...

2016 年の 視点

by user

on
Category: Documents
11

views

Report

Comments

Transcript

2016 年の 視点
2 016 年 の
視点
日本と世界 の明日
を読 む
登場した識者
若田部 昌澄
土居 丈朗
竹中 平蔵
ジェフリー・フランケル
河野 龍太郎
中窪 文男
ケネス・ロゴフ
伊藤 元重
マイケル・スペンス
モハメド・エラリアン
寺島 実郎
ビル・エモット
大田 弘子
山下 一仁
ヌリエル・ルービニ
星野 佳路
武者 陵司
武田 洋子
ケビン・メア
熊谷 亮丸
加藤 隆俊
エドマンド・フェルプス
ロバート・フェルドマン
イアン・ブレマー
エドウィン・トルーマン
グレン・ハバード
リチャード・カッツ
(敬称略、配信順)
消費増税の凍結と
科学研究予算の
倍増
若田部昌澄氏
2016 年の日本に必要な決断を 3 つ挙げる
とすれば、消費増税の凍結と科学研究予算の
倍増、そして政府の名目国内総生産(GDP)
600 兆円目標と合致する金融政策運営だと、
早稲田大学の若田部昌澄教授は指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
消費増税の凍結と
を示すクレジット・デフォルト・スワッ
ノーベル賞連続受賞でも安心は禁物、
財政再建戦略見直しが必要
プ(CDS)スプレッドも低位安定してい
科学研究予算の倍増検討を
2017 年 4 月に、消費税の再増税(8% か
る。一部のエコノミストが予測したような、
15 年もノーベル賞受賞者を輩出して、
ら 10% への税率引き上げ)が予定されて
消費税先送りによる株価の下落も起きな
日本の科学界の水準の高さが示された。し
いる。これを回避するためには、16 年 10
かった。
かし、これで安心してはいけない。いって
月までには決断が必要となる。
なお、一部の財政学者は経済停滞の理由
みればノーベル賞は過去の栄光をバックミ
14 年 4 月の増税後、経済の回復はまだ
を人手不足などの供給制約に求めている
ラーでみているようなもので、今後につい
まだ弱く、17 年の再増税は日本経済に大
が、現状で失業率は下がり続けていながら
ては暗雲が立ち込めているからだ。
きな打撃を与えるだろう。増税にこだわ
名目賃金の急上昇は実現していない。需給
研究に必要なのはお金と自由な思索にふ
るあまり経済再生を腰折れさせるようで
ギャップが存在することからも日本経済の
ける時間。お金については国の研究予算が
は元も子もない。増税の暁には首相が唱
問題が需要不足であるのは明らかだ。
減少している。また、04 年の国立大学の
える 20 年までに名目国内総生産(GDP)
増税の凍結に合わせて、財政再建戦略を
600 兆円を目指すという宣言は画餅に帰す
見直し、本当に信頼するに足る戦略を策定
だろう。
することが必要である。第 1 に、何よりも
独立行政法人化で、研究者にとって貴重な
思索にふける時間も減っている。
この問題については、豊田長康氏(鈴鹿
増税は国際公約ではなく、実際に 15 年
必要なのは、増税のみによる財政再建は不
医療科学大学学長)の研究報告書が詳しい
10 月の増税は回避された。その後、長期
可能であることを率直に認め、経済成長を
(「運営費交付金削減による国立大学への
金利はさらに低下し、国債の信用リスク
優先する財政再建戦略に切り替えることだ
ろう。名目 GDP600 兆円を目指すという
首相の掲げた目標はその中心になり得る。
第 2 に、補正予算から本予算にかけて、
緊縮的ではない予算措置が必要だ。無駄は
許容してはいけないが、緊縮では財政再建
はできない。
第 3 に、消費税を社会保障目的税とする
ことをやめるべきだ。逆進性の強い消費税
提供写真
は、そもそも社会保障の財源としてなじま
ない。社会保障費が消費税増税の人質と
なっている現状をやめるべきだ。そのため
には社会保障と税の一体改革に関して野田
民主党政権当時の 12 年 6 月に交わされた
民主、自民、公明の「3 党合意」の破棄が
必要だろう。
若田部昌澄
早稲田大学教授
若田部昌澄氏は、早稲田大学政治経済学術院
教授。1987 年早稲田大学政治経済学部経済
学科卒業。早稲田大学大学院経済学研究科、
トロント大学経済学大学院に学ぶ。ケンブリッ
ジ大学、ジョージ・メイソン大学、コロンビ
ア大学客員研究員を歴任。専攻は経済学、経
済学史。
「経済学者たちの闘い」
「改革の経済学」
「危機の経済政策」
「ネオアベノミクスの論点」
など著書多数。
—1—
影響・評価に関する研究 ~国際学術論文
50% 増、主要 7 カ国(G7)諸国や台湾に
CPI)なのか、食料(酒類を除く)とエネ
データベースによる論文数分析を中心とし
追いつくには倍増する必要があると指摘し
ルギーを除く総合指数(コアコア CPI)な
て~」)。
ている。
のか、それとも生鮮食品を除く総合指数(コ
これは渾身の力作というべきで、「日本
もっとも、科学研究費で幅広く配分され
ア CPI)なのかを再度明確にすべきである。
の研究力(学術論文)の国際競争力は質・
る「基盤研究(C)、挑戦的萌芽研究、若
現状で、原油価格が最安値を更新しており、
量ともに低下した」こと、「学術分野の違
手研究(B)」の研究資金は、15 年度予算
コア CPI での 2% 達成はかなり難しい。他
いにより論文数の動態は異なるが、国際競
で 323 億円。倍増しても 646 億円である。
方、コアコア CPI は現状で上昇傾向を示
争力の高かった分野ほど論文数が大きく減
折しも、政府の総合科学技術・イノベーショ
している。
少した」こと、そしてその要因として、1)
「高
ン会議専門調査会は 15 年 12 月 10 日、「第
第 2 に、予想インフレ率をどこまで重視
等教育機関への公的研究資金が先進国中最
5 期科学技術基本計画」の最終答申案にお
するかを明確にすべきだ。予想インフレ率
も少なく、かつ増加していないこと」、2)
いて、政府の研究開発予算を国内総生産
は上昇傾向を示しておらず、今後は物価上
(GDP)の 1% 程度を 5 年間続ける 26 兆円
昇のスピードが鈍化する可能性がある。以
「高等教育機関の FTE(注 : フルタイムの
研究時間数で測った)研究従事者数が先進
の構想を示した。成長戦略を言うならば、
上が示唆するのは日銀による追加緩和であ
国中最も少なく、かつ増加していない」こ
政府は本気で科学技術振興にテコ入れする
るが、そのための論理の整備が必要である。
と、3)「博士課程修了者数が先進国中最も
ことが望ましい。
第 3 に、政府が掲げる名目 GDP600 兆円
少なく、増加していない」こと、4)「論文
達成について日銀はどう関与するのかを明
数に反映され難い政府研究機関への公的研
名目 GDP600 兆円達成と
確にすべきだ。短期的には財政政策の役割
究資金の注入比率が高く、大学研究費の施
整合的な金融政策運営
が大きく、名目 GDP には実質成長率が関
設・設備費比率が高い」ことなどが指摘さ
れている。
政府の目標と日銀の物価上昇率目標は整
わるため、日銀だけの責任にはならないと
合的に運営される必要がある。現時点で、
はいえ、名目値に影響を及ぼすのは中長期
豊田氏は、日本のピーク時を取り戻す
日銀は 2% の物価上昇率を目指しているも
的には金融政策である。金融政策論では名
には、「各大学の基盤的研究資金、FTE 研
のの、その到達時期は 16 年の後半にずれ
目 GDP 水準目標の望ましさも取りざたさ
究者数(研究者の頭数×研究時間)、およ
込んでいる。
れている。政府と日銀の間での目標共有に
び幅広く配分される研究資金(狭義)
」を
第 1 に、日銀は目標値が生鮮食品とエネ
現状から 25% 増加、韓国に追いつくには
ルギーを除く総合指数(日銀版コアコア
ついて、改めて確認することが望ましい。
なお、12 月 18 日の金融政策決定会合で、
日銀は「補完措置」を導入した。これは日
銀の言うとおり、あくまで現行の金融緩和
を継続するための「補完措置」であって、
14 年 10 月 31 日のような追加緩和ではな
く、一部の報道でいう「バズーカ 3」など
というのは全く当たらない。
ただし、「補完措置」は追加緩和ではな
いが、今後の追加緩和を否定するものでも
ない。16 年中のどこかで追加緩和が必要
になると私は考えるが、今回はまだ追加緩
和と呼ぶべきではない。日銀も必要とあれ
ば躊躇(ちゅうちょ)なく緩和をすると言っ
ており、その可能性はある。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2015 年 12 月 21 日)
—2—
アベノミクスの
「リセット」
竹中平蔵氏
安保一色から経済重視へ回帰した安倍政権
に必要なのは、政策の「リセット感」だと、
竹中平蔵・慶応義塾大学教授は指摘する。具
体策としては、公共インフラ運営を民間に委
ねるコンセッション方式を活用した東京・大
阪間リニア新幹線開通など、スケールの大き
な政策論議の必要性を説く。
同氏の見解は以下の通り。
国税庁と年金機構を統一し、
外はあるが、農業・医療・福祉など様々な
五輪後にらみ官民共同で
歳入庁新設を
分野で民間の活力を阻む壁は依然として多
リニア新幹線整備
2016 年は、アベノミクスのリセットが
い。民間主導の好循環を生むためには、今
もう 1 つ、リセット感につながるスケー
うまく行くかが問われる年だ。リセットに
以上の規制緩和で投資機会を大きく増やし
ルの大きな構想として、供給力の強化をも
は、2 つの側面がある。1 つは、14 年 4 月
ていくことが求められる。
たらす国家プロジェクトを提唱したい。公
の消費税増税後に落ち込んだ経済の仕切り
一方で、財政や社会保障に対する不安も
共インフラの運営権を民間に売却するコン
直し。もう 1 つは、世間に映る政策論議の
払拭(ふっしょく)しなければならない。
セッション方式を活用したリニア中央新幹
印象を安保一色から経済重視に引き戻すこ
はっきり言って、歳出削減に向けた流れは、
線整備計画だ。
とだ。
小泉政権時と比べて大きく後退したままと
JR 東海は、リニア新幹線について 27 年
実は、このいずれのリセットボタンも
なっている。小泉政権下の「骨太の方針
にまず東京(品川)―名古屋間、45 年に
15 年後半にすでに押されているが、「リ
2006」では、歳出にキャップ(上限)を設
大阪までの延伸開業を目指すとしている
セット感」はまだ十分に出ているとは思え
けた。しかし、アベノミクス下では単年度
が、悠長すぎるように感じる。一企業に荷
ない。
のキャップは財政の硬直的な運営を招くと
が重いならば、名古屋から先は公共事業と
の批判もあり、18 年度に中間目標を設け、
して整備し、その運営を民間に委ねる手法
例えば、名目国内総生産(GDP)600 兆
円目標を掲げるのは良いが、これは従来の
いわば複数年で緩やかなキャップを設けた
成長率目標(実質 2%・名目 3% 程度)を
形になっている。
言い換えただけに過ぎない。名目 3% 成長
緩やかなキャップしか設定できないので
を 6 年続けたら、現在 500 兆円の GDP が 1.2
あれば、歳入面でやるべきことがあるだろ
倍の 600 兆円になるのは自明の理だ。
う。例えば、税や社会保険料の徴収漏れ対
また、法人減税の前倒しが話題になって
策だ。
いるが、現在 32% 台の実効税率を 29% 台
実は、日本には広義の税である社会保険
へ引き下げることは、国際標準に照らせば
料も含めると数兆円規模の徴収漏れがある
マイナーチェンジだ。さらに、政府が企業
と言われている。せっかくマイナンバー制
に賃上げや設備投資の拡大を求めるのは自
度を導入したのだから、将来的に国税庁と
由だが、企業が現預金をため込んでしまう
日本年金機構を統一して歳入庁を新設し、
のもデフレ下では合理的な経営判断だった
この問題の解決にあたるぐらいの構想力が
からだ。この姿勢は今後物価が上がってく
欲しい。
る中でおのずと変化するだろうが、国内に
特に首相直属の経済財政諮問会議には、
振り向けられるかは、ひとえに投資機会の
マクロ経済運営の王道を行くようなスケー
多寡にかかっている。
ルの大きな政策論議を期待したい。それが
残念ながら、構造改革によって投資機会
を創出する努力を政府が十分に行っている
できれば、本当の意味でのリセットができ
ると思う。
提供写真
竹中平蔵
慶応義塾大学教授
竹中平蔵氏は現在、慶應義塾大学教授・グロー
バルセキュリティ研究所所長。1951 年和歌
山県和歌山市生まれ。一橋大学経済学部卒。
日本開発銀行(現日本政策投資銀行)などを
経て慶大教授に就任。2001 年小泉内閣で経
済財政政策担当大臣。 02 年経済財政政策担
当大臣に留任し、金融担当大臣も兼務。04 年
参議院議員当選。05 年総務大臣・郵政民営化
担当大臣。現在、政府産業競争力会議の民間
議員、国家戦略特別区域諮問会議の有識者議
員を務める。
とは思えない。特区レベルの取り組みで例
—3—
も検討の余地があるだろう。そのうえで、
27 年の東京―大阪間の全面開業を目指せ
ば良い。
これは、20 年の東京五輪後の日本経済
を考えるうえでも、期待をつなぐ目標とな
るのではないか。振り返れば 04 年のアテ
ネ五輪後、ギリシャには財政赤字が残った。
それを見た英国は 12 年のロンドン五輪に
向けて「レガシー」という言葉を使い、五
輪後に何を残すかを考えた。そして国際会
議や展示会など MICE(マイス)に対応し
た都市づくりを進め、実際、ロンドンは今
や MICE の先進地となっている。
日本も五輪後にますます厳しい財政状況
が予想されるのだから、民間の活力を生か
しつつ期待をつなぐための大きな仕掛けを
今から考えるべきではないか。リニアが難
しいと言うならば、例えば人口 20 万人以
上の全都市にコンセッションを義務づける
のはどうか。大きな金額が動くだけでなく、
「行革」の側面も持ち得る。
こうした構想は、絵に描いた餅とは思わ
ない。国家戦略特区でもすでに進展はある。
農業分野に企業が続々と参入している兵庫
県養父市や、国内では事実上 38 年ぶりと
なる医学部新設が決まった千葉県成田市な
どはその好例だ。
また、コンセッションについても、仙台
同市場(メルコスール)の新たな動きも加
通貨基金(IMF)改革の批准の遅れが記憶
わり、複雑な様相を呈している。
に新しい(IMF 改革は 12 月 18 日に米議
空港と関西・伊丹空港の引き受け主体が決
こうした状況下で、日米が中心となって
会がようやく承認)。
まったほか、上下水道や高速道路でも計画
先陣を切り、世界の GDP の 4 割を占める
この点について安倍政権にできることは
が具体化している。このうち関空のケース
地域において、投資や国有企業、労働・環
限られるが、場合によっては、日本が先
は、世界的に見ても大きな規模だ。こうし
境など幅広い分野のルールづくりで大筋合
行して批准するのも米国に対するプレッ
た動きが加速すれば、リセット感は高まる
意したのは、文字通り画期的なことだ。
シャーとしては有効だろう。日本は交渉参
TPP は自由貿易促進という経済的なメ
加まで 2 年かかった。言い換えれば、予備
リットだけでなく、それ以上に、地政学的
期間が 2 年あったので、TPP 批准は米国
TPP は最高の安全保障、
に重要な意味を持つ。なぜなら、相互の投
に比べればハードルが低いはずだ。世界の
日本は先行批准も選択肢
資が進み、地域内で深いサプライチェーン
新たな通商体制をけん引するチャンスを日
が整備されれば、切っても切れない最高の
本は逃してはならない。
だろう。
最後に重要な点を言い添えれば、15 年
に環太平洋連携協定(TPP)が大筋合意に
安全保障関係になるからだ。
至ったことは、安倍政権の大きな成果だ。
ただ、不安があるとすれば、16 年に大
世界では今、いくつもの「メガ FTA(自
統領選を迎える米国で議会承認が難航する
由貿易協定)」構想がしのぎを削っている。
可能性があることだろう。万が一、米国が
米国と欧州連合(EU)の間で進む環大西
批准できないような事態に陥れば、同国の
洋貿易投資パートナーシップ(TTIP)協
アジア太平洋地域に対するコミットメント
議や、日中韓 FTA 構想、そして東南アジ
が揺らぎ、影響力が低下するのは必至だ。
ア諸国連合(ASEAN)加盟 10 カ国に日
実は米国は、はしご外しの常習犯でもあ
中韓、インド、オーストラリア、ニュージー
る。古くは第 1 次世界大戦後、当時のウィ
ランドを加えた東アジア地域包括的経済連
ルソン米大統領が国際連盟の創設を提唱し
携(RCEP)構想、さらに旧来からある北
たものの、米議会の反対で加盟できなかっ
米自由貿易協定(NAFTA)や南米南部共
た。近年では、京都議定書の未批准や国際
—4—
本稿は竹中平蔵氏へのインタビューをもとに、同氏の個人
的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2015 年 12 月 21 日)
2016 年の
日本経済、
20 の疑問
河野龍太郎氏
2015 年 度 前 半、 日 本 経 済 は 全 く 回 復 し な
かった。潜在成長率がゼロ近傍にあるのだか
ら、
当然と考える人もいるかもしれない。だが、
現実には安倍政権がスタートして、実に 11
四半期中 4 四半期がマイナス成長である。
アグレッシブな金融緩和で株価が上昇すると
しても、それは金融的現象であり、実体経済
の成長は全く期待できないとした 3 年前の筆
者の予想通りの結果となっている。
では、16 年はどうなるのか。以下、筆者がよ
く尋ねられる疑問に答える形で、日本経済の
ないため、雇用者所得の改善は限定的なも
困難になっているため、生産拠点を海外
見通しを考察したい。
のにとどまっている。
にシフトする動きが続いている。これに
国内マクロ経済編
Q1) アベノミクス下でマイナス成長
近年、個人消費が弱いのは消費増税の影
循環的要因が加わった。14 年初めに経済
響もあるが、円安で輸入物価が上昇し家計
が完全雇用に入り、人手不足傾向が強まっ
の実質購買力が抑制されている点も影響し
た。失業率はすでに 3% 台前半で定着して
ている。円安は、家計から輸出企業に所得
いる。
移転をもたらすだけに終わっている。
が散見されるのはなぜか。
アベノミクス下で高成長を実現したのは
13 年度だけだ。もちろん、14 年度は消費
増税が影響。15 年度は中国など新興国経
Q3) 輸出数量が増えないのは
面した加工組立業は生産拠点のグローバ
中国など新興国経済減速の影響では。
ル分散の重要性を認識し、その動きを加
確かに、その影響は相当に大きい。ただ、
済の低迷も影響した。だが、低成長の大き
輸出数量が増えていない最大の理由は供給
な理由は供給サイドにもある。
サイドにある。
まずアベノミクス開始時点では、マイ
通貨が大幅に減価した際、理論上、輸出
ナス 2% 程度の需給ギャップが存在してい
企業には 2 つの選択肢がある。現地通貨
た。第 1 の矢と第 2 の矢の合わせ技による
ベースの価格を引き下げ、輸出数量・国内
ヘリコプターマネーによって、13 年は高
生産を拡大する戦略と、現地通貨ベースの
い成長が可能となったが、その結果、14
価格を据え置き、利益率改善を図る戦略
年年初には、経済のスラック(弛み)はほ
だ。過去 3 年間、円は対ドルで 4 割近く減
ぼ解消していた。すでに潜在成長率は 0.3%
価したが、輸送機械工業や一般機械工業は
とゼロ近傍まで低下しているから、スラッ
現地通貨ベースの価格を全く引き下げてい
クが解消された後、補正予算を編成しても
ない。輸出企業は円安に対し、輸出数量や
金融緩和で円安に誘導しても高い成長の継
国内生産の拡大ではなく、利益率引き上げ
続は難しくなっていたのだ。
で対応した。
Q2) 円安に対し否定的な見方が
Q4) 大幅円安でも企業が
増えている理由は。
国内生産拡大を狙わないのはなぜか。
アベノミクスの最大の誤算は、大幅な円
3 つ目は構造的要因だが、11 年の東日本
大震災の際、サプライチェーン寸断に直
理由は 3 つある。まず構造的要因だが、
安にもかかわらず、輸出数量が全く増えな
生産年齢人口、労働力は 1997 年にピーク
かったことだ。円安で輸出企業の業績は著
を打ち、減少傾向を続けている。輸出企業
しく改善したが、輸出数量が全く増えてい
にとり、特に若年雇用の安定確保が国内で
—5—
速させた。これらの 3 つの要因が大幅円
安の効果を相殺したのだ。
Q5) 15 年度の高い投資計画は
実行されないのか。
日銀短観によると、大企業・製造業は前
提供写真
河野龍太郎
BNP パリバ証券 経済調査本部長
河野龍太郎氏は、BNP パリバ証券の経済調
査本部長・チーフエコノミスト。横浜国立大
学経済学部卒業後、住友銀行(現三井住友銀
行)に入行し、大和投資顧問(現大和住銀投
信投資顧問)や第一生命経済研究所を経て、
2000 年より現職。
年比 15% 程度の設備投資計画を打ち出し
ているが、設備投資は 4―6 月に減少した
後、7―9 月も冴えない。設備投資の先行
指標となる機械受注統計も 7―9 月は大き
く落ち込んだ。減少には 14 年度補正予算
による中小企業向け設備投資補助金の効果
剥落も影響しているが、加えて新興国バブ
ル崩壊の影響で企業が設備投資の執行を先
送りし始めたのだ。
問題はこれが一時的現象で終わらない可
能性だ。中国など新興国の潜在成長率低下
に対応し、日本企業の成長期待が低下、資
本蓄積を一段と抑えるならば、16 年も設
