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ニュースレター 第6号(2016.3. 1)
跛 贔鰊瘍絣⑪郵 瘍鶉絋熙 魃 蜻頸蛯 巫陽揚瘍呻 儡瘍隋 躙 2016年 3陶 1固 斃 奪 勤 め先 の寮、 自立援助 ホ ーム 、ひ とり暮 ら しで生活 を始 める 子 ども には、必 要な生活用 品等 を用意 して送 り出 しま した。 ま た、「はるの家」 に入所 中に、高卒認定試験 を受 け、高校卒業 資格 を取得 した子 どもには、「のの さん教 育基金 Jを 設 け、専 門学校入学の入学金、学 費等 を支援 しています。 R隧 鰊縣隧 「はるの家 」 は、 も うす ぐ、丸 4年 にな りますが、継続的運 営 のため には課題 ばか りです。 まず、支援 の継続 には、経済 的基盤を どう確保 す るか は大 き な課題 です 。子 どもシ ェル ター は、公的資金 を受 けていますが、 それ は、職 員 2.5人 の基 準 に基 づ いています 。困難 を抱 えた 子 どもの 支援 のため に、 4.5人 の職員が居 る 「はるの家 」 で は、人件 費 も大 幅 に足 りませ ん。皆様 の寄付等の ご支 援 で運営 を維持 していますが 、入所者 の支 援 に追われ、 ご支援 いただ く 子 どもセ ンターのの さん に、 ご支援 、 ご協 力 いただ き、 あ りが とうございます 。 2012年 4月 にオープ ンを した子 どもシ ェル ター 「はるの 家」 は、皆 様 の ご支援 に支 え られ て、虐 待や家庭崩壊 、非行 な どの困難 を抱 え、今晩帰 る所がな い、主 に 10代 後半 の女 の子達 を受 け入れ て います 。 ための活 動 はほ とん どで きて いません。 また、子 どもの 自立支 援 のため に は、退所 時の生活用 品購入等 の資金 や学費 な どの支 援 も必 要 とな り、「のの さん教育基金 」を設 けま したが、子 ど もの 自立支援 には十分 で はあ りません。 「はるの家 」での支援 の充 実 です 。 スタ ッフ、ボ ランテ ィ 次 に、 アの継続的な研修 や充実 したケース会議 はで きて いません 。 ま た、 関係機 関 との連携 も十分 とは言 えません。関係機 関 ととも に、子 どもを中心 に置 いたケース会議を充実 させ る必要が あ り ます 。 『趙膊鰊憑』 ‡ こ攣 ● 呵 鷺 鯰 攀 越 鶴 燎 3番 目に、子 どもの出先 の確 保 が必要です。京都 には、学校 「桃栗 3年 柿 8年 」 と言 いますが 、 3年 の区切 りと して、 2 012年 4月 か ら 2015年 3月 までの 3年 間 の 「はるの家 」 や仕事 な どの所属がな くても、入所 を受 け入れ る児童養護施設 が あ り、子 どもシ ェル タ ーの子 ども達 も受 け入れ て くれ ていま す。 また、 2015年 4月 に、女子の 自立援助 ホームが開設 さ の入 所者 につ いて、 ご報告をいた します。 入所者 は、のべ 59名 (女 子 )で す。年齢 は、 コ 1歳 か ら れ、 18歳 を過 ぎた子 どもも入所 で きる出先が ひ とつできま し 19歳 です。 16歳 、 17歳 が一番 多 いですが 、最近 18歳 、 19歳 が増 えて います。入所期 間は、最短 2日 、最長 10か た 。 しか し、 まだまだ、 シ ェル ターの子 ども達 の出先 は少 な い 月です。 3分 の コが児童 相談所 で一 時保護 を された ことが あ のが 現状 です 。 4番 目に、子 ども シ ェル タ ー を、居場所 の無 い子 どもに知 っ り、 3分 の 1は 、児童養護施設、児童 自立支援施設等の入所 ても らう必 要が あ りますが、広報が十分 で はあ りませ ん。