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Title ジャン・パウルと分身 : 小説構造をめぐる覚書 Author(s) 池田, 浩士
Title Author(s) Citation Issue Date URL ジャン・パウルと分身 : 小説構造をめぐる覚書 池田, 浩士 ドイツ文學研究 (1985), 30: 73-101 1985-03-30 http://hdl.handle.net/2433/184997 Right Type Textversion Departmental Bulletin Paper publisher Kyoto University ドy ベルゲ ンガl ウルと分身 士 ジャン 浩 • ││小説構造をめぐる覚え書││ 池 田 マ ノ とのあいだを媒介する。 シャン・パウルと分身 七 リヒタ!とは別の、独自の語り手そのものなのだ。語り手は、作者と主人公とのあいだに身を 置き、 物語と読者 ヤン・パウル・フリードリヒ・リヒターとして語っているのは、小説の作者ヨ l ハン・パウル・フリードリヒ・ るのは、じつは、作者ジャン・パウル・フリ iドリヒ・リヒターそのひとではない。あるいはむしろ、 そ乙でジ いることは、見まがうべくもないだろう。だが、 そこで﹁わたし﹂という一人称をまとって読者に語りかけてく 説が、 さらには理論的なものをもふくめてほとんどすべての作品が、語りの文体 Kよって読者との通路を開いて いっけん、作者がちょくせつ読者に語りかけるのに恰好の設定のように思える。たしかに、ジャン・パウルの小 かれの小説 Kほとんど例外なく付されている﹁序言﹂や、物語の進行を中断して帰入される各種の﹁付録﹂は、 主人公と作者とのあいだに語り手を置くととは、ゾャン・パウルの小説の本質的な特徴のひとつである。 l ジャン・パウルと分身 で刊行されたと . 、宮、旬、門白内向・ロお・)のなかに、すでにとうした語り手を見ることができる。第二巻ま N 与 レイアウト ジャン・パウルによるひとつの伝記﹄と読めるような表記で扉ぺ!ジの構成が ││1 ζの名前によって作家 ζではじめて確定したーーーとい ぅ、しばしばなされる意味づけだけで説明しつくせるものではない。それよりもむしろ、 は、それまで無名だった作者が、のちにあまりにも有名となった自分の筆名を乙 長篇作品としては第三作自にあたる﹃見えないロッジ﹄で、作者がはじめてジャン・パウルの名を用いた事実 て、可能にされているのだ。 ない位置と視点が、 みずから登場人物のひとりでありしかも作者と同名の﹁ジャン・パウル﹂なる語り手によっ って、作者が三人称で主人公を描くのでもなければ、主人公が一人称で自己を語るのでもない。そのどちらでも 、 乙の小説の一登場人物によって読者に伝えられるのであ り、グスタフ少年の伝記である﹃見えないロッジ ﹄ は 寸ン・ファルケンベルク少年の家庭教師として、不可欠の登場人物たちのひとりでさえあることに気づく。 つま つれて、読者は、 やがて、 とのジャン・パウルが単に記録者・伝達者であるにとどまらず、主人公グスタフ・フ 述 べ手が、序言の内容そのものにもまして重要だったわけだ。かれによって語られる﹁伝記﹂を読みすすめるに N旬、)と題されている。ジャン・パウルを名乗る序言の 言ー-や﹁まえがき﹂ではなく、なんと﹁序言役﹂(柄、ミミb や輿に揺られながら ζの序文を書きつづけている、という設定で読者に語りかけてくるのだが、 その文章は﹁序 なされている。伝記の記録者たるジャン・パウル GSロタ三一)は、巻頭でまず序文に登場し、旅行の途上で馬車 トル全体が﹃見えないロッジ S込町民、問、句HEWNh) という副題をもち、タイ b h とろでついに未完に終わったこの長篇は、﹁ひとつの伝記﹂ (h3、 ト (bNVR さ 見えないロッジ﹄ 作者がはじめて ジ ャン・パウルの筆名を使い、 はじめて世に迎えられた作品とされている ﹃ 七 四 ﹁グリーンランドの訴訟﹄(町、旬、 N h b . 詩人む込町、さ崎町句句会見∞ω・) と﹃悪 ジヤン・パウルが小説形式のためのまったく新しい方法を獲得した、という点に乙そ注目しなければならないの である。 なるほど、 それ以前のふたつの調刺作品、 ﹁序言﹂や﹁結語﹂は、 そとでもまた、語り手が好んで顔を出す ただ単に叙述するのではなく読者に 語りかける文体は、すでに顕著に認められる。 その語り手は、 ﹃訴訟﹄ではただRというイニシアルで示されて h kAES之、むミ 雪忠夫旬、旬、屯 NV ミぷロ∞ω・) にも、 魔の文書からの抜粋﹄ ( のにうってつけの場所として使われる。だが、 可-mJEZ=∞)という歴然たる変名をもっていた。 いるにすぎず、﹃抜粋﹄では逆に、 --P-F ・ ハ lズス 2・ ﹃見えないロッジ﹄での﹁ジャン・パウル﹂の登場によってはじめて、語り手は作者とのあいだに、同一性と、 そして同時にまた意識的な差異性とを、獲得することができたのである。 次作、﹃育の明星、 あるいは四十五回 ミ (ト三、記、2cthミ HKOJN ペ守 ・)にいたって、 h p ] F J 可C0 の犬の郵便日﹄(尚三、ミ R3也、句、む同さえもミミ 45 ロ自・)でも、語り手のこの名前はそのまま継承される。そし て、その翌年の小説﹃五級教師フィクスラインの生涯﹄ はじめて本名の全部をもって署名するもの ジャン・パウル・フリ lドリヒ・リヒタ l﹂ 一七九五年六月二十九日。 ζ に著者は、短信の権利に敬意を表して、半匿名性を放棄し、 に語り手は、巻頭の﹁わが友たちへの短信││序言にかえて﹂の末尾で、 こう記す乙とになる、 ﹁ 乙 ジャン・パウルと分身 七五 めて採用したわけだが、 乙れは決して、作者とは別の語り手という存在を廃棄し、あるいは作者自身の存在をそ つまり、作者の名前の半分にすぎないジャン・パウルという筆名、半匿名をやめて、 フルネ l ムの署名をはじ である。 フォイクトラントはホ l フにて、 コ て 、 し ジャン・パウルと分身 七六 つくりそのまま前面に押し出したことを、意味するものではない。名前のうえではもはや作者自身と瓜二つにな った語り手は、 そうであることによってますます現実の作者の存在を侵害し、独自の人物としての地歩をかため ζとになる。主人公フィクスラインの妻に子供が生まれると、 フィクスラインの友人 ていく。名前の同一性は、語り手の作者への従属性をではなく、語り手の作者からの自立、固有の一登場人物と しての実在感を、促進する を自称する語り手は、 正式の洗礼を出しぬいて、 いちはやく勝手に、 その赤ん坊に自分と同じジャン・パウルと ζとのできない重要な登場人物のひとりとなって、生きかっ行動する。 いう名前をつけることまでやってのける。語り手は、作者の単なる分身や投影像ではない。物語の展開にとって 欠く ジャン・パウルの小説のこうした語り手たちは、小説の構造にとってどのような意味をもつだろうか ?lllひ とつには、もちろん、作中で展開される筋や出来事に臨場感と現実味を与える手法としての意味があるだろう。 語り手は、物語の人物たちとじかに出会い、事件を自分で目撃し、あまつさえそのなかで何らかの役割を演じて さえきたのである。かれは、体験者であり証人であり、語るべきととをもっているのだ。だが、もしも作者自身 が直接そうした乙とどもを描くとすれば、 そのばあい作者は、現場にいあわせないにもかかわらず、出来事を知 υ 語り手を設定することによって、作者はいわば、すべてを見通す神の視点を自分自身から切除し、語 悉していることになる。 つまり、しばしば小説にかんして指弾されてきたあの神の視点を作者はもたざるをえな いだろう り手を?っじて限定された視点、人間の視点を確保することができる。 このことは、逆の側面から見れば、語り手が伝えうるととは現実のごく限定された一部分でしかない、という ことである。 