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エドワード・W・サイードの (アメリカ): ナショナ

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エドワード・W・サイードの (アメリカ): ナショナ
Kobe University Repository : Kernel
Title
エドワード・W・サイードの(アメリカ) : ナショナ
リティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振する
ポリティクス(Edward W. Said's 'America' : The Politics
Synchronized with Nationality/Identity/Masculinity)
Author(s)
山本, 秀行
Citation
神戸大学文学部紀要,42:47-65
Issue date
2015-03
Resource Type
Departmental Bulletin Paper / 紀要論文
Resource Version
publisher
DOI
URL
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008782
Create Date: 2017-03-31
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉
―ナショナリティ/アイデンティ
ティ/マスキュリニティに共振するポ
リティクス 1
山 本 秀 行
エドワード・W・サイード(Edward W. Said)は、アメリカ国籍のパレス
チナ人実業家でキリスト教徒の父のもとにエルサレムで生れるが、16 歳でア
メリカに渡り、そこで教育を受け、長年ニューヨークに住み、コロンビア大学
で教授を務めた「アメリカ人」である。にもかかわらず、サイードは、「祖国」
パレスチナを奪ったイスラエルを支持する巨大な帝国アメリカに対して「帰属
不能」(out of place)の感覚を抱いていた。また、
「アメリカ人」学者である
サイード膨大な著作の中で、アメリカ(特にアメリカ文学)に関するものは非
常に少ない。学問の狭い領域に留まらず、「パレスチナ問題」に関する強硬な
政治的態度をアメリカに対しても言論で示したサイードであったが、彼のそう
した言論が影響力を持ちえたのは、その「アメリカの知識人」という特権的立
場ゆえであったことは否定しがたい。本稿では、サイードにとって〈アメリ
カ〉とは何だったのか、自伝やインタビューを含めた著作に見られるナショナ
リティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクスとでも
いうものを手がかりに考察していきたい。
1
本稿は、日本英文学会関西支部第 8 回大会シンポジウム「サイード再読―没十年後
の遺産」(2013 年 12 月 22 日、龍谷大学)における、同じタイトルの発表原稿を加筆
修正したものである。
― 47 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
1.「アメリカ人」としてのナショナリティとアイデンティティの間の乖離
前述のように、エドワード・W・サイードは、アメリカ国籍のパレスチナ人
実業家でキリスト教徒の父のもとに、1935 年、当時イギリス委任統治下のパ
レスチナのエルサレムで生れた。サイードは、エルサレムの英国系初等学校
を経て、後にエジプト・カイロのアメリカン・スクール(CSAC, Cairo School
for American Children)に通うことになるが、自らの「アメリカ性」の欠如
を感じ、教師や他の生徒たちから大きな疎外感を味あわされる。
サイード自身が自伝『遠い場所の記憶』(Out of Place, 1999)の中で、自身
の複雑なアイデンティティについて次のように吐露している。
CSAC forced me to take “Edward” more seriously as a flawed,
frightened, uncertain construction than I ever had before. The overall
sensation I had was of my troublesome identity as an American inside
whom lurked another Arab identity from which I derived no strength,
only embarrassment and discomfort.” (OFP 90) アメリカン・スクール[CSAC]は、わたしに「エドワード」を欠陥のあ
る、怯えあがった自信のない存在として、これまでなかったほどに真剣に
とらえることを強いた。全体的な問題として、厄介な自分のアイデンティ
ティがあった―アメリカ人でありながら、その内側にはもう一人のアラブ
の自分が住んでおり、そこからは強さどころか狼狽と不快感しか湧いてこ
ない。(『記憶』101)
2
サイードにとって、
「アメリカ人エドワード」は「偽の観念的とさえいえるア
イデンティティ」(“a false, even ideological identity”『記憶』101; OFP 90)に
2
『遠い場所の記憶』
(Out of Place, 1999)からの引用については、邦訳書(以下、
『記憶』
と略す)、原著(以下、OFP と略す)それぞれに引用頁数を記す。以下、本論文中の
引用文邦訳は、既訳がある場合は既訳、既訳がない場合は論文著者によるものである。
― 48 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
過ぎなかった。そして、
「エドワード」というアイデンティティは「両親がでっ
