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ノックしても開かないドア

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ノックしても開かないドア
一般社団法人 パーソナルサポートセンター
中間就労支援部長/企画調査室長
菅野 拓(すがの・たく)氏
生活支援部長/総合相談センター長
佐藤 圭司(さとう・けいし)氏
震災で生活が一転し、路頭に迷う人は少なくない。そういう人たちの生活に
関する相談から、新たな職を得るまでの支援に取り組むのが、一般社団法
人 パーソナルサポートセンターだ。既存の行政サービスだけでは対応しき
れない困窮被災者の問題を少しずつ解決するために、段階ごとに組織と事
一般社団法人パーソナルサポートセンターのオフィス。路上生活から実際
に仕事をするようになるまで、センター内で連携してトータルにサポートし
ている
業をつくり、陰で支え続けている。
ノックしても開かないドア
震災の8日前、2011年3月3日に設立された一般社団法人 パーソナルサ
ポートセンター(以下、PSC)。もともとは、第185回臨時国会で再審議された
「生活困窮者自立支援法案(当時、パーソナルサポートモデル事業)」につな
がる人材育成を中心とした試験的な事業を仙台で行なうために、ホームレスの
支援団体の理事長や仙台弁護士会の有志などが立ち上げた組織だ。
ところが設立直後に震災が発生する。緊急支援として物資の供給を行ない
つつ、仙台市内の10以上の支援団体が集まり、仮設住宅の完成後を見据え
た支援策を考えた。同年3月末には早くも宮城県や仙台市に提案。その提案
は同年6月1日にスタートし、今も同趣旨の事業が続く「仙台市 安心見守り協
働事業」として実を結ぶ。
一般社団法人パーソナルサポートセンターの菅野拓さん(左)と佐藤 圭司さん(右)。2人
は震災前からの知り合いだが、「こうして一緒に仕事をするとは思わなかった」と言う
これは仙台市内に点在する仮設住宅(見なし仮設含む、12エリア・約650世
帯)を巡回し、被災した人たちの心のケアと生活のサポートを行なうもの。巡回するのは「絆支援員」と呼ばれる人たちだが、その人たち自身も緊急雇
用された被災者だ。専門知識がないため、最初の2週間はみっちり研修を受け、その後も外部研修を受講しながら、自死や孤独死を防ぐために仮設住
宅を毎日訪問している。
しかし、最初からうまくいったわけではない。「約束して行くわけではないので怪しまれるのです。ノックしてもドアは開けてもらえませんでした」と振り
返るのはPSCの生活支援部長と総合相談センター長を務める佐藤圭司さん。絆支援員の仕事は仮設住宅の人たちに顔を覚えてもらうことからはじ
まった。
毎日根気強く訪ねる。安心感を与えるために男女のペアで訪問する。そうした気遣いもあり、徐々に信頼が生まれ話せるようになっていく。「最初は
苦しい胸のうちを尋ねる傾聴からはじめました。今はその次の段階となる『生活の再建』です」と佐藤さんは言う。
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生活を立て直す「伴走者」として
「生活の再建」は見守りだけでは前に進まない。しかもPSCには困窮状態に
陥った、既存の行政サービスだけでは対応が難しい人たちが集まる。障がい
を抱えている、震災をきっかけにホームレス状態になったなど、被災者の中で
も特に辛い状況の人たちが多いのだ。
PSCの中間就労支援部長・企画調査室長の菅野拓さんは「私たちがサポー
トしているのは、支援の手が届きにくい人たちです」と語る。だからこそPSCは
段階的に事業を立ち上げてきた。
前述の①仙台市 安心見守り協働事業のほか、②コミュニティ・ワークサロ
ン「えんがわ」、③就労支援相談センター「わっくわあく」、④中間就労支援事
業「カフェ クオーネ」、⑤総合相談センター「わんすてっぷ」、⑥就労準備支援
センター「わあくしょっぷ」、という6つの事業を行なっている。
仙台市 安心見守り協働事業の次にPSCが取り組んだのは②コミュニティ・
ワークサロン「えんがわ」だ。仮設住宅のそばにスペースを設けて、使用済み
のろうそくなど廃棄される前の残蝋(ざんろう)をリサイクルしたキャンドル、リボ
ンレイ(ハワイアン・クラフト)のストラップなどの手づくり商品を販売し、売上金を
分配する被災者向けの「生きがい就労」の場である。利用者は371人、参加延
PSCの困窮被災者等の生活再建支援の取り組み
べ人数は3,000人以上にのぼる。「えんがわ」とは「縁が輪のように広がってほ
しい」との思いで付けた名前だ。
被災者の相談に乗りながら就労までのプログラムをつくり、その人に合った仕事を探すのは③就労支援相談センター「わっくわあく」。「『サポート付き
のハローワーク』をイメージしていただくとわかりやすいと思います」と菅野さん。無料職業紹介事業所である連携団体のNPO法人ワンファミリー仙台を
