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FamilyandLocalAutonomyina MilaneseSuburb 47

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FamilyandLocalAutonomyina MilaneseSuburb 47
愛知学院大学政策科学研究所所報「政策科学』
第3号
(2012)
ミラノ郊外の家族と自治
FamilyandLocalAutonomyi
naMilaneseSuburb
岩田和男
KazuoIwata
愛知学院大学総合政策学部教授
本報告は、
「家族」を社会学のパースベクティブで捉
この映画評に、「退屈な話のように思えるが、当時の世
えるフレームワークにあくまでこだわりつつ、そこでの
相、特に家庭の平和に関して神経過敏になっていた戦後
研究成果を著者の研究分野である超域文化論へと脱臼的
の状況をよく反映しており、社会学的な価値は高しリ(ス
に接木することで、文学的テーマとの近接が濃厚にも見
ティーブン・ J. シュナイダー編『死ぬまでに見たい映画
える文化的表象としての「家族」が、社会学プロパーと
1001 本』ネコ・パブリッシング、 2004 年、 316) という
思われるテーマの「イタリア市民自治」とどのように重
意見があること、カンヌ映画祭でパルム・ドールを得て
なりうるのか、イタリア視察を通じて、その可能性を最
いることからもわかるように、戦後社会に普遍的に起き
大限掬い上げることを目的とする。
ていたある何某かの真実を映した映画という見方は決し
て大袈裟な物言いではない。
はじめに
イタリア視察にいたる背景
その映画が伝える(何某かの真実)と、戦後の社会学
本報告の端緒は、平成 23 年度古川学術研究振興基金研
において「家族史研究が飛躍的に増加」したことは関係
究費を得て行なっている「核家族化と家庭及び女性の役
があると筆者は考えるからである。ローレンス・ストー
割の学際的比較研究一一超域文化政策的視点から」にあ
ン (Lawrence Stone) の“Family
る。この研究は、移動可能性を大きな特徴とする第二次
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世界大戦後の三つの社会アメリカ、イタリア、日本にお
InterdisciplinaξyHi討ory, XII , 1) によると、家族史研究
いて、核家族化現象に対する人々の反応を比較研究する
は 1970 年代に、イギリス、フランス、アメリカで急成
ことで、本格的なグロパール社会の中での最小単位であ
長を遂げたのだそうだが、その背景は 13 カ国で 70 年代
る「家族」のこれからのあり方を、具体的な提案を盛り
に共通してみられる、
込む形で、超域文化政策的に考察することを目的とした
とそれを取り巻く環境に起きた、急激な社会的変化」で
ものである。
あるとしづ。具体的には 150% にも及ぶ離婚率、婚姻外
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『西欧型家族 (western
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研究の前提として、映画は社会を映す鏡と考える。そ
性交渉の増加、希望子供数の劇的下落、既婚女性の育児
うすると、核家族化が避けられなくなってきたのは 20
家事放棄と労働市場への流出 J などである(米山秀『近
世紀半ば、もっと正確に言うと、第二次世界大戦後と考
世イギリス家族史.n
えてよい。戦前の母が多産であったのに比して、先進諸
参照)。
国と呼ばれる国の母たちは戦後押しなべて少子化への道
(ミネルヴァ書房、 2008 年)、 21
『マーティ』が 70 年代の西洋家族に起きることを予見
を辿った。女権拡張運動とちょうど歩を揃えるように、
していたわけではもちろんない。それどころか、次のあ
子どもは減り、核家族化が進み、女性の社会進出が進ん
らすじを読めばわかるように、一見するだけなら、もて
だのである。
ない男が結婚相手をやっと見つけた話にしか思えないほ
核家族化の問題が、従来の価値観で生きている人々に
とって如何に厄介な問題を引き起こすか。それを示す好
例がアメリカ映画『マーティ.n (
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Marty
