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谷 あ い の 聖 空 間 - やまがた草木塔ネットワーク

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谷 あ い の 聖 空 間 - やまがた草木塔ネットワーク
谷 あ い の 聖 空 間
~ 草木塔衛建立地 ~
飛鳥藍染織館々長
渡 辺 誠 弥
「つまり日本は古代から圧倒的に大陸文化の影響
そ黄泉ノ国の女王、大地母神イザナミの墓にふさわ
にさらされてきたのです。それは記紀・万葉・風土
しい地だと思った。大岩にはね返る波の音、風の音
記・古語拾遺など日本最古の文献を読んでみればす
は地底からのどよめきのように聞こえた。
ぐ わかります。すでにそういうものは、儒教、仏
これは去年の夏のことだった。信州茅野の尖石縄
教、その他の大陸渡来の諸観念に基本的に浸潤され
文考古館に国宝の土偶に会いに行った。それは縄文
ております。
」
(丸山真男『原型・古層・執拗低音』
のヴ ィーナスの呼び名通りの美しい立ち姿で私を迎
とがりいし
かた
こう
連続講演集『日本文化のかくれた形』岩波現代文庫)
えてくれた。巨乳、巨腹、巨尻と豊饒の神大地母神
たしかにそうかもしれないが、それでも執拗に、
の姿そのものだった。五千年前この地に住んだ人達
書中先生のおっしゃるところの「ラッキョウの皮む
の信ずる神の姿がそこにあった。まぐあうことによ
き操作」を続けてゆくと芯はなくなっても心に出会
る命の誕生の妙。その命を宿す胎内。命を生み出す
えるのではと思えるのだ。心などとまことに空を掴
女根。縄文のヴ ィーナスの横には克明に陰部の刻さ
むような話だが、私はひそかにその「ラッキョウの
れたもう一体の土偶が、これも完全な姿で出土し展
皮むき操作」を体感考古学とよんでいた。
示されていた。それを原初形態の宗教というのか、
きんせい
その直前に訪ねた八ヶ岳南麓の金生遺跡にはストー
ンサークルに囲まれた子供の背丈程の男根が天に向
一、はじまり
かって立っていた。案内してくれた三井女史は、冬
それは何年か前に、ベルリンでのコンサートを前
至の季節、男根の頭頂部と遠くにそびえる甲斐駒ヶ
に日本の原郷のような処で音を出してから行きたい
岳の山頂を結ぶ直線の果てに日が沈む、と話してた
という現代音楽家鈴木昭男の電話に、数日後熊野本
が、発掘されたこの国最古の祈りの場に立って、雪
おおゆのはら
宮大斎原、熊野川町鎌塚の高倉下神社(ここは境内
の甲斐駒の山頂を金色に染めて沈む来復の一陽を想
しゃしょく
に石を敷きつめただけの社殿のない 社稷)、そして
はな
像したとき、陽の男根、陰の女根と縄文の人達の祝
いわや
熊野市の花ノ窟神社の三社を案内した。結果として
祷の空間の風景を見た思いがした。天も聖ならば地
鈴木は拝殿あるいは本殿という建物の前に立つこと
もまた聖だった。
なく、川の音、波の音の立つ聖空間にアナロポスの
そして、金生から尖石へと八ヶ岳横断道路を車を
楽音を響かせた。奈良を朝に立ち、最後の花ノ窟神
走らせていたとき、突然、野の果てに蓼科山が姿を
社に着いたときはすでに日暮れていた。月は上り、
現した。百万年の孤独とでもいうべきか世にいう神
熊野灘から吹き寄せる風はゴーゴーと波の音と交響
名火型、それも見事な山容だった。そこに私はもう
し、五十米近い岬の鼻は足元に渦巻く音の中に夜目
ひとつの聖を体感した。片方には、聖、ひじり、日
にも白く屹立していた。書紀神代巻に、
「一書に曰
知りと天文暦数を明示することによる聖化もあれ
かん
な び
いざなみのみこと
ひのかみ
や
か み
さ
はく、伊弉冉尊、火神を生む時に、灼かれて神退去
かれ
き
の くに
りましぬ。故、紀 伊 国 の熊野の有馬村に 葬 りまつ
くにひと
る。それがどういうわけか存在そのものが聖とされ
みたま
る。土俗、此の神の魂を祭るには、花の時にはまた
も
ば、もう片方には、存在そのものが聖という山もあ
はぶ
ふえ
は
た
る山はその大方が三角形をしていた。神が天地を往
も
花を以て祭る。また鼓・吹・幡旗を用て、歌ひ舞ひ
来しやすい形かなどと真面目に思ったりした。ある
て祭 る。
(