ち上げたもの」(“a creation of my parents”『記憶』19; OFP 19)だったので
ある。
1948 年の中東戦争勃発により、ユダヤ人によって領土を奪われてしまった
多くのパレスチナ人は難民化する。そうした時代背景の中で、カイロの英国系
学校ヴィクトリア・カレッジ(Victoria College)でトラブルを起こして放校
処分になったサイードは、1951 年、16 歳のときにアメリカ市民権取得のために、
父親によってアメリカに送られる。マサチューセッツ州のマウント・ハーモ
ン・スクール(Mount Hermon School)というプレップスクール(男子寄宿学校)
に入学したサイードは、そこでアメリカ風に「エド・サイード」と呼ばれるよ
うになる。しかし、サイードにとって寄宿校生活は息苦しいもので、その捌け
口として音楽と読書に没頭するようになる。マウント・ハーモン・スクールで
抜群の成績を修めたサイードはプリンストン大学に入学、その後、ハーバー
ド大学大学院に行き、英文学・比較文学を修める。1963 年にニューヨークの
コロンビア大学で教鞭を執り始めるが、1967 年の第三次中東戦争勃発により、
パレスチナ人の大規模な難民化が起こる一方、アメリカ社会全体は親イスラエ
ル・反パレスチナ一辺倒になり、サイードを取り巻く環境が激変する。
16 歳のときに市民権の取得のためにアメリカに来て以来、サイードは「アメ
リカ人」としてのナショナリティを持ちつつも、
「アメリカ人」としてのアイ
デンティティへの違和感を次第に募らせ、そのナショナリティとアイデンティ
ティの間の乖離(あるいは「ずれ」
)に苦悩するようになっていったのであった。
エ
グ
ザ
イ
ル
2.「故国喪失者」としてのアイデンティティ
イラク戦争で殺されていく罪のなき人々やパレスチナでイスラエルの弾圧に
苦しむ下層民たちを擁護し、「現代の帝国」であるアメリカを痛烈に非難しつ
つも、その中心地であるニューヨークに住み、また、「(ニューヨーク市民とし
― 49 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
ての)西洋化された人格と、彼の故国パレスチナに対する政治的関心」を持ち
つつも、「アラブ人であり、パレスチナ人であり、また、とりわけキリスト教
のパレスチナ人」であることは、ビル・アッシュクロフト&バル・アルワリア
(Bill Ashcroft & Pal Ahluwalia)が指摘するように、サイードのアイデンティ
ティを矛盾と逆説に満ちたものにしている(アッシュクロフト&アルワリア
16-17; Ashcroft&Ahluwalia 5)。そうした矛盾と逆説から、自身のアイデンティ
ティを解放するために、「サイードはみずからを、強制移住させられ、故国を
エ
グ
ザ
イ ル
追われた「故国喪失者」の中に執拗に位置づける」(“Said persistently located
himself as a person who was dislocated, ‘exiled’ from his homeland” アッシュ
クロフト&アルワリア 17; Ashcroft&Ahluwalia 5)しかなかったのである。
エ
グ
ザ
イ
ル
すなわち、サイードの「故国喪失者」としてのアイデンティティとは、「流
れ続ける一まとまりの潮流」(“a cluster of flowing currents”『記憶』341; OFP
295)としての自己であり、「堅牢な固体としての自己という概念、多くの人が
あれほど重要性を持たせているアイデンティティ」(“a solid self, the identity
to which so many attach so much significance”『記憶』341; OFP 295)よりも
好ましいものである。さらに、サイードはそのアイデンティティを次のように
説明する。
They are “off” and may be out of place, but a least they are always in
motion, in time, in place, in the form of all kinds of strange combinations
moving about, not necessarily forward, sometimes against each other,
contrapuntally yet without one of the theme. A form of freedom. (OFP
295)
それらは「離れて」いて、おそらくどこかずれているのだろうが、少なく
ともつねに動き続けている―時に合わせ、場所に合わせ、あらゆる類い
の意外な組み合わせが変転していくというかたちを取りながら、必ずしも
前進するわけでなく、ときには相互に反発しながら、ポリフォニックに、
― 50 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
しかし中心となる主旋律は不在のままに、これは自由の一つのかたちであ
る。(『記憶』341)
ここでサイードが提示した新たなアイデンティティの概念は、単一の人種/エ
スニシティに基づく「アイデンティティ・ポリティクス」が依拠する固定的ア
イデンティティではなく、「流れ続ける一まとまりの潮流」のように自由な流
動性を持ち合わせた複合的でハイブリッドなアイデンティティなのである。
3. サイードのマスキュリニティ
サイードは、自伝『遠い場所の記録』において、自分のマスキュリニティ
が、アイデンティティ同様、両親(特に父親)によって作られたものであるこ
とを、幾つかのエピソードにおいて告白している。サイードが「精神と肉体の
両面における父の力強さが、わたしの人生の早い時期に支配的な力をふるって
いた」(”My father’s strength, moral and physical, dominated the early part of