備投資は控えられ、更新投資中心の緩慢な
回復にとどまる。
幸いにして、大幅円安でも積極投資が行
われなかったことから、国内に過剰ストッ
るわけではない。多くの人が考える以上に、
留、賃金上昇は限られ、家計には恩恵の一
クは積み上がっていない。新興国に対する
設備投資は国内ですでに行われていたとい
部しか流れていない。
成長期待の低下もあり、潤沢なキャッシュ
うことだ。
ガソリン安など家計が直接メリットを受
けたものもあるが、円安による輸入物価上
フローの下で控えめな設備投資が継続、あ
るいは成長期待の低下に伴い 16 年中にス
Q7) さらに円安が進めば
昇によって、エネルギー価格下落の恩恵は
トック調整が訪れるだろうか。
輸出数量や設備投資は増えるのでは。
かなり相殺された。輸出数量が全く増えて
実質円安がさらに進めば、生産拠点の国
いないため、円安は非輸出部門への課税
Q6) 統計が示す以上に
内回帰が多少は生じ、輸出数量も増えるだ
を原資とした輸出企業への補助金と化して
設備投資は増えているのか。
ろう。現に一部白物家電では国内回帰がみ
いる。
られる。だが、経済が完全雇用の領域にあ
それでも非製造業からの円安に対する不
海外での生産能力増強や販売能力強化のた
ここ数年、日本企業が注力してきたのは、
るため、経済全体のパイはそれほど変わら
満が抑えられている理由の 1 つは、エネル
めの投資だが、国内では研究開発投資だ。
ず、非製造業の経済活動に支障をきたすだ
ギー価格下落による交易利得の改善を非製
研究開発投資はリーマン危機後、一時落ち
けだろう。
造業も享受しているためだ。労働分配率は
込んでいたが、13 年から回復してきた。
仮に国内生産の利益率の改善を背景に、
90 年以来の低水準にある。原油安による
ただ、1993 年に国連が勧告した国際基
製造業が生産増のために必要な雇用を国内
交易利得の改善は、その多くを企業が享受
準(1993 SNA)に基づく現行の国内総生
で増やすと、それは非製造業から奪うこと
しているため、消費喚起につながっていな
産(GDP)統計では、研究開発投資は中
になる。すでに多くの産業でフルタイム労
いのだ。
間投入として扱われ、GDP にはカウント
働の採用が困難であり、企業は高齢者や主
されない。16 年に、研究開発投資を設備
婦の採用で対応している。輸出企業を利す
投資にカウントする 08 年版国民経済計算
ることは非製造業からの成長分野の出現を
14 年年初に日本経済は完全雇用の領域
体系(2008 SNA)の導入が始まれば設備
阻害することになり、同部門の資本蓄積が
に入ったが、その後は需給ギャップ改善が
投資が 15 兆円程度膨らむが、実態が変わ
遅れる。輸出企業でも収益性の低い資本ス
止まった。需給ギャップ改善が始まれば、
トックを増やすだけとなる。経済が完全雇
賃金上昇は進むはずだ。潜在成長率が 0.3%
用にある中で円安を促す追加緩和を行って
と低いため、それほど高くはない成長率の
も、資源配分や所得分配を大きく歪めるだ
下でも需給ギャップ改善が可能となる。16
けで、経済的メリットは小さい。
年末までには 3% 前後の失業率が定着する
Q9) 16 年も賃金回復が遅れるのか。
可能性がある。
Q8) 原油安が消費喚起に
つながらない理由は。
ただ、日本の賃金統計は月給ベースであ
り、賃金回復が遅れて見える可能性はある。
原油安で 7 兆円程度の交易利得が発生し
14 年年初以降、人手不足からフルタイム
たと推計される。名目 GDP の 1.4 ポイン
労働の採用が困難となっているが、その代
トを超えるオーダーであり、これが家計に
替として企業は労働時間の短い高齢者や主
向かえば、消費を大きく刺激するはずだが、
婦の採用を増やしている。このため平均賃
実際には多くの部分が企業に利益として滞
金の上昇が抑えられている。
—6—
一方で労働者の頭数は増えているため、
足元の景気減速も抑制要因となる。
れない。外部環境が不透明なため、企業は
賃金上昇も抑える。統計が示すほど悪くは
雇用者報酬は回復傾向にあり、実質ベース
で見ても消費増税前の水準まで回復しつつ
Q11) 雇用者報酬の回復に比べ、
ないにせよ、16 年も個人消費は冴えない。
ある。業界統計を見ると、経済が完全雇用
消費回復は鈍くはないか。
効果のほどは疑わしいが、3 兆円超の 15
年度補正予算編成は数字の上では GDP を
の領域に近づいた 13 年末以降、例えば派
実質雇用者報酬は消費増税前の水準まで
遣スタッフの平均時給は伸びが加速した
戻りつつあるが、一方で消費水準は増税後
が、その後、需給ギャップの改善が止まり、
の落ち込みからほとんど回復していない。
これらの結果、15 年度後半は 0.3% の潜
伸び率は高まっていない。
理屈上、考えられるのは、円安や資源安で
在成長率並みの成長が続くと考えられる。
業績が改善した企業で平均賃金が多少は改
ただ、16 年第 4 四半期以降、17 年 4 月の
Q10) 16 年もベアは
善し、勤労者世帯の実質購買力が回復する
消費増税前の駆け込み需要が発生し、16
引き上げられるか。
一方、高齢者世帯では企業業績改善の恩恵
年度は 1% 程度の成長になる。駆け込み需
押し上げる。
ベアは 14 年の 0.4% に続き、15 年も 0.6%
を全く受けないことがある。この結果、円
要による成長率押し上げは翌年度の需要
引き上げられた。だが一方で 15 年の夏季
安による輸入物価上昇の悪影響を相殺でき
先食いに過ぎないため、暦年の成長率を見
賞与は減少した。後知恵で考えると、財界
ない。
ると、16 年は 0.6% と 15 年の 0.6% と変わ
は賃金上昇を要請する安倍首相の顔を立て
もう 1 つの仮説は、所得税が回復してい
らない。15 年と同様、潜在成長率をわず
る形でベアを 2 年連続引き上げ、一方で総
るだけでなく、消費税収も上振れが続いて
かに上回る緩慢な成長が続くということで
人件費コントロールの観点から賞与支給を
いることを考えると、消費関連の基礎統計
ある。
引き下げたということだ。
が実態を過小評価している可能性が高いこ
とだ。
金融政策編
の同期間の前年比は 0.1% 減と増えていな
Q12) 16 年の成長加速は
Q13) 2% インフレは再び先送りか。
い。多くの大企業にとり、資本市場からの
期待できないのか。
実際、15 年 4―9 月の所定内給与の伸び
率は 0.3% だが、賞与を含む現金給与総額
プレッシャーが強い中で、3 年連続のベア
中国経済の足踏みが続くことなどから、
10 月のコアインフレ(生鮮食品を除く
消費者物価)は前年比マイナス 0.1% だっ
引き上げは容易ではないが、官邸の強い要
16 年も輸出の強い回復は全く期待できな
たが、コアコアインフレ(生鮮食品とエネ
請もあるため、ベアは 15 年と同程度か多
い。さらに新興国の低迷は、日系企業の成
ルギーを除く消費者物価)は 1.2% だった。
少のプラスアルファで妥結されるかもしれ
長期待に少なからず悪影響を与え、国内設
需給ギャップの物価へのタイムラグは 2
ない。しかし、賞与を含む現金給与総額で
備投資も更新投資の範囲にとどまる。超円
四半期程度だが、今後、円安による物価押
見ると、わずかな上昇にとどまるだろう。
安環境が続いても設備投資の加速は予想さ
し上げ効果も剥落することなどから、2015
年第 4 四半期から需給ギャップの改善が再
開しても、コアコアは 16 年第 3 四半期ま
で 1.2% 程度で足踏みする。その後、緩や
かに上昇が再開、16 年第 4 四半期は 1.3%、
17 年第 1 四半期は 1.5% まで上昇する。
コアインフレは、原油安のベース効果か
ら 15 年第 4 四半期までゼロ近傍で推移す
る。その後、原油安効果の剥落が始まる
が、今夏の原油安効果も残存するため、16
年第 1 四半期は 0.4%、第 2 四半期は 0.4%、
第 3 四半期は 0.8% の上昇にとどまり、原
油安効果が完全に剥落する 16 年第 4 四半
期に 1.1% と、ようやく 1% を超える。
17 年第 1 四半期は 1.6% とインフレ率が
加速するが、これは消費増税前の駆け込み
需要によって、需給ギャップが改善、便乗
値上げも行われるためだ。増税後、その反
動から物価上昇はしばらく足踏みする。こ
れらの結果、消費増税の影響を除くと、17
年度中も日銀が目標とする 2% インフレに
は到達できない。
—7—
Q14) 2% インフレに到達しない
くなっているため、簡単に政策は発動され
で、不況に陥る可能性が高い。円高を回避
のなら、日銀は追加緩和に動くか。
ない。
することのメリットが高まるため、政策発
日銀は 10 月末に 2% インフレの達成時
さらに重要なことだが、17 年 4 月の消
動のコストが大きいとしても、追加緩和は
期を「16 年度前半頃」から「16 年度後半
費増税を控える中、16 年夏の参議院選挙
頃」に修正したが、追加緩和に動かなかっ
が近づいており、いくら株価にプラスにな
ただ、追加緩和が行われる場合、前述し
た。4 月にも先送りしたが動かなかった。
るとはいえ、これ以上、家計部門に負担増
た出口の際のコストが上昇することやオペ
16 年度後半も 2% インフレ達成の見込み
を強いる円安及び円安をもたらす追加緩和
レーション上の問題から、長期国債の購入
は薄く、再度の先送りは必至だが、もはや
を政府は望ましいとは考えていない。支持
を中心とした量的ターゲットの拡大ではな
2% インフレの達成が遅れることを理由に、
率が 40% 程度まで低下しているため、政
く、付利引き下げを中心とした金利ター
追加緩和に動くことはないと思われる。
治的にも追加緩和は微妙である。
ゲットへの移行になると見られる。また、
正当化され得る。
日銀の政策反応関数はすでに大きく変化
18 日の会合で新たな指数連動型上場投
こうした環境となれば、当然にして、消費
しており、事実上の「フレキシブル・イン
資信託(ETF)の買い入れ枠の設定が打
増税も再度、先送りされる可能性が高い。
フレーション・ターゲット」に移行、コア
ち出されたのも、国債購入の増額が難しく
現段階における消費増税の先送り確率は
コアが 1% 程度を超えていれば、コアイン
なっていることだけでなく、円安をもたら
30% 程度である。
フレが早期に 2% に到達しなくても、大き
す政策をできるだけ回避したいという思い
な問題はないというスタンスに変わってし
の表れだろう。
グローバル経済編
アが継続的に低下を続けることが懸念され
Q16) 追加緩和の可能性は
Q17) 世界経済は回復が続くか。
る場合であり、それは大幅な円高が進む
全く無いのか。
まった。次に日銀が動くとすれば、コアコ
米欧の内需が堅調であることから、世界
ケースか、需給ギャップの大幅な悪化の継
現段階で、さらなる円安をもたらすため
経済は回復が続くというのが基本シナリオ
続が予想されるケースではないだろうか。
の追加緩和は予想されないが、大幅な円高
だが、新興国バブル・資源バブル崩壊の後
が訪れる際には、追加緩和はあり得る。例
遺症が残るため、16 年に世界経済の成長
Q15) なぜ日銀の政策反応関数は
えば中国経済がハードランディングする場
ペースは加速しない、むしろ鈍化する可能
変わったのか。
合、米連邦準備理事会(FRB)の利上げ
性が強い。
まず、追加緩和のメリットが小さくなっ
ていることがある。前述した通り、追加緩
は中断され、大幅な円高が訪れるリスクが
高まる。
中国経済は下げ止まりつつあるが、少な
くとも 16 年半ばまでは底ばい傾向が続く。
和で円安が進んでも、輸出数量が増えず経
実質円レートは 1973 年以来の超円安水
これまでも米国の金融緩和期に資金が向
済全体のパイが一定の中で、円安は輸出企
準まで低下しているため、いったん調整が
かった先の新興国でブームが醸成され、米
業の業績を押し上げるものの、家計の実質
始まると大幅な円高となるリスクがある。
国が金融引き締めに転じると、資金流出に
購買力を抑制し、家計から輸出企業への単
この時、輸出数量が落ち込むだけでなく、
よって新興国のブームが崩壊することは何
なる所得移転となっている。輸出企業の業
国内でも企業が設備投資や人件費を圧縮す
度も観測された。
績改善による株高とそれがもたらす資産効
るため、日本経済は単に国内総生産(GDP)
果、インバウンド消費の改善まで加えれば
統計上マイナス成長になるだけでなく、需
でなく、実物面でも世界経済を規定してい
全体ではプラスだが、いずれにせよ効果は
給ギャップが明確に悪化するという意味
たのが米国であったため、米国が最初の利
相当小さい。
ただ、80 年代、90 年代は、金融面だけ
上げを始める時期には、むしろ米国の内需
一方で、追加緩和は出口の際のコストを
が加速、新興国が多少ふらついても世界経
高める。すでに国債の市中発行額の 9 割を
済全体の成長ペースは高まっていた。しか
日銀は購入しているが、今後、スムーズな
し、今回は事態が大きく異なる。まず、米
購入を続けるには、より残存期間の長い国
国のアグレッシブな金融緩和によって、相
債を購入する必要がある。18 日の金融政
当大きな新興国・資源バブルが醸成され、
策決定会合で長期国債購入の平均残存期間
それが現在、崩壊過程に入っている。
を拡大したのも、現行のネットで年 80 兆
さらに、この点が重要だが、世界で 2 番
円ペースでの購入がスムーズに続けられな
目の経済規模にまで拡大した中国経済が、
くなるからだが、それは、出口の際、バラ
潜在成長率の下方屈折問題や過剰ストック
ンスシートを圧縮するまでに相当長い期間
問題、ドルペッグに伴う人民高問題を抱え、
を要することを意味する。
足踏みを続けている。先進国の回復で新興
また、利上げを開始した際、付利の支払
国の減速がスムーズに吸収されるというよ
いが膨らむ一方、保有する長期国債の利回
り、新興国の減速で先進国の回復ペースが
りが低いため、日銀の損失が膨らむ。政策
鈍化する可能性が高い。
のメリットが小さく、一方でコストが大き
—8—
Q18) 2000 年代の高成長は
に、原油高の時代も終わった。本来なら、
を抱えている。2000 年代の終盤に、農業
再現されないのか。
中国の高成長が終了した 11 年に原油安が
部門の余剰労働力が工業化の過程で底をつ
日本のみならず、米欧も労働力の伸びの
訪れても不思議ではなかったが、その後も
く「ルイスの転換点」を迎え、潜在成長率
鈍化によって、2000 年代は潜在成長率が
FRB のアグレッシブな金融緩和が生み出
が大きく下方屈折したが、当時、リーマン
大きく低下した。2000 年代に米欧で大規
す過剰流動性によって、14 年 10 月まで原
ショックが低成長の原因と中国政府は誤認
模バブルが生じたのは、潜在成長率の低下
油価格は高値で張り付いていた。
し、大規模財政を発動したため、それが過
に伴い、収益性の高い実物投資の機会が枯
さらに高値が続くという思惑から、
「イー
渇する中、緩和マネーが株や不動産に向
ジーマネー」によるファイナンスによって
さらに、ドルに対し事実上のペッグ制を
かったためである。
世界中で資源開発が続けられ、過剰ストッ
続けているため、実体経済に比して割高な
しかし、米欧の潜在成長率の低下にもか
剰ストック問題をもたらした。
クが積み上げられてしまった。このため、
人民元が景気回復の足を引っ張る。90 年
かわらず、世界経済が高い成長を遂げたの
地政学リスクが急激に高まらない限り、し
代の日本の置かれた状況と共通する。中国
は、経済規模の大きくなった中国が高度成
ばらく原油価格の戻りは限られたものにな
政府は財政政策で景気を下支えすると考え
長を続け、世界経済をけん引したためであ
ると思われる。
られるが、財政の規模を追求すれば、それ
る。中国では速いペースでの資本蓄積が続
資源国は過剰ストック、過剰債務問題を
は新たな過剰ストックを生む。こうした中、
き、先進国・新興国は中国向けに輸出を増
抱え、苦境が続くが、さらに FRB の利上
米国の内需が回復すれば、それはそれで望
やすことができた。しかし、11 年には中
げに伴う資本コストの上昇も加わる。中国
ましいのだが、それに伴い FRB の継続的
国の高成長も終焉、世界経済が享受した輸
需要が高まる前の 2000―04 年頃の平均 30
な利上げ観測からドル高が進み、人民元実
出の時代はすでに終わっている。
ドル強を実質的な均衡レートと考えると、
効レート上昇が中国経済の足を引っ張る恐
れがある。
かつての中国に代わるような経済規模が
物価調整した場合、現状では 41 ドル程度
大きく高い成長が可能な新興国が出現しな
の水準に対応する。原油高の時代の終焉は
このほか、懸念されるのは、リーマン
いため、2010 年代後半も世界経済は高い
すべてを輸入に頼る日本にとって交易条件
ショック後に強化された金融規制が FRB
成長が期待できない。多くの人がフロン
の改善を意味する。輸出に頼れないとして
の金融引き締め効果を増幅することであ
ティアと考えていた新興国と資源のバブル
も交易条件の改善が大きなサポートとなる
る。前述した通り、低利のドル資金を元手
が崩壊を迎え、世界経済に対する成長期待
はずだが、前回述べた通り、問題はその大
に資源開発を続けた経済主体はバブルの残
の低下から、16 年は 15 年に続いて各国で
部分が企業に滞留していることである。
骸を抱え、利上げ開始によってますます困
実物投資が弱含む可能性が高い。
Q19) 原油価格の低迷は続くのか。
難な状況となる。現在、米国で好調なのは
Q20) 2016 年の世界経済のリスクは、
住宅販売や自動車販売で、いずれも低金利
アップサイドかダウンサイドか。
環境によって支えられているものであり、
2000 年代に原油高が続いたのも、基本
明らかにリスクは、ダウンサイドに偏っ
前提も揺るがす。
的には、高度成長の続いた中国の旺盛な需
ている。下げ止まり傾向が観測されると
世界で 2 番目に大きくなった中国経済
要が主因だ。中国の高度成長の終焉ととも
いっても、中国経済はなお、下振れリスク
が減速局面にある中で、FRB の利上げが、
新興国バブル・資源バブル崩壊後の世界経
済のダウンサイドリスクを高める。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2015 年 12 月 21 日― 22 日)
—9—
日本経済再生に
移民政策は不可避
ケネス・ロゴフ氏
世界で最速の部類に入る人口減少速度と世界
最大の過剰公的債務問題の組み合わせは、日
本経済にとって極めて有害だと、ハーバード
大学のケネス・ロゴフ教授は指摘する。人口
問題解決には移民問題への取り組みが不可避
であり、経済再生にケインズ主義的な刺激策
が役立つと考えるのは「ナンセンスだ」と説く。
同氏の見解は以下の通り。
人口問題解決なくして
避だ。日本は最近、就労目的の在留期間を
の公的債務(国民所得に対する比率)と世
構造問題解決なし
最長 5 年に延長することなどによって、例
界で最も速い部類に入る人口減少速度の組
人口動態は宿命だ。人口減少問題に取り
えば外国人の建設労働者に(事実上)門戸
み合わせは、極めて有害なものだ。ケイン
組むことなしに、日本が長期の構造問題を
を開いた。大阪などの一部地域では、家族
ズ主義的な刺激策が、抜本的な構造改革よ
解決することは不可能である。
ごと受け入れる実験的試みも行われてい
りも、日本経済を再び成長させるカギだと
日本は、欧州に比べれば、非常に大きな
る。しかし、やるべきことはもっとたくさ
信じている人もいるようだが、それはまっ
アドバンテージを持っている。フランスの
んある。医療や介護の現場などでは、外
たくナンセンスだ。
前期高齢者(young old、65―74 歳)は引
国人労働者に対するさらに大きなニーズ
退を望んでいるが、日本のその年齢層は働
がある。
く意欲がある。ただ、これだけでは、大き
な助けにはなるが、十分とは言えない。
日本は、過剰な公的債務が低成長としば
しば関連している「パブリック・デット・
私は、人口動態をめぐる問題が、とても
オーバーハング」の典型例だ。巨大な赤字
デリケートな社会問題を包含していること
は時間的猶予を与えてくれるかもしれな
日本は、働いている母親たちの環境を良
は理解している。日本は、自国の強みのす
い。しかし、それは長期的な問題解決策で
くするために、大きく前進する必要がある。
べてを残しつつ、人口を増加させる諸方策
はない。
例えば、ジョブシェアリングの制度を整え
を見つけることが重要だ。
たり、テレコミューティングなど在宅勤務
の選択肢を改善したりすることなどが考え
られる。
さらに、移民問題に取り組むことは不可
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
ケインズ主義的刺激策はナンセンス
(配信日:2015 年 12 月 21 日)
日本はまた、長期にわたって財政の脆弱
性にも対処しなければならない。世界最大
提供写真
ケネス・ロゴフ
ハーバード大学教授
ケネス・ロゴフ氏は、ハーバード大学教授(経
済学、公共政策)
。ニューヨーク連銀経済諮問
委員。2001 年から 03 年まで国際通貨基金
(IMF)のチーフ・エコノミスト兼調査局長。
10 代からチェスの名人として世界的に知ら
れ、国際チェス連盟から国際グランドマスター
(最上位のタイトル)を授与されている。カー
メン・ラインハート氏との共著に「国家は破
綻する 金融危機の 800 年」
(日経 BP 社刊、
原題は This Time Is Different)
