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巻頭、旅行記録、参加記1 - npo

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巻頭、旅行記録、参加記1 - npo
(2011 年 11 月 25 日~12 月 2 日実施)
アンコールやまなみファンド
Angkor Yamanami Fund
第六回
〝やまなみ塾〟訪問と遺跡見学ツアー報告
Part-①
目次
・巻頭
「カンボジアとラオスの親近感」 ・・・・・・・・・・・・・・・ 中川 武---------1
・旅行記録 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大野 一枝-------3
〔付〕 日程表
------------------------------------------------------------------------------------------12
・参加記
「やまなみ塾」
、アンコール遺跡訪問記
カンボジア記
・・・・・・・・・・・ 多賀 正夫-----14
・・・・・・・・・・・・ 尾島 泰輔-----18
カンボジア派遣記の記録と雑感
・・・・・・・・・・・・・・・ 小田 将司-----21
AYF 第6回ツアーに参加して ・・・・・・・・・・・・・・・・ 河合 智香-----26
やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアーに参加して ・・・・・・・・・・ 大野 良子-----28
初めての体験
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 森尻ふみ子-----30
アンコール遺跡とクラウ村を訪ねて
クラウ村のやまなみ塾
・・・・・・・・・・・・・ 西野 好子-----32
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 多賀 敏美-----34
「皆様お久しぶりでした」
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 稲垣 スズ-----36
やまなみ塾の交流会に参加して
4 度目のやまなみ塾訪問
・・・・・・・・・・・・・・・ 中嶋 治長-----38
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡田 洋一------41
4 回目のツアーに参加して
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 堀越美智子------43
第6回アンコールツアーに参加して
・・・・・・・・・・・・・ 水津 幸一------46
やまなみ塾の子どもたちはすばらしい!そして
・・・・・・・・ 盛
和子------48
今回の旅行で感じたこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 畝本 紀子------51
交流会を終えて思うこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡田 雅子------53
第六回」ツアーに参加して
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 野村 裕子------56
アンコール遺跡見学&日本舞踊
ツアー雑感
・・・・・・・・・・・・・・・ 魚谷日出子------59
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 関野 晋--------61
第六回ツアーに参加して ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 佐脇 修司------63
第六回ツアーを終えて
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山岡 直子------65
・交流会
交流会プログラム-------------------------------------------------------------------------------------------67
歌の交流会
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 関野 晉--------68
紙芝居『はなさかじい』ができるまで ・・・・・・・・・・・・・ 岡田 雅子-----69
英語劇「ももたろう」の背景
紙飛行機コーナー
・・・・・・・・・・・・・・・・ 金岡 隆-------71
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡田 寛-------73
オルガンを弾きましょう! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 青木 克子----75
絵を描こう-絵空事奮戦記
「日本語で話そう」
・・・・・・・・・・・・・・・・・ 金岡 隆-------77
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山岡 直子----80
みんなで一緒につくろう「七夕飾り」
・・・・・・・・・・・・ 畝本 紀子----82
七夕の皆のお願い -------------------------------------------------------------------------------------85
もう一つの英語劇「おおきなかぶ」
青年との交流会
・・・・・・・・・・・・・ 山岡 直子----88
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 山岡 直子----89
・編集後記 --------------------------------------------------------------------------------------------------91
「カンボジアとラオスの親近感」
中川 武
AYF 毎年恒例のアンコールクラウ村訪問ツアーの
帰途、一昨年のベトナム・フエに次いで今年はラオ
スの古都ルアン・パバアンへの周遊となった。残念
ながら私は今回同行できなかった。メコン川に併行
するルアン・パバアンの町並みの雰囲気や古いアン
コール遺跡であるワット・プーも好きだが、ラオス
という国や人々が好ましく感じられたことが何度か
雄大な流れ、メコン
あったので、そのことについて記したい。1994 年の年末から翌年の正月にかけて、アンコ
ール・ワット正面テラスの仮設舞台で、第 1 回アセアン・ラーマヤーナ祭が行われた。当
時まだ現地シェムリアップで日本国政府アンコール救済チーム(JSA)の事務所が設立でき
ていなかったため、会議室のあるホテルに泊まる必要があった。グランドホテルはまだ幽
霊屋敷のような状態で、唯一の立派なホテルは高価なために私たちの宿舎の対象にはなら
ず、今では5星ホテルに変貌しているが、当時はただ広いだけの D ホテルを拠点にしてい
た。そこにラオスのラーマヤーナダンスチームが寄宿していて、私たちは食堂の一画で毎
晩ミーティングをしていたので、自然に顔見知りになり、挨拶を交わすようになった。彼
らは明るく、屈託がなく、元気一杯で、要するに感じがいいのである。ラオスチームのダ
ンスの腕前はそのとき参加していたインド・タイ・シ
ンガポール・インドネシア等に比べれば、一目瞭然と
いうくらいに、見劣りがした。カンボジアチームとい
い勝負であったと思う。にもかかわらず、あるいはそ
れだからなのか、全体としての雰囲気が、これもカン
ボジアと同じくらい好感度なのである。これは何故だ
紙を梳く女性と子どもたち
ろうかと、その時もいろんな人と話題にしたと思う。
普段から両国は仲が良いということがわかってきた。両国とも近代化が行き渡っていない
ため、貧しく、歴史的にもタイ、ベトナムからいじめられてきたため、何かと両国が団結
してきたし、互いを慰め合い易い、ということが分かり、その理由であるが、それはさて
おき、私が考えるに、カンボジア、ラオスにいい感じが残っているのは、東南アジア、と
りわけインドシナ三国に共通する性格の故だと思う。性急に結論だけ言うと、それは、中
