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サヴォワ伯領のCharte de franchises : 1194 ~1343
franchises 木 道 也 -、サヴ ォワ地方が独自 の自立性と統 一性を維持しえたの 4 サ ヴ ォ ワ伯 領 の Charte d e - 1 1 9 4 -) 33 - 鈴 を挟んで西 のフランス王国 では王権 の著し い拡大が、対し 素朴な山の ﹃フ ラ ( )ンス紀行﹄の著者 アーサー ・ヤングが 「 民 の国」と評したサヴ ォワの地が脚光を浴びるのは、サヴ ォ は何故 であろうか。この中世サヴ ォワの形成を考える上 で、 て東 の神聖 ロー マ帝国では諸領邦 の分立と い った相反する ワ公が居所を シャンベリーから アルプ ス東部 のトリノに移 Ⅰ はじめに し'本 格 的 にイ タリ ア支 配 に乗 り だ し た 16世 紀後 半 の sdeSavoie) に対し て ハインリ ッヒ 7 サヴ ォワ ( Thoma 13世紀は 一つの画期となる。伯 による司法 ・行政組織 の整 L .r ・ ) 備が相次 いで行われるととも に、サヴ ォワ家 のト マ=ド - 現象が生じ ていた。 いずれ の動き にも組み込まれることな Chae L sEmmanue lZ e r ) シ ャルル= エマこ ュエル-世 ( 世から正式 に 「 サヴ ォワ伯 (Co mesS ab a亡di e)」 の称号 r 治世 ( ) 580-) 6 3 0 )以降のこと であり、それ以前について の言及はわが国ではほとんど見受けられな い。けれども こ を用いていたのかを考え てみたい。 も っとも今回はその視角を伯とそ の直轄領内 の領民と の 伯がど のような統治を志向し、また実際 にど のような方策 が与えられ ている。そこで本稿ではこの時期を対象とし て' の地は、神聖 ロー マ帝国と フランス王国 の境界 にあ って、 ( 2) フランス語圏 に含まれながらも帝国 の 一諸侯領とし ての地 ( r ・ J 位 に留まり続け'幾度となく盛衰を繰り返し っつ飛躍の16 世紀 への数世紀間勢力を維持し ていた。また内 に目を転じ 近 の研究 の多-が、むしろ諸侯と中小領主層と の関係を重 関係 に限定する。 12-13世紀 の諸侯領構造を取り上げた最 れば このサヴ ォワ地方は'歴史的背景 の異なる複数 の小地 丁 こ 域から構成され ていた ことが知られる。同時期'サヴ ォワ 祝し、 「 レー ン制的紐帯」 に依拠し っつ実 現され る諸侯 の ( 6 ) 統制権 の形成過程 に主眼を置 いている ことは確か である。 ( ) 行政国家とし ての諸侯領形成史と いう研究 の在り方を批判 し て展開され た身分制研究 が趨勢 な 現在 にあ っては、諸 侯 の官僚制 的行 政が展開 され る直轄領 への関心 が低 下し て いる こと は疑 い得な い。 そし て この時領 民と諸侯 と の 関係 は'中小領主 層 に媒介 された形 で限定的 に言 及され るに過ぎな い.しかし 1諸侯領構造 の本格的な検討 に際し て、領内 の有力領主層 の社会的 ・経済的発展を抑制するた め の財源を提供する経済的基盤 にし て、集権的支配 の核と もなる諸侯直轄領 の問題は前提 である。また諸侯領 の 一体 性を象徴す る 「 諸侯 の公的至上性が、封建的上位性とは異 ( 8 ) 質なも の」であるとすれば'我 々は こうした関心からも直 轄領下 の諸侯 =領民関係が果たした意義 に着目す る必要が さてこの諸侯と領民 の具体的な関係をうかがわせる素材と あろう。 し て注目したいのが'伯 の手 により直轄領内 の多数 の集落 に 起草 ・授与されたことが知られるChar t edef ra nchi s e sで ある。 この特許状は当時 のフランス王国、特にその北東部 で広-普及した ことが知られ ており、既 に十分な研究史的 蓄積がある。そ こでまずは この北東 フランスを中心とした 研究 の現況を整理し'同文書を用 いてサヴ ォワ伯領構造 の (I . s c u s q u . a1 6 10) d uC bmi t ede st r a u a u xh i s t o r i q u es et i e T u i f i q u e s .a Tm e e] 9 6 0 . Pa r i s , 1 9 6 1 , i . ) , p p. 3 4 5 -3 6 0 . ( 6)渡辺節夫 F フランス中世政治権力構造の研究﹄東京 大 学出版 会、 一九 九 二年、 一九 二頁 。 ( 7)典型的 には F. Lote tR. Fawt i e r( di r. ) .m st o i T ・ ede si n s t i t u l 前 掲 書 l i onsfr ano a i s e saL Lmqyenage .Pari s. ) 95 7 1 、同頁。 節 夫、 ( 8) 渡辺 特質を理解していくため の 1つの指針を得 る ことにす る. 註 (-) アーサー ・ヤ ング ( 宮 崎 洋 訳 ) Fフラ ン ス紀 行 ﹄法 政 大 学 出 15世 紀 にシ ャル ル 7世 の式部 官 ( l eherautd. armes)を 務 め 版局' 1九 八 三年、 三〇 四 Il 二〇九頁 。 ( 2)住 民 の誰 も が フラ ンス (オイ ル)語を 解 し、 話 し て いた こと は ス タ ンツ公会 議に 参 加した各 「ネ ーシ ョン」 は、言語 の上 で n a t t on FraTW . ePar i s .)993 . p. 403.また 1四 一 四年 の コ た Gi t t esl eBouv i er が 記 し ている。 C. Be au n e一Na tssance ン del a あ る程度 の同質性を 持 つま とま りとさ れ て いた が' フラ ンス の 中 世 フラ ンスにお まれ ていた こと が知 られ て いる。下野義朗 「 ネ ー シ ョンにはプ ロヴ ァン スや ロレ- ヌと とも にサヴ ォ ワも含 社' け る国家 と F 国 民 ﹄に つい て - 西 欧 中 世 国家 史 の研 究 序 説- 」 1九 八七年 '六 二五頁。 世良 晃志郎 編 Fヨー ロ ッパ身 分制 社会 の歴史 と構造 ﹄創 文 説 ﹄創文社 、 l 九七 1年、 二六 一-二六 二頁O (3) - ッタイ ス=リ ーベ リ ッヒ ( 世 良 晃志 郎 訳 ) ﹃ ド イ ツ法 制史 概 e n ce ( 4)L Ci brar i o .守 れ gi ne e tpT ・ Ogre S St del l as t titu Z t Onid e l t a mo n a T ・ C h i ad tSbuoi afE T Wal訂 cost ti u z i o n id e lr e g n oa . , 8 6 9 . p. i) . Z t a l t a , Fl o r ) 頭 設置 )や会 計検査 院 (一三〇 〇年 頃 )が、 ま た各 地 には地 方 ( 5)例えば中央には主要な封臣 を集 め て開 か れ る伯 会 議 (13世 紀初 行 政 の核 と な る バ イ イ が 置かれ て い る (13 世 紀 後 半 ) 。 A. l1 . nc t paux organes de gouve rne me nt de A . Et at Pe rr e tPri s a v o y a r dde 8 9 at 3 2 3 B .L L l l t t nph i l ol o gL qL L e ethi s t o T i qL L e 地域 に集中し ている。 つまり特許状受領集落 の多くは所領 の辺境 に位置し、隣接す る聖俗諸侯 の圧力が文書 の授与前 には常 に確認される。特許状を対立諸侯と共同 で授与す る こと で、そうした係争 の解決を直接 の目的とし ている場合 もある。 次 に領民 の特権 に ついてみると' 確か に領民は様 々 な領主制的賦課を廃止な いし定額化 され ている。また領民 側 に役人選出 の権限を与え、彼ら に政治的機能を委 ね てい る特許状も多 い。しかし他方'領主側が留保し ている権利 最近 では'むしろ この文書 の授与は、領主層特 にこの文書 の文書 であ るとす る理解が従来は 一般的 であ った。しかし す る領民 の意向を反映した、領民側 の利益を保護す るため 特権を広-認め ている ことから、領主 の経済的圧迫 に対抗 慣習法文書」の訳語を充 て 国 では この表現 にしたが って 「 ( 2 ) ている。そし てこの 「 慣習法文書 」に ついては'領民側 の 慣習を両者合意 の下 で成文化 したも の、と いう形式をと っ ( ) て いる こと からCh a rt edec o ut ume sとも呼ばれ'わが 先ず これら の文書は、領主 -領民共同体間 に存在する諸 と ころ で'かかる文書を特 に諸侯 の直轄領支 配と の関連 上'諸侯が安易 にそれを異なる法体系 の下 に変 える ことは ( 5) 出来なか った ことt等が確認され ている。 統的な慣 習法 の尊 重と いう形式を 原則的 にと っている以 て、文書 の具体的な内容は多様 であ ること、また当地 の伝 の対象となる集落 の多様な政治的 ・社会的状況を背景とし 妥協 であ った。 これら に加え て留意す べき点 とし て'授与 し ているのは'政治的集権化を承認させるため の諸侯側 の 済的負担を軽減し'ある程度 の自治的機能を領民側 に賦与 い った対抗勢力 の介入を退け、諸侯が自分 の支配権を安定 ( 4 ) させるため に作成したも のであ った、とされ る。領民 の経 限を明記し ている。 それゆえ この文書 は、修道院や貴族と も多-、た いていの場合授与者 の当該集落 に対す る裁判権 を積極的 に作成し ている諸侯層 の政治的意図をより強く反 ( 3) 映し ていると考えられ ている。具体的 には、まず この特許 で取り上げた研究 は、サヴ ォワ伯領 にお いても いく つか存 Ⅱ 研究 の現況 たも のを問わず、 いずれも諸侯層 にと って権力 の不安定な 状を受領す る集落は都市、農村、あ るいは新た に開発され よ って授与 され たとし て伯 家 の排他 的 な主 導 性 を 指摘す p.ヴ ァイヤ ンは'サヴ ォワ地方 の慣習法文書 は全 て伯 に 目し、そ こから何を導き出し ているか確認した い。まず M. 在し ている。 そ こで次 にこうした研究がど のような点 に着 へburgusV が 存 在 し、 他 方 ほと ん ど の特 許 状中 で週市 a 2 tm) は近接し て、 領主制的な政治 ・軍事施設とし ての( cs 能 が重視 され てき た集落を含 め、全 ての集落 に付随 もし- のような段階的 な 理解 を退 け た。 即ち、従来 そ の経済的機 e も (f or umV(me rcat umV 及び 大 市 (nundi a V に関す る ( 8) であ る。 つまり少 な-と 受領集落 の 規定 が確認された の る。次 いで彼 は アメ -デ 5世 治 世期 (一二八 五 - 一三 二 ≡)を画期とし、 サヴ ォワ伯領 の特許状授与を彼 以前 と以 て彼 は理解 した。 この主張を M.p.ヴ ァイヤ ンも受 け入 ( 9) れ た ことは'彼 の最近 の論文からうかがえる。 性格 に関し ては、政治的 ・経済的機能を併 せ持 つも のとし こうし て受領集落 の性格 に ついては現時点 で共 通 の理解 後 の二 つの段階 に分け て考え る。 そ の際基準とな る のは、 る。 つまり第 一段階 の集落 は主要交易路上 に位置 し、経済 な主導性 に ついては'サヴ ォワ西方ブ レ ス地方 のバジ エ領 イヤ ンが第 一に指摘した特許状授与 に際し ての伯家 の完全 集落 と、② 13世紀後半 から の、敵対す る近隣諸侯と の境 界 ( 7) 上 に位置す る城砦型集落 に区別した。 ただし M. p.ヴ ア ベ ルが シ ャンベ リー の特許状 の前文を 引 用し っつ「 Char t e を反映 させ た文書 と見なし ている。 R. マリオ ッー -レー て'妥協的な側面を含 みながらも全体 とし ては伯側 の意図 スの特許状 と の共 通点を兄 いだす こと で、それを根拠 とし 特 許 状 受領 集 落 が伯 領 内 で占 め る社 会 的 性 格 の違 い であ 的観点 から授与 の対象 とされ た のに対し、第 二段階 では、 を得 た。 ここであらため て問題とな る のが、特許状 の意義 の点 に ついて諸研究者は 1致 し て当該文書 に関す る フラ ン を ど のよう に理解し ているか、と いう点 であ る。し かし こ 戟略的 ・政治的 な見地 から特許状を授与す る集落 が選択 さ ( 6) れ た のだと言う。 この見解を ひき ついでchEdペ ラ ンも、 サ ヴ ォワ伯領 の特許状受領集落を① 13世紀前半ま での市場型 主 によ る特許状授与 の事例を挙げ て'伯家 の中心的な役割 def ranchi s esは全体 と し て領 民 の ス学界 の 一般的な見解を支持し ている。