— 10 —
日本経済の
「3 つの命題」
マイケル・スペンス氏
ノーベル経済学賞受賞者でニューヨーク大学
非貿易財セクターの生産性向上
次世代人材による国際影響力向上
教授のマイケル・スペンス氏は、日本の大き
日本は、明らかに競争とイノベーション
な課題として、競争とイノベーションの激し
が非常に激しい貿易財セクターに依存しす
国際舞台での政策や連携に関する日本の影
ぎている。世界貿易が落ち込む中、このこ
響力は小さくなっている。次世代のビジネ
とは日本経済の成長に対して過大な影響を
スリーダーや政策決定者、外交官には、こ
与えている。
のトレンドを転換させることを優先事項と
い貿易財セクターに依存しすぎていること、
グローバルな政策調整における影響力が経済
力対比で弱まっていること、停滞する日中関
係の 3 点を挙げる。
日本経済の規模や高い発展度に比べて、
解決策としては、需要拡大や非貿易財セクター
日本は、需要の拡大、そして非貿易財セ
の生産性向上を促す改革、次世代リーダーた
クターの生産性上昇率を高めるような改革
ちによる優先順位の転換、歴史認識問題解決
に集中する必要がある。これは、多くの分
日中関係正常化へ
への本格的着手が必要と説く。
野に関わる非常に大きな政策課題だ。
歴史問題解決に本腰を
同氏の見解は以下の通り。
してもらいたい。
日本と中国は徐々に関係を正常化し、互
いに生産的になる必要がある。これは、簡
単なことではない。双方で、歴史認識問題
マイケル・スペンス
ニューヨーク大学教授
ノーベル経済学賞受賞者
の解決に全面的に取り組むことは、(関係
マイケル・スペンス氏は、米国生まれの経済学者。2001 年にジョージ・ア
で、日本は、歴史問題を最重要視している
正常化への)助けになろう。そうすること
カロフ氏とジョセフ・スティグリッツ氏とともに、情報の非対称性に関する
研究でノーベル経済学賞を受賞。2010 年 9 月よりニューヨーク大学スター
提供写真
ン・スクール・オブ・ビジネス教授(経済学)
。スタンフォード大学フーバー
研究所のシニアフェロー兼同大学経営大学院フィリップ・H・ナイト名誉教
授も務める。
ことを明確にできる。防衛力の増強につい
ては、強い立場で交渉に臨むために、恐ら
く続けるべきなのだろうと思う。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2015 年 12 月 22 日)
— 11 —
対中を越えて、
アジアが求む
日本の構想力
寺島実郎氏
中国の影響力が増すアジアで日本はいかなる
役割を担うべきか。一般財団法人日本総合研
究所の寺島実郎理事長は、成熟した民主主義
国家として、実体経済の「質」を高め、技術力・
産業力そしてソフトパワーで 21 世紀におけ
るアジアでの日本の展望を構想すべきと指摘
する。
同氏の見解は、以下の通り。
アジアのリーダーに必要な「浩然の気」
日本の現状を見て、このところ改めて注
アジアでの影響力の最大化を考える米国
国と張り合うことより、一段上の成熟した
は、日本を大事な同盟国とする一方で、中
民主国家として、技術力や産業力、あるい
目しているのが 1914 年から 18 年の「運命
国を戦略的パートナーと言わないまでも、
はソフトパワーで格上の国だと実証してい
の 5 年間」だ。第 1 次世界大戦を挟んで、
重要な対話の相手として認識している。
くことが日本の進むべき針路なのだと覚悟
当時の日本は世界潮流から遅れて植民地主
尖閣諸島(中国名・釣魚島)の問題をめ
する必要がある。
義に踏み込んでいった。それまで屈折して
ぐっては、施政権が日本にあり、日本防衛
日本の外交史を検証して見えてくること
蓄積されてきた中国に対する劣等感を優越
義務を定めた日米安保条約第 5 条の適用対
は、中国に対して平常心を失うと、迷走す
感に反転させた瞬間だった。
象であると米国は明言しているが、同盟責
るということだ。前述した通り、劣等感が
その後、第 2 次世界大戦での敗戦を米国
任を果たすと伝えているのであって、中国
優越感に転じると、戦争への道を歩んだ。
に対する物量の敗戦と総括した日本人は、
封じ込めのゲームに付き合うと言っている
100 年経った今、優越感を抱いていた中国
ひたすら経済復興と成長に力点を置いて、
わけではない。
に GDP で追い越されて、平常心を再び失
平和と繁栄の思想に専心した。そして、産
日本の過剰依存と過剰期待が、アジアの
い、一種の興奮状態に陥っている。
業力を背景に、世界第 2 位の経済大国まで
外交ゲームをおかしくしている。ウェット
そうではなく、孟子の言葉でいう、「浩
成長したことに大きな自負心を持った。
な日本は、中国封じ込めの「自由と繁栄の
然の気」のごとく、広い心を持ち、アジア
しかし、その自負心が傷つけられる事
弧」のイデオロギー外交に米国を引き込め
をどのように牽(けん)引していくのかを
態が起きた。2010 年に中国に国内総生産
ると考えているが、アジアでの影響力の最
考え、アジアのリーダーにふさわしい風格
(GDP)で抜かれ、14 年には 2 倍を超えた。
大化を目指す米国は中国も日本も大事だと
を備える必要がある。
さらに 1 人当たり GDP でも香港に抜かれ、
言っているだけである。この微妙な認識の
アジアで第 4 位になった。もはやアジアで
ズレが日本外交に「複雑骨折」を引き起こ
最も豊かな国ではないという状況に、
「事
している。
情」を知っている人ほど心穏やかではない。
日本はもっと賢くならなければいけな
そこへ中国の拡張的動きが重なって、中国
い。中国と同じレベルでの力比べが 21 世
に対する平常心を失っている。
紀の日本のテーマだと思っている人たちか
このような心理に加えて米中関係を見誤
らすれば、集団的自衛権となるのだろうが、
ると、米国と組んで中国の脅威を抑えて
本来は 21 世紀のアジアでの日本の役割を
いくしかないという結論に行き着くのだ
どう認識するかによって、政策論も展開さ
ろう。
れるべきだ。
しかし、この発想は、世界の感覚とは完
私が東南アジアの人たちと議論していて
全にずれている。日米で協力して中国に向
感じるのは、日本がアジアで期待されてい
き合おうというゲームを組み立てているつ
る役割は中国と角を突き合わせることでは
もりだろうが、米国の本質は異なる。
ない。マネーゲームや株式市場の規模で中
— 12 —
提供写真
寺島実郎
一般財団法人日本総合研究所(JRI)
理事長
寺島実郎氏は一般財団法人日本総合研究所理
事長、多摩大学学長。経済産業省・資源エネ
ルギー庁総合資源エネルギー調査会基本政策
分科会の委員として、国のエネルギー政策議
論にも参加している。
新自由主義とリフレ経済学の
「複雑骨折」
よって、実質的には減っている。そこへイ
にポテンシャルを引き出せれば、経済活性
ンフレだ。消費者物価は目下、エネルギー
化をもたらす中核産業となろう。
経済政策についても同様に覚悟をもって
価格下落によって抑えられているように見
女性活躍や地方創生が大事なテーマであ
臨むべきだ。7―9 月期は改定値でかろう
えるが、過去 3 年間の累計では 3.5% から
るのは誰も異論はない。だが、一番重要な
じてプラス成長となり、不況入り(2 四半
4% 上昇している。低所得者ほど生活が厳
のは実体経済のところで、日本人をより豊
期連続のマイナス成長)は免れたが、期待
しくなっているのは明白だ。
かにする産業論を組み立てることだ。
外れの成長にとどまっていることは明らか
こうした状況を見ると、日本が陥ってい
これほど問題が山積しているにもかかわ
だ。実体経済とマネーゲームとの乖(かい)
るのは、まさに新自由主義とリフレ経済学
らず、秋の臨時国会が開かれなかったこと
離が起きていることをはっきりと認識しな
の「複雑骨折」だと感じる。政府は企業に
は大変残念に思う。代議制のあり方につい
ければならない。
賃上げを求めているが、その一方で法人税
て考え直す必要があると思われる。
安倍政権の経済政策は、突き詰めれば、
減税を進めており、分配重視なのか国際競
株高幻想に寄りかかっている。株高の恩恵
争力重視なのか、どこを目指しているのか
を享受している人たちはもちろんいる。一
分からない。「新 3 本の矢」は社会的な困
部の大企業には追い風ともなっている。し
窮者への対策を強く打ち出しているが、こ
かし、金融緩和と円安誘導によって、失っ
れはアベノミクスがうまく行っていないと
ているものは相当大きい。輸入インフレは
自ら認めているようなものだ。
その一例だが、日本のようにエネルギーや
では、どうすればよいのか。日本の経済
食料を海外に依存している国にとって、為
構造を直視してあえて 1 つ挙げれば、サー
替を円安に持ってくことは非常にリスクの
ビス産業の高度化へ大きく踏み出すことで
あることだ。
はないだろうか。
日本企業はアベノミクス以前、十数年に
1960 年代までは生産性の低い農業セク
わたって円高圧力に耐えながら、ひたすら
ターから生産性の高い製造業セクターへ就
生産拠点の海外シフトなどグローバル化を
業が移動することでより豊かになれたが、
推し進めてきた。この 3 年間、円安基調で
もはや工業生産力を高め、通商国家として
推移したからといって、いきなり生産基盤
付加価値を創出するパターンだけでは豊か
を国内に戻せないだろう。
になれない就業構造になっている。長年の
また、円安で企業収益が水膨れしても、
命題であるサービス産業の高度化に真剣に
国内で働く人たちへの分配は一向に増える
取り組まなければならない。特に観光は、
様子はない。むしろ、勤労者世帯の可処分
パラダイムシフトの起点として、大いに期
所得は、消費税増税と社会保障負担増に
待できる。欧米あるいはシンガポール並み
— 13 —
本稿は、寺島実郎氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2015 年 12 月 22 日)
TPP と
ガバナンス革命の
秘められた力
大田弘子氏
環太平洋連携協定(TPP)の大筋合意とコー
ポレートガバナンス革命の進展は、2015 年
の特筆すべき成果であり、今後の日本の国際
競争力向上に大きく資するものだと、大田弘
子・政策研究大学院大学教授(元経済財政担
当相)は指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
TPP のドミノ効果、
期待される。すでにインドネシア、タイ、
日本企業に千載一遇の商機
韓国などが参加に向けて前向きな姿勢を示
れた重要 5 品目(コメ、麦、牛・豚肉、乳
農業界は、国会決議で聖域と位置づけら
日本経済にとって 2015 年の「最大の変
している。特に韓国が入れば、中国の立ち
製品、サトウキビなど甘味資源作物)のう
化」は、環太平洋連携協定(TPP)の大
位置も変わってくる。停滞気味の日中韓
ち、約 3 割のタリフライン(関税区分の細
筋合意だ。米国の批准は難航が予想される
FTA 交渉が動き出す可能性も高まる。日
目)で関税撤廃が決まったことを問題視し
が、日本に立ち止まっている暇などない。
本としては、日中韓 FTA がなるべく質の
ているようだが、他の品目に比べればかな
16 年は、近い将来の TPP 発効を見越して、
高い協定になるようリードしながら、イン
り守られた結果となっている。
規制緩和・撤廃など生産性向上のための構
ドを含む広範な RCEP あるいはアジア太
何より残念なのは、農業の競争力向上に
造改革にまい進し、果実を最大限に得る準
平洋自由貿易圏(FTAAP)の高度化と早
つながらないばかりか、農業分野で多くの
備を進めなければならない。
期実現につなげていくことが必要だ。
例外を求めたために、工業品分野で米国の
TPP の眼目は、世界の国内総生産(GDP)
こうした流れは、製造業のみならず日本
譲歩を引き出せなかったことだ。米国は自
の約 4 割を占める巨大経済圏(参加 12 カ国)
企業全体に新たなチャンスをもたらす。例
動車の輸入関税(2.5%)を 25 年かけてやっ
において、関税撤廃にとどまらず、金融・
えば、金融業や流通業だ。報道によれば、
と撤廃するという。米韓の間では FTA が
通信・流通などサービス分野の高度な自由
マレーシアやベトナムは、TPP 発効に合
すでに発効しており、16 年には韓国から
化を行い、さらに政府調達や国有企業、通
わせて、外資規制を大きく緩和する方針だ。
の輸入車への関税が撤廃される。日本から
関手続きの簡素化など広範に共通ルールづ
マレーシアでは、外資のコンビニエンスス
高級車を多く輸出していることを考えれ
くりを行っている点だ。将来、他の 2 国間
トアへの出資が認められ、外国銀行の支店
自由貿易協定(FTA)や複数国・地域に
数や現金自動預け払い機(ATM)設置数
よるメガ FTA 交渉において、TPP は先進
に課されている制限が大きく緩和される可
事例として参照されることになるだろう。
能性があるという。
日本は現在、TPP の他に、日中韓 FTA
アジアは間接金融が中心で債券市場も発
や東アジア地域包括的経済連携(RCEP)、
展の途上なので、邦銀も強みを生かせるは
日欧間の経済連携協定(EPA)など複数
ずだ。また、高品質で顧客満足度の高いサー
のメガ FTA 交渉に関わっているが、TPP
ビスを有する日系流通業の活躍の場も広が
を進めることで自国の利益を反映させやす
るだろう。
くなる。例えば、政府調達や国有企業に関
するルールづくりでは、旧社会主義国のベ
TPP の障害は守りの農業、
トナムが TPP に入っている意味は大きい。
サービス生産性革命も急務
将来的に中国を含む自由貿易構想を進めて
ただし、この TPP をめぐっては、残念
いくうえで、1 つの指針を中国側に提示す
なこともある。関税撤廃をテコに、国内農
ることになる。
業を強くするという絶好の機会を逃してし
また、TPP には参加国のドミノ効果も
まったことだ。
— 14 —
大田弘子
政策研究大学院大学教授
元経済財政担当相
大田弘子氏は、政策研究大学院大学教授。内
閣府規制改革会議議長代理、税制調査会委員
などを務める。2006―08 年、安倍・福田両
内閣で内閣府特命担当大臣(経済財政政策担
当)
。2014 年 6 月から、みずほフィナンシャ
ルグループ取締役会議長。
ば、2.5% はけっして僅差ではない。
日本の農業は、少子高齢化が進む国内市
場で守りの姿勢を続ける限り、じり貧とな
るだけだ。むしろ TPP 発効までの期間を、
日本の農業の強みをアジア市場に生かして
いく方策を考える猶予期間として捉え、減
反廃止・大規模農業化などによる生産性向
上にまい進すべきだ。
ところで、生産性向上が日本経済全体の
テーマであることは言を俟(ま)たない。
中でも大きな課題は、働く人の 7 割以上が
属するサービス産業の労働生産性が他の先
進国に比べて非常に低く、結果的に給与水
準も低いことだ。サービス産業において
TPP の果実を得るためには、構造改革を
進め、サービス産業の底上げを急ぐ必要が
ある。
その際、重要な視点は、多様な働き方を
者の声はもちろん、様々な働き方をしてい
日本企業は長年、コーポレートガバナン
実現させるための雇用改革だ。サービス産
る人たちの意見に耳を傾け、政策に結びつ
ス分野で遅れていると、特に海外の投資家
業での働き方は多様であり、かつ企業間で
けることが必要だ。現在の雇用問題は従来
から厳しく言われてきたが、今年 6 月に
の生産性格差が大きいのがサービス産業の
の労使の枠組みを超えた国民的問題であ
コーポレートガバナンス・コードが導入さ
特徴だから、成長企業・有望分野へ移動し
り、広く国民レベルで労働の在り方につい
れた。日本企業は良くも悪くも横並びで物
やすくするような労働市場改革を進めるこ
て議論を行う政策的プラットフォームを整
事に取り組むので、各社が「コンプライ・
とが肝要だ。転職が不利になったり、派遣
える必要があるのではないだろうか。
オア・エクスプレイン」(遵守せよ、さも
なければ説明せよ)のルールに真面目に取
などさまざまな働き方のなかで、どれかが
著しく不利な待遇になるという状況をなく
ガバナンス・コードで日本企業の経営
していかなければならない。そのための法
は変わり始めている
整備や職業訓練機会の増加が必要だ。
多様な働き方のための法整備には、女性、
高齢者、そして社会にこれから出てくる若
り組んだ。
このガバナンス・コードをめぐっては、
最後にもう 1 つ、2015 年の特筆すべき
形を整えただけではないかという批判もあ
日本経済の成果を挙げれば、コーポレート
るが、舞台が整えられた意味は決して小さ
ガバナンス改革の進展だろう。
くない。もちろんスタート地点に過ぎない
が、この動きは逆戻りしないとみている。
メガ FTA の大競争時代を目前に控えて、
個々の日本企業が国際的水準に適うガバナ
ンス体制を整えることは、日本経済の競争
力底上げの面からも、きわめて重要なこと
だ。ガバナンス向上は、コンプライアンス
意識の改善につながるだけでなく、社外取
締役や投資家という外の目を経営に取り入
れることで、経営資源を有効活用し、収益
力を高めることにつながる。
TPP などによって広がるビジネスチャ
ンスは、コーポレートガバナンス革命によ
る企業経営の進化や生産性向上があって初
めて、大きな果実を生むはずだ。
本稿は、大田弘子氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2015 年 12 月 24 日)
— 15 —
アベノミクスに
足りないもの
ヌリエル・ルービニ氏
日本の財政が危うくなるとすれば、日銀の緩
和政策解除や 2% 物価目標達成を引き金に国
債の大量売却が誘発されるときかもしれない
と著名経済学者のヌリエル・ルービニ氏は指
摘する。
一方で、当面の取り組みとしては企業の設備
投資を促すビジネス環境づくり、中期の課題
としては移民政策の見直しや女性の労働参加
を後押しする諸政策、非正規・正規雇用の格
差是正など主に労働分野での構造改革の重要
規社員と、不安定で低賃金な非正規社員の
性を説く。
格差を縮小するための全面的な制度見直し
同氏の見解は以下の通り。
が必要だ。
日本の財政が危うくなるかもしれない。
日本政府は経済状況に関係なく、17 年
には消費税率を(現在の 8% から 10% に)
量的質的緩和はある程度、家計のインフ
上げるとしている。また、財務省は 15 年
レ期待を高めた。だが、物価目標 2% を達
度の税収が上振れたこともあり、16 年度
構造改革 :TPP に期待、
成するには、家計の所得、ひいては消費を
は新規国債の発行を減額する方向にある。
ビジネス環境の改善が先決
押し上げる改革が必要だ。まず初めに、投
これらは財政健全化につながる歓迎すべ
アベノミクスは女性の労働参加を推進
資、賃金、消費の好循環を生み出し、設備
き措置だと言える。だが、参院選そして総
し、(日銀による量的質的金融緩和政策の
投資を促すより良いビジネス環境づくりか
選挙が近づいていることを考えれば、財政
後押しを受けて)企業収益を押し上げてい
ら始めるのがいいのではなかろうか。
健全化のペースはゆっくりとしたものにな
る。しかし、高齢化や年功序列型賃金、染
るのだろう。
みついたデフレマインドは、日本経済の潜
財政再建 : 緩和解除・
在的な成長力が今後も停滞することを意味
2% 目標達成時に注意
している。
対国内総生産(GDP)比で見た日本の公
アベノミクスの構造改革の側面が、その
的債務残高(2014 年で 240%)は、他のど
ような状況を改善する可能性はある。だ
の主要経済国のそれよりも大きい。その大
が、長期的に持続可能な成長を妨げる制度
部分は、資産バブルによって過熱した経済
的障害を取り除くことにこれまで失敗して
が崩れ、終わりなき低インフレに突入した
おり、改革の履行は中途半端だと言わざる
1990 年代に発行されたものだ。
を得ない。
改革の最前線でカタリスト(けん引役)
このような莫大な債務が持続可能である
には、日本国債(JGB)の利回りが超低金
となり得るのは、
(まだ批准されていない
利であり続ける必要がある(10 年債で 1%
が)環太平洋連携協定(TPP)かもしれな
未満。それより短い償還期間の債券ではマ
い。TPP によって日本市場の開放が進み、
イナス金利)。
一部の分野では生産性が向上し、主要な貿
金利が上昇する確率は当面低い。なぜな
易相手国の市場に参入しやすくなる。TPP
ら日銀が JGB 買い入れを継続し、一般家
の発効は望ましいが、米国では 2016 年大
庭も外国資産より JGB を選好し、金融機
統領選の争点になるリスクがある。
関も資産負債管理の規制によって安全かつ
一方、労働力不足に対する中期的対処法
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2015 年 12 月 24 日)
流動性のある長期資産をある程度保有する
として、日本は高い教育を受けた労働者を
ことを求められているためだ(JGB は通常、
引きつけるため移民政策を見直し、女性の
好まれる資産だ)。
労働をさらに促進するようヘルスケアや保
とはいえ、量的質的緩和がいずれ解除さ
育園・幼稚園の供給を増強しなければなら
れたり、2% の物価目標が達成されること
ない。そして、「終身雇用」で高賃金の正
があれば、国債の大量売却が引き起こされ、
— 16 —
提供写真
ヌリエル・ルービニ
ルービニ・グローバル・エコノミクス
会長 / ニューヨーク大学教授
ヌリエル・ルービニ氏は、世界経済分析やコ
