻想と覚醒、期待と失望、上昇と下降‥. 『秋の日本』はある一 定のリズムに貰かれている。それは交替(alternation)のリズムであり、厳密に二項的で あって、対立を欠き、非弁証法的で、媒介的第三項や総合・超越を表す最終項-目的地は ない(リズム以外にあるのは、そこからの単なる出発-脱出-語り手の帰国-のみで ある)。ここでは対立や媒介に対して、つねに双数と交替が優位を占める。 日本のものは決して単数ではなく、つねに双数であり、複数あるものでもその原理は双 数性である。清水寺の境内の寺院について、次のような叙述がある。 二番目の寺院は一番目の寺院に似ている(-)。ただこちらのは、崖の上方で宙に吊 られ、張り出した状態で建てられているという点が特徴的だ。 Le second temple est semblable au premier [・・・] Seulement il a cette !. particularity d'etre bati en porte-a-faux, suspendu au dessus d'un precipice. (19-20) 同様に、日光霊山にある二つの中心的建造物、すなわちYeyazの東照宮とYemidzou の大猷院についても次のように語られる。 森の中のある別の区域では家光の御霊を妃った寺院がほぼ同じような壮麗さを示して いる。 (中略)内部には家康のところと同じように金が煙めく。まったくもってこれら 二つの霊廟のうちどちらがより美しいとは言えない。驚くべきは、同じひとつの国民に このような代物を二つも造る時間がよくもあったということだ。後者に特徴的なのは、 遠藤文彦 112 (後略)。 Dans un autre quartier de la forst, le temple de 1 ame divimsee d Yemidzou est d'une magnificence a peu prss egale. [蝣-] Au dedans, un etencellement d'or pareil a celui de chez Yeyaz. Vraiment, des palais de ces ames, on ne sait lequel est plus beau ; l'etonnement est que le msme peuple ait trouve le temps d'en construire deux. Ce qui est particulier a ce dernier, c'est …(225- 226) 二つの建造物は大体同じであるが、それぞれに独自性がある、と語り手は言いたいのだ ろうか。否。これらの叙述の真の内容は、付随的な違いはあるものの、それらは結局のと ころ大差ない、ということだ(「ただ」 《Seulement》という接続詞、 「と似ている」、 「と 同じような」、 「大体等しい」という形容の仕方、与して「驚くべきは、同じひとつの国民 にこのような代物を二つも造る時間がよくもあったということだ」という見解)。つまり、 ここでもっぱら意味されているのは、両者の偶然的差異ではなく、本質的差異の欠如なの だ。両者は、随所で異なってはいても、おおよそのところ似かよっており、したがって対 シンメトI)コントラスト 立もしなければ、対称も対照もなさない。この近似的同一性において(すなわち両者の間 で)は、必然性、固有性、中心の観念が欠落する。 このテクストでは、しばしば似かよった対象が二つ描かれることがある。仏像(泰良の と鎌倉の)、風俗(京都島原と江戸吉原)、建造物(日光東照宮と芝増上寺)などの場合が そうだ。それは描かれた現実の対象の次元では単なる偶然の結果であろう。だがテクスト のレヴェルでは、当の叙述が、一方が他方の固有性を失わせるような効果をもたらしてい る。同様に、日本に固有と思われる対象が西洋におけるその対応物との類似性において知 覚されるという描写が随所にみられる。自然の風景(「目を閉じると、ヨーロッパのどこ か、例えばアルプス山脈を望むドフイネ地方のよう」 《en fermant un peu les yeux, on dirait l'Europe, le Dauphine, par exemple, avec les Alpes a. l'horizon〉 (4)な 車窓からの眺め)や、都市の眺望(「一見ほとんどヨーロッパの街のよう」 《Au premier coup d'oeil on dirait presque une ville d'Europe》 (15)な京都の街)、習俗(「カト リックのミサによく似ている」 《qui me para壬t ressembler beaucoup a l'elevation de la messe dans le culte romain》 (35)日本の宗教儀式)などがそうだ。むろんそこ には、よく見ればさまざまな細部の相違はある。しかしながらこれらの類似性の発見は、 二つの寺院の例と同じく、両者の差異を際立たせるものではなく、一方の他方に対する固 有性を減じる効果をもっ知覚なのだ。さらに、テクスト外的知識・知覚に参照させる指示 形容詞(「あの」 (ce, cette, ces))や、アナフォリックな機能を持っ「永遠の-例の」 《 交通と落下 [IB eternel》 、 「いっも」 《toujours〉 、 「同じ」 《m6me》 、 「似たような」 〈pareil》などの、 安易にと言っていいくらい頻繁に使用される語は、 (ほとんど工業的な意味で)規格化さ れたものにおける固有性の欠如に差し向けられている。ここであらためて想起されるのは 第一の意味での「ジャボヌリ」、すなわち日本製の美術工芸品のことである。それらは単 に双数的であるばかりでなく、さらには累乗的に双数化してゆく(その崇高さの域にまで 激化された形象が三十三間堂の彫像群であろう)。叙述は対象それ自体をその実質におい て描くのではなく、既にあるイメージや知に送り返されることからなる。かくして類似の 指摘やアナフォールの使用は、詩的感興を導く異種の結合ではなく、むしろ興を醒めさせ る失望的メッセージに属するのである。 このテクストにおけるにおける反復と参照は、実質的記述の拒否であり、必然性・本質 性・固有性の欠落を意味している。テクスト外部への参照として機能する指示形容詞や比 較は、必然性を欠いた反復、本質性を欠落させる流布を想定しているのだが、それは結局 当の対象に国有性を拒むことであり、描写的価値を認めないことなのだ。 交換の窓意性、流通の現実性 先に見たニエマ嬢の通訳も泉岳寺の僧侶の話も、その中味は、一方は完全にコード化さ れているもの、他方は聞き手が既にその大筋を知っているものである。そこには対話的契 機が存在せず、知的・情報的価値は大して認められない。話は通じているが、意味のある 実質的交流(知と情報の交換)があるわけではない。 この作品においては、流通-交通と交換-交流の問題が、あるときは文字通りに展開さ れ、あるときは会話や物語というトピックにおいて、あるいは貨幣や合金という形象の下 に主題化されている。そこでは流通-交通が現実的なものとして描かれているのに対し、 交換-交流は懇意的なもの、想像的なものにすぎず、さらには疑わしいもの、不当なもの とさえみなされている。実際、語り手が描く日本においては、交換が妥当なものであるか どうか、換言すれば、等価性が成り立っているかどうか、つねに疑わしく思われる。語り 手はいたるところで金銭に対するこだわりを見せているが、それは自分の支払う金とそれ が支払われる奉仕ないし物品との間に正当な等価関係があるのかどうか、つねに疑わしく 患われるからだ。ジンの雇用料にしても、宿代にしても、商人たちの売値にしてもそうだ。 日本人は油断がならず、内面を見透かせない、腹黒い人種として描かれており、語り手は ほとんどアプリオリなともみえる不信感を抱いている。 また、表面と内面の一致、すなわち一方が掛け値なしに他方に値するのかどうか、これ も常に疑わしい。構造的にいって由来の両義性をL、、かかあしきと呼んでみるなら、日本に かかわるものは全てがいかがわしい。たとえば、 「江戸の舞踏会」で十八世紀フランス風 遠藤文彦 114 のドレスをまとっていたイノウエ伯爵夫人とナベシマ公爵夫人は「皇后パルコ」において は古代日本の装束で現れる。 「彼女たちが変装していたのは、舞踏会での方だったのか、 あるいはまた今日なのか」 《Mais etait-ce au bal qu'elles etaient deguisees, - ou bien est-ce aujourd'hui》 (325)。彼女たちの本来の姿は見分けがたい。どちらがどち らに対する変装なのか決定不可能である。変装がそれに対して変装であるところの実体、 その固有性の観念が(もとより変装の観念とともに)その意味を失いかけている。その上、 伯爵夫人はもと芸者であったという噂である(85)。芝居の俳優(歌舞伎の女形)のいかが わしさ(60)、堅気風の店のいかがわしさ(277)、日本の着物のいかがわしさ(307-8)‥.い たるところに人をかつぐ二重性、他者をかたる詐称があり、妥当な交換(性や、人格や、 金銭や、言葉の)は見当たらない。 こうしてみると、まるでこの国においては、そもそも正当な交換の根拠となるべき固有 の実体という概念が欠落しているかのようだ。だが、流通というものは元来、固有性を廃 するように作用するものなのではないだろうか。なるほど、形式的物理的に交換がおこな われてはいるが、流通は交換の内容に頓着しない。交換の対象は流通によってその固有性 を失うのであり、また、固有性を失ったものしか交換の対象とはならず、流通の対象とは ならない。結局、交換-交流は流通-交通に付随する懇意的現象、想像的効果にすぎないO 前者は後者を自然主義的に合理化するアリバイにすぎず、真に創始的で現実的なのはあく まで後者、すなわち「交通」の方なのだ(ll)。 Il落下について 放物線の詩学 本来的には代理不可能なものである「金」を契約的に代理し、流通を可能にするものと しての貨幣。だが、そのようなものとしての貨幣も、いずれは流通から外れて、通用しな い古銭の類となってしまうのではないか。他方、貨幣は、本来的に世俗的で本質的に平坦 さを合意する流通を離れて、聖なるものへの飛躍を求め、投郷の対象となることがある。 しかしながら、本来の場を離脱して投榔された貨幣は、やがて単なる物体としての姿をあ らわにし、超越的なものに達することなく、自然の法則に従って落下する運命にある。作 品において執劫に響く、案銭箱に投げ込まれた硬貨の音を聞いてみよう。 他の信者たちのように、私もまた、僧侶たちの囲いの中に硬貨を何個か投げいれる。 それはもう沢山散らばっていて、畳を覆っている。 `ヽ Comme les autres fid芭Ies, je jette dans 1 enceinte des bonzes quelques pieces 交通と落下 de monnaie ; ll y en a tant deja, que les 115 nattes en sont jonchees, couvertes… (57-8) [-]硬貨の音もする、ひっきりなしに投げ込まれ、大きな駕龍に似た四角い格子枠の ついた木箱の中に落ちていく案銭の音だ。 […]il y lancees, grandes a aussi et le son tombant des dans pisces des de troncs monnaie, carres a des offrandes clairevoie continuellement semblables a.一de cages‥.(287) [-]神々-の喜捨として投げ込まれ、緩慢に滴り落ちる雨粒のように一つ一つ落下す る硬貨の絶え間ない音[-・] [...] ce bruit continuel de pisces de monnaie jetees en offrande aux dieux et tombant une a une comme une pluie lente qui s'egoutte L...](291) 放物線を描いて落下し、ぶつかり合う硬貨の音。ところでそれは「ジン、ジン」 《Dzinn! dzinn!》と鳴っているのではなかろうか。これは『マダム・クリザンテ-ム』 で、クリザンテームが語り手から同棲の代価として支払われた貨幣を床に投げ、偽金でな いかどうか調べるために金槌で叩いてみたときの、あの音である(12)これは意味のない 単なる偶然の一致にすぎないだろうか。だが、貨幣は「金」の契約的代替物であり、また、 「オカネサン」 (argent-銀-貨幣)は「オキクサン」 (Chrysanthsme-金の花-日本女 イデア 性の理想)の契約的代理物であるとすればどうだろうか(「オカネサン」は「オキクサン」 のモデルとなった人物の名前)。また『マダム・クリザンテーム』を持ち出したっいでに いえば、ここに人力車夫「ジン」 《djin》の響きを聞くことはできないだろうか。これも また窓意的で根拠のない連想にすぎないだろうか。しかし作品中の「クリザンテ-ム」 「キクサン」とは、現実には彼女のいとこで人力車夫の「ジン415号」の名前だとすればど うだろうか(語り手はクリザンテ-ムに「キク」ないし「キクサン」と呼びかけているが、 オカネジン 作品中「オキクサン」という名は一度も使われていない,(13)そして貨幣も人力車も、と もに交通-流通を代表するものだとすれば。さらには交通-流通を担う者も、いずれはそ こから離脱し、通用しなくなってしまうとすれば(その上それらは廃用になっても、イメー ジとして回収され、骨董の類に堕しながらも、収集ないし観光の対象、すなわち商品とし て再流通するのだから‥.)。 話題を語りのレベルに転じてみよう。 