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上加茂織之概念(青田五良著)の考察 ―挿入織物、平織着尺

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上加茂織之概念(青田五良著)の考察 ―挿入織物、平織着尺
上加茂織之概念(青田五良著)の考察
―挿入織物、平織着尺を再現する―
平 成 15 年 度 放 送 大 学 卒 業 研 究
吉田美保子
序章・・・研究の意図とねらい
手元に一冊の本がある。
「 上 加 茂 織 之 概 念 」と い う タ イ ト ル の 古 ぼ け た 薄 い
和 装 本 だ 。昭 和 9 年 の 発 刊 で 、著 者 は 青 田 五 良( あ お た ご ろ う )。内 容 は 染 織
の技法書、また思想書といってもいいだろう。青田五良は初めて思想をもっ
て染織をした人物とされている。もちろん彼以前にも、産地などでは染織を
生業とした人はあまたいただろうし、各家々でも女性が家族の衣服を織った
り、それを売って現金化したりするということは普通に行なわれていただろ
う。しかし確固たる意志を持ち、独自の視点から染織を志した人物はいなか
ったのではないだろうか。青田五良は現在では忘れ去られた存在となってし
ま っ て い る が 、 染 織 家 の パ イ オ ニ ア と い え る 人 物 な の で あ る 。 こ の 本 は 青 田 の 37 歳 と い う 早 過 ぎ る 死 の 前 年 に 発 刊 さ れ て い る 。 わ ず か
4 0 ペ ー ジ の 小 冊 子 だ が 、 青 田 五 良 の 集 大 成 と い っ て よ い だ ろ う 。「 織 物 」「 正
し い 織 物 」「 染 色 」「 撚 」「 糸 」「 織 」「 後 記 」 の 七 項 目 か ら な り 、 青 田 の 研 究 と
その成果、思想が詰まっている。中扉に一片の織物が貼付されており、懇切
な解説も載っている。この織物は青田の脂の乗りきった時期に織られたもの
であり、青田が織った布の実物がほとんど存在しない今、直接手に取れると
い う 点 で も 大 変 貴 重 で あ る 。 青田五良は昭和の染織界に大きな石を投じながら、これまで研究されるこ
とがほとんどなかった。特に糸を染め、機にかけ、織物を織る作業そのもの
に つ い て は 全 く と い っ て い い ほ ど 文 献 が な い( 調 べ た 範 囲 で は 皆 無 )。青 田 の
名前が染織史に残っていないのは、彼が早世したこととゆがんだ人間関係か
ら意図的に抹殺されたといわれている。しかし青田以後の染織家は青田が残
1
してくれた思想や姿勢の後ろ姿を見ながら追いかけ、それぞれにステップア
ッ プ し て き た と い っ て も 過 言 で は な い だ ろ う 。青 田 自 身 「
、まだこの道は暗く、
人 の か よ わ ぬ 道 だ が 、い ず れ は 誰 か が 歩 い て く る だ ろ う 。 私 は そ の 踏 台 に な
る 」 と 言 っ て い た と い う 。 私は駆け出しの染織家の立場から、この上加茂織之概念に貼付されている
布を再現してみたいと思った。青田の解説どおりの、なるべく近い糸を調達
し、精練し、その糸を青田のやり方で染め、青田がデザインしたであろう配
色 で 織 機 に 掛 け 、着 尺 を 一 反 織 り 、一 枚 の 布 を 再 現 す る 。そ の こ と に よ っ て 、
渾身の力で染織に取り組んだ青田五良の思想や姿勢を少しでも理解したい。
以 上 を 目 標 と し て 、 彼 の 織 物 の 軌 跡 を た ど る こ と に し た 。 「 上 加 茂 織 之 概 念 」 表 紙 2
挿 入 織 物 第一章・・・青田五良と上加茂織之概念
1.青 田 五 良 の 人 物 像
青 田 五 良 は 明 治 3 1 年( 1 8 9 8 )神 戸 に 生 ま れ 、同 志 社 大 学 を 卒 業 し 、同 中 学
で歴史と経済の教師をしていた。当時としては相当の高給取りだった。大学
在学中から素朴に織られた布に並々ならぬ興味を持ち、丹波布や屑糸織を農
村まで出向き習得した。それまで染織作品といえば上層階級のために作られ
るものであり、山間の農民が実用のために織っていたものなど、美の範疇に
入れるべくもなかった。その中に潜む美しさを見てしまった青田は、職を辞
し 、 染 織 の 道 に 我 を さ さ げ 尽 く す こ と に な る 。 関東大震災の後東京から京都に移住してきた柳宗悦が、昭和 2 年に一種の
ギルドといえる民芸運動実践集団「上加茂民藝協団」を起こす。この協団は
柳が民芸精神実践の場を夢見て作ったもので、青田と後に人間国宝となる木
工の黒田辰秋が中心メンバー。同志社の学生で染織志望の鈴木実、青田の弟
で 金 工 を し て い た 青 田 七 良 も 参 加 し た 。当 時 青 田 は 2 9 歳 。彼 ら は 東 京 上 野 で
開かれた「御大礼記念国産振興博覧会」に出品したり、京都大毎会館で「日
本 民 芸 品 作 品 展 覧 会 」 を 開 く な ど 目 覚 し い 足 跡 を 残 し た 。 しかしこの協団はわずか 2 年半の活動後突然解散してしまう。その原因は
青田と指導者柳の折り合いの悪さだったと聞いている。英国紳士型の柳は奔
放 な 青 田 の 態 度 が 許 せ な か っ た ら し い 。 青田はその後民芸を離れ独自に「上加茂染織協団」を設立、自ら制作した
作品を「上加茂織」と名づけ研究と制作に没頭する。青田は「おれは染織界
のゴッホや」と言っていたという。板画家の棟方志功がそう発するずっと前
の 話 だ 。 極 限 に ま で 精 神 を 駆 り 立 て 創 作 の 世 界 に 没 頭 し て い た の だ ろ う 。 肺 を 冒 さ れ 、 昭 和 10 年 ( 1935) 11 月 25 日 に 37 才 と い う 若 さ で 苦 難 の う
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ち に 他 界 し た 。 2.時 代 背 景
この「上加茂織之概念」が書かれた昭和 9 年というのは、第一次世界大戦
後の好景気で世相的には明るさがある一方、日米開戦に向けて軍部が台頭し
だす不穏な空気が漂い始めた頃といえる。明治維新から続く工業化で染織界
で も だ ん だ ん と 大 量 生 産 化 が 進 み 、 そ れ が 行 き 渡 っ て き た 頃 だ 。 製糸は明治から大正期に日本の基幹産業となり大いに機械化が進んだ。製
織はフランスなどからジャガード機が導入され、それまでの手織の数倍の速
さで織れるようになった。また染めは天然染料から人造染料に代わり、自動
捺 染 機 等 も 導 入 さ れ て い る 。 女性たちに一番着られていたのは、上記の技術革新を持って、大量に安価
に作られていた大胆な色柄の絹織物「銘仙」であった。一般庶民の衣生活に
や っ と あ る 程 度 の 自 由 が も た ら さ れ た 頃 と い え る 。 また身分の平等化を受け、富裕層の人口も広がり、主に儀礼用の着物が高
級化したのも、明治から昭和初期の特徴である。現代でも高級織物の老舗と
して有名な「龍村」の龍村平蔵が活躍したのもこの頃であるし、綴れ織で有
名 な「 川 島 」の 二 代 目 川 島 甚 兵 衛( 1910 没 )の 影 響 も 色 濃 く 残 っ て い た だ ろ
う 。 一方、柳宗悦が提唱した「民芸」の考え方も盛んになり、追随者が現れ、
さまざまな取り組みがなされたのもこの頃だ。染織関係だけに注目しても、
宗悦の甥の柳悦孝、上村六郎、岡村吉右衛門等が黄八丈や丹波布についての
あきら
貴 重 な 研 究 を 残 し て い る 。ま た 草 木 染 め の 命 名 者 山 崎 斌 が 活 躍 し 始 め た の も
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この頃であるし、信州で紬を織る事が盛んになり始めたのもこの頃だ。信州
紬 は 後 の 民 芸 ブ ー ム で 注 目 を 集 め て い る 。 世の中の流れとしては、殖産興業で大量生産に目が向いていた中、人々の
嗜好が多様化し、染織の幅が広がってきた。またそれが許された短い時代だ
ともいえるかもしれない。一部ではきらびやかな装いをする層が広がり、ま
たごく少数の人間の間でではあるが、生活の中で素朴に作られていたものに
光 が あ て ら れ は じ め た 。 3.上 加 茂 織 に つ い て
青 田 五 良 は 、「 上 加 茂 織 之 概 念 」 で 、 開 口 一 番 、「 織 物 は 布 を 作 る こ と で
は な い 」( 1 頁 )( * 太 字 で 示 す 引 用 は 「 上 加 茂 織 之 概 念 」 よ り の 抜 粋 、 頁 数
は同書でのページ)といっている。それは単なる布と青田の上加茂織を明確
に 差 別 化 し て い る 。 上加茂織というのは、青田が京都の上加茂の地において、植物染料を用い
て 絹 、麻 、木 綿 を 染 め 、手 機 織 で 織 っ た 織 物 と い う 以 外 に く く り よ う が な い 。
織り方は一番単純な経糸緯糸が一本ずつ交互に交差する平織から、複雑なも
の で 吉 野 間 道 と い わ れ る も の ま で 織 っ て い た 。 一 般 に「 ○ ○ 織 」
「 ○ ○ 紬 」と 言 う と 、そ れ は 特 定 産 地 の 特 定 素 材 、特 定 の
織り方の織物をさす。しかし上加茂織は素材、技法等を特定せず、ただ青田
いうところの「正しい織物」の条件をクリアした織物といえる。青田はその
条 件 と し て 以 下 の 5 項 目 を 挙 げ て い る 。 1 . 織 物 の 経 、 緯 が 等 し い 強 さ を 持 っ て い る こ と 。 2 . 完 全 な 糸 で 織 る こ と 。 5
3 . 織 物 の 目 の 荒 さ の 正 し い こ と 。 4.組 織 に よ っ て 味 、重 み 、柔 ら か さ 等 を 出 さ な い こ と 。糸 は 元 来 の 性 質
が 柔 ら か け れ ば そ の 外 見 も 柔 ら か い も の が 出 来 、味 の あ る も の が 出 来
