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Title 彙報 Author Publisher 慶應義塾大学藝文学会 Jtitle 藝文研究

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Title 彙報 Author Publisher 慶應義塾大学藝文学会 Jtitle 藝文研究
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Abstract
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彙報
慶應義塾大学藝文学会
藝文研究 (The geibun-kenkyu : journal of arts and letters). Vol.37, (1978. 2) ,p.57- 109
Article
http://koara.lib.keio.ac.jp/xoonips/modules/xoonips/detail.php?koara_id=AN00072643-00370001
-0057
金葉和歌集の研究
度本における撰述過程に従って部類し、凡そ次の三部に構成さ
れている。
所調続群書類従初度本系について@
伝甘露寺経元筆本等数本について。
所調二度本系諸本について@
まずIは、山続群書類従初度本系諸本について、と、閉その
撰述過程についての、二章からなっている。
山の諸本については、現存伝本八本の書誌、並びに伝本校勘
の基礎的調査の結果、
的円林本系 制中御門宣秀筆本系的橋本公夏筆本系
をあて、さらに文献的研究を踏まえて一歩を進め、その受容の
初奏本から本系類各系統にわたる切継の
であるところから、川w
けて着手された二度本第一次の草案本過程に位置する伝存諸本
凶の撰述については、この系類は、初奏本の棄却のあとを受
の三系統に分けられることを明らかにした。
明に及ぼうとした、意欲的、且、重厚な研究である。
本論文は、まず、従来から部類される初奏本・二度本・三奏
人の歌員が略半数近くを占め、初奏本と異る。三代集作者の削
の異同を見出すものが、百余首の多きに及び、その中三代集歌
たる処、特にその享受の歴史における革新的な意義を二度本に
除の方向を明示するもの、としている。そして次に納本系類過
跡を辿り、その結果、本系類に到る切出歌は各系統相互に多少
設定し、その激変した撰述の諸経過を、現存する諸伝本と関係
程における新選出歌の調査結果から、諸本僅差の相違はある
本の伝承諸本の検討に出発して、特に金葉集の価値のよって来
様相を明らかにして、院政期歌壇の和歌刷新の時代的機運の解
複雑な成立過程に、基礎的な諸本の精査と研究とをもって照明
はいなかった。本論文は、この金葉和歌集を採り上げて、その
するものであるが、その研究は必ずしも満足すべき成果を得て
示しており、同時に、日本文学史上、独自の意義と価値とを有
であるが、その成立過程は非常に異例というべき修撰の形濯を
金葉和歌集は八代集と呼ばれる勅撰和歌集の、第五番目の集
主論文
O平沢五郎君提出学位請求諭文審査報告書
報
資料との上から推論することを試みている。 llすなわち、二
-5
7~
I
I I
][
葉
て当代歌人からの選出であって、そこに白河院を囲続する歌壇
が、約六十首に及ぶ継入歌が認められ、しかもその作者はすべ
ωその撰述過程についてに於いては、これら伝本の特異性と
として着目している@
い切継ぎは、単に歌員の異同の多少にとどまらず、その撰述方
的結集の現れをみる、とする。従って、この段階における著し
移行を総括的に論述した。
度本系類との比較において把握し、更に刷所謂二度本過程への
その相互関係を考察しながら、
ωその撰述過程を続群書類従初
針において決定的に局面を一新するこ占を意図したものである
ωは、上述諸本の所載する所調二度本系未収録歌六十
問題と共に、これら諸本の成立に言及し、撰者俊頼の改修、制
また、この系類諸本聞の歌員の異同を検討し、諸本伝流上の
を対比捜索している。その結果、各本間相互に異同は存する
過程を類推し、併せて初度本・統群書類従初度本系類との関連
首について比較対照し、五本相互における異同から、その移行
まず
除の跡を辿り、円林本系←宣秀本系←公夏本系への経過を推論
が、その過半は先行撰述本系類から継入した歌員であり、その
Q
し、更に本系類諸本における所謂二度本︵流布本︶との載録・
上、それらの歌員は、二度本はいうまでもなく、三奏本にもす
とし、以後の撰述過程の軌軸をなす二度本の起点としている
排歌列を対照してその推移の過程から再び上述の推論を再確認
べて再録されることなく、棄却されていることに注目し、その
同
h
v
。
。
している。
一面からしても、続群書類従初度本系に続く草稿本の一過程を
呈示するとし、これら諸本が草案期における撰述の原形とはい
E ﹁伝甘露寺経元筆本等数本について﹂も、ーと同じ考察を
ω諸本については、伝甘露寺経元筆本以
進めている。すなわち
いがたいが、その形跡をとどめる一過程の系類であると結語し
次いで、統群書類従初度本諸本より本系類諸本に至る切出歌
下五本を採り上げているが、それらが執れも近世期の書写本で
を抱きながら、これら諸本は前系類に次ぐ第二次的な改刷・補
七十首及び撰入歌約二十首を検討し、各系統の異同から、諸本
ている。
綴の草稿期を示唆せしめる伝存本の性格を有するとし、所調二
の刷修経過における位置を設定している。そして本系類の棄却
ある上に、前者の系類とは異り、一系類として扱うには猶疑義
度本系類に精選されてゆく途次の諸相をとどめる僅かな伝存本
E ﹁所謂二度本系諸本について﹂は、現存諸本の過半である
その意義を多角的に精査したものである。
初度本系類の新選出歌三十一首であるのに対し、本系類の新た
約七十本の基礎調査のもとに、この系類の精撰化の経過を追求
歌につき、その内容が初度本以来の歌員三十九首、続群書類従
な撰出歌は僅か約二十首にすぎない状況から、本系類は二度本
金葉和歌集は、成立当初から一般に流布し、且享受の歴史に
した、本論文の主軸をなすものである。
問題、すなわち、当代の歌詠の精撰という困難な撰歌事情と相
おいて主座を占めたものは、すべて所調二度系本諸本であっ
への接近の様相を示しながら、この段階において、もう一つの
候って、新軌軸具現への構想に浮動する草案過程をそこに見る
た。従って現存伝本も上記系類に比し、その数は鰐しく、その
上伝存本の現状は、
として、これを詳述している。
の考察は、初度本・続群書類従初度本系類・本系類諸本に
MW
の弁別が極めて不明瞭であり、しかも予想される凶の系統の多
川精撰本成立過程に生じた各系統と、
様性のために、
見出される二度本︵流布本︶欠員歌の異同を類緊し、各系類の
としたものである。その結果、所謂二度本系類撰述の初頭に最
的あるいは窓意・偶発的な改憲・誤写・誤脱の類を混えながら
間伝流過程に生じた異本系統と、
多歌員を所収する流布本系を設定する従来の考え方に対し、所
錯雑化して、その成立過程の推測を拒んでいる。
異同の変遷から、その撰述経過の自然、且妥当性を論証しよう
調二度本系諸本中、次の Eで分類する精撰本二類から中間本系
入・改旗等を主に、流布本︵正保版︶との異同を検出し、各伝
主要因たる、
ωその排列形態、刷所収歌員、け誤写・誤脱・貿
山従来の系統論の方法に沿い、伝存本各々の特徴を構成する
法が当初の課題となっている。すなわち
Eは、まず、博捜した現存諸本について、その伝本処理の方
ωの経過はその享受・伝写の過程において意関
類の間に移行する可能性が見出され、精撰本二類の善本、京都
大学蔵本及び中間本系類の一系統をなす正宗文庫蔵空済奥書木
の両本に見る欠員歌との比較・照合によって、両本が上述の先
行撰述系類から近接する過程にあることを推論している。
以上Eは、前系類、続群書類従初度本系と次期の所謂二度本
系類の間にあって、その溝渠を埋める僅かな伝存本類として、
u
−
t
n
u
ω例に見出す共有性・類似パターンによっ
拠するにたる基盤をそこに設けている。流布本が近世期の転写
本間相互の関連を、
本にすぎず、前述した先行系類からの推移を考慮する時、最も
妥当性ある基盤と認め、系類・系統の類別の起点としている。
ωMW
の結果より抽出されるが、そ
て類別し、更に付の弁別は、
れと共に初度本以下先行諸本と三奏本との関連を照応すること
の類似をもってのみ処理しえないとし、終稿に向って、特徴的
しかし、本集諸本にみる系類間相互に交錯する関係は外形上
凶この図式的な部類・系統の分類は、現存伝本の各々の外形
に共有する本文の流れと、相反する流れとを捉え、系類・系統
Q
的な形骸の大凡を提示するにすぎないとし、勅撰集における系
上の有力な意義を認め、本之刷修の展開にもう一つの手がかり
により、確認する方法をとっている
統的分類は、本来、撰者の撰述過程を可能な限り索捜すること
を得ょうとしている
料に立脚し、その領域において帰納し構成される文献学的方法
その詳述についで、論者は、限られた現存諸本とその関係資
別し、詳しい叙述を進めている。
ら類推して系統を辿り更に系類にと展じて、五系類十系統に類
し、各諸伝本を位置づけている。その結果を諸本相互の関連か
現存資料から許される限り、その伝流過程を遡って祖形を復元
大略以上の如き過程を勘案しながら、伝存本個々にわたり、
Q
によって成り立つべきであるとし、論拠となる基盤を探ってい
る。その結果、清輔本系統の奥書の誌す﹁朱筆之本秘本和膏六
百四十八首内返歌十四首連歌十八首也﹂の歌員に注意し、この
歌員は現存伝本上よりみると、終稿に近い精撰本系類にあって
も最終過程を示唆するとしている。更に陽明文庫本・飛鳥井雅
章筆本・柳原業光筆本等の各巻首に墨筆註記された各巻の歌員
及び被除歌員につき検討し、それら註文が撰者俊頼の削除過程
を現在にとどめるものと推論されるところから、この註文、そ
本秘本﹂と同一であることを確認し、二度本精撰過程の終一掃を
帰納された蓋然性を集約したものにほかならず、二度本精撰化
て、その点からみて、上述した系類・系統の弁別も、いわば、
には、おのずから限界が予測されることは、当然であるとし
見出している。同時に註記された被除歌から、本集の草案過程
という撰述上の経過を、草案本段階から終稿への移行の過程と
の他傍証を総合検討して、註文の依拠する祖本が先の﹁朱筆之
の歌員が具体的に算定され、草案本から精撰本への流れに、依
- 6
0-
して分析する時、それは妥当性ある現時点的結果であると結語
以上、本論文の研究成果について、その経過の概要を略述し
にとってやむをえぬ帰結であろう。しかし金葉和歌集という
ら、そこに限界が見出される。それはまた、文献学的研究領域
る蓋然性は筆者みずからも認めている如く、当然のことなが
試論でもある。しかしながら、限られた現存資料から帰納され
階の考察を相互緊密に関連づけることによって成立した新たな
たが、金葉和歌集の研究はすでに幾多の論考が著わされなが
勅撰集が辿った異常ともいえる撰述過程を、いりくんだ伝本の
Eを終了している。
ら、その基礎をなす伝本研究は、松田武夫博士の著作をはじめ
状況から、ここまで再構成した本論文の意義は十分に評価せら
して、
として、近時、そのほか部分的な調査結果が次第に発表される
れるべきものと思う
Q
に到ったが、現存諸本全般にわたる総合的な研究はなおいまだ
田
良
日
よって、当審査委員会は、本論文執筆者は、文学博土に価す
昭和五十二年一月二十六日
るものと判定した。
- 6
1-
不備なままに残されているのが現状であった。
本論文は、まず現存諸本の博捜とその基礎的調査を確実にす
すめ、現時点における伝本研究の過半を完了している、と言う
慶応義塾大学教授
査
ことが出来る@
文学博士
文学博士
之
そして、この総合的伝本研究の結果として成立したのが本集
査
慶応義塾大学教授︵前斯道文庫長︶
弥
武
の系統論である。その系統論は従来の如く、単一に伝本の持つ
主
慶応義塾大学教授
村