1
国とインドのアジア的古代文明の中心からかなり離れた周辺(最近の言葉で言えば亜周辺)
にあったため、4 大文明からある部分では取り残され、その分だけ古代文明の求心的構造が
できる以前の、小さな親族共同体の融和的性格や、自然と一体化することなしには生きて
ゆけない状態を長らく残し続けたせいだと思う。では同じようなシチュエイションのタイ
やベトナムとどうして立場が変わったのだろうか。タイは近代から第二次大戦以後も含め
て、ゆるやかな近代化が継続したのに対し、インドシナ三国は近代においてフランス式共
産主義が(カンボジアの場合はかなり異例の様相をたどったが)席巻したため、タイのよ
うなゆるやかな近代国民国家ではなく、急激な理念的全体化のために近代化が全体への浸
透よりもいびつに働いたように思われる。では、同様なはずのベトナムが何故いじめる側
に回ったのかといえば、西洋列強のアジア支配時に中国への進出の前線であったため、厳
しい圧力をかけ続けられたこと、しかも幸か不幸か人口が多く、したたかで優秀な人達が
多く育ち、フランスのインドシナ植民地支配の代行的役割を背負わされたためではないか、
と私は邪推している。しかし、東南アジア、インドシナは歴史地理的にだいたい似たもの
同士なのであって、この点で、中国古代文明および西洋近代文明と日本の関係に共通して
いる点が多く、亜周辺から次の新しい文明が勃興した歴史の理に従えば、次の時代の希望
の灯であることを、これからもクラウ村とラオスとそして私たちの子供達に伝えていきま
しょう。
バンテアイ・スレイにて
2
第六回やまなみ塾訪問と
アンコール遺跡見学ツアー行程記録
アンコール遺跡見学ツアー行程記録
大野 一枝
参加者
東京グループ:金岡隆、野村裕子、川上啓輔、青木克子、盛和子、水津幸一、岡田寛、
山岡直子、尾島泰介、小田将司、大野良子、大野一枝(12名)
成田グループ:畝本紀子、堀越美智子、関野晉(3名)
富山グループ:多賀正夫、多賀敏美、佐脇修司、稲垣スズ、河合智香、西野好子、森尻ふみ子、
岡田洋一、岡田雅子、魚谷日出子、中嶋治長(11名)
現地合流: 黒田昭、京免実、中川武(3名)
11月24日(木)出発
成田グループは成田を10:50に出発
羽田グループと富山グループは羽田で合流して25日(金)0:30に出発
11月25日(金)準備をするグループと遺跡グループに分かれて行動
5:30 バンコク スワンナプーム空港に到着
8:00 バンコクエアウエイズでシェムリアップ国際空港へ
9:00 シェムリアップ到着。チアさんの手配してくれた車でホテルへ
10:00 リビエラホテル到着
一年半ぶりのやまなみ塾
12:00まではフリーの時間 オールドマーケットに行った
り、絹織物を見に行ったりして町の様子をインプット タプロームで
13:00 レストラン「チャッタモック」へ。バイキング形式の店で見るものすべてを試食したくなる
14:05 あすの準備をするグループとタ・プロームのグループに分かれる。
(準備組)
クラウ村に行き、桃太郎の劇の背景を青年たちと描く。川の色塗り、岩や草木を作り、
3
段ボールに張る。大きなカブの劇のお面も作る。日本語学習の予行練習など、みな
精力的にがんばる。花さかじいの紙芝居のクメール語に翻訳した読みを紙芝居の裏
面に貼る。とにかく忙しかった。
(遺跡見学組)
タ・プロ―ム寺院は12世紀末に母の菩提を弔うためにジャヤヴァルマン7世によって
造られたもの。初めてみた者には、寺院を覆い尽くすガジュマル等の木々の姿が恐
ろしくもある。自然の力の脅威をまざまざと感じさせるものである。
夜より黒田さん京免さんが参加して全員で29人になる。
7:00 「バンテアイ・スレイ」レストランで食事
11月26日(土)やまなみ塾の交流会 バイヨンとアンコールワット遺跡見学
8:00 クラウ村に向かい交流会。子供たちが並んで「おはようございます」のあいさつで迎え
てくれる。クメール語であいさつしたいが、分からない。子供の数は150人位
①開会式
ランドセルを背負った子供が入場。チアさんのあいさつ。やまなみ塾設立の経緯と人
びととのかかわりの紹介。長老のあいさつでは、英語を習得した子は町に出て、働い
たり、アンコール遺跡で働いたりするようになったとの報告。
中川先生からは、日本では、村の大工の技術が日本の文化を作ってきた。同じような
ことがアンコールの村でもできることを、比較して紹介する。
多賀さんからは、クメールの文化遺産である遺跡はカンボジア人自らの力で修復する
ことが望ましい。そのための教育支援が私たちの目的であることが述べられた。
②歌
「さくらさくら」「かえるの歌」「しずかな湖畔」など日本語で元気に披露。
日本から持ってきた桜のポスターや桜の写真を見せる。桜のイメージは伝わっただろ
うか。「しあわせなら手をたたこう」、「アラッピア」を歌う。やはり、さわりしか歌えない。
村長さんの話の後、劇の準備。
③「花さかじい」の紙芝居 クメール語のわからない私たちには、「花さかじい」はこんなにも長かったかなと思うくら
い長い紙芝居であった。でも、子ども
たちはよく聞いていた。
10分間の休憩
④「桃太郎」英語劇
桃太郎の劇を小さい子供は大喜
びで見ていた。去年より子供たち
の演技力は増して、笑えた。
ウォーク、ウォークがおもしろい。
ももを拾ったのはおじいさん?
4
⑤自由に遊ぼう
・オルガンで「さくら」を何度も弾いている青年、だんだんうまくなっていった。
・日本語の練習では、小さな図鑑を使って
「私は○○がほしいです」など順番に練
習していた。学齢の小さい子も大きい子
もいて、熱心に取り組んでいた。
・紙飛行機、風船などは、小さい子に人気
で、奪いあってもらっていた。
・模写は、こんな難しい絵が描けるかなと
思ったが、1つ見本を見せることで皆た
んたんと描いていた。子供たちの心を解き放ついい活動であった。カ-ティン君は美人
画が上手であった。
ソチアさんはしっかり者で手作りのドーナツ
をごちそうしてくれた。使われている砂糖は
サトウヤシ。自然の甘さがあった。
アラッピアを歌って第一日目を終了
クメール語でノム・コーンという
たまたま、愛知県より炊き出しの雑炊があった。朝から地元の人が準備しておりシート
を敷いて子供たちは食事をしていた。大きい子が小さい子に分配している姿は素晴らし
しい。こんな風景はかつての日本を思い出させた。
※雑炊の窯を寄付してくれたのは、NPO法人オアシス(愛知県蒲群市)
12:11 やまなみスクールを出発
12:50 「ウイリアム・テル」でドイツ料理を堪能。
15:00 アンコール・トム(バイヨン)へ
今年で2回バイヨンに来たが、不思議な建物である。なぜ、このような巨顔の集まりの寺
院にしたのか。何か新しい出発を意味していたとのことである。
チャンバ軍に王都を占領された王朝内部では、恒久的な平和を望む雰囲気が広がっ
ていたといわれる。大乗仏教を取り入れ、新しい王国を築こうとするジャヤバルマン7世
の意気込みが感じられる寺院である。
バイヨンは須弥山を象徴しているといわれている。今回来てやまなみスクールは立山を
意味していることを知り、バイヨンとの重なりを知った。
巨大な顔は神々である。故に破壊されなかった。仏像だったら今は残っていなかった
のに。神の恵みに感謝したい。
16:50 17:00時までにアンコールワットに入るために大急ぎで西門に向った。
5
アンコールの参道に入るための工夫があ
る。テラスと参道が組合わせられており、テ
ラスでは、踊りがあり厳かにゆったりと門に
たどりつき、アンコール遺跡が見えてくる
設計になっているという中川先生の説明。
参道の付加価値なのだろう。ようやくたどり
着いた中央祠堂であるが、階段は閉まっ
ており、上まで登って下界を見下ろせなく
て残念であった。アンコールのてっぺんに 着いていたら世界を支配したような気持ち 夕方のアンコールワットも・・・
になったのではないだろうか。
11月27日(日)交流会と遺跡見学(バンテアイ・スレイ、プレ・ループ)
8:15 交流会へ出発
9:00 昨日よりさらに多く、子供たちは200人も来ている。
①歌
さくらさくら、桃太郎、ぞうさん、かえるの歌の輪唱、しずかな湖畔など。子供たちが日
本語で上手に歌えるのには、驚くばかりである。
9:15 ②「大きなかぶ」英語劇
植木鉢が1つ用意され、どんなカブが引き抜かれるのか興味シンシンで見ていた。
大きい子たちは劇ということに慣れたみたいで、楽しそうに演じていた。あとで、そのカ
ブを食べたが、大根のような味であった。
9:35 ③自分の描いた絵を紹介
