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Instructions for use Title フランス公法最近文献覚え書き
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フランス公法最近文献覚え書き(1978−1979)
深瀬, 忠一; 中村, 睦男
北大法学論集, 30(4): 153-185
1980-03-24
DOI
Doc URL
http://hdl.handle.net/2115/16298
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
30(4)_p153-185.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
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圭 忠
男
三、官僚制・行政学・地方自治について
えたフランス公法関係最近文献を、取り急ぎ編集して、簡単に紹
五、比較法・法哲学・日本研究について
六、憲法概説書について
七、憲法院について
入、韮本的人権について
J ・ネレ教授﹁一九四五年以後のフランス﹂
資料を提供しうる と
v ころはあろうかと思う。わが図における同学
めぐるいくつかの傾向や注目すべき文献について、新しい視点や
うらみは此度も変らない。しかし、フランスにおける公法研究を
瓦O頁)とおりであるが、体系的・網羅的叙述というには程遠い
四回前の﹁覚え書言﹂﹁序﹂に述べた(本誌二五巻四号一四九│一
介し、若干の感想も加えておきたいと思う。覚え書きの趣旨は、
前年に引き続き、一九七八年から七九年にかけて筆者が入手し
ま
フランス公法最近文献覚え書き(一九七八 i一九七九)
てまえおき
、
一
四、ヨーロッパ共同体・国際関係・軍縮について
二、政治・公法制度をめぐって
次
九、フランスの政治、経済、社会、文化の歴史について
北法 3
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日
諸氏との協力のために、何らかのお役に立てば卒である。
なお、本年は(一九七九年一一月二ハl 二六日)、筆者(深瀬)
のパリでの恩師G ・ヴデル部長(パリ大学法経社会学部名誉部長)
の文化使節としての訪日を迎えて、大きな喜びであった(受け入
れ責任者、野田良之、山口俊夫教授に色々配慮いただいた)。同教
一一月一九日、於河中財団)、﹁フランス社会の四
授の講演﹁フランスにおける行政裁判官の役割﹂(以下﹁行政裁
判官﹂という。
、
半世紀来の変貌﹂(以下﹁社会の変貌﹂という。一一月二O 日
w-グユ 9ヂイタ
ウ1ゲ
一一月二一日、於東大法学部。九大にも送られて
於日仏会館)、﹁フランス共和国の憲法院の法的業綴﹂(以下﹁滋
法院﹂という。
いた講演原稿は近藤昭三教授の好意によりコピ i入手)はいずれ
ムヰ覚え書きも中村教授(六、七、八)と共同執筆であること例
年の通りである。
二、政治・公法制度をめぐって
次掲、議院制にかんするコリアール文献が最も重要と思われる
が、世界の政治制度の分類や君主制と共和制の区別について、本
格的再検討のための新しい研究が生れつつあり、第五共和制研究
が着実に進んでいることを感ずる。
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﹁現代諸議院制﹂は、新鋭公法学資格教授J ・
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の重要文献である。第一篇・制度的・政治的枠組み(国首、政府、
議会、政党制)、第二篇・政府の形成(政府形態の選択、
のテ!?についてもその全貌を知るに絶好の講演であり、明快で
合蓄と示唆に富む大家の論稿であって、その翻訳・公刊を待ちた
首相の選任、 大臣の選定と政府の構成)、第三篇・政府の存続と
終吾何(議会政派とその規律、多数派の存続の諸形態、多数派の議
いと思う。小稿では、関連部分で若干触れることとしたい。
また、フランス現代史家 J ・ネレ教授を北大にも迎えたが(名
四五年から一九七六年の期間に、世界の二O の議会制民主主義国
結論の順で検討している。
ランス﹂と題し講演された(六月一日)。 日仏文化交流記事およ
の政治制度例の一八七の議会選挙と一二三一一の政府についての比較
会における役割、政府の終駕﹀
び社会史研究入門として参考になると思うので、小稿に全訳を組
的・実証(統計)的研究の結果、新議院制論を定式化していると
大をはじめとし九大も訪問)、法学部では﹁一九四五年以後のフ
み入れ、同教授推薦の参考文献も付記することとした。
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﹂ろに特徴がある。
結 論 に お い て 、 議 院 制 の 二 元 主 義 ( エ ス マ ン 、 デ ュ ギ l、オ l
リウ)と一元主義(カレ l ・ ド ・ マ ル ベ ー ル ) を 対 比 し つ つ 、 前
時代の議会優位の権力統一制か現代においては政府優位のそれに
転換し、前世紀後半のパジヨットの定式﹁議院の執行委員会﹂と
マジヨリテ
逆にむしろ﹁内調の立法部委員会﹂となったという理解を前提
に、議会の役割は、﹁多数を承認する場﹂であることと政府の形
成・存続・活動・終震にとり﹁参照の要素﹂となることを挙げ
る。そして、議院制の多くが政治的安定性を示しているつ七一
立法期のうち五O%が単一の政府をもっ)ことを指摘、 いわゆる
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b のそれをもってする(構造
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﹁多数派支持議会制﹂の概念に代え﹁構造化し安定化した議会制﹂
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化したとは、規律ある政派が基本的役割を果すことを指し、安定
化したとは、政党制が交互の多数派の交替を保障するか全立法期
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継続する安定した同盟の協定を実行させることをいう﹀。そして
世界の議院制のタイプを、﹁大統領制的矯正策﹂をこうじた議院
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告
院 リ
諸 議
制(国首に重大な役割を与える、 フィンラ γド や フ ラ ン ス 第 五 共
和制がその例っ﹁半大統領制﹂という誌を避けている)と、
他の一一五主義諸議院制を、構造化と安定化か否かという基準で、
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治制度の比較研究が素材となっているところに特色がある。
論、第一篇・大統領主義と大統領制モデルの変形︿第一部・執行
表のように分類していることは興味深い(前頁参照)。
コリアールの現代議院制の新理論は、今世紀の代表的議院制論
府の長としての大統領の独立性を強化しうる諸変形、第二部・大
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の一つの総括であり優れた基準の提示といえよう。﹁合理化され
統領による議院の支配、第三部・大統領主義モデルの不在﹀につ
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た議会制﹂論が、制度技術の演末にこだわり﹁政党制﹂のあり方
いて検討、第二篇・大統領主義と議院制そデルの排除(第一部・
部-大統領主義諸制度と大統領制の古典的基準︿不十分な法的分
大統領主義的諸制度と議院制の古典的基準︿分類の欠陥﹀、第二
に注意を払わないならそれは﹁幻想﹂に終ろうという指摘も説得
力をもっ。日本の議院制の位置づけも基本的に妥当なものといえ
析の結果としての分類の限界﹀、第三部・古典的カテゴリーの不
ょ う ( 機 軸 と な る 政 党 H自 民 党 が ﹁ 構 造 化 ﹂ し て い る が 、 そ の 結
束力が内部の派閥抗争により弱められている。しかし政府は﹁安
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書として参照に値いする。
いて検討している。﹁大統領主義﹂とは何かの問題の立ち入った
適格性八政治的および法律的諸契機の問の相互影響関係﹀﹀につ
考察を通じて、大統領制と議院制の古典的分類に対する再検討の
目
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定化﹂している)。本書の書-評 (0・宮 mEP河・ 0H
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が、議院制文献の﹁古典﹂として長く残るだろうとして
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いる高い評価も、あながち誇張ではあるまい。
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制 の 二 分 論 に 対 す る 根 本 的1 1法 理 論 的 ・ 実 際 的 │ │ な 批 判 の 書