」岩波文庫)と あ る イザ ナ ミの墓はここ
いは四角形と異り、三角形は不動の動といったダイ
だ。この日夕方、この地に身を置いたとき、こここ
ナミズムを内包しているところが見る人の心に適っ
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たのかとも思ったりもする。
出の場だから、大事の成功を祈って不思議はない。
先年亡くなられた民俗学者の吉野裕子先生はその
しかし、なぜ皇極天皇はそこを神人交感の祈りの舞
ことについて次のように述べている。
「日本における
台に擬したのかという謎は残る。それが分明すれば
最も代表的な円錐型の山は大和の三輪山であるが、
訪ねてきた老人の思いが腑に落ちるというものだ。
その山容から『これは山の主の大物主神が七巻半し
そこ、奥飛鳥の古社とは石舞台から車で五分、天
ておられるお姿である』という古伝承が山麓の人々
武・持統の吉野往還の道筋にひっそりと佇む飛鳥川
の間に伝えられている。ここに窺われるのは大和の
上坐宇須多岐比売命神社。日本書紀皇極元年八月ノ
空に巨大な円錐型の弧を描く三輪山に、祖神の姿を
条に登場する聖地だ。「八 月 の 甲申 の朔に 、天皇、
あすかのかわ
かみにいますうす た
き ひめのみこと
は つき
みなぶち
いでま
ひざまづ
きのえさる つひたちのひ
よ も
すめらみこと
あめ
見、これを信仰している人々の熱い宗教的情念であ
南渕の河上に幸して、跪 きて四方を拝む。天を仰ぎ
る。七巻半とはもちろん蛇のトグロを意味する…」
て祈ひたまふ。即ち雷なりて大雨ふる。遂に雨ふる
(
『三輪山』東方出版)と、蛇を祖霊とする原始信仰
こと五日。溥 く天下を潤す。
」
(岩波文庫)という奇
から神名火山の姿を解き明かす。さらにこの原始蛇
跡譚の舞台だ。
信仰の形が渡来した陰陽五行の考え方により火の燃
なぜ、という謎が謎のまま一年が過ぎ二年が過ぎ
えさかる姿に変じ、それが「火生土」という五行の
するなかで、やがて古社の立つ地の幾重にも重なっ
こ
いかづち
あまね
ひさめ
あめのした
おや
法則により火が人間の生みの祖となるという入り組
た聖地としての結構が見えてきたのだった。謎を解
んだ論理で、火の表象と見立てられた円錐型の山が
く鍵はウスタキヒメという御祭神の名、謎の扉を開
人間の祖神の宿る山となって信仰を集めたと言うの
け たのは『老子』の「谷神は死せず」とい う一節
だ。
だった。
「谷神は死せず。是れを玄牝と謂う。玄牝の
前置きが長くなったが、これからお話する二基目
門、是れを天地の根と謂う。」
(朝日新聞社)
の草木塔を建てた奥飛鳥の谷間の聖空間にも円錐型
著者福永光司先生はこの一節を次のように解説す
をした山が鎮まっていた。三輪山同様ここも御神体
る。
は山という古い祭祀形態だった。ただし天文暦数の
「谷神は谷間の凹地に宿る神霊の意で、女性の陰
こくしん
こ
げんぴん
い
げんぴん
こん
デイモン
しるし
標は何もなかった。
部を神秘的に表現したもの。玄牝は玄妙な牝、不可
思議な生殖力をもつ女性の意。天地の根の根は、男
二、奥飛鳥の神名火
根・女根の根と同義で性器をいう。ここは道が天地
万物を生み出だす生命の根源であることを女性の性
繰り返すようだが前節吉野先生の言のごとく、火
器の生殖力になぞらえていったのである。
」と。
生土という五行の法則によれば、火は土気の人間を
分け知り顔でいうのも何だが、今は万葉仮名で宇
おや
かた
生み出す祖、ならば火を象どる円錐型の山は人間を
須多岐比売ともっともらしく書かれている御祭神の
生み出す祖神の神の火の山、神名火山、神奈備山、
名、古伝には臼瀧比売とあり、これを先の『老子』
ということになる。
風に解釈すれば、臼は女の性器の隠喩、瀧は“氵”
これは今から十二、三年前のことになるが、ある
をとれば龍、龍は蛇、蛇は男根と、つまるところ御
日突然訪ねてきた老人が、モノに憑かれたように私
神名は滝と滝壺と化した社前の飛鳥川の地形に由来
を詰問するのだった。
「オマエガ奥飛鳥ノ古社ノ宮
するものであり、地形そのものが陰陽和合して万物
守カ」と。
「そうです」と答えると、曰く「ワシガ思
生成するという道教の哲理、教理の表象といえる。
ウニ、中大兄皇子ト中臣鎌子ハ大化改新ノ成功ヲア
