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「あ」の会 通信 - 「あ」の会ホームページ
2013 年 3 月冬号 ☆ ★ ☆ ★ 20号 「あ」の会 通信(電子版) 例年より早く、満開の桜が日本列島を賑やかに、そして華やかに彩っています。 毎年この季節になると、外に行けば必ず桜を見ることができ、日本に生まれてよかたなあと思うのは私だけ でしょうか。ただ、桜の花は散るのも早く、短い満開の時期を楽しみたいものです。花は散っても、その後に 新芽が顔を出し、葉が茂り、実も結び、夏は木陰を作り、秋はきれいな色の落ち葉となり、じっくり冬を待っ て一年の巡りで幹と枝は一回り太く大きくなる。そんな桜の樹木のように、子どもには育ってほしいし、私自 身もそう生きていきたいと、桜を見上げながら思うのです。 さて、今回の通信では、 「日本語のリズム」 というテーマで、「あ」の会のメンバーがそれぞれ、子どもだ ちとの間で感じたことを書いてみました。私たちが普段使っている日本語の奥深さや楽しさを伝えられたら と思います。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 日本語のリズム 小川原 「日本語のリズム」と私たちが言う「リズム」は、音楽での 2 拍子、3 拍子のようなリズムではありません。生 活リズムというのともちょっと違います。最も近いのが「詩の韻律」です。韻律を辞書(明鏡国語辞典)で引い てみますと[韻文の音楽的な調子で、音声の長短・強弱・抑揚、子音・母音の配列によるもの。和歌や俳句の ように音節数によるもの。]とあります。 俳句や、和歌、ソネット、漢詩などは定型詩とも言われます。自由 詩と言われる詩歌が作られ始めた時も、俳句や和歌の五、七、五のような響きが使われています。例えば、 藤村の「小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ、、、、、」(千曲川旅情の詩) 「まだ上げ初めし 前髪の リンゴの下に 見えしとき、、、、、」(初恋)のように韻を踏んで定型詩の影響を受けています。 リズムは同じ音数のことばや、いくつかの音数のことばの組み合わせを繰り返す中で生まれてきます。子 どもたちのあそび歌や悪口歌「バカ カバ チンドンや おまえのかあさんでべそ お前もやっぱりでべそ」 「ミッチャン道々、、、、」なども韻を踏んでいます。わらべ歌の中にも多く見られます。これらを声に出して言 ってみるとよく分かるのですが、とても調子がよく、リズムに乗りやすいのです。自然に記憶に残って覚えや すくもあります。 日本語の「音」が、すべて「あ、い、う、え、お」の母音に帰結する(50 音表をあ段、い段、、、と横に読んでみ るとよく分かります)ところに定型詩が生まれた土壌があったのかも知れません。日本語は繰り返して言うだ けでリズムが生まれやすいのです。 現代でも、谷川俊太郎さんが「あそびうた」や「わらべうた」としてたくさん書かれています。それらの詩を使 って子どもだちと声を出したり、動作をつけてあそんできましたし、今もあそんでいます。障害をもつ子のた めに書いてもらった「あたしのあ あなたのア」(太郎次郎社刊)の中の詩の多くも韻を踏んでいるので、子ど もたちが覚えやすく楽しんで声を出してくれます。又リズムは繰り返しの中で生まれてきますので、「エイエ イオー」というかけ声も、1回より3回くらい繰り返すとリズムがついて弾んできます。このように韻を踏んで リズムに乗るということは、こころが踊ってもきます。子どもが言える短いことばを早さを調節しながら何回 か繰り返すと楽しくなってきます。例えば「待って、待って、待って待って マーッて」のようにリズムをつける とからだが踊ってきます。前々回ご紹介したオノマトペもリズミカルに繰り返すことで、日本語の持つリズム の楽しさを感じることができます。 こころが躍ると言いましたが、実は「リズム」は、からだに直接働きかけてくれます。これは音楽のリズムも 同じですからよく分かると思います。繰り返しの心地よさを「リズム」ということができると思います。余談です が、生活リズムというのも、同じ繰り返しで生活することで、こころとからだの働きが一定となり心地よく落ち 着くということだろうと思います。 