ただ、 歴 が あ りま した。 広報 をすれ ばよいのか とい うと広報 だ けの問題 でな く、相談体 家庭環境 は、両親 (実 親及び養親含 む )約 30%、 ひとり 親約 65%、 保護者 な し約 5%で す。主 たる入所理 由 は、 ほ とん どが虐 待で あ り、次 に養育困難です 。家庭裁判所 の試 験 制が必要 とな ってきます 。相談 を受 ける体 制を作 る には、人材 と費用 が必 要ですが、なかなか 目途がたちませ ん。 子 どもが抱 える困難 に対 し、のの さんの力量 は圧倒 的 に足 り 観察や少年院仮退 院 で入所 した子 どももいます。虐待 の中で ませ ん。子 ども達 の愛 ら しさ と成長 の可 能性 を エ ネルギー に し、 も性的虐待の害」 合 が高 いです 。子 ども達が抱 える困難 は、行 動面 で は、不登校 、非行、 自傷、大量服薬、家庭 内暴 力、性 皆様 にご支援、 ご協 力をいただ きなが ら、 これか らも悩み試行 錯誤 を しなが ら、「柿 8年 」を 目指 して、子 どもシ ェル タ ーの挑 的問題行動、過活動等です。精神 面、知的面で は、被 虐待児 戦 を続 けた いと思 います 。 これか らもご支援、 ご協 力をよろ し の特徴 (精 神 的なア ンバ ランス、思考 の特徴 、攻撃性 な ど)、 くお願 い 申 し上 げます。 知的障害、発達 障害、心 身症、摂食 障害等 です 。精神薬服薬 中の子 どもも 8名 いま した。特 に困難 な問題 を抱 えていな い 子 どもはひ と りだ けで した。 退所先 は、親宅 3害 」 、児童養護施設 3害 」 、里親、児童相談 所 の一 時保護所、親族宅、知人宅、勤 め先 の寮 、自立援助 ホー ム、ひ と り暮 ら しです。親宅 に帰れ る子 どもの割合 が、だん だん に減 つて きて います。 NPO法 人子 どもセンターののさん 理事長 安保 千秋 r 颯 儀ず 薇 つ こな 感謝 しています 。恩返 しを した い。今、 つ ばさ園 にいる子 ども たちの 目標 になるよう頑張 ります。」 と締 め くくりま した。 うん ?何 が君 を立 ち直 ら したの ?つ ばさ園の職 員 の どこに、 どんな 支援 に感謝 してるの ?私 た ちのや って きた ことの何 が良 │ ‐ ‐ ‐ か つたの ?そ のあた りの話 は … なか ったんです 。でも、本気 で 先 日、つばさ園を出た子 ども (今 は大人 )が 、ある研究会の当 事者の語 りという分科会 の報告者 を引き受 けて くれ ま した。 彼 は本 当に中学校、高校 となかなか大 変な子 どもで した。彼 ら の起 こす 問題 に、三 日にあげず夜 に施設 に呼び出され、落 ち着か せるため に、夜 中に ドライブ した り、 コンビニ にジ ュースやアイ スを買 いに行 つた り。学校 にも何度 も謝 りに行 きま した。でも ど こか憎めず、私たち職員 は彼の起 こす 問題 に、彼が 自ら施設を出 る というまで付 き合 う事がで きま した。今で は、 しっか りした仕 事 につき、職場 の人 に可愛が られ、結婚 し―児のパパ にな ってい ます。 私 はどこかで、「先生のおかげで ここまで これ ま した」みたいな 事を言 つてもら うのを期待 しているように思われそ うで、彼の話 を聞 くか どうか迷 いま した。でも、私 はどう しても彼が何を話す か聞きたか ったので 、一番後 ろの席 で少 し隠れるように聞 くこと に しま した。 施設 に入 つた 時、何が嫌 だ つたか。施設 の生活で許せなか った こと。