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1968年十勝沖地震後のえりも地方の水準点改測結果

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1968年十勝沖地震後のえりも地方の水準点改測結果
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3.1968年十勝沖地震後のえりも地方の水準点改測結果
横山, 泉; 浦上, 晃一; 有松, 啓治
北海道大学地球物理学研究報告 = Geophysical bulletin of
the Hokkaido University, 22: 31-37
1969-08-30
10.14943/gbhu.22.31
http://hdl.handle.net/2115/13961
Right
Type
bulletin
Additional
Information
File
Information
22_p31-37.pdf
Instructions for use
Hokkaido University Collection of Scholarly and Academic Papers : HUSCAP
3
. 1
9
6
8年十勝沖地震後のえりも地方の
水準点改測結果
横山
泉・浦上晃一・有松啓治
(北海道大学理学部地球物理学教室)
一昭和4
4年 4月 受 理 一
1
. まえがき
1968年 5月 16日 09時 49分ごろ,北海道,東北地方ははげしい地震を感じた。
その震源
地はえりも岬南々東約 150km,深さ約 20km,マグニチュードは約 7
.
9であり,有感範囲は中
部地方西部まで半径約 800km以上であっ
た。この地震にともなって津波が発生し,
地震後 10数分ないし約 1時 間 で 北 海 道 の
太平洋岸,津軽海峡沿岸に到達した。北海
道で津波の最も大きかったのはえりも岬周
辺で,
浦河で最高約 285cm, 浜大樹で約
225cmであった。札幌管区気象台1)による
6月 13日までの余震域,および津波の浪源
域を第 1図に示す。浪源域は本震の震央を
含んで,
ほぼ北西,
南東方向に約 200km
に及び,えりも岬に対しては,本震の震央
よりも近い位置にあるようである。震央,
1
0
0Km
余震域および浪源域に近いえりも岬附近の
地殻変動を検測することは,地震発生の機
構
, 日高山脈の運動を論ずる手がかりを与
え,将来の地震予知のための基礎資料とな
るものと期待される。
2
. 水準測量
北海道のえりも地方には,苫小牧から
信広にいたる水準路線があるが,これはえ
第 1図
1
9
6
8年十勝沖地震の余震域および津波の浪源
域(札幌管区気象台)。 点線で固まれた部分が
余震域,破線は各観測点に対応する浪源
・
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津波の第 l波が引き
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押し
× 本震の震央
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) 札幌管区気象台;昭和 4
3年 5月 1
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6
8年十勝沖地震」に関する地震津波調査報告,昭和 4
3年
6月 1
7日
32
横山
第 1表
泉・浦上晃一・有松啓治
.M.7
9
8
9基準)。単位は m m
えりも地方の水準点改測結果 B
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第 2図
1953-1968年間の,浦河 B.M.7989を基準とした,
水準点の変動量分布。単位は m m
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1968 年十勝沖地震後のえりも地力の水準 }~:i、改 i時l 結采
りも 1
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W
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1
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水準路線は 1
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なわれた。この路線のうち, 1
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) か ら 広 尾 市 M.8038) にいたる区間では,いわ
ゆる試金道路の完成後,水準/,(2
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、が利用できない。そこで今回の地
震にともなう地殻変動を検出するために,
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施した。測量の W
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6
8年 6月から 1
2月までであった。使用した器械は, ZEISSOPTON
1
)の往復誤差は 3mm以下と
Ni2(マイクロメーター付)および ZEISS1等原尺である。各鎖古:
した。
ì~jM の B. M 7
989を基準とした場合の,
1
9
5
3年国土地理院による改測結果と, 今回の
1
惑に示す。
改測結果とを第 1表にまとめ,今回の結果の分布を第 2
2
. 考 察
この地域の地殻変動に関してはう
1952年の卜勝沖地震後の再淑J
I
結果について,
国[~地理
院 2) の被告がある。それによれば,!'fJ:iJliJまでの期間が約 40年であるので,直接地震による変動
は半Ij別し到い、とされている。 最近では,中井新二3) によって,
この結果が j自体構造の観点から
考察されている。
1
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5
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第2
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寸志;の傾向を主1るためにひいたものであるがう南ほど,
また日高 l
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年稜ほど,相対
的に隆起する傾向があるようであ
る。しかしその量は小さく幌泉と
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も
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あり,これを傾斜に換算すると,約
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.