外形的骨格の類似・共有性を図式的に類別することをもって終
止することなく、本集撰述過程の展開を前提とし、その基点と
方向を確認しての上に、あらためて、現存伝本の詳密な校勘作
業と多角的な分析を行い、その形跡を再構成している。その点
は、特に本論文の豊かな実りということができる。
本論文は、その意味では伝本研究・系統論・撰述過程の三段
池
森
西
助
亨
。
高
同
0
下
曹
十八世紀ドイツ戯曲史とブランクヴァ!ス
君
提
出
学
位
請
求
儲
文
審
査
報
告
書
点の所在を明らかにしている。さらに論者は、詩学用語でいう
アンジャムブマンに触れ、これこそ本論文の主題の特徴的な一
面であると強調しつつ、この文体を意図的に戯曲文体とするた
めに、戯曲作家達がどのような工夫をしたかに注目すべきであ
ると主張する。
第二章では、まずボ l トマ l の刊行されなかった﹃マルク・
とし、ポ l トマ!に始まり、ゲ l テ、シラ l に 至 る 約 七 十 五 年
いていたが、論者はこの文体による戯曲の系譜を明確にしよう
った過程は、従来不当にも看過されがちで、記述も正確さを欠
詩形に対して新局面を聞くこの文体がドイツ古典戯曲文体とな
散文、およびフランス戯曲より移入されたアレクサンドラ γ
の応用︶には克服されるべき点の多いことを指摘する。これに
を比較し、ドイツ語によるこの文体のドイツ語化︵ドイツ語へ
クレオパトラ﹄に触発されて創作されたものとして、この二作
れずにいた
に、従来この作品断片の所在はドイツ文学史家達にかえりみら
アース文体の戯曲創作の最初の痕跡として紹介される。ちなみ
アントンとクレオパトラの恋﹄が、ドイツ語による,フランクヴ
聞にわたるドイツ戯曲のこの文体の歴史を、その採用の動機や
つづく工夫のありょうを次の
体が、論争を惹き起こしつつ定着するまでの経緯を述べ、問題
反 し て 、 ス イ ス の ポ l トマ l に擁護されたブランクヴァ l ス文
を経て十八世紀前半のゴットシエ l ト 一 派 の 文 体 と な っ た の に
サンド一フン詩形が、十七世紀ドイツ・バロック期の悲劇作家達
第一章で、論者は、十一世紀に起源をもっフランスのアレク
戯曲文体として可能か否かをためす試みであったとし、またそ
で試みたが、論者はこの試みに意義を認め、それをドイツ語の
させようとし、イギリスの悲劇の独訳をブランクヴァ i ス文体
る。シュレ iゲ ル は ド イ ツ 戯 曲 を フ ラ ン ス 戯 曲 の 規 範 か ら 解 放
第三章で、 J ・E ・シュレ iゲルの場合を例として挙げてい
ν論 者 は 、 こ れ を シ ュ イ ク ス ピ ア の ﹃ ア ン ト 二 ! と
主題との関連において、十二章に分けて問うているのである。
するに至る経緯を追って著されたものである。
ブランクヴァ l ス 文 体 が 、 ド イ ツ 戯 曲 の 古 典 的 文 体 と し て 定 着
ス・エリザベス朝の、特にシュイクスピアの戯曲文体であった
本論文は、十八世紀ドイツ戯曲史との関連において、イギリ
主論文
宮
たと推定している。
れを表現の単純化とイメージの具体化とを狙つての使用であっ
している。
行末などを、プラ iヴェの新しい文体として特記すべきものと
アース文体も、ドイツ語の変化語尾が英語にない音節を形成す
ィ・ジェ l ン・グレイの悲劇﹄とを比較し、おなじ事フランクヴ
の悲劇の底本となっているイギリスのニコラス・ロウの﹃レデ
ブランクヴァ i ス文体の戯曲として評価しているが、これとこ
グレイ﹄に触れて、これを上演された最初の、ドイツ語による
貫徹できず、他の詩形︵強弱格など︶の混入によってその単調
かし論者は、この詩人の鋭敏な感覚ゆえに、単調なこの文体を
表現するのにふさわしいと考えたためであろうとしている。し
装飾をもたない詩行とが、旧約時代のプリミティ!ヴな感情を
用された動機を推理し、弱・強拍の規則的交替と、押韻による
ース文体を主とした宗教劇﹃ザ l ロモ﹄を挙げ、この文体が採
e
ランクヴァ
第六章で、論者は、詩人クロップシュトックの フ
るため、同じ行数では意味内容が稀薄になり、また五脚詩行の
さを救っているが、そのために特異な内容と形式をもっ戯曲と
第四章で、論者はヴィ lラントの悲劇﹃レディ・ヨハンナ
不徹底となるという点から、これを新しい時代感覚にふさわし
して、ブランクヴァ l ス戯曲史の初期段階で、早くもこの文体
という理念的な主題をもつからには、それにふさわしい格調あ
古典主義的悲劇であって、素材をロ l マに求め、国家への忠誠
ンクヴァ i ス文体を使用していることに注目し、この悲劇が擬
ブランクヴァ l スの生き生きとした軽快さがあり、アレクサン
アース文体を考察している。前者では詩行末がすべて強拍で、
放﹄と﹃アトロイスとテュエスト﹄とをとりあげてブランクヴ
第七章で、論者は、ヴァイセの二つの悲劇﹃テ l パ イ の 解
。
円au
い新しい文体を模索する文人の実験の一つであるとしている。
からの脱却の可能性を模索している作品であると強調してい
る文体、すなわち散文とアレクサンドランの中間に位置する文
ドラン悲劇にない力強さが示されている反面、生硬さの印象は
守
ハ
回
。
第五章で、論者は、まずブラ lヴェの悲劇﹃守フルートゥス﹄
体が必要であったのだと推定し、第五幕第一場からの引用例を
免がれず、後者では、弱拍の詩行末が多いことや、アレクサン
が、散文による市民悲劇の時代を迎えたドイツ演劇界で、ブラ
示して、規則に従った五脚詩行の構成、各行が強拍に終わる詩
している。
第九章で、論者は、散文による戯曲の作者としてのレッシン
ドラン詩行にみられる頭韻が目立つことなどが挙げられ、論者
は、ヴァイセにおいてはこの文体が首尾一貫していないとし、
ヴァ l ス戯曲断片﹃クレオニス﹄、﹁ファティ!メ﹄、﹃星占い﹄
グが最後の作品﹃賢者ナ lタン﹄でブランクヴァ 1 ス文体を採
第八章で、論者は、シェイクスピア崇拝者としてのゲルステ
の文体を、その技術面から徹底的に分析し、その結果としてレ
これをこの文体がドイツ戯曲の文体として確立する以前に直面
ンベルクとへルダ!とを挙げ、この二者にシェイクスピア文体
ヅシングがイギリス戯曲のブランクヴァ i スの形態を機械的に
用したその経緯を興味深く跡づける。論者は、一一一つの−フランク
がどのように映じたかを検討し、結局は、純粋にイギリスの戯
模倣する意図をもっていなかったと結論し、レッシングのブラ
せざるをえなかった困難な、実験段階的な事柄としている。
曲文体のドイツ語への移入の可能性には否定的であったとして
ングヴァ l スがシェイクスピア戯曲文体の応用であるとするグ
さらに論者は﹃星占い﹄を﹃賢者ナ lタン﹄の文体を予告し
ンドルフの古典的見解を誤りとして斥ける。
ヘルダ lが意味内容に優先して五脚弱強格の詩行を厳守し、さ
たものとする。強・弱拍の詩行末における自由な配置、アンジ
いる。しかし論者は、言語学者へルダ l訳による﹃リア王﹄か
らに略綴法の使用と語順反転の使用とを武器として積極的にブ
ァムブマンの積極的使用、一行を二人以上の語り手に分割する
らの、ブランクヴァ l ス文体による科白を、徹底的に分析し、
ランクヴァ l スをドイツ語に移そうとしていたことを明らかに
ス﹄よりの例証をあげて、 ヘルダーがこの文体を忠実に移さん
迫力に富んでいると指摘しつつも、﹃ハムレット﹄や﹁マグベ
用して、複合名詞とアンジャムプマンとの駆使によって訳文が
する
まざまな工夫を修辞学上きわめて詳細に分析し、レッシングの
を遠ざけるためだとして、この文体に払われたレッシングのさ
宗教的寛容を説く内容からして、日常言語の地平からこの作品
悲劇ではない﹃賢者ナ lタン﹄にこの文体が用いられたのは、
﹁賢者ナ lタン﹄にゆき着いたのだとしている。次いで論者は、
技術、これらの特徴をレッシングが徹底的に活用した結果
さらに論者は、この積極的な使用例を﹃リア王﹄より引
として、しばしば文法さえも犯しているとし、へルダ lにおい
Q
てもブランクヴァ I スのドイツ語への移入の困難さがあったと
-6
4一
し論者は、レッシングのこの文体の特異な成立事情ゆえに、こ
させるための突破口を切り開く作品であったとしている。しか
ータン﹄は、ブランクヴァ l スをドイツ戯曲の文体として通用
な自由さがその頂点に達したことを例証し、結果的に﹃賢者ナ
この文体が他とまったく異ったものであるとなし、それの大胆
な文章の美が実現されたと結論している。
イツ戯曲の,フランクヴァ l スにも作為がなくなり、自然で流麗
あったとなし、その作品﹃タッソ l﹄の﹃庶出の娘﹄では、ド
れが立派に詩的文体であることを意識し強調したのがゲ lテで
韻より解放されているがゆえの自由さを活用しながら、なおこ
が見出されたとしている。さらに論者は、ブランクヴァ l スが
をおこなう。散文に近い性質をもったブランクヴァ l スで書か
第十一章で、論者はシラ l の﹃ドン・カルロス﹄の文体分析
の作品がただちにその後のドイツ戯曲のブランクヴァ!スの基
本となったとはいえないとし、従来の定説を批判する重要な指
摘をおこなっている。
ピアやイギリス作家のそれに負うよりも、アッティカ悲劇およ
と方法を詳細に検討し、最後にゲ lテのこの文体がシェイクス
ではなく、レッシングの﹃賢者ナ lタン﹄にみられるシェイク
が、シェイクスピアから直接にこの文体の文章形式を学んだの
用に至ったのは、シェイクスピアへの傾倒によるものである
れたこの作品には、別に散文の上演台本があり、論者は詩文体
びイタリアの詩形に負うところが多かったとし、この作品をシ
スピアの詩文技術を学んだことによるとしている。こうしてシ
第十章で、論者は、ゲ lテの古典主義戯曲の主題と文休とに
ェイクスピアの後継的なものとするドイツの研究者の説に反論
ラl のブランクヴァ l スが﹃賢者ナ lタン﹄の系統であること
と散文体のこの二種の台本を好個の観察材料として、文体上の
している。つまり論者は﹁シェイクスピアに背を向ける地点
を例証した後、論者はその後のシラ lがレヅシングの文体模倣
触れ、まず﹃タウリス島のイフィゲ l ニエ﹄の三つの草稿の文
で、ゲ iテがシェイクスピアの文体によって本格的に劇作を開
から脱却して、ゲ lテの文体へと接近していた過程を詳述し、
詳細な比較研究をおこなった後、シラ lがブランクヴァ l ス採
始したという事情﹂を強調し、この作品によってドイ γ語によ
その聞になされた古代文芸研究のシラ lに及ぼした詩行形式へ
体比較をおこなった後、ゲーテのブランクヴァ l ス使用の動機
るプラングヴァ l スの新たな可能性が、豊かで柔軟な表現能力
- 6
5-
第十二章で、論者は、エッシェンプルクによって散文独訳さ
と比較し、シラ l自身のブランクヴァ l スの基本的性格を浮き
の影響にまで説きおよんでいる。こうして論者は、アッティカ
彫りにして、その結果、この文体を定着させたシラ lが、英語
ス文体で改訳したことに注目し、これをシェイクスピアの原文
イギリス戯曲とフランス戯曲︵シェイクスピアとラシ l ヌ︶と
を知らぬゆえに、英語の文型に拘泥せずに、ドイツ語による独
れたシェイクスピアの﹃マクベス﹄をシラ lが,フランクヴァ l
e ランクヴァ
l スを
の統合をめざした﹃ドン・カルロス﹄との フ
自の−フランクヴァ I スを生みだしたと結論している
悲劇とシェイクスピア劇との︵﹁詩的な抽象﹂の点での︶合一
比較する、||この結果として、論者はシラ I の,フランクヴァ
者は、シラ lが古典文学の研究を経て、イギリス戯曲の守フラン
をめざしたシラ!の古典主義的戯曲﹃ヴァレンシュタイン﹄と、
ースの特徴としての、ーll付詩行末の弱拍問題と、。押韻問題
グヴァ l スの機械的な模倣からはなれた地点で、みずから完成
つまり論
とに言及する。とくに
させた文体こそ十九世紀ドイツ戯曲の基本的文体となったと結
Q
中に押韻詩行を混入する問題であるが、論者はシラ!のこの混
論し、詩行末に弱拍を多数配置するところにドイツ戯曲のブラ
