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王道楽士の夢、「河向う」の幻I中薗英助「密作者」I 戸塚麻子

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王道楽士の夢、「河向う」の幻I中薗英助「密作者」I 戸塚麻子
Hosei University Repository
I中薗英助「密作者」I
王道楽士の夢、「河向う」の幻
はじめに
(1)
戸塚麻子
北京で敗戦を迎えた中薗英助に関してはほとんど言及されてこ
海にいた武田泰淳や堀田善衛については研究が進んでいるが、
(4)
本稿では、中薗英助の最初の作口叩集「扮僅のとき」のなかか
なかったというのが現状であろう。
ら「密作者」という短篇を取り上げたい。「紡僅のとき』は、
中薗英助は異色の「戦後派作家」し」いえる。一九一一○年に生
まれ、一九三七年に一七歳で中国大陸に渡った。「満洲」や張
に配して」書かれた連作小説集である。一九一二八年ごろから敗
中薗の中国での体験に村をとりつつ、「事実と虚構を皮膜の間
(5)
家口、北京等を渡り歩き、北京で敗戦を迎えた。日本引揚のの
(2)
子っは、戦時中に書いた「第一回公演」を書き直した「烙印」が
いる。その中で巻頭に収められている「密作者」は、日中戦争
戦後数年までを描いており、各作品はほぼ時系列に並べられて
開始から間もない一九三八年ごろの「満洲」・ソ連国境を舞台
埴谷雄高らに認められ、雑誌『近代文学」(一九五○年二月)
年齢もいわゆる戦後派作家における若い世代に属し、内容的
としている。この作品を検討することを通して、一人の日本の
に掲載、事実上のデビューを果たした。
にも通じるものを持っているが、現在ではそのような評価はさ
がら、次第に懐疑を覚え、揺れ動く過程を確認していきたい。
少年が、「王道楽土」「五族協和」という国家的な理想を抱きな
(3)
れないばかりか、そもそも作品自体が十分に評価されていると
中国連作小説集』(批評社、一九九三年一月)を用いた。
なお、本稿の引用は、「定本坊復のとき中薗英助・初期
は二口い難い。研究書としては、立石伯『北京の光芒・中薗英助
の世界」(オリジン出版センター、一九九八年三月)のみであり、
その他研究論文や評論等は極めて少ない。戦時下・敗戦時に上
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王道楽土の夢、「河向う」の幻
「密作者」は、端的にいえば、境界・ボーダーをめぐる物語
である。ここでいう境界・ボーダーとは、「国境」(日本と中国
イヅチ頭と鳩胸とをもっていた」二六頁)。自分たちの騎馬隊
もない冒険奇談の類いで途方もなくふくれあがった少年の、サ
(9)
は、アヘン密作者に比べて「圧倒的に優勢」であり、広々と広
ホンフーズ
がる草原を馬で駆けながら、「ぼく」はよく流行歌「国境の町」
を歌ったりする。
向う」と「こちら側」)、「民族・国民」の間の境界でもある。
子」(直訳で「赤ひげ」の意)が、「密作者」に雇われて嬰粟畑
頁)の焚く狼火を発見する。「河向う」からやってきた「紅嶺
ある日の午後、「ぼくたち」が「紅嶺子と呼んだ匪賊」(一八
また、「死と生」「夜と朝」といった彼岸と此岸を分かつもので
らされていた。「ぼく」は「紅嶺子」に出会うことによって、
を武装援助しているとの情報が、既に密偵の情報によってもた
.「満洲」、中国・「満洲」とソ連)だけではなく、「河」(「河
もある。’七歳の少年である「ぼく」が、境界の「向う側」を
様々なニュアンスの差こそあれひとしく敵であった。しか
密作者も、匪賊も、それからあの国境の向うの〈赤魔〉も、
急に不安を抱き始める。
夢見ながら、悩み、迷い、ついには「越境」の不可能性を知り、
(6)
「向う側」には決して渡れないのだと認識する物語だというこ
「向う側」には
この作品は、日中戦争開始から間もない、ある夏の出来事を