る も の で あ る 。 5 . 廉 物 を 作 る 為 に 原 料 を 出 来 る 限 り 少 な く 用 い よ う と し て 、細 い 糸 に 糊
をたくさんつけて太くするなど、外見だけ立派にしたりしないこと。
( 5 ~ 7 頁 ) 非 常 に 基 本 的 な こ と と も い え る し 、究 極 的 に 難 し い こ と と も い え る と 思 う 。
こ こ に 青 田 が 理 想 と す る 織 物 像 が 表 れ て い る 。 4.上 加 茂 織 之 概 念 と い う 本 に つ い て
こ の 本 は わ ず か 4 0 ペ ー ジ の 和 装 本 で 、「 港 屋 染 織 叢 書 」 と い う シ リ ー ズ の
「 巻 之 弐 」 と な っ て い る 。 昭 和 9 年 9 月 29 日 刊 、 そ の 半 年 後 昭 和 10 年 3 月
20 日 に 重 版 さ れ て い る 。 し か し そ の 部 数 は 不 明 。 売 価 は 40 銭 。 発 行 所 は 東
京 銀 座 の 「 港 屋 」 と あ り 、 発 行 者 は 「 佐 藤 進 三 」 で あ る 。 「港屋染織叢書」というシリーズの他の巻をあちこちの図書館や資料館で
ざざんざつむぎ
探してみたのだが、巻壱の「颯々紬」のみ見つかった。裏表紙にある予告に
は巻七までが予定されているのだが、三~七の巻は出版されなかった可能性
も あ る 。 ざざんざつむぎ
「 港 屋 」 と 言 う の は 、 銀 座 数 寄 屋 橋 公 園 の 隣 に 所 在 し て い た が 、「 颯 々 紬 」
の裏表紙の宣伝文句から、出版社ではなく、工芸店であった可能性も予想さ
れ る 。 も し そ う な ら 青 田 の 織 物 が 扱 わ れ て い た 可 能 性 も 大 い に あ る 。 「 佐 藤 進 三 」 と 言 う 人 物 は 、 昭 和 30 年 代 か ら 40 年 代 に 焼 き 物 に つ い て の
解説書を大手出版社から数冊出している。工芸品の目利き的な人物だったの
6
か も 知 れ な い 。 5.青 田 五 良 の 織 作 品
青田の織作品はこの上加茂織之概念に貼付されているもの以外は本当にわ
ずかしか実在せず、なかなか目にすることができない。織物は消耗品である
こ と と 、 青 田 が 世 に 知 ら れ る こ と な く 逝 っ て し ま っ た 事 が 原 因 だ ろ う 。 知る限りでは京都の大山崎山荘美術館に数点所蔵されていているのと、そ
れ以外には個人蔵の物がわずかに存在するのみである。大山崎山荘美術館の
収蔵物と和田實氏蔵の織片を拝見させていただいたことがあるが、そこには
伝 統 の 踏 襲 で な い 、自 由 な 、そ れ で い て 隅 々 ま で 意 識 の 届 い た 作 品 が あ っ た 。
織 作 品 全 体 と し て の 躍 動 感 の よ う な も の が 、7 0 年 近 い 年 月 を 超 え て 見 る 者 に
迫 っ て く る 。 紬 着 尺 ク ッ シ ョ ン 紬 着 尺 ( 以 上 3 点 の 写 真 は 、 大 山 崎 山 荘 美 術 館 蔵 、 青 田 五 良 織 作 品 ) しかし青田の作品は、当時世間での評判は芳しくなかったようだ。多分そ
れまでの織物の常識を大きく超えていたのだろう。それまでの織物とは、大
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きく分ければ、西陣に代表されるきらびやかな装飾としての織物か、もしく
は実用のための衣料品であったといっていいだろう。だから世間一般の理解
の範疇を超えてしまい、
「 な ん や 変 わ っ た 織 物 だ な あ 」と か「 ボ ロ 裂 み た い だ 」
とか酷評されたそうだ。知り合いの芸者は「こんなもん、とても着られまへ
ん」と言ったという。しかも青田の織物は値段が高く一般の人には手が出な
か っ た そ う だ 。 女 優 の 入 江 た か 子 ( 1911~ 1995) が マ フ ラ ー を 買 っ た と 資 料
に あ る 。 6.藤 井 大 丸 で の 展 示 会
青田は昭和4年に上加茂民芸協団が解散した後、独自に研鑚を積み、京都
四条寺町の藤井大丸デパートで展示会を催し、その成果を発表した。同志社
出身の永久義郎という人がスポンサーだったようだ。しかし「まるでドンゴ
ロ ス の よ う だ 」と 酷 評 さ れ 帯 一 点 し か 売 れ な か っ た 。そ の 一 点 を 買 っ た の は 、
民芸コレクターの菅吉暉。女性が自分の身を飾るために買ったのでなく、ま
た一般の男性がパートナーや娘のために買ったのでもなく、コレクターが買
い 求 め た と こ ろ が 注 目 さ れ る 。 ちなみに藤井大丸は現在でも当地に若い女性向けのファッショナブルなシ
ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー と し て 存 在 す る 。 今回できるだけ多くの上加茂織之概念の本を見たいと探し、都合 6 冊の冊
子を見ることができた。その半数が表紙の左隅に「東京銀座港屋」と発行所
の名前が印刷されている。残りの半数は「藤井大丸」とデパート名が印刷さ
れ て い る 。 内 容 は 全 く 同 じ で あ る 。 このことによりこの本が、昭和 9 年頃、藤井大丸で上加茂染織協団の作品
展 を 開 い た の に 合 わ せ 、 刊 行 さ れ た と 想 像 さ れ る 。 8
第ニ章・・・貼付布の織物設計
それでは次に実際に貼付布を考察し、再現織物の設計に移りたい。織物設
計とは、織る布を計画しデザインすることである。糸の選択、その密度、織
幅、縞割等を決めることである。長さの単位は青田が使っていた鯨尺(1 寸
≒ 3 . 8 c m )を 用 い る 。重 さ や 容 量 も 上 加 茂 織 之 概 念 に あ る 通 り「 斤 」
( ≒ 6 0 0 g )、
升 ( ≒ 1 . 8 L ) を 用 い る 。 1.青 田 の 設 計 ― 挿 入 織 物 解 説 よ り ―
貼付布には懇切な解説が付いている。また本文にも各項目に技法が書かれ
ている。基本的にはそれをその
まま再現していくが、書かれて
いない部分、資料がない部分、
現代では容易に再現できない部
分は、想像に基づきなるべく近
くなるように作業していくこと
に す る 。 挿 入 織 物 解 説 平 織 着 尺 ( 中 表 紙 裏 ) 9
貼 付 さ れ て い る 布 の 大 き さ は わ ず か 、1 寸 5 分( 6cm)×2 寸( 7.5c m )の
大きさである。解説にこの織物は着尺であると書かれているから、幅は 1 尺
弱 ( 3 8 c m )、 長 さ は 3 丈 ( 1 1 . 4 m ) あ る は ず で 、 縞 の 入 れ 方 な ど 、 一 冊 の 貼 付
布からは全体像がつかめない。単純で規則的な縞ではない、相当自由な縞割
をしていたと推察される。青田の興味から丹波布からの影響を受けていただ
ろ う と も 考 え ら れ る 。 2.6 冊 の 織 片 を 見 比 べ る
たていと
よこいと
かばちゃ
貼 付 布 に 実 際 に 使 わ れ て い る の は 、経 糸 も 緯 糸 も 、メ イ ン と な る 地 色 が 樺 茶 、
き が ら ち ゃ
あ お み る ち ゃ
筋に入る縞糸が黄柄茶と藍海松茶の三色である。この三色を青田はどういう
順番で並べたのだろうか。一冊の貼付布からは計り知れないので、この本を
持っている方をあたり、見せていただいて、青田が織った布の縞割を考える
参 考 と し た 。 糸は経緯とも同じ絹糸を使ったと解説にあるが、織縮率を上げるために再
現 布 で は 緯 糸 に 追 い 撚 り を か け た 。 こ の こ と に つ い て は 第 三 章 で 述 べ る 。 結局 6 冊の「上加茂織之概念」を見ることができた。それぞれの織片の経
と 緯 の 3 色 の 糸 の 本 数 、寸 間 の 密 度 を 数 え た 。 似 て は い る が 全 て が 違 う 。便 宜
上 、 見 た 順 に A,B,C,D,E,F と す る 。 色 名 は 樺 茶 を 樺 、 黄 柄 茶 を 黄 、 藍 海 松 茶
を 藍 と 略 す 。 10
A . 吉 田 美 保 子 蔵 B . 吉 田 孝 次 郎 氏 蔵 D . 和 田 實 氏 蔵 ( 1 ) C . 京 都 府 立 総 合 資 料 館 蔵 11
E . 和 田 實 氏 蔵 ( 2 ) F . 東 京 都 立 中 央 図 書 館 蔵 A . 吉 田 所 蔵 版 この本は 3 年ほど前に私が、和田實氏から拝領したものである。私が青田
五良を知るきっかけとなった意義深い本だ。貼付布は染も織もしっかりとし
て お り 、 一 分 の す き も 無 く 、 食 い 入 る よ う に 見 て 目 が 離 せ な い 。 経 糸 の 縞 割 は 左 か ら 、黄 2 、 樺 1 2 、 藍 6 、 樺 1 2 、 黄 8 、 樺 4 、 黄 8 、 樺 2 4 、 藍 1 2 、 樺
12、黄 16、樺 12。 密 度 は 一 寸 間 に 88 本 で あ る 。 緯 糸 は 、 下 か ら 樺 11、黄 4、樺
4 、 黄 2 、 樺 5 4 、 藍 4 、 樺 4 3 で あ る 。 密 度 は 6 2 本 / 寸 で あ る 。 なお、緯糸の上端と下端の数はその次の色がどこで入るか分からないので
不確定であるが、各色の割合を出す参考とする。しかし経糸の場合はその縞
割が非常に重要なため不確定な左右を除いて考察する。耳糸の場合はこの限
りではない。いえることは不確定な部分を除くと経も緯も全てが偶数本とい
うことである。
12
B . 吉 田 孝 次 郎 氏 所 蔵 版 京都の無名舎主宰の吉田氏に拝見させていただいた。この分には左側に耳
(端の糸)があった。耳糸は 2 本取りだった。また緯糸の藍海松茶は 2 本取
りだった。全体的に糸はAより幾分太いように感じた。特に黄柄茶の糸が太
く 黄 色 が 目 に 付 く 一 片 だ 。 経 の 縞 割 は 左 か ら 、 藍 10( 耳 糸 、2 本 引 き 揃 え ) 、黄 8、樺 4、黄 8、樺 12、藍
