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詳細 - 公益財団法人 松下幸之助記念財団

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詳細 - 公益財団法人 松下幸之助記念財団
 重要
書式7
助成番号 14-039 松下幸之助記念財団 研究助成 研究報告 (MS Word データ送信)
【氏名】
瀧本みわ 【所属】 パリ第四(パリ・ソルボンヌ)大学 考古学・美術史研究科 博士課程 古代末期考古学・美術史専攻 【研究題目】 古代末期の地中海世界における北アフリカの舗床モザイク工房の遠征活動 : ピアッツァ・アルメリー
ナ(シチリア)の様式分析を手掛かりとして ︎ 【研究の目的】 古代地中海世界で翻案されたモザイク芸術は、ローマ帝国の経済活動と共に発展した。その背景には、大浴
場建設といった公共事業の他に、地方名士や商人のヴィラ(私邸)建設産業における工房の需要拡大が挙げ
られる。海洋交易によって開かれた人的ネットワークが、経済圏という枠組みを超えて非常に活発な芸術文
化圏を形成していたといえる。特に、古代末期(4-6 世紀)の北アフリカの作例との類似が指摘される「ア
フリカ様式」の舗床モザイクは、シチリアやイベリア半島諸都市に散見する。このことは、北アフリカのモ
ザイク職人が地中海沿岸地域へ遠征し、建設事業に従事していた可能性を示唆している。よって本研究では、
ピアッツァ・アルメリーナ(シチリア)のヴィラ・デル・カザーレに見られる「アフリカ様式」に着目し、
カルタゴ(チュニジア)を拠点とした北アフリカ工房が関与したと考えられる同主題図像作例を具体的に取
り上げ、その様式分析を行う。その分析を基盤として、古代末期の北アフリカで盛況を見せたモザイク工房
のシチリアにおける活動範囲や工房内の組織形態、そして制作契機に関して考察を行う。 【研究の内容・方法】
パリのエコール・ノルマル考古図書館、国立美術史研究所附属図書館及びジェルネ・グロッツ古代史図書館
での文献調査に加えて、チュニジアとシチリアでの現地調査を実施し、以下の分析を行った。 1)シチリアにおける「アフリカ様式」諸作例の体系化と様式変遷の分析:ピアッツァ・アルメリーナを筆
頭にその他シチリアに散在する6件の古代末期のヴィラ内の作例(4 世紀から 6 世紀)、及び断片的に残され
る数点のモザイク(2 世紀後半から 3 世紀末)のデータを集成した。その際、装飾文様と図像表現に分類し、
対象となりうる北アフリカの作例と比較分析を行った。また、オフィキナ(Officina)と称される古代ローマ
のモザイク工房では、職人たちが各工程を分業して制作が行われていたことが古文献からも確認されている。
工房の親方兼原画師、下絵師、素地を作る職人、装飾文様を担当する職人、細部表現や色彩構成に関する高
度な技術を持つ職人等、作業内容が細分化されており、その工程や技術の違いは、各作例の造形分析によっ
て指摘が可能となる場合があり、工房内の組織形態への考察の一助とした。 2)北アフリカ工房の遠征活動の足跡 — 図像の伝播と受容に関する考察− :上記で確認した図像の伝播現
象から以下の三つの仮説を提唱した。各説は相反するものではなく、場所や時代によって複数説が同時に成
立する可能性もある:A)北アフリカで制作された小型の既成作品が海洋交易によってシチリアにもたらされ、
建設現場で現地の職人によって最終調整されて舗装された B)北アフリカ工房がシチリアにも拠点を持ち、
職人集団が遠征し現地で制作した C)モデル・ブック(見本帳)が伝播し、それをもとにシチリア現地の工
房が制作した。以上の諸説の考証を試みることで、古代末期の北アフリカとシチリア間の芸術交流が物流の
みでなく、工房という職人集団が古代末期の文化に担った役割を具体的に検証した。 【結論・考察】
シチリアの舗床モザイクにおける北アフリカの工房の活躍は、後2世紀後半に始まる。地理的観点からも、
カルタゴやエル・ジェムといった現チュニジア東海岸諸都市の工房が、近岸であるシチリア西海岸の都市に
上陸し、次第に東方へと拠点を拡大していったことが推測される。そして、4世紀、古代末期舗床装飾の白
眉であるピアッツァ・アルメリーナをはじめとした数件の作例からは、装飾文様のみでなく図像表現におい
てもカルタゴ工房との関連が顕著であった。とりわけ3世紀後半から4世紀末は、大狩猟図や海浜風景をテ
ーマとした作例が北アフリカで飛躍的に展開するが、その最先端の流行がシチリアでも並行して取り入れら
れていることからも、北アフリカ工房の積極的で直接的な関与が指摘できる。この時期、工房職人の物理的
な移動による技術や図像の普及に加えて、見本帳がその図像伝播の媒体として存在していたと考えられるが、
現地点では決定づける史料が存在しない。5世紀以降の作例は、北アフリカ的な装飾文様が慣習的に使用さ
れるが、もはや北アフリカ工房の直接的関与はなく、シチリア独自の工房様式が展開されていったと考えら
れる。今後の課題としては、4世紀に最盛をみるモザイク工房の遠征に焦点をあて、古代末期の建設市場に
おける施主と工房間の人的紐帯や、壁画や舗床制作に従事する職人工房に関する組織形態をより深く解明し
ていきたい。
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