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Title ロマン主義詩人に於ける白鳥神話 Author(s)
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ロマン主義詩人に於ける白鳥神話
上村, 邦子
Gallia. 19 P.15-P.26
1980-03-31
Text Version publisher
URL
http://hdl.handle.net/11094/10544
DOI
Rights
Osaka University
1
5
ロマン主義詩人に於ける白鳥神話
上
ネナ
くにこ
本稿は,ボオドレエルとマラルメが白鳥神話に,正反対の方向にではあるが,根本的改
革をもたらした二大詩人であるということを前提に,この二人の想像力を育んだはずの十
九世紀のロマン主義詩人達にとって,白鳥神話とはどういう意味を持っていたのか,とい
うこと,言いかえれば二人の詩人にとって白鳥神話の伝統とはいかなるものであったのか
ということを決定しようという事を目的としている。そのために我々はアルフレット・ド・
ヴィニー,テオドール・ド・パンヴィル,テオフィール・ゴーチェ,ジエラール・ド・ネ
ルヴァル,ヴィクトール・ユゴーの 5 人の詩人を選んだ。この選択は白鳥神話の継承とい
う意味で,二人の詩人に甚大な影響を与えたと思われる詩人に限ったが,いささか恋意的
であるというきらいはまぬがれない。
さて,この 5 人の詩人が作品の中でいかに白鳥神話をとりあつかったかという事を仔細
に検討してゆくと,興味深い事に気付く。つまりこの 5 人の詩人達のアブローチの仕方を
ボオドレエル的と,マラルメ的,というふうに分類出来るということである。では白鳥神
話発展のボオドレエル的方向と,マラルメ的方向とはどのようなものであるかを定義して
みよう。
白鳥神話が相矛盾する 3 つの価値を内包する三角形を成形して,二重の謎を形成すると
いうことは,すでにガリア 17 号及び 18号,
さらに Etudes
de Langue e
t Litt駻ature
f
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軋i
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.36 の拙論の中で詳述したので,再び論ずることは避けて,ここに図式だ
け示すと次の様になる。
芸術・完成
エロス=女性
(l:C l 鳥処女)
(rl 鳥の歌・追放・殉教のモチーフ,鳥=船のイメージ等々)
エロス=男性(レダ神話)
この三つの filli 値の 1-1-1 で,芸術・完成という価値が最も多くの芸術家たちによって発展さ
せられ,それ故にまたそれから派生したモチーフも多様であるが,忘れてはいけないのが
1
6
この完成の価値が,男・女両性のエロスの活力によって常に補強されているということである。
さて,各々の詩人が 3 つの価値すべてに敏感だったわけではない。ある詩人は白鳥のひ
とつの側面にのみ鋭く反応し,それのみを発展させた。又,ある詩人は神話の内包する矛
盾の謎にこだわりつづけた。 唯一の価値に執着し,その部分のみを拡大した詩人の代表に
ボオドレエルが居り,白鳥神話の矛盾を統合しようと腐心した詩人の代表にマラルメが居
る。前者と同様の傾向を示すのがヴィニー,ネルヴァル,ユゴーであり,マラルメ的傾向
を示すのがパンヴィル,特にゴーチェであるといえる。まずヴィニー,
ネルヴァル,ユゴ
ーが白鳥神話のどんな面を注目したのかを検討し,次にマラルメ的なパンヴィル,最後に
ゴーチェを+食言すしよう。
(a)
ヴィニー
ジョルジュ・プランはボオドレエルの rl~ 烏」の出典として,エレナの次の一節を引用
した。
Comme de cygnes blancs une troupe 馮ar馥
Qui cherche l
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le
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el
a
c paternel
(
2
)
このことによってヴィニーの白鳥は流摘のモチーフを代表していると思われがちである
が,実ははっきりとこのモチーフを扱っているのはこの詩だけであり,この詩もそれほど
深い展開を示しているわけではな l ¥0 そもそもヴイ二ーは白鳥神話に比較的冷淡であり,
彼の全詩の中において,
(1 鳥という言葉は 5 回を数えるのみである。そしてそれらは皆,
世俗を絶った高貴な雰囲気を代表している。例えば「エロア」の中で,エロアを誘惑する
惰天使は I'-l 烏にたとえられている。状況が似ているにもかかわらず,レダ神話のレミニッ
サンスは微曜もみられず,流諭の (-L鳥のそれの色が濃い。
Comme un cygne endormi q
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i sous ses bras f
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(3)
他の二つの|ノト烏は船のイマージュに結び、ついている。ひとつは二人の女性の美しさが荷台
にたとえられているが,高貴さと完壁,無垢といった filli 値が前面に押し出されて,女性の
エロスの{J]li 11直は j菜くかくされている。
Comme deux cygnes blancs , aussi purs que leurs a
i
l
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s
t belles ,
Vous passez doucement , soeurs modestes e
1
7
Sur l
e paisible l
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c de vos jours bienheureux.