「聖なる都・京都」、 「江戸」、 「霊山日光」、そして 「皇后の装束」は、それぞれ京都、東京、日光、鎌倉を訪問したときの出来事や印象をっ 116 遠藤文彦 づった記録である。形式的にみて、これらの四つのテクストにはある共通の特徴がある。 それは、それらが夜明けから、午前、昼、午後、夕方、夜というように、一目の出来事を 時間的に順を追って記述していることである。このこと自体はとりたてて指摘するまでも ない平凡な事実であろう。しかしながら、まず、それらの記述は必ずしも現実の時間経過 に単純に対応しているわけではない。 「霊山日光」を読めば明らかなように、そこでは内 容的に数日間に渡る事柄が、一日という時間的単位の中に置き直され再構成されて叙述さ れている。次に、こうした叙述は古典主義文学でいう「時の一致」に適合しようとする意 志を思わせもするのだが、ここで一日に凝縮されて表象される時間的継起は、空間的には 単純な直線的・漸進的進行に結びつくのではなく、規則的かつ断続的な上昇と下降の運動 をともなっている。それはとりわけ、いずれのテクストにおいても叙述が太陽の放物線的 軌道に沿い、それを辿るという形でなされていることに端的にあらわれている。このこと は、上昇が登山に、下降が下山に象られてある種のリズムを構成している「霊山日光」に とくに顕著に認められる。しかるに上昇と下降は、それがどんな主題論的内容に結びつこ うとも、それ以前に、その形式自体において叙述を支え、そこに律動という形式的保証を 与えているように思われる。このようなリズムは叙述の内容において、空間に移し代えら れ様々なかたちを取って形象化されている。逆にいえば、そのような空間的形象は、その 生成原理として律動という時間的原理に由来しているといえる。実にこうしたリズムは、 以下に見るように、大して小説的な何事も起きないこの物語を形式において支え貫いてい るのである。 以上の指摘は、あるいは窓意的で無償のもの、さらには無意味なものと思われるかもし れない。しかしながら「交通」がその潜在的構造となっているこの作品において、とりわ けそれが本来的に平坦さを合意するものである以上、上昇と下降によって構成されるリズ ムという問題は、あえていえばことの理論的問題に直接かかわる重要なテーマではないだ ろうか。 「落下」は、交通を規則的に遮断するものとしては、テクストにリズム(幻想と 覚醒、期待と失望、緊張と弛緩、ロチ語でいえば「魅惑」 《enchantement》と「幻滅」 《desenchantement》の交替)を導入する。また、交通にとっての不測の事態を象るも の(交通にとって本質的に異質なものとして交通の本質を構成するもの)という意味では、 テクストのイロニーをなす。いずれにしてもそれは、テクストを深層で支える「交通」の テーマとともに、このテクストに響いているもう一つの重要なテーマである。 原因なき効果 実際、逆説的なこと、あるいは反語的なことと思われるかもしれないが、 「交通-流通」 を下部構造とするこの作品には、常に「落下」の音が通奏低音のように響いている。この 交通と落下 117 テクストにおいて、投げ込まれる賓銭の昔とともに「落下」を音において鮮やかに形象化 しているのは、日光の「滝」である。注目してみたいのは、そこで音楽の比職が使われて いること、そしてとりわけ強拍と弱泊の交替がリズムを構成するものとして導入されてい ることだ。 いたるところ氷のように冷たい水の音が聞こえる。それは山頂から大小幾千もの滝となっ て、あるところでは激流をなし、またあるところでは厚い苔の下を伏流するただの細い 水の流れとなって流れ落ちる。それは子守歌のように今は亡き皇帝[将軍]たちの御霊 を慰める永遠の音楽である。その音楽は、聞くところによると、夏にはわずかに緩やか な噴きにしか聞こえないほど静かになるという。この秋という季節には、それは一大オー ケストラのように息を吹き返し、いたるところ遁走曲のように、加速された動きに乗っ て流れる。できれば以下に私が描こうと思っている描写のいたるところで、一行ごとに この水流の音を、人がたいそう冷たく感じるように想起させたいものだ。 Partout nous entendons les bruits d'une eau glacee, qui ruisselle des cimes en mille casacades petites ou grandes, en torrents, ou bien en simples filets caches sous l'epaisseur des mousses : c'est l'eternelle musique qui berce les empereurs morts ; l'ete, para壬t-il, elle s'adoucit beaucoup, jusqu a n 6tre plus I qu'un murmure ralenti ; dans cette saison d automne, elle reprend comme un grand ensemble d'orchestre, sur un mouvement accelere, en fugue generale. Dans toute la description que je vais essayer de faire maintenant言e voudrais pouvoir rappeler a chaque ligne le bruit de ces eaux, que 1 on devme si froide (-) (192-3) 形象化とはいっても、形態において記述されるのではなく、音において「想起」される のみであるのは示唆的だ。事実、 「滝」 《casacade》は語源的にも「落下」 〈choir》を 意味するが、このテクストにおける滝は音に還元されてしまっている。ひるがえって音は 落下の指標となっている。 「聖山日光」のみならず他のテクストにおいても、ところどこ ろで季節はずれの蝉がなき、トビ(らしき鳥類)が鳴いている。それらもまたテクストに 直接姿を現すことはなく、したがってその実在性はごく希薄であり、音に還元されている。 蝉や湖や鳶は現実的には音の源泉ないし原因として存在するが、テクストにおいてはその 存在は想定されるのみで、落下の音だけが純粋な効果としてほとんどその観念性において みずからを響かせている。じつのところ「山頂」とは達しえない聖域の謂いであり、テク ストの外部の形象である。かくして音はテクストの外に起源をもっ。ということは、言い 遠藤文彦 118 かえればテクスト内部においては記述しうる原因をもたないということだ。落下は起源原因、さらには意志-目的をもたない。起源をもたないという意味で、それは原因なき純 粋な効果をなしている。原因なき純粋な効果の極めて示唆に豊んだ例証であり、美学的説 明ともなっているのが、日本の実際の風景が日本の風景画にたとえられて描かれている次 の個所である(14)。 周囲を見回すと、闇の中に没してゆく江戸の街が望まれるこの高見には杉の樹があっ アラベスク て、その枝がしなだれて、光の消えゆく背景の上に黒い繊細な唐草模様を描いている。 日本人だったら、彼らの街のこうした眺望を絵にかくとき、きっとこれらの枝を絵の上 方に、空の上に落ちて掛かるような具合にかき込むことだろう-近くにありすぎて画 枠に収まらず、視野に入らない樹木のものであるこれらの前景の枝を。 Autour de moi, sur la hauteur d'ou je regarde Yeddo sassombrir, ll y a des csdre dont les branches s'abaissent et dessment, sur ces profondeurs de lumi芭re mourante, de fines arabesques noires.-Des Japonais qui pendraient cette vue de leur ville ne manqueraient pas de les y mettre, en haut du tableau, retombant sur le ciel, ces branche du premier plan, appartenant a des arbres trop rapproches qui sont hors du cadre et qu'on ne voit pas.(294) ここでいう落下が単なる落下ではなく、暫時の上昇を前提とする放物線的落下 《retombee〉であることに注意しよう。日光の滝が見えない「山頂」から落ちてくるよ うに、画面の前景にかかる「枝」も、その本体であるところの樹木(幹)自体は目に見え ず、画の枠外に想定されるのみで、まるで空から、つまり無から落下してくるように見え る。落下はここでも原因なき純粋な効果に属している。じつに放物線とは、まさに人間に よる投郷が初期にもっていたはずの意図-常に上昇的である意図-の自然による消去 なのではないか(15)。 「自然」としての落下 「滝」は『霊山日光』において叙述のリズムという点でもっとも印象的な効果を示す 「落下」の形象である(238も見よ)。同じような効果が認められる例として、この作品の なかでも最も美しいと恩われる描写を一つ挙げておこう。それは、苔の繊壇の上にしきり と落下する杉の葉の描写である(これは何気ない風景であるが、ほかならぬ何気なさとい う点で原因を欠いた純粋な効果のすぐれた例証であるように思われる)。杉の葉の落下す る音は、落下する滝の音と重なり合って、視覚的に美しいばかりでなく、音楽的にも快い 交通と落下 119 効果をもたらしている。 この日の朝、風が少し吹いて、杉の枝を揺らす。すると、枯れた小さな針葉が雨のよう に落ちてくる。灰色っぽい地衣、緑のビロードのような苔、そして銅製の不吉な物体の 上に降る茶色の雨。滝が遠くの方で、止むことのない聖なる音楽のように、その昔を響 かせている。虚無と至上の平和の印象が、あれほどの光輝が至りつくこの最後の中庭の 辺りを漂っている。 Un peu de vent ce matin agite les branches des csdres, et il en tombe une pluie de petits piquants desseches, une pluie brune sur les lichens gns&・tres, sur les mousses en velours vert et les sinistres objets de bronze. Les casacades font leur bruit, qui est comme une perpetuelle musique sacree, dans le lomtain. Une impression de neant et de paix supreme plane dans cette derni芭re cour, a laquelle tant de splendeur aboutissent. (224-5) 『秋の日本』におけるこの種の自然描写が教えてくれるのは、自然をその本質において 自然たらしめているのは「落下」であるということだ。 落下のテーマは、しかしながらいわゆる自然描写のみならず、物語中の些細な(物語上 重要な意味をもたない)ェピソードにもあらわれている.例をいくつか挙げてみよう。 女中の落下-日光の宿に到着した晩のこと。夜もだいぶ更けていて、出迎えに出た女 中たちも、もういい加減眠たくてしかたない。遅い夕食をとる語り手に給仕し、眠りをこ らえていたそのうちの一人がある失態を犯してしまう。食後の「デザート」のとき、 「会 話がしぼんでしまうと、私の傍らで膝をっいて座っていた三人の女中のうちの一人が、眠 気に負けて、つんのめるようにがくっと前に倒れてしまう」 《.‥la conversation ayant alangui, une des jeunes servantes agenomllees prss de moi tombe tout a coup le nez en avant, vaincue par le someil》 (181)。すると、 「宿中笑いの渦だ」。物語の上 では滑稽なだけで大して意味のないこの出来事も、形式的にみると、単調と変化、眠気と 覚醒、暗と明による交替のリズムをテクストにもたらすと同時に、些細であるだけに一層 形式において純化された「落下」の表徴となっている。 風呂場での転倒-場所は同じ宿屋、休浴の場面。階下の風呂場に降りてみると、すで に三人の婦人客がいて賑やかにしている。床も腰掛けも壁も「白木の板」づくりで、滑ら かなうえに「石鹸でつるつる」しており、 「いっ滑って転ぶか、危なくてしょうがない」 《un bois blanc, savonne, sur lequel on se sent en danger de perpetuelle glissade》 (244)<ここでは転倒は潜在的危険性としてしか現れていないが、示唆的なの はそのような危険性が「不測の事態」とみなされていることである。宿の主人とおかみは 120 遠藤文彦 つるつる滑る脱衣場の上に立って客の女たちがはしゃぐのを見守っているが、それは客が 転ばないように「監視するためではない」、というのも、それは単に客の求めに応じて背 中を流してやるためなのであり、 「起こりうる不測の事態に対して彼らはまったくの無関 心を示している」 《non pour les contrCler, car ils professent un detachement absolu des incidents qui pourraient survenir》 (ibid.)のだから。 「落下」はここでは 「転倒」という形をとっているが、それ以上に興味深いのは、それが「不測の事態」 《mcident》すなわち語源的にいって「落ちてくること」であるということだ。 