ンサルティングなどを行うルービニ・グロー
バル・エコノミクスの会長兼チーフエコノミ
スト、共同創業者。ニューヨーク大学スター
ン・スクール・オブ・ビジネス教授。経済学
博士(ハーバード大学)
。米国のサブプライム
危機とそれに端を発した世界的金融危機を予
言した経済学者の 1 人として知られる。著書
に「大いなる不安定」
(ダイヤモンド社刊、原
書は Crisis Economics: A Crash Course
in the Future of Finance)など。
米景気悲観は
無用、
株高継続の根拠
武者陵司氏
米国が金融政策の正常化に向かい、中国が景
気減速感を強める中、2016 年の成長エンジ
ン不在が懸念されるが、武者リサーチの武者
陵司代表は、米国主導の世界経済回復シナリ
オは健在だと指摘する。ドル円は 130 円手前、
日経平均株価は年前半に 2 万 2000 円から 2
万 5000 円に届くと見る。
同氏の見解は以下の通り。
米景気拡大継続を示唆する
5 つの好材料
響はすでに見えたが、プラスの影響はまだ
老朽化したインフラの整備を選挙アジェン
見えてない。16 年はプラス面が顕現化し
ダとして取り上げている。
てくるだろう。
第 5 に、信用循環だ。米景気は、ひとえ
第 2 は、消費の堅調さだ。失業率も 5%
に信用の拡大・収縮の循環である。過去
2016 年の世界経済は、ナンバーワンの
まで低下し、賃金上昇にもようやく弾み
50 年を振り返れば、おおむね 10 年サイク
ポジティブ(米国経済)と、ナンバーツー
がつき始めている。家計消費は年率 3% の
ルだ。そして 1970 年代以降、信用のボト
のネガティブ(中国経済)のバランスによっ
ペースで増加している。また、消費の中身
ムは必ず「1」の年に訪れている。71 年、
てどうなるかが決まる。私の予想では、ポ
はモノよりサービスであり、労働市場でも
81 年、91 年、2001 年、11 年 だ。 つ ま り、
ジティブがネガティブに勝り、世界経済全
サービス主体の雇用創造が起きている。こ
信用循環から見ても、今回の景気はまだ若
体としては着実な成長を実現し、世界的な
れは、米景気回復のドル高耐性が強いこと
い。
株高も継続、リスクテイクが引き続き報わ
を意味する。
れる年になる。
巷(ちまた)では米連邦準備理事会(FRB)
家計、企業部門はむしろこれから債務を
第 3 に、米国の住宅市場にかなり大きな
増やしてリスクをとる場面に入る。これま
期待を持てることだ。これまで住宅建設が
では借金を返したり、バランスシートを整
の利上げに伴う米国景気の失速が懸念され
著しく抑制されていた影響で、住宅需給が
理したり、信用による需要創造の面では後
ているが、そのような心配は無用だ。米景
好転している。持ち家比率が大きく下がっ
ろ向きの時代だったが、今後は前向きに
気拡大に期待を持てる理由は 5 つある。ま
た反動で、今後はいよいよ借金をして住宅
ず原油価格下落だ。米国の化石燃料の年
を取得するという動きが本格化してくるだ
間輸入額は対国内総生産(GDP)比で約
ろう。
2%。シェールガス・オイルなど自前のエ
第 4 に、これまで景気の重石となってい
ネルギー生産が多いとはいえ、経済にはプ
た財政部門が景気を押し上げる役回りに代
ラスに働く。
わることだ。リーマンショック後、GDP
ちなみに、原油価格動向が実体経済に影
比で 10% 超まで高まった財政赤字(基礎
響を与えるまでには、ざっと 18 カ月のタ
的財政収支赤字)が今では 2% 前後まで低
イムラグがあるといわれる。マイナスの影
下している。もはや財政削減は不要であり、
むしろ財政支出による需要拡大、例えばイ
ンフラ整備が政策課題として浮上してくる
だろう。
実際、地方での財政支出は増加し始めて
いる。減り続けていた公的部門の雇用も増
加傾向にある。財政の景気に対する寄与が
大幅なマイナスからプラスへ大きく転換す
るのは明らかだ。次期米大統領選の民主党
有力候補であるヒラリー・クリントン氏も、
— 17 —
提供写真
武者陵司
武者リサーチ代表
武者陵司氏は、武者リサーチ代表。1973 年
横浜国立大学経済学部卒業後、大和証券に入
社。87 年まで企業調査アナリストとして、繊
維・建設・不動産・自動車・電機エレクトロ
ニクスなどを担当。その後、大和総研アメリ
カのチーフアナリスト、大和総研の企業調査
第二部長などを経て、97 年ドイツ証券入社。
調査部長兼チーフストラテジスト、副会長兼
チーフ・インベストメント・アドバイザーを
歴任。2009 年より現職。
なって勢いを増す局面だ。
る長期国債の平均残存期間の長期化などの
が不可欠だ。2% という目標が遠のくとこ
こうなると、懸念されるのが FRB の利
緩和補完策を打ち出した。ただ、私は、日
ろで、もう 1 段の追加緩和を日銀は迫られ
上げペースだが、インフレもまだ緩やかな
銀は早晩、この補完策を超える追加緩和に
ると思う。市場の期待がかなり低下してい
ので、16 年半ば頃までは様子見になるの
乗り出すとみている。
る局面で実施すれば、大きなサプライズと
ではないか。利上げは 16 年末にかけて、
追加緩和のインセンティブは主に 3 つあ
あるとしても、あと 2 回だろう。よって、
る。第 1 に、円安を通して輸入物価を上げ
実質金利が上昇し、景気を冷え込ませるよ
ること。第 2 に、資産価格を押し上げるこ
日経平均で言えば年前半に 2 万 2000 円か
うな事態にはまだ至らないと思う。
と。第 3 に、ユニット・レーバー・コスト(単
ら 2 万 5000 円への上昇は十分にあり得る
位労働コスト)を押し上げて実質賃金を引
と考える。ただ、年後半は中国のネガティ
ドル円は 130 円、
き上げることだ。最初の 2 つは金融政策で
ブ要素の悪循環が起これば、一本調子とは
日本株は 2 万 5000 円まで上昇余地
動かしやすく、最後の 1 点は金融政策だけ
ならない可能性もある。
では、こうした前提に立つと、16 年の
では難しい。
なるだろう。
こうした状況を受けて、株価については、
もう一度繰り返すが、ベストシナリオは
為替、株価はどうなるのか。私はまずドル
このうち日銀にとって追加緩和の最大の
円については、130 円台手前までのドル高・
誘因は、これまでの円安の一巡で輸入物価
の悪循環を回避できることだ。この場合、
円安はあると思う。最大の理由は米国経済
の上昇率がこれから低下してくることだ。
株式市場は年後半も上昇気流に乗るだろ
の強さだが、加えて日銀のさらなる緩和も
むろん原油安の影響もはく落するが、円安
う。ただ、悪いシナリオは、米国経済の成
期待できるからだ。
効果の一巡が勝り、おそらく 16 年後半は
長が若干スローで、中国経済の悪化を十分
物価への下押し圧力が強まるだろう。
にカバーしきれないことだ。可能性として
日銀は 12 月 18 日、年間 80 兆円の国債
購入を柱とする従来の金融緩和の継続を決
また、そもそも企業が賃上げにいまだ積
める一方で、新たな指数連動型上場投資信
極的にならない局面でインフレ率を高める
託(ETF)買い入れ枠の設定や買い入れ
には、さらなる円安と資産価格の押し上げ
米国が着実に成長し、中国が短期的な経済
は低いと私は考えるが、特に年後半につい
ては警戒を怠らないほうが良いだろう。
アベノミクス成功の重要な鍵は株高
最後にアベノミクスに 1 つ注文したい。
端的に言って、日本経済の最大の問題点は、
企業収益が過去のピークを更新しているに
もかかわらず、持続的な景気拡大、需要創
造に結びついていないことにある。政府は
経済界に対して 3% の賃上げを求めている
が、鶴の一声だけで貯蓄過剰が解消される
とは思えない。
では、どうすれば企業所得を広範な需要
につなげられるのか。端的に言って、その
最大の鍵は株高だと思う。企業の留保利益
の増加は当然、株式資産価値を引き上げる。
日経平均が 3 万円になれば、株式時価総
額は 300 兆円増える。4 万円では 600 兆円
増える。こう話すと絵空事と思われるかも
しれないが、私の試算では日本株のフェア
産価格の異常な低迷で、日本経済は不必要
くとの批判があるが、結局のところ、人々
バリューは 4 万円だ。
な重荷を背負ってきた。言い換えれば、オ
が注目する経済の体温は株価だ。株式本位
また、インカムゲインの比較で見ても配
ウンゴールによって経済困難やデフレに
制が必要とまでは言わないが、株高は紛れ
当利回りは 2 万円時点で 2% 弱。4 万になっ
陥った。日本以外、どの国もバブル崩壊後
もなくアベノミクス成功の重要な経路で
ても 1% 弱見込める。0.3% 程度の長期国
に株価が半減したままなんてことはなかっ
ある。
債利回りや、ほぼゼロの銀行預金よりはる
た。株価の水準をなるべく高く、経済心理
かに魅力的だ。株式がフェアバリューに向
を壊さないのが普通の金融政策だ。日本は
かえば、家計だけでなく企業のアニマルス
それを徹底的に壊した。明らかに政策のミ
ピリットが大きく刺激され、需要創造の好
スマネージメントだった。
循環も回り出すだろう。
振り返れば、バブル崩壊後の株価や不動
株価重視の発想に対しては、投機をする
人たちや富裕層だけを潤し、格差拡大を招
— 18 —
本稿は、武者陵司氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2015 年 12 月 25 日)
内部留保活用と
抑止力強化
ケビン・メア氏
今の日本に必要なことは、経済再生に向けて
は産業界が内部留保の有効活用によってリー
ダーシップを示すことであり、安保において
は日米の防衛力統合などにより抑止力の強化
に 努 め る こ と だ と、 元 米 国 務 省 日 本 部 長 の
ケビン・メア氏(NMV コンサルティング上級
顧問)は指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
民間企業の巨大内部留保を有効活用
安倍政権は財政・金融政策や、アベノミ
クスが掲げる「3 本の矢」に関連した真の
経済改革において、リーダーシップを示し
日本は抑止力の強化が必要
う。次世代戦闘機「F35」や早期警戒機の
てきた。日本の経済界・産業界トップもこ
安倍政権の最初の 3 年間では、現実的な
れと同様のリーダーシップを示し、自国の
安全保障政策の導入において歴史的な進歩
(共同交戦能力)」や「IFC(統合火器管制)」
経済復興に向けて自らの責任を果たす必要
が見られた。このことは日本国民を守ると
と統合させることに加え、
「ISR(情報収集・
がある。
ともに、地域の平和維持に大きく貢献する
警戒監視・偵察)
」や共同ミサイル防衛シ
だろう。
ステム、「ASW(対潜水艦戦闘)」も重要
日本の民間企業の内部留保は、国内総生
産(GDP)の 65% に相当すると推定され
特筆すべき変化は、「国家安全保障戦略」
「E2D」、イージス艦を先端システムの「CEC
性を増すものと思われる。
る。通常、企業が蓄積した内部留保は設備
の策定、「防衛計画の大綱」と「中期防衛
投資や配当増加、賃金引き上げに活用され
力整備計画」の見直し、「特定秘密保護法」
る人々は、武器を搭載した中国軍艦が尖閣
る。しかし、大半の経営者はそのいずれも
の成立、武器輸出を許可する新ルール「防
諸島付近を定期的に航行していることと、
行わず、代わりに安全に保管することを選
衛装備移転三原則」の導入、
「集団的自衛権」
そして尖閣諸島は沖縄県に位置しているこ
択してきた。これは非常に非生産的な金融
の行使を認める安全保障政策の転換、そし
とを認識する必要がある。これは日米に
資産だ。
て安全保障関連法の成立だった。安倍首相
とって抽象的な事案ではない。
私の個人的見解では、彼らはただ決断力
を欠き、妥当な範囲でリスクを冒す自信が
はまた、防衛費を 11 年ぶりに増額に転じ
させた。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
ないだけのように思うが、それは恐らく彼
日本はこうした安全保障政策の転換をす
らが、バブル経済崩壊後の「失われた 20
ばやく実行に移すため、新たな安全保障法
年」の間に現在の地位に上り詰めたからだ
制の枠組みに肉付けを行い、防衛力増強に
ろう。
向けた具体的な取り組みを継続していくべ
だが、もはやバブル崩壊の痛みを克服し
てよい頃合いであり、日本経済を成長させ
るためには自らが戦略的役割を担う必要が
あることを認識するべきだ。
(配信日:2015 年 12 月 26 日)
きである。そのためには、防衛費の大幅な
増額が求められる。
同時に、日米の防衛力の統合とネット
ワーク化を推進することも重要だ。これに
16 年春の賃上げ交渉においては、過大な
よってもたらされる軍事力相乗効果は、中
内部留保を従業員の実質賃金の大幅な引き
国や北朝鮮、そしてますます強まるロシア
上げに回すことがとりわけ重要だ。もしこ
からの極めて現実的な脅威に日米がともに
れが実現しなければ、それはアベノミクス
立ち向かう上で、最も現実的かつ効率的な
の失敗ではなく、日本の経済界・産業界リー
方法だ。
ダー側の責任という結果になるだろう。
日本に差し迫った脅威はないと信じてい
提供写真
ケビン・メア
NMV コンサルティング上級顧問 /
元米国務省日本部長
ケビン・メア氏は、駐日大使館安全保障部長、
戦力のネットワーク化を強化する上で
重要な分野は、相互運用性と統合化だろ
— 19 —
沖縄総領事、国務省日本部長などを歴任した
米国の外交官。現在は、リチャード・ローレ
ス元米国防副次官らが設立した NMV コンサ
ルティングの上級顧問。
世界経済を揺さぶ
る「次の利上げ」
加藤隆俊氏
2016 年も米金融政策の転換に伴う国際金融
市場や新興国経済の不安定化が懸念され、世
界経済の先行きを楽観するのは禁物だと国際
金融情報センターの加藤隆俊理事長(元財務
官)は指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
米国景気が成熟局面に入る可能性
2016 年の世界経済を展望すると、残念
ながら、これといって明るい材料を見つけ
にくいのが率直な所感だ。米国経済は利上
げをできるほど回復したと言えるが、16
財務相・中央銀行総裁会議で、各国は広範
温は過去最高を記録し、16 年はさらに上
年以降、景気が成熟局面に入る可能性が気
な構造改革によって 5 年間で G20 全体の
昇するとの見通しを示している。いまのと
がかりである。
国内総生産(GDP)を 2% 以上引き上げる
ころ、消費国側の暖冬で原油・石油製品価
実際、先行指標である受注関係の指標は
目標設定で合意した。だが、国際通貨基金
格のさらなる低下につながるとの見方も出
良くない。また、これまで経済拡大に寄与
(IMF)の 10 月時点の世界経済見通しによ
ているが、国によっては、干ばつや洪水な
してきたエネルギー関連の設備投資も歯車
れば、15 年の世界経済成長率は 3.1% と、
が逆方向に回り始めている。確かに、遅行
14 年の 3.4% より低くなる模様だ。目に見
指標の雇用統計は良いが、2% 程度と言わ
える形で成果が表れていないのが実情であ
れる潜在成長率以上の成長がしばらく続い
り、16 年も過大な期待は禁物だろう。
外国人労働者受け入れ拡充を急ぐべき
では、このように海外経済の厳しい状況
が予想される中、日本経済についてはどの
ていることを考えると、米国経済の先行き
を楽観できるような状況ではない。
ど天災の影響にも注意が必要となろう。
エルニーニョも 16 年の経済波乱要因
ようなことが言えそうか。まず日本経済に
中国についても、15 年に比べて格段に
こうしたなか、気になるのが 16 年の米
今必要なことが、好調な企業収益を賃上げ
良くなるとの材料が今のところ見当たらな
利上げペースだ。もちろん、イエレン米連
や設備投資の拡大につなげることであるの
い。新興国全体でも、米国の利上げを受け
邦準備理事会(FRB)議長は慎重に対処
は言を俟(ま)たない。その意味で、政府
て為替レートがさらに切り下がればインフ
していくのだろうが、12 月の利上げ開始
の経済界に対する説得力を期待したい。
レ懸念が増す。加えて、ドルの新規調達が
と同じようなスペキュレーション(投機)
難しくなり、既存債務の返済コストも膨ら
が、次の利上げ時期をめぐっても続き、金
む恐れがある。
融市場の長期不安定化を招くことが懸念さ
一方で、原油価格の大幅な下落は、消費
れる。
国を中心に成長率引き上げに寄与すると予
ただ、原油や鉄鉱石、銅などの商品市場
想されていたが、さほど大きなプラスの影
について言えば、やや下方向にオーバー
響を与えていないのが実情だ。原油安など
シュート(行き過ぎ)のきらいがあり、中
を背景に企業収益が伸びても、設備投資の
国経済指標の好転など何かをきっかけに、
拡大につながらない状況は日本に限らな
反転するかもしれない。いずれにせよ、市
い。また、エネルギーコストの低下をテコ
場のセンチメントが冷えている点は 16 年
に世界貿易が元気を取り戻したかと言え
も引き続き心配だ。
ば、むしろ逆の方向をたどっている。いろ
ところで、もう 1 点、世界経済の 16 年
いろ考えると、16 年が 15 年より良くなる
の波乱要因としては、異常気象をもたらす
という材料が見当たらない。
とされるエルニーニョ現象がある。
振り返れば、14 年 2 月にオーストラリア・
シドニーで開かれた 20 カ国・地域(G20)
国連の世界気象機関(WMO)は 11 月、
エルニーニョ現象の影響で 15 年の平均気
— 20 —
提供写真
加藤隆俊
国際金融情報センター理事長 / 元財務官
加藤隆俊氏は、元財務官(1995 ─ 97 年)
。
米プリンストン大学客員教授などを経て、
2004 ─ 09 年国際通貨基金(IMF)副専務
理事。10 年から公益財団法人国際金融情報セ
ンター理事長。
ちなみに、韓国では、内部留保に課税す
る企業所得還流税制が 15 年に導入され、
賃上げ・設備投資・配当などが一定の水準
に達しない大企業については、追徴課税が
行われるようになっている。
むろん、二重課税の問題もあり、この方
策が良いと言っているわけではないが、デ
フレが解消に向かう中、企業の過剰貯蓄体
質が温存されて良いと言うことでもないだ
ろう。これだけ交易条件や企業収益が好転
しているのだから、その果実を賃金・設備
投資・配当などの拡大で分配することを企
業サイドにも意識してほしい。その意味
で、日本企業に資本効率の向上を迫るコー
ポレートガバナンス革命に期待するところ
は大きい。
そのヒントはそこかしこにあるのではな
の就労比率を高めることは大切だが、これ
0.5% 程度にすぎない。一部にはいまだ金
日本の潜在成長率は、日銀の推計では、
いか。例えば、生産性向上が急務のサービ
から労働力人口の減少スピードがさらに速
融緩和や財政出動による需要喚起策を求め
ス業では、モノのインターネット(IoT)
くなることを考えると、やはり生産現場な
る声があるようだが、需要面からさらに刺
やシェアリングエコノミーの発想が役立つ
どにおける深刻な人手不足問題への手当て
激すれば、供給不足を深刻化させるリスク
だろう。流通の世界では、体力のある企業
が急務だ。外国人が働きながら日本の技能
がある。公共事業における人手不足を見れ
ならば、アマゾン式の大量配送センターを
を学ぶ外国人技能実習制度などを国は整備
ば、そのリスクは明白だ。こうした状況下
整備するなどの勝負の仕方もあるのではな
しているが、受け入れ拡充の数値目標も視
で求められているのは、成長戦略の着実な
いか。日本の産業界は、そうした大胆な構
野に、政治が大きく踏み出す必要がある。
実行もさることながら、民間主導で生産性
造変化の必要性に迫られている。
を向上し、経済の好循環を作っていくこと
である。
最後に補足すれば、環太平洋連携協定
また、政策面で言えば、外国人労働者受
(TPP) が 大 筋 合 意 し た の は、 日 本 経 済
け入れの拡充を急ぐべきだ。女性や高齢者
にとって非常に大きな意味を持つ。世界
の国内総生産(GDP)の約 4 割を占める
参加 12 カ国の経済規模とルールづくりの
範囲を考えれば、TPP に参加していない
他のアジア諸国も、TPP ベースに自国の
経済体制をつくり直すようになるのではな
いか。
こうした流れは、中国を現在の国際経済
システムに組み込んでいく強力な「接着剤」
にもなると思われる。IMF による特別引
き出し権(SDR)への人民元採用も、同じ
脈略で評価することができよう。
15 年は、アジアインフラ投資銀行(AIIB)
の設立などをめぐって、中国と日米の対
峙やすれ違いが懸念されたが、中国が G20
の議長国、日本が主要 7 カ国(G7)の議
長国を務める 16 年は両者が歩み寄る年に
なると期待したい。
本稿は、加藤隆俊氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2015 年 12 月 28 日)
— 21 —
賃金上昇は目前、
労働代替投資を
急げ
ロバート・フェルドマン氏
労働力人口の減少ペースが加速する日本では
今後、賃金の大幅な上昇が見込まれることか
ら、企業は生産性改善に向けた労働代替型の
設備投資を急ぐ必要があると、モルガン・ス
タンレー MUFG 証券のチーフエコノミスト、
ロバート・フェルドマン氏は指摘する。
同氏の見解は以下の通り
根強い日本企業のリスク回避志向
2015 年は、成長に関しては多少がっか
(実質 2%・名目 3% 程度)に届くほどの勢
いとはならないだろう。