6、樺 12、黄 8、樺 4、黄 16、樺 24、藍 12。密 度 は 91 本 /寸 。緯 は 下 か ら 、黄 4、樺
5 6 、 藍 4 ( 2 本 引 き 揃 え ) 、 樺 4 6 、 黄 6 、 樺 4 2 。 緯 密 度 は 、 7 4 本 / 寸 。 C . 京 都 府 立 総 合 資 料 館 所 蔵 版 緯の藍海松色が二本取りという点でBと似ている。緯糸は二ヶ所で、2 越
し ま た は 4 越 し で 細 か く 色 を 変 え て い る 。(「 1 越 し 」 と は 緯 糸 を 一 回 入 れ る
こ と で あ る 。 2 越 し で 往 復 一 回 と い う こ と に な る ) 経 は 、藍 6 、 樺 1 2 、 黄 8 、 樺 4 、 黄 8 、 樺 2 4 、 藍 1 2 、 樺 2 4 、 黄 1 6 。密 度 は 9 0 本 / 寸 。
緯 は 、 樺 24、黄 2、樺 4、黄 2、樺 2、黄 2、樺 38、藍 2( 2 本 引 き 揃 え ) 、樺 4、藍 2
( 2 本 引 き 揃 え ) 樺 3 9 。 密 度 は 6 6 本 / 寸 。 D . 和 田 實 氏 所 蔵 版 ( 1 ) 見た中では、一番状態がよく、糸質も揃っていて上物のようだ。織り目も
整っていて美しい。隅々まで意識が行き渡っていて、糸の一本一本までが生
命 力 に 満 ち て い る よ う に 感 じ た 。 目 に 吸 い 付 い て く る 感 じ が す る 。 経 糸 は 右 か ら 、 黄 16、樺 24、藍 12、樺 24、黄 8、樺 4、黄 8、樺 12、藍 6、樺 12。
密 度 は 90 本 /寸 。 緯 は 、 樺 6、黄 2、樺 6、黄 2、樺 4、黄 4、樺 60、藍 4、樺 26。 密
度 は 5 9 本 / 寸 。 13
E . 和 田 實 氏 所 蔵 版 ( 2 ) 和田氏は同書を 2 冊お持ちで、同時に見せていただいたのだが、この 2 冊
は明らかに別の織物という印象を受けた。Dと比べるとEは各段に糸の質が
落ちるし、全体的にボソっとした感じ。織手も違うかも知れない。きりっと
し た 感 じ が し な い 。 経糸の左端が藍海松茶で耳糸なのだが、その隣の黄柄茶が 9 本で奇数であ
る。これまで見てきたところ、経糸の縞割は全て偶数であった。これにより
整経(経糸の長さと順番を揃える作業)の仕方が、往復で 1 回綾を取るやり
方であったと推察される。ここに一ヶ所だけ奇数本の縞が出てくることは奇
妙 な 感 じ を 受 け る 。 また他の資料には見られなかったのだが、経の縞割で樺茶色の本数が 8 本
と い う の が 一 ヶ 所 だ け あ っ た 。( 他 は 全 て 、 4 本 か 1 2 本 か 2 4 本 ) それに緯糸の樺茶と藍海松茶が全て 2 本引き揃えである。黄柄茶のみ 1 本
取りである。藍海松茶が 2 本取りなのはB、C、Fも同様なのだが、地色で
ある樺茶が 2 本取りなのはEのみである。全体的なボソっとした感じはこれ
が 由 来 で も あ ろ う 。 そ の 分 緯 密 度 が 寸 間 5 5 本 と 粗 く な っ て い る 。 経 糸 の 縞 割 は 左 か ら 、藍 8 ( 耳 糸 ) 、 黄 9( 奇 数 )、 樺 4 、 黄 8 、 樺 1 2 、 藍 6 、 樺 1 2 、
黄 8 、 樺 1 6 、 黄 1 6 、 樺 8 、 黄 1 6 、 樺 1 2 。密 度 は 9 0 本 / 寸 。緯 は 、樺 6( 2 本 引 き 揃
え )、 藍 2( 2 本 引 き 揃 え )、 樺 4 6( 2 本 引 き 揃 え )、 黄 4 、 樺 2 0 ( 2 本 引 き 揃 え ) 、
藍 2(2 本 引 き 揃 え )、樺 4(2 本 引 き 揃 え )、藍 2(2 本 引 き 揃 え )、樺 27(2 本 引 き 揃
え ) 。 緯 密 度 5 5 本 / 寸 。 F . 東 京 都 立 中 央 図 書 館 所 蔵 版 きれいにきちんと織られている。右側が耳糸である。表裏をひっくり返せ
14
ば経の縞割がBと同じである。しかしBは耳糸が 2 本引き揃えでありFは一
本取りである。シンメトリーなデザインだったと仮定すれば右端の耳と左端
の 耳 と い う ふ う に も 考 え ら れ る 。 経 の 縞 割 は 右 か ら 、 藍 12、樺 24、黄 16、樺 4、黄 8、樺 12、黄 8、樺 4、黄 8、藍
10(耳 糸 )。 経 密 度 94 本 /寸 。 緯 は 下 か ら 、 樺 15、藍 6(2 本 引 き 揃 え )、樺 54、
黄 2 、 樺 2 、 黄 2 、 樺 4 、 黄 4 、 樺 4 、 黄 6 、 樺 3 5 。 緯 密 度 は 6 8 本 / 寸 。 緯 の 樺 茶 と 黄 柄 茶 を 2 越 し ず つ 変 え て い く と こ ろ が 、 C と 似 て い る 。 6 冊の中ではDが一番織物として整っていて美しく、Eが一番緊張感が感
じられず精彩に欠く。6 冊のどこまでが同じ反物から取った織片か確証は無
いが 3 反以上はあった感触がする。この本が全部で何部発行されたかも資料
が無いが、貼付布の大きさから割り出すと、一反の着尺を丸のまま貼付用に
切 っ た と す る と 9 0 0 片 で き る 計 算 で あ る( 横 に 6 片 、縦 に 1 5 0 片 と す る )。も
し 900 部 以 上 発 行 さ れ た と す る と 、 似 た よ う な も の を 後 か ら 織 っ た こ と に な
り、その分は思うようないい糸が手に入らなかったかもしれない。経糸の密
度 は ほ と ん ど 同 じ だ か ら 、同 じ よ う に 織 物 設 計 し て 作 っ た 別 物 か も し れ な い 。
緯糸の密度はまちまちだがこれは打ち込みの強さの加減や、糸の太さ、一本
取 り の 糸 か 2 本 引 き 揃 え 糸 か で も 違 っ て く る 。 また青田には弟子や協力者もいたようだから、彼自身の手でない可能性も
ある。安達治郎氏という長く京都で活躍した染色家は青田の弟子であったと
い う し( 残 念 な が ら 近 年 亡 く な ら れ て い る )、高 名 な 染 織 家 志 村 ふ く み 氏 の 御
母堂は青田に直接織りの手ほどきを受けたそうである。彼らのうちの誰かが
こ の 本 の 貼 付 布 の 制 作 を 手 伝 っ た 可 能 性 も 大 い に あ り え る こ と で あ る 。 15
3. 設 計 の 具 体 化
具 体 的 な 設 計 に 移 る が 、 挿 入 織 物 解 説 に は 以 下 の よ う に あ る 。 「 機 、 織 幅 鯨 九 寸 五 分 、 鯨 一 寸 三 十 五 枚 御 召 四 枚 機 * 御召機というのは筬の歯一枚に二本宛経糸が通る事をいふので一寸に
三 十 五 枚 と い ふ の は 筬 の 歯 が 一 寸 に 三 十 五 枚 と い ふ 意 味 で あ る 。故 に 経
糸 は 一 寸 に 七 十 本 通 っ て い る 訳 で あ る 。 四 枚 機 と い ふ の は 綜 絖 が 四 枚 と い ふ 意 味 で あ る 。」( 中 表 紙 裏 ) 今 の 感 覚 か ら い う と 、 織 幅 9 寸 5 分 ( 36cm) と い う の は い か に も せ ま い 。
出来上がり幅のことだろうか?しかし筬や綜絖の説明の所に「織幅」と明記
されているのだから筬に通す幅、すなわち織幅と考える方が自然である。織
物というものは、織りあがって機からおろし湯通しすると織縮みするもので
あり、後述するが青田の解説と実物の貼付布から判断すると、この布の織り
縮 率 は 22.7% で あ る 。だ と す る と 出 来 上 が り の 布 幅 は 7 寸 3 分( 27.9cm)と
なる。昭和初期の平均的日本人の体格がいかに小さかったとしても、着尺の
用を足さないのではないだろうか。もし出来上がり幅が 9 寸 5 分だったとす
る と 、2 2 . 7 % 縮 ん で こ の 幅 な の で 織 幅 は 1 尺 2 寸 3 分 と な り こ れ も ま た 不 自 然
に広い。例外もあるだろうが普通着尺用の筬幅は 1 尺 1 寸ほどであり、特別
の織機と筬を使わない限りこれより幅広くは織れない。現代では織幅は 1 尺
5 分ほどで、出来上がると織り縮んで 1 尺ちょうどくらいになる計算で着尺
を 織 る 。 ま た 、経 糸 が 1 寸 に 7 0 本 と い う の も 、随 分 と 目 が 粗 い 。現 在 、私 が 織 る 着
尺 は 1 寸 に 90~ 120 本 の 経 糸 を 通 す 。 実 際 、 6 片 の 織 物 か ら 数 え た よ う に 挿
入 織 物 の ( 織 り 上 が り 後 の ) 経 本 数 は 、 1 寸 に 付 き 90.5 本 平 均 で あ る 。 70
16
本 / 寸 で 通 し た も の が 出 来 上 が る と 9 0 . 5 本 / 寸 と な る こ と か ら 計 算 し て 、織 縮
率 は 2 2 . 7 % で あ る 。た だ 2 2 . 7 % の 織 縮 み と い う の は 大 き す ぎ る の で は な い か
と 疑 問 を 持 っ て い る 。 私 の 経 験 か ら は 織 縮 率 は 1 0 % 以 下 の も の が 多 い 。 さらにいえば、この挿入織物は着尺として着用に耐えうるものだったかも
疑問が残る。解説に「平織着尺」と明記されているのだが、私の感覚からい
うと、着尺としては少々頼りない薄さなのである。目が粗い割に糸が細い。
透けて見えるほどである。もちろん着る物の好みは人それぞれだが、少なく
て も 活 動 的 な 日 常 着 に は 適 さ な い 着 物 に な る の で は な い か 。 青田は糸の選択、密度、打ち込みの強さ等をコントロールしきっていたは
ずだ。おそらくあえてこの頼りなげな着物を織ったのだろう。普段着扱いさ
れる織の着物に丈夫さを求めない。それも彼の表現のひとつであり、美学だ
と い え る だ ろ う か 。 とにかくここでは青田が作ったように再現させるのが目的であるから、織
幅 9 寸 5 分 、 1 寸 に 付 き 経 糸 7 0 本 で 織 物 設 計 を 進 め る 。 9 . 5 × 7 0 = 6 6 5 。 経 糸 は 偶 数 本 と す る の で 6 6 6 本 と す る 。 ここまでに上加茂織之概念から読み取ったこと、貼付織物からわかったこ