つまり、あるひとつの小説作品が描くべき世界の全体は、語り手によっては語りつくされるべくも な い の で あ り、 語 り 手 が 臨 場 感 と 現 実 味 を 物 語 に 与 え る こ と に 成 功 す れ ば す る ほ ど 、 ま す ま す そ う で あ ら ざ る を えない。 ジ ャ ン ・ パ ウ ル の 語 り 手 た ち が も っ 意 味 は 、 す な わ ち 第 二 に 、 語 り 手 Kよ っ て 語 ら れ る こ と が ら が 小 説 世 界 の す べ て で は な く 一 部 分 に す ぎ な い と い う ζとを小説の構成原理とするような、 そういう小説形式が必然となり、 5.ENQEbh 将司句、久 wgNOINN-) に ま た 可 能 と も な っ た こ と だ ろ う 。 処 女 長 篇 ﹃ 見 え な い ロ ッ ジ ﹄ から、 乙 れ と 同 じ く つ い に 未 完 の ま ま 残 さ れ た 最 後 の 長 篇 ﹁ 当 星 、 あ る い は ニ コ ラ ウ ス ・ マ ル ク グ ラ l フ﹄(己ミ同ミミ二号、 い た る ま で 、 ジ ャ ン ・ パ ウ ル の す べ て の 小 説 は 、 語 り 手 に よ っ て 伝 え ら れ る 物 語 そ の も の に 加 え て 、 さまざまな ﹁付録﹂や﹁脱線﹂や﹁号外﹂等々の寄せ集めから成り立っている。物語の本筋とはちょくせつ関係がないよう 7リ Q司5 . 3 H 昼、3hhbミ詩句ミミ宣言ミr l ア・ゲ l ツの生涯﹄ (hS3bH24 3 ﹃見えないロッジ﹄の付録である﹃ア に見えながら、しかしそれらは不可欠の構成要素として物語と有機的に結合し、諸要素のすべてをあわせてはじ ンタールの陽気な教師 4 めてひとつの作品となるのである。それらの付録や脱線は、あまつさえ、 ウ 山ミミ言、) の よ う に 、 小 説 の 語 り 手 み ず か ら に よ っ て 制 作 さ れ た 作 品 と い う 設 定 に な っ て い る こ と す ら 、 ま れ で 、 、 はない。あたかも、自分の主報告だけでは現実を汲みつくしえないことを、小説の一登場人物たる語り手が自覚 しているかのように。 4 かれの語り手たちは、 それゆえ第三に、 物語ることがそもそ 単一の筋だけからなる小説形式を破填し、ときには付録の付録というこ重の脇道までそなえる多重構造の小説 をつくり出したジャン・パウルの試みのなかで 七七 も 不 可 能 で あ る と い う 意 識 を 体 現 し て い る の だ 。 乙れは、 いっけん、語り手が設定されるととの第一の意味、 ジャン・パウルと分身 コ て ジャン・パウルと分身 ζで課せられるのは、 なのだ。 ﹁汝自身を知れ﹂というあの命題だけではない。自己自身の正体を知るという課題は、 ぃ。︿謎﹀とは、 これまた当然の乙とながら、ジャン・パウルの小説においては、 相E の関係のなかにあるもの で明示されているはずのだれか或るひと、等々││の秘められた正体を知ることと不可分にしか、果たされえな つねに、他人││行方の知れない兄弟姉妹、恋人に変装した別人、肖像画で見た謎の人物、隠された遺言のなか にそ でも、あるいは﹃巨人﹄でも、出生の秘密や素姓をめぐる謎が、小説の原動力となっている。だが、主人公たち ひとつである︿謎﹀は、言うまでもなく乙の困難と密接にかかわっている。﹃見えないロッジ﹄でも﹃育の明星﹄ という絶望的なまでに大きな困難を課せられねばならない。ジャン・パウルの小説のもっとも顕著な構成要素の の代弁者として作者自身の自己を語る乙とだけを任務とするのではなく、 いまの関係のなかで他者に向けて語る、 は考えなかった。自己自身ではないものが、 かれにとってはやはりまた重要だった。かれの語り手たちは、作者 哲学者、 フィヒテのように、自己自身に注意を向け、目を自己の内面に向ける乙とが唯一最大の課題である、と て表現しているのである。しかもそのジャン・パウルは、 かれが最大の思想上の敵対者とみなしていた同時代の 関係が既成のものとして現に与えられている、という認識とはほど遠い作者ジャン・パウルの意識を、身をもっ 読者とのあいだで、 さまざまな語り口と多様な表現方法をくりかえし試行する語り手たちは、語るととのできる 関係のありかたとの相E関係のなかでしか、なされえない営みだからである。作者と主人公とのあいだ、物語と まり物語に臨場感と現実味を与える役割を語り手が担っているということと、まっこうから矛盾するようにみえ る。しかしもちろん、 そうではない。なぜなら、語るという乙とは、 人間相E の関係のなかでしか、 そしてその 七 八 ジ ャン・パウルの作品にはもちろんある。 語り手が顔を出すのはめずらしい乙とではない。 ベ ' ミ ミ 、 除 ( b ・) これはほとんどの場合、 二巻からな (ba トミご込先刊号 H Apbb送、同虫、、N M 3 N 3 5∞ H oolCH なるものが上梓された。 乙れの第二巻 巨人﹄ (MJEFESS-) の第一巻が刊行されたとき、 四巻からなる長篇 ﹃ る﹃巨人への滑稽付録﹄ し ば し ば 独 立 の 作 品 と し て も 読 ま れ て い る ﹃ 飛 行 船 乗 り ジ ャ ン ノ ッ ツ ォ l の航海日誌﹄ 円 、 それへの付録として、 llそうしたなかで、注目すベ、きケ│スがひとつある。 ﹁付録﹂や﹁号外﹂など、物語の本筋とは離れた部分でのことであって、 そ う い う と こ ろ で さ え 、 作 者 と 同 名 の 人物が語り手の役割を与えられることも、 半匿名にせよ本名全体にせよ、作者自身の名前を与えられた独自の語り手たちとは別に、だれか純然たる澄場 2 ジャン・パウルと分身 七 九 ジ に 記 さ れ て い る の で あ る 。 ジ ャ ン ノ ッ ツ ォ lがアルプス上空で雷に撃たれて遭難し、 日誌がそこで途絶えると、 分の身に万一のことが起 ζ ったときは遺稿として出版してくれるように、とのグラウルあての要望が、第一ぺ l の で は な く 、 グ ラ ウ ル 百 円25 と い う 名 の 友 人 に あ て て 書 か れ た 記 録 で あ っ て 、 も し も 空 中 探 険 旅 行 の 途 上 で 自 述べたりせずにはいない。 そ の う え 、 も と も と 乙 の 航 海 日 誌 は 、 ジ ャ ン ノ ッ ツ ォ l が 自 分 自 身 の た め に 記 し た も な乙とはしない。随所に﹁欄外にある出版者の手﹂なるものが介入しては、 日誌の記述に註釈を加えたり批判を いう想定になっている。しかしもちろん、作者は、ジャンノッツォーだけに語り手の権利をゆだねてしまうよう 円 S H3NN己P h M ) である。 これは題名も示すとおり、 ジ ャ ン ノ ッ ツ ォ ! と い う 男 が 自 分 で 作 っ た 気 球 ( こ れ を b h E R 4 M 旬 、 zny) と か れ は ﹁ 飛 行 船 ﹂ 円 三 円 以 岳 民 と 呼 ぶ ) に 乗 っ て 空 の 旅 を し な が ら 記 し た 日 誌 ( し か も ﹁ 航 海 日 誌 ﹂ ∞2 主 J i ジャン・パウルと分身 それで終わるわけではない。 そのグラウルが登場して、巻末に簡潔な追悼の辞を記す。 グラウルの役割は、 かれは、 ま た の 名 を ラ イ プ ゲ lパl 八 (戸何日 ﹃ジャ ghgsh・ ﹃フィヒテ主義ないしはライプゲl パl さらに﹁巨人の第一滑稽付録への付録﹂(与込 ひ き つ づ き 別 の 作 品 に 今 度 は ラ イ プ ゲ l パl の名前でみずから語り手として登場するのである。 ンノッツォ!﹄をふくむ﹃巨人への滑稽付録﹄には、 3ミミ) というサブタイトルをもっ一冊の付録、 1 パ!という人物は、 史認 この二重の付録をもっそもそもの作品本体たる﹃巨人﹄の h叫同ミト同町長島句 h叫bq33旬、捻込町山ミ句、比内bq旬、む潟、・吋口、s ら 始 ま る 。 数 年 前 に 別 れ た き り だ っ た ラ イ プ ゲ l パーが、 か ね て の 約 束 通 り 、 祝 い に 駆 け つ け て く る 。 