どである。
主人公マーティ(ボーグナイン)は、もうすぐ三十五歳
になるという、太った中年男で、醜男[ぶおとこ]のた
1955) である。ユダヤ人の脚本家チャイエフスキー
め女運に恵まれない。もっとも、高校から専門学校
(Paddy Chayefsky) は、母一人子一人のイタリア人青年
へ進もうというとき父が死に、イタリア系家庭の長
が結婚へといたるまでに見せる遼巡と苦悩、そして最終
男として、弟二人、妹三人を結婚させるまで、面倒
的に母との同居を捨てて恋人との核家族化を選ぶ青年の
を見なければならなかったのである。肉屋に勤め、
決心を描いた。テレビの脚本も手がける彼は、イタリア
主人からは店を売りたいと言われて食指は動くが決
系移民=中下層の労働者と捉え、核家族化の先例=アメ
断がつかない。老いた母ピレッティ夫人(エスター・
リカ社会の底辺を支える労働者社会の家族の現実と考え
ミンチョッティ)と二人暮らしで、いまは生活は楽に
たのである。
なったが、会う人ごとに、なぜ結婚しないと言われ
4
7
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lCYSCIENCEREVIEWNumber3(2012)
て、ノイローゼ気味。毎週土曜日の夜には、やはり
ネオ・リアリズモ映画であったとするならば、この『マ
三十二歳の今まで嫁の来てのないアンジー(ジョ
ーティ』を、結婚をめぐる母と子の悲しい物語のアメリ
ー・マンテノレ)と二人、ダンス・ホーノレへ行ったりし
カン・テレヴィジョナル・リアリズム映画を標携したも
て ρ女あさりグをしているが、ずーっとふられっぱ
の、と考えるのはあながち無茶なことではない。
なしなのである。結婚しないのじゃなく、したいが
具体的なテクスト分析は別稿に譲り、ここでは、そう
出来ないのである。(林冬子「マーティ J 、キネマ旬
いう映画『マーティ』の要諦のみ掲げておく。それは、
報増刊『映画史上ベスト 200 シリーズ
したがって、林が言うような醜男が諦めかけていた結婚
映画 200 Jl
(キネマ旬報社
1982 年)
アメリカ
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を果たす話などではなくて、父が早くに亡くなり弟妹が
しかし、その地味な物語展開は、ロシア系ユダヤ人のテ
結婚して出て行ったために、母と二人で家に残るしかな
レビ脚本家であったチャイエフスキーの特色である、映
かったイタリア系の長男が、両親と住むアイルランド系
画全体を通じて流れるテレビ的リアリズムという表層を
の一人娘を好きになり結婚しようと思ったものの母に反
易々と突き抜けて、マーティの家族がイタリア系であり、
対され、さんざん悩み一度は諦めかけたものの土壇場に
結婚相手となるクララの家族がアイルランド系であるこ
来て諦めきれず、クララと結婚することをはっきり決意
とにセリフにも、仕草にもほとんど言及されることはな
し行動する話なのである 。 将来の母との同居、別居につ
いにもかかわらず、
いては、もちろん何の示唆もない。
「結婚」とし寸若い人に起ころうと
している幸福が、それぞれが異なる民族の家族であるが
そこから見てとれるのは、母との同居を諦めるか、母
ゆえに持つ固有の事情に影響されざるをえないこと、そ
と妻とのいさかいの調停役を自らに課すことを覚悟する
して移動可能であるがゆえに現代社会は個人の「生きに
か、いずれかの未来へと歩を進める息子の姿である。い
くさ」を抱えざるをえないこと、などを示すことで、奥
ずれの方向への進路を彼が模索しようとも、見えてくる
深い社会的真実へと 到達している。
のは、母と同居する形での家族を維持することの困難で
これは大変印象的な映画的事実である。というのも、
ある。それは端的に言って、クララとの新婚家庭の延長
チャイエフスキーは自らの脚本集のなかで、戦後イタリ
としてパラ色に想像で、きる核家族のイメージと、母の姿
ア映画のネオ・リアリズモに触れているからである。
が重なるところにある現実のギャップである。
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ザー』三部作を挙げるまでもなく、父と子の粋の強さな
Televisi白 Plays (NewY
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andLondon:ApplauseBooks, 1994), 183.