も、まさに最大のものはウスリー河の向うにいる。ぼくは、
とができよう。
三八年八月以降であると推定される。「ぼく」は日本の中学を
描いている。張鼓峰事件を思わせる記述があることから、’九
つらなって、自分たちを驚かし、脅やかすのではなかろう
紅嶺子たちの焚く狼火が、実は河の向うから、えんえんと
(7)
院」の学生となっている。そして、休暇中に実習として「ホー
のとして「ぼく」には意識されている。だが、「河向う」から
「河の向う」には敵がおり、それは「こちら側」を脅かすも
かと考えたのである。(一八頁)
卒業したのち、夢を抱いて「満洲」に渡り、現在「満洲協和学
リン」(現・中国黒竜江省虎林市)に派遣される。ホーリンは、
ンスク)と接する「満洲」国境の町であり、「ぼく」はそこを
「国境」を渡り、敵が襲ってくるという考えには明確な根拠が
ウスリー河を挟んでソ連のイマン(現・ロシア、ダリネレチェ
や、「鍵靱系のソロン族」である警察官らと共に、アヘン密作
る。そしてまた、「紅嶺子」が、「あの国境の向うの〈赤魔と、
あるわけではない。ただ漠然とそのように感じているだけであ
拠点としながら、四○歳近い「鴉片密造取締官」である朱隊長
者を追って騎馬旅行をしていた。「ぼく」は、山中峯太郎『敵
すなわちソ連の共産党と「連絡ありと判断できる材料はなく、
(8)
の冒険』、デュマ『モンテ・クリスト伯」等を愛読し、「数限り
中横断三百里』やスティーブンソン『デヴィット・バルフォア
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尋ねる。
「お前は、どこから来た?河向うから来たのではない
「河向うから?」
か?」
それはぼくの出生以前であり、ぼくにとって、ほとんど
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無縁のものであったにもかかわらず、それを結びつけて考え」
「河向う」Ⅱ脅威・敵という、漠然としたイメージは、「向う
(一八頁)ているのである。
には、電気がある!」(一八頁)という事実からきている。夜
になると「河向う」には電灯がともり、「精巧につくられた、
〔中略〕
太古に近い昔日と、何ら変るところがなかった。が、二十
「・…:来た。二十年前に」
無人無声の果てもないパノラマ」二九頁)として出現する。「ぼ
岸をみながら、「驚異と羨望」二九頁)を抱いていた。こうし
年前も、たった一日おいた昨日も、さほどの相違はあるま
「二十年!」
た事実は、「河向う」には野蛮な敵がいて、「こちら側」は王道
したように、鮮烈な一かたまりの光画となって輝きわた」る対
楽士の理想が実現されつつあるという、「ぼく」が信じている
いという気も、またした。三八頁)
く」は、もともと「まるでいっせいにイルミネーションをとも
ものを揺さぶるものとして存在する。野蛮であるはずの「河向
「河向う」の象徴である「巨人」が、「ぼく」の出生以前に「こ
う」に電気があり、こちら側にはないという事実と、さらに「河
向う」の象徴としての「紅嶺子」との接触は、「ぼく」に王道
のである。「巨人」がロシアの民族衣装「ルパシュカ」を身に
ちら側」へ来ていたという事実は、境界の自明性を揺るがすも
(⑩)
の場面ではまだそれを認識できず、「二十年前も、たった一日
ることも、それを象徴的に示していよう。だが、「ぼく」はこ
たちの行為を非難し、糾弾する。
覚」し、昂揚感を感じるのである。そして、「ぼく」は「巨人」
の身柄は「いまぼく自身の掌中にあるというふう」に捉えて「錯
おいた昨日も、さほどの相違はあるまい」と思い直し、「巨人」
「紅嶺子」を捕虜にする。「ぼく」は彼を神話の世界に生きる「巨
人」のように感じ、「その心の窓をうち開き、彼方の世界をそ
こからうち眺めたい誘惑と衝動とに」「かられ」て次のように
「鴉片を秘密に作るのは、悪いことだ。その仕事を助ける
が危うく撃たれそうになるところを、「ぼく」は助け、一人の
開けた林の中にアヘンの密作地帯を発見する。そして、朱隊長
