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はじめに - 粟国村

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はじめに - 粟国村
はじめに
1.総合計画について
(1)総合計画の目的と役割
(2)総合計画の構成と計画期間
2.粟国村のむらづくりを考える
(1)粟国の自然と沿革
(2)村民意向等からみたむらのイメージ
(3)時代の潮流
(4)むらづくりの主な課題
はじめに
1.総合計画について
(1)総合計画の目的と役割
粟国村では、平成 5 年度に「第 2 次粟国村基本構想」を策定し、
「太洋の中に豊かなくらしと文化
を築く粟国」の将来像のもと、
「活力ある豊かな島に(資源を生かす)」、
「快適なくらしの場に(離島
をこえる)」
、
「連帯して生きがいある島へ(心をつなぐ)
」の3つの基本目標を掲げ、その実現にむけ
て学校教育施設をはじめ、生活環境基盤の整備等、施策・事業の推進に取り組んできました。
現在は第 2 次粟国村基本構想の策定時に比べて、少子高齢化の進行、環境への意識の高まり、国際
化や情報化の進展や住民参画による計画づくりや協働のむらづくりの展開など、地方自治体を取りま
く社会環境は大きく変化しています。
このようななか、粟国村では、平成 22 年度からの村政を円滑にスタートさせるため、本村の計画
的で総合的なむらづくりを進めていくための羅針盤として、
『第 3 次粟国村総合計画(基本構想及び
前期基本計画)
』を策定するものです。
私たちの粟国村
- 2 -
はじめに
(2)総合計画の構成と計画期間
『第 3 次粟国村総合計画』は、
「基本構想」、
「基本計画」及び「実施計画」で構成されます。
基本構想:粟国村の望ましいむらづくりの将来像及び目
標を定め、これを実現するための基本方向を
示します。
平成 22(2010)年度を初年度とし、平成
31(2019)年度を目標年度とする 10 年間の
構想です。
基本構想
基本計画:基本構想で掲げた目標及び基本方向を実現す
るために、健康福祉、教育文化、環境衛生、
産業振興等の分野別の基本方向や施策を体
系的に示します。
平成 22(2010)年度から平成 26(2014)年
度までの5年間を前期基本計画とし、平成 27
(2015)年度から平成 31(2019)年度を後期
基本計画とし、必要な見直しはその際に行い
ます。
基本計画
実施計画
実施計画:基本計画で定められた具体施策を、現実の行
財政事情のなかでどのように実施していく
か、財政計画と併せて実施のプログラムを明
らかにするもので、財政状況、緊急性、優先
度を勘案して、毎年度の予算編成の指針とな
るものです。計画期間を3年としつつ、毎年
見直します。
□計画の期間
年度
(西暦)
平成 22
(2010)
平成 23
(2011)
平成 24
(2012)
平成 25
(2013)
平成 27
(2015)
平成 28
(2016)
平成 29
(2017)
第 3 次粟国村・基本構想
基本構想
基本計画
平成 26
(2014)
前期基本計画
後期基本計画
実施計画
- 3 -
平成 30
(2018)
平成 31
(2019)
はじめに
2.粟国村のむらづくりを考える
(1)粟国の自然と沿革
伊江島
①自然
粟国島
粟国村は、那覇の北西約 60kmの東シナ海上、東
経 127 度 13 分、北緯 26 度 34 分に位置する1島1村
約
久米島
渡名喜島
60
km
の村です。
座間味島
沖縄
島の地形は概ね三角形状をしており、外周約 12k
那覇市