それは女性の下腹部を谷神にたとえ、天地の根にな
ノ神社デ祈願シタニ違イナイ。シカルニ事ガ成ッタ
ぞらえる『老子』の一節に符合し、
「跪きて四方を
後デ二人ガ礼ニ行ッタ形跡ガナイノデ、ワシガ代リ
拝む」といった道教的儀礼で天に祈る皇極天皇に
ニ礼ヲ言イニ来タ」と。私は一瞬あっけにとられて
とってかけがえのない聖空間だったのではないか。
しまった。老人は千三百年前の出来事の始末に来た
聖空間化する奥飛鳥の谷、そこには神名火山、陰
というのだ。なるほどそこは中大兄皇子にとって母
陽和合する地形、と聖性の標を一つ二つと数えたそ
皇極天皇が三年前天に祈って大雨を降らせた奇跡現
の下にもう一つ、三つ目の標がかくされていた。そ
「草木塔」 創刊号
17
れはアイヌ語でオウコッツナイ、日本語で河合とよ
のある都市が旧市街から遠く離れたところに駅が出
ぶ合流する川だった。
来て繁華街が移ったというのとは大きな違いだ っ
た。仏文学者の桑原武夫さんが書いたエッセーに、
戦後間もない頃、仲間と阿寒に登り、帰り釧路で列
三、オウコッナイ
車の待ち時間があったので駅裏の映画館で見たジョ
おたのし け
いま思えば、その一つ一つがあらかじめ用意され
ン・ウェインの『駅馬車』と釧路の隣りの大楽毛と
ていたのだと思えるほどの草木塔との縁は深い。
いう駅名が忘れられないとあったが、見事な文明批
話は四十数年前に溯る。
評だと思った記憶がある。北海道はアメリカ開拓の
私がNHKに入ったのは昭和三十九年、東京オリ
西へ西へ運動の海を越えた終着地のようなところが
ンピックの年だ。四月、五月、六月と三ヶ月の新人
あった。
研修が終わり初任地の内示があった。私は釧路だっ
翌年、郊外の 春採(岬の向こ う側の地)に移 っ
た。内示の翌日、当時アナウンス室長だった志村正
た。興津はその隣りだった。本州では千葉でも静岡
順さんが研修所にやってきて、アイウエオ順に一人
でも高知でも興津と書いてオキツだ。それがここで
ずつ任地を聞いていった。私はワタナベだから同期
はオコツと読ませた。聞きようによってはまがまが
二十八人中の最後で、
「ワタナベ君はドコダイ」と聞
しい読み方だが、ア イヌ語の原意は愉悦そのもの
かれ、
「釧路です」と答えると、「釧路カ、アスコハ
だ。前掲書には、
「語義は元来はオ(性器)ウコッ
寒イカラ三年デ転勤ダネ」と、釧路の人が聞いたら
(くっつく)ナイ(川)、性交する川」、つまり川が
一言ありそうなことをサラッと言った。
合流する地点のことだ。
当時新人の赴任手当は航空運賃ではなく鉄道運賃
その辺のことを梅原猛先生は朝日新聞の夕刊に連
で支給され、歌の文句ではないが上野発の夜行列車
載していた
『反時代的密語』
の中で以下のように語っ
に乗って釧路まで二十六時間かかった。
ている。
着任した釧路の局にはアナウンサーの先輩が六人
「(アイヌ思想において)川は生殖行為をも営むと
いた。その六人が六人とも釧路が初任地だというの
考えられ、二つの川が合流しているところを『オウ
だから順当にいって私の次なる局への転勤は七年後
コッナイ』
(交尾している川)とよぶ。」と。さらに
ということになる。ほんの数日前に、
「三年デ転勤」
「日本本土においても、二つの川が合流するところ
と言った志村さんの声がまだ耳朶に残っていた。結
が川合とよばれ、多くの神社が建てられている。古
局釧路には五年いた。しかし、縁というのは妙なも
代日本語で『あう』というのは交合を意味するの
ので、私を入れて七人のアナウンサーを束ねるデス
で、川合の地は川の交合するところであろう」と。
クが米沢興譲館高校出の杉山徹さんだった。新人と
なるほどと合点のゆくことがひとつあった。
して勿論アナウンサーのイロハの手ほどきを受けた
世界遺産ブームで賑う石見銀山。その近くに立つ
のだが、後年私が草木塔に興味を持っていると知る
石見一宮物部神社は島根県大田市字川合にある。先
と、小山田信一さんの豆本『草木塔』を送ってくれ
年若くして亡くなった中田武伸宮司の話では、字名
たり、研究家を紹介してくれたりと、このときも
川合の由来は、出雲の大国主命が境内に立つ漢女神
様々なデスク的配慮をしてくれた。
社の比売神を夜毎訪ね来て、かわいい、かわいいと
はるとり
