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Title リルケ最晩年の詩 - Kyoto University Research Information

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Title リルケ最晩年の詩 - Kyoto University Research Information
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リルケ最晩年の詩 : 特にフランス語の詩をめぐって
高安, 國世
独逸文學研究 (1962), 10: 1-30
1962-01-31
http://hdl.handle.net/2433/186285
Right
Type
Textversion
Departmental Bulletin Paper
publisher
Kyoto University
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世
リルケ最晩年の詩
私の奥 深く 、 行 き 場 を 失 っていた
涙を今乙そ、 そそぐために。
抑制よ解けて、 しなやかな器の中へ
よどみなく疲られて行け。
逆らうのはただ虚妄の 川町
、ュゾ ットの館で作られたという。
すべての存在は正しくその処を得る。
(一)
ことで 特 に日附をいうのは
一九二四年と
一九二二年二川、生涯の大作をなし終えたリルケが、 そ の 後 訪 れ た 友 人 た ち の ひ と し く い う よ う に 、 人
﹁ドゥイノの悲歌﹂と﹁オルブォイスに捧げるソネット﹂完成後のリルケにとって、特にみのり多い年だ
この詩は一九二四年十月三十日
いう年が
からである。
が変ったように明るく、 心の平静をとりもとしたといっても、 死 病 は す で に ひ そ か に 彼 の体内にひそんでいた。だか
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その
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﹁菩破﹂等の代表的なフラ ン ス 語 の 詩 が お び た
ドイ ツ語 の 詩 よ り も フ ラ ン ス 語 の 詩 に 遁 か に 力 が そ そ が れ て い る
﹁グァレ l の四行詩﹂
一九二四年には多くのドイツ語の詩と、断片と献詩、 さらに﹁エ l リ カ ・ ミ ッ テ ラ ! と の 詩 に よ る 往 復
らヴ ァ レリ l の翻 訳 な ど は あ っ て も 、 も は や ﹁ 悲 歌 ﹂ や ﹁ ソ ネ ッ ト ﹂ の 余 韻 の 中 に し か 作 品 活 動 は 見 ら れ な い か と 思
生の
てに
乙「
の 果
時樹
期園
に」
は
われたのに、
し簡
ってよいのである。最近の全集出版
事情 に お ど ろ か さ れ て い る 。 そ し て 、 よ う や く ﹁ 悲 歌 ﹂ ﹁ ソ ネ
7ト ﹂ 完 成 以 後 の リ ル ケ の 詩 業 に つ い て の 評 価 も あ ら
κよ っ て 、 晩 年 の 詩 の 全 貌 が 概 観 で き る よ う に な っ て 、 弘 た ち は あ ら た め て 右 の
ことが、景、目、 双 方 か ら う か が わ れ る の で 、 ブ ラ シ ス 語 の 詩 を 除 外 し て は 最 晩 年 の リ ル ケ を 語 る 乙 と は 不 可 能 と い
だ筈
﹁悲歌﹂の実存主義的立場の克服、。ロ白骨
ぴ
刊
による 。
広
町
同
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ロ
巾
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を見ょうとしている。そして﹁悲
(四)
ためられようとしている。たとえば、 ポルノクは、哲学者・思般家の立場から、リルケの最晩年の、殊にフランス語
の詩の中に、
歌﹂以後の詩業を現代にとっていっそう意味あるものとしている。
だが、詩にあらわれた詩人の思惣と詩の価値との閣の関係は大へん微妙な問題であ り、思必的進展がそのまま詩の
進歩ということはできない。殊にフランス語の詩の表現上の価値評価は外国人にとって困難だから、主としてそこに
うたわれている内容によって判断するより仕方がないともいえる。ポルノヲも主としてリルケの思想的内容を問題と
そ
-oロは皆無と言ってよく、もちろ
円2
し、詩の文学的な価値評価はおこなっていない。殊に一篇の詩全体の EZG2
ん詩の味読が根底にあっての乙とであろうけれども、リルケの詩の中の一郎、もしくは数行を引用するばかりで、
れらの総合からリルケの思想を解明しようとした試みであると言える。
出向巾自体。
である。
乙の意味は
乙こでややあいまいに表わされた 言 葉
わるいもの 回宏2 はない。 悪はただレアリテ lトの欠除にのみ存する。し
はじめに挙げた詩についても、 ポルノウは最後の二行を引用するにとどまり、 その二行について次のように述べて
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r をもつものに、
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﹁それ 自身
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かしすべての存在は、リルケの表現に従えば
を明確に規定しようと試みるならば、 それはその本質に適うという乙とであり、 だからあるべき 姿 にあるということ
だ(多分また乙うも取れる。それは人聞にふさわしい、と。しかしそれは解釈の上で本質的な差はないだろう)。
れは、 このように表現されてみると、 乙乙でリルケの存在肯定と称せられるものの究極的な、最も深い表現である。
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・l そして悲歌の段階の
仏
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ζれ乙
、成熟をとげたリルケの発展の究極点である。きびしさは消えた Z'3mRF4
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信
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け
融
絶 望 はて
印
・
﹁存在肯定﹂ の最後の段階
詩の最後の 一行はたしかにそうした 意味合いを含んでいるであろう。 しかし、
phF ケ 最 晩 年 の 詩
乙
きる。
リルケ最晩年の詩
こう見てくれば、