)
のである。イタリア映画においても、先ほどの『自転車
もちろん、彼はこの直後でそのリアリズムに特別な事
泥棒』に明らかなように、決して母が出ないわけではな
件、 一種のヒロイズムが流れていた ことを指摘しており、
いが、物語の中核は父子であるし、フェリーニの『青春
決してストレートにそれをお手本として称賛しているわ
群像』を辿ってみても、やはり物語の中心に坐している
けではない。しかし、上述のように敢えてその名を挙げ
のは父子である。
るところに、仮にそれが批判的なものであったにせよ、
この事実から筆者は何を読みとるべきだろうか。父の
自らのテレビ的リアリズムの出発点のひとつにイタリア
不在を時代の象徴と考え、その後の映画的現象を「強い
映画があったことは読みとっていいのではないだろうか
父の再来」への夢と読むべきなのだろうか。しかし、そ
えそう考えるのが正しければ、例えば『自転車泥棒』が、
れでは先行するイタリア映画における父子の 5郎、紳との
自転車盗難をめぐる父と子の悲しい物語のイタリアン・
関連がうまく説明できない。むしろ、映画とは父子を描
くように宿命づけられていたと言うべきなのだろうか。
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起点にイタリア視察へと至る筆者の研究上の背景には、
25 日アクセス)参照。
このような、チャイエフスキーが母と息子の映画を作っ
1 "Wh
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nBoston ,
2 ジャン ・ピエロ・ブ、/レネッ夕、 ) 11 本英明訳『イタリア
映画史入門 1905圃 2003J1 (鳥影社、 2008 年)、 183 参照。
4
8
「核家族化と家庭及び女性の役割の学際的比較研究J を
たとしづ事実を、映画史的にも、社会学的にも、きちん
愛知学院大学政策科学研究所所報「政策科学』
第3号
(2012)
と跡づけたい意向が絡んでいる。そのことをまずもって
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断っておく。
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ざまな知見を重ね合わせて、上述の学際的比較研究の今
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線引用者[以下同様])
どのようなものなのか、そういう家族の中で「マンマ・
ということは、やはり家族を重視する伝統は、さすがに
ミーア」と驚きの表現に使われるほどの「母」の役割と
ポストモダンな影響を受けないわけにはし、かないものの、
はどのようなものなのか、 一般的に言われている「核家
70 年代以降も色濃く残ったわけだ。
族化現象の影響」とはどんな程度のものなのか、事前に
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家族の「紳J は、他に比類を見ないほどの強さであり、
かったので、また機会を見て論じることとして、ここで
同じように家族が歴史的に重視されたと言ってよい日本
は、視察報告に必要と思われることのみ挙げる。
社会における変化との対照ぶりは、先述の『無縁社会Jl(文
イタリア社会における家族の動きについては、 Paul
事春秋、 2010) における「孤族化現象」を挙げるまでもな
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く、顕著と言わざるを得ない。それほどイタリアのポス
(Penguin, 2001) を用いて、上述の項目に関する簡単な一
トモダン期の社会は、
般的事情の把握を図った。ギンズパーグによると、御多
分に洩れずイタリア社会にも、ローレンス・ストーンで
確認した戦後ヨーロッパ社会に特徴的な変化の影響が
「強い力」となって及んでいたのだが、その一方で、「伝
統が公共社会の上でも家族の領域にも重しのようになっ
「濃い家族色」を漂わせているの
である。
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どのように家族色を色濃く残すかというと、両親の子ど
与えた」とある。
もへの関わり方というか干渉の仕方が、昔から変わるこ
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しかし、エマニュエル・トッド『世界の多様性一一家族
7.
日本では最近、女性の社会進出がなかなか進ま
構造と近代性~ (荻野文隆訳、藤原書店 、 2008 年)3 によ
ないことが問題視されています。イタリアでは
ると、イタリアという国は、大雑把に言って北部 ・ 中部 ・
どうでしょうか。そのことが、家族のあり方に
南部で家族構造が違う。たとえば、今回のイタリア視察
影響を与えたとお考えですか。
で訪問が決まっているサント・ステファーノ ・ ティチー
いいえ→インタピ、ュー終了
ノ市やミラノ市があるロンパルディア州は、
はい→詳しく聞く
類によれば「平等主義核家族 J
トッドの分
という グループに属する
のに対して、同じく訪問予定のボローニャ市があるエミ
事前の研究会で行われたイタリア事情に詳しい方から
リア=ロマーニャ州や、フィレンツェ市があるトスカー
のヒアリングによると、とにかくイタリアという国は、
ナ州は、「外婚制共同体家族」というグループに属する、
こちらが予定している通りには物事が絶対に進まないお
とし、う具合である。
国柄だそうである。アポイントメントをとろうにも連絡
したがって、本来であれば、上述のようなイタリア全
がつかないので、行ってみないとわからないということ
体をーっとみなしたかのような見解には一定の疑問を付
だった。未経験の筆者は想像するしかないが、団長の先
した上で、細かい地域調査を施すべきだろう。もちろん
生が相手先と事前に E メールで、連絡をとろうにも 、 なか
筆者はその必要を認識していないわけではないが、今回
なか返事がないと言っていらしたことを考え合わせると 、
のように短い訪問期間で、多岐にわたる調査項目のうち
ありえそうな話で、はあった。しかも日本を出発する際に
の一つに過ぎなし、「家族」について、満足がいくほどに
台風の余波による混乱の影響を受けたため、到着予定が
さまざまに調査することはできない。上述のような構造
遅れてしまい 、
的差異については検討できそうにないので、今回は、あ
ノ ・ ティチーノ市のグリロ市長と商談することになった。
くまでギンズパーグの示してくれた見取り図にしたがっ
もっと時聞をかけてさまざまな事柄について市長と話し
て視察を進めることとした。
合いをする予定だ、ったのが、すべての質問事項について、
インタビューについては、以下のような「質問項目 J
を予定しておいた。
ミラノ到着の翌日にサント・ステファー
一 挙に座談会形式で質疑応答することになってしまった。
おかげで 、 個別にインタビューする機会がなくなってし
1
.