着けていながら「河向う」の言語ではなく、中国語を話してい
しているといえるだろう。
ホンフーズ
楽士の欺朧や虚偽性をしだいに認識させていくものとして機能
 ̄
ペごて、「ぼく」と朱隊長は「紅嶺子」を追って行くが、突然
■■■■■■■■
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王道楽土の夢、「河向う」の幻
ヤーメン
のは、悪いことだ!」
〔中略〕
「お前たちの衙門(役所)は鴉片を売り、その儲けでお前
「鴉片を、この国からなくしてしまうために、そうするの
たちを養っている」
いわけではなかった。だが、「正義とか、王道とか、挺身とか、
キ肉踊〉らせ」(一一一○頁)る言葉に惹きつけられ、それを見ま
決死とか」「冒険物語の小見出しのように、胸を瘤かせ、〈血沸
いとする。アヘンに関して言えば、「満洲国」内に「日本の煙
草のように美麗な包装をほどこした煙寳(精製鴉片)が売りに
考えてこなかった。だが、「巨人」の言葉によって「満洲国」
緩和する目的に使用されていると解釈し、それ以上つきつめて
出されて」(三一頁)いるのも知ってはいたが、病人の苦痛を
「違う.lそれがお前たちの商売だ・私は、私のくらし
だ」
のために、少しそれを邪魔しただけだ」
る。
の理想が否定され、「王道楽土」の虚偽性が暴露されるのであ
ぼくは、皮膚をざかなでて走るような憎しみが、身内に
||’
「言うな!」
分かに、思いがけず、亡父に似た面影が、光線の加減でた
突如おこり、瘤くのをおぼえて叫んだ。彼の顔貌のどの部
ちゆらいで現われてきたがためともいえたが、それはたし
そこに朱隊長が現れる。朱隊長は、「ぼく」には一種の異物
として描かれているといえるだろう。「四十近い、最も現実的
かに、エディプス・コンプレックスとでもいうほかない、
は叫んだ。
瞬間的な、しかし激烈な憎悪の感情であった。再び、ぼく
「鴉片密造取締官」であると説明されている。「緑林」は中国湖
ぼくはおそれを感じてい」三○頁)る。「揖私官」は、作中で
な知慧と力とに溢れた、この緑林出身だといわれる揖私官に、
「言うか!」(ぼくたちが同じ仕事をしてるんだって!)
(二九頁、傍点原文、以下同。)
ているのでもなく、その収入源にしているという事実をつきつ
いるのでも、病者への憐燗や経過的措置としてアヘンを販売し
洲国」の役所が国家の理想を実現するためにアヘンを摘発して
理想をある種体現している人物といえる。こうした朱隊長の暴
(三一一頁)として「ぼく」に見られているように、「満洲国」の
和服を着た朱隊長の姿は、「最後に制服の中に自己を托した者」
方、下級官吏としての職務を機械的にこなす人物でもある。協
あると推察され、急に暴力をふるう等、野性的な部分を持つ一
で用いられていると思われる。いずれにせよ、朱隊長は漢族で
北省の地名だが、盗賊という意味もあり、おそらく後者の意味
けられる。「ぼく」はいままでにも「満洲国」の理想の胡散臭
「巨人」の行為を単純な正義感から糾弾した「ぼく」は、「満
さ、虚妄性について知る機会が何度かあり、うすうす気づかな
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以下の部分によく表れているといえるだろう。
力性と、「満洲国」の官吏として職務を遂行していく忠実さは、
かれていないものの、中薗の同様の傾向をもつ作品群(自らの
までやってきたのではないだろうか。この作品にははっきり書
経験に題材を求めたもの)を見ると、主人公は「ここではない
「向う側」はただ一方的に眺めるだけのものであった。この「巨
朱隊長は、「紅嶺子」が捕虜の受け渡しを要求し、応じれば
人」とともに「こちら側の世界」、すなわち「満洲国」の理想
ころが現実の「満洲」は、自由な往来ができる理想郷ではなく、
は指導民族だ。わしは、指導者に決定してもらわねばならない」
も日本人であることも捨てて、ボーダーを越えたいという夢想
どこか」を求め、日本を飛び出していることが読みとれる。と