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wろい行く時閣の中の存在も、 そのままの姿において肯定
この詩をよ く見れば、 その涙はやはり空し く消えてはな ら な い の
﹁オルフォイスのソネ yト﹂のリ ルケと 、 それほどの 差 があろ うとは思えぬ。ただ、
悲 歌﹂ の、少なくとも一九一 0年代でなく、 ニ二 年 にはじめて 存 き下ろされた部分の﹁悲歌﹂
﹁
も、それは純粋でなければならず、 造型を経なければならないのだ。詩の中でのみ、詩人は心ゆくまで泣くととがで
。 大 地 の 純 粋 な 土 で 作 ら れ た 水 差 し の 中 に 政 め ら れ な け れ ば な ら な い の だ 。 あ く ま で 大 地 H 現世肯定であるけれど
だ
ζれだけなら、無条件な 珂宏九段定であろうが、
されるという心境に達したとき、一涙はもう流れるままに流れてもいいのだ。
必死の作 主 であり、芯志のかたまりであった。それ が今
まま流すことがで き る。思 えは 、 リルケの生涯は、一決を抑えて、すべてを造 型へ
の第一節のコ俣﹂を背景にし て、 はじめてリルグの存在肯定の意味を知り得ょう。抑制は解けた。今こ そ、演を思う
、 流れ る時聞を永遠へと堰きとめる
というならば、 この一行だけを出してくるのは勝手すぎはしまい か。少なくとも、 不十分だ とは 言え るであろう。トペ
四
(ソネット I ・8)
﹁夏の幸幅﹂ 、 ﹁全き存 在﹂をそこに見たフランス 語 の詩の豊富な収構のすぐあとに生まれた。私
一直 線に頂点をめざして思悠を築き上げる者ではなく、必ずしものちの
詩が以前の思怨の克服を 示すものではない、と 言 わざるを得ないのである。
は、だから、 詩人 リルケは思悠 家 のように、
とのない時間﹂、
存在肯定と言っても、 欣喜 ではない。むしろ相変らず嘆きが基調である。しかもこの詩は、 ポルノヲが﹁欠くる乙
と い う の か ら 見 れ ば 、 抑 制 は 遥 か に少なく、むしろ嘆きの肉声が、殊に第一節には直接に聞かれるように思われる。
一課の泉のニンフよ。
め ,ったの闘の中をのみ嘆きは歩くととを許される。
川
リ
や
乙とで私は、
κ、 それらの詩と
一九二四年 に作られたフランス語の詩につい てすとし書とうと思うのだが、 その前⋮
その境地にいたる段階として、彼のそれまでの詩と思想とについて、蹴観的な考察を試みておきたい。
リルケが生涯にわたって求め続けたのは、もちろん詩作品であるが、その根民には生存に対する不安があり、その
不安の克服として、そして自己の生存の証しとして詩が考えられていたと言える。で は、生 存の不安はどこから来る
のか。それは、自己が無心に周囲の世界と一つになる乙とができないと乙ろにあると言ってよかろう。私たちはかつ
て、幼年のころ、陽をいっぱいに浴びてそよぐ花びらや、風にもまれる木の葉とまったく一つに融け合うことができ
た。そのとき、 心は悦惚としてよろこびに山ち、 ひろびろと遮りもなく世界そのものであった。それがやがていっと
も知れず、 心は薄い膜のようなもので包まれ、真実から分け距てられて行く。自意識・自我の発達と共に、私たちは
もはやあのような幼年時代の休験を、観念として思い出す乙とはできても、直接に自然や他人と一つに融け合うよう
な感情を味わうことは不可能となり、次第に厚い個の墜に閉じ乙められてしまう。そのとき私たちの不安は始まり、
生存の疑問は私たちを苦しめ始める。観念としての人間愛にめざめて行っても、幼児と母親とのような直接的なふれ
合いは失われて行く。友情はしばしば利害によって裏切られ、異性への愛はひとりよがりの幻想にすぎないととがし
ばしばである。人と人との、 しみじみとした、理窟ぬきのふれ合い、そういうものがなければ、人聞はどとにいても
二度のロνア旅行 で
、
心の 貧しさは癒やされない。 個性とは近代ヨーロッパで、 高価な犠牲
、
一九OO 年
﹁聞かれた世界﹂
円四印加。同町巾口市
然
不幸だ。 たとえどのような枇舎となろうと、
を払って得られた人間的 価値 と言わねばならない。 リルケは一八九九年、
性の木の 突 を食ってしまった者は、もはや ぶ 朴に帰ることは 許 されない。世界全体の中にすっぽりと包み込まれ、世
と人問、人間と人間とのあのなつかしいふれ合いを体験したといっていい。けれども、ひとたび近代ヨーロッパの知
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界の一部として、世界の生命を共に生きるととはできない。もし、 そういう自己・世界一元の全一世界の立識をわが
ものとすることができ たら 、人は幸福を得るであろう。リルケが﹁第 八の悲 歌﹂て、
リルケ最晩年の詩
五
ム
あ
であろう。芯
動
と
面から照射するような把握でえぐり出し、移ろいやすい存在の偶然性の中から永遠性をもった﹁物﹂を作り出そう
奇妙なまでに何
する詩を含んでいることは事実だが、 そればかりではない。あの詩集にはすでに、 さまざまな事物が
に一篇の詩がまとめられることさえ往々にして認められる。﹁新詩集﹂がロダンの影響により、物の本質的な姿を
を再現し一再構成しようというよりは、対象 によって換起された感動の中に問題を感じとり、その問題を呈示するため
内
うたうことは自己の使命として自覚され、仕事をはたそうというぷ欲によって制作活動がおし進められて行き、感
いった制作態度ではなく、 たえず体験した事物の背後の意味をさぐ り 、自己の生存の意味を問おうとする。そして、
なく、 そのようにうたうことによって自己の生命感が光主し、今まで知らなかった自己が自覚され、成長して行くと
だが、リルケは、生活上の体験や事物に無心に直接 ふれて、その感動を自然にうたい上げて足りるという乙とは少
から発 して詩作品を成就する乙とができれば、それは大いに生き甲斐のある乙とと言わねばならない。
て行く勇気を失わないであろう。詩人にとって、 四六時中がそうでなくとも、或る瞬時瞬時にこのような全一的体験
をもつことができたら、たとえ私たちの生活が日常的な意味で苦しく、迷いに満ちたものであっても、私たちは生
志的・自覚的な活動の聞に、しかし私たちが随時、乙の源泉に立ち返って力を 心、自然と自己が一つであるとの自信
き
すぎず‘せいぜい、知識と怠識 に仙ちた活動的生活の合間合聞に、力を掬む似泉となり得るだけのもの
界に実現されて、はたして人聞は幸福だろうか、そう考えると、やはりこれは私たちの苦悩が生み出す幸福の幻影
人
ない。幼年時代が実際には経験されず、 いつ来るとも知れない未来となっているように 。乙ういう願いは 、私たち
世
聞にのみ与えられたものであって、動物自身のあずかり知らないと乙ろだ。引物自体のあの知立識的生活が、人間
に
もなく、 そ乙に幸福を感じているわけでもあるまい。それはむしろ、私たちの希求の投影で あり 、比倫であるにすぎ
らわれである。だが考えてみると、動物が仮に全一の世界に呼吸しているとして も、彼らは別にそれを望んだわけで