2である。第 3区(
I土えりも地方の
地 質 概l
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各および主要断層を示すもの
であるがラ第 2
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の等変動量出主
要断層線にほぼ並行しているようで
ある。すなわち貫入岩市が, Jij~ 積岩
刊:に対して相対的に隆起する傾向が
あるようである。これが永年変化と
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山援に
ともなって現われたかは加な吟味を
必要とする。
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第 3図
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r二,北海道日高地方の地殻変動についての一考察,北海道大学地球物理学研究報告,
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泉・浦上晃一・有松啓治
横山
現在まで,西南日本の太平洋岸の幾つかの 1
1
甲について,次のことが知られている:平時は
111~1 の先端が下るような緩慢な傾斜運動をして,大地震の際には先端が上るような急激な変動を
する。例えば, 1946年の南海道地震 (M=8心に際しての岡田惇・永田武 4) の研究によれば,
室戸岬の先端約 8kmの部分は,
地震前は約 40年以上の期間にわたって,
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/年の割合で傾動しており,
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OoEの方向へ
大地震にともなって,丁度反対の N lOoWの方向へ約 6".2
急変した。そして地震後は再び S100E の方向へ傾動しつつある。第 4図には,
えりも 1申附近
の震央地域と,南海道地震のそれとをそれぞれ同じ縮尺で示しである。
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えりも岬とその附近の地震震央
室戸岬と南海道地震震央
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残留歪のオーダーを示すグラフを求めた。
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1952年の十勝沖地震
(
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6
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(
M
=
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.
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)および 1968年の十勝沖地震 (
M
=
7
.
9
)に際しての,えりも岬附近における残留歪
をこのグラフ上に示すと,第 5図のようになる。南海道地震に際しての室戸岬附近における残
留歪の期待値は,同じく第 5図からは, 10-6に近い値をとる。但し,この地震の場合,室戸岬
附近は余震域に完全に含まれていることが著しい。
えりも地方における 2回の水準点改測の結果,
すなわち , 1912-1953および 1953-1968
の変動量のプロファイルを,浦河のB.M.7989を基準として示すと,第 6図のようになる。前
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第 5図
地震のマグニチュードと震央距離から期待される残留歪
(
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. WIDEMAN & M. W. MAJOR による)。
白丸は
各地震のえりも地方に対するものを表わす。
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浦河ー庶野間の水準点の変動量分ギ!
1
実線・
破線
1953-1968(縦俸は閉塞誤差を示す)
1912-1953(国土地理院の成果による}
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: 1912-1953(
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rIJ上晃一・有松啓治
3
6
者の間隔は壮年:でうこの間にこの地域に影響を及ぼすと考えられる大地震としては,
1915年
三 陸 沖 地 震 の1=8.0),1933年三陸沖地震 (
N
I
=
8
.
3
)および 1952年十勝沖地震がおこっている。
後者の間隔は 15年で,
この間に 1962年広尾沖地震および 1968年十勝沖地震がある。
後者に
ついては, 既に述べたように,貫入岩;;告が堆積岩帯に対して,相対的に隆起を示しているが,
前者法大勢としては後者と似た傾向であるが,
1年と
細部では逆である。前者の再測間隔が 4
非常に長七永年変化と数回の地震の影響とが混在していて,詳細な議論は難しい。後者すな
わち最近 15年間に(土, 2聞の大地震がありラ第 51叉!に示されるそれらの残留歪が加算されると
すれば, 10 6のオー夕、ーと考えられる。南海道地震に際して室戸川で観測された地殻変動に比
較して,今回のえりも地方で観測された変動は,その量が著しく小ざい。その解釈としては,
1
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8年十勝沖地震後のえりも地方の水準点改測結果
3
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5年間の永年変化の殆んどが, 2回の地震にともなった変動で相殺されたか, 日高山脈の構造
が西南日本の太平洋岸の岬とは異なっているかであるが,現在ではその何れとも断定できな
い。今後引き続いて,また広範聞にこの地方の水準測量を繰返して,変動量:が時間的に如何に
変化するかを調べることにより,何らかの手掛りが得られるものと期待される。
今回の地震に際して地殻変動が生じたか否かを生1る た め に , 各 地 の 検 潮 記 録 を 調 べ て み
た。浦河(海上保安庁),十勝港(北海道開発局)では,スケールアウトのため明瞭ではない。広
尾港および苫小牧港(北海道開発局)の検潮記録の写しを第 7凶に示すが,著しい変動はないよ
うである。えりも岬附近が地震の聞に約 4cm隆起したとしても,
この変動量を検潮記録に求
めることは困難なことと思われる。
謝 辞
長期間の困難な肝外測定において,終始筆者らを援助して下さった教室の学生活君に深甚
な感謝の意を表します。なお木研究に要した費用の大部は,昭和 43年度特定研究「災害科学」
の r
1
9
6
8年十勝沖地震調査研究」の研究費によってまかなわれたものであります。
3
. Results of Resurvey of Precise Levels in the
Erimo District
,Hokkaido,after the
1968 OffTokati Earthquake
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