(三二頁)。そして捕虜である「巨人」自身も帰してくれと懇願
攻撃を止めると言っていると「ぼく」に伝える。そして続けて
する。作戦上、捕虜を解放した方が得策であると思いつつ、そ
て行こうとするぼくをも、また押しとどめ、そうはさせぬ力が
が「ぼく」の中にふくらみかける。だが、「そこへ一線を越え
言う。「あんたは、この工作隊でただ一人の日本人だ。日本人
れは屈服であるというような思いもあり、「ぼく」は迷う。だ
然捕虜をなぐりはじめる。「ぼく」は血しぶきをみながら、「自
「ぼく」の言葉を捕虜釈放の拒絶と受け取った朱隊長は、突
ように突如「ぼく」は「いけない!」と叫ぶ。
身内にかすかに動」(三四頁)く。自分自身を引き留めるかの
が、そこに突如として次のような夢想が沸き起こる。
ぼくは、あるいはむしろ、この巨人といっしょに、こちら
というような場面さえも、また一瞬、想い描いていたのだ。
と同一視し、次に殴られるのは自分だという妄想に囚われ、硬
分を卑小な存在と感じ」る。そして、殴られる「巨人」を自ら
側の世界の一切を放棄して、彼らの仲間の中へ入ってゆく
鏡泊湖の湖岸にかいま見たあの渤海国の、一物もとどめず
堅牢にして壮麗きわまる町のように、この世ならぬ人間の
けば暴力的なものに満ちた機構であることを体現しているとい
ためともいえ、「満洲国」の冷徹なメカニズムと、一枚皮をむ
導民族」が望むであろうところを先取りして実行しようとした
朱隊長の行為は、ある種動物的ともいえるが、他方で、「指
直して失禁する。
彼が帰ってゆく場所へ、はるばると行くI・そこには、
荒廃し果てた遺跡が現存のものとして、たとえば、伝説と
不思議な土地があるのかも知れない。そこへ至れば、そこ
空想がアジアの奥深い秘境につくりあげたシャングリラの、
はあの河向うの未知の世界などとも、自由自在に交通し、
えるだろう。だが、そのような朱隊長の行動を引き出してしまっ
こでも暴露されているといえるのである。
く」の描く王道楽士が浮ついた理想にすぎなかったことが、こ
た当の「ぼく」は、むき出しの暴力性に直面して動揺する。「ぼ
往来できる場所であるのかも知れない。(一一一三頁)
「ぼく」が夢見るのはボーダーを越えて自由に行き交いでき
る理想郷であった。だからこそ「ぼく」は日本を出て「満洲」
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王道楽土の夢、「河向う」の幻
やがて夜になり、夜が明ける。「夜明けの色は、変りはじめ
ると、世界はたちまち変ってしまう」(三六頁)と「ぼく」は
感じ、そのことは「ぼく」に自信を与える。夜という異界から
思われたにもかかわらず、ぼくは自分が、もとのままの自分で
はないような気がした」(三七頁)。
そうして再びアヘン密作地に赴いた「ぼく」は、やがて再び
ある夜明けの世界は一瞬一瞬変化していき、「ぼくは緊張と孤
朝という此岸の世界へと移行していくなかで、その間Ⅱ境界に
独とから解放された」(三六頁)と感じる。この部分は、朱隊
に、一人が負傷したにも関わらず自分は生き残ったという事実
が「ぼく」に自信を与え、昂揚感を与える。しかしそこに突然、
ホーリンに帰還し、「巨人」と再会を果たす。仲間の一人が死
自分が捕虜にした「巨人」の足につけられた鎖の音が「ジャラ
長の暴力によって、王道楽土の夢が揺らぎ、自信と世界の自明
したと解釈できる。そして「ぼく」は、「ついに永遠に自由を
性を喪失した「ぼく」が、再び意識を高揚させ、自身を取り戻
奪われたことをさとった」「巨人」(三六頁)を高みから見下す
アウン、ジャラアウン」という、「中世紀的な響き」(一四頁)
てきたのか、という中国語が、「生きて帰ってきたのか?」と
を伴って聞こえてきて、「ぼく」を不安にさせる。捕虜の、帰っ
のである。
「紅嶺子」の攻撃による死の恐怖と、朱隊長によって体現さ
た捕虜を見、そこで「今度こそ確実に魅入られた」(’六頁)
聞こえる。「ぼく」は自分の行為の結果である足抓をつけられ