鹿鳴館での舞踏会-洋装の日本婦人たちは無難にダンスをこなしているが( 《Elles dansent assez correctement…》 )、その身のこなしはいずれ「習いおぼえたもの」で 自然さを欠き、 「自動人形」のようであった( 《Mais on sent que c'est une chose apprise; qu'elles font cela comme des automates, sans la momdre initiative personnelle〉 (94))。そこで語り手は、黙示録的結末を予想させる次のような不安かっ滑 稽な印象を抱く。 「皆、いかにも生き生きとして踊っている。この薄くて軽い大建造物の 床がリズムに乗って不気味に揺れる。もしかしたら床が抜けて、階下のサロンで葉巻を吸っ たりトランプをしている西洋人気取りの紳士たちの上にものの見事に落っこちてしまうの ではないかと、気が気でならない」 ≪on danse avec un semblant d'entrain, et le plancher de la grande batisse leg芭re tremble en cadence dune mam芭re inquietante ; on a tout le temps presente a lesprit quelque degrmgolade possible et formidable sur des ねessieurs qui sont dans les salons du rez-de-chassee fumant des londres ou jouant au whist pour se dormer un air europeen》 (95)。ここでもまた「転落」 《degringolade》のみならず、それが「リズム」 《cadence≫ 、すなわち語源的に「落下」を意味する語と換喰的に隣接して用いられてい るという点がおもしろい。 以上、いくつかの些細なェピソードについての指摘は文字通り無償のものとも見えかね ないが、しかしながら少なくとも次のことを示唆しているように思われる。一つは「落下」 はまさしく意外性、非本質性、無償性、偶然性を特徴とするということ、すなわちそれは 一個の「偶発事」 《incident〉であるということ。もう一つは「ジン」によって担われる 交通がその迅速さと利便性において常に転落の危悦をはらんでいたように(さらにいえば 交通というものが一般に一見したところそれを阻害するように患われる事故によって統計 的かっ本質的に構成されるのと同じように)、この作品における「落下」はその頻度と強 度においてテクストの潜在的構造に組み込まれており、その「リズム」 《cadence》を構 成する本質的要素となっているということである。 じっのところ上昇と下降からなるリズムにおいて、それを実現し成立させている決定的 交通と落下 121 要素は上昇ではなく下降である。上昇とは、それがいかなる方向を向いていようとも目的 (地)に向けられた運動である(したがって仮に目的(地)をもった運動が下方を目指し ていようとも上昇的意味をもちうる)。上昇は主体の意図・意志・努力などを原因として 想定し、いわゆる主体性を起源として超越的対象に向けて方向づけられ、目的性によって 限定される閉じたシステムをなしている。しかるに上昇はリズムを構成できない。リズム が生起しうるのは下降によってのみである。あるいはむしろ、リズムという観点から見る と、上昇とそれが合意する目的はリズムが可能となるためのあとらにすぎず、むしろ手段 でしかない。下降は上昇とは本質的に異なって、主体性(原因)を想定せず、目的論的な 構造(意味)を欠き、必然性(合理性)をもたない。由来が知れず、無用で、付け足しの ごときものであり、あてもなく、偶然的である。その意味でそれは(「自由落下」という がごとくごく物理的意味で)自由な運動であり、一言でいえば自廃である。 描きえぬものの記録 先に、 「金」は固有性を代表するゆえに描きえないものの象徴であると述べた。東照宮 の陽明門を飾る金について、 「いたるところ金、光り輝く金である。この入り口の門のた めに措きえない装飾が選ばれたのだ」 《De Tor partout, de Tor resplendissant. Une ornementation indescriptible a ete choisie pour ce seuil》 (217)とある。象徴的レ ベルでいえば、 〈indescriptible》は文字通りの意味に、すなわち「描きえないほど∼な」 ではなく単に「描きえない」の意に取るべきであろう(ことのついでに言えば、シニフイ アンの論理に従って、 《Ornementation》には《or》の響きを感知せずにはおれない)。 この作品には他にもいくつかその国有性ゆえに描きえないものへの言及が見られる。例え ば、鳥居の形態について、 「それは絵に描かねばならないだろう、それを言葉で措くこと はできないのだから」 《il faudrait la dessiner, car elle n'est pas descriptible》 (52)。あるいは日光の仏塔について、それを名指すのに「フランス語の「塔」という名は ふさわしくない」 〈Le nom de tour convient mal a cette extravagante superposition de cinq petites pagodes semblables [-]〉 (204)< 日本に固有のものは、それがどこからやって来たのか、その由来が不明である。鳥居の 形は、 「消えてなくなったごく遠い古代から今の日本人のもとに贈られてきたものに相違 ない」 《La forme a dd en Stre leguee aux.Japonais par une antiquite extrsmement lointaine et disparue》 (51)。むろん、ここでいう「古代」とは起源の 不在ないし不確実さを合理化するイデオロギー的形象にすぎない。そこで、その固有性ゆ えに描きえないものは空から落下してきた物体であるかのような印象を与える。空から、 とは実質的にいえば無から、ということであり、要するにそれは得体の知れないもの、由 遠藤文彦 122 釆の知れないものの謂いである。フジヤマの形姿は「地球外からやってきた物、どこか他 の惑星に属する物」 《une chose extra-terrestre, une chose appartenant a, quelque planste qui se serait brusquement rapprochee〉 (145)のようである。また、さらに 印象的なのは、宮廷の装束を着た女官たちの登場である。そこには「他界から来た人々、 月から落ちてきたか、あるいはま過去のどこか遠い時代からやってきた人々の出現」 《une apparition de gens d'un autre monde, de gens tombant de la lune ou bien de quelque epoque perdue du passe≫ (90)のように、人をはっと驚かせるものがある。 古代の装束を来た女性( 《une premi芭re apparition quasi fantastique, qui nous donne l'eveil》 (322))にしても、フジヤマの形姿( 《1'apparition quasi fantastique du Fujiyama, le geant des monts japonais, le grand c6ne regulier, solitaire, unique》 (145))にしても、 「ほとんど幻想的-怪物的な現れ」 〈apparition quasi fantastique》というある意味では冗語的な言い回しがなされているが( 《fantastique》 は《fantCme〉と同語源で、いずれも「現出」を意味している)、そこにあるのは夢想に 誘う非現実的幻想(既視感をともなうイメージとしてのillusion)ではなく、覚醒をもた らす超現実的幻覚(既視感をともなわない非イメージとしてのhallucination)である(16) そしてそれらは過度の実在感を示すゆえに、そこに、目の前にあって見ることを強いてく る(念のために言っておけば、その実在感は視覚そのものの実在感であって、対象のそれ ではない)。上野の五重の塔について、 「私が何にもまして見続けるもの、我が意に反して まで見るほとんど唯一のもの、そしてこの場所の奇妙な特徴であるところのもの、それは 孤独に立っこの塔である」 吃ce que je continue surtout de voir, ce que je regarde malgre moi, et ce qm est 1 etrange caracteristique de ce lieu,一c'est cette tour solitaire 》 (298)。かくして強度の物理的知覚に還元された視覚は、一方では心理的に人 を不安にさせる疎速さを帯び、そこに日常的感情が投入される余地はなく、いわゆる望郷 の念(「郷愁と未知なるものからくるあの強烈な印象」 《une de ces impressions intenses de depaysement et d'inconnu〉 (ibid.))を抱かせる。他方、感性的ないし美 学的には、ある種の「醜さ」の感覚を生じさせる。この「醜さ」は、江戸の小市民に対し て語り手が感じる「醜さ」 -生理的および/あるいはイデオロギー的反応であり、人種 主義的棄却を合意する「醜さ」 (「この国民の醜さにはいらいらさせられる」 《La laideur de ce peuple m'exasp芭re》 (280))とは性質と異にする。それは「醜さ」のカテゴ リーを美学的共約不可能性の受容形式として創出する類の「醜さ」である。古代的日本人 の顔について語り手はこう感じる。 「醜いといえばそうも言えるかもしれない-私にも それははっきりしないのだが-しかしながらこの上なく高貴で、とにもかくにも魅力的 ではある」 〈Laides peut-6tre,-encore n en suis-je pas stir,一mais souverainement 交通と落下 123 distinguees, et ayant un charme maigre tout〉 (92)。あるいは、 「この世のものとは 思えないその著移においてと同様に、その醜さにおいても並外れている」 《extraordinaire dans sa laideur comme dans son luxe d'un autre monde〉 (323)< では描写不可能なもの、そして翻訳不可能なものは、いかなる形でも語りえないのかと いえば、必ずしもそうではあるまい。まず、翻訳不可能であるのならば、語嚢のレベルで、 ニュアンスを(っまり差異を)担う当のシニフイアンをそのまま用いることができる。お 吸い物らしき飲み物について、語り手はこう語っている。 「まず出てくるのは主主)であ る(要するに一種のスープであるが、私はこの日本語をそのまま用いよう、それはそれ自 体において翻訳しがたい凝った趣を帯びているように思われるのだ)」 《C'est d'abord un mimono (autant dire une espsce de soupe, mais je conserve le mot japonais qui me semble en lui一m6me d'une preciosite intraduisible)〉 (180)。同じことは、 内容となるニュアンスの違いをともないながらも、 「トリ」 〈ton〉 (112) (鳥居)や「トー ロー」 《toro》 (灯篭)、そして何よりも「ジン」 《djin》 (人力革)についてもいえる。 また、先の引用にもあったとおり、言葉で描けないものであっても絵画的に措くことは できる。それは幾何学的図形(鳥居の「図形を措く」 《dessiner》 (52)といった場合)、 テクネ- あるいは技術-制作的定義(灯龍を「定義する」 《definir》 (203)といった場合)という 形を取る(17)。もっとも、部分を前進的に全体へと統合し、視線を方向づける描写に対し て、図形的ないし技術的記述はいずれ部分の機械的並列にすぎないという印象があり、必 ずしもそれを全体に有機的に組み込み、意味あるものとして(例えば対象の機能あるいは 象徴性において)統合するのに成功しているとは思えないのだが。 あるいはまた、普遍的な記号体系としての博物学的記述に参照することもできよう。例 えば、日光街道の日本杉について、 「それはクリプトメリア(日本の杉)で、過度の大き さと外観の堅さにおいてカリフォルニアのウエリントニア・ジェアンによく似ている」 《Ce sont des CryptomZrias (les c芭dres japonais) assez semblables, pour les dimensions excessives et la rigidite de l'aspect, aux Wellingtongnias grants de la Californie》 (162)といった場合。 ところで、こうしたやり方は結局のところ一時しのぎの方便、気やすめの類にすぎない だろうか。なるほどそれは、いずれ何らかの描写というよりも、むしろ描写の挫折を意味 しているといった方がいいのかもしれない。だが、そもそも書くことの機能は描写に還元 されるものではないとしたらどうだろうか。