あざ
からめ
ヌサマイ
釧路の局は旧釧路川の河口を見下ろす高台(幣舞
言ったから川合となったと。ハテ、と首をかしげな
町)にあった。山田秀三著『北海道の地名』(草風
いでもないが、梅原先生言うように内陸の名のある
館)には、
「神祭りのための イナウを立て並べた場
神社は川の合流点に立つものが少なくない。
所」とある。釧路の由来は諸説あり、著者は根室、
たとえば熊野本宮、右から熊野川左から岩田川。
斜里等への「越える道」の「クルュル説を棄て難い」
たとえば下鴨神社、右から高野川左から鴨川。前記
としている。
物部神社は右から忍原川左から三瓶川といった具合
釧路の街も他の道内の都市がそうであるように鉄
にだ。そして、その二つの川の合流点に形づくられ
道の駅を中心に大きくなっていた。これは本州の名
る逆三角形の中洲。熊野本宮では「大斎 原」。下鴨
おおゆの はら
18
ただす
とうのみね
神社では「糺の森」。この二川が合流し、中洲が鬱
多武峰山地の前衛。そこを発する谷は一流、二流と
蒼とした木立におおわれる風景を上から見おろした
合して飛鳥川、細川となって下り、蘇我馬子の墓と
とき、どうだろう、女性の下腹部を連想出来ないだ
して伝えられる石舞台の下で合流し一つにまとま
ろうか。まことに荒唐無稽な論かもしれないが、私
る。馬子もまた死して胎内に帰るような地に墳墓を
には聖は性、聖・性の一致ということが見えてくる
築かせていた。
のだった。勿論、一例で全てを語らせるわけにはゆ
二つの川の源流はいまなお深幽の気につつまれ、
みおや
け
つ わ き
かないが、たとえば、賀茂御祖神社と正称される下
細川奥に鎮まる気都和既神社の森は通称“もうこん
鴨神社がなぜ「みおや」なのかというと、上加茂神
の森”とよばれ、乙巳の変で暗殺された蘇我入鹿の
いっし
わけいかづちのみこと
社の御祭神別雷命の母神だからだ。その誕生譚は、
魂魄もここまでは追って来ないだろう、もう来んだ
上流から流れてきた丹塗りの矢を床辺に挿しておく
ろうというところからきたという言い伝えを持つ。
たまより ひ
め
と母神玉依比売は身ごもり、別雷命を生むという、
南渕山の山裾を西流する飛鳥川の奥谷は、合流する
処女懐胎などといったふてぶてしい物言いではな
川、和合する滝、神名火山と人々の信仰の形が層を
く、いじらしい くらいの筋書き。これをもう少し
成す聖空間だった。その中心に坐す古社の上・下流
荒々しく言うと、あるとき丹塗りの矢(男根)が糺
それぞれ一キロ程の所に、毎年小正月に長さ五十
の森(女根)に挿さったということだ。
メートル位の太綱を谷に渡し、飛鳥川を産道に見立
性の聖性化、その全ての元が生命の誕生という神
ててか、上流に女陰、下流に男根を稲藁で形づくっ
妙さに帰せられる故と思いを至したとき、再び「谷
て下げる奇習がある。谷に人声が谺するのはその日
神は死せず」という『老子』の一節が胸中に蘇って
だけ。春は椿、夏は蛍、秋は紅葉、冬は雪と 年 々
くる。二基目の草木塔が立つ奥飛鳥の古社の立つ地
歳々相似たる四季を装う神韻縹渺とした谷間だ っ
も右から飛鳥川、左から柳谷川と二川が合流するオ
た。
ウコッナイ、興津だった。
明けて五年になるが、建立地の下見にまで遠く山
いま
形から来てくださった千歳栄さん、趣旨に賛同して
お力を貸して下さった奈良の花田慎吾・佳代子夫
四、おわりに
みことのり
妻、その草木塔の台石も苔むし始めている。
みなぶち
いさ
「この月に勅すら く。南渕 山、細川山を 禁 めて、
これで私の話は終わりだ。雑談にしては随分と長
くさかり きこる
並びに蒭、薪ことなかれ。」
(『書紀』天武五年五月ノ
くなってしまったが、聖空間という伝承をもつ二基
条)
目の草木塔の立つ地を通して、古代の人々が求めた
前記勅により草を刈ること木を伐ることを禁じら
“聖”なるものが何だったのか知りたく「ラッキョ
れ た 南 渕、細 川 の 山 並み は 飛 鳥 の 東に はだ か る
ウの皮むき」をしたというわけだ。
「草木塔」 創刊号
19
渓流が小滝となり滝壺を穿つ飛鳥川
奥飛鳥の草木塔
20
飛鳥川に架かる勧請縄(男綱)
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