m、面積 7.64k㎡、最高標高は海抜 95.8mです。
渡嘉敷島
島の南西端の絶壁(筆ん崎)の高台から東方へ緩や
位置図
かに傾斜しており、遠方からみると、全体的に二枚貝
を伏せたような特徴のある形状をしています。西側が
高くなったのは、もともと陸地があったことや陸地が
広がったときに大きく隆起したことが原因と考えら
れています。筆ん崎から西集落に走る粟国断層や、字
西御嶽にある北東-南西方面の崖もその隆起運動に
よるとみられます。
海水の浸食作用によってできた海食崖は、
島の北西
側から筆ん崎、粟国港にかけての南海岸でみられ、ま
た、
海食崖が波等によって削られて平らになった波食
台もみられます。リーフに囲まれた断崖には眺望に優
れた場所が多く、南方に慶良間諸島及び渡名喜島、南
等高線図
西方向に久米島、さらに西には鳥島が遠望できます。
字浜と字東の間に、
南西-北東に伸びた地形の高ま
りは、
昔この地帯が海であった時代のリーフの跡と考
えられます。また、東海岸のウーグには高さ 15mの
砂丘があり、
風によって海から有孔虫等の砂が運ばれ
て堆積したものです。
地層的な特色としては島そのものがサンゴ礁の隆
起により成り立っていますので、琉球石灰岩(島尻マ
ージ)が島に広く分布しています。
一方、西方高台の一部は安山岩土壌(国頭マージ)
で、
筆ん崎付近から粟国港にかけて島の南西部に分布
する岩石は、火山の噴火によってできたものです。
地形図
筆ん崎の北北東約 1kmの皆越原の海岸にはデイサイト(石英安山岩)があり、島で最も古い岩石です。
また、筆ん崎付近には、白色凝灰岩と凝灰角礫岩が広く分布しており、その凝灰岩は海上から見える白
い断崖として特徴的です。さらに、白色凝灰岩には木の葉の化石や巻き貝の化石、凝灰角礫岩には真珠
- 4 -
はじめに
岩という珍しい岩石の礫もみられます。
西毛原からの海岸から粟国港にかけての南岸は、
玄
武岩、安山岩、凝灰岩及び凝灰角礫岩が広く分布し、
海水や雨水による浸食を受けて、特有の景観となって
います。
島の東海岸にはビーチロックが分布し、厚さ 1.5m
程度のビーチロックは緩やかに海へ傾斜し、
塊状のサ
ンゴやシャコ貝片を多く含んでいます。
海岸に面した
島の西側よりマハナの眺め
耕地は海成沖積(カニク)となっています。
北東の緩傾斜地は隆起サンゴ礁からなる真土地帯
であり、
乾燥地で海岸に近づくにつれて肥沃土が少な
いという特徴をもっています。
植生については、崖地や御嶽等の拝所では、
アカギ、
東海岸のビーチロック
ガジュマル等の樹林があり、平坦地にはススキの原野
やソテツの低木林がみられます。特に現在原野に密生
しているソテツは、蔡温時代(1682~1761 年頃)に
植栽されたと言われ、島の生活に欠くことができない
作物として長い間大切にされてきました。また、筆ん
崎付近の断崖には、風衝植生が発達しています。
このように粟国島には、地形・地盤・植生がもたら
す優れた自然景観が多数存しています。
筆ん崎付近の凝灰岩
村花木のソテツ
砂浜に現れる珍しい地層・岩石(西毛平原付近海岸)
筆ん崎付近の海岸植生
- 5 -
はじめに
②沿革・歴史
東恩納寛惇著の「南島風土記」によると、「孤島なるが故以って、普通に粟国島と称えられるが、
本来はアグニである」とされています。中山世譜に「阿姑尼」、海東諸国紀や慶長帳では「粟島」
とあって、古い時代には「あわぐに」または「あわしま」と呼ばれていました。
島内では、上の集落を「アギ」、浜の集落を「ハマ」と称し、「アギ」を「かき」ともいったと
伝えていますが、おもろそうしに「かき となき」と渡名喜島との併称がみられたり、久米具志川