を見ている動物を││いわばいつまでも﹁胎内﹂で踊っている小さなプトのような生物を羨むのもこうした願いの
リルケ最晩年の詩
ノ
、
(五)
一見静穏なリズムに律せられているだけに、 いっそ
v侃
つ
川
かに対する意味として、問題として呈示されているのだ。そ乙に往々にして、噌虐的なデフ才ルメやグロテスクな比
喰があり、作者の不安な魂をのぞかせる。形が整っていて
気味なものがちらちら顔をのぞかせる。或る意味ではすべてが思怨詩であり、観念の所産なのだ。
そしてあの代表作﹁ドヮイノの悲歌﹂では周知のように、人間存在の不十分さが引出され、それを克服するための
詩人の使命がうたわれる。詩を作ることの意味が詩の中心にすわる。詩人にとっては詩を作るととが、人間的不安の
ロロ曲伊円
Z-
一σ
白円
にし、
それによって真の存在に高めるべき乙とをうたっているが、
(六)
うたうべき事物や体
克服であり、存在への参与に他ならぬから。奇妙な詩作品と言わねばならぬ。現実の事物や体験を、 心を乙めて詩に
うたうことで
験は具体的には描破されず、多年の経験の中から抽出された一般的概念(といっても常識的なものではなく、詩人の
内部を通して抽象がふしぎな具体性を帯びているとは言えるが)をちりばめて、詩作行為自体を主題としてうたって
いるのである。
リルケの詩は多く乙ういう傾向をもっ。体験や事物は、しばしば人間の存在の不十分さ、不安、はかなさとして受
けとられ、それを克服すべき契機を何らかの点で見つけ、暗示し、現象の背後にある確実なものを感じとろうとす
ll時として空しく。時として強引に。それははかないものが、はかないながらに、いわば神の手にやすらって、
る
それぞれ所を得ているというのとはちがう。現前するものがそのまま神のあらわれであるとするグl テとはもちろん
大へんなちがいである。それはあくまでも模索的な、不安な問である。なぜかくも人間存在は不安なのか。ど乙かに
乙の不安の意味があるにちがいない・:
﹁マルテの手記﹂
しかしリルケにとって、 せっかちな解決はない。ただ、 ひたすらにこの不安に身をさらし、 その底辺までも下降す
る他に途はない。下り尽したところに反転白白血n
yum が生じ、不安と貧しさの内から光がさす。
ゃ﹁新詩集﹂の時期は多くこの態度である。すべての不安が容赦なく自分を捉え、食い尽そうとする。外界の印象は
リルケ最晩年の詩
七
リルケ最晩年の詩
︿七)
﹁眼の仕事は終った。心の仕事がはじまらねばならない。﹂だが、あらゆる努力を傾
一九一二年に 書 いた﹁第一﹂
﹁第二﹂などと、
ればならなかった。彼の念じた﹁心の仕事﹂は、むしろそれから先にあると言わねばならぬ。
﹁ドヮイノの悲歌﹂と一口に言っても、
一九二二年 の ﹁
第
けた﹁ドウイノの悲歌﹂において 、彼はひとまず、すべての不 安、す べての自己の存在の問題を集約し 、決算しなけ
しかし Hノルケは満足しない。
、 乙の帰依と造型の意欲との見事な成果である。
中の幾つ かの詩 は
ぬままにこの不 安 を造型して行くよろこびがある。造型することだけが救いであるかのように。 事実 、﹁新詩集﹂の
途方もなく強烈だが、 それは自己と外界とが一つに調和ある世界を形作るというのではなく、自己がそ乙 にのまれて
しまうという不安の状態である。だが、最後の一点で自己は滅びない。何か強烈な帰依の精神がある。意味のわから
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¥
﹁第九﹂などとのあいだには、ずいぶん色合いの差がある 。生 と 死 と 一 体 を な す 世 界 と い う と と を 言 う に し て
しかし
七
﹁ソネット﹂第二部が生まれた。
﹁第一の悲歌﹂と金篇完成まで
﹁
第
ζとは不可能になっていた、﹁ソネ yト﹂を詳しく味わう人
﹁ソネット﹂第一部第二部とほとんど時を同
く
い
机 いて﹁悲歌﹂の大部分が完成し
﹁ソネ yト﹂的な要素が含まれるのは当然であろう。長年心に抱いていた悲歌
﹁第一﹂の悲歌と同じ心的状況では、うたう
ノの 悲歌﹂を書き出すまでにも、すでにカプリ島やドヮイノの庭での﹁体験﹂があり、
﹁ドヮイ
﹁世界内面空間﹂の考えの萌
て生を不安から解放し、融通無磁といった境地で大地を讃美することができるようになったのであろうか。
のあいだに、何があったのか。どう して 彼がこれほどまでに死を生の一部と見てたじろがなくなり 、 そのことによっ
一の悲歌﹂を読んで感じる暗さ、苦しさとの対照はおのずから明らかなはずである。
は、嘆きを秘めているとはいえ、強い肯定の、かろやかな風のような息吹を感得しないわけには行かないから、
的主似も、
じう して生まれた部分の﹁悲歌﹂に、
も
、 第 一の悲歌のとろは悲痛が先に立った。それが世界大戦をはさむ十年の年月を経て 、 一九二二年 にはまず﹁オ ル
、 よどみなく乙の世界が肯定された。そのあとで、 それにす
フ ォイスに捧げるソネ ブト白﹂第一部となって、むりな く
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円
四
ほとんどすべてのものが感受へと手招きする
曲り角ごとに吹く風がささや く、思い出せと
私たちがよそよそしくやりすごした一日が
未来の中で贈与へと決意する。
私たちの収得を誰が正しく測り得ょう。
J JふJ
'MJ-
古い過去の年月から何が私たちを分け得ょう。
最初から私たちが得て来た経験とは
一つは他のものの中 に自己を見出すということ。
ふとしたものが私たちに身を寄せ暖まるという乙と。
おお家よ、おお山の草地よ、おお夕 べの光よ、
。
とつぜんお前はまじまじと顔を近づけ
私たちに寄り添って立つ、抱き、抱かれて。
すべての存在をつらぬいて一つの空間がひろがっている。
世界内面空間。鳥たちは私たちの中を横ぎって
しずかに飛ぶ。成長を念じて私がふと外を見る
すると私の内部に木が伸び育っている。
私が気づかっていると、もう私の内部に家が建っている。
私が用心する、と私の内部に放牧の獣たちがいる。
門 出 巾 司 同E
F--口問山巾
さめざめと心ゆくまで泣いている。
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回目)山口問。ロ・ となっている。
己
σ円同区nF4げ 巾 ロ 門 出ny
私はいつか恋人となり、神の創造した美しい自然の形象が
私に身を寄せ
乙乙では ﹁悲歌第ご の中で、
Em・と一一言われたものが、微妙に転回して
﹀口問丹
なぜなら、悲歌では、物らの委託に詩人が乙たえ得なかった乙とを嘆いているのにくらべて、乙乙では、すべての存
﹁悲歌﹂完成後の詩に通じる。
在を包捕する世界内面空間のよろ乙ばしい予感がうたわれ、自己の内界と外界との対にが、確信をもってうたわれて
いるのだから。乙の境地はほとんどそのまま、
しかし現実はリルケに、 さらに長い苦渋の年月を科す。大戦が長びき、軍隊に召集され、友人らの助力によって兵
リルケ最晩年の詩
リルケ最晩年の詩