ムの規則(憲法と立法・執行権)、政治的ゲ l ム(選挙と議会運営)
的・社会学的に歴史的形成、政治的主役者達(政党)、政治的ゲー
スカンジナピア・ベルギー-オランダ諸小国の各議院制を
であり、ラテン・アメリカおよびアフリカの﹁大統領主義﹂諸政
﹁大統領主義と政治制度の分類﹂は、伝統的な大統領制と-議院
序
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プランス公法最近文献覚え書き(1978- 1
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﹁統一性﹂(﹁安定性﹂とも名付ける)に見出し、王制と一応区別
部長を経て、同大学長も勤めた。筆者と一二年来の親友)厨有の
﹁憲法および政治制度﹂の、ジャノ I教授(ポワチエ大学法学
が(この穫文献で、 指導教授の﹁序文﹂がないのも珍しいて
ことを示唆している
を徹底して一一万化する(大統領職を﹁王制化﹂する。三O九頁)
七七頁)といわれる君主制と共和制の二元主義であるが、君主制
して考えているが、結局、第五共和制が﹁共和的君主制﹂(デュ
宅ナ PMV1
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について、比較検討している。
目
ヴェルジェの一九七四年文献参照。本誌、二六巻四号一七五i 一
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平明かつ示唆的な教科書の第五版。日本の政治制度も﹁多党制﹂
いる(筆者の一九七八年三月のポワチエ大学法学部での講演も参
主制(王制)と共和制の問題や区別を改めて考えるための参考文
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論旨の真意を筆者も十分つかめないでいる
の一例(一一二九l 一一一一一一一頁)としてイタリヤとともに触れられて
献にはなりそうである。
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﹁国壬一か人民か││権力と支配の委任﹂は、中世から近世・近
代(そして現代的苦悩)にかけ、英仏独日露の君主制の権威の基
﹁第五共和制の制度的実際にかんする条文と資料集﹂は、基礎
的関連資料を全面的に網羅しており、正確・詳細・至便である。
ご九七八年三月の立法部選挙﹂は、国民議会総選挙について
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壮大た比較的・総合的研究であり、示唆に富む。
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﹁第五共和制の精神における君主制﹂は、第一篇・正当性と権
力、第二篇・大権、第三篇・諸権力の行使︿イギリス君主制とフ
ランス第五共和制の比較)を検討しているが、君主制の意義を
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かつフランス高級行政をめぐる政治、また社会全体との関連にお
いて、全面的に再検討を試みた基本的文献の一つである。
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級行政への惨透過程と構造と役割の政治・行政社会学的文献とし
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﹁二つ:・の仕方で。ヴアレリ l ・ジスカール・デスタンの君臨の
てまとまった好著である。
の紹介。かあり、有益である(同氏、フランスの高級官僚養成の秘
なお、わが国では、 E-N ・A について鈴木和晋氏の最新状況
年代誌﹂、らも自についた。
、官僚制・行政学・地方自治につレて
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一九七七年一 O
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ー一二月号参照)。
頁。問、 ENAの教育制度I-H ・皿、同月報、
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院長の来日について、人事院月報一九七九・ ハ・一、
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つあり、国と地方公共団体の関係の新しい研究が出てきたことが
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﹁高級官僚制についての政治﹂は、
﹁フランス官僚制﹂は、啓蒙的小著。
一九四五年に国立行政
研 修 所 が 設 立 さ れ た 趣 旨 、 ま た こ の E-N ・Aが其後如何な
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また大統領側近について﹁2ZBBE 仏
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る変化、とくに一九六八年以降の変化を経てきたかを歴史的に、
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第二部・分立原則の相対性)、第二篇・権限配分の新原則の探究
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摘し、財政関係の恨本的修正を論じていることが注目される (l、
というよりは財源の﹁自由な行使の保障﹂が重要であることを指
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体との財政的関係につき、地方公共団体の財政﹁自立﹂が問題だ
り、単なる法技術的問題ではないこと、とくに国家と地方公共団
公共団体の国家内での位置づけという﹁政治哲学﹂的問題であ
日山知配制︺とは一種の﹁他u
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るわけであるが、権限分配は常に再編成さるべきものであり、
(第二郎・調整の原則、第二部・協同の原則)、結論に区分した詳
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細な大著である。結局、国と地方との間の権限の、 旧い﹁分立﹂
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原則から新しい﹁調整﹂﹁協同原則﹂への転換の必要性を論じてい
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﹁フランスの指導階級についての経験的研究について﹂は、文
献 解 説 と し て 参 考 に な る ( 本 誌 二 九 巻 二 号 一 九 七l 一九八頁参
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﹁行政学、第二巻・組織と行動体系としての行政﹂は、筆者が
前凶(本誌二九巻二号一九八頁)﹁行政学の分野での特記すべき
凶の補助金を全面的に廃止し、一括譲与により地方公共団体が自
由に使用する。 2、地方公共団体の﹁自由に同意﹂し﹁均衡のと
本格的文献﹂といえるだろうとして者名を紹介した第一巻(﹁行
政学、行政制度の一般理論﹂)に続く第二巻として完結した。﹁組
れた﹂参加を維持する。 3、地方公共団体の財源を国税中から移
︼
管し、国税と地方税に有利なように改編する)。
織および行動のシステムとしての行政﹂を詳論している。
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﹁国と地方公共団体、権限の配分﹂は、フランスの地方自治の
テ1 7に 関 す る 新 し い 基 本 的 文 献 と い え よ う 。 内 容 篇 別 は 、 序
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﹁周辺権力
llフランス政治体制における官僚達と名望家達﹂
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論、第一篇・権限分立の伝統的原則ハ第一部・原則の内容、
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は、中央集権と地方自治をめぐる政治社会学書として注目されて
のは興味深かった。ただし、共同体の将来については未だ予見不
互関の戦争など思いもよらぬものになったことを挙げておられた
も感ぜられる。
なお、国際関係の視野や箪縮への関心がひろがりつつあること
能との答えは、過渡期の現況を示唆するものといえよう。
よい。
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なお、﹁フランスの高等教育は何処へ行く﹂ピ玄
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d戸巴吋唱にも注目しておこう。
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にジスカール・デスタン派 (U・D-F) の成功、シラク派