彼 らは北東 フラ ン を 認めながらも、決し てそれ は排他的なも のではなか った " t i e b ra ts" と授与領 っ j us t i c i a" を 認め、確定す るも のであ た. 」と結 ( 川) 論 し、 ま たM.p.ヴ ァイヤ ンが 「 ( 特 許状 の授与 によ っ " 主の て)住民共同体の解放と平行し て領域 諸侯 の権力 が発展せ これら に対 し てR. マリオ ット =レーベ ルは'特許状 の と指摘し ている。 条文あ るいはそ の他 の史料 に現れ る用語 の検討 から'上 記 断 っておき た い。 ( 5)その結果ひとつの諸 侯領内に複数の系統の慣習法文書が混在す ることになる。 拙稿「 中世盛期フランス王国の慣習法文書」茜 洋史研究﹄新輯 2 2号、 1九九三年、 一〇九頁9なおこの点につ 参照。 いては後述14頁 ( 6)P・ Vai) t ant .Lapol t t i q u ed. a i f r a n c h i s s e me n Ld e sc o mt e s de幹u o t e ( 7 ] 9 5⊥4 0 ] ) , B k L L de shi s t o T i quesdl ame T n o i T ・ ee k No e l Di d i e r ・ 1 9 6 0 ・pp ・1 3 5 323・ ( 以下P・ Vai1 1 a n t , Iapo l t t t qu e c . mt ed eNam ur( c o n f 6 r e nceaUni v e r s i t edeKy u s y u. 思いつきよりも調査と図表を _ ナ, , , エー 1 9 8 2 ) ( 斉藤網子訳 「 ル伯領における慣習法特許状- 」森本芳樹監修 F 歴史 学 の伝 統と革新 - ベルギー中世史学による寄与 - ﹄ 九州大学出版会、 一九八四年、 一二三-一五二頁。 ) Ge ni c o t VRece n S e me n t Se tt a b 1 e a u Xe-Calt epl ut 6 tq u e L・ . X e mp t ed e sc h a r t e sd ef r a nc hi s e sd a m st e d e si d e e S ・ Le 斉藤網子 茜 欧中世慣習法文書の研究﹄九州大学出版会、 1九 九二年、四-九頁。 山田雅彦 「 北フランス中世盛期の都市 =農村関係に関する研究 - 一九六〇年以降のフランス学界 I L T 史学雑誌﹄95編1号、 一九八六年、八二頁。 R・ Fo s s i e r ,ChaT t edec o u t u mee nnc aT d ・i e竃 。 I XT Z Z e s i e c l e ) . Pari s ﹀ 1 9 7 4 . p p. 8 -9. ( ‖) しめ られ た .」と述 べる時、我 々は近年 の 1般的 理解 と の 著 し い類似を みる ことが出来 る。そ のため サヴ ォワ伯領 の 特許状 が持 つ独自性 と い ったも のを積極的 に展開す るには いた っていな い。しかし最終的 に フラ ン ス王国 に吸収され てい った北東 フラ ンスの諸 々 の諸侯領と比 べサヴ ォワ伯領 は法的 ・社会的基盤 や地 理的条件を異 にし、政 治的帰結も 異な っていた ことは先 に述 べた通り であ る。 この遵 いがサ ヴ ォワ伯領 で普 及し た特許状 に直接起因す るも のではな い とし ても'例えば文書 の形式 ・内容上 の相違'さら に授与 前後 の政治 ・社 会状況 の相違か ら、サヴ オワ地方 の自立性 と統 一性 の確立 に何らか の形 で寄与した特許状 の特質と い ぅも のを指摘す る ことが出来 る のではな いだろうか。 こうした ことを念頭 にお いて、以下 サヴ ォワ伯領 の特許 状を' フラ ンス王国内 ( 特 に北東 フラ ンス) のそれと比較 しながら検討し た い。 そうす る こと でサヴ ォワ伯領 におけ る この特許状 の特質 とそ の意義を 明らか にし、伯領 の統 治 の特許状 の性格 が 一定程度以上 の独自性を有す る ことが明 構 造解 明 のため の 一助とした い。加え て、そ の過程 で当地 ed ef ra nchi ses\ Chartede ら か になれ ば、当 然 Chart o ut umes研究 全体 の中でそ の位置づけを考え る ことも c 必要と され よう。 それ ゆえ本 稿 は' 「 慣 習法文書 」 の地域 類 型 的 な 把握 のため の予備的 な 考察 でも あ る ことを 予 め d . a L f r a T W h t s s e me n t .と 略 記 。)HP.Vai)tant.Les franchises d e s c o mm u n a u t 6 s savoyar des non em ancipees par IeS , . rin an t es 。 o mt e sd eS a v oie (i)95- 140)) .Bu l l e t i nph i l o l o gi q u ee t c h i s t o r i qu e( J . u S qu'd]6)0 ) d u( けmi t ed e st r au a u xh i s t o T i l tS C i e n t t f E q L L e S. a nna e1 9 6 0P .a ris . 1 9 6 ) , I . rp p3 . 9 3 q u e se 4 0 0 .( 以下P Vai)ta n tL .e sfranchis e s . と略記 ) ( 7)Ch. Ed. Per . Leら ch r a l e s de franchises de La France. E tat des rec h e rches: )e Dauphinee t la Savoie .Revue hs i l onque .)964.t13 2 .pp15L-54. ( 8) R. M ar o it t e -Laber, Ville et seigneuTie.L es charles de fr anc hi s e sde s comtes de Sbt)Die.fEn X TZe siecle- 134. 3 An necy )973 .pp.9- 13 etpp.10] 5 9 6. ( 9) P.Vai lt ﹀La p o l i t iqued dau p h in S et c o mt es de Savo i eq u a n t a tad i f f u s ion desc h artes de fr a n c hises . Lac h a l t e deBeauTnOntet les fr a n chises m unictpa leS e n t r eLo i T ・ ee tRhi n . Nancy. ) 9 8 8, p p. 2 4 5-2 4 6.(以下 P. tn t , Lap o tt i i q u e . と略記. ) Vaila (10) R. Ma r i o t te-La ber . op.cit . .p.93. (;)P. V ai l a ln t . Lap o t i t i q u e . , p.24 8. Ⅲ 普及状況概観 たち の間 で行われた帝国 の分割 に際し ロタ ー ( )ルの国 に含ま れた " Sabadi a"と いう地域 に由来を持 つ. これは中世サ ヴ ォワ伯領 の 一部 にすぎず'そ の後 この地域 はブ ルグ ンド 王国 の 一角を構成し ていた。しかし王国 の衰退ととも に家 臣層 に自立化傾向が現れ始め、 11世紀初め 「 白 い手 」 のア ンベ ール( Humbe r ta ubt a nchesmai ns )は このサヴ ォ Be t L e y)とアオスト ( Aost e)を加えた三地 ワにブ リ- ( 域を勢力下に置 いた. 1〇三二年 にブ ルグ ンド国王ルド ル 2 73世が死去すると、 アンベールは王冠を狙う コンラ ッド 二 1 ) 世を援助し'ブルグ ンド王国の崩壊 に手 を貸す こと になる。 r 院 の地とモーリ エンヌの伯位を授かり'また帝国 修道 サ ン 神聖 ロー マ皇帝とな った彼から モーリ エンヌ ( Mu a i e nne ) = モーリ ス=ダ ルゴ ンヌ ( St . Ma ur i c ed. Argonne )香 含むシ ャプ レー ( Chabt aiS )地方も得た。 さら に娘 オ ー ダ ンを ト リ ノ侯アデ レード と結 婚 さ せ てク ラ ンテ Iズ ( T ar ena ti s e )伯領 をも獲得す る に及 ん で'本 稿 が対 象 ( E, ; ) とする3 1世紀 のサヴ ォワ伯領 の中 核地 域 が出来 上 が る。 も っとも これら の所領が 「 サヴ ォワ伯領 」と いう名 で総称 される のは 13世紀中頃 か モーリ エンヌ ( 4 )ら であり'当時は 「 伯領」と呼ばれ ていた。 de 大を 巡 って争 っている事 例 は数知 れな い。例 えば 西 では 前述した通り、サヴ ォワ地方 は伯 の主導下 に結び合わさ C ha r t e 普 さ て' このア ンベールから1世 紀 を経 たト マ-ド =サ 地 に広- ドー プィネ公と、また北 ではジ ュネ -ヴ伯や ローザ ンヌ司 れた幾 つか の地域から構成され ている。もともとサヴ ォワ 下 で伯家から この文書を受領した現状 で確認され る全集落 教と、北東 では ハブ スブ ルグ家と の争 いが確認され る。特 ヴ ォ ワ治 世 の末 年、都 市 アオ スト にサヴ ォ ワ地 方 初 の であ る。授与は授与数 の多寡 に応じ て便宜的 に4期 に分け 許状 の授与 は伯領全体 に及 ん でいるが、特 に伯 領北部 の oi e)と いう名 は' シ ャルル マI ニ ュの死後 そ の孫 ( Sav A ︰系図 る ことが出来 る。第 1期はト マ-ド =サヴ ォワ ( ヴ オー地域 対抗す る諸侯層と境を接す る周辺地域 にも授与が積極的 に aud)(6 1/ 7 1/ 9 3/4 7/ 50)やブ レ ス地方 ( V いはド - フ ィネ 地方と境を接する西 のヴ ィ これが第3期 である。 この間伯が周辺 の諸侯と支配圏 の拡 並び に表 Iで用いた伯家構成員 の整 理記号、以下同様) に fa rn c Fi s e sが授与され て以降'特許状は この し てい- ことになる。衰 Ⅰは、サヴ ォワ伯領 ょ って初め てこの地 に特許状が授与された 12世紀末から ほ エンヌ地方 ( Vi e nne ) ( 2 1/2 4/ 27/ 3)と い ったよう に' ( 22/5 2) 、あ る 号、以下同様)や シャンベリー (4)と い った、 アルプ ス 及 世紀初めが それ に当 たる。 アオ スト T ︰表 -中 の整 理番 によ って隔 てられた伯領 の東西の拠点や、伯領北部開発 の 彼 の登位直前 の 二 一 八二年 に起きた 「 シチリ アの晩蒔」事 の授与数は突出し ている。 この間 の事情を考えてみると、 し ての役割を担 ってい-集落 に対し て授与 され ている。次 件が影響し ているよう に思われる。有名な この事件 は シチ 見られるよう にな っている。しかし中 でも アメ-デ 5世期 に第 2期は伯 アメ-デ 4世 ( B)と伯ボ ニファス ( C) の 拠点とし てのヴ ィルヌーヴ ( 2)など、後 に伯領 の中核と 時期、即ち 13世紀の前半がそれに当たる。 この段階は全体 シチリ ア王位をもたらす こと にな った。が'実 はサヴ オワ リ アにおけ るアンジ ュI家 の勢力を退け、 アラゴ ン王家 に の地もまた同じ アンジ ュー家と アラゴ ン家 の脅威 にさらさ とし て特許状 の授与が不活発 であ った。それは この時期皇 帝 フ-1ドリ ッヒ2世と教皇と の抗争がイタリ アを舞台 に れ ていた。 アンジ ュー家は、名目上 の存在と化し ていた ア い に疲 弊 し てサヴ ォワ に侵 入 す る余 力 を 失 ってし ま っ の過程 でアンジ ュー の強勢 は衰え'更 にアラゴ ンも この戦 ネ伯やジ ュネ-ヴ 伯 ︼ F ・ = Eと協力し てサヴ ォワ伯領 の分割を意図 シチリ アの晩蒔」 し ていた のであ る。しかし幸 いにし て 「 ルル王国 の再興を この地 に求め、ま た アラゴ ン家はド フィ 展開され ており'皇帝側 に立 ってこの抗争 に加わ っていた 伯が、所 領 ( 5 )経営 への余裕を失 っていたと いう事情 によると 思われ る。 1連 の抗争が 一段落した13世紀 の後半からH世紀 にかけ ピ エール2世 ( E) 、 フィリ ップ ( F)そし てアメ-デ 5 世 ( H)の治世にお いて特許状 の授与は最盛期を迎える。 た こともあ って、結局サヴ ォワの地 に災 いがもたらされるこ 終始安定し てサヴ ォワ伯家 の (j us t i c i aV に服し ていたも を例 にとれば、 この地方 で特許状を受領した集落 のうち、 のは 1つと し てな い. レ ・ク レ ( Le s CL 6es)(29) や とは避けられた。中世的帝国理念 の崩壊をもたらしたとされ るこの 一連 の出来事 の後'サヴ ォワの地ではアメ-デ 5世 の もと特許状授与数 の急増が確認されるのである。最後の第4 半 になる。