れた「満洲国」のむき出しの暴力性とにさらされ、「ぼく」の
世界は死と暴力と隣り合わせのものにいったん変化した。その
る」(三六頁)。この経験は「濃紺から群青へ、群青から藍色へ、
吉林省長春市)まで帰って、ロシア料理を食べたいと思う。「ぼ
く」は無意味だと感じ、「満洲国」の首都である「新京」(現・
その夜、ねぎらいの宴が催される。この「生還祝い」を「ぼ
と感じる。
世界は「夜」として意識される。しかし、夜は明ける。「もは
藍から青へとうつり変ってゆく」(三六頁)というように、色
く」は「新京」にいる「満露混血の娘」を、「国境そのものを
や明けることもあるまいとさえ思われた夜が、明けたのであ
春」を、この色彩と同様、「とどまること」なく変化していく
彩のたえまない変化とともに描写され、「ぼく」は自らの「青
の適切な表現を得たものであるかのように美しかった」(三八
頁)と回想しつつ、なにげなく蓄音機をかける。すると、ロシ
無力化しようとする人間の、積極的な願いと営みとが、ひとつ
ア音楽が流れだし、ロシアの文字や言葉、「合唱」といった、
ものであると意識する。この箇所は、死と再生というイニシエー
ており、不安定なマージナル・マンである「ぼく」の変容を意
理解できない文字・言葉があふれだす。「意味をとれぬことは
ションを通して、少年が子供から大人に変っていくことを表し
でもなく、この世界はたしかに完全にもとのものにかえったと
味している。「ぼく自身の四肢に力は再び充実し、もはや孤独
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に別種の自由」(四○頁)がある、と気づくのである。
楽は「河向う」のパノラマにこそふさわしい、と感じる。「河
のがさず聞きとろうとつとめ」(三九頁)る。そして、その音
分かっていたにもかかわらず、その、ある異質な世界の情感を
実際、夢想を現実のものとし、現実を夢想の中にたぐり込
その河の貌は、そのまま、当時のぼくの姿だったのである。
る歓びの喚声を聞いた。〈自由蛇行〉と地理学上呼ばれる、
る夜の帳を、全身で身もだえし、うちならして応ずる、あ
のように思われたのだ。〔中略〕ぼくは、遠くから層々た
「ぼく」は、蛇行するウスリーを眺めながら、そこに「自由」
うとする、若者の姿だったのである。二○頁)
み、解き放とうとする、そういういわば自由な行動人たろ
向う」には自由がないと信じていた「ぼく」は、ここで「向う
だが、ここで朱隊長が現れてレコードを止め、「ぼく」の夢
想を中断させる。そして、捕虜について次のように述べる。た
を見出す。そして、自身の姿をそこに重ね合わせる。同時にウ
だの「紅嶺子」ではなく、共産党であれば、「ぼく」も報償が
…ジャラァウン……」という鎖の音が幻聴のように響いてきて、
もらえるだろう、と。ちょうどそのとき再び「ジャラアウン…
たを象徴してもいる。「夢想を現実のものとし、現実を夢想の
ちら側」と「向う側」の境界を坊復う、「ぼく」の生のありか
スリーは、「満洲」とソ連との国境を流れる境界でもあって、「こ
解き放てば捕虜の男は「河向うへやがて帰ってゆくに相違な
「ぼく」は捕虜を解き放つことを決意する。
い」(四二頁)。「ぼく」は絶対に男を解き放たねばならないと
一方で自らの思想を抽象的な形でしか把握できない「ぼく」の
中にたぐり込み、解き放」っというのは抽象的な表現であり、
ありようを示している。しかし他方で、自由を求め、夢のよう
思う。「なぜならぼくは、彼の中に、あの骨肉の亡霊につなが
「ぼく」は捕虜に自分自身を投影し、男を放つことで自らをも
な理想を持つ少年である「ぼく」の、現実世界との関わり方を
れた、ぼく自身の分身を発見していた」(四二頁)からである。
自由にし、境界の「向う側」へと渡っていくことを夢見るので
ている(されつつある)と信じようとしている。知りたくない
理念である五族協和に重ね合わせ、王道楽士がそこに実現され
表してもいるのである。「ぼく」は自らの理想を、「満洲国」の