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検討である。選挙結果については、回、。冨
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普通選挙が加盟各国で行なわれたことは、
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ybrp-ulP5155巳忌吋叫が解説。わが国でも、毎日新聞五月
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一附収論文等)が、啓蒙的・研究的文献が多く出た。以下、目につ
ω)唱の D日目。口同町ロロロ片岡。ロロ
ぐい日宮内山(町E口町E
州制日ジャーナル六月二九日サ
いたものを列挙しておこう。
筆者はヴデル部長の講演﹁社会の変貌﹂後、﹁ヨーロッパ共同
どんな結果をもたらしたか﹂と質問したところ、加盟諸国の経済
ーロッパ諸機構の決定過程、を簡潔に説明し、全貌を知るのに使
ーロッパの制度化過程、第二篇・ヨーロッパ諸機権、第三篇・ヨ
H凶門戸
の諸分野および行政の指導者迭の会合・協議の慣行の定着と、相
体の諸機関が継続的に機能することによりフランス社会の変遷に
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﹁ヨーロッパ共同体は如何に機能しているか﹂は、第一篇・ヨ
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敬造﹃基本的人権の地域的集団的保障﹄有信堂(一九七五年﹀、
一両野雄一﹃国際社会における人権﹄岩波書庖(一九七七年)一九
六l 二七九頁)と併せて、注目さるべきだろう。
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4甲山核戦力より通常兵器重視かにみえる点について、円、。
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﹁ヨーロッパ統合とフランスの左翼﹂は、フラソス共一産党およ
て、この視角からの基本文献の一つといえよう。
ホルム国際平和研究所出版英語文献の仏訳で、政府刊行物となっ
たことが関心の程をうかがわせる(邦訳、ストヅクホルム国際平
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年の地平の国際社会﹂は
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の主著の第三版(同教授につき、本誌二八巻二号一 O 八!一 O 九
﹁法と国家の哲学の諸大潮流﹂は、ブリモ教授(パリ第二大学)
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九巻二号二O O頁参照)。
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途上国における統制のモデル国について分析(チャド、象牙海岸、
くに発展途上国にそくして考えた序論につづき、第一篇で、発展
政的・財政的統制の理論への貢献﹂は、国家の統制の問題性をと
している。
マルクス主義の潮流(マルクス主義、新マルクス主義)に、分説
自然法の復活と法論理的潮流、国家の実存主義的概念)、第五篇
的および法論理的潮流(法の現象学的ビジョン、ドイツにおける
プタジ enwdyタ
ス・ウェlパ!の社会学的人間主義﹀、第四篇・現象学的・実存
カメル l ン、セ不ガル、エジプト各共和凶)、第二篇で、統制の
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筆者が嘗て紹介検討したことのある﹁G- エロ l教授の法理論
の特質﹂(本誌一四巻二号一 O 一一.一二一一頁)も同教授へのケル
る論文集として、重要である。問教授の略歴、著作目録、 M-
理論に対するアイゼンマン教授の激烈な反論(それは方法的・突
なお、筆者は最近、 G-ヴデル部長の﹁行政法の憲法的基礎﹂
ゼンの影響と限界を一放っているので参照されてよい。
りィヌの序善一口につづき、二六名の公法学者が執筆している(第一
体的建解を要する﹀を総合的に検討する論文を書き始めたが(﹁フ
ける数少ないケルゼン主義者といわれるアイゼンマン教授をめぐ
篇・国家と訟の理論・憲法・政治学、第二篇・行政法・行政学、
ランスにおける ﹃行政法の憲法的基礎﹄をめぐる論争について
ワ
第三篇・国際公法および国際関係論)。興味深い論稿が含まれて
付﹂本誌二七巻三・四合併号一八七│二O O頁﹀、論争の正鵠を
えた分析と判定に自信がもてぬこともあって(一九七七l 八年波
おり、アイゼンマン法理論理解のため不可欠の基礎文献である。
近年フラ γス公法学者の若手に、アイゼンマンの影響下にある
にどのように現れているか、興味深い検討課題である。従来筆者
五二l 一五三頁参照﹀ように思われ、ケルゼンの影響がフランス
の新版(第七版、未刊)の最初の二O 頁にこの問題を詳しく扱つ
身どう考えているか質問したところ、岡部長の﹁行政法﹂教科書
講演﹁行政裁判官﹂を聴き、またこの論争についてヴデル部長自
仏﹀、執筆を中断していた。此度ヴデル部長の来日を機に、
はアンスレク(プリモ上掲書四二五│四二七頁参照)もケルゼン
たから、それをみられたいとのことであった(ただ、その要点と
公法学者が輩出しつつある(例えばトロベル。本誌二五巻四号一
の影響下にあると思っていたが、最近の次のようなアンスレク対
ω行政法を国家と憲法の中に位置づけるべきことは私が正
して、
上
トロベル論争は注意深く分析さるべきだろう。
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掲
しい、③第四共和制下においては私の説の通りである、③第十九
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共和制下においては E教 授 が エ ク ザ ク ト で あ る 。 ④ た だ し
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れは私の過ちではない﹂。 第五共和制下の実際が憲法規定と別な
機能の仕方をしたためで、私は規定の仕方通り﹁ナイ l ヴ マ γ﹂
この意味でも、
警告、防衛庁長官の訪韓、防衛白書の発表等により、日本が日米
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韓および東南アジア諸国との地域軍事的協同体制を強化する傾き
をもち(一般的には、日本が﹁アジアにおける安定化の役割﹂を
果そうとしている)、防衛費GNP 一%以内にという﹁敷居﹂(﹁平
和主義のシンボル﹂)がこえられるかにみえることに危倶を表明
している。
に解しただけだ、という旨を述べられた)。
長の来日は筆者にとってじかに研究上有益であった。
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﹁一九七六年二一月五日の総選挙﹂の紹介。
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会、社会的動揺と弊害、労使関係の特異性)。
近の社会的変動についての全一面的な分析をしている ( 情 報 化 社
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感ずる。
ス法学者達が着々と育ち、日仏法比較研究を進めつつあることを
作の一つといえよう。日本語を読み書き喋り論究する若いフラン
した本格的研究で、フランスにおける日本法研究の新世代の代表
は幕末から明治にかけての日本政府の不平等条約改正問題を検討
である。ゴルニシュ氏は若い日本法研究者であり、その博士論文
に残された天皇の権限について論述しており、手堅い天皇制度論
簡単な史的序一百の後、天皇の憲法的地位と皇族制度ついで象徴的
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決定の仕方と外交政策﹂を扱う。
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を権力の現実から隔絶し、国家を大プルジョワジlの願望に合わ
せて中立化するために基本的に作り出された憲法概念である代表
制と権力分立制が扱われ、第二部﹁憲法の基本原則の進展││集
ち、アメリカ合衆国で一八六五年頃、イギリスで一八六七l 一八
団的自由の補助者としての権力﹂では、一九世紀後半、すなわ
﹁日本における戦争t││真珠湾から広島まで﹂は、日本の公正
七O 年頃、フランスではそれより若干遅れた時期から二O 世紀前
一九七九年)。
な理解者であり内在的批判の鋭さをみせるル・モンドのベテラン
半までの時期においてl それは、普通選挙の一般化と大衆政党の
衛・天野恒雄訳、日本人と戦争、朝日新聞社、
記者ギラン氏の、太平洋戦争回顧録である。日本での翻訳出版の
一九二九年の大烈慌お
よび政治学﹄は、全六五七頁にわたる大部の憲法の体系書であ
パリ第五(ルネ・デカルト)大学教授シャントプゥ著﹃憲法お
の制度的側面よりも、憲法理論史に重点が置かれているところに
いる。このような内容の概略からも分かるように、本書は、憲法
四 部 ﹁ 第 五 共 和 制 ﹂ で は ブ ラ γス の 現 代 政 治 体 制 が 対 象 と さ れ て
行府の優位に特色づけられる諸外国の現代政治体制が扱われ、第