(
4
)
さらにある詩においては, ~巷に休息するフレガート船が白鳥のイマージュに重ねられて
いる。
Une fois , par malheur 司
si
vous avez pris terre ,
Peut-黎re qu 、 lln de vous , sur un l
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c solitaire ‘
Aura vu ‘ comme moi , quelque cygne endormi
demi.
Qui se l
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Autour de l
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t se m麝e
Une a
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e est son coussin 勾
l'autre
sa plume
l
'馗ume;
est son 騅antail;
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l dort , e
t de son pied l
e large gouvernail
Trouble encore ‘ en ramant , l
'eau tournoyante e
t douce ,
Tandis que sur ses flancs se forme un l
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t de mousse ,
De f
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t de joncs , e
t d ‘ herhages errants
Qu'apportent pr鑚 de l
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b
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s courants.
(
5
)
このようにヴィニーの臼烏は, ["芸術・完成 J の fjlli 値が含んでいるエキゾチックな高貴さ
というものにだけ j主 13 した詩人であるといえる。
(
b) ユゴー
ユゴーも又,
(J 鳥ネIjl 話のー側面にのみ注目した詩人である。彼にとって白鳥とは純潔無
垢な乙女であり,
それ幻以、外の{作側
H岡fi 値在は
II
m
動物宇宙とでで、も H乎ベるものを 1形
E杉2釘
肋Jï史したのだが,
その '~l で臼烏がどんな位置を,Jî めているの
かということを,ボオドウエンの「ユゴーの附中分析」を参照しながら検討してみようケ
ボオドウェンによればユゴーの動物宇宙において,圧倒的に重要な位置を占めているのは
鷲である。ナポレオンの紋章であったこの烏は,その意味でも幼年のユゴーに影響を与え
たとボオドウェルは推察するのだがーどちらにせよ鷲は特に強力な男としての性を象徴し
ている。が,ここでユゴー特有の分極化が生じる。つまり鷲は理想的な父税と横暴な父親
という正反対の像をあわせ持っているのであるの償暴な父親=鷲に付するものとして,残
酷な母親を象徴する!ほ11蚊があるのこのU\);II峠にさらに対立するものとして, l~H 想的女性を象
1
8
徴する動物が白鳥と鳩である。ここでこの 4 つの極を図式化すれば以下の様になる。
鷲
白鳥・鳩
(理想的父親)
(理想的女性)
蜘妹
鷲
(残酷な母親)
(横暴な父親)
ボオドウェンはこの白鳥・鳩=理想的女性の結合はさらに,幼年時代のユゴーが住んだ
コルデイエの館の庭のイメージ,
さらにもっと一般的に自然のイメージとの結合を伴うこ
とが多い事を指摘している。実際,ユゴーの白鳥の出現場所は常に庭の池であり,そこで
庭の花や彫刻と結び、ついて,失なわれた子供時代の至福を喚起するという図式が多 Po こ
こにその{列を 4 つほどあげてみよう D
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t bâti , comme au temple d'amour
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d'un bassin dans l'ombre h
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Un thé れre en t
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e Oル grimpait une v
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さて次に夕方の庭に休息する I当分の二人の娘を I~l 鳥と鳩にたとえた有名な一節を引用しよう。
“
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s clair-obscur du s
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i tombe
1
9
L'une pareille au cygne e
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Belles 司 et
toutes deux joyeuses ,
l
a colombe
(
1
)
douceur!