あなたの現在の家族構成を教えてください。
まい、予定していた上記質問項目から座談会形式でも対
2
子どものころ(何年代?)の家族構成について
応できそうな 7 と、ぜひとも聞きたいと思っていた家族
も聞かせて く ださい。
の「紳」の強さを中心に、機会を見て質問す る こととし
家族構成から考えて 、 家族の重要性に変化があ
た。
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.
ると思いますか。
(ア)ない→4 へ
(イ)ある→そう思う理由を聞かせてください。
話題は多岐にわたったが、たまたま市長選挙制度から
4. 特にお父さんについて聞きます。 家族の中で、
福祉へ移 っ た。高齢者問題に絡んで、市による援助政策
お父さんの重要性は変わったと思われますか。
が綾々述べられ、政策実行にはボラ ン ティア活動が重要
3 原典は Emmanuel Todd, LADIVERSITノD U
MONDE, ノditionsduSeuil, 1999。
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座談会形式でのヒアリング
であることが強調された。高齢者に満足ゆく生活を送っ
てもらうためには、単なる物的交流に留まらないコミュ
愛知学院大学政策科学研究所所報『政策科学』
第3号
(
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)
ニケーション、人と人との心の交流が欠かせないことが、
話がローマ帝国に及んで、われわれ一 同からも驚きの声
さまざまな事例紹介を経て浮き彫りにされた後、話は自
が上がった。ある事象を説明する際に、それを巡る想像
然と独居老人問題へ移行した。
力の中にイタリアの長い歴史が組み込まれていることに
問題を生んだ原因としてグリロ市長が挙げたのが「家
族が弱くなった」ためというものだ、った。夫婦共働きと
ある種の感慨を禁じえない一瞬で、あった。
グリロ市長の言う「家族とローマ帝国の崩壊」の関係
いう事情に加えて、大半が大都市ミラノへの通勤者であ
はこうである。ローマ帝政時代の地中海は「平和の海 J
り通勤時間も往復平均 3 時間と長い。そこへ労働 8 時聞
で、あった。ローマ人は、外征によって外を制圧し、内を
が加わるのだから、老人介護に家族が手を割けられない
平和にした。そういう帝国的状況を象徴的に表すのが地
わけである。市長の言う家族の弱体化とは、家に残らざ
中海平和の海」なのである。ということは、イタリ
るを得ない老人を面倒見る者が不在、とし、う事態を指し
ア内にいた家族は危険を感じることなく、日々の暮らし
ての言葉で、あった。
を平和に営むことができたということである。そこへ、
それを補うのがパダンテ (badante) と呼ばれる住み込
ローマ帝国の崩壊が始まる。 100 万人の人口を誇った都
みのヘルパーである。東ヨーロッパ、南アメリカ、フィ
市ローマは一気に 1 万 8 千人に減ったとしづ。このとき
リピン出身の女性がなることが多いそうで、どんな程度
のトラウマが「内/外の文化」という伝統を生んだとい
の整備であるかはわからないが、年金のシステムもある
うのである。
ということだった。そういう彼女たちが独居老人問題を
これ以降「外」の概念が醸成されるのだが、その意味す
解決するために他国に比して有効だ、ったのは、家族の結
るところは、「危ない、危険」ということである。市長は、
びつきが強し、からだとグリロ市長は言う。
その例として「売春婦 J
イタリアで家族のネットワークは、弱くなったこと
(
d
o
n
n
ad
istrada) を挙げた。
(イタリア語を訳すと)
I 道路の女 J
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I道路の女」
は弱くなったけど、他のヨーロッパ諸国と比べて、
と言いますと、
まだ強い。家族とパダンテの結びつきが重要になっ
やってる。だから、外でしたら、汚い、危ない、と
てきたので、家族のネットワークがないと、有効に