求は全般的生活水準の向上のみとなり、成長の推進者としての執
よび第二次大戦直後から始まる時期において、人民の国家への要
制││成長の組織者としての権力﹂では
的優位の体制へと変遷したことが扱われ、第三部﹁現代の政治体
社会的正義に奉仕させるために人民の意思の道具たる議会の圧倒
られるがl 代表制が再検討され、さらに、権力の均衡は、国家を
出現によって人民が政治の舞台に登場したことによって特色づけ
し難い。批正を乞いたい)。
六、憲法概説書について
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(い﹁岡田口一片ZVOC
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る。本舎の構成は、まず、﹁序論﹂で国家と憲法の概念が検討さ
特色がある。その意味で本書はフランスにおいて新しい型の憲法
凹ロ広ロロ仲
︿以上、 F. 学部長職の相関での拙速の概観で誤りなきを保
同時通訳的早さもみものであろう。
間
一八世紀末から一九
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世紀中葉までの自由主義ブルジョワジlの支配期において、人民
れ、第一部﹁憲法の基本概念の形成﹂では、
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パリ第一大学教授リュシェ l ル お よ び コ ナ ッ ク 編 ﹃ フ ラ ン ス 共
和国憲法第一巻﹄は、第五共和制憲法の遂条コンメンタールで
第一巻では、憲法前文から第二三条まで収められている。フラン
スでは憲法の遂条コンメンタiルは本書が最初であり、執筆者も
ほとんど各条毎異なった多人数による共同執筆になっている点も
珍 ら し い 。 詳 し い 遂 条 コ ン メ ソ タ l ルとして、本全国は有益であ
七、憲法院について
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一九七一年の結社の自由に関する違憲判
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フランスの憲法院は、
決 以 来 、 特 に 一 九 七 四 年 の 憲 法 改 正 に よ る 六O 名 の 国 民 議 会 議 員
と六O 名 の 元 老 院 議 員 へ の 提 訴 権 の 拡 大 を 契 機 と し て 野 党 議 員 か
ら活発に違憲の申立がなされるようになってから、憲法裁判機関
としての地位が確立してきている。わが国においても最近刊行さ
れた、和田英夫﹃大陸型違憲審査制﹄有斐閣︿一九七九)は第
部が﹁フランスの憲法院と人権の保障﹂に充てられ、フランスの
イユ・デ夕、破致院の重要判例の収録、編著者による評釈、文献
例叢蓄の一冊として出されたもので、条文毎に、憲法院、つンセ
パリ第二大学主任助手フランク編著﹃憲法﹄は、テミス重要判
行ない、また、憲法院重要判例集を出している(本誌二六巻四号
m-U-MY) に定期的に憲法院判例の紹介を
ス公法・政治学雑誌 (
よびフィリップはともにエクス H マルセ 1 ユ大学教授で、フラン
﹂の度、フランスで刊行された﹃憲法院﹄の著者ファボルlお
憲法院を大陸型違憲審査制として位置づけている。
目録、が収められている。本市川同は憲法判例の動向を知るのに便利で
一八四頁参照﹀憲法院研究の第一人者である。本書の構成は、第
二章﹁憲法院と公権力﹂では、憲法院と、議会、大統領、人民と
一章﹁制度﹂で、憲法院の構成、運営、手続、権限が扱われ、第
ある。
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の合憲性審査と条約の合憲性審査が、第四章﹁権能分配の審査﹂
の関係が検討され、第三章﹁基本的行為の合憲性審査﹂では、法律
ている公ゲ広場司ロド岱)のは興味深いものがある。
憲法院の改革の方向として、
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ランス公法・政治学縫誌(勾りむしの一九七九年第一且すには、
憲法院の憲法裁判機関としての性格が注目されている今日、フ
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では、法律事項と命令事項との管轄についての審査が扱われ、﹁結
論﹂においては、①憲法規定の遵守と解釈、②公権力関の均衡の
維持、③憲法院判例の法秩序への影響、④基本的人権の擁護の四
最後に、
点から、憲法裁判機関、そして人権保障機関として憲法院が果し
ている役割が一示され、
憲法院に関するこつの論文が掲載されている。前者は、政治学者
ことの特別の意見留保義務から、特に目新しい指摘がなされてい
で憲法院の現メンバーであるゴゲルの論文で、現メンバーである
らの移送による法律の合憲性審査権を憲法院に与える第二の改革
憲法院の
院は裁判機関か﹂という問題に正面から取組んだものである。結
現在パリ第一大学の公法学の教授であるリュシェ 1 ルが、﹁憲法
である。これに対して、後者の論文は、元憲法院のメンバーで、
るわけではなく、憲法院の活動状況を明らかにしようとするもの
ジュ文庫の一冊としてコ γパグトなものではあるが
ロベール
吋、省察、判断の節度と公平さ
るように、﹁明断さ、正確さ、情∞
報
られる要素として、①法の問題への応答、②判決の既判力、③争
いう問題にかかわるのであり、リュシェ!ルは、裁判機関に考え
局、裁判機関か否かということは、裁判機関をどう定義するかと
によって﹂本書は成功しているといえよう。なお、ロベール教授
訟性の三つがあり、憲法院の裁判機関性を否定する見解(アモ γ、
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の書評も詳しいもので、法律の合憲性察査権の拡大によって、憲
クュイヤール)は、一二要素を要求して、憲法院には第三の争訟性
(
河cro円件)教授の書評(閉山-O
・ ・
p 5 -Z0・印-同 ・5ロム印同町)にあ
制度と実態そして問題点が見事にまとめられており
てきた建造物を補完すること﹂が示唆されている。本書は、クセ
によって、﹁一九五九年以来賢明にしかも漸進的につくり出され
るが、これは小さな点で、問題は、コンセイユ・デタと破段院か
決期間の延長、申立状など書類の公表のような手続的改革点があ
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法院が最高裁判所(わ05E℃み自め)の方向へ向うことが示唆され
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の要素を欠くとするのに対して、憲法院の裁判機関性を肯定する
見解(ワリ l ヌ ) は 、 第 一 お よ び 第 二 の 要 素 で 裁 判 機 関 性 が 充 た
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しての性格を肯定するものである。いずれにしろ、リュシェlル
公表されることでも充たされるとして、憲法院の憲法裁判機関と
性の要件を非常に広く解して、例えば、当事者の対立した意見が
よる提訴の増大と基本的人権に憲法的価値を認める重要判決にあ
一九七七年に出された二七の判決にみられる特色が、議員に
提訴権および基本的自由・権利の発展﹂という標題にあるよう
特に第一の論文は、﹁転換の年としての一九七七年l │議 員 の
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論文は、﹁裁判﹂ないし﹁司法﹂概念の比較憲法的考察に興味あ
ることが詳しく説明されている ο 人権に関する判決のうちでも、
されると解するのであるが、リュシェlルの見解は、第三の争訟
る素材を提供するものである。なお、ゴゲルおよびリュシェlル
吋
LE(UOロmOH-noロ己XE立Cロロo--FO
一方では、私立
ではないとした一九七七年一一月一一一一一日判決が、特に重要であ
は、教師の良心の自由に反しない限り認められるので、憲法違反
整をはかつて、教師が私立学校の﹁国有の性格﹂を尊重する義務
も憲法前文で認められた権利であることを認め、二つの人権の調
由の一環をなすものであるが、他方、私立学校教師の良心の自由
学校の﹁固有の性格﹂の尊重は、憲法前文で保障された教育の白
反するという社会党議員の違憲の申立に対して
校の﹁固有の性格﹂を尊重する旨の規定が、教師の良心の自由に
(ドプレ法)を補充する法律について、私立学校の教師。か私立学
一九五九年の私立学校助成法
司法警察職員に自動車臨検を認める法律を人身の自由に違反する
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とした一九七七年一月二一日判決、
の論文は、憲法理論研究会の一九七九年夏の合宿で、香川大学の
矢口俊昭氏によって報告され、 報告のレジメは、﹁憲法理論研究
会ニューズ﹂(一九七九年九月一日)八頁以下に掲載されている。
また、矢口俊昭﹁フランス憲法院の構成﹂香川大学経済論叢五一
巻六号(一九七九)所収は、フランス憲法院のメンバーの構成を
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憲法院の判例の動向に関する論文として
扱った論文として興味深い。