そして、文学の領域においても「記録」とい うことを書くことの重要な使命の一つとして認め、さらには(歴史的資料におけるのとは また異なった)新たな価値として肯定することができるのだとすれば… (この段、 「おわ りに」に続く)0 遠藤文彦 124 「死体」のエクリチュール(18) 日本の聖都である京都が、ひいては聖なる国としての日本が、 「ここ数年前まで西洋人 には近づくことができず、神秘に包まれていた」のに対し、 「今ではそこにも列車で行け る。つまり、通俗化し、失墜し、終わってしまったということだ」とは、日本が開港し西 洋化の道を突き進んでいる1885年の日本についての記述である。だが、聖性と神秘を代表 するものとしての「日本的なもの」 (ジャボヌリⅡ)は、なるほどその固有性と価値を失 いっつばあるにしても、完全に消失してしまったというわけではない。それはもはや十全 的に存在しているとは言いがたいが、あくまで存続ないし残存はしている。 「通俗化し、 失墜し、終わってしまった」との言は、そのような事態を(やや誇張した形で)伝えてい るのだ。 他方、日本をその聖性において直接目にすることはできない。というのも、聖なるもの がその不可視性によって規定されるのであれば、聖なる対象を見ることはそれ自体が涜聖 の意味を持っのであるから。したがって聖なる都・京都や霊山日光を見ること、そして見 られたものとしてそれらを描き語ることは定義上不可能である。見られ、そのようなもの として語られた聖なる対象は、つねに完全にそれ自体であることはなく、すでに聖性を (少なくとも一部は)失ったものとしてしかありえない。逆に言えば、語りうるのは、そ れ固有の価値を下落させつつあるが、まさに失墜しつつあるものとして存続・残存する対 象のみである。 このように、語られる対象の次元(歴史)においても、語るという行為(語り)それ自 体においても、価値を失いっつも存在し続けるものとしての対象の「存続」というテーマ が認められる。ところで、存続とは対象が価値論的に下落しつつも存在し続けることであ るが、同時にそれは物が物理的に落下することをも合意している。 「実存」 (exister)とは ヽ 、 、 、 、 ヽ ヽ 、 ヽ ヽ イデア的な存在が外に出て現に在ることだが、一方、 「存続」 (subsister)とはそのような ヽ 、 、 、 ヽ ヽ 、 、 、 ヽ ヽ ヽ 実存が執勘に在り続けること、語源的に言えば、下の方で動かずにいることである。失墜 しつつ存続するものには、それに固有の存在の強度と態勢があるのだ。残存すること、そ れは落下すること、そしてそのようなものとして立ち続けることなのである。そのような 立位は、立ち上がったものとしての上昇的姿勢をさすのではなく、逆に、ある物が落ちて きたこと、さらにはいずれ倒れてしまうかもしれないことをうちに含みつつ自らを維持す るものとしての下降的態勢を意味している。目下のところ在り続けるものとして、その態 勢にはむしろ座位に通じるものがある。日本語でもそうだが、フランス語の「立っている」 《debout》という語もこの逆説を伝えている。この意味での「立っている」は古都鎌倉 の寺について用いられているが(120,121)、面白いことにあの鎌倉の大仏についても、そ れが倒れずにまだ在るという意味で「立っている」が使われている。 「銅の塊、つまりほ 交通と落下 125 とんど破壊不可能で永遠の事物であった彼[大仏]だけが立ち続けた-倒れずに残った」 《Lui seul, qui etait une masse en bronze, c'est-a-dire une chose presque indestructible et eternelle, est reste debout〉 (130)。まるで語の逆説を意識している かのように語り手は、 「もし彼が立ち上がったなら」 《S'il se levait…》などと仮定して みせるが、帰結節のごく紋切り型の比較「彼は山ほどの背丈もあろうかと思われる」 《‥. il serait grand comme une montagne》 (131)は、これが純然たる無償の仮定にすぎ ないことを証している。 その意味を喪失しながらも存続するもの、その形象の一つに「死体」がある。大仏自体、 臥位にこそないが、その空洞性において魂を失ったものとしての死体を恩わせるところが ある。死体とは何か。フランス語の「死体」 《cadavre》の語源が示すところによれば、 死体とは「落ちてきたもの」である。 「霊山日光」には、比職としてあるいは文字通りの 意味で「死体」が集中的に各所に姿を見せている。記述における比職のレベルでいうと、 それは日光の第一の寺(輪王寺)で、 「天井から垂れ下がっている人の手ぐらいの大きさ で、白、黄、樫、赤褐色、黒で染められた絹の毛虫」は「死んだ蛇、奇怪なボーア蛇の死 骸」 《du plafond, pendent comme des serpents morts, comme des cadavres de boas monstrueux, une quantite d'etonnantes chenilles de soie, d une grosseur de bras humam, teintes de blanc, de jaune, dorange, de brun rouge et de noir .‥〉 (195)のようである。また、急流に洗われて河床に転がる沢山の巨岩は「白い飛沫の ただ中で群れをなして倒れた鯨の死骸のよう」 《on dirait des elephants morts, effondres en troupeaux au milieu de l'ecume blanche≫ (235)だ(「死体」はそれだ けでも「落ちてきたもの」なのだが、ここではそうした態勢が「垂れ下がる」 〈pendu〉 や「倒れた」 《effondre》という動詞の過程によって支えられ確証されている)。動物の 死骸についていうと、日光の参道沿いには「熊の毛皮」が並べて干してある。熊は語り手 が、東照宮一帯を上り詰めていったさらに先の森に住んでいる動物であるとされるが(213)、 下界では死体としてその姿をさらしている。上方に生きて存在している熊が見られざるも の(聖獣)であるのに対し、それを見ることができるのは下界において、商品化され、そ の意味で昇華された死体(毛皮)としてのみであるのは興味深い。このように、落下した ものとしての死体のテーマはもっぱら動物の死体が周辺的に支えているのだが、一方、こ のテクストの中心にはまさしく人間の死体がある。ほかならぬ家康の死体である。 「かつ ては将軍イエヤスその人であり、ほかならぬその人のためにこれだけの典雅が繰りひろげ られたところの黄色い小さな人間の肉体が、まさしくここで、この奇妙な物の下で、朽ち ていったのだ」 《…c'est la, sous cette chose singuli芭re, que s'est decompose le corps du petit bonhomme jaune qui fut 1 empereur Yeyaz et pour lequel tant de 126 遠藤文彦 pompe a ete deployee.》 (224), 本来の死体ではなくとも死体の様相を呈するものに都市がある。都市全体を描くための 特権的な位置は高所であり、そこからの自然なパースペクティブは僻轍であろう。この作 品において傭徹された都市は死体性を帯びる。八坂の塔からの京都- 「いかなる音も、 この古い宗教上の首都から私のいるところまでは立ち上ってこない。こんな高見から見る と、それはまるで死んだ都市のようだ。美しい日の光に明るく照らされて、秋の朝の薄霧 が、その上をヴェール(19)のように漂っている」 《Aucun bruit ne monte jusqu'& moi, de la vieille capitale religieuse; de si haut, on la dirait tout a fait morte. Un beau soleil tranqmlle l'eclaire, et on voit flotter dessus, comme un voile, la brume leg芭re des matins d'automne》 (15)。茶屋の二階から見た鎌倉- 「死都を覆 うこの緑全体の上に、今日は何という静けさ、何という美しい柔らかな光が注いでいるこ とか」 《Quel calme, quelle jolie lumi芭re douce, aujourd'hui, sur toute cette verdure qui recouvre la ville morte…》 (126)、あるいは、 「それは、その上に森がそ の緑の屍衣を広げた広大な礼拝所のようだ」 《C'est comme un immense lieu d'adoration, sur lequel la foret a etendu son linceul vert.》 (128)。傭轍ではない が、江戸の市街の不吉な様相- 「少々羽振りのいい店はいずこも、外側が(我が国でい うと死人の出た家のように)白く縁取られた黒布で、大きな白い文字で飾られた染め布で 枠どられている。むろん日本人にはこうした装いも悲しげなものには見えない。 [-・]そ うはいっても、われわれの目にはやはり不吉なものに映る。繁華街の真ん中だというのに 街全体が葬式のようだ」 《Tous les magasins un peu huppes sont encadres exterieurement (comme chez nous les maisons oもil y a quequ'un de mort) de teintures en drap noir bordees de blanc et ornees de grandes lettres blanches. 宜videmment cette ornementation ne para壬t pas triste aux Japonais [・・・] mais, pour nos yeux a nous, 1effet n'en est pas moms funeraire : dans les rues tr芭s commergante, on dirait un deuil general》 (279-80)< 「皇后の衣装」には死体そのものへの言及は見当たらない。というのも、ここで問題と なっている人物、神功皇后は神話の中の人物であるし、たとえそうでなかったとしても、 その人は何世紀も前に死んでしまっているのだから。しかるに注目すべきことに、ここで は鶴ヶ丘八幡宮に収められていた神功皇后のものとされる衣装そのものが死体に取って代 わり、死体そのものの位置を占める。はじめに、 「その箱が蓋の開いた状態で置かれてい る-すると、そこから白絹の屍衣にくるまれた一個の長い包みが取り出される」 《la boite est deposee, ouverte, -et on en retire un paquet long, enveloppe d'un linceul de soie blanche… 》 (139)c衣装、すなわち(死体を)包むものがここでは屍 交通と落下 127 衣(死体を包むもの)によって包まれるものとなってしまう。こうして取り出され、観察 され終わった衣装は、最後に「細心の注意を払って折り畳まれ、絹の白い屍衣に元通り包 み込まれる」 ≪on les replie avec assez de soin, on les renveloppe dans leur blanc linceul de soie…〉 (142-3)<墓を暴き、掘り出されたものを再び埋葬する。ここには、 この作品を開き、閉じる運動を「象蕨法」的に象るものがあるように思われる。というの も、先に示したとおり、この作品全体は聖なる都・京都に鉄道に乗って赴き、それを「通 俗化し、失墜し、終わった」ものとして提示するところから始まっているのだが、その同 じ作品はこう終わっている(21) 数世紀にわたってあれほど洗練された一つの文明がまもなく跡形もなく失われてしまう のだと恩うと、私は生涯はじめて、ある種の漠たる哀惜の念を感じるのである。その上 こうした感じにはメランコリーが付け加わる。われわれが不恩議にも心惹かれる女性の 上に注意力と好奇心の全てを数時間にわたって集中したとき、そして、その女性を見る ことも知ることも現在未来にわたってもう全くないのだということを、つまりその女性 の顔の上に永遠のヴェールが掛けられてしまうのだということを思わずにはいられない とき、いっも感じるあのメランコリーが。 Pour la premisre fois de ma vie, je sens une sorte de regret vague en songeant a. cette dispantion prochaine et complste d'une civilisation qui avait I ete si raffmee pendant des siscle. Et, a ces impressions, s'ajoute cette melancholie, [-] cette melancholie qu'on eprouve toujours lorsqu'on a concentre pendant quelques heures toute son attention captivee, toute sa cunosite charmee sur une femme mysterieusement attirante, et qu'il faut se ∫ dire que cest compl邑tement fmi dans le present et dans l'avenir, qu'on ne verra ni ne saura plus rien d'elle, qu'il y a sur son visage un voile baisse pour toujours.