﹁世界内面空間﹂の詩ができたころの主人ル l ・アルベ l ル
(H})
ヱリヤ・マリア・ネヴァ l ルなどの若い女性の慰和、れ一一川伐のスイスへのい一日そこでの人々の
役から解放されたあとも市ちつくべき土地も見当らぬ。
ラザ l ルとの別附
ついに﹁悲歌﹂と﹁ソネット﹂とが一気町成に川き上げられた。生、涯の大
十九川、殊にパラディ l ヌ・クロソフスカとの怒愛、 グァレリ l の詩との出会い、などさまざまの体験を経て、ょうや
くグァレ l のミュゾァトの館に落ちつき
作を完成できたととが、リルケに大きな安らぎを与えたことは自明であって、 死を含む生の大きな肯定の境地が今や
本当に彼のものとなったということはできるであろう。
しかし、人が安らかな悟りの境地に汁一し、自在な生活態度を獲得したととと、その人の作り出す作品が立派である
L
﹁悲歌﹂完成後の境地に達する前、
かどうかというととは別問題である。偉大な宗教家や思想 家の詩歌が必ずしもすぐれたものとは限らず、むしろ苦悩
や竹村岡の巾から乙そ、人をれつ行情が生まれるとも言える。リルケにあっては、
そのとき詩のひ
今かりに期待
か〆く岡引として全一の世界、無心の世界がうたわれた。そしてそれは期待であり、願望であるにすぎなかったけれど
ζとは人間としてあり得ないけれども)。
も、かえってそれゆえにとそ切ないひびきに充ちていた。詩が強い似力をはらんで、重く沈んでいた
の境地がかなえられたとする(全的にかなえられるという
びきはかろやかとなり、詩の息吹はきわやかに人を包むだろう。けれども、 それはそれまでの詩が未熟だとか、無意
川だとかいうととにはならない。時にはかろやかなだけに軽いというだけの作品もあるかも知れない。思恕的、宗教
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二
年
二
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リルケはまだ﹁ドヮイノの悲歌﹂がいつ成就されるかを知らず、 はげしい吐息のように次の
的に高い境地に立つ人間的価値と、文学作品の価値とは、 そう簡単に等しいとは考えられない。
詩三三
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リルケ最晩年の詩
人間は打ちまくられているのではないか。
ニつの 本 の聞から物 言 わぬ空がのぞくなら、 よ ろ 乙 ぶ が い い :
あるいは タ ベ、単純な大地の片隅が
嵐よりも、海よりも多く人々は叫んで来た
どれほど多くの静寂が字自になければならぬ
ことだろう、私たち叫んでいる人川に
コオロギの声がまだき乙えるとは。沈黙の星たちが
J 引 にまだ脚いているとは。
叫びの打ち寄せ る 川
も っ と も 必 かな、 背 日 の 、 太 古 の 制 た ち が 私 た ち の た め に 語 っ て く れ て い た で は な い か 。
ハ
リ
人
花たちとそついに聴く者、最初の 聴 く 人 聞 に な ら ね ば な ら ぬ。
I
ついての嫌思が口をつい
ひそかなコオロギの声、無言の星
両拡について、市内 物に
ζのように 一
ζとに皮肉である。タぐれの空ゃ、何でもない一片の土地、
ぬ。 誇 は そ う い う 意 味 に と れ る 。
十分 ではない、私たちはせっかちに耐咲いたり諮ったりする代りに、 本 当に 真 実 に謙肢に耳を傾ける 者 に な ら ね ば な ら
な ど の 、 声 な き 声 に た だ ひ た す ら 聴 き 入 っ て い れ ば 足 り る で は な い か 。 世 界 の 真 克 を 語 るためには、 いかなる言葉も
て出たというのは、ま
、
伏
考えたからである。さて、生涯の大作の生まれ出る 前日
最 彼 岸﹂﹁ならねばならぬ﹂と ぶ したのは、冒頭の﹁いっ、 いっ、 いつの日:﹂に対応するには、そ-つ一 山むべきだと
凶
だがリルケは、実際はそれから数週間語り続け、うたい続けるととになったのである。翌二月二日から五日までの
ず﹄、
﹁オルブナイスに捧げる ソネット﹂第一部二十六篇が生まれ、 ひき杭いて﹁ドヮイノの悲歌 ﹂第五以下六篇の
f同国l
完成を見、二月中旬までに﹁ソネット﹂第二部二十九篇の詩が書き続けられた。それはたしかに 怒立的な健舌や嘆き
聴くだ
ではなく、 ひたすらに天与の声に聴き入る態度から生まれて来た。﹁聴く一乙とが最も は い意味において成就され、
聴くととに終らずそれは同時に﹁うたう﹂ことにつながった、詩人として最も幸福な時期といわねはならぬ
けで は、詩人としての完全な意味はないからである。
ζとを﹁聴く﹂と言ってよい
﹁ドヮイノの悲歌﹂や﹁ ソネット ﹂完成のときの、もはや外界との新たな接触を必要とせず、 ひたすら自己の内部
へ沈 出して、すべての体験や思考が混沌と血のように渦巻いている深部の声に耳傾ける
と思うが、二月一日の詩の﹁聴 く﹂は 、より多く外部と自己内部の接触の仕方にかか わっていると思う。そこでは ﹁
嘆
くこと﹂﹁言うこと﹂はしりぞけられているけれども、乙れを狭義の詩の問題に移して考えれ ば、﹁嘆くこと﹂﹁言
yk
(リルケは意識の上では 、
﹁ソネ
﹂
うこと ﹂ の要素を極度に洗い落して行き、自我の意識を去 り、 ひたすらに四聞の 自然にとけ込み 、自 然の声に耳を傾
け、おのずから世界の真実をあらわす詩が希求されて行く過程とも見ることができる。
のときすべての詩作行為自 体 に疑を抱いたのであろうけれども。)
そういうふ うに、何のわ だかまりも 、 とりたてて言う思想もなく自然の中からうたい出された詩に、
﹁ソネット﹂の連関中から
第二部第二十五歌の早春の詩 (ωnyop }MORE-FC﹃三島ロ色町円巾門田Z口出血岳町ロ﹀円σ丘一-﹀がある。 これなどは先に
(一一)
述べたリルケの詩一般に通じる思弁性から全く解放されたものとして珍しいものである。
(一一一)(一三)
一九二二年二月下旬に生まれた詩、=副司白ロロ4司白円四百冨巾gny﹄巾84znytも、大体乙の系列に入ると言ってよい
だろう。さらに一九二四年早春の詩︿Oえzzzm(
同旨Z2ydZロ門戸・・)や=ω匂白NF2m白ロベ.などにそれは 乏 けつがれ
一
五
る。しかしもっとも顕著にそういう特色の見られるのが一九二四年を中心としたフランス語の詩というととになる。
リルケ最晩年の詩
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リルケ最晩年の詩
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242町営戸田口己的叩¥門マロロ﹄。 ZHmwてき片岡町田.EPSF-で始まる
詩 などがあ り、 すでに翌年の ﹁果樹園﹂
﹁グ7vlの四行詩 ﹂ と同じくロ 1 ヌ路谷のヴ7v!の風 景 を
うたって
﹀ '﹀。
速く高 く 氷河がかかり、 きびしいなかにプログァンス にも 似 た 晴 朗 な 目 ざ し
