Comments
Description
Transcript
ロシア大統領年次教書演説 ― 総じて内向きな内容、最重要課題
ロシア大統領年次教書演説 ― 総じて内向きな内容、最重要課題は人口問題 ― 2006 年 5 月 19 日 丸紅経済研究所 シニア・エコノミスト 榎本 裕洋 06 年 5 月 10 日、ロシアのプーチン大統領は、上下両院総会にて年次教書演説を行った。 昨年の年次教書演説がロシアの民主化を諸外国にアピールする「外向き」なものであった のに対し、今年は国防・人口問題・経済を中心とした総じて「内向き」な内容となった1。 今年の年次教書演説に関する詳細な分析は以下の通りである。 1. 総じて内向きな内容 − 07 年 12 月、08 年 3 月の選挙を意識した可能性 今年の年次教書演説が昨年のそれと比較して内向きとされる根拠として、「民主主義」関 連語句の使用頻度の低下が挙げられる。昨年は「民主主義」や「民主的」といった単語が 23 回も使用されたのに対し、今年は僅か 2 回の使用にとどまった(ロシア語原稿に基づき カウント)。昨年はロシアの民主化をアピールして諸外国の懸念を払拭したいとの思惑が見 られたが、今年はそういった配慮はほぼ皆無で、内容も国内問題に絞られた。 また汚職追放に関する文脈でも、昨年は公務員の規律改善を中心に訴えたのに対し、今 年は公務員とビジネスの癒着を批判している。この点においても、(経済への過度の政治介 入を懸念する)外資への配慮は感じられない。尚、この中でプーチン大統領は F.D.ルーズ ベルト米大統領が 1934 年 6 月 28 日のラジオ演説で用いた以下のフレーズを引用した。 “In the working out of a great national program which seeks the primary good of the greater number, it is true that the toes of some people are being stepped on and are going to be stepped on. But these toes belong to the comparative few who seek to retain or to gain position or riches or both by some short cut which is harmful to the greater good.(国家プロ グラムを実行する課程で、大多数の利益のために一部の利益が損なわれる可能性がある)” この演説が行われた当時、米国は大恐慌に見舞われ、ルーズベルト大統領はいわゆるニ ューディール政策を実施し、政府の経済への介入度合いを増した2。現在、ロシア政府も経 済への介入度合いを強めているが、米国でもそういう時代があったと喧伝することで、ロ 5 月 10 日以降、ロシアの株価(RTS 指数)は下げ基調に転じている。但し、年次教書演 説当日(5 月 10 日)の下げ幅は 1.5%程度と小幅だったこと、他の新興市場国株式市場でも 株価が下落していること、等から年次教書演説の株価への影響は限定的であったと考える。 2 ニューディール政策の効果については、現在でも議論の対象になっており、評価は定まっ ていない。 1 1 シアの経済政策を正当化し、これを批判する米国を皮肉っているのかもしれない。因みに、 この演説の後に行われた大統領選挙でルーズベルトは圧勝し、最終的に米国大統領史上唯 一人 4 選されることとなる。 年次教書演説が内向きとなった背景として、プーチン大統領が早くも 07 年 12 月の下院 選挙、08 年 3 月の大統領選挙を意識し始めた可能性が挙げられよう。実際、演説直後の 5 月 13 日、プーチン大統領は後継者を自ら指名する意向を表明している。今回の演説では国 内向けに力強いメッセージを発することで自らのレイムダック化を防ぎ、後継指名への影 響力を維持する狙いがあったのではないか。演説のテーマとして、後述する人口問題のよ うな長期的課題を選んだのも、自らの国家に対する影響力の長期保持を計っているからか も知れない。 2. 全体観:人口問題が最重要。軍拡発言は国内向けで、外交摩擦は限定的となろう。 今回の演説の柱となっているのは、国防・人口問題・経済、といった 3 つの国内問題で ある。各テーマが全体に占める割合を単語数ベースで計算すると、国防が 30%、人口問題 が 23%、経済が 20%、となり、国防の割合が最も大きくなった。その結果、各国メディア は今回の演説を、「世界に対する軍拡宣言」と解釈するに至った。 しかし、内容を注意深く読むと、プーチンが самое главное(最重要)、о самой острой проблеме(最も重大な問題について)という前置きとともに言及したのは、人口問題であ る。