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「海部・津島の城跡をめぐる」

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「海部・津島の城跡をめぐる」
「海部・津島の城跡をめぐる」
海部・津島に「城」が 20 ヶ所以上存在していたのはご存知でしょうか。
石碑や説明板によって城跡を示す場所もあれば、堀跡や地面が周囲より高くなっ
ている等の「遺構」という形でひそかに残っている城跡もあります。また、書物や
地元の伝承として語り継がれる城もあるのです。
「城」と呼ばれていても、実際は「砦」の様な簡素な建物であるとか、その土地
の権力者の屋敷であると言った定義や解釈は様々です。
今回はそういった書物に記された謎のままになっている城跡を現地に行って調べ
てみました。
「海部・津島の城跡をめぐる」
展示紹介した城跡一覧表(全 27 ヶ所)
NO.
城跡名称
現在地
①
宇治城
津島市宇治町茶ノ里周辺
②
蜂須賀城
あま市蜂須賀北本郷
③
勝幡城
愛西市勝幡町・稲沢市平和町
④
赤目城
愛西市赤目町杉土居周辺
⑤-1
早尾城(東城)
愛西市早尾町城屋敷
⑤-2
早尾城(西城)
愛西市早尾町城屋敷
⑥
十二城
愛西市町方町新田字十二城
⑦
奴野(ぬのや)城
津島市天王通4 西方寺周辺
⑧
石田城
愛西市石田町村前字城屋敷周辺
⑨
田尻城
愛西市三和町田尻 25 周辺
⑩
小木江(こきえ)城
愛西市森川町村仲周辺
⑪
西保城
愛西市西保町北川原・城之内周辺
⑫
荷之上城
弥富市荷之上町石仏周辺
⑬
鯏浦(うぐいうら)城
弥富市鯏浦字上六町周辺
⑭
大野城
愛西市大野町周辺
⑮
蟹江城
海部郡蟹江町蟹江本町城
⑯
下市場城
海部郡蟹江町蟹江新田大字下市場周辺
⑰
戸田城
名古屋市中川区戸田1周辺
⑱
桂城
あま市七宝町桂城之堀周辺
⑲
松葉城
海部郡大治町西條字城前田周辺
⑳
深田城
海部郡大治町西條字城前周辺もしくは
あま市七宝町大字桂字深田
㉑
前田城
名古屋市中川区前田西町 1-904 周辺
㉒
助光城
名古屋市中川区助光 1 周辺
㉓
榎津(よのきつ)城
名古屋市中川区富田町榎津字郷中周辺
㉔
荒子城
名古屋市中川区荒子四周辺
㉕
下之一色城
名古屋市中川区下之一色町中ノ切周辺
㉖
江松城
名古屋市中川区富田町江松周辺
㉗
東起(ひがしおこし)城
名古屋市中川区東起町4周辺
海部・津島の城跡について
①
織田長益(有楽斎)の居城で、用水路が堀で、田んぼが城跡だと言われています。
②
蜂須賀小六の菩提寺、蓮華寺に顕彰碑と蜂須賀城跡を示す石碑があります。
③
織田信定が築城し、信秀・信長の出生地と言われています。2ヶ所に城跡の碑があります。
④
愛西市赤目町(旧八開村)の赤 城 神社付近の住宅地が城跡といわれています。
セキジョウ
⑤-1
常徳寺の駐車場に石碑と説明板があります。大橋源三右衛門が築城しました。
⑤-2
西城は石碑等なく遺構は残っていません。
⑥
津島北高校西側の唯称寺入口手前に石碑があります。
⑦
現在の西方寺がある場所が城だといわれています。遺構や石碑等は残っていません。
⑧
立田庁舎から玉泉寺の間にある用水路が城の堀の名残だと言われています。
⑨
愛西市三和(旧立田村)から堤防へ向かうと「田尻城馬洗いの石」の石碑があります。
⑩
道の駅「立田ふれあいの里」から橋を渡った富岡神社に石碑と説明板があります。
⑪
愛西市西保町(旧佐屋町)の北川原から城之内周辺に城があったと言われています。
⑫
弥富市の旧家、服部家住宅の場所が荷之上城だと言われています。
⑬
弥富市鯏浦にある薬師寺に「鯏浦城址」の石碑があります。境内の大楠が当時の名残です。
⑭
尾張温泉近くの日光川を挟んだ、愛西側の農地一角に石碑と説明板があります。
⑮
民俗資料館から奥へ進んだ小さな公園に石碑があります。付近に井戸もあります。
⑯
西尾張中央道と国道一号線が交差する芝切の交差点から東が「下市場」という地名です。
⑰
名古屋市中川区戸田1丁目周辺が城であったと言われています。
⑱
七宝庁舎周辺から法光寺辺りまでが城と言われています。
⑲
大治町西條の三叉路を入った辺りが城跡だと言われています。石碑や遺構はありません。
⑳
城の場所が大治町西條字城前と、あま市七宝町大字桂字深田の 2 つの説があります。
㉑
名古屋市中川区の前田速念寺辺りが城跡と言われています。寺に城跡の石碑があります。
㉒
近くの土之宮神明社に城跡を記す古碑が残っているそうです。
㉓
城主は長田兵庫右衛門で、康正年間(1455∼1457 年)の城だと言われています。
㉔
前田利昌が築城し、城址と言われる富士権現社には利家生誕の石碑があります。
㉕
城跡は新川開発で失い、城跡を記す石碑は現在近くの小学校にあります。
㉖
天正期に土方治兵衛が居城していたと記録に残っていますが詳細は不明です。
㉗
前田三郎四郎が天正年間(1573-91)居城していたと伝えられています。
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