間切旧記にも「粟国嶋がき」という表記がみられるなど、島が「かき」ともよばれていたらしいこ
とが読み取れます。
尚寧王23年に番所が浜に設置され、初地頭代が任命されました。尚敬王25年(1737年)には八重
村(えーむら)と浜村が設置され、翌26年より在番を置いて行政にあたらしめたと記録されていま
す。尚益王3年(1712年)には王命を受けて来島した翁能哲によって、桑植、養蚕と綿の製法技術が
伝えられたとの記録もあります。貢租の記録によりますと、粟国島は田がないため、粟、麦、黍で
貢租していたとされています。
明治12年廃藩となり、沖縄県設置と同時に八重村は廃止され、新たに西村と東村が設置されまし
た。当初、久米島代官の管轄内にありましたが、明治15年に那覇所轄となり、明治29年の沖縄郡制
の編成に伴い、島尻郡役所の管轄内に置かれるところとなります。明治36年土地整理完了と同時に
西村、東村、浜村は廃止され、区制が施行されて、字西、字東、字浜と改称されました。明治41年3
月市町村制がしかれ、粟国島は粟国村となります。
明治13年の粟国島の戸数・人口は、651戸・3,991人を数え、県下でも有数の人口過密な島として
知られていました。明治36年には759戸・4,966人にものぼり、その後は減少傾向に推移していきます。
大正9年4月には一般町村制が施行されるところとなり、行政区も字西、字東、字浜と区分され、
字浜におかれていた藩所は、字東に移され、現在の役場の位置となりました。
昭和20年3月23日に初の空襲があり、6月9
日には米軍機動部隊の艦隊が島を包囲しま
した。激しい艦砲射撃と艦載機の機銃掃射、
そして上陸が敢行され、島は米軍によって
占拠されてしまいます。米軍上陸による犠
牲者は90名を数え、この沖縄戦を通じての
島民の犠牲者は299名にものぼりました。
砲火によって公共施設と重要書類が焼失し
ていまい、昭和21年4月に軍政府任命村長が就
任して、ようやく行政事務は復活しました。
- 6 -
はじめに
島が復旧したのは、昭和22年に米軍からの舟艇の配船を受けて定期船が動き出してからのことで
した。昭和23年2月には地方自治が施行され、村長選挙と村議会議員選挙が実施されて、戦後の体制
が整いました。
昭和47年の日本復帰後は高齢化と過疎化が進む中で圃場の整備に取り組み、島はサトウキビ農業
や畜産を業としていきました。自然塩を生産する島としても脚光を浴びています。昭和53年には粟
国空港も開設され、県都那覇を結ぶ海空の定期便が就航したのですが、現在空の便は不定期的な運
航になっています。
粟国村には「琉球国由来記」に記された九つの御嶽(ガダノコ御嶽・八重ノ御イベ・テラチ御嶽・
ヲノコ御嶽・中ノ御嶽・ハイノ御嶽・シマイ御嶽・アラバ御嶽・ヤカン御嶽)と祭場である五つの
トゥン(八重・安次富・カキ・浜・泊)があり、数々の神拝みや伝統行事が今日に伝わっています。
「粟国村誌」に記載された年中行事は44項目にものぼりますが、島最大の祭祀であるヤガン折目(ウ
ユミ)をはじめ古式にのっとって荘厳に催されている祭事もあれば、休止状況にあるものや、古式
通りの継承が困難になっているものなどの課題が惹起しています。
粟国村の指定文化財としては、県指定天然記念物1件(字西の御嶽の植物群落)をはじめ、村指定
天然記念物が2件(松尾御嶽のイタジイの木、照喜名原のモンパの木の群落)、村指定史跡が1件(番
屋跡)、村指定名勝が2件(番屋原の広場景勝地、板木那海岸景勝地)、村指定無形文化財が1件(む
んじゅる節)、その他埋蔵文化財13箇所となっています。また、マハナ崎の凝灰岩をたくみに利用
したトゥージや掘り込み墓などに、厳しい条件の島でたくましく生きた先人の叡智が結晶されてい