(356) この「メランコリー」は皇后の衣装を再埋葬したときの気分と同じものだ。 「全くの話、 われわれ人間の言語には、この衣装の埋葬がおこなわれるこの場所の物憂さと神秘を表す 言葉はない」 〈Vraiment, il manque des mots dans nos langues humaines pour exprimer la melancholie et le mystsre de ce site ou se passe cet ensevelissement de robe》 (143)。皇后の衣装に施されるのと同じように、日本に対しても「死体」とし ての処理が施されるのだ。 この作品において、傭撤されるもの、横たわるもの、落ちてきたものは、生物に限らず、 遠藤文彦 128 描かれるとおのずと「死体」の様相を呈するようになる。あるいは別の見方をすれば、叙 述そのものが儀式的色合いを帯び、埋葬の擬態を演じるようになる。だが、像や蛇の死体、 熊の毛皮、人間の死体にしてもそうだが、 「死体」は比職として使われたり、商品として 昇華された姿で現れてはいても、それ自体としては徹底的に不在化され、その抽象的痕跡 (すなわち記号)しか描かれない。ここには死体に対する禁忌があって、死体そのものは 様々な形で差し替えられ、蔽われそL、、為と考えてみることもできよう。だがそもそも腐食 性の物質として死体はいずれ消失する運命にある。落下のより持続しうる物質的形象は不 在の死体を形象化する墓(墓石ないし墓標、より抽象的には碑銘、要するに文字)である (20)結局のところ問題なのは、死体そのものよりも、物質の共通の運命としての「虚無」 の方である。日光からの帰途、語り手は一人の生身のムスメに愛情に似た想いを抱くが、 それは皮肉な錯覚にすぎない。 「こういった効果は、われわれがそれから作られている単 なる物質と、その後にくる虚無の恐るべき証明をわれわれに与えるためのものなのだ」 〈De tels effets sont pour nous donner la tr芭s effrayante preuve de la matisre, rien que matisre, dont nous sommes petris, et du neant d'apr芭s... 》 (257)。生 きものの論理、その最終的帰結は「屍」ではなく「死」つまり「無」なのであって、テク ストが様々な形で死体を昇華し、空無化することによって得られるのもまた「無」なので ある。描きえないものとしての「死体」をとおして「無」が表象される。 「無の創造」 (ア ラン・ビュイジーヌ)を語りうるゆえんである。 「偶景」のレトリック この作品においては、物語上ほとんど意味をもたないように見える不測の事態ないし偶 発事への語り手の時好が(たとえそれが無意識のものであったとしても)認められる。日 光参詣そのものとは千別個に独立して」語られる「ある午後」の散策(234-240)のくだり を見てみよう。 霊山とは別個に独立して、日光の周辺全域、周りの森全体は、墓所や礼拝の場所に満 ちている。 Independamment de la Samte Montagne, tous les environs de Nikko, tous les bois d'alentour sont remplis de sepultures venerees, de lieux d'adoration. (234) この「霊山とは別個に独立して」 《Independamment de la Sainte Montagne》と いう語り口は、むろん語られる対象についての記述であり、霊山以外の周辺の場所を指し 交通と落下 129 ているのだが、それは同時に「霊山日光」 〈La Sainte Montagne de Nikko〉という 題をもった当のテクストから「独立して別個に」とも読める。語られる対象から語りその ものへのシフトがここでは読み取れるのである。実際、その時点から語られるエピソード は、日光参詣という主要な話題(語りのレベル)ないし目的(出来事のレベル)からみる と、完全に独立しまったく無意味とはいわないまでも(それは日光見物の一部をなしては いるのだから)、付随的な文字通り周辺的逸話にすぎない。すなわち、語り手は東照宮が 位置する中心地域を迂回して、川沿いに山を登っていく。往路、赤ん坊を背負った貧しい 少年に施しものを与え、何体もの地蔵(含満ガ淵の化地蔵)に出くわし、人間の毛髪の散 らばった洞穴に立ち寄る。さらにずっと上方まで登っていくと、滝が神秘的な湖から落下 しているのが見える。復路、下山途中、例の貧しい少年が待ち構えていて語り手に施しも ののお礼に一輪の釣鐘草を送る。語り手は感動してこう述懐する。 「じつに、これは日本 にきて半年来、私が受けた唯一のまごころと恩い出の証しであった」 《Eh bien! c'est le seul temoignage de coeur et de souvenir qui m ait ete donne au Japon, depuis tantot six mois que je m'y prom芭ne》 (239-240)。見たとおり、このエピソードにお ける物語中の目的は登山であるが、それは語りにとっては手段にすぎない。語りの真の目 的は、下山途中の出来事とそこから得られた感動の体験を語ることである。この出来事が 上昇ではなく、下降の最中に起きているのは示唆的だ。それは物語的意味を挫き、その日 的-方向性を迂回する「偶発事」の論理に対する語りの忠実さの表れなのかもしれない。 いずれにしても、物語上無意味であるということは当の出来事がそれ自体において無価値 であるということではない。それどころか、物語的目的性に回収されず、主要な話題から は脱落したもの-偶発事《incident》は、まさにそれゆえにこそ憐れみの感情を無媒介的 に惹起する。空から落ちてきたような偶然の出来事は、物語においては無意味だが、それ 自体として価値を持たないわけではなく、それどころかその無用さ、無償性において、純 粋かつ強度のパトスにつらぬかれている。 語り手は、本来の話題からは逸れた非本質的な逸話を語るための方法、いわばレトリッ クを心得ているように思われる。 「皇后の装束」には、鎌倉訪問の本来の目的(神功皇后 の衣装を見ること)とは別個に、高徳院の大仏を見物する場面がある。それは、鶴ヶ丘八 幡宮の番僧が不在で、しばらくしないと帰らないからだ。 「仕方がないから、それ[大仏] でも見物しよう」 〈Nous irons, faute de mieux, lui faire une visite≫ (127)。 「仕 方がない」のは、他にすることがないからだが、それは同時に他にとりたてて語ることが ないということでもある。語り手はまた、主要な物語がいったん終了したかに思えた後、 それとなく付録のように付け加えられる(原理的には)無限の挿話に長けているように見 える。盛り沢山の京都旅行が終わる。神戸への帰途、偶然目にした阿弥陀仏の木像に一目 遠藤文彦 130 惚れするエピソードが次のようにして切り出される。 「どうやら私はこの京都とどうにも 切れない運命にあったようだ」 《II etait ecrit sans doute que je n'en finirais pas avec ce Kioto〉 (73),ここでも「京都」は実際の都市とともに「聖なる都・京都」と題 されたテクストを表わし、それを書き終えることができない、というようにも読める(22)。 こうして切り出された話は文字通りの挿話・逸話として本論には組み込まれない無償性を 帯びることになる。 実際、語り手は、この種の些細な出来事や突飛な光景に対する優れた観察眼を備え、独 自の感性を示している。 「サムライの墓にて」の泉岳寺には四十七士の墓石が整然と並べ られているが、その列から外れたところに一人のムスメの墓がある。 サムライ達のうちの一人に娘があって、彼女は盛女だったのだが、父の傍らに埋葬して もらうことができた.。そんなわけで墓列の外に、さらにもうーっ余計に墓があるのだ。 La fille d'un des samourais, qui etait pr6tresse, a obtenu d'6tre mise la elle aussi, a c6te de son p芭re, et cela fait, en dehors de l'alignement, une tombe de plus.(267) また、主君浅野長矩の墓の隣にその「ムスコサン」の墓ある。 主君のすぐ傍らの、たいそう小さな墓石の下に、彼の子供が葬られている-黒頭巾の 老番人の言い方をすれば、彼のムえらヰシが。このムえらヰシという言い方は、閑寂な 場所柄にもかかわらず、私を微笑ませずにはいない。ムえらヰシとは、ほんの小さな男 の児という意味で、そこに過剰な敬度さからすシという敬称の小辞が添えられたもので ある。さしずめ我が国でなら、重々しく確固たる口調で「ここ、主君の傍らに、若君殿 が眠られている」といったところであろう。 Tout h cdte du prince, sous une trss petite tombe, on a enterre son enfant, son mousko-san, comme l'appelle le vieux gardien a serre-tete noir. Et cette expression de mousk0-san me fait sourire, malgre le recueillement du lieu, ce mousko qui signifie tout petit garqon, accouple par excss de deference k cette particule honorifique sali. Comme si, chez nous, on disait avec gravite et conviction : 《C'est ici, a cSte du prince, que repose monsieur son b&b&》. (266) 傍らにあるもの-的を外れているもの(a cste)に対する、語り手の何という研ぎす 交通と落下 131 まされた感覚であろう。 「ムスコサン」という呼び方に聞き取れる場ちがいなもの 、 ヽ ヽ ヽ 、 (deplace)ないし突飛なもの(incongru)への何という鋭い嘆覚であろう。 じつに『秋の日本』はこうした本来の話題とは無関係な逸話・挿話、本論からこぼれ落 ちてしまったような「寓景(23)」に満ちている。語り手-作者は、脱線を合意する「補遺」 〈supplement》としての逸話・挿話を語るコツを知っており、落下をともなう「偶景」 《incident》に対する一流のセンスを備えているように見える。これに対して読者の側に も、そうした補遺や偶景に焦点を当てるべく、作品を分断し、その本筋から離れて読む可 能性、作品を断片として読む自由があってもよいのではないだろうか。そこには強度のパ トスが読みの賭金として賭けられていないとも限らないのだから。 イロニービチエ 反間と憐れみ 語り手-旅行者と日本人との間には簡単な会話が交わされることは先に見たとおりだが、 そこには言葉の交換のほかに、視線の交換も生じている。 「霊山日光」からの帰途、宇都宮市役所前、何かの行事か祭りなのか、役人達が洋装で 練り歩いている。語り手は彼らに皮肉な視線を向ける。すると、 [-]一人の老人がやってきて、苦痛に満ちて非難するような視線を私に投げかける。 その眼差しはこう言っているようだ。 「お前はわしらのことをあざけっているのだろう。 だが、それは少々雅量に欠けるというものだよ。だってこれは上からの命令なのだから。 不格好で、滑稽で、猿のようだってことは、わしも重々承知しておるのだ。」 彼はそれをひどく苦にしているようだったので、私はもとの真面目な顔っきになる。 […] passe un vieux qui me jette un regard de doureureux reproche, ayant l'air de me dire 《Tu te moque de nous? Eh bien ce n'est pas genereux de I ta part, je t'assure, puisqu'on nous a donne l'ordre d'etre ainsi...Je le sais bien assez, va, que je suis laid, que je suis ridicule, que j'ai l'air d'un singe.〉 II para壬t tant en souffrir, que je redeviens grave.(252) 「江戸」の浅草・浅草寺、一人のやつれた風の女が病の治癒を祈願して、仏像の胸をさ すり、その手で患っている自分の胸部をなでている。 その女は私に見られているのに気づき、笑われているのではないかと怖れている様子だ。 というのも、何か苦笑いのようなものを私の方に向けて、こう言いたげであったから。 「あたしだってほんとに信じてるわけじゃないんですよ。だけどね、ごらんの通り、ひ 遠藤文彦 IK# どく具合が悪いものだから、やれることは何だってやってみるんですよ。」 Elle voit que je la regarde et cramt sans doute que je ne me moque d'elle, car elle m'adresse une esp芭ce de sourire angoisse, comme pour me dire : 《Je n'y ヽ 'I crois guere moi non plus ; mais, vois-tu, je suis si malade... que j'essaye de tout.》 (290) 語り手が投げかける視線は、相手から反問となって語り手のもとへと投げ返される。む ろん、あらゆる反語と同じく視線による反語も、字義通りの意味とは逆のことを二次的に 意味するコードであるから、そこには必然的に解釈が介在しているのであり、また、あら ゆる解釈がそうであるように、ここにおける解釈も決して確実なものではありえない。だ から語り手が老人や女の視線に読みとったメッセージも、解釈にすぎず、さらには想像に すぎないのかもしれない。だが、仮に単なる想像的解釈にすぎないにせよ、そこにある種 の疎通が成立していることには変わりはないであろう。 反語的視線は、人物のみならず、対象の側からも発せられる。 「皇后の装束」で、古都 鎌倉からの帰途、港町ヨコ-マにさしかかると、ガス燈の光が目配せのように明滅してい る。 それからやっと、前方にガス燈の長い列をなしているのが見えてくる。そして文明、 機械のざわめき、鉄道の汽笛が、死都鎌倉から我々につきまとっていたこの古い日本の 夢のただ中で、耳障りな皮肉のように聞こえてくる。 Puis enfm, devant nous, de longues files de gaz commencent a, briller, et des bruits lointains de civilisation, de machines, des sifflets de chemin de fer, eclatent comme une ironie dissonnante au milieu de ce r6ve de vieux Japon qui nous hantait depuis la ville morte.(147-8) あるいは「皇后パルコ」で、君が代に送られて皇后が退席し、観菊御苑も終わろうと するとき、代わって「小公子」の音楽が流れる。 「小公子」の曲が冷や水のようにこの宴の終わりに降り注ぎ、夢の後の目覚めを告げ る皮肉な合図のように鳴りだす。 Petit Due qui tombe en douche moqueuse sur cette fm de f6te, qui sonne ironiquement le reveil apr芭s le r6ve.(352) ここに認められるのは、期待と失望、夢と覚醒、上昇と下降が形づくるあのリズムであ 交通と落下 KS る。では、イロニーとは「落下」の主題系を構成するフイギュ-ルなのだろうか。否。イ ロニーは本来、知と無知の戯れに由来し、結局のところ知的なコードに属している。それ は他者との共犯的まなざしを前提とするのである( 《intelligence》は「知性」を意味す るとともに「共犯・結託」を意味する)。まさにそれゆえにこそ、それは「落下」ではな く、むしろ「交通」の主題系に属する形象なのだ(われわれはここで、 「交通」に内属し、 そのリズムを構成するものとしての「下降」と、 「交通」が自らとは本質的に異質なもの として生み出す偶然の効果である「落下」とを区別しなければならないであろう)。イロ ニーは、それが差し向けられる対象との間には距離ないし階層をもたらすが、それがその 人に対して送られ、その人によって受け取られるところの相手との間には共謀の関係を打 ち立てる。 「交通」に属するものとして、イロニーは相手との間に連絡をっける(24)。 では、この同じ視線の交錯という形象において、果たして真に「落下」の主題系に属す るものはあるのだろうか。然り。この作品には、イロニーを媒介とする知的なまなざしの ほかに、愚直なまでに素朴で直線的な視線が生起している。この件については解説抜きで、 個々の事例(cas)を挙げるにとどめ、それを読んでみることにしよう。 京都からの帰途、語り手は、荷箱を作ってもらうため立ち寄った店の前で、外国人に興 味津々の小さなムスメたちに取り囲まれる。視線が出会い、会話が交わされる。 彼女たちは最初、自分達の方を見る異国人の目と自分たちの目とが出会うたびに、笑い ながら隠れる振りをする。それから、じき馴れてしまい、近寄ってきて質問しだす。フ ランス人ですか、イギリス人ですか、年はいくつですか、一人で何しに来たんですか、 箱の中には何が入ってるんですか、などと。 D'abord elles font mine de se cacher chaque fois que leurs yeux rencontrent ceux de letranger qui les regarde ; ensuite, trss vite apprivoisees, elles se rapprochent et commencent a questionner : si je suis Franqais ou Anglais, 'I quel est mon age, ce que je suis venu faire tout seul, et ce que j'emporte dans mes caisses?(71) 「じいさんばあさんの奇怪な料理」で、疾走するジンに乗って風景を眺めている語り手 は、野外で二人の老人に見守られて五右衛門風呂に入れられている小さな子供たちを、巨 人に煮られているスープの具か何かと錯覚する。やがて間違いに気づいた語り手は、この のどかな光景に、そして自分の犯した勘違いの滑稽さに微笑む。 この二人のニッポンの爺さんと婆さんは-黄色い羊皮紙みたいな顔の周りに白髪を生 遠藤文彦 134 やしているこの二人はあきらかに祖父と祖母であろうが-家の戸口に腰をおろし優し い朴訥とした様子で、このスープの番をしている。そして私たちが笑うのを見て、彼ら もまた笑ってる.‥ Et ces deux vieux Nippons-, grand'psre et grand'msre evidemment, chevelures blanches autour de visages en parchemm jaune-assis sur leur porte, surveillant ce bouillon avec une tendre bonhomie, et riant eux-mernes de nous voir rire…(348) 先に挙げた「霊山日光」の中の-偶景。語り手は、恵まれない境遇にありながら善良さ そのものを体現している少年の真っ直ぐで素朴なまなざしに打たれて「苦しみに対する普 遍的友愛の情、穏やかで深い憐れみの情」を喚起される。 [-]このかわいらしい考えに心を打たれて、その子を呼び戻す。抱いて接吻さえして やったことだろう、この子があれほどひどく醜く汚くなかったら[-]。なのに、彼は あんなにも生き生きとして、悲しげで、善良そうな目をして私を見ている。 [-]なん という神秘であろう。この子のほんの一瞬の眼差しが、それだけで、私の同業者達のど んな雄弁もよくなしえないようなことを成就しえたというのは!私の心にかくも深く入 り込み、私の内にある最良のもの、最も深く埋もれているものに達する道を見出し、苦 しみに対する普遍的友愛の情、穏やかで深い憐れみの情を一瞬のうちの喚起しえたとい うのは上‥ [-] Je rappelle l'enfant, trss touche de sa petite idee ; je l'embrasserais presque, de si s'il bons n'etait yeux, si pas si laid expressifs, et si si malpropre tristes… [・・・]. [・・・] Mais Quel il me regarde myst芭re, qu'un avec seul regard furtif de lui ait pu faire ce que souvent les beaux discours de mes semblables ne font pas, me penetrer si profondement, trouver le chemm de ce qu'il y a en moi de meilleur et de plus enfoui, evoquer si vite le sentiment de l'universelle fraternite de souffranee, la pitie douce et profonde !...(239-40) 日光からの帰途、宇都宮で、子供の祭りのようなものに出くわす。子供たちはみな、そ れぞれ人形を台座に乗せた車を引っ張っている。裕福な家の子は立派に飾りつけられた人 形を乗せているが、貧しい家の子らのは、古布に金紙か何かを貼っただけの、みずぼらし い人形だ。 そのうちの一人が私のゆく手で立ち止まり、自分の人形を私に見せようとする。残念な 交通と落下 135 がらそれはひどくみずぼらしい代物なのだが、それでも、その子にとっては大好きな人 形なのだろう。彼はそれを、こわれた箱で作った車に乗せて曳いている-両親がその 子のために精一杯こしらえてやったものなのだろう-、そして彼は、その人形のこと を私がどう恩っているか見極めようと、小さな顔で心配そうに私の方を見ている。そこ で私は、腰をかがめて努めて感心している様子をよそおう。 Un de ces derniers s'arrfite sur mon chemin pour me faire bien remarquer la sienne, qui est tr芭s minable pourtant, mais qu'il aime peut-6tre beaucoup tout de m6me ; il la roule dans une voiture fabriquee d un debris de caisse,-tout ce que ses parents ont pu faire de mieux pour lui, sans doute,-et il me regarde, avec une petite figure anxieuse de devmer si je la trouverai jolie. ′ ` Alors je m'efforce davoir l'air de l'apprecier, en me penchant pour la voir.(250-1) 「交通」の偶然で不連続的な効果としての出会い、避追。それは「偶然の一致-同時に 落ちてくるもの」 《coincidence≫ (123,261,339)である。それは等価性の原理が機能し、 交換の対象となる「交通」とは本質的に異なって、 「無償-ただ」 《gratuit》であると同 時に「値がっけられない-高価な」 《inestimable》経験である。日光の少年に対して、 語り手は自分の全財産を贈与してもいいような気持ちになる。 「私は巾着に入っている限 りのお金を全部くれてやる、この世にこれほど沢山お金があるものかと驚いて、開いたま まにしているその子の小さな手のひら一杯に」 《Je lui donne tout ce que j'ai de monnaie dans ma bourse, plein sa petite mam qu'il laisse ouverte, ne pouvant croire a tant de richesse》 (240)。出会いは、いってみれば交通の賜物である。じつの ところ、この種の何気ない事実の記述には、しかしながらその事実性を越えて「真理」に 達するもの、時間を突き抜けて真っ直ぐわれわれの下にやって来る何ものかがある。それ は語り手がいみじくも言い当てている通り、 「憐れみ」という超越的パトスであり、 「友愛」 という普遍的エートスである。ここにおいて感情と倫理は別物ではない。実際「ヒステリッ ク」ではない「パテティック」というものがあるのではないだろうか。あるいは、そこか らある種の普遍的倫理が導き出されるところの超越的なパトスの直観が。そして、これこ そがまさしく一見無意味で断片的な事実の記述に掛けられた倫理的賭金であるように思わ れるのだ。 おわリに- 「写真」と「電話」、あるいはロチにおける書くことの使命 語り手は「江戸の舞踏会」を締めくくるにあたり、それを書いたことの意義を「写真」 遠藤文彦 136 の比境を用いて次のように述べている。 私は、さほど意地の悪い考えも持たず、楽しんでこれらの細部を書き留めたのだが、 それらが修正前の写真のように事実に忠実であることは保証してもいい。目を見張るは どの速さで変貌しつつあるこの国において、何年か先に、その変化の一段階の記録をこ こに見出すことは日本人にとっても興味深いことであろう。西暦1886年、天皇陛下ムツ ヒトの誕生日の祝賀として、菊花で飾られ、ロクメイカンで催された舞踏会の記録を読 むことは。 Cela m'a amuse de noter, sans intention men mechante, tous ces details que je garantis du reste fid芭Ies comme ceux dune photographie avant les retouches. Dans ce pays qui se transforme si prodigieusement vite, cela amusera peut-6tre aussi des Japonais eux-m&mes, quand quelques annees auront passe, de retrouver ecrite ici cette etape de leur evolution; de lire ce que fiit un bal decore de chrysanth邑mes et donne au Rokou-Me'ikan pour l'anniversaire de la naissance de S.M. l'empereur Muts-Hito, en l'an de grace 1886.