このように白鳥乙女のエロスは,自分の娘や,引用の煩はさけたが他所で行なっている
様に孫娘などに同化されているので,純真さが強調され,適当にカモフラージュされてい
るが,ユゴーの官能的側面の重要なー要素であることは確かである。次の一節を読んでみ
ればそれは明らかになる。
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devant l
a femme nue
Mes transports , que devant l
'騁oile sous l
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2
1
Et devant l
a blancheur du cygne sur l
e
s eaux.
ユゴーはこのように白鳥のうちに白鳥処女のあどけないエロスの魅力しか見なかったと
結論づけられるのである。
(
c)
ネルヴ‘ァル
ネルヴァルの詩作品の中には白鳥という言葉は一度もあらわれてこなし」しかし「シル
ヴィー J の中には入門の旅を続ける話者の前に神秘的な意味を帯びた白鳥が何回か姿を
変えてあらわれる。
まず第三章で話者は神秘!剥を見たあと,
シルヴィーの兄に伴なわれて,あたかも神秘劇
で得た入門を繰り返そうとするかのように,シャアリの僧院を訪れる。そこで二人はド
アにはりつけになった白鳥の彫刻をみつける。それから話者は守衛室に置かれた神秘的意
味を帯びているらしい様々な家具を描写している。
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beaucoup , i
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t un cygne 駱loy
dedans de hautes armoires en noyer s
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a porte 、
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une grande horloge dans sa
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t des troph馥s d'arcs e
t de fl鐵hes d 、 honneur au-dessus d'
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r 1' 0 時 e e
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これについて,
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J
レオン・セリエはユゴーの「コンタンブラシオン j の仁1 1 にある「ふくろ
う」との類推からちこれは十字架にかけられたキリストであると推定しているア この推
理は,この僧院訪問がネ 111 不拡劇の退婿的繰り返しであるという事実を考えると,正しいよう
に思えるが,それ以外にこの推定を証川する材料に欠けているので、七リエ氏の興味深い
J 旨摘を注目するにとどめよう。
次に「シテールへの旅 J と題された第四章ではー第三草の 1::1 烏と対比してキリストの復
20
j舌を思わせる、輝やかしい I~ 鳥の飛朔が描かれる。 この章で話者は故郷の島での祭りに出
席して再発見された子供時代の幸福に酔う場面である。
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a vaste corbeille un cygne sauvage ‘
du repas , on v
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s ailes ‘ soulevant des l
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de guirlandes e
t de couronnes 、
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祭りのクライマックスに於てそれまでかごの中に閉じ込められていた白鳥がいっせいに
飛び立つというイマージュは失なわれていたものの再生をすぐれて l暗示するものと言える。
しかもこの飛び立ち杭①ヴァロアの湖にかこまれた,②庭園の中の,③テーブルの上の,
④花に埋もれた,⑤かごの中という,五重のしきりに岡まれた,いわば聖化された場所ーか
ら行なわれたということも注目すべきであろう。しかしこの復活も幻滅に終る。第十四章