ロシアでは既に人口減少が始まっており、その事が長期的な国家発展を阻害するとの 議論が盛んである3。プーチンは財政支援等を通じて、人口問題を解決する方針を明らかに した。また同時に財政の健全性は維持することを約束した。 軍拡発言も国内向けのメッセージと考える方が理解しやすい。軍拡発言については、イ ラン問題やチェイニー発言に対する牽制との見方もできよう。しかし、7 月の自国開催サミ ットを控え、ロシアが G7 との関係をいたずらに緊張させる理由は見当たらない。つまり、 軍拡発言を外向けのメッセージと解釈した場合、そのメリットが見当たらないのである。 恐らく軍拡発言には、国内向けに「強いロシア」をアピールすることで、プーチン自身の 影響力を維持する狙いがまずあったと思われる。エリツィン前大統領の後継者として登場 した無名のプーチンが圧倒的な支持を得た理由は、チェチェン紛争で見せた強硬姿勢であ り、今回の演説でも同様の効果を狙ったと考えられる。軍拡発言が G7 や諸外国を刺激する であろうことはプーチン及びロシア政府も当然予想しただろう。それでもプーチンが軍拡 筆者の調査によれば、経済成長率に対して重大な影響を有しているのは生産性(労働者 1 人の 1 時間あたりの仕事量)であり、経済成長率と人口増加率の間には決定的な相関性を 見出すことが出来なかった。従い、本稿では人口問題に関する考察は限定的にとどめた。 筆者調査の詳細は 05 年 8 月 29 日付拙稿「BRICs の持続的成長可能性を検討する - イン ドに対する評価が分かれる理由」を参照されたい。 (http://www.marubeni.co.jp/research/3_pl_ec_world_pdf/050829enomoto.pdf) 3 2 発言を行ったということは、裏を返せばロシア政府が外交関係の維持に一定の自信を抱い ている証拠とも考えられる。従い、一部で囁かれる米国のサンクトペテルブルクサミット 欠席は、まず起こり得ないだろう。尚、プーチンは就任当初からロシア軍の近代化を訴え ており、そういう意味では今回の軍拡発言は目新しいものではない。 経済:投資、先端科学分野が主導する経済成長を志向 3. 経済問題について、プーチンが就任時から堅持している基本方針が、 「2010 年に GDP を 2000 年比倍増させる」というものである。そのためには、毎年 7%以上の経済成長が必要 となる。今回の演説でもプーチンはこの基本方針について言及し、引き続き GDP 倍増の可 能性を追求する姿勢を強調した。 GDP 倍増の手段として、プーチン大統領が強調したのは、官民双方における投資の増加 である。足元のロシア経済の成長は、主に個人消費主導となっており、投資の牽引力は小 さかった。背景には、金融システム不備による資金調達難が挙げられる。その結果、ロシ アで使用される生産設備の使用年数は、03 年現在で平均 20.7 年と古い(図表 1 参照)。プ ーチンはこういった設備の更新や能力拡大と、それを通じた生産性上昇を訴えているよう だ。 図表 1 90年 95年 00年 03年 ロシアで使用される生産設備の使用年数別シェア(%) 使用年数 5年まで 9∼10年 11∼15年 16∼20年 20年超 平均年数 29.4 28.3 16.5 10.8 15.0 10.8年 10.1 29.8 22.0 15.0 23.1 14.3年 4.7 10.6 25.5 21.0 38.2 18.7年 7.8 4.9 16.4 22.7 48.2 20.7年 経済を主導する産業としてプーチンは、主に先端科学分野を想定しているようだ。その 思惑は、Должна стать крупным экспортером интеллектуальных услуг.(ロシアは知的サ ービスの主要輸出国たらねばならない)という言葉からも推察される。 実際、05 年 12 月 30 日に発表されたロシア経済の長期見通し(2015 年まで)では、今 後のロシア経済を支えていく分野として、伝統的産業や生活産業に加えて、非伝統的産業 (科学イノベーション、情報通信、防衛・航空)が挙げられている(図表 2 参照)。05 年 8 月 29 日付拙稿「BRICs の持続的成長可能性を検討する - インドに対する評価が分かれる 理由(http://www.marubeni.co.jp/research/3_pl_ec_world_pdf/050829enomoto.pdf)」でも指 摘した通り、ロシアが比較優位を有するのは教育水準と科学技術水準の高さであるが、プ ーチンもこれらをエンジンとした経済成長を志向している可能性が高い4。また、国家 4 大 プロジェクト(住宅・農業・教育・健康)の中で、教育に関する発言が比較的多かったこ 4 雇用創出という観点からは、知識集約産業だけでなく外資主導の労働集約産業も必要だが、 今回の演説でその方新は示されなかった。 