(106) 「さほど意地の悪い考えも持たず」というのは、いずれ書き手の主観の問題にすぎない であろう。それに対して、彼が読者に確実に保証しているのは、記述の実在性と客観性で ある。つまり、ここに書かれてあることは、 「修正前の写真」に映し出されるような実際 にあった事実であり、さらにいえば、実際にあった通りの事実であるということだ。これ は、小説が写実的であるというようなときの、語りや描写のスタイルの問題ではない。そ れは「本当らしさ」の問題ではなく、事実性の問題である。そして、一般にはそこに重要 な文学的価値が認められていないのだとしても、このテクストは、書き手の解釈の問題と は別の、いわばその一段手前のレベルで、 「記録」という価値を、書き手その人のみなら ず読者にとっても客観的に持っであろうと語り手は言っているのだ。そうなると、例えば、 それ自体としては意味を持たない日付や天候を書き留めることも「記録」としてのテクス トにおいては規範的な価値を帯びてくるであろう。というのも、事実性の問題はその根源 において時間の問題に差し向けられているのであるから。 「聖山日光」でも語り手は、自 分がこれから書こうとすることの意義をやはり「記録」のうちに認め、こう切り出してい る。 「私の記憶の中でいまだすべてが新鮮なうちに、もう寒くなってきているとはいえ、 静かで澄んだ小春日和の十一月の、ある晴れた日々に私がおこなった聖なる山への巡礼の 旅を詳細にわたって語ろうと思う」 《Pendant que tout est frais encore dans ma 交通と落下 ma memoire, je vais conter ici par le menu le perlmage que je fis a cette Sainte Montagne par de belles journees de novembre, par un temps d'ete de la SaintMartin deja froid, mais tranquille et pure.》 (155)。 ここで導入された「写真」の比職は、しかしながら結局のところ比職にすぎないといわ ざるをえない。一般的に言って記録としての写真は、完全に客観的かっ正確なものであり、 また、実在を志向するだけでなく、なによりも実在性の証拠そのものである(25)。これに 対して文字による記録は決して完全には客観的でも正確でもなく、さらには、実在に差し 向けられることはあっても、その実在性を証明することは決してできない。その意味でい うと、文学の記録としての価値は相対的で限られたものでしかない。 他方、語り手は「皇后-ルコ」の最後で、つまりこの書物を締めくくるにあたって、こ の書物を書く動機の一つを次のような形で伝えている。 .‥私は故国に帰ったら、どこかで、私がこの皇后のことをいかに妙なる女性であると 思ったか、文章に書くことであろう。私の賛美の念がずっと後で、きっとフランスの雑 誌を読んでいるにちがいないニエマ嬢の手で翻訳され、海を越えて彼女の下に届くといっ たことも、あるいはあるかもしれない。そしてその機会に、彼女の神々しい衣装を廃止 するというあの計画-それとともに彼女の特異な威光の一切が消滅してしまうだろう -に対する私の芸術家としての恭順なる抗議の意志を受け取ってもらいたいと願う。 第一、そうするしか私の考えを彼女の下にまで届ける手だてはないのだから。 ..Quand je serai de retour dans mon pays, j'ecnrai quelque part combien je l'ai trouvee exquise, cette imperatrice. Peut-Stre, qm sait, mon hommage lui reviendra-t-il longtemps apr芭s, a travers les mers, traduit par mademoiselle Nihema qui lit sans doute nos revues frangaises. Et je veux qu elle recoive en I m6me temps ma respectueuse protestation d artiste contre ce projet qu on lui pr6te d abandonner son costume de deesse-avec lequel dispara壬tra tout son 'I singulier prestige. Ce sera, du reste, le seul moyen que j'aurai de faire penetrer jusqu'S. elle une de mes penseees… (352-3) 翻訳を通して相手にメッセージが届くのを願うこと-ここに表明されているのは端的 にいって「コミュニケーション」の願望であろう。ところで、それがいかにユートピア的 なニュアンスを帯びたものだとしても、一般にコミュニケ-ションにおいて想定されるの は、伝達されるべきメッセージとそのメッセージの受け手である。前の引用では、それは 鹿鳴館(そこに垣間見られる当時の日本)の記録と後世の日本人であり、ここでは作者の 138 遠藤文彦 意見と皇后美子である。いずれの場合もコミュニケーションの相手、メッセージの受信者 は遠方ないし後世に位置づけられている。作品の記録としての価値を語るのに「写真」の 比職が用いられたのにならって言えば、ここでは時間的空間的彼岸との通話 (communication telephonique)が求められているのだから、語り手のコミュニケーショ ンの意図には「電話」の比境をあててみることができよう。しかるにこの比境は、単に窓 意的というばかりでなく、本質的に適切でない。事実、電話が声の現前を前提とするもの である以上、特定の受信者を想定するものであるのに対して、文学作品を構成する文字は 個々の実存的時間を越えるものであり、暫時特定の相手を想定するとしても、最終的には いずれ個別の受信者を超越してゆくものなのだから。これを「電報」 (communication telegraphique)と言い換えてみたところで事態にさほどの変化はもたらされないであろうO 電報もコミュニケーションの近代的手段として電話の先駆的発明品にすぎず、実践的にそ の意図-遠方にいる特定の相手にできるだけ早く伝達すること-を電話と共有するの であるから。 じつのところ、問題はコミュニケーションが文字によるか声によるかにではなく、 「コ ミュニケーション」という概念自体のうちにあるように恩われる。電話であれ電報であれ、 求められるのは特定の相手に特定の内容を正しく伝達することなのだが、文学作品の本質 は書き手の意図を相手に伝達することにあるのではなく、書かれたものが読者によって読 まれることにある。それは、書き手のもとを離れ、特定の相手を超越し、さらには特定の 内容を喪失することもある。読むということは、本質的にいって第三者の営為であり、そ れも直接的に正面からではなく、いわば斜めから間接的になされるものなのだから。 結局「写真」にしても「電話」にしても、書くことの意味-目的をめぐる比職は相対的 なものにすぎず、さらには不適切なものでさえある。だが、そもそもそれらの比職は文学 の真の意味-目的を語るためのものではなく、語り手の主観的錯誤を表すためのものなの だとしたらどうだろうか。彼は実際に「写真」のように事実を正確に客観的に記録したい と望んでいるのであり、 「電話」のように特定の相手に特定のメッセージを伝えたいと望 んでいるのだが、それは文学の本質からすると結局のところ幻想にすぎない。当の比境は、 文学の意味-目的を表すものとしては不適切だが、コミュニケーションをめぐる語り手の 欲望-錯覚を表現するものとしては適切である。つまり、 「写真」と「電話」の比職は語 り手の意図の客観的表象としては不適切だが、そもそも誤っているのはそうした意図自体 なのだから、不適切な比職は、その主観的誤りの反語的表象として読めば適切なものとな るということだ。 ここで問題を作者のレグェルに転じて、では、なぜロチが『秋の日本』を書いたのか、 その現実的な理由を問うてみよう。はじめに述べたとおり、この書物はもともと作者が雑 交通と落下 139 誌に寄稿した九編の紀行文をまとめたものであり、書物という形をとる以前からも当時広 く大衆に読まれたものであった。じつに、ロチがこれらの文を書いたのはそれらを売るた めであり、要するに有り体にいえば、それによって金を稼ぐためだったのである1887年、 『秋の日本』に収められることになるそれらの紀行文を書いていた頃のある手紙に、ロチ は同じ時期に執筆していた『マダム・クリザンテ-ム』についてこう書いている。 大いに仕事する。日本の小説を書いている。八月には出さなければならない。たんまり とお金がもらえる仕事。小説は愚かしいものとなろう。自分までそうなる。 Travaille enormement, ecris roman japonais que dois livrer en aotit ; grosse affaire d'argent. Roman sera stupide. Le deviens moi aussi (26) つまり、書くことの端緒には、その現実的理由として経済的理由があるということだが、 しかしながらこのことは、直ちに書くことにおける冷笑主義や卑近な現実主義を合意する ものではない。というのも、 「愚かしいもの」であろうとなかろうと、作品はそれを生み 出した直接的理由を越えて商品として価値を持ち、流通するからであり、そして、作品が 流通するためには然るべき書く技術が必要であり、その根底を貫く一定の倫理が想定され るはずだからである。 この点に関していうと、 『秋の日本』では様々なものが商品として流通するが、物語も その一つである。泉岳寺の案内僧の話、すなわち四十七人のサムライの物語(「『忠臣蔵』) は、語り手-作者が偶然少年時代にした読書によって既に知っていた話である(261)。翻 訳されて、それは海を渡って流通していたのだ。さらに『秋の日本』というテクストで語 り手はこの話を読者のためにしてやる。 「数行でこの物語を報告しなければならない。そ れがなければ読者が理解できないだろうか′ら」 《je suis oblige de rappeler en quelques lignes cette histoire, sans cela on ne me comprendrait pas浄 (261)。も とより語り手は翻訳が不正確だったのか、あるいは記憶違いか、その内容を正しく報告し ていない(事件の日付が間違っている)。それにしても、物語はこの機会にさらに流通す ることに変わりはない。例の僧侶は、 「四十七人のサムライの話が沢山の挿し絵入りで語 られている本」 (264)を売っているが、それはちょうど彼が「巡礼客相手に売っている線 香」 (264-5)のように一個の商品として売られている(それは現在でも売られている)。し かしそうであるとすれば、同じ四十七士の物語を読者に報告する『秋の日本』も、そこで 売られている本と同じ役割を果たすのではないだろうか。しかもそこには感動という賭金 が掛けられている。 「この物語は、それを詳細にわたって知っているものにとってはかく も美しい。それは驚くべき英雄的行為と、並外れた徳義と、超人的忠誠心とにみちている」 遠藤文彦 140 《cette histoire est si belle, pour qui la sait en detail ; elle est si etonnante d'heroiisme, d'honneur exagere, de fidelite surhumaine〉 (268)。 作品中、些細な場面であるが、流通という書かれたものの真理ないし運命を象っている と恩われる個所がほかにもある。語り手は、泉岳寺の墓に貼られた参拝者が義士たちに宛 てた「メッセージ」をみてこう思う。 「こんな風に、受け取るはずのない死者達の門口に 名刺を置いていく習慣は滑稽といってもいいくらいだ-逆にそれが極めて感動的なこと であるというのでなければ」 《.‥ce serait presque dr6le, cet usage de deposer sa carte a la porte des morts qm ne peuvent recevoir,-si ce n'etait extre"mement touchant…》 (267)。受取手のない名刺のように、書かれたものはいずれ、それが直接そ の人に対して向けられているものでない人にとっては無償性を帯びることになる。それは 初期の意図が無効となるという意味では滑稽なことであるが、そもそも無償のものである という意味では感動的なことでもある。また、語り手は日光東照宮の奥社にある家康の墓、 その墓碑銘についてこう記している。 「そこには青銅の囲いがあって、青銅の扉で閉め切 られており、その扉の中央には金の銘が刻まれている-いっそう神秘さを増すように、 もはや日本語ではなく、サンスクリット語で書かれた銘が」 《II y a lk un enclos de bronze, ferme par une porte de bronze, qui est marquee en son milieu dune inscription d or, -non plus en langue japonais, mais′en langue sanscrite pour plus de mystere.》 (223)cここで神聖文字は読めない文字、通じない言葉の謂いであり、 不動のもの・固有のものをかたどる形象である(その意味でそれはテクスト上「金」と同 じ機能を担う)。文字は特定の受取人を越えて流通するとともに、いずれ流通から離脱し、 メッセージとしての内容を欠落させ象形文字の類に堕する運命にある(堕するいっても否 定的な意味ではなく、たんに落下するという物理的形式的意味で)。かくして作品は商品 のように流通し、特定の受信者を飛び越え、さらには流通から離脱し、不動のものとして 自らの上に折り返し黙してしまうことさえあるだろう。先に見たように、書くことの目的 を語り手がみずから伝えようとするとき、彼は書かれたものの本質には適合しない不適切 な比職的表象を用いてしまうが、一方、作品そのものはというと、それは書かれたものの 真理と運命を正しく形象化しているのである。 さて、流通は商品という存在を呼び起こし、商品は疎外という作用を想起させる。だが、 疎外を経ること、すなわち固有性を喪失することなくしてものが伝わるり、通じるという ことが果たしてあるだろうか。逆に言えば、通じるということは固有性の喪失を直ちに意 味するのではないか。翻訳(traduction)は必然的に裏切り(trahison)をともなうが、そ うでなくては「コミュニケーション」はありえないのだ。ただし、「コミュニケーション」 とはいっても、ここで問題となっているのは意思の伝達ではなく、空間の疎通、さらには 交通と落下 141 時間の疎通である。そしてここでは、物が何を意味するかということ(交換価値)は付随 的なことにすぎず、流通することそれ自体が創始的価値を持っ。物はそれ自体においてで はなく、流通することによって意味を保証されるのだ。もとよりそれは限定しうる意味で はなく、むしろ一定の強度であり、分節化しえない感覚に近いものがある。 さきほど、記録としての文学の価値をめぐり、 「写真」という比職が不適切であると述 べた。しかしここでいう「記録」の価値が、単にその実在性と正確さによってはかられる ものではないのだとすれば、どうであろうか。つまり、文学における「記録」が形態にで はなく、あくまで意味にかかわるものだとすれば。ここでわれわれは、作者-ジュリアン・ ヴィオの少年時代のある体験、すなわち、彼があるとき偶然見つけた「航海日誌」の一節 を読んで理由の分からない強い感動を覚えたというエピソードを恩い出さずにはおれない。 わたしはその時、身震いするはどの感動を覚えた。 「1813年6月20日、経度110度、南緯 15度」 (Lがって両回帰線の問、大海洋の海域で) 「正午から夕方の4時までの天候は晴 れ、海は美しく、南東の心地よい風」であったこと、空には「猫の尾」と呼ばれる小さ な白雲がいくつか漂い、舷側には、鯛が通過していた、ということを知って。 J'appris alors, avec un tressaillement d'emotion, que de midi a quatre heures du soir, le 20 juin 1813, par 110 degrZs de loligitude et 15 degrSs de latitude australe Centre les tropiques par consequent et dans les parages du Grand Ocean), il fasait beau temps, belle mer, jolie brise de sud-est, qu'il y avait au ciel plusieurs de ces petits nuages blancs nommes 《queues de chats》 et que, le long du navire, des dorades passaient…(27) この少年時代の不思議な驚きと感動は、しかしながらあまりに無意味で愚かしいとさえ 思われるほどだが、同時に、作者が三十年近くたって自伝的物語を書いているその時になっ ても解消しえないほど執劫かっ強烈なものである。この驚きと感動の由来を理解する鍵は どこにあるのだろうか。われわれはそれが、先に検討した「偶景」における語りの賭金で あった、ある種の超越的パトスのうちに兄いだせるように患う。問題なのは、実在そのも のではなく、人間存在の根本的形式としての時間が与える実在に対するパトス- 「憐れ み」 -とそこから直接帰結するエートス-「友愛」-なのではないか。そして、まさ しくそこにこそ、文学における「記録」の価値を再肯定する根拠があるのではないか。な るほど、通じざるものを通じさせることのうちには非国有化としての疎外が必然的に生じ ている。だが文学の賭金は、そもそも個別的実在の固有性そのものではなく、あくまで個 別的実在に結びついたある種の普遍性のうちにある。しかるに、本論を通して見てきたよ 遠藤文彦 142 うに、文学に固有の事象をその固有性において描くことはできないが、それが与える効果 をその普遍性において語ることはできる。その最も切実な効果、それが今述べた超越的パ トスであり普遍的エートスなのであって、そこにこそ『秋の日本』のみならず、おそらく はロチの作品に普遍的に認められるであろう一見したところ意味のない(じつのところ正 確でもない)実在の記述の意味があるのだ。かくして、記録することがなければ落下した まま不動のものとなり、黙して永遠に出会われる可能性を失ってしまうものを、まさしく 記録し、流通させ、時間と空間の疎通を確保しつつ、偶然の出会い(CO-INCIDENCE同時に落下すること)を可能にしてやること-これがロチにおける書くことの使命とな るのである。 注 1)ピェール・ロチ『秋の日本』村上菊一郎、吉永清訳、青磁社、昭和1 7年。 「あとがき」が収 められているのは、検閲を受けた本書が昭和2 8年に完全な形で上梓された角川文庫版『秋の 日本』である(われわれが参照したのは平成2年第5版)。その「あとがき」にもあるように、 それ以前には、抄訳本として『日本印象記』高瀬俊郎訳、新潮社、大正3年、および「おかめ 八目」飯田旗軒訳、明治2 8年、春陽堂がある。ちなみに、これらの翻訳に対する村上・吉永 両氏の評言を引用しておけば、 「両書とも残念ながらわれわれの期待するものからは遠い当時 の意訳ものであるが、今日からみればいずれも珍書の一つに数えられよう」。 われわれが使用した原典は、 Pierre Loti, Japoneries d'automl%e, Calmann Levi(29e edition),1893である(初版は1889年)。このテクストには現在のところ批評版も文庫版等によ る再版も存在しないので、引用した個所については参考までに試訳のあとに原文を挙げ、括弧 内に貢数を記しておいた。なお、試訳に際しては上記邦訳角川文庫版を参考にした。 2 ) Tresor de la langue franqaise. Dictionnaire de la langue du 19e et du 20e si∂cle, CNRS. 3)ジャポンヌリjaponneneという綴りでは、ゾラが第1の意味で1878年に用いている(voir Tresor de la langue franqaise,op.cit.)。 4)拙論「珍妙さの美学- 『マダム・クリザンテ-ム(お菊さん)』試論」 『長崎大学教養部紀要』 (人文・自然科学篇合併号)第37巻、第1号、 1996年。 5)英雄的行為の成立条件が欠けているのなら、英雄-主人公という形象が、それとともに「小説」 という形式自体が不可能となりはしないか、という疑念が生じてくる。 6)この点については前掲の拙論に示唆しておいた(315頁および注4、 17参照)。 7)ロチは1885年(明治18年) 7月8日から同8月12日まで長崎に滞在した後、同年9月18日からll 月17日まで二度目の日本訪問をはたしている。詳細は船岡末利編訳『ロチの日本日記-お菊さ んとの奇妙な生活』有隣堂参照。 8)ヤン・ビーバー『迷宮』工作杜参照。ピーパ-は迷宮をあくまである種の合理性の表象、未知 のものを合理化するの表象として捉えているが、 『秋の日本』における迷宮的表象は、全体化 することのできない部分を抱えた非合理的表象であるように思われる。 9)逆に、距離-位階-神秘をもたらすものとしての通じない言葉、読めない文字については、東 照宮奥社の門に書かれた神聖文字、サンスクリット語の例(223)を見よ。 10)立川健二『誘惑論』新曜社、八〇貢以下のブルームフィールドへの言及を参照。 交通と落下 HEK ll)商業の街、したがって流通の街として描かれている大阪が、神戸から目的地である京都にいた る途中の経由地としてごく簡単に触れられているのみ(5)なのは、事実の問題はどうあれ、 「否 認」の意味がそこに認められるようで興味深い。 12) Madame Chrysanthをme, coll. 《GF≫ Flammarion, 1990, p.223.なお、 「オカネ」 - 「お金」 という連想は作者自身のものでもある。 「カネとは金銭という意味だから、これは彼女にふさ わしい名前だったのだ」 《Kane veut dire argent ce nom lui allait bien !》 (ロチが友人 ファレールに語ったという言葉。 Suetoshi Funaoka, Pierre Loti et VExtreme-Orient-du journal a l'oeuvre, France Tosho, Tokyo,1988,p.49に引用。 13)この事実については、 S.Funaoka, op.cit., p.12参照。 14)ここで『マダム・クリザンテーム』の「献辞」にあった例の文句が想起される。 「三人の主要 な登場人物は、私と白木と、かの国が私にもたらした効巣である」。ここでいう「日本」は 「効果」の原因ではなく、それ自体が然るべき原因もなく、偶然に「私」の下に落ちてきた 「効果」そのものなのではないか。 15)日光の「山頂」は、 「もはや人間の痕跡がまったく見あたらないところ」 《oune se voit plus aucune trace des hommes》 (238)である。 「自然」は人間的痕跡ないし文化を消去するように 作用する。この点、 「金の透かし彫りが入った銅製の灯龍」 《[les toro¥ en bronze ajoure avec ciselures dorees》に苔がむしているのを見て驚嘆する語り手の反応は示唆的である。 「私はこ れまで、青銅色の輝く金属に苔がむしているのをみたことがない」 《Je n'avais encore jamais vu de la mousse s'accrocher a du metal bruni et brillant》 (207X 16)したがって『秋の日本』に現れる「フジヤマ」は、一見あるいは一般にそうであると思われる のとは逆に、イメージや記号の類ではないということだ。 17)古代の装束(91-2,340)は幾何学的図形と技術制作的定義が統合された記述の例である。ただし、 そこには対象を非国有化する例の安易な比較・参照の要素が混入することもある。例えば神楽 を舞う女について、 《sur le front, deux larges coques de moussline blanche rappelant, en plus grande, le noeud des Alsaciennes〉 (208)とある。 18)この段の考察は、アラン・ビュイジーヌ『ロチの墓』 Alain Buisine, TOmbeau de Loti, diffusion aux Amateurs de livres,1988に負うところが多い。ただし、ビュイジーヌはロチの 日本関連の作品にはあまり触れていない。 19)ロチの作品に頻出し、文字どおりの意味でも比職的イマージュでも用いられる「ヴェール」 《voile》は、埋葬のメトニミーである屍衣の代替物であり、その機能は意味のありかを隠しつ つ指示することにある。それは一つの指標なのだが、それが隠しつつ指し示している意味はま さしく無である。 「ヴェール」、それはそこにおいて意味と無意味の交錯する形象である。 20)ビュイジーヌの前掲書「墓標とミイラ」 《Cenotaphes et momies〉 p.275 sq.参照。 21)作品の最後に置かれたこのテクスト「皇后パルコ」は、現実の時間経過からいうと作者の日本 滞在の最後に位置するものではない(滞在最後の一日を語った「江戸」がそれにあたる)。 22)ちなみに、 「聖なる都・京都」も、冒頭、タイトルの《Kioto, la ville sainte≫を受ける代名 詞《Elle≫から語りが始まっている。 23) 「偶景」というのは、ロラン・バルトのテクスト《Incidents》を邦訳された花輪光氏の卓抜な 訳語をお借りしたものである。 24) 「見られること」は聖なるものが汚されることを合意するが、一方、 「見ること」はそれが何ら かの見られる対象を前提とする限りにおいて聖なるものが世俗化することを意味する。皇后の 視線は視線による世俗化を証す例である。皇后の何も見ていない視線(343)と「イロニックな」 視線(348)、そして語り手が盗み見する彼女の世俗化を露呈させるものとしての視線(350)を見 よ。 25)以下の「写真」をめぐる考察のもとにあるのは、ロラン・バルトの『明るい部屋』 (花輪光訳、 遠藤文彦 144 みすず書房)である。 26) Alain Quella-Villeger, Pierre Loti Vincompris, Presses de la Renaissance,1986,p.118. 27) Pierre Loti, Le Roman d'un enfant, ed. de Bruno Vercier, coll. 《GF》,Flammarion, p.217. (1997年6月16日受理)