アース定着までのドイツ戯曲の系譜を叙述したとなし、きらに
- 6
6ー
ωは.フランクヴァ l スという無韻の詩行
入の勝れた技術の使用を﹃ヴァレンシュタイン﹄にみて、無韻
十九世紀への展望を簡単に述べ、散文の座を奪ったこの文体が
﹂の章の後半で、論者はこの研究をふりかえり、ブランクヴ
ンクヴァ i スの特質があるとしている。
で始まる詩行を押韻でしめくくっている例を挙げてしめす。こ
うして論者は、ブランクヴァ l スがシラーによってふたたび押
イン﹄でシラ l のブランクヴァ!スとそれを飾る押韻詩行の併
韻と結びついたことを特筆すべきこととし、﹃ヴァレンシュタ
用の型が決定したといい、最後に論者は、シェイクスピアとア
十九世紀には、散文の反撃をうけることになると結んでいる。
の統計数値による分析。
十八世紀ドイツのブランクヴァ l ス戯曲目録、その形態
さらにこの論文には﹁付録﹂︵一 J 四︶がある||
ッティカ悲劇との精髄を一致させようとするシラ l の努力の、
この結果こそ、ブランクヴァ!スがドイツ古典戯曲の基本的な
文体として定着したことを証明する、最後の段階であったと結
論している。
付
シェイクスピアの原文とその独訳との比較。
押韻行数、弱・強拍の行末数などの作家別対照図表@
の関係文献の駆使と考証とは当然のことながら、それに対する
文は総じて科学的、実証的な優れた論文である。また論述の際
今後の研究課題として不聞に付すならば、それにも拘らず本論
れをドイツ戯曲文体として受容するに至った戯曲史に関する実
スが、実はシェイクスピアの生のままの移入につながるもので
論文中で、ドイツにおけるシェイクスピア流のブランクヴァ i
とによってかえって論者独自の見解を明確にしている。特に本
鋭い批判は、古今の権威ある学者にも向けられ、論者はそのこ
証主義的研究であるが、ドイツ戯曲史の初期におけるブランク
はなく、アレクサンドラン詩形や散文体が経過した後に、むし
て創造的に生みだされたという複雑な様相が解明されている
ろ反極のラシ l ヌ流の古典主義のドイツ独自の詩的表現法とし
ω
ヴァ l ス戯曲を、この論者のように一貫して論じた研究は、ド
の空白を埋めるものとして高く評価されるべきものである
ても論者の西洋演劇史研究、ならびに比較文学史的研究への功
が、これはきわめて画期的な解明であり、これのみをもってし
く、イギリス、フランス、ギリシアの先行劇詩との比較対照に
績大といわざるをえない@以上より結論して、本論文はきわめ
﹄の研究にあたって、論者は、同時代のドイツばかりでな
よって論をすすめているが、それがきわめて実証的で、適用例
て優秀にして、学位請求論文にふさわしく、文学博士の学位授
昭和五十二年六月八日
与に価するものと判定する。
る。また予め対象を、社会史的、文化史的、精神史的にまでひ
論文審査委員
慶慮義塾大学文学部教授
査
ろげずに、文体の影響関係にのみ絞ったこと、また観念論に陥
主
文学博士
塚
ることを厳しく自戒していること、この点でより広い文化史的
関連づけに欠けるうらみなしとはしないが、このことを論者の
敏
の分析も明快にして厳密であり、方法上でも押韻の比較その他
6
7ー
越
についての取扱いも統計的、数値的で立論の説得性を高めてい
~
イツ語圏の戯曲研究者によってもまだなされたこともなく、そ
以上が本論文の要旨である。本論文は,フランクヴァ l スとそ
十九世紀の主要−フランクヴァ l ス戯曲一覧表@
ω
日
同
高1
竹
慶
俊
紀
雄
早稲田大学文学部教授
文学博士
慶慮義塾大学教授
査
O芸文学会シンポジウム
同
;
z
;
;
;
﹁現代批評の当面するもの﹂
安東伸介
白﹀をおこなった作品と位置づけられている。この﹁蒲団﹂に
花袋が直接触れた文章は少なく六篇しかない。最初に触れる
﹁評論の評論﹂︵明日制・日︶に於いては、技巧的作為の排除と、見
たままを描くことによる︿作者の我﹀の尊重・虚偽を語らぬミ
と、を主張している。これは﹁﹃生﹄に於ける試み﹂︵明日制・ 9
での平面描写論の主張、﹁評論の評論﹂︵明必・ 4︶での、独断
に陥ち入りやすい心理描写の排除の主張につながって行く。し
かし一方、﹁蒲団﹂発表直後の﹁多事なりし明治四十年﹂︵明
ω ・ロ︶に於いては、﹃野の花﹄序文︵明鈍・ 6︶から続く主
張、八作者の主観の厳粛 Vを自然主義の特徴として述べる。こ
れは、西洋の後期自然主義の拾頭の影響、広津柳浪・小杉天外
による客観性を持った人生の批判・解釈の必要性を基とした
等の心理描写を怠る純客観小説に対する批判からの、作品全体
八大自然の主観﹀の主張に源がある。この時から︿主観を磨
るのである@又、二番目に﹁蒲団﹂に触れる﹃小説作法﹄︵明
Q
く﹀という鍛錬道を持ち込み、後の︿実行と芸術 V論の一方の
田山花袋の﹁蒲団﹂は、島村抱月の︿肉の人、赤裸々の人間
必
・ 6︶は、機悔録として読まれることと告白性を否定しなが
道を予定するのであるが、﹁評論の評論﹂はこの主張と矛盾す
の大胆な餓悔録である。 Vという評と、﹃東京の三十年﹄に於け
ω一二番目の﹁縁﹂
ら、八大自然の主観 Vの名残をもとどめている
﹁蒲団﹂論のために
た。発表要旨を左にかかげる
一九七七年六月二五日︵土︶午後、三回
O芸文学会研究発表会
ぷ
》
.
る花袋自身の回想とによって、 文学史上八性欲の赤裸々な合
宮
西校舎でひらかれ
報告者 中田美喜・由良君美・高山鉄男・岩松研吉郎
目
れた。題目および報告者を左にしめす。
一九七六年二一月三日︵金︶午後、コ一回・南校舎でおこなわ
字
俊
﹀
「
河
内
-(
;
)
6
七
介
題
司
Q
表現の工夫といったものは﹁斉梁風﹂という限られた枠の中で
おちいった対句表現を用いて人工的な美しさを求めた。新しい
の小さなものにすぎない
斉梁体への連想しか持たぬ無意味な修飾語や、マンネリズムに
﹃夜坐﹄︵大U ・6︶の﹁蒲団﹂言及に触れながら、六篇の文章
︵明必︶では逆に、告白性を認めるような物言いをしている
の聞にズレが存在することを指摘し、﹁蒲団﹂論提出の必要性
合、多く、儒教の経典や史書に出典を持つ語を用いるが、それ
以下﹃東京の三十年﹄︵大6 ・6︶﹃近代の小説﹄︵大口・ 2︶
と、より細かい花袋の描写論・人生論の跡付けの必要性とを今
正
した宮廷詩壇である。宮廷での生活のいくつかの機会を借りて
皇帝としての志を群臣に示すか、サロン的な雰囲気の中で気の
利いた表現をもてあそぶかである。文学を愛好し、歴代の皇帝
の中でもその才能を高く評価される太宗ではあるが、詩人とし
ての、生きることの苦悩や詩を作ることの喜びをその作品の中
に見出すことは、もとより困難である。
彼は斉、梁の詩風を好み、謝眺や沈約や慶信、更には、陳、
︵文学研究科修士課程在学・中国文学専攻︶
唐詩、及び幹林学土集等の書物によって見ることができる。
万首唐人絶旬、唐詩紀事、唐百家詩、唐音統畿、全唐詩録、全
なお、太宗の詩は、芸文類紫、初学記、太平御覧、文苑英華、
いものであったのかも知れない。
えって我が国の﹁懐風藻﹂の詩人たちにとっては受け入れやす
た、表現への後ろ向きの姿勢によるのであるうが、その点がか
秘めた情況にありながら、それを果たせなかったのは、そうし
ありながら、言い換えれば新しい時代の詩を創り出す可能性を
帝室の創業を成しとげ、新鮮な空気のみなぎる初唐の宮廷に
ぼえさせるものがある。
現とをそのまま用いて構成されたが故に、すこぶる異和感をお
﹂の二種類のマンネリズム、即ち、斉梁風の表現と教科書的表
Q
また、皇帝としての志を述べる場
後の課題として残しながらも、﹃東京の三十年﹄等の回想を単
らは、おおむね教科書的で新鮮さがない。彼の作品の中には、
ω
︵本郷高校教諭︶
和
惰聞の詩人の語句や表現を学んだ。情景を描写するとき、彼は、
6
9ー
~
純に﹁蒲団﹂論の傍証とすることの危険性を問題提起した
唐太宗の詩について
原
太宗の詩の発表の場は、言うまでもなく、太宗自身を中心と
企
』
、7
g
d
ロ・国−
kv
hys守 句、ーその黙示録3205
︿
円
。
ロ8 の
俊
・
En
巴。ロの黙示録的形式、
考えられ、この事が黙示文学の形式、内容に照応する訳であ
円
。 ωと呼ぶ︶、普遍的に存在すると
る世界を、又比喰的に W巴
修正しようとする意志が︵この行為、並びに修正により示され
時には、これを意識の上で支配し、更に自己の望む形にそれを
vgロ
。ωと呼ぶ︶を作品に描く
現実、歴史︵これを比喰的に、 n
止の巴。ロ 一般にあてはまる事を言うものである。つまり作家が
ち、理想的世界の到来を述べる、所調黙示文学の様式が、広く
る現世を、天上から自由に動かし、遂にはこれに終止符を打
カl モlドの主張する黙示録3
内容と言う事に照らして考えたものである。
ミ
切符言、。\S 同
本発表はロレンスのみ志向ミ是認を、 F ・
カ l モlドが迫。
s
h の中で示した、
我
として、直接的に﹃ヨハネの黙示録﹄を扱い、その解釈に託し
nvgロ を論じ、これを終わらせ、終末の︿Eoロ
て現代社会H
ω
o
包
円
。 ωを示そう
HW
とする、黙示文学の原型に近い作品である
為に、ヵ l モ!ドの理論をより字義通りに解釈し、ロレンスの
黙 示 録 ︿Eoロの文学としての完成度を検討したのである。
この検討の基準は、もはや終末の現実的到来を信ずる事がな
に於て、 w包g
ω 化の行為を、如何に
o者に不信感を与えずに成すか、この点に
に存在するω
読
nFgロ
くなった現代n
nFgロ
O考えられ、これに従って検討を進めたのである。
あるω
と
そして結論として、ロレンスの現実、 歴史への具体的言及
g
g
ω に於ける感覚、即ち終末、現
が、意図に反して読者にのF
実の︸内包円。ω化の不可能な事を思い出させ、その結果与志向ミ句、起
は説得力を欠く作品となっている事を述べ、翻って現実、歴史
vg口。ω へ
を一般化、普遍化した事により、読者に直接的な n
︵法学部助手︶
ssh。誌の優
の関心を持たせない事に成功した作品、甲可。違
秀性を示唆したのである。
Q
﹂のほか二件︵岩下真好・宮下理恵子︶は、本号に論文を掲
載したので省略する
なお、当日ひきつづいて、佐藤朔名誉教授の特別講演﹁ラン
ボl再考﹂があり、終了後懇親会がおこなわれた。
一70~
久
けれども、ここではロレンスのトeRQ令官、が、実質上 PHt。
ロ
る
O芸 文 学 会 講 演 会
一九七六年九月三O 日
ピエ l ル・ジョナン博士︵アヴィニョン大学学長︶
J
、
吋
円
山
凶
ロωm件
。
円
O 一丸七六年度大学院文学研究科修士論文題目および要旨
国文学専攻
文武元年の人麻呂
歌枕の成立
ll古今和歌集表現論
弟③同一人︶の考え方を必要とするとした。
Q
本論文は古今集に現れたすべての地名を対象に、万葉集
れ、歌枕となったものがどのような性格をそなえているかを検
から拾遺集にわたって、一々の地名がどのように和歌によま
ある
古今和歌集の文学としての成立のひとつに﹁歌枕の成立﹂が
夫
論じ、その近似性の所以を求めるに、最低コ一通り︵①歌友@師
している。同時代を代表するこの両作者は離しては考え難いと
してその﹁彼﹂が大歌人人暦の人生と関りを有していたと推測
の宣命起草者の境遇に注目し、そこから内記論を展開した。そ
にしてしかも人麿以外類例の無い章句を同時代に引用し得たこ
荒都歌︵万葉集︶との両詞章の類似に疑問を発し、人麿の創作
文武天皇即位の時の宣命︵続日本紀所載︶と柿本人麿作近江
樹
﹁グリセリ アイス﹂
一九七六年十二月六日
−
D ・S −ブル l ワl博士︵ケンブリッジ大学エマニュ
エル・コレッジ学長︶
﹁チョ l サ!の詩法の特質について﹂
・一九七七年五月二O 日
昨日固め
エドウイン・マグレラン博士︵イェ i ル大学教授︶
吋︿
−
。σωAW ω巴。ロω σ
円
。
ロω
同
MO
k
g速ささS内回忌叫qEぎ包 、山
・一九七七年十月十九日
茂
。
員
キャスリ l ン・コ lパン博士 U︵トロント大学ヴィクト
リア・コレッジ教授︶
﹁
コ l ルリッジといわゆる﹃ロマン主義﹄﹂
原
西
- 7
1ー
藤
中
講
講
論
論
.