17 年末までに
賃金 4.7% 上昇の試算結果も
りさせられたが、アベノミクスが進歩を遂
項目別には、実質所得の上昇を背景に家
日本経済の最大の課題は、突き詰めて言
げていることを示す「好材料」はいくつか
計の消費支出は若干加速すると予想してい
えば、低い生産性だ。毎年の全要素生産性
確認できた。
るが、引き続き企業の設備投資の伸びを控
(TFP)と設備投資の簡単な回帰分析を行
特に環太平洋連携協定(TPP)の大筋合
えめに見積もっている。正直なところ、15
い、2% 成長実現に必要な設備投資の伸び
意とコーポレートガバナンス・コードの導
年の設備投資の伸びは期待外れだった。小
を試算してみた。すると、アベノミクスが
入は、長い目で見て、ビジネスチャンスの
型化・低コスト化する IT 関連投資などが
労働市場改革で驚くほど大きな成果を収め
拡大や資本効率の向上につながり、日本の
統計で十分に捕捉されていない可能性は
て、労働力人口が減らないとの楽観的前提
経済や産業界の競争力向上に資するものと
あるものの、4―6 月期はマイナス 1.2%、
に立っても、設備投資は毎年 8% ずつ増や
なろう。
7―9 月は速報値のマイナス 1.3% から改定
さなければならない計算になる。
また、政策面では、6 月に閣議決定され
値でプラスに浮上したとはいえ、0.6% の
むろん、そこまでの伸びは非現実的かも
た新成長戦略の中身がしっかりしていたこ
伸びにすぎない(いずれも実質・季節調整
しれないが、なるべく 8% に近づけていか
と、9 月に発表された新 3 本の矢に、名目
済み前期比)。賃金が上昇し始めているの
なければ、現在の社会保障制度が維持困難
国内総生産(GDP)600 兆円を目指すこと
に、労働代替投資が進まない状況には少し
になる。つまり、日本の企業経営者にリス
に加えて、構造問題解決への意欲を示す「希
びっくりさせられている。
クテイクの仕方を学び直してもらわなけれ
望出生率 1.8」や「介護離職ゼロ」といっ
背景には、今後の世界経済の見通しやア
た目標が掲げられた点は大きな進歩だっ
ベノミクスの政策持続性に対する不安など
た。加えて、16 年度予算案で新規国債発
複数の要因があるのだろうが、やはり一番
行額が税収増などを踏まえて当初予算とし
大きい理由は日本企業の根強いリスク回避
ては 7 年ぶりの低水準になったことは、ア
的な経営姿勢にあると思われる。
ベノミクス下で財政再建が着実に進んでい
る証左だろう。
当社は、16 年のインフレ率(消費者物
価指数前年比)は 2% に届かずとも 1.5%
ただし、これらの好材料に将来への期待
から 1.6% 程度に上昇し、政府・日銀は「デ
は持てても、16 年の成長率見通しを大き
フレ脱却宣言」を行うのではないかと見
く引き上げるほどのインパクトは感じられ
ている。しかし、20 年にわたってリスク
ない。
を回避してきた企業経営者たちがいきなり
当社の見通しでは、16 年の実質成長率
「デフレは終わったからリスクをとろう」
は暦年でプラス 1.2%、年度で同 1.5% だ。
と言われても、気持ちがついてこないとい
年度後半は 17 年 4 月に予定される消費再
うことなのだろう。
増税の駆け込み需要が見込まれるが、ア
提供写真
ロバート・フェルドマン
モルガン・スタンレー MUFG 証券
チーフエコノミスト
ロバート・フェルドマン氏は、モルガン・ス
タンレー MUFG 証券のマネージングディレ
クター、チーフエコノミスト。国際通貨基金
(IMF)
、ソロモン・ブラザーズ・アジア証券な
どを経て、現職。米マサチューセッツ工科大
学(MIT)経済学博士。
ベノミクスにおける中長期の成長率目標
— 22 —
ば(デフレしか知らない若い経営者には新
たに学んでもらわなければ)、日本経済の
再生もままならないということだ。
ただでさえ人手不足を背景に、賃金の上
昇圧力は高まっている。当社の試算では、
時給(1 時間当たりの給与)は今年、すで
に 1.5% 程度上昇している。今後はどこま
で上昇するのか。失業率と時給の比較から、
17 年末時点での時給の伸び率を私なりに
試算すると、失業率が現在のトレンドライ
ンで推移して 2.5%(11 月 3.3%)まで下が
れば、時給は 4.7% 上昇する計算となる。
驚くほどの高さだ。人手不足が深刻化する
中で、賃金上昇のマグマが相当溜まってい
ると言える。
人手不足と賃金上昇圧力は当然、中堅・
中小企業の収益を圧迫する。だからこそ、
労働代替型の設備投資を進めて生産性を上
げていくしかない。厳しいことだが、それ
ができない企業は経営が苦しくなり、淘汰
されていくことになるだろう。ただ、これ
は経済の新陳代謝が進んだ 1950 年代、60
と、成長率は高まらず、名目 600 兆円目標
ほどなくして店員が食事を持ってきてくれ
年代の高度成長期のメカニズムと同じだ。
も絵に描いた餅になるだろう。
た。同じように見えて、アナログ、デジタ
今後の設備投資の主役としては、もちろ
労働代替投資の簡単な例を 1 つ挙げれ
ルの大きな違いがあり、店員の生産性も後
ん非製造業が期待される。製造業の労働代
ば、日本の立ち食いそば屋や牛丼チェーン
者のほうが高い。労働代替投資とは、こう
替投資は、すでに進んでいる。それに代わっ
店などでは、自動券売機で食券を買い、そ
した小さな取り組みの集積である。
て、観光業・ホテル事業、小売・卸売、飲
れを店員に手渡しして、食事を受け取る。
食店、あるいは医療、介護、教育関連など
一方、最近訪れたカナダのトロント空港で
れば、長年言われていることだが、既得権
がけん引役となる必要がある。そもそも生
は、あるレストランの全席にアップルの
益の打破をお願いしたい。特に労働制度と
産性の低い労働集約型のサービス産業セク
「iPad(アイパッド)」が置いてあり、メ
ターで賃上げと投資の好循環が生まれない
ニューを見てクリックすれば注文が完了、
最後にもう 1 点だけ、安倍政権に注文す
選挙制度の改革は急務だと考える。
いろいろな改革は実行されているが、労
働制度は今も大企業の正規雇用を守ること
を優先し、現行の選挙制度は地方の高齢者
の利益を過大に優遇している。こうした既
得権の本丸に躊躇(ちゅうちょ)なく切り
込み、次の若い世代のための国づくりを進
めることが、アベノミクスの最大目標であ
るべきではないだろうか。
本稿は、ロバート・フェルドマン氏へのインタビューをも
とに、同氏の個人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2015 年 12 月 28 日)
— 23 —
アベノミクスの弱点
エドウィン・トルーマン氏
アラン・グリーンスパン元議長の右腕として
構造改革進展の「欠如」
米連邦準備理事会(FRB)の要職を務め、そ
安倍政権の政策に関して一番の弱点を指
の後、米財務次官補などを歴任したエドウィ
摘するならば、それは構造改革進展の「欠
ン・トルーマン氏は、アベノミクスの弱点は
構造改革進展の「欠如」であり、競争促進的
な政策や移民受け入れ政策などが必要だと指
摘する。
払われていること自体は称賛に値するが、
その分野でもこれまでのところ十分な成果
をあげているとは言えない。
如」だ。エネルギーや農業はもとより、経
済の多くの分野で競争をもっと促す必要が
ある。
日本は移民受け入れ政策をあらためて検
女性の労働参加率を高めるための努力が
同氏の見解は以下の通り。
移民政策を再考すべき
討すべきである。目先のためというよりも、
より長期の視点に立って、そうすべきだ。
追加的な労働力は(日本経済に)必要だ。
エドウィン・トルーマン
元米財務次官補 / ピーターソン国際経済研究所
シニアフェロー
エドウィン・トルーマン氏は、FRB や米財務省の要職を歴任したエコノミス
ト。1977 年から 98 年まで FRB 国際金融局長としてボルカー氏、グリー
ンスパン氏ら歴代の議長を支えた。98 年から 2001 年まで米財務次官補。
09 年にはガイトナー財務長官(当時)の顧問として再び財務省に復帰し、
提供写真
G20 ロンドンサミットの政策作成に従事。01 年からピーターソン国際経済
研究所シニアフェロー。
(移民受け入れ政策の)開始が早ければ早
いほど、より多くのお金が貯蓄よりも消費
に向かうはずである。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2015 年 12 月 30 日)
アベノミクスに残る 3 つの課題
グレン・ハバード氏
ブッシュ政権下で大統領経済諮問委員会
構造改革の履行
第 1 に、財政再建に向けた緩やかな財政
(CEA)委員長を務めたグレン・ハバード氏は、
安倍政権の経済政策重視は、日本経済の
日本の経済政策に残された重要な課題として、
長期展望を考えたとき、称賛されるべき重
歳出抑制、労働市場改革、競争促進による生
産性上昇の 3 点を挙げる。
同氏の見解は以下の通り。
調整だ。特に歳出の伸びを抑えていくこと
に力点が置かれるべきだ。
要な力点のシフトだと言える。しかし、構
第 2 に、女性の労働力参加率を高めるよ
造改革の履行において、いくつかの重要な
うな政策、スキルの低い若年層の労働者に
課題が残されている。以下の 3 つの分野が
対する賃金補助金、そして高齢者の労働参
特に重要だ。
加を促すような政策が必要だ。
第 3 に、環太平洋連携協定(TPP)を含
めて、国内経済において競争を促進するよ
うな政策にフォーカスすることだ。そし
グレン・ハバード
コロンビア大学ビジネススクール学長 /
元大統領経済諮問委員会(CEA)委員長
グレン・ハバード氏は米国の経済学者。コロンビア大学ビジネススクール学
長で、同大学教授。ニューヨーク連銀経済諮問委員。2001―03 年、ジョー
ジ・W・ブッシュ政権下で大統領経済諮問委員会(CEA)委員長。
て、それによって生産性の成長を促すこと
である。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 2 日)
— 24 —
所得課税から
消費課税へ
シフト加速を
土居丈朗氏
財政健全化と経済成長を両立させるためにも、
税源がジリ貧の法人税や所得税への依存度を
下げ、消費課税へと日本の税制の主軸をシフ
トさせることが必要だと土居丈朗・慶應義塾
大学教授は指摘する。
ただ、与党の 2016 年度税制改正大綱で、法
人実効税率引き下げの代替財源として外形標
準課税の強化が盛り込まれたことには問題が
あるという。
同氏の見解は以下の通り。
税義務が発生する税金だ。法人税は儲け(所
れがまったくできない。仕入税額控除も輸
世界の潮流から逸れた
得)に対して税金が課される。実効税率引
出取引の免税も認められない。そのため、
外形標準課税の算定方法
き下げは、法人所得に課す税率を下げるこ
物流に税負担の重荷を課す仕組みとなって
安倍内閣が閣議決定した 2016 年度税制
とを指す。これに対し、法人実効税率引き
いる。
改正大綱に、国・地方を合わせた法人実効
下げに伴う代替財源として、所得以外の法
また、加算法では、単年度損益が変わら
税率を現行の 32.11% から 29.97% に引き下
人課税が強化されることとなった。それが
ない場合に、報酬給与額を増やすと、付加
げることが盛り込まれた。
外形標準課税の強化で、今回も再び対象と
価値割税額が増えてしまう。安倍政権は、
なったわけだ。
賃金上昇と投資増の好循環を目指している
安倍内閣は 14 年 6 月に閣議決定した「経
済財政運営と改革の基本方針 2014」、いわ
この課税方式の何が問題かと言えば、経
ゆる骨太の方針において、「数年で法人実
済活動を歪めてしまう可能性がある点だ。
効税率を 20% 台まで引き下げることを目
やや専門的な話になるが、外形標準課税の
解決策としては、こうした付加価値割の
指す」と明言していた。有言実行は、国内
対象となる付加価値額は足し算方式(加算
外形標準課税からは日本もなるべく早く
外の経済界に対して、アベノミクスの健在
法)で算出される。人件費や払った利子、 「卒業」し、他の方法に求めることだろう。
ぶりを示す効果的なメッセージとなろう。
賃貸料や単年度損益などを合算し、その合
詳しくは後述するが、私は、財政健全化
計である付加価値額に比例して課税する形
と経済成長を両立させるためにも、日本の
残念ながら、この付加価値割は、他の主
存度を下げ、その主軸を消費課税へとシフ
要国の多くはもうやめつつある。むしろ、
トすべきだと考えている。その意味で、17
付加価値に税金をかけるならば、欧州諸国
年 4 月の消費税率の現行 8% から 10% へ
でも引き算方式(控除法)が主流となって
の引き上げを前にした、20% 台への法人
いるのが実情だ。日本でもおなじみの消費
実効税率引き下げは、あるべき姿への大き
税が、まさにそれにあたる。
ただし、今回の法人税減税をめぐっては、
簡単に言えば「売り上げ - 仕入れ」とい
税である。しかも、そこにはインボイス(税
引き下げに伴う税収減を埋め合わせる代替
額票)があって、仕入税額控除が適用され
財源として、外形標準課税の強化が決まっ
る。取引前に仕入れ段階で負担した税金は、
たことだ。
きちんと売り手が買い手に転嫁して、売る
企業の業績にかかわらず、赤字法人でも納
その最有力候補は消費税だと思う。
う引き算で計算される付加価値に対する課
1 つ残念な点がある。それは法人実効税率
外形標準課税は、分かりやすく言えば、
が働かない可能性もある。
をとっている(「付加価値割」と呼ぶ)。
税制は法人・個人に対する所得課税への依
な前進だと評価している。
わけだが、企業によっては人件費増の誘因
ときに消費税を加えて払ってもらう。
一方、加算法である付加価値割では、そ
— 25 —
提供写真
土居丈朗
慶應義塾大学教授
土居丈朗氏は、慶應義塾大学経済学部教授。
専門は、財政学、公共経済学、政治経済学。
2009 年より現職。現在、行政改革推進会議
議員、税制調査会委員、一億総活躍国民会議
議員、財政制度等審議会委員、社会保障審議会
臨時委員などを務める。東京大学経済学博士。
安倍内閣になってからの法人実効税率
き下げても国民に恩恵がないという反論が
の引き下げに伴って、事業税付加価値割
来そうだが、それは誤解だ。法人には従業
い税源だ。
むろん、消費税には、低所得者に重い税
の税率は 2.5 倍に引き上げられた。いまさ
員や株主、債権者など様々なステークホル
負担を課すという性質があるが、この問題
ら、付加価値割の税率を引き下げるのは難
ダーがいて、法人税負担があるために、そ
は本来、給付付き税額控除(課税最低限以
しい。ならば、事業税付加価値割も消費税
の分給与が減らされたり、配当が抑えら
下の低所得者に給付を与えること)を所得
もともに付加価値に課す税である点に着目
れたりしている。法人税負担のしわ寄せ
税制で合わせて導入することによって解決
すればよい。前者は加算法で後者は控除法
は、誰にどれくらい生じているのかは見え
できるはずだ。社会保障・税番号制度(マ
という違いだけである。そこで、事業税付
にくいが、従業員や株主などに確実に及ん
イナンバー)を利用すれば、低コストで所
加価値割を消費税に完全に置き換えること
でいる。
得を捕捉し、不正受給も防げる。
で、事業税付加価値割にまつわる問題を解
それに対して、消費税ならば、日本の最
一方、政府は現在、この問題を軽減税率
決できる(「置き換える」だけであって国
終消費者にモノを売る限り、日本企業が
導入で解決しようとしているが、経済学者
民全体で見れば税収中立だ)。
作ったモノでも外国企業が作ったモノで
の立場から言えば、この考え方には反対
も、平等に課税され、日本企業だけ不利に
だ。他国の事例で示されているように、事
なることはない。
務コストは大きく、いわゆる「益税」や不
なぜそれほどまで消費税へのシフトの必
要性を強調するかと言えば、所得税や相続
税、法人税ばかりに財源を求めても、グロー
そもそも、国際的に見て日本の消費税率
正の温床となる傾向がある。ただ、それで
バル競争の中で富の海外流出を招き、か
は低い。しかも、これから高齢化のペース
も政治主導で導入されるのであれば、少な
えって税収を失ってしまう可能性があるか
がさらに加速していく日本において、引退
くとも欧州型のインボイスの早期導入だけ
らだ。
後の高齢世代にも負担してもらえるので、
は何としても実現してもらわなければなら
世代間格差の是正という観点からも望まし
ない。
こう話すと、特に法人税については、引
10% 超の消費増税も
タブー視せず検討必要
もちろん、日本の財政健全化は、増税だ
けで実現できるわけではない。経済成長、
そして歳出削減は不可欠である。
成長については、
「新 3 本の矢」で、出
生率 1.8 や介護離職者ゼロなど供給サイド
の改革を意識した目標が打ち出された点は
評価できる。日本経済の問題は、日銀の試
算で 0.5% 程度とされる潜在成長率の低さ
であり、それは金融緩和や財政出動などの
需要喚起策では解決しない。供給サイドに
働きかける政策によって、民間部門の活性
化や生産性向上を促し、潜在成長率を引き
上げる必要がある。
ただ、財政健全化に対する経済成長の寄
与について言えば、内閣府の試算にもある
ように、今後の経済成長率を最大限高めに
年度の PB 黒字化にコミットしたものでは
ともすれば、17 年の消費増税前に、国
見積もったとしても、政府目標の 20 年度
ないが、主要改革項目に対して約 180 の
民の痛みを伴う改革は避けたいという誘因
基礎的財政収支(PB)黒字化を実現する
KPI(重要業績評価指標)を策定し、進捗
が働きそうだが、20 年度に PB 黒字化を
ための要対応額は 6.2 兆円に上る。すべて
(しんちょく)管理していく点は画期的な
実現し、対 GDP 比で政府債務比率を安定
を増税で賄うことは非現実的であり、歳出
削減は避けて通れない。
試みだ。
化させていくためには、もう残された時間
今後成長率が想定を下回るようなことが
政府も動き出している。経済財政諮問会
あれば、その分、財政健全化への要対応額
議の専門調査会では 12 月初旬に、歳出改
はさらに膨らんでしまう。前述した歳出改
革の工程表をまとめた。医療・介護などの
革工程表ではあまり踏み込まなかった年金
社会保障分野を中心に主要な歳出 80 項目
を含めて、この国の財政・社会保障のあり
のすべてについて、改革の具体的な内容、
方について、16 年に包括的な議論を深め、
規模、時期などについて明確化した。20
いよいよ道筋をつける必要がある。
— 26 —
は少ない。10% 超の消費増税もタブー視
せず、議論すべきだ。
本稿は、土居丈朗氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2016 年 1 月 4 日)
慰安婦問題合意
は安倍外交の
大成果
ジェフリー・フランケル氏
日本は、アジアの連携深化による経済メリッ
トを享受するためにも、歴史問題解決に向け
て日韓の慰安婦問題合意に続く外交成果を積
み重ねていく必要があると、ハーバード大学
ケネディスクールのジェフリー・フランケル
教授は指摘する。
一方、経済政策については、消費税率を一度
に引き上げるのではなく、毎年小刻みに 20
年にわたって引き上げていくプランが賢明だ
して投資家のコンフィデンスも保たれるだ
世紀初頭に多大な犠牲を払ったアジアの近
と説く。
ろう(つまり実質金利を低く維持できる)。
隣諸国に対して、今後は不必要に挑発的な
同氏の見解は以下の通り。
また、インフレ率と成長に関する期待を
行動を取ることはないと決断すべきだ。
プラス方向に維持することにも役立つ
はずだ。
景気回復まで大幅な消費税増税は
避けるべき
日本経済の諸問題を解決するためには、
アベノミクスの「3 本の矢」すべてが必要
である。
その意味で、2015 年 12 月末に日本と韓
国との間で結ばれた慰安婦問題に関する合
意は、こうした歴史問題に取り組むうえ
慰安婦問題に続き、
で、非常に重要な 1 歩である。安倍晋三首
他の歴史問題も解決を
相は(この決断について)称賛されるべき
歴史問題を乗り越えていくことは、外交
だ。もしも日本が他の歴史問題についても
的な理由からも(例えば日本が国際連合安
同じ方法で取り組むことができれば、北東
金融政策の矢はうまく放たれた。しか
全保障理事会の常任理事国の席を欲してい
アジアの調和的関係と有益な経済統合に向
し、財政政策の大きな矢は間違った方向を
るならば)、また経済的な理由からも(他
けた障害を効果的に取り除くことができる
狙ってしまった。一方、構造改革の矢は
のアジア諸国との軋轢はビジネスにとっ
はずである。
ほとんど矢筒から取り出されていないのが
て深刻な障害となっていることからも)
実情だ。
重要だ。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
2013 年 4 月の日銀による量的質的金融
しかし、日本が歴史問題を乗り越えてい
緩和(QQE)導入を受けて、金融市場で
くためには、本来は避けて通りたいであろ
は株高・円安という狙い通りの 2 つの効果
う複数の不快な歴史的現実に向き合わなけ
がすぐに表れた。いずれも国内需要を刺激
ればならない。
する方向で効果を発揮したが、国内総生産
もちろん、他の国々の歴史にも、暗い過
(GDP)の押し上げ効果という意味では結
去はある。しかし、その暗い過去を認める
局、短命だった。
成長が 2014 年 4 月を契機に弱まったの
は、5% から 8% への消費税増税が原因だっ