し4
に葡萄畑や 果樹 園 の ひ ろ が る グ
ァレ 1、 │ そ れ は ﹁ グ ァ レ ! の 四 行 詩 ﹂ の 中 の 表 現 に よ れ ば 、 ﹁ 働 き な が ら う た
う 土 地、働く 幸 福な土地 ﹂ であり 、
﹁あちこちの水がうたうあいだに、葡萄の樹が網目を 漏み山引 け る ﹂ と こ ろ だ。 土
地 全 休が 、 ﹁嘉したもう手に向って
差し上げられた供物のよ・スパンのように熱い、 でき上った 土 地 ﹂ で あ
り 、 ﹁ は げ し い 太 陽 が そ れ を 金 色に 染 めると
き、おびただしい 力 を汲み尽す葡萄畑﹂があり、 ﹁速くには未知の未来のよ
うに輝く空間﹂がひろがっている。 ﹁
ま
だ創世紀の匂いのする﹂、﹁終末の恐れを知らない丘﹂があり、 ﹁傾斜した葡萄畑の
まわりを戯れるようにくるくる廻
っている道は、夏帽子にまきつけられたpポンのよう﹂だ。また﹁二つ
の牧場の間で、 ど乙へも通じていない 泊 、ま
るで上手にその目標からそらされてでもいるように。しばしば自分の前に、純粋
な空間と季節よりほか、何ももたな
い道﹂ (
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の吹き荒れたあと、 は て 知 れ ぬ 平 予 が訪 れ 、 タ ぐ れ は 聞 き わ け の い い 恋 人 の
ようにおとなしくなる。すべては静けさ
明るさとなり・ただ地平には、金色に照らし出されて、者去の美しい浮彫が積み重
なる。﹂ (﹀同︼同舟田口ロ巾︺。己門口山由色町
その前ぶれとしては、 一九二三年クリスマスに、 ミ ュゾ yトの館の提供者であり
友 人であるヴムルナl・ラインハ
ルトに贈った、ブラシス語(二篇)とドイ ツ語 (五篇)とからなる =
ω5Z口開己巧巴同町巾白5 含B d﹃白口即日。ι2ug
(一回)
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の 空 が あ り 、 楓 々 と 吹 き 渡 る風がある 。 そ れ は そ の 土 地 に 働 く 人 ら と 、 自 然 と の 永 久 の一組合を思
わせる。
や
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ngzg℃広
それを未来永劫にわたって
たたえ続けるであろう人々、
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羊飼いと葡萄作りとによって
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門司己
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同)巾ロ門同hwDH- m
眺められて来た乙の空。
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m ロ巾同O ロm
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眠りに入る神のようだ。
それは満ち足りて
かくも深く、かくも力強い静寂、
そして風のあとの
その青い風。
乙の美しい空とその風、
永久のものとなったのであろうか。
それは彼らの眼によって
げ巾同問巾吋印巾同
的AW円 曲 目 件 目 同 - 匂 山 門 ︼ 叩 己 門 田 可 叩 ロ 同
印 山
リルケ最晩年の詩
一
七
らかに充実した心境に達した。そういうことが、 乙れらの詩の表現の中から推論できるわけである。しかしそれはこ
とにかく、 このグァレ l の賂谷で、 リルケはたしかに今までに得られなかった外界・自然と自己との融和を得、安
た神の概念とは必ずしも一致せず、それだけに軽く用いられた言葉とは言えるだろう。
な牧歌とは一線を劃している。もっとも、﹁眠りに入るひとりの神﹂は古代的なにおいがし、リルケが終生求めてい
平和な牧歌だ。しかしその底には、青い、食い入るような空のリアリティがあって、平和なだけの古来のなめらか
門戸己目的、巾ロ仏O吋件
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リルケ震晩年の詩
はできるのである。
これらのブラシス語の詩は
現を得ている。
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一行の長さも短か く、 ﹁悲歌﹂的な荘重さとはまったく異なった
﹁ソネット﹂はほとんど外界に眼を向けるいとまもなく、深い内部
永続する穏やかな生を見た。
私は動物の眼の中に
一円 )
る 自 在 性 の 讃 歌 と し て う た わ れ 、 し か も 極 め て 短 か い 形 で 、 極 言 す れ ば 最 後 の 三 行 に 、 実 に さ り げ な く 集 約された表
もはや﹁悲歌﹂的に、入閣の不十分さを嘆くためにではなく、むしろ﹁オルフォイス﹂的に、 そ の ﹁ 随 所 に 主 ﹂ と な
あると言えそうである。たとえ ば、次の詩のモチーフは、すでに﹁第八の悲歌﹂にあったものである。だが、それが
(一五)(
特有の思想性が、表面さりげなく隠されている詩だと思う。そのさりげなさ、軽やかさにとそ、最晩年の詩の秘密が
の、美しいものと感じられるのは、 やはり単なる風景をうたったものよりも、 そ ζに 深 い 思 想 性 以 前 か ら のy ルグ
っそう生き生きとした自然の息吹が感じられるという差別はあるにしても、 乙れらの詩の中でも私に最もすぐれたも
物に ほと んど限定され ていたのに対し、グアレ l での作は、直接に自然の中に心を放っての作である から 、そ乙にい
からすべてがほとば しり出たために、思想性が濃厚で 、 具体的な外界の事物も 一旦詩人の 奥深く眠っていた追憶の事
以上の断絶的飛躍があるとは見られないと思う。
ソネット﹂の系 列と 言うべきであろう。概して言えば 、最晩年の詩も、﹁オルフォイス﹂の延長上にあ り、質的にそれ
軽快さと安らかさとが調子の上からも感じられるが、 ドイツ語の詩で言えば、 やはりそれは﹁オルブ ォイスに俸げる
ほとんどが短かく
も言える。要するにリルケの内部とグァレ l の 自 然 と が 幸 福 な 一 致 を 見 、 幾 多 の よ ろ と ば し い 表 現 を 得 た と い う 乙 と
の自然の影響だけでなく、生涯の大作をなし終えたリルケ自身の内部が、自然に投影して 、 乙れらの表現となったと
入
陣内静な自然の
動物も恐れを知らないのではない。
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公平無私の静かさを。
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その充溢の野の上で
けれども彼らはすぐ前に進み、