と 、 独 自 に 調 べ た デ ー タ 等 を 表 に す る と 次 の よ う に な る 。 17
平 織 着 尺 織 幅 ( 青 田 の 解 説 に よ る ) 9 寸 5 分 ( 3 6 . 1 c m ) 経 糸 密 度 ( 青 田 の 解 説 に よ る ) 7 0 本 / 寸 ( 1 8 . 4 本 / c m ) 経 糸 本 数 ( 織 幅 × 経 糸 密 度 + 1 ) 6 6 6 本 経 糸 密 度 ( 貼 付 布 の 本 数 を 数 え た ) 9 0 . 5 本 / 寸 ( 2 3 . 8 本 / c m ) 織 縮 率( 実 際 の 経 密 度 と 解 説 上 の 経 密 度
1 - ( 7 0 ÷ 9 0 . 5 ) = 0 . 2 2 7 か ら 算 出 ) 2 2 . 7 % 布 幅 ( 織 幅 9.5 寸 が 22.7%縮 ん だ と し て
9 . 5 - 2 . 1 5 6 = 7 . 3 4 3 算 出 ) 7 寸 3 分 ( 2 7 . 9 c m ) 緯 糸 密 度 ( 貼 付 布 の 本 数 を 数 え た ) 6 4 本 / 寸 ( 1 6 . 8 本 / c m ) 糸 ( 青 田 の 解 説 に よ る ) 玉糸の太いのを可なり強撚にして用い
る 経 糸 ( 再 現 布 に 実 際 に 使 用 ) 座 繰 玉 糸 6 0 中 3 本 合 わ せ 、 撚 り は 右 方 向 に 2 6 0 回 / m 緯 糸 ( 再 現 布 に 実 際 に 使 用 ) 座 繰 玉 糸 6 0 中 3 本 合 わ せ 、 撚 り は 右 方 向 に 4 5 0 回 / m 綜 絖 ( 青 田 の 解 説 に よ る ) 4 枚( 平 織 な の で 2 枚 で 足 り る の だ が 隣
り合う糸が擦りあわないように 4 枚に
し た と 推 察 さ れ る ) 筬 ( 青 田 の 解 説 に よ る ) 3 5 羽 / 寸 、 双 羽 ( 1 羽 に 2 本 ) で 通 す 布 の 長 さ ( 着 尺 の 長 さ の 決 ま り ) 3 丈 ( 1 1 4 0 c m ) 昭 和 初 期 3 丈 3 尺( 1 2 5 0 c m )現 代( 体 格 が 大 き く
な っ た た め ) 18
4.経 糸 の 設 計
上 加 茂 織 之 概 念 で は 、 織 の 設 計 に 付 い て 次 の よ う に 触 れ て い る 。 「 染 め 上 る と 縞 数 を 計 算 し て 経( た て )を 作 る 、経 を 作 る 時 地 色 と 縞 色
の配合を考える、勿論緯(よこ)の地色、縞色も経を作るときから考え
て お か ね ば な ら な い 、私 は 此 の 色 の 配 合 に 最 も 苦 心 す る 。染 め る 時 か ら
此 の 糸 を 地 、此 の 糸 を 縞 と 考 え る 事 は 極 く 少 な い 、先 づ 色 々 と 色 の 立 派
に 染 ま る 迄 糸 を 染 め て 染 ま っ た 糸 を 見 て 配 合 を 考 え る 、緯 も 経 が 機 に か
か っ て か ら 経 、緯 を 織 り 合 わ し て 見 て 此 れ か あ れ か と 糸 の 色 を 撰 ぶ 。で
な け れ ば 斯 う と 想 ふ て 染 め て も 中 々 思 ふ 様 に 染 ま ら な い し 、経 に 対 し て
此 の 緯 と 想 ふ て 居 つ て も 偖 て 織 っ て み る と 色 が に ご る 、同 程 度 の 同 色 の
色 で も 交 じ る と に ご っ た り 冴 え な か っ た り す る 、に ご っ た 色 、冴 え た 色 、
此 が 織 物 の 生 命 を 左 右 す る 。」( 3 3 頁 ) 染めに対する妥協の無い意識の高さが伺える。そしてそれをいかに設計す
る か に よ っ て 織 物 の 生 命 が 決 ま っ て く る 。 一般に縞といえば、千筋、万筋、大名縞、子持縞等パターンが決まってい
るものが多いが、青田はそういった既成の縞には興味がないように思える。
第一章で紹介した大山崎山荘美術館蔵の作品も縞のパターンについては大変
自 由 で あ る し 、青 田 の 弟 子 だ っ た 前 述 安 達 氏 の エ ッ セ イ に よ る と 青 田 は 、
「俺
の 織 っ た も の は シ ン フ ォ ニ ー の 楽 曲 だ 。楽 譜 と 考 え て も よ い 。」と 言 っ て い た
そうだから、青田独自のリズムによって縞割を考えていただろう。また青田
は絵を描くこともしていたそうだから、自分の芸術性を織物に表現するとい
うことを意識していただろうし、究極の目的はここにあったといってもいい
かもしれない。この独自のアート感を持って制作していたことが、何よりも
青 田 を 特 別 の 存 在 に し て い る 。 19
このような青田の芸術性を頭に入れつつ、実際に経糸の縞割を決めること
は至難の技なのであるが、いくつか貼付布から読み取れることをあげていく
こ と に す る 。 資 料 E は 他 の 資 料 と 違 う 部 分 が 多 い の で 参 考 か ら は ず す 。 1 . 各 縞 全 て が 偶 数 本 で 構 成 さ れ て い る 。 2 . 数 え た 本 数 か ら 3 色 の 割 合 を 出 す と 、樺 3 . 2 : 黄 1 . 9 : 藍 1 で あ る 。経 は 全 部
で 6 6 6 本 だ か ら 、こ の 割 合 で い く と 、樺 茶 3 5 2 本 前 後 、黄 柄 茶 2 0 4 本 前 後 、
藍 海 松 茶 1 1 0 本 前 後 と い う こ と に な る 。 3 . 樺 茶 は 地 色 な の で 一 番 割 合 が 多 い 。2 4 本 、1 2 本 又 は 4 本 ず つ 通 す 。全 体 の
5 0 % 強 。 4 . 黄 柄 茶 の 割 合 は 約 3 0 % 。 8 本 、 又 は 1 6 本 と い う 取 り 方 。 5.藍 海 松 茶 は 一 番 割 合 が 少 な く 20% 弱 。 耳 糸 以 外 で は 6 本 又 は 12 本 ず つ 通
し て い る 。 6 本 と 12 本 と い う 入 れ 方 は 交 互 に 現 れ る 。 耳 は 10 本 で 通 し て
い る 。 し か し 耳 糸 は 着 物 に 仕 立 て た と き に は 縫 い し ろ と な り 見 え な い 。 6.耳 糸 を 除 き 、 黄 柄 茶 と 藍 海 松 茶 が 隣 り 合 う こ と は な い 。 全 て の 黄 柄 茶 と 藍
海 松 茶 の 横 に は 樺 茶 が く る 。 藍 海 松 茶 の 横 に く る 樺 茶 は 12 本 か 24 本 で あ
る 。 樺 茶 の 4 本 は 必 ず 黄 柄 茶 に 挟 ま れ て い る 。 7.黄 柄 茶 に 挟 ま れ て 樺 茶 が 4 本 入 る パ タ ー ン は 1 寸 5 分 に 付 き 1 回 又 は 2 回
入 る 。 そ の 場 合 の 黄 柄 茶 の 本 数 は 8 本 と 8 本 、 又 は 8 本 と 1 6 本 で あ る 。 8.パ タ ー ン に 繰 り 返 し が あ る か ど う か は 、 6 片 の 資 料 に リ ピ ー ト が 認 め ら れ
なかったこと、大山崎山荘美術館蔵の着尺の縞割に繰り返しがなかったこ
と に よ り 、 繰 り 返 し は な い と 仮 定 す る 。 20
以上のことを考慮し縞割を決めていくことにする。まずは 5 つの資料をも
とに適宜色を置いてみる。その後上記の、割合と配色の原則に合わせて置き
直していくと想像の余地は余りなくなっていった。何度か置きなおして単調
な繰り返しにはならないように苦慮した。結局下記のように配色することに
した。青田のシンフォニーの絶妙さがどれだけ再現できたかは自信がないが
イ メ ー ジ と し て は 似 た も の に な っ た の で は な い か と 思 っ て い る 。 藍 10(耳 糸 )、 黄 8、 樺 4、 黄 8、 樺 12、 藍 6、 樺 12、 黄 8、 樺 4、 黄 16、 樺
24、 藍 12、 樺 12、 黄 8、 樺 12、 藍 6、 樺 12、 黄 8、 樺 4、 黄 16、 樺 12、 藍
12、 樺 24、 黄 8、 樺 4、 黄 8、 樺 12、 藍 6、 樺 12、 黄 8、 樺 4、 黄 8、 樺 24、
藍 12、 樺 12、 黄 8、 樺 4、 黄 16、 樺 12、 藍 6、 樺 12、 黄 8、 樺 4、 黄 8、 樺
24、 藍 12、 樺 12、 黄 16、 樺 12、 黄 8、 樺 12、 藍 6、 樺 24、 黄 8、 樺 4、 黄
1 6 、 樺 1 2 、 藍 1 2 、 樺 1 2 、 黄 8 、 樺 4 、 黄 8 、 藍 1 0 ( 耳 糸 ) 以 上 で 、 樺 茶 348 本 、 黄 柄 茶 208 本 、 藍 海 松 茶 110 本 と な り 、 計 666 本 、
ほ ぼ 割 合 い 通 り で あ る 。 配 色 イ メ ー ジ は 添 付 資 料 を 参 照 さ れ た い 。 た だ 青 田 の 設 計 の 経 糸 666 本 、 織 幅 9 寸 5 分 、 織 密 度 70 本 /寸 で は 私 と し
ては、どうしても着尺として成立するか納得できてないし、計画通り縮まな
い可能性もある。そこでまず青田の設計通りにサンプルを織り、その後場合
に よ っ て は 経 糸 を 増 や せ る よ う に し て お く こ と に す る 。 21
5.緯 糸 の 設 計
緯糸もまた貼付されている布や大山崎山荘美術館蔵の青田作品を見ると規
則的でなく、青田の意思のおもむくままに入れているように見える。6 片の
貼 付 布 か ら 各 色 の 緯 糸 の 本 数 を 計 算 す る と 、 6 片 あ わ せ て 、 樺 茶 684 本 、 黄
柄 茶 48 本 、藍 海 松 茶 28 本 で あ り 、樺 茶 が 90%、黄 柄 茶 が 6%、藍 海 松 茶 が 4%
の割合である。樺茶の割合が圧倒的だ。地色の樺茶はまとめて入る部分では
3 8 ~ 6 0 本 ず つ 入 り 、細 か く 入 る 部 分 で は 黄 柄 茶 、藍 海 松 茶 の 間 に 2 又 は 4 本