my life”『記憶』60; OFP 55)と語るように、サイードのマスキュリニティ形
成における父親の影響は大きかった。父の「精神と肉体の両面における強さ」
は、サイードによって次のように表現されている。
He had a massive back and a barrel chest, and although he was quite
short he communicated indomitability and, at least to me, a sense of
overpowering confidence. His most striking physical feature was his
ramrod-stiff, nearly caricaturelike upright carriage. (OFP 55)
父はがっちりとした広い背中と分厚い胸を持ち、背は低かったものの不屈
の精神の持ち主であることをはっきり相手に伝えた。また、少なくともわ
たしには、圧倒するような自信の強さというものも伝わってきた。最も人
目を引く父の身体的な特徴は、硬直した、滑稽なまでにしゃんとした姿勢
― 51 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
だった。(『記憶』63)
「広い背中と分厚い胸」、「圧倒するような自信」という「精神と肉体の両面に
おける強さ」を持つ、アメリカ国籍のパレスチナ人の父親が、おそらく、カイ
ロやレバノンなど中東の地において「アメリカ人」としての優越的自己意識に
基づいたマスキュリニティを持っていたと推測できる。これは、マスキュリニ
ティ・スタディーズで言うところの「覇権的マスキュリニティ」(hegemonic
3、すなわち、「権力を有する男性のマスキュリニティ」(Kimmel
masculinity)
ミミクリー
30)、あるいはその擬態(mimicry)ともでも言うべきものである。
そして、父親は、母親とともに、幼年期から思春期にかけて息子の身体問題
―偏平足、小便排出時の発作的身震い、胃腸虚弱、視力低下など―を矯正
しようとしたが、特に健康的には問題なくても、マスキュリニティの形成とも
深く関係する身体問題の矯正はとりわけ執拗に行われた。
まず、5 歳ぐらいの頃に長かった巻き毛は刈り込まれて短髪にされ、また、
ソプラノの声を持っていた「かわいい」(pretty)サイードに対して、父は「め
めしい」(sissy)と不満・不安に思っていた。そして、この「めめしい」とい
う言葉は 10 歳ぐらいになるまで自分に付きまとったとサイードは告白してい
る(OFP 66;『記憶』73)。また、顔つき、特に口元の「弱々しさ」(weakness)
に対する攻撃を父から受け、悪いことをしたときなどは、父から親指と人差し
指をサイードの口の両端に強く押し当て、左右に交互に強く引っ張り、「この
たるんだ口」(“that weak mouth of yours” OFP 66;『記憶』73)と叱られてい
た。そのため、サイードは 20 歳を過ぎてもなお、鏡の中の自分を見つめ、弛
3
覇権的マスキュリニティ」は、権力構造における支配者のマスキュリニティ、たと
えば、アメリカ社会においては中上流階級の WASP(アングロサクソン系プロテス
タント白人)で異性愛者の男性が持つマスキュリニティであり、それを持っていない
者(人種的・性的マイノリティ)は従属的・周縁的立場に置かれ、支配される側に追
いやられる。このように、マスキュリニティは、権力と密接に結びついていると考え
られる。拙著『アジア系アメリカ演劇―マスキュリニティの演劇表象』(世界思想社,
2008)、pp.8-10 を参照。
― 52 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
んだ顔つきを「引き締める」ための訓練(口をすぼめる、歯をくいしばる、顎
を持ち上げるなどの動作)を繰り返していた。これは、サイードにとって、自
分が精神的な強靭さを持つ、男らしくて「強い」人間であることを表す訓練で
あった。
また、サイードの姿勢の悪さ(猫背)を矯正するための様々な試みが両親に
よってなされたがいっこうに改善されなかったので、1957 年プリンストン大
学卒業時(21 歳)に、父親の命令で「シャツの下に着込む馬具のような」矯
正器具を装着させられた。また、10 代のころから金属製の胸部エクスパンダー
によって胸部を鍛えさせられた結果として、「この広い胸を積極的に前に突き
出し、一段と大きくさせるならば、わたしはグロテスクなほどに胸のがっし
りした男らしさのカリカチュアになるだろう」(“. . . my chest was too large;
thrusting it forward aggressively, making it even bigger, turned me into a
grotesque, barrel-chested caricature of a well-developed man.”『記憶』71;
OFP 65)と言うまでになっている。そして、父親による肉体矯正のお陰で、
背は家族の誰よりも高くなり、頑丈な「手」を持つようになったことを、サイー
ドは半ば肯定的に語っているようである。断固として拒絶した「アメリカ人」
としてのアイデンティティとは違い、サイードは同じく父親から強制されたマ
スキュリニティを無意識的に内在化してしまっているようにも見える。
サイードは、写真家ジャン・モア(Jean Mohr)との共作のルボルタージュ
『パレスチナとは何か』(After the Last Sky: Palestinian Lives, 1986)におい
て、パレスチナ人の若者の間で「内部の私的領域」を創造するために、ボディ
ビルや空手やボクシングといった肉体活動をすることがさかんになってきてい
