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「植物と菌の共生に学ぶ」 2012.1.1 小川 眞 共生によって生きる植物

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「植物と菌の共生に学ぶ」 2012.1.1 小川 眞 共生によって生きる植物
「植物と菌の共生に学ぶ」 2012.1.1 小川 眞
共生によって生きる植物・・・生産者として
地球上に生物が現れた正確な時期はわからない。長い間水の中でバクテリアのような原
核生物の時代が続いた。その時期に様々な生物の生活法が試され、27 億年前、浅い海の中で
光合成をするシアノバクテリア(らん藻)が生まれ、次いで葉緑素を持った真核生物の藻類
が現れた。これらの微生物は大気中に多かった二酸化炭素を同化して有機物を作り、酸素を
放出することによって、地球の環境を変えていった。その結果、酸素を必要とするバクテリ
アや動物、菌類などが増え、有機物が分解されて、物質が循環するようになった。藻類や微
生物を餌とする動物も多様化し、5 億年前までに海の中の世界は豊かになった。
地球の大気中に酸素が増え、地殻変動によって陸地が生じ、気候の変化が大きくなるに
つれて、植物や動物、菌類などが上陸するようになった。陸上植物が最初に現れたのは、4
億年前後のシルル紀からデボン紀にかけてとされている。この植物の根に、現在見られるも
のとよく似た原始的なカビの一種、グロムスが内生菌根を作って共生し田。菌は植物から炭
水化物をもらう一方、ミネラルや水を送り、乾燥した大地に植物が根付くのを助けるように
なった。その証拠がデボン紀の化石にしっかりと残っている。
その後、大型の植物が繁栄した大森林の時代があり、木材が大量に地中に蓄えられて石
炭になった。石炭は石炭紀から第三紀にかけて地球の表面で作られ、巨大な炭素貯留源にな っ
ていった。植物は酸素の増加と気候の変化に応じて、次第に多様化し、何度か絶滅の危機を
乗り越えて陸上に広がった。シダ植物から種子シダ植物へ、針葉樹から広葉樹へ、さらに花
の咲く顕花植物へと進化した。これにつれて動物や菌類も進化し、植物を中心とするバラン
スのとれた生態系が成立するようになった。
これらの植物の大半は菌類を根につけて共生し、群落を作って互いに空間を分け合い、
その中に無数の微生物や動物を養ってきた。植物が競争によって自然に間引かれるというこ
とは、ほとんど起こりえない。植物はその発生の初めから、共生の原理に従って、ほかの生
物群と共進化する性質を持っていたのである。
競争によって生きる動物・・・消費者として
動物は植物と異なって、菌類同様、自分で自分の体を養うことができない。そのため、
発生した初めのころから他の生物を殺して食べるか、死骸をあさるしか、生きるすべがなか っ
た。原始の海の中に植物が育つと、それをたべて繁殖し、小さな動物を捕食する大型の動物
が現れ、次第に軟体動物や甲殻類、魚類などの水生動物が多様化していった。
菌類の多くは植物体に着生して暮らし、無数の胞子を飛ばして餌にめぐり合う機会を増
やし、子孫を残してきた。それに比べて、動物は水域でも陸域でも、移動して餌を確保する
ようになった。体は次第に移動に適した形になり、敵から身を守るために外骨格ができ、運
動性を高めるために脊椎が発達した。
環境条件が複雑で酸素が多い陸に上がるにつれて、肺などの呼吸器管や心臓や血管など
の循環器官が発達した。同時に微生物からの攻撃を避けるために免疫機構も備わり、脳の感
覚を伝える神経系や消化のための器官が発達した。有性生殖によって繁殖法が高度化し、卵
生から卵胎生、胎生へと進化した。
動物の生活法が多様化し、栄養の摂り方についても、より効率良く摂取する肉食動物と消
化器の中に微生物を共生させて植物質を分解利用する草食動物、その両方ができる雑食動物
へと分化していった。餌を摂るための機能と防御機能が、動物の進化の基本になったといえ
る。
生き残って子孫を残すためには、集団で行動し、防衛する方が有利である。そのため、
特に草食動物は恐竜の時代から群れを作り、ゆるい社会生活を営むようになった。現在でも 、
草食獣の多くは集団で行動し、肉食獣は小さな群れを作っている。シロアリやハチ、アリな
