...

- HERMES-IR

by user

on
Category: Documents
8

views

Report

Comments

Transcript

- HERMES-IR
Title
Author(s)
Citation
Issue Date
Type
『テスト氏論』のためのメモ(2)
恒川, 邦夫
一橋大学研究年報. 社会学研究, 25: 109-145
1987-07-30
Departmental Bulletin Paper
Text Version publisher
URL
http://doi.org/10.15057/9575
Right
Hitotsubashi University Repository
『テスト氏論』のためのメモ12)
﹃テスト氏論﹄のためのメモ︵2︶
コソト
3
恒川邦夫
4 ﹃話﹄が若きヴァレリーとほぽ等身大と考えられる青年の内面の危機の描写において、以上に述ぺたような示
唆に富んだ細部を持っていることは否めないが、﹁彼がよろめき、うちひしがれて、死のうと決意する﹂中間部から、
その﹁死﹂の展望が﹁突如として彼の魂を変えてしまう﹂後段の展開においていわば失速し、ありそうにない話に堕
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ コ
してしまうことも事実である。当時のヴァレリーの親友フルマンは一八九〇年二月十七日付の長大な手紙の中で、こ
の﹃話﹄をめぐって縷々批評を展開しながら書いている。
コント
﹁わが親愛なるポール、いささか厳しい言い方かもしれないが、しかしはっきり言ってこの物語は失敗だよ。なぜな
ヤ
ら最も重要なこと、不可欠の部分を君は書こうとすらしてないのだから。君の話の前半部と後半部の間には一つの断
絶がある。﹁死﹂の観念が君の主人公の魂を変えたというわけだが、そのまま納得したいところだけれど、僕にもそ
れは一体なぜ、どんなふうに、と訊く権利がないわけではあるまい? この主人公が持っているような意識のうちに
109
ヤ
一橋大学研究年報 社会学研究 25
死の観念がどんな影響をもたらしたかということを記述し、描写しようというのであれば、そういう問に答えること
に君の全力を集中すぺきなのだ。なぜなら関心の一切がそこに集中しているからだ。一読すると、事の経過・いきさ
つといったものと結論はわかる。いわば僕は話の連鎖の両端を握っていることになるのだが、肝心の真中、僕のいう
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
心理的研究がないのだ︵心理的というのは、結局、君の話のドラマはすぺて内面の問題であって、主役は一つの観念
︵1︶
だからだ︶。この、それなしには君の話の存在理由もなくなる心理的研究は一体どこにいってしまったのだ?﹂
プスイコロジロ
コソト プシユケに ロゴス
ここでフルマンが﹁心理的研究﹂と言っているのは、ゾラの﹃制作﹄やゴンクールの﹃シャルル・ドマイー﹄とい
コソト
った小説を念頭に置いた上でのことであるから、果して、多分に散文詩的結構を持った﹃話﹄に対する批評として正
コソト
鵠を射た評言といえるかどうか疑問の余地はあるが、﹃話﹄から﹃テスト民⋮⋮﹄へというヴァレリスムの進展・深
化の軸にそってみるなら、﹃話﹄に欠落していたものはまさしくψ ︹精神︺の論理としての心理研究の徹底であり、
﹁死﹂のモチーフの深化である。フルマンの指摘しているように、ここでは、﹁すべては内面の問題であって、主役は
一つの観念なのである﹂から、その主要観念を直視し、中心に据えてかからなければ問題は解けないのである。そし
コソト
て観念上の一つの視点の転換により、新しく生きる道が見出されるという基本的構造において﹃話﹄と﹃テスト民
⋮﹄はたしかに通底している。要は視点の転換をもたらすものが、前者においては単なる通常の死のイマージュで
あったのに対して、後者においては遥かに複雑な心理的装置に置き代えられていることである。その心理的装置が一
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
つの生の死といま一つの新たなる生の誕生とを組み代える装置であることはいうまでもない。しかし事は一朝一夕に
コント
は成就しない。そうした装置がヴァレリーの精神によって考案され組み立てられるためには、﹃話﹄によって予告さ
れていた危機がのっぴきならない形で現実化し、もはや﹁死ぬのは明日にしよう﹂などと言ってはいられない状況が
110
『テスト氏論』のためのメモ(2)
到来する必要があるのだ。
生 若き詩人
ポール・ヴァレリーがいつ頃から詩を書き始め、その詩がどのようなものであったかという問題は、ポール・ヴァ
レリーの詩人としての資質を知る上でも、また、詩的感興が彼のうちに呼び起す彼独自の想像界のありようを知る上
でも興味深いことであるが、これまでまだ本格的な研究は試みられていないように思われる。プレイヤード版﹃作品
集﹄第一巻の﹁年譜﹂の執筆者アガート・ルアール“ヴァレリーや﹃ヴァレリーの早熟﹄の著者アンリ・モンド;ル
︵2︶
によれば、一八八四年十三歳の時に作られた十篇の詩が現存する最も古いもののようで、その後、年が経るごとに詩
作熱は高まり、われわれの考察の対象となる時期の一八八九年にいたっては、その年だけで、﹁八十篇以上の詩が作
られた﹂と言われる。パリの国立図書館草稿部にはそうした旧詩稿草稿群のファイル[Uo鐘R<。拐慧畠霧]が存在
︵3︶
コソト
するので、詳細な検討にはそれらの資料にあたり、綿密な考証をする必要があると思われるが、ここではとりあえず、
前項﹃話﹄で予告されていた危機との関わりにおいて若き詩人ヴァレリーを眺めることに目的を限定し、次のような
いくつかの作業仮説に従い検討していくことにしたい。
︵−︶若き詩人ヴァレリーの詩作は一八八九年頃から本格的になり、パリないしは地方の雑誌への投稿が始まること。
そして一八九〇年から九一年にかけて初期の佳作のほとんどすぺてが書かれ、雑誌に発表されたもので一番遅い時期
の詩が九二年九月の﹃エルミタージュ﹄誌掲載の﹃幕合劇﹄国ミミミ警であって、九二年秋以降詩の発表はぴたりと
︵4︶
途絶えていること。
︵2︶右に述ぺた時期のヴァレリーの詩作について考える揚合、すでに本メモωの皿において示唆したようなマラル
111
一橋大学研究年報 社会学研究 25
メの磁場が若き詩人の﹁詩人の極﹂の消長に深く関わっていること。
とくに一八九〇年九月に構想された﹃ナルシス語る﹄はマラルメの深い影響のもとに書かれたばかりでなく、同時
にそれが初期ヴァレリー詩の頂点とも総決算ともなっている点で特別の位置付けがなされるぺき作品であること。
︵ジッドやルイス宛に送られたソネット形式のものから、﹃コンク﹄誌に発表された体裁のもの︵笥ミ恥ミ恥ミ︶までさま
ざまな異稿があるが、要はこの詩が初期詩篇の中で唯一その中核に︽未来︾の種を宿していた作品であったことだろ
う。この作品が水面下にいくつかの未完に終った大きな作品の構想をかくしていたことは今日知られているが、それ
らはその広がりと深さにおいて、いわゆる沈黙期の﹃アガート﹄構想につながり、さらに、四半世紀あまりを経て、
︵5︶
﹃若きパルク﹄となって地表に湧出してくるヴァレリーの主要な地下水脈を形成するものである。
︵3︶同時期の詩作・方法論の模索の過程で、二つの詩論︵または芸術論︶口散文詩が書かれるが、それらはジッド
およぴルイス宛の当時の書簡とともに若き詩人ヴァレリi理解のための重要な指標である。すなわち九一年三月﹃コ
ンク﹄誌掲載の﹃建築家についての逆説﹄と翌九二年三月﹃アントルチアン・ポリティック。エ・リテレール﹄誌掲
パラドクス
載の﹃純粋なドラマ﹄の二篇である。
4
4 九〇年六月二日付ピエール・ルイス宛の手紙。
モンペリエ大学創立六百年を祝う祭典の最終日パラヴァスでの大晩餐会の始まる少し前に、海辺のカフェテラスで
ポール・ヴァレリーと将来の﹃ビリティスの歌﹄の作者ピエール・ルイスが出会ったことは﹁年譜﹂にも書きこまれ
ている周知の事実である。ヴァレリーは兵役中の身であったが、祭典に出席するため特別の休暇を与えられていた。
ルイスはパリからこの祭典のために送られてきた学生代表の一人であった。二人の間に二言、三言、ことばがかわさ
112
『テスト氏論』のためのメモ(2〕
れるやたちまち意気投合し、以後生涯にわたる親密な友情関係が築かれることは、後にヴァレリー自身感慨をこめて
語るところである。彼との出会いは﹁まったくの偶然のなせるわざであったが、わたしの人生はそれによってすっか
り変ってしまった﹂、とヴァレリーは述懐している。そのルイスとの出会いは九〇年五月二十日の事であることがわ
︵6︶
かっている。ここに引用し検討しようとするヴァレリーの手紙は六月二日付である。出会ってから二週間たらず後の
ことであり、ピエール・ルイスとの出会い以前と以後という区切り方で若きヴァレリーの姿を見極めようとする揚合
に重要な指標となろう。すでに先に検討した︵趾︶﹃文学の技術について﹄執筆から半年後の一地方詩人の﹁信仰告
白﹂が、やや気負った口吻ながら、生々しい形でそこに吐露されているのを読むことができるからである。
﹁とにかくまずなによりも、君にとっても僕にとっても、﹁文学﹂とは﹁言葉の魔術﹂である!