いうコンセプトは強いコンセプト lこなっているんで
利用できない。(独居老人と家人の)二人の面倒を見な
すね。中に入ってください。
くてはならなし、から。北ヨーロッパは家族の結びつ
安らぎ、安心、いいところ、あの、危険のないとこ
きが弱いので、うまく利用できない。
ろ、いい関係ばっかりですね。いい概念ばっかりが
パダンテというシステムを生み出す理由が「家族が弱く
「外の女」、外の危ない、 J和、仕事
I 家族」と言ったら、
中にある。外出たら危ない。
なった J ためなのに、それを利用するにあたって他のヨ
そういう「外」の危うさに対するのが「中(内)=家族j
ーロッパ諸国に比べて有利だ、ったのが家族の強さとは、
の素晴らしさである。
なんと皮肉に満ちた話かとも思うが、こここそが家族に
ついて尋ねる好機と 思い、質問することにした。
家もですね、作るときにも、やっぱり、そういうス
トラクチャーがある。で、食べ物作るのにも、庭の
イタリアは家族ネットワークの強いのが特徴だとい
中にある。そして、外側から見ると、そんなに大事
うお話があった。このサント・ステファーノ・ティチ
にしないですね。中に入ると、素晴らしい。特にミ
ーノ市の実感として、どんな点にその強さを感じて
ラノね。だから、そういう意味で、歴史の中身を見
らっしゃるのか、聞かせてほしい。
てみますと、家族はなぜこんなに大事になったかと
こう質問し、グリロ市長が同席する市役所の同僚の方々
いいますと、実際には、そういう歴史から、あの客
にイタ リア語で説明すると、 一瞬騒然となった。きっと
観的にも侵入されちゃって、ローマ崩壊してから、
いろいろ意見があるのだろう。グリロ市長は、こう口火
スペイン人も入ったし、……(聞きとり不能)人も
を切った。
入ったし、黒人も入ったし、あの、アラブ人に攻め
あの、まあ、いろいろ言ってるんですけど、カトリ
られて、千年間トルコとね、戦争ゃった歴史、いろ
ックの習慣もあるし、そして農業ですね、その、ア
いろありましたから、やっぱり危ないですね。外に
グリカルチャーの習慣もあるし、いろいろ言ってる
出るとは(そういうことだと)考えています。(そ
んですけども。僕は、あの、歴史的な説明と、歴史
れに対して)中にある(入る)と、すごい。
の中で経済的なストラクチャーというものも入って
ミラノについては、私の個人的経験と重なり合う。空港
いるし。そして、ま、いろいろな理由があるんだけ
に着いて、ミラノ市の駅まで列車で、向かったときのこと
ど、僕が信じてるのは、一番大事な理由はですね、
である。郊外の農地を抜けて、次第に街の様子がはっき
ローマ帝国のこと、いろいろの責任があると……。
りしてくると、そこにはパンダリズモの派手な色合いの
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落書きが壁一杯に描かれていた。色合いのきれいさが活
きる大きさに比例するということを、幼稚園視察に出か
気をもたらしはするものの、そこにあるのは一種の「野
けた途中で見かけたコムーネの教会について説明すると
趣」、暴力である。それが、駅に着いてタクシーを探す
きに、グリロ市長が教えてくれた。カトリックにおける
段になって市街地に出てみると、ビル街はピックリする
友愛とはまさに可視化されているのである。それなら、
ほど落ち着いた作まいなのだ。まさに歴史と伝統、豊か
地方自治における「紳」も何らかの可視化を受けるので
な文化を色濃く漂わせた街並みである。城壁を見たわけ
はないだろうか。 37 ページの写真を見てほしい。イタリ
ではないが、それはまさに市長の言うとおり、
ア地方自治の単位であるところのコムーネとは、尖塔の
「内 j の
豊かさ、温かさを強く印象づけるもので、あった。そして、
上から鐘の音が届く範囲ではないだろうか。あるいは、
市長の言葉とそういう私のミラノの印象は、遠く離れた
尖塔が見える範囲なのではないだろうか。事実、サント ・
エディンパラの歴史的街並みと外の荒野を分け隔ててい
ステファーノ・ティチーノ市の幼稚園、保育園は教会の
るのが、
