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『あとがき』原書の一部分 - ohtaryu.info

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『あとがき』原書の一部分 - ohtaryu.info
 倚りかからず
もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくない
ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある
倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ
木のり子の詩....
自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志しにすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
太田先生訳者解説
「本書、「世界医療産業の犯罪(化学・医学・動物実験コンビナート」は、NAKED EMPRESS, CIVIS Publications、1982の翻譯である。
著者のハンス・リューシュは、ドイツ系とイタリー系の血を引くスイス人で、英独仏伊の四ヶ国語に通じ、英語で、多くの小説を公刊している作家である。
日本では全くしられていないが、「世界の頂点(Top of the World)」という小説(英文)は、三百万部の大ベストセラーとなり、アンソニー・クィーン主演で映画化されたという。
つまり、もともとは、作家であり、しかも欧米に於ける大流行作家の一人であったようだ。
そうして(或る意味では、功成り、名遂げて、社会的地位をも得た)人物が、晩年近くになって、なぜ、本書のような(きわめてホットで、大やけどをすること確実な)テーマを取り上げる気持ちになったのだろうか。
日本には、リューシュに類する大作家を見出すことは出来ない。
リューシュは、1970年代に入って、医学界と医学産業の、いかがわしい実情に関心を抱き、研究を深め、ついに、動物実験(生体解剖)を批判する「罪なきものの殺害」Slaughter of the Innocents, 1976年という大著を公刊するに至った。
本書、NAKED EMPRESS は、その続編であるが、単なる続編というよりは、前者の次元を超えて著述、というべきかも知れない。
リューシュは、本書に於いて、「実験動物」云々に限定、極限それることなく、それを切り口にして、現代世界体制の秘密の暗部、その最大のタブー部分を白日の元にさらけ出す作業の着手したのである。
….リューシュの著作「罪なきものの虐殺」と本書は、現代世界の秘密の(真の)支配権力にとって、なんとしても葬り去らねばならない「禁断の書」徒なったのである。
…...............
本書には'The Great Medical Fraud' と副題が付けられている。
The Great Medical Fraud'=医学上の大ペテンとなる。
そして、前書の'Slaughter of the Innocent' の
「イノセント」には、イエス・キリストのように、罪なくして死刑に遭う者、の意味が強くひびく。
それは生体解剖される、実験動物たちに注目している。
しかし、この視点では十分ではない。
いや、十分ではないというより、そこには大きな落とし穴が用意されている。
或は、この問題を研究する者を、本筋からわき道に外らす謀略が、ここに仕掛けられている、と言うべきかも知れない。
その謀略とは、動物がかわいそうだ、という、お涙頂だい式キャンペーンである。
リューシュは、しかし、わき道に外れず、端的に本筋を突いた。
リューシュは、本書の冒頭で、「実際、医学探究の試金石として 動物実験を義務づけてきたこの「医学専門家」と呼ばれる集団は、利潤追求に
今日、この主張に同意する医学関係者が増加しており、本書の目的も、この主張を論証することになる。」と述べている。
れ、人類に多大な害毒を及ぼしてきた、史上最大最悪のペテン師集団なのである。
リューシュの貢献とは、...