マジにじデじヴニルブ
僕の文学の理想はなにかですか?ーまず言っておくぺきは、僕の知っている中では、いかなる詩人もいまだ僕の
欲求を満たしてくれたものはないということです。
僕が夢みるのは、一人の繊細な夢想家で、同時に、的確な建築家、犀利な代数学者、産出すぺき効果を誤またずに
計算し得るような精神によって書かれた短詩ーソネットーです。わが理想の芸術家はもはやけして偶発的な霊感
の訪れに身をゆだねることはないでしょう1彼はけして熱にうかされた一夜のうちに一篇の詩をものするようなこ
とはないでしょう⋮⋮︵僕はミュッセは好みません!︶ 彼が想像し、感じ、夢みたことは、すべて、ふるいにかけ
られ、吟味され、純化され、﹁詩形﹂にあてはめられ、長さにおいて犠牲にするところのものをカにおいて取り戻す
フオルム
ぺく能う限り凝縮されるでしょう。
クロ ドじフドドル
かかるソネットは、最終行で決定的な雷 撃を生じせしめるべく周到に組み立てぢれた一つの完壁なる装置の.こ
113
114
ときものとなるでしょう。形容詞はつねに最大の喚起力を持つものが選ばれ、詩句の響は賢明に計算され、思想はし
ばしば一つの象,徴のうちに包みこまれるでしょう。そしてその象徴は最終行によってもほとんど引裂かれるこ
カトルズイエにムじヴエドル
とのないヴェールなのです:⋮・。
テヲンオソ レベテイゾオン
アリ
最大限の効果を産出するためには、あらゆる手段が有効でしょう。何世紀もの間忘れられていた幾多の手法︵畳
韻法、反復法、甑︶がそのために復活させられるでしょう。その他いくつかの手法は音楽から借りてこられるでし
ょ︾フ:::◎
デヌ マ ソ
かくして、詩とは、僕の考えでは、一つの大団円を準備することを唯一の目的とするものなのです。それをたとえ
て言うなら、壮麗なる祭壇の階、聖櫃に到る斑岩の十四段の階にたとえるほかにより適切な比喩を僕は知りませ
きざはし タペルナクル ポルフイドル
ん。装飾と金銀細工とろうそくと香と、すべてが一丸となって、聖体顕示台、すなわち詩の最終行へ注意を集中させ
こう オスタソソワしル
るためにそこに配置されているのです⋮⋮。
僕の信仰告白の最後に、僕は大衆に閉ざされた芸術を愛好するものであること、かかる激しい競争と商業主義と個
︵7︶
性の消滅の時代にあって、﹁無用なる貴族たち﹂、洗練されたものたち、﹁女性的なるものたち﹂のつどう修道院に自
らこもりたいと思う者であり、究極のエレガンスやこの上なく類稀な悦楽の探究が、近代産業社会の野蛮なる偉大さ
と手を携えているという途方もない﹁矛 盾﹂と﹁美の錬金術﹂に大いなる愉しみを見出している者であることを
アソチテにズ アルシミし ド ラしボしテ
︵8 ︶
言っておこうと思います。﹂
一読して、これは﹃文学の技術について﹄と同じものであることがわかるが、注意深く吟味してみると﹁かくして
詩とは、僕の考えでは⋮⋮﹂から﹁最終行へ注意を集中させるためにそこに配置されているのです﹂まではほとんど
一橋大学研究年報 社会学研究 22
『テスト氏論』のためのメモ121
字句通りの自己引用になっていることーもっとも受取人のルイスにはそれはわからないことであるがー、その他
の部分もすべて処女評論のパラフレーズであることがわかる。違うところは、ルイス宛の手紙においては詩の実作者
としての立揚から、はっきり、﹁短詩 ソネット﹂を自分の愛好する詩型としてクローズ・アップしてい一ることで
ある。この詩型︵ソネット︶に対する偏愛は若き詩人ヴァレリーのエレディアに対する偏愛に起因することが知られ
ている。
エレディアに対する若き詩人ヴァレリーの一時期の熱中には、高度に完成された職人芸に対するヴァレリーの生来
的な好尚が深く関わっていると思われるが、ユイスマンスの揚合と違って、外に向って彼の名前が強く推奨されるこ
とはない。﹃文学の技術について﹄のような評論においては、彼の名前はむしろ﹁理想の詩﹂に対するアンチテーゼ
として 、 ネ ガ テ ィ ヴ な 形 で 引 用 さ れ て い る 。 す な わ ち 、
﹁思うに、エレディアのソネットの大いなる欠陥はまさにそこに存するのだ。それは始めから終りまで、間断なく、
美しすぎる。一行一行の詩句がそれぞれ個有の生命、個別の光輝を持っていて、読む者の精神を全体からそらしてし
︵9︶
まうのである。﹂
と言うのであるが、﹁美しすぎる﹂という言い方は批判の言葉としてはかなり屈折したもの言いで、背後にある種の
賛嘆の念がかくされていることは言うまでもないだろう。にも拘らず、この評論ばかりでなぐ、ルイスやジッドと識
って後の往復書簡で己れの来歴を語り、文学の理想を語る際にもエレディアが前面に出てくることはない。前面に出
モ ワ
︵10︶
てくるのはユゴi、ゴーチエ、ボードレール、マラルメ、そしてポーである。
115
一橋大学研究年報 社会学研究 25
しかし、後に﹃ドガ、ダンス、デッサン﹄の中でヴァレリーがマラルメの言葉として引用している﹁いや、ドガ、
人は観念で詩を作るのではなく、言葉で作るのだ﹂という評言に従えば、﹃文学の技術について﹄がかかげる観念と
イデ 、、、、、、、︵11︶
きざはし
しての﹁あるぺき詩﹂と実作者としての言葉の修業とは自ずから別だということであろう。実際、処女評論において
サソボしル
明確にデッサンされている﹁あるべき詩﹂1全部で十四行の詩句からなり、各行は最終行で実現される﹁象徴﹂の
ヲイトモチー7 ︵12︶
開示のために、聖櫃に到る階の一段一段のごとく、周到に効果を計算され組み立てられるような詩、﹁ワグナーの音
楽理論の基礎となっている示導動機の概念﹂を応用して作られるような詩1と若きヴァレリーの生みだす作品との
間には少なからぬ懸隔があるように思われる。それは一言でいえぱソネットの呪縛と言ってもいいかもしれない。抱
擁韻の四行詩二連と三行詩二連から成る限られた空間に、言葉の技巧の粋をつくして、田園や大洋の自然風景から恋
コソケラソ
愛や死別の心象風景、はては古代の壮烈な戦いの揚面から大航海時代の征服者たちの物語までを封じこめる力業、そ
してそれがみ.ことに成功した揚合には、あたかも古代の壷や皿に描かれ焼きつけられた繊細あるいは雄渾なデッサン
ト。ZT︵13︶
が、時空を超えて、色彩り鮮かに眼前に蘇えるが.ごとき印象を与えるだろう。言うまでもなく、これは﹃賞杯﹄の詩
人の世界である。ゴーチエを祖とし、ル・コント・ド・リルを長とするパルナッシアンの詩人たちは総じて絵画的で
コロリスト
あるが、就中、エレディアには比類のない精密な筆さばきの絵師・色彩家のおもむきがある。エレディアがその最も
敬服すぺき腕を持った職人であるところのソネット、そのソネットの魅力に呪縛されたヴァレリーの矛盾は実はそこ
にもある。なぜなら、詩論家ヴァレリーが夢想する﹁あるぺき詩﹂は、一枚の﹁絵﹂に収束するものではなく、一つ
の﹁象徴﹂に開かれるものであり、そうした詩が開示する世界は絵画的であるよりも音楽的な余韻をはらんだ世界と
して構想されているからである。
一八八九年の秋から一八九〇年の六月までにヴァレリーが書いたり、発表したりした詩は、ユイスマンスに捧げた
116
にエレディア的なものを別にすれば、必ずしもエレディアの影響が大であるとは言えないものであるが、総じていわ
タブロロ
ゆる一枚の絵になっているようなものが多いように思われる。詳細は次項にゆずるが、このように見てくると、﹃ナ
ブレリユドド
ルシス語る﹄が、初め、ソネットで書かれ、そのあと作品を深化させていく段階で︽前奏曲︾︵長詩︶へと形を変え
たことの意味は大きいだろう。ソネットからの脱却と若き詩人の脱皮に単なる偶然とはいえない符号一致が感じられ
るからである。
翻 詩集﹃コールス・ミスティクス﹄と﹃ラ・プリュム﹄誌によるソネット.コンクール
ヴァレリーが一八九〇年の夏頃、自分の書いた一連の詩を集めて﹃コ;ルス・ミスティクス﹄なる詩集を編もうと
︵巧︶
したことがあることは、これまでH・モンドールやO・ナダル等の研究書を通して知られている。ただし、計画その
ものの存在は当時のピエール・ルイスとポール・ヴァレリーの往復書簡によって確認できるものの、その具体的な
内容−どんな詩が集められるのかーについては筆者の知る限り詳かにされていない。ただ一つ手がかりを与えて
くれるのはヴァレリーがこの詩集の為に書いた短い序文である。
﹁教会のステンドグラスを通して眺められる人生、天の星々の自然なる輝きと神の祭礼にことさらに従事せしめられ
る人々の自ずから発する光輝、そして祭式に使われる特殊な言葉や聖具を指すこの上なく甘美な言葉のかずかずとた
ポエノ ロリチユルジツク
はらから . ︵蛎︶
わむれる得もいわれぬ、いささか不敬なる愉しみとが、これらの典 礼 詩の試みにわたしを導いたのである。
そしてここにわが同胞たちが見出すものはわたし自身であろう。﹂
117
︵舛︶
散文詩﹃古い路地﹄一篇と僅かな例外を除けば、ことごとくソネットである。それらのソネットは、何篇かの明らか
『テスト氏論』のためのメモ働
しま﹄の雰囲気の内にある時代の産物だといえば一応の説明になるだろうか。この序文の内容をいささか敷術し、わ
抹香臭いようで、よく読むと異教的な官能主義のにおいもする奇妙な文章であるが、時期的にはまだ大いに﹃さか
かりやすく説いたていのものが、同じ年の初頭のものと推定されるアルベール・デュグリップ宛の手紙に読むことが
できる。
﹁そうしてついに、決定的な呪咀の言葉を吐くシrペンハ皇ルが現わ慧のだ・彼塾篤籍本的舞斥する・
僕がさきほど口にした新しい流派というのは彼の流れをくむものである。
﹃愛﹄や︵マラルメの︶﹃詩と散文集﹄の中にみられるある種の作品の.ことき作品が創造されるのをみることは何と興
このわれわれの世紀に、﹃パルジファル﹄のごとき極めて高度の神秘的情念をたたえた作品や︹ヴェルレーヌの︺
軽蔑にほかならないのである。
にはマラルメなどがもっとも傑出した使徒たちなのだが、その根本は何かといえば、結局、愚かなる﹁性﹂に対する
アポぼトル
こうした宗教的情熱の復活については、ヴヱルレーヌやユイスマンス︵その類稀な著書のある部分において︶・さら
︹:::︺
﹁未知の永遠なるもの﹂に対する霊的没入に、洗練された精神を魅了するある種の官能のうずきが加わる⋮⋮。
欲の激情をもって語りかけることを人は恐れないのだ。
ぺてある種の漢たる力トリック的形象へさし向けられる。そこでは何だか知れぬ神に向って、あやし気なる言葉と肉
この流派には﹁女﹂はもはや存在しない。かつて女に向けられた情愛とか思いのたけの告白といったものはーす
一橋大学研究年報 社会学研究 25
118
味深いことであろう!