紹介したい子は手を挙げて自分の絵を得意げに紹介していた。
10:15 ④七夕飾りづくり 準備のために間が空いてしまったが、その間に庭で綱引きをする。男対女で勝負。
誰の提案かは分からなかったが、綱引きで盛り上がっていた。後で聞くと、子供たちか
ら場所の交代が提案されるなど、勝負の世界は厳しく、おもしろい。
説明や準備に時間がかかったが、飾りを作りだしてからは、担当者が決まっていたの
でしっかり作ることができた。残念なことに、はさみが少なくて時間がかかってしまった。
最後に、子どもたちに短冊に願い事を書いてもらった。どんな願い事があったのであ
ろうか。
みんなの協力で飾り付けも終わり、プレゼントのジュースとビスケットが配られ、七夕の
歌とアラッピアの歌で終了した。
予定ではボールを使ったゲームをするはずであったが、時間と子供たちの収拾がつ
くかどうか難しかったので残念ながら断念した。
6
11:30 青年団の人と交流会。
三井物産環境基金による活動の紹介。英語で説明され、写真もあり、活動内容が分
かりやすかった。主な活動はゴミの片付けや植樹、野菜作り、小学校で教えるなど。
その後、魚谷さんが藤娘を踊る。日本文
化を紹介したいという思いがみなぎってい
いた。会食はモイモイさんが提供してくれ
た。竹に入ったもち米、人参と大根の酢の
もの、たまごやきなどの家庭料理が用意さ
れていた。大きな葉っぱに料理が盛られダ
イナミックであった。若い人はよく食べてい
た。青年たちとわかれて座ってしまったの
が、残念であった。
モイモイからのケータリングで
14:45 バンテアイ・スレイへ向かう。バンテアイ・スレイとは、「女の砦」の意味であり、「アンコ
ールの真珠」とも言われている。自由に散策した後で中川先生の話を聞く。紅色砂岩
とラテライトで作られており、彫刻は繊細ですばらしいものだった。素材がいいと10世
紀に造られたものでも風化に耐え抜くということだろう。
しかし、どのビーナスも美しく見えた。横からわずかにしか見えないから、その素晴ら
らしさが想像できるのだろうか。
アンコール遺跡は一つひとつの遺跡が個性的で違った感動を与えてくれるのがよか
った。
16:45 プレループへ
プレ・ループでは急な階段を上り、
てっぺんまで行った。どんどん観
光客が登ってきて自分の立つ場
所すらなくなってきた。欧米人は
自分の場所をとって太陽が沈む
瞬間を待っている。彼らのサンセ
ットに対する思い入れの強さを感
じた。私は、その人だかりに驚き
つつ、しっかり写真を撮ってしまっ
った。頂上から見下ろした時の緑
日没を待つ人々
の草原はすばらしかった。この暑
いカンボジアにこんな緑のあるこ とが不思議に思えた。
18:00 ホテル着。
19:00 集合。夕食「ザスクエア24」に行く。
7
11月28日(月)トンレサップ湖へ
9:10 出発。
水上クルーズをしながら水上生活者の様子をみる。雨季と乾季によって、水量が変わる
乾季でも琵琶湖の3倍以上の大きさになる。
水上では、盥に乗った子供がものもらいに
来るベトナム人だと聞いた。
子供ながらにも苦労していると感じる半面、
日本人にはないたくましさを感じた。
途中で水上レストランに行き、ヤシのジュー
スを飲む。一度は味わってみたい物だった
ので、最後の一滴まで飲もうとしたが、満腹
になってしまった。
水上生活者の住まい
ホテルに帰ってから、プールサイドでモイモイさん特製のおにぎりを食べる。お米が美
味しかった。
チアさんがみんなをショッピングに案内してくれた。誰もが血眼になって買い物をした。
夕食は、「モイモイ」で行い、帰国組とラオス組で別れを惜しんで、晩さん会をした。魚
谷さんから手作りお誕生日ケーキの差し入れ。とても美味しく頂いた。魚谷さん、ありが
とうございました。
岡田洋一さん、雅子さん、魚谷さん、中嶋さんさようなら。
京免さん、黒田さん、山岡さん、尾島君、小野君、わが娘よ、さようなら。
シェムリアップを21:10に発ちバンコクへ。バンコク23:50発で成田へ
11月29日(火)ラオス ルアンパバーンへ
ラオスメンバーは、多賀さんご夫妻、佐脇さん、稲垣さん、河合さん、関野さん、
西野さん、森尻さん、岡田さん、青木さん、盛さん、野村さん、金岡さん、川上さん、
水津さん、畝本さん、堀越さん、大野(18名)
7:50 リビエラホテルを出てシェムリアップ空港へ 9:50 飛行機でバンコクへ
14:25 バンコク空港発 ルアンパバーンへ
16:25 ルアンパバーン空港着
18:30 夕食「インドシナレストラン」へ 炒めものが
多い。紅茶がおいしかった。
20:10 ホテルへ帰る人、ナイトマーケットヘ行く人
と別れる。マーケットでの値切りの名人は畝 ルアンパバーン空港
本さん。買い物は彼女と行くと、間違いなし。ガイドはテーさんとチャンポンさん。覚え
やすい名前です。値段の交渉をしてくれた。
8
11月30日(水) 水上クルーズ サーンハイ村 パクオー洞窟 クアンシーの滝 モン族の村
8:00 船の中でラオスの内戦・ラオスがフランスの植民地となり、その後アメリカに爆弾を落と されたた話を聞く。メコン川をさかのぼっていく。右岸の住居は立派なのに比較して、 左岸の住居は昔のままである。メコン川には橋がなく、対岸へ渡るには船を利用する
ことになる。右岸には、各都市と通じる道路がある。都市と農村はつながり、農産物を
売りに行くことができ、右岸の人々の生活は豊かになるのであろう。交通網は人々の
生活を変えていくようである。また、カンボジアよりラオスの方が豊かそうに思えた。ガ
イドさんもそう言っていた。
9:50 サーンハイ村(焼酎村)で3ドルの焼酎を買う。マムシやサソリの入った焼酎も売られ ていた。村では織物をしているおばあさんもおり1ドルでスカーフを買った人もいた。
11:30 パクオーの洞窟へ行く。25キロも川上の洞窟。ナムウー川と合流したところにある。
この洞窟は昔は精霊信仰であったが、今は仏教である。精霊信仰とはここをお墓にし ていたということなのか。4000体の仏像がある。
12:20 洞窟を出発し、「エレファントレストラン」へ。
船の中で注文を取り、降りるとすぐに料理が
準備されていた。その手際のよいこと!
13:30 バスでクアンシーの滝へ。
五段の滝で石灰質が溶け出ている。地質が
石灰質なので岩と滝の流れが素晴らしい。
滝もよかったが、水は透き通るようにきれい
クアンシーの滝
だった。池では泳ぐこともできる。水着の注意書きがあり、裸で泳ぐ人もいるのだ。
15:00 出発。モン族を訪ねる。政府がモン族に住居を提供し、子供達を学校に通わせている
そうだが、その生活は実に貧しそうであった。「1ドーラー」と言いながらバスによって来
た子に1ドル紙幣を与えた人がいた。1ドル紙幣をぎゅっと握りしめている姿が、忘れら
なかった。夕食は「ビラサンテ・ホテル」へ行き、民族舞踊を見ながらラオス料理を食べ
る。高級感のあるホテルであった。お昼を食べすぎたため御馳走が残ってしまった。
12月1日(木)市内観光 プーシーの丘 国立博物館 サンコン村 市場へ
6:00 あいにくの雨。托鉢僧を見に行き、施しをす
る早起き組もあった。その後、私も含め3人
が朝市に行った。ルアンパバーンの台所
は豊かで新鮮な野菜や魚がたくさん売られ
ていた。生きたナマズを大きな包丁でぶつ
切りにしていた姿がおもしろかった。
茹でピーナッツを買った。はやとうりがあっ
たのにはびっくり。日本と同じような野菜が
たくさんあった。
9
市場で
8:30 ホテルを出発
9:05 プーシーの丘へ到着。
階段を328段登って町の全貌をみる。みんな
健脚ぞろい!世界遺産の街だけあってレンガ
街の屋根が美しい。
9:30 王宮博物館に行く。この建物は1909年、シー
サンワンウオン王とその家族の住居として建設
された。この地だけは「保護領」として王政が続
けられた。現在、王様と王妃は北の方に亡命し
ている。また、仕えていた人はホテルなどを経
プーシーの丘から
営している。社会主義といっても四角四面にはいかないものである。買い物グループ
(主にダラマーケット)と織物工場(サンコン村)と和紙づくりを見る組の2つに分かれて
行動する。このダラという言葉は富山人にとってはなじみの言葉である。富山の方言も
国際的であること。織物見学の人も良い買い物ができたようである。
ホテルに戻り荷物を整理する。
12:30 ホテルを出発。2つの寺院を見る。
12:40 ワット・シェントーン シェントーンは町の名前。ワットは王の寺、シェ
は美しいという意味がある。本堂は屋根が美し
く湾曲したルアンパバーン様式で外壁には仏
