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手荒れと手指衛生の科学

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手荒れと手指衛生の科学
手荒れと手指 衛 生の 科 学
花王株式会社 化学品研究所 C&S商品開発センター長 日置 祐一
1 身体の常在菌分布と働き
私達の身体に常在する細菌は、各器官に一定の細菌を中心
常在細菌叢(resident flora)
は、皮膚、腸内、口腔内常在菌叢
とした微生物が生息している。主として皮膚、粘膜、外部と直接・間
含めて感染防御的に働き起炎菌などに対して拮抗的な働きや増
接に接する部位、臓器や器官に一定の微生物が生息しておりこの
殖を防ぐ働きをする事が知られている1)2)。一方、一過性細菌叢に
様な細菌をindigenous bacteriaと呼び、
その集団を常在細菌叢
分類される細菌には起炎菌として感染症を引き起こすものが多く
(indigenous bacterial flora , 広義)
、正常細菌叢
(normal bac-
含まれる。一般的に、常在細菌叢を優位に残し、通過菌を除去す
terial flora)
と呼んでいる。一方、外部とは接触していない正常な
ることが望ましいと考えられる
(表 1)
。従って、皮膚表面においては、
体液(血液、脳脊髄液、胸水、など)や組織(筋肉、肝臓、腎臓、
通過菌による一過性細菌叢が形成し難い環境(手荒れや傷をな
これら常在細菌叢の中において、
など)
は無菌である1)∼3)。一般に、
くす)にすることが重要であると考えられている。
寄生している宿主(host)
と密接な共存関係を持つものを狭義の
常在細菌叢
(resident flora)
、及びそれを形成する細菌を定住菌、
常在菌
(resident bacteria)
と呼ぶ。また宿主との共存関係が弱く
一時的又は特殊な状態の下でのみ生息するものを一過性細菌叢
(transient flora)
及びそれを形成する菌を通過菌
(transient ba-
2 手指の常在細菌叢と一過性細菌叢及び
院内感染起因菌
次に、皮膚の常在細菌叢と一過性細菌叢の代表的メンバーにつ
cteria)
と呼んでいる。
(ただし、常在細菌叢及び一過性細菌叢は明
いて述べる
(表2)
。皮膚の常在細菌叢を形成する代表的菌種とし
瞭に区別できるものではなく常在細菌叢による皮膚変化及び
ては、表皮ブドウ球菌、
ミクロコッカス等が挙げられる。
一過性細菌叢による皮膚変化はともに起こりうる。また、
これら分
また、一過性細菌叢の代表的な菌としては、黄色ブドウ球菌、緑
類において「定住菌」をresident flora、
「通過菌」をtransient
膿菌等が挙げられ病院内での院内感染の原因菌として問題になっ
floraと訳し、菌叢を意味していることも多い。)本稿においては、
ている細菌がこの中に含まれる 1)4)。
「常在細菌叢」は狭義の常在細菌叢(resident flora)
としてこれ
を形成する菌を常在菌(r es ident bacteria)
、一過性細菌叢を
transient f lora、構成する通過菌をresident bacteriaとして述
べたい(図1、表1)。
表1 細菌叢の分類と特徴
常在細菌叢(広義)
:
Indigenous Bacterial Flora
宿主との
共存関係
菌数
起炎菌
常在細菌叢(狭義)
:Resident Flora
形成する菌 常在菌:Resident Bacteria
常在細菌叢
Resident Flora
強い
変動 比較的
少ない 少ない
一過性細菌叢:Transient Flora
形成する菌 通過菌:Transient Bacteria