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る 安 ら かな調子が感じら
け れ ど も 、﹁悲歌﹂の 嘆
りもなく一つになる乙
との不可能な人聞に対して、﹁他処の味のしない現前を草はむ﹂動物がたたえられている。
今現にあるところのものに心を集中することのできない現代の人問、世界とは何のわだかま
きは表には出ておらず、むしろ全体として動物と格別に疎隔されていないという気持から来
れる。 ζ の匂尽忠ロロ叩にはし かし 、千古門無量の思いがこもっている。
g2 がある。
界である。しかし、人
時閣の意識をもたぬ動物にとっては、乙の現前はそのまま永遠であり、充実した無時間的世
ない。ただ、たまたま訪れる
聞はたえず時間の流れの中にある﹁はかない﹂存在だという意 識 をのがれる乙とができ
σ団
ロnm と い っ て い い も の 、 そ と に 乙
祝 福 さ れ た 瞬 間 し か ない。絶えず来ては流れ去るは吋閣の中の一 柄 、 ほ と ん ど 白 師
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リルケ最晩年の詩
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巾gE巾ロロ同 巾ロ仏巾由と。ロ﹃・
可
いそぐ水、走る水、│ぼんやりした 大地に
のみ込まれる忘れやすい水、
私のくぼめた 立 に暫しはとどまれ、
思い出すがいい、
わ到
るい
ず着
かと
な出
滞発
在こごと
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間
で
ほとんど不在と言っていいもの、
きよらかな、すみやかな愛、無関心、
る慌
えし
ト
い
はりすぎる
お
。
やすく失われてしまう性質を言うのだから、﹁思い出せ﹂というのも、
とは、た
目。口三mSEE- とは何かを思い出せというのではない。 gzozσ205m に対する言葉で、﹁忘れやすい﹂
存在にとどまれというほどの意であろう。そ
前
ふの
れを擬人的に表現し、第二節の寸愛﹂に関連して、忘れっぽい、しかし憎めない、明るい少女を連想させる。深刻ぷ
らない、まだ気もそぞろな、年若い少女の、一時的な愛のように、ふと寄って来て燃えるかと思うと、もうそ乙には
いないかのようなポ似り、来ては去るそのつかのまの、はかない愛に身をふるわす。それは﹁走り去る、ほとんど不
在﹂のような姿。だがその不在に何という充実のあることだろう。腕時の中に、時聞は消滅し、永泌がある。乙の詩
B
匂 Z2 は﹁いそぐ﹂意味だが
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回目
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同
門
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nwmロ の意があるから、
﹁水﹂が
身を押しつけてくるという感覚的な
ν ズム を漂わせながら見 事に表わ していると 思
はそういう形市上的な思いを、 いかにも軽やかに、 ほのかなエロテf
われる。 8
要素が見落せないと思う。
(一八)
との詩は一九二四年九月後半の作と推定されているが、十月中旬に作られたドイツ語の詩によっても、
﹁時間﹂と考えられている乙とは明らかである。
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mロ ロ ロ 色 町 己 叩 ロ 円 四 叩 - - Y 叩丈一叩円︿巾2wFECMuymX巾﹃帥昨円四国丹市立-巾ロ島市
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4﹃白朗朗品川円 N Z 4﹃白印帥角川円ロ印叫口町内田同釦ロ
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D ルケ最晩年の詩
リルケ最晩年の詩
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2・ 河 白 B
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町内日目的円
定る水、 い そ ぐ 水
ほがらかに落合い、 ほがらかに分れゆく
水・・・動きやまぬ風景。
水に水は押し合い
草 地 の 斜 面 には
響の中に架かる静寂。
ζの水の中に時は融け込んでいるのだろうか、
忘れやすい耳のほとりに
ふと湛えては流れ去る時間。
斜面という斜面からは
地上の空聞が
天上へとたちのぼって行きながら。
︿一九)
同じ乙ろ、 九 月 の 初 旬 、 多 く の 蓄 積 の 詩 を Hノルケは書いている。そのなかにも、﹁悲歌﹂のモチーフにつながり、
﹁ソネ ァト﹂ 的 な 感 覚K満 ち 、 か ろ や か さ の 中 に 形 而 上 的 な 世 界 を 表 わ し て い る 詩 が あ る 。
ハリポゆ凹丹件OFAE日 ℃ 吋 臥
白
MM
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円巾凹巾ロ同
C戸
σZ ロ 同 恥Bor
白
15az 巾 同orgロz-Z5mg2ds
mwzrn 巾 ご
O円 神 仏
お前の中に、 お前以上のものを
乙の不安なまでの胸の戦き、
お前の精髄を生み出すのはお前自身だ。
お前から湧き出るもの
乙れはお前の舞踏だ。
ハ
u m G巳 凹
n
.巾 凹 骨 片 白 色 白 ロn0・
花びらはどれも言い合わしたように
︽
UF白ρ ロ冊目︼凪山一円山
-on。己的巾口一片
ふれがたいものとなる。
その 中でお前は
すっかり眼に包み込まれて、
おお、眼の音楽よ、
かぐわしい足ぶみをふむ。
自 に見えない
風の中で、二あし三あし
O 吋白ロ押印
巾同時即同神仏白ロ∞-巾︿巾口一門
ρ口 市 帥 唱 曲 目 。 仏
門︼口町︼
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ρ口角川岳山田可
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ヨに山市ロ
件。ロ丹市刊ロ件。ロ円恥叩門可巾口同
苫内回 φ 三 巾 ロ 凹 白 E
山口同白口問即日︼-巾
﹁第九の悲歌﹂においても、地上のものの望みは、自に見えな いものになることであった一一。しかしそれには詩
( ())
地上のものがそのまま、不十分さを脱し、時間性を脱して、自己以上の存在となる│しかもそれが、自己自身によ
って。
人の助けが必要であるとされた。だがこ乙では、もう物自 身がそれ自らの中に自己超魁の要素をもつのだ。それは詩
人みず から 、自己のはかなさを脱却する力を自己自身の中に感じてい るこ との反映でもあろう。
リルケ最晩年の詩
リルケ最晩年の詩
(ニ一)
