Comments
Description
Transcript
マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状
プール学院大学研究紀要 第51号 2011年,295∼303 マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状 山 田 勇 人 0.はじめに マレーシアの中等教育機関1)で日本語教育2)が開始してから、今年で27年になる。当初は一般 の中等教育機関では日本語教育は行われておらず、全寮制中高等学校3) (Residencial School、以下、 RS)と呼ばれる学校に限られていた。しかし、わずか数校のみであった日本語開設校は、その後、 次々に増え、現在ではRSだけではなく一般の普通学校(Daily School、以下、DS)においても 日本語教育が行われている。 本稿では、まず、マレーシア中等教育における日本語教育の歴史的変遷に触れ、次に、現状を報 告する4)。続いて、現状から浮かび上がる問題点を挙げ、最後に、マレーシア中等教育における日 本語教育のさらなる発展には今後、何が必要なのか提案したい。 1.マレーシア中等教育における日本語教育の歴史的変遷 䠃䚭ᴣこ マレーシアの中等教育機関で日本語教育が開始されたのは、1984年である。日本語開設校はRS と呼ばれる学校に限られていた。まずkolej Malayu、kolej Tunku Kurshianの2校が、その半年後 にsekolah Alam Shahなど4校が日本語を開設し、その年に6校で日本語教育が開始された。これ らの学校が他のRSに先立って、日本語科目が設置された理由として、RSの中でも歴史があり、 RSの成績が上位校であること、マレーシア全土に分布するようにという地理的な問題などが挙げ られる。 中等教育において日本語は選択第二外国語の一つとして位置づけられ、これは今も変わっていな い。学生は1年時に自分の希望する外国語を一つ選択し、その言語を4年間学習することになる5)。 第二外国語には他にもアラビア語、フランス語、ドイツ語、中国語(北京語)があるが、学校間で 開設言語の種類は異なる。筆者がRSで指導にあたっていた当時、日本語はその中でも非常に人気 の高い言語であった。その理由として、日本文化に興味を持つ学生が多かったことに加え、日本語 296 プール学院大学研究紀要第51号 だけが唯一、ネイティブスピーカーによる授業であったことが大きい。当時の教育省が日本語を第 二外国語科目に加えた理由には、東方政策6)によって日本留学を目指す学生の基礎的な日本語力 の養成があったが、実際のところ日本留学のために日本語を選択する学生はほとんどいなかったよ うに思う。 䠃䠀䠄䚭㟯ᖳᾇአ༝ງ㝪䛮䠤䠥ᮇㄊᩅ⫩䛮䛴㛭䜕䜐 RSで始まったマレーシア中等教育での日本語教育だが、このRS日本語教育には国際協力事業 団(現国際協力機構)青年海外協力隊が大きく関わっている。というのも、RSで日本語教育が開 始された1984年から1995年まで、協力隊日本語教師のみで日本語教育が運営されていたからである7)。 この時代は6校ある日本語開設校に2名ずつ隊員が派遣され、それぞれの学校で日本語の授業にあ たっている。隊員は授業のほかにも、RS日本語教育の共通シラバス作成、RSオリジナル教科書『に ほんごこんにちは』作成、付属教材である練習帳作成、全国統一試験である共通テストの作成を行っ ている。 この協力隊のみによる日本語教育の運営は、1995年に終わる。これは、日本留学を終えたマレー シア人日本語教員が各RSに配属されることになったからである。この日本留学はRS日本語教員 を養成するために作られたプログラムであり、それまで小学校などで他教科の教員であったマレー シア人を5年間日本に留学させ、日本語教師として養成するものである。この5年間の内訳は、東 京の国際学友会日本語学校(現日本学生支援機構東京日本語教育センター)で1年間、日本語予備 教育を受けた後、日本語教育を主専攻にもつ大学8)に進学し、日本の大学で日本語教育を4年間 専攻するというものである。 このプログラムの修了生の帰国ととともに派遣される協力隊員数は減っていく。