父 へ の複 雑 な思 い。その後、中学生の時 になかなか大変だ つ た時の事 はち ょっと触れただ けで、次 は施設を出た 時 の不安。出 てか ら何故 もう一度高校 を 目指 したか。高校 で出会 つた友 だちの つ ばさ園 に、私 たち職 員 に感謝 して くれ ているのです 。会場か らの質 問 にもち ゃん と応 える力を身 につ けて いま した。終 了後 、 司会 の方や 参加者 の方 とも挨拶 を交わ し、名刺交換 まで して い ま した。 私 た ちはそ こまでの支援 はで きてなか った はずです。 彼 は どこで こんな 力を つ けたので しょう ? │ 私 た ちの支援 とい うの は、具体 的 に何 をす るのか と言 うこと よ りも、荒れた子 どもでも最終 まで諦 めず付 き合 ってい くとい うことが何 よ りも大事 な事 なので はな いので しょうか ?そ の 中 で、 子 どもは 自分 で力をつ け、 自分で課題 を乗 り越 え、 自分 で 人生 を切 り開 いてい く。私 たちはつ いつ い、私 たちの支援が子 どもたちを成 長 させ る と勘違 い して しまいます。私 たちが しな い とい けな い事 は、子 どもたちが 自分 で成長 で きるよ うな環境 を、労を惜 しまず作 る事。その環境 の中で子 ども 自ら自立 を し た い と思 うまで焦 らず待 つ こと。そ して どんな時 もあ きらめず 付 き合 う事 なので はな いか と、 彼 のた くま しい後姿 を見なが ら そ う思 つたので す。 児童 養 護 施 設 つ ば さ園 園 長 石塚かおる 事。何故今 の仕事 に着 いたのか 等 々話 し、そ して、「つ ばさ園 に 蜀 蜀 茫ん や 飩 昔か ら庭 に親 しんできま したが、その庭 の重 要性 を認識 しま したのは、十年前、名古屋 に居 りま した頃で した。ガンセ ンター のボ ランテ ィア と して、枯れ果てた庭 を 日本庭 園に再生すると 云 う貴重な体験 を通 して、庭が女 0何 に大切か、医療 の一環 であ ののさんを訪れ ます と、初めてお会 いする子 どもさんが 多 いの ですが 、庭 で一緒 に居 ります と、何や らお互 いに しつくりと申 し ますか 、そないな感 じにな ってまい ります。おおよそ は私も初め ての ことを一緒 に挑戦するのですが 、彼女たちは丁寧で、その中 る ことに気付 きま した。 に夢 中にな って。その一生懸命 な姿をいつもいとお しく思 い、私 も力が湧 いてまい ります。 患者 さんたちにも応援をいただき、皆 さん に喜ばれ、 この上 ない機会 に恵 まれ ま した。愛着のある、その庭 には時々、手入 時 には一緒 に草花を買 いに行 き、選んでも らい、それ らを植 え、 手書 きの名札を付 け、厚 いお世 話の上、お花を生 けて愉 しみ ます。 れ に通 っています。 木々や草花が風 にそよぎ、その木漏れ 日の中、庭仕事 は心地 よ く、人間 には土 と光、風 に水、そ して植物がな くてはな らないも さて、ののさん との出会 いですが 、テ レビで知 り、早速 にボ ランテ ィア講座を受講致 しま した。その後、私 に出来る ことは と考 えま しても 「も し、お庭が有れ ば、ぜ ひ手入れ を したい」 と申 し出ま した ところ、「直 ぐにでも、助か ります」 とのお返 事 をいただ きま した。当時 は、 どのようなお庭 であるのか も分か の と実感 いた します。 この数年、貴重な体験を積 み重ねなが ら、ののさん は、気付 き と学 び、そ して喜びの場 と成 りま した。 いつ も、あたたか く迎 えて下 さる、ののさんの皆 さんのことを らず、落葉拾 いと草取 りが出来 ま した らと出掛 けま した。