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3.11災害をどのように語り継ぐか 3

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3.11災害をどのように語り継ぐか 3
PSATS Report Vol. 056 Spring
3
東日本大震災後.はや 2 年が経ちました.その後の課題は被災者救済,被害の復旧・復興,将来対策の 3 点で
検討されていますが,それぞれ,いまだ解決の方向さえ定かでない状態のようです.特に避難者の帰還不能,原
発事故炉の処理法未決の事など,課題の認識を改めねばならない時が来ていると言えるでしょう.この機に会員
皆様にお考えのご寄稿をお願いしています.(編集担当)
天地自然に謙虚に!正確に!
子孫に付けを回すようなことがない施策を我々は今決断
阿部 市郎
しなければならないのではないだろうか。
戸建部会では現在、釜石市・遠野市・大槌
町の2 市1町を包含した上閉伊復興住宅協
2
建築分野の社会的責務とは
議会の林野庁の補助金事業による復興住宅
蟹澤 宏剛
の企画支援を行っている。この地域はリア
震災が発生して約3 週間後、岩手県のある
ス式海岸の平坦地に昔からの町が形成され
市を訪問した。なぜなら、15 年来のお付き
ており、現地に行ってみると津波の被害を受けた旧市街地
合いのある職人や建設業関係者が何人もい
には、未だに殆ど家が建てられていないのが現状で、住民は
て、一刻も早く無事な姿を見たかったのと、
仮設住宅居住を余儀なくされているのが実情で、真に心痛
彼等から、職人・建設人として地元に貢献し
む状況である。
たくても一切合切の道具を流されてしまったので困ってい
はじめに釜石市の担当者の方に当該地域の被災地を案内
るという連絡を受けていたからである。
していただいたが、気の毒で写真を撮ることもはばかられ
ワゴン車を借り、荷室には積める限りの道具や工具、釘、
る状況でデジカメは持参したが、ついに1枚も撮影してこ
電池等を詰め込んだ。
「発電機が欲しい。あれば、電動工具が
なかった。
使える」という要望があったが、実店舗もインターネット上
このことは、神戸地震の時の復興状況と著しく違うこと
の店舗にも、
日本中、
いや世界中で発電機が売り切れていた。
を痛感させられた。神戸では被災地に直ちに復興住宅を建
4 月だというのに雪の舞う寒い日であった。東北の太平
設できたのに対して、津波被害地では平坦地には殆ど家が
洋沿岸は、黒潮の影響もあって、関東の人間が考えるより
建てられず、地域の都市計画から新たに見直さなければな
ずっと暖かいのであるが、不幸なことにこの年は寒かった。
らず、建てたくても土地がないという個人ではどうにもな
まだガソリンの供給が不安定だったので、20 リットルの
らない問題を抱えている。
タンクを積み、夜の東北道を北上した。
国と県とが協力して早急に総合的且つ強力な施策を策定
照明の消えた高速道路は暗く、自衛隊が隊列を組み、救援
推進する必要を痛感させられた。
物資の横断幕を掲げたトラック、関西や関東のパトカー、
更に、個人ではどうにもならないのは原発問題である。
消防車が走り、一般車はほとんど無かった。所々、道路が
私の周辺でも浪江町で祖父以来営々として築いてきた事業
うねり、高架橋の上やインターチェンジの近辺には、多数の
を放棄して、家族全員で遠く避難生活を余儀なくされてい
ひび割れがあった。
る知人がいる。
東北自動車道を降りると、暫くは以前と変わらない景色
原発はゼロが望ましいのは言を待たないことである。
が続いていた。やがて夜が空け、海の気配を感じるところ
しかし、
環境を害さない代替エネルギーは直ちに充足でき
まで来ると、大きなゴミや布切れのようなものが川筋や
ないと言うジレンマの中で日本は生きていけるのかと言う
斜面に散見されるようになる。
暫く注意深く進むと、
いきなり
深刻な問題である。
無残な姿の建物が現れ、そのまま暫く進むと、優に2 階の屋
地震国の日本では第2の福島原発が確実に起きることが
根まで届くであろう巨大な瓦礫の山が眼前に現れた。そこ
危惧され、国民は薄氷を踏むような思いで原発問題を考え
は、リアス式海岸のわずかな平野部分、数万人が暮らす市街
