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「ひと切れのビフテキ」試案(2007年5月12日、芳川、PDF

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「ひと切れのビフテキ」試案(2007年5月12日、芳川、PDF
トム・キングの敗因とロンドンの死生観の変化
芳川
Ⅰ
敏博(京都府城陽市)
はじめに
「ひと切れのビフテキ」という作品(1909)はジャック・ロンドン
(1876−1916)の死生観の変化や現代の高齢化社会の在り方を考
えるうえで大変重要である。主人公のトム・キングは若い頃はプロボクシ
ングのヘビー級チャンピオンであったが、40歳になった今は若いボクサ
ーに最終的にノックアウト負けになってしまう。キングは敗因がひと切れ
のビフテキも食べられない貧困にあると述べているが、もっと決定的な原
因は老化であろう。
「若さ、強さ、豊かさ」というアメリカ社会の価値観の中で、キングは
名前の通り若い時は、まさに王様で老ボクサー相手に連勝を重ね、相手の
身になって考えることや負けることなど考えられなかった。老ボクサーに
なったキングは、それら全てを失ってしまった。空腹感や体力の衰えから
試合に負けることを予感しながら、経験と知恵を生かし相手の油断をつき、
食べるものがない妻と2人の子供のために試合に勝利し、ひと切れのビフ
テキを買うお金を得ようとする人生の悲哀がボクシングの試合を通して
リアルに描かれている。試合に負けることは、自分自身だけでなく、家族
の死をも意味しているので、緊迫感が作品全体に漂っている。
ロンドンは主人公のキングを通して、人生と死を考えている。ロンドン
自身もプロの作家になってからは、とんとん拍子で豊かな生活を手に入れ、
肉体をさらに強くしようとボクシングも行ったようである。しかし、チャ
ーミアンと再婚をし(1905)
、
『スナーク号』で航海に出た時(190
7)がロンドンの人生の中で絶頂期であった。しかし、1908年に航海
を続行して病気になり、オーストラリアに滞在することになったのが、ロ
ンドンの人生の転換期であった。ロンドンはこの病気により、老化を感じ
始め、精神的にも悲観主義になり、人生観・死生観が180度変わった。
その翌年の1909年には「ひと切れのビフテキ」と、自伝小説『マーテ
ィン・イーデン』を書いている。この自伝小説の3分の2ぐらいまでは、
マーティン・イーデンの成功物語が描かれているが、残りの3分の1は絶
1
望を感じていく過程である。「ひと切れのビフテキ」はロンドンが33歳
の時に書いたが、7年後の40歳で亡くなっている。主人公のキングが同
じ40歳で実質的な死を迎えているのは、はたして偶然だろうか。このよ
うにこの作品を丹念に読むことによって、プロボクサー・キングの本当の
敗因だけでなく、ロンドンの死生観の変化を知る大きな手がかりになる。
Ⅱ
貧困
主人公のトム・キングは食べるものにも困るほど貧しく、彼に全面的に
依存する妻と2人の子供がいる。その様子をロンドンは作品の最初に次の
ように述べている。
「トム・キングは、パンの最後のひと切れで小麦粉ソースの最後の一滴まできれ
いにふき取ると、ようやくひと口分になったものを、ゆっくりと瞑想にふける
ようにかんだ。テーブルから立ちあがった時、彼はまぎれもない空腹感に悩ま
された。それでも、彼だけは食事をしたのだ。もう一つの部屋にいる二人の子
供たちは、眠れば夕食ぬきだったことを忘れるだろうと、早くから寝かしつけ
られていた。彼の連れあいは食べ物には、何も手をつけず、黙ってすわって、
心配そうなまなざしで夫を見守った。労働者階級の、やせてやつれた女であっ
た。」
74ページ
また、キングだけでなく、オーストラリアは不景気であった社会的な
問題があった。
「トムは朝起きた時、ビフテキを一枚食べたくて仕方がなかったが、この欲望は
いっこうに減ずることがなかった。それというのも、きょうの試合のための十