教に由来する木が描かれている。
ワット・マイ マイは新しいという意味がある。
ルアンパバーン様式ではない。
ワット・シェントーン
急いで、2つの寺をめぐり、ルアンパバーン空港へ向かう。
17:00 ルアンパバーン空港発バンコクへ
22:40 バンコク発 一路日本へ
12月2日(金)
5:45 羽田空港着
9:15 富山グループはANAで
富山空港へ
みなさんお疲れ様でした。
水上小屋にて(全員集合)
10
あとがき
今回はエクセルを使ってみました。慣れていないのでうまくいくかどうか心配でした。エクセル
の使いにくさもありますが、日や時刻を書くには便利でした。
今回の旅での、私の収穫は何だったのでしょう。記録係を担当したことで中川先生の話や人
びとのあいさつをよく聞きメモしたことです。メモするって大切なことですね。この会の目的もこの
話の中から、なんとなく分かってきました。カンボジアの人々が自立できるように支援をすることな
のかな。
また、富山の方々とできるだけ話をしました。みなさん多種多様の技術をもっておられます。
この会とは全く関係のないことなのですが、パン作りの話をしていた時、私が「食パンがうまくで
きないんですよ。」と多賀さんに話したところ、魚谷さんに教わったことをこと細かく教えて頂きま
した。丁寧な説明でよくかりました。
帰国後すぐ作ってみたところ、上手に焼くことができました。ありがとうございました。焼酎村で
は、黒いひらたけを買い込みました。何ができるでしょうか。まだ、使っていません。道端の五平
もちやホウなども食べてみたかったです。お腹を壊してはと警戒してあきらめました。食べ物のこ
とばかり書いて意地汚いようですが、自分の生活圏と異なる所に行くと気になります。
日々30度の世界から10度の国に帰ってきて、風邪をひいてしまいました。友達には「動きすぎ
なんだよ」と言われ、返す言葉もありませんでした。
修復完成した南経蔵の上から
11
日程表-1
日程
月
日 出発地/到着地
時間
24
成田/バンコク
10:50
○
(NH953)
16:05
3名
バンコク/シェム
17:45
(PG907)
18:55
富山/羽田
20:10
(NH892)
21:15
羽田/バンコク
00:30
(NH173)
06:00
バンコク/シェム
08:00
(PG903)
09:00
24
11
2
11
シェムリアップ
25
25
内容
前泊の
午前
休憩
午後
遺跡見学 (タプ・ローム他)
交流会準備
3
4
5
11
11
11
26
27
28
午前
交流会
午後
遺跡見学(アンコール・ワット、バイヨン)
午前
交流会
昼食
青年との交歓会
夕刻
遺跡見学(バンテアイ・スレイ、プレ・ループ)
11
29
3 名はホ
昼食
夕食
○
○
○
○
テルで
ホテル
○
ホテル
クラウ村
○
青年と
午前~昼過 トンレサップ湖ハイキング
午後~夕刻
6
朝食
シェム/バンコク
21:10
(PG910)
22:05
バンコク/成田
23:55
(NH916)
07:35
成田/富山
13:00
(NH885)
14:00
自由
ホテル
○
弁当
・ツアーの公式活動は、25 日午後から
・25 日午後は、交流会の準備組と遺跡見学組とにわかれて行動
・トンレサップ湖ハイキングの際、できれば、プノン・クロム遺跡見学
・28 日夕食は、帰国組とラオス組との最後の食事(モイモイで)
・○印のついているところは、チアさん、小出さんに食事の予約を依頼
12
○
日程表-2
日程
ラオス
月
日 出発地/到着地
11
28
11
29
時間
シェム
シェム/バンコク
9:50
(PG924)
10:45
バンコク/ルアン
13:30
(PG945)
15:30
内容
朝食
昼食
夕食
シェムリアップ泊
ホテル
弁当
○
市内見学(夜の市場など)
ホテル
空港
△
△
△
△
△
△
ルアンパバーン郊外観光
11
30
ラオス
11
31
ルアン/バンコク
(PG946)
12
1
バンコク/羽田
(NH174)
(バスまたは船)
16:10
18:10
22:40
06:30(1 日)
羽田/富山
09:15
(NH883)
10:.15
市内見学
・ラオス組は、28 日夜はシェムリアップ泊、29 日バンコクエアラインズでラオスに入る。
・観光する都市は、ルアンパバーン
・△印のついたところは、ラオス観光ツアー費一式に含む
13
「やまなみ塾」、アンコール遺跡訪問記
多賀
正夫
「出発まで」
今年はなにかと大変な年であった。三月の大震災は多くの人の生活のペースを変えた。
私も高校の同期生数人と、五月に仙台にすむ同期生を頼って旅行する予定を持っていたが、
当然取りやめた。
今年の「やまなみ塾訪問」は秋にしたいとの意向を事務局から聞いていた。雨季が終わ
ったあとのカンボジアを見たい、1~3月は年度末でなにかと慌しくて参加できない人も
あるのではないか。会員でありながら「やまなみ塾」を見ていない人も多く、なんとか参
加して欲しいということもあった。では、一度秋に実施してみようということになる。
私事になるが9月に入って高校の同期会が東京で開催され、なんと!100人近くの同
期生が出席。なんと!と言いながらわたしもそのうちの一人。
また10月になって今度は大学の同期生との「ハノイ・フエ」への旅行である、称して
「海外クラス会」。
「フエはよかったヨ!」寿司やの喜田さんは店へ行くごとに昨年ツアー
に参加しなかったわが家内と喜田夫人を羨ましがらせている。同期会旅行計画を聞いた家
内は追い立てるように夫婦での参加を希望した。ところが肝心のフエでは大雨、道路上で
投網をかけたり、釣りをしたりという光景がみられ、遺跡めぐりどころではない、結局は
われわれと昨年一緒に食事をした早大の古川さん(フエの保存、修復に携っている方)に
ホテルで講演をしてもらうハメに陥った。
で、本チャンは11月24日富山―東京、最終便
出発での「やまなみ塾訪問ツアー」である。富山発
着のメンバーは11名、羽田、成田出発組を加えて
総勢26名プラス三田商会黒田会長、京免さんが現
地でお待ちかね、というツアー。「多賀さんが行か
なくても、行く」と常々言っていた高橋さん、「ア
ラッピア」をハーモニカで演奏したいと練習を重ね
ていた喜田さんが参加できなかったのは残念だっ
たが、また次回にということでお許し願おう。
「やまなみ塾」で、交流会で
今年の「やまなみ塾」には特筆することがいくつかある。
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羽田国際空港で合流
高校の同期会が9月に開催されたことは書いたが、そのとき一人の同期生が「やまなみ
塾」を見てきたという。特にわれわれの関係者に案内されたということではなく、現地へ
行って看板をみたらなんと立山の写真があって「なんで!」とびっくりしたらしい。それ
で追っかけてAYFの存在がわかり私の名前へたどり着いたというのだから嬉しい話。少
しずつ「やまなみ塾」が知られるようになっている。
東南アジアのあちこちで水害に見舞われ、シェムリアップも例外ではなかったという。
塾までの道も水害からの復旧で新しく道が作られているようで、手前でバスから降りて少
し歩いた。ところが塾から子供たちの何人かが迎えに出てくれて、手の荷物をみて「持ち
ましょうか」と英語で声をかけてくれた。これだけでもなにかジーンとくるものがあるの
に門をはいると一斉に日本語で「おはようございます」と言ってくれる。少しは見慣れた
光景だがやはり嬉しい。
「さくら、さくら‥」に始まって子供たち
全員が日本のうたを4、5曲ぶっ続けで歌っ
てくれる。歌詞をよく覚えていることにビッ
クリ、われわれは顔を見合わせて感心するの
と同時に、お互いの口をみて歌詞を思い出す
のに必死。
「ももたろう」も2題目、3題目(こ
の言い方は富山弁と聞いているが‥)になる
ともうお手上げで、終わってほっとする始末。
日本から送られたテープで練習したとか。
「ア
大きく口をあけて歌ってくれた
ラッピア」で一同合唱‥のはずがわれわれの
ほう、なかなか歌詞がメロディについていけない。後半の「アラッピヤーヤーアラッピア
‥」でやっと全員そろって、拍手、拍手。
われわれの訪問の4,5日前、「やまなみ
塾」へは富山からの60人近くの訪問客が
あった。AYF 会員でもある㈱タイワ精機高
井会長が社員と協力会社のみなさんを伴っ
てお見えになったもので、この子供たちの
日本語の歌には大変感動されたと聞いてい
る。ある程度状況を予想できるわれわれで