そして、2001年 7月には協力隊日本語教師がRSから全面撤退し、日本留学を終えたローカル日本語教師のみによ る体制へと移行していく。 このように、協力隊との関わりという点からみると、RSを3つの時代に区分することができる。 第一期が協力隊体制時代、第二期は協力隊・ローカル協力時代、そして第三期がローカル体制時代 である。 䠃䠀䠅䚭➠䠤䠥ᮇㄊᩅ⫩䛴ၡ㢗Ⅴ 筆者は第二期の時代にRSで日本語教育に従事していたが、この時代の問題点を少し述べたいと 思う。というのも、協力隊とローカル教師が混在するこの時期は、まさにRSの一つの過渡期とも 言えるからである。この時期の日本語教育を振り返ることは、現在のRS日本語教育ではそれがど のように改善され、また現在の問題点と比較するうえで重要である。 当時の隊員の活動報告書や筆者の記憶などから、次のような点が問題として挙がっていた。まず、 マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状 297 協力隊員とローカル教師の役割分担についてである。もともとRS日本語教育はそのシラバスから 教材、共通試験の実施に至るまですべて協力隊日本語教師によって整備されてきた。そこに日本留 学を終えたローカル教師が入ってきたため、その運営の主導権を巡って両者に対立が見られたので ある。協力隊員の報告書を見ると、マレーシアの日本語教育なのだからローカル教師が主導になっ て運営を進めるべきだという意見が多くみられるものの、「これまで(協力隊員が)13年かけて築 いてきたものを無駄にせず、今後に引き継いで生かしていってほしい(H7年度派遣隊員)」「現地 人教師の日本語能力が私の予想していたほどではなく、傍観者ではいられない。 (H7年度派遣隊 員)」のように、ローカル教師に対する批判があったのは事実である。隊員間の意見交換においても、 ローカル教師の日本語能力、教授能力の低さを嘆く意見がよく聞かれた。その一方で、ローカル教 師にとってはすでに構築されていたRS日本語教育の体制が日本人教師による日本人教師のための ものであったため、主導権を取ろうにもなかなかうまくいかなかったようである。言い過ぎかもし れないが、協力隊の存在が逆に、ローカル教師のRS日本語教育における主導権掌握の障害になっ ていたのかもしれない。 第二は、ローカル教師の待遇問題である。日本留学を終えて、各地のRSに配置されたローカル 教師だが、その待遇に不満を訴えるものがいた。マレーシアは日本の小・中学校などとは異なり、 都道府県ごとの採用ではないため勤務地はマレーシア全土がその対象となる。つまり、マレーシア の北部を希望していたとしても、マレーシア南部が勤務地となる可能性もあるのである。しかも、 当時日本語が設置されていたRSは少なかったため希望の勤務地に赴任できない場合が多くあっ た。また、日本語は受験科目から外れた科目であるため、授業時間数がそれほど多くなく、また、 協力隊日本語教師がいたことによって、ローカル教師が既定の授業時間に満たないため、他教科の 科目も教えなければならないケースが見られた。日本語を教えるため5年間も日本に留学したにも かかわらず、帰国後も他教科を教えなければならない状況に不満を抱く教師もいた。このような環 境が影響してか、帰国後わずか2、3年でRSでの教師を辞め、大学の講師になったり、一般企業 に転職したりする者も少なからずいた9)。 2.現在の中等教育の日本語教育 次に、現在の中等教育の日本語教育の様子を述べたいと思う。ここでは、重要な変化である機関 数、日本語教師、シラバスの3点について述べる。 䠄䠀䠃䚭ᶭ㛭ᩐ 日本語教育を行う中等教育機関数は、特にここ数年で大きく増加している。これは、DSでも日 本語教育が開始された点が大きいと言える。表1は州ごとの日本語開設校数をまとめたものであり、 298 プール学院大学研究紀要第51号 現在では約90の学校で日本語教育が行われている。この表から、マレーシア全土で隈なく日本語教 育が行われていることがわかる。DSの日本語開設は今後もさらに増加する予定である。 ഒŌ¸ൿష෭܃Ӭ০ܰঝ (国際交流基金KLセンター伊藤愛子専門家提供の資料をもとに筆者が作成) 䠄䠀䠄䚭ᮇㄊᩅᖅ 日本語教師にも大きな変化が見られる。