ことばの獲得には感覚が大きく関わります。「いちご」ということばをとってみても「いちご」が分かるというこ とは、イチゴの色や、匂い、味、手触り、重さなどなどをからだで確認しながら、実体のいちごと「い、ち、ご」と いう音とが繋がります。ですからことばは元々からだとしっかり繋がっているのです。 ことばのリズムがからだに響き、からだを心地よく、あるいは強く動かすのはことばそのものがからだと繋 がっているからです。ですからことばのリズムを楽しむのは、日本語だけではありません。例えば皆さんが よくご存知の「マザーグース」を始め、英語でも韻を踏んで詩を作っています。 ことばは意味を伝えるだけの道具ではありません。ことばが持っている響きや、抑揚、強弱、長短、高低な どをからだと一緒に繰り返してリズムを作り、それに乗って楽しみながらあそぶ中で、ことばの正しい意味を つかむようにもなっていくのではないでしょうか。そして何よりも、ことばを楽しむことができていくと、受け身 になりがちな子どもたちが、抑揚や、強弱、リズムなどことばの周りにあるどれかを使って、自分の意思や 自分自身を表現しようとするようになっていきます。意味だけではないことばの持つ様々な特徴を使ったや りとりが、子どもたちを人との関わりの楽しさへと繋いでいきます。 日本語のリズムに乗っかって・・・ 佐藤 特別支援学校の教師になりたての頃、下校前の「おわりの会」の最後には、どの教室からも「さよなら あ んころもち またきなこ」という唱え歌が聞こえてきて、どの学年集団もこの唱えの時は楽しげに声を出した り笑ったりしていることに驚きと不思議な感じを覚えました。『学校が終わって、家に帰れる』嬉しさかなとも 思ったり、とにかく、障害の重い子たちも同様に誰もが楽しそうで、「あんころもち」の魅力は何?と思ったり したものです。また、先輩の先生のわらべうたの授業の時も、(例えば)「どうどうめぐり どうどうめぐり どう どうめぐり かっちんこ」の繰り返し がとにかく子どもたちは面白いようでした。その後、関わっていた「ドレミ の会」(重度の子どもの親子の、歌やことばを楽しむ放課後の会)の活動 の終わりの会ではこんなことがありました。 帰り際、「さようなら」の挨拶の前に、「さよならうた」(谷川俊太郎作)を初め てやると、当時『むっつり T 君』と言われてめったに笑ってくれない子ど もが、それは楽しげに脚をパタパタ動かし始め、歌うように声を出し始 め、何度も繰り返しを要求するのでさよならにならず、 T 君のお母さん 始めみんなピックリの嬉しい出来事でした。以来 T 君は「じやあね」係り になり、張り切って声を出していました。 こうした子どもだちとのあそびの体験を通して私は、子どもたちは、意味にとらわれるよりもこれらのこと ばのリズムやその繰り返しが面白いのかなとだんだん思うようになりました。その後、波瀬さんや小川原さ んたちとことばあそびの研究に携わり、ことばには、語感、響き、抑揚、リズムなどがあって、子どもはそれ らに敏感で、障害が重い子ほど意味よりもこれらの要素を感じ、楽しみながらことばが育っていくことを実感 していけたのはとても幸運だったと思います。以来、詩やことばあそびであそぶ時や絵本を読む時など、日 本語のリズムに乗っかって声にすると私自身も心地よく、楽しく豊かな気持ちになり、 子どもと共感できや すくなるように感じています。 一昨年、病院内訪問学級の身体的には最重度の気管切開のK君(6年)と、文字学習の一環として、詩の唱 えを楽しみつつ「かえる」(谷川俊太郎作)のことばあそびうたをやり、文字探しや単語探し等をしました。文字 学習より詩の唱えがお気に入りで詩を覚えたのか、表出言語は限られていた K 君が、リズムを取るように 顔を動かしながら「かえる」の部分は口を動かして楽しげに言うようになりました。思わぬ収穫で、この年、 かえるが登場する「やさいの国の雨ふりうた」という文化祭劇でこの詩を披露し、 K 君の表現に大喝采でし た。 日本語の独特のリズムには、いつの間にか自然にからだやこころが乗っかって言いたくなる心地よさ、面 白さがあるんですね。「あんころもち」の正体は正にこれ!でした。 