に到って話者は入門が失敗に終ったことをはっきりと確認する。その日主話者をとりま
く風景は「白鳥のいない湖」というふうに認識される。烏とともに再生の可能性も飛び去
ってしまったのである。
このようにオ、ルヴァルにとっての白,鳥とは,
ノスタルジアの色合いを帯びた,神秘的な
聖的な鳥であるといえるむ
(
d
) パンヴイル
バンヴィルの詩作品の中には I~l 鳥という言葉が頻出し、
5 人のうちで最も多いのであるが,
その 44 回という頻度から言えば
そのことからー 必らずしもパンヴィルの白鳥がj農密な
象徴の frlli 値を荷負っていると言うことは出来ないのである。先に述べた 3 人の詩人が l守鳥
すなわち芸
やj;j ・完成を象徴する白鳥という fllli 値と, 'jffiE 的動物という {rlli frîÏを扱っている。
しか L ノ t ン
ヴィルの特徴はこの 2 つが相矛盾するということに全く頓着していないということでー
引一一ム
神話の唯一の{illi 値を拡大させたのに対してパンヴイルは 2 つの対立する{illi fl直,
術を代表する白鳥は殉教によって名誉を全う L , エロスを代表する H 鳥もひたすら官能的
で、あるにとどまっている。
このようにパンヴイルが双方の相関関係に注円せずに,楽観的
に二つの至福をうたいあげたということは,
あるとの印象を避けがたいものにする。
ものも,
ないわけではない。
パンヴィルの臼烏神話のうけとめ方が皮相で
しかしパンヴィ I!-- が H 島村 I ~i Ili に新しくつけ加えた
それがなんであるかを、
まず芸術・完成 =13 鳥のfIlli 値を示す
;者詩篇から検討してゆこう口 パンヴィルはこのうち特に流諦・殉教の 1'1 鳥というモチーフ
を発展させた。
まず 1875 年出版の,
その題名も
「流罪の人々 J という詩集を見ょう。 その
中の 「白鳥のあやまち J と題される寓話風な詩の中に,
白鳥は無理解なからすに追放され
る高貴な犠牲者として出現している。 1)、下ワ I J
T
l'9- るのは,
ているせりふである。
からすが!とi 烏の臼さをあざけっ
2
1
Cuisinier , garde t
o
n couteau
Watteau !
Pour ce Gille , cher
Accours ! e
t moi-m麥e que n
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Le bec aigu comme un ciseau ,
Pour percer l
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n oiseau
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1
1
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1
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se
t de neige !
この昔日分はラ・フォンテーヌの「白鳥と料f里人」のパロディーであると思われる。この
作品は,目の悪い料理人が,お城の堀の|当鳥を鷲鳥のひなと取りまちがえて,今にも白鳥
の首を切り落そ 7 とした時,
7頻死の I~l 鳥が妙なる「白鳥の歌」を歌ったので,日の悪い料
理人もやっと自分のあやまちに気付くという話である?
バンヴイルはこのユーモラスな
料理人をもっと残酷なものに変えてー(:,烏の悲劇性を強調している。詩の終りに白鳥はは
げたかに殺されるが,天使が降りてきて白鳥は救われるという筋立てである。この憾に詩
の内容は伝統的であるが
ラ・フォンテーヌや
ワットーなどを援用することによって現
代的なものになっている。バンヴイルの白鳥の特色はこの様に内容は伝統的でありながら,
現代的な衣をまとっているというところにある。流摘の白鳥は当然迫害の高貴な犠牲者と
なるのだが,バンヴィルは様々な小道具を駆使して,現代的味っけに成功している。 漂泊
の白鳥は例えはミュッ七にたとえられる。
Musset 、 beau
1
1
8
1
cygne errant , chante en pleurant
死んだ女性や,殺された女性も又,彼女達が受けた迫害の故に白鳥になぞらえられる。
後に分析する官能的女性とは全く異説なものである。まず,ある病死した女性へささげら
れた詩では,
od駘ices !je respire
Tes divines tresses blondes !
Ta voix pure 、
cette
lyre ,
Sujtl
a vague sur l
e
s ondes 、
Et suave , l
e
s effleure ,
.1
1
9
1
Comme un cygne quise pleure !
