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「重度障害者の自立・地域で生きる」を学びたい! <プログラム>

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「重度障害者の自立・地域で生きる」を学びたい! <プログラム>
全国頸髄損傷者連絡会
交流のつどい
福島大会
シンポジウム
「重度障害者の自立・地域で生きる」を学びたい!
重度障害者の自立ってどういうこと?
普通に生きるってどういうこと?
どうやって地域で生きているんだろう?
<プログラム>
【日 時】 : 2008 年7月19日(土)15:00∼20:30
【会 場】 : ホテルサンルート白河/3階 桜の間
主催:ひだまりハウス・福島頸損友の会
【プログラム】
司会
鳥屋 利治(大阪頸髄損傷者連絡会)
主催者挨拶と祝辞 15:00-15:10
● 相山 敏子(福島交流会実行委員会代表)
● 坂上 正司(全国頸髄損傷者連絡会)
第 一 部
15:10-16:40
:頸髄損傷者連絡会の各人からの報告
● 宮野 秀樹(兵庫頸髄損傷者頸損連絡会)20 分
「重度障害者の地域生活の現状」∼兵庫における実践例とその課題∼ 20 分
● 伊藤 道和(神奈川頸髄損傷者連絡会)
「電動車椅子の紹介」10 分
● 星野 太志(神奈川頸髄損傷者連絡会)20 分
「親元離れての現在の生活」
● 鴨治 慎吾(東京頸髄損傷者連絡会)20 分
「気づき」∼気づいてもらうために∼
∼休憩∼
第 二 部
16:40-17:00
17:00-17:30
:福島県の皆さんからの質疑応答、ディスカッション
第 三 部 18:00-20:30 :交流レセプション
司会 宮野 秀樹(兵庫頸髄損傷者連絡会)
●「福島頸損友の会」乾杯(柴田
努)&発足の挨拶(相山 敏子)
【実行委員長のあいさつ】
相山
敏子(そうやま
としこ)
この度、私の故郷、今、私が生きているこの福島県南の地で、全国頸髄損傷者連絡会の皆様と
福島県内の頸髄損傷者、その関係者、そして地域の人達との「交流会」を開催いたします。
ほんの数人の「福島頸損友の会」・ほんの数人の「ひだまりハウス」メンバーと共に企画、全国
の頸損仲間、そしてたくさんの方々のご協力、ご支援をいただきましてここまで到達することが
できました。改めまして、一人ひとりに心から感謝申し上げます。
初めての実行委員長として、「福島頸損友の会」の確たる成長を期して、明日につながる、生き
たイベントにしたいと思っております。
1959年
1982 年
福島県西白河郡西郷村生まれ
交通事故により第 4・5 番頸髄
を損傷、首から下が全く動かず、
一時は声も出ずの重度障害者
となる。
半年後に、両肘に辛うじて力が
入るような反応が現れる。
1985 年 退院後、実家で生活。
1998 年頃 パソコンと出会う。
2003 年「支援費制度(現:障害者自立
支援法)」施行を機に実家から
離れ一人暮らしスタート、地元
で自立の第一歩を踏み出す。
現在、東京頸髄損傷者連絡会に所属、全国頸髄損傷者連絡会の協力を得て「福島頸損友の会」を
発足、「自分の人生を自分らしく生きる・地域で共に生きる」に奮闘中。
【パネリスト紹介】
宮野
秀樹(みやの
ひでき)さん
重度障害者の地域生活の現状
∼兵庫における実践例とその課題∼
兵庫県の福祉施策は全国的に見ても遅れている。兵庫の広大な地に点在する重度障害者はかろ
うじて生き延びているといっても過言ではない。兵庫県の中南部で一人暮らしをおこなう自身も
過酷な自立生活を送っている。その現状の中で、いかに生き延びるための工夫をしているのか、
重度障害者が地域生活をおこなう上で、日々の生活に不安を感じることなく安心して暮らせるよ
うにするためには何が必要なのか、自身の経験を例に報告する。
1971年
1992 年
兵庫県加東郡社町(現加東市)生まれ。
交通事故により第 4 番頸髄を損傷、首から
下が全く動かない重度身体障害者となる。
2002 年「ひとりの市民として地域の中で生活する」
ことを目的として NPO 法人ライフサポート
はりまを設立。
2004 年 自らも生まれた社町でひとり暮らしを開始。
現在、同法人理事、兵庫頸髄損傷者連絡会事務局長
および全国頸髄損傷者連絡会事務局長補佐を務める。
重度障害者の自立支援およびセルフヘルプ活動を
展開中。
伊藤
道和(いとう
みちかず)さん