.
.
.
。
題 師
論
講
師
論
題
題 師
講
師
題
り、文学への指向を見ることができる。本論文はこのように考
では地名に対して特有の、そして共通のイメージがもたれてお
討した。歌枕が固定するのは拾遺集の時代まで下るが、古今集
として纏められている物以外に、関わりは広がりそうである。
の﹃春日権現霊験記絵巻﹄の絵詞と一致しており、現在説話集
編者が説話を創作した跡が伺えるが、中に二話、延慶二年成立
らかにしようとしたものである。既存の諸説話集を参照しつつ、
西鶴雑抄
察するとともに関係の資料を付した。
方丈記の研究ーーーその自照性と表現と
西鶴の﹃男色大鑑﹄を取り上げ、西鶴本の中での位置、及び
子
﹁方丈記﹂の自照的意義は、その自照的表現そのものにのみ
評判記類、男色関係の本との関連等について述べたもの。西鶴
HHHJ
あるのではない。むしろ、﹁方丈記﹂の表現全体の展開過程に
に於ける男色が女色と同一次元で捉えられ、﹃好色一代男﹄、
、
1
a
t
a
F
反映されている作者の内面の推移にこそ認められる。それは作
子
南柚笑楚満人の黄表紙
ll ﹁敵討義女英﹂を中心に
で、多くの問題提起が含まれている論文。
立証している。今後の西鶴研究へ向けての序論というべきもの
﹁椀久一世の物語﹄、﹃好色五人女﹄等の諸作の延長線上に成立
ω
者の﹁都﹂への優越意識の喪失の過程であり、同時に都への執
﹃撰集抄﹄の研究||構成と出典について
子
﹃撰集抄﹄を構成している凡そ三二の説話を、内容によっ
まま楚満人の黄表紙全般を通じての特徴である事を作品年譜、
﹁敵討義女英﹂の提示する問題点を足がかりに、それがその
景
公
て二十種に分類し、更に各説話毎に、互いに伝承関係を考えら
田
谷
れ得る他説話との比較考究を行なって、全体の性格、位置を明
千
失の過程であり、主観性や唯心性の昂進の過程でもあった
していること、役者評判記の﹃難波立開昔語﹄との聞に密接な
淑
着意識の自覚へと至る自己撞着の昂進の過程であった、またそ
西
関係を有すること、等を、それぞれ着実な考証を行ないながら
友
れは、作品﹁方丈記﹂にとっては、叙述の客観性や批評性の喪
藤
賀
一72-
佐
日
力
はたしている。
論旨を展開している。近世後期の草双紙研究にひとつの寄与を
である。綿密な調査と慎重な考察に支えられて、説得力のある
いた事を指摘し、従来の義女英論、楚満人論を再考察したもの
代、或は既に楚満人以前から草双紙の一部に存在し行なわれて
形式、用語、筋運び等から裏付け、更にそれらが楚満人と同時
師﹄論として、乞食僧の八悟り﹀への過程を追った論文@鏡花
本文の書誌的検討から論じ、﹃妖僧記﹄を含む全体を﹁蝦模法
師﹄として書かれた完結作の前半部四章であること等を、原稿
と、作品﹃妖僧記﹄︵明お発表︶は最初八章から成る﹃蝦模法
原稿の執筆時期が明治二七年﹃義血侠血﹄執筆前後であるこ
塾図書館蔵の生前未発表原稿﹃蝦模法師﹄を全文翻刻し、本
研究の新生面を展く視点として注目される。第二部に自筆原稿
の書誌を整理している。
中国文学専攻
東方朔の研究
漢の武帝と奇しくも時代を同じくした東方朔は﹁滑稽の雄﹂
として名を馳せたと伝えられるが、政治的には不遇の人生を送
ったようだ。本論は﹁史記﹂及び﹁漢書﹂に残された朔の賦・
自叙文に注目し、滑稽萩譜の言辞・歯に衣を着せぬ諌言などを
朔一流の政治的手段としてとらえ、天賦の才能をもった文人、
そして正統の儒者としての朔の真の姿を追求した。
- 7
3-
明治の黙阿弥
明治期の黙阿弥の作劇活動を通して、狂言作者黙阿弥が、役
者の交替をはじめとするさまざまな環境の変化にともなって
し、多くの同時代批評の主張とはうらはらに、今日まで生き残
どのようにその作劇方法を変えたかを確かめることから論を起
ω
ることができた作品の多くが、結局は江戸期に確立していた世
話狂言でしかあり得なかった黙阿弥の作劇法を考察したもの
附・鏡花自筆原稿の書誌的整理
夫
治
広汎な研究対象をよく整理し、丹念に黙阿弥の年譜を追って論
を展開している。
﹃蝦膜法師﹄論
春
加
勇
野
利
木
星
毛
鈴
英米文学専攻
kFωZ円ゲ可。同ロ・国− F
ω 者円。ロのゆ
本論文は、 D ・H ・ロレンスの主として長編小説を時代順に
考察したものである ω彼 の 英 国 近 代 社 会 へ の 密 着 、 及 び そ れ に
対する反発、その結果としての社会からの離脱ー!、この経過
を追うことにより、ロレンスの社会観、人間観を考え、その独
創性、並びに普遍性を明らかにしようと試みた。又、既成社会
と従来の小説形式を同一視したロレンスが、両者に反発し、そ
Q
の結果生じた彼の小説に於ける革新性、詩的性質への接近につ
いても論じた
古英語韻文並びに散文における屈折組織と迂言法との
田
古英語においては、屈折組織と迂言法とが併存していたが、
格の場合、後者の頻度数比率は韻文の方が散文よりも高いとい
う現象が認められる。この現象の解明により、古英語期に既に
らかになるのではないか。従来有力な要因として韻律が挙げら
れたが、むしろ格自身より、その周囲の言語環境に着目し、格
Q
夫
との結合関係から考察する方法等が考えられる。本論文は、こ
のような視点から試みた序論的研究である
独語・独文学専攻
﹃若きヴェルテルの悩み﹄とその時代
Q
この世紀を性格づけた啓
十八世紀のドイツは封建制と小国分立の制約下にあって、そ
れが市民階級の生活意識を左右した
蒙主義思想は、ルソ l流の﹁感性﹂と﹁自由﹂の自覚によって
視野を拡大した。この意識にめざめた﹁疾風怒涛﹂は、封建的
た ω市民の子ヴェルテルは閉塞的状況にある市民社会が自由の
機構を内側から支える市民階級に対する批判者の立場をとっ
Q
不可能性を知り、逃亡のかわりに自殺をもって自己の求める自
由を獲得した
シュティフタ l論||﹃晩夏﹄へ至る軌跡
一74-
我
みられる屈折組織の衰退の、今なお不明確な要因が多少とも明
身
樹
俊
正
俊
直
野
ナ
キ
久
塚
佐
西
対
立
この論文はシュティフタ!の文学の特質を、すなわち、深部
期の諸習作・諸短篇からどのような経過を経て﹃晩夏﹄へと連
た。リルケの場合、事物詩とは、詩人が主張する事物としての
リルケのいわゆる事物詩を、あらためて定義しようと試み
リルケの﹁事物詩﹂
なっていくか、また、やがて熟成してくる﹁穏やかな法則﹂が
詩であって、それは、事物︵存在︶にかかわる詩作自体と、そ
にデモーニッシュなものを隠した彼の文学がどこに由来し、初
いかなるものであり、こまごまとした何の変哲もない描写が、
ト!マス・マン﹃ベネツィアに死す﹄論||主人公ア
考察しなければならなかった。
美学に基づき、事物詩の論理を、リルケの内面史に立ち返って
論を得るために、筆者は、 M ・ハイデガ!とF ・カウフマンの
の詩作にかかわる詩人の実存との証左に他ならない。以上の結
愛﹄にみる黄金時代の国家
一五
ッシェンパハの必然的自己崩壊の過程
き範例を当時のプロイセン君主制に見出しつつ、これを仏革命
あった。彼は﹃信仰と愛﹄で、この理想を類的規模で実現すベ
﹄ろから出発する。主人公の崩壊と死の過程を追い、その悲劇
の本質から起こった必然的結果であったことを示さんとすると
﹂の論文は主人公の一見偶然に見える死が実は彼独自の芸術
子
がもたらしたイデオロギー的対立を克服するものとして措定す
ともいえる内容を叙事詩的な距離を保ちつつ、冷静な認識の目
立って分析することにより、この作品が当時のマンによってい
る。彼にとって﹁君主制﹂とは、歴史のメシア的終末に際して
たのである。
で語る作者のイロ l ニッシュな文体を、特に心理学的な視点に
は、未だない﹁黄金時代﹂の実現可能性に対する不動の確信で
ノヴァ lリスがいわゆる﹁ゾフィ l体験﹂を通して得たもの
キ
す
ノヴァ lリスにおける﹁君主制﹂の理念||﹃信仰と
いかに作品の背後に揺るぎない持続を残していくかを論じてい
真
涼
中
到来するユートピアの政治的形態を表わすものに他ならなかっ
村
- 75-
城
宇
多
る
段に用いる場合がある。森君は現代ドイツ語の語葉のなかから
この種の形容調約五五O語を洗い出して、これを語構成の面か
ら綿密に分析・分類し、その分布状況を図表にまとめた。ドイ
かなる意義を与えられているかを解明せんとしたものである。
ノサックの﹃おそくとも十一月には﹄に於ける一人称
ツ語教育の面からも利用価値のある労作である。
モンテ I ュュとキケロの関係について
仏文学専攻
形式に関して
Q
形容詞の意味内容を強調するには、特定の副詞を付加語とし
k
r
a
y
E
F
4
宅25EgmmZJ10ω
w
吋 g
寝室江巳 ω日
吋 件以
系の一つにとけあわせる語りの技術の冴えがうかがわれる
を一つに溶けあわせるところに、本質的には不協和な二つの体
る。作者たる語り手、自己の身の上を語る作中人物、この両者
二つの体系を調和させようとする作者の意図にてらして考察す
る語りの意味と構造を、語り手と書き手との、もともと相異る
地から構造の分析をこころみたものである。とくに一人称によ
独自形式によるノサッグの長篇小説を、その語り方という見
直
て添加するのがふつうであるが、ドイツ語ではこれとは別に、
艦された彼を見舞う、愛が死に溶け込む孤高の空間の実現とそ
レナ l ル夫人への発砲はジュリアンの生の転機をなくす。収
︿赤と黒﹀試論
典ラテン、特にキケロ深い影響を跡づけた好論文である。
さを示唆する。一五八八年版の加筆の綿密な調査によって、古
新しい視野を斉うしたトランケの研究も、キケロとの関係の深
フリ l トリッヒの研究、又、モンテ l ニュの青年時代の調査で
一五七O年以後は著るしい変化は認められぬとされて来たが、
モンテ!こュとキケロに対する態度は、ヴィレの研究以来、
良
日
随
- 7
6-
脊
辺
g
n
w
m
H
M
E
Rの よ う に 、 語 構 成 を 強 調 の 手
。門誌ロ自B−巴ωE−デω
平
樹
泉
林
後
渡
森
作品のフォルムとなる。独自の分析は仮定され続けた溝を無化
る。ジュリアンの存在形態は彼の独自として開示・定着され、
解釈の不備は﹁赤と点﹂が持つフォルムへの考察の欠如によ
それを跳び越す以前と以後のジュリアンを別人格の如く考えた
﹂に至るまでの生の有様を裁然と分つ﹃溝﹄を想定しながら、
彼の宗教性の問題と結びつけて考察する。
以降の作品群を決定づける作者の倫理・芸術観の醸成と定着を
と治癒の過程を書簡を中心に据えて検討し、﹃ボヴァリ l夫人﹄
り、次いで、挙行された東方旅行の足どりを追いながら、幻滅
いかなる前駆症状を呈したかを初期習作群・未定稿・書簡に探
十九世紀の流行病ともいえる東方熱はフロ lベl ルにあって
E−
ゅ
の
州 WCZR
0 1門町合同︶
円四
章
せずにはいない。
ω
︽ E
V
同︼ S
俣
筆にさきだってこうして用意されたパルザック的パリは、独自
詩的ヴィジョ γと し て 、 把 握 し 洞 察 し た 。 ﹁ ゴ リ オ 爺 さ ん ﹂ 執
社会的環境として、次に人間の内なる精神の次元に於て、更に
一八三01三四年の聞に段階的に深化した。彼はパリを、先ず
的要素の濃い作品であり、これを書くことがゴ i チエにとって
年の幻想小説﹃スピリット﹄が彼女への愛の告白を秘めた自伝
るとともに、多くの作品に現われる彼女のイメージを探り、晩
うが、本論文は諸資料を検討して彼と彼女の関係を明らかにす
﹁トニオ・クレ l ガl﹂における話法の助動詞
独語独文学専攻
O 一九七五年度文学部文学科卒業論文題目︵追加︶
報われなかった彼女への愛の補償であった、と結論する。
脈打っている。
であり、その背後にはパルザックの近代に対する批判と共感が
の映像と構造と意味を賦与され無数の物語を字む神話的都市像
ゴ l チエは青年時代にバレリーナのC ・グリジと知り合
T・
木
ハルザックに於ける﹁パリ﹂の形成
樹
習作時代から都市現象に注目したパルザックのパリ発見は、
茂
I
I
慎
フロ lベl ルに於ける東方体験とその意味
本
- 7
7-
堀
橋
三枝樹
ドイツ語の動詞における非分離前つづりについて
補足語と添加語について
話法の助動詞についての一考察