ることを述べた後に、「明らかに、これ見よがしの支配を続ける強い他者に対
する弱者の反応である」(“. . . obviously the response of the weak to a strong,
visibly dominant other”『パレスチナとは何か』89; After the Last Sky 54) 4 と
4
『パレスチナとは何か』
(After the Last Sky: Palestinian Lives, 1986)からの引用は、
邦訳書(以下、『パレスチナ』と略す)、原著(以下、After the Last Sky と記す)そ
れぞれに引用頁を記す。
― 53 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
言っている。この見解は、まさにサイード自身の両親による肉体の矯正によっ
て「内部の私的領域」にマスキュリニティが形成されたという経験に起因して
いるように思われる。
4. サイードのアメリカ文学論とマスキュリニティ
エドワード・W・サイードの膨大な著作群において、サイード本人も認めて
いるように、アメリカ文学に関する記述は驚くほど少ない。ジョン・カルロス・
ロウ(John Carlos Rowe)が指摘するように、
「サイードの保守的な文学の関
心への批判は、今や決まり文句となっている」
(“It is by now commonplace to
criticize Said for his conservative literary interests” Rowe 34)
。イギリスのテ
レビのドキュメンタリー番組での 1994 年のタリク・アリ(Tariq Ali)との対
談で言っているように、サイード自身、
「アメリカ文学についてもっと書くべき
であろう」
(“I should write more about American literature”)と認めつつも、
「集中的に取り上げる話題としては、あまり興味を掻き立てられない」
(“But it
doesn’t interest me as much, in itself, as a subject on which to focus”『サイー
5 と告白している。さらにサイードはア
ド自身が語る』144; Conversations 113)
メリカ文学に興味を掻き立てられない理由を次のように言っている。
There’s a problem for me in much American writing which American
critics are very interested in, which I am not; which is American
rhetoric. There’s a quality of homemade-ness, excessiveness, a hyperbolic
overblown-ness, plus a certain kind of social thinness which even
Henry James used to complain about, which I find not very attractive.
(Conversations 113)
5
『サイード自身が語るサイード』(Ali Tariq, ed. Conversations with Edward Said,
2006)からの引用は、邦訳書(以下、『サイード自身が語る』と略す)、原著(以下、
Conversations と 略す)それぞれに引用頁数を記す。
― 54 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
わたしにとっての問題とは、アメリカの批評家たちが興味を抱いているア
メリカ的文章にわたしは興味を持てないことかな。それらはアメリカ的レ
トリックなんだな。手作り感覚や過剰さ、仰々しくて尊大なところ、プラ
ス、ヘンリー・ジェイムズでも嘆かずにはいられなかったある種の社会的
浅薄感、それらは、わたしにとっては、さほど魅力的ではない。(『サイー
ド自身が語る』144)
同じ対談の中で、現代のアメリカ作家についての見解を求められたサイード
は、トニ・モリソン(Toni Morrison)、ドン・デリーロ(Don DeLillo)、トマ
ス・ピンチョン(Thomas Pynchon)などの「反アメリカニズム的」/「コス
モポリタン的」現代作家、あるいはトニ・モリソンなどのマイノリティ作家に
ついて短く言及し、ある程度の評価を与える一方、同じマイノリティ作家の中
でも、当然ことながら「親イスラエル的な」ユダヤ系作家ソール・ベロー(Saul
Bellow)には厳しい批判をしている。
アメリカ文学の中でサイードが最も評価しているのは、明らかにハーマン・
メルヴィル(Herman Melville)の『白鯨』(Moby-Dick)である。1994 年の
タリク・アリとの対談では、『白鯨』について「想像力の巨大な産物だよ。そ
うであるがゆえに、それは世界文学にも属しているとわたしはみなしている」
(” But Moby Dick is a titanic work of the imagination, and as such I see it as
belonging in world literature. . . .”『サイード自身が語る』144; Conversations
113)とまで言っている。
1995 年の『文化と帝国主義』(Culture and Imperialism)において、新た
な帝国としてのアメリカのイデオロギー「明白なる運命」(Manifest Destiny)
に基づく領土膨張、およびそれを正当化する言説について扱っているが、そ
の一つの例としてメルヴィルの『白鯨』も挙げられている。サイードは、主
人公エイハブ(Ahab)は「アメリカ人による世界制覇の寓意的な表象」(”. . .