「アメリカ製の電動車イスの紹介」
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1955 年 8月
1979 年 5月
福岡県生まれ。
マット運動の失敗で首(C4)
を脱臼骨折。北里大学病院に入院。
1980 年 1月
神奈川県総合リハビリテーショ
ンセンターへ転院。
1980 年12月
同病院退院。(自宅へ)
1983 年 7月
水彩画を描き始める。
1993 年 6月
横浜市の情報紙にエッセイを
書き始める。(12年間)
1993 年 9月
横浜市立中学校で講演を始める。
星野
太志(ほしの
ふとし)さん
「親元離れての現在の生活」
受傷した当時は施設での生活しか考えられなかった。病院、リハ訓練、親元での生活。
作業所への通所。そして自立への道。完全なひとり暮らしではないにしろ、親元離れて、
介助者を利用しての生活。
14年目に突入した自分の体験と現在の様子を報告します。
1961 年
1982 年
東京生まれ。幼児のときに神奈川県相模原市へ。
自らの不注意による事故で第 5 番頸髄を損傷。
北里大学病院へ(緊急手術、ICUに5日間)
1982 1986 年 神奈川総合リハビリテーションセンターで
リハの訓練(厚木市七沢)
1993 年
2007 年
ケア付き住宅「ミントハウス」へ入居。
(親元離れてひとり暮らしを開始)
福祉ホーム「らいむ」へ転居。現在に至る。
現在、神奈川頸髄損傷者連絡会・会長
鴨治
慎吾(かもじ
しんご)さん
気づき(気づいてもらうために)
私達、重度障害者(頸損)は見た目以上に自分で出来ることは少ないのだが、その事を理解して
頂けない方がまだまだ多いように思われる。自分の生活の中の実体験等を例に報告します。
1971 年
1992年
東京都練馬区生まれ。
交通事故により第2頸髄を損傷
頸髄損傷と診断される
レベルⅢ-300 心肺停止状態
1997 年 人工呼吸器離脱
1999年 退院(伊東重度障害者センター
の入所待ち)自宅に戻る
2000 年 伊東重度障害者センター入所
2003 年 伊東重度障害者センター退所
2003年 地元練馬区にて自立生活
(一人暮らし)を始める
東京頸髄損傷者連絡会会長、
全国頸髄損傷者連絡会編集委員
東京都障害者社会参加推進協議会委員
障害連役員
石神井地域福祉を考える会役員
練馬まつりバリア体験連絡会実行委員
「福島頸損友の会」メンバー
渡部
洋祐(わたべ
ようすけ)さんの絵画
柴田
努(しばた
つとむ)さん
1965年 10 月 福島県福島市生まれ
下手の横好きでスポーツ三昧の10代を過
ごす
1986年5月 大学2年の時、宮城県仙台
市においてラグビーの練習中に受傷(C5)
∼1987年11月まで東北労災病院など
で治療およびリハビリ
1988年4月 大学復学
1991年3月 卒業
1994年 司法書士資格取得
1995年 司法書士開業
2000年 障害者の作業所の設立に参画
する
2003年 支援費制度の開始にあわせ介
護事業所まめの事業を開始(現在:頚損の利
用者9名)
現在に至る。現時点は施設を出られた高位頚
損の方の地域生活の安定のため試行錯誤お
よび
苦闘しているところです。
豊田智子(とよだともこ)さん
東白川郡矢祭町在住の豊田智子さんは、1958 年(昭和 33 年)生まれです。
20 歳の頃不慮の事故により頚椎を損傷し、首から下が麻痺してまったく動けず
約 26 年間寝たきりの生活をしています。智子さんは明るく前向きに生きる素敵な
女性です。絵手紙を書くときは、口に絵筆をくわえ作品を生み出しています。
彼女の作品からは、豊かな感性によって描き出される「生」の息づかいが感じられます。
絵はがきを購入された皆様方に、彼女のいのちへの歩みを知っていただきたいと
ともに、祈りによって支えていただければ幸いです。
売上金は、彼女の制作費の援助金となります。ありがとうございました。
渡辺
富士男(わたなべ
ふじお)
さん
昭32年
田村市船引町で生まれ、現在 50 歳。
昭48年
中卒後大工見習いで就職
昭58年
千葉県松戸で仕事中に屋根から転落
して頸髄4・5を損傷する。
それから4か所の病院を転院。
平元年
西郷村にある「福島県太陽の国」の療護
施設に入所。
平 17 年
施設を出ていわき市で在宅生活を始める。
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