第 3期に比 べ新し い特許状を受領す る集落が減 ラ ・ト ゥ-ル ・ド ・ベ ル ( LaTourdeP主 e Z ) ( 8 2 )は、 いの負債 の とし てそれぞれジ ュネ-ヴ伯や- ユー領主 ( -) ges ) (1 4)や から獲得した集落 であ ったし、 モルグ ( Mor )32)は'幾度か の衝突 の後、 最 終 的 に未払 - ユー ( Re u( 担保 少す るととも に' これま での授与 に対す る確認文書 の数が 特許状授与 に遡る数十年前から 当地 で通行 税 徴 収権や漁業 期は エド アール ( L)と エイモン ( M)の治世'14世紀 の前 急増し ている ことから ( 表 Iの 「 授与者/確認者」 の項参 権を行使し ていた複数 の領主から、 そうした諸権利を買 い こうし て13世紀、特 にその後半を中心 に中核地帯から周 照) '既 に文書授与 の盛期は過ぎ ている ことが分かる。 ( ( 60)も、購入 によ って獲 z エル ン ( a r n e)( 7)は'既 に十世紀末 に集落 の存在 辺地域 へ、また次第 に密度を濃くしながら特許状は普及し 上げ る こと で着 々と支 配権 を集中 し て い ったも のであ っ ( 8 ) た. ヴ ォ1- ユ ( Vaut r u ) 5) や ロモ ン ( Rom ont) ( 9) れた集落 であ る。 ま た ペ イ てい った。そし てこの普及 の在り方は'諸侯領 の全体的政 が確認さ さ 治状況 に対応し ている。伯が自己 の所領政策 に専心する余 得 裕 のある時、特許状もまた多く授与され ている。北東 フラ 伯が実質的 な支 配を行 っており'特 許状 も授与 し ていた Py e れ、当地の修道院 に対するアヴ エ権下 でサヴ ォワ ンスの場合と同様、特許状は伯 の主導下 で普及し ていると 権を安定的 に確定し ている場合 ( 記号 のアや エ)が多 いの から第 3期前半ま では既 に文書授与以前 に伯が集落 の支配 一方、表Iの 「 授 -集」 の項 に見られるよう に'第1期 ル( Gr and co u r )(17)や ロル (RotLe)(62) にいた っては、 年 に伯 エイモンが 一二四〇年 の特許状 に対す る確認文書を ( 川) 授与し て以降、安定を取り戻し ている。さら にグ ラ ンクー 次 いで ハインリ ッヒ七世 の侵略を受け、ようや- 一三三六 (1二四〇年) のであ るが'そ の後ド イ ツ王 ルド ル フの' に対し、第 3期 の途中からは不確定要素 ( イ ・オ)が増加 在地領主から支配権を完全 に獲得す る こと に失敗し、特許 いえる。 し ている。 これは政治状況 の不安定な周辺地域 へと授与 の 状授与 に際し ても それぞれ エスタヴ ィ エ領主と モン領主を ( 5)E・ Cox , ・ TheBbgl e so fSbu o y. Princ e t on, 1 9 7 4. pp. 3 2 0 1 325 . ( 6)i bt dI . P p. 433-4 4 0. ( 4)C ・ W・ Pr e v i t e-Ort o n. o pI C i t . . p . 3 0 . f ranc hi s eSdeSav oi e, Reuues auoi si enne, -・ 7 8 , ) 937 , pp. 1 33) 3 5. et t i , Et 6 ment s d. un t abl eau chrono l ogique des ( 3)L Fall 対象が拡大された こと に対応し ている。例えばヴ ォ-地方 ( ‖ ) 共同領主とし ている。しかし いずれ にし ても' つまり金銭 ( ほ) の支払 いによる中小領主層から の買 い上げ にせよ軍事行動 の勝利 にせよ'特許状 の授与 に先行す る形 で支配権 の獲得 が行われ ている点 に注意す べき であろう。 この点 に ついて北東 フランスはどう であ ったか。北東 フ (]] 44IL 3 5 0) , Lausanne.)952. p.56. ; R. Mar i ot t e -L o n, Lesui l l esde fr anchi sesauPa ysde ( 7)J・Bugni V aL L d O be r. ラ ンスの特許状は、常 に在地支配権 の不安定な時期及び地 収 入源を確 保 し てお-必要があ った。後述 19 -0頁 参嘱 。 2 易に理 解される。 それを 埋 め合 わ せ るため にも伯 に は安 定的 な F ri bour g, ) 9 21 ・ p・ 60 ・ )それだけ では見 合わなかった ことが容 h sei gneuT ie e t du bai l l i age de Chat e 15bi nLDe nts. e リーブ ルを支払 っている のを見れば ( P. Phi t i pona. ms t oi r ed =ド ニ( S a )の場合、 この集落 の支 配権を購入す る のに伯が 三八 〇 民から五〇リープ ルを受 け取 った ことが知 られ る シ ャテル-サ ン られたと いう こと はあ ろう。しかし例 えば、特許状授 与 に際し住 居住す る住民 に関す る諸権 限を中小領主 から買 い上げ る のに用 い から支払われた納入金が、今度 は伯によ って、集落並び にそ こに を必要とし ている。確か に フラ ンシーズを獲 得す るため に住民側 ( ほ) この結果'サヴ ォワ伯領 の場合直轄地 の獲得 に極 め て多く の金銭 7 ( )i bi dlP・ 5 2・ ; R. Mariot t 7 L6ber.o pc i t I. pPI t51 ⊥5 3. ( 1 1 )J.Bugnion.op.cit︰p.5 . c i t ( 8)J・ Bugni on・ o p・ c i t lP 3 ・ 12 -p・ 5 5・,・R・ Mari ot e-16be r,o p. lPp・ 1 4 5 -4 4 6e tpp ) . 3 5 137. ( 9)J・ Bugni on. o p. c i t . . p. 3 2e tp. 56. o p. c i t "pp. 440⊥ 4). 域 に授与され'それが 一諸侯 によ って排他的 に行われるに せよ、 複数 の者 によ って協同的 ・妥協的 になされ るにせよ、 支配権 の確定と平行し、まさ にそうした役割を担うも のと し て現れ ていたと いえる。北東 フランスの特許状が領主制 の枠内 で説明される時'特許状が果たした この役割は特許 状 の内容ととも に重要な論拠とな っていた。 こうした こと からすれば、サヴ ォワ伯領 の特許状は単 に支配権 の安定 に とどまらな い'より高度な機能を果たす ことを期待され て いた のではな いかtと いう推測を抱- ことが出来 る。 では その内容は いかなるも のであ った のか、次 にこの点 に つい て見 てみよう。 註 (-)L. Ci b r a r io.op.ci . t p . . 5 . t O n ・ T h e ( 2)C・ W・ Pr e vite-01 e a r l y hi s t oT 3 JO ft h eh ouse of 幹u o y・ 1 0 0 0I1 233, Camb r i dg e. ) 9 1 2. pp. 1 6 -2 1. l l [ 凡例曲 びにP B ' = F 三 ] m t mrc 。 I dC !e e r 1 = 1- 甲 川に 日比ー I エ ILj M ylに . 21. ?√ rr エ オ オ u : 1日 日.I e e I T ee . . . . -, , lt ドt L_ ・A . ?オオエオ イ ア イ ア アアオオイイイ イ ウ 8Aymon( M) ( 1 3 2 9-4 3 ) オアイア (1 3 2 3-2 9 ) ウオ 7Edouar d( L . ) イ オアイ オアアアイ - )内は伯在位別間 ウウイ 数字は当該期における白就任順位 m v d u Th oma sI H( C) V b b bb b V 1 T T . I l1 1 1 T ,,に ,! Cb mb vnb mb ,,b ㌻ r Oo 3Boni r ac e( C) ( 1 2 5 3-6 3 ) , bbY L i onl f a c c H 1 2 8 8 1 ノM 1 2 9 2/1 3 2 312 9/L 3 29-L l 3 H/ , ▲ cv , , ,Se . bb v∩ b ,こ こ 5 6 at r l C e q L L nl r c dl- t ( RoideSi c i l l ) 4r ' 1 C r r ・ eT l ( E) 5Phl l i pp c ( F) ( 1 2 6 3-6 8) ( 1 2 6 8-8 5 ) l l H/ L u l t H 払 > sj仇監 加計 艶 臥訊 臥艶 監 取 払 > sa計 BcatrlCC 1 2 8 5-1 3 2 3 1 2 8 6/1 3 2 7 1 2 88 1 2 88 1 2 8 8 F/H/I . /M 取 (11 89 -1 2 3 3 ) 1 2 8 5-1 3 2 3/2 4 l l / K I l /l JM H/ l J K 化州 化化 化化 HHU HtlHHHKHHKH ll KLLLLLM KLKMMM IThomas I ( A) T l. J HJ l /t T / t JM I 0 0. 月 「 2 2 3 3 42 5 9 9 1 2 ・ ・1 8 22 // // ・ - ・ I / ○サヴォワ家系図 . L ・ ' /L I √ / H/ L/ M !C. ㌣ 霊 , 1 2 7 3/1 3 2 6 1 2 7 4/8 5.1 3 01; 2 3/2 3/2 9-4 3 1 2 7 5 1 2 7 6 . L 2 8 ( 1/91/1 32 3/31 3 A 。 Ⅵ ㌢ Ⅵ 乱 打 2. 訂 仇艶 u E/ F/H t l/ 1 2 6 5/7 9/8 5/1 3 2 6/3 0 E/F/ H/ K 1 2 68/1 2 8 5/8 5/1 3 2 8;41E/ド/ 氏/ F/I 1 2 6 8/1 2 6 8-8 5/9 3 Fnl / L 1 2 68/L 3 01/2 L l ド 1 2 6 8-8 5 G ) 2 7 0 F/ M 1 2 7)/1 3 3 0 F 1 2 73 ″監 〔 典拠〕 Aost e. 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Sav oi e Br. : Bresse Va∴ Vaud Bu∴B ugey Vi ∴ Vi enne Ch・ : Chabl ai s seV: sei gneuri edeVaud etGencv oi sⅠ3. ・ J )uchedcBourgobne No∴ Noval ai se O鵠落形態 V :vi l l a vb:V川aburgrm vn:vi l l anova cv:casL rum etvi l l a c :cast rum co:communi t as (Ⅰcast rum si vcvi l l E L) cbv:Cast rum etburgum aL quevi l l a I 4 :ci vi t ascum suburbi i s Ⅰ 5 :homi nesde‥ 1 21 5 1 2 3 2/8 5 1 2 3 3/1 3 31 l L 2 3 9/9 0/1 3 2 4 1 2 4 0/1 3 3 6 I 2 . 1 6 1 2 5 0/51/9 0/1 3 2 9/31 1 2 5 n/7 8日 3 3 6 1 2 51/1 3 3 6 1 2 5 7/9 5/1 3 2 5 「. . _. . I ○地域 1 21 4/5 2/8 7 ● エイアアエア エエウエ ア ア アア エエイアイウ ア ア が共同授与者 授1 j ・ 省/確認省 1 1 舗/1 2 5 3/7 1 / / 9 6日3 2 6/3 3 >1・ 8>,V,1>> Ⅰ 2 :LcPa p eI n n o c e n tl V, Gu y( , s c l g n C u rd e1 3 a g c ) 授与. / L f ・ /確認年 ○授 一集 ( 授与者と受領塊落との関係) ア :既にサヴァワ家の直惜下にある場合 イ :授与の直前に他領主か ら当地の支配牌を購 入 している場合 ●一世俗領主か ら ▲一致会領主か ら り :授 与 ・ 以前に、婚姻関係の成立によ ってサ ヴォワ家の支配下に入 った集落 エ :授与帖においても他の共同領主が存在している場合 オ :授与以前に闘争の結果轡 等された袋落 ○授与形式 ・当該文芸 削ま集落に何 を与え るものであるの か、について特許状前文中の表現いか ら抽出 ・文書表現は特許状によって多様であるが、用られ のように賂捜した。 ている主変語から以 F h' .:】 i bert as(L: Lugdoni -Lyon) N 。禦 chchA 。帆 ″ ″・ Ⅵ ○授与者/碓認省 ◎記号 ^∼ I iは系図内のものに従 う. Ⅰ 1. ・1 28 3年の碓認状は Rodo] phel が授与 ( 10 表 1 :サ ヴ ォワ伯 家 に よる Charte de franehi sesの授 与 〔1196-134り Ⅳ 形式 及び内容 の独自性 (-) 「 系列」に ついて 以下 では特許状 の具体的な内容を検討す るが'そ の前 に 1三二四年以降 の 1連 の改訂過程を通じ て全 てサ ン=モー ( 2) リ ス系列 に含まれ るよう にな った'と見倣 され る。