ます。
マースヤー
旧大晦日
フナウクシ
ウクシ
旧暦正月2日
旧暦正月3日
ハーリー
島ウガン
旧暦5月4日
旧暦5月 15 日
粟シチュマ
旧暦 5 月下旬壬日
ヤガン折目
旧暦 6 月 24 日~26 日
(ウユミ)
九月拝み
グーシー
カママーイ
旧暦 9 月 1 日、
旧暦 9 月 15 日
旧暦 10 月 1 日
11 ある原や組毎に地域内の各家々を練り歩いて歌や踊りで無病息
災と豊穣を祈る。
年の初めに、船の所有者は豊漁や航海安全を祈願する。
西、東地区は各原毎に、浜地区は地区内の組合同で豊作祈願健康祈
願を行う。その日は庭などへ撒く白砂を取りに行く。
水産業を振興し、航海及び操業安全と大漁を祈願する。
粟国村の伝統行事の一つで、宮の前に各原が集まり、供物をお供え
し祝女と共に村民の健康を祈願する。(現在は規模を縮小して区長
を中心に、宮で健康祈願がなされている。)
粟のご飯を作り祖先に粟の豊作を願った日。翌日は牧童の慰安日と
されていた。
3 日間行われる島最大の祭祀で、1 日目の山の神お迎え。2 日目の火
の神マチー、ナーヌウユウェー、3 日目は一般も参加でき健康祈願
等がなされる。
1 日は浜地区を中心に、15 日は西東地区を中心に行われる。照喜名
原にある門中の遥拝所や本家の神棚に手を合わせる。
火災予防のために行われたものが始まりだが、各家庭ではこの日に
屋敷林の枝打ちを行う。
マースヤー
- 7 -
ウクシ
はじめに
(2)村民意向等からみたむらのイメージ
第三次粟国村総合計画の策定にあたり、村民や出身者等の意見を反映するためのアンケートを実施
しました。
問1 住み良さ
村民の7割強は「住み良い村」
住民
38.1%
34.5%
20.2%
5.4% 1.8%
と感じていますが、
「住みにくい」
との意向が3割弱となりました。
郷友会
35.3%
23.5%
32.4%
5.9%
2.9%
重く受け止める必要があります。
0%
20%
40%
60%
80%
100%
出身者の意向では「住み良い」
は6割弱にとどまりました。
①住み良い村である
③どちらかといえば住みにくい村だ
無回答
②どちらかといえば住み良い村だ
④住みにくい村である
住み良さの理由
0%
20%
40%
60%
50.6%
55.0%
①自然が豊かである
54.3%
「住み良さ」の理由のトップは、
②のんびりできる
45.0%
「自然が豊かである」ことと「の
③知人や友人が多い
んびりできる」ことです。島を離
④親や子供と一緒に暮らせる
13.6%
15.0%
11.7%
5.0%
れて暮らしている方々の方が粟
16.0%
⑤周囲の人たちが親切である
25.0%
国の自然への評価がより強く示
5.6%
⑥仕事が順調にいっている
0.0%
されます。
18.5%
25.0%
⑦生活環境が良い
3.1%
5.0%
⑧その他
住民
郷友会
0.0%
無回答
5.0%
問1-2 住みにくい理由
0%
20%
①子供の教育の問題
「住みにくい」理由では、村民意
40%
60%
80%
17.5%
15.4%
31.6%
②保健・医療サービスの不足
69.2%
向と出身者意向に差があります。
43.9%
38.5%
③本島との交通が不便
④陸上交通が不便
出身者の7割の方が「保健・医療
⑤娯楽施設の不足
サービスの不足」を指摘して
3.5%
7.7%
8.8%
7.7%
31.6%
⑥仕事が不安定
15.4%
います。島に戻りたくても戻りに
15.8%
15.4%
⑦買物が不便
くい実情として、保健・医療の問
⑧文化施設が少ない
1.8%
0.0%
題が大きいと推測されます。また、