それは、マレーシア国内で養成された日本語教師の誕生 である。現在、マレーシア中等教育の日本語教師には2つのケースが見られる。前述した5年間の 日本留学を終えた日本語教師(以下、留学組)とマレーシア日本語教員養成機関を終了した日本語 教師(以下、国内組)の2パターンである。この国内組は、マレーシアのInstitute Pendidikan Guru(教 育センター)のKumpas Antara Bahasa(国際言語部、以下、KAB)にできた日本語教師養成プ ログラムの修了生たちである。国内組も、留学組と同様、その前は小学校などで他教科を教えてい た教員である。この養成プログラムの期間は15カ月であり、その中で日本語学習だけでなく日本語 教授法など日本語教育科目も受講する10)。このプログラムの指導は、留学組の元RS日本語教師や 国際交流基金の派遣教師があたっている。しかしながら、留学組が5年の期間を経て日本語教師に なっているのに対し、国内組は15カ月という短い期間であり、当然ながらその日本語力、日本語教 授力に留学組と大きな差がある。これを配慮し、各学校への配置は留学組と国内組のペア、または 留学組単独による配置が多く見られ、国内組の日本語教授力を留学組がカバーするという体制が窺 える。ただし、この留学組と国内組の関係は、決して指導者と被指導者関係があるわけではなく、 あくまでも同僚という対等な立場である。 現在、KABでは第1期から第5期までの修了生を輩出している。第1期修了生が9名、第2期 修了生が9名、第3期修了生が10名、第4期修了生が13名、第5期修了生が15名、そして現在プロ マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状 299 グラム受講中の第6期生が12名いる。このように国内組だけでも既に56名の日本語教師がおり、さ らにこの数は増加していくことになる。KABでの日本語教員養成は、予想される日本語開設の増 加を考えれば急務であり、国内組が中等教育の主流になることは間違いない11)。マレーシアのよう に中等教育における第二外国語科目としての日本語という位置づけを考えてみると、留学組のよう に高い日本語能力を有する日本語教師を、時間と予算をかけて養成するよりも、短期間に日本語初 中級レベルの日本語教師を養成するほうが、経済的にも有効な方法なのであろう12)。 䠄䠀䠅䚭᩺䜻䝭䝔䜽 13) RS日本語教育では、協力隊が作成した日本語教科書『にほんごこんにちは』 があり、その中 の文型や語彙が、いわば、RS日本語教育の共通シラバスとして存在してきた。現在はこれに代わ り、教育省が2009年に新シラバス14) (『Kurikulum bersepadu sekolah menengah Huraian Sukatan Pelajaran Bahasa Jepun』)を作成している。このシラバスの作成には留学組教師8名と国際交流 基金KLセンターが携わっている。新シラバスの作成によって、日本語の教科書の見直しも必要に なるのだが、現在新シラバスに完全に対応した教科書は存在しない。新シラバス作成後に、RS日 本語教師によって『にほんごだいすき』という教科書(1年生、2年生用)が作成されたが、この 教科書もシラバス内にある全ての項目を網羅していない。これは、旧シラバスに比べると新シラバ スの内容が大変多く、すべてを教科書に盛り込むことは授業時間数などから無理があるためである。 教師の中には『にほんごだいすき』でさえも、内容が多く授業時間内ですべてを教えるのが難しい との理由から、代わりに『にほんごこんにちは』や日本で出版された初級教科書を使用している学 校もあるそうである。シラバスがあって、各学校がそれぞれの事情に合わせて教科書を選定すると いうのは、学習指導要綱に合わせて教科書を選択する日本の学校と同じなのだが、シラバスにあっ た教科書そのものがない現在の状況の改善が必要と言えるだろう。 3.マレーシア中等教育の日本語教育が抱える現在の問題点 䠅䠀䠃䚭ᮇㄊᩅᖅ 日本語教師に関する問題点として、次の2点をあげたいと思う。まず、留学組と国内組との日本 語能力の差である。