ず つ 入 る 。 黄 柄 茶 と 藍 海 松 茶 は 2 , 4 , 6 本 ず つ 入 る 。 A~ F の 資 料 か ら 配 色 パ タ ー ン の 使 え る 部 分 を 抜 き 出 す と 以 下 の よ う に な
る 。 A 黄 4 、 樺 4 、 黄 2 、 樺 5 4 、 藍 4 。 B 黄 4 、 樺 5 6 、 藍 4 、 樺 4 6 、 黄 6 。 C 黄 2 、 樺 4 、 黄 2 、 樺 2 、 黄 2 、 樺 3 8 、 藍 2 、 樺 4 、 藍 2 。 D 黄 2 、 樺 6 、 黄 2 、 樺 4 、 黄 4 、 樺 6 0 、 藍 4 。 E 藍 2 、 樺 4 6 、 黄 4 、 樺 2 0 、 藍 2 、 樺 4 、 藍 2 。 F 藍 6 、 樺 5 4 、 黄 2 、 樺 2 、 黄 2 、 樺 4 、 黄 4 、 樺 4 、 黄 6 。 基 本 的 に は 以 上 の パ タ ー ン を 組 み 合 わ せ て 再 現 さ せ て い く こ と に す る 。 思うに経糸がシンフォニーの旋律なら、緯糸はそのテーマに破綻を作って強
弱をつけ音楽を構築していくものとはいえないだろうか。基調となるテーマ
に変化を加えていく。経糸に比べて緯糸は自由に糸を入れていくことが可能
である。もちろん一般的な織では計画通りに入れていくものなのであるが、
青田はそうしていない。それでいて均整の取れた緊張感のある作品に仕上げ
て い る 。 22
第三章・・・糸
糸 に つ い て 青 田 は 以 下 の よ う に 印 象 的 な 文 章 を 書 い て い る 。 「糸が立派でなければ如何に工夫したものでも立派な織物にならない。
そ こ で 糸 の 撰 定 が 最 も 根 本 的 な 事 に な っ て 来 る 、此 が 立 派 で あ っ て こ そ
染 も 織 も 生 き て 来 る の で あ る 。 機 械 で 織 る 細 い 糸 は 機 械 に 任 せ て お か う 。機 械 で 織 る 事 が 出 来 な い 糸 や 、
手 織 で な け れ ば 出 来 な い 織 の 味 を 作 る こ と が 私 達 の 仕 事 で あ る 。其 の 為
に 手 織 の 為 の 糸 を 撰 ぶ 必 要 が あ る 。」( 3 0 , 3 1 頁 ) 青田は糸については相当腐心したようで豊橋、岐阜、近江などから取り寄
せ て い た ( 3 0 頁 )。 な か な か 思 い 通 り の 糸 が こ な い こ と を 嘆 き な が ら も 、 そ
れ ら を 使 い こ な す 喜 び を 感 じ て い た の で は な か ろ う か 。 貼 付 布 に 用 い た 糸 に つ い て の 青 田 の 記 述 は 以 下 の と お り で あ る 。 「糸は玉糸の太いのを可なり強撚にして用ひたもので目の荒いのも一
つ は 経 糸 の 節 が 大 き い の と 撚 が か ゝ っ て ゐ る 為 で あ る 。水 に 通 る 毎 に 糸
の 撚 が 縮 む 為 に 目 は 詰 ま っ て く る 筈 で あ る 。」( 中 表 紙 裏 ) 糸が太い、可なり強撚といっても基準が分からないし、太さについても撚
度 に つ い て も 数 値 は 記 述 が 無 い 。よ っ て 貼 付 布 の 実 物 か ら 推 測 す る し か な い 。
ち な み に 玉 糸 と い う の は 、一 粒 の 繭 の 中 に 二 頭 の 蚕 が 入 っ て い る 双 子 の 繭( 玉
繭)からとった糸のこと。一頭の蚕が入っている普通の繭からとった生糸よ
り 節 が あ り 扱 い 辛 い が 、 糸 味 が あ り 風 合 が よ い 織 物 が 出 来 る 。 水 に 通 る 毎 に 糸 の 撚 が 縮 む 為 に 目 は 詰 ま っ て く る 筈 で あ る というのは、
どんどん撚り縮みが進行していくということだろうか?実際に織って確かめ
て み た い 。 23
今回は絹糸に大変詳しい京都の下村撚糸の下村輝氏に貼付布の実物を見て
い た だ き 、今 販 売 さ れ て い る 糸 の 中 で 、な る べ く 近 い 糸 を 分 け て い た だ い た 。
そ の 結 果 、 経 糸 が 座 繰 玉 糸 60 中 3 本 合 わ せ 、 撚 り は 右 方 向 に 260 回 /m 、 緯
糸 は 同 じ 糸 に 1 9 0 回 / m で 追 い 撚 り を し て も ら い 用 い る こ と に し た 。追 い 撚 り
を す る の は 緯 の 収 縮 率 を 上 げ 、 22.7% の 織 縮 を 出 し て み よ う と 思 っ て の こ と
で あ る 。 織 物 と し て は シ ャ リ 感 が あ る 物 と な る 。 190 回 の 追 い 撚 り で 織 り 縮
み率がどれだけ上がるのかはデータがなく、とにかくやってみるしかない。
昔の糸は縮みやすかったと聞いたこともあり、糸の選定に関しては下村氏の
ア ド バ イ ス の も と 、 新 た な デ ー タ を 取 る つ も り で や っ て み る こ と に す る 。 こ の 糸 は 今 の 感 覚 で 言 う と 決 し て「 太 め 」 で は な い が 、 実 物 に 近 い と い う
こ と で 選 定 し た 。 経 糸 の 撚 度 2 6 0 回 と い う の も 玉 糸 と し て は 普 通 で 、「 可 な
り 強 撚 」 と は 言 い 難 い 。 生 糸 の 場 合 は 190 回 /m く ら い な の で そ れ に 比 べ る
と 強 い と い う 程 度 で あ る 。 「座繰り」というのは製糸の仕方のひとつで、座繰り器という簡単な装置
の把手を回しながら数十個の煮繭から糸を挽き一本の糸にしていくやり方で、
明治時代に確立した製糸法である。青田が使った糸もこの方法でとった糸と
思われるが、昭和初期でもすでに機械製糸は普及していたから青田はあえて
こ の 糸 を 選 択 し た わ け で あ る 。 6 0 中 と い う の は 糸 の 太 さ の 単 位 で 、平 均 し て 6 0 デ ニ ー ル の 糸 と い う こ と 。
1 デ ニ ー ル は 9000m で 1g の 糸 の 太 さ 。 ち な み に 繭 一 粒 の 糸 は 3 デ ニ ー ル 。
6 0 中 3 本 合 わ せ 、右 2 6 0 回 / m と い う の は 、平 均 6 0 デ ニ ー ル の 糸 を 3 本 合 わ
せ て 一 本 の 糸 と し ( 1 8 0 デ ニ ー ル )、 1 m に 付 き 2 6 0 回 右 方 向 に 回 転 さ せ 撚 り
を か け た 糸 と い う こ と で あ る 。 撚 り に つ い て は 青 田 は 一 項 目 を 挙 げ て 論 じ て い る 。 い わ く 24
「( 撚 ら な い 糸 を 使 う と ) 羽 二 重 の 表 面 の 様 に 平 面 の 感 じ が す る も の で あ
る 、其 の 為 に 糸 に 撚 を か け て 表 面 に 立 体 的 な 味 を 着 け る 方 法 を 構 じ る 。」
( 2 7 頁 ) 「平糸に撚りをかけて平糸よりも丈夫な糸を作って織る事は糸をより
良 く 加 工 し た 事 に な る し 織 り 上 が っ た 布 も よ り 丈 夫 な も の が 出 来 る 、其
の 丈 夫 さ は 表 面 に も 現 さ れ て 一 種 の 味 を 持 つ も の で あ る 。」( 2 8 頁 ) 青田は具体的な撚りのかけ方については論じていない。製糸した糸を購入
し て い た( 3 0 頁 )と あ る か ら 撚 り 加 減 を 工 夫 し つ つ 独 自 に 撚 り を か け て い た
のだろう。撚りの回転数など正確に数えることなどしなかったかも知れない
が、撚らないで織ること、また逆に極端に撚りをかけ撚り縮ませシボを出す
縮 緬 の よ う な 織 り 方 は 、 不 自 然 だ と い っ て 嫌 っ て い る 。 今 回 は 前 述 の 通 り 、 撚 り の か か っ た 糸 を 購 入 し て 使 う こ と に し た 。 糸に撚りをかけた次は精練をする。これは「練り」ともいい蚕が糸と一緒
に吐くセリシンという膠質の物質を取り除くことである。青田はこの精練の
必 要 性 を 次 の よ う に 書 い て い る 。 「( 正 し い 織 物 を 織 る た め に 必 要 な 事 は )完 全 な 糸 で 織 る 事 で あ る 、こ の 為
に絹は練り、木綿、麻は漂すのである、同じ事でも練り、漂して織るの
と 、 織 っ て か ら 練 り 、 漂 す の と は 其 の 強 さ が ま る で 違 う の で あ る 。 先 ず 完 全 な 糸 に し て 置 い て か ら 織 る 事 が 正 し い 織 物 で あ る 。」( 6 頁 ) 青田は「 練 に は 石 鹸 練 と 灰 汁 練 と 有 る 。 植 物 染 色 に は 是 非 灰 汁 練 で な
け れ ば い け な い 。藁 の 灰 汁 で 糸 を 煮 る 丈 の 事 で あ る が 灰 汁 の 加 減 、火 加
減 に 熟 練 が 要 る 。」( 3 2 頁 ) と 書 い て い る 。 精 練 は 確 か に 経 験 が も の を い う
難 し さ が あ る 。藁 が 手 に 入 ら な い の で 、私 は 木 灰 で 灰 汁 を 取 っ て 精 練 を し た 。
藁 灰 は 木 灰 よ り マ イ ル ド で 精 練 に 向 く と さ れ る が 東 京 在 住 で は 難 し い 。 25
第四章・・・染色
染色の項は、上加茂織之概念でも一番多くのページ数を割き、青田も力を
こめて筆を振るっている。貼付布は樺茶、黄柄茶、藍海松茶の 3 種の色を使
っ て い る の で 、 一 種 ず つ 染 め て い く こ と に す る 。 1.樺 茶 ( 地 色 )
この織物のベースとなる色。樺茶色とは、濃い茶味橙色の「樺色」を更に
茶 が か ら せ た 色 。 染 色 方 法 は 解 説 に 以 下 の よ う に 説 明 さ れ て い る 。 や
ま
も
も
