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番外編 1. ランボー 『H』解読 2013.10.21 Rev ランボー詩集“Les Illuminations”中の最難関とされる作品ですが、この若き天才中の天才に、無謀にも非才な一介のアマチュア・ ジジーが挑戦してみました。最初に原文と代表的な訳を掲げておきます。 H Toutes les monstruosités violent les gestes atroces d ’Hortense. Sa solitude est la mécanique érotique; sa lassitude , la dynamique amoureuse. Sous la surveillance d’une enfance , elle a été , à des époques nombreuses, l’ardente hygiène de races. Sa porte est ouverte à la misère. Là , la moralité des êtres actuels se décorpore en sa passion ou en son action. ― O terrible frisson des amours novices sur le sol sanglant et par l’hydrogène clarteux ! trouvez Hortense. 「あらゆる非道が、オルタンスの残虐な姿態を発(あば)く。彼女の孤独は色情の機械学、その倦怠は恋愛の力学だ。幼年時代 の監視の下に、幾多の世紀を通じて、彼女は諸々の人種の熱烈な衛生学であった。その扉は悲惨に向って開かれ、そこに、 この世の人間どもの道徳は、彼女の情熱か行動の裡に解体を行う。― 血だらけになった土の上に、清澄な水素による、ま だ穢れを知らぬ、様々な愛の恐ろしい戦慄。オルタンスを捜せ。」(小林秀雄訳) 「ありとあらゆる異形のものが、オルタンスの残忍な振る舞いを犯す。彼女の孤独は性愛の機械仕掛にして、その倦怠は恋愛の 力学なり。子供たちの監視下にあって、彼女は多くの時代における諸民族の熱烈な衛生法であった。彼女の扉は貧者らに開 かれている。そこでは、今の人間たちの道徳は、彼女の情熱ないしは行動のうちに解体される。― おお 血まみれの地面 の、そして輝く水素のなかの、初(うぶ)な愛の恐るべき戦慄よ! オルタンスを探し出せ。」(宇佐美斉訳) どちらも見事な訳で、間然するところがありません。しかし、この詩が何を意味しているのか、何を描写しているのかと、 古今の多くの学者たちが議論してきました。大体、フランス語では絶対発音されることのないアルファベット『H』 (アッシュ)一字をタイトル にし、しかも最後にそれを探し出せと挑発している、いかにも人を食ったランボーの面目躍如たる詩です。宇佐美斉先生の注 釈を敷衍させていただきますと“Hachich” (ハシシュ)、 “Homosexualité” (同性愛)、 “Habitude” (習慣)― タイトル『H』やヴェル レーヌとの同性愛関係、ハシシュの幻覚作用に連想させたものと、“Onanism”(自慰行為)や“Prostituée”(娼婦)― 色情、性 愛、戦慄といった性的な言葉から導かれたイメージ ― の二つの系列の解釈があるようですが、いずれもこの詩全体を統一 的に説明する決定力に欠けています。はたして大天才ランボーがそんな解りやすい謎かけをするでしょうか。 以下、不遜にも、私の、あくまで勝手な解釈を申し上げましょう。 《 結論 》 この詩は王妃マリー・アントワネットのギロチンによる処刑のアレゴリーなのです。― 『H』と同音の“Hache”が斧・鉈を意味し、『H』の 字体そのものが断頭台の形状をあらわしていることはすでに言われています。 また、タイトルの『H』は、以下述べるように、この詩の本文中に何度も姿を変えて現われます。読者は、その“Héroine”(女 主人公)である『H』の変身の多様性を楽しめばいいのです。 《 拙訳 》 全ての残虐な暴徒達が、オーストリアから来たこの古い時代の寄生虫を処刑する。彼女の孤独はエロチックな機械仕掛けであり、その 倦怠は愛慾の動力学である。子供時代の養育のもとで、彼女はハプスブルグ諸王家の超人気者であった。いま、彼女の運命の 扉は災厄に向って開かれている。そこで -断頭台の上で- 彼女の現存在は、彼女の怨嗟と彼女の震えとに分断される。 おお、輝く水素に照らされて、血まみれの地面の上に転がった、このいたいけな女の首の恐るべき戦慄よ ! さあ、テメー 等、オルタンスを見つけてみろ。 《 逐語解 》 Toutes les monstruositée : 「あらゆる非道が」。 ―“monstruositée”の部分に、英語の“monstrous” (monstruos-怪物的な)と“rioters” (ruositée-暴動・暴徒)が隠 されています。