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専用レジュメ ダウンロード
2015年受験対策
文章理解セミナー
行政書士講座
セミナー 資料
Ⅴ
資格の大原
文章理解セミナー
はじめに
一般知識等で基準点突破を目指すためには、文章理解での得点が必須となります。
当セミナーでは、要旨・内容把握問題、整序問題、空欄補充問題の基本的な解法を伝授いた
します。
資格の大原 行政書士講座
- i -
文章理解セミナー
目次
文章理解セミナー
1
過去の出題実績
...................................... P1
2
要旨・内容把握問題
3
整序問題
4
空欄補充問題
.................................. P2
............................................ P9
........................................ P12
- ii -
文章理解セミナー
1
1
過去の出題実績
試験科目・出題形式(平成17~26年度本試験)
出題分野
文章理解
出題年度(直近10年)
17
18
19
20
21
22
23
○
○
○
○
○
○
○
①
要旨・内容把握問題
②
下線部解釈問題
③
整序問題
④
空欄補充問題
○
⑤
その他
○
2
○
○
○
○
○
○
○
○
○
○
24
25
26
○
○
○
○
○
○
○
出題実績から見る傾向
①要旨・内容把握問題、空欄補充問題は頻出である。
②整序問題は出題されない年もある。
③下線部解釈問題は、新試験制度(平成18年度)以降出題されていない。
- 1 -
文章理解セミナー
2
要旨・内容把握問題
例題1
次の文章の要旨として最も妥当なものはどれか。
魚類には流れに逆らって泳ぐ習性があるようであるが、ことにコイのはげしい水の
勢いに向かって進む習性はいちじるしい。古来、コイの滝のぼりとして賞美されるの
は、それ自体の勇ましさのほかに、人間の側にも同じような心理的傾向がどこかに内
在しているために、一種の心理的共鳴を起こして、とくに感銘するのかもしれない。
人間にかぎらず、そしてコイにかぎらず、なるべく抵抗のすくないところを選んで
生きていこうとするのが生物として自然の本能と考えられるのに、明らかにそれと矛
盾するようなこういう習性がみられるのはおもしろい。生きるという以上、完全に環
境に順応しきってしまうことはあり得ず、かならずある程度は、それに逆らい、摩擦
のあることを前提とするはずだとも考えられるのである。行動、活動、生きること自
体が、作用と反作用を離れてはあり得ない。生きものが独立した存在であろうとする
かぎり、かならず、ある程度は環境と対立の関係にあると見るべきで、もし、まった
く環境に抵抗しなくなったら、それはすでに生きることの停止を意味する。
人間もたえず環境との間に生ずる緊張を意識している。しばしば、それがもっとも
具体的な生の意識になる物理的な障害は、ほかのものに逆らったときに生ずる摩擦に
よって保証されるといってよい。なるべく余分なエネルギーは消費しないようにしよ
うとする本能がある一方で、無為をきらい、積極的な活動をすることに喜びを覚える
別の本能があって、両者が拮抗している。しかし、われわれの生活のすべての面にお
いて、努力ということが尊重されるのは、とりもなおさず、環境順応の無為よりも、
四囲の自然に逆らっていくことの中に、真の人間らしさがあることを公認しているも
のにほかならない。
このことは、行動の次元にとどまらないで、当然、心理的な問題にもおよぶであろ
う。何もしないでじっとしていることが身体的にもっとも楽であるように、外界の事
象、表現をそのまま無抵抗に受け容れ、これに反発したり、批判を加えたりしなけれ
ば、精神はもっとも自然な状態で平安を維持できるはずである。もし、われわれが、
こういうことのみを好むようであれば、人間はみな環境の奴隷になってしまうであろ