「 下 染 桃 皮 ( 楊 梅 樹 ) 三 し ほ 灰 汁 媒 染 上 染 丹 柄 三 し ほ 灰 汁 媒 染 上 掛 ( 鉄 漿 ) 淡 く 一 し ほ 」( 中 表 紙 裏 ) か
ね
まず、楊梅樹を染める。楊梅樹は渋木ともいわれ、古代から植物染色によ
く使われる。本州中部以南で普通に街路や人家に植えられている。これを 3
回染めては干し灰汁で媒染せよ、との指示である。媒染とは発色と色止めを
目的として染色した後(場合によっては染色前、又は途中)に灰汁や明礬、
酢などに浸すことである。なお、青田がいうところの「一しほ、二しほ」と
い う の は 染 液 に 浸 し て 干 し 終 え る 単 位 の こ と で あ る ( 2 1 頁 )。 本 文 の 方 の 染 色 の 項 に 以 下 の よ う に 楊 梅 樹 の 煮 出 し 方 が 説 明 さ れ て い る 。 や
「 ま
も
も
水 五 升 乃 至 七 升 に 楊 梅 樹 一 斤 や
ま
も
も
予 め 楊 梅 樹 を 臼 で 荒 く く だ い て 用 ひ る 、水 の 時 材 料 を 入 れ て 煮 る( 中 略 )、
三 時 間 乃 至 四 時 間 煮 る 、 そ し て 染 液 が 重 く 濃 く な る 程 度 ま で 煮 る 。」
( 1 7 , 1 8 頁 ) 水 9~ 13.6 リ ッ ト ル に 600g の 楊 梅 樹 を く だ い て 入 れ 、 3~ 4 時 間 煮 出 し て
や ま も も
漉し染液とせよとのことである。しかし楊梅樹の量は、糸量に対しての量で
26
は な い の で 何 を 基 準 と す べ き か 迷 う と こ ろ だ 。 で は 、 実 際 に や っ て み る 。 楊梅樹は枝葉のついた生木の物が手に入ったのでそれを使うことにする。
分 量 は 水 1 0 升 ( 1 8 リ ッ ト ル )、 楊 梅 樹 2 斤 ( 1 . 2 k g ) と し て 、 そ れ を 細 か く
刻みステンレスのタンクに入れ、都市ガスで焚く。昭和 9 年のままにはなか
なかできない。まず 2 時間焚く。色の出方が足りないのでこのままでは染ま
や ま も も
ら な い と 思 い 楊 梅 樹 1 斤 を 足 す 。4 時 間 後 火 を 止 め た が 、水 の 量 は 3 升 く ら い
に な っ て い た の で 、 70% の 水 分 は 蒸 発 し た 事 に な る 。 本 文 に は 「 に っ と り 」
( 1 8 頁 )す る ま で 煮 る よ う に 書 い て あ る が 、今 回 は 煮 詰 ま り は し た が「 に っ
と り 」 と い う 表 現 が 適 す る ほ ど の 濃 さ に は な ら な か っ た 。私 に は 渋 木 の 染 液
を 取 る の に「 2 ~ 3 時 間 煮 出 し 液 が 3 0 % に な る ま で 煮 詰 め る 」と い う の は 、ち
ょ っ と 違 和 感 が あ る 。私 は 、物 に よ る が 沸 騰 後 2 0 分 ぐ ら い か ら 様 子 を 見 つ つ
と い う 煮 出 し 方 を し て 染 液 を と っ て い る 。 この液に糸を入れ繰りながら染め一晩置いた。しっかりしたベージュに染
まった。しかし実は青田は上加茂織之概念に煮出し方は書いていても、実際
にどのように糸を染めたかは書いていない。私は自分のやり方で、1 時間ほ
ど煮染めしてそのまま一晩置いて色を定着させる方法を取ったが、青田はも
しかしたら染液を糸に揉みこむようにして染めた可能性もある。そのために
濃 い 染 液 が 必 要 だ っ た の か も し れ な い 。 こ の 糸 を 水 洗 し 、灰 汁 媒 染 す る 。本 文 中 に 媒 染 剤 に「 藁 灰 汁 」(15 頁 )と い
う 記 載 が あ る が 、藁 灰 が 入 手 で き な い こ と な ど か ら 「
、 椿 の 灰 汁 」を 使 用 し た 。
しかし藁の灰汁を媒染に使うという記載にはどうも納得できない。藁の灰汁
には媒染に必要なアルミ分はほとんどないはずだ。媒染の灰汁には椿を使う
と い う の は 青 田 が 参 考 に し て い た 「 紺 屋 茶 屋 染 口 伝 書 」( 寛 永 6 年 刊 )( 上 加
茂 織 之 概 念 で は 1 1 、 1 2 、 1 8 頁 に 記 載 )に も 記 載 さ れ て い る の で 青 田 が 知 ら な い
27
はずはない。なぜ青田がここに藁灰汁と書いたか分からず、藁灰と椿灰で実
際 に 比 較 し て み た か っ た の だ が 、 藁 灰 が な く 断 念 し た 。 糸 を 灰 汁 に つ け る と 、だ ん だ ん 反 応 し て 黄 色 味 が で て き た 。こ れ を 水 洗 し 、
よ く 乾 か す 。 こ の 行 程 を 3 回 繰 り 返 す 。 こ れ で 下 染 め は 終 了 で あ る 。 次 に 上 染 を す る 。 上 染 は 、「 丹 柄 三 し ほ 灰 汁 媒 染 」 で あ る 。 丹 柄 と い う 木
はオヒルギともいわれマングローブの一種である。日本では沖縄や奄美大島
に 自 生 す る 。 青 田 は 薬 種 屋 で 取 り 寄 せ て も ら っ た よ う だ ( 9 頁 )。 現 代 で は 染
や ま も も
料 屋 か ら 買 う 。 丹 柄 の 焚 き 方 は 本 文 ( 1 8 頁 ) に よ る と 楊 梅 樹 と 同 じ で あ る 。 丹 柄 0.8 斤 ( 500g) 水 5 升 ( 9 リ ッ ト ル ) を 3 時 間 煮 出 す 。 茶 黒 く 重 厚 な
液 が 出 来 る ( 18 頁 ) と あ る が 、 確 か に 濃 く 色 が 出 た 。 こ れ を 漉 し て 、 糸 を
入れ染める。下染めの色がより濃く深くなったような感じだ。それを椿灰で
灰 汁 媒 染 す る 。 そ う す る と 赤 味 が 出 て く る 。 以 上 を 3 回 繰 り 返 す 。 か
ね
そして「 上 掛 ( 鉄 漿 ) 淡 く 一 し ほ 」 である。青田は鉄漿を「かね」と読
ませているが、これは「おはぐろ」とも読み、江戸期まで既婚女性が歯を黒
く染めるのに使ったものと同じである。現代の草木染めでもマイルドな鉄媒
染剤として使用する。しかし青田は「鉄漿」を媒染剤とは扱わず染料の一種
と し て 扱 っ て い た ( 1 5 頁 )。 他 の 明 礬 や 酢 な ど の 媒 染 剤 に 比 べ 色 の 変 化 が 大
きいからであろうか。作り方は酢を 8 分、鉄屑を 6 分入れて 1 時間煮て 2 日
ほ ど 放 置 す る 。( 1 9 , 2 0 頁 ) こ う や っ て 作 っ た 鉄 漿 を た ら い に 少 々 ( 3 c c 程 )
入れ水を満たし、糸を泳がせるようにして入れ反応させる。赤茶が少々落ち
着 い た 感 じ に な っ た 。 以上で樺茶の糸が染まったわけだが、力強いレンガ色になった。しかし青
田 の 色 よ り は 随 分 赤 味 が 少 な く あ っ さ り し た 色 に な っ た 。 28
2.黄 柄 茶 ( 縞 色 )
次 に 縞 に 入 る 黄 柄 茶 を 染 め る 。 黄 柄 茶 と は 褐 色 味 の 濃 い 黄 橙 色 。 解 説 に は 以 下 の よ う に あ る 。 「 桃 皮 二 し ほ 灰 汁 媒 染 」( 中 表 紙 裏 ) や ま も も
楊梅樹で2回染め、灰汁媒染をするというもの。染め方は既に述べた通り
で あ る 。 青田は渋木の幹をチップにしたものを使ったと予想されるが、今回私が使
っ た 生 木 の 枝 葉 で も 充 分 に 色 素 は で た 。た だ 青 田 の 色 よ り も 黄 色 勝 ち で あ る 。
青 田 の 色 は 幾 分 肌 色 っ ぽ い 。 あ を み る ち ゃ
3.藍 海 松 茶 ( 縞 色 )
み る い ろ
最後に藍海松茶を染める。海松色とは浅海の岩の上に生える海藻の一種
み
る
み る ち ゃ
海松の色に因んだ、暗い黄緑色のこと。さらに海松茶とは海松色を褐色がか
らせた暗いオリーブ色をいう。藍海松茶は、この海松茶に藍がかかった暗い
灰 青 緑 を い う 。 染 め 方 は 解 説 に 以 下 の よ う に 書 か れ て い る 。 「 下 染 浅 黄 上 染 桃 皮 二 し ほ 灰 汁 媒 染 上 掛 鉄 漿 淡 く 一 し ほ 」( 中 表 紙 裏 ) まず藍で浅黄色を染める。浅黄色とは浅葱色とも書き、緑みのうすい青の
こ と で あ る 。 た だ 青 田 は 藍 で 糸 染 め は や っ て い な か っ た ( 2 6 頁 )。 紺 屋 に 出
し て い た の だ ろ う 。私 は イ ン ド 藍 を ハ イ ド ロ と ソ ー ダ 灰 で 還 元 さ せ て 建 て た 。
藍 が 濃 く 染 ま り 過 ぎ な い よ う に 配 慮 し て 染 め た 。 その上染めに楊梅樹を2回染め、椿の灰汁で媒染した。そうすると深緑に
な っ た 。 さ ら に 鉄 漿 で 上 掛 け を す る と 一 段 と 深 い 色 に な っ た 。 こ れ は ほ ぼ 青 田 の 色 合 い と 同 じ に な っ た 。 29
以 上 で 染 め を 終 え る が 、随 分 と し っ か り と 色 が 染 ま っ た 。下 染 め 、上 染 め 、
上掛けと染め重ねるのも私としては初体験である。いつもはなるべく一回で
希 望 の 色 に な る よ う に 染 め て い た の だ 。 また色の目標とする具体的な見本が手元にあって、その染料も指定されて
い る の で 、 色 味 を 近 づ け る の が な か な か 思 う よ う に い か な か っ た 。 染めた糸の見本
樺茶
黄柄茶
藍海松茶
4.青 田 に と っ て の 染
青田の染めに対する考え方は非常に確固たるものがあり、充分な研究と経
験に裏付けされている。染色を専業者の染色と家庭での手染めの 2 種に分け
て 考 え て い て 、 青 田 が 追 い 求 め る の は も ち ろ ん 前 者 で あ る 。 「實際染色に当たって見ると殊に生産的に染色をやって見ると多数な
材料よりも少数な材料を充分こなして用ひる方が効果が大きいのを知
る」