3.5%
⑨潮害や台風等自然環境が厳しい
15.4%
交通問題も重い課題です。
17.5%
23.1%
⑩その他
無回答
- 8 -
1.8%
住民
郷友会
はじめに
問3 取り組むべき村づくりの分野
0%
今後の 10 年間、粟国村を良く
20%
40%
60%
80%
100%
52.9%
⑥粟国村らしい産業を興し伸ばす
76.5%
するための村づくり分野に選択
①村民がもっと参加して村づくりに
取り組む
された第1位は「粟国村らしい産
⑤生活しやすい暮らしの環境整備
を推進する
業を興し伸ばす」こと、第2位は
④自然を大切にし誇りとする環境保
全につとめる
40.8%
50.0%
38.1%
32.4%
35.4%
32.4%
「村民がもっと参加して村
③健康づくりの推進と地域福祉の
充実に取り組む
づくりに取り組む」ことで
⑦村をあげて子の力を伸ばす環境
を充実する
22.9%
②地域社会での連携や近所の支え
あいを活発にする
22.0%
11.8%
35.0%
44.1%
41.2%
した。
⑧文化活動や学習活動を活発にし
て活き活きくらす
無回答
16.1%
5.9%
3.6%
0.0%
住民
郷友会
~今回、粟国村立小学校と中学校の児童生徒の皆さんにも、アンケートをお願いしました~
○子どもたちが自慢に思っているのはこの粟国村の自然そのものです。第1位「マハナ」39%、2位
「ウーグ」33%、3位「海」22%でした。
○子どもたちに「もし村長になったらやってみたいこと」を尋ねました。以下がその全意見です。
村長になったらやってみたいこと
村長になったらやってみたいこと
□観光客を増やしてみたい。
□ぼくは野球がやりたいです。
□粟国を広くして自然を造りたい。
□ビルを建てる。
□村民の人のやりたい事をしたい。 □みんなが楽しめる大きな公園を作りたい。
□テレビに出てあいさつする。□粟国村の地域の人と一緒にいろんな話をする。□粟国全体で、スポーツ大会をしたい。
□花を咲かせたい。
□いろいろな大会がしたい。(スポーツ・音楽)□粟国島に大会を開きたい。
□みんなが楽しめる場を作る。
□えらいことになりたいです。
□粟国に、大きなデパートをつくる。学校にプールをつくる。
□自然を増やす活動。ゴミを減らす活動。
□えらいふーじぃーしたい。1つマックスバリューとかをたてる。
□店をもっと増やしたり、レストランを建てたり、パン屋さんをつくりたい。
□ボートで那覇に行けるようになってほしい。いろいろな外国語を学びたい。□外灯をたくさんつける
□子どもが遊べる所をたくさんつくる。(親水公園みたいに)
□遊びに行く。色んな国に。
□店を増やす。トンネルをつくる。
□子ども達のために、遊具を作って上げる。塾を増やす。お店を増やす。学校を建て直す。老人ホームをもっと上等に
する。案内板をもっと分かりやすくする。
□プールを作る。
□公園とかの器具を直す。遊び場っぽいのを作る。□スポーツ店を作る。レンタル屋を作る。
□スポーツショップをつくる。
□みんなでできる行事を増やす。
□行事をもっと増やして、地域の人達との交流を増やす。
□仕事を増やす。あいている土地に家を建てたり、畑を作ったりする。ウーグの防波堤を壊し、ウミガメの産卵の場所
を作る。老人のために何かやってあげる。
□観光場所を作りたい。
□観光客が来るイベントをしたい。
□マラソン島をもっとアピールする。
□ウーグの防波堤を壊す。「ウミガメの産卵地」アピール
□①ウミガメのところに力を入れる。 ②伊勢海老がいることを知ったので、それを売るとかする。 ③マハナの建物
を変える。 ④ウーグのシャワーがある建物を立派にする。 ⑤生き物にも力を入れてほしいかな~?