という点においては、日本よりも覚悟があ
ると思う。
米国や欧州諸国は過去数世紀において、
たというのが最も納得できる説明だろう。
先住民を征服し、奴隷化し、高い死亡率を
日本の公的債務状況が長期にわたって持続
招くという罪を犯した。今日、
その歴史の一
不可能であることは事実だが、消費税率
部を弁護しようとする人はいないと思う。
を一度にさらに大きく引き上げることは、
もしドイツが第 2 次世界大戦中に犯した
経済が回復するまでは賢明ではないと思
歴史的な罪をきちんと謝罪していなけれ
われる。
ば、欧州の経済的・政治的なリーダーとは
より良い方法は、消費税率の小刻みな引
(配信日:2016 年 1 月 4 日)
なり得なかっただろう。
き上げを 20 年間にわたって毎年行うこと
個人的な見解を述べれば、日本は平和憲
だ。それによって、長期的な財政持続性そ
法に再度コミットすべきだ。加えて、20
— 27 —
提供写真
ジェフリー・フランケル
ハーバード大学ケネディスクール教授
ジェフリー・フランケル氏は、ハーバード大学
ケネディスクール教授(資本形成と経済成長)
。
ニューヨーク連銀経済諮問委員。全米経済研
究所(NBER)で景気循環日付決定委員会委
員及び国際金融とマクロ経済学プログラムの
ディレクター。1996 から 99 年まで、クリ
ントン政権下で大統領経済諮問委員会(CEA)
委員。
円とユーロ、
2016 年の
分かれ道
中窪文男氏
米 国 の 利 上 げ 開 始 を 受 け て 2016 年 の ド ル
高基調を予想する向きは依然として多いが、
UBS 証券ウェルス・マネジメント本部の最高
投資責任者、中窪文男氏は、ドルは対ユーロで
下落、対円で上昇と、短期的には反対の動きを
見せる可能性が高いと予想する。
同氏の見解は以下の通り。
利上げを続けても
米景気の腰折れはない
12 月の米国の利上げは大方の予想通り
と言えるが、今後の利上げのペースと幅に
だが、金利先物市場がまだ年 2―3 回分の
らに向かい始めれば、ユーロ高圧力となる
ついては議論百出といった印象を受ける。
利上げしか織り込んでいないことを考えれ
可能性が高い。
背景には、米国経済の強さに対する見方の
ば、タカ派な部類に入るのだろう。
違いがあるのだろう。
弱気派は、雇用統計など景気の遅行指標
は強いが、景況指数など先行指標が弱く
一方、円については、まだしばらく対ド
ルで円安傾向が続くと見ている。もちろん、
対ドルでユーロは上昇、円は下落し
円も、PPP などに照らせば、大きく割安
127 円トライか
圏にあることは事実だが、ユーロとの大き
なっており、米国景気は成熟期に差しか
では、こうした状況下、為替はどう動く
な違いは、国内景気の伸び悩みだ。企業収
かっていると見る。確かに、一部指標には
のだろうか。ドルを中心に考えると、ユー
益が過去最高を更新している一方で、賃金
弱さが認められるが、私は、総じて米国経
ロと円は短期的には違う展開を見せる可能
上昇と設備投資増加の勢いは十分とは言え
済のファンダメンタルズは極めて良好だと
性が高いと考えている。
ず、16 年も経済成長は緩やかなものにな
分析している。
まずユーロは、すでに対ドルで底をつけ
るだろう。
遅行指標とはいえ、雇用が強いところは
つつあり、16 年は上昇が見込まれる。一
一部には、輸入物価の上昇につながるこ
経済も強い。特に米国では賃金も伸び始め
部にはパリティ(1 ドル =1 ユーロ)割れ
れ以上の円安を政府が望んでいないため、
ており、サービスセクターを中心に個人消
までユーロ安が進むと予想する向きもある
政治的理由で円安加速に歯止めがかかると
費が拡大するなど、明らかな好循環が確認
ようだが、11 月下旬から 12 月初旬につけ
できる。インフレ率が跳ね上がる可能性を
た 1.05 ドル付近が当面の底だと思われる。
心配する声もあるが、幸いなことに、原油・
根拠は 2 つある。第 1 に、ユーロの割安
商品相場は安値で推移している。利上げを
感がかなり高まっていることだ。購買力
続けても、景気がついてきて、金融資産市
平価(PPP)などを用いて試算すると、適
場には悪影響を与えないと考えられる。
正価格は 1.26 ドル。現在の実勢レートは
よって、今後の利上げのペースと幅につ
10% 以上割安ということになる。
いては、2016 年、17 年にそれぞれ 4 回ず
第 2 に、ユーロ圏の景気がこれから大き
つの利上げ(0.25%)が行われ、17 年末ま
く戻してくると予想されることだ。パリ同
でにフェデラルファンド(FF)金利の誘
時多発攻撃の影響が危惧されたが、ユーロ
導目標レンジが 2.25―2.50% まで引き上げ
圏の景気は今も堅調だ。欧州中銀(ECB)
られると予想している。
の量的緩和は確かに効果を生んでおり、緩
これは、直近 12 月の米連邦公開市場委
和マネーが貸し出し増につながり、消費も
員会(FOMC)メンバーによる政策金利
伸びるなど、経済の血液となっている。今
水準見通し(ドットチャート)とほぼ同じ
後、景気拡大とともにユーロ圏に資金がさ
— 28 —
提供写真
中窪文男
UBS 証券ウェルス・マネジメント本部
最高投資責任者(CIO)
中窪文男氏は、UBS 証券ウェルス・マネジメ
ント本部のチーフ・インベストメント・オフィ
サー(CIO、最高投資責任者)ジャパン。日本
生命、ブラックロックなどを経て、2014 年
6 月より現職。京都大学経済学博士。一橋大
学金融工学・経営学修士。
の見方もあるが、本当にそうだろうか。私
安方向へのオーバーシュートがもう 1 回
には、政治家が選挙対策でそう話している
あった後で、年後半は円高方向に若干戻す
だけにしか聞こえない。
可能性がある。特に経常収支の黒字が、貿
日本経済の将来を考えた時、潜在成長率
易収支の改善からだけでなく、所得収支の
を上げていくには成長戦略が不可欠だが、
黒字拡大からも来ているので、中長期で円
その前段階で成長を底上げするためには円
高に作用する可能性には要注意だ。
安しかないことは明白だ。今後も円安誘導
つまり、ユーロと円はそれぞれ短期的
と言わないまでも、当局の円安容認は続く
には対ドルで相反する動きを見せるが、
と予想される。
その後は同じように強含みになる公算が大
加えて、日銀のさらなる追加緩和が行わ
きい。
れる可能性は高い。先ほど述べた通り、日
ちなみに、PPP などで見た円の均衡レー
本では物価上昇に向けた好循環が起きてお
トは 78 円だ。実質実効為替レートで見て
らず、16 年のインフレ率も 1% 程度で推
も、円安は一時、1972 年並みの水準まで
移すると思われる。日銀は 15 年 12 月 18
進んだ。円高方向への修正圧力が中長期で
日に、緩和の補完策を発表したが、16 年
は高まってこよう。もっとも、16 年あた
前半にも本格的な追加緩和に乗り出して、
りは(127 円をトライした後の)円高方向
ドル円相場は 127 円を試す局面を迎えるの
への戻りは 124 円程度で済むのではないだ
ではないか。
ろうか。
ただし、気をつけるべきはその後だ。円
中国経済のハードランディング確率は
昇もしくは商品価格上昇あるいはその双方
善を理由にあげる向きもあるが、これは時
10%
から来る可能性だ。その場合、利上げのペー
間をかけて効いてくるものだ。何より原
スは、四半期どころか、ほぼ毎月となる可
油・商品相場の下落で輸入額は減っており、
逆に円高シフトが予想以上に早く顕現化し
能性があり、金利上昇につられて、ドル円
一方で生産の海外シフトで輸出額も減って
たりする可能性はないのだろうか。
にもかなりの上昇圧力がかかるだろう。こ
いるので、為替に対する貿易の影響は相対
の場合は、ユーロも対ドルで再び下落に向
的に下がってきていると思われる。突き詰
かうと思われる。
めれば、リスクオフイベントということに
とはいえ、予想以上に円安が進んだり、
まず、円安が加速するリスクシナリオと
しては、米国の利上げペースが予想以上に
速くなるケースが考えられる。例えば、予
逆に円高シフトが前倒しされるリスクシ
なるのだろう。最大の潜在リスクは、や
想もしないインフレ率の急上昇が、賃金上
ナリオはどうか。一部には、経常収支の改
はり中国経済のハードランディングでは
ないか。
中国の経済成長が 5% を割るようなこと
があれば、他の国で言えばゼロ成長に等し
い。その確率は低いとはいえ、中国政府が
進める構造改革の景気下押し圧力が予想外
に高まれば、5% 割れの確率は 10% 程度あ
ると考える。
ただ、この場合、直感的には円高に向か
うと考えられるものの、中国発で新興国不
安に火がつけば、ドルへの急速な資金の巻
き戻しが起きて、むしろ円高以上にドル高
に動く可能性もあろう。
いずれにせよ、16 年の世界経済と金融
市場のカギを握るのが引き続き米国経済と
中国経済であることに変わりはない。
本稿は、中窪文男氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて構成されています。
(配信日:2016 年 1 月 5 日)
— 29 —
動き出すマネー、
景気好循環まで
あと一歩
伊藤元重氏
過去最高の企業収益が賃上げや投資増になか
なか結びつかず、デフレマインド転換の難し
さを指摘する声は多いが、伊藤元重・東京大
学大学院教授は、2016 年は実質マイナス金
利のもと、経済好循環の歯車が回り始めるター
ニングポイントの年になりそうだと指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
し、好調な企業収益を賃金や投資の拡大に
月の有効求人倍率(季節調整値)は 1.25
結びつけていくことが肝要だ。
倍とバブル期並みの高さになっている。
足元で投資や消費が思いのほか鈍い状況
賃金の伸び率は、全体としてはまだ低い
賃上げに弾みがつく
は、別に落胆すべきことではない。やはり
が、中小企業や非正規雇用など市場にセ
タイミングは近い
20 年におよぶデフレの中で企業や国民の
ンシティブなところは相応に上がり始め
マインドも相当冷え切ってしまっている。
ている。
日本経済は現在、デフレ脱却の第 2 ス
テージにいる。第 1 ステージでは、3 本の
上場企業の過去最高益や大企業のベア上昇
こうしたなか、政府が官民対話で経済界
矢のうち特に第 1 の矢(金融政策)によっ
といったニュースを聞いても、景気回復の
に賃上げをお願いしているのは理にかなっ
て株価・為替・雇用・税収・企業収益が大
実感を持てない人は多いだろう。企業経営
ている。安倍政権が掲げる名目 GDP600
きく改善した。だが、肝心の投資や消費が
者も、いくら収益が良くなったからといっ
兆円(実質 2%、名目 3% 程度の成長)を
経済の好循環を促すまでには至らず、国内
て、5 年後、10 年後を見通したときに、積
目指すと、賃金が上昇しなければ労働分配
総生産(GDP)も伸び悩んでいる。これ
極的に国内で投資を増やす気持ちにはなか
率がどんどん下がっていってしまう。
が、日本経済の本格的回復に対する懐疑の
なかなれないだろう。
念、あるいはある種の閉塞感につながって
ただ、経済というものが不思議なのは、
そもそもデフレマインドが定着している
日本では、企業の賃金や投資決定について
金融・財政政策による需要喚起策でここま
最適配分ができていない「コーディネー
2016 年のマクロ経済運営は、まさにこ
で温めると、まるで五右衛門風呂のように、
ションの失敗」が起きている可能性があ
の問題を解決していくことが求められる。
深層部分に熱がじわじわと届き始めている
る。政府がコーディネーター役を買って出
デフレ脱却を確実なものとし、かつ 17 年
ことだ。
て、経済界に対して民間主導の好循環の必
いる。
4 月に控える消費再増税という課題をこな
まず、賃金・雇用に関して言えば、11
要性を説くのは決して間違ったことではな
い。合わせて、そうした好循環が生まれる
よう政策面で後押しをしてあげることが肝
伊藤元重
東京大学教授
伊藤元重氏は、東京大学大学院経済学研究科
教授。現在、経済財政諮問会議の民間議員を
務める。東京大学経済学部卒、米ロチェスター
大学大学院経済学博士。
— 30 —
要だ。法人実効税率の引き下げも効果的な
るので、物価には上昇圧力がかかる。16
な技術は、そこかしこに芽を吹き始めてい
選択肢である。
年に 1.5% 程度まで上がれば、実質金利は
る。モノのインターネット(IoT)や人工
ちなみに、私は賃金上昇の可能性に関し
大きくマイナスの領域に踏み出す。手元資
知能(AI)、フィンテック(金融と IT の
て多少楽観的で、これから足元の名目賃金
金を現金・預金のまま寝かしておけば価値
融合)、あるいはシェアリングエコノミー
はかなり上がってくると考えている。横軸
が目減りするので、企業には当然、手元資
の発想を生かす手もある。新たな生産性革
に失業率、縦軸に賃金上昇率をとったフィ
金の有効活用を求める市場のプレッシャー
命の波に乗り遅れないよう、日本企業の
リップス曲線では、あるレンジを超えて失
が強まるだろう。
経営者には危機感をもって臨んでもらい
業率が下がってくると、賃金上昇に弾みが
むろん、配当金・自社株買いなどの株主
かかる。2016 年あたりが、このターニン
還元、合併・買収(M&A)、あるいは賃
また、実質マイナス金利が、約 1700 兆
グポイントになりそうだと見ている。
上げなどキャッシュアウトのルートは様々
円(ほぼ半分が現金・預金)の個人金融資
だが、老朽設備の更新投資も含めて、デフ
産にどのような影響を与えるのかも注目さ
労働力不足と生産性革命が促す
レ下で抑え込まれていた国内設備投資が大
れるポイントだ。
産業の新陳代謝
きく動き出す可能性はある。
投資についても、2016 年はいよいよ期
たい。
最近、米国の投資家と話をした際、アベ
そもそも日本の労働供給量は毎年、少子
ノミクスの最大の負け組は結局、日本の国
待が持てると考えている。最大の根拠は、
高齢化で 1% ずつくらい縮小していく。生
民ではないかと言っていた。インフレに
16 年の比較的早い時期から物価上昇が加
産性を高めるための投資は、企業の生き残
なっても、現預金に寝かしたままで価値が
速し、名目金利から物価上昇分を差し引い
りに欠かせない。加えて、人手不足などで
目減りするというわけだ。私はそうは思わ
た実質金利のマイナス幅が広がると思われ
賃金が毎年上がっていくとすれば、必要な
ないと答えた。目に見えるように物価が
るからだ。
生産性向上余地はさらに大きくなる。その
上がってくれば、現預金から株式などへ
1 バレルあたり 100 ドル超から 40 ドル
過程では企業の淘汰も進むかもしれない
の相応のポートフォリオシフトは起こる
割れまでわずか 1 年程度で急速に原油安が
が、言い換えれば産業の新陳代謝が促進
はずだ。
進んだにもかかわらず、日本の消費者物価
されるということだ。バブル崩壊後ずっ
なお、最後に日本経済の長期的展望を言
指数はほぼゼロ近傍で推移している。つま
と低い水準で推移してきた全要素生産性
い添えれば、15 年に大筋合意した環太平
り、足元では金融政策が相当効いており、 (TFP)の上昇、そして潜在成長率の上昇
洋連携協定(TPP)など巨大自由貿易協定
物価は上昇基調に傾いていると言える。
今後、原油価格下落の影響は剥落してく
につながるかもしれない。
生産性を大幅に引き上げるような革新的
(FTA)が始動し、アジア市場が成長とと
もにさらに開放されていけば、日本の輸出
産業の主役も様変わりしていくのではない
だろうか。
国内輸出産業の主役は現在、デバイスや
素材・鉄鋼、あるいは自動車などだが、お
そらくここに食品や衣料品などさまざまな
消費財が加わってくると思われる。
また、観光産業のポテンシャルも侮れな
い。隣国の中国だけで欧州連合(EU)全
体の 2 倍を超える人口が存在するのだか
ら、海外の観光先進国の実績を参考に考
えれば、年間訪日外客数の中長期目標は
4000 万人でも少ないくらいだろう。
財やサービスの分野で、それだけの規模
の相互交流が起これば、日本の産業構造
もおのずと大きく変貌する。その意味で、
TPP や観光政策は 20 年後、30 年後の日本
経済を想定した重要なアジェンダとして、
一過性ではなく、腰を据えて取り組まなけ
ればならない。
本稿は、伊藤元重氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2016 年 1 月 6 日)
— 31 —
「強いアジア」に
向けた日本の責務
モハメド・エラリアン氏
日本は国内では構造改革の断行、対外的には
中国との連携でアジアを強化し、その「強い
アジア」をてこに世界経済ガバナンスで存在
感を示すことが求められているとアリアンツ
の首席経済アドバイザー、モハメド・エラリ
アン氏は指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
経済改革プログラムの完遂
日本経済のために時間稼ぎをした安倍首
相は、2016 年を構造改革推進に費やすべ
だ。そして、近いうちに消えてしまうもの
済ガバナンスに関する必要とされながら遅
きだ。必要な政策アクションはすでに政府
ではない。
れている改革について、日本はより積極的
によって十分に特定され、国民に伝達され
日本は 2016 年に、中国との緊密な連携
に発言できるようになるだろう。国際通貨
ている。日本経済がその比較的大きな潜在
に向けて、もっと努力すべきだ。アジアの
基金(IMF)と世界銀行の発言権や代表権
力を発揮することを阻んできた既得権益
強化を目指した地域の変容を形づくるため
の一部を時代に即したものに変えていくと
の打破を含めて、今こそ勇気ある履行の
に、そして他地域からの有害なスピルオー
いう点において、特にそうだ。
ときだ。
バー(波及)に対する強靭性を高めるため
欧州は時代遅れの歴史的権限をなげうつ
に、さらに地域の繁栄と世界の成長のエン
ことが必要なだけでなく、世界的責任とい
絶え間ない「地域変容」に順応し、
ジンとしての役割を取り戻すために、そう
う意味で義務であることをきちんと理解し
形成を担う
した努力が必要だ。
ていない。(日本の多国間経済ガバナンス
(アジア地域における)中国の影響力は
ますます強まっている。それは日本にとっ
て居心地の悪いものかもしれないが、現実
改革への積極的貢献は)米国や新興諸国が
多国間経済ガバナンス改革への貢献
アジアが強さを増すことで、多国間の経
欧州の抵抗を乗り越えるうえで助けになる
だろう。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 8 日)
提供写真
モハメド・エラリアン
アリアンツ 首席経済アドバイザー
モハメド・エラリアン氏は、独保険大手アリ
アンツの首席経済アドバイザーで、同社の国
際執行委員会メンバー。オバマ米大統領が開
発政策に関する助言機関として 2012 年に設
置した世界開発協議会(GDC)の議長。米資
産運用大手パシフィック・インベストメント・
マネジメント・カンパニー(PIMCO)の元最
高経営責任者(CEO)兼共同最高投資責任者
(CIO)
。2014 年より現職。
— 32 —
正規・非正規雇用
の分断こそ
日本の弱点
ビル・エモット氏
日本経済の低成長の背景にある家計需要の慢
性的な低迷、生産性上昇の停滞は、正規・非
正規という労働市場の分断に起因するところ
が大きいと、英エコノミスト誌の元編集長で
ジ ャ ー ナ リ ス ト の ビ ル・ エ モ ッ ト 氏 は 指 摘
する。
同氏の見解は以下の通り。
労働力不足の今なら
改革の痛みは小さい
ての人が同等の雇用保障とベネフィットを
加し続けるアウトサイダーの人的資本は着
受けられるようにする必要がある。
実に蝕(むしば)まれていく。技能習得に
むろん、これは、インサイダーにとって
もっと投資しようというインセンティブ
日本の経済発展と社会調和にとって、最
は雇用保障のレベルが下がることを意味す
が、会社側にも個人(非正規雇用労働者)
大の障害は、労働市場の深刻な分断だ。日
る。したがって、失業者に対する保障制度
側にも、働きにくいからである。
本の賃金労働者は約 60% のインサイダー
の改善や再就職への公的支援の拡充が必要
(正規雇用労働者)と約 40% のアウトサイ
ダー(非正規雇用労働者、多くはパートタ
イマー)に二極化している。
になる。
日本経済が完全雇用状態にあり、現実と
して労働力不足に直面しているにもかかわ
ただ同時に、アウトサイダーの権利と雇
らず、この人的資本の劣化と家計需要の低
用保障のレベルを引き上げる必要がある。
迷が継続しているということは、労働制度
前者が、高いレベルの雇用保障と福利厚
大企業は当然、こうした変化を阻もうと政
改革の喫緊の必要性について十分な根拠を
生など賃金・給与以外の経済的利益(ベネ
治に強く働きかけると思われるが、アウト
示している。
フィット)を享受している一方、後者の大
サイダーの権利を向上させることは、イン
完全雇用と労働力不足の状況下では本
多数は低賃金で、そうしたベネフィットも
サイダーの権利を引き下げるのと同じくら
来、このような改革に伴う社会的な痛みは
皆無に等しく、不安定な雇用を余儀なくさ
い重要だ。
小さく済むとも言える。
れているのが実情だ。
労働市場の分断を解決しなければ、日本
日本は迅速に労働法制を調整し、フルタ
は家計需要の慢性的な低迷、生産性上昇の
イム、パートタイムに関係なく、働くすべ
停滞に悩まされ続けるだろう。そして、増