2.2でも述べたように、5年間の日本留学をした留学組と国内で1年3か月 のプログラムのみを受けた国内組にはその日本語力の差に大きな開きがある。個人差はあるだろう が、国内組の日本語力は、日本語能力試験N4レベルとのことである。このため、新シラバスでは 学年が進むと、教師自体が教えることがレベル的に困難になったり、学生の日本語力が教師を抜い てしまうこともある。 次に、学校内における日本語教師の地位・待遇である。これは、筆者がRSにいたころからの問 300 プール学院大学研究紀要第51号 題点でもあるのだが、日本語は受験科目には入らない科目であり、授業時間数が主要科目に比べ少 ない。そのため、日本語教師が複数いる学校などでは、学校内で規定された授業担当コマ数に達し ないものは、他の教科を教えなければならない。日本語科目に専念できる環境の改善が望まれる。 䠅䠀䠄䚭䠖䠥䛱䛐䛗䜑ᮇㄊ DSでは、第二外国語科目である日本語は正規の時間割には組み込まれておらず、正規の授業後 に行われる補講扱いとなっている。これは、DSが午前と午後の2部制に分かれており、全日制で あるRSとは授業時間数が大きく異なるからである。そのため、DSではそもそも単位にならない 日本語を学習する学生は少なく、また学習の負担や、受験を控え主要科目の学習のことを考えると、 学年が上がるにつれ日本語学習を辞めてしまう者が多い。今回、取材したあるDSでも、1年生が 34人、2年生が12人、3年生が15人、4年生が6人と学年を追うごとに受講生が減少している。ま た、日本語の授業時間数もRSに比べると少なく、同じようにシラバスをこなすことができないと の声もある。 䠅䠀䠅䚭䝑䜨䝊䜧䝚ᮇㄊᩅᖅ䛴ᅹ 現在、RS・DSともにネイティブ教師、つまり日本人教師はほとんどの学校におらず、日本語 教育はローカル教師のみで行われている15)。ただし、協力隊日本語教師が撤退して以降に、2009年 から2011年までの3年間、国際交流基金からJENESYS(21世紀東アジア青少年大交流計画〈JapanEast Asia Network of Exchange for Students and Youths : JENESYS Programme〉)日本語教師 が派遣されている。このJENESYS日本語教師は、ローカル教師とティームティーチング授業や日 本文化の紹介などの業務を行っている。しかし、このプログラムは2007年から5年間のみのもので、 2011年に終了している。ネイティブ教師の存在は、学生たちの日本語力向上につながるだけでなく、 日本語学習の動機づけともなるため、ネイティブ教師の再派遣を望む声が多い。 4.提言 最後に、今後、マレーシア中等教育における日本語教育の更なる発展のために何が必要なのか、 提言を3点にまとめて述べたいと思う。 第一点は日本語教師の日本語力の維持、そして向上である。今回、インタビューを行った帰国組 の教師は筆者の以前の同僚である。彼らの日本語会話力は今なお非常に高いレベルにあるのだが、 それでも日常の業務における日本語使用の機会は授業以外にはほとんどなく、その維持に苦労して いるという。国内組においては、3.1で述べた現状を考えれば、日本語力の向上が必要であるこ とは言うまでもないだろう。そのためには、個人の努力はもちろんのこと、マレーシア教育省や国 マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状 301 際交流基金といった日本語教育組織の支援が重要ではないだろうか。今回のインタビュー取材でも、 学生の中には4年生にもなると15カ月しか日本語学習のない教師の日本語力を上回る場合が出てき てしまうという話を聞いた。この対策の一つとして、国内組には日本語能力試験N3の受験を義務 とし、合格を教壇に立つ条件とし、その学習のための教材を教育省などが支援するというのはどう だろうか。この受験の義務が、教師の学習の動機づけになり、日本語力の向上にもつながるのでは ないだろうか。 第二点はネイティブ日本語教師の必要性である。以前、RSには青年海外協力隊派遣の日本人日 本語教師がいた。そして、この日本人教師の存在は学生の日本語会話力・聴解力の向上につながっ ただけでなく、学生たちの学習の動機づけにもなっていた。