う。自然の支配はおろか、人間としての自主性さえおぼつかなくする。ところが、よ
くしたもので、そういう無抵抗の受容をあきたらなく感ずるようにできている。むし
- 2 -
文章理解セミナー
ろ与えられたものに逆らうときの抗性に快感を覚える習性があるのである。
(出典
1
外山滋比古「ホモ・メンティエンス)より)
人間に限らず生物は選択可能な範囲において極力抵抗の少ない場所で生きていこ
うとする本能を有しているため、流れに逆らって泳ぐコイはまれな存在である。
2
人間だけでなく魚類も同様であるが、周囲の環境に抵抗しなくなることは生の停
止を意味しており、環境に順応しきってしまうということはあり得ないのである。
3
人間は行動と心理の両面において、周囲の環境に無抵抗のまま安住する平穏より
も、与えられた環境に抗っていくことで得られる充実感を快く感じるものである。
4
人間が地球上で生きていく限り周囲の環境に適応しきるということはなく、必ず
ある程度の対立関係をその環境との間に持続させようと努力しているものである。
5
人間は絶えず環境との間に生じる緊張を意識して生活しており、他者に反駁した
場合に起こる摩擦によってのみ自己の生きがいを確認することができるのである。
- 3 -
文章理解セミナー
例題1
正解3
魚類の中でも特に「コイの滝のぼり」を例として示しながら、人間と周囲の環境
との関わりのあり方、人間の「行動、活動、生きること自体が、作用と反作用を離
れてはあり得ない」ということから、人間の習性について考えた文章。接続語に注
意して読み進めていくと、本文17行目に逆接の接続詞「しかし」があり、「環境順
応の無為よりも、四囲の自然に逆らっていくことの中に、真の人間らしさがある」
というのが筆者の主張であることがわかる。また終わりから 3行目の「ところが」
以降の記述を押さえて選択肢を検討する。
1×
第1、2段落の記述と合っているが、第3段落以降の記述を含んでおらず、ま
た、
「コイ」は具体例として示されているものにすぎないので要旨とはならない 。
2×
第2段落の記述とは合っているが、第3段落以降の記述を含んでいないため要
旨とはならない。
3○
妥当である。
4×
本文10~12行目、「生きものが独立した存在であろうとするかぎり、かならず、
ある程度は環境と対立の関係にあると見るべきで、…それはすでに生きることの
停止を意味する」とあるが、「対立関係を…持続させようと努力している」とい
うことは述べられていない。
5×
「他者に反駁した場合に起こる摩擦によってのみ」と、条件を限定しているよ
うな記述は本文中に認められない。
(出典
外山滋比古「ホモ・メンティエンス)より)
- 4 -
文章理解セミナー
~MEMO~
- 5 -
文章理解セミナー
例題2
次の文章の内容に合致するものはどれか。
時間の変容とは、たとえば実際に感じる時間の中にもつねに見出されるものであっ
て、時は決して一様の速度で流れるものではなく、熱中してすごす数時間は一瞬のよ
うに思われるし、焦燥の三十分は半日の思いにも当たるだろう。文字通り矢のように
すぎた時間でも、その時間が充実していた以上、あとから思えば実に豊かにたっぷり
と流れたように感じられるし、倦怠した一年はいかにながく思えたとしても、あとで
考えればいかにも空虚であって、ほんの一瞬にすぎさったと実感されるにちがいない。
当然こうした時間の面から現代の危機を解明する試みがなさ れるだろうことは想
像できるし、事実古くて新しい時間の問題は、特に今世紀に入って哲学、文学の重要
な対象となっていることは周知のことである。
しかし私はここで「時間」の問題を単に問題解決の特殊な方法とのみ考えずに、も
っと私たちの身近な問題として考えられないだろうかと、あえて自問してみたいもの
である。それは私たちが技術、機械の際限ない発達が人間をますます非人間化し、疎
外するという状況を目撃しているからであり、他方、こうした傾向は時間についても
例外ではないことを知っているからである。現代の時間とは、いわば人間的な内 容を