現実は見ないようにし、正当化もするようになっている。しか
そして数日が経ち、いよいよ実行の日をむかえる(小説の構
ある。
を見つつ、「ぼく」はベッドから抜け出す。そして窓の外の闇
成では、冒頭部分に置かれている)。酔って眠りこける朱隊長
し、その欺臓や虚偽を否応なしにつきつけられ、再び境界の向
ようを象徴的に示しているともいえるだろう。先ほど見たよう
スリーは、一七歳という、子供と大人の境界にいる若者のあり
こうへと想いを馳せるようになるのである。また、ここでのウ
の中にウスリーを幻視する。
それ〔ウスリー……引用者註〕はちょうど、自分自身の、
若い、弾力性のある四肢の中に棲む、自由な一匹のケモノ
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王道楽士の夢、「河向う」の幻
しているといえよう。
く」が境界線上に立っているマージナルな存在であることを示
そのものに自らの姿を二重写しにして表現しているのは、「ぼ
いるマージナル・マンであるといえる。ウスリー河という境界
に、「ぼく」は一七歳という不安定で形の変わりやすい時期に
一文で締めくくられている。
育ちはじめたのも、それ以来のことである」(四六頁)という
中に、ある不暹な意志がかなり明確に芽生え、静かに、秘密に
な決別であると解釈できる。「密作者」は「そして、ぼくの胸
で抱いていた「満洲国」に対するアイデンティティへの決定的
な歓喜を感じ」る。「ぼく」は「ぼく自身がどこかへ逃亡する
たしかめえた自由と呼べるものに相対して、ある爆発するよう
こうして「ぼく」は、「巨人」を解き放った。「自分の掌中に
の人物、とりわけ朱隊長との関係によって少年期の「ぼく」が
られた作品である。そして、そこではさまざまな境界や、二人
想と現実、日本と中国の関係という問題が絡み合って作り上げ
いうことができる。そのテーマに、「満洲国」Ⅱ王道楽土の理
以上みてきたように、本作「密作者」は境界をめぐる物語と
むすびにかえて
かのよう」(四四頁)な興奮と高揚を覚える。だが、「ぼく」の
快感といったようなものを、ハッキリみとめた」(四五頁)刹
由を見出して、境界を越えることに憧れを持つようになる。し
界の向こう(「河向う」)に〈ここではないどこか〉における自
似た想念が、いくつかの経験を境に揺らぐ。それとともに、境
境界のこちら側に理想が実現されつつあるという、信仰にも
変容し、成長していくざまが描かれる。
予定とは異なり、「縫靭系」の警察官が駆けつけ、捕虜を逃が
したと知るや「ぼく」に銃を向ける。「ぼく」が、今まで「ぼ
那、朱隊長が警察官を射殺し、「ぼく」を助ける。朱隊長は「馬
く」に従ってきた警察官の、「いわれなく根深い憎悪、復讐の
鹿なことをしたもんだ」(四五頁)と言い、「ぼく」との短い問
の禁固刑に処せられてしまったという報を聞く。「ぼく」は「胸
い結果を招来するのである。この境界は、侵略者・抑圧者の側
た「捕虜」に自分を投影し、代理的に越えさせることさえ、苦
「こちら側」に所属する者は決して越えることができない。ま
かし、境界は「向う側」にいる者には越えることができても、
を快られ」、自分自身が「悪意ある旅行者、もしくは道化役者
に否応なしに属している者には越えることが不可能なものとし
一年後、「ぼく」は朱隊長が警察官殺しの罪を問われ、十年
答のあと、大声で笑うのであった。
にしかすぎ」(四六頁)ないと思う。これは結局のところ、「満
て存在している。
こうした認識は、やがて、侵略者と被侵略者との間に友情は
洲国」という王道楽土も、そこに夢や理想を抱いている日本人
も、「悪意ある旅行者」「道化役者」でしかないという、それま
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ながっていく。これらの問題は、中薗の戦後のデビュー作「烙
可能なのか、人間的なつながりは可能なのか、という問題につ
○九年六月)参照。また、六歳年下の井上光晴との比較研究