そ う しま した ら 「どのような庭 に したいですか」 と尋ね られ、先ず 有難 く嬉 しく思 います。そろそろ、か らだ にあち こち故障する年 は理想 図を描 きま した。それが、なん と、今や、現実の ことと くお願 い致 します。 の 頃 とな りま したが、も う少 し続 けた く思 います 。 どうかよろ し 成 り正 に夢の如 しです。 先ず初めにパテ ィオを造 ることにな り、皆 んなであれ これ 考 えに考 え、知恵を出 し合 いま した。そ して、手造 りのタンパー (地 均 しをする道具 )と 、一枚 も無駄 にするまいと数 え上 げま した 煉瓦が揃 つた時点で 「ああ、 これで何 も彼 も大丈夫」 と確信 し ま した。パテ ィオを造 りま した勢 いで、庭石 (幸 いにも丁度、 使用後 の石を貰 い受 けて)二 日掛か りで運 び入れ、それ らを小 径を つ けるように置 きま した。今、思 いお こ しても女性 ばか りで、 ようできたもんや と。 パテ イオに庭石 と、皆 さん、初 めての体験 に盛 り上が り、何 倍 もの力が結 集、そ の颯爽 と した動 きに惚れ惚れいた しま した。 皆 さん、お見事、天 晴れ で した。子 どもさんも一緒 に仰 山お手 伝 いいただきま した。おおきに。 ボランティア 四方喜代子 │ な どもた ちのヶ豚 陵●けて や つぱ り、一番 うれ しか ったの は憲 法を教 えても らった こと ですね。その ときその ときの大切 な ことを、その ときに目の 前 はるの 家 開設以来 、 ご尽 力 いた だ きま した大 江 ひろみ 施 設 長が 2015年 度 を も って退職 す る ことにな りま した。 退職 を前 にシ ェル ター に来 る子 どもた ちのケ ア につ いてお 話 を伺 いま した。 にいる子 ども に伝 えな いといつの 間 にか世 の 中 は変わ るんです よ。戦争 の ことな ども う誰 も知 らな くなる。 私 たちの 時代 は小 学校 で は落 ち着 いて勉強で きなか ったんで す。す ぐに警戒警 報 で。 だか らある意味、私が体験 した ことは、 ここにい る子 ども と同 じ。 家庭 の戦争 です 。そ ういうなか を生 きて きて いる。勉 強その ものが 何 の ことか わか らな い。教科書 も全部 炭 で墾 った しね。私 は親 が いただ けま しだ った 。親が いな い子 どもも多か つ た。 ここ (シ ェル ター )に いる 間 は、何 日か 何か月か、勉強 さ せ よ うと した らいけな いんで す。本 当は、子 どもたちは、勉強 した くて しょうが な いんだ か ら。環境が整 った ら勉 強 した くな るんです。 でも、 した くなか った ら しな くてもいい じゃな いで すか。 強制 する と子 どもは必ず反発 する。子 どもはい っぺ ん に 反発 する。子 どもは 自分 のおか れ ている立 場 をよ くわか って い るんで す。だか ら職員 はそれ を理解 するように勉 強 しない とい 子 ども に好 き勝 手 なわが ままを言 わ せ て いいのか とい う大 けません 。 人 も いま すが 、 それ は違 う。 この シ ェル タ ー とい う場 で は、 まず は、子 ども一人 ひ と りのわが ま まを しっか りと認 め る。 山辺先生 には、そ うぃう見立 てを しっか りと教 えても らいま わが ままを しっか りと聴 くとい うこ とを しな い とい けな いん した。 子 どもを型 にはめた り管理 した りして はいけな い。人間 です 。