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八、基本的人権について
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という標題にあるように、結社の自由が補充的な自由であること
ワリ l ヌ
と、結社の自由の法体制が竣昧であることを主要な主題として結
社の自由の歴史と法制度に分析を加えるものである。
(毛色Em) 教授の書評︿問-U- V
同3
5叶∞-Z0・ ゲ 同Y83 は、本書
の特色を、①歴史に重要な位置を与えていること、②法律や判例
lズ大学教授ムルジョンおよび同大学主任助手テロ
ていること、④比較法にも及んでいること、をあげて、本書に高
していること、③各問題点に自由主義的精神で批判的判断を下し
によって与えられた解決を政治的、社会的な文脈の中に置きなお
ン著﹃基本的人権﹄は、学生用の人権の概説書で、内容は簡単な
最新の、最も優れた研究であることは確かである。
い評価を与えているが、本書は、フランスの結社の自由に関する
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パリ北大学講師マシュロン著﹃自由に反する共和国﹄は、
七三年にパリ大学に提出された博士論文で、第三共和制下の一八
一九七一年の憲法院の違憲判決によって結
社の自由の人権としての重要性が注目されるようになったが、結
戦し、何時代における人権に対する消極面を実一証的に解明した業
七九年から一九一四年までの人権の︽黄金時代︾とする神話に挑
績である。第一部﹁自由主義の未完成﹂では、立法者による侵害
社の自由は、民主主義と人権にとって基本的な自由であると同時
されている。本論は、第一篇﹁結社の自由は新しく、かつ補充
からの人権保障の欠如、裁判組織の不完全き、人身の自由を保護
に、民主主義と人権にとって危険なものにもなりうることが指摘
ある。﹁序論﹂では、
の自由﹄は、一九七四年にパリ第三大学に提出された博士論文で
リモ l ジュ大学教授モランジュ著﹃フランス公法における結社
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的な自由である﹂、第二篇﹁結社の自由の法体制は暖昧であるし
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等法院の訴訟、官吏の服従義務、修道会の特別規制による﹁政治
され、第二部﹁自由主義の拒否﹂では、追放、国外追放、司法高
するための刑事手続の不十分さ、人権抑圧法制の維持が明らかに
よる定期出版物に対する税制の改革を扱ったものである。
と一九七六年一二月二九日法および一九七七年二一月二七日法に
が注目される。前者は、定期出版物に対する国家補助法制の歴史
ω・句巴由lgH・
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ついた。
フランスの現代政治(同時代)史文献として、次のこ附が目に
五年以後のフランス﹂
歴史について。 J -ネレ教授﹁一九四
フランスの政治、経済、社会、文化の
)
スの法制度と問題状況を知るのに有益なものである。(以上、 N・
も総合的にまとめてなされた研究で、この問題についてのフラン
ータ化と国民の人権に関する新しい法令に関する論文のうち、最
年七月一七日のデクレが制定されたのであるが、情報のコンピュ
七八年一月六日法が制定され、さらに具体的適用に関し一九七八
討委員会の検討を経て議会に法案が提出されていたところ
は、情報のコンピューター化による情報処理と国民のプライバシ
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・﹀注目。教授の書評(河七-gH)
防衛﹂が明らかにされている。本書は第三共和制前期の人権の制
後
ー、人身の自由などの人権との問題は、フランスでは、政府の検
印
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度および実態を知るのに格好のものである。なお、本書に対して
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が出されている。
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ムルジョン教授の﹃人権﹄は、クセジュ文庫の一冊として出さ
より構成され、人権を、法学的、哲学的、社会学的観点から多角
れた小冊子で、 第一部﹁権利の要求﹂、第二部﹁権利の組織化﹂
的に考察したものである。
フランスの基本的人権をめぐる新しい問題状況を扱った雑誌論
文として、
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﹁亀裂の時代﹂は、フランス現代政治の様々な破綻と分裂を見
つめつつ考える理想主義的知識人の明噺な思索のあとを示す。
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﹁過ぎゆく時の色合い﹂は、新聞﹁ル・モンド﹂の俊秀記者ヴ
ィアンソン・ポンテ(今年、ガゾで死亡)の同紙週刊号上の政治
同記者の﹁フランス一九七八
日誌ハ一九七回l 一九七六年)を編集している(同紙一九七九年
九月二 O │一一六日号紹介)。 なお、
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が死の直前に書かれた、昨年間政治の総括である。
J-ネレ教授(﹄忠告2
O巻
同教授
b)の来札を記念して、問教授の推薦文献と講演(本誌三
本小稿﹁まえおき﹂に書いたとおり、
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二号二ハニーー一六三頁参照﹀ の訳を組み入れておこう。
一九一七年フランスのサヴォアに生れ、エコール・ノルマル
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ものは、わOBggg=p?
フランスにおける文化生活のあらゆる側面については、最良の
師をへて、-九六七年以来教授、現在同大学現代史主任教授。主
(一五日毎出版)を予約するがよい
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経済生活については、 その最良のフランスの雑誌何回宮!gZロ
である。
卒業後、ブレスト市の西部ブルタ l ニュ大学人文、社会科学部講
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要業績には次のものがある。
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53(未公刊博土論文)。
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一九五八
点からはじめるといたしましても、どこに終点を定めるかはより
不確かであります。われわれとしてはそれを、便宜上、
年、第四共和制の終鷲時、ということにいたします。この年は、
政治的には、極めてはっきりした断絶を画しています。そして、
経済的および社会的には継続的な諸要因がその他の諸要因に勝つ
ているとしても、その時点で極めて重要な新しい事実が生まれま
した。フランスが加盟している西ヨーロッパの共同市場が実施に
移されたことであります。
一九四O年の敗北
この敗北こそが、フランスの進化の流れにおいて完全な変貌を
日に開始され、休戦が調印されたのは六月二五日でした。敗北は
一九四二年の末には、占領は本国領土の残った部分
め優先的に向けられ、ドイツがフランスの諸々の資源を併呑した
まで拡がりました。経済的活動はあげてドイツの需要の満足のた
た。その後、
々や生産物や郵便物ですらそれを越えることは極めて困難でし
領せられ、領土の残った部分と﹁境界線﹂によって分離され、人
敗北は極めて急速でした。ドイツの侵攻は一九四O年五月一 O
生むことになりました。
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04∞
また全面的でした。当初には、国の領土の五分の三が敵により占
り、それを敵閣、ナチスドイツの占領からフランスが解放された時
この講演が試みようとするデッサンの出発点はかなり明瞭であ
一九四五年以後のフランス
き﹂を終ることにしたい。
では、さいごに、ネレ教授講演訳(深瀬)を掲げて本﹁覚え書
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北法3
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5
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のであります。とくに、極めて重い占領賠償金を課し、プランで
れは弱体制ということでした。とりわけ問題となったのは、主と
す。第三共和制に向けられた非難を一言に要約するとすれば、そ
ヲ・ 7ztプν え
払わせるメカニズムによって、ドイツ人は白からの欲するものは
して内閣の不安定に特徴があらわれている権力の弱体性という
マ Yプνd7yス
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すべて購買することを可能にしたのです。フランス人は白からの
ことでした。が、またとくに政治的・財政的醜態に向けられた