an allegorical representation of the American world quest”『文化と帝国主義』
― 55 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
第 2 巻 166; CAI 288)
6 であり、「『白鯨』を読んだことのある者なら誰でも、こ
の大小説から現実の世界へのつながりを構想し、アメリカ帝国が、あたかもエ
イハブ船長のように、諸悪の根元とされる存在をいつも追及する準備をととの
えているという思いを禁じえないはずだ」(“Anyone who has read Moby-Dick
may have found it irresistible to extrapolate from that great novel to the real
world, to see the American empire preparing once again, like Ahab, to take
after an imputed evil.”『文化と帝国主義』第 2 巻 177; CAI 295)と指摘している。
2000 年の『故国喪失についての省察』(Reflections on Exile)に、元々は
1991 年のヴィンテージ(Vintage)版のペーパーバッグの『白鯨』の「イン
トロダクション」として書かれた「『白鯨』を読むために」(“Introduction to
Moby-Dick”)というエッセイが収録されている。そのエッセイにおいて、サ
イードは、『白鯨』を「アメリカで生みだされたもっとも偉大でもっとも奇
矯な文学芸術作品」(“[the] greatest and most eccentric work of literary art
production”『故国』第 2 巻 58; Reflections 356)
7 と呼んでいる。
ここで注目したいのは、サイードがメルヴィルの『白鯨』を評価するさいに、
あくまでも自ら高く評価するジョゼフ・コンラッド(Joseph Conrad)の『闇
の奥』(Heart of Darkness)との共通点を基準にしていることである。特に両
者とも、支配的社会や国民国家の「安定したアイデンティティ」に異議申し立
てをしていることを指摘することによって『白鯨』を評価しようとしている。
As such then their most radical work is in effect a challenge to stable
identity itself, in Conrad’s case the European and “white” world of his
times, in Melville’s the American and not completely organized world of
the young republic. (Reflections 358)
『文化と帝国主義』(Culture and Imperialism, 1995)からの引用は、邦訳書(以下、
『文化と帝国主義』と記す)、原著(以下、CAI と記す)それぞれに引用頁数を記す。
7 『故国喪失についての省察』(Reflections on Exile, 2000)からの引用は、邦訳書(以
下、『省察』と略す)、原著(以下、Reflections と略す)それぞれに引用頁数を記す。
6
― 56 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
実際、そのような彼らにとってもっともラディカルないとなみは、安定し
たアイデンティティそのものに揺さぶりをかけることだった。コンラッド
の場合は、ヨーロッパ世界つまり彼の時代の「白い」世界におけるアイデ
ンティティに。また、メルヴィルの場合はいまだ完全に組織化されていな
い若い共和国におけるアメリカ人のアイデンティティに。(『省察』第 2 巻
61)
しかしながら総じて、サイードのメルヴィル『白鯨』への評価は限定的と
言わざるを得ない。たとえば、次のように『白鯨』を捕鯨についての「アメ
リカ文学における偉大〈ハウ・ツー本〉」(”the greatest how-to-do-it book in
American literature”『省察』第 2 巻 75; Reflections 368)とまで言うのである。
The absence of social instructions in America noted by Henry James
is turned by Melville into the opportunity to build a new quasi society
from scratch. Moby-Dick, with its complete course in whaling history
and practice, is the greatest how-to-do-it book in American literature.