第二外国語科目の中から日本語を選択 した理由を聞くと、 「日本人の先生が教えてくれるから」「日本人の先生から日本の話が聞けるから」 という回答を当時多く得た。 そして、第三点として日本人がマレーシアで日本語教育にあたるというのは、何も学生だけのた めではないことを付け加えたい。これまで、私を含め約100名の青年海外協力隊日本語教師がこの マレーシア中等教育機関に派遣されてきた。その後、任期を終えた隊員らは、国内で日本語教師に なる者もいれば、元の職場に戻る者、日本語教育とは異なる別の道を歩み始めた者など様々である。 しかし、皆に共通していることは、マレーシアでの経験がその後の人生に大きな影響を与えている という点である。前述のJENESYS日本語教師の帰国後の報告書にも、この派遣体験から得られた ものは数々あり、教師としても人間としても大きな成長となったとの記述がみられる。今回、イン タビューに協力してくれたJENESYS派遣の中島氏も「他文化の中で、日本を見直すきっかけとなり、 日本のいいところ、よくないところを改めて感じ、自分の国のために私は何ができるだろうと考え ることがありました」と述べている。このようにマレーシアでの活動は、派遣された日本人側にとっ ては、「教えに行く」ということより「学びに行った」と言ったほうが適切であるかもしれない。 私はこのマレーシアの中等教育機関が、日本の若者たちにとって、日本では得難い経験を積むこ とができる絶好の場になるのではないかと考える。日本の若者たちが、マレーシアで日本語や日本 文化を教え、また、自分たちもその中から様々なことを学ぶ。このような、いわば相互学習がここ マレーシアでできるのではないだろうか。 私は、青年海外協力隊がマレーシアに再派遣することを希望しているのではないし、現実的にも それは無理な話であろう。そこで、私の提案である。今後は、教育省が、またはRS・DSの個々 の学校が日本の大学教育機関などと交渉し、日本語教師を目指す学生や海外に興味をもつ学生のイ ンターンシップの場所として活用してはどうだろうか。今回取材したRSのローカル教師に、この ような形での日本人教師の派遣を提案したところ、大いに賛成とのことである。 プール学院大学研究紀要第51号 302 最後に 1984年にわずか6校で始まったマレーシア中等教育の日本語教育は、今や90校近い規模となった。 そして、青年海外協力隊の若い日本語教師たちが手探りの状態から作り上げたものが、日本留学を 終えたローカル教師に受け継がれ、現在では国内組教師の登場により更なる発展を遂げようとして いる。どの時代においても一筋縄ではいかない難しい問題があるが、私はその発展をRS日本語教 育出身者として、陰ながら応援していきたいと思う。 ߣ݂൫ڼ (1)阿久津智、小林孝郎(2000) 「マレーシアの教育政策と日本語教育」 『アジアにおける日本語教育』三修社 (2)青年海外協力隊事務局(2006) 「青年海外協力隊、 シニア海外ボランティア等への参加を考えている方へ」 『海 外で日本語を教える』 (3)長山由美子、山田勇人(2006) 「長春の日本語教育について」『独立行政法人日本学生支援機構日本語教育 センター紀要』2 (4)野畑理佳、ウィパー・ガムチャンタコーン(2006) 「タイにおける中等学校日本語教員養成講座の概要と追 跡調査報告:タイ後期中等教育における日本語クラスの現状」『日本語教育論集 世界の日本語教育』第16 号 ߣ݂ࠢ (1)楠本貴久(2004) 『マレーシア全寮制中等教育機関 日本語教育20年の歩み』未刊行資料 (2) 国 際 交 流 基 金「JENESYS若 手 日 本 語 教 師 派 遣 プ ロ グ ラ ム 」http://www.jpf.go.jp/j/japanese/dispatch/ jenesys_yjt/index.html(2011年9月22日) (3)在マレーシア日本国大使館「東方政策の概要」 http://www.my.emb-japan.go.jp/Japanese/JIS/LEP/LEP.html(2011年9月22日) (4)マレーシア教育省(2009)『Kurikulum bersepadu sekolah menengah Huraian Sukatan Pelajaran Bahasa Jepun』 (5)山田勇人(2000) 「青年海外協力隊」 『2001年度版日本語で海外派遣』アルク 1)マレーシアの教育制度は、小学校が6年間、日本の中学校にあたる下級中学校が3年間、高校にあたる上 級中学校が2年間の計11年間となっている。