人形劇のテンポ 溝井 先日、カエルくんとガマガエルくんの「ふたりはともだち」(アーノルド・ローベル作 三木 卓訳 文化出版局 出版)の中の “はるが きた” を子どもたちの前で人形劇を行いました。ガマガエルくんが寝ていてカエルく んが起こすという簡単な内容です。カエルくんは春が来て、友だちのガマくんとどうしても散歩に行きたい、 ガマくんは11月から冬眠していてもっと寝ていたい、そんな二人のやり取りです。カエルくんは寝ているガ マくんを起こすのにことばや動きが徐々にスピードがアップしていきます。ガマくんの「4月になったら起きる よ」ということばに「ジュウイチ、ジュウニ、イチ、ニイ、サン、シイ」と超スピードで暦をめくります。 もちろん 数字をいうのもすごい勢いです。子どもたち(子どもだちといっても、2歳から成人の方がいます)は大笑いで した。数字を言っている時と暦をめくるときのリズムが子どもたちの笑いを誘ったんだと思います。そしてガ マくんが起きて、二人は春の中をのんびりと散歩して終わります。カエルくんを演じてくれた人は、長年人形 劇をしている方です。始まる前に短時間の打ち合わせと練習でしたが、カエルくんがガマくんと一緒に散歩 に行きたいという気持ちを表現し、子どもたちが興味を持って見てくれるように演じてくれたのだと思います。 カエルくんが「ガマくん」と呼んでいる声に、つい「ハーイ」と答える子がいました。あまり返事をしたのを聞い たことのない子です。カエルくんの呼ぶ声が返事をしたくなるように呼ぶから声が出たんだろうと思います。 カエルくんが超スピードで11月から4月のカレンダーをめくる声と動きに、ある子が声を出して笑っていまし た。私はその子の笑い声を初めて聞いたような気がします。ガマガエルを演じた私が、カエルくんの「ガマく ん、ガマくん」と何度も呼ぶ声に対して、「いないよ」という声はもっと間延びしたようにやれば、カエルくんと ガマくんのリズムの違いがはっきりして、もっと面白くなったのかなと思います。でも、今回の人形劇は満足 しています。それは終わった後に子どもたちが人形を持って真似たり触ったりしている姿が見られたからで す。 からだが不自由で、足裏を触れられるのが苦手な子どもに、足を包むように触れた後に、優しくタッピング をします。そのときに「イチ・ニイ・サン、ニイ・ニイ・サン、サン・ニイ・サン‥‥‥‥、ジュウ・ニイ・サン」とリ ズミカルに数えます。あっという間に 30 回タッピングができます。強弱をつけたり、数える速さを変えたりす ると、子どもたちも楽しみながら足裏の感覚を整えたり少しずつ鍛えることができます。そんなことを繰り返 していると、触れられると震えがとまらなかった足も、足裏に触れられるとリラックスできるようになります。 私は今までリズムという感覚でことばを意識してきたことがありません。テーマが与えられてから、ことば のリズムというのを考えている中でパフォーマーの波瀬さんが「い~ろ~は~に~ほ~へ~‥‥」や「ア・ イ・ウ・エ・オ‥‥‥‥」を唱えている姿を思い出したり、絵本に書いてあることばのリズムを意識して読んだ りすることを始めました。私が人形劇のテンポを意識したのもテーマが与えられたからだと思います。今ま でリズムを意識してきたのは、子どもだちと動作の学習をしている時でした。「日本語のリズム」について、 次回は今回と違う内容で書けるようになっていたいと思います。 リズムの力で一体感 熊谷 日本語には、原則的に一音一拍という性質があるので、リズムが取りやすいという特徴があると思います。 谷川俊太郎さんが作る詩を声に出して唱えてみると、リズムが自然とついてくるのは、日本語のリズムを生 かして作られているからではないでしょうか。 谷川俊太郎さん作の、「障害児のためのことばあそびの研究」で生まれた 23 編の詩はもちろんのこと、 「あなにおちたよ あいたたた…」や「日本語のおけいこ」などを声に出して読んでみると、リズムに乗って唱 えられるのがわかります。 一人一人のもっているリズムは違うでしょうが、詩など同じことぱを真ん中にして、リズムに乗せると、歌を 歌う時のように、人と人との間に共有感がもてるのです。1 対 1 でもそうですが、大勢でもその場で一体感が 生まれるのです。