そしてわれわれがその﹁根本動機﹂の何たるかを知るとき、それは一層興味深くなる。それはつまり、現実世界と
そこで実現可能な一切の享楽に対する軽蔑、すでにわれわれが失ってしまっているものに対する憧憬、そして最大限
の厳密さにまで押しすすめられた﹁美学﹂が課す苦しみなのである。﹂
︵18︶
﹁ある種の漢たるカトリック的形象﹂、﹁何だか知れぬ神﹂、﹁未知の永遠なるもの﹂とさまざまに言いかえられている
このものがキリスト教の神と一致しないことは明らかである。しかしそこに﹁カトリック﹂という言葉が使われてい
、、 ︵19︶
ることからもわかるように、それがカトリックの培ってきたある種の精神風土、霊的世界に通底したなにかであるこ
オリアソタル
ともまた明らかであろう。﹁十四歳で僕は︹ユゴーの︺﹃東方詩集﹄で出発した。ついで﹃ノートル”ダム︹.ド.パ
リ︺﹄を繕き、それによってゴシックの美しさを知らされ、夢中になった。いまだに僕はその呪縛から充分に脱け出て
い趨﹂と九〇年の六月呈ルルイス暑くヴァレヤがカ5ダの美的謹−建築、絵画、彫刻、音蓋
わせる九一年九月のジッド宛の手紙の中に﹁それなりの芸術を持っているのは教会だけだ。いくらかでも息をつかせ
てくれ、この﹁世界﹂から引離してくれるのは教会だけだ﹂とあるのもヴァレリーがカトリック教会に何を見ていた
︵21︶
かを証し立てるものであろう。
とはいえ、ショーペンハウエルからワグナーまで、ヴェルレーヌからマラルメまでを含み、﹁女﹂を排斥し、﹁未知
の永遠なるもの﹂に対して霊的没入を試みながら、そこに﹁ある種の官能のうずき﹂が加わることも、その﹁神﹂に
ヤ ヤ
対して﹁肉欲の激情をもって語りかけることをも恐れない﹂この流派に属する作品として、当時のヴァレリーの詩作
119
1に早くから目を開かれていたことはあやしむに足りない。内面の危機が恐ろしい速度で進行しつつあることを思
『テスト氏論』のためのメモ(2〕
一橋大学研究年報 社会学研究 25
品の中から﹃コールス:・・スティクス﹄を構成して然るべき諸詩篇を正確に選ぴ出すことは難しいと言わなくてはな
らない。しかし十三、四歳の頃から書き始め、十七歳から十八歳にかけての一年間︵八九年︶には八十篇以上の詩を
書いたヴァレリーが、翌九〇年になって自ら詩集を編むことを思いたったとすれば、そこには当然それまでの自らの
詩的営為を通じて紡ぎだしてきたものに対する一つの自己評価があったはずで、いわぱ彩しい数の模作・習作の中か
らなにがしかの自己独自のものが析出してきたという自覚があったからだろう。︵仮にそれがなお時期尚早な思い入
れであることにほどなく気付くとしても。︶とすれば、あくまでプレイヤード版﹃作品集﹄の後注に収録されている
︵ 2 2 ︶
初期詩篇に限った範囲でも、それらの詩篇を﹃コールス・ミスティクス﹄に属すべきものとそれ以外とに分けてなが
﹃コールス.、・・スティクス﹄詩篇として考えられるのは、たとえば、次のような詩篇である。
めてみることが、若き詩人ヴァレリーを理解する上でなにがしかの手がかりを与えてくれるように思われる。
︵23︶
一八八九年の秋から、ルイスとの往復書簡の中で詩集編纂の話が起った九〇年の九月までをまず一区切りとすれば、
﹃宗教復興﹄葡恥§爵&噛麟“恥肋冨ミミ§、﹃世紀の奇蹟﹄ミ蝋ミミ音象象ミ&、﹃教会﹄卜.閏箋鴇、﹃神聖なる姦通﹄卜馬ミー
蔑ミ﹄亀ミ匙臓恥、﹃、、、リアム﹄尽、音ミ、﹃墓﹄Q§ミ聴馬、﹃月の出﹄肉隷竪ミ帆§魯ミト§恥、﹃神秘の花﹄肉壽ミξ砺言器、
﹃若き司祭﹄卜馬∼恥§恥、博魅ミ、﹃甘美なる断末魔﹄卜魯寒§恥﹂領§魯、﹃光輝﹄防黛§職ミ、そして少し時間の幅を広げ
るア一とが許されるなら、十月十九日付のルイス宛の手紙に言及されている﹃天使のミサ﹄卜&さ塁恥﹄還ミゆ§を加
えることができよう。
︵24︶
それならば同時期の詩で﹃コールス・ミスティクス﹄に入らないと考えられる詩にはどのようなものがあるのか。
あくまで便宜的な仮の分類によってではあるが、およそ次のように整理してながめてみることにする。
ハみソ
︵1︶海、港の風景をうたったものー﹃海﹄卜Rミ塁、﹃船﹄富≧§ミ、﹃真昼の港﹄㌔ミ∼§ミミ焼
120
︵26︶
︵2︶ボードレール風のソネットー﹃白い猫﹄卜覇9ミ⇔切誉§砺、﹃白鳥﹄富Q恥§
︵27︶
︵3︶エレディア風のソネットー﹃皇帝の行進﹄卜&§§富﹄§烹註ミ恥
︵4︶生身の女性をネガチヴな価値として、それと対比的に自然や︽純潔︾をうたったものー﹃夜のために﹄ぎミ
騨≧ミ蝋、﹃暴行﹄﹁ご馬、﹃不安なる処女﹄ミミ題噛§塁ミ刷§
︵28︶
ニ ユ
︵5︶女体をうたったもの︵美術の世界でいう裸婦に相当する︶1﹃水浴するみだらな女﹄卜§ミ帖ミ器§切&ミ、
︵29︶
﹃肌着の女﹄卜、肉§嘗ミ騎魯、﹃波から出て来る女﹄9ミ崎ミ魯ミ警馬、§魯
︵30︶
︵6︶友情をうたったものー﹃わかるかい?﹄↓裳旨騎7・、﹃友愛の森﹄富切亀恥﹄§魯ミ
︵7︶その他。ー⑥﹃哀れな詩人の最後の思い﹄qミミ恥噂§吻魯§勾ミミ恥ぎき、﹃友の忠告﹄G§砺ミ織.﹂ミ、
﹃水の上﹄砺ミ馬、ミ窯 ㈲﹃白﹄切騨§、﹃アルシド・ブラベヘ﹄﹂ミ“ミ恥裳§黛、⑥﹃食事﹄笥尽§
︵31︶ ︵32︶ ︵33︶
さて以上のように八九年の秋から九〇年の秋までの一年間に書かれた若きヴァレリーの詩篇を整理した上で、そこ
に認められる特異な点は何かと言えば、いわゆる恋愛詩というものが一つもないことである。そして通常の恋愛詩の
ヴェクトルを構成する二つの成分−昂揚し純化された魂のモーメントとより直接的な肉体的な接近欲のモーメント
ヤ ヤ ヤ
的なーと言うよりむしろ霊的なというべきかもしれないがi高い昂揚感に昇華された友情をうたった詩篇とのニ
ヤ ヤ
極分解としてもとらえられるし、同じ女体をうたった詩篇の内部における、あくまで視線のレヴェルにとどまるエ・
︵糾︶
ティスムの発動と禁忌のメカニスムとしてもとらえられる。
その意味でも、当時ルイスによって激賞された浮情詩﹃夜のために﹄は示唆的である。なぜならそこでは女性と夜
121
ーはみ.ことに二極分解している。それは、たとえば、相当にエ・ティックな妄想を含む女体をうたった詩篇と精神
『テスト氏論』のためのメモ(21
一橋大学研究年報 社会学研究 25
とが対比されつつ、夜の方がずっとかぐわしく、なまめかしく、奥深いことがうたわれているからである。そこでは
テ ル セ
女性のかぐわしい肌や接吻、まなざしや声がなまなましく喚起されるが、ソネットの後段、最初の三行詩に至って、
︾象①三目o一ρ三ヨ.帥洋魯α巴巴U、﹃Φ霞①o簿窪o℃げobp9
︾一.臼ヨo霞巨ヨ㊤ま吋一。二①旨.3き畠o目o
曹。ヨ。鷲o旨g8。。oマ簿8び。巳α。一、①程
︹だから、さようなら: せっかく待っていてくれたのに: いまがあまりにすばらしすぎるのだ。 /この夜と
この海辺とが僕に約束してくれる/肉体の介在しない愛に身をまかせよう︺
とうたわれる。構図は平明であり、この詩の浮情がどこから生まれてくるかも明らかであろう。女性はたしかに甘美
な夜と引き換えに打ち棄てられるが、夜に魅力的な形姿を与えているのはほかならぬ詩の前半で喚起されている女性
の形姿なのであるーただ﹁夜﹂はそれよりも﹁よりかぐわしく、よりなまめかしい﹂存在なのである。換言するな
ら、夜は女なのであり、この地上に存在するどの女よりも魅力的なイデアを体現しているのだ⋮⋮若きヴァレリーの
ヤ ヤ ヤ
アンビィヴァレンツがそこに最も明らかな、わかりやすい形で顔をのぞかせている。
ところで、二極分解とかアンビヴァレンツというなら、それは﹃コールス・ミスティクス﹄についても言えること
である。すでにみたように、﹃コールス・ミスティクス﹄の世界とはあらかじめ世俗の女性の排除されている世界であ
ヤ
る。それは基本的にある種の神に向って霊的没入・昇華がはかられる世界として構想されている。そして昇華を通し
て到達すぺくのぞまれている世界は一つの美の世界である。﹃コールス・ミスティクス﹄の世界とは、従って構造的
122
『テスト氏論』のためのメモ(2〕
には二極分解によって生じた︽聖︾と︽俗︾、︽美︾と︽醜︾の一方の極を代表する世界なのだ。この詩集の世界が
他と違っているところは、それがある特定の意匠/装置によって、いわば︽俗︾/︽醜︾の世界の侵入から保護されて
オヌルマソ ゾアコしル
いることであろう。げo。。江98ε島oF曾8塁’o一〇おρ畠器雷RρR9メ8一β器も8旨叶5きσq色塁逼おPooひβ℃岳P
>器訂おρ≦。お。匂隷鍔切⋮⋮﹁祭式に使われる特殊な言葉や聖具を指すこの上なく甘美な言葉のかずかずとたわむれ
る得もいわれぬ、いささか不敬なる愉しみ﹂とヴァレリーは書いている。そして、いささか逆説的になるが、そのよ
うに予め保護され、霊的没入・昇華が約束されている世界/舞台であるからこそ、そこには奇妙に背徳的な、官能的
︵35︶
な、ときに血なまぐさく暴力的なものまで、あらゆる青年の抑圧がうみだすファンタズムが盛りこまれ得るのだー
もっともそれは﹃コールス・ミスティクス﹄という一種の額縁舞台が青年の内面の成熟が生みだす心理劇の全体を包
みこむ器たり得ている限りの話としてであるが。
バリの文芸雑誌﹃ラ・プリュム﹄がソネットのコンクールの広告を出したのは九〇年の十一月一日発行の同誌上に
おいてである。それによれば、参加資格は特になく、一フラン五〇サンチームの応募料を払って、未発表のソネット
を十二月十五日までに同誌に送れば、受け取り次第受付番号を知らせてよこすというものである。﹁一等賞は銀のメ
︵36︶
ダルと一〇〇フラン相当の本、二等はブロンズのメダルと二五フラン相当の本、三等はブ・ンズのメダル、⋮⋮﹂
ヴァレリーが果してこのコンクールに広告の規定通り、正式に応募したのかどうかについては少しわからないとこ
ろがある。いずれにせよ、早くも十一月十五日の﹃ラ・プリュム﹄誌増刊号に、ヴァレリーの二篇のソネット﹃暴行﹄
︵3 7 ︶
と﹃若き司祭﹄とが掲載されていることがわかっている。コンクールの結果は1結果はどうでもいいのだがIl翌
︵38︶
九一年の一月十五日号誌上に発表され、﹃若き司祭﹄が賞外優秀作の第五席に、﹃暴行﹄が第十五席に入った。
123
一橋大学研究年報 社会学研究 25
興味深いのはソネット・コンクールに応募するに際してのヴァレリーの自作詩の選択である﹃コールス.、・・スティ
クス﹄に所属する一篇と思われる﹃若き司祭﹄と、そうしたカトリック的意匠とはおよそ対照的な異教的︵饗パ窪︶な
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
匂のたちこめる﹃暴行﹄が選ばれ、ルイスが前から推賞してやまない﹃夜のために﹄は選ばれなかった。
もちろんたかだか雑誌の主催するコンクールのことである。詩想としてオリジナリティーを持ち、ソネットの技巧
的な側面からみて完成されているものが選ばれたのであろうし、﹃暴行﹄はまさにその絵柄の刺戟性ゆえに選ばれた
モ ワ
のかもしれない。いずれにせよ、やがて詩の中に自我をうたおうとして苦しみだすヴァレリーの姿と照らしあわせて
リマドル