安易な態度に示されゐような、総じてなるがままにまかせるやり
スキヤ Yダ
日常生活に対するコントロールを完全に喪失しました。
そして同時に、この敗北は、はじめのうちには理解しえないも
方でもありました。たしかに、共和国でなければならないとされ
ム
一九四五年一 O 月 に 行 な わ れ た レ ア ェ レ ン ダ ム に よ り 明 ら
ことで成立つものでしたが、第三共和制と全く同様に、'もちろん
ものであり、多かれ少なかれ神話的な過去への復帰の傾向という
ヴィシ l体制は、実際上ベタン一万帥に無制限の権力を属させる
ではいったいどんな新しい体制を建設すべきでしょうか。
ずか四%が第三一共和制への復帰を望んだにすぎませんでした。
かとなりました。九六%の票が新しい体制に賛成と投。せられ、わ
るや、
この拒絶反応の大きさは、敵国の占領からフランスが解放され
たのですが、それは﹁純粋で強靭﹂な共和国であるべきでした。
ヂユ1W
のと思われました。フランス人は、世界で最良の軍隊をもってい
ると信じていましたから、ずっと遅くなってからやっと敗北の軍
事 的 プ ロ iパ lの 原 因 と し て 、 物 量 の 不 足 や 戦 略 的 ・ 戦 術 的 教 説
の遅れといったことを知り理解することになりました。そこで、
この敗北の責任を負うべきものとして、あらゆる領域における従
来存在していたものすべてが糾弾され、事実においても発想にお
いてもまた精神のあり方においてもそれ以前の時期との全面的な
断絶が起りました。そしてそれに続いて革新への意志かあらゆる
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領域で一がされることになったのであります。
二、政治的な革新
さて、第三共和制の政治体制がまず敗北の責任を帰せられまし
そのうち一つは、ドゴ l ル将軍自身の見解にかなり近いもので
のなかで、二つの思潮が表面化してまいりました。
拒否されました。そしてそれまで支配的だった抵抗運動の諸組織
すが、執行権の強化を欲しました。後に第五共和制の体制となる
た。奇妙なことには、この前体制の拒絶は、敗北の結果ナチスド
シーに対して戦った﹁抵抗運動﹂に共通していた事実だったので
イツと協力した﹁ヴィシ l体 制 ﹂ と 同 様 、 ド イ ツ 人 と 同 時 に ヴ ィ
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フラシス公法最近文献覚え書き(19
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資
ところのものと類似した諸草案が練られたのでした。
他の流れは、当初制憲議会で優勢だったため一九四六年一月臨
時政府首席をドゴ J ル将軍が辞職することになるのですが、}九
個人的な野心で支配されていたと考えたのです。このような政治
の考え方が第四共和制の基礎にありました。
しかしながら、このような政治の次元では、結局失敗だったと
用しました。爾来、当選したいと欲する者は選挙民に気に入られ
O 人に至るまで複数の名前を記載した名簿式の比例代表制を採
一
もっとも腿々単記二回投票制を実施した第三一共和制に反援して、
党の支配、その支配を選挙制度により確保するというものです。
と共産党が久しい以前からそうであったような﹀組織された諸政
考えられていた元老院を否認しますてそして実際上は、(社会党
によって、戦前、政治制度の障害であり、停滞と麻癖の原因だと
えによるものでした。その構想は、万能の一つの立法議会(それ
れも政府の支持には留保付であり、そのことは、不人気な解決策
かありえなくなったのですから、政府を構成する諸政党のうちど
そう混迷の様相を一万すことになります。というのは、連合政権し
他の一つは旧右翼に対応していました。しかも、政治地図はいつ
い同じとはいえない組織と精神をもち一つは嘗ての急進社会党に
のほか、二つの小政党が加わりますが、三つの大政党とはとうて
ず、大休同勢力の三大政党としての共産党と社会党と人民共和派
する与党と反対の役割を確保する野党という二大政党は出現せ
一九四五年一 O月の第一回目の総選挙においては、権力を支持
いわねばなりません。
ょうと心配するよりは、自己の政党の総司令部が候補者名簿の上
を必然的に伴う困難な諸問題の前に、反対党は権力よりもより人
三六年の人民戦線に大幅に影響された、社会党および共産党の考
で自分をよりよいランクに位置づけてくれるよう心をくだくこと
気取りの態度をとりたがるのですから、いっそうそうなるわけで
イ毛ピリスム
になります。おそらく、政府の安定性と政治体制の活力は諸大政
す。その結果、相次ぐ内閣は第二一共和制時代よりもより弱体かヴ
セナ
党が各々規律をもって結束していることによって保証されるだろ
より不安定にすらなりました。
ありませんでした。
他方、第四共和制は悶全体の一般的な同意をうることは決して
うと考えられたのでしょう。要するに、戦前の不安定性の原因は
議会における小グループの分裂に由来し、それが多数を構成する
場合つねにそれら小グループの支持を必要としたがゆえに、師陣々
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ブラジス公法最近文献覚え書き(19
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一九四六年五
一九四五年に選出せられた制憲議会の多
党、右にはドゴール将軍の呼びかけによる﹁フランス人民連合﹂
的反体制勢力の問にはさまれることになりました。左には共産
R・ F・ F
数、一一一O九票対二四九票により採択されましたが、
によってであります。そして抜け道のない袋小路に追いこまれる
第一回目の憲法は、
月五日のレフェレンダムにおいて国民により否認されました。
が不可能となり、したがって二つの反対派が彼ら自身であらゆる
ことを避けるため、すなわち、議会における体制派の多数の構成
可能な政府連合よりも多数となりながら、両反対派の問ではもち
一九四六年)O月一
三日のレフェレンダムにおいてむしろ賛成は少数でしたがもう倦
第二の憲法草案は、若干修正されたうえ、
れてしまったということでやっと受容されました。賛成三六%、
ろん合意が成立しえないような事態を避けるため
を融市称する政党との聞の不一致があったのはとりわけ共和国大統
ここで指摘しておきたいことは、国民の意見とその世論の代表
党が名簿を合同して作成できる、そして、その合同名簿が全体と
れがいわゆる合同名簿のシステムと呼ばれるもので、相異なる政
総選挙の時以降選挙法の修正に訴えざるをえなくなりました。そ
一九五一年の
反対三一%、棄権三一%という状態でした。
領の問題をめぐってでありました。第一次・第二次憲法草案とも
して選挙区における絶対多数を獲得するときは、その選挙区の全
が大統領は重要な政治的役割を演ずべきだと希望し、で一一七%がこ
を採用したのでした。そして一九四六年三月には、国民の四八%
り、四O%がそれに反対で議会による選出に賛成し、憲法は後者
人の五O%が、普通選挙による共和国大統領の選出に賛成してお
ところが、フランス世論研究所の調査結果によれば、フランス
しかしながらそれは普通選挙の歪曲にほかなりませんでした。あ
テムはその目的である議会における多数の確保を達成しました。
でした。そして事実、
て体制を受容している諸政党にのみひらかれていたことは明らか
るというものです。この合同名簿の可能性は実際上、中道にあっ
当選議席がその名簿に割り当てられ、その議席を名簿内で配分す
アパヲント 4 y
大統領にはほとんど栄誉的な特権しか与えなかったのです。
れに反対し大統領は栄誉的職権をもつにとどめるべきだとしてい
る名簿に投票した選挙民は、それと合同した名簿の他党の候補者
を、彼らはそのため一哀を役じたのではなかったにもかかわら
一九五一年の総選挙においては、このシス
たのでした。
一九四七年の幕以来、第四共和制の体制支持者逮は二つの根本
北法3
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ず、当選させることがありうるからです。
このような便法は政党政治の信用を再建するためにはなりませ
I 9ス
唱
内閣があまりにも屡々変りすぎたと考え、七五%が議会の風習は
墜落していると答え、五八%が政府が十分な権力を保持していな
いて、全国的に若干の信望をえていた二人の政治家(アントワ 1
を殺したというべきではありますまい。それは瀕死の体制の息を
嘗て時々一一百われていたように、アルジェリア戦争が第四共和制
いと考えていました。
ヌ・ピネ!とピェ l ル ・ マ ン デ ス ・ フ ラ ン ス ﹀ の み が 、 い か な る
ひきとらせたにすぎないのです。
んでした。実際上、一九五一年から一九五六年の聞の立法期にお
大政党にも属せず、そしてまさにそれらの圧迫を免かれようと試
ところで逆説的なことですが、政治的な進展が全くなかった丁
度その同じ時期に、他の領域においてはその成果は劇的なものが
み、とりわけ彼ら自身で白からの大臣達を選び、政党の総司令部
によって大臣を押しつけられるのを許さなかった政治家でした。
ありました。
が あ り ま ぜ ん で し た 。 そ し て 一 九 四O 年 の 前 夜 に は 、 そ れ は さ ら
ザス・ロレiヌ地方を含めて、四千万人の住民ということで変化
一八七O年 か ら 一 九 四O年 ま で の 問 、 フ ラ ン ス の 人 口 は 、 ア ル