つまり、これは単なる医学会に限定される問題でもないし、まして「動物かわいそう」式の動物愛護のテーマでもない。
19世紀後半に始まる、石油産業資本の秘密の謀略、それこそが、問題であつたのだ。
通常、動物実験に批判的な医学専門家たちも、そこまで深く追求はしない。
リューシュはどこまでも真実を追求する、練達の作家、著述家として、一つの国にとらわれず、欧米及び全世界にまでも調査結果の網を広げた。
医学専門家たちは、すべての専門家」がそうであるように、視野の狭さがある。
そこで、彼らに、十九世紀後半以降、医学界を襲う怪物の全体像が見えない。
この怪物が、いかなる最終目的と、大戦略を以て医学界を料理しようとしているかが見えない。
リューシュは、ここに、化学工業シンジケート、医学シンジケート、動物実験シンジケート、という、三のシンジケートと、その結合体を見出した。
リューシュは「第四章、権力の実像」で、アメリカ人独立ジャーナリスト、モリス・ビールの「驚くべき薬の話」(1949年)という著作を詳しく紹介している。
ビールは、そこで、アメリカ最大の財閥ロックフェラーの石油会社が、製薬工業に進出し、これを支配下に置くプロセスを解明したという。
製薬工業は、化学シンジケートの一部である。
そして七大石油メジョーは、石油化学(石油を原料とする化学工業)の創業によって、化学産業と結びついた。
大量生産される薬は、消費=販売されなければならない。
つまり、薬の市場が創出されなければならない。
これは、ロックフェラー財閥の至上命令である。
そのためには、治療と反対に、病気が、無理矢理つくりださなければならない。
これが真実なのだ。
もちろん、彼らのこの本音、本当のことは、決して、大衆に知られてはならない。
謀略が不可欠だ。
ロックフェラー財閥は、金/カネの力、インテリ学者を買収し、マスコミを買収し、教育機関を買収し、大学医学部をまるごと買収する。
これが、十九世紀末から二十世紀初頭のアメリカに、現実に生じたことだという。
その魔界は、アメリカから全世界に拡がっていく。
それでは、この化学(製薬)・医学・動物実験コンビナートは、いかなる役割を負わされているのだろうか。
アメリカ、ニューヨーク洲、ナイアガラフォールズの医師J.W.ホッジ博士は、
「AMA=アメリカ医師会は、・・・歴史上類を見ないほどに 危険、かつ先制的な組織」であると、言い、また、リチャード・クニーズ博士は、「AMAはAmerican Medical Association、米国医学協会ではなく、MURDER 殺人協会だ」と公言し、AMA大会の場で、自分の会員書を焼き捨て、「金か命」(1947年)というAMA告発本を著したと、リューシュは
記している。
動物実験は、まさに、この「アメリカ殺人協会」の正体を かくす仮面であり、カモフラージュ・(迷彩)なのである。
リューシュは、しばしば「もはや現代欧米の動物実験医学は、科学ではなくて宗教で
ある」と糾弾しているが。
ここに、彼が「宗教」という意味を、ありきたりの宗教と取るべきではない。
それはむしろ「黒魔術」と記述すべきではなかろうか。
つまり、今日の欧米の(とりわけ、その「最先端」はアメリカだが)動物実験医学の医師たちは、「黒魔術師」以外のなにものでもない。
そして彼らの「黒魔術」テクノロジーの本体ことが、動物実験=生体解剖なのではなかろうか。
地中海周辺の諸文明は、どういうわけか、悪魔とその魔術(黒魔術)の大群を生み出した。
或は、この土地の自然条件に、問題があるのかも知れない。
この地域で、数千年にわたつて蓄積された来た 黒魔術(悪魔学)の、今日的発展形態が、クロード・ベルナール創始にかかる動物実験医学である、と見てよいであろうか。
リューシュは、ここまで見ているわけではないが、「現代医学は科学でも技術でもない、人を救うよりも殺すことの多い偶像崇拝の宗教である」というリューシュの言を、私は、そのように読んでみたいのだが。
・・・・・
しかし、我々は、「科学(製薬)= 医学=動物実験」はもう一歩踏み込んで観察すると、そこに、「マスコミ」を
含めなければならないことに気付く。