またサ ン-ジ ュニ系列は'条項 の配列 にお いて多少 の相違はあ る ( 3) も のの、 シャンベリI系列と の共通性が高 い. そこでこの 頬され ることを確認し てお-必要がある。それぞれ の系列 とめられた 7系列 の普及範囲は、 一三二九年 に確定 され る まず系列とはど のよう に確定されたも のか、 R.マリオ ッ 特許状 の内容を検討す る こと で'我 々はサヴ ォワ伯領 の特 サヴ ォワ伯領 の7 つの上級裁判管区 (-バヤージ ュ) の区 ( ) 分とほぼ 一致している。そし てこれらの系列を代表す る 7 と ころが、 この系列 に関し ては つぎ の二 つの点 で注意が ト=レーベ ルにしたが って見 てみよう。彼は個々の特許状 容を持 つ条文 の配列順序と記載様式 に著し い類似関係が見 必要 であ る。 ひと つは、北東 フラ ンス地方 の特許状 の伝播 許状 の全体像をうかが い知 る ことが出来 る であ ろう。 られ る場合、両者が同じ系列 に含まれると判断し'それぞ れと の相連 であり、もうひとつ はサヴ ォワ伯領 の系列間 に がもたらす 「 系列 ( e Sfi i ati on s)」とサヴ ォワ伯領 のそ れ の系列 の中 で年代的 に最も古 い時期 に起草 ・授与された ( ) 特許状 の名を それぞれ の系列名とした。 この結果サヴ ォワ 見られ る性格 の違 いである。第 1の点 に ついて。わが国 で も良-知られる 「ロリ スの法」や 「 ボ ーモン-タ ン=ナル ゴ ンヌ の法 」( 以下 「 ボ ー モ ンの法 」と略) は、 そ れぞれ R.マリオ ット =レーベ ルらが指摘す るサヴ ォワ伯領下 の 法」や 「 ボ ーモンの法」を頂点とし て形成 され る系列は' が母法とな ってそ の後北東 フラ ンス地方 の多数 の集落 に伝 B 播した ことが知られ ている。しかし この場合' 「ロリ スの 地 図: サ ヴォワ伯領のChar t ede f ranc hi s i s の普 及 ※番号は、表 1 に対応。 ( 30 ︰St ・ Ma uri e c) 。 このうちエヴィアン系列 の特許状は' ヴ ォワザン (3 :Po ntdeBeauvoi si n )、サ ン=モーリ ス S Chi l t on) 、シ ャンベ リー ( < :Ch a mb6ry)、ブ ール( O': o urg)、エヴ ィアン (1 :Evian)'サ ン-ジ ユニ( 2 0︰ t ・ Ge ni x)、モード ン(16 ︰M oudon)'ボ ン-ド = ビュ ー A os t e) 、ヴ ィルヌーヴ =ド =シ ロン ( c q.・Vi L l e ne u vede 伯 領 では次 の9 つの系 列 が確 認 され た。 アオ スト T ︰ の条項 に番号を付し'次 いで複数 の特許状間 で'同 一の内 及した特許状 の全体像を つかむ ことが出来 ると思われる。 2系列を それぞれサン=モーリ スと シ ャンベリIの系列 に 含めると'系列は全体 で7つにまとめられる。 こうし てま 図1 : サ ヴォワ伯領 におけるChar t e de f r anc hi s e sの系列 を代表す る特許状をとりあげ る ことで、サヴ ォワ伯領 に普 ami ues ) 」 に分 伯 領内 の特 許状 が幾 つか の 「 系列 ( esf 1 2 1 3 「 系列 ( e ) sf a mi l l e s )」とは以下三点 が異な っているo ど の系 列 に属し ているか否 かと い った判断 は、 個 々 の特 ①系 列 の判断基準 ︰「 ロリ スの法」や 「ボ ーモンの法」な 許状 の前文 に、 それぞれ 「ロリ スの諸慣習を 認め る」な に従 って確定 された北東 フラ ンスの系列内 では特許状 の内 いし は 「 ボ ー モ ンの諸慣 習を 認め る」旨 の記載 が確 認さ ( ・ L ' ) れ るか否か、 に依 っている。②同系列特許状間 の内容 ‖① 容 に必ずしも著し い共通性はなく'特許状を授与す る領主 下 のグ ラ ンクール、モン -ル -ビ ュー、ロマン、 モルジ ュ、 ( 9) レ=クレの特許状 には具体的な条文が存在し ていな い。ま た 釘 モード ン系列 の特許状 は、サヴ ォワ伯ばかり ではな- ォ 指摘され る こと のなか った この二点 は、サヴ ォワ伯領 の特 ヴ -地方 の数多- の有力領主 の手 によ って起草 ・授与さ ( 10) れたことが'ブ ニョンの研究 で確認され ている。 これま で 許状 の独自性とそ の背景を考える上 で看過す る ことは でき ( ‖) な い。 (2 )C h a r t e def r a n c h i s e sの内容 ①領民の特権 ・義務 複数 の諸侯領 にまたがるも のもあるなどt ど まる ことな-' T Z n かなり広 い。 ︰ 東 フラ ンスの系列 の普及範囲は特定 の諸侯領内 にと 囲 北 ると表 2 (a) のよう になる。 ここからは、刑法関係 の規 般的な形式を条項順 に示したもので'それを内容別 に分け が獲得した特権と依然とし て課され ていた賦課 の内容を明 側 の、あるいは集落側 の社会的状況 に従 って内容が大き異な る場合も確認され る。さら に、特許状前文 にお いて特 いて、先ずは領民側 の視点から、特許状 の受領 により領民 次 に第 2の点、サヴ ォワ伯領 の系列間 での性格 の相違 に す る規定と並ん で商 業関係 の規定が多-含まれ ている こと 定 に多くの条項を割 いている こと、また領主制的賦課 に関 さて、あらため て各系列を代表す る7特許状 の内容 に つ 定 の系列 に属す ことが確認される のみ で'具体的な内容部 ( 6 ) 分 を全く伴 わな いも のも存在 し て いる。③ 系 列 の普 及範 系列」に見 ついて。 これは上 で指摘した北東 フラ ンスの 「 が分かるが'本項 では領主制的諸賦課 に関す る部分と民事 確 にす るO表 2は' シャンベリI系列を例 に、特許状 の 1 られる上記①∼③ の特徴が、実はサヴ ォワ伯領内 の特定 の 系列 に ついて確認される ことを意味し ている。即ち 7系列 関係規定を取り上げ る。表 3は、そ の具体的な内容 に つい 〔 前文〕 〔 本文〕 条項 1 :住民 による遺言作成の承認 2:遺言のない場合の遺産 の分配 3 :住民 による軍役奉仕の期間 とその範囲 4 :干 し草運搬賦役の免除 5 :領主の信用買いの承認とその支払い猶予期間 6:領主の役人の宿泊権 とその内容 について 7:領主 の宿泊権 とその内容 について 8 :領主 に支払われ るクーユの定額化 9 :住民への市場開設権の承認 1 0:自領主の許可のない、当該集落への居住の禁止 1 1:移住後一年と一日を経た者の住民としての認可 1 2:家屋売買の収入に対する一定額の税の支払い 1 3:領主保有の不動産移動に関する税の支払い 1 4:不動産売買の収入に対する一定額の税の支払い 1 5:家屋の間口に比例 してかけられる税の支払い 1 6:1 5条で規定 された税の税額 1 7:パ ン焼 き冠並びに水車の領主所有 について 1 8:領主所有のパ ン焼 き竜 ・水車の使用義務 / / 1 9: 20:市場で騒乱を起 こ した者の罰金について 21:入市税 の未払 い者への罰金について 2 2:暴力行為に対す る罰金 (奉を用いた場合) / ′ (平手 〝 ) ・ ′ (足 ′ ′ ) ′ ′ ( 短剣 ・剣 ′′ ) 〝 ( 槍 ′ ′ ) ( 石 ( 石を投 げた場合) ′ / 暴力行為が流血 に及んだ場合の罰金 暴力行為に対す る罰金 ( 杖を用いた場合) 住居に不法に侵入 した者への罰金 他人の髪の毛を引いた者への罰金 悪 口を言 った者への暴力行為 ( 拳など)に 対す る罰金免除 正当防衛としての暴力行為に対する罰金免除 誤った量のワインや塩を売った者に対する罰金 不正 な秤や升を用 いた者に対す る罰金 再犯者を伯の裁判下 に置 くことについて 控訴の場合の控訴料の支払 いについて 被控訴人側の保証人の提出について 根拠のない控訴の場合の罰金 訴えのない暴力行為の処理 について 犯罪行為 の立証の為の証人の提出について 自宅内での暴行 ・殴打の罰金 窃盗 ・謀反 ・殺人の罪を犯 した者を伯の裁 判下 に置 くことについて 市場での暴力行為 または窃盗に対す る罰金 放火を犯 した者に対する罰金と領主裁判の実施 姦通罪を犯 した ものに対す る罰金 姦通罪の立証 と、 その免除 について 暴力行為等 に対す る賠償の支払 いについて 1 2 歳以下の者に対す る上記の諸規程の不適 用 について 領主制的賦課 に関す る規定 :3 .4 .6 .7 .8 .1 5.1 6.1 7.1 8.1 9 -1 0条項 商業 .市場関係規定 :9 .20.21.35.3 6.45 - 6条項 刑法関係規定 :22.23.2 4.2 5.2 6.27.28.2 9.3 0.31.32.3 3.3 4.37.38. 3 9.40.41.4 2.43.44.46.47.48.49 -25 条項 民事関係規定 :1.2 .5 .1 2.1 3.1 4 - 6条項 住民資格規定 :1 0.ll.50 - 3条項 〔 典拠 〕LCi br ar i 0, . o p. c i t ,pp. 1 26-1 3 3. よ り作成O まず領民 への懇意的な賦課を代表す るクー ユに ついて見 て上 に挙げた 7特許状をまとめたも のであ る。 のうち' モード ン系列を①∼③ に対照させ て見ると、R oこ 1 8) の系列 に属す る特許状は全て前文 でそれが 「 モード ンの法 」 表 2: サ ヴォワ伯領下の特許状の一般的な形式 ( 1 23 2年 シャンベ リー( Chamb6 r y) の特許状 ) を認めるも のである ことを宣言し ており'㊨ モード ン系列 ) 〝 ・ ′ 1 4 1 5 ると、 「 我 々は当該集落 にお いて毎年8月 に7 1 1 3 S. の夕I て' ここであ る集落 の城代が残し た会計 記録 ( c o mpt e ) 集落が特許状受領 の直前 に置かれ ていた経済状況 に つい フ-モード を手がかり に考え てみた い。 それは城代 ルド ル ユを受ける権利を有し ていたが'住民は今後 このタ- ユに 代え、 l年 の同じ時期 に同額をs ervt ii usの名 で支払う こ Y8 ∵ソヤンベリ ーの特 とを約束す べし」 [ CHAMBER 許状、第 8条'以下同様] 、「 今後余ならび にそ の後継者達 ) 4 ・ 7 5 mui d) '燕麦 ( 4 9 . 86muid)の総 売上 イ麦 ( ン( R odop lh eMoud on)が作成し、バイイに対 して報( 告 14 ) した 〓1 六六年 の集落イヴ エルグ ンに関するも の である. ( _5 ) これ によると、およそSl Pからな る この集落から城代は 一 自由 とな るだ ろう.」 [ Vt LLE NEUVE4] 「 集落 は全 て 7 d・となって全体 の44%と収入 の重要な部分をなし て )・2S・ る。ただし'生産物貢粗として領民から徴収 された のは ( ∽ O . ∽mui d) 、ラ ST. MAURI CE4]と の不当なる賦 課より解放 され る」[ mui d、燕麦も4mui d に過ぎず' このうち小麦がわず か t た 小麦 表現 に多少 の 差 ( ド )はあれ、 いずれ の特許状 も定額化ないしは 廃止し ている。また家屋税 ・入市税 ・不動産売買税 に つい 1戸当 たり に換 算す ると小麦 が いる。 このうちそ の年 に収穫され ては税額や割合が固定化され ている。さら に表 2の第 1条 が1 4Aboi s s e auの少 額 にな ってし まう ま た領 民 から の 年間 に中間役人 の取り分を除 いて29 7 ). l sd .の収入を得 て 「 当該集落 にお いて、 もし遺言をなした者が死んだ時 には、 2 ) ・ 8S・ 8 d・ にとどま っている. この地 では領主 地代総額も2 は、懇意的な 夕- ユ( t at t ia)あるいは援税 ( exaction en n v i t as)を 設け る ことはな い」 [AOSTE6]「 ク ー ユ並 i びにその他 のあらゆる規定外 の妖課から ( 住民は -筆者) そ の遺言状 は効果を持ち'またそれが厳格 に守られ る べき 直営地から の収穫がそ の大部分をなし ていた。伯所有 の牧 げが)33 であ る」と第 2条 「 しかし て'もし遺言な-死亡した男性 草地から の牧草 や株 の売却益も4 7 ) . ) 4S. 2d.と全体 の16% い もし-は女性が いた場合、そ の正当な る相続人がそ の者を を占め ている。 それゆえ' 一連 の領主制的賦課 に関す る規 ). 8 o bi s s e u a 'また燕麦 . 相続す るであろう。即ち、子供達'最も近 い父系親族と母 定は、確か に領主並び にそ の役人 の懇意性 は排除す るであ ろうが、ただち に領民 の負担を軽減す るも のではなか った。 