- 9 -
はじめに
(3)時代の潮流
① 参画と協働の潮流
~自らのまちの将来を自ら切り開いていくことの「権利」と「義務」~
現在、沖縄県は、広く県民の参加を求める手法をとりながら「沖縄21世紀ビジョン(仮称)」の策定
に取り組んでいます。復帰後の沖縄県づくりの指針である第1次から第4次(現在)にわたる「沖縄振
興(開発)計画」は、実は国が策定したものです。「沖縄21世紀ビジョン」が、県独自で構想する初め
ての長期構想ということなのです。これもひとつの時代の潮流です。
私たちは粟国村民として、わが村づくりがどんな将来をめざして取り組んでいるか、自分の言葉で語
れるでしょうか。親として子ども達に教えられるでしょうか。熟年者も若年者も、男性も女性も、同等
に村づくりの主体であると自負できるわが村でしょうか。
今こそ、粟国村民の一人として粟国村の「よさ」を自覚し、「何を残し、何を変えて、望ましい粟国
村へと変革していくか」について、村民全体の合意をつくっていく『住民参画』が必要です。そして、
形成された合意に基づいて、村民が行政とともに村づくりを担う『協働』を欠かすことはできません。
『住民参画』と『協働』は粟国村民として大切な行為です。「権利(=自己決定)」でもありますし、
「義務(=自己責任)」でもあるのです。参画し協働することによって自分たちの村づくりを獲得する
こと、これは時代の潮流です。
② 少子高齢化の潮流
~人口減少にむかう社会の中で求められる足元からの取組み~
生まれてくる子どもが少なくなり高齢者の層が厚い社会というのは、やがて人口減少社会に転じます。
日本の国自体がそうですが、生まれる子どもが多いことで知られる沖縄県もまた、2020年を過ぎたあた
りから人口減少社会に仲間入りです。さて、わが粟国村はどうかということですが、戦後より人口転出
という社会現象によって、長く人口減少が続いている社会です。子どもを生み育てる世代が減少したこ
とにより生まれてくる子ども達も激減してきました。少子高齢化という大きな潮流にのみこまれて、沖
縄県全体が人口減少社会になるという時代(10年ちょっと後)の粟国村社会の姿というものに思いを馳
せて、村づくりの方向性を展望しなければなりません。
地域の活性化は一朝一夕に実現するものではありません。自らの足元をみつめ、様々な可能性を探り、
小さくてもいいから活力を生み出すビジネスを自らおこし、育てていくことが持続的な発展にむかうた
めの一歩です。また、子育てしやすい仕組みを強化できれば、子育て世代を受け入れることができます。
安心して暮らせる地域福祉のしくみづくりや安全で快適な居住環境づくりは村民定住の条件であり、ま
た、Uターンや移住者を受け入れる吸引力でもあります。足元からの活力づくりの発想によって、村民の
暮らしの将来像を描き、その実現をめざすことこそが大切な時代です。
③ 人と自然の共生の潮流
~地球規模の環境から自分の健康まですべての生命に関わる問題~
「宇宙船地球号」といわれたり「環境元年」といわれたりして、環境問題への関心を高める努力がは
らわれるようになって久しいのですが、改善向上のきざしよりも深刻化のきざしの方が顕著な気配なの
が環境問題です。大量生産、大量消費、大量廃棄型社会からの方向転換が模索され、「環境共生社会」
や「循環型社会」への共感がマスコミによく取り上げられるのは、環境問題が即ちいのちの問題である
からです。
言葉として、また映像として、情報が踊っている割に社会の現実はどうでしょうか。濁りを増す海、
開発で減り続けている山林、消える貴重な動植物、水、ゴミ、エネルギー・・・果たしてわが粟国村は、
環境問題とは無縁な村といえるでしょうか。健康の問題、いのちの安心の問題は大丈夫でしょうか。私
たちは、次世代のために、環境に配慮した循環型の社会づくりや健康の増進について、もっと意識する
ことが必要と思われます。
- 10 -
はじめに
④ 国際化・情報化の潮流
~グローバル化する社会の中で光るのは人と人の確かな交わり~
情報社会の到来は、コミュニケーションにおける時間的・地理的な制約をとりはらい、様々な社会の変
容を加速しています。だれもが、電子ネットワークを介して行政に参画することもできるようになって