失って、人間とは無関係な時間の中に失墜しているといっていい。(中略)
もともと青春期は豊かな内容にいろどられている以上、時間は深い実在感をもって
流れるものだが、こうした時間に対する親密な関係をもつ若い時期に、時間の変容に
ついて考えぬくことは現代社会を支配する無内容な時間に対する抵抗の土台を作るこ
とにもなるにちがいない。時間という無限の耕地を、青春期ほどに果てしない可能性
のもとに耕しうる時はほかにないし、時間変容の秘密を敏感につかむときもほかには
ないからである。そしてこうした時間の意味を反省することは、か つて自分のメチエ
※
をよろこびえた人間たちがもっていた時間をふたたび見出すことになりはしまいか。
それは一口にいえば自分の仕事を、真に「自らの仕事」に転ずる動機をつかむことで
はあるが、現代のデカダンスに対するそれ以上に強固な抵抗はおそらくあり得まい。
こうした反省のなかで、はじめて、時間の変容は、死刑囚にあって十倍百倍に生きる
可能性を与えたように、私たちにも何らかの新しい可能性を暗示するにちがいない。
というのは、私たち自身、死によって未来をとざされていることを知る唯一の存在
すなわち人間にほかならぬからだ。
※
メチエ(metier)
仕事。職。
- 6 -
文章理解セミナー
(出典
1
辻邦生「時間という耕地について」より)
現代の時間は人間とは無関係になっているが、
「自らの仕事」をふたたびつかむた
めには、時間の意味を反省することが不可欠である。
2
現代の時間が人間とは無関係になったのは、人間の集中力によって流れ方が一様
ではないという時間の特性によるものである。
3
現代の時間は人間とは無関係になっているが、青春期に時間の意味を反省し、稔
りある時間として切り開いていくことが求められている。
4
現代の時間は人間とは無関係になっているが、時間の問題をもっと自分たちの身
近な問題として捉えることによって、死に対する抵抗が可能となる。
5
現代の時間は人間とは無関係になっているが、社会を支配する無内容な時間をい
かに耕していくかが問題である。
- 7 -
文章理解セミナー
例題2
正解3
本文は4段落の構成であるが、第1・2段落で「時間」の一般的な解釈を示し、
第3段落でそれとは異なった筆者の「時間」に対する問題提起を示している。選択
肢は全て「現代の時間」と書き出されているので、まず「現代の時間」を「人間的
な内容を失って、人間とは無関係な時間の中に失墜している」と定義した中略の直
前に注目する。これを踏まえて展開されている論を検証すればよい。
1「文章の内容に合致しない」
「自らの仕事」を「ふたたびつかむ」ということは
述べられていない。
2「文章の内容に合致しない」
第1段落に「時は決して一様の速度で流れるもので
はなく」とあり、その後具体例が挙げられているが、これらが「現代の時間」が「人
間とは無関係」になった理由とはされていない。
3「文章の内容に合致する」
4「文章の内容に合致しない」
第4段落に「無内容な時間に対する抵抗」という表
現は見られるが、「死に対する抵抗」については書かれていない。
5「文章の内容に合致しない」
第4段落に「時間という無限の耕地を、青春期ほど
に…耕しうる時はほかにない」とあるが、「無内容な時間をいかに耕していくかが
問題である」ということは述べられていない。
(出典
辻邦生「時間という耕地について」より)
- 8 -
文章理解セミナー
3
整序問題
例題3
次の与文に続けてA~Fを意味の通るように並べ替えたものとして最も妥当なもの
はどれか。
もともと、個性のもととなっている人間の性格は、じつに厄介ないろいろの要素の
複合体である。
A
もっとも、そういう作業をおこなうことなど考えもしない人たちはいくらでも存
在しているし、
B
したがって、性格と個性とは違ってくるわけであり、年齢とともに抑制したり育
成したりしたいと考える要素の種類も違ってくるので、個性は微妙に変化してゆく。
C
そして、人間が成長するにしたがって個性がはっきりしてくるのは、それらの要