ジ l ベン の無二の親友としてあらわれる。物語は、 アウクスブルクから嫁いできたレ、不ッテとジ l ベンケl スとの婚礼か H3012) という長い題名をもっとの 句誌な.ご.若手NybH2白一、bqp込刊誌同三句町宮民、 LDu H﹄ a 誌 Q守 刊 活 、 点 、 口E H司法、・旬、.'凶 司 h 旬 、 小説のなかで、 ハインリヒ・ライプゲ l パl は 、 主 人 公 フ ィ ル ミ ア ! ン ・ シ ュ タ l ニスラウス・ジ l ベンケl ス スの結婚生活と死と婚礼﹄ (WPミ 3J、言内々' ﹃ 花 の 絵 、 果 実 の 絵 、 茨 の 絵 。 あ る い は 帝 国 直 属 市 場 町 ク l シュナッペルの貧民弁護士F ・白・ジ l ベンケl ていた長篇小説、 ﹃貧民弁護士ジ l ベンケl ス﹄でも、中心人物のひとりだったのである。 なかで、あるきわめて重要な役割を果たす登場人物でもあり、なんと、 さ ら に は ﹃ 巨 人 ﹄ よ り 四 年 前 に 刊 行 さ れ それだけではない。ライプゲ hbござ N G S h 円 0・) が添えられていて、 この本の著者がライプゲlパーその 0 5 句 ミミミぷ k、 主義の鍵﹄弓言、た 3 、 与 ひとである、ということになっているのだ。 h 叫 守、ミザヘb3Aとさえ 2 つまり、 σ唱Z ﹃)という男であるととが、ジャンノッツォ l の航海日誌のなかでも記されているのだが、 そのかれが、 ところが親友、 。 ケースは貧民弁護士、 つまり貧民の弁護を専門に担当する弁護士だが、 その職業柄、 み ず か ら が 貧 民 の 生 活 に 甘 ん じ な け れ ば な ら な い 程 度 の 収 入 し か 得 ら れ な い 。 そ の か れ が 結 婚 に 踏 み き っ た の は 、 母 の 遺 産 が 一 二OOグル デンあって、 乙 れ は か れ が 自 立 す る ま で 後 見 人 に 管 理 さ れ て お り 、 結 婚 と と も に そ れ を 受 け と る こ と が で き る は ずだからだ。 ζろから、すべ ての 婚礼の席にライプゲ l パ ー が 姿 を あ ら わ し た と き 、 参 列 者 一 同 は ア ッ と 驚 い た 。 か れ が 花 婿 ジ l ベンケ l スと まったく瓜二つだったからである。乙の酷似は、 ふ た り が 同 じ 大 学 で 学 生 生 活 を 送 っ て い た ひとを驚かし、 かっとまどわせたものだった。 ライプゲl パl が 軽 い び つ と を 引 く と と を 除 け ば 、 ふ た り を 見 分 ける乙とはきわめて困難だった。たがいに自分以上に相手を愛する深い友情の粋で結ぼれたかれらは、学生時代 に、友情のあかしとして、名前を交換しあうことを 思 いついた。タヒチ島では恋人たちが心とともに名前を相手 に与えあう、というのが、 そのヒントだった。 乙うして、もとのライプゲ l パーがジ l ベンケl スとなり、もと のジ l ベ ンケl スはライプゲ l パーとなった。 つまり、 いま貧民弁護士ジ l ベンケl スとしてレ 、不ッテと結婚し た の は 、 じ つ は 本 来 の ラ イ プ ゲ !バーであり、婚礼の席でお祝い に花嫁の姿を巧みに切紙細工のシルエッ トに写 し 出 し た ラ イ プ ゲ l パl は、じつはジ l ベンケ l スだったのである。 とうの昔に行なったこの名前の交換が、だがしかし、 い ま に な っ て 思 い が け ない面倒を惹き起こすととになっ ﹁自分はライプゲ1 パl k遺 産 を 引 き 渡 す 義 務 が あ る の で あ って、 ジ l ベンケ l スという名の人 た。ジ l ベンケl ス ( 名 前 交 換 以 前 の ラ イ プ ゲ l パl) の後見人として遺産を管理していた枢密顧問官フォン・ ブレ 1ズ氏が、 物など関知しない﹂という口実をも・つけて、遺産の横取り策動を実行に移したからだった。名前の交換にさいし ジャ ン・パウルと分身 八 ジャン・パウルと分身 ζろか、脅迫罪に間われる危険から逃がれるため、 即座 K貧民弁護士夫妻と別れて大急ぎで国境を越え、少な て連れてきて以来、質素でおとなしいとの女性を、 ひそかに愛していたのである。 一日も 不ッテを自分の馬車に乗せ の勉学を終えて乙の町に帰るさい、友人である貧民弁護士に頼まれて、嫁いでくるレ 、 レネッテは、視学官のシュティ l フェルに惹かれるようになっていく。シュティ l フェルは、 アウクスブルクで テが少しでも物音をたでたり動きまわったりすると、 口やかましくなじるのだった。夫との生活に疲れはじめた 早く﹃抜粋﹄を完成させ、原稿料を手にしようと、ますますそれにかかりっきりになって、家事に精出すレネッ からの抜粋﹄(!)なる奇妙きてれつな文学作品の創作に没頭していて、遺産の見通しが暗くなったいま、 深めていった。金銭上の不自由だけならまだよかった。ととろがそれに加えて、夫の貧民弁護士は、﹃悪魔の文書 なかった 。 一方、新婦のレネッテは、結婚前に想い描いていたものとは著しくかけはなれた結婚生活花、幻滅を 親友が去ったあと、貧民弁護士は身元確認と遺産引き渡しを求めて裁判にもちこんだが、経過はばかばかしく ある。 くとも時効が来るまで向う一年間は、親友に会いにやってくる乙ともできない立場に追い込まれてしまったので ど 強談判 K押しかけ、自分の愛犬を相手にけしかけて脅迫したが、 ついに目的を果たす乙とはできなかった。それ 管される、という決定を下した。激怒したライプゲ l パl (旧ジ l ベンケ!ス)は、親友のためにブレ lズ邸へ 氏の言い分を支持し、受取人が確かに本人であるととを立証できるまで遺産はプレ lズ氏のもとに引きつづき保 が、狭山畑なブレ lズ氏は、時聞がたつと消えるインクでそれを記していたのである。町の司法当局も、ブレ lズ ては、もちろんジ│ベンケl ス(旧ライプゲ lパl) は同氏の承諾を得て、 そのむね書面までもらっていたのだ 八 7イ エ ル ン と い う 女 た ら し の 若 い 貴 族 が 、 レ ネ ッ テ に 目 を つ け 、 な に か と 口 実 を も う け で は 貧 民 弁 護 士 の そのうえもうひとつの障害が、貧民弁護士とレネッテとの生活に閲入してきた。エーバ l ハルト・ロ lザ・フ ォン・ 家を訪れるようになったのだ。この男は、例の後見人ブレ lズ氏の姪、 ナタl リエと婚約していながら、まだ一 度も会った ζとのないナタ lリエが結婚にそなえて遠い都会で修養と勉学を積んでいるのをこれ幸いと、ととろ かまわず庶民の女性に手を出しているのだった。 レネッテが貴族にたいする遠慮と生来のおとなしさとから強い K向 け ﹃ 悪魔の文書からの抜粋﹄も、思うよ 7イ エ ル ン に 向 け る べ き 腹 立 ち を レ ネ ッ テ 一審も二審もとちらの敗訴となった。 態度で相手をはねつけないのを見て、貧民弁護士は、 フォン・ てしまう。 遺産を取りもどすための裁判は、 ζとに ジl ベンケ l スは、心身ともに疲れはて、 自分の死が遠くないのではないかという想いにとらわ うにはかどらない。八月に結婚して四カ月がすぎ、年末が近づいた乙ろ(それは一七八五年の年末という なっている)、 ζ って大陥没が生じ、多数の死者が出 れるようになる。おりから、年が明けて二月の十一日が近づいてくる。との日は、奇しくも十九年前にレ、不ッテ が生まれたのと同じ目だったが、 かねてから、南ドイツ一帯に大地震が起 l!と予言されていた当目だった。そのときこそ自分も死ぬに違いないと考えた貧民弁護士は、あらゆる衣類 る や道具を金にかえて食いつないできたすえわずかに残っていた品物を売って、自分名儀の生命保険の契約を結ん L ルを愛していることは、すでに明らかだった。いまパイロイトにいるの だ。受取人はレ、不ッテとし、 こうして大地震を待ったが、 その日はついに何事も起とらずに過ぎた。いまでは、 レネッテが自分ではなくシュティ!