子 ども は本 当のわ が ままを言 え て初 め て解放 され る。 わ が ままを 言 って いいん だ とい うこ とを保 障す る。大 人 (職 員 ) 関係 はそん なもので うま くい くわ けはな いので すか ら。それ は 勉強 を しな いとい けな い。なぜ 管理 的 にな って はい けな いか 。 は子 どものわが ま まを聴 けな い とい けな い。子 ども は、 職 員 なぜ 暴 力はいけないか 。それ を勉 強 しな いとい けな い。子 ども に甘 えた り、無理 を言 った りす る。 職 員 は子 どもが なぜ その の 安心、安全 を第一 に考 えな い といけな い。 だ って シ ェル ター よ うな ことを い うのか を考 えな い とい けな い。子 どもた ち は は救急病院、 野戦病院みた いなもので しょ。そ ういうところだ わが ままを 受 けとめ られ た 後 、 自分 の無理 な要 求 を聴 いて も か らこそ 、安心、 安全 を大切 に しな いとい けな いのです 。 らった後 、職 員 とよ うや くまともなや り取 りが で きる よ うに な ります。わが ま ま とは子 どもた ちの 本 当 の気 持 ちで す。 自 分 の思 いです 。 それ を今 まで聴 いて も ら って いな いので す。 子 どもた ち と生 活 を して いる と、「今 日は特別 に∼ して くれ 」 とい うわが ままな こ とを い う子 どもが いる 。そ の 特別 は しょっ ち ゆうあるわ けで はな いん です 。 そ うい ぅ ときは、 しっか り 聴 いて あ げな い とい けませ ん。 日常生活 のなか で小 さい こと で も一定 それが 受 け入 れ られ る と子 ども はだんだん 無理 な こ とは言 わ な くな るん です 。 私 た ちの 時代 は、厳 しい時代 。 や っと高校 も行 かせ ても ら えた時 代 。経済 的 に行 けなか った 人 もいた んです。私 の 年代 は、 新 制 中学 にな って 2年 目か 3年 目の 年代 。新 制 中学 に入 って す ぐに憲 法 を教 え ても らった 。学校 の先生 のなか には子 ども を戦争 に引 つ張 つて 行 つて 悪 か った と、 子 どもみんなの 前 で 謝 った 先 生が いた 。 自分 の 非 を認 めた先生 が いたんで す。子 ども にち ゃん と謝 らな けれ ばな らな い。 これ は大 きか った 。 また憲 法 を教 え ても らった ことが どれ だ け嬉 しか った こ とか 。 戦争 に負 けて食糧 難 でや っと勉 強が で きる環境 が 出来 つ つ あ った。 そ うぃ ぅ ときの 先生 の教 えが す ごい今 で も影響 して いるん です 。 そ の あ とす ぐに朝 鮮戦 争 で しょ。 日本 も また 戦 争 に巻 き込 まれ る と言わ れ たんです 。 大 江 ひ ろ み施 設 長 (取 材 :理 事 浦 田雅 夫 ) しヽ議華 くて も、纏蕪 銀驀 uを 「人生 はフ ィフテ ィ・ フ ィフテ ィだ と思 うんです。辛 いとき もあるけど、それ ばか り じゃな い。 いま、 しん ど くても辛 くて も、将 来 に希望が 持 てるよ うに少 しでも励 ま した い。私 も中国 か ら出て 来て苦労も した けど、 この 日本 で生か され ている。そ うい つた 感謝 を人が喜 んで くれ る形 であ らわす と した ら、ぼ く がで きる ことは、中華料理 を食 べ ていただ くことだ と思 います 。 自分 が一生 懸命 に生 きれ ば、他 の人 も幸せ になる と思 うんです。 小学校 の ときに『人 』 という字 は人が互 いに支 え合 つている と 習 った 。