素がさらに増えてゆくためではなくて、
D
逆に個人が自分の中のそういう要素を点検して、あるものは抑制もしくは圧殺し、
あるものはそれを育成するという作業の結果ではないか、と私はおもう。
E
その作業のできる人間はある意味で「悪人」であり「悪党」といえるかもしれな
い。
F
「善人」には、小説は書けない。
(出典
1
C-D-B-A-E-F
2
F-D-C-E-A-B
3
C-E-F-A-D-B
4
F-E-C-D-A-B
5
F-A-E-C-D-B
吉行淳之介「『文章』と『文体』」より)
- 9 -
文章理解セミナー
例題3
正解1
まず指示語に着目する。A「そういう作業」、E「その作業」の指示内容を考える
と、D「個人が自分の中のそういう要素を点検して、あるものは抑制もしくは圧殺し、
あるものはそれを育成するという作業」が該当すると読み取れるため、 Dの後にAと
Eがあると確定し、3、4、5を消去する。次にDの冒頭「逆に」という接続語を手
がかりにする。
「逆に個人が自分の中のそういう要素を点検して、あるものは抑制もし
くは圧殺」するのと逆の内容としてはC「それらの要素がさらに増えてゆく」が自然
であると考え、C→Dの流れを確定し、2を消去する。
よって、1(C-D-B-A-E-F)が正解となる。
(出典
吉行淳之介「『文章』と『文体』」より)
- 10 -
文章理解セミナー
~MEMO~
- 11 -
文章理解セミナー
4
空欄補充問題
例題4
次の文章中の空欄A、Bにあてはまる語句の組み合わせとして最も妥当なものはど
れか。
英国の市民墓地へ夜入ると、墓石の下から笑い声が聞えて来るという怪談がある。
英国人は反応が鈍いので、生きてる時聞いたおかしな話のおかしさが死んでから分っ
て笑ってるんだと、これはむろん彼ら自身の作り話。
議会でイングランド出身の議員が、スコットランド人を侮辱する演説をした。こっ
ちは実話。
えんばく
「イングランドでは馬しか食わない燕麦 (oats)を、スコットランドでは人間が食
っている」
この発言にすぐさまスコットランド出身の議員が応じた。
「仰有る通りなり。だからスコットランドの人間が優秀で、イングランドの馬が優
秀なのです」
日本の国会だったら前者の差別発言、ただでは済まないでしょうが、ロンドンの議
たっと
会は、爆笑で終わったといいます。英国の国民性に、重厚さを 貴 ぶ一面とユーモアを
大切にする一面があることは、注目に値するのではないですか。
藤原正彦さんが十六年前に新潮社から出した『遥かなるケンブリッジ
一数学者の
イギリス』は僕の愛読書で、何遍も読み返してますが、それはこのケンブリッジ滞在
記が、英国人のセンス・オブ・ヒューモアという意外にむつかしい問題を考えるのに、
大変参考になるからです。
藤原さんが文部省の在外研究員としてケンブリッジへ着いて間もなく、リチャー
よ も や ま
ド・コリンズと名乗る数学科講師がひょっこり研究室へあらわれ、 四方山 話の途中、
不意に真顔になって、
「イギリスで最も大切なものはユーモアだ」
と言った。この言葉は藤原在外研究員の頭の隅にひっかかり、何故大切なのか、そ
もそもユーモアとは何か、それを統一的に説明することは可能か、数学者らしく相当
突きつめて考えてみたらしい。得た結論が『遥かなるケンブリッジ』の最後の章に書
いてある。僕流に要約しますと、ユーモアにはpunと呼ばれる駄じゃれの類いから、辛
辣な皮肉や風刺、ブラックユーモアまで、多種多様な形があって、英国のある種のユ
ーモアなど、英国紳士の生活や感覚を知っていないとそのおかしさが分らない。だけ
ど、ユーモアの複雑多岐な形を貫いて、一つ共通することは、
「いったん自らを状況の
外へ置く」という姿勢、
「対象にのめりこまず距離を置く」という余裕がユーモアの源
である。
真のユーモアは単なる滑稽感覚とは異なる。人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎとりな
- 12 -
文章理解セミナー
うたかた
がらも、それを「よどみに浮かぶ 泡 」と(
A