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 12 日)
写真提供 :Justine Stoddart
ビル・エモット
ジャーナリスト /
英エコノミスト誌元編集長
ビル・エモット氏は、英国のジャーナリスト。
オックスフォード大学モードリン・カレッジ
卒業後、同大学のナフィールド・カレッジを
経て、1980 年に英エコノミスト誌に入社。
83 年から 3 年間、東京支局長。93 年から
2006 年まで 13 年間、同誌の編集長を務め
た。
「日はまた沈む」
「日はまた昇る」など日
本に関する著書多数。
— 33 —
TPP 農業対策が
不要な訳
山下一仁氏
2015 年に合意した環太平洋連携協定(TPP)
は、参加国への市場アクセス拡大など日本側
にメリットも少なくないが、国内農業に対す
る影響は皆無に等しく、期待された農政改革
には全くつながらないとキヤノングローバル
戦略研究所の山下一仁・研究主幹は指摘する。
にもかかわらず、農業分野で大規模な TPP 対
策が打たれようとしているのは、ウルグアイ
ラウンドと同様に選挙対策であり、いたずら
に国民負担を増やすだけだという。
同氏の見解は以下の通り。
TPP による農業への影響は杞憂
肉や、10 年かけて 4.3% の従価税が撤廃さ
ものであり、関税を撤廃すれば食料安全保
れることになった豚肉についても言える。
障が脅かされ、農業の多面的機能(洪水の
は、他国市場へのアクセスの拡大や広範な
しかも、牛肉・豚肉とも輸入急増時には関
防止、水資源の涵養、生態系の維持など農
ルール作りなど評価できる部分も少なくな
税を上げるというセーフガード付きだ。
産物の生産以外に果たす機能)が損なわれ
環太平洋連携協定(TPP)の合意内容
い。だが、21 世紀型の自由貿易協定(FTA)
また、バター・脱脂粉乳については、生
るというが、人口減少で縮小する国内市場
という前宣伝を信じて、農業の構造改革加
乳換算で計 7 万トンの追加輸入枠が設定さ
において、高い関税(そして減反政策など
速を期待していた立場からすれば、落胆さ
れ、枠内税率の段階的削減も決まったが、
の高価格維持政策)で守られている限り、
せられる結果となった。
枠外の通常関税は維持され、農林水産省所
収益力・イノベーション力の向上は進まず、
管の独立行政法人による国家貿易制度もそ
じり貧になっていくだけである。
日本側が TPP 交渉に際し農産物関税を
守ることに固執してしまったのは、重ね重
のままとなった。
その先にあるのは、消費者(納税者)負
ね残念でならない。農業関係者は、重要 5
コメについても、米国とオーストラリア
担の増大と日本の農業の緩慢な死だ。市場
品目(コメ、麦、牛肉・豚肉、乳製品、サ
に対して新たな輸入枠がそれぞれ設定され
原理にさらされ、価格競争力を磨き、世界
トウキビなどの甘味資源作物)のうち、約
るなどしたが、枠外の通常関税と国家貿易
の市場を開拓していかなければ、多面的機
3 割のタリフライン(関税区分の細目)で
制度は同様に維持され、輸入枠についても
関税削減・撤廃が約束されたことについて、
輸入義務は課されなかった(輸入機会を提
聖域を守るとした国会決議違反だと批判し
供するだけで輸入義務ではない)。
ているようだが、そもそも農林族議員の集
コメ関係の品目で関税削減・撤廃が約束
まりである衆参農林水産委員会の決議があ
されたのは、米粉(こめこ)調整品や穀物
るだけであり、本会議決議のような国会全
加工品(粟粥)などに限られている。砂糖
体の意思表明などは存在しない。
についても、無関税・低関税の輸入枠が設
また、農産物の関税については、TPP
定されたのは、チョコレート菓子などの調
交渉以前からすでに全体の 24% の品目が
整品。輸入粗糖への課徴金を財源とする給
税率ゼロ、
48% が同 20% 以下となっている。
付金で国産糖を支援する「糖価調整制度」
この 3 年間で為替レートが 50% も円安に
も維持された。総じて見て、日本政府の交
なっていることを考えれば、いますぐ関税
渉担当者はうまくやったというのが、大多
が全廃されても実は騒いでいるほどの影響
数の TPP 反対派の本心なのではないか。
は生じない。
こ の こ と は、16 年 か け て 現 行 の 38.5%
から段階的に 9% まで従価税(取引価格に
基づく関税)が削減されることになった牛
ただ、こうした交渉結果が、長い目で見
て、国民のためになったかと言えば、答え
はノーだ。
過保護農政の肯定派は、円安は一時的な
— 34 —
提供写真
山下一仁
キヤノングローバル戦略研究所
研究主幹
山下一仁氏は、キヤノングローバル戦略研究
所の研究主幹、経済産業研究所の上席研究員
(非常勤)
。1977 年、東京大学法学部卒業後、
農水省入省。ウルグアイラウンド交渉などの
国際交渉に参加。農水省の国際部参事官、農
村振興局次長などを経て 2008 年に同省を退
職。東京大学博士(農学)
、ミシガン大学行政
修士・応用経済学修士。
能も食料安全保障もやがて持続不可能に
打ち出されている。
行われようとしている。政府の TPP 関連
こうした動きを見ると、1993 年末の「関
政策大綱には、牛肉・豚肉の生産者支援の
税及び貿易に関する一般協定(GATT)」
題目で、赤字経営になった場合の補てん割
そうした「攻めの農業」への転換は図られ
ウルグアイラウンド農業交渉合意後に起き
合(対赤字)を 8 割から 9 割に引き上げる
なかった。メガ FTA をテコに、将来とも
たことを思い出す。日本はコメの輸入数量
ことが盛り込まれた。
消費者に食料を安定的に供給できる「健全
制限を維持する代償としてコメについて他
な農業」を実現するチャンスが失われてし
の品目より大きな輸入枠(最低輸入機会、
ズ向けの生乳に対する現行の補助金制度を
まった。
ミニマムアクセス)を受け入れた。
拡充し、菓子などに使われている「生クリー
なる。
しかし、今回の TPP 交渉に際しても、
また、乳製品の分野では、バターやチー
政治的には蜂の巣をつつくような騒ぎと
ム等」向けも支給対象に加えるという。前
繰り返される
なったが、当時の細川内閣(非自民・非共
述したバターや脱脂粉乳の TPP 輸入枠拡
ウルグアイラウンド対策の過ち
産連立政権)は輸入量と同量のコメをエサ
大が理由のようだが、「生クリーム等」自
何より問題なのは、TPP は農業に影響
米や援助用に処分し、国内のコメの需給に
体が自由化されるわけではない(関税は維
がないにもかかわらず、巨額の対策予算が
は何ら影響を与えないようにした。影響が
持され、輸入枠も設定されない)。
組まれようとしていることだ。昨年 12 月
ないので対策も必要なしとされた。
「生クリーム等」には飲用牛乳の一種で
ある成分調整牛乳も含まれる。それも補助
18 日に閣議決定された 2015 年度補正予算
ところが、その後自民党が政権に復帰す
案には、TPP 対策費として 3403 億円が盛
ると、6 兆円強の巨額予算が対策費として
金の支給対象となるようなことがあれば、
り込まれているが、このうち 3122 億円が
投じられることとなった。影響がないのに
成分調整牛乳の生産が拡大して、財政負担
農水分野だ。政府が 11 月にまとめた「TPP
対策が打たれ、使い道に困って、はてはそ
がますます増えることにもなりかねない。
関連政策大綱」に基づく施策として、担い
の一部が温泉施設建設などにも振り向けら
手確保や収益力強化、イノベーション促進
れたことはよく知られている話だ。
など様々な名目で、基金化など新規事業が
今回は特に畜産農家に対するバラマキが
本来なら影響がある TPP をまとめて、
影響があるから国内農業の合理化に向けて
何をすべきか議論するのが正しい筋道のは
ずだ。ところが、影響がないのに対策が打
たれるという、まるでウルグアイラウンド
後と同じことが起ころうとしている。
こうした過保護農政の「とばっちり」を
受けたのは自動車産業だろう。日本側が農
業分野での関税撤廃の例外を多く求めてし
まったため、工業品分野での米国側の譲歩
を引き出すことができなかった。
米国は輸入車に課している 2.5% の関税
について、25 年後になってやっと撤廃す
るという。実は米国と韓国の間ではすでに
FTA が発効しており、16 年に韓国車に対
する輸入関税が撤廃される。2.5% の関税
は決して小さくない。日本車メーカーの多
くが米国に輸出しているのは価格の高い高
級車だからだ。
ちなみに、TPP 発効は 17 年以降になる
見通しだ。そして、合意内容の見直しに関
する再協議は協定発効から 7 年後と規定さ
れている。それにわずかな望みをつなぐし
かない。
本稿は、山下一仁氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2016 年 1 月 13 日)
— 35 —
インバウンド傾斜
が歪める
観光立国への道
星野佳路氏
経済成長と地域再生につながる欧州並みに成
熟した観光立国を目指すならば、旅行・観光
産業の構造改革は不可避だと、星野リゾート
の星野佳路・代表は指摘する。
最大の問題は、国内旅行消費額の約 9 割を占
める日本人向け市場の低迷傾向と旅行・観光
産業の「稼ぐ力」の弱さであり、解決策とし
ては、インバウンド(訪日外国人)観光政策
にプラスして、
国内総生産(GDP)への貢献度、
生産性・収益性などに関し新たな政策評価指
体の約 9 割を占める日本人による旅行消費
実際、英国、スイスなどの観光先進国はそ
標を設定すること、そして何よりも潜在需要
が低迷を続けているからである。
うしている。参考になるのは、ダボス会
の掘り起こしにつながる「休日の地域別分散
化」を進めることだと強調する。
同氏の見解は以下の通り。
特に深刻なのは、若年層の旅離れが進ん
議を主催する世界経済フォーラム(WEF)
でいることだ。20―34 歳の宿泊旅行実施
の「旅行・観光競争力指標」や経済協力開
率を見ると、05 年度には 64.0% だったのが、
発機構(OECD)が開発中の「観光競争力
13 年度には 57.5% まで低下している(出所 :
評価指標」だろう。
東京五輪は
じゃらんリサーチセンター「じゃらん宿泊
前者は、自然・文化資源はもとより、政
オールジャパン開催にすべき
旅行調査」
)。実に、2 人に 1 人が 1 年に 1
府の規制からビジネスインフラ、人的資源
度も旅行をしていない計算となる。
まで幅広くカバーし、多岐にわたる評価項
「インバウンド」や「爆買い」をキーワー
ドに、旅行・観光産業がここ数年、成長産
また、脚光を浴びているインバウンドに
業として脚光を浴びている。期待されるの
しても、観光庁の宿泊旅行統計調査によれ
の貢献度」「観光サービスの労働生産性」
は大いに喜ばしいことだし、世界的に伸び
ば、消費額は上位 5 都道府県(東京・北海道・
など、より経済的側面を重視した評価項目
ている旅行需要を日本に引き込むことの
大阪・京都・千葉)で 65%、上位 10 都道
重要性に関しては、全く異論はない。だ
府県で 80% を占めている。需要の地域的
が、今の延長線上に、「真の観光立国」が
な偏在問題は、日本人による国内旅行でも
あるかと言えば、私は少し違う意見を持っ
程度の差こそあれ存在するが、インバウン
ている。
ドの効果が国内観光地の大半にほとんど届
ここに、日本の旅行・観光産業の構造問
いていないことが分かる。
題を示す象徴的なデータがある。国土交通
では、こうした構造問題をいかに解決し
省・観光庁の統計を見ると、2014 年はイ
ていけばよいのか。むろん旅行・観光産業
ンバウンド消費が 13 年の 1.4 兆円から 2.0
の自助努力が不可欠であることは言うまで
兆円に伸びる一方で、日本人による国内
もないが、産業全体の改革意識の方向づけ
旅行消費額は 20.2 兆円から 18.5 兆円に下
に政策が果たす役割も当然大きい。
がり、その結果、全体の旅行消費額は 21.6
兆円から 20.6 兆円に目減りした。
目を設けている。一方、後者は「GDP へ
政治にまずお願いしたいのは、観光立国
実現に向けて正しい KPI(重要業績評価指
もちろん、この時期は 14 年 4 月の消費
標)を設定することだ。正しい KPI がな
増税が影響していることも無視できない。
ければ、効果的な政策への発想もなく、必
また、国内市場はこれまでもアップダウン
要な構造改革も促されにくい。
を繰り返しており、15 年には再び上向い
例えば、インバウンドの訪問客数だけで
た可能性もある。しかし、過去 10 年余り
はなく、日本人も含めた観光消費額、そし
の長期トレンド線を描くと、日本全体の旅
て雇用数など経済成長への貢献度をより明
行消費が下降傾向にあることが分かる。全
確に説明できる KPI を組み入れるべきだ。
— 36 —
提供写真
星野佳路
星野リゾート代表
星野佳路氏は、星野リゾート代表。経済同友
会の前・観光立国委員会委員長。1960 年長
野県軽井沢町生まれ。83 年慶應義塾大学経済
学部卒業、86 年米コーネル大学ホテル経営
大学院で経営学修士号取得。91 年に星野温泉
(現・星野リゾート)社長就任。運営拠点は現
在、ラグジュアリーラインの「星のや」
、高級
温泉旅館の「界」
、西洋型リゾートホテルの
「リゾナーレ」の 3 ブランドを中心に国内外に
35 カ所。2013 年、日本で初めて観光に特
化した不動産投資信託(リート)を立ち上げ、
星野リゾート・リートとして東京証券取引所
に上場。16 年に「星のやバリ」
「星のや東京」
開業予定。
を取り入れている。
こうした評価項目を参考にしながら、例
えば「観光 GDP」「旅行・観光業の労働生
産性・総資本経常利益率」「全国及び都道
府県別の総宿泊数」「国内宿泊旅行実施率」
「観光産業の雇用者数」などを KPI として
採用するのはどうだろうか。政府・自治体・
企業がこうした KPI を意識して各々の役
割を果たせば、観光を通じた経済成長や地
域再生、すなわち真の観光立国もより現実
味を増すだろう。
その延長線上で言えば、20 年の東京五
輪は「オールジャパン」での開催を真剣に
検討すべきだと思う。前回 1964 年の東京
五輪は、首都復興を世界に知らしめ、日本
が国際社会の中心に復帰することを示す象
徴的なイベントだったが、今度の五輪は東
京・京都以外に魅力的な日本があることを
示す絶好の機会だ。
例えば、飛び込み競技は高知県、カヌー
は滋賀県・琵琶湖、マラソンは長野県な
ど、日本全国で各種目に最も適していると
思われる地域で分散して行うのはどうだろ
うか。そうすれば、東京五輪は、世界に対
して日本の地方が持つ魅力の多様性を紹介
する千載一遇のチャンスになるはずだ。
観光業の稼ぐ力を高める
「休日の地域別分散化」
金もなかなか上げられない。逆に言えば、
また、休日が地域ごとに分散化されれば、
この偏在をフランス的な「休日の地域別分
それぞれの地域の潜在旅行者をターゲット
加えて、政策面でもう 1 つ、かねてより
散化」で解決を図れば、旅行・観光産業の
にした新しい旅行メニューの開発も進むだ
提案し続けていることがある。休日の地域
構造問題の根っこがかなり取り除かれると
ろう。旅のニーズは千差万別であり、例え
別分散化である。
思う。
ば首都圏と九州の旅行者では旅行中の嗜好
日本の旅行・観光需要が伸び悩み、関連
実は、日本の旅行・観光産業の付加価値
も異なるはずであり、それらにきめ細かく
する産業の生産性・収益性が低くなってし
誘発効果は約 24 兆円(対名目 GDP 比で
対応した旅行商品が生まれてくるはずだ。
まう最大の理由は、約 20 兆円にもなる国
5%)と、自動車産業の半分強ある。しかし、
内需要が特別の日に集中するためであると
問題は他産業や海外の同業と比べ低い生産
通じた供給能力の向上は、国内の潜在需要
私は常々考えている。フランスなど欧州の
性・利益率だ。そのため、雇用や投資、ひ
の掘り起こしにつながるとともに、政府が
観光先進国では地域ブロック別に大型連休
いては経済成長への寄与度が低くなってし
力を入れているインバウンド需要の取り込
が設定されており、それが需要の平準化を
まっている。その背景にある大きな要因が、
みにも貢献するはずである。
もたらしている。
需要の季節的偏在なのだ。
だが、日本では旅行需要がゴールデン
もちろん、需要の季節的偏在を平準化し、
ウィークやお盆など特定時期に極端に偏在
生産性を重視していけば、淘汰されるとこ
している。その結果、旅行する側は宿泊施
ろも出てくるだろう。だが、新陳代謝の結
設や交通機関の大混雑と割高な旅行代金に
果として、大規模化のみ進むとは思わな
直面し、一方、旅行・観光産業も特定時期
い。規模が小さくとも、創意工夫で良い経
にしか稼げない、いわゆる「100 日の黒字
営をしている宿泊施設はたくさんある。そ
と 265 日の赤字」という構図に陥っている。
うしたところが、需要の平準化によって、
100 日しか儲からないから生産性は低い
より多くの利益を上げられるようになるは
し、非正規雇用率も高くなってしまう。賃
ずだ。
— 37 —
そうして進むサービスの多様化と 1 年を
本稿は、星野佳路氏へのインタビューをもとに、同氏の個
人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2016 年 1 月 15 日)
世界経済、
多極化時代の
3 大リスク
武田洋子氏
2016 年の世界経済は、米国経済の着実な成
長が中国経済の緩やかな減速をカバーし、漸
進的な回復が続くと、三菱総合研究所・チー
フエコノミストの武田洋子氏は予想する。
ただ、世界経済の多極化が進んでいることで、
米金融政策転換や新興国経済減速に伴う市場
の動揺がマインドの悪化を通じ、想定以上の
景気下押し圧力をもたらす可能性にも注意が
必要だと説く。
同氏の見解は以下の通り。
緩和マネー巻き戻しの背景に
も、今後の利上げペースを判断する際にそ
新興国への過度な期待の修正
の部分を見極めようとするはずだ。
2016 年 の 世 界 経 済 を 読 み 解 く カ ギ は、
いる。
もっとも、米国の名目国内総生産(GDP)
に占める製造業のウェイトは 10% 程度に
引き続き「多極化」だ。中国など新興国経
米経済は内需主導で
とどまる。実際のところ、同国経済におけ
済の減速と米国の金融政策転換がここ数
2% 台後半の成長見通し
る雇用と消費拡大の好循環を主導している
年、相互作用しながら世界経済や国際金融
では、2016 年の世界経済はどうなるの
のは非製造業だ。ドル高と新興国経済減速
市場に多大な影響を与えているのも、米国
か。メインシナリオとして、世界経済が
は米国景気の重石にはなるものの、成長を
一極集中からの脱却、すなわち多極化が一
好不況の分岐点である 3% をやや上回る成
途切れさせる決定的な要因にはならないと
長は維持すると見ている。国際通貨基金
考えている。
段と進んでいるがゆえである。
例えば、量的緩和後の米利上げは未踏の
(IMF)の 15 年 10 月時点の世界経済予測
多極化が進んだとはいえ、米国経済は世
領域なので、影響が読めないという指摘を
によれば、16 年の成長率は 3.6% と、15 年
界の名目 GDP のおよそ 2 割を占める。そ
耳にする。だが、それも裏を返せば、多極
の 3.1% から上昇する見通しだが、その予
の第 1 の経済大国が 2% 台後半の成長を実
化時代の新たな主役として期待される新興
測よりはやや慎重な見方になる。
現すれば、世界経済の緩やかな成長は続く
国へと量的緩和マネーがふんだんに流れて
メインシナリオの大前提は 2 つある。ま
いたからだ。今起きていることは、マネー
ず、中国経済の減速は続くだろうが、政策
面の表層現象から見れば巻き戻しだが、そ
総動員で 6% 台半ば程度の成長率を維持す
の深層部分は多極化の進展に連れて高まり
ること。そして、米国経済が 15 年の 2%
過ぎた、いわば過度な期待の修正でもある。
台半ばより強い 2% 台後半の成長を実現す
米連邦準備理事会(FRB)も自国の経
済状況だけを見て、金融政策を決めるこ
だろう。
ることである。
米国経済に関しては、最近、弱めの指標
とは、現実問題として、もはやできない。
も散見され、景気が成熟期に差しかかって
原則は「keep one’
s own house in order」、
いるとの見方もある。確かに、ドル高や新
すなわち国内経済の安定を優先することだ
興国経済減速が米国経済にボディーブロー
が、ブーメラン効果は考慮せざるを得ない
のように効いてきているのは事実だろう。
だろう。
米供給管理協会(ISM)が発表する製造業
利上げがどのような影響を世界経済に与
景気指数が 15 年 11 月に続き 12 月も改善・
え、それがどう自国経済に跳ね返ってくる
悪化の分岐点である 50 を割り、景気後退
のか。イエレン FRB 議長をはじめとする
の最中にあった 09 年 6 月以来の水準まで
米連邦公開市場委員会(FOMC)メンバー
低下していることは、そのことを示唆して
— 38 —
提供写真
武田洋子
三菱総合研究所
チーフエコノミスト
武田洋子氏は、三菱総合研究所のチーフエコ
ノミスト。1994 年日本銀行入行。海外経済
調査、外国為替平衡操作、内外金融市場分析
などを担当。2009 年三菱総合研究所入社。
米ジョージタウン大学公共政策大学院修士課
程修了。
新興国リスク、
年春先以降、中国経済の減速や新興国市場
侮れない心理的インパクト
の動揺が伝えられることが多くなると、企
ただし、気を付けるべきリスクは 3 つあ
業と消費者のマインドがともに後退。高水
