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株式会社竹内製作所 - 関東経済産業局
株式会社竹内製作所 ~ 「建機のベンツ」を支える品質管理、営業部門等で活躍 ~ 【代表者】 ョベルの開発に成功し、一貫生 代表取締役社長 竹内 明雄氏 産体制を確立しました。それま 【本社住所】長野県 での部品メーカーから脱却し、 埴科郡坂城町上平205 建機メーカーとしての第一歩 【設立】昭和38(1963)年 を踏み出しました。日本国内に 【資本金】36億3294万円 おいては高度経済成長、新築住 【従業員数】455名 男性425名(正規:390名)、女性30名(正規:25名) うち、外国人5名(男性正規5名) 【事業内容】各種建設機械(標準型ミニショベル<クローラー 宅ブーム等の到来によりミニ ショベル市場は急速に拡大し ました。国内向けは大手メーカ ーへのOEM供給に徹してい ーラーローダー、クローラーキャリア)及び工業用攪拌機の ミニショベル(TB215) ましたが、供給先が自社生産に切り替える流れが繰り替えされ、 開発、設計、製造、販売 1991年に国内メーカーとのOEM契約解消を機に自社ブ 式、ホイール式、電気式>、超小旋回型ミニショベル、クロ 【HP】http://www.takeuchi-mfg.co.jp/ ランドでの海外市場への販売拡大に大きく舵を切ることとし ■インタビュー対応者■ ました。 総務部 総務・人事課 課長 倉島 広吉 氏 1.企業概要について 標準型ミニショベル(クローラー式、ホイール式、電気式) 、 超小旋回型ミニショベル、クローラーローダー、クローラーキ ャリア及び工業用攪拌機の開発、設計から販売までの完成品メ ーカーです。建機販売先の95%が北米、ヨーロッパ、ロシア 等海外向けです。日本国内に3工場3営業所、海外にはアメリ カ(1979年設立) 、イギリス(1996年設立) 、フランス (2000年設立)に販売子会社があります。2005年には 中国青島に製造販売会社も設立しました。その他、韓国、トル コ、インドネシア、タイ、ノルウェー、スウェーデン、デンマ ーク、イタリア、オーストリア、ギリシャ、オランダ、ドイツ、 フィンランド、ブラジル、オーストラリア、ニュージーランド、 ロシアなどのディストリビューター(販売代理店)網により一 貫した販売ときめ細かいアフターサービスを展開しています。 海外進出については、1978年にアメリカの展示会に出展 したことがきっかけとなり、自社ブランドで販売していました。 1986年には無限軌道式のクローラーローダーも開発しま した。タイヤ式車両では入 れないような湿地帯など 不整地での作業が多い米 国市場を狙い開発したも のです。 バブル崩壊以降、日本国 内は負の20年といわれ 不況でしたが、欧米の景気 は相対的に良かったため、 クローラーローダー(TL10) 欧米向けの販売が非常に伸びました。2002年にはジャスダ ックに上場し、対外的な信用力向上にも取組みました。 2.海外人材採用のきっかけ・時期・受入準備等について 欧米などの先進国向けの製品は全て坂城町で生産し、熟練した 中国での生産販売拠点の設立が計画として持ち上がり、中国 開発者、技術者により高品質な製品を安定して供給しつづけて 語が出来る人材を探していたところで中国人留学生を数名採 います。ユーザーからのニーズを販売網から吸い上げ、即座に 用しました。日本語の会話も問題がなかったため、受入体制の 開発に活かし、製品として供給する体制を整えていることも当 準備などは特にしていません。 社の強みです。数多くある世界の建機メーカーの中で、ミニシ 外国人留学生の受入れに当たっては、以前、留学ビザから就 ョベルのシェアはEU第2位、北米第5位です。耐久性の高さ、 労ビザに切り替える際に苦慮した経験がありました。しかし、 充実したアフターサービスの展開により6t未満のミニショ 今では、その人材も海外子会社において第一線で活躍するなど ベルは国内外において新たな需要を掘り起こし、ミニショベル 当社を支える人材に育ってきています。 という新しい市場を確立したといえます。ベルリンの壁の取り 3.海外人材の活躍状況等について 壊し作業に当社のミニショベルが40台程活躍したことも当 現在、5名いる海外人材は購買、営業、品質管理の部門で活 時話題となりました。稼働時間が年間2000時間という日本 躍しています。中でも長く活躍してくれている李さんは、現在、 の倍にも及ぶ過酷な使用条件に耐えうる製品が求められる欧 開発部の試験課長です。試験などを実施し、そのデーターを開 米市場において「建機のベンツ」と言われるなど、高い評価を 発部にフィードバックし、新製品の開発、品質の向上に繋げて 受けています。 います。李さんは、当社が中国へ進出する際に、進出候補地の 当社は、現社長が1963年に創業しました。当初は自動車 調査から始まり、土地取得、工場建設、製造機械の運び込み、 部品の加工が中心でしたが、完成品を手がけたいという強い思 現地人材の確保など中国拠点設立まで全てを担当し、2005 いからアッセンブリまで引き受けて納品するメーカーとなり、 年からの中国進出を成功に導いた人物です。 その後、知人から「住宅や市街地の基礎工事に手頃なショベル 4.海外人材採用ルート及び選考方法について カーが無いので作って欲しい」との依頼を受け、1971年、 世界で初めてブームスイング機構を備えた全旋回型のミニシ 35 就職支援サイトや大学での説明会などで日本人と同様の採 用方法となります。採用試験も日本人と同様のものです。 関東地域における人材戦略ベストプラクティス集 第2号(平成25年度版)~海外人材活躍企業~ 経済産業省 関東経済産業局 5.