3 とも同様の観点から注目に値する。 図表 2 産業別国家戦略が実現した場合の実質 GDP 成長率に対する寄与度(前年比、%) 伝統的産業 燃料エネルギー 原油掘削 ガス 運輸 農業 非伝統的産業 科学イノベーション 情報通信 防衛・航空 生活産業 住宅・不動産 建設 寄与度合計 実質GDP成長率 06∼10 11∼15 06∼15 0.8-1.0 1.3-1.6 1.1-1.2 0.4-0.5 0.7-0.9 0.6-0.7 0.2-0.3 0.5-0.6 0.4 0.15-0.2 0.3 0.2 0.2-0.3 0.4-0.5 0.3 0.2 0.2 0.2 0.6-0.7 1-1.45 0.8-1.1 0.15-0.2 0.3-0.55 0.3-0.4 0.2-0.25 0.4-0.5 0.3-0.4 0.2-0.25 0.3-0.4 0.25-0.3 0.2 0.3 0.25 0.1 0.15 0.15 1.6-1.7 6.0-6.2 2.6-3.3 6.7-6.8 2.2-2.5 6.3-6.5 WTO への加盟について、プーチンは「加盟承認を他の問題と絡めるべきではない」と暗 に米国を非難した。本件を担当するグレフ経済発展貿易相が自由貿易の信奉者であること もあり、ロシア政府は表面的には WTO 加盟を熱望しているかに見える。しかし、WTO 加 盟の是非について国内の意見は二分している。WTO 加盟は対内直接投資環境の改善等を通 じて長期的にはロシアにメリットをもたらす可能性が高いが、短期的には脆弱なロシアの 産業を国際競争に晒すデメリットの方が大きいと考えられるからである。実際、98 年に旧 ソ連諸国で初めて WTO に加盟したキルギスでは、国内産業が激しい国際競争に晒された結 果、衰退の危機にあるという。加えてロシアの場合、輸出品の多くは既に関税率の低い原 燃料であるのに対し、輸入品の多くは関税引き下げ余地の大きい工業品であるため、WTO 加盟による輸入促進効果は輸出促進効果を上回るといった見方も根強い。以上のことから、 ロシアは WTO 加盟を望んではいるものの、そのために金融や航空機製造業といった重要分 野において妥協をする可能性は小さい。 またプーチンは本年 7 月 1 日までにルーブルを兌換通貨とする準備を終了すると発表し た。これまでのクドリン財務相の発言によれば、ルーブルの完全兌換化は 06 年末とされて おり、ルーブル改革は約半年早まったことになる。これまではロシア側輸出業者が入手し た外貨の一定比率を売却するなどの規制が存在したが、7 月 1 日までにこの種の規制が撤廃 される見通しである。同時にプーチンは、ルーブルの信頼性を増すため、ロシア国内にル ーブル建商品市場を開設することを提案した5。ルーブル建商品市場を開設することで為替 リスクヘッジ手段を提供し、国際決済通貨としてルーブルの普及を目指す意図とみられる。 但し、世界第二位の経済大国である日本の円も国際化が叫ばれて久しいが、国際化進展の 5 月 16 日付 Moscow Times によれば、経済発展貿易省次官の話として、06 年中にロシア に原油取引市場を開設するとのこと。 5 4 度合いは限定的である。従い、経済規模で世界第 14 位(05 年現在)のロシアの通貨が国際 化する可能性は極めて小さいだろう。尚、このニュースを受けて、ルーブル高が進行して いるが6、ロシア政府はこれまで通りルーブル売り介入は必要最小限にとどめ、インフレ抑 制に重きを置くとみられる7。 (注記) 本稿に掲載されている情報および判断は、丸紅経済研究所により作成されたものです。丸 紅経済研究所は、見解または情報の変更に際して、それを読者に通知する義務を負わない ものとします。 本稿は公開情報に基づいて作成されています。その情報の正確性あるいは完全性について 何ら表明するものではありません。本稿に従って決断した行為に起因する利害得失はその 行為者自身に帰するものとします TEL 03 – 5446 – 2483 E-mail: [email protected] 担当 シニア・エコノミスト 榎本 裕洋 WEB http://www.marubeni.co.jp/research/index.html 以上 06 年 5 月 12 日に RBL26.9275/US$までルーブル高が進行。これは 00 年 1 月以来のルー ブル高水準である。 7 不胎化を伴わないルーブル売り介入はマネーサプライの増加を通じて物価上昇をもたら すため、インフレ抑制を最重要課題とするロシア政府はルーブル売り介入を必要最小限に とどめている。但し、ロシア国内のインフレ率を抑制することは、ルーブルの実質実効レ ート上昇を抑制するため、インフレ抑制はロシアの輸出競争力維持にもつながる。 6 5