一過性細菌叢
Transient Flora
弱い
一時的
特殊な
状態
変動が 比較的
大きい 多い
特徴
宿主と密接な関係
O.I.*などの感染防御に有利
● 皮膚では比較的深部に存在
●
●
宿主と密接な関係ではない
O.I.*及び菌交代症などの起炎
菌になることがある
● 皮膚では比較的表層部に存在
●
●
図1 常在細菌叢と一過性細菌叢
*Opportunistic Infections(日和見感染)
表2 皮膚における常在菌叢と一過性細菌叢及び院内感染起因菌
皮膚の常在菌 *
一過性細菌叢を形成する通過菌
*皮脂腺や毛膿等の皮膚深部に定住し、常在細菌叢を形成(頻度の高い順位)
( Resident Flora)
代表的な院内感染症起因菌
手荒れと手指衛生の科学
● 手指常在細菌叢(resident flora)の主要メンバー
b)緑膿 菌
a)表皮ブドウ球菌 グラム陰性桿菌であり菌体の一端に一本の鞭毛を持って活発
コアグラーゼ陰性ブドウ球 菌( に運動する。
自然界に広く分布して湿潤部位に生息しやすい。
は以前K loos &S che i ferらにより糖の分解能、
: CNS)
院内感染、日和見感染の原因菌として重要であり、熱傷、術後二
ウシ血球の溶解能、硝酸塩の還元能等から10種類に分ける事を
次感染、毛包炎等の起炎菌である。
提案されていたが現在 2 6 種 以上に分類中であり、
ヒトの正常皮
この他大腸菌、アシネトバクター等が挙げられる。
膚からはこのCNSが最も多く分離される。
CNSの中で が最も多く存在し、皮膚表面においての適応性は最高であ
● 院内感染起因菌
る。正常皮膚では常在菌としての役割を果たし、皮脂の分解産
上記に述べた様に、常在細菌叢の細菌メンバーにおいては毒
素産生性も一般的になく、通常では院内感染の起因菌にはなり
にくいが、尿道や免疫力が低下した患者等では日和見的な感染
を起こす事があるので注意は必要である。
また、一過性細菌叢の
細菌メンバーといわれる黄色ブドウ球菌、緑膿菌、大腸菌等が院内
感染起因菌として問題であるが、グラム陽性菌で毒性の強い黄色
ブドウ球菌が重要である。
さらに、黄色ブドウ球菌は後にも述べる
様に耐性菌発現率が高く、バンコマイシン耐性菌の可能性も指摘さ
れておりバンコマイシン耐性腸球菌と共に注意が必要である。また、
グラム陰性桿菌である緑膿菌の問題も最近増えてきており、傷や熱
物である脂肪酸によって病原菌の増殖を抑える働きもあると言わ
れている 2 )。一方、免疫力の落ちた患者等での本菌感染症も増
加しており、尿 路感 染や菌血症などの増加も報告されている
ことから、その両面を良く理解しておく必要がある 4)。
b)ミクロコッカス属
と同じ部 位に生息するグラム 陽性 球菌であり、
分離頻度は よりかなり少ない。一 般 的には 病 原
性はほとんどないとみなされている。
● 手指における一 過性細菌叢(transient flora)の
主要細菌
傷部位に生息し薬剤に対する抵抗性も強いことから、これらグラム
陰性桿菌についても今後要注意である1)2)。
a)黄色ブドウ球菌 3 手荒れと一過性細菌叢(transient flora)
グラム陽性球菌、
コアグラーゼ活性陽性、マンニトール分解能陽
性であり、皮膚の損傷部や漏出液の存在する部位に接着するが、
手荒れは、正確な定義がないので皮膚の病変との一線を引く事
健常な皮膚には常在できない。
しかし、指掌の鱗屑の著明な部位
が難しい。
手湿疹病変として「進行性指掌角皮症」
( KTPP:Kerat-
から高頻度で本菌が分離される 。本菌は耐塩性で乾燥にも強く
odermia tylodes palmalis progressive)
があり、水、石鹸、食
発育可能温度も7℃から46℃で幅広く生育可能pHも4.
8∼9.