(Reflections 368)
ヘンリー・ジェイムズが示唆したアメリカにおける社会機構の不在は、メ
ルヴィルにとって擬似社会をゼロから作り出す絶好の機会となった。『白
鯨』は、その捕鯨の歴史と実践についての詳細な講釈も含めて、アメリカ
文学における偉大な〈ハウ・ツー本〉である。(『省察』第 2 巻 75)
また、『故国喪失についての省察』の別の章では、サイードは、『白鯨』が
「鯨と海に関するあらゆることを網羅した百科事典であると同時に、捕鯨の
マニュアル」(“a manual of what to do if you want to go whaling, as well as
encyclopedia of everything pertaining to ships and the sea”『 省 察 』 第 1 巻
228; Reflections 230)であり、さらに、ジェイムズ・フェニモア・クーパー
― 57 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
(James Fenimore Cooper)の作品には「森林とインディアンの生活」、マーク・
トゥエイン(Mark Twain)の作品には「南西部とミシシッピ河」、ヘンリー・
デイヴィッド・ソロー(Henry David Thoreau)の『ウォールデン』(Walden)
には「ニューイングランドの自然」、ウィリアム・フォークナー(William
Faulkner)の作品には「南部」のそれぞれ「体験知」が詰め込まれていると
している。そして、アメリカ文学を、「ハウ・ツー主義」(“how-to-ism”)すな
わち「実用的、説明的態度」(practical, instructional attitude)の著作と断じ
ている。
ここで重要な点は、上記のようにたとえ限定的な評価であるにせよ、サイー
ドの『白鯨』への評価の尺度の一つが、マスキュリニティであることである。
まず、サイードは、『白鯨』において西洋の「古典」についての言及で満ち溢
れていることを指摘して、メルヴィルの守備範囲の広さに驚くべきものがあ
ると評価する。そのさいに、サイードは、メルヴィルが参照した「古典」と
して、まず欽定英訳聖書(King James Bible)を挙げた後、ジョン・ミルトン
(John Milton)、ジョン・バニアン(John Bunyan)、トマス・ブラウン(Thomas
Brown)、ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare)の名前を挙
げ、彼らのことを「英語がもっとも男性的かつ詩的だった偉大な時代」(“great
cultural period when English was at its most muscular and poetic”『省察』第
2 巻 63; Reflections 360)の作家たちとまで呼んでいる。
さらにサイードは、
『白鯨』を「印象ぶかく、壮大にしている主調音のひと
つ」
(“one of the main keys to its imposing magnificence”『省察』第 2 巻 77;
Reflections 369)として、次のような指摘により、
『白鯨』のマスキュリニティ
を称揚している。
「
『白鯨』の世界は、驚くほど非生産的で、どこまでも筋を
0
0
曲げず、どこまでも独身者的なのであり、そして周到に、執拗なまでに男性
0
的なのである」
(“. . . [H]is world in Moby-Dick is so remarkably unproductive,
so unregenerate and so bachelorlike; so studiously, unforgivingly male.”『 省
オリエント
察』第 2 巻 77; Reflections 370)
。
「また、メルヴィルが、東洋―そして、拝火
― 58 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
教徒フェダラーやその仲間の存在―に言及するとき、彼らが男性的であると
いう点は着目してよいだろう」
(“It is fascinating to note that all of Melville’s
allusion to the Orient—and the presence in the novel of such people as
Fedallah and his Parsee associates—are also all masculine”『省察』第 2 巻 77;
Reflections 370)
。
サイードの『故国喪失についての省察』において、『白鯨』の他にアメリ
カ文学について一章を割いて論じられているのは、スペインの闘牛士の世
界を描いたヘミングウェイの二作品、1932 年出版の『午後の死』(Death in
the Afternoon) お よ び 没 後 1985 年 に 出 版 さ れ た『 危 険 な 夏 』(Dangerous
Summer)である。
ヘミングウェイの『午後の死』を「二十世紀アメリカのもっとも偉大な本の
ひとつ」(“one of the greatest American books of the twentieth century”『省
察』第 1 巻 230; Reflections 232)と褒める一方、サイードは、『危険な夏』に見
られる「ハウ・ツー主義」や文学市場の中における「商品化」をめぐるアメリ
カ的著述の大問題を次のように指摘する。「知ることから導き出され、ハウ・
ツー主義に変換された認識がもたらす衝撃は、一回性のものであり、それを維
持できず[中略]市場の均質化プロセスの中で、ただの「製品」になってしまう」
(the shock of recognition derived from knowledge and converted into how-toism can only occur once, cannot be sustained. [. . .] where the homogenizing