さえ、感心したのだから初めて見ていただ
いた方はさぞ驚かれたことであろう。この
人たちが富山へ帰られてからの話で、新し
演技を終えて・・・
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い後継者が生まれれば理想的だ。
いまや恒例となった英語劇「ももたろう」
、ますます演技力に磨きがかかっている。絵も
上手になった、絵を描く習慣がない、と中川先生に以前聞いたことがあったのに・・・。
ちょっと季節はずれだったが七夕飾りもつくって塾の柱にくくりつけた。
多くの短冊も下がっている。チアさんになんて書いているの?と聞いたら‥‥これは
内緒ですね。
交流会での私の仕事は子供たちとオルガンを弾くこと。
「さくら、さくら‥」と唄ったか
ら「さくら、さくら‥」を弾いて同様に鍵盤を押させてみる。こっちは京免さんと男の子
相手、もう一台のオルガンは関野さん、青木さんが女の子に同じ曲を教えている。そのう
ち子供のひとりがノートを持ってきて鍵盤を描いて、ドレミファとアルファベットでカナ
をふり、
「さくら‥」の歌詞にラ、ラ、シ‥と書き込み始める。一所懸命に。来年はきっと
うまく弾いてくれるだろう。ほんとに夢中だったから。
幼い弟、妹をつれてきている子供も見受
けられる。カンボジア独特の右腰へ乗せ、
右手を幼児の背中へ回して支える姿が、わ
れわれが子供のころ幼児を背中に負ぶって
遊んだ光景にダブッてみえる。
「やまなみ塾」で育った若者だろうか、
今回 JST のメンバーとして交流会を支え、
また社会貢献活動をもしているという青年
たちの活動が印象的だった。青年たちとの
交流の場も設けられていたがわれわれ(私
最近一所懸命に取り組んでいる
だけ?)の英語が稚拙だったのかちょっと
環境保全活動を英語で説明する青年たち
盛り上がりにかけたのは残念。
「遺跡見学で、トンレサップ湖で、そしてルアンパバーンで」
このツアーも今回が六回目、遺跡見学もアンコールワット、バイヨンを中心としたもの
からベンメリア、ソンボー・プレイ・クックまで足を延ばしている。
初めてのアンコール遺跡のメンバーが六人ということで遠方へ足を延ばすことを取りや
めた。トンレサップ湖は雨季が明けた11月がいい、ということで行程に加えたがこのあ
たりの紹介と報告については他のメンバーの記事でお願いしたい。
ルアンパバーン、恥ずかしい話だがその地名さえ旅行少し前には知らなかった。「ちょっ
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と異様な雰囲気のところ」というのが十年近く前にラオスについて聞いた中川先生の弁、
言葉遣いが違うかもしれないが私はそんな風に聞いたような気がする。スワンナブームか
らプロペラ機で約2時間、空港に着く。
「ブータンみたい」と大野さん。上空から見た赤い
屋根、白い壁の建物、フランス風というのはこのことか。目立つのは各家に掲揚されてい
る国旗と、カマとハンマーの共産党旗。あらためて社会主義国であることを感じさせる。
でもベトナムとはちょっと違う。物売りや物乞いをする人がいない。
夕食を終えてナイト・マーケットに行く。裸
電球の下、織物などが整然と並べられて売ら
れている。おもちゃもある、民芸品やランプ、
蒸気アイロンなども。ところが、店員に売ろ
うとする気配が一向にない。通路を歩く客の
ほとんどが旅行者であるが、かがみこんで買
う気配をみせると、やっと応じてくれる。マ
ーケットというとあの雑踏と匂いと押し売
りにも似た店員を想像したわれわれには、た
しかに異様であった。露店のうしろはフラン
プーシーの丘から
ス占領下時代の建物か、カフェがあり赤いランタンが白い壁をほのかに照らし、静かでな
にかしらほっとする雰囲気をつくっていた。
翌朝は托鉢である。小雨のなかを6~7人ずつ歩くお坊さんに、見よう見真似で道路にひ
ざまづいて喜捨をした。朝6時、まだ薄暗かったからか、多くの写真はピンボケ。でも思
い出の光景のひとつになった。
「と、いうことで」
と、いうことで第6回ツアーは大きな
事故もなく、病人もなく無事終了した。
関野さん、後半には少し体調を崩しなが
らも会計とリーダーを務めてもらった。
感謝したい。
「子供たちの目、ほんとにきれい!!」今
年もだれかが言った。
友人、知人にわれわれの活動を説明す
ラオス組全員集合
(ワット・シェントーン本堂前で)
るとき「アンコール遺跡の保存修復は本来、クメール文化を引き継いだカンボジア人の
手で行われるべきもの。国と世界遺産を誇りにし、自らの手で保存修復できる子供たちを
育てたい。」という遠大な希望を付け加える。
確実にその一歩、一歩を踏みしめていると感じているのは私だけであろうか。
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カンボジア記
富山県学生寮寮生
尾島 泰介
東京大学経済学部 4 年生
本稿では、私の初の海外経験としての感想、そしてカンボジアについて現在就職活動し
ている立場から考えたことを書こうと思います。
昔から海外に対してはそれなりの関心があり、語学の勉強もしてきた身ですが、なかな
か渡航の機会に恵まれず、今回のカンボジアが初の海外経験となりました。そのため向こ
うでどんな目にあうのかと大きな不安がありましたが、私の体験したカンボジアは思って
いた以上に美しく、楽しい場所でした。
飛行機の窓から見た、湖に浮かぶ村にまず
目を奪われました。雨季による増水で湖に飲
み込まれた森が印象的でした。降り立った空
港からバスで街へと向かいます。あばら家や
えぐれた道が多く、未開拓な印象を受けまし
たが、道行く人々にはエネルギーが溢れてい
ました。オートバイが印象的でした。その殆
どが日本製なことはもちろん、一台のバイク
に家族四人で乗っている光景は驚きでした。
中央
屋根の付いたトゥクトゥク
特にホンダが多く、後で聞いた話では「ホンダ」がバイクの代名詞になっていて、「スズキ
のホンダ」
(スズキのバイク)なんて表現がされるほどだそうです。バイクは人々の生活に
欠かせないものになっており、バイクの整備工場があちこちにありました。信号がない道
を三人も四人ものったバイクが埋め尽くしており、よく運転できるものだと感心していま
した。
混沌とした街を抜けて到着したシェムリアップの街は別の意味で驚きでした。
ホテルやレストランが立ち並び、街を流れる川べりは、桜こそないが日本の風景を連想し
ました。バイクタクシー「トゥクトゥク」に乗ってマーケットを散策しました。
「値切りのコツはひたすらノーと言い続けること」とは聞いていましたが、自分は値切り
が本当に苦手でした。情に訴えられるのに弱いのに加え、店員の女の子たちがやたら日本
語がうまく、
(どうやら近くに日本人経営の店があり、そこの人に教えてもらっているよう
でした)押し切られてよくわからない布を20ドルで売りつけられてしまいました。負け
惜しみのようですが、カンボジア人には強いシンパシーや、どこか出会ったことがあるよ
うな懐かしさを感じました。同じアジア人というだけでなく、もっと根底の方でつながっ
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ているような、そんな感覚です。
アンコール遺跡も日本の寺院も同じ仏教寺院ですが、
まとう空気は違っていました。人々の生活の中に溶け
込んでいるのが日本の寺ですが、カンボジアは歴史の
中に何度も断絶があり、多くの寺は森の中に眠ってい
ました。それゆえ人の手が入ってないせいか、日本の
寺より神々しい、静かな威厳のようなものを感じまし
た。
夕日に映えるアンコール・ワット
ここまでは観光客の視点でみたカンボジアについて述べてきましたが、ここからは現在
就職活動をしている身として考えたことを述べていきます。クラウ村の学校での体験につ
いても言及します。
結論から言うと、今回のカンボジア渡航を機に、働く場所として、仕事をする相手とし
て東南アジアを考えるようになりました。未だ整ってない社会インフラの整備や、生活物
資の供給、またいずれ育ってくるであろう現地企業と共同でビジネスを行うことを、民間
企業の中に入って実現しようと思いました。
そう思ったのは第一に、現地のインフラの多くが未だ未整備であることを知ったからで
す。確かにシェムリアップの街は大変整備されていて、ホテルの中では日本並みのサービ
スを享受できましたが、少し街を出ると、舗装されず砂埃の立つ道路や、電気も水道もな
い地域が広がっていました。観光地ですらこうなのですから、他の地域はもっと足りてい