みれば、ここにいるヴァレリーは後に自らを嘲って言うところの﹁韻文家﹂にほかならない。ただしコンクールに送
られた二つのソネットは、その意匠からして一見対照的に見えるとしても、詩想の根底には相通じるものがあること
を見逃してはなるまい。なぜなら﹃若き司祭﹄という詩は、けっして祈りと瞑想にあけくれる敬虚にして貞潔な司祭
の賛歌ではなく、聖書の解読と典礼歌に捲んだ若き神学生が、空の青く晴れわたった澄んだ日ざしの安息日に、糸杉
セミナリスト
の影なす僧院の庭を歩みつつ、突如、赤く血塗られ、剣や鉾がぶつかりあう戦いの幻覚にとらわれるという詩だから
である。それは確かに﹁地獄﹂の勢力に敵対する天使たちの戦いである。しかし天使たちの戦いであるからと言って、
セラフイン
アソフエしル
赤々と血塗られていないわけではない︵︽>ロ。2号目一醤一ω毘①二〇鋸お9詠留ψ琶αq。巴︾︶。それにこの﹁地獄﹂と
は何であろうか。それは敬慶なる神学生が日々の祈りと瞑想の中で抑圧しているもののすぺてである。そうしてみれ
ばこの﹁地獄﹂は﹃暴行﹄の﹁美しく熱く燃え立った女﹂﹁おぞましくも豊満な白い肉をいやがる少年におしつけ、
みだらな手で性器をまさぐってくる女﹂に通じているはずである。若き司祭の白昼夢が地獄の勢力を撃退する天使た
ちの戦いという大義名分を背負っているにもかかわらず、その赤々と血塗られたイマージュが本質的に官能のうずき
につながっているように、コリントのブ・ンズ像のあからさまなエロティスムには少年の拒絶が対置されている。抗
124
『テスト氏論』のためのメモ〔21
い難い官能のうずき、肉の誘惑とその抑制・禁止という基本構造において二つのソネットは同根なのである。そして
九〇年十月、十一月の時点で、ヴァレリーが最も強いリァリティーを感じていた詩想が、もはや﹃夜のために﹄のよ
ヤ ヤ
うな浮情詩ではなく、そのようなものであったとすれば、夏頃からしきりと﹃水浴するみだらな女﹄等の裸婦が彼の
詩のカンヴァスに架けられるのもうなずけるのである。
“ マラルメヘの第一信と﹃甘美なる断末魔﹄
ポール・ヴァレリーが初めてマラルメに手紙を書いたのは、前項で述ぺたソネット・コンクールヘの応募とほぼ時
期 を 同じくしている。
ヴァレリーがマラルメの作品を初めて知ったのは前年の秋ユイスマンスの﹃さかしま﹄によってである。しかし
﹃さかしま﹄に引用されているマラルメの詩はごく僅かであり、その後、ヴァレリーがマラルメに最初の手紙を書く
︵39V
までにどの程度マラルメの作品を読んでいたかは興味深いところであるが、正確には知り得ない。ルイスとの九〇年
︵菊V
七月の手紙のやり取りの中で﹃弔の杯﹄ご禽馬誉§賭恥のことに触れていること以外は、同年九月十四日付のルイス
宛の手紙の中で﹁マラルメの詩をお持ちとは運が良いですね。僕は彼の詩をあちこちから拾い集めています。﹃エロ
︵41︶
ディアード﹄は二年前から探していますが見つかりません。まったく田舎というのはやりきれない。﹂と書いている
のでなにがしかの詩を集めて持っていたことは推測がつくものの、日付を区切って、たとえば十月の半ば頃までに何
と何を知っていたかとなるとわからない。ただし九月十四日のヴァレリーの手紙にこたえるようにして、九月二十二
日ルイスがヴァレリー宛の長い手紙の冒頭に﹃エ・ディアード﹄の八六行から一一六行までを筆写して送って来てい
る。﹃エ・ディアード﹄はヴァレリーが当時最も読みたく思っていた長篇詩で、これを送ってもらって食るように読
125
一橋大学研究年報 社会学研究 25
︵覗︶
んだ時の感動を九月二十八日付のフルマン宛の手紙に書き送っている。大まかに言えば、この時点で、はじめてマラ
ルメを本格的に読み始めたと言っていいのではないか。そしてこの同じ九月二十八日の日付で書かれたルイス宛の手
紙の中で初めて﹃ナルシス語る﹄というソネットを書き始めたことが打明けられ、実際に手紙にその書きだしの四行
詩が一連書きつけられていること、また現在同日付の異稿がのこされていることなどは、やはり﹃ナルシス語る﹄の
位置付けをする際に重要な事実であると思われる。︵詳細は次項︶。
さて、ヴァレリーがマラルメに手紙を書くにいたる背景にはルイスの働きかけがあった。恐らくは十月の初め、マ
ラルメ家を訪れたルイスがマラルメにヴァレリーの﹃夜のために﹄を見せて、批評を求めた。それに対して、マラル
メはさし出されたソネットを﹁ゆっくり読み、もう一度読み、拍子を取った﹂あと、﹁ああ!これはとてもいい﹂と
言ったという。ルイスは十月十五日付の手紙の中でその時のことをヴァレリーに報告しながら、続けて書いている。
それから僕がもっと何か言ってほしいと言ったので、マラルメは言葉を続けた。︽この人は詩人だ、それには一点
の疑いもない︾ それから、独り言みたいに︽実に繊細な音楽的感覚を持っている︾と言った。そして僕の方に向き
直ると、︽他の詩もお持ちですか?︾と訊いた。僕はそのソネットしか持って行かなかったんだ。その方がよかった
と思うんだがね。他の詩は君がマラルメに⋮⋮自分で送り給え。その方がずっといい。宛名は、ステファンヌ・マラ
︵弔︶
ルメ、ローマ街八九番地だ。﹂
九月二十二日にルイスから﹃エ・ディア;ド﹄の核心部を構成する三〇行ほどの詩句を送ってもらい、夢中になっ
126
『テスト氏論』のためのメモ(2)
て読んでいるヴァレリーにとって、この手紙の伝える生々しいマラルメの姿が大いに刺戟的であったろうことは想像
にかたくない。ヴァレリーはルイスのさそいに応じて早速マラルメに手紙を書く。その正確な日付は特定できないが、
いま引用したルイスの手紙に対する返事が十月十九日に書かれ、その中で﹁マラルメに手紙を書いたところだ﹂とあ
・ ︵覗︶
るから、恐らくはその前日、前々日、十七日、十八日あたりと見当はつく。
︵45V
ヴァレリーがマラルメに書き送った最初の手紙はつとにその内容が知られている。今あらためて読み直してみると
そこに凝縮された言葉で開陳されている芸術論は﹃文学の技術について﹄の中で述ぺられていることとほとんど隔り
ヤ ヤ ヤ
がない。その意味でもこの手紙は九〇年十月半ばでのヴァレリーがまだ八九年秋の詩人の延長線上にとどまっていた
︵46︶
ことを示す貴重な資料でもある。
ヤ ヤ ヤ
ここでは、従って、その芸術論については繰り返しになるので触れない。それよりもむしろ﹁かく申し上げ、あと
はここに同封いたしますいくばくかの詩に席を譲るべく、筆を欄きたいと思います。願わくば、かの﹃エ・ディアー
ド﹄において、驚嘆させかつ絶望させたのと同じ言葉の術によって記された助言のいくばくかをお聞かせくださいま
エクリチユ ル
すように。ポ;ル・ヴァレリー拝﹂と締めくくった手紙に同封された二篇の詩ー﹃若き司祭﹄と﹃甘美なる断末
︵蘇V
魔﹄1とくに後者について少し考えてみたい。
マラルメに初めて手紙を書き、その手紙に自作の詩を二篇選んで同封するからには、その詩の選択には、ソネッ
ト.コンクールの応募作を選ぶのにもまして神経を使ったであろうことは推測できる。二篇のうち一篇をコンクール
応募作の一篇と同じ﹃若き司祭﹄にしたのは、それだけこの作品に当時のヴァレリーが自信を持っていたことの証拠
かもしれない。しかしもう一篇を﹃甘美なる断末魔﹄にしたのはなぜであろう。この詩は九〇年七月十三日作とされ 7
珍
ているから、手紙が書かれる近い時点で書かれたものではない。﹃水浴するみだらな女﹄や﹃肌着の女﹄とほぼ同時
一橋大学研究年報 社会学研究 25
ヤ ヤ ヤ ヤ
期に書かれた詩である。当時、ヴァレリーはルイスやデュグリップなど友人たちに詩稿を送る一方、さまざまなパリ
︵弼︶
およぴ地方の雑誌に投稿している。しかし﹃甘美なる断末魔﹄はどうもマラルメに送るまでは門外不出のように思わ
れる。マラルメに手紙を書いたことを報告している十月十九日付ルイス宛の手紙では﹁﹃墓揚﹄はどうもあまりに鈍
重で、もたもたしているから送れないと思った﹂とある。確かに、﹃墓揚﹄は、今日から見れば、後の﹃海辺の墓地﹄
の詩想につながる興味深いイマージュを多く含むが、少々言葉がつめこまれすぎていてすっきりしない。まさに重い
︵仰︶ ・・
作品である。それに対して﹃甘美なる断末魔﹄はまことに繊細な、細い糸が一本虚空に張りわたされたような作品で
ある。しかもこれは珍らしくソネットではない。ヴァレリーがルイス宛の手紙の中で﹃墓揚﹄について言及し、﹃甘
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤパのレ
美なる断末魔﹄とどちらがいいか天秤にかけたように語っているのは、先に引用した十月十五日の手紙でルイスがマ
ラルメに送る詩の候補として﹁﹃若き司祭﹄とあと一篇、君の好きなのを、たとえば﹃墓場﹄とか﹃、・、リアム﹄だと
か﹂と書き送っていることに対応している。﹁ツチボタル︵ご日電3︶が出てくる一行半の詩句ゆえに﹂という限定が
︵51︶ ︵52︶
つく﹃ミリアム﹄を別にすれば、たしかに﹃墓場﹄と﹃甘美なる断末魔﹄は、ともに死後の世界への憧憬をテーマと
している点で、共通したものを持っているといえるかもしれない。しかし、﹃墓場﹄は献花の匂のたちのぼる真昼の
陽光に照らされた明るく平和な墓所の風景に、死者の眠りの安らかさと地上のしがらみから解放された魂の自由に対
する憧憬を重ね合せた、比較的平凡な詩想であるのに対して、﹃甘美なる断末魔﹄は死に瀕し、もはや意識がこの世
の事象から離れていこうとしているいまわの際の女性をうたったものである。現象的には臨終がせまり、瞳孔が開か
ヤ ヤ ヤ き わ
れていき、死相が顔面を凝固させる寸前に、肉体の苦しみから解放されて一瞬安らかな表情を浮かべる女性を、ヴァ
レリーは甘美な詩的イマージュに転換してうたっている。
128
Pourguoi Ies Yeux sont si grands,ce soir7…
Et,dans cesβammes de soleil mortes,
Toi qui va mourir,que veux・tu voir P
Pourquoi ces baisers purs vers Ie soir P
:Pourquoi de ta main pale tu portes
Lentement,des sourires secrets,
Comme des fleurs vaguement donn6es
Adesviergesauxregardssacr6s,
gui dans rair passent couronn6es∼・一
O ma ch6re agonisante,admire,
Parmi ces broui11ards tendres de myrrhe,
Lcs Salutaires Voix dbr lointain,
ひ9
9中Xe薄翼e﹃嘉眠︷K爪﹄
Toi,qui verraαづJJθ%γ51e Matin,
一橋大学研究年報 社会学研究 25
︹今宵おまえの﹁眼﹂はどうしてそんなに大きいのか?⋮⋮ /そして・あの消えてしまった太陽の炎の中に/
死にゆくおまえ、おまえは何を見ようとしているのか?