る。まず、原油安の影響だ。資源・新興国
準の企業収益と良好な雇用環境が続いたに
経済の一段の下振れは避けられない。財政
もかかわらず、設備投資、消費がともに想
面で余裕がなくなった資源国の一部は、金
定を下回る結果に終わってしまった。
融資産の売却を余儀なくされている模様
16 年の日本経済の見通しについて言い
だ。米国では、原油安は消費中心にプラス
添えれば、潜在成長率を若干上回る程度の
効果をもたらすが、同国のシェールガス・
緩やかな成長となろう。16 年度の実質成
オイル事業者がどこまで価格下落に耐えら
長率で言えばプラス 1.4% だが、そのうち
れるのかは不透明だ。内外からの同セク
0.3% 程度が 17 年 4 月の消費増税前の駆け
ターへの投資が減退するなどして(あるい
3 つ目のリスクは、新興国経済の減速や
はエネルギー関連の株式やハイイールド債
地政学リスクを契機とする金融市場の不安
がさらに値崩れすることで)、米国景気に
定化だ。昨夏の中国株下落を契機とする世
研究開発を含めた民間投資の拡大は、日
想定以上の下押し圧力が加わる可能性は否
界同時株安はまさにその最たる例である。
本経済にとって非常に大きな課題だ。企業
年初来急落している中国株は引き続き震
収益は過去最高水準、キャッシュフローも
定できない。
込み需要に伴う上乗せ分であり、実際はプ
ラス 1% 程度の低空飛行が見込まれる。
第 2 のリスクは、中国経済の減速スピー
源となりそうだ。さらに、経済ファンダメ
潤沢であり、財務体質も強化されている。
ドだ。5% 台に失速するようなことがあれ
ンタルズが脆弱で、政治リスクが高まって
本来ならもっと投資意欲が高まるはずだ
ば、世界経済の 3% 割れは現実味を増す。
いるトルコ、南アフリカ、ブラジルなど他
が、各種アンケートで見ても、経営者はど
中国経済のメインシナリオは政策総動員
の新興国動向からも目は離せない。中国や
こか現状に満足し、安住している面は否め
によるソフトランディングだが、中央政府
その他新興国株価の下落は、その国の実体
ない。
がいくら刺激策を打って背中を押しても、
経済に直接深刻な影響を与えるわけでは
多極化でグローバルに儲けるチャンスが
財政赤字を抱えた地方政府が投資に踏み出
ないが、心理面でのインパクトは侮れな
増えているのは事実だが、研究開発拠点で
せず、政策効果も限定的となり、もともと
い。投資家や経営者のマインド悪化を通じ
あるマザー市場のテコ入れや新市場開拓へ
抱えている構造問題に起因する景気下押し
て世界経済の足を引っ張るルートに注意が
の取り組みを怠れば、将来的な競争力の低
圧力が一段と強まる恐れがある。
必要だ。
下にもつながりかねない。日本企業の経営
特に、民間部門(非金融部門)の債務残
者には、ビッグデータやモノのインター
高が GDP 比で 200% 程度まで膨れ上がっ
日本経済は今年も低空飛行へ、
ネット(IoT)など新たな生産性革命の波
ていることは気がかりだ。中国の貯蓄率は
攻めの投資が必要
に乗り遅れないように、「攻めの姿勢」を
高いから心配ないとの声もあるが、それは
実際、このルートが顕現化した分かりや
バブル崩壊後の日本も同じだった。バラン
すい例が 15 年の日本だ。消費者のマイン
スシート調整と不良債権問題が深刻化すれ
ドは 14 年後半から 15 年前半にかけて明ら
ば、ハードランディングリスクを高めよう。
かに改善傾向を示していた。ところが、15
— 39 —
取り戻してもらいたい。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいて書かれています。
(配信日:2016 年 1 月 18 日)
安倍政権は
成長と分配の
二兎を追え
熊谷亮丸氏
「成長か分配か」の政策論争は 2009 年の民
主党政権成立以来繰り広げられてきたものだ
が、安倍政権はこうした不毛な論争を超越し
て、その二兎を追うことが重要だと、大和総
研の執行役員チーフエコノミスト、熊谷亮丸
氏は指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
アベノミクスの基本的な方向性は
の一定の成果を認めた上で、残された課題
1 本目の矢の金融政策は、国民の誰もが多
正しい
を解決していく建設的な議論こそが必要で
くは文句を言わない政策なので、そこに過
ある。
度な負担をかける一方で、国民にとって耳
日本では、2009 年の民主党政権成立以
降、「成長か分配か」という政策論争が繰
の痛い社会保障制度改革や財政再建、岩盤
り広げられてきた。しかし、現実問題とし
従来の「3 本の矢」で
規制の緩和などへの取り組みは遅れ気味で
て、民主党政権下で 3 年余りにわたり、子
積み残された課題
ある。
ども手当を中心とする「分配政策」が指向
筆者は、2016 年のアベノミクスの課題
されたものの、日本経済は思うように回復
は、「成長か分配か」という不毛な政策論
新 3 本の矢で「分配」にも
しなかった。
争を超えて、「成長と分配の二兎を追う」
一定の目配りが必要
背景には、日本企業の海外流出と空洞化
ことだと考えている。
アベノミクスのもう 1 つの課題は「分配」
を促す「追い出し 5 点セット」
(円高、自
まず、主として「成長」に主眼を置いて
由貿易の遅れ、環境規制、労働規制、高い
きた、従来の「3 本の矢」(金融政策、財
従来の「3 本の矢」の下で、アベノミク
法人税)に加えて、電力不足やエネルギー
政政策、成長戦略)が抱える最大の問題点
スの恩恵は、大企業・製造業、都市部の富
コストの上昇、日中関係の悪化などの「7
は、1 本目の矢の金融政策に過度な負担が
裕層、高齢者などの一部の主体に偏ってい
重苦」に経営者がさいなまれていたことが
集中しており、黒田東彦・日銀総裁が孤軍
た。当社の試算では、アベノミクスによる
ある。
奮闘しているという点だ。
経済政策は手順が非常に重要だ。最初に
2 本目の矢については、1 本目の矢の金
適切な成長戦略を講ずることなく、企業が
融政策とは異なり、「大胆な財政政策」で
無理をして「分配」を行えば、経営状態
はなくて「機動的な財政政策」であるから、
は悪化し、最終的に家計の所得も減って
短期的には財政出動を積極化しても良いわ
しまう。
けだが、中長期的には社会保障制度の抜本
まずは、上記の「追い出し 5 点セット」
や「7 重苦」に代表される「アンチビジネ
ス(反企業)」的な政策を、「プロビジネス
的な改革などを通じて財政の規律を守る必
要がある。
3 本目の矢の成長戦略もメニューとして
(企業寄り)」的な政策へと転換して「分配」
は非常にいいものが出そろっているが、
「悪
の原資を作る、というアベノミクスの基本
魔は細部に宿る」という言葉があるように、
的な方向性は正しい。中国や中東などの海
農業、医療・介護、労働などの既得権が強
外情勢には不透明感が残るものの、労働需
い分野で、さらなる「岩盤規制」の緩和を
給がひっ迫する中で、日本経済は着実に回
進めていく余地が大きい。
復へと向かっている。
他方で、アベノミクスには足らざるとこ
ろがあるのも事実だ。今後はアベノミクス
政策の強化だ。
あえて誤解を恐れずに言えば、ここまで
の政策には、若干「ポピュリズム(大衆迎
合主義)」的な傾向が感じられる。すなわち、
— 40 —
提供写真
熊谷亮丸
大和総研
執行役員チーフエコノミスト
熊谷亮丸氏は、大和総研の執行役員・調査本
部副本部長・チーフエコノミスト。日本興業
銀行(現みずほ銀行)などを経て、2007 年
に大和総研入社。東京大学法学部卒業、東京
大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。
近著に「この 1 冊でわかる世界経済入門」
(日
経 BP 社)
、
「リーダーになったら知っておき
たい経済の読み方」
(KADOKAWA)
。
円安で、日本企業全体の経常利益は 4.3 兆
後の課題として以下の 2 点が指摘できるだ
痛い「社会保障制度改革」を実現せねばな
円伸びたものの、業種別の内訳を見ると、
ろう。
らないのである。
製造業が 3.1 兆円、非製造業が 1.2 兆円と
第 1 に、従来の 3 本の矢(金融政策、財
社会保障制度改革や岩盤規制の緩和と
偏りが見られる。また、4.3 兆円の企業規
政政策、成長戦略)が、新たな 3 本の矢で
いった、国民にとって耳の痛い構造改革を
模別の内訳を見ると、大企業が 3.5 兆円、
は 1 本目の矢に「強い経済」という名目で
正面から断行することを通じて、「成長と
中小企業が 0.8 兆円となっている。
全て押し込まれたことで、例えば岩盤規制
分配の二兎を追う」ことができるか否か。
の緩和などの「成長戦略」の推進力が弱ま
今年こそ、安倍政権の真価が問われている。
アベノミクスは、開始から 3 年が経過し
て、「成長」重視から、「分配」にも一定の
る事態を回避せねばならない。
目配りを行うステージへと移行する必要が
第 2 に、新たな 3 本の矢がマニフェスト
あることは間違いない。具体的には、非製
的なバラ色の色彩を振りまいている点も気
造業、中小企業、地方の所得や資産が少な
がかりである。例えば社会保障制度ひとつ
い方々、若年層、子育て世代などへの所得
とっても、現状、マクロ的には受益と負担
再分配を強化していくことが課題となる。
が全く見合っておらず、子や孫の世代への
その意味で、15 年 9 月に安倍晋三首相
ツケ回しを続けていることを勘案すれば、
が発表した、1)希望を生み出す強い経済、
国民全体ではネットベースの負担は重くな
2)夢をつむぐ子育て支援、3)安心につな
らざるを得ない。
がる社会保障、からなる、新たな 3 本の矢
安倍政権は、本当に困っている人にきめ
の方向性は基本的に正しいものだと評価で
細かく所得再分配が行われていないという
きる。
問題点を解決しつつ、全体の規模をダウン
ただし、新たな 3 本の矢に関しては、今
サイジングするという、国民にとって耳の
— 41 —
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 19 日)
日本は
「協調組合主義」と決別を
エドマンド・フェルプス氏
ノーベル経済学賞受賞者で米コロンビア大学
コーポラティスト的価値観が阻む
教授のエドマンド・フェルプス氏は、日本が
自己変革
再び繁栄するためには、コーポラティスト(協
調組合主義)的な価値観との決別と、草の根
レベルのイノベーションを促すダイナミズム
構築が不可欠だと指摘する。
同氏の見解は以下の通り。
を左右し続けている。
コーポラティスト的な価値観を打ち破ら
日本経済が有する問題は、あまりに強い
ずして、日本が自己を変革できるとは私に
コーポラティスト(協調組合主義)的な価
は思えない。このコーポラティスト的な価
値観に基づいて発展してきたことである。
値観には、家族のつながりや利害関係の持
それは、諸制度を形づくり、今もまだ行動
ち方、物質主義、順応主義、社会的保護な
どが含まれる。
草の根レベルのイノベーションの浸透に
必要なダイナミズムが構築されて初めて、
エドマンド・フェルプス
コロンビア大学教授
ノーベル経済学賞受賞者
日本は繁栄できるだろう。
エドマンド・フェルプス氏は、米コロンビア大学教授で、同大学の「資本主
義・社会センター」
所長。インフレ率と失業率との関係に関する一連の研究で、
2006 年にノーベル経済学賞を受賞。1976 年にノーベル経済学賞を受賞
したミルトン・フリードマン氏(2006 年死去)とほぼ同時期に、自然失業
率仮説を提唱したことでも知られる。1933 年、米イリノイ州エバンストン
生まれ。
— 42 —
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 19 日)
日本に必要な
「3 つの変化」
イアン・ブレマー氏
国際政治リスク分析を専門とするコンサル
ティング会社ユーラシア・グループのイアン・
ブレマー社長は、日本の課題として、中国と
の補完関係追求、女性の雇用拡大に向けたコ
ミットメント強化、外交政策における防衛・
安保傾斜の是正を挙げる。
同氏の見解は以下の通り。
中国との補完関係強化で
政治・経済力の底上げを
安倍晋三首相は、中国と補完し合える分
みには、より深いコミットメントが必要
外交政策の防衛・安保傾斜は
野をできるだけ多く見つけるための内部プ
だ。安倍首相は、この取り組みの重要性を
是正すべき
ロジェクトを立ち上げるべきだ。
訴えてはいるものの、実際に変化が訪れる
日本は、世界で最も強く、世界で最もレ
ジリエントな(しなやかな回復力を持つ)
スピードは遅すぎる。
最後に、安倍首相の外交政策は、防衛・
安全保障分野に偏向しすぎている。このよ
もちろん、これは政治的なだけでなく、
うなアプローチの外交的な代償は明らか
サービス産業を有する。同産業は、世界トッ
文化的な問題でもある。その点においては、
だ。日本は代わりに、経済・産業・通商政
プレベルの消費材や優れた高齢者向けヘル
首相が発する言葉は非常に重要だ。
策という真の強みをもっと活用して世界と
スケアを提供している。
社会インフラの強靭さも際立っている。
だが、若い女性が新たなキャリアに乗り
出し、継続していくのに十分な理由が持て
向き合うべきだろう。
環太平洋連携協定(TPP)は非常に重要
中国は今後、このすべてを切に必要とする
るように、職場の文化を変えられるように、
だが、それは始まりにすぎない。アジアを
だろう。日本はこれらを提供することで、
そして日本の産業界やビジネスで指導的役
はるかに越えて、通商や投資で深いつなが
自国の経済や政治にとって重要な推進力を
割を引き受けられるようにするための政策
りを築くことは、日本の将来の繁栄にとっ
得ることができる。
手段はたくさんある。
て欠かせないだろう。また、そうすること
女性の雇用拡大へ、
日本が自国の潜在経済力について自覚して
より深いコミットメントが必要
いるならば、(女性の雇用拡大は)極めて
これは、単なる公正さの問題ではない。
女性の雇用拡大という安倍首相の取り組
重要なステップだ。
で、日本が取り組む改革の真意を世界に示
すことができる。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 22 日)
写真提供:Jeff Cottenden
イアン・ブレマー
ユーラシア・グループ社長
イアン・ブレマー氏は国際政治学者で、国際
政治リスク分析・コンサルティングを手がけ
るユーラシア・グループの創業社長。1994 年、
スタンフォード大学で博士号取得。同大学フー
バー研究所のナショナルフェローに史上最年
少 25 歳で就任。98 年にユーラシア・グルー
プを設立。主導国なき状況を「G ゼロ」と名
付けたことでも有名。
— 43 —
アベノミクス
「新 3 本の矢」
の死角
リチャード・カッツ氏
安倍政権の新たな 3 本の矢には、3 つの死角
を向上させ、多くの女性の能力を活用する
挙に勝利する一助となる一方で、「3 本の
があると、米国でジャパンウォッチャーとし
ことも可能となる。また、より多くの非正
矢」に反対する人たちにますます力を与え
て知られるリチャード・カッツ氏(オリエン
規雇用労働者が世帯を形成し、子供を持つ
ている。
タル・エコノミスト・アラート代表)は指摘
する。
第 1 に女性労働者と非正規雇用労働者に対す
る均等待遇実現への取り組み不足、第 2 に英
米に比べて割高な食料消費支出とその背景に
ことができるようになる。アベノミクスの
2014 年に行われた衆院選の小選挙区 295
新たな 3 本の矢への信頼や政治的支持を醸
区を人口密度にしたがって 5 つのグループ
成することにもつながるだろう。
に分けた場合、最も過疎化が進んでいる
地域の小選挙区 59 区は有権者数のわずか
ある農協改革の遅れ、第 3 にアベノミクスの
割高な食料消費支出、
15% を占めるにすぎなかった一方、人口
抵抗勢力を利することになっている現行の選
背景に農協改革の遅れ
の最も多い都市部の 59 区では 26% だった。
挙区割りだという。
同氏の見解は以下の通り。
米国が環太平洋連携協定(TPP)に批准
しかし、この 2 つのグループは小選挙区か
しようがしまいが、安倍首相は、TPP で
ら選ばれる議席の 20% をそれぞれ選出し
合意された貿易自由化のための措置を取る
ている。
べきだ。日本が得る利益は、米国の農産物
女性・非正規労働者に対する
差別待遇禁止へ法制度強化を
輸出業者のそれよりもはるかに大きい。
加えて、農協組織は独占禁止法の適用除
過去数回の参院選では、1 人区が勝敗の
鍵を握った。前回の参院選(2013 年)では、
合計で日本の人口の 32% を占める 31 の 1
抜本的な構造改革への支持を構築するた
外を解除されるべきだ。とりわけホリデー
人区が、選挙区定数(73)の 42% を占めた。
めに、安倍晋三首相は、同時に 2 つのこと
シーズンなどに、断続的なバター不足に
こうした選挙区は、他と比べて不均衡なほ
を行う必要がある。日本にとって重要な長
陥ったことで、消費者は農協の独占的支配
ど多くの公共事業費を受けている。
期的利益を追求するだけではなく、比較的
による結果を目の当たりにしている。高い
短期間に結果を出すことである。
食料品もまた、その結果だと言える。
最も良い方策の 1 つは、非正規雇用労働
日本の消費者は家計の 14% を食料品に
者に対する賃金差別や、女性労働者に対す
充てなければならない。これは英国の 9%、
る賃金・昇進の差別を禁止する法制度をき
米国の 6% と比べてはるかに高い比率だ。
ちんと整備することだろう。
より安い食料品を輸入したり、他の措置を
目下、日本において、このような申し立
講じたりすることで、この比率が 11% に
てを集中的に調査し、違反者を摘発する行
まで減少できると仮定しよう。そうすれば
政機関は事実上存在しないに等しい。犠牲
消費者は年間 7.5 兆円を節約できるだろう。
者は訴訟に多額の自己資金を投じ、年月を
これは農業部門の国内総生産(GDP)の 5.4
費やさなくてはならない。この種の労働問
兆円を大きく上回る。
題を解決しようにも、日本には米国型のク
食料品の価格が下がれば、他の製品の購
ラスアクション(集団訴訟)制度が存在し
入につながる可能性がある。その結果、日
ない。
本製品の需要も高まるだろう。
国益のなかで決断を下さなければならな
い民主主義国家にとって、公正な選挙は必
要不可欠だ。
本稿は、筆者の個人的見解に基づいています。
(配信日:2016 年 1 月 26 日)
安倍首相は、こうした問題の解決に厚生
提供写真
労働省か他の機関を当たらせ、その資金と
アベノミクスの抵抗勢力を利する
リソースを使わせることができるだろう。
現行の選挙区割り
例えば、金融庁が金融監督を担当している
ように。
安倍政権は、近年実施された選挙を「違
憲状態」とする最高裁判決について前向き
このようなことが実現すれば、直ちに個
に対処し、衆参両院の再編に真剣に取り組
人所得が増加し、ひいては購買力の上昇に
むべきだ。有権者数に比べて定数が多く配
つながるだろう。何百万人もの国民の生活
分されている過疎地域などは、自民党が選
— 44 —
リチャード・カッツ
米オリエンタル・エコノミスト・
アラート代表
リチャード・カッツ氏は、オリエンタル・エ
コノミスト・レポート & アラート代表(編集
長)
。ニューヨーク大学スターンビジネスス
クール助教授、米外交問題協議会特別委員会
委員などを歴任し、現職。日本に関する著作
が多く、日米関係や日本の金融危機について
米国議会で証言も。
*本稿は、ロイター日本語ニュースサイト(http://jp.reuters.com/)の特集「2016 年の視点」
(http://jp.reuters.com/views)向けに、2015 年 12 月 21 日から 2016 年 1 月 26 日の間に配信された
ものです。登場した識者の分析は、各稿の配信日時点のものです。
このドキュメントにおけるニュース、取引価格、データ及びその他の情報などのコンテンツはあくまでも利用者
の個人使用のみのためにコラムニストによって提供されているものであって、商用目的のために提供されている
ものではありません。このドキュメントの当コンテンツは、投資活動を勧誘又は誘引するものではなく、また当
コンテンツを取引又は売買を行う際の意思決定の目的で使用することは適切ではありません。当コンテンツは投
資助言となる投資、税金、法律等のいかなる助言も提供せず、また、特定の金融の個別銘柄、金融投資あるいは
金融商品に関するいかなる勧告もしません。
このドキュメントの使用は、
資格のある投資専門家の投資助言に取っ
て代わるものではありません。ロイターはコンテンツの信頼性を確保するよう合理的な努力をしていますが、コ
ラムニストによって提供されたいかなる見解又は意見は当該コラムニスト自身の見解や分析であって、ロイター
の見解、分析ではありません。
© Copyright Reuters 2016. All rights reserved. ユーザーは、自己の個人的使用及び非商用目的に限り、
このサイトにおけるコンテンツの抜粋をダウンロードまたは印刷することができます。ロイターが事前に書面に
より承認した場合を除き、ロイター・コンテンツを再発行や再配布すること(フレーミングまたは類似の方法に
よる場合を含む)
は、
明示的に禁止されています。Reuters および地球をデザインしたマークは、
登録商標であり、
全世界のロイター・グループの商標となっています。
Fly UP