4と
品の刺激による手湿疹(主婦湿疹)
とも呼ばれている症状で、広義
幅広い。エンテロトキシン等の毒素を産生し、起炎菌として重要な
では接触皮膚炎の一種とも言われることから手荒れはその前段階
菌であるとともにMRSA
( という説がある
(異説もある。
)
。KTPPは、乾燥、落屑、亀裂、指紋消
が 院内感染起因菌として極めて注意を要する菌の一つ
)
失が認められるものを指すが、手荒れにおいては落屑が認められ、
5)
である。
表3 荒れ性肌からの黄色ブドウ球菌検出率の比較まとめ
荒れ性を自覚する者からの手指*
食品工場
外食産業
ナース**
荒れ性を自覚しない者からの手指*
食品工場
黄色ブドウ球菌検出者数
(検出者数/被験者数)
黄色ブドウ球菌検出率(%)
西田 博:J.Antibact.Antifung.Agents(1984) Elaine L.Larson et al.:AJIC Am J Infect Cntrol, (1998)より改変
*聞き取り及び目視含む/**Colonizing Flora
表4 手指のコンディションと Staphylococcal Species の抗生物質に対する耐性
Elaine L .Lar son e t al .:A JI C Am J Infect Cntrol,(19 9 8)26, 5, 513より改変
*本試 験において、全ての菌について Damaged handsとUndamaged handsの間に有意差は認められなかった。
外食産業
ナース**
指紋も残り、乾燥している状態であると考えられる。明確に定義され
4 手洗いと常在細菌叢、一過性細菌叢
てない「手荒れ」と一過性細菌の相関を議 論するのは難しいが、
一般に、付着しただけの細菌は手指上に定着せず、手洗いで十分
「手荒れ」
についてKTPPには至っておらず乾燥と落屑のある状態
洗い流せるが常在菌は洗い流すことができないと言われている。 レベルとして述べたい。
西田らの報告によると手荒れとKTPPを明
図2は強制的に挽き肉と大腸菌群を手指に付着させた時の手洗
確に区別した調査を行い、食品工場、外食産業の手荒れを起こし
いによる除菌率を示している。また、図3は健常な手指上で常在菌
た従事者の鱗屑から黄色ブドウ球菌を検出している 。また、L ar-
叢を形成していると考えられる一般細菌(表皮ブドウ球菌など)
の洗
sonらの報告によると、ナースにおいても手荒れ(damaged hands)
浄率を示している 7)。
これらの結果から判るように、手指上に付着
を有する手指からコロナイズした黄色ブドウ球菌を検出している6)。
しただけの通過菌である大腸菌群は容易に殺菌・洗浄されるが、
表3に示す様に、両方のケースにおいて、健常な手からは、食品工
常在菌叢を形成している一般細菌は容易に洗浄・殺菌されない。
場従事者4.2%、外食サービス従業員4 .1%、ナース0%であるのに
また、殺菌剤剤配合石鹸の方が有意に通過菌を減少させているこ
対して、手荒れ手指からは食品工場従事者で19.5%、外食サービ
とが判る。即ち、一過性細菌叢を形成する通過菌も好適な生育条
ス従業員13.7%、ナース20%と高率で認められている。
また、傷や
件でなければ定住できないため、付着しただけの菌と同様に手洗い
熱傷の手指からは27.3%の検出率になり、皮膚に火傷や傷がつく
で十分洗浄殺菌できると考えられる。
しかしながら、手荒れ等を有す
とさらに検出率が高くなると報告している 。
これらの試験は、試験
る手指では手指表面上でこれらの通過菌がコロナイズした場合、
場所、評価方法が異なるので単純に比較はできないが、
それぞれか
手洗いだけで洗い流すことは難しい。先の実験においても、黄色
なり接近した数字であることは興味深い。
ブドウ球菌等が手荒れした手指上ではコロナイズしており、手洗い
これらの知見からも、手荒れや手にダメージがあることにより、
手
では落ちないことが示されている 5)6 )。そのため、健常な手指に
指の通過菌の代表である黄色ブドウ球菌が手指上にコロニーを形
おいては病院における作業毎に手を洗う事が重要で有ることは言う
成していることが示唆されており、病院内や食品加工場面において
までもないが、
できるだけ低刺激性の自分にあった手洗い剤を選
手指のケアが非常に重要で有る事が判る。
ぶ事が望ましい。また、先にも述べた様に殺菌剤を含んだ手洗い
耐性菌の問題として、Larson らは検出された黄色ブドウ球菌の
剤の方が効果的なケースが多いので刺激の少ない手洗い洗浄殺
中でアンピシリン耐性菌率はdamaged 100%、undamaged 50%、
菌剤を選ぶ事が必要であると共にスキンケアも重要になってくると
また表皮ブドウ球菌の耐性菌率はdamaged 95.2%、Undamag-
考えられる。
ed 10 0 %と報告している。メシチリン耐性菌率は、黄色ブドウ球菌
米国においては、手洗いの重要性がクローズアップされてこれま