ているであろう。
のあったところである。
建物の残骸に砂礫、
漁網などが混ざり
原発問題は突き詰めて行くと家族間でも意見が分かれる
合い、所々にバスやタンクローリーがひっくり返っている。
深刻な問題である。
電柱は根本から折れ、鉄橋には瓦礫が刺さり、線路は宙に浮
現世代が少々不便を忍んでも最終的にはドイツのように
いている。老舗の酒蔵があった辺りには、ひしゃげた巨大な
原発ゼロを目指してスケジュール化して、
国の総力を挙げて
金属製の酒樽が転がっていた。屋上に描かれたSOS で有名
取り組むべき課題である。
になった病院に人の気配は全くなく、5 階建の集合住宅は
4 階までの窓が突き破られた無残な姿を晒していた。そこ
その多くが直接的には土木や都市計画の領域である。社会
は、津波に洗い流されたというより、爆心地とでもしかいい
インフラの増強や維持補修が重要であることは間違えない
ようのない景色であった。
が、建築にできること、やらなければならないことは何なの
幸い、直接会いに行った何人かの知人は皆元気であった。
か。震災後の教訓は、広い意味で捉えれば、建築分野の社会
この地域は、過去に何度も津波の被害に遭っている。皆、
的責務、そして行動のあり方などについて、再考することで
今回も津波は来るものとして、避難したのだという。しか
はないかと思う。
し、それが想定外に大きかった。以前から5 メートル強の堤
生々しさを伝える
防も、河口堰もあった。それを遙かに超える津波だった。避
難した人たちも、さらに上へと斜面を登り漸く逃げ延びた。
河合 誠
避難所に停めた車は流され、最小限家から持ち出した大切
実は、
3・11に関するテレビ番組は、
あえ
なものも皆失ってしまったのだという。
て見ないようにしています。見たくないと
何人かの知己が亡くなったり、行方不明であることも
言うのが本心です。
ちっとも進まない瓦礫
知った。皆、巡回点検や応急対応の最中に被災したようで
処理にイライラすることも理由の一つです
ある。ご存じのように、特に地方においては、建設業の多く
が、
震災後の4月に現地調査をした際に大槌
が災害時応援協定により、このような災害の発生時に応急
町の高台にあるグランドで盛岡市内で調達した菓子パンの
活動等に協力する協定を結んでいる。今回、津波が来る前の
昼食を摂っていると、グランドの端のほうで木杭が数十本
応急活動中に亡くなった方が相当数いらっしゃる。また、
打ち込まれている一画がありました。てっきり仮設住宅が
津波後のニュース映像で、瓦礫の山の中で重機が動いてい
建つのかと思ってよく見ると、杭の横に花が供えてありま
るのに気がつかれた方も多いと思うが、あれも応援活動で
した。仮埋葬をしているところだったのです。
ある。諸外国が驚いた高速道路の早期復旧も応援活動の賜
海岸では飛び口をもって遺体の捜索をしている地元の
であり、自衛隊や消防より先に最前線で活動したのは建設
消防団の人だけしか合わず静寂の世界でした。津波の被害
業である。しかしながら、一般国民の多くは、その事実を
を受けた建物はそれ自体が無残ですが、ここで多くの人命
知らない。マスコミは、知ってか知らでか、それを伝えない。
が奪われた現場でもあり墓標でもあることを知りました。
これは、建設業に身を置く我々が、後の世代に伝えるととも
災害・・・瓦礫と化した建物・・・人の死・・・残された
に、
何らかの手立てを考えなければならないことだと思う。
被災者
次に、建築分野の対応について。この震災で、土木や都市
建築技術者がこんな連関のなかで何を伝えていけば良い
計画の分野は、いち早く手を打ち、調査団や支援部隊を送り
のでしょう。
込み、地元の行政等とも連携を密にした。そのとき、建築は
小説「関東大震災」
( 吉村 昭著)には、焼け爛れた死臭
何をしていたのか。地元によれば、模型を手にした何人もの
が漂うようなリアルな表現を、冷静に報告書と見間違うス
有名建築家が直接来訪したのだという。しかし、横の連携は
トーリーの中に感じ取った記憶があります。臨場感をどう
なく、皆、個人の案を持ち込んだに過ぎない。仮設住宅の
伝えていけば良いのでしょうか。
支援や、復興住宅の試案などをマスコミが取り上げること
話は少し外れますが 3・11の災害発生ですぐに思い
もあったが、それも個の取組であって、組織的な力になって