験〉と〈傷痕〉I石上玄一郎論覚書」(『論潮」第二号、二○
も指摘できよう。石上の中国体験については拙稿「〈戦争体
評社版『坊復のとき』巻末の自作年譜に一九四二年とあるが
(2)「第一回公演」は一九四四年、第一回北支那文化賞受賞。批
も有効であろうと思われる。
印」において問われた問題であり、その後も彼の一生涯をかけ
て問い続けられたものであった。「密作者」における境界の向
こうとこちら、境界を越えることの不可能性といった問題は、
(立石前掲書、二○頁参照)。選者は林房雄等。初出誌は「北
間違いであり、立石伯が中薗に聞き取りをし、訂正している
少年のピルドゥングスロマンとして描かれているために、ある
程度答えが提出されていると思われる。しかし、「烙印」で問
支那」一九四四年一、二月。現在では田中益一一一によって「朱
われた問題は、どのような明確な解答もできない難問であり、
(、〉
中薗は繰り返し問い続け、語り続けたといえる。こうした中薗
夏』(第一五号、二○○○年一○月)に再録されており、容
号収録の中薗英助「精神の残留孤児」、M・Tによる編集日
易に入手が可能である。収録の経緯については、『朱夏」同
の営為については、〈7後さらに検討してみたい。
なお、この論文は立石伯の中薗論に多大な影響を受けている。
、-〆
なお、立石伯作成年譜s北京飯店旧館にて」講談社文芸
記(田中益三であると推定される)等に記されている。
文庫、二○○七年一月)等によれば、中薗は「第一回公演」
「烙印」はさらにそれを改稿したものである。「城壁」は未見。
を「城壁」s東亜新報」一九四四年)として改稿しており、
『ンンバルをうち鳴らせ』「北京飯店旧館にて」等のいわゆる
純文学的作品の他に、「密書」をはじめとする国際スパイ小
(3)中薗は、本稿で扱う『祐復のとき』や『侮蔑のとき』『夜よ
語に従う。立石伯は、『北京の光芒・中薗英助の世界」(オリ
説や、評伝、ルポルタージュ等、実に多彩なジャンルの作品
「戦後派」は、日本の第二次世界大戦後に現れた新しい若者
ジン出版センター、一九九八年三月)の中で、武田泰淳や竹
○’一四頁)において、中薗作品を概観し、分類を行ってい
を残した。立石伯は前掲『北京の光芒・中薗英助の世界」(一
(4)「紡僅のとき」には二つの版がある。中薗の最初の単行本で
る。
内好と比較しつつ考察を行っており、また堀田善衛との類似
を避けてマイノリティと交流し続けた石上玄一郎との共通性
ニズムとの関わりでいえば、戦時中に上海に居住し、日本人
点についても言及している。ナショナリズムやコスモポリタ
という意味で用いられることもあるが、ここでは文学史の用
立石伯こと堀江拓充先生に深く感謝の意を表しつつ、掴筆とし
たい。
丁注
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王道楽士の夢、「河向う」の幻
評社版「定本坊僅のとき中薗英助・初期中国連作小説
ある森脇文庫版『坊復のとき」(一九五七年一二月)と、批
に関して述べた部分であり、『祐復のとき』では「黒い自由」
七頁。この言葉は、中薗が繰り返しモデルにしてきた陸柏年
(5)『過ぎ去らぬ時代忘れえぬ友」岩波書店、二○○二年六月、
この言葉は「坊復のとき」全体についても該当していると言
「烙印」に、陸をモデルとした人物が登場している。だが、
集」(一九九三年一月)とである。
ちなみに、森脇文庫版と批評社版では収録作品、及び収録
えるだろう。
ている。。語でいえばどのように生きるべきかという根源
(6)立石伯は前掲書の中で、「密作者」について次のように述べ
「密作者」、2「風土の虜囚」、3「黒い自由」「烙印」「目撃
順序に異同がある。森脇文庫版は三部構成になっている。1
者」、「あとがき」、埴谷雄高「中薗英助のこと」(のち『埴谷
二○八頁)。本稿は、立石諭を前提としつつ、境界・ボーダー
的な生の根拠の模索が、〈自由〉をめぐって展開されている」
雄高全集』第四巻、講談社、一九九八年九月、収録)。批評