一二、人口統計学的変動
このような政党からの独立の試みがあらわれる一方、他方では政
一九四六年
一九五八年には二五万人。社会党は一九四六年
党は弱体化してゆき、加入党員数は減少(共産党は、
に百万人の党員、
一九五八年には八万人)、
一九五五年一一月には、世論-調査で質問さ
政党の機関紙新聞は
には三五万党員、
消滅してゆきました。
加を再開したのですご九五八年には四千五百万人、現在は五千
に滅少の傾向があったのです。ところが一九四五年以来人口は増
共和制樹立後一O 年 も た た な い の に 、 憲 法 改 正 の 諸 草 案 が 若 干 づ
三百万人)。
れた人々のうち六六%が議会の仕事に不満だと答えており、第四
つあらゆるところでみられるようになりました。詳細にまで立ち
則正しく減少したことによって説明できます。それは、第一次お
この変貌は出生率が再び強度の増加を示したのに、死亡率が規
よび第二次世界大戦の次のような比較が明らかにしているよう
入らずとも、不可避的な改正の方向をみてとることは容易です。
人年八月の最後の世論調査によれば、質問された人々の九五%が
崩壊したばかりの第四共和制に対する全体的な評価を示す一九五
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ブラシス公法最近文献覚え書き(19
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るためには、それ以前の減少の諸原因をまずみてみなければなり
ません(その原因はフランスにとって、他の先進的工業諸国にあ
一七八九年の革命以前から、小農的所有権
りうるところのものと大変違ったものでありますv。
まず、フランスは
と小農的耕作の国です。多くの地方諸地域において農民の主要な
関心は土地を分割させないようにすることであり、そのようにし
てその土地で家族を養なうことができるようにし続けることでし
a
一九五五
社会保障の一般化があります。家族はしたがって財政的にはより
合いに出すべきは、家族手当の一般化、租税における家族控除、
九三八年の﹁家族法典﹂の採択に注目すべきです。とりわけ引き
このことに加えて、政府が断乎として採用した政策、とくに一
したて社会的上昇のための財政的問題はずっと軽くなりました。
となったので(初等教育の無償は一八八0年代に達成されていま
同様に意味がないものになりました。他方、中等教育までが無償
存しようという心配も、プランがたえず価値を降下させたため、
に意味を失なってきました。土地のほかには、家民削叫ん町民産を保
年には二百二八万六千)。土地を分割されまいとする恐怖は次第
九年に三百九六万七千、-九回二年に二百一一一六万四千、
業的耕作経営数は久しい以前からすでに減っていました(一九二
ところが、第二次大戦後は、農村人口がたえまなく減少し、血民
す
。
で、その費用は息子一人にしかついやすことはできなかったので
い地位をえようとすれば長期間の経費のかかる勉学を要しますの
ますが、それ自体分割することもできませんし、あるいはよりよ
のみならず、これらの農民の多くにとって
るようにさせました
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に戦争の終結による出生の再婚加という古典的命題とは全く異な
社会的地位の上昇は一一小規模の商業を獲得することにより行なわれ
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廿B 誌醐沖 H 効、て井川1 醐 岬 剛 同 曜 聞 社 議 過 均 年 与
ば次のようです。
のそれとを分解する必要がありますが、戦後期をより明硫化すれ
(大幅な経新的後退を特徴とする
字、が、意味あるものとなるためには、戦争と占領の時期の数字
比 す る こ と が で き ま す 。 そ れ 以 前 三 九 三 八i 一九四九年﹀の数
いて七・八克、アメリカ合衆国三・八%、ィギp
λ ニ・六広と対
この最後の数字四・六%は、これに対応する数字、ドイツにつ
同申h
H坦l]司自∞
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好遇されるととになったのです。
マ yrpM4テ
私はしかしこれで十分な一説明だとは思いません。精神状態と生
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活態度についての全般的な変化が生じたことをつけ加えねばなり
ません
封宥です。当時屡身、そして久しい以前から、ドイツとイタリヤ
といった隣国において語られていることが聞かれました﹁若くて
活力みなぎる国民が人口を満々と増加し、人口衰退中のフランス
民族の広犬かっ富裕にすぎた領土内に向ってすぐにもあふれ出る
であろう、﹂と。 敗戦そして占領はこれらの話題に恐るべき現実
味を与えました。そしてそれ以前の精神状態に対する反動が戦争
直後の時期、とくに富裕階級および知識人の聞に顕著でありまし
四、経済的変貌
経済的変貌という観点からほ次の一句で特徴づけることができ
ます。すなわち、フランスはそれまで未だ嘗て知らなかっ大りズ
ムにのって経済的に成長する時代に入るのです。なおそこでは、
人口統計的発展についてのように、戦争直後の年代における戦後
復興、およびその後の進歩の時期を区別できなければならないで
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これらの相異なる数字を分析しながら、フランスの工業につい
て諮れば非常に長くなるでもありましょう。しかしここはそれを
コントヲスト
やる植物ではありませんし、また、戦前との対称性が最も全面的で
あるのは工業においてではないのです。なぜなら、フランスは一
九三九年以前にすでにダイナミックな企業、例えば自動車工業を
もっていたからです。
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では、職人的段階から工業的段階へ全面的に移行しました。農業
た国内需要をやっと満たすにすぎなかったのが、大幅に輸出向け
して一挙に、フランス農業は
ンタル︹一カンタル五0 キログラム)から一九五二l 五五年には
した。麦の年平均生産量は、一九三五│一ニ八年には七千九百万カ
として、トラクターや機械化、そして化学肥料の時代に移行しま
非常に大きくかっ未だに充分解明されていない問題にぶつかりま
そ し て そ の 深 い 原 因 は 何 で あ っ た の で し ょ う ? 私達はここで、
如何にしてこのような経済的発展が行なわれたのでしょうか、
afIbp
す。私見によれば、そこには、人口的発展の説明についてのよう
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九千六百万、砂糖大根の生産量は八千三百万から一億一千百万に
であります。占領期を通じて、フランスは必要に迫られて、配給
恐らく最も知られているところは、制度的枠組みと経済の構造
ています。
に、精神状態の深い変化との関連で神秘というべき部分が存続し
よび増大によるものです。
倍以上となりました。それらすべては、基本的には効率の強化お
牛肉および豚肉の生産量は、一九三八年と一九六六年の間に二
増えました。
一九一一一九年までは強度に保護され
は入手労働カははるかに少なく、しかもその生産効率の増加によ
となりました。
位しか思い及ばなかった農民にとっては全く新しいことです。そ
このような効率に対する関心の高まりは、かつては販売価格に
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りはるかに多くを生産するようになりました。何年間の閑に突如
これに対して農業においては、変貌は全体的なものです。そこ
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制と第一次物資の権威主義的分配という基本的な特徴をもっ極め
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て厳しい指導経済に服しました。このディリジスムは国家により
慣れたフランス人達にとって心理的なショックがあったわけで、
いました。そこにはまた、後にみるように、相当に安易な生活に
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遂行されましたが、また同時に組合的諸組織、すなわち職能人達
その効果は甚大なものがありました。
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により構成された諸々の組織委員会に依拠していました。
位置を与えています。抵抗運動全国協議会のプログラムとの合意
戦線から大きく影響されていますが、国家の活動に同じく大きな
とになります。しかしながらこの計画の創設者であり推進者であ
引き継がれ﹁計画委員会﹂という特別な機関により管理されるこ
および整備-計画﹂が採択され、五年毎に、今日に歪るまで次々と
が、それは経済計画という思想でした。
﹁抵抗運動﹂の経済的イデオロギー、それは一九三六年の人民
をまって、はじめて一九四五四六年において一連の国有化が実
ったジャン・モネは、私企業部門の出身で、本質的に経験主義的
新しい思想のうち一つのものが否みえぬものに恩われました
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一九四六年に ﹁近代化