)ことで、陰気な悲観主義に沈む
しりぞ
のを 斥 けようというのだ。それは究極的には無常感につながる。英国人にとってユー
モアは、
(
B
)に立たされた時最も大きな価値を発揮する。まあそんなところでし
ょうか。
(出典
A
B
1
気にせず、距離を置く
リーダー的立場
2
落胆し、涙にむせぶ
演説の場面
3
受け入れ、対峙する
人生の岐路
4
哄笑し、煙に巻く
複雑怪奇な立場
5
突き放し、笑いとばす
危機的状況
- 13 -
阿川弘之「大人の見識」より)
文章理解セミナー
例題4
正解5
空欄付近の記述をとくによく読み、ヒントとする。空欄のある直前の段落に、「共
通することは、『いったん自らを状況の外へ置く』という姿勢、『対象にのめりこまず
距離を置く』という余裕がユーモアの源である」という記述がある。これを踏まえて
空欄Aへ。
「 人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎとりながらも、それを『よどみに浮かぶ泡』
と(A)ことで、陰気な悲観主義に沈むのを斥けようというのだ。」とあることから、
「人生の不条理や悲哀」や「陰気な悲観主義」と反対のイメージを持つ内容があるは
ずである。ここで2を消去する。また3のように「人生の不条理や悲哀」を「受け入
れ、対峙する」ことも、ここではあてはまらないため、3も消去する。
次にBについて、「人生の不条理や悲哀を鋭く嗅ぎとりながらも、それを『 よどみ
に浮かぶ泡』と(A)ことで、陰気な悲観主義に沈むのを斥けようというのだ。…英
国人にとってユーモアは、(B)に立たされた時最も大きな価値を発揮する。」とある
ことから、
「陰気な悲観主義に沈むのを斥け」るのがユーモアであると読み取れる。
「人
生の不条理や悲哀」がありまた「陰気な悲観主義に沈」みそうな状況の 時に発揮され
るのだから、マイナスイメージの語句が入ると考えると、意味として最も妥当なのが
5である。4「複雑怪奇」は必ずしも「陰気な悲観主義」に結びつくとは限らないた
め、5がより妥当だと考えられる。
よって、5(A:突き放し、笑いとばす
B:危機的状況)が正解となる。
(出典
- 14 -
阿川弘之「大人の見識」より)
文章理解セミナー
~MEMO~
- 15 -
文章理解セミナー
例題5
次の文章中の空欄を補うものとして最も妥当なものはどれか。
中原の心のなかには、実に深い悲しみがあって、それは彼自身の手にも余るもので
あったと私は思っている。彼の驚くべき詩人たる天資も、これを手なずけるに足りな
お か わ
む
し
かった。彼はそれを「三つの時に見た、稚厠 の浅瀬を動く蛔虫 」と言ってみたり、
「十
二の冬に見た港の汽笛の湯気」と言ってみたり、果ては、
「ホラホラ、これが僕の骨だ」
と突きつけてみたりしたが駄目だった。言いようのない悲しみが果てしなくあった。
私はそんな風に思う。彼はこの不安をよく知っていた。それが彼の本質的な 抒情詩の
全骨格をなす。彼は、自己を防禦する術をまるで知らなかった。世間を渡るとは、一
種の自己隠蔽術に他ならないのだが、彼には自分のいちばん秘密なものを人々に分か
ちたい欲求だけが強かった。その不可能と愚かさを聡明な彼はよく知っていたが、ど
うにもならぬ力が彼を押していたのだと思う。人々の談笑のなかに、
「悲しい男」が現
われ、双方が傷ついた。善意ある人々の心に嫌悪が生まれ、彼の優しい魂のなかに怒
りが生じた。彼は一人になり、救いを悔恨のうちに求める。汚れちまった悲しみに…
ルフラン
…これが、彼の変わらぬ詩の動機だ、終わりのない畳句 だ。
彼の詩は、彼の生活に密着していた。痛ましいほど。笑おうとして彼の笑いが歪ん
だそのままの形で、歌おうとして詩は歪んだ。これは詩人の創り出した調 和ではない。
中原は、言わば人生に衝突するように、詩にも衝突した詩人であった。彼は詩人とい
うよりむしろ告白者だ。彼はヴェルレエヌを愛していたが、ヴェルレエヌが、何をお
いてもまず音楽をと希うところを、告白を、と言っていたように思われる。彼は、詩