ホl フマンスタ l ル の 演 劇 志 向1 1規 覚 的 表 現 と
ボナヴェントク!ラ﹁夜警﹂について
EEF
HHHU
同
只
子
夫
O 一九七六年度文学部文学科卒業論文題目
国文学専攻
・池間弥三郎教授担当
南 北 劇 の 女 た ちlーー桜姫を中心に
田
子
真理子
浦
万葉集の︿うら﹀
猿女君の伝承の周辺
太田真里子
万葉食亜羅加留関
生者の鎮魂
子
未完成霊︵折口信夫研究︶
勅使河原義
子
子
子
-7
8ー
と
﹁影のない女﹂の両作品の一つの比較
ー
l,
山姥の考察
馬盟と鮒侍
万葉びとをとりまく音声の研究
蘇生考
行
方
法
↓
zsg 冨ω562巧g号EE=
シラ l の﹁群盗﹂について
滝田佳奈子
義
量
:
味
ゲオルグ・ピュヒナ Illlそ の 生 涯 と
﹁レンツ﹂考
k
r同昨日同信吋∞の﹃ロXN目。吋
水の歌謡||梁塵秘抄を中心に
清
照 玲
文
その
の意
自 己 滅 却 の 構 図ilH ・プロッホにおける
歌垣の研究
澄
扶
京
市
美
味
I~
倫理性体系とその璃庇
島 藤
現実と幻想のあいだで||﹁死者の書﹂成立試論
﹁神之門渡﹂ i!ーその解釈をめぐって
屋
明 雅
子
典
野
聖
力
木 日
根
田
白 城 古 五
浦
菅
田
問
井
武 峯
寺
の」
良
彦
子
誠
男
太と
鼓い
」う
ご生
IR
や
岡1
リ見
キる
芳
哲
ユ
且
明
羽
瀬
=司
木 木
田 崎
島
、
,
,
.
.
浦
西
ナ
ホ
大
谷
台
、
青
鈴
島 大
福
中
日
力
フ「
沖縄の葬制とシャーマニズム
能の﹁物狂ひ﹂について
子
長谷川宏子
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日本人と桃
山下由美子
松山かをる
ほととぎす考
采女の職掌とその考察
山本美映子
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神谷かほる
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古へびとのかをりとにほひ
・西村亨教授担当
原初形態伊勢物語の研究
源実朝
﹃婿蛤日記﹄成立とその心的背景
﹁今昔の笑い﹂
万葉集に見る仏教の影響
﹁式子内親王集﹂||前小斎院百首の成立をめぐって
浦島伝説の展開
和田日実子
関口ひづる
辻仁
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F に見る平家物語の精神
西鶴﹁万の文反古﹂における書簡体の意義について
﹁静から動へ﹂ 4
あはれ
芭蕉の恋の座
﹁雨月物語﹂に描かれた三人の男達
童話の発展についての一試論
桃太郎と花咲爺
市弘
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一吉加良子
夫
agロEZSM﹃=︶の研究
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若松賎子訳﹃小公子﹄︵EFEFF
上代語助動詞﹁ゆ﹂﹁らゆ﹂の研究
宮沢賢治と花ーーその色彩と造型
・檎谷昭彦教授担当
子
﹁反省﹂という視点から見た﹁赤い鳥﹂||﹁赤い鳥﹂の
・関場武助教授担当
抄﹂の三書を中心にして
藤原定家歌論についてll ﹁近代秀歌﹂﹁詠歌大概﹂﹁毎月
子
﹃方丈記﹄から﹃発心集﹄へll妄心の行方を中心として
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十二単と文学
・森武之助教授担当
平賀源内ーーその精神性の行方
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龍川芥之介と芸術至上主義
﹃浅茅が宿﹄に関する一考察
岩井賦充子
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留学体験素描|撤石と魯迅
鯨と高に関する洪水伝説
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英米文学専攻
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転向||日本文学史に於ける転向の再検討
椎名文学に於けるユーモアについて
激石の白雲郷
﹁鉱の如く﹂のめざすもの
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中国文学専攻
李白の道家的傾向
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魯 迅 と 阿Q 正 伝
陶 淵 明l ﹁桃花源記井詩﹂を通して
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曹植の生涯とその作品
柳斎志異に於ける女狐考
朱自清散文論
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サン・テグジュベリ、彼の著作における思想の進化してい
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義編﹃太平記・義経記・曽我物語﹄・角川書店︶
﹁尊氏と道誉﹂・﹁太平記参考文献﹂︵岡見正雄・角川源
誌﹄一月号︶
﹁春田宣﹃中世説話文学論序説﹄書評﹂︵﹃国学院雑
って﹂︵於塾国文学研究会︶
﹁平治関係幸若舞曲について||特に﹃鎌田﹄をめぐ
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ランボl、イルミナシオンにおける都市のイマlジュ
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フランソワ・モ Iリアック|ll﹁テレ lズ・デスケル l﹂
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別巻二・世界文化社︶
﹁﹃お伽草子﹄解説﹂︵﹃グラフィック版日本の古典﹄
号
︶
﹁﹃こんこん小盲﹄考||西鶴補注﹂︵﹃一一一色旗﹄一月
報・岩波書店︶
﹁鏡花自筆原稿目録について﹂︵﹃鏡花全集﹄二五巻月
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﹁西鶴の説話構成1 1﹃好色五人女﹄の場合﹂︵於説話
文学会例会︶
﹁﹃曽我物語﹄・﹃古今著聞集﹄抄訳と解説﹂︵﹁グラフ
﹁兄と妹||習俗と神話の構造﹂︵於古代文学会夏期
﹁虚子文庫余滴﹂その二J五︵﹃慶応義塾園
セミナー︶
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文学研究会報﹄八J 一一号︶
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﹃くらしの季節|!日本人の民俗 2 ・年中行事﹄︵実
業之日本社︶
﹁中古日本文学と中国文学﹂︵﹃武蔵野文学﹄二三号︶
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﹁わが幻の歌びとたち||釈遁空の鑑賞に
﹁旅と旅ぴと﹂︵水上勉氏対談︶︵﹃国文学﹄一一月臨
口信夫集﹄・筑摩書房︶
﹁折口先生の学問﹂︵﹃近代日本思想大系・二二・折
沿って﹂︵﹃短歌﹄一 O月号J七六年四月号︶
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﹁﹃義経記﹄・﹃日本霊異記﹄抄訳と解説﹂︵﹃グラフィ
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﹁﹃曽我物語﹄講読﹂︵於あかね会︶
﹁高橋虫麻目﹂︵﹃万葉集講座﹄別巻﹁万葉集事典﹄
有精堂︶
﹁恋の古代伝承﹂︵於古代文学会︶
﹁サホヒメの物語||伝承論のために﹂︵﹃萌木﹄一一
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﹁﹃雨月物語﹄講読﹂︵於あかね会︶
﹃金葉和歌集の研究﹄︵笠間書院︶
﹁金葉和歌集の研究﹂︵於塾国文学研究会︶
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﹁日本の古典・講読と研究﹂︵於婦人三回会︶
﹁泉鏡花自筆原稿目録﹂︵﹃鏡花全集﹄別巻・岩波書店︶
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﹁日本語再考﹂︵鼎談︶︵﹃三田評論﹄六月号︶
﹃枕草子・方丈記・徒然草﹄︵注釈・解説︶︵同︶
典文庫﹄・河出書房新社︶
﹃竹取物語・伊勢物語・落窪物語﹄︵注釈︶︵﹃日本古
﹁木場の水・江戸の水﹂︵﹃太陽﹄六月号︶
風信社﹂
﹁座談会・人間武田祐吉﹂︵佐藤謙三﹃教室の内外﹄
﹁宮古島の水﹂︵於地人会︶
﹁鬼の思想﹂︵対談︶︵﹃短歌﹄六月号︶
業之日本社︶
﹃芸能の流転と変容||日本人の民俗芸能史1﹄︵実
﹃日本民俗誌大系・二一・未刊資料三﹄︵解説ほか︶
﹁馬場あき子﹃鬼の研究﹄解説﹂︵角川文庫︶
コ二番の語源を瀕る﹂︵﹃季刊邦楽﹄七号︶
学館︶
﹁﹃あそび﹄とユーモア﹂︵﹃教育学全集・増補版﹄小
セットライブラリー︶
﹃伊勢物語・枕草子﹄︵監修・解説︶︵アポロシ・カ
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時増刊号﹂
﹃露地に横丁に曲り角﹄︵新人物往来社︶
﹁日本人の幸福観﹂︵講演︶︵於日本民俗学会︶
﹃池田弥三郎対談集||日本人のこころ﹄︵﹃新人物
往来社﹄
﹃ことばの文化︵日本の民俗・九︶﹄︵河出書房新社︶
﹁紀貫之﹂︵﹃人物日本の歴史三・王朝の文華﹄・小学
﹁折口信夫・解説﹂︵﹃NHK録音集・文学の心﹄四︶
﹁与謝野晶子訳﹃源氏物語﹄解説﹂︵﹃日本古典文庫﹄
河出書房新社︶
﹁角川源義諜調﹂・﹁角川源義・人と業績﹂︵座談会︶
︵﹃俳句﹄︶二月号︶
﹁百人一首あれこれ﹂︵座談会︶︵﹃三田ジャーナル L
︶
四五号︶
﹃暮らしの中の日本語﹄︵毎日新聞社︶
﹃義経記・曽我物語ほか︵グラフィック版日本の古
典・一七︶﹄︵責任編集︶︵世界文化社︶
﹃百人百話﹄︵共監修︶︵博報堂︶
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﹁﹃源氏物話﹄を語る﹂︵円地文子氏対談︶︵﹃日本の
美﹄一集・学習研究社︶
﹃今昔物語集﹄︵注釈︶︵﹃日本古典文庫﹄・河出書房
新社︶
﹃土佐日記・蛸蛤日記・和泉式部日記・更級日記﹄
︵注釈︶︵同︶
﹁おんな言葉の今昔﹂︿於山形中央図書館開館記念講
演会︶
﹁たて書きよこ書き﹂︵﹃言語﹄九月号︶
﹁第二芸術論以後||第十回沼空賞記念講演﹂︵﹃短
歌﹄九月号︶
﹁明治を偲ぶ玉湖友句稿戸﹂︵﹃周辺﹄五巻三号︶
池田弥三郎・本井英
初・ 8
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唱
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﹁ヒメコソ伝説の一考察﹂︵於塾国文学研究会︶
本の古典﹄一七巻・世界文化社︶
﹁和歌とその周辺﹂及び﹁解説﹂︵﹃グラフィック版日
ム耳︶
﹁六条御息所のもののけについて﹂︵於塾国文学研究
好英
戸川U h
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﹁能因の旅﹂︵﹃和歌文学研究﹄三五号︶
︵﹃国語と国文学﹄一月号︶
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o ’ ﹁能因法師考||大江氏歌人との交友をめぐって﹂
晃生
向・ 4
岩松研吉郎
円
肇
﹃町ッ子土地ッ子銀座ッ子﹄︵三月書房︶
﹁有吉文学の一面||﹃有田川﹄を中心に﹂︵﹃面白半
分﹄七月臨時増刊号︶
﹃たが身の風景﹄︵読売新聞社︶
﹁清少納言﹂︵田中澄江氏対談︶︵﹃日本史探訪﹄一六
角川書店︶
﹁江戸のひと・東京のまち﹂︵佐伯彰一氏対談︶︵﹃国
伊
!