( 1 2 頁 )と 書 い て い る よ う に 染 料 を 厳 選 し そ れ ぞ れ に 研 鑚 を 積 ん で い た 。
青 田 が 選 ん だ の は 「 蘇 芳 、 楊 梅 樹 、 刈 安 、 丹 柄 、 う こ ん 、 藍 、 鉄 漿 」( 1 5
頁)である。選んだ理由は色彩が立派であること、安価であること、手法が
複 雑 で な い こ と で あ り 、 生 産 性 を い か に 上 げ る か 考 え て い た 。 「 例 え ば 赤 の 材 料 と し て 紅 花 、茜 、蘇 芳 等 を 採 っ て 見 て 、何 れ が 一 番 経
済 的 な の か も 考 え て 見 な け れ ば な ら ぬ 。紅 花 は 材 料 が 高 価 な 上 に 手 法 が
非 常 に 複 雑 で あ る 、茜 は 材 料 は 安 価 で あ る が 耐 久 性 が 少 な い 、蘇 芳 は 材
30
料 も 安 く 手 法 も 簡 単 で 然 も 耐 久 性 が 多 い 。」( 1 3 頁 ) と あ る よ う に 染 色 材
料 の 選 定 に は 効 率 と 経 済 と 耐 久 性 を そ の 美 し さ と 同 等 に 重 要 視 し て い た 。 「複雑な色を望む時には此の僅かの材料を混合して色彩を工夫したの
で あ る 。」( 1 4 頁 ) と 書 い て い る 通 り 、 少 な い 種 類 の 染 料 を 最 大 限 に 使 い こ
はん
なしていた。例えば赤茶を染めたい時は、赤茶が一回で得られる「榛」を使
うのではなく、
「 楊 梅 樹 と 蘇 芳 」を 掛 け 合 わ せ て 使 う 。
「 蘇 芳 」の 代 わ り に「 茜 」
というわけにはいかない。
「 榛 」だ け で 染 め る と ど こ か に ご っ た 感 じ の す る 赤
味勝った茶色になるというし、
「 茜 」は 耐 久 性 が 無 く 、色 も に ご っ た 感 じ が す
る と 書 い て い る 。( 1 4 頁 )。 ち な み に 資 料 に よ る と 昭 和 1 0 年 、楊 梅 樹 は 一 貫( 3 7 5 0 g )で 1 円 1 0 銭 、丹
柄 は 一 貫 80 銭 で あ る 。 紅 花 は 百 匁 ( 375g) で 25 銭 、 一 番 高 い 紫 根 は 百 匁 で
65 銭 で あ る 。 平 成 15 年 で は 、 楊 梅 樹 500g1,900 円 、 丹 柄 500g1,600 円 、 紅
花 500g2,400 円 、 紫 根 500g2,600 円 で あ る 。 現 代 で は 高 価 な 染 料 と 安 価 な 染
料 の 値 段 の 差 は 減 っ て き て い る が 、紅 花 や 紫 根 は 染 め る 手 間 が 非 常 に か か り 、
その染料を使っていることに付加価値をつけない限りビジネスにはなりにく
い こ と は 昔 も 今 も 変 わ ら な い 。 余 談 で は あ る が 昭 和 2 年 の 記 録 で 米 が 1 斗 ( 1400g) で 45 銭 、 日 本 酒 が 1
升 1 円 80 銭 、 砂 糖 が 1 斤 ( 600g) 27 銭 で あ る 。 昔 も 今 も 染 料 は 決 し て 安 く
な い と 思 う 。 また貼付布の解説に「 灰 汁 媒 染 計 り の 染 だ か ら 洗 濯 の 時 灰 汁 を 用 ひ て
さ へ も ら へ ば 色 彩 は 冴 え て 来 る 筈 で も あ る 。」
( 中 表 紙 裏 )と あ る が こ れ に
つ い て も 実 際 に 織 り 上 げ て か ら 実 証 し て み た い と 思 う 。 31
第五章・・・機仕掛と製織
染めた糸を織り機にかけるまでの一連の作業を機仕掛けというが、残念な
が ら 上 加 茂 織 之 概 念 に は ほ と ん ど 記 述 が な い 。 そ の 理 由 と し て 青 田 は「 此 れ は ど う 説 明 し て も 一 度 で も 此 の 行 程 を 見 て
な い 人 に は 解 る も の で は な い 。ま た 見 て ゐ る 人 に は 説 明 す る の は 蛇 足 に
な る 」( 3 1 頁 ) と 書 い て い る 。 そ れ は 確 か に そ う か も 知 れ な い 。 青 田 は 織 物 が 出 来 る ま で の 順 序 を 次 の よ う に 書 い て い る 。 1 . 繭 か ら 糸 を 採 る 2 . 糸 を 練 る 3 . 練 っ た 糸 を 撚 る 4 . 撚 っ た 糸 を 染
め る 5 . 染 め た 糸 を 縞 の 数 を 計 算 し て 所 要 の 糸 を 経 に へ る 6 . 経 の 糸 を 機 に
か け て 綜 絖 に 通 し 筬 に 通 ず る 7 . そ し て 緯 糸 を 入 れ て 織 り は じ め る ( 3 1 、
3 2 頁 ) 今 回 の 再 現 で は 練 り と 撚 り の 順 序 が 逆 で あ る 。 青 田 は 「 織 る 事 は 仕 上 げ の 仕 事 で あ る 」( 3 6 頁 ) と 書 い て い る 。 ま た 、
「 機 織 は 誰 に も 出 来 る も の で あ り 、 誰 に で も 出 来 る も の で な い 」( 3 6 頁 )
と禅問答のようなことも書いている。確かに織はやれば誰でも出来るものだ
が 、 取 り 組 み 方 に よ っ て は 、 決 し て 誰 に で も で き る も の で は な い と 思 う 。 具体的な方法の記述が無いので、いつもやっているやり方で機仕掛けと製
織をすることにした。織の基本は、機に経糸を張って、平織の場合は一本お
き に 交 互 に 上 下 さ せ( 綾 織 の 場 合 は 何 本 か お き )、そ の 間 に 緯 糸 を 入 れ 、手 前
に打ち込んでいくことで、これは全世界全時代で変わりが無いので、青田の
方 法 も 大 差 な い と 思 わ れ る 。 32
糸 の 密 度 は 筬 を 通 し 直 し て 三 回 替 え た 。青 田 の 指 示 ど お り の 3 5 羽 。そ れ か
ら 5 2 羽 と 4 8 羽 で あ る 。 詳 細 に つ い て は 後 述 す る 。 33
第六章・・・考察と総論
さて、一反織りあがった。昭和 9 年ごろ、青田五良が織った着尺、そのま
まとはいかなかったが、精一杯近づけたつもりである。青田と私の共同作品
を作り上げたという気がしている。ではひとつひとつ問題点を考察していく
こ と に す る 。 1.織 物 設 計
縞割については実物に基づいて割り出しているので、大筋ではこれでいい
のだと思う。デザイン的には、まとまりがよく、バランスが取れている。3
丈 × 1 尺 を た だ の 布 で な く 、 織 物 作 品 と し て 創 作 し て い た こ と が 分 か る 。 筬 の 密 度 と 織 縮 率 の 件 は 、結 局 織 縮 が 少 な く 3 5 羽 の 筬 密 度 で は 貼 付 布 の 実
物に近づかなかった。9 寸 5 分の織幅で出来上がり幅は 9 寸 2 分であった。
織 縮 率 は わ ず か 4%で あ る 。 1 寸 間 に 70 本 で 通 し た も の が 少 々 縮 ん で 1 寸 に
73 本 。 貼 付 布 の 織 縮 後 の 経 密 度 は 90.5 本 で あ る 。 縞 が 太 く ま の び し て 見 え
る 。 貼 付 布 と 比 べ て も 地 の 目 が し っ か り せ ず 頼 り な い 。 そ こ で 筬 を 替 え 、 52 羽 と 48 羽 で 通 し て サ ン プ ル を 織 っ て み た 。 52 羽 で は
1 寸 間 に 104 本 の 経 糸 で 織 る と い う こ と で あ る 。 布 と し て は し っ か り し て い
るのだが、目が詰まっていて縮こまっているように感じた。織縮後の密度は
1 1 2 本 / 寸 。4 8 羽 で は そ の 点 、青 田 が 意 図 し た 縞 の 太 さ が ほ ぼ 出 て い て 伸 び や
か さ が あ っ た 。 織 縮 後 の 密 度 が 96 本 /寸 で 貼 付 布 よ り 少 々 多 い が 、 結 局 48
羽 で 本 番 の 着 尺 を 織 る こ と に し た 。 経 糸 1018 本 、 筬 通 し 幅 1 尺 6 分 で あ る 。
一 反 織 り 上 が っ て 、湯 通 し 湯 の し 後 の 布 幅 は 1 尺 4 分 、寸 間 の 密 度 は 100 本 で
あ っ た 。 34
2.糸
構想したような織縮が得られなかったのは糸の撚りが少なかったのかもし
れない。ただ撚度が足りなかったということではなく、もしかしたら青田は
染色した後に撚りをかけていたのではないだろうか。事実「 撚 り の 終 わ っ
た糸を練って染めるのが普通であるが幾本も合わせて撚った糸を染め
る 事 は 染 の 完 全 を 望 め な い( 同 程 度 に 糸 の 中 心 ま で 染 め 得 な い )為 に 練
った糸を染めてから撚る場合もある」
( 2 8 , 2 9 頁 )と あ る 。こ う す る と 織 る
直 前 に 撚 る こ と に な る の で 、 織 縮 率 も 高 い の か も し れ な い 。 それから貼付布に比べて再現布は随分絹らしい光沢がある。これは現代の
方 が 糸 が ず っ と( 規 格 品 と し て は )上 質 な の だ ろ う 。糸 の 太 さ も 揃 っ て い る 。
それでどうしても均一に見えてしまう。青田の方はワイルドでごつごつして
いて、なるほど「ドンゴロスのようだ」と言われたのもうなずけないことは
ない。しかし織物としての魅力は青田作品が圧倒している。イキイキとツヤ
ツヤと採れたて感がある。再現布は今では貴重な手作業でつくる座繰り玉糸
を使ってさえもおとなしすぎる織物になってしまった。原因の一つはどんど
ん 品 種 改 良 さ れ て い く 「 繭 」 か も し れ な い 。 緯糸の黄柄茶と藍松海茶は、貼付布では一部極細だったりその 2 本引き揃
えだったりしたが、再現布では全て同じ糸の一本取りで織った(同じ糸の染
め 分 け )。 こ れ も 単 一 に な っ て し ま っ た 要 因 で あ ろ う 。 それから水 に 通 る 毎 に 糸 の 撚 が 縮 む 為 に 目 は 詰 ま っ て く る 筈 で あ る