フ で、五月初めにぜひ来てほしい、という親友ライプゲl パl の手紙に動かされて、 ついにかれは親友に会いに行 ジャン・パウルと分身 八 ジャン・パウルと分身 、 ζと も で き な い 。 他 方 、 ラ イ プ ゲl パl は 判断する、と答える。 シ ナ A ζ ζ パイロイトの友人のもとに滞 つ ま り ラ イ プ ゲl パ ー だ と 思 い 込 ん で 、 ジ - ﹁いままで決してかの女を恋してしまうような ζとがなく、 そのためにとそかの女から全幅の信頼をおかれていた。﹂ フ ォ ン ・ マ イ エ ル ン 氏 に つ い て の ラ イ プ ゲl パl の 忠 告 を 、 か の 女 は 黙 っ て 聞 き 終 え 、 当 人 に 会 っ て 自 分 の 目 で もっぱらかの女と友情を結んできただけだったので、 うする ベンケ l スに話しかけたあの女性だった。ジ l ベ ン ケ ー ス は 、 自 分 が か の 女 に 強 く 惹 か れ る の を 感 じ な が ら 、 ど だ。 そとへ、噂の主、 ナタ lリ エ が 訪 れ る 。 さ っ き 人 違 い を し て いうの 在していて、 フォン・マイエルン自身が一両日中にナタ lリ エ に 会 い に や っ て 来 る と と に な っ て い る 、 と リエ、貴族フォン・マイエルンのまだ見ぬ婚約者である当のその女性が、 いま たとき、ライブゲl パlは顔色を変える。伯父フォン・プレ l ズ と は 似 て も 似 つ か ぬ 高 貴 な 性 格 を も っ た ナ タ l 登場し 相手を元気づける。 ジ l ベ ンケl スの話のなかに、あの女たらしのロ lザ ・ フ ォ ン ・ マ イ エ ル ン の 行 跡 が に待った再会の瞬間が訪れ、ライプゲ l パlは 親 友 の 窮 状 を 聞 く と 、 自 分 に 名 案 が あ る か ら 安 心 す る よ う に 、 と 姿をみとめて親しげに近づいてくるが、貧民弁護士がとまどうのに気づくと、人違いを悟って去っていく。待ち かれの と う と う パ イ ロ イ ト の 町 に 到 着 す る 。 ラ イ プ ゲ l パlが滞在する宿に向かう途上、 ひとりの若い婦人が、 ッペルの町を離れた貧民弁護士は、春一色につつまれた自然と楽しげな人びとに元気づけられながら旅をかさね、 な転回とのきっかけであり舞台である。二度とレ、不ッテに会う乙とはあるまいという想いをいだいてク l ジャン・パウルのほとんどすべての小説におけるのと同じように、旅は主人公にとって、新しい体験と決定的 く決心をかため、留守中のレネッテのととをシ品ティ l フェルに託して、旅にのぼる。 四 八 一気に決着をつける。再生して新しい生活を切り開きたい、という親友の切実な パイロイトへの旅は、長く単調につづいてきた貧民弁護士とレ、不ッテとの結婚生活(それはまだわずか十カ月 にも足らなかったのだが)に、 希 い に た い し て 、 ラ イ プ ゲl パl は 、 す べ て を 一 挙 に 解 決 す る 秘 策 を 打 ち 聞 け る 。 そ れ を 開 い た ジ l ベンケース は 、 フ ォ ン ・ マ イ エ ル ン と 実 際 に 会 見 し て そ の 卑 劣 さ を 一 目 で 見 ぬ き 婚 約 を 破 棄 し た ナ タl リエとも別れて、 とりク l シュナッペルへの帰路に着く。 マイエルンと訣別したのち、 ナタ lリ エ は ジ │ ベ ン ケ ー ス へ の 愛 が こ 乙 ろに芽生えているのに気づいたが、自分のまどころを裏切り踏みにじったもうひとりの男への怒りと軽蔑のゆえ ﹁ 生 き て い る か ぎ り 二 度 と 会 わ な い ﹂ と い う 誓 い を ジ l ベ ン ケ l スに立てさせたのだっ 活 に 終 止 符 が 打 て る 。 し か も そ の う え ラ イ プ ゲl パl は 、 掛 け 金 を 支 払 え ば 妻 以 外 の 人 間 で も 自 分 の 死 後 の 年 金 か の 女 に 支 払 わ れ る は ず で あ る 。 ジ ! ベ ン ケl ス は 、 離 婚 に と も な う 費 用 よ り も 安 い 葬 儀 費 用 で 、 無 事 に 結 婚 生 ティ l フェルにまかせておけば心配はないし、 そのうえ、地震予言さわぎのときに掛けた生命保険が、夫の死後、 にたいするせめてもの思いやりだった。 レネッテの今後については、 か の 女 を 心 の 底 か ら 愛 し て い る 視 学 官 シ ュ 不ッテ ながらも覚悟をかためざるをえない。かの女の苦しみをこのような方法で軽減してやることが、哀れなレ 、 た と お り 、 仮 病 の 卒 中 で 倒 れ る 。 二 度 目 の 発 作 に 襲 わ れ た と き は 、 生 命 に か か わ る の で あ る 。 レネッテは、泣、き クl シュナッペルのレ、不ッテのもとに帰りついたジ l ベ ン ケ ー ス は 、 か ね て ラ イ プ ゲi パlと 打 ち 合 わ せ て き 。 た で最後の口づけのあと、 に 、 男 性 全 体 に た い す る 憤 怒 と 不 信 を い ま た だ ち に 捨 て る こ と を 自 分 で 自 分 に 禁 じ て 、 ジ l ベンケl スとの最初 ひ 受 取 人 と し て 指 定 で き る 、 と い う 法 律 の 規 定 を 活 用 し て 、 ジ ー ベ ン ケl ス亡きあとナタl リ エ が 寡 婦 年 金 を 受 け シャン・パウルと分身 八 五 ジャン・パウルと分身 とる手はずまでととのえてくれていた。 八六 ライプゲ l パーから、 ひそかにク l シュナッペルに到着したむね知らせる秘密の連絡が届くと、ジ l ベンケ l スは二度目の卒中に襲われる。嘆き悲しむレネッテとシュティ l フナルと家主夫婦その他のなかへ、ライプゲ l バーが駆けつけてくる。親友の権限を最大限に振りかざして、 か れ は 埋 葬 ま で の 故 人 の 世 話 い っ さ い を 自 分 ひ と りで引き受けるととを一聞に了承させる。なにしろ故人は、じつはまだ生きて呼吸しているのである。臨終とほ とんど同時に部屋にとびこんだ親友が遺体全体のうえにすっぽりかぶせた白い布を、もしも、だれかがめくってみ でもすれば、 それこそ万事休すなのだ。通夜も、 か れ ひ と り が す る 乙 と に な る 。 死 の 数 日 前 に こ の 町 に 着 い て い た か れ が 、 要 注 意 と 目 さ れ る 人 物 た ち を 標 的 に し て 、 病 床 に あ る ジ │ ベ ン ケl ス の 幽 霊 が す で に 早 く も 出 没 し て いると思いこませる細工に成功していたので、 み ん な は お じ け づ い て 、 遺 体 の 安 置 さ れ て い る 部 屋 に も で き る だ け近よらないようにしていた。髪を切り顔に死化粧をほどとす乙とを主張して譲らなかったのに、 ついに拒否さ ζう し て 無 事 つ つ が な く 埋 葬 が 終 わ る と 、 空 の ま ま 地 中 に 埋 め れた床屋だけは、 こ っ そ り 遺 体 に 近 づ く こ と に 成 功 し た も の の 、 白 布 の 下 で 死 者 の か ら だ が 動 く の を 見 て 、 肝 を つぶして退散する。 納棺もライプゲl パーがひとりで取りしきり、 A ティ l フェルと られた棺と自分の墓碑をのとして、貧民弁護士はひそかにク l シュナッペルの町をあとにする。かれ自身が臨終 の床で本人たちにたいして行なった遺言の要請にしたがって、未亡人レネッテは相思相愛のシ 再婚するはずである。ジ l ベンケースは死んだ。そして死んだかれは、 か ね て 親 友 ラ イ プ ゲl パlが就任する乙 と に な っ て い た 伯 爵 領 フ ァ ド ゥ ツ の 監 査 官 の 職 に 、 ラ イ プ ゲl パ ー と し て 着 任 す る の だ 。 