多- の特許状が廃止し ていたクー ユは' この年集落全体 で はもともと僅かt Os. しか徴収 され ていな い。 他方' 伯 に2 3 ) . 系親族 であ る」から窺えるよう に、遺言を通じた個人的な ( 13 ) 財産 の自由処分も認められ ている。 では、 これら の規定は 従来 の領主制的賦課を大き-軽減す るも のと いえる のであ ろうか。 1 6 表 3: 主 要 Chart e de r ranchi sesの 内 容 一一 \普 家屋税 *1 買 不動産売 手 暮2 売 買税 手 ユ タ ー 升 . バ秤ナ: 奄 リテ : 水車 専葡売萄期酒間 A Cham b6r B y Ch Aoi s l t l e on 9. -6d. 1 ′ 1 3 ′ 1 3 18 2. -6 -6d. 1 S Mt O . u Ma r d guri ce 6_ a 一 → 十4d. 11 1 ′1 2 ◎◎ ◎◎ ◎ ′ ′ ′ ◎◎◎ ′ 走 1 /1 3磨 ′ ′ △ 11 1 ′ 1 2 3磨 1 1 5カ月 日間 ◎ ち C D E F ◎ 40日 ◎ 定 ○ ◎ 40日 4d. ◎ 定 ○ 4 15 0日 ◎ 定 ○ 〔 二 頃 日〕 A :市場開設 権 B :領主支払 い猶 予 C: 人市税 r ):宿泊権 E :軍役 l l:罰金 〔 凡例〕 d:dc n i e r s 廃 :廃止 定 :定離 .定巌化 ◎ :領主側留保 △ :領主と集落の共同所有 ○: 記載あり 証 〔 〕*1 :家屋 の間 口を計 り、 1トワズ ( も oi se )- 1 . 95m につ き支払 われ る税。 〔一 一〕 のつ いて い るもの は、普及 の過程 において、 同系列の特許状で あ って も額が変動 してい るもの。 *2:不動産 の移転 に伴 って領主 に支払 われ る税。売手 ・貿手 とも総・ , p t a j 買額の うち表 に, = I (した 割合を税 と して支払 う。 ※但 しサ ヴォワ伯領 では A和 の貨髄が用 い られてお り、賦課額 を単純 に比較す ることは出来 ない. 上 t e, Chambe r y, Bour g, FontdeBe auv oi s i nで は ヴィエ ンヌ偵幣 ( mommai cde 記 の表 で は Aos Vi ennoi s e)が 、Vi l l e ne uv edeChi l l onで はサ ン ・モ ー リス賃 略 ( mommai ede St . Maur i c e) が 、St . Maur i ce,Moudonで は ローザ ンヌ ・ジュネ ー ブ賃 幣 ( mommai edeLaus ann( きCtde Gcn( Ne)が用 い られてい る。 ( 残 り l種 は、 マ コ ン貨幣 ( mommai edeMac on)で あ り、伯領北 西で一部使用。)因みに当該期の交換比率 は概 ね以下の通 り。 ( Ide ni er svi ennoi s e-3 / 4de ni er sLaus anneetdeGen色v e-1 / 2deni e r sSt . Maur i c e) 表 4. ・罰金の 内容 ( 》一般犯罪行為 に対す る罰金額 〔 ① の項 目〕 A一姦通罪 :B一武器の不法所持 :C-軍役不履行 D-ア家屋破損 (イ 日中の場合 り攻間の場 合) エ家宅不法侵入 ( オ 日中の場合 力夜 間の場合) E-ア自宅 内での暴行 ・殴打 (イ 日中の場合 り夜間の場 合) F一放火罪 :G-偽証罪 ②展力行為 に対す る罰金額 〔 ② の項 目〕 A一傘 を用 いた傷嘗罪 B-平手 〝 C一石 ノ / D一枚 ・棒 〝 i :一宝石 を用 いた傷害罪 F一傷膏流血罪 G一剣や槍を用 いた傷嘗罪 H一窃盗罪 I-毛髪を引 っ張 った罪 (ア両手の場合 イ片手の場合 ) ③商行為上の連反 に対す る罰金塀 〔 ③の項 目〕 A一市場 における騒乱の罪 B一人市税 の未納 C-ア :異 なる人物への食肉販売 イ :病気肉販売 D-ア :不正 な秤 ・升の使用 イ :アを二回以上行 った場合 E一葡萄 罰令達反 i v r e ss: s ousd: de ni e r s O :領主の慈恵 に委 ね られ るもの 〔 凡例〕 1 :l 〔 註 〕 これ らの罰金鶴 は一般 男子 に課 され る額 であ り、通常 女性 の場合 はその半額が課 され、 また 1 2 歳以下 の者 に対 して は この罰金の適用か ら除外 され た。 Mar r i ot t e Lt i ber, Vi deeLs e L gne uT ・ i e, pp. 8 0 81 の表 か ら作成。 〔 典拠 〕R. 許状 が廃止し ていた にもかかわらず、 「 パ ン焼き竃 と水車 の収入をもたらしたバナリテは、北東 フラ ンスの多- の特 ている点、また年間 の回数が限定 され ていな いと いう点 に る。 これら の軍役はtより広 い領域 の守護が領民 に課され お いて、そ の内実は高負担なも のではなか ったか、と思わ れる。 このよう に経済的側面 に関す る限り、領民が恩恵を それ では政 治的な面、例えば領民共 同体 の自 治的 な政 受ける要素は十分 ではな いと思われ る。 よ って次 のも のを供さねばならな い。即ち、 一つの完全 に 治組織 はどう であ ろうか。当該 伯領 でも個 々 の集落内 に ︹ 特許状 の授与 =筆者︺ のため には、住民達自身 の出費 に は'伯 の所有 でなければならな い」 [ VZ LLE NEUVE25] I .f一 かかること とし ていずれ の特許状も留保し ている。また 「 し て良き水車、ならび に新しさ水車を設置す るため に必要 共 同 体 側 の利 益 を 代 表 す る 役 人 が存 在 す る。 史 料 中 で フラ ンスの多く の特許状が自ら の集落を守るため の軍役と I t . ) いう性格を強-示し ていた のに対し'例えば シャンベリー 軍役奉仕 に ついてみると、定量化され ては いても'北東 と いう規定 に見られるよう に、特許状授与がバナリテを新 ( _7) た に認める契機 にな っている場合もあ る。 断すれば このサ ンデ ィクは'北東 フランスの多- の特許状 城代と の交渉 (BEAUVOiSIN)を行 っており'機能面から判 諸 賦 課 の徴 収 (BOURG)、賦課徴収 ・新住民 の受け入れ STE19]、共 同体 会 計 の管 理 (ViLLE NEUVE)、 [ AO ndic usと呼ば れ る こうし た役人 は、新 住民 の受 け入 れ s i とな る道路'さら に完全な竃を 1つ」 [ ST. GENt X16] の特許状 では'軍役 の範囲は遠- アルプ ス山脈 のモン= ス がその設置を認め'選出を領民 に委ねたメール( maire )と' ( _9) ほぼ同等 の役割を果している。しかし この時役人 の設置な い 'バ イイと の交渉 ( M OUD ON) ㌔ [sT. MAURI CE9] ニ峠及びサ ン=ベ ルナール峠ま で'また 一年 の総軍役 日数 ザ ンは1回 に つき 1日以内 の軍 役が それ ぞれ課 され てい ジ ュネ-ヴ、 ローザ ンヌ司教区内。ボ ン=ド =ビ ューボ ワ シオ ン司教区内。 モード ンは1回 に つき1日以内、範囲は 範囲はジ ュネ- ヴ、ローザ ンヌ' の総軍役 日数 は20日間 で、 で。ブ ールは1回 に つき 3日以内。サ ン=モー- スは1年 刑法規定 にお いても確認され る。例えば表 4①∼③ は罰金 も5回目 の授与 (一三三三年)でようや-サ ンデ ィクに関す ( 20) る上記の規定が挿入されている。では彼らは特許状授与以前 住民 の政治組織 に関する規定はな-、またアオストの特許状 の特許状を除き、他 の特許状並び にその系列下 の 特許状 には はないことに注意す べきである。 アオストとサ 1回 に つき 1日以内、範囲は シオ ン司教区内 のレ マン湖ま は 40日間とし ている。そ の他ヴ ィルヌーヴ =ド =シ ロンは hart edef ranchi s esで し機能を確定する史料は必ずしもC ーリ ス から存在し ていた のかと いうと、彼ら の史料初出 は14世紀 が 「 市場開設期間中 に市場を破壊した者 は'領主 である伯 額 の 一覧 であり、③が商行為上 の違反 に対す る罰金 である = モ と遅-、 この頃 ようやくサ ンデ ィクは設置されたとみる方 ン が妥当 であ る。また 「 多- のサ ンデ ィク達 は、領主 の命 に に償 わせ る べし」[ CHAMBERY20]と され' そ の罰金額 ( 23) は他 の暴力行為など の罰金額と同額 の高額 にな っている。 に対し て60 スIを支払わねばならず'伯並び に集落 に居住 の経緯 に ついては本稿 では取り上げな い。ただ以上から' また不正な升を使用した場合、それが2回以上 に及んだり' より て、か つ裁判官、城代ならび に我 々の領主 のそ の他 の 目的 の 一つにメールの設置を掲げ ていた北東 フラ ンスの特 「 大き い升を 用 いて商品を買 い入れ、小 さ い升を 用 いてそ す る者は壊れた所を直し、そ の損害を不正をなした者ども 許状とは異なり、サヴ ォワ伯領 の特許状 は領民 への自治的 れを販売した」[ AOSTE8]場合 には、罰金 の支払 いでは 役人達 の同意を 以 て選ばれ る」 [ ST. MAURI CE9]とさ ( 21) れ、そ の選出権限は領主側 にあ った。 このサ ンディク創設 されよう。 政治機能 の賦与を目的とし て含ん でいなか った ことは確認 ②伯 の政治的 ・経済的意図 済まされず伯 の流血裁判権 の下 に置かれる こと にな ってい ︼ 碓凸 る。デ ユパールに従えば、 こうした市場統制 への伯 の意欲 l Y ; ) た 。 サヴ ォワの中核都 ナリテを留保し ている ことを確認した。ただバナリテのう 伯 の政策的意図を明確 にする。前項 では多- の特許状がバ 有し北 西 ヨー ロッパと イタリ アを結 ぶ重要な交易路上 に 当時サヴ ォワ地方は モン= ス ニ峠とサ ン=ベ ルナール峠を 市 の 一つモンメラ ンの流通税徴収簿を検討した彼 によれば' は、当地 の事情からし て当然 であ っ ち 「いかな る者も塩 の升を持たな い。 そ の仕事 に従事し、 あ ったが、自領内 には有力な産品がな-、ま た この頃 には 本項 では、授与者 である伯 の視点から、特許状 に現れる は」 [ ST. GENi X21]とか 「 領主 は当地 にお いて、それを 領主並び に彼 の城代 の命 によ ってそれを持 つも のを除 いて つあ った。そ こで当該伯領 にお いては、都市を中核とす る 北 アルプ スや地中海を通る新 たな交易 ルートも開発され つ 地域産業 の振興をはかるよりも' 交易地とし て市場 ⊥父易路 用 いて計 られ る べき自ら の秤を有す」[ CHAMBERY36 ] と いうような、市場 で使用す る升 や杵 に対す る領主独占権 の秩序維持を計り (「 過市な いし大市 に釆たる者は、 伯 の保護 )、 の下 に置 か れ、 無 事 にし て安 全 であ る」[ EVI AN8] の主張は、北東 フラ ンスの特許状 には確認されず、伯 の市 ( 22) 場統制 に関する強 い意欲 の現れと理解出来 る。 このことは ( mi seri c o r d i a )の下 にあ る」 ことを 明記し ている。 そし な い限り で徴収された罰金額 の、そ の約%を受け取る存在 またそ こから の諸税 の徴収を徹底させる ことが必要とされ とな っている。さら に伯 の裁判権と の関連 では、先 に挙げ て特許状受領集落 に関係を持 つ中小領主層は、完全 に当地 ンポ リ ア ン (二 一 五七年 に特許状受領) の会計 記録 (一二 た特許状 の系列 の広がりが、 この後 14世紀 に整備されるバ たと いう。このことが特許状 の内容 にも反映した のであ る。 0 ) . のうち この地を 通過す る 六 〇 -六 1) では、総収入90 の支配権から排除され ていな い場合 でも'裁判権 に関し て 大 通行 税 ( grand 商人 ・商 品 に課 さ れ る流 通 税 収 入 ︹ して系列 の核となる特許状を受領し た集落が同時 にバヤー 先 の集落イヴ エルグ ンの会計記録 では過市及び年市から の pe t i tp6 age)の合計︺は6 0 0) .に達し p6 age)と小通行税 ( ( 26 ) ている。伯はサヴ ォワ伯領 の地理的位置 に由来する経済的 ジ ュの中心地 にもな ってい っている ことがあらため て指摘 ( 30 ) できるだろう。 これら の点をまとめ るなら'特許状 の授与 は副支 配権 ( v i c ed o mi nat us )を 有 す る にと どま り、 下 好機を'自領 の実情 に別し て活かすため'特 に市場統制 に ( 2) 対し て今見たような熱意を持 ってあた っていた のである。 は、受領集落を伯 による統 1的な行政組織 及び流通構造 の 級な いし中級の裁判権を行使し て 一件 に つき 60 スIを越え 一方、罰金 に関す る詳細な規定 の存在は伯が、 そ の裁判 下 に組み込んでいく過程を示し ているのではな いかと思わ リ ヨン を結 ぶ水運路上 に位置す るサヴ ォワ西部 のサ ン=シ 権 の下 で市場も含め集落全体 の平和を維持しようとする意 理解された受領集落 の性格とも 一致す る。 