くちづけ
なぜ夕暮にむかってそんなに清らかな接吻を投げつづけるのか?/なぜその白い手で、おまえは運ぶのか/ゆっ
え み
くりと、ひそやかな微笑を
まなざし
空を寄切る、冠をつけた/神聖な眼差の乙女たちに/そこはかとなく捧げられる花々のような︹微笑を︺?
﹁轍はには彼常を見るだろうおまえ/おお、わが璽しきいまわの際の女よ、讃えよ/ギルラのやさしい香のたち
のぽる中に
みすく ︵53︶
遠く聞える黄金の御救いの﹁声﹂を⋮⋮︺
ここには臨終に際して、天使たちが合唱しながら天から降りて来て、善良なる魂を天国にいざなっていくというカ
トリック的な構図があることは確かであるが、﹁見開かれた大きな眼﹂、半ばすでに死の世界に入っている女の浮べる
あした ヤ ヤ
に﹃ナルシス語る﹄の構想のひろがりのうちに現われる交響的作品の一つ﹃葬りの微笑﹄♂ミミ凄戴ミ恥に通底す
﹁ひそやかな微笑﹂、そして﹁﹁朝﹂には彼岸を見るだろうおまえ﹂の至福に対する限りない憧憬といった詩想は、後
︵54︶
るもの で あ る 。
130
『テスト氏論』のためのメモ(21
ヴァレリーはこの﹃甘美なる断宋魔﹄に他の詩とは違った特別の意味を付与していたように思われる。 なぜなら翌
九一年四月二十九日付のルイス宛の手紙の中で次のように書いているからである。
﹁⋮⋮だからといって、僕が貴兄に﹃白﹄だとか﹃水の上の差恥﹄などといった械らわしいシロモノを公表する許可
ブヲソ はじらい
を与えることにはなりません! ああ! とんでもないことです! どうせ発表するなら﹃甘美なる断末魔﹄とか
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
﹃友愛の森﹄にして下さい。それなら僕も満足です。この二篇の詩は僕にとって、いわゆる韻文などというものとは、
︵55︶
良きにつけ悪しきにつけ一味違ったなにかなのです。もっともそれだけの話ですが。﹂
若きヴァレリーにとって﹃甘美なる断末魔﹄が﹃友愛の森﹄とともに韻文以上のどのような意味を持っていたのか
という問題は、さらにマラルメからの返事がヴァレリーをどのような方向にむかわせたのかという問題と同時に重要
な問題であるが、それについては次項﹃ナルシス語る﹄で詳しく検討することにしたい。
︵つづく︶
︵1︶ 9ミ恥落oミ§驚魯、Rミ﹃ミ駄遷ミ魯G誤馬き恥ぎミ§ミ砧。。γ己舞O匙ぎp旦一漫ざ℃﹂89なお同書簡集は筑摩書房
刊﹃ヴァレリi全集﹄補巻−に三浦信孝・恒川邦夫訳がある。
︵2︶ 等魯8慧魯冥ミ警ざ唱・aム9モンドールはこれら最初期の模作においてはユゴーの影響が顕著である︵どσQo毎お︶と
述ぺている。
︵3︶ 9貸ミ惨8ヨo一”℃﹂y
︵4︶ もちろんここでは本メモの考察の対象としている期間︵八九年から九四年まで︶に限っての話である。
エヴアンタドユ
因みに﹃幕合劇﹄はマラルメの短詩形、とくに︽扇 子︾のバスティッシュと言っておかしくないような作品である。鼻O匿
131
一橋大学研究年報 社会学研究 25
勺・閃貰玄9﹁ミ鳳遷衷ミミ、ミ§駄凄遣巽ぎ還鵠・ぎGミ遷§℃aミ﹁ミ讐ド家N3這No。・なおバルビエがパリ国立図書館の草
カトラ ソ
稿部に保存されている草稿から活字におこしたこの詩の終りの二連︵第四連と第五連︶の四行詩は次のようになっている。
]﹁① α①== 畠一9昌O α函﹃50 POO一口﹃昌①
国℃﹃一器O①一畦ヨ28ωoマ
フ﹁ooりR巴臨﹃冨O凶9賊ロ①
↓転一愚耳o呂鱒犀一〇昌αQ⇒のロo一篤
乞a<oρ巨話良㎝ω目巨o
oQo口㎝一︸巴一〇旨一〇〇8目づαO目図ひO一巴﹃
∪①℃ピヨP鋤o甑ρ岳のo歪℃仁一〇
〇〇目ヨ①βコ冒℃gαo<言Oo一p一﹃・
零プレイヤード版では第四連の三行目が︽乞o器邑斤−8﹃鼠。ぎヨ①︾、第五連の冒頭が︽2畦奉一・−︾となっている。鑑9貸ミ3
朗唱.嶺oo刈
︹大意︺
今宵は果して涙にかきくれた
もし黒い白鳥の横たわる
夜の婦人の服喪と言うぺきか
おし黙った暗闇がないならば?
132
『テスト氏論』のためのメモ②
悲しげな翼の下に、明るい色が
それと知れるペチコートみたいに
きら
女らしい気使い、羽 毛 の 優 し い
焼めきを隠さない無邪気なタペ
この詩は、細い月が水面にかかる、それ自体としてはかなり重くるしい︵勘黛帖§、蕊Sδ闇夜に、一羽の白鳥が羽を休め
るいは、黄昏時の白鳥︵﹄§帆§ミ§馬ミ黛豊§織、ミ︶とは違って、いまは闇につつまれ黒々と墓を思わせるたたずまいであるが、
てじっと泉の水面に眠るがごとくうずくまっている情景を描いたものである。太陽の黄金の光を全身に浴びていた昼間の、あ
しかしそれは時々闇の中で、夜の僅かな光を集めて、チラチラ光る。それがまるで喪服の下から、ふとのぞき見える、明るい
色のペチコートのように、この闇に無邪気な色気を与えている。最終行の︽≧ミ竃︾はこの詩の冒頭の一句︽O肋ミ葡h閏翫
ヤ ヤ ヤ
憶嵩§︾&§︾の︽ω○蜀吋国︾にかけるのがもっとも自然であろう。
夜︵黒︶と白鳥︵白︶を二つの要素とする情景を描きながら、そこに喪服︵黒︶とペチコi卜︵白︶の対比を重ね合せ、喪
さが
の悲しみと女の性のなさせるコヶットリーとの対照を細い月がかかっただけの重くるしい闇と︽白鳥のいる︾闇との対照にな
ぞらえてうたっているこの詩の結構はきわめてマラルメ的であるといえよう。この詩は一八九二年九月発行の﹃エル、・、タージ
ヤ ヤ
ュ﹄詩に掲載されているので、書かれたのは七月か八月であろうか。この詩自体はバスティッシュの域を出ないとしても、短
︵5︶ ﹃ナルシス語る﹄の水面化に構想された作品としては、夙に、﹃ナルシス、古典的様式による田園交響曲﹄︵典9§§一
詩形におけるマラルメの語法を当時のヴァレリーがよく理解していたことの証拠にはなろう。
を浴ぴている。象Oひ一ヨoω昏げ品F円ミ隷魯、ミ&ざ謹W嚢ミ匙壽象い①ooo霞ヰoε鼠σ﹃ρぎヌミ専緊斜賊、題ミミ♪℃3器8d三く自,
8ヨo一り毛﹂象?嵩鴇︶が知られているが、最近では﹃葬りの微笑﹄卜恥象ミ§誉蔦曾恥という別の交響的作品の構想が注目
県巴﹃①㎝α。ご一す60。ドおよぴ清水 徹﹃ナルシスの出発ー初期ヴァレリーの想像的世界﹄︵明治学院論叢第三六七号フラン
133
一橋大学研究年報 社会学研究 25
ス文学特輯一八︶
︵6︶寓。区冨o呂oび、惹8も慧騨﹃ミ鳳遷一や一8、
なおこれら水面下の構想も含めて、﹃ナルシス語る﹄については後に詳しく扱うことにする。
︵7︶ ﹁女性的なるものたち﹂はα窃頴巨巳器の訳。文脈からすれぱ、弱肉強食の激烈なる競争に参加し、商業主義にこりか
たまって、個人の微妙かつ繊細な差異は切り棄ててかえりみないのが﹁男性的なるものたち﹂なのであろう。
︵8︶ 国9ユ竃o&05壽﹁§恥山ミ駄籍勺aミ唄ミ鳳鳶鳳ミ&畠ミ㌃昌勺p三く筥①蔓8鈴﹃oけま日oおロ帥σつ窃5盆一錺﹃。S。⋮ω℃p﹃
の後註に収録されている。︵9貸ミ惨εヨΦ㌍署﹂N2占這N︶
ノ ヨ ト
冒碧o国αQo窪お8︸ξ切帥8昌巳騨甲2磐9緯96&■なおここに訳出したものの一部はプレイヤード版﹃作品集﹄第一巻
︵9︶9ミミ38ヨ①一も﹂。。い一.