processes turn out neither art nor knowledge, but the merest “product” ”『省
察』第 1 巻 239; Reflections 238)。
メルヴィルの『白鯨』と同様、サイードは、ヘミングウェイの『午後の死』
(および『危険な夏』
)にマスキュリニティの観点から言及している。まず、
サイードは、ヘミングウェイを「男くさい放浪癖によって記憶されている」
(“Remembered for his macho divagations”)
、
「戦争、ヨーロッパ、釣り、狩
猟、芸術家のボヘミア、闘牛」といった二十世紀初頭のアメリカ人の関心事に
ついての専門知識を提供した「冷徹な専門家」
(“relentless exert”)と評して
― 59 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
いる(
『省察』第 1 巻 230; Reflections 232)
。そして、ヘミングウェイはスペイ
ンの闘牛を「スポーツではなく男だけの芸術形式」
(“an exclusively male form
of art, not a sport”『省察』第 1 巻 231; Reflections 232)とみなし、この『午
後の死』という作品自体についても、
「ヘミングウェイの他の仕事で、その強
烈さ、力強さにおいて同書に匹敵するものはほとんどない」
(“In its intensity
and power, there is very little like this book in Hemingway’s other work”『省
察』第 1 巻 232; Reflections 233)とまで言い切っている。
これまで見てきたように、サイードはアメリカ文学を「ある種の社会的浅薄
感」を持った、文学市場によって「商品化」される「一回性」の「ハウ・ツー
主義」的著作とし、総じて高い評価を与えてない。しかしながら、数あるアメ
リカ文学作品の中で、巨大鯨に復讐を挑む「マッチョ」なエイハブ船長に率い
られた捕鯨船で繰り広げられる男たちのドラマを描いたメヴィルの『白鯨』と、
「男の美学」に基づくスペインの闘牛士たちの男らしい世界を描いたヘミング
ウェイの『午後の死』(および『危険な夏』)という、いわば男たちの「ホモソー
シャル」(homosocial)な関係(いわば、男同士の絆)を描き、マスキュリニティ
を称揚するような作品を、アメリカ文学の代表としてサイードが捉えているこ
とは注目に値する。おそらく、サイードにとって、アメリカ文学(ひいてはア
メリカ)はマスキュリティと不可分の存在だったに違いない。
5.『オリエンタリズム』に見られるサイードのジェンダー意識
これまで述べてきたようなサイードのジェンダー(マスキュリニティ)意識
は、彼の代表的著作『オリエンタリズム』(Orientalism, 1978)にも表れている。
ここでは、サイードのジェンダー(マスキュリニティ)意識の根源を探るため
に、
『オリエンタリズム』をジェンダー(あるいはマスキュリニティ)の観点
から少し考察しておきたい。
『オリエンタリズム』のユニークな点は、単に西洋/東洋という地政学にお
― 60 ―
エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
ける階層序列的二項対立だけでなく、それに男性/女性というジェンダーの階
層序列的二項対立を組み合わせ、西欧文化・芸術において作られた「オリエン
ト」の表象についての言説分析を行うことによって、その背景である世界に拡
散した帝国主義の構図を明確に浮かび上がらせることに成功しているところで
あろう。
しかし、サイードの『オリエンタリズム』のジェンダー意識に関するフェミ
ニズム的立場からの批判は少なくない。たとえば、ジョアン・ミラー(Joan
Miller)は「女性が、帝国の権力関係に積極的に参加したことを見逃してい
る」(“Said fails to view women as active participants within imperial power
relations” アッシュクロフト&アルワリア 147; Ashcroft&Ahluwalia 79)とし
ている。また、レイナ・ルイス(Reina Lewis)は「サイードが言及するのは、
ガートルード・ベルというたったひとりの女性作家であり、その女性作家の
テクストにおけるジェンダー・ポジションに注意を払っていない」(“. . . Said
refers to only a single woman writer, Gertrude Bell, and even then pays no
attention to her gender position within her texts” Ashcroft and Ahluwalia アッ
シュクロフト&アルワリア 147; Ashcroft&Ahluwalia 79)と批判し、「女性を
省略することで、・・・・サイードは、オリエンタリズムの中心的問題とサイー
ドがみるステレオタイプ化の罠に、みずからはまっている」(“By omitting
woman, . . . Said fails into the very trap of stereotyping which he sees as
the central problem of Orientalism” ア ッ シ ュ ク ロ フ ト & ア ル ワ リ ア 148;
Ashcroft&Ahluwalia 79)と断じている。
さらに大きな問題点として、サイードが『オリエンタリズム』で論じた階層
序列、特に男性/女性というジェンダー的階層序列を暗黙のうちに肯定してし
まい、結果的にはそれを強化してしまっていることが指摘できる。すなわち、