社版は以下の通りである。「密作者」「風土の虜囚」「日本人
という観点から考察してみたい。
嫌い」「黒い自由」「不在」「目撃者」「烙印」、旧版あとがき、
埴谷雄高「中薗英助のこと」、立石伯「ある季節と城」(のち
ある。「満洲協和学院」は、五族協和を連想させる記号とし
(7)年譜によれば、中薗が実際に通っていたのは「康和学院」で
て用いられているといえよう。「坊復のとき」は、しばしば
『北京の光芒・中薗英助の世界」収録)、中薗英助「定本への
らに森脇文庫版と批評社版では、細かい字句の訂正に加え、
の中国に対する罪悪感が読み取れる。
「ぼく」を、やや露悪的に描いているが、この部分にも作者
あとがき」、自作年譜、初出一覧。初出誌と森脇文庫版、さ
作品によっては大幅な改稿も見られる。「密作者」には大幅
手しやすいものは、「さらわれたデービッド」(福音館書店、
(8)原題罰目負目員。日本語訳のタイトルは複数あるが、現在入
もしくは重要な改稿がないため、本稿では触れない。
なお、批評社版の初出一覧には誤りがあるため、それを補
う意味でもそれぞれの初出誌を以下にあげる。「密作者」『近
一九七二年四月)。
作曲、阿部武雄。「ぼく」が歌う歌詞と異同があるため、参
(9)一九三四年。東海林太郎が歌いヒットした。作詞、大木惇夫、
代文学』第一二巻第三号、’九五七年五月。「風土の虜囚」『中
央評論』第三九号、一九五五年六月、及び第四○号、同年九
|つ山越しや他国の星が/凍りつくよな国境/2故郷
「1橇の鈴さえ寂しく響く/雪の礦野よ町の灯よ/
考までに歌詞全文をあげておく。
月。「日本人嫌い」『新日本文学」第一七巻第六号、一九六二
年六月。「黒い自由」「近代文学」第五巻第六号、’九五○年
六月。「不在」『近代文学』第六巻第八号、’九五一年一二月。
はなれてはるばる千里/なんで想いが届こうぞ/遠きあ
えすぽわIる
『近代文学」第五巻第二号、’九五○年二月。
「目撃者」『希望』第二巻第二号、’九五一二年一○月。「烙印」
日本文學誌要第85号
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Hosei University Repository
の空つくづく眺め/男泣きする宵もある/3行方知ら
ないさすらい暮し/空も灰色また吹雪/想いばかりが
「ぼく」が歌っていた歌詞は以下。「故郷ハナレテ、ハルバ
ただただ燃えて/君と逢うのはいつの日ぞ」
ル千里……ナンデコノ身ガ悲力ロ/ヒトッ山越シャ他国ノ星
「ぼく」は、「国境の町」の一番と二番の歌詞を混ぜ、さら
ガ」二六’一七頁)
に「なんで想いが届こうぞ」の部分を、北原白秋の「邪宗門』
「空に真赤な」の一節「なんでこの身が悲しかろ。」に差し換
えて歌っている。もとの歌詞にある異郷の地における寂しさ、
への憧れを歌ったものへと変えられているといえるだろう。
気候の過酷さが捨象され、広がる大地の雄大さや、「河向う」
(Ⅲ)「巨人」は、「ぼく」の観察によれば、スラブ系のロシア人で
の出らしく」、ロシア人に比べて「ぼくたちに近い目鼻立ち
はなく、「アルメニア、あるいはアララート呼ばれる」「種族
ており、「巨人」はソ連におけるマイノリティであるといえ
や皮膚の色をしてい」る。アルメニアはソ連の西端に位置し
る。つまり、「ぼく」が「巨人」を「河向う」の象徴として
見る見方は、ここでも矛盾をきたしているのである。
(、)こうした問題に関しては、立石伯が前掲書の中で、「北京ク
ンバルをうち鳴らせ』『北京飯店旧館にて』『北京の貝殻』
インテット」(二二一頁)と名付けた「坊僅のとき」「夜ょシ
「帰燕」等の分析を通して論じている。また、「烙印」につい
ては、ナショナリズムとコスモポリタニズムに着目しつつ論
じた、拙稿「対話と友情の不可能性l中薗英助「烙印ヒヨ群
系』第二七号、二○一一年七月)参照。
(とつかあきこ・二○○八年度博士後期課程修了)
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