で20%−25%の検出率でありd amagedとundamagedの間に
で議論されてきたが、手洗いの頻度が高くなる事によって手荒れ
有為差はないがdamaged handsにおいてはコロナイズしている
の発生による通過菌による一過性細菌叢の形成問題が重要視さ
可能性があり、院内感染の感染源としての危険性を含んでいると
れてきている。最近は、アルコールラビング製剤が皮膚へのダメージ
考えられる(表4)
。
が少ないとの報告もあり、
アルコール製剤を上手に使うことによって
5)
5)
6)
手荒れをできるだけ低減する提案もされてきている8)。
(平均値及び95%信頼区間 両手×11回:n=22)
*t−検定:危険率P<0.01で両者間に有意差あり
(平均値及び95%信頼区間、 n=10)
*t−検定:危険率P<0.05 で3者間に有意差なし
10 7
500
P<0.01*
400
大
腸
菌
群
数
一
般
細
菌
数
300
(cfu/hand)
(cfu/hand)
200
10 6
10 5
10 4
100
10 3
0
プラセボで
洗浄
殺菌剤配合
薬用石鹸で洗浄
Toshima,Y et al.:Int.J.Food Microbiol( 2001)
より改変
図2 挽肉接触後の手に対する殺菌剤配合洗浄剤による
手洗い後の大腸菌群数
20
未洗浄
プラセボで
殺菌剤配合
洗浄
薬用石鹸で洗浄
Toshima,Y et al.:Int.J.Food Microbiol( 2001)より改変
図3 通常手指の一般細菌に対する殺菌剤配合洗浄剤の洗浄効果
手荒れと手指衛生の科学
5 手荒れの防止とケアの重要性
米国におけるCDC
(Centers for Disease Control and Prevention)
、APIC
( A s sociation for Professionals in In f ection Control and Epidemiology, inc.)
のガイドラインにおい
ても手洗いの重要性について述べているが、同時 にスキンケア
についてローション等の使用を勧めてきている 9 )。
手荒れやスキントラブルによって、通過菌がコロニーを形 成する
可能性があるからであり、病 変には至っていない荒れ肌において
もMRSAが生存する可能性が非常に高い。
その他グラム陰性桿
菌等の一過性細菌叢においても同様である。従って手の洗浄と共
に、保湿、刺激低減等を目的としてスキンローション、クリーム等を
用いてスキンケアをする事が重 要である10)。
6 おわりに
本稿で述べてきたことについて、以下にまとめる。
1 健常な手指の皮膚上には表皮ブドウ球菌を主体とした常在細菌
叢が形成されている。 2 健常な手指皮膚上では、通常通過菌は長期間定着できないと考
えられている。
3 手荒れや傷等が存在すると、黄色ブドウ球菌等の通過菌にとっ
て好適な環境になり皮膚上にコロナイズする可能性が高くなる。
この場合、通常の洗浄では除去し難い事が考えられる。
4 外来の通過菌がコロナイズしないように手荒れを予防するべく刺
激性の低い殺菌洗浄剤の選択とローション等手指スキンケアに
心がける必要があると考えられる。
近年、国内外含めて院内感染の問題がクローズアップされている中
で、手洗いの重要性がクローズアップされているが、
同時に看護師
等ケアする側の手指のケアも重要視されてきている。今後、手指の
洗浄、殺菌及びスキンケアをトータルで議論していく事が院内感染
防止において重要で有るものと考えられる。
参考文献
1)宍戸 春美:起炎菌決定法の実際 ,( 1 9 9 4 )医薬ジャーナル社(大阪)
2)桜井 稔三:医系微生物学( 1 9 9 3 )加藤 延夫編集,朝倉書店(東 京)
3)西嶋 攝子:皮膚科学( 2 0 01)飯塚一、大塚藤男、宮地良樹編集,南江堂(東京)
4)加賀美 潔:香粧会誌,(19 8 8)12 , 3 , 16 9
5)西田 博 :J.Antibact.Antifung.Agents ,( 1 9 8 4 )12 , 2 ,79
6) Elaine L.Larson et al.:A JIC Am J Infect Cntrol,(1 9 9 8 )2 6 , 5 , 513
7) Toshima,Y. et al.:Int.J.Food Microbiol,( 2 0 01)6 8 , 8 3
8) Jerry L. Newman et al. :AJIC Am J Infect Cntrol,(19 9 0)18 , 3 , 19 4
9) Elaine L.Larson et al.:AJIC Am J Infect Cntrol,(19 9 5)2 3 , 4 , 2 5 1
10)Rita D.McCormick et al.:AJIC Am J Infect Cntrol ,( 2 0 0 0 )28 , 4 , 302
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