の音楽性にも造型性にも無関心であった。一つの言葉が、歴史的社会にあって、詩人
の技術をもってしても、容易にはどうともならぬどんな色彩や重量を得て勝手に生き
るか、ここにおのずから生まれる詩人の言葉に関する知的構成の技術、彼は、そんな
ものに心を労しなかった。労する暇がなかった。 大事なのは告白することだ、詩を作
ることではない。そう、思うと、言葉は、いくらでも内から湧いて来るように彼には
思われた。彼の詩学は全く倫理的なものであった。
この生まれながらの詩人を、こんな風に分析する愚を、私はよく承知している。だ
が、なぜだろう。中原のことを想うごとに、彼の人間の映像が鮮やかに浮かび、彼の
詩が薄れる。詩もとうとう救うことができなかった彼の悲しみを想うとは。それは確
かにあったのだ。彼を閉じ込めた得態の知れぬ悲しみが。彼は、それをひたすら告白
によって汲み尽くそうと悩んだが、告白するとは、新しい悲 しみを作り出すことにほ
かならなかったのである。彼は自分の告白の中に閉じこめられ、どうしても出口を見
つけることができなかった。(
)。彼もまた叙事性の欠如という近代
詩人の毒を十分に呑んでいた。彼の誠実が、彼を疲労させ、憔悴させる。彼は悲しげ
に放心の歌を歌う。川原が見える、蝶々が見える。だが、中原は首をふる。 いや、い
や、これは「一つのメルヘン」だと。私には、彼の最も美しい遺品に思われるのだが。
- 16 -
文章理解セミナー
秋の夜は、はるかの彼方に、
小石ばかりの、河原があって、
ひ
それに陽 は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
けいせき
陽といっても、まるで硅石 か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくっきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかった川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
(出典
小林秀雄「私の人生観測-「中原中也の思い出」より」
1
彼は詩作という知的構成技術の罠におち、それを脱することができなかった
2
彼を彼自身の内に閉じ込めている悲しみの壁を打ち破ることができなかった
3
彼を本当に閉じ込めている外界という実在にめぐり遇うことができなかった
4
彼は日々自分の天資が薄れゆくのを感じながらどうすることもできなかった
5
彼は悲しみの告白に専念したあまり叙事の詩を歌うことができなかった
- 17 -
文章理解セミナー
例題5
正解3
空欄の前後を読み取っていく。空欄の前には、彼 (中原)が得態の知れぬ悲しみに
よって閉じ込められていたこと、それを告白することによって汲み尽くそうとしたが
告白の中に閉じこめられ、脱出できなかったことが述べられている。また空欄の後ろ
には、中原には、他の近代詩人がそうであったようにその作風に叙事性が欠如してい
たことが述べられているので、この2点を矛盾なくつなぐことが可能なものを選択す
る。
1
中原が、詩の知的構成技術に心を労しなかったことが述べられている。また、知
的構成技術と叙事性の欠如が関連しているようには読みとれない。
2 「得態の知れぬ悲しみ」によって閉じ込められ、それを脱しようとしてさらに「告
白の中に閉じこめられ」たと述べられている。中原が「悲しみによって彼自身の内
に閉じこめられている」とは述べていない。
3
最も妥当である。
4
中原の詩人としての天資が、日々薄れていくことを中原自身が感じていた、と理
解されるような記述は見当たらない。
5
中原が「悲しみの告白に専念した」ことが理由で「叙事の詩」を歌えなかったの
ではない。彼にはもともと叙事性が欠如していたため、「叙事の詩」を歌うことが
できなかったのである。
(出典
小林秀雄「私の人生観測-「中原中也の思い出」より」)
- 18 -
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