ランボーはロンドン時代に、イギリス人相手にフランス語の家庭教師の職を探していたくらいですから、このくらいの英 語のアナグラムは簡単でしょう。 violent les gestes atroces d’Hortense : 「オルタンスの残忍な姿を犯す(辱める)」。 ― Guillotine による残虐な処刑をいっています。私は、この箇所の“Hortense”は英語の“Old times”(古い時代)の アナグラムだろうと思います。井上究一郎先生の“Hor de temps”(時間の外)もこれ以上に見事な解読ですが、あえて英語 をあててみました。理由は前述のとおりです。 ここで主人公をマリー・アントワネットに設定して、深読みをしてみましょう。後で述べるように彼女の故国であるハプスブルグ帝国を “Autriche”に、彼女を他国から来た“guest” (英語で寄生虫の意味-gest からのアナグラム)に擬して英訳すると“All the monstrous rioters violate(excute)the guest from Austria ( Austrian guest ) of old times. ― 「全ての残虐な暴徒が、オーストリアから来た古い時代の寄生虫を犯す(処刑する)」となります。“atroces”(残虐な)は “Autriche”( Austrichienne・オーストリア )、あるいは彼女の長たらしいフルネームの最後についている“d’Autriche”のアナグラム ともみえるからです。さらに後述のように“Autriche”に“A-che”という『H』が巧妙に隠されているのです。 Sa solitude est la mécanique érotique ; : 「彼女の孤独はエロティックな機械仕掛けであり」。 ― 次々に出てくる名詞(代名詞を含めて)が全て女性名詞であることに注目ください。Hortense という名が示すように、 一貫して一人の女性が主人公なのです。この部分は、虚飾に満ちた宮廷内に身を置く王妃の、さらには身体から切り離され る彼女の頭部の孤独をいっているのかもしれません。また、連続する語尾“que”が英語の“Queen”を暗示しているのでは ないでしょうか。 Sa lassitude , la dynamique amoureuse . : 「彼女の倦怠は恋愛の力学だ」。 ― これも女性名詞の連続です。贅沢と王の愛に厭いた王妃の倦怠です。 Sous la surveillance d’une enfance , : 「子供時代の監視のもとで」 ―子供(王女)時代の監督(養育)のもとに。 Elle a été , à des époques nombreuses , : 「彼女は数々の時代の」。 ― ここで“elle”と女性代名詞の主語が登場します。 “à des époques nombreuses”の部分は、普通「数々の時代にお いて」と訳されていますが、深読みをすれば“époques nobiliaires” (noblesses・貴族の時代の)という意味が隠れてい ます。r と l との、欧米人にはありえないアナグラミングといわれるかもしれませんが、ランボーの他の詩にもみられるものです (“metal”と“maître”、 “glaces”と“grasse”等)。また、この詩のなかで、この一文だけが複合過去形になっています。 l’ardente hygiène de races : 「諸民族の熱烈な衛生法(学) ― 不満のはけ口 ― であった」。 ― 二つめの『H』である“hygiène”が登場します。ここでも深読みして“races”を「家系・一門」という意味にとると、 マリー・アントワネットは少女時代にハプスブルグ諸王家のチョー人気アイドル(噂の種―衛生法・はけ口)であったということになります。 寡聞にして恐縮ですが、英語の“Hapsburg”やドイツ語“Habsburger”に相当するフランス語は(少なくとも私の仏和辞典には) なく、“Autriche”という単語しか見当たりません。 前述のとおり、ここに音韻的に“A‐che”(アッシュ)=『H』が実に巧 妙に隠されているのではないでしょうか。超変態な天才ランボーならやりかねないという気がします。まさに恐るべしランボーで す。 Sa porte est ouverte à la misère .: 「彼女の扉は悲惨に向って開かれている」。 ― 彼女の運命の扉は断頭台という“misère”(悲劇・災厄)に向って開かれているということです。アナグラムとしては、俗 語の“saperlotte”― 「チッ、チックショウ」(小梅太夫)を思い浮かべてしまいますが、悪のりしすぎですね。でも彼女にすれ ば、まさにそんな気持ちだったかもしれません。ちなみに、ランボーの幼年時代の作文にも、まさに、このチクショウという言葉が 出てきます。 