現したのです。石泊、エール・フランス、大信託銀行、大保険会
でした。彼の計画委員会は彼から極めて独創的な特徴を引き受け
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社、ガス、電気。これらの一定の経済的思想から帰結された国有
ることになりますが、とくにそれは行政的機構として極めて簡素
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化のほかにその時の状況により国有化された、自動車製造企業ル
りませんでした。そして彼は基本的に協調によって、すなわち、
通りにありましたが、普通のアパートの規模をこえるものではあ
でした。彼の執務場所はパリの旧い地区にあるマルティニヤツク
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ノlの国有化のようなものが加わりました。
ンスがおかれていたところの極端な困窮状況であります。多くの
諸々の専門化された委員会に相異なる省の官僚達、使用者諸組織
一九四五年にフラ
年月以来フランス人達は、あるいはその大多数は、飢えても食べ
また同様に決して忘れてはならないことは、
ることができず、適当に着ることも靴をはくこともできず、冬の
の代表者達、そして少なくとも当初は、労働諸組合の代表者達を
モネ計画の最初の成功は、生産のアナーキーをもたらしかねな
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聞も暖をとれませんでした。領土が解放されたところでも、主要
集めて、協調をはかることによって行動しました。
て困難でした。したがってそこにはさし迫った必要が山積してい
かった一九四六年の解体と窮乏の状態にあって、まず再建すべき
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な橋梁は爆破せられ、大きな駅は廃櫨となり、汽車の運行は極め
たわけで、そのことは総ての人に自明のこととしてのしかかって
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基本的諸活動について優先順位を尊重させたことでした。電気、
許きれなかったことの反動として、爾来はげしい旅行欲にとりつ
そして最後に、計画の最も永一続的な効果は、経済官僚やとりわ
かれたのです。
す。さき程引用した数字は、消費財工業よりも生産財工業のより
け企業主達の精神的状態に働らきかけて、将来予見的発想に慣れ
石炭、鉄鉱、セメント、運輸、 農 業 生 産 手 段 、 と い っ た 具 合 で
急速な復興を示しています。不満を満すような需要に重点を置い
させ、とくにアメリカ合衆国に﹁近代化委員会﹂を派遣すること
により世界に向って視野を開くようにしたことです。そのように
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ていたら復興はより非理性的なものにならざるをえなかったでし
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して、狭義での復興一期が過ぎると、経済的発展は指導主義的方法
このような自由に向けての自発的な渇望はまた、戦前の﹁経済
しかし計画の実行の諸手段は当初重要なものでしたが窮乏状態
は、フランス人達は禁欲を強いられるより白から厳しい仕事をす
的マルサス主義﹂に打ち克つことに関心をそそいでいた経済的エ
によるよりもむしろ自由主義的方法によって遂行されることにな
る方が耐えやすいとする国民ですが、諸々の強制が占領時代を想
クスパート達に理論的な意欲を起させもしました。そのような考
が緩和されるにしたがって弱まってゆき、諸々の統制、生産の権
起させるものとしてllたとい強制手段が必要かつ合理的である
え方はとりわけ、一九五三年度の﹁国民会計委員会﹂の報告書に
りました。
ll極めて耐え難いものでしたから、なお更そうでし
場合でも
あらわれています。 そこで問題にされているのは、﹁構造的に厳
威的な配分、そして配給制がなくなってゆきました。 そ の こ と
た。例えば、パンの配給制があまりにも早期に廃止されすぎたた
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め、そのあとでまた復活せざるをえませんでした。他の例として、
格過ぎること﹂に終止符をうつこと、効果的な競争が不在である
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ため﹁状況収益﹂の累積を結果としてもたらし一般的生産性が殆
国有化されたルノ l工場の社長は、当初は最優先的にトラックの
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んど上らなくなることを終らせることでした。保護主義も同様に
断罪されました。そして従来欠けていた活力をフランス経済に
生産を要求されていたのですが、たちまちその代りに小さなマイ
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与えるため、私的なイニシャチブを鼓舞することを目指すところ
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フランス人達は嘗ては出無精であり五年間の被占領中移動を
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払のバランス上の赤字を埋めるとともに、他方では、フランス国
めたのですが、それは二重に役立ちました。一方では、それは支
そのほか、一定の要素が、復興のため基本的に必要な需要を満
の断乎たる政策がとられたことはたしかです。
たした後にも、成長を押し進めまたはそれを促進し続け、その時
家はそのようにして取得した生産物を私的輸入業者に再販売し、
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その対価のプランで﹁相手方資金﹂をくみたでかつ予算上の赤字
々に臨時的あるいは人為的な需要にこたえたものがあります。
さいごに、このような成長は、とりわけ戦後の何年かの閥に、
を埋めることができたからです。
大きなインフレーションを伴いましたが、それは多くの需要が累
まず挙ぐべきは人口的発展であり、それは需要の増大にしか関
係しなかったことを強調しましょう。なぜなら、フランスの人口
積しており生産が不足していたからです。
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の年齢熔成からいって、活動的人口は当該時期の問中約一千九百
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値を大いに低下させたのです。
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安定化の試みも、氷くは続きませんでした。そしてフランはその価
次の時期には、率は二O%以下に下りましたが、しかし価格の
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五O 万人で一定していました。したがって生産性の向上のみが、
同じ数の勤労者でもって、増加した人口の需要にこたえることを
可能ならしめたのです。
一九四五年から一九五八年まで、フランス
けれどもまたフランスは、極めて大幅な外国からの援助によっ
ても益を受けました。
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りませんでした。この額のうち、四八億七千万フランは負債でま
かなわれ、七六億九千五百万フランは援助により、そして二六億
プランは在外資産の利用によりカヴアーされました。この援助
は、基本的にはマーシャル・プランによるものでしたが、フラン
スに借金よりもはるかに多くの収益をもたらしました。マ I シャ
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ル-プランはまた、基本的には第一次資財の取得を可能ならし
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とはいえ、そのような外見的状況にもかかわらず、生産性の発
展の実質はフランスをして少しづっ国際的競争に耐えうる状態に
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至らせました。マンデス・フランス氏自身守かかって言ったことに、
フランスは共同市場を効果的に運用することはできまいとしてい
ましたが、その後の出来事は彼が間違っていたことを示しまし
一九五五年以降九三%に上
た。輸出による輸入の埋め合せの率は、戦前においては、一二分の
こを越えることはなかったのですが、
一九五九年と一九六二年の時期には一 OOWAとなりました。
(以上)
は少なくとも一九七三年以来工業化された世界全体に打撃を与え
る健全なものとなった経済にとってなお強力な刺戟であり、それ
共同市場が実際に行なわれるようになったことは、爾来活力のあ
昇
た危機まで続きました。
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