|
文学﹄八月号︶
四季・ふるさとへの旅﹄一・国際情報社︶
﹁百人一首の女流歌人||王朝の女たち﹂︵﹃日本の
9
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﹃カラ l源氏物語﹄︵淡交社︶
﹁祭りは生きている﹂︵座談会︶︵﹃文芸春秋デラック
ス﹄九月号︶
東
伊
藤
村
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7 7
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﹁新興俳句運動における作家の相互影響と創作過程
﹁和歌森太郎編﹃日本民俗学講座﹄四・書評﹂︵﹃芸能﹄
O月号︶
一
﹁﹃京大俳句事件﹄検挙者に関する補説﹂︵﹃俳句研究﹄
句研究﹄五月号︶
の秘密﹂︵於俳文学会︶
FLDAυ
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﹁新興俳句主要俳大における影響関係について﹂︵﹃俳
司
初・ 4
初・ 9
九月号︶
・’ ﹃﹁赤い鳥﹂の時代||大正の児童文学﹄︵慶応通信︶
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﹁盛長の夢と伊豆三島明神﹂︵﹃慶応義塾高等学校紀
要﹄七号︶
て﹂︵於塾国文学研究会︶
7
﹁中世における本地物の研究臼﹂︵﹃斯道文庫論集﹄一
三輯︶
﹁御伽草子の伝本概観﹂︵﹃鑑賞日本古典文学・二六
御伽草子・仮名草子﹄・角川書店︶
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Nな芯句。ミ再説﹂︵﹃英語青年﹄五月
﹁本地物草子と神道集﹂︵﹃文学﹄九月号︶
号
︶
﹁﹃明暗﹄と
美穂子
初・ 4
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﹁虚子文庫目録﹂ ω J伺︵﹃慶応義塾国文学
﹁サド侯爵夫人﹂︵﹃国文学解釈と鑑賞﹄二月号︶
研究会報﹄八 J 一一号︶
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号
︶
﹁短詩形文学私評﹂伺︵﹃慶応義塾高等学校紀要﹄七
仲井幸二郎
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・ 4 ﹁相原悦夫﹃八王子の曳山祭﹄書評﹂ ︵﹃芸能﹄四月
﹁民謡用語解説﹂︵﹃日本民謡全集﹄五︶
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u ﹁童唄の周辺﹂︵於目黒区青年大学︶
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﹁巌谷小波と御伽草子﹂︵﹃文学﹄九月号︶
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噌 iE ﹁中世における本地物の研究||三島の本地につい
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︶
﹁民謡と歌謡曲﹂︵﹃椴﹄一七号︶
﹁﹃民謡﹄の知識﹂︵於日本民謡協会︶
仲井幸二郎・中尾達郎・西村
円
巴︷円
号J七六年九月号︶
﹁民話における勧善懲悪の眼﹂︵﹃国文学解釈と鑑賞﹄
二月号︶
﹁浅野建二﹃短歌朗詠の歴史と実際﹄書評﹂︵﹃芸能﹂
O月号︶
一
﹁小町をめぐる男たち﹂︵﹃演劇界﹂二月号︶
大尚
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解説﹂︿﹃グラフィック版日本の古典﹄一七巻・世
界文化社︶
﹁﹃月氷奇縁﹄の成立﹂︵﹃近世文芸﹄二五・二六合併
号
︶
﹃上田秋成文学の研究﹄︵笠間書院︶
﹁上田秋成の幼少時について﹂︵﹃上智大学国文学論
集﹄九号︶
﹁上回秋成文学の研究﹂︵於塾国文学研究会︶
お・ 9 ﹃随筆文学﹄︵慶応義塾大学通信教育教材・国文学古
典研究V︶
﹁近世字書の二・三について||連城節用夜光珠ほ
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﹁鏡花自筆原稿解析﹂ 113 ︵﹃鏡花全集﹄
か﹂︵於塾国文学研究会︶
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月報部J泌・岩波書店︶
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﹁金田一春彦﹃日本人の言語表現﹂書評﹂︵﹃芸能﹄一
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1 A ﹁沼空・折口信夫﹂︵﹃国文学﹄一一月臨時増刊号︶
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月号︶
﹁小野小町追跡﹄書評﹂︵﹃芸能﹄二月号︶
﹁折口学初期の二・三の事実﹂︵於地人会︶
﹁片桐洋
﹁古代和歌と﹃あづま﹄﹂︵於栃木慶友会︶
﹁土佐日記・和泉式部日記・更級日記、口訳および
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﹃墜落||高橋和巳研究﹄︵教育出版センター︶
﹁伊勢物語私帖﹂上︵﹃神戸山手女子短期大学紀要﹄
一八号︶
﹁細川幽斉の研究﹂︵於塾国文学研究会︶
﹃細川幽斉の研究﹄︵笠間書院︶
集﹄九号︶
﹁二条派をめぐっての一考察﹂︵﹃上智大学国文学論
池田市社会教育講座︶
ごのみ﹄と﹃おもひあがり﹄と﹂・﹁日本の祭﹂︵於
718 ﹁﹃日の伴﹄の習俗﹂・﹁来世と再生と﹂・﹁﹃いろ
﹁足一騰の宮﹂︵﹃骨壷﹄一一号︶
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m・3 ﹁上高地に建った酒空歌碑﹂︵﹃山手国文﹄四号︶
土田
向・ 1
安田
﹁経信の母について﹂︵﹃樟蔭国文学﹄一四号︶
洪
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吉村
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o ’ ﹁接頭辞としての﹃いぬ﹄﹃きつね﹄など﹂︵﹃芸文研
﹁唐宋八家文読本の成立﹂︵尚学社・漢文シリーズ︶
中国語・中国文学関係
佐藤一郎
印・ 3
日・ 9 ﹃文法詳解・孟子﹄︵旺文社︶
雄
鈴
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究﹄三五号︶
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﹃国語﹄一四六号︶
ミさなた S ︵書評︶︵英文学研究
成巻1 ・2号
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R俳号︶
アlサ!王の影を求めて︵英語青年 1月号︶
︵その 3︶︵翻訳︶︵詩と散文
﹃マピノギ﹄第一話||ダヴェッドの玉プウィル
合併号︶
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河同町司、守
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ll﹃聯草案﹄の影響﹂︵東書
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英語・英米文学関係
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︵英語教育 4月号︶
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E志川︵日吉紀要 げ号︶
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日・ 5 リデル・ハ lト﹃第一次世界大戦﹄︵翻訳︶︵フジ出版︶
7月号|| 3月号︶
ジェイムズ・へリオット﹃頑張れへリオット﹄︵上︶
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学部日吉論文集
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日・ 3 英詩と野鳥︵E︶︵工学部日吉紀要︶
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七五五号︶
多様なアプローチ︵英語教育
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二十四巻十二号︶
二十四巻十三号︶
現代アメリカ言語学のダイナミズム伺||発散への
多様なアプローチ︵英語教育
日・ 2 現代アメリカ言語学のダイナミズム伺 111
収鍛への
法理論の新しい芽生え︵英語教育二十四巻十一号︶
現代アメリカ言語学のダイナミズム付||英語教授
めざして︵三田評論
日・ 1 義塾の語学教育を考える||国際交流教育の振興を
日本語教育から学ぶ︵時事英語研究第三十巻九号︶
ム︶全国英語教育団体連合会︵於大妻女子大︶
﹂れからの英語教育はどうあるべきか︵シンポジウ
英語教育学会︵於千葉商大︶
日本人児童の英語習得と自然環境︵口頭発表︶大学
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︵下︶︵翻訳︶︵文化放送出版部︶
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シャ lウッド・アンダスンの文章︵英語文学世界
7月号︶
六号︶
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文化の構造と文化ショック︵英語教育
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二十五巻三号︶
二十五巻二
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い方向︵英語教育
海外における子女の教育と言語︵ELEC英語展望
五十四号︶
英語教授法理論の新しい方向︵LLA第十五回全国
大会講演︶
日本の英語教育の将来||アメリカの英語教育と比
較して︵シンポジウム︶全国英語教育学会︵於名
古屋中小企業会館︶
問
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五回号︶
6月号︶
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マッカーシー旋風下のアメリカ演劇︵フルプライト
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ω 年代の黒人演劇︵日本ア
個別性か普遍性か?