ラ イ プ ゲ l パ ー だ っ た かれの親友は、 職と名前とをかれに譲ったあと、 だれでもない人間として、 諸国を遍歴するつもりだという。 ﹁ 栄 達 な ん で も の は 悪 魔 に さ ら わ れ ち ま え ば い い の さ ! ぼくはさしあたり姿を消して、群衆のなかに溶け込み、 一週どとに新しい名前をもって現われ出るのだ。パカどもだけがぼくに気づかないようにね。﹂││職の提供と名 前の返還を相手に承諾させようとして貧民弁護士を説得したとき、切紙の名人であるびっこの親友は、 ていたのである。 コ E まみるととも、 かれの希いのひとつだった。 シ占ティ l フ ェ ル の 家 の 窓 に 赤 ん 坊 の 泣 き 声 も レ ネ ッ テ の 姿 も な い ーフェルとの幸福な生活を、 お そ ら く い ま は も う 家 族 三 人 で 営 ん で い る に 違 い な い レ ネ ッ テ の 姿 を ひ そ か に か い たいという想いもだしがたく、 ほ ぼ 一 年 の の ち 、 伯 爵 の 許 し を 得 て クl シ 占 ナ ッ ペ ル へ の 旅 に の ぼ る 。 シ ュ テ イ してファドゥツの領主の信頼をかちえた元・貧民弁護士は、新しい職務にはげむあいだにも、自分の墓を見てみ ォ イ ク ト ラ ン ト の ホ l フまで一緒に旅をしたのち、 そ こ で 最 愛 の 友 と 別 れ て 姿 を 消 し て い く 。 ラ イ プ ゲl パ!と 、 り 、 後 見 人 と し て 管 理 し て い た 遺 産 の 引 き 渡 し を 申 し 出 た の で あ る 。 親 友 に 追 い つ い た 旧 ラ イ プ ゲl パl は み ず か ら そ れ に 仕 上 げ を ほ ど と し た 旧 ラ イ プ ゲl パl の熱演によって、 つ い に 恐 怖 に う ち か つ こ と が で き な く な うーーという手紙を末期の故人から受けとっていた後見人フォン・守フレーズは、たびかさなる幽霊のうわさと、 さらに大きな戦果を上げた。死んだ貧民弁護士はひどい仕打ちを恨んで必ずやおまえのと乙ろに化けて出るだろ 、 ライプゲl パ ー と な っ た 故 人 が 出 発 し た あ と 、 な お 数 日 間 ク l シ ュ ナ ッ ペ ル に 居 残 っ た 旧 ラ イ プ ゲl パlは 乙 のをいぶかしく思いながら、 か れ は 自 分 の 墓 に 足 を 向 け る 。 だ が 、 そ こ に か れ が 見 た の は 、 か れ 自 身 の 墓 の 近 く つ フ つ に 立 っ て い る 真 新 し い 墓 標 だ っ た 。 墓 碑 銘 は 、 レ、不ッテがわずか九カ月の第二の新婚生活ののち、産樗熱のため ジャン・パウルと分身 七 八 ジャン・パウルと分身 閉じられぬまま、 1 リエとかれが再会する場面で終わる。死んだジ ファドゥツへ l ベンケ l スの幽霊を見ているのだ、と信じ 一篇の聞かれた小説として、われわれのまえに提示されているのである。 を失ったまま旅立ったこの人物の未完の運命ゆえに、小説﹃貧民弁護士ジ l ベンケ l ス﹄は、本質的にはついに 士の苦しみの物語は完結しても、 かれをその苦しみから救った親友の物語は、未完のままに残されている。名前 ぺて物語り終えられた。だが、 それにもかかわらず、 この小説は、じつは、 乙こで終わってはいない。貧民弁護 ﹁結婚生活と死と婚礼﹂という奇妙な順序で並べられた表題の時代区分は、 こうして、 乙の順序のとおりにす ﹁乙うして、われわれの友人の苦しみは終わった。﹂!!と乙で小説も終わる。 ぼくのととろにとどまってほしい、 というかれの言葉に、 ﹁ 永 宜 一 屈 に 、 フィルミア l ン!-とかの女はとたえる。 誓いは、かれの死と再生によって、もはやかれを縛る力を失っているはずだ。だから今度乙そは、生死を越えて るナタ lリエに、 かれは偽りの死の一部始終を打ち明ける。 ﹁生きているかぎり二度と会わない﹄というかれの を訪れていたナタ の帰途、想い出多いパイロイトに立ち寄る乙とにした。物語は、あのはじめての出会いの場所で、ちょうどそこ に女児もろとも死んだことを、 かれに教えた。悲しみのうち Kク 1 シュナッペルを去ったかれは、 八 八 を補うものとして誕生したのである。 ﹃ ジ l ベンケl ス﹄の執筆を開始した一七九五年九月の時点で、作者ジャ た。そしてそれにもまして、じつはこの﹃貧民弁護士ジ lベンケl ス﹄のほうが、もともともうひとつ別の小説 ジャン・パウル自身、 この小説には続篇が不可欠であることを、すでに主人公の最初の婚礼の席で明言してい 3 一七九五年七月上旬に、 ジ l ベンケl ﹃ ﹃ 巨人 ﹄として 作者を ふた bECSNV) という題名 ン・パウルはすでに三年前から着手していた別の小説をかかえていた。はじめ﹃天才﹄ ( で構想されはじめたその作品は、 ほぽ二年間の中断ののち、 たびとらえた。乙の仕事をすすめるなかで、 この作品には盛り込みきれないテ!?に直面して、 ス﹄のプランが浮かびあがったのだった。 -司 との人物については 語るのである。 ﹁わたしがこれまでに書いたもののうちでもっとも長いがもっとも良い伝記のな 乙の﹁伝記﹂の直接の主人公は、言うまでもなく 巨 人﹄の直接の主人公であるアルパ lj ・フォ ン ・セサ ﹃ ﹂﹁いずれ世間がわたし自身 のとと よりももっとくわしく知る乙とになる﹂だろう、と述べ、﹁その伝記のた かで ・ めに毎日わたしの家の一戸口のまえへ、公文書だの記録だの証明書だのが手押し車に何台も運び込まれている﹂と あって、 チーズを意味するのだから)は、本来は、 いまライプゲ l パlと呼ばれているとの遠来の客にこそ似合いなので 、 それは七個の ーパ l の紹介を行なうなかで、 ジャン ・パウルは、ジ l ベンケl スという滑稽な名前(なぜな ら ゲーパーとの関連で予告したのだ、という事実だろう。貧民弁護士の最初の婚礼の席に姿をあらわしたライプゲ r 'fA 11111小hAM 、 乙 ζ で重要なのは、ジャン・パウルは続篇のことを一般的に予告したのではなく、 ほかならぬライプ そしてこのことはまた﹃ジ l ベンケl ス﹄第二版(一八一八年刊行)では、著者自身によって確認されてもいる。 ベンケ l ス﹄の続篇を示唆したとき、ジャン・パウルが﹃巨人﹄の乙とを念頭においていた乙とは明らかであり、 ジ lベン ケl ス﹄と﹃巨人 ﹄とは、 乙のように、 その生成の過程ですでに密接な関連をもっていた。 ﹃ 、 ン ーラにほかならない。けれども、 アルバ l ノの伝記中、ある意味ではアルパ l ノ自身に劣らぬくらい重要な役割 シャン ・パウルと分身 九 八 ジャン・パウルと分身 ︼巾)である。 E F 円o (ペは、 アルパ l ノの父(じつは養父)ドン・ガスパルがロ!?で偶然に出会って、 その奇矯なひととな ッ ショω ヨツペ を演じる人物の存在を忘れることはできないだろう。それは、 アルパ l ノの家庭教師をつとめる図書館司書、 九 ζとを伝える。││アルパ . q レ l ノをめぐる秘密のうち、 ついに最後まで残されていた 最大の秘密をひとりで解いたその瞬間に、 ショッペは死んだのだった。精神病院から出されたのち、 アルパ l ノ シヨツペはたったいま死んだ 緑の服を着て歩んでくるのを発見する。緑の服の男は、 アルパ l ノにむかつて、自分はシヨツべではない乙と、 で行方をくらましてしまう。赤い服を着て失臆したショッペを探し歩くアルパ l ノたちは、 ついに、 ショッペが 精神病院に閉じ込められたシヨツペは、 やがてアルパ l ノによって救出される。だが、たちまちかれはひとり ってくる、という妄想にとりつかれたのである。 ,我﹀が、自分自身から独立して自分に迫 司 に発狂したとみなされざるをえない状態に陥つていく。自分自身の︿自 るわけだが)を助けてきた家庭教師ショッペは、だがしかしそうするうちに、ひとつの恐怖にとりつかれ、つい 機を救い、 アルパ l ノの解明作業(それは同時にまた自己発見と、他者との関係における自己形成の作業でもあ 頼と愛情とをもって接している人物として、謎の解明にもっとも積極的に関与せざるをえない。 