つまり「1)化学(製薬)= 2)医学(教育を含む)=3)動物実験=4)マスコミのコンビナート、としなければならないのではないか。
この四ヶ軍団の共同結合体( コンビナート)の威力はまさに天下無敵だ。
こうなると、この力に打ち負かされないものはこの地上に存在しない、とさえ思えてくる。このシステムをまっさきに確立したのは、二十世紀初頭のアメリカである。
アメリカから、イギリスとヨーロッパ大陸へ、そして日本を含む全世界へ、それは輸出されたもののようだ。
しかし、ここに一つの問題(或は、この犯罪 コンビナートにとっての障壁)が生じた。
それは、イギリスでは、クロード・ベルナールの 動物実験 的手法がフランスで時流に乗って台頭して来た直後(1860年代)に、 ベルナールの
助手をしていた医師を中心に、激烈な 動物実験 全廃の運動が起き、かなり
強力なものとしても
発展もした、という事情である(この辺のことについては、 〈「声なき犠牲者たちー動物実験 全廃論」1986年、現代書簡〉にやや詳しく紹介してある)。
この、動物実験 禁止運動の結果、全面禁止の要求は 、英国議会は、1870年代に、文書の上では、動物実験 に、かなり厳しい歯止めをかおける法律を可決した。
そして、BUAV(英国動物実験廃止連盟 )などの運動団体が何万人という会員を集め、各界の有力者(ビクトリア女王も含めて)の指示を得て、協力な運動を展開していたのだった。
そして、イギリスにならって、順次、ヨーロッパ大陸諸国にも、同次元の動物実験 禁止を要求する運動が成立している。
そこで、アメリカ型の「システム」をヨーロッパにも首尾よく移植するためには、こうした、動物実験廃止の団体をうまく料理する(無力化する、無実化する)必要が生じることになる。
リューシュの大きな功績の一つは、この「システム」の謀略を、見事に、徹邸的に見破ったことにあるのではなかろうか。
リューシュはそれを、「潜入的浸透・INFILTRATION」ということばで表現している。
このリューシュの洞察によって、我々はこの システム=犯罪 コンビナートについての状況確認は、飛 に深められた、と私は評価している。
従って、我々は、リューシュによって、
「1)化学(製薬)= 2)医学(教育を含む)=3)動物実験=4)マスコミ=5)動物実験反対運動への潜入的浸透 (そして、必然的に、この反対団体を変質させ、逆に、動物実験陣営の道具に変えてしまう)」コンビナート(共同結合体)、
という図式を与えられる。
まさにこの悪魔の五者共闘、というべき構造が、ニ十世紀の初めから1960年代にかけて、この半世紀の間に、イギリスを含むヨーロッパとそしてアメリカで、完成されたものの如くである。
リューシュが、前著「罪なきものの虐殺」を書いたときには、未だ、この構図の全体、とくに、「潜入的浸透」の構造は見えていなかったのてせはなかろうか。
しかし、その直後からの、見えざる敵=「システム」との大会線の教訓を、リューシュはよく学んだらしい。
本書では、ほぼ、前出の五者共同体/ コンビナートの構造が浮き彫りにされている。
リューシュの戦いの主要なものの一つが、「潜入的浸透」/ INFILTRATIONの国際陰謀の暴露と摘発に向けられざるを得ない。
それでは、この「国際陰謀」の奥の院には何者が鎮座しているのだろうか?
リューシュは、そこに、アメリカのCFR、COUNCIL for FOREIGN RELATIONSHIP
を見出した。
CFRは、「フォーレン・アフェーズ」という機関誌を発行して居り、最近、「中央公論」
誌が、その全論文の日本語訳を毎号連載する契約を取り決めた。しかし、アメリカに於けると同じく、日本でも、その名は、世間には殆ど知られて居ない。
にもかかわらず、第一次世界大戦後に、ロックフェラー家によって設立されたこの機関は、事実上のアメリカの陰の政府である。
そのメンバー(現在ニ、三千人程度か)は、ロックフェラー財閥によって指名され、金融界、産業界、マスコミ、教育、学界、宗教界、芸能界、軍首脳、法 議会、など、ようするにアメリカを動かすすべての実権者たちを網羅して居る。
過去七十年のアメリカ大統領と行政府高官の、殆どすべてが、CFRの会員から供結されて居る、とされる。