ないでしょう。そういった地域に日本の力でインフラを整備することは今後大きな事業に
なるでしょうし、現在も多くのプロジェクトが進行しています。
第二に、カンボジア、いや東南アジアというものが好きになったからです。国の雰囲気
が肌に合う、というのと尊敬すべきところが多いということです。まず、根本的におおら
かです。元気があります。なんだかんだ言って融通が利きます。
クラウ村の学校が特に印象的でした。小さ
い子供たちはみんな元気で、助け合っていま
す。給食の時間、ご飯にありつけなかった子
の皿に、周りの子達が自分の分をひと匙ずつ
分けてあげていた光景に特に感心しました。
村の青年たちもエネルギーを感じました。学
び始めて日も浅く、学習環境も整っていない
にも関わらず、英語を使いこなし始めている
ことに目を見張りました。彼らとコミュニケ
クラウ村の青年たちと
ーションをとるのは本当に楽しかった。
いつかまた交流する機会を持ちたい。
先日、33年の時を経て、ポルポト政権の元幹部の一人の判決が確定しました。カンボジ
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アの国家機構はこれから作り上げられようとしています。カンボジアは今、発展に向けて
歩み出そうとしています。カンボジアの将来に、何らかの形で関わりたい、あの人たちと
一緒に働きたいと思うようになりました。
中川先生は、遺跡修復、学校建設含めてカンボジアへの「投資」だとおっしゃっていま
した。カンボジアのために働くことで、日本への「信頼」という社会関係資本に投資する
ということです。そうするのは、カンボジア含む東南アジア諸国は、将来的に日本の真の
パートナーになりうるからです。今後大きく成長する地域であり、文化的・地理的に近く、
歴史的な因縁も小さい。そこと良い関係を結ぶことは、今後の日本の成長に欠かせないこ
とだと思います。
以上のように、今回のカンボジア派遣で進路について大きな影響を受けました。
☆劇「おおきなかぶ」と七夕制作の間の時間に、突然こどもたちの綱引きがは
じまった。日ごろの楽しみを披露しかったのかもしれない。
女の子チームが強かったみたい・・・
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カンボジア派遣の記録と雑感
富山県学生寮寮生 小田
将司
東京理科大学 3 年
2011/11/24‐25
< 羽田→バンコク(経由)→シェムリアップ→タ・プローム寺院 >
今回、自分も尾島さんも東南アジアの旅行は初めてということもあり、期待半分、不安
半分でカンボジアに向かった。シェムリアップ空港までの飛行機では、慣れない環境のた
めか、機内の映画に夢中になりすぎたためか、ほとんど眠れなかった。カンボジア・シェム
リアップの最初の印象は、バイクが非常に多いということ。さらに、二人乗りは当然、家
族4人で 1 台のバイクに乗っている姿もしばしば見かけられる。交通ルールのゆるさに唖
然とした。また、主にお土産品を売っているオールドマーケットの店員たち誰もが流暢な
日本語を話すのにも驚かされた。あまりに巧みな日本語と慣れないカンボジアの雰囲気に
惑わされ、僕も尾島さんも変なズボンを高値で買わされたのは非常に痛い思い出。
午後には、アンコ
ール遺跡群見学の一
環として、タ・プロー
ム寺院を見学した。
この寺院は、12 世紀
末にアンコール朝の
王ジャヤーヴァルマ
ン 7 世が母を弔うた
めに創建したとされる。
タ・プローム寺院
中心に仏教系本尊が置かれ、周囲に病院や駅などの様々な
社会施設が設けられていた。日本の城下町や寺内町がさら
に凝縮したようなものかとも思ったが、全体が「寺院」ということもあり、居住の状態など、
当時の人々の生活とのかかわりがどうであったのか今さら気になってきた。また、樹木が
遺跡に侵食している姿が生々しく、とても印象深かった。しかし、実はこれは人の手が加
わって、樹木と建物の絡まり合いを景観として残しているそうだ。手つかずでは、人が踏
み込めなくなるほどの密林と化してしまうのが現実。自然の力はやはり強烈。
カンボジアで最初の夕食では、写真家の一ノ瀬泰造さんの行きつけだったというレスト
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ランに行った。カンボジアの料理は日本人の舌には合わないと聞いていたが、全くその通
りだと思った(昼食から感じてはいたが)。
魚の泥臭さとスープの独特な酸っぱさとココ
ナッツミルクの風味は今でも鮮明に思い出せる。
2011/11/26
< クラウ村・やまなみ塾→バイヨン寺院→アンコールワット >
朝一番にクラウ村のやまなみ塾に向かい、現地
の子供たちとの交流会を行った。やまなみ塾に着
いた瞬間に聞こえてきた、子供たちの「オハヨウ
ゴザイマス!」という大きな声に笑顔がこぼれた。
交流会では「さくらさくら」や「かえるのうた」など
の日本の童謡を、とても上手な合唱で披露してく
れた。青年たちによる「桃太郎」の英語劇は、背景
歌を披露してくれた子供たち
や小道具までつくり込んであり、みんなが楽しそうに演じていた。特に、キジ役と鬼の頭
領役の青年2人は迫真の演技で、とても楽しませてもらった。全員が観客の方を向いて演
技をして、裏方もしっかりと仕事をこなせるようになればもっと完成されたものになると
思う。
また子供たちには、紙芝居や紙ヒコーキ、紙風船、折り紙、音楽や絵の体験会をして楽
しんでもらった。子供たちは輪ゴム紙ヒコーキを飛ばしあったり、真剣に絵を描いていた
り、みんなが本当に生き生きした表情で遊んでいた。ひとつ驚いたのは、プレゼントした
紙風船があっという間に、踏みつけて割ったときのパン!という音を楽しむオモチャに変
わっていたこと。こんなところにも文化の違いを感じた。村の方々にふるまってもらった
ドーナツのようなお菓子(名前は忘れてしまったがヌンコーン?とか言っていたような)は、
とてつもない油っこさだったが甘くて美味しかった。
昼食のドイツ料理は臭みがなくて食べやす
いと感じたが、材料はきっとカンボジア産の
はずなので、思い込み効果だったのだろうか。
また、前日にも思ったが昼食から躊躇なくビ
ールを飲むファンドのみなさんの若さは本当
にすごい。
午後には、巨大な「顔」をかたどった塔が建
ち並ぶバイヨン寺院と、有名なアンコールワ
ットを見学した。
バイヨン寺院
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バイヨン寺院は、中川教授を中心とする日本のチームによって修復がなされている。外
観は密林の中に突然現れた岩山のような印象であり、神々の顔によって全体の歪な形が構
成されているその姿には何故か恐ろしさを感じた。夜には絶対に一人で行きたくない。
これに対して、アンコールワットには神秘的で優しく美しい緊張感を感じた。閉館時間が
近く最上部の展望台まで登れなかったのは残念だったが、全方位を森林に囲まれた広い世
界で見る夕焼けは、日本で見るものとは全然違う穏やかな美しさだった。中川教授が自論
で、アンコールワットはクメール文化の王道でありバイヨンは異端だとおっしゃっていた
のにとても共感できた。
バイヨンとは違って、夜に一人でここにいると、とても落ち着いた気分になれるような気
がした。昔は夜中でも入れたというのが羨ましい。今後、機会があればぜひ夜のアンコー
ルワットに入ってみたい。
この日の夕食は「タイスキ」というタイ風すき焼きのレストランに行った。見た目も味
も印象はピリ辛風味のよせ鍋という感じだった。野菜がたくさん食べられることに嬉しく
なり、そして他のテーブルよりも早く鍋が空になったこともあって大量に追加注文をした
結果、鍋の具材が標準の3倍ほどになって食べきれなかった。注文は計画的に。
2011/11/27
<クラウ村・やまなみ塾→パンテアイ・スレイ→プレ・ループ>
クラウ村での交流2日目。「七夕祭り」について子供
たちに説明した後、みんなで七夕飾りをつくり、短冊
に願い事を書いて竹笹を飾りつけた。また、子供たち
と一緒に綱引きをしたり、青年たちによる「大きなカ
ブ」の英語劇に(セリフはないが)出演したりした。「カ
ブ」の代わりとして使われていた砂糖大根のような野
菜をいただき、そのままかぶりついた。甘かったが繊
維質
が多すぎて食べきれなかった。
「七夕祭り」の説明
クラウ村の青年たちと
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1 日目にも思ったことだが、青年たちは英語がとても上手で、クメール語が分からない自