﹁ソネット﹂の﹁オレジジを踊れ﹂という詩と同じように、
閉じた私の眼にのせられた、
一切の感覚が自在に交流して、生
m と色白ロ凹巾とが内容的に照肱し合うものであることを、
28ロn
﹁ふれがたい﹂
vSR なもの、地上性を超魁した高次の存在を意味す
﹁悲歌﹂にいうロロ包n
(︽
ひんやりと明るい蓄積は、
(ニ E)
U
(=田)
﹁あつい私のまぶたに重ねられた干のまぶた﹂
円日
。E F g E巾 02ロ)
EAm42--P 品
﹁全体はめざめていながら、 その中心はねむっている﹂(開口ZSE叩Z
一九二五
時聞に乙の上なく完全な生を現出するのだが、滅びて行くものを見るのはやはり寂しい、すべてを肯定した上でも。
(二 世 )
-ロ﹀の姿で、ひとつの花は幾日ももたない。その短かい
E
E
蓄積は限りもない忘我献身(﹀Z ロ含ロ gZE品円白F
年に遺書の中に 告 か れ 、 の ち に 墓 碑 に 刻 ま れ た 蓄 積 の 詩 へ と つ な が る も の で あ ろ う 。
(ニ六﹀
菩移、 それは﹁現前﹂と﹁不在﹂との微妙な重なりとして象徴的にとらえられているのであろう。そして、
いる。
(ヨニ}巾ヨE E宵巾曲師ロH
w門司O広巾凹 noEZEB芯ロロmnV白ロ門同巾)のように﹁千のねむり﹂ (BEmggg巾己明)を眠って
m
M
- 巾 昨 OZ ﹃ ・ )
るわけである。
一)
一
m叩℃白円巾 両日ロ開口mnos-骨仲間)であり、 その香気は人
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の﹂
蓄積は H
﹁との上もなく完全なも一
ノルケにとって
(
﹀
一
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一
一
(
gロロ巾¥件。ロ℃白円ESE-同
EOロ円 OCMWHMEロ叩円。ロ釦a
の行き悩む愛の空間を自由に行きめぐる。﹂ (門田叩円四件冊目匂白nmq白
ものは、﹁自に見えない﹂ものであり、
523EE巾と、乙れも音ばかりでなく、 意味の上で照肱し合い、 重なり合うところが微妙である
押 韻 し 、 最 後 の 行 だ け が 別 の 音 で 終 る が 、 そ の 最 終 行 ど う し が 、 第 二 節 と 第 三 節 と で 押 韻 し 合 う 。 百 三 巴E2 と
つまり﹁精髄﹂は﹁舞踏﹂であるととを示している。さらに、第二節と第三節とは、いずれもはじめ三行が同一音で
乙の詩の第一節は、第二行と第四行とが押韻し、
ない口自由 Nmロ円四四三な存在となる。
で聴く音楽である。矛盾した表現の中に、 かえって感覚の総合がなしとげられ、蓄積はもはやふれがたい、触知し得
の充実と、一口同次元の生への超魁が見られる。自に見えないダシスの足ぶみ、 それはかぐわしい香りを放ち、同時に目
との詩の第二節は、
四
乙の姉妹のあとに生きのとる。
他の蓄積にとりまかれて姿を消す
したしい心の友とし、
死に瀕した蓄積を
ただようものを呼吸する。
彼女らの花ひらいた魂のまわりに
蓄積の同時代者になる。
夏ーいく日か
(一一八)
そういう寂しさをも詩人はもはや隠そうとはしない。嘆くのと持ちがう乙の透明な寂しさのうたが、 かえって私たち
に強く訴えてくるのではないであろうか。
師四回一
丹市白ロ岬
門戸市師同
同日
ロユ
円
円。ロ叩目。ロ叩印]。ロ門田
F
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明日阿ロ円
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釦円ロロ巾
岡市帥同 M F同 市 ﹃ 門 町 内 山 口
同一[剛山一伽片岡
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叩 ロ 円 円 白 匡 伸 一 門 町 田 吋O 明 白 印 白
﹁夏﹂といって、あとはすべて不定詞 HEgE︿でうたった、 この不定詞が心に 一昨みる。 もはや﹁私﹂は個を主張
していない。花とともにすとす存在一般である。花の心がじかにふれる。花は心をうちあけ、そしてひとりひそかに
κ
不在となる。あとにの こる。ー やがては他の市川市たちも、 乙の門守もA えて行くのであろうが、今はとのひとりに先立
たれて。乙の 不定割による械成は、個を滅して 安ら かで あハ 、同時に透明な以 しさをもっ。
︿ニ九)
同じように、すみやかな存在の寂しさの中に住して、 しかもそれを超魁した、 かろやかで安らかな、静かな決 意
満ちた次の詩のしらべも格別である。
"ノルケ最晩年の詩
五
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M
M
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同白時凹O ロ凹
日ルケ歳晩年の詩
og件 匂 曲 師 凹 巾
ロ叩件
巾一
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帥。ロ
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すべてはすぎ去るものならば
すぎ去るかりそめの歌を作ろう。
私たちの渇きをしずめるーペならば、
私たちの存在のあかしともなろう。
私たちから去って行くものを
愛と巧みを乙めてうたおう。
すみやかな別れより
私たちみずからがすみやかな存在となろう。
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い真実を見せているものの 姿 をうたおうというのであろう。
(一九六一・一一・一二)
最後の行は、 ﹁すべての別れに先立てよ﹂とうたった﹁ソネット﹂に通じる。私たちは無常きわまりない地上の姿
、 そのはかないながらに限りな
をそのままに肯定し、何ものにもとらわれない自在の心を得て、 はかないものの 姿 を
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自信をもって言うととができないのだから│。ただ、私の印象から言うならば、多くの詩はその一節、乃至は一、ニ
行がすばらしく、残りの部分にはどとか不安定な点、余計な点、消化しきれてない点などが感じられるという ζとを
ぃ。それに、 はじめにも書いたように、どこまでそのフランス語が 美 しいものであるのか、 いよいよの ζととなれば
と乙にさらに挙げておきたい誘惑を感じるフランス語の詩がいくつもあるのだが、もはや断念しなければならな
追
附記しておきたい。そして、 か ろ や か と い っ て も ネ ガ テ ィ ブ な 意 味 で の 軽 さ に す ぎ な い 詩 、 余 裕 の あ り す ぎ る 趣 味 的
な 詩 も あ る こ と 。 し か し ま た、 乙 の 時 期 の 詩 で は、 先 に引い た ﹁ 走 る 水 ﹂ の 詩 の 場 合 に も 或 る 程 度 感 じ ら れ る こ と だ