ついに、リューシュは、 動物実験問題をたぐり寄せて行くうちに、とてつもない巨大な化け物の尻尾をつかんでしまったわけだ。
事は、センチメンタルな「動物がかわいそう」式、の、うさんくさい、偽善的な、いわゆる 動物愛護問題の次元ではなくて、現代世界と人類の命運にかかわる、きわめて
重大な文明システム、体制問題の次元に深められたのである。」
たべもの学:
たべもの學
第一部「たべもの學入門」以下に述べたように、私の考えでは、人間が守るべき、宇宙の食率には、四つの根本法則があります。
第一、肉食は地球を滅ぼす。
第二、家畜制度全廃論。
第三、殺生肉食禁斷令。
第四、松井桃棲「いのちきはみなしー法華経幻想」。
「いのちきはみなし」では、次のように述べています。
何十億年、何百億年と言ふ宇宙的時間の中で、何十億年、何百億年、と言ふ宇宙的時間の中で、無数の文明が興亡する。
この無數の文明の發生、消滅、興亡の中で、理想的宇宙文明とは何か、それは、宇宙の萬物一體平等である。
従って、法華経の世界では、家畜制度など、問題外である。
WEBは、あるべき理想的宇宙文明の原則を持って居るであろうか。
もちろん、彼らは、そんなものは持って居ない。
彼らの持っている居る唯一の思想は、仮想現實的な數字の
増大である。
彼らが必要としている、觀念的、好き勝手に數字を増やすだけである。
それでは、彼らのそのエネルギーとは何なのだ。
われわれは、驚くべきことを發見する。
それは創造エネルギーでもなく、収縮、破壊エネルギーでもない。
それは嘘のエネルギーである。
嘘のエネルギーとは、ニヒリズムのエネルギーである、と言ふひとが出來る。
ニヒリズムと、収縮、破壊エネルギーの違ひは、どこにあるのか。
遺伝子工學とは、遺伝子を操作することであるが、遺伝子操作は、生命創造エネルギーなのか、生命破壊エネルギーなのか。
それはやってみなければ誰も分からない。
つまりこれは純然たるバクチ。
バクチは、エネルギーなのか、そうでないのか、どつちなのだ。
つまり、この考え方は、現代西洋化學學界全體が、バクチであることの結果である。
西洋人によれば、
第一、宇宙の誕生そのものが、バクチである。
第二、つまり、生命が誕生するか、生命が誕生しないか、それはバクチなのである。
と言ふのである。
つまり、人間が發生するかもしれないか。
それも、バクチである。
人間の食べ物が發生するかどうかも、バクチである。
宇宙に食律があるかどうかもギャンブルである、と言ふことは、何を意味するか。
生命が發生するためには、三つの條件が 必要である。1) 宇宙内に、宇宙物質の約七割の水素星雲が發生すること。2)この宇宙星雲から、太陽が發生すること。3)太陽から、宇宙核融合と、宇宙分裂が發生すること。4)酸素と、水素が生まれ、水素と酸素が結合し
て、大量の水が生まれる。5)この水素と酸素から、生命が發生する。6)一度、 宇宙に水が生まれると奇跡が發生する。7)シャウベルガーが發見したやうに、水は生きて居る。8)現代西洋科學は、そこのところで、決定的な誤 をおかした。9)自然は、法則によって、動くのであつて、ギャンブルによつて、動くのではない。10)自然は虚数によつて動くので
はなくて、胡蘭成學説が述べているように自然界の數は、無から生まれ、空の中に表現され、色(シキ)として現象する。 つまり、般若心經が述べているように、無、空、色である。 日本人は、昔の東洋人のやうに、無、空、色の理論を理解しなければならない。(「評伝胡蘭成」太田龍著)11)水は生命を生む、なぜなら、水は生きているからである。し
かし水は、どのようにして、生命を生むのであろうか。12)坂元邁理論によれば、生命、創造エネルギーの増殖装置が生まれることによって、 生命が生まれることになる。
創造、エネルギー増殖装置とは、すべて、の何億、何十億、何百億年と
STEPHEN KNIGHT 監訳者解説 著者が本書 を読んで、是非とも日本語版を出したい、と一念発起こすしたのは、平成五年頃と記憶している。 それから八年、ついに発刊の運びとなつた。 スティーブン・ナイト(1951~1985)という英国人作家、ないしジャーナリストの名前は、中央公論社から1987年に「知られざるフリーメーソン」(The