分たちでもスムーズに会話することができて楽しかった。PEACH 君という 15 歳の少年は
日本にとても興味を持って話しかけてきてくれた。
午後は、パンテアイ・スレイというアンコ
ール王朝初期の遺跡を見学した。当時は石を
積んだ壁に木造の屋根をかけた寺院だった
ため、屋根が腐り落ちて壁だけが残った姿が
特徴的だった。死者を荼毘に伏した石槽のあ
るプレ・ループ寺院も見学したが、あまり時
間がなかったのと、夕陽を見ようと集まった
人々で混みあっていたせいで落ち着いて見
学できなかったのは残念だったが、1m弱の
足場がまわるだけの遺跡上部に大人数が集ま
真下に見えるのが石槽
って日の入りを待っているのは面白い光景だ
(プレ・ループ寺院で)
った。
また、現地の日本人会による盆踊り大会があるということで、学生3人で夕食を途中で
抜けさせてもらい会場の公園に向かった。悔しいことに会場に着いたときにはもう片付け
も終わりかけていたのだが、カンボジアに長期滞在してボランティアで学校を建設してい
る若い旅行者たちと出会って話をすることができた。彼らはバックパックひとつでカンボ
ジアにやってきて、1泊2ドルの激安の宿に泊まって毎日作業をしているそうだ。彼らの
旅行は自分たちのものとは全く違っており、服もボロボロだったが、日本にいる多くの学
生よりもよほど生き生きとして輝いて見えた。また彼らから、学校を建てるまでは自分た
ちだけでもできるのだが、それからの援助がないとすぐに生徒も教師もいなくなって潰れ
てしまうという話を聞き、やまなみファンドのように長期的に援助を続ける組織の重要性
を改めて感じた。
すぐにホテルには戻らず、ナイトマーケットでお土産を買ったあとに、この日は学生3
人でタイ式マッサージに行った。時間が遅かったため全身マッサージでなく脚と肩だけの
マッサージをしてもらった。やはり気持ちよかった。尾島さんは誰よりも気持ちよさそう
な顔をしていたと思う。
2011/11/28
<トンレサップ湖クルーズ→土産品店巡り→帰国(成田) >
トンレサップ湖をクルーズをしながら水上集落を見学した。雨季と乾季によって面積が
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激しく変わるが、乾季でも琵琶湖の3倍
以上の大きさがあるアジア最大の湖。水
平線がく
っきりと見えた。水上集落には学校や教
会もあり、電動ボートや手漕ぎのボート
に乗った住民たちが多くみられた。また、
水上に標識が立っているのが不思議でお
もしろかった。
船の上でハンモックに揺られたり、途中
トンレサップ湖の水上集落
に寄ったお土産屋でココヤシのミルクを飲んだり、
ニシキヘビを首にかけたりと、クル
ーズを満喫した。
その後は免税店やマーケットなどの土産品店を巡った。外国人観光客向けの土産品店は、
オールドマーケットやナイトマーケットとは違って高値の物が多く、ほとんど手が出なか
った。
また、初日から気になっていたモトドップというバイクタクシーに尾島さんと2人で乗
ることができた。モトドップはトゥクトゥクと違って乗客用の台車がなく、運転手の背中
に直接つかまって移動するため、自分と尾島さんと運転手でバイクを3人乗りする格好に
なった。日本で3人乗りをすると捕まるので、日本ではできないことをするという意味で
も貴重でスリリングな体験だった。3人乗りの1番後方は腰かける場所がほとんどなく本
当に怖かった。
今思えば非常に短い旅だったが、初めての東南アジアで出会うもの全てが日本人の常識
では考えられないことばかりで、毎日が新しい刺激の連続だった。また、クラウ村の子供
たちとの交流や、中川教授に説明をいただきながらの遺跡見学など、単なる観光旅行では
味わえない体験もできた。現地での生の体験を通して、自分たちが住む日本が世界で恵ま
れているほんの一部でしかないということを改めて実感した。本当に雑感だが、もっとい
ろいろな場所へ行って、 いろいろな世界を見てみたいと思った。
ラオスにも行きたかった!
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AYF
第 6 回ツアーに参加して
河合 智香
今回の旅は私にとって初めての海外でした。
そしてカンボジアの有名なアンコール遺跡群
や、あまりよく知らないラオスを観光すること
を楽しみにしていました。また、大学で子ども
と関わるサークルに所属しているので、現地の
学校で子供たちとふれあえること、また子供だ
けではなく、現地の人々がどのような生活をし
ているのかを見ることも楽しみにしていまし
た。出発前は、自分よりもずっと経験の多い方
たちと一緒に行ったことのない国へ行くので、
『おおきなかぶ』に見入る子供たち
少し不安もありましたが、どなたも親切に接してくださり、とても楽しい旅になりました。
カンボジアとラオスに行って一番印象に残っ
ているのは、やはり当初から楽しみにしていた
学校での子供たちとのふれあいでした。クメー
ル語は全く分からないし、英語も授業以外で使
ったことがなかったので言いたいことが伝わる
のか不安でした。しかし、子供たちと目が合う
とにっこり笑ってくれたり、なるべく簡単な英
語を使ってコミュニケーションをとろうと話し
かけてきてくれたのが嬉しかったです。やはり、
英語でコミュニケーション
言っていることのすべては聞き取れなかったけ
れど大体はお互い理解できているように感じました。また、青年会の人たちが用意してく
ださった現地のお菓子がおいしかったです。しかし、それ以上に現地の人たちと同じもの
を一緒に食べることができてよかったです。さらに、子供たちのテープだけを聞いて覚え
たという歌には驚きました。日本人の私は歌詞をうろ覚えなのにもかかわらず、子供たち
はしっかり覚えているので少し恥ずかしくなりましたが、改めて音楽の素晴らしさという
のも感じました。また、子供たちの劇もとても上手で、思わず笑ってしまう個所もあり楽
しませてもらいました。学校での 2 日間はあっという間で、とても名残惜しかったですが
いい思い出になりました。また、帰り際に女の子が自分の身に着けていたネックレスを手
渡してくれたことに感動しました。
26
他にも、テレビや写真でしか見たことがなかっ
たアンコールワットをはじめとする遺跡群を自
分の目で見れたり、買い物をしたり、現地の乗り
物に乗ったりなど楽しいことばかりでした。特に、
アンコールワットは運がよく夕日の当たり具合
で壁が黄色くなっている貴重な時に見られてよ
かったです。
また、現地で精いっぱい生計を立てている人々を
見て、胸が痛む時もありましたが、同時に自分
夕日で黄色く染まった回廊
の恵まれた環境に感謝しなければいけないと感
じました。
ラオスでは、ほとんど現地の人たちと接する機
会はなかったけれど、世界遺産になっている場所
をいくつも回ることができ、初めは何も知らなか
ったラオスについてたくさん知ることができま
した。ガイドの方がとても親切で様々な質問に答
えてくださってよかったです。
旅の初めから鍵を紛失するというトラブルも
ありましたが、体調を崩すこともなく、また最後
には鍵が無事に見つかりほっとしました。今回の旅では多くの方に心配や迷惑をかけてし
まいましたが、忘れられないくらい貴重な体験をいっぱいしたし、知識も広がり、とても
楽しかったです。今回の旅で感じたこと、学んだことを今後に生かしていきたいと思いま
す。
本当にありがとうございました。
ソチアさん手作りのドーナツを頬張りながら
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やまなみ塾訪問と遺跡見学ツアーに参加して
大野
良子
今回初めてカンボジアを訪れることができました。以前から、カンボジアを旅行した友
人から旅の話を聞きアンコール遺跡を一度は訪れたいと思っていました。また前回参加の
母から話を聞き、やまなみ塾の子供たちに会ってみたいと思い、参加を決めました。
やまなみ塾では子供たちの「おはようございます」の大きなあいさつで出迎えられ、驚
かされました。その後の日本語の歌の上手さと楽しげに笑顔で歌う姿に、このツアーに参
加できて良かったと思えるスタートになりました。
私の今までの印象では貧しい地域の子供たちと元気な姿が結び付かなかったのですが、こ
の村の子供たちのキラキラとした輝いた目と大きな歌声は今までの勝手な印象を払拭させ
るものでした。
飛行機飛んだかな?
日本語の歌、上手!