メリカ文学会東京支部例会︶
マルサスの﹁北欧旅行日記﹂の一考察||﹃人口論﹄
︵英語青年 4月号︶
7号
︶
同︵東京
キャクストンの謎||英国の印刷m
g年を迎えて
学言語文化研究所紀要
FE可色ー宅3 5 旧蔵の呂−gロ写本︵臆臆義塾大
斜号︶
第二版との関連において︵経済学部日吉論文集初
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︶
日・ 9 同志宮、。堂、芯おについて︵教養論叢
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日・ 3 英語進行形試論︵商学部日吉論文集
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研究所紀要 7号
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7月号︶
日月号︶
﹁えらぶ﹂こと︵ふらんす
伝える学問︵三田評論
学会月例研究会
げ号︶
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アメリカの中の日本文化︵口頭発表︶大学英語教育
宮州民
2EZ ︵口頭発表︶大学英語教育学会
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マlルティア lリス私記聞︵臆慮義塾大学言語文化
呼びすての愛︵三田評論
誤解されていることば︵仔馬凶凶︿戸 2号
︶
オリ!ヴのこと︵三色旗 Z0
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﹃英和中辞典﹄︵旺文社︶
﹃音声学大辞典﹄︵三修社︶
対談ゲスト︵現代ギタ i 8月号︶
芸文学会
トル l マン・カポ lテの虚構性について︵口頭発表︶
本アメリカ文学会︵於鹿児島大学︶
ウィリアム・フォークナ lについて︵口頭発表︶日
第三回音声学世界会議 研究部会議長
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あらわれた音韻の研究︵教養論叢
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研究発表会︵新潟大学︶での口頭発表
カフカと﹃ヒュベ lリオン﹄詮叫
、ンナ・フォン・バルンヘルム︵上︶
論文集﹂口
、ンナ・フォン・パルンヘルム︵中︶
シュパイツア!のヒューマニズム思想
大修館
辻村伊助﹃スウィス日記﹄・﹃ハイランド﹄︵解題︶
﹁覆刻日本の山岳名著解題﹂所収
︵
慶臆通信
︶
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文学︵共著︶
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外から見た英語教育︵英語教育
新しい語学視聴覚教材の開発と言語学︵態慮義塾大
学語学視聴覚研究室紀要 9号
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1月号︶
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﹁あ・えむ・で︵演劇論研究︶﹂ 2 ︵
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シェイクスピアの文体はどのようにドイツ語化され
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編集発行︶
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語辞典﹄︵第二補遺版︶︵書評︶︵学鐙
コロンビア社
於拓大
﹁冠調﹂研究阿国︵関口文法研究会成果報告︶
大語研紀要
ニ1ベルンゲンの世界
LLA学会全国大学デイスカッサント
l日本独文学会秋期研究発表会︵新潟大学︶で
リルケの初期短篇小説について
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ヨーロッパ近代演劇の出発点に立つ人||レッシン
グの﹃ハンブルク演劇論﹄|| NHKラジオ・
ドイツ語講座八月号
シラ 1 ﹃群盗﹄・﹃ディミトリ!﹄︵翻訳と解説︶
経済学部﹁日吉論文集﹂却
界文学全集− U 講談社
ニlチェと仮面
仏語・仏文学関係
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論叢第必号︶
︵慶慮義塾大学法学研究会教養
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ル︵筑摩書房﹁世界文
﹁自己を守り通した作家たち﹂マルロ l、モンテル
ラン、ドリュ・ラ・ロシ
学大系﹂月報︶
カミュ﹁転落、亡命と王国﹂︵翻訳・解説︶︵集英社
﹁現代の世界文学﹂︶
﹁
ボ lドレ l ルと私﹂︵三田評論7月号︶
﹁プレシュウ・マラルメ﹂︵無限7月号︶
﹁現代フランス文学展望﹂︵カルチュア出版社︶
’i ﹃アルベ!ル・カミてその光と影﹄︵季刊芸術︶
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﹁自己告白としての﹃ルイ・ランベ l ル﹄﹂︵パルザ
﹁文芸季評﹂︵季刊芸術秋季号︶
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日・ 3 ネルヴァルの﹃レオ・プルクハルト﹄上︵形成︶
日・ 5 ネルヴァルの﹃レオ・プルグハルト﹄下︵形成︶
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日・ 7 ネルヴァルの﹃ジェニ 1 ・コロン宛書簡﹄︵形成︶
日・ 9 ネルヴァルの﹃コリルラ﹄︵形成︶
日・ 9 ブルースト・一九O四年と一九O 五年あるいは﹁巨
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評論 6月号︶
日・ 7 続ことばの背景凶運河︵ふらんす 7月号︶
﹁同時代人の見たパルザック﹂︵同右ロ。・お︶
日・ 3
日・ 8 続ことばの背景悶鉄道︵ふらんす 8月号︶
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︵東洋女子短期大学紀要 Z 8︶
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ザンジョン・.ヘルスについて||年譜的試論工||
ウス伝の背景︵月刊百科9月号︶
l’キリシタン版聖アレクシ
日・ 9 東方の苦行僧と聖者伝l
︶
日・ 9 迷路初僅︵KULIC9号
日・ 9 続ことばの背景刷鉄道︵ふらんす9月号︶
日・ 3 通信教育﹁文学﹂第1部第1章、第2部第5章、第
3部第 3章、第4部第4章
﹁安部公房における空間﹂﹃小説の空間﹂収︵朝日出
︵コ lベブックス︶
日・ 3 ポナ・ド・マンディアルグ﹁カファルド﹂︵翻訳︶
日・ 6
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﹂
︵本巻中のドリュ・ラ
・ロシェル﹁奇妙な旅﹄の翻訳、解説、年譜︶
ハタイュ、プランショ、
︵本巻中のパタイユ﹁C神父﹄の翻
﹁講談社世界文学全集ω
ベケヅト篇﹂
訳、解説、年譜︶
﹁若きナルシスの憧僚と苦悩||ジヅド初期作品
論﹂︵青銅社︶
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礼
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林
版社︶
聖へレナと十字架︵月刊百科孔月号︶
所紀要第7号
︶
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日・ 5 続ことばの背景 齢︵ふらんす︶
日・ 6 続ことばの背景間釘︵ふらんす︶
日・ 6 激石の生きた明治ーーその淋しい旋律︵江藤淳・松
原秀一対談︶︵泉ロ号︶
日・ 6 日本語再考︵池田弥三郎氏内村直也氏と鼎談︶︵三田
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横
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若
日・ 6 遠藤周作﹃孤型狸型﹄︵解説︶︵角川文庫︶
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日・ 4 続ことばの背景山蝶と蛾︵白水社刊﹁ふらんす﹂︺
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美学・美術史
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原色茶道大事典︵絵画部門監修執筆、単行本︶
O会員業績・その2
国語・国文学関係
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.
︵一九七六年一 O月l 一九七七年七月︶
池間弥三郎﹃まれびとの座﹄解説︵中公文庫︶
担い手の問題︵﹃日本文学研究のために﹄新典社︶
﹃死者の書﹄論︵国文学六月号︶
めぐってl ︵芸文研究第三六号︶
契沖書入本源氏物語の探索|養寿庵旧蔵源氏物語を
池田弥三郎
唱目キハ
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書籍︶
くらしの中のことば︵大修館書店
﹃ことばの遊びと芸術﹄︶
学習研究社︶
土佐日記︵アポロン・カセットライブラリー
アポ
万葉にみる古代の恋︵﹃人物群像日本の歴史﹄ 2
自己内省の旅へ︵﹃日本民俗学の視点﹄ 3︶
日本語講座2
’i 芸能・競技・娯楽︵﹁日本民俗学の視点﹄ 1
臼・ 1
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日本人の命名の思想︵言語一月号︶
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交社︶
レンプラントのイエス伝︵共編著︶︵新教出版社︶
︵史学会・史学雑誌似篇5号
︶
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一九七四年の歴史学会
印章の成立︵歴史讃本1月号︶
日・ 1 美術作品における画人の署名’1 1日本における落款
日・ 8
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日・ 6 芸術創造の問題の現代性︵昭和印年度文部省科学研
究費補助金研究報告書︶
ケンブリッジ大学及びロンドン大学における音楽研
FP・冨5・﹀門E・冨∞おおωの考察||記譜法を中
究教育活動その他︵﹁音楽学第幻巻矧﹂音楽学会︶
日・ 2
日・ 9
心に 1 1 ︵﹁音楽学第幻巻山間合併号﹂音楽学会︶
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岩松研吉郎
ロン音楽興業︶
﹃高木市之助全集﹄第九巻解説︵講談社︶
平安女流の怒︵﹃人物群像日本の歴史﹄ 4︶
﹃暮らしの中のことわざ﹄︵毎日新聞社︶
慶応義塾大学通信教育教材﹃閏文学﹄︵折口信夫と
共著 慶応通信︶
民衆のなかの落人伝説︵﹃人物群像日本の暦史﹄ 5︶
﹃芸能﹄︵岩崎美術社︶
﹃日本文学と民俗﹄︵桜楓社︶
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﹁雨月物語﹄における﹁貧福論﹂の位置︵芸文研究
第三六号︶
キリシタン平家の編纂態度ーその原拠本との関係か
号
︶
らl ︵上智大学ソフィア一 O 一
︶
柳田国男誕生百年記念国際民俗学会報告︵大阪城南
3 折口信夫の書簡︵山手国文5︶
短期大学紀要四︶
折口信夫播磨風土記講義ノ lト︵中︶︵神戸山手女子
短歌の本質︵大阪歌人クラブ会報6︶
︵実業之日本社 有楽選書U
﹃饗宴の文学﹄日本人の民俗5 ・文学のなかまたち
連載中︶
能因の旅追考i美濃・伊予下向についてl ︵芸文研
第三六号︶
臼・ 7 共同研究﹁山家鳥虫歌﹂︵芸能
清崎敏郎・仲井幸二郎・中尾達郎・西村亨
究
女子短期大学紀要日︶
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﹃江馬務著作集﹄第十二巻﹁風俗語集釈﹂解説︵中
第
晃
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敏
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太
央公論社︶
六月号より連載︶
折口信夫と釈沼空︵国文学六月号︶
数のフォークロア︵短歌
臼・ 6 ﹃倭をぐな﹄論ーーその周辺︵国文学六月号︶
二ハ同方︶
臼・ 3 馬琴の侠|﹁開巻驚奇侠客伝﹂以前︵芸文研究
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3 花の下連歌初期の諸相︵芸文研究第三六号︶
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回・ 3
新語園・智恵鑑・百物語・本朝語圏ほか︵日本の説
話・別巻﹃説話文学必携﹄東京美術︶
毛利貞斎編﹁増続大広益会玉篇大全﹂︵芸文研究第
中ハロ方︶
﹁百物語・私可多階﹄︵近世文学資料類従・仮名草子
勉誠社︶
テキストの周辺・闘語国文学古典研究V ︵三色旗
三五一号︶
︶
語りの民俗lあどうたぬ話芸|︵﹁芸能の科学﹂芸
術講座︶
一諸りの民俗︵於東京国立文化財研究所芸能部公開学
遊びと芸術﹄︶
類型の詞章︵大修館書店・日本語講座 2 ﹃ことばの
仲井幸二郎
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能論考E
﹃民謡の女﹄日本人の民俗6 ・日本民謡考︵実業之
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日本社
有楽選書ロ︶
日本の民謡ーその発生と変遷l津軽三味線の魅力
︵ピクタ l ・レコード﹁日本民謡のすべて﹂︶
童唄のフォークロア l ︵於台東三田会︶
民謡のもつ心︵於民謡協会全国講習会︶
臼・ 4 身振りと出合い︵現代詩手帖四月号︶
尾
閉山・
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山中
芸能の発生︵﹃日本民俗学の視点﹄l 日本書籍︶
末流のうた︵大修館書店・日本語講座2 ﹁ことばの
遊びと芸術﹄︶
﹁旅と旅びと﹄日本人の民俗4 ・都都の交流︵実業
之日本社 有楽選書叩︶
迫空折口信夫名葉・解説︵国文学六月号︶
慶応義塾大学通信教育教材﹃国文学古典研究Ei古
代和歌概説 1﹄︵慶応通信︶
学生社︶
鳥のあそび考!古代鎮魂の一考察l ︵﹁日本神話研
究﹄ 3出雲神話・日向神話
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山の神研究の現状︵どるめん十二月号︶
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広津和郎の社会評論︵慶応義塾志木高校研究紀要第
七輯︶
散文芸術論の意味︷有斐閣双書﹃近代文学﹄ 5︶
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位・ 6
飛鳥を探る︵座談会︶︵三田評論三月号︶
平家物語研究︵於あかね会︶
四郎︵同六月号︶
武 書 店 国語四月号︶
案内しってむかしの寝所︿西鶴﹁懐硯﹂から V ︵
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大仏次郎研究︵慶応義塾国文学研究会報U号
︶
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長谷川
臼・ 3 神宮徴古館蔵太平記の位置について︵中京大学文学
言語生活概観・諺と謎︵﹃日本民俗学の視点﹄ 2
日本書籍﹀
学燈社︶
初期間山花袋論l紀行文と小説との谷間i ︵芸文研
要叩︶
田山花袋論|﹃蒲団﹄への序論l ︵本郷高等学校紀
六号︶
臼・ 6 人麻呂と撰善言司と内記と︵於慶応義塾大学国文学
研究会︶
臼・ 3 延慶本﹁平家物語﹂の一側面︵芸文研究