Brotherhood:The Secret World of Freemasons'1983)が出版されているので、日本でも一部の読者人消息通には馴染みがある。
にもかかわらず、彼の第一作である本書は、英国の「威 筋」
(コリン・ウィルソンを代表格とする)による 笑的否定的悪評、悪口雑言だけが日本の読者に刷り込まれて、一向にご本尊が姿を現わさない。
私の知るかぎり、本書について、日本においてのある程度まともな、まとまった紹介と論評がなされたのは、著者の主宰する「宇宙の真理」誌、「週刊日本新聞」紙上を別にすれば、「悪魔の生け贄殺人」(第一企画出版刊、1998年六月絶版)第一章「フリーメーソンの儀式殺人ー切り裂きジャック事件」一件のみである(この論述はなかなか高い水準と評価
できるが、一カ所、96頁で、警視総監ウォーレン が消した犯人の落書き、
と解釈している。
スティーブン・ナイト(これは間違いだと思います。STEPHEN とSTEVE/STEVEN)
によれば、フリーメーソンの儀式に関する用語である)。
ナイト弱冠二十四歳で本書を、三十二歳で「知られざるフリーメーソン」を書き、両方ともベストセラーとなった。 これらはまさしく英国の正体、その支配の核心に迫るものであって、 三十四歳そこそこで早々と世を去ってしまつたのは、単純な「病死」とはとても思えない。
本書の米国版に寄せられた1975年の8/31日付の著者序文の末尾で、彼は「我が妻マーゴット、と二人の娘ナターシャとニコール」に深い感謝の意を現している。 このご遺族の方々が、 ナイトの死後、どうしておられるか気がかりである。その健康と を祈らずにはいられない。
本書の価値は、著者が例の事件を、単なる迷宮入りした猟奇的殺人事件の次元できなく、それを英国フリーメーソンの大陰謀として描ききつたところに求めなければならない。
フリーメーソン式殺人の手法によって、ロンドン貧民街イーストエンドの売春婦五人の連続が起きた1888年、それは日本では明治21年にあたる。
その翌年には「大日本帝国憲法」発布、そして第一回帝国議会。 次第に日本の国家支配層は大英帝国の魔力に取り込まれていく。明治35年(1902)には日英同盟締結。 かくして日本のエリートインテリ知識、学者、マスコミ人は、骨の随まで英国崇拝心酔狂人集団と化していく。いわゆるアングロマニア、アングロファイルである。
彼らの目には、ジャック・ロンドンが「どん底の人々」で描いたような十九世紀末から二十世紀初頭、世界の富の渦半を集中する大英帝国の本国に、どれほど悲惨な貧困と荒廃の地獄が集積しているか、まるで見えない。
一八八十年代、英国の貧民下層階級は公然たる反乱を起こしかけていた。
何に対する反乱か。
「ユダヤはいかにして英国を金権 頭権力支配国家に作り変えたか」(1904年ナチスドイツ外務書系機関誌) は必読である。
大英帝国とは実はユダヤ・イルミナティ世界帝国の仮面、仮想に過ぎなかった。
富と名誉と権力と文化文明教育と軍隊と、最上階級に集中し、英国アングロサクソンないしケルトの原住民国民大衆は使い捨ての消耗部品に過ぎない。
そして1880年代後半、貧民労働階級は、この「 」に対して反乱を開始する。
1885,6,7と、英国の政治体制は激動しかけた。
まさにそのとき、なんと、皇太孫エディ、またはクラレンス公が、ロンドン下層階級タバコ屋店員の娘アニー・エリザベス・クルックとひそかに結婚式を挙げ、一女も生まれいる。
そして、その秘密の結婚を、のちに売春婦に落ちるケリーを通じて三人の売春婦仲間が知ってしまったという。
こんなスキャンダルが表面化すれば、それは一拳に革命情勢に飛び火するかもしれない。
その極秘情報はヴィクトリア女王に届く。
女王は「問題」を始末するように、時の首相ソールズベリー侯爵に命ずる。
なお、この侯爵の本名はロバート・セシル。 つまり、十六世紀ヘンリー八世以来
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