アルパ l ノの危 解きのモティ l フを軸にして展開される。シヨツペは、 アルパ l ノにもっとも近くもっとも親しく、 たがいに信 誘惑者、親友および敵、等々)とかれ自身との秘められた真の関係が、巻を追って開示されていくーーという謎 説﹃巨人﹄の全巻は、 アルパ l ノの出生の密密と、 ひいてはまた周囲の人物たち(父、恋人、姿を隠している妹、 りと、うちにひそむ豊かで厳しい精神とを見込んで、息子アルパ l ノ の 家 庭 教 師 と し て 雇 い 入 れ た の だ っ た 。 小 シ 。 たちのまえから姿を消して城の鏡の聞に迷い込んだかれは、 四方の壁に掛かった鏡のなかから、 あの恐るベ、き ︿自我﹀が何重にもかさなる群像となって自分を見つめているのを見た 。 恐怖と憤怒にかられて、 鏡の一枚を壁 からはずそうとしたとき、壁のなかで時計が時を打つ音がして、 そ ζ に秘密の扉が見出された。それに導かれて、 かねて探し求められていた機械人形を発見し、 それの指示によってアルパ l ノの亡き母の手紙をついに手にした 一匹の犬を従えて目前に迫ってくるのを見たのである。 ζの衝撃で、すでに内 ショッペは、だがしかしそれをアルパ l ノ に 手 渡 し に 行 乙 う と し た と き 、 か ね て 自 分 を つ け ね ら っ て い た あ の 第 ニの︿自我﹀が、緑の服を着て、 的には破壊されていたショッペは、 く ず おれて死ぬ。 かれを追ってきた緑の服の男は、じつは自分は何年もかれを探しつづけていた瓜二つの親友である、 とアルパ ーノに打ち明け、 ジl ベンケ!スと名乗る。死んだショッペは、以前にはライプゲ l パーという名をもっていた が、それを自分に与えたのち自分のまえから姿を消して、世界各地を遍歴していたのだ、というのである。親友 のあとを追おうと決心したかれ、かつて貧民弁護士であり、ライプゲ l パl の名でファドゥツの監査官をしてい ﹃貧民弁護士ジ l ベンケl た旧 ジl ベンケl スは、親友の足跡をたずね歩き、 ついに親友がアルパ l ノの家庭教師になっていることを突き とめて、 とこにやってきたのだった。 かれが探していたかつてのライプゲl パーは、 レiヴェンス ス﹄の末尾で親友と別れるさいに語ったとおり、 さまざまに名を変えて、群衆のなかで生きたのである。かれの 、 モルディア ン︿のち にこれをかれは自分の愛犬に与えた)、 ザクラメンティ 1 ラl 名前は、 ショッペのほかに、狂気の熱にうなされてかれ自身がアルパ l ノに語ったものだけでも、 キオルト、 グラウル、 . ユ レ などがあり、 そのうえショッペのラテン語形、 スキオピウスを名乗ることもあった。緑衣のジ l ベンケl スがア ジャン・パウルと分身 九 ジャン・パウルと分身 22d)を付けて、 これを自分の最初の名としたのである。 町宮口)またはセヴン 2 ζう語る。 ﹃巨人 ﹄に おける最大にして最後の秘密を、独 そのあまりの対照 ﹃貧民弁護士﹄のなか 弁護士﹄のなかで、 B は﹃巨人﹄の結末近くで、 いずれも死ぬ乙とによって物語に決定的な転回を導き入れる。 たあのライプゲ l パl、 のちにシヨツペとなって﹃巨人﹄で重要な役割を演じる人物は、 B である。 A は ﹃貧民 でレネッテと結婚したジ l ベンケl スはA であり、 かれに名前を返却して窮地を救い、旅の空 に姿を消していっ いま仮りに、 元来ライプゲ│パーだった人物を A とし、もう一方の人物をB とすれば、 r-1 カ、 それを見るまえにまず、 乙の二人の人物の関係を簡略に図示してみよう(矢印は名前の移動を示す)。 れ ふ 性に、驚かさるをえないのである。 とりの︿自我﹀、 ジ│ベンケ│スが﹃貧民弁護士﹄のなかで果たす役割と対比してみるとき、 かで与えられている役割は、きわめて大きいと言わなければならない。それだけに、 との役割を、 かれのもうひ している女性君主、 イドイ lネとの結婚が実現することになったのだ。シヨツペという人物がこの小説全体のな 承者である乙とが明らかになり、隣国ハ l ルハ l ル侯国で農奴解放を実施し理想の共同体を建設する事業に着手 力で解いたのである。かれがついに発見した手紙によって、主人公アルパ l ノはホ l エンフリ l ス侯国の王位継 、 死の直前に、 それにしても、 シヨツペことライプゲ│パ lは 知られるようになったのか、わたしはいまだにわからないのです。﹂││ジ l ベンケl スはアルパ l ノに 晦日の晩に、 かれはその年の書き物を焼却していました。かれの﹃ライプゲ l パ│主義の鍵﹄がどうしてひとに ( ω その後、 乙の名を親友と交換したとき以降のいきさつは、﹃貧民弁護士﹄に描かれているとおりなのだ。﹁毎年大 う名だったが、 それにジ l ベン ルパ l ノに説明したと乙ろによれば、故ライプゲl パーは、生まれはオランダ人で、 元来はケ l ス(同市内聞)とい 九 くみ 又V え ひ意て 的を得け 刺コが老 調ッ紙が でピ切だ 妹や絵下 辛や影年 人 B 物 灼 焼る ががえ ザたみ アっく 和にあ若 温きが でわだ 情の上 純耳年 A 物 人 J ャ ン ゾ パウルと分身 フィルミアーン・シコター ニスラウス・ジーベンケース F i r r n i a nS t a n i s l a u sS i e b e n k a s ハインリヒ・ライブゲーパH e i n r i c hL目 bgeber 学生時代の 名前交換 ライブゲーバー (貧民弁護士)ジーベンケース レネツテとの結婚生活 'し一 もパく 義一書 テプ﹄ ノ¥ 主ゲを ヒイ鍵 ィ 7の フは義 ﹃く主 の書 E 4 別 NH ' り 主抜 文 FM目 の 魔 悪 偽りの死 名前消滅一-, 古 品 古 色 ・ え ライブゲーパー た 与 を 前 名つ に立│││ A旅 自動的に離婚 レーヴェンスキオルト L凸w e n s k i o l u フアドウツの監査役 グラウル Graul つぎつぎと数 多くの名前を モルデ アン 使う d ーーーーーーーーート一、 VA y ぺ Schoppe 再会 ~-...B の死 ρL ショ Bの行方を追う旅 愛犬 l 乙 与える ー VA 九 e t n e m a ザクラメンティーラー L u n i l i t a c d ジーベンケースー Mordian アルパーノの 教育係 ジヤン・パウルと分身 となり、 それにともなって 旧ライプゲl パl(B) に 約 束 さ れ て い た 伯 爵 領 フ ァ ド ゥ ツ の 監 査 官 に 着 任 す 一挙に終わらせる。ジ l ベンケl スとして死んだかれは、 ふ た た び 親 友 か ら 名 前 を も ら っ て ラ イ プ ゲl パl(A) 乙 と が で き ぬ ま ま 、 経 済 的 に も 精 神 的 に も 切 迫 し た 惨 め な 生 活 を 送 っ て い る 。 か れ の ︿ 死 ﹀ は 、 こうした状況を の遺産を後見人から受けとるととができない、という苦境に立たされ、 し か も 妻 レ ネ ッ テ の 心 底 か ら の 愛 を 得 る 学生時代に親友ジ l ベンケl ス (B) と 名 前 を 交 換 し た ラ イ プ ゲl パl(A﹀は、 乙 の 名 前 交 換 の た め に 、 母 ジl ベンケ!ス (A) の 死 に よ っ て 、 小 説 の 人 物 た ち ゃ 小 説 そ の も の の 展 開 は 、 何 を 得 た だ ろ う か ? │ │ 者の差異は、じつはもっと深いのだ。 前者が偽りの死であり、後者が本当の死であった、という点も、もちろん差異のひとつではある。けれども、両 だが、ジ l ベンケl ス (A) の死とシヨツペ H ライプゲ l パ1(B) の死とのあいだには、決定的な差異がある。 九 四 し か も 乙 れ か ら 毎 年 か れ に も たらすはずである。