通して、仕事の斡旋も行なえるしくみにした。
実は、被災者の中には、仕事探しよりも債務整理が必要な人、認定されてはいないものの障がいがあると思われる人などが少なくない。すぐに働き
出すのは難しいため、PSCはインターン制度を取り入れた「職場体験実習」を仙台市とつくりあげた。次の就労へのステップアップにつながるしくみだ。
2012年6月にスタートし、2013年9月時点で352名の相談者のうち150人が正社員、契約社員、パート・アルバイトなどの職を得ている(就労決定率
42.6%)。
女性のための就労訓練の場として④中間就労支援事業「カフェ クオーネ」がある。パンケーキをメインにした喫茶店で、生活上の困難を抱える母親な
ど働きづらい状況の女性たちがトレーニングを積んでいる。
⑤総合相談センター「わんすてっぷ」は、佐藤さんいわく、「いちばんしんどい状況の人たち向けの事業」。PSCの連携団体がもつシェルター※を用い
て、ホームレスにならないよう対応している。
⑥就労準備支援センター「わあくしょっぷ」では、PCスキルの獲得、就職活動にむけた講座、農作業などで生活のリズムを整えるなど、就労のための
準備トレーニングを行なっている。
すべてに共通するのは、「個人を大事にして、寄り添って、PSCの組織の中でつないでいくことです」と佐藤さんは語る。
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負の連鎖を食い止めるために
路上生活の脱出から、実際に仕事を得て生活を立て直すまで、トータルにサポートして
いるPSC。そのしくみをフルに活用して就職した例が生まれている。
例えば「家がない」と相談に来た30代後半の男性。まずは一緒にアパートを探して生活
保護も申請した。「わあくしょっぷ」でポスティングなどを経験し、就労に備える。次に「わっく
わあく」の職場体験実習を活用。すると受け入れ先の社長が男性の働きぶりを認め「新た
に出店する蕎麦屋を任せたい」とその男性が誘われた。メニューや味まですべて任され
て、今も店長として奮闘している。PSCへ相談に来てから3カ月半で男性は自立した生活を
取り戻した。
高校卒業以来、20年間引きこもっていた男性の例もある。父親が「わっくわあく」に来た
が、仕事よりも先に外に出ること、人と会うことが必要だと諭し「わんすてっぷ」で対応。
ホームレス支援の炊き出しから人々とふれあい、「わあくしょっぷ」で就労準備を行なう。今
就労までのプログラムをつくり、適切な仕事を探す「わっくわあく」。父親が
相談しているあいだ、幼い息子の面倒はスタッフがみていた
は介護系施設で「わっくわあく」の職場体験実習中だ。
「目を合わせることさえできなかったのに、今では手を振ると小さく振り返してくれます。スーツを着て歩いていく姿を見ていたら涙が出そうでした」と微
笑む佐藤さん。PSCが成し遂げようとしているのは、このような「伴走型の総合支援」だ。
「ようやくかたちになりつつありますが、まだまだスキマだらけです」と菅野さんは謙遜するが、着々と手は打っている。次はシニアと若者ワークセン
ター「こらぼ」がスタートする。引きこもりや不登校など生きづらい状況にある若者に社会経験豊かなシニアが寄り添って一緒に現場に行く。若者は就
労のためのトレーニングになるし、シニアは社会貢献に携わることになる。また、父子家庭のサポートも行なっている。
佐藤さんが最近気になっているのは、「わんすてっぷ」を訪れる西日本の人が増えていること。「復興の仕事があると誘われて来たが仕事がなくホー
ムレスになった」、あるいは「復興の仕事をしていたがケガをして解雇された」など。この人たちも被災者といえるだろう。
こうした予期せぬ事態も起きるなか、PSCは他団体との連携を深めている。生活相談・貸付事業を行なうみやぎ生協、低所得家庭の子どもたちの学
習を支援するNPO法人アスイクと共同事業体をつくり、貧困という負の連鎖を止めようとしている。
私たちに協力できることはあるだろうか。菅野さんは「震災や都市問題の裏側には、辛い状況に置かれている人たちがいる。それを知っていただくこ
とです」、佐藤さんは「職場体験実習など受け入れ先になってもいいという企業・団体はぜひ連絡を」と語った。
1人ひとりに寄り添う伴走者を、組織として実現させようとするPSCには、他の機関では対応できなかった人が来ることが多い。「私たちは『最後の受
け皿』という意識でやっています」という菅野さんの言葉が心に響いた。
※シェルター 一時的に保護するための施設。定員8名の共同生活で、食事、下着、靴下等を無償で提供している。民間シェルターとして、2009年に開
設以来、入居希望者が途切れることはなく、なくてはならないセーフティーネットになっている。
2013年10月取材
(C)Tohoku-Electric Power Co.,Inc. All Rights Reserved.
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