( 中 表 紙 裏 )と い う 記 述 に つ い て で あ る が 、3 5 羽 で 織 っ た サ ン プ ル を 湯 通 し
し て 仕 上 げ を し た 後 に も う 2 回 湯 に 通 し て み た 。す る と 確 か に 横 が 0 . 2 分 程 、
縦 が 2 分 程 縮 ん だ 。 縮 率 は 1 ~ 2 % で あ る 。 35
3.染 色
なんといっても樺茶の色が薄かった。自分としては随分濃く染めたつもり
だったが青田の色とはかけ離れている。私が取った方法ではこの色より濃く
はなりそうもなかったから、やはり青田は染液をに っ と り するまで煮詰め、
揉みこむように染めていたのかもしれない。基調となる地色が違ってしまっ
た の で 印 象 が 随 分 異 な っ て し ま っ た 。 また貼付布の解説の「 灰 汁 媒 染 計 り の 染 だ か ら 洗 濯 の 時 灰 汁 を 用 ひ て
さ へ も ら へ ば 色 彩 は 冴 え て 来 る 筈 で も あ る 。」( 中 表 紙 裏 ) に つ い て だ が 、
仕上げた再現布をもう一度椿灰の灰汁につけてみた。そうすると微妙にでは
あ る が 確 か に 鮮 や か さ が 増 し 、 赤 味 が 出 て き た 。 効 果 は あ る よ う だ 。 4.機 仕 掛 け と 製 織
織はおおむね順調に進んだ。青田師匠の厳しい目にさらされている弟子の
気 持 ち で 織 っ た 。青 田 は「 春 、 椿 の 咲 く 庭 を 眺 め 乍 ら ト ン パ タ 、 ト ン パ タ
と 織 っ て い ゐ る と 自 然 に 調 子 が つ い て 歌 が 唄 ひ た く な る 。」( 3 4 頁 ) と 書
いているがこちらはそうはいかない。糸目を飛ばさないよう、テンションむ
らをおこさないよう、細心の注意を払いながら緊張して織った。青田は細心
の注意は払っただろうが、ガチガチに緊張するなどありえない。これで世に
打って出るという意志を持って、どうどうと、それから心にはシンフォニー
を 響 か せ な が ら 織 っ て い た だ ろ う 。 次ページに再現織物の写真を載せる。青田が織った貼付布と全く同じ織物
設 計 の 布 ( 35 羽 の 筬 使 用 ) と 、 そ れ を 52 羽 の 筬 に 入 れ 替 え て 織 っ た サ ン プ
ル 布 、そ れ か ら 実 際 に 着 尺 と し て 一 反 織 っ た 4 8 羽 の 筬 使 用 の も の 、3 点 で あ
る 。 36
筬 52 羽 、 経 糸 104 本 /寸 の サ ン プ ル 織 。
筬 3 5 羽 、 経 糸 7 0 本 / 寸 。 青 田 の 設 計 通りに織ったもの。
筬 4 8 羽 / 寸 、 経 糸 9 6 本 / 寸 。 実 際 の 着 尺 と し て 織 っ た も の 。 37
5.総 論
出来上がったものは、青田のものと比べて随分おとなしく均整が取れてい
る。決してドンゴロスのようではない。それは昭和初期と平成の時代の差の
ようにも感じられるし、青田と私の実力の差でもあり、人物の違いであり、
ま た 再 現 と い う 制 約 の た め で も あ る と 思 う 。 青田のものは作品性が強く、現実に着用することにあまり重きをおいてな
いように感じた。着用不可能ということではもちろんないが、着手におもね
ることをしない。青田作品を着ることは、ある種青田の芸術の片棒をかつぐ
位の覚悟が必要だったかもしれない。
「 引 き 受 け る 」と い っ て も い い 。ま た そ
の位の意思で「着ること」を含めた「生きること」に向き合っている着手で
ないと着こなすことは出来なかったのではないだろうか。だから一般には売
れ ず 女 優 や コ レ ク タ ー が 求 め る こ と に な っ た の で は な い だ ろ う か 。 事実、私は、再現した着尺を着物に仕立て着ているのだが、織密度が甘く
背 割 れ が 心 配 で 、 活 動 的 な シ チ ュ エ ー シ ョ ン で は 少 々 着 づ ら い 。 青 田 自 身「 お れ は 1 0 年 進 ん で い る ん や 」と 言 っ て い た と い う が 、と ん で も
な い 。少 な く と も 6 8 年 進 ん で い る 。否 、青 田 作 品 を 受 け 入 れ る 土 壌 は い ま だ
出来ていないのではないか。高い技術と精神性を持つ作品を正当に評価し尊
敬すること、それを自分の価値観をもって行うこと。なかなか難しいことで
は あ る の だ が 、 そ れ が 芸 術 と 向 き 合 う 最 上 の 喜 び で あ り 感 動 で あ る と 思 う 。 今回青田の作品の再現はしてみたが、青田のほとばしるような意志の力は
とてもコピーできるようなものではない。似通わなかった部分こそが青田の
真髄といえるかもしれない。いつか自分のオリジナル作品で青田の真髄を再
現 さ せ て み た い と 思 う 。 38
終 章 ・ ・ ・ お わ り に
青 田 五 良 は 昭 和 10 年 に 37 歳 で 亡 く な っ て い る 。 戦 前 に 死 ん だ 人 物 と い う
と 前 時 代 の 遠 い 昔 の 存 在 の よ う に 感 じ る が 、 も し 、 今 生 き て い た ら 105 歳 。
決して不可能な数字ではない。少なくとも昭和を生き抜き、工芸とアートの
次元を引き上げて欲しかったと悔しく思う。もちろん歴史に「もし」はない
し、青田は太く短く、閃光のように生きるタイプの芸術家だったかもしれな
い が 。 しかし今、青田ほどの意志と思想を持って染織に取り組むものがどれだけ
いるだろう。彼はただ美しい布を織り自己満足していたのではない。技術を
追 求 し 、素 材 を コ ン ト ロ ー ル し 、生 産 性 を 考 え て い た 。彼 自 身「 材 料 の 選 択
と其の取り扱い方と其の材料の能力を発揮さす最上の技術とは誰にも
出 来 る 程 度 に 探 し 得 た と 自 信 し て ゐ る 。」
( 3 9 頁 )と 書 い て い る が 、こ の 姿
勢 こ そ 真 に モ ノ を 作 る 人 間 の 態 度 だ と 思 う 。 今回の卒業研究で上加茂織之概念を取り上げ、それこそ舐めるようにして
読んできた。一語一語に立ち止まりながら青田のことを思ったり、昭和初期
の染織界を考えるのは楽しい経験だった。力不足で不十分な点は多々あると
思う。まだまだ青田への興味は尽きず、研究を続けていきたいので、お気付
き の 点 を ご 指 導 い た だ け れ ば 幸 い で あ る 。 実は青田がこの執筆をしていた年齢と今現在の私の年齢はほぼ同じである。
成熟度の違いにただ恥じ入るばかりだ。染織の道は遠く深く複雑で途方に暮
れるが、青田の残してくれたこの上加茂織之概念をひとつの道標に自分の歩
調 で 一 歩 一 歩 歩 い て い き た い と 思 う 。 39
この研究は、次の方々を始め多くの方々の温かい励ましのもと、どうにか
形 に な り ま し た 。 深 く 感 謝 い た し ま す 。 始まりはただの興味だったものを研究のレベルにまで引っ張って下さった
放送大学の森谷正規先生。最大のきっかけを与えて下さり励ましつづけて下
さった和田實さん。実技面では染織家の大先輩小熊素子さん。インド藍の建
て方を教えて下さったばかりでなく青田の作家性に気付かせて下さった仁平
幸春さん。下村輝絹糸博士。資料を拝見させてくださった吉田孝次郎さん。
コ ン ピ ュ ー タ ー ワ ー ク で 助 け て く れ た 武 市 智 和 さ ん 。 本 当 に ど う も あ り が と う ご ざ い ま し た 。 平 成 1 5 年 冬 至 吉 田 美 保 子 参 考 文 献 / サ イ ト 青 田 五 良 「 上 加 茂 織 之 概 念 」 港 屋 、 1 9 3 4 安 達 治 郎 「 古 代 染 誌 」 京 都 市 芸 術 家 協 会 設 立 準 備 会 、 1 9 7 3 河 上 繁 樹 、 藤 井 健 三 「 織 り と 染 め の 歴 史 、 日 本 編 」 昭 和 堂 、 1 9 9 9 ざざんざつむぎ
佐 藤 進 三 「 颯 々 紬 」 港 屋 、 1 9 3 4 佐 藤 進 三 「 や き も の 窯 事 典 」 徳 間 書 店 、 1 9 6 7 佐 藤 信 淵 「 経 済 要 録 」 岩 波 書 店 、 1 9 2 8 澤 田 ふ じ 子 「 染 織 曼 荼 羅 」 朝 日 新 聞 社 、 1 9 8 1 志 村 ふ く み 「 一 色 一 生 」 求 龍 堂 、 1 9 8 2 志 村 ふ く み 「 ち ょ う 、 は た り 」 筑 摩 書 房 、 2 0 0 3 高 橋 新 六 「 京 染 の 秘 訣 」 洛 東 書 院 、 1 9 2 5 富 山 弘 基 、 大 野 力 「 日 本 の 伝 統 織 物 」 徳 間 書 店 、 1 9 6 7 長 崎 盛 輝 「 日 本 の 伝 統 色 」 青 幻 舎 、 2 0 0 1 40
中 江 克 巳 「 染 織 事 典 」 泰 流 社 、 1 9 9 3 仁 平 幸 春 「 + d y e w o r k s F o g l i a 」 h t t p : / / w w w . f o g l i a . j p 藤 井 守 一 「 染 織 の 文 化 史 」 理 工 学 社 、 1 9 8 6 山 崎 青 樹 「 草 木 染 染 料 植 物 図 鑑 」 美 術 出 版 社 、 1 9 8 5 「 昭 和 初 期 物 価 表 」 h t t p : / / w w w . g e o c i t i e s . c o . j p / P l a y t o w n - D i c e 「 染 織 と 生 活 、 n o 2 3 」 染 織 と 生 活 社 、 1 9 7 8 「 染 織 α 、 n o 2 6 0 」 染 織 と 生 活 社 、 2 0 0 2 「 染 色 材 料 カ タ ロ グ 」 田 中 直 染 料 店 、 2 0 0 3 「 ふ る さ と の 歴 史 、 製 糸 業 」 岡 谷 市 教 育 委 員 会 、 1 9 9 4 41
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