という械に!;('/生の美しさを聖化しているということに気付く。フロシア軍兵士に犯され,
殺された女性述も l己JfJ( の型化をうける。
2
2
Plus blanches qu,'une a
i
l
e du cygne ,
Elles vous montreront , vous , c
l
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-je ,
白0)
D'un c
l
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t vengeur q
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i vous c
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駸i
g
n
e
夫に首を締められるデスデモナも又,白鳥になぞらえられ,劇場が実現する奇跡のひと
つにあげられる。
C'e
st(
le Th鰾 tre) 司 le doux cygne 駱lor
La p稷e Desdé 町lOne [……]
(
21
)
この様にパンヴィルの殉教の白鳥は,ワットーやシェクスビアなどの現代的昧付けのも
とに,伝統的な I~~ 鳥神話カ部地り返されて居り,偉大な美に達するためには,特に苦しみに
洗われなければいけないという苦悩主義がみられる。その点ボ、オドレエルに影響を与えた
と言えるが,彼とバンヴィルが根本的にちがうところは,パンヴィルが迫害された者の芸
術的あるいは宗教的救いを深く信じているということであり,ボオトc レエルは,そういう
救いをきっぱりと否定するのである。
次に官能的 I~ 鳥の観第にうつろう。興味深いことに,詩人は司画家 j主が描いた豊満な裸
体を;賛美するために日鳥のイメージを援用することが多 p 。そのためたいへん大胆で視覚
的なものになっている。「ルーベンスの:&: J と題された詩を J売んでみよう。
Ton cou , blanc comme un cygne ,
Montre une douce l
i
g
n
e
D ‘ un suave dessin;
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n beau sein ,
Ton sein lourd 、
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pose
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n rayon rose ,
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n marbre dur
V
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(
22
1
同じ詩の最後の方で,面白いことに白鳥は性を jlii換してレダを誘う男性になっている。
C'e
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t L馘a q
u
i s ・ indigne
Sous l
e baiser c
l
u cygne
Et l
e cherche
son tour
Folle d 司 amour:
町)
2
3
「泉」と題された詩はアングレによって描かれた,白鳥とレダの交歓の讃美である。
C'est dans t
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t riant ,
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.
Que L馘a fr駑ira sous l
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r du cygne ,
P稷e d'horreur , serrant l
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t de f
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s que l
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o
n
d
e arrose
Se joue , e
(
2
4
)
Mordant un c
o
l de neige avec sa l钁re rose
「雪の交響曲」と題された臼づくしの美を讃美した詩の冒頭の節ではー湖・蒼ざめた太陽・
樹氷などを背景に官能的白鳥が描かれる。
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a
c
s sont h
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b
i
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駸 par l
a troupe des cygnes ‘
Qui semblent frissonner sous nos s
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s pâlis ,
Et l'ombre de f
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s marl> res
l
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9nes
(
25
)
Dont un gr麝e rayon baise l
e
s pieds p
o
l
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s
次の章で,やはり白づくしの美を讃美したゴーチェの「白色交響曲 J を険討するが,彼
が白の純粋さに圧迫される恐怖を告臼するのに対して,バンヴィルにおいては対照的に,
冷たさも純白さも,ひたすらエロスをかきたてる役を荷負っているのである。このように
パンヴィルは芸術の価値についてもエロスの flllî 値についても,その達成の至福を主題にし
ている。このパンヴィルの特色である楽観主義は
どによって徹底的に否定され
ボオドレエル
ゴーチェ,マラルメな
爾来白鳥神話の不可能性を歌う傾向が逆に伝統になってゆ
く。従ってパンヴィルは「幸福な(:]鳥」を謡歌した最後の詩人であると言えるであろう。
(e)
ゴーチェ
ゴーチェの白鳥も官能の動物であるが,そこにはパンヴィルの大 JJ日さも,ユゴーの無邪
気さも見られな p 。ゴーチェは白鳥のもつ官能美にひかれながら,それを実現する事の不
可能性を嘆いているのである。この意味でゴーチェはマラルメの先駆けをなしていると言
える。
まず「白色交響曲」を引用しよう。これもバンヴイルの「雪の交響曲」と同様,純白の
美を列挙して;賛美するという趣向であるが,その冒頭にあげられているのが,北ヨーロッ
パの白鳥乙女の伝説である。
De l
e
u
rc
o
l blanc courbant l
e
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i
g
n
e
s
.