きています。情報共有という手段によって、世界の国々が身近に感じられるようになり、だれもが世界
で活躍する夢を現実にできるチャンスを有している時代といえましょう。一方、グローバルな社会の持
つあやうさも、世界的経済不況の体験を通じて、あらためて実感しました。
私たちは、特に子ども達は、この社会を受け止めて生きていかなくてはなりません。英語教育やIT教
育に力を注ぐことが大切でありますし、その前提に「人間愛」「郷土愛」などの人間力教育が必要です。
人と人の直接の出会い、交流が人間力を育てます。
我が国は美しい国づくりによる観光立国を宣言し、沖縄県も世界からの観光客を受け入れる観光立県
をめざしています。国内外からの観光客受け入れは、直接交流のまたとないチャンスです。わが粟国村
は、交流の時代から取り残されることの無いよう、村づくりに取り組めているでしょうか。美しい郷土
づくりと国際力教育と観光・交流の育成は、関連しあう課題といえましょう。
⑤ 地域文化発信の潮流
~歴史をつむぎ続けていくしくみ持続の大切さときびしさと~
この地球上に形成されるあらゆる「コミュニティ」と称される地域社会単位は、それぞれが刻んでき
た歴史のもとに形成されてきたしくみを持って、成り立っています。そのしくみは、まるで生きている
樹木のごとく、時代の潮流に影響され、刻々と変化を遂げていきます。
今の時代のグローバル化や情報化の進むライフスタイルによって、さまざまなコミュニティで人間関
係の希薄化や伝統文化の継承難がおこっています。こうした時代の潮流にのみこまれ、消えていくもの
もありますが、大切なものを維持し、また回復させるための大きな努力が実を結ぶ事例も数多くあるこ
とを私たちは知る必要があります。新しい文化創造の芽も、地域の独自性ある文化的土壌があってこそ
しっかりと芽吹くことができます。
粟国村にとって大切なしくみは、労を惜しまずに、未来につなぎ結んでいく取り組みが望まれます。
ユイマールなどの共助のしくみも、祭祇のあり方も、長寿を支える食の文化も一朝一夕につくられたも
のでなく、ひとつひとつが時間をかけて残されてきたわが村の文化的財産なのです。わが村を誇らしく
発信するアイデンティティの源であり、子ども達が郷土愛を育む土壌であります。
⑥ 地方分権改革の潮流
~市町村合併や道州制にむかううねりと地方自治の行方~
地方分権改革への否応なしの対応が続いています。市町村行財政改革のかけ声が今以上に強まってい
けば、粟国村存続の根幹をゆるがす問題です。新分権一括法の制定が着々と検討されていることや、道
州制シンポジウムが県内でも実施されるなど、わが村を取り巻く大きなうねりはおさまる気配もありま
せん。地方自治の時代の到来といわれながら、小さな規模の自治の単位は存立しえなくなるかもしれま
せん。
しかし、私たちはこの村で現在生きています。しっかりと暮らしの展望を築いていくことへの自覚が、
粟国村行政と粟国村民に求められていると受け止めることが基本ではないでしょうか。その意味でも、
今回策定するまちづくり基本構想、基本計画、実施計画の持つ意義は大きいのです。
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はじめに
(4)むらづくりにおける主な課題
1.島と地球にやさしい持続可能な島嶼環境づくり
経済の発展や生活水準の向上にともない、環境問題が人類共通の重要な課題となっています。
本村には、豊かな自然と伝統文化が現在も息づいており、村民意向調査においても、本村の「良さ」
として、自然に対する評価が高くなっています。そのため、自然風土がもつ摂理を大切にした、島の
良好な島嶼環境の保全と持続可能な活用を図ることが求められます。本村の活力が伸び悩むなか、自
然環境の維持保全には厳しい状況もありますが、その島の良好な環境形成に努めることが循環型社会
の確立や地球環境への貢献につながり、島の魅力や価値がより高まることが期待されます。
2.島嶼環境における生活基盤の拡充
本村は戦後の急激な人口減少を経験し、現在もなお村民の暮らし全般に関わって、離島環境特有の
問題を抱えている状況にあります。本村が離島苦の軽減を図り、島嶼地域としての可能性を引き出し