起こしたのが1995年の阪神淡路大震災です。
いない。故に、地元の復興会議等の場に、建築家や建築専門
住宅会社としてこの地で多くの住宅を供給しており、
家の席は、ほとんど用意されていなかった。
これらの住宅がどうなっているのか。ダメージを受けてい
政権が交代し、国土強靱化基本法が検討されているが、
たらどのように補修したらいいのか、延べ3000人・日
を阪神間に動員。手探りで全棟調査を行った経験がありま
し た。こ の 時
の 記 録 を「 阪
神・淡路大震
災 2× 4住
宅 3568
棟 の 記 録」 と
して地震発生
後5ヶ月かけ
て製作し関係
各所に配りま
この記憶を風化させてはならない(2011 年 4 月 4 日の現地)
し た。社 員 に
河合地震報告書
3
PSATS Report Vol. 056 Spring
は一人1冊ずつ配布しました。
が出来ました。
そして今回の報告書は「 東日本大震災 2× 4
この報告書は、
当時の災害対策本部長から冊子としてまと
住宅12,
696棟の記録」 として132 頁にまとめることが
めておけば次に災害が起こったときに役に立つので、
なるべ
出来ました。
く克明に事実をまとめておくように指示されて作成したも
はじめの課題にもどりますが、
どのように語り伝えていけ
のです。
ば良いのでしょうか。
16年後にこの指示が的中することになったわけです。
自分一人の記憶に留めていくならば伝承はされないですし、
3・11では社員の2/ 3が1995年以降の入社にもかか
語部をつのって大学を回るのも手でしょうがまじめに聞い
わらず、
この報告書をもとに行動し全数調査を終了すること
てくれるのでしょうか。
どなたか小説を書きませんか。
市民講座
あなたが知りたいマンションの耐震性―東日本大震災の被害と教訓
( 財) 建築技術教育普及センターの事業助成により名古屋、
5 名の講演者によりPDを進め、事前及び当日質問に回答
大阪において市民講座を行った。
し、マンション居住者は勿論、建築・構造設計者、県や市の
主催:NPO建築技術支援協会 役所の方等も参加され、盛会に終了した。
後援:一般社団法人日本建築技術者協会、
読売新聞社
大阪開催
開催の目的:専門技術者ばかりでなく、一般市民・マン
日時:平成25 年2 月9 日( 土) 午後 ション居住者や建築・不動産関係者等を対象に今後の耐震
会場:大阪大学中之島センター7 回703 講義室
対策について正しく分かりやすく啓蒙することを目的と
倉本洋大阪大学教授は、
「集合住宅に適した耐震補強工法
した。
―阪神大震災、東日本大震災を教訓として」のテーマで講演
名古屋開催
され、RC造マンションの困難な耐震補強について、研究の
日時:平成24 年11 月12 日( 月) 午後 成果についても紹介された。次に、この会場でも当会会員、
会場:吹上ホール4 回第3 会議室( 中小企業会館) 小鹿・丸山・岡本の各氏から当会作成の再改定版冊子を
和田章先生の基調講演「マンションの耐震設計と被害
基本に仙台マンション現地視察や最新の情報を盛り込み、
の可能性」の後、市之瀬敏勝名古屋工業大学教授に「東日本
実験等の動画を交えながら分担し解説した。
大震災―建築物の被害、集合住宅の被害」をテーマに模型を
休憩の後、まず最初に、和田章 建築学会会長・東工大
使った分かり安いご講演をしていただいた。
当会会員、
安部・
名誉教授から「マンションの耐震設計と被害の可能性」に
岡本・丸山の各氏から当会作成の再改定版冊子「あなたが
ついてお話があった。阪神大震災を経験したにしては耐震
知りたいマンションの耐震性―・・」を基本に仙台マンショ
改修が盛り上がらないように感じられる大阪において、
事前
ン現地視察や最新の情報を盛り込みながら分担し解説した。
質問があった「マンション耐震性に無関心な居住者の啓蒙
質疑・PDについてはサーツ会員太田常務理事の司会で、
啓発」
をテーマに、
安部の司会のもとにPDを行った後、
質疑
応答で盛り上がり、時間不足を感じながら終了した。
文責:安部重孝
名古屋開催 会場 市之瀬先生の模型を工夫された説明
4
大阪会場 和田先生のお話
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