On v
o
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t dans l
e
s contes du Nord ,
2
4
Sur l
e vieux Rhin , des femmes ・ cygnes
也6)
Nager en chantant pr 色 s du bord:
しかし,この詩の最後に到ると,白さは雪崩に埋もれたスフインクース,星のやどる氷河
の守り人などになぞらえられ,詩人はこの完壁さに,いささかも活気を与えられない自ら
の無能色白の美しさの冷たさを嘆くに到っている。
Oh!q
u
i pourra fondre ce coeur!
Oh'q
u
i pourra mettre un t
o
n rose
ロη
Dans c
e
t
t
e implacable blancheur !
パン・エルデは,
I レスブリ・クレア卜ール」に発表したこの詩の解釈において,ゴー
チェの作品の中には,白色と赤色が興味深い弁証法を形成していると指摘した。側彼によ
るとゴーチェは,大理石に結品するような純白と,若い活力を示す赤の調和を生涯追求し
て居た。バラ色が詩人との理想の色となるのは,このためである。従って「白色交響曲」
は白色をパラ色に変えることの出来なかった,詩人の失敗の告白の詩であると見倣すこと
が出来る。
「ラ・ディヴァ」と題された詩は,詩人がオペラ座で見惚れたものの,声もかけずに別れ
た見知らぬ美女の讃歌であるが,詩人はこの対象を,まるでモデルをながめる画家か彫刻
家のように眺めるだけで,決して官能の「赤」を付・け加える事が出来ない。
J'admirais
part moi l
a gracieuse l
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Du c
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p
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t comme l
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n cygne ,
L'ovale de l
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a forme du front ,
La main pure e
t correcte , avec l
e beau bras rond:
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a France ,
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e compris pourquoi , s
。 9)
Ingres f
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i longtemps ses amours de Florence.
エブスタンはゴーチェにみられる I~l= 美,とそれに対する赤=感性の矛盾対立はそのま
まマラルメか悩んだ不調和と同じものであることに注目した。
。0)
マラルメとゴーチェはい
わば同じミューズに魅入られたとも言うべきであり,このミューズはその純粋さ故に近づ
くことが不可能で、あり,常に「死」がミューズとの結合をさまたげるものとして介入して
くる。ただしゴーチェの場合には,詩作品の中には「死」はあらわれず,むしろ小説の中
に「死」の介入が頻繁に見られる口この美と活気の不調和から,不安・罪悪感・無力感な
どの,青年マラルメに共通したドラマが生ずるのである。このようにゴーチェは初期マラ
2
5
ルメの白鳥をそのまま先駆けていると断言出来る。
敢ななな
以上,
*
5 人の詩人における白鳥神話の位置を観察してきた。我々はあらためて白鳥神話
の多様さに驚かざるを得ない。 ヴィニーにおける船=白鳥の高貴なイマージュ,
ルのノスタルジックで神秘的な白鳥, ユゴーの無垢な白鳥処女,
ての白鳥,
あるいは豊満なエロスとしての白鳥,
ネルヴァ
パンヴィルの殉教者とし
生命力の消失に脅かされるゴーチェの白
鳥など。 ボオドレエルはロマン派によって準備されたこの様々な価値のうちから,
らエロスの面をすべて排し,
ことさ
さらに殉教,流請,高貴といった白鳥の伝統的プラス面を滑
稽に変えてしまった。彼は伝統的救いはあり得ないが,この滑稽の中にこそ現代的な価値
の創造の可能性があるということを有名な「白鳥」の中で示した。反対にマラルメは 5 人
の詩人達によって示されたすべての価値に敏感に反応し,マラルメ一流の斬新な白鳥を所
々に創造していった。しかしマラルメも三つの価値を統合する白鳥を創造したとは言えな
p。
マラルメをもってしでも,
フ。
それ故にこそ,
白鳥によって問われた謎は解けなかったと言うべきであろ
白鳥という象徴は, 依然我々を魅了する事が出来るのである。
注
(
1
) 上村邦子;
“ボオドレエルにおける白鳥神話の位置':
文学会発行・ GALLIA XVlI号,
初期マラルメにおける白鳥神話'\
GALLIAxvm号,
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