社内全体の人材戦略について 月に修士課程を卒業しました。博士課程に進みたいと考えまし (1) 社内人材の能力を活かす具体的な取組み たが、奨学金制度が活用できずに、断念しました。その後、日 職能資格制度を導入し、上位の階層を目指すべく社員は日々 本か中国のどちらで就職するか検討し、中国へは帰国せずに、 仕事に取り組んでいます。OJTが基本ですが、社外の研修を 日本での就職を決めました。それは、自分を更に発展させ、日 受ける機会も整備しています。また、当社は米国子会社を活用 本で学んだ知識や技術を活かし、日本のビジネスや社会、習慣、 した若手向けの武者修行である「USA研修」があります。若 文化を真に理解するには日本で社会人としての経験を積むこ 手社員1~2名が2年間程派遣される制度です。更に、新人研 とが必要と考えたからです。 修をはじめ通信教育制度、昇格時の社外研修、技能資格習得講 ○当社との出会い、活躍状況: 習など各種人材育成に関する制度があります。 (2) 労働制度面等からの支援(休暇制度等の整備状況) 大学院卒業後、1997年4月に中国深圳に工場を持つ、長 野県須坂市の企業に就職しました。熱処理や品質管理の部署に 定年再雇用制度、育児休業制度、介護休業制度、リフレッシ 配属されました。その後、たまたま手にした新聞に掲載された ュ休暇などを整備しています。傷害保険補填制度や従業員持ち 求人広告で、建機の完成メーカーである当社の存在を知り、自 株制度などもあります。労働環境面では、栄養満点のランチが 分の知識を、ずばり活かせる会社であると確信し、採用して欲 低価格で楽しめる社員食堂も整備されています。そして、軟式 しいと電話連絡しました。新聞の求人は現場作業員の募集でし 野球やテニスなどクラブ活動なども盛んに行われています。障 たが、快く面接していただき、技術者として設計部署へ採用し がい者雇用率についても2%を超え、高齢者雇用についても6 ていただくことが決まり、1998年5月に入社しました。入 0歳以上の社員が10名、製造部門を中心に活躍中です。 社当初は、研修を兼ねて製造現場に配属となり、その後、組立 6.今後の事業展望と人材戦略(人材確保・育成)について 部署を経験し、設計部署へ1999年に配属となりました。 (1) 今後の事業展望(方向性) 5年後の2004年7月には、中国進出に関するプロジェク 建機業界は成熟産業であるといえます。先進国については買 ト室が設置され、専属メンバーとなりました。大連、青島など い換え需要が主になりますが、顧客ニーズを反映した品質の高 中国の何処に立地するのが最適かなど現地調査から開始しま い製品をこれまで同様、提供していきます。併せて、新興国市 した。建機の市場が近く、港にも近い、高速道路が整備されて 場の開拓を行い、まずは、シンプルで低価格帯の機種を投入し、 いる交通の便の良い場所であること、部品を供給してくれる協 展開していく考えです。 力会社の存在もポイントとなりました。友人等の協力も得て徹 (2) 人材確保・育成にかかる方向性と課題 底的に調べ、青島を候補地としたいと社長に提案しました。2 機械に関心があり、ものづくりが好きな人材を採用したいと 005年に青島に土地を取得し、工場建設発注、監督、求人募 考えています。そして、平均的な年齢構成とするためには、当 集なども同時に開始するなど、多忙な毎日でしたが、とても充 社は約400名の組織であるため、毎年10名程度の新卒を採 実していました。2006年7月に製造工場も完成し、製造設 用したいと考えています。2014年度も8名程度の採用を予 備取り付けなども行い、9月には中国製造第一号機のミニショ 定しています。また、新卒だけでなく、中途採用や障がい者採 ベルが完成しました。現地では当初入社したメンバーは管理職 用も実施しています。特に、語学堪能な人材や技術系人材を募 として今でも活躍しています。私は、2008年10月末に日 集しています。当社は専門性が高い職種が多いため、1部署あ 本本社に戻り、現在は、試験課長を拝命しています。 たり5~6年の配属が多いです。中には、同じ部署に10~2 ○夢や今後の意気込みなど: 0年という人もいます。適材適所の配属によって、人材の能力 試験課のメンバーには、元気良く仕事しようと伝えています。 を最大限に発揮できる環境を作りたいと考えています。 若い人材には全体の仕事の中で、自分の役割はここであると認 ■海外人材の皆様へのインタビュー■ 識してもらい、失敗を恐れず、積極的に取り組んで欲しいと考 【お名前】李 玉利 さん 【出身地】中華人民共和国 えています。また、試験課は試験・分析データーを製品開発に 黒龍江省 斉斉哈尓市 【日本での出身学校名等】 国立大学法人信州大学大学院 農学研究科 生物生産科学専攻 活かすことも大きなミッションの一つです。最新の試験機器を 導入し、効率良く試験・分析を進め、当社製品の品質の向上や 新製品開発を支えていきたいと考えています。 ○日本に留学したきっかけ: 自分が大学生活を送った1980年代は改革開放が進み、中 国では建設機械は日本メーカーが非常に強く、日本に関心があ りました。日本語についても大学生の時に習得しました。ハル ピン工業大学卒業後、天津の大学で機械学科の教員として8年 間、教壇に立ちました。その後、大学に籍は置きつつ、天津に 設立された国営企業と日本企業との合弁会社のプロジェクト に参加するため来日。在日中の1993年7月、長野県南箕輪 村にある信州大学農学部にて農業機械を研究する機会を得ま した。1995年に信州大学の大学院に入学し、1997年3 李課長 倉島課長 関東地域における人材戦略ベストプラクティス集 第2号(平成25年度版)~海外人材活躍企業~ 経済産業省 関東経済産業局 36