そし てこうした れ る。 この点は政治的 ・経済的機能を併せ持 つも のとし て 税収はN ∞ Lと決し て多-な い。しかし例えばヴ ィ エンヌと 図 の現れと理解することが出来る。 「 全 てのブルゲ ンセス及 あ る 伯 に帰 属 す る」 「 伯 の意 の下 にあ る」 「 伯 の慈 悲 で、伯 による完全な裁判権 の掌握を記した特許状 は必ずし ( 粥) ( 2 ) も多 -はな いが、殆 ど の特許状 は上級裁判権 が 「 領主 で ( me r um)を維持す る」[ VI LLE NEUVE19]と いう形 あ るいは 「 余 は'当該集落 にお いて裁判権 の完全なるもの EVI AN8] あり、彼 の法廷 ( c ur i a) にお いて争う べし」 [ ] 楳E が支配権を獲得した集落、と では分けて考える必要がある。 ヴ ォワザ ンと い った 13世紀 に入 って新 し -伯 の影響下 に スIに統 一され ている。ただしブールやボ ン=ド =ビ ュー は類を見な い。 典型的な のは罰金額 で、 最高罰金額が概ね 60 性を持 っている。かかる均質性は北東 フラ ンスの特許状 に 差はあるも のの各系列 の特許状ともよ-類似Lt高 い均質 過程と関連する のであろう' 規定 の具体的な内容は' 多少 の しかし両集落 には共通す る 一つの傾向が指摘される。それ は近隣 の中小領主 =騎士層及び聖職者と集落民と の経済的 に対す る領民 の抵抗を考慮した妥協的性格を持 つも のとし あ る ことを示し ていた。領主 の経済的圧迫や政治的集権化 るような政治的要因 に求めること、そ のいずれもが困難 で を経 済 的要因 に求める こと、また近年 の研究動向が指摘す ( 2Y・ ① で確認した特許状 の内容 は、特許状普及 の背景 ( 3)授与 -受領を巡る在地 の政治状況 れ ていたと いえるが、 ここでは特許状受領 によ って伯と の 上記①型 の集落 では、伯 の政策的意向 に基づく授与が行わ は必ずしも全集落 に ついて確認され るわけ ではなく'特 に 解決 の要求が格段 に増加し ている。も っとも これら の事例 後伯 に対し て集落共同体から の中小領主 =騎士層と の係争 た。また既 に伯 の支配下 にあ った集落 でも'特許状授与前 対抗した数多- の在地領主は同時 に集落民とも衝突し てい 利害を巡る摩擦 で あ る。すなわち、伯が特許状授与 の前 に て特許状 の内容を理解す ることが難し いとすれば、我 々は ヴ ィルヌーブ =ド =シ ロン ( 2 二 二 一四年)は既存集 落 に接し て設け られ た新村 であ ったが、特許状を授与 され 緊密な結び つきを求めた い- つか の事例を挙げ てみた い。 開発村 a v o) a であればともかく、既存集落 の住民 ( v i l Ln で たような志向を持 つ特許状を抵抗なく受け c t 修 た後 1二二〇年 に新住民 の受け入れを巡 ってHau tre 道院と住民と の間 で衝突が生じ、伯 にそ の解決が 求められ ( T 7 = ) ている.ブ ール ( 9 ︰〓 1 五〇年) では' 1二五 〇年 の て おり、多額 の金銭を支払 求 にお いて ei Eon修道院 と当該集落 と の間で森林 特許状 授与以来 S も確認され る。特許状前文 に見られる 「 この住民たち の要 s ) 」と いう表現が その まま真実であったとは言えまい。し かし文書授与 には住民側 の要請もあり、伯 の意図 の 1方的 及び放牧地 の用益 に ついて生じ た争 いを度 々伯 が仲裁 し ( 35) ている。またラ- コテ=サ ン=タ ンド レ( 24 二 二七 四年) ( c o e l tnt i buse tp e t e nt i b usdi c t i sh o mi ni bu ( 32 ) な押し っけ ではなか ったと考える ことは可能だろうか。 こ では集 落民 の財 産処分を 巡 る争 い、 この争 いは集落 民 と され ていた集落と、②授与重 刑に何らか の手段を用 いて伯 oc zo set 教 区内 の貴族を始め とす る五 LaCot 6修道院 やB の問題は、①文書授与以前から伯 の支配権が安定的 に確定 入れ ち (2)- ② 見 ってま で獲得し ている事例 特許状普及 の理由をど のよう に考えたらよ いだろうか。新 れ代表す る特 許状 では、 この点 の統 一は不十分 であ り 7 ( ;) スI の罰金額が散見され る. 入 ってい ったブ レ ス地方とヴ ィ エンヌ地方 の系列を それぞ ヤージ ュ、即ち伯 の上級裁判管区と 一致し ていること、 そ び外来者さら に全 ての住民は'領主 ( -伯)の裁判権 の下 に 2 0 21 者と の間 で生じたも のであ ったが、それを伯が解決し てい ( 訓 一 30 二 二八五年) では、流通税及び る。サ ン-モー- ス ( e s i d e n t e si nvi l t aV( h a b i t a t oresinvi t t aV であ った の r と住民と の争 いに伯が介入し騎士側 に上記 賦課 の支払 い を な っていた中小騎士、聖職者 による共同体防衛費用 の支払 en Se SVへ、さら に13世紀末( には(n obi e sXmi i t e sV ( b弓g 39 ) へと拡大され ていく ことが分 か る。 ま た上で度々問題と 1世紀中頃からは伯に対し て宣 誓をなし た者 を 示す に、3 認めさせ ている。また当地 では 二 一 九 四年と九六年 にも同 いに ついて、伯 の裁定を時代を追 ってみ てみると、全面的 Pe r av i s oと の間 に衝突が生じたが、 これ にも伯が介入し アン ( 1 : 1二六五年) の住民は、白村 に隣接す るB r et s て和解 に至 らせ て いる ( 修道士 の上記賦課 の支払 いを免 ( S ;7 ︺ 除) 。こうした争 いは近隣住民と の間 にもみられ る。エヴ ィ とたび集落共同体 の 一員となれば、 「 領主並び に集落 は、 2)-② の後半 で見たよう に'裁判権限を 対し て第 二 に、( ヴ ォワ伯領 にお いて複数 の研究者が指摘す る中小領主層 の ( ー 1 ) 経済的衰退は、 こうした動き に連な ってい-と思われ る。 放 から集落共同体を保護し平和を維持す る存在とし て伯が必 この者をあらゆる方法を 以 て手助けし、守 る べき であ る」 ( 41 ) [ CHAMBERYll]し、 「 集落 と領主 はそ の法 の下 でそ の ( ri ] ) 者を 保護す べき」[ STI GENt X4] であ った.当該期 のサ 要とされ ていた。そし てこの時授与 -受領された特許状 は、 限定されながらも依然とし て当地 の諸支配権を維持し てい 追 の森 に好 いて無断 で山羊 の放牧を行 った隣村 の住民 の ( 38) を伯 に訴え、伯も城代 にそ の取締りを命じ ている。 これら の人 々を 一方的 に排除す るのではな-、 二通り の方 参加す る ことはな い。北東 フランスの場合、中小領主層も では こうした領主層が自ら当事者とな って特許状 の授与 に また諸侯と協働し て'或 いは単独 で自領内 の集落 に積極的 た中小領主層もまた存在し ていた。も っともサヴ ォワ伯領 q uisV( q ui c umqueVを主 語とし' 条 項 は、(qui s V(ai に特許状を授与し ている。但しそ の際 には諸侯 の確認を必 同体 の枠内 に取り込ん でいこうとし ている。特許状中 の各 主体を特定しな いことで既に一 定領域内 に居住する全住民 要 と Lt 記 載 内 容 の遵 守 を 諸 侯 に誓 約 し、 未 決 の村 落 法 で彼らと の共生を計 っている。まず第 一には'彼 らを共 を対象とし ている。が'前文あ るいは新住民 の受け入れ に れた。 こうした事例と比較した時、サヴ ォワ伯領 では中小 係が ( 裁判権限 の帰属を中心 に)規定 される側面も確認さ 及び罰金額 に ついては、多少地域的な違 いは在 るも のの全 は商業統制ととも に主導性を発揮し ている。また賦課内容 シーズを認める 一方 で、バナリテや罰金 の徴収 にあた って 伯 は、主 とし て諸賦 課 の固定化 と いう方向 で の フラ ン な経済的 ・政治的発展 の機会を与えたとは言えな い。 ( 47 ) 在し ていな いことを認め ている。特許状 は領民側 に自律的 領主層 の特許状授与 への消極姿勢 によ って、上述 のような 体 とし ては非常 に均質 であるが、より詳細 に見れば、それ サヴ ォワ伯領 の諸都市 は重要な交易路上 に位置す ると いう 及した特許状が決し て領民 に十分なも のではなか った こと l l_ ' ,. ) を認め ている。ただ彼ら特 にぺラ ンは'特許状を受領した か った。サヴ ォワ伯領 に ついての諸研究者も、 この地 に普 にお いて北東 フラ ンス地方 のそれを上 ま わ るも のではな サヴォワ伯領 の特許状は、領民 に認められた特権 の内容 ( 4)小括 hi s e sの授与 であ ったと いう ことを意味 Char t edefa c 1 u =1 し ていよう 節で は、こうした性格を持 つ特許状 の作成 ・ を築き上げようとす る試み こそが'サヴ ォワ伯領 における 地域を統合し、そ こにひと つの統 1的か つ組織的な法体系 をも取り込む形 で共 同体的凝集性を高め てい った。 このよ 下 で近隣 の中小領主 -騎士層 ・聖職者 の干渉を排し、彼ら 分とは いえな いこの特許状 の受け入れ によ って'伯 の保護 に分類 される。集落民は'特権 の内容 にお いて必ずしも十 らは将来 の行政 ・上級裁判管区 に対応す る形 で複数 の系列 そ の地理的な位置 に助けられ て'十全な発展を遂げたと理 ( 4 ) 解し ている。しかしサヴ ォワ伯領下 の諸都市は、有効な産 授与を可能ならしめたサヴ ォワの法的背景 に ついて考え て 註 R . Mar i ot tI eL 6 b er. op c .i t "pp.7 2 3 5 . rn ) 。次 うな特許状 の性格 は、諸侯主導 の下 で固有 の法慣習を持 つ 品を持たなか った こと'また特許状 に規定 された伯 による みたい。 な いだろうか。かなり時代を下るが16世紀 にサヴ ォワ家 に ( -) 仕えた思想家ボデ ロは、自ら の地方 には貧弱な都市しか存 な経済的発展が阻害されたと いう側面を持 っているのでは 厳格なま での市場統制が妨げとな って、むしろ都市 の自由 に読みとる ことは残念ながら出来な い。 副支配権を有す る彼らと諸侯と の関係を この文書から十分 裁判 の裁定を諸侯役人 に委任す る旨を特許状中 に明記す る I ; ) ことが多-、特許状 の授与を通じ て、諸侯 -中小領主間関 nes 関 す る規 定 か ら は' 特 許 状 の対 象 者 が 当 初 (homi こうし て確実 にい- つか の集落 では'近隣住民や領主層 な免除から支払 い命令' そし て強制 へと共同体側 の立場を ( 40) 尊重す る方向 へ確実 に向か っている。そし て彼らも含め ひ 様 に賦課 の支払 いを巡 って修道士 Quar t 6 rytJ ac quede uLdeNo vi L L e 集落防衛費 用の支払 いを拒否し た騎士Rao 2 2 2 3 24 2 5 ( 2)i b i d. , p1 2 2. 2rp. 5 8. 2 7, ) 8 7 2(以 下 G. For e rCh ar t e sc ommun a1 2Sと 略 記 )、 no . 5 8.;Romont:F・ For e t ,9 aT ・ t eC Omm§ aL e s・pp・ 6 3 -6 5∴ F ( 9)Grancour︰ ForeL ,Ch ar t e sc oT nmuT Wl es,pp・ 4 0-41∴ Montt eVi e ux:J. Bugni on.Le s Vi l l ed efT l anC hi s e s,p・ ( 3)i b i d. . p1 2 4. ( 4)R. H. Baut i e re t ∫. Sor nay﹀ Le ss our c e s de I . hi s t oi T . e ve n ai s s L n. Dau phi ne . Et at s de l a Mai s on de 幹 u oi e , t ・ ) , a c onomi quee tS aC i al edL LM oye n Age ・ Pr ou e nc e Comt at Mor ge x︰J・ B・de Ti t t i e r,Fr anc hi gi e,pp・ 3 8-3 9・;Le S suul e sdefr anc ht s e s,p・ 5 6・ ct 6 e s︰J. Bugni on.Le Ar c ht u e sde spr mc t paut e st e r T i t oT i al e se taT t C hi u e s 地方 の特許状 は フォレルの著作 に付されたも のを利用したが、 (1)J. Bugni on, Le su i l l esdefr anc hi s e s, pp・ 49-6 8・今 回ヴ ォ- s e L gneuT ial e s. Paris. 