︵10︶ エレディァのどんな詩をヴァレリーが愛好したかはアンリ・モンドールの﹃ヴァレリーの早熟﹄の記述によっても知るこ
シチリァ︾詩篇、︽・ーマと異教蛮族︾詩篇、︽中世とルネッサンス︾詩篇、︽東方と熱帯︾詩篇、︽自然と夢︾詩篇などーに
バ ル パ ロ ル トロビツク
レロフニ
とができる。それは今日エレディアの詩集として名高い﹃賞杯﹄に収められているあらゆるジャンルの詩篇ー︽ギリシァと
二、三篇であることを考えれば、一時期のエレディァヘの熱中が形ぱかりのものでなかったことがわかる。
及んでいて、当時の詩のノートに筆写したり、切り抜きを貼った篇数だけでも二十を数えるほどで、他の詩人の詩が多くても
︵11︶ 9巽ミ恥♂8ヨ①一一−℃●おOoo●
︵12︶ 9寂ミ38ヨo押マ一〇。8,
︵B︶ 註︵12︶参照。﹃賞杯﹄卜跨辱愚隷跨の初版は一八九三年である。
︵14︶ もちろんパリ国立図書館草稿部所蔵の旧詩稿については、、ここでは対象外である。しかし当時雑誌に発表した詩のほと
んどがソネットであることは、草稿として今日までのこされているそれ以外の詩篇の形式がいかなるものであれ、注目すべき
︵15︶ ﹃コールスニ・・スティクス﹄9ミ§§暑ミ§︵神秘合唱︶編纂のエビソードについては象ρ之&鼻9ミ恥落§亀§R魯
事実であろう。
134
『テスト氏論』のためのメモ12〕
等ミ§、&隻魯o§、§きミ§糞9≡塁員ま圃も・Nおおよぴ=Φ琶ぎ民3等転§慧魯冥ミ&い弔暴−一ミ・
さらにこの詩集は一時﹃カルメン・ミスティクム﹄Gミ§§§暑鳶ミ§︵神秘詞華︶と呼ぱれたこともあったが、結局、日
の目を見ずに終った。しかし一八九一年にピエール・ルイスが創刊した雑誌﹃コンク﹄にはボール・ヴァレリーの近刊予定と
して、初めは﹃カルメン:・・スティクム﹄、後には﹃コールス:・・スティクス﹄の名前でこの詩集の出版が予告されている︵筑
摩書房刊﹃ヴァレリー全集﹄補巻−に収録されている一八九一年四月十六日付ピエール・ルイス宛書簡の註︵二︶参照。︶
︵16︶ Oo昌oぞ938①﹃ミ駄這㌔oミ§恥ミ博唱マ曽o。1舘O・
ヤ
︵17︶ 暁①ヨ亀㊦は﹁子を産む機能を持った性﹂の意で、封建法で﹁女性・女子﹂のことを指すのにこの言葉を使った。
︵18︶ O簿巴oσq房階一.oもoω三〇P㌔蟄ミ﹃ミ瓜遷勺嵐角塁貧匪げぎ夢8口o澤ま邑お甘。2霧U28けし89署・2占ド︵なお筑摩
書房刊﹃ヴァレリー全集﹄補巻−の一一二−一五頁に拙訳あり。ただし本論の訳はそれに手を加えたもの。︶
モ ワ
︵19︶ たとえば一八九〇年九月十四日付ピエール・ルイス宛の手紙に同封された自伝的メモ﹁己れ﹂の中に書かれている次のよ
うな一節はその間の事情を雄弁に物語っている。
ドグマ
﹁彼︹ヴァレリー自身を指す︺は美をその教条の一つとなし、﹁芸術﹂をその使徒たちの中で最も優れたものとなすこの宗教
を熱愛しています。彼はとくに自分だけの、ややスペイン的な、かなりワグナー的でゴシック的なカトリシズムを熱愛してい
ます。
ずは自分自身に対して正直であろうと願うがゆえにそう考えるのです︶。
では純粋に信仰そのものについてはどうなのか! 彼の本音は以下の通りです︵なによりも正直であらんと願い、それもま
内部にだ!
︽最も愚かな仮定は神が客観的に存在すると信じることである⋮⋮そうだ! 神は存在する、悪魔も然り、しかしわれわれの
︽われわれが神に対して示すべき崇敬とは、われわれが自分自身に対して払うぺき敬意なのだ。それは次のように解釈すぺき
︽要するに、神とはわれわれの個々人の抱く理想なのである。悪魔とはその理想からわれわれを遠ざけるものである。﹂︵卜匙,
セ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
事柄である。われわれ自身のカにより、われわれ個人個人の適性に根ざして﹁よりよい自分﹂を求めていくこと。
135
一橋大学研究年報 社会学研究 25
ミ動斜喝§ミ§やミ虜−℃やト。一占N曹︶
︵20︶ 国ミ織‘℃﹂高・
︵21︶9ミ馬落oミ§99蟄ヤミ無ざマ嵩9ほかに、アルベール・デュグリップ宛一八九〇年九月二十一日付︵ζミ象榔
︵22︶ たと、”九ぱ一八九〇年九月二十八日付フルマン宛の手紙参照。そこには自分の詩集を編むことに対する期待とためらいとが
喝§貯§恥,§防曽署﹄㌣望︶およぴジッド宛九一年三月二十七日付︵9ミ塁讐ミ§R9辞ヤミ駄蔓い署㍉㌣器︶参照。
微妙に交錯する矛盾した感情が吐露されているが、同時にマラルメの﹃エ・ディァード﹄に対する熱烈な思いが語られていて、
あたかも﹁このような詩が存在するかぎり、この詩がつきつけてくる問題を徹底的に考えることなしには、当面、詩集を編む
九〇年九月のルイスの手紙では﹁いつ完全原稿を送ってくれますか?﹂などとあるので、恐らくはヴァレリーがルイスに
おどかさないで下さい!﹂と書いているのは九〇年の九月二十二日付である。
注︵15︶参照。ヴァレリーがピエール・ルイスの手紙にこたえて﹁︽十一月に出版したら?︾えっ、なに! なんですって
=令=ひ︶
ことなど考えられない﹂という思いにヴァレリーがとらわれ始めているように感じられる。︵qoミ題噂§織§驚冥ミ駄遷㌔oミ§馬ミ”
︵23︶
℃℃・
︵24︶
?
具体的
に
﹃コールス.、・、スティクス﹄について語っている手紙が存在するものと思われる。ルイスとヴァレリーの間では﹁一
八九 〇 年 の 五 月 か
初 頭 ま で の 間 に
紙 が や り と り さ
ら
一
九
二
〇
年
九
百
通
以
上
の
手
れ
た
﹂
〇︵
〇ρ
民o昌客一=餌P﹁ミ警▽戚、萄ミ恥
トミ旨ぎqミ遣§㌧&ミ﹁ミ無ざ室鐸しミ。。︶といわれるので、将来二人の往復書簡集が出版されれぱもっと明確なことがわ
かる可能性がある。従って、ここでの分類は、あくまで便宜的な仮説にすぎない。
である︵鼻9ミ題憾§織§R﹃ミ駄鳶−ぎミ壽葺℃﹄お︶。この詩は一八八九年十月十一日の日付を持ち、ヴェルレーヌに捧げ
ここに列挙した詩の中で﹃コールス・、・・スティクス﹄詩篇として確認されているのは、最初にあげた﹃宗教復興﹄一篇だけ
られている。なお十一月九日付の手紙でフルマンはこの詩を批評している︵∼ミ斜毛’8−δo︶。
以下、各詩について制作年月日︵推定しかつかないものもある︶、また雑誌に掲載されたものについては初出年月日と雑誌名、
およぴ若干のコメントを付しておく。︵︶内の数字が順に﹁制作年月日﹂﹁初出年月日﹂﹁初出雑誌名﹂を表わす。雑誌名が
136
『テスト氏論』のためのメモ(21
ないものは未発表の詩︵ぎ置δである。
﹃世紀の奇蹟﹄︵o。P一〇﹄︶。異教的な野蛮で血なまぐさい世界に、﹁温和な﹂︵3員︶キリスト教があらたな時代の始まりを告
げるが。ことく登場してきたことをうたっている。八九年十一月二日付の手紙でフルマンはこの詩を批評している︵﹁終りの七
行で前置詞3器が六回も出てくる云々﹂9ミ恥落§§§恥﹁ミ駄遷㌔。ミ壽ミも●o。じ
﹃教会﹄︵o。O﹂o﹄︶。香のにおいや深い静寂、金銀あるいはダイヤ、ルピーなどの宝石で飾られたキリスト像や銀むくの体に
ったもの。この詩の最後の四行詩が八九年八月付のフルマン宛の手紙の中で自己引用されている。従って制作年月日は決定稿
カトヲノ
金欄のマントをはおったピザンチンのマリァ像が、壮重な薄暗がりの中で、神秘的な美的空間を形造っている教会内部をうた
﹃神聖なる姦通﹄︵不詳。しかし、ヴァレリーがルイスと識ってまもなくルイス宛に送った詩篇︵八九年の夏頃か︶の中の一
のそれであろう。
つにこの詩が入っていることから、少くとも九〇年九月までには作られていたことが推定される。︶夜毎、夫の肉の欲求をは
ねつけ、﹁恋する男の名﹂を寝ながら口ぱしる妻、それを聞いて夫は悲嘆にくれるが、妻の口ぱしる男の名は﹁イエス﹂であ
った。ビエール・ルイスはこの詩を友人のトスラ︵↓鍔脇R9︶の意見として、﹃夜のために﹄、﹃若き司祭﹄につぐすぐれた詩
だと評価している︵寓窪ユ目o&8ζ§寵切篭鳳魯b黛ミペミ鳳遷・やぐ︶。
﹃ミリァム﹄︵不詳。ただし﹃神聖なる姦通﹄と同じ理由で、遅くとも九〇年秋までには作られていたことが推定できる。︶ナ
ザレの女ミリァム︵マリァ︶を配して初期キリスト教徒の世界をエキゾティソクな色彩でうたったもの。注︵52︶参照。
﹃墓﹄︵不詳。﹃神聖なる姦通﹄およぴ﹃ミリァム﹄と同じ理由で、遅くとも九〇年秋までには作られていたことが推定でき
﹃月の出﹄︵o。Py塁、o。o﹂9一隷9ミミ塁§§︶カトリック的な修辞が顕著な︵8凶8名巴oヨ。葺巳oおoε蒜3凶昼9言−
る。︶なおこの詩については次項“の記述を参照のこと。
︵o艶富ミ跨勘喝§ミミ恥−§孕℃℃■OムO︶
辱巴昼98暴oFぎ呂oo8︶﹁女のように甘美な夜﹂︵︽⋮寅善律39。8昌ヨ。⋮。盆ヨ日。︾︶の月の出をうたったもの。
137
一橋大学研究年報 社会学研究 25
﹃神秘の花﹄︵〇一・一・一bロミミき魯ミ鴇。亀ミ暁§鷺慧唖ミも魯偽鳳ミ§鶏ミ恥譜ミ。ミ冨ミミ︶この詩の制作年月日は不詳であるが
八九年十一月九日付の手紙でフルマンはこの詩を批評している。フルマンは﹁これも﹃月の出﹄と同じジャンルの詩だが、心
。。O︶。神秘の花︵百合︶にたとえられる処女の純潔の美しさを描いて、その姿を目のあたりにしている詩人が最後に﹁自分がこ
リ ス おとめ