50門口とわ。門口巾円﹀げ Oロ色白ロ円巾)では、 プ-フンス
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が、ドイ ツ 語 の 詩 と フ ラ ン ス 語 の 詩 と 、 閉 じ 題 材 を 扱 っ て い る も の を 比 較 す る と 、 ど う も ブ ラ シ ス 語 の 詩 の 方 が 単 純
でいて、深い思いがこもっている。例えば﹁豊穣の角﹂
語 の 詩 の 方 が か ろ や か で 讃 美 の 調 子 に 高 鳴 っ て お り 、 動 き に 揃 ち て い る 。 グアレ l の谷全体が﹁豊一棋の角﹂と出 じ ら
、 天 上 か ら く る 風 に 吹 き な ら さ れ る 角 に 、 物 ら は 夫 し い音色 と な っ て 地 上 性 を 超 姐 す る 。 そ の 点 で 、 い か に も 刷 年
れ
の詩の 特 徴 を 帯 び て い る 。 そ れ に 比 し て、 ド イ ツ 語 の 詩 の 方 は 、 角 は 女 神 の 肩 に の せ ら れ 、 全 体 が 明 ら か に 一 つ の 絵
、
画 に 見 立 て ら れ て 静 的 で あ り 、 そ の 点 で む し ろ ﹁ 新 詩 集 ﹂ 的 で あ る 。 ζれも中小、阪の詩句を引用して述べたいのだ が
も は や 予 定 の 紙 数 を 遥 か に 越 え て し ま っ た の で 割 愛 し な け れ ば な らない 。
そ れ か らp ル グ が な ぜ プ ラ ス 語 で 詩 を 書 く よ う に な っ た か と い う こ と の 考 察 も な さ れ る べ き で あ る が 、 今 は 点泌が
な い 。 た だ、 グ ァ レl がブラシス語を日常に用いる地方であること、 フランス語の詩の試みは青年期にすでにあり、
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その後ロダシに傾倒し、 パ リ は ド イ ツ各 地 よ り い っ そ う り ル ケ に 所 付 な 関 係 をもった都市であるとと、 ブルースト、
ジ イ ド 、 グ ァ レD l、 そ の 他 フ ラ ンス の新しい 介入羊 に 晩 年 最 も 関 心 を も っ て い た こ と 、 当 時 の 恋 人 メ ルリl ヌ(クロ
ソ ワ ス カ 夫 人 ) と の 会 話 も 子 紙 も フ ラ ン ス 語 で あ っ た 乙 と な ど の 事 実 を挙げるに今はとどめる。
栄 により、 その他左に掲げるものを 参照 した。なお、註において、 次
一
註リルケの詩の原文の引用 は、 一九五六年か ら刊行中の 令
のような省略符号を用いる。 数字 は頁数を表わす。
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5 の附録として刊行された。三六篇。 ﹁蓄積﹂﹁何ω 刃()ω 閉山山一一篇を除いて一九二四年九月初旬から中旬
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れたフランス語の詩で、 W に収 められたものは乙 の他に献詩、断片を含めて約一 O八篇をかぞえることができる。(一九
寸を 引く
二四年十一月 十七日 クララ宛の手紙で、リルケは﹁グァ レ!の四行詩﹂や﹁論破﹂ のことを報じ、 ζれらは﹁お袋 一
ように﹂できたと昔一川っているが、それだからといって作品の価値が落ちるものではない。)
それに対してドイツ自の詩は六三篇、献詩一四篇、断片四二一橋、﹁エ 1リカ・ミッテラ!との往従書簡﹂の詩で乙の年に
六年はブラシス 訴 の詩
(参考 ) 一九 二五年はフラシス訴の詩問八皆岡、ドイツ語の 詩 三三篇。一九一 一
。
一一九線、ドイツ語の詩二 六鱗
審かれたのは四 二議。
を問題にしている 。
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dt、特にその点を取り上 たも ので、OE 2 Z F η とい う冶 で﹁ドイツ 久 むお ﹂ 二 九 五 九 )に 収録されている 0
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ω 大配分 一九二四年三月を中心にして警かれた 。れ 皆 仙され一九二 六年六月に刊行された。五九憶
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であるが、一橋の中にいくつかの詩を含むものがあるの で、全部で七五の作品。そのうち一九二四年作は七O儀
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この両者の聞には詩の成立の日附に 二月 二十三日どろと十八日と
。
は連盟 させてならない。
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ァνリl の詩﹁海辺の墓地﹂に rdAし 、その後こ
一九 一 二 年 の は じ め ど ろ 、 リ ル ケ は N R F 一 九 二O年六月一 日号のグ
後 、二二年から一一 三年にグァレリl の多くの作
れを翻 ぷし 、またグァ νリl の全作品を読みたいと思った。﹁悲歌﹂完氏
月グアレリ1はミユゾットにリルケを訪ねた。乙のとき
品を翻訳し、その後もそれは折にふれてなされた。一九二四年四
フランスの雑誌にそれを 冶表するように請い求めたことがリ
グァレリーがリルケのフラシス語の詩の試みをほ め、やがて
った。 lヴァレリI の影響がリルケの思惣や作 品 に
ルケを必気 づけて 、その後多数のフランス語の作品が生れる契機とな
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きない。しかし︿巴NC巴G N由 の 戸 ﹀ 司CZ円己 閃﹁噴
どのように表われているかを全般的に言う乙とは私にはまだで
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、山町水の水柱をたとえたのであるが、ひいてば時閣
、 おお 、みずからの本性に従って境れる寺院のかろやかの住よ﹂は
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ァνリ!の詩句の何ものかを思わせる。リルケの沢
の中に築かれては過ぎ去って行く音楽H 詩のことであろう それはグ
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冒頭の句 か、前出三頁ポルノクの文に引用されている
乙の詩は﹁知覚できないものが遠くから私たちをつかむ﹂という
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