分な練習をやっていなかったからだ。この年、オーストラリアは旱魃に見舞わ
れていて、不景気で、ちっとした臨時の仕事でさえ見つけるのは厄介なことで
あった。彼には練習相手もいなかったし、食べ物も一番上等のものでもなく、
また、いつも十分というわけにもいかなかった。」
78ページ
老ボクサーのトム・キングが以上のように練習相手もいなく、十分な食
べ物を食べられないほど貧しいために体力的に非常に不利な状態でボク
シングの試合に出かけていく心境を次のように説明している。80ページ
「そして今、ここをあとに夜の中へと出ていこうとしているのは、妻子のために
肉を手に入れるためなのだ。それも、機械仕事に出かけていく現代の労働者のよ
うにではなく、太古の原始的で堂々たる動物のようなやり方によって、その肉を
2
戦いとろうというわけだ。」
トムは若いボクサーであるサンデルにノックアウト負けをした直後、試
合の敗因について以下のようなことを回想している。 102ページ
「思いかえすのは試合のこと、サンデルを敗北まぎわまでぐらつかせ、ひょろつか
せていた時のことであった。ああ、あのひと切れのビフテキさえあれば、事足り
たのに!あれがなかったばかりに決定打が出せず、負けてしまったんだ。万事あ
のビフテキのせいだ。」 102ページ
Ⅲ
老い
以上のような記述からすると、トム・キングの敗北がひと切れのビフテ
キも食べられないほどの貧困にあると考えられるが、はたしてそうであろ
うか。なるほど、ひと切れのビフテキを試合前に食べていたら、持続力が
伸び、肝心な時に回復力が早まって、過去の経験と知恵を生かしサンデル
に勝利していたかもしれない。しかし、長年のプロボクシングのための肉
体の酷使や老化の蓄積のほうがより大きな敗北の要因である。
作品の中には貧困の記述よりもはるかに老いについての説明の方が多い。
以下に老いがキングの敗北の原因であるという説明を取り上げる。
「手の甲は、血管が浮き出て大きく腫れあがっている。そして指の関節は強打され
痛めつけられて、不格好になり、戦いのあとを証明していた。彼は、人の命はす
なわち動脈そのものだなどとは聞いたこともなかったが、その大きく腫れあがっ
た血管の意味するところは十分にわかっていた。これまで彼の心臓は、この血管
を通って猛烈な勢いで、大量の血液を送りだしてきたのだ。この血管も、もう役
に立たない。血管が広がり柔軟性を失ってしまうと、その膨張とともに彼の持続
力もなくなってしまった。今ではすぐに疲れてしまう。もはや、目まぐるしい二
十ラウンドを戦いぬくなど、とてもできはしない。」
76−77ページ
トム・キングは試合会場まで歩きながら、全盛時代と今の状態を考え、次
のように若い頃に勝利した要因について述べている。
「これまで自分が片づけてきたのは老いぼれ連中だったのだ。自分は日の出の勢い
の若者であり、彼らは下り坂の老年だった。道理で楽だったわけだ。彼ら老いぼ
れ連中は、すでに長い間戦ってきたことによって、血管は腫れあがり、関節は打
ち砕かれ、体は疲れはてていたのだ。」
82ページ
試合においては、キングは今までの経験と知恵を生かし、決定的な打撃
を受けないために相手の強打をブロックしたり、クリンチなどを利用して
3
体力の保持に努めて、ありとあらゆるテクニックを用いた。その結果、相
手をノックアウト寸前まで何回も追いやった。
「第九ラウンドでは、一分間のうちに三度もキングの右フックがくの字にひねりを
加えてあごに決まった。そして三度とも、サンデルの体はいよいよ重々しくマッ
トに叩きつけられた。その都度カウント・ナインまで待って、立ちあがった。痛
めつけられた度を失っていたが、それでもまだ元気だ。スピードが大分なくなり、
前ほど力を浪費しなくなった。屈することなく戦っていた。が、相変わらず自分
の宝である若さに頼っていた。キングの宝は経験であった。
」 94−95ページ
しかし、若いサンデルも試合が進むにつれ、反撃に転じた。