の感動を宗教的感興へ転換して示す同じ術に今度も深い感銘を受けた﹂と書いている︵9ミ馬落§亀§ミ﹁ミ駄遷㌔。ミ§糞P
の神聖なる夢の︹対象たる︺キリストでないことがいかにも口惜しかった/なぜなら彼女の白い顔はオスチヤ︵聖体パン︶の
ようだったから﹂︵︽卑。.婁臼σ<β聾け22。認﹃簿馨く葺壱。2δ5欝ω一Φ9冴ε9段曾。急くぎ堕\9二8<羅碧
Bぎ傘聾8ヨ唐①琶①び8仲一巴︾︶とうたうもの︵9ミ馬落§§§馬﹁ミ駄遷−寂ミ§恥ミ一や田ご。ただし、フルマンが批評して
いる稿ではみ話色く冒が餌ヨo弩色くぎに、また最終行が︽ω9≦。。品o巽聾目o忌一。β﹃α、ぎ毘畠となっている。なおプレ
であろう。︶
イヤード版の後注に引用されている︵や賦。。。︶同詩のテクストがの9募甜①ではなく、ヨ8<置囎となっているのは誤植
﹃若き司祭﹄︵8㍉﹂乏8・巨・鼠卜R、ミ§馬︶
﹃光輝﹄︵2﹂ト、専§疑お鵯︶制作年月日は不詳であるが﹃ラ・プリュム﹄誌に﹃暴行﹄と﹃若き司祭﹄を送ったとルイスに告
﹃甘美なる断末魔﹄︵8﹄﹂い密﹄﹂90§喚§︶以上の二篇の詩については本論の記述参照。
白している九〇年十月初旬に書かれたと推定される同じ手紙の中で﹁それから最後に﹃エルミタ⋮ジュ﹄誌に﹃光輝﹄と﹃白﹄
カトヲン ノポワヒル
あるいは﹃神聖なる姦通﹄のいずれかを送った﹂︵寓窪ユ竃o&8勺惹8亀馬臥誉﹃ミ駄遷”℃﹂象︶と書いていることから、少く
グラこル
とも九〇年九月までには作られていたと推定される。︽聖杯︾と純潔の処女とを重ねあわせたワグナー的世界を思わせる詩で、
書きだしの四行詩﹁聖杯のごとく純粋に美しくあれ/宥鰹の下で撤香された金の聖体器の.ごとく/そしておまえの光輝を秘密
。一びo幽﹃oα、o﹃g8塁ひωo霧琶容ヨp\卑σqp巳o貫㎝一︶一〇区①賃8旨日。暮貸診R器RΦミ↓冷ω一〇ぎ9ぴ巴器二営<og隷け﹃誘雪叶α。
の宝物のように/男の獣のような械らわしい接吻から遠く離しておけ﹂︵︽ω身σ亀①ヌおヨopけ8ヨ∋¢巨く霧o墨o昼鳶。一目
亭oヨ目。︾︶が印象的である。
︵25︶ ﹃海﹄︵o。P一ρδ︶、﹃船﹄︵o。o﹂一・o︶、﹃真昼の港﹄︵穿ooo︶。
138
『テスト氏論』のためのメモ{21
以上の三篇のうち﹃海﹄と﹃真昼の港﹄は叙景歌。八九年十月二十四日付の手紙でフルマンは﹃海﹄を批評している︵9ミ辱
慧ミ§R冥ミ鳳遷㌔oミミ糞署、8∼8︶。﹃海﹄は真昼の太陽の垂直な光線を浴びた海から、沖の波が﹁神の凝視の下の聖な
る蛇のごとく﹂︵︽Ooヨ昌①目紹弓Φ茸。。8審8ま一.9出穿①α、巨U凶窪︾︶うねり、やがて夕陽に赤くそまり、夜の帳が下り、
小さな無数の光をきらめかせながら﹁黒い喪服の美女﹂︵︽﹃ぴ亀。鎧R曾Φのoヨ耳①︾︶のごとく涯しなく広がるさままでをソ
ネットにうまくうたいあげている。
﹃船﹄には一種のエキゾチスムが顔をのぞかせている。遠い船旅から戻る自分は心に彼の地にのこしてきた女の名前、声のひ
軽い悲哀を含んだ小唄風の詩である。
ぴきを忘れられずにいるが、船は太洋をいくら渡っても後に痕跡をのこすでなし、過去に対する記憶を持つわけでもない、と
︵26︶ そもそも、この﹁ボードレール風のソネット﹂という分類項目自体が問題かもしれない。ボードレールとヴァレリーの間
には、詩人としての感性・想像界のありようという点では本質的な親縁性は認められないように思われるが、ある種の詩句の
作り方、うたわせ方とでもいうぺきところで、初期に、かなりの影響が認められるように思う。カトリシスムという点でもつ
ながりがあるかもしれない。古くは、ナダルが発掘した﹃孤独﹄︵八七年作と一応推定されている︶とか﹃夢﹄︵兄ジュール・
ードレール的である。
ヴァレリーがマルセイユの雑誌評ミ恥隷ミ恥ミミミ§恥に送り、恐らくヴァレリーの詩で活字になった最初の詩︶もかなリボ
署,o。軌∼o。刈︶。猫という動物に不思議なエロティスムとミスティシズムの混濡を見ているところ、また若干のイマージュと言葉
﹃白猫﹄︵o。Po﹄ひ︶八九年十一月二日付の手紙で、フルマンはこの詩を批評している︵9ミ恥落§織§驚﹁ミ聴¥肉oミ§恥糞
使い︵︽⋮房o艮一民一の雪目ひ3♂目>日臭寓39﹃α、琶9ま890⋮︾にたしかにボードレールの詩のかおりが感じられ
﹃白鳥﹄︵o。o﹂oひ︶八九年十一月九日付の手紙でフルマンはこの詩を批評している︵Gミ§落。ミ§驚冥ミ瓜這−ぎミ§§さ署。
る。ただし全体はまぶゆいぱかりの白の世界で、ボードレ!ル的憂彰とか倦怠の雰囲気とは異質な世界のように思われる。
テ ル ヤ
o。刈∼o。O︶。しかし、フルマンの批評の対象となっている詩はプレイヤード版﹃作品集﹄第1巻の後注に収録されている詩とは
後半の三行詩二連がまったく違っている。そのことは、この詩をヴァレリーの白鳥主題系の一環として重視している清水徹氏
139
一橋大学研究年報 社会学研究 25
も論文﹃ナルシスの出発﹄で認めておられるが、疑問が残るのは、パリ国立図書館草稿部に所蔵されている旧詩稿︵Uo裟R
︽<①お>蓉凶①霧︾︶中の浄書稿も、句読点の違いは別にすれぱ、﹃作品集﹄後注のそれと同じであって、日付が八九年十月五日
となっていることである。先のフルマンの批評はそれからほぼ一ヵ月後の十一月九日のものであるから、フルマンは一体どの
詩稿を読んだのか。
フルマンの批評文からうかがわれる﹃白鳥﹄は、たしかに、有名な﹃悪の華﹄の八十九番目の詩︵アンドロマックと白鳥と
の観念連合が古い界隈が消え、変貌していくパリの街をめぐって展開される︶に触発されたようなところがある。明るい陽光
と木々の枝の揺れる下、まっ青な水面を純白な雪の塊のような白鳥が微風にすぺっていき、やがて苔むした岸辺にたどりつく
と、そこで清らかな光を全身に浴ぴて眠る。そしてそれがかつての・ワール河の王達の栄華と彼らが育くんだ芸術に対する思
いへ誘うというのである。もちろんボードレールの﹃白鳥﹄はソネットではなく、ずっと長い詩であり、展開される詩の世界
もこの﹃白鳥﹄のような透明清澄な調和にみちた世界ではない。従ってボードレールとの関係は.こく表面的なものでしかない
が、それでも決定稿と比べれば八十九番の詩との構造的な類似を指摘できよう。
決定稿の三行詩二連は、それに比ぺて、すっかり観念的になり、象徴詩風になっている。その意味でも八九年十月五日の作
というより、もっと後になって手を加えたものではないかと考えてみたくなる。自分の無垢な羽の上に、朝の光の接吻を受け
ながら、白烏は天の岸辺へ逃げる、そして、そこで﹁愛﹂と﹁処女性﹂とが﹁永遠﹂のうちに溶け合う︵器8議9身。︶という
からすれぱ前出の﹃光輝﹄とか、この後の﹃不安な処女﹄﹃肌着の女﹄などにも一脈通じるところがあり、少くとも決定稿も
のが決定稿の変更部分の意味であるが、技法上のみならず、意味的にも八九年十月の作とは思いにくい。純潔への強い志向性
世界とのつながりも指摘されてしかるぺきと思われるが、これ以上に詳しい検討は今後の課題としたい。
少し後になって手を加えたものではないか。また白鳥と処女の純潔と永遠ということならばワグナーの﹃・ーエングリン﹄の
︵27︶ ﹁エレディァ風のソネット﹂という分類についても注︵26︶の冒頭で述べたことが留保としてあてはまるであろう。一般
に初期のヴァレリーの詩作品におけるエレディアの影響は、詩の技法的な側面とある種の絵柄に対する好みという側面の二面
にわたるものと思われる。ただしエレディアという詩人が本質的に持っている博識・学殖という側面はヴァレリーにはないの
140
『テスト氏論』のためのメモ121
で、エレディアとのつながりも意外に底の浅いものであるかもしれない。ただし、ボードレールがその本質において真似よう
のない詩人であって、ボードレール的な詩はすぐれたパスティッシュにすらならないところがあるのに対して、エレディアは
どちらかというと真似しやすい詩人1もちろんエレディァの完成度は高いのであくまで模倣・模作のレヴェルの話としてで
の好個の例の一つが﹃皇帝の行進﹄︵o。O﹂一﹂−富○ミミ琶ミ趣ミ恥︶である。
あるがーである。その意味で、ヴァレリーにもエレディアのパスティッシュとしてすぐれたものがあるように思われる。そ
︵28︶ もちろんこう言ってしまえぱ、﹃コールス・ミスティクス﹄所属の詩篇中にも﹃秘密の花﹄や﹃光輝﹄のような詩、また
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
ボードレール風のソネットの中に分類した﹃白鳥﹄も、主題的には、ここに分類されてもおかしくないであろう。
﹃夜のために﹄︵8﹂o卜9肉黛ミ恥﹄ミ奪§§ミ恥︶
﹃暴行﹄︵8﹂一﹂怠9、ミ§︶︵以上二篇については本論の記述を参照︶
に生育する﹂︵︽呂象薯象2窃一務αq馨・q誘Φ算窪毘聲8︾︶が九〇年九月二十八日付フルマン宛の手紙の中で自己引用さ
﹃不安なる処女﹄︵〇一﹄﹂.99ミ§︶制作年月日は不詳であるが、この詩の最終行﹁そこには清らかな百合が沈黙のうち
れていることから、その時点ではすでに作られていたと推定される。ソネット﹃ナルシス語る﹄と制作年月日が近いせいか、
詩の背景をなしている世界が似ている。因みに讐色2①︿要盆霞だから、﹁性的董恥心を持った﹂意で、ここでは純粋な愛の
ピうアイック