『オリエンタリズム』におけるサイードの試みは、階層序列的構造の内部で序
列化されている二つの項の関係を逆転しただけで、結果的には同様の階層序列
を新たな形で再生産しているに過ぎない。
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エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
父親からの肉体矯正によって強制的に負わされた「覇権的マスキュリニ
ティ」が無意識的にサイードに内在化し、そして、それに基づいて彼のジェン
ダー意識が形成されていたとすれば、彼が自身の著作『オリエンタリズム』の
ジェンダー的問題点を見過ごしてしまったことは理屈に合うように思われる。
6.「アメリカの知識人」としてのサイード
自分自身のナショナリティ、アイデンティ、マスキュリニティの間に生じ
た「ずれ」と、それに起因する矛盾を抱えてきた「アメリカ人」サイードは、
「アメリカの知識人」(American intellectual)として自己を再定義することに
よって、その矛盾を解消しようとしているように見える。『知識人とは何か』
(Representations of the Intellectual, 1994)で、サイードは、専門主義とは「異
なる一連の価値観や意味」(“a different set of values and prerogatives)『知識
リズム
人』136; Intellectual 82) 8、すなわち「アマチュア主義」(amateurism)を持ち、
エ
グ
ザ
イ
ル
国家と伝統から離れた「故国喪失者」としての「周縁的」立場から、「権力に
対して真実を語る」(“Speaking the truth to power”『知識人』163; Intellectual
102)存在、として「知識人」を定義した。
さ ら に、『 人 文 学 と 批 評 の 使 命 』(Humanism and Democratic Criticism,
2004)の第 5 章「作家と批評家の公的役割」において、サイードは、「唯一の
グローバルな大国」である「アメリカ」の「知識人」について言及している。
「ア
メリカの知識人にとって、責任はいっそう重く、経路は無数で、課題はきわめ
て困難なことは言うまでもない」(“It almost goes without saying that for the
American intellectual the responsibility is greater, the openings numerous,
the challenge very difficult.”『人文学と批評の使命』184; Humanism 135) 9 とし、
8
9
『知識人とは何か』(Representations of the Intellectual, 1994)からの引用は、邦訳
書(以下、『知識人』と略す)、原著(以下、Intellectual と略す)それぞれに引用頁数
を記す。
『人文学と批評の使命』
(Humanism and Democratic Criticism, 2004)からの引用は、
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エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
「知識人の役割は、弁証法的に、対抗的に、これまで述べてきた抗争を明るみ
に出し、解明し、押し付けられた沈黙に、また見えざる権力の働きによって正
常に見せかけられている静寂に、可能ならいつでもどこでも異議を唱え、そ
れらを打ち破ることだ」(“The intellectual’s role is dialectically, oppositionally
to uncover and elucidate the contest I referred to earlier to challenge and
defeat both and imposed silence and the normalized quiet or unseen power
wherever and whenever possible”『 人 文 学 と 批 評 の 使 命 』184; Humanism
135)と述べている。
サイードの「パレスチナ問題」に対する「マチズモ」的とも言える強硬な態
度・発言を可能にし、アメリカという言論の自由が保障された国で英語を使っ
て発言をし、そしてその発言がアメリカだけでなく世界中で大きな影響力を持
ちえたのも、その「アメリカの知識人」という特権的立場ゆえであったという
ことは否定しがたい。しかしながら、このことは、エルサレム生まれのパレス
チナ人でありながら、父親から与えられた「アメリカ人」としてのナショナ
リティに違和感を持ち、「アメリカ人」としてのアイデンティティを拒否して
エ
グ
ザ
イ
ル
「故国喪失者」として自らを位置づけ、「アメリカ人」としての強制的に負わさ
れたマスキュリティを内在化させていたサイードにとって、きわめて皮肉なこ
とであったと言わざるをえない。
けれども、こうしたサイードの〈アメリカ〉をめぐるナショナリティ/アイ
デンティティ/マスキュリニティの「離れてお互いに反発し合いながらポリ
フォニックに」共振するポリティクスこそが、類い稀なる独自性と影響力を
持った彼の文化・文学理論を作り出したものに他ならないのである。
邦訳書(以下、『人文学』と略す)、原著(以下、Humanism と略す)それぞれに引用
頁数を記す。
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エドワード・W・サイードの〈アメリカ〉―ナショナリティ/アイデンティティ/マスキュリニティに共振するポリティクス
【参考引用文献】
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