1 9 6 8, pp・ 3 4 2-3 43・ ネ ッ- に対して授与した特許状 の前文 には、以下 の如く記され では史料入手が困難 であ ったため フォレルを利用せざるを得な Age( XZ J p -Xt Fs i e c le). Laus anne, ) 9 4 9, p・ 32・ )しかし本稿 はデグ ロンが指摘し ている. ( 氏. Degl on﹀ Yue r donauMc D J e n 正を要するように思われる。また彼 の史料 刊行 の不備 に関し て ン結成を承認する条項が存在し ておらず、 フォレル の見解は修 声 ) 。プ 二ョンの言 う通りヴ ォ-地方 の特許状 には コ⋮ ユー は、 プ ニ ョンが 批 判 を 加 え て いる ( JBugni on﹀o p・ c i t ・ , p・ 彩 の強 い コミ ュー ン文書と考え ている。しかし彼 のこの見解 に からも伺えるように、彼 は この地方 の特許状を極め て自治的色 題名を 「 ( ヴ ォ-地方 の) コミ ュー ン特許状」とし ていること (5)例えば 「ロリ スの法」系列 で 一一八九年 にフィリ ップ 2世がノ て い る。 (⋮ c onC e di mus c ons ue t udi ne S habe ndas e t r obs e r v andasquashabe nte tobs e r v anthomi ne snos t or i deLor r i ac o. ).M.Pr ou. Le sc out ume sdeLor r i se tt e u pr opagation au xl 12 -Xt Z ts i 6 c l e一Re uuehi s l or i qL L ede dT ・ Oi tfr anE ) ai se te t r ange T ・ . i . 5. ) 8 8 4, pp・ 5 2 3-5 5 6, pi e c e s J uS t i f i c at i v e s,noXI I ・ 一- 一〇二頁。 ( 6)上 のノネ ット の特許状もその 1例 であ るO詳しくは拙稿、 1〇 (7) 「ロリ スの法」は フラ ンス王家が起草したも のであるが、 シャ か った。デグ ロン、ブ ニョンの研究を対照させ つつ用 いたが、 ンパー ニュ伯領 やサ ンセール伯領 に、また 「 ポーモンの法」ら この点ご容赦願 いた い。 ( 23)L. Ci br ar i o, o p. c i t . , p. ) 2 8. Ci br ari o, o pI C i 1 . .p. 1 3 0. R. Mar i ot t e-L6be r.o p. c i t . . p. 6 5. T nunaLes,not,p・3∴ ST・ MAURI CE ︰ F. For e l , CY z ar t e sc om AOSTE ︰L. Ci br ari o, o p. c i t . . pp. 3 3I3 6. ; VZ LLE NEUVE ︰ (ほ)CHAMBERY :L. Ci br ar i o,Doc ume n L i , p・ j us t ・ l i Z , p・ 4 2 6・; (11)後述 26頁参購。 ラ ンス大司教が授与した後、シャンパー ニュ伯領、シ ニー伯領、 y リ エクサ ンブ ール伯領、 ロレIヌ伯領、ヴ ェルダ ン司教領など 広 い領域 にわた って普及し ている。 a (c o) ( us us. c ons ue t udi ne s. I i be r t at e se t f r anc he s i ae de Me t dunoV. F. For e L . Char l e s c oT T mt T Wl e s du P s de vaud.de s1 . an ] 2 ] 4d 1 .an 1 5 27.Ma moi r e doc ume T uS pL L bl i eparh So c i 6 t ed. hi s t oi r edel aSui s s er omande,t ・ ( 13)LI Ci br ar i o. o p. c i t . . p. ) 2 61 ( 1) この史料 Ar c hi v B sd. Et atdet urin.Se c t i onr6uni e s. ( l l l ) ﹀ (2)i bi d p. 3 3. . . i nv e nt . Sav"7 0,f 2 0 5. c ompt edeRodot pheMoudon. は、カ ( 2 5 ) P. ( 17)AI Duf our. Docume nt si ne di t s. p. ) 4 0. (16)FI For e 1 . Char t e sc ommuT Wl e s, p. 4. ラ ンで徴収された流通税 の徴収簿を見 ると、 フラ ンド ル産 の毛 ことを可能 にし ていた。 13世紀 の後半 にサヴ ォワ地方 のモンメ の 一つである フラ ンド ル地方をよりサヴ ォワ方面と結び付け る ヴ ォワと の緊密な結び つきが、西 ヨー ロッパ の重要な商業拠点 が フラ ンド ル伯 の地位 にあり、 この時築かれた フラ ンド ルとサ ( 27)さらに付け加えれば、 アメ-デ五世 の父親ト マ二世 は短期間だ -10 6 0 ). v o1 . 2. Ge n晋eL9 7 81 Pp1 2 7 72 7 5. ( 26)G. deMant e ye r. Le sor i gi ne sdel aMds ondeSbt ) oi e( 9 1 0 L 9 6 0.Pari s. i . 1.) 9 6r pp.1 45I 1 8 7. e thi s t or i quedL LC Omi t ede st r au auxhi s t oT i-que s . aT me e auxXt l Pe tXZ Vs i 打e s⋮ Monme t i an. Bul l e t i nphi bl o gi que D upar C.Unp6agesavoyardsurlarouteduMontCenis ウダ ーノ によ って刊行 されたも のを 用 いた。M. Chi audanoY LafL T WnZ aSbbaudanels e c ol oXJ Z Z, Tur i n. ( 9 3 3. t . i , p. ) 1 8. ( pan e t e r i e)及び同じく 二戸あたり t羽 の雌鶏を納 める雌鶏 ( 15) 二戸あたり大麦な いし燕麦製 のパ ン 一個を納め るパ ン焼き税 そし てこれら の賦課 は寡婦家庭 では免 除され ている ことから 税 ( C hapone r i e) の総量 がそれぞれ 73個と7 3羽 であ る こと、 R. デグ ロンは総戸数を約 80戸と見積も っているo氏. Deglon. (18)例えば 「 ボ ーモンの法」は住民 の守護軍役を以下 のよう に規定 織物などが特 に多く運搬され ており'さら に徴収総額は この3 1 ・ o p. c i t "p1 3 4. 限り で'大 司教 の守護 軍役を 果 たす であ ろう」E. Bonv alot. 収入全体 の-/ 20を占める程 にな っている。 P. Dupar c. o p. c i t . . 世紀後半から末 にかけ て著し い伸びを示し' 13世紀末 には伯家 す る。 「 住民は'同 日内もしくは明 日内 にボ ー モンに帰還する Le Ti e r s-Et at sd. a pr e s h c har t edeBe aumonte tses ( 28)F. For e r ChaT te SC OT nmunaL e s,nl, p. 6. pp. 1 8 4 -1 8 5. fut al e s, Par i s, ) 8 8 3( r 6 i mp. . Ge ne v e. 1 9 7 5) , p. ) 1 3. ( 29)サヴ ォワ伯領 の特許状 では上級裁判権 に属する犯罪とし て、重 ( 19)E. Bonl alOt ,O P.C i t . . pp. ) 2 2-) 2 4.;JI F一 Le marigni e r,La t 3 3∴ L. G6 ni c ot,Rur alc ommuni t i e si nt he me di e v al (30) R.H IBaut i e re tJI Sor nay,o p. C ト t "p. 3 4 5. p. 8 2. 升 ・秤 の使用が挙げられ ている。 R. Mar i ot t e-L6be r,o p. c i t . . 大な傷害 ・殺人 ・窃盗裏切り ・火事 ・強姦 ・誘拐 ・悪質な不正 Fr anc eT nedi au al eZ ns t i t ut i onse ts oc i et es . Par i s, 1 9 7 0, pI we s t . London, ) 9 9 0, pp. 81 -8 9. ( 20)MI A. Le t e y. Lel i u r er ougedel a CX t ed. Aos t e, TurinL9 5 6. (31) この点 では、 ヴ ォ-地方 のモード ン系列 は統 一的 であ る。 ヴ ォ- pp. ) 0 7 11 0 8. ( 21)氏. Mar i ot t e-L6be r.o p. c L t . . P. 9 0. u (22)ST. GEN t X :A. ) juf o r, o p. c i t I . P.1 3 9.;CHAMBERY :L. 地 方 の罰金額 は特 許状 授与 以前 にはかなり ば ら つき があ った。 3 を ス-、棒を 使 って暴力 行為を働 いた者 に28 ス-、他 人 の山羊 Rue(S H の裁 判 証書 によ ると t二七 .LBTに泥 棒 に対 し て は 窃盗 したも のに7 スI の罰金 が そ れぞれ課 され ていたが、 1二 6 七 八年特許状授与 の直前 にこの地 の罰 金額 は 0 スI に統 一化 さ れ ている。J. Bugn1 0nbP・ Ci t ・ p ・ 2 2・ o pI Ci t . .pi ac esj us t i f i cat i ves , p ・ 209・ R・ Mario tte-La b e r ・ (32) この表現 は シ ャ ンベリI系 列 に共 通 す る。 (A)RI Mar i ot e-Le . he r,O P・ C i t ・ ・ pp ・ 1 9 1 I1 9 3 ・ (33)本稿'8-9頁参照. ( 3)i bi d. , p p. 1 1 8 I1 2 1・ Pari s. 1 951, p. L I B . l ( g 3 )P. Vail a n , 12 Sltbe T l eSde SC O mT nu T W︻ L t a Sdau phi noL S e S ・ (37)氏. Mar i 0eILt , ber ・ o p・ c i t lp P・ 1 7 1 I1 7 5 ・ (8 3)i bi d. 1p p・ 1 2 8 -1 3 )A c N y o mo W Fo r et , op・ i t・ , pp・ 3 7 -7 6 ・ など に確 認され る。FI ( 8 3) 全ての 特許状 ではな く、 on(E3:1293)'Morges(a :1 3 28)、 n( 。 ・・1 32 8) 、Yv er don( L D O ・・ 1 328) Moudon(ー =1 32 8) 、R 二八九 ( S) (quicumque volueritmanerein vul adebetP O n e r ei n co mmu n is io p use s t・ Ca p e l l a n ie tcl e r i cil i ber is u ntn e c d ebentponer ei ncommunine ci nmu ni i oneVi l 1 2= 二七 六年, St IGe n i xPの判決0 人 c a p e 1 1 a nie tC 1 2 ri c iponunti n com mu nie tin muni t i one1i l l epr o u -i use X i g i t・ 二 Tla u → e n での判決。 ︿bu→geロSi se th abi t at oreSdi ct 年、S (讐 d, EsperanCheで の判 決 o R・ Mari ot t eI h a beatp r i v i l e gium ai1 1 andis ei nc o mmuni・ ﹀ l二 空 Lab e r.op.cit..p.89・ 0 r g e 年、 STGe AD .u f o ur , op,ci t ・,p ・ 1 2 4・ (a)L Ci brar i o ,op・citlpp・ 1 261 3 3 ・ . pp45I 5 0・ (S: )RI Ma riote -1O be r, o p・ct t ・ ・ p・ 8 5・; P・ Vai1 1 a n t ・ Lap o l i t i q u e・, (3)前掲拙稿、九 ET 九 五頁 O (45)P. Vail l ant , o p, c i L ︰p・ 32 3;Ch・ Ed・ P erli n・ o p・ c i t ・ , pp・ 5 1 -54・ (S)ch. Ed. Pe r r i n, o p・ c i t lp ・ 52 ・ ( 斎藤泰 弘、 豊 → 楢彦 訳 ) ブ タ リ ア人 民 の歴 史 Ⅰ ﹄未来社 、 一九 八 四年、 二 四七頁 。 (hq)q プ ロカッチ (48)ヴォ-地 方 では十分 実 現しな か った伯 の勢 力拡 大 は、 領 民と の る. ヴ ォー地 方 の身分 制 議会 ( EasdeVaux)に つい ては、 討 議 の場 を 身 分 制 議 会 に移 し てそ の後 も 試 み ら れ る こと にな P. Ba gl i anie tJ・ F・ Poudret (6d・ )・ La Mat S 0n deS buoi e AI Lausanne ,) 9 8 9 ・ を参照。 97 ). e tl ePa ysd e Vau d( Btbl i ot h eque hi s t o r i q u e Vau d o i se Ⅴ 特許状作成 .授与 の法的背景 北東 フラ ンスと比 べ統 一的 で,諸侯側 の集権的志向を優 先 させた内容を持 つ特許状 の授与 ・普及を可能ならしめた 位置がイタリアで ロー マ法研究 に携わ る学識法曹と の早期 れ る のが、 Ⅳ -( -) で確認した 「 系 列」 の相違、すなわ 特殊サヴ ォワ的な背景を考える上 で手がかり になると思わ ち モード ン系列を除-サヴ ォワ伯領 の特許状 の普 及 のあり の接触を可能 にしたことなど の理由から、むし ろ成文法地 n iv i t t a en u l l usne q ue cl eri c us n e q u es a C e r d o s c ommu t 1 e .t a m eccl es i as t i ciqu am cl eric i ,d e be n tp onerei n evi 方と、 モード ン系列 の特許状 及び北東 フラ ンスの特許状 の はな いかと思われ る。そし て実際' ロー マ法 の影響 は法実 域 である ことを背景とした新 たな法 の生成を行 い得た ので にうかがえる。ただ この問題を本格的 に論じ るには紙幅が が普及したヴ ォ-地方を北東 フランス側 に含め ると、 この 足りな い。そ こでここでは後 の議論 のため の土台とし て、 普 及と の相違 である。と いう のも、 モード ン系列 の特許状 相違は フラ ンス法制史 にお いて 一般的 にいわれ る慣習法地 ( I) 域と成文法地域と の区分 に対応し ており' このことからサ 影響 の幾 つか ( ①公証人制度 の採用②遺言相続 の承認③裁 務面、即ち特許状 の形式 ・内容 ・運用 にお いてかなり明白 る成文法地域 にサヴ ォワ地方が位置し ていた ことと関連し ヴ ォワ伯領 の特許状 の特質は' ロー マ法が法総体を構成す し て主張した ロー マ法 は、 「 国王 ( 諸侯)はそ の王国内 に 一方 で、当初皇帝が自ら の権力集中 のため に皇帝世界法と の分裂 によ って神聖 ロー マ帝国が政治的勢力を失 っていく 状 の副署人欄を見 ると' 二 八九年 アオ スト に授与 された 力を与える存在とし て現れ ていることが指摘 され る。特許 スの特許状 には見られな い公証人層が、特許状を公証し効 まず特許状 の形式的な側面から見 てみると、北東 フラ ン 判官 の登用)を提示し ておきた い。 お いては皇帝 である」と いう主張ととも に今度 は各国国法 とし て現れ ている モーリ スを筆頭 に、 最初 の特許状 にお いて既 に " meuspro isnot rius ている のではな いかと思われる。 13世紀後半以降諸領邦 へ や帝国内 の領邦君主 の権力集中 に奉仕したと言われ る。サ 盤が この時期 の成文法地域たる南 フラ ンスに ついて指摘さ ス史 では、農業生産力 の低さ に由来す る脆弱な領主制的基 ロー マ法的な文書 ( =遺言状 )を残す考え方 は消滅し てい る。 アルプ ス以北 では 8- 9世 紀 には相続 人を 指定し た で見たよう に遺言相続 が規定 され て いる ことが挙げら れ 状 に公証人 の称号を持 つ者が署名者 の 一人とし て記され て ( 3 ) いることが明らか になる。次 に内容面 では、 Ⅳ ( 2) -① と p ru a ほ んど 全ての特許 ヴ ォワの場合 でも伯が このような形 で ロー マ法的理念 の導 れ、それゆえ この地域は集権化政策 の 1環とし て新たな法 ( 2) を形成す る力 に乏しか ったtと整理される。しかしながら た。そ の後遺言 の概念自体はカノ ン法 の領域 で神 に対す る 入を意図した ことは十分 に予想 できるだろう。通常 フラ ン このサヴ ォワの地 では商業 ・流通活動が伯 の収入 の重要な 遺贈と いう形式 で1-2世紀 に再び取り上げられたが、特 11 部分を占め ていた こと、また アルプ ス山脈 に跨がる所領 の 27 2 6 伯領やド ー プィネ公領、またサヴ ォワ地方内 でもヴ ォI地 が、またサヴォワ、ヴ ィ エンヌ地方は フラ ン ソワ=デ ゥブ ( -) レンキオがtと い った具合 であ った.隣接す るジ ュネIヴ 例えばジ ュネ-ヴ、 シャプ レー地方 はジ ャン =ダ ルバール ヴ ェルにま で遺言状 の効力が認められた事例は珍し い。サ 定 の相続人が指定されるよう にな るのは漸- 13世紀 に入 っ ( 4 ) てから である。 この場合 でもサヴ ォワ地方 のよう に住民 レ ヴ ォ ワ伯領 ではさら に13世紀後半 から H世紀 にかけ他国 域 では 13世紀中 に専門的な裁判官 は存在し ておらず、この いて積極的 であ った。サヴ ォワ伯領はイタリ アと アルプ ス る。 このよう にサヴ ォワの地は ロー マ法的技術 の導入 にお 13世紀 の段階 では裁判官層 の存在は知られ ておらず'特許 以北を結 ぶ交易 の要地 であり' 2 つの世界を つなぐ窓 口の 点 でサヴ ォワ地方特 にそ の中核地域 の先進性は明らか であ 状等 に記された刑法規定 に基づ-裁判は、諸侯自身な いし の展開と いう側面 にお いても そ の役割 は発揮されたと言え 役割を果し ていたが'交易 ・流通面 にとどまらず、法意識 者、高利貸し、非嫡出子 に対し ても遺言上 で相続人となる ( 5) ことが認められ ている。 はそ の配下 の城代 によ って執り行われる のが 一般的 であ っ るだろう。 最後 に' こうしたサヴ ォワ伯領 の特許状 の独自性とそ の ( j udx e c omitisV の呼称を帯びた人物が現れる ことから の史料類型と見な し て良 いのか、 と いう問題に ついて考 ar tedefr a n c h i s e s )を同 一 サヴ ォワ地 方 の特許状 ( Ch art edec o ut ume s)と から、北東 フラ ンスの特許状 ( Ch 確認さ れる。例えばピ エール= ロンバールは' 一二五〇年 え てみた い。わが国 では これら の文書史料 に対し て等しく 背景を踏まえ、 「 慣習法文書 」の地域類型的把握と いう観点 のアオ スー での裁判 にサヴ ォ ワ伯領初の裁判官とし て現れ よう に、 両者を全く区別せず に用 いているよう に思われ る。 の普 及 に並 行 し て 13世 紀前 半 か ら職 業 的 な裁 判 官 ( t e s た後、 3年間 はビ アオ ストで出 された多く の証書 で確認さ ( 6) ヴ ィエンヌ、 シャ れ る。そし てそ の後 の10年間 にサヴ ォワ' ま た フラ ンスの学 界 にお い ても区別 の意識 は明確 ではな fra p T i u e タン Ou r l i a ce t J ・ L ・ G a Z Z aniga,mS t O i r edudroi tp na i s P , ari s 1 9 , 8 5p . p7 9 1 - 80. Fオ .リ ヴィエ=マル P・ 「 慣習法文書」と いう訳語を与え ている ことからも分か る プ レーを中心とす る各地 の証書 に次 々と新し い裁判官 の名 い。しかし'北東 フランスにお いて授与された特許状が、 は ( 世界各国史2) ﹄山川出版社、1九六八年、 七九 -八〇真. ス史( ( 塙浩訳) フ ランス法制 史概説﹄創文社、 一九八六年、三二八 貢。 2)山 口俊夫 戚 説 フランス法 上﹄東京大学出版会、l九七八年、 二〇頁。木村尚三郎 「フランス社会 の形成」 井上幸治編 フ ラン 持 つ。他方サヴ ォワ伯領 の特許状 は'かかる法文書 の授与 主 X . . R e III。siece t ) ,u u ehistoTiqued n pi se t a trangeT. ・1 t 43 1965 p p.61-70 1 i bi d・ ・ pp ・ 81 I8 3・ , Jの I 面 のプ ロソポグ ラフィッ シ ユな研究 が進 PI Du parcV o p. ct t . . p. 8 0 . e この遺言 相続規定の持つ独自性 に 関 て し はヴアラ ンも指摘 し て Vait t an t﹀Lapol i i que. . p . 2 43 いる.P・ droi tfra ( pr e mi 6 r em.i t i 6 du 都市社会﹄岩波書店、 f九九〇年、五四-五五頁を参購。 ( 4) P・ DuparC, La p6 n6 r at i on du dr oi tr omain e n savoie 廉 1郎 r 中 世 イ タ リ ア都 市 にお け る公 証 人 」 ブ タ リ ア中 世 の 意味を 持 っていたか に つい ては慎重 にな る べき であ ろう。清 水 れ が 一般 化 し ていく。も ち ろん こうした 表 現が確実に実態的 な る保 護権 力 の由 来 も 示 さな - な り ( pubut i cusnot arius) 、そ びつき domi niAme deic omi t i s) 。 そし て再び 皇帝 権 威 と の結 を示す表現が現れた後'世紀後半 にそれ は減少 し、 以後 いかな が伯 と の結び つきを 強 めた ことを 示す表 現が増 え る (notarius 表 現 が 多 いが ( not ar i uss ac lipalai i )世 紀 前 半 に は公 証 人 世 紀初 め は皇帝 な ど の上 級 権威 にそ の公証力 の源を 求 め ている ( 3)公証人 の称号は、時代ごとに特徴を持 っている。2 1世紀末11 3 法文書 の名 で総称され ている史料の区別 ・ 区分を は、今後更な る検討が必要 であろう。 art edef r a n chi se sJCha rt ede co ut u mes)」 ( Ch 張するため に のであることを考えれば'そ こから更 に進 んで従来 「 慣習 境界と いう特殊な地域的条件 にある諸侯領を対象としたも る。ただ本稿がもともと神聖 ロー マ帝国と フラ ンス王国 の 構造 の違 いを云 々す る程度 では不十分 ではな いかと思われ し、個別的な内容 の差異を以 て当該地域 の政治的 ・経済的 こうした ことを考えると'両者を同 一の史料類型と見な を異 にし て初め て可能な のではな いだ ろうか。 す る限り にお いて、すなわち北東 フラ ンスとは ニ ュアンス 授与が 「 新 たな慣習法 」を作 ろうとす る動きだ ったと理解 習法文書」と呼ぶにし ても'それは伯 による 一連 の特許状 ぅとす るも のであ った。かり にサヴ ォワ地方 の特許状を 「 慣 よ又 入れ の過程を経 て新 たな法を積極的 に生み出し ていこ 面を持 っており、新たな法体系 の整備と いう点 では限界を ラ ンスの特許状 は、地域 の伝統的な慣習法 に規定される側 化と いう表現をとる のは モード ン系列だけ である。北東 フ ヮ伯領下 の特許状 で edec out umesであるのに対し、サヴ ォ し たまさ にChar t 当地の伝統的な慣習法 の承認 ・成文 そ の前文 にお いて当地 の慣習を承認 ・成文化す る旨を宣言 彼らはそれぞれ管轄区域を与えられ ており、 が現れ ている。 ges) の登 用が知 られ ている。 このこと は裁 判証書に j u とな る。しかしサヴ ォワ伯領 では他所 に先駆け て、特許状 法 の素養を身 に つけた人材が将来的 には必要とされる こと た。ただ民事的な問題 に関し て彼らは無力 であり' ロー マ 第 三 に、職業的な裁判官 の登用が挙げられる。通例 12- 2 8 2 9 展し ていな い現況 では、 この裁判官職 が特定 の家系 に収赦 して 階層を形成 し ていたと見解す る には至らな いが' この後 サヴ ォ ワ伯 の封臣層 の子弟 が選ばれ てアルプ スを越え、ボ ロー 二ャに 赴き研鎖を積 ん で、専門化 した裁判官身分を形成 し ていくま で の問、法 発 展 にと って既 述 の公 証人 層 が果 た した役割 は大 き か った と思 われ る。マ ック ス=ウ ェーバ ー( 世良 晃志郎訳 )﹃ 法 社会学﹄創文社 、 一九七 四年 、 三四四 ⊥ 二四七及び 四六九頁 。