かれはまた、 ω 人間たちの運命にも重大な変化を招来する。 一年後には、 生きているかぎり再会しないと 妻レ、不ッテは、かれの遺言によって、 て 亡、た 夫、が ま カ 、 し 生 l と 前理 ζ i 想 掛の け相 死んだら化けて出る、という故人の遺書と、故人の幽霊に化けて 子 だ と 思 い あ っ て い た シ 品 テ ィ l フ ェ ル と 、 晴 れ て 公 然 と 再 婚 す る ζと が で き 、 し か も ておいてくれた保険金を受けとったほか、 か た 。 さ ら に ナ タl リエは、川 死んだ旧ジ l ベンケl ス (A) と再会してかれ本人を得ることができたばかりか、 後 見 人 を 脅 か し た 亡 夫 の 親 友 (B) の お か げ で 、 と う と う あ の 例 の 遺 産 一 二O Oグ ル デ ン を 手 に す る こ と が で き ( 5 ) ( 4 ) ね 誓った意中の女性ナタlリエと、死後であるがゆえに再会し、かの女と結ぼれる。かれの︿死﹀はまた、周囲の ( 2 ) る 。 乙 の 職 は 、 少 な く 見 積 っ て も 年 収 一 二OO グルデン、 つまり後見人に横取りされた母の遺産と同額の収入を、 ( 1 ) かれの死にともなう二O Oグルデンの寡婦年金を、毎年支給されるととになる。 ざっと数え上げただけでも、 こうしたさまざまな結果を、貧民弁護士 (A﹀ の ︿ 死 ﹀ は 惹 き 起 こ し た の だ 。 そ してこれらの六点は、すべて、故人自身のみならずかれが愛する人間たちの利益であり、幸福をもたらす転回だ った。 それにたいして、 ショッペ (B) の狂死は、なるほど、 アルパ l ノのために最後の最大の謎を解明した点では、 乙れもまた無益なものだったとは断言できないだろう。けれども、 ふたつの死のあいだには、 それでもなお、 と つ の 決 定 的 な 、 本 質 的 な 違 い が あ る 。 シヨツペ (B) は、求めるものを得たときに死ぬ。かれ自身にとって、 すなわち﹁身体を与えるひと﹂にほかならない)を、ジャン・パウルは、二篇の長大な小説のなかで追いつづけ、 愛する親友のために名前ばかりか身体そのものをさえ与える乙とをいとわなかったとの人物(戸包σ鳴σ白とは、 できなかったからである。 、 こ の よ う な 悲 劇 的 な や り 方 で 死 な せ る ζとしか、 B) を を 与 え た そ の ほ か な ら ぬ ラ イ プ ゲ l パl Hシヨツペ ( ウルは、 ジl ベ ンケl ス (A) の た め に あ れ ほ ど 多く を与え、 いままたアルパ l ノのためにこれほど大きなもの るのだ。乙の違いは、 それが偽りの死か 本 当 の 死 か 、 と い う 差 異 に も ま し て 重 要 だ ろ う 。 な ぜ な ら 、 ジ ャ ン ・ パ それはまさに一切のものの終わりである。だが、ジ l ベンケ l ス (A) は 、 死 ん だ と き に 、 求 め て い た も の を 得 ひ さらには二篇の﹁付録﹂の作者や仲介者として登場させながら、 か れ と の そ の 長 い 対 決 の す え に 、 結 局 、 か れ を このように死なせることしかできなかったのだ。 ジャン・パウルと分身 九 五 ジャン・パウルと分身 九六 ζの作品に、もしも自分の手で栄冠をさずけるとす ライプゲ lパl(B) の著作という設定になっている﹃フィヒテ主義ないしはライプゲ lパl主義の鍵﹄に付 された序文のなかで、ジャン・パウルは、自分の子供である ればどんな理由でか、と自問して、 その理由の第一に、 ﹁それ︹わたしの思考の子供、すなわちとの著作︺が、 とりわけ、 フィヒテの観念論を、まさしくそれを支えるはずの他者の共自我という反論しえない存在によって、 一七九九年から一八O O年にかけて、自分より一歳年長の同時代人、フィヒテの哲学、と たたきつぶすことを試みている、という点﹂を挙げている(傍点およびカッコ内は引用者)。 ジャン・パウルは、 りわけその知識学を、集中的に研究した。﹃鍵﹄は、いうまでもなくその 研究の成果であり、 フィヒテの︿自 我﹀論への根底的な批判を意図して書かれたものだった。認識の対象をすべて︿自我﹀(回忌) の所産であると見 なし、 乙うして産出される八非自我﹀ ( Z HZ F) と︿自我﹀との対立として世界の関係をとらえるフィヒテの 円F 思想のなかに、ジャン・パウルは‘誤謬や限界というよりはむしろ大きな危険を見てとったのである。 それゆえ、 ﹃貧民 1 3q フィヒテが知識学にかんする最初の著作﹃知識学あるいはいわゆる哲学の概念について﹄(門忌寄与送、旬、 丸町、ミ123H N. 、 それにつづく主著 ﹃全知識学の基礎﹄( むさ唱え 町営、HP守司色、旬、 号、 HbhsbgH3 3 V )と 守 口 、 ﹄N ヘ なSH円 安q 旬、句、有包道述、刊誌相3 い 旬、マ句)を世に問うた一七九四年から九五年にかけては、ちょうどジャン・パ H H h Q h 1 ζとだった。 ウルが第二長篇﹃宵の明星﹄を完成し、 ついで ﹃ 巨人﹄と ﹃ 貧 民弁護士﹄にとりかかっていた時期だったが、 のかれがフィヒテの著作をはじめて読んだのは、ようやく一七九八年になっての そ 4 弁 護 士 ﹄ の 登 場 人 物 ラ イ プ ゲl パーがフィヒテ哲学の信奉者となっていくのは、 か れ が ﹃ 巨 人 ﹄ の シ ョ ッ ペ に 変 身 し て か ら の ζと な の だ 。 シ ヨ ッ ペ を ︿ 自 我 ﹀ 哲 学 の 信 奉 者 、 いや実践者として描いたジャン・パウルは、 ﹃貧民弁護士﹄にあってはも ﹃巨人﹄では死はもっぱら破局であり、代償や犠牲でしかなかったの ESIS・ )では、双生児の兄弟、ヴルトとヴアルトが、まさしくこれにあたる。だが、 その﹃生意気ざかり﹄が、 し 、 し か も 決 定 的 に 重 要 な 役 割 を 演 じ る モ テ ィ l フである。 ﹃ 巨人﹄ K つ づ く 長 篇 ﹃ 生 意 気 ざ か り﹄ (司 k令 み之、コ h と 恩 わ れ る 人 物 た ち の 謎 め い た 酷 似 、 等 々 の や り か た で 、 そ れ は ジ ャ ン ・ パ ウ ル の 小 説 の い た る と ζろ に 顔 を 出 モティ l フ を 、 も っ と も 端 的 に 体 現 し た 人 物 た ち で あ る 。 鏡 に う つ る 像 、 肖 像 画 の な か の 瓜 二 つ の 人 物 、 無 関 係 ライプゲ1 パlとジ l ベンケl ス は 、 ジ ャ ン ・ パ ウ ル が し ば し ば 作 品 中 に 設 定 し た ︿ 分 身 ﹀ ( Uo冨︼巳宮口唱円)の か。これを解く鍵もまた、 とこにある。 つばら幸福な再生への一段階だったのに、 気 に ま で っ き す す ん で 破 滅 す る ﹃ 巨 人 ﹄ の シ ヨ yぺとなったのか。死でさえもが、 到 な 洞 察 と を も っ て 接 す る 乙 と の で き た ﹃ 貧 民 弁 護 士 ﹄ の ラ イ プ ゲl パlが 、 なにゆえにあの奇矯で辛輝で、狂 親友にたいしても、 そ の 不 幸 な 妻 に た い し て も 、 女 友 だ ち ナ タ lリエ κた い し て も 、 あ れ ほ ど の 愛 情 と 深 く 周 釈を添えることによって﹁たたきつぶす﹂という試みをやってのけたのだった。 な語りロで開陳されるかれの思想(つまりフィヒテ思想の鏡像ともいうべきもの)を、ジャン・パウル自身の註 だ け で は 足 り ず 、 わ ざ わ ざ ﹁ 付 録 の 付 録 ﹂ を こ し ら え 、 ラ イ プ ゲl パ ー を 著 者 と す る と の ﹃ 鍵 ﹄ の な か で 、 滑 稽 そ れ ﹃貧民弁護士﹄までの諸作品でのような幸福な関係をもはや許され ついに ζ の ふ た り の 主 人 公 の 和 解 と い う テ1 7を 実 現 さ せ る こ と な く 未 完 の ま ま 終 わ ら ざ る を え な か っ た よ う に 、 ﹃巨人﹄のなかでも、 ふ た り の 分 身 た ち は ジャン・パウルと分身 九 七 ジヤン・パウルと分身 ﹃生意気ざかり﹄は、 いわば、 乙うした関係を止揚する ζとをめざしながら実現しえなかった作品なのだが、 ていない。 