Là , la moralité des êtres actuels : 「そこで、現在の存在(人間達)の道徳律は」。 ― 表向きには、(フランス)民衆の道徳的感情とでも訳すべきでしょうか。そこでというのは、もちろん断頭台の上でという ことです。もし“Moralité”と大文字で始まっていれば、あきらかに、 “Marie-A(n)toi(n)ette”の名が音韻として隠 されていると断言できるのですが。ランボー、そこまでは手の内を見せてはくれません。ただ、 “la morale”と言わずに“la moralité”という単語を選んでいるのがランボーが我々に残してくれたヒントなのかもしれません。Là ,la と短い同音を連続さ せているのが凄いところです。声に出して読んでいると寒気がするほどです。 se decorpore en sa passion ou son action : 「彼女の情熱と行動に分断される」。 ― “decorpore”という語から、頭が身体から(“de corps”)切り離されるという物理的なイメージが否応なく生じます。 おそらく“decouper”(裁断する)からのランボーによる造語かと思われます。また、“Passion”と大文字で始まれば、イエス・ キリストの受難(十字架による『処刑』)を指します。さらに蛇足をつけ加えれば“sa passion”とは彼女自身の抱いている“haine” (怨念、嫌悪)を意味する、さらなる『H』なのかもしれません。だとすると、この一文は、 「そこで(断頭台の上で)現存 の彼女(マリー・アントワネット)は、彼女の感情・受動性“passion” (“haine”― 怨念)と彼女の動作・能動性“action” (次に述 べる“horreur”― 慄え)という二つの『H』に分断される」というチョー・シュールな一場面を描写していることになります。 O terrible frisson des amours novices sur le sol sanglant et par l’hydrogène Hortense . : 「おお、血まみれの地面の上の、輝く水素の中の、初心な愛の恐るべき戦慄よ!オルタンスを探せ」。 clarteux ! trouvez ― この詩の最高潮点(サビ)です。最後の『H』である“hydrogène”(男性名詞)が登場します。この最終句の“rrr”と “ss”の連続が切断された首と身体の『慄え』を生理的に表現している見事さ。そして、ここに“frisson” (男性名詞)と 同義の“horreur”(戦慄-女性名詞)という、もうひとつの『H』が隠されています。大革命の主人公としてルイ十六世では なく女であるマリー・アントワネットがとりあげられ、さらに“hydrogène”という“Héro” (男性主人公)の登場で最後の幕が下ろさ れるのがミソです。この詩篇全体に顕れたランボーの“misogynie” (女性嫌悪)を読むことも出来るでしょう。なお、 “clarteux” という形容詞はランボーの造語であると云われていますが、彼の生れ育ったアルデンヌ地方の方言だという説もあります。いずれ にせよ、ランボーの偏愛する AR(詩人自身のイニシャル)の二文字が含まれています。さらに、彼が人生の最後に腰を落ち着けたア フリカの地が Harar(ハラル:“H”と“AR”)であったのは、天才に許された最後の偶然なのでしょうか。 最後のひとこと“trouvez Hortense.” 「(さあ、テメーら、)オルタンスを見つけてみろ!」はランボーの読者に対する挑発です。この 自信たっぷりで尊大な態度。ほれぼれします。私見では、 “H”(断頭台)-“Hache”-“A∸che”(“Hapsburg”)-“Hortense” -“Haine”-“Hygiène”-“Horreur”-“Hydrogène”と八つ、あるいは九つの『H』が登場します。探せば、まだまだ 見つかるかもしれません。また、最後の”Hortense” だけを男性名詞にしたところが、ランボーの変態的な天才技です。 以上が、私の独断と偏見にみちた解読です。いかがでしょうか。 『解読』というより、あくまでひとつの「解釈」、 「ランボーの 解らなさ」 (金子光晴)を楽しんだ駄説です。もちろん他説(マスタベーション説やハシシュ説)を排除するわけではありません。多義 性こそがランボーの詩の一番の魅力だからです。 私の学生時代にひとりの女学生がランボー詩集を胸に抱いて屋上から飛び降り自殺しましたが、その最後の瞬間に、彼女もこ の詩に鳴り響く強烈なビートを聴いたのかもしれません。― 血まみれの地面の上で。ランボー懼るべし。 C’est aussi simple qu’une 2013 phrase .2.4 musicale. ― 音楽の一節くらいに単純さ。 A. Rimbaud 一介のランボーフリーク・ジジー @ネッシー 2013