「第十ラウンドが始まって間もない頃、キングは左ストレートを何度も顔面に決め
相手のラッシュを止めはじめた。サンデルは用心深くなり、これに応戦して左を
引きつけ、それから頭を下げてこの左ストレートをかわすや、右ロング・フック
を相手の側頭部に打ちこんだ。少し高すぎて、相手を倒すほどの有効打ではなか
った。が、最初それをくらった時、キングは意識不明になる際の、あの例の黒い
ヴェールが心におりてくるのを知った。一瞬、いや一瞬何分の一か、彼は意識を
失った。」 95ページ
そのうちにサンデルはボクシングのテクニックをキングから学習し、若
さだけではない老獪さも身に付け始めた。
「サンデルが立ち上がった瞬間、キングは彼に向かっていったが、放った二発のパ
ンチのいずれも、ガードした腕に封じこめられてしまった。次の瞬間、サンデル
はクリンチに持ちこみ、レフリーが懸命に両者を分けようとするところを、死に
もの狂いになってしがみついてきた。」
100ページ
そしてついに、キングは疲労困ぱいのために、相手に一発のパンチもあて
ることができなくなり、試合をあきらめる心境になり、老いのために試合
に負けることを最終的に認めた。
「やれるだけのことはやってしまったのだ。もうだめだ。若さが勝ちを制したんだ。
クリンチしている間も、サンデルが元気を回復しているのが感じられた。
・・・・・・・
その時、あのグラブをはめた拳骨がぶちあたった。電気花火のような鋭い一撃を
受けたかと思うと、同時にまっ暗なヴェールに包まれた。
」101−102ページ
Ⅳ
おわりに
ロンドンは「生の掟」
(1909)で死を運命と受け入れているが、
「生
4
命にしがみついて」(1905)では最後まで死をあきらめない主人公を
描いている。これらの2つの作品の考え方が、ボクシングの試合という形
を変えて、
「ひと切れのビフテキ」
(1909)に生かされている。この作
品においては、老化や貧困のため若いボクサーに負けるということを知り
ながら、家族を守るために必死で今までの経験と知恵を生かして試合に勝
とうとしている主人公の姿が描かれている。しかし、やはり最終的には若
さには勝てないと悟り、若い時の自分の傲慢さを羞じている。また、若い
時には傲慢であった老ボクサーのキングは、若いボクサーに負けて涙をな
がした。以前ノックアウトした老ボクサーが更衣室で涙を流していたのを
思い出し、青春は因果応報で若い者もいつか老人になり、若い者に負ける
運命であると悟り、人間的に成長した。
ロンドンはボクシングの試合を次のような点で人生にたとえている。
1)ボクシングには最終ラウンドがあり、人生の終わりも必ず死を迎える。
2)ボクシングには休憩をはさみラウンドがあり、人生にもいくつもの節
目がある。それぞれの段階でいろいろな思いがけないことが起こる。
休息があるが時が経つにしたがって、疲労は蓄積され、最終コーナー
に向かう。
3)ボクシングも人生も一応最終ラウンドや平均寿命があるが、油断した
りするといつ何時、試合でノックアウトされ敗北したり、人生で交通
事故や病気などで死に結びつく。この時はじめて人は無常観を感じ、
試合や人生を別の観点から見直すことができる。
4)ボクシングも人生も、最終段階で判定が下される。試合や人生の勝敗
は本人の努力や才能によることもあるが、もっと重要なのは本人とは
あまり関係がない偶然や運命、周りの人たちの協力、時代や社会の環
境などである。ボクシングの試合は最終的にレフリーが勝敗を告げ、
その人の人生の成否は死後の人たちが決める。
強靭な肉体を誇っていたジャック・ロンドンも1908年に病気になり
違う視点から人生や老いを考え始めたことが推測される。また、現代の高
齢化社会における生き方を考えるうえで、非常に参考になる作品である。
参考文献:『試合―ボクシング小説集』辻井栄滋訳
社会思想社
『ジャック・ロンドンとその周辺』中田幸子著 北星堂
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