易揚感・至福感をうたっていて、肉的な邪念の侵入を拒絶しているのである。﹁清らかな﹂とはその意味である。この詩がう
︵29︶ 九〇年夏に二篇の裸婦が描かれたのは偶然であろうか。
たっているものは、後の﹃友情の森﹄などの精神愛の世界に通底するものであろう。
﹃肌着の女﹄︵8・o。﹄o。︶︵以上二篇の詩については注︵34︶参照。︶
﹃水浴するみだらな女﹄︵8,丼8︶
がある。
この系列にあるものとして﹃波から出て来る女﹄︵8﹂卜﹂﹂−鳴ミミ誉きN、﹄鴇8旨職§鷺惑唖ミ恥織塁臥ミミ§童竃96①臣角︶
︵30︶ ﹃わかるかい?﹄︵8﹄︶二の系列に入るものとして﹃友情の森﹄︵8︾罫9言§ただし書かれたのは九〇年十二月︶が
141
一橋大学研究年報 社会学研究 25
︵31︶㈲はヴェルレーヌを念頭において書いた﹃哀れな詩人の最後の思い﹄︵8●。。薗冨︶、ヴェルレーヌの﹃詩法﹄を思わせる響
ある。
を持つ﹃友の忠告﹄︵九〇年の作とだけわかっている︶およぴp・O・ヴァルゼールがレニエとヴェルレーヌの響を持つと評す
はじらい ブヲソ
る︵コ震挙9三段≦巴困﹃”卜麟ヤ鼠蕎魯冥ミ転蓮一型Rお9≡90曾曾oしo郵マ霧︶﹃水の上﹄︵制作年月日不詳︶。ただし
九一年四月二十九日ルイス宛の手紙にある﹃水の上の蓋恥﹄がこれだとすると一緒に引き合いに出されている﹃白﹄が九〇年
思われる。
秋の作と推定されるので、同じ頃の制作かもしれない。ヴェルレーヌとヴァレリーは案外感性的に通じるところがあるように
︵32︶㈲﹃白﹄︵8・這卜、肉§§題︶題名通り白が支配する幻想的世界である。細い月の投げかける真珠色の光、軽い銀色の布
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
ヤ ヤ ヤ ヤ ヘ ヤ ヤ ヤ ヘ ヤ ヤ ヤ ヤ
ヤ ち ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ
地のスカート、象牙の階段、少女の真珠色の肌その体をぴったり包む真珠色の薄紗、悲しげな白鳥、百合の花、雪のように
︹白い︺バラ、白い蛇たちのように体をよじる波、エゾイタチと水晶をはいた足、銀河とすぺて白である。
ヴァレリーの初期の詩を色彩で考えるなら、赤の時代︵エレディァのソネットに代表される︶、白の時代、そして青から黒
︵33︶ ⑥﹃食事﹄︵o。PP8︶
の時代︵﹃ナルシス語る﹄︶へと移っていったと言えるかもしれない。
︵34︶ ﹃水浴するみだらな女﹄は、はっきりと、性的な接触を軽蔑する女として描かれている︵︽漂3酋・窪器B窃pヨ②昌仲雷露α窃
一〇目窃碧霧一〇ξ置9島巴︾︶し、﹃肌蒼の女﹄も最後の三行詩で、一瞬、狼褻なイメージが喚起されるが、結局﹁愛撫の織
細で喜ばしい儀式は明け方まで待とう﹂と行為は意味深長に延期されてしまう︵︽蝉5&o屋甘超口”粋陶.磐σP帥耳o一幕日窃
︵35︶ たとえぱ、後でみるように、﹃若き司祭﹄などがその好個の例である。
↓o区﹃窃器の、OPヨp冠<30⊆≦一養α8勾o脇。のごユ窪。ワ鵠戸o葺①念一凶。簿¢け一〇k①長α80竃①器。㎝■︾︶
︵37︶ というのは、八九年十月二十一日付と推定される︵手紙の末尾に﹁あと二十四日経ったら﹂除隊になる意味の二とが書い
︵36︶ =魯コ冨c民oき勺惹Sミ鳳§﹃ミ専︶、”7濫o。’
てあるので逆算すると十月二十一日となる︶アルベール・テユグリップ宛の手紙の中で﹁﹃ラ・プリュム﹄誌は一月に応募料
142
『テスト氏論』のためのメモ(21
一・五〇フランでソネットのコンクールをやるという広告をだして、応募作品は全部掲載するなどといっている。これなんか
どい話だ﹂︵9琶£器魯一、賃宕鐸δPヤ畠ミ﹁ミ鳳遷博惹肉簑♪マ乙︶とヴァレリーが書いているからである。しかし、実際
いくらかでも自分の存在に誇りがあり、自分の書いたものに差恥心というものを持っている者には胸がムカムカするようなひ
問い合せに対しては﹁あんなコンクールにひきずりこまれて嘆かわしい。僕は応募するつもりなんかまったくなかった。そ
には、十一月十五日の同誌増刊号には二篇のソネットが応募作品として掲載されている。それを目にしたパリのルイスからの
国o&B等魯8慧魯頻ミ駄遷一マ嶺o。︶。ヴァレリー一流の轄晦か、それとも言葉通りに信ずるぺきか判断のつきかねるとこ
の証拠には応募料なんて払っていない。それなのに彼らが勝手に掲載してしまったんだ﹂という言い訳が書き送られる︵軍
ろであるが、いずれにせよ、この時期のヴァレリーは自作をさまざまな雑誌にさかんに送りつけているので、ヴァレリーの批
︵38︶ =9ユ冨o昌αoき㌧憤魯8慧魯﹃ミ駄遷闇℃■まO
判や言い訳もその分いくらか割引いて解釈すべきであろう。
︵η︶ ﹃エ・ディアード﹄の︽O邑§凶=︾から︽⋮⋮8きE騨自鼻全︾までの八行と、﹃牧神の午後﹄の三行︵︽≧o屋覧曾亀−
一R巴山①⋮、:・、・:一、ぎσq曾鼠ま︾︶。
︵40︶ 。n9﹃一■℃■尉震眠oきペミミ冥衷ミミ脳ミ§駄、誤餐、§、。。℃。。︸や頴●およぴ=o目一冒o&oきト.鴫恥ミミ鴇憧§8ミミ魯﹁ミ転蔓
ミ魯ミミ馬ミ§魯い帥O鉱ざΦαロごく﹃Pい卑田p口器︸むミ”やNP
︵41︶ 卜馬ミ器翫喝§ミ§㌣曲ミ9℃■一〇■
︵覗︶ ヴァレリーがマラルメのどんな作品を知っていたかについてはモンドールの﹃ヴァレリーの早熟﹄およぴ注︵40︶に掲げ
た研究書によっておよその見当はつけられるが、日付が明確な証言は一八九一年二月一日付ジット宛の書簡で﹁僕がマラルメ
ァード﹄については、﹃さかしま﹄の中に出てくる断片とルイスが送ってくれた︽O葺o.oω磯宕鶏目旦宕日日oε旦Ψから
の作品で知っているのは﹃牧神の午後﹄︹⋮︺と﹃窓﹄﹃花々﹄などのいくつかの詩と四つのソネットなどです。﹃エ・ディ
ある。
︽寓碑o色&o貰巳田﹃↓品帥﹃q3色pヨ婁什・︾までの詩行です﹂︵9ミ恥落。ミ§RO幾や﹁ミ鳳礎’やお︶と書いているのが唯一で
143
一橋大学研究年報 社会学研究 25
なお9巨品話留一、①巷Oω三〇P㌧随ミ﹃ミ臥遷㌧嵐−ご讐一亜窪098毒一叢魯巴器冒β自oωUo竃卑の一一五番︵やa︶にマ
ラルメの﹃詩と散文﹄︵臥∼ミ§籍﹁ミ防象誉、ま蜀Z8<亀。ひα三9︵oo¢或①目oヨ三〇VI℃畦旦ダく彗剛R︶があり、そこ
フアスイキユル
にヴァレリーの筆蹟で﹁わたしが初めてS︹ステファンヌ︺・M︹マラルメ︺の有名なソネットを読んだのはこの三スー︹15
サンチームに相当︺の分冊子によってである﹂と書かれていることを考え合せると、ジッドに手紙を書いている時点ではこの
﹃吐息﹄象尽受、﹃聖女﹄句&ミ馬の諸詩篇、﹃秋の嘆き﹄ミミミ恥織、自ミ。§§、﹃冬の戦標﹄、ミ鴇§駄、ミ曽ミ、﹃栄光﹄卜a曵o㌣恥、
分冊子を所有していたと推定される。とすれば九一年二月一日の時点でその分冊子に収録されている﹃海の微風﹄鳴ミ恥恥ミミ焼§、
﹃白い睡蓮﹄ご≧警尽添ミミ§“の諸散文詩を読んでいたと思われる。このことは﹃ナルシス語る﹄の推敲およぴそれに関連
した交響的作品の構想と時期が重なるので重要である。
なおフルマン宛の手紙については9ミ偽落§織§R冥ミミ¥きミ§糞毛﹂嶺占罫参照。
︵43︶舞Gミ§落§叙§驚9号叉ミ無8や密およぴ浮昌冒o区8ぽ㌣§融ヤ馬ミミ暁§ミミミ慧知ミ踏ざぎ等ミ﹃ミ聴疑
ミ憲ミいO聾8閉9一〇〇一﹄9む&一℃マお1象.
︵45︶ ﹄ミ縞‘やNo。.
︵44︶ 驚ミ跨織崎§貯ミや§3℃●。ρ
︵46︶ ポーが前面におしだされていることも﹃文学の技術について﹄と同じであるが、ワグナーについての言及はなく﹁この名
前を聞くだけで小生の﹁詩法﹂がいかなる種類のものであるか充分御推察いただけるものと思います﹂とあるのは、ポーの詩
︵47︶ 降ミ象秘喝§⑤ミ摯ミ誤噂℃●NP
の翻訳者としてのマラルメを意識してのことであろう。
︵48︶ルイス宛一八九一年一月三十一日付の手紙でヴァレリーは﹁とにかく手持の二篇の詩を同封しますが、これですぺてです。
﹃断末魔﹄と﹃不安なる処女﹄。﹂︵9巨Ru雪一く包①蔓一”O毘首賀ρ這弼マ路・︶と書いているので、制作年月日は九〇年七
月三十日となっているがそれまでピエール・ルイスにも見せていなかった詩であることがわかる。
︵49︶ 中天にさしかかった正午の太陽︵一〇ωo亙=ヨぢoσぎ︶、墓石と鳩︵8一〇ヨσ8︶、死者の眠りと墓地の花々・蜂たちの生気
144
『テスト氏論』のためのメモ(2〕
にあふれた賑いとの対比、魂の舞踊︵︽■窃かヨ窃く巴器鼻8ヨヨΦ⋮o。。。ゆ繊ヨ三〇且︵一、帥びo自鵠︾︶など、見方によっては、﹃ナ
ルシス語る﹄の原型のソネットとその後のナルシス諸詩篇との関係に似たものが、﹃墓揚﹄と﹃海辺の墓地﹄の間にも認めら
テ ル セ
﹃甘美なる断末魔﹄は九音綴の三行詩が四連と一行からできている。
れよう。
︵50︶
寓魯ユ冒oコαoント恥㌧§§魯鳩肉ミ§、帖§・ミミヘミ§瓢−﹁ミ専ド冒りp巳く巴ひ曙≦くp茸”マ$.
G“ミミ、aミ﹁ ミ 瓢 遷 ご ℃ 、 a 9
﹃葬りの微笑﹄については、このあと﹃ナルシス語る﹄を扱う項で詳しく検討する。
9裳ミ3㌍マ誤 o o い な お 訳 は 大 意 で あ る 。
国ミド問題の一行半の詩句とは︽国日R器留戸Φ﹃日℃旨o﹃ひ計律窪h2壼拐一、げRぎo言呂9︾ のことであろう。
︵51︶
︵52︶
︵53︶
︵54︶
︵55︶
145
Fly UP