下級中学校と上級中学校は分かれておらず、5年間を通して 同じ学校に通う。本稿で述べる中等教育とはこの時期を指す。 2)筆者は、国際協力事業団(当時)により青年海外協力隊日本語教師としてマレーシアに派遣された。1996 年∼1998年Sekolah Alam Shah、1999年Sekolah Menengah Sains Kota Tinngiという中等教育機関において 日本語教育に従事した。 3)全寮制中高等学校(英語名:Residential School マレー語名:Sekolah Menengah Berasrama Penuh)は、 小学校の最終学年時に行われるUPSRという全国統一学力到達度試験で優秀な成績を収めたマレー系の学生 だけが入学を認められる教育省直轄の学校。 マレーシア中等教育における日本語教育の歴史と現状 303 4)筆者は、2011年8月11日∼16日マレーシアを訪れ、Sekolah Alam Shah訪問、RS日本語教師との意見交換、 国際交流基金KLセンター専門家へのインタビューなどを行った。 5)当初は1年生時∼4年生時までが学習期間だったが、現在では5年生時まで学習する。 6)1981年にマハティール元首相が提唱した構想。日本及び韓国の成功と発展の秘訣が国民の労働倫理、学習・ 勤労意欲、道徳、経営能力等にあるとして、両国からそうした要素を学び、マレーシアの経済社会の発展 と産業基盤の確立に寄与させようとする政策。 7)ネイティブスピーカーのみによる指導は日本語だけで、他の外国語科目は全てマレーシア人教員によって 行われている。 8)これまで、筑波大学、東京外大、広島大学などの国立大学、明海大学、杏林大学、文教大学、姫路獨協大 学などに進学している。進学先は、日本語教育が専攻できる大学に限られる。 9)アジアの他国の例を見ても、日本に5年も留学して中等教育の教職に就く例はあまり見られない。マレー シアの留学組のような高い日本語力を持つものは、中等教育の教員より経済的に優遇された職に就くこと は可能で、このような状況もRSからの離職の原因になっていると思われる。例えば、山田(2007)は、 中国の中等教育において高い日本語力を有していれば、給料がそれほど高くない学校教師の職につくもの はあまりいないと述べている。 10)インターンシップ制度があり、プログラム終了後1年間留学組のもとで日本語教授方法を学ぶことになっ ている。また、修了生の多くが、埼玉県浦和にある国際交流基金で2カ月の研修を受ける。この他にも、 1年に1回留学組、国内組全員参加の教育省主催による3日間の研修がある。 11)現在、留学組と国内組を合わせた日本語教師の総数は120名を超える。 12)中等教育で日本語教育行っている近隣の国にインドネシアとタイがある。インドネシアでは日本語学科を 持つ大学があり、その卒業生が中等教育機関の日本語教師になっている。タイでは、国際交流基金のバン コクセンターが中等教育の教師養成を行っている(野畑2006) 。研修期間は10か月。 13) 『にほんごこんにちは』は協力隊員によって作成された構造シラバス、漢字仮名交じり表記の日本語教科書 である。RSの生活に即した会話場面や語彙が多く取り入れられているのが特徴である。この教科書の提 出文型及び語彙は旧日本語能力試験4級程度である。 14)旧シラバスでは、日本語能力試験N5(初級前半修了程度)を網羅する程度だったが、新シラバスは、日本 語能力試験N4(初級修了程度)の文型・語彙量になっている。そのため、旧シラバスに比べると文型や語 彙量はかなり増えている。 15)協力隊日本語教師が撤退して以降、国際交流基金派遣のJENESYSプログラム派遣の日本語教師がRS及び DSの数校に派遣されている。2008年度に4名、2009年度に10名、2011年に13名が派遣されている。