ていくためには、引き続き定住環境の要件である保健・医療、高齢者福祉、交通・通信、教育・文化
などの生活基盤の拡充と、産業の育成に努めることが重要です。
特に、村民の広域生活の拠点都市である那覇市との海上交通及び航空交通の安定化を基軸として、
将来的には近隣島嶼間の島づたい交通ネットワークの創出整備が求められます。
3.伝統的な集落景観と島固有の民俗文化の保全・継承・活用
本村には、伝統的な集落景観と村民生活に息づく伝統文化が現在も残っていますが、近代的な住宅
への更新や台風の影響による伝統的な空き屋家屋の損失、高齢化の進展等により、その存在が危ぶま
れています。
うるおいをもたらす集落景観や島固有の民俗文化を本村の大切な財産として将来にわたり、保全・
継承していく状況をつくる必要があります。その上で、島外との多面的な交流を促す貴重な資源とし
て活用していくことが期待されます。
4.自然風土を活かした多面的な交流による観光・産業の展開
「産業」に対するニーズは村民意識調査で最も高いものとなっ
今後 10 年間のむらづくりにおいて、
ており、そのなかでも、本村の自然風土を活かしたものづくり産業を興し、村民と協働で地域の活性
化を図ることが重要視されています。
本村の自然風土は、村民の健康な暮らしやレクリエーション活動等に欠かせない条件であり、来訪
者にとっても島を印象づける大切な要素です。今後は、村内外の余暇活動を踏まえつつ、粟国村への
ニーズを喚起しながら、島の自然や伝統文化等の再認識のもと、若い世代や新たな移住者等による自
然風土になじんだ観光・レクリエーション空間の創出や特産品の開発、地域資源を活かした新たな産
業の振興など、地域の活力を高めていく必要があります。
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はじめに
5.むらづくりを担う人づくりの推進
人づくりは、地域活性化やむらづくり等の多面的な場において最も根幹的な課題です。
なかでも、高校進学にともなう「15 の旅立ち」は離島村の宿命的な課題です。小さな社会の強いコ
ミュニティの絆を活かし、未来を担う子どもたちが本村への愛着や誇りを育みつつ、自立する力をつ
けていくことが重要です。また、老若男女の区別を問わず、村民の誰もが社会と関わり、生きがいの
ある充実した生活を過ごしていくことが求められます。
さらに、人づくりをより一層推進していくためにも、郷友会や外部の応援団等も含む人材交流の多
様な仕組みづくりを実行・支援し、その交流を通して、村民一人ひとりの気力や能力の向上、学習の
実践活動の促進に努めることが求められます。
6.少子超高齢社会に対応し、地域社会で支え合う仕組みづくり
少子超高齢社会を迎えた本村にとって、働きながら子育てできる環境づくりや高齢者が暮らし続け
る住みよい地域づくりが求められます。
住みよい地域であるためには、日常生活において必要な支援が得られること、また、村民相互に支
え合う地域づくりや生きがいのある生活などを実現することが重要です。しかし、サービス等の資源
が限られる離島村であることから、村民全体が保健福祉のあり方を自分のことと考え、創意工夫しな
がら、行動していくことが求められます。そのため、人と人とのふれあいやつながりを大切にした地
域社会を継承していくなかで、自己実現や世代間交流を育み、村民が心身ともに健康で暮らすことの
できるむらづくりが期待されています。
7.ビジョンの共有と協働によるむらづくりの展開
これまでの行政主導によるむらづくりから、住民や事業者、また、島内外にあって幅広く本村に関
係する人々が、積極的に関わっていく協働のむらづくりへの展開が重要です。そのため、村行政は村
民に開かれた透明性のある村政を展開し、信頼や村民とのパートナーシップの関係を構築していく必
要があります。また、村民は、村全体の暮らしのあり方を自分のことと考え、むらづくりに関わる課
題やビジョンを共有しながら、その気持ちをひとつにして、みんなで行動していくことが必要です。
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はじめに
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