分裂は固定されたまま、 ︿分身﹀はなつかしい親友や兄弟どころか恐るべき敵として現われるのであ 九 八 対立的な差異があることとは、 そのかれらが、 ドツペルゲンガl 八分身﹀ ﹃貧民弁護士﹄では、酷似性 プゲ lパlは、分身との関係を断たれて諸国を遍歴するなかで、さまざまな名前を自分に与える。瓜二つでしか ﹃巨人﹄のシヨツペは、 その別離がきわめて長いものだった乙とを読者に教える。貧民弁護士と別れた旧ライ がどく短期間のものにすぎないだろうと考えていたのだった。 着ていた衣服をそっくり相手のものと交換しあう。自分の分身が視界から姿を消したとき、 かれらは、 乙の別離 とを考えよう、と約束しあい、 ふたりが同時に相手を想う日時まで決め、 そのうえかれらは、別れにさいして、 幸は、 かれらが成功ののちに別れなければならなかった乙とだけである。離ればなれになっても互いに相手のと と違いとを巧みに生かして、難聞に立ち向かい、 それを解決して幸福な成果を手中におさめる。ただひとつの不 ある切紙細工の名人は、果敢で激しやすく、辛蘇で実行力がある。 照的なものをそなえている。作家でもある貧民弁護士がどちらかといえば内向的であるのとは逆に、哲学者でも ある。第三者の目からはほとんど区別できない瓜二つのかれらは、性格や思考や実行力においては、きわめて対 の基本的な本質だろう。 乙の本質を、ジ lベンケ l スとライプゲ lパlは、典型的なかたちでそなえているので むしろ正反対といってよいほど対照的である。 瓜二つであるととと、 ﹃貧民弁護士﹄ではじめて登場するジ│ベンケ l スとライプゲ l バlは、外見はそっくり瓜二つだが、性格は ならない。 ﹃巨人﹄のシヨッペは、敵対的な︿分身﹀という問題を、作者によってはじめて集中的に担わされた人物にほか る も正反対の分身のなかに自己を再発見し、自己との対立を確認し、 ζうして互いに新たな自己と新たな友とを自 分のものにすることは、もはやできない。自分自身が、名前の絶えざる交換(他者とのあいだの交換ではなく、 自分のなかでの交換)によって、 みずからと対決するしか道はない。別れていても相手を想うという約束や、取 ζうしてますます八自我﹀の絶対化に、 おちいって行かざるをえない。 ジlベンケl スという︿共自我﹀ りかえた衣服は、 いわば代償行為にすぎず、ライプゲ 1パl uシヨツペは ひいてはまた自己と他者との対立の絶対化に (昌平日与)を失ったかれにとって、世界は、絶対的な︿自我﹀と、 それに対する︿非自我﹀とからのみ成るものへ ついにジ l ベンケl スと再会し と変わり、︿非自我﹀を︿自我﹀のなかへ採り入れようとすれば、 せいぜいそれは、 自分のものではない名前を ζのようなかかわりかたで自己と世界とに対しつづけたシヨツペが、 自分につぎつぎと与えるというかたちでしか、実行できなかったのだ。 そして、 たとき、かれにとって 、自分の乙の分身は、自分を滅ぼそうとする敵としか考えられなくなっている。自分とも っとも近い存在、まさしく自分の分身であり、自分と合一すべき他者である相手が、同一性と差異とを絶えず確 認し発見しあいながら共働と共闘との道をともに模索するような関係のなかに生きることをやめたとき、 その相 ﹄ への序文で述べているとおり、 鍵 ﹃ ζのような関係に行きっかざるをえない︿自我﹀のありかたそのも 子は、 シ司ツペにとって、自分と瓜二つであるがゆえにますます、もっとも恐るべき敵としか見えなくなってし まったのだ。 ジャン・パウルが対決しようとしたのは、 のであり、 そのようなありかたをしか生まない現在の関係そのものだった。 かれは、 このような︿自我﹀と︿非自我﹀の対立に、︿共自我﹀をもって対抗しようとしたのである。 ジャン・パウルと分身 九 九 ジャン・パウルと分身 もちろん、この︿共自我﹀は、 ﹃貧民弁護士﹄でのジ 一OO 1 ベンケ l スとライプゲl パーがそうであるように、き わめて稀有に、むしろ例外的にしか、実現されえない。われわれを待ちかまえ、われわれをとらえるのは、むし ろほとんどつねに、 シヨツペの運命のほうである。しかも、 ショッベのように、他者との実りある関係を求めよ うとする希いが深ければ深いほど、 そして希うだけではなくそのための方途を実践によってたどろうとすればす るほど、ますますシヨツペの運命はわれわれにとって身近となりがちなのだ。こうしたなかで、ジャン・パウル は、︿共自我﹀の可能性を、 いったいどとに見るととができたのだろうか? フィヒテの信奉者としてのシヨツペ日ライプゲ lパlと対決しようと試みたとき、 そのときでさえ、ジャン・ ﹃鍵﹄という作品そのものを︿共自我﹀の関係から成る討 パウルは、直接的な駁論を書くというかたちを選ばなかった。 ライプゲ lパlが記しているという設定の本文に、 ジヤン・パウル名儀の註釈文を添える乙とによって、 論の舞台にしてしまったのである。しかも、 この討論の舞台そのものがまた、 ひたすら上空から世界を対象的に 眺めようとして破滅する飛行船乗り、ジャンノッツォ lの日誌や、 さらには﹃巨人﹄という広潤な物語とのあい ヴ'ヤン・ だに、同様の関係を結んでいるのだ。貧民弁護士が﹁悪魔の文書からの抜粋﹄という作品を書く、という設定も また、同様である。 自分自身の若き自の作品にほかならない乙の本を主人公に書かせることによって、 パウルは、 ただ単に主人公と同一化しているのではない。主人公と自分とをともに対象化し、 乙の両者をともに 討論の場にすえるのである。 作家ジャン・パウルが、作者と主人公とのあいだに語り手を設定したととは、まさしくこれと関連している。 かれは、作家が︿自我﹀をひたすら描くという道をも、 との自我によって産出される︿非自我﹀としての主人公 κ拒否しようとした。語り手乙そは、両者の関係をともに対象化し批判し、 を描く道をも、とも こうして主体化 し止揚するための、︿共自我﹀なのだ。だがもちろん、 乙の︿共自我﹀は、 そもそも︿共自我﹀というありかたそ のものを困難にし不可能にする現実のなかでは、本当に実現されるととはめったにありえない。ジャン・パウル の語り手は、自分の語りだけで世界を描くととができるなどとは、物語を読者に伝えることができるなどとは、 確信していない。﹁付録﹂や﹁脱線﹂や﹁号外﹂や、異なる作品の並置など、あらゆる方法で、︿共自我﹀の関係 が、いやむしろその関係を模索する場が、 つくり出されなければならないのだ。 語り手のこの無力さ、無力さゆえの試みは、たとえば三分の二世紀のちのドストエ i フスキーが、小説のなか に﹁年代記作者﹂というかたちで語り手を設定したこととも、通底している。かれの年代記作者 は、出来事の信 ドストエ 陰謀、思い違い、策略(偽り 語り手の手に負えない事件や謎が、 作品の基本的な構造上の要素となっているばかり 1 フスキーのぱあいと同じくジャン・パウルにおいても、 頼できる伝達者であるよりは、むしろ予期せぬ事件を生み出す状況の不確実性を増幅して読者に伝える役割を担 わされている。 の死、等々)、狂気など、 ではない。こうした要素を不可欠とする現実の関係そのものが、語り手の役割を規定するのだ。 ジ ヤン・パウルは、 この関係にたいして、文学表現をもって立ち向かう乙としかできなかった。しかもその文 J 4ん 、 かれがこうしてつくり出した語り手と小説構造は、語ることが依然として困難な状況が存在するかぎ MP ﹄ ・ J 学表現は、 この関係を作品世界の内部ですら打破しえぬまま、しばしば未完のまま中断されなければならなかっ ふ/ふ (第一部・完) り、われわれによって討論の素材となり、われわれの︿共自我﹀として再生することを、待ちつづけるのである。 ﹄ 。 ジャン・パウルと分身 。