「ローマの壁 (Romal
Wa
l
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)J
と呼ばれている
運営で、市が全面的に協力、補助しているのである。
ことに結びつく。
そして、この守るべき「内」なる家族の延長線上にコ
フェミニズムとイタリア女性と今回の視察評価
さて、フェミニズムとイタリア女性について、続いて
ミュニティがある。
で、誰が面倒見てくれるかというと、やはり家族で
次のような質問をした。
す。コミュニティを作るのは難しいですね。そうい
日本では、多分お母さんがいちばん強いと思う。お
う意味で。コミュニティを作るために、もっとコミ
父さん、ちょっと弱くなってきてる。イタリアでは、
ュニティ、強くするために、平和、平和的な環境、
マッチズモの文化があるけれども、マンマ・ミーア
作らなけりゃならない。平和的な環境でないと、な
のような、お母さんが強いっていう印象も日本人は
かなかコミュニティ、守れないし、だから 一番大事
受ける。女性がどんどん共働きするようになってき
なのは、ですね、やっぱり、家族ですね。そういう
て、伝統的なお母さんの役割が変わってきてるのか。
理由だと思うんです。
子どもを産み育てるとしづ大切な仕事については、
したがって、イタリア的「内/外 J の感覚に照らし合わ
あり方そのものは、まだ、変わっていないのか。
せるならば、コミュニティには家庭にあるべき「平和」
意見はさまざまなようだ。女性が代表して答えてくれた
がなければならないわけだ。そして、それを支えるのが、
のだが、その言葉を日本語に通訳してもらう問、ずっと
家族の世界に通じる宗教的な愛の世界である。
男性のイタリア語が聞こえる状況だ、った。通訳者の声が
あの、それに加えて、ですね。歴史的な説明も確か
聞き取れないほどだ、った。したがって、現段階では、意
にあるんですけども、あの、さっき僕は、家族を考
見の全体像が、残念ながら見えなかった。女性側がフェ
えると、家族はですね、……(聞きとり不能)と考
ミニズムを評価していることはそれなりにわかったのだ
えると、どういう言葉をですね、どういう概念をで
が、男性の意見を聞かないと、現段階ではとても 一般化
すね、伝承してきているかというとですね、考える
できる状況ではない。再調査の必要がある。
と、イタリアで、さっき言った安らぎところという
今回のイタリア視察で、家族と地方自治が直結してい
こともあり、いい概念ばっかり出てきますね。そう
る状況に関して、大きなヒントを得た。それは端的に言
いうことも考えたら、そうし、う概念のですね 、 内容、
って、幼児教育と地方自治の直接的連続性である。友愛
概念の内容考えたら、
ロ
が具体的に見える場所としての幼稚園教育に力を入れる
ーマ人の作っている文化がありますね。そういうこ
サント・ステファーノ・ティチーノ市というのは、私たち
とが言えるんです。愛の世界ですね、家族の世界。
の地方行政が顧慮だにしなかった姿ではないだろうか。
愛の世界、確かに友情の世界、… … 何を言っても、
小学校、中学校の視察でも感じたことだが、市には確か
間違えちゃっても、許される、そういう環境なんで
に「小さな政府」としての地方行政が見定めている子ど
すね、家族は。で、それは文化的な面で、カトリッ
もとのコミュニケーションがあったように思う。私たち
クの世界観ですね、あの、一杯ある。
は、自治会組織をどう利用できるか、家族の延長線上で
トルコの文化があります 、
ここで言う、カトリックの世界観とは「粋 J
を可視化す
ることに通じている。家族の愛が行動から透けて見える
ように、地方自治における「愛」、
「友愛」もまた、誰
の目にも見えるものでなければならないという意味だ。
興味深いことに、教会の大きさはその地区の会衆が入り
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もっと考える必要があるのではないだろうか。
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