位・ 3
第三六号︶
﹃蒲団﹄論のために︵於芸文学会︶
-101ー
部紀要十一巻三号︶
﹁結城戦場記﹂他三種翻刻・解説︵﹃結城市史﹄第
古代中世史料編︶
太平記の形成と玄恵再稿本︵国語と国文学五月号︶
臼・ 3 慶応義塾図書館蔵﹃新編覆醤集﹄について︵芸文研
究三六号︶
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臼・ 1 折口信夫︵﹃日本近代文学研究必携﹄
究
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国文学十二月号︶
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“ 初期荷風にみる野心iゾラ受容を中心にl
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︵国語と
6 帰朝後の荷風文学の流れ︵於慶応義塾大学国文学研
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究会︶
中国語・中国関係
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d司宮口内田︵ゆ品・︶
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日巻1
3 厨川文夫﹁中世文学史﹂、西脇順三郎﹁近世英文学
史﹂︵改訂︶︵慶応通信︶
N ・コグヒル﹁チヨ 1 サl﹂︵翻訳、改訂三版︶︵研
究社︶
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5月号︶
ωZF$8256 問。sgHME3︵阿︶︵日吉紀要日号︶
月号︶
黒瀬保﹁運命の女神図像集﹂︵書評︶︵英語青年
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EEECmwMgロの仕事︵英語青年
﹁シェイクスピア研究﹂︵共著︶︵慶応通信︶
の四︶︵翻訳︶︵詩と散文
﹁マピノギ﹂第一話、ダヴエッドの王プウィル︵そ
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中国における福沢諭吉研究!主として李永蛾の﹁福
桝井油夫﹁チョ l サl の世界﹂︵書評︶︵英語青年
重要
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沢諭吉社会思想之研究﹄について|﹁史学﹂第四
十八巻第一号︶
3 日本書紀に見える拝礼﹃折口博士記念会紀要﹄第三
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折口博士記念古代研究所
平安朝の漢文詩に及ぼした楚辞の影響﹃東洋研究﹄
大東文化大学附属東洋研究所
英語・英米文学関係
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印月号︶
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ー戦後三十年﹂ 朝日出版社︶
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ロ月号︶
︵英語青年
6月号︶
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2月号︶
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ユーモアと国民性︵泉
7号
︶
日号︶
ハイリンガリズムの研究︵言語
日巻刊号
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小長谷弥高
新言語学と英語教育︵JALET紀要
英語教育学会︶
6号
英語教育の新しい方向||応用言語学の登場︵講演︶
福島大学教育学部
幻巻叩号︶
町号 ELEC出
大学英語教育改革とJALET夏期セミナー一O年
の歩み︵英語教育
アメリカ人の価値観︵英語展望
版部︶
学語学視聴覚教育研究室紀要
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﹁現代アメリカ演劇﹂︵評論社︶
ライト研究会シンポジウム︶
をめぐって︵日本アメリカ文学会東京支部フルプ
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著者は語る||﹁現代アメリカ演劇﹄︵ばれるが
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マラマッド﹃アシスタント﹄における八ユダヤ性 V
と八人間性﹀について︵東北大学教養部紀要
ハi シイ﹃廃壇の愛﹄について︵英語青年 4月号﹀
ロ同ロ可。内官。件目。ロ SEESREロ色刷ロ包宙開阿︵北星
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5月号︶
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ティガンの現代ll ︵早稲田文学
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Z﹀︵ばんぶう ロ月号︶
ラテン語葉ノ!ト川︵言語文化研究所紀要
3月号︶
3月号︶
入門書の古典︵書評︶︵一二色旗
辞書と現実と︵三田評論
針と糸︵在家仏教
1 鎮魂・関屋敏子︵季刊芸術 冬号︶
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ルシアン・ネイハム﹁シャドー剖﹂︵翻訳︶︵新潮社︶
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︵学鐙 1月号︶
出回方︶
本間長世編著﹁ヨーロッパ人のアメリカ論﹂︵書評︶
︵英語青年 5月号︶
﹁荒地﹂の成立をめぐって︵同時代
ガlトル iド・スタイン﹁パリフランス﹂︵翻訳︶
︵みすず書一房︶
独語・独文学関係
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京室内歌劇場上演台本︶
劇場監督としてのゲlテ︵ゲlテ年鑑
カフカと﹁自衛﹂紙︵ドイツ文学
回号︶
間有名調の発音について︵北海道独文学会口頭発表︶
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プゾ!ニ作調・作曲オペラ﹃ト!ランドット﹂︵東
︵白水社︶
回・ 1 F ・ディlスカウ﹃ワlグナ!とニ!チェ﹄︵翻訳︶
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自国語をもたない小国の文学︵スイス︶︵世界展望﹀
︵筑摩書房︶
ゲルステンベルクとブランクヴァ l スl l十八世紀
ドイツの熱狂的シェイクスピア崇拝者の、シェイ
クスピアの詩文体との関係について︵慶応義塾大
学言語文化研究所紀要 第八号︶
四・ 4 父と子||愛情と闘争ll ︵文芸作品を通してみる
父子の関係︶︵塾︶︵慶応義塾大学︶
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文学のトポス︵三色旗︶︵慶応通信︶
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館出版社︶
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伎・第三十七号︶
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代の相克︵日本独文学会編﹁ドイツ文学﹂ 開号︶
仏語・仏文学関係
ケラ l ﹃緑のハインリヒ﹄とその二つの版
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ンリヒ・レlの死と生︵しんせい会編集﹁教養小
井田
一lチェの自然︵かいろす第十四号︶
シュティフタl文学に於ける宗教の役割︵九州大学
﹁独文学研究﹂第二十七号︶
信 仰 と 愛 あるいは王と王妃︵および﹁断章﹄の翻
訳︶︵﹃ノヴァlリス全集﹄第二巻︶︵牧神社︶
へルダl﹃近代ドイツ文学断想﹄における古代と近
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牛場
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学会︶
いて﹂︵口頭発表︶︵於日本フランス語フランス文
﹁﹃失われた時を求めて﹄における二つの方向につ
6月号﹂
ル・クレジオ﹁思考の誕生﹂︵翻訳︶︵﹁現代詩手帖﹂
ロ月号︶︵丸善︶
﹁フランスにおける最近のブルースト研究﹂︵﹁学鐙﹂
銅社︶
﹁流論者ボ lドレ l ル﹂︵リュブ著井上輝夫訳︶︵青
﹁
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品
︶
﹁聖シメオンの木菟﹂||シリア紀行l|︵図書刊
究会教養叢第必号︶
シルヴィ﹂をめぐって
il ︵慶応義塾大学法学研
ネルヴァルの﹃シルヴィ﹄について lllヒロイン﹁
夫
説の展望と諸相﹂収載︶︵三修社︶
ベルネの志操と文学史上の位置︵日本独文学会編
﹁ドイツ文学﹂日号︶
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臼・ 3 連想は走る||緑︵唱吉︶の意味||︵日吉紀要時︶
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E ネルヴァル論考⑧﹁ウィーンの恋﹂︵﹁形成﹂ U
月
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︶
同⑩﹁シテ l ルへの旅﹂︵同﹂ 3月号︶
・ ti 同⑨﹁ファウスト第二部﹂の翻訳︵﹁同﹂ 1月号︶
民υ
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5月号︶
同⑮﹁暁の女王と精霊の王ソリマンの物語﹂︵﹁同﹂
大久保洋海
﹁危険な関係﹂上︵訳著ラクロ作︶︵講談社文庫︶
﹁危険な関係﹂下︵訳著ラクロ作︶︵講談社文庫︶
﹃アルコール﹄の構成と意味︵慶応義塾大学法研﹁
教養論叢﹂第必号︶
マックス・ジャコブ﹃占星術の鏡﹄︵翻訳︶︵国文社︶
ジャン・ロラン﹁通り魔﹂︵翻訳︶︵季刊﹁森﹂ 4号
森聞社︶
ブルースト素描・付加と縮約lpE 円C5ちE55
﹁教養論叢﹂第必号︶
コクト l ﹁恐るべき子供たち﹂︵翻訳・解説・年譜︶
丸善︶
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﹁隠された対話﹂上・中・下︵﹁学鐙﹂
の幼少時代﹂︵翻訳︶︵講談社、世界文学全集︶
レチフ・ド・ラ・プルトンヌ﹁ムッシュー−ニコラ
︵二宮孝顕先生退職記念論文集︶
﹁ジュリヤン・グリーンの作品における告白の表現﹂
﹁惰円形の肖像﹂︵人文書院︶
﹁詩想・幻想・随想﹂︵﹁俳句とエッセー﹂ 5月号︶
﹁コクト!の出発﹂︵﹁ユリイカ﹂ 4月号︶
﹁マラルメとシャンパンの海﹁︵﹁学鐙﹂ 2月号︶
︵旺文社︶
回・ 1
回・ 3
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﹁文明批判、社会批判と政治の原理﹂︵フランス文
﹁アルベ l ル・カミてその光と影﹂︵講談社︶
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学講座﹁思想﹂編所収︶︵大修館︶
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体験と創造1 ︵﹁季刊創造﹂第 3号
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︾の重層的対話︵経済学部日
吉論文集幻号︶
C 9号
︶
﹁栗﹂︵続ことばの背景8︶︵﹁ふらんす﹂ U月号︶
﹁電信﹂︵続ことばの背景7︶︵﹁ふらんす﹂叩月号︶
クシウス伝の背景︵﹁月刊百科﹂ 9月号︶
﹁東方の苦行僧と聖者伝﹂
llキリシタン版聖アレ
﹁迷路紡僅﹂︵私の研究とライブラリー︶︵KULI
︽
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鑑賞﹂ 7月号︶
永遠に不在なるもの︵福永武彦︶︵﹁国文学・解釈と
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存在の風景︵ル・クレジオ︶︵﹁現代詩手帖﹂
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﹁贈物﹂︵続ことばの背景9︶︵﹁ふらんす﹂ロ月号︶
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ロロロ色白。ロ︿OEZ
ロ口頭発表、ニューヨーク︶
﹁蛇﹂︵続ことばの背景山︶︵﹁ふらんす﹂ 1月号︶
﹁小鳥の歌﹂||東西説話交流の一面||︵比較思
想学会、口頭発表’於東洋大学︶
﹁たこ﹂︵続ことばの背景U︶︵﹁ふらんす﹂ 2月号︶
﹁増水﹂︵統ことばの背景ロ︶︵﹁ふらんす﹂ 3月号︶
イヨネスコ﹁リノセロス﹂︵中級教科書︶︵ルネ・ラ
ガッシュと共編︶︵白水社︶
ロ∞m
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ZEC のテキストをめぐってーーその二
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つの版と巴E5525Z巳55Z 所有の自筆原
稿||︵慶応義塾大学経済学部日吉論文集
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I −ジュ iヴ﹃ポ!ドレ l ルの墓﹄道鉢章弘訳
︵せりか書房刊︶︵書評︶︵﹁図書新聞﹂︶
﹁見者の手紙﹂に於ける﹁人︵Oロ︶﹂の問題ll身
-108ー
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﹁西洋人名の背景﹂︵﹁月刊百科﹂日月号︶
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体のジェオグラフィ l の変革をめぐって 1 1︵
リイカ﹂ランポオ特集号︶
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御物︶︵共著︶︵根津・徳川美術館刊︶
﹁雑華室印﹂をめぐる諸問題︵口頭発表︶︵美術剖
学会、東部例会︶
文献紹介︵共著︶︵同右︶
一年度文部省科学研究費補助金研究報告書︶
︿建築家としての神Vをめぐって||︵昭和五十
芸術劇造の概念||中世ミニアテュ lルの一主題
︵編訳︶︵岩崎美術社﹀
デュ iラlの版画1lH・ヴェルフリンの視点 114
芸一月J七月︶
臼・ 117 絵日無声詩を読む① J ⑦︵連載︶︵日本美術工
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﹁テスト氏像の成立﹂︵法学部﹁教養論叢﹂第必号、
二宮孝顕先生退職記念号︶
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サン Hジョン・ベルスについて||年譜的試論El
ー︵東洋女子短期大学紀要
・
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﹃コクト!とジッド﹄︵﹁ユリイカ﹂ 2月号︶
﹃アンドレ・ジッド﹃汝も亦:::﹄︵翻訳︶︵﹁キリ
スト教文学の世界I﹂主婦の友社︶
﹃ロマネスクの崩壊﹄︵﹁世界の小説||戦後三十年﹂
朝日出版社︶
﹃シネ・ロマンの問題||﹁去年マリエンパ lト
﹂
でをめぐって﹄︵﹁国文学6月臨時増刊号﹂︶
﹁雑華室印﹂印記ある画蹟について︵単行本・東山
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第幻問全国大会︶
﹁ヴァ!ジナル音楽関係資料について﹂︵音楽学会
文集第印号︶
’aa’ ﹁英国初期鍵盤音楽について﹂︵慶大商学部日吉論
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