みんなで自由に遊ぶコーナーでは、子供達の性格がわかる場面でした。紙飛行機作りでは
男の子はすぐに自分で作ろうとするけれども、一部の女の子は見ているだけでした。一緒
に作ろうとしても、自分からは作ろうとしません。作ってあげると嬉しそうに飛ばしてく
れました。後から聞いたところ、自分から積極的に行動を起こすより、人がやっている事
を見てまねをして行動をする慎重な子供が多いようです。ずっとそばにいてくれた一人の
女の子にいろいろ遊びの提案をしても、首を横に振るばかりだったのはそういう性格だっ
たのか、と後から分かりました。
また、青年部のみなさんの英語の上手さにも驚かされました。自由に遊ぶ時間に女の子
28
達から「How old are you?」と声をかけられました。彼女たちは13歳でしたが、英語で
話してみたところほとんど理解をしていなかったようでした。英語はまだまだかな?と思
っていたところで上手な英語劇を見たので、びっくりしました。
年齢は17歳くらいと聞きましたが、堂々と人前で演技をしているところと先ほどの13
歳の女の子達とが同じ村の子供達とは思えず、子供の成長の早さを見た気がしました。小
さな子供達も楽しそうに観ていたので、恥ずかしがり屋の子供達もこのお兄さん・お姉さ
んを目標に一生懸命勉強をして青年部のみんなのようになってくれることを楽しみにして
います。
今回はこのツアーに参加し、現地の人々
と触れ合うことができてとても良い刺激を
受けました。やまなみ塾の子供達との交
流・遺跡の素晴らしさ・市内マーケットの
活気あふれる様子や人々など、エネルギー
が満ち溢れているカンボジアは私の想像を
超えるものでした。
帰国後、やまなみ塾訪問の話を知人や友
人に話すと「ボランティアなの?」と言わ
アンコール・ワットが
れることがありました。私にはそのような
ちいさくなってま~す
意識がなかったため、ボランティアって何なのかな?と考えさせられてしまいました。実
際、私自身も参加するまではどういうものかあまり想像できていませんでした。ただ上手
くは言えませんが、私が何かをしてあげるというよりは、子供たちから元気や希望やもっ
と大きなものを貰った気がします。今回の訪問が子供たちの心に残り、これから先の人生
に少しでも良い影響になれたらと願うばかりです。また、今後も継続して子供たちの成長
していく姿を見ていけたら嬉しいです。
今回はこのツアーに参加させて頂き、とても良
い経験をすることができました。ありがとうご
ざいました。また今回はただ参加するだけで、
準備などに参加することもできなかったので、
次回からは少しでもお力に立てればと思いまし
た。微力ながらこれから先も皆様の活動にかか
わっていければと思います。今後ともよろしく
お願いします。
ヤシのジュースのおいしかったこと!
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初めての体験
森尻
ふみ子
気の置けない友人、家族達との観光旅行しか知らない私にとってはちょっと毛色の違った
グループ旅行になりました。
自分に自信がなく迷いましたが、行くと決めたからにはグループに迷惑をかけない、楽
しんで帰ってくることを心に刻んで行くこととしました。そしてしっかり楽しんで、皆様
に少々迷惑をかけて帰って来ました。
そう、60歳を過ぎて、TV でアンコール・ワットの映像を見ながら、いつでも行きたくな
ったときに行けると思っていたけど、そろそろラストチャンスかなと思った頃、お誘いい
ただきました。AYF「アンコールやまなみファンド」の活動については、耳にしたことは
ありましたが、初めての東南アジア、見てくるだけ、感じてくるだけで充分と思い、参加
致しました。
あえて、予備知識を入れずに、純粋にアンコール・ワット、ルアンパバーンに立ち、そこ
で何を感じるかを楽しみに出発しました。
やまなみの子供たちは可愛らしかっ
た。裸足とサンダル履きは半々くら
いかな?
何か伝わることがないか?と目を大
きく開いてこちらを見ていたのが印
象的でした。
私は、もう少し、伝え合えることが
出来ればよかったのだけど、見てい
るだけで、それ以上のことは出来な
かった。それぞれ表情があって、貧
しくとも、戦争がない世の中である
ことは大切な事だと思いました。
サンダルを履いている子もいない子も
アンコールワットは、さっと見てまわりました。感心したり、驚いたり、あまりにも大き
な情報が語りかけて、そこに立って何かを感じるか、楽しみと思っていた自分にとっては、
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甘くはなかったです。ゆっくり、時間があれば、というだけではないような、表現しにく
いです。 模様、物語・・・・・。
また、機会があれば見に行きたいと思いました。
気温の変化が激しかったためか、帰国後風邪を
ひいてしまい、2-3日ベッドの中で過ごしま
した。その時、BS でキリングフィールドという
映画が放映されていて、思わず見入ってしまい
ました。映画の最後のシーン、ジョン・レノン
のイマジンを BGM に、友人同士の再開のシーン
には感動しました。チアさんを思いだしながら。
回廊のアプサラ像と連子窓
今回の旅の締めくくりのような気持ちになりました.戦争は嫌だ。病気も。助けあいなが
ら暮らしをしていく。あまり深刻にならずできることだけでも、大切と思います。
最後に、皆様どうもありがとうございました。
夕日に映えるアンコール・ワット
ちょっとひと休み
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アンコール遺跡とクラウ村を訪ねて
西野 好子
「カンボジアへ行かない?」思いがけなく声を掛けられ、
「え!うれしい」と同時に「私
でも行けるかなぁ」という不安が入り交じりました。写真でしか見たことがないアンコー
ル遺跡が見られる。それとクラウ村に学校を作り支援されているということを聞き、連れ
て行ってもらうことにしました。
富山から羽田へは最終便、羽田からは深夜のバンコク便、翌朝バンコクからシェムリア
ップへ、ホテルへの到着は午前10時でした。
翌日の午前中、バスでクラウ村へ、やまなみスクールと書かれた門をくぐると元気な子
供達が迎えてくれました。三田商会様が寄付された紹介のプレートがあり、りっぱなこと
をされたのだなぁと感心して階段や図書館を眺めました。
子供達は上手に日本語で「さくらさくら」や「かえるの歌」を唄ってくれます。ここま
で指導されるのは大変だったろうとご苦労を思いやりました。紙芝居や歌が終り、チラシ
で紙飛行機を作りました。子供は飛ばない飛行機でも一所懸命おいかけ楽しそうに飛ばし
ています。
翌日は七夕飾りを作りました。準備段階から子供達が押
寄せ説明する間もなく「わっか」をつなぎ合わせて飾りを
作ります。子供の熱気におされて動くことも出来ませんで
した。出来上がった七夕飾りは日本の子供のものと少しも
違わない美しいものでした。
給食は、どの子も楽しみの一つでしょう。子供達は器を
持って敷物の上に集まり、大きい子が皆の器
に雑炊を入れていきます。教室の床に一人寝
ている子がいました。その子の器にも入れて
いきます。子供達は何度もお変わりをして食
べています。寝ている子の器にも三回程入れ
溢れそうになりました。この子は寝ているか
らねと言わんばかりににっこりして行きま
した。見ていて胸が熱くなりました。
毎日午後は遺跡の見学です。バスで一時間あまり走って遺跡の入場券売場に到着。3 日間
通用のパスポートを購入しました。遺跡の大きさにビックリです。タ・プロームは迷路の
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ような建物の中を迷子にならないようについて回り
ました。崩壊している所もありますが壁面の彫刻が
すばらしい。建物の上にまるで生きている大蛇がは
っているように巨木が伸びています。いろいろな形
の巨木がありジッと眺めているとせまってくるよう
にさえ思われました。
バイヨンはどの塔の上にも菩薩の顔が彫られてあ
りすばらしかったです。
アンコール・ワットはさすが観光客が多い。参道
は長く池に写った逆さ遺跡はすばらしい景色を見せ
てくれました。レリーフの回廊が夕陽に輝いて感動
ものでした。
バンテアイスレィの遺跡には東洋のモナリザとい
われる像がありました。立入禁止となっていて、離
れた所からチラチラとしか見る事が出来ませんでした。
タ・プロームで
プレ・ループは最後の遺跡になりました。中程に箱方の石槽があり死者を茶毘に付した
所と言われ思わず手を合わせました。夕陽を見物するため長い石段を登りました。大勢の
観光客が日の入りを待ち受けていました。振り向くと夕陽に照らされて金色に輝く遺跡は
言葉に言い表されない程荘厳でした。
中川先生はじめ、AYF の皆様、楽しい旅行有難うございました。
メコン川クルージング
モン族の村と子供たち
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