どの場合は、集団の中での分業が進み、社会性昆虫といわれるほどに進化した。また、同種
の間の共同、もしくは共生だけでなく、アリとアリマキ、イソギンチャクとカクレクマノミ
のように異種の間でも共生する例が増えていった。また、顕花植物と昆虫、げっ歯類と広葉
樹のように、植物の繁殖を助けているものも多い、
しかし、基本的に動物の生活は競争の原理に依っており、弱肉強食といわれるように、
肉食動物が頂点に立つ食物連鎖が出来上がっている。生物の進化は突然変異と適者生存によ
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るとしたダーウインの進化論では、生物自体に優劣の差があり、人間を頂点とするピラミッ
ド型の生物界が存在することを認めている。
多様な生き方をする菌類・・・分解者として
生物界の中で、菌類が分解者として重要な役割を果たしていることが認められたのは 20
世紀半ばになってからである。真核生物の菌類は、海の中で藻類が生まれたころ同時に現れ 、
化石が残りにくいので不確かだが、藻類や動物に寄生し、遺体を分解していた。最初に出て
きた仲間は、現在ストラミニピラ界に属している卵菌やツボカビ、ミズカビなどで、動植物
に寄生するものが多く、共生するものはない。
2 番目に現れたのはグロムス門に属する菌で、先に述べたように、この仲間はデボン紀
以後植物にアーバスキュラー(樹枝状)菌根を作って共生するようになった。属や種の数は
少なく、純共生菌であるため培養できない。植物が乾燥や貧栄養状態に耐えて分布域を拡大
するにつれて、世界中に広がり、今も陸上植物のほぼ 8 割と共生している。
3 番目がパンなどに生えるクモノスカビの仲間の接合菌で、単純な有機物を分解する腐
生菌である。有性生殖で大きな接合胞子を作るが、菌糸は隔壁のない糸状で単純な構造のま
まである。
4 番目が 8 個の胞子を作る子嚢菌で、完全世代と不完全世代を持ち、生活環が複雑にな っ
ている。キノコの形は比較的単純で、オオチャワンタケやアミガサタケのように茶碗型や棒
状のものが多い。植物遺体を分解するが、リグニンを分解できず、生きた植物について病原
菌になったり、生きた動物について病気を起こさせたり、昆虫について冬虫夏草を作ったり
する。一方、シアノバクテリアに共生して、イワタケやサルオガセなどの地衣類を作るもの
もある。子嚢菌には腐生菌や寄生菌が多く、植物に共生する菌は少ない。ただし、有名なト
リュフは子嚢菌の一種で、オークやハシバミに菌根を作る共生菌である。
最も進化したのが 4 個の胞子を作る担子菌類で、発達した菌糸体を作り、胞子を飛ばす
ための子実体、いわゆるキノコも複雑な構造になっている。担子菌の 6 割以上が木材や落ち
葉などの植物遺体を腐らせる腐生菌で、4 割近くが樹木と菌根を作る共生菌である。そのほ
とんどが森林や草原に暮らしており、植物の病原菌になったり、動物に寄生したりするもの
は少ない。
腐生菌は酵素を出して木材を分解するが、原始的なサルノコシカケ型の菌はセルロース
とヘミセルロースだけを分解し、リグニンを分解しない。一方、シイタケやヒラタケなどの
傘型のキノコはリグニンまで分解するので、ほぼ完全に木材を腐らせてしまう。もっとも、
樹木のほうもスギやヒノキのように、古くから生き残ってきたものは抗菌物質を出すので腐
りにくいが、新しく現れた広葉樹の木材は腐りやすい。
担子菌類が植物に共生し始めたのは 1 億 5 千万年前の白亜紀の初めごろと考えられる。
菌根を作る樹木はマツ科、ブナ科、ヤナギ科、カバノキ科、フタバガキ科、フトモモ科など
に限られており、そのすべてがキノコと共生している。ただし、共生の仕方は偏利共生、相
利共生、任意共生と変化に富んでいる。
このほか、ラン科やツツジ科など、新しく出現した植物はカビやキノコの菌糸を根の細
胞に取り込んで内生菌根を作り、共生している。葉緑素のないランの仲間は菌糸を消化し、
菌に寄生する。さらに、新しい植物群には水生植物のように独立性が強く、共生菌を着けな
いものがある。
バクテリアがマメ科植物の根に共生して根粒を作り、空中窒素を固定することもよく知
られており、同じような現象がフランキアという放線菌が樹木に共生する場合にもみられる 。
さらに、植物の根の周りには多くの微生物が生息し、物質