その通 りだ と思 います 。支 え合 って いかな い といけな い。そ うす る と互 い に感謝が で きます。」 愛情 の こも った 中華料理 は本 当 におい しいです。 出張奉仕 を され て今年で 34年 。お元気 で、 いつ までも続 けて いただ けた らと願 いなが らお店 をあ とに しま した。ぜ ひ、みなさん一度「楊 」 さんでお食事 を。 京都 四条堀川 を東 へ 少 し入 つた北側 に中華料理処 「楊 」が あ ります。看板 は 「楊 」 の字が逆 さまにな って いるのです ぐにわ (取 材 :理 事 浦 田 雅 夫 ) か ります。 このお店 の店主 である楊正武 さん は京都 の児童福祉 ヽ 関係者な らみんな知 つている方です。 ;′ 楊 さん は、 1982年 か ら中華料理店主 の仲 間 「琢磨会」の メ ンバー とい っ しょに、児童 養護施設 な どで年間 40回 以上、 中 ギ ノ 華料理 の出張 奉仕 をされ て いるほか 、児童養護施設 に入所 中の 子 どもた ちが 中学校 を卒業 する ときに、子 どもたちをお店 に招 待 し、 お祝 いの会 を開かれ ているのです 。支援 を継続 し続 ける ということは容易 で はない と思 います 。 この 日は、楊 さんの息 子 さん に作 つていただ いた本 当 にお い しい天津 飯を いただ きな が ら楊 さん にお話 をお聞 き しま した。 む綴 無 祠舒薇謳 龍谷大学教授で、本 NPO理 事 の山辺朗子氏が 2015年 11月 ニ ュース レターの作成、発行がず いぶん遅れ、多 くの皆様 に 25日 ご逝 去 され ま した。山辺先生 に深 く感謝 申 し上 げる ととも ご心 配をおか けいた しま した。こころよ りお詫び申 し上 げます。 に、皆 様 に、謹んで ここにご報告 いた します。 次年度 は、年二回の発行を 目標 に、早速取 り組んでまい ります。 引き続 き、 ご支援 を どうぞ、 よろ しくお願 いいた します。 事務 局 の ご連 絡 先 な ど ◎入所 申 し込 み、 お 問 い合 わせ な どにつ いて は、 こち らまでお願 い します。 警 0◎ 4-0863京 都市幸京区懃町 8鷲 みや こビル 盆贖 誦pO法 人 手 ともセ ンタ棒 のの意ん攀務餘 ○ 丁匡L1075‐ 254‐ 3091 (平 日 9:00∼ 17:00) ○ ∪ R類 :httpプ ノ爾 冒 爾 .陰 0FAXI◎ ア懸繭麟懸礁囀は3彰 虚 ◎鶏OStt な量 総f◎ 貧羹◎嬢◎san.◎『 鸞 ○ 難嬌餞騒‡ n.0「 s/ 亜社%筆 又鋏畿鼻、書特量鯰袂 して懸麟寧 粂餃骰、余m、 卜絲辟辣込斃 ■ 正社員 (初 年度入会金 5,000円 、年会費 5,000円 轟 京都銀行 ) 京都市役所前支店 普通預金 3659729 日 賛助会員 (個 人会員 1□ 年間 3,000円 /法 人会員 1□ 年間 特定非営利活動法人子 どもセンターののさん 10,000円 ) トク ヒ)コ ドモセンターノノサン を募集中です。また、寄付 について も随時募集中です ! 詳 しくは電話 または E― Mal:に てお問い合わせ下さい。 圏 ゆうち ょ銀行 ○九九支店 リジ 当座預金 理事 安保千秋 アボチアキ 0144433 特定非営利活動法人子 どもセンターののさん トク ヒ)コ ドモセンターノノサン ※お振込後、メール、FAX、 八ガキのいずれかの方法で、事務局までお知らせ下さい。 News Letter no 6 2016年 3月 1日 発 行 発行 :NPO法 人子 どもセ ンターのの さん 編 集 :安 保 千秋 、浦 田雅 夫 デザ イ ン・ イラス ト :井 上亜美