リズムに乗せるだけで楽しくなり、きっとリズムの力を借りて場は盛り上げられていくのだ と思います。 重度のからだの不自由な子たちとことばあそびをやった時は、子どもたちがからだ全部でことばのリズム を感じてくれて、 表情が明るくなり、 楽しさを共有できている感じが伝わってきました。わざわざ詩をもって こなくても、名前を呼ぶ時や「きゅうーしょく食べよう」など、生活の中でもリズムに乗せてことばをかけると声 や表情で返してくる、というやり取りができました。これもリズムを活用してより伝え合う、共有し合う場をつく っているのだと思います。 発達障害のある子どもたちは、「共有する」ことを教えられないと自然にはできないことが多いです。通級 学級の子どもだちと「日本語のおけいこ」などの詩を唱えてあそんだ時も、大人が示すリズムに乗れず、自 分の間(ま)で少し遅れて言ったり、速く言ったりという子がいました。また、からだにリズムを取り入れること も難しかったのです。でも、それぞれの子のリズムをみんなで真似たり、まずリズムに着目させてからこと ばをつけていったりなど、工夫をしていくと、楽しく唱えられ、一体感を感じることができました。目に見えない リズムというのは難しいのですが、リズムに乗れないわけではないのです。 私の受けもっている通級学級では、毎年、4年生から6年生までのグループが、一年間の学習のまとめとし て「学習発表会」を学年末に行います。そして、保護者や学級担任、その他の教員に披露します。平戸間の 舞台に立つので、お客さんとは目と鼻の先の近さで、一人一人が主役になるように構成していくので、人から 見られる緊張感は、通常学級の大きな集団で行うよりも大きいと思うのです。 しかし、緊張するはずなのに、それをことばにできなくて、別の不適切行動をする子が毎回います。例えば、 下級生に意地悪したり、担任に用意した招待状を渡していなかったり、怒りやすくなったりなどです。今年は、 2月 26 日に行われ、やはり「緊張する」と言えないでいる子がいました。発表会は午後からなので、午前中は 最終確認をし、給食を食べて臨む、という時程でした。 始まる1時間位前の給食でのことです。「緊張する」と言えれば楽になるだろうと教員たちは考え、大人も 緊張していることを伝えると、他の子たちも「そうだよ、緊張するよ」と言い始め、その子もようやく「つらい」と 言えました。そして、ひょんなことから電車内のポスターで見たシルバー川柳を思い出したのです。 「 恋かなと 思っていたら 不整脈」 この川柳に、自分たちの「ドキドキする」気持ちを重ね合わせたのでしょうか、その後、子どもたち全員が 次々と、緊張する気持ちや事実を五七五の川柳に詠み始めたのです。リズムの力を借りるとことばを出し やすかったのかもしれません。このおかげで少しリラックスし、本番はほどよい緊張感で練習してきた劇や パフォーマンス・作文発表などを見事、こなすことができました。 このように、日本語のリズムを借りて、人との間で一体感をもてたり、自分の内のもやもやしたものを出し やすかったりすることを 日々の中で感じることがよくあります。 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★ 編集後記 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆ 前々回の特集で、オノマトペは「からだに一番近いことば」ということに気付かされました。今回リズムにつ いて、やはり「リズム=からだ」で感じることを教えられました。そして、日本語だからこそ、「からだに近いリ ズム」をもっていることも分かったような気がします。そんなことを今まで以上に意識して、子供とかかわった り、詩を唱えたりしたくなりました。先日、大学の教育学科 50 周年記念行事に参加しました。久しぶりにお会 いした教授と話していて、私が大学生だった頃、ゼミで「ことばーからだーこころ」はつながっていることを研 究したいと言っていたのを思い出しました。でもその当時は、それはどういうことか、具体的に分かりません でした。それから 30 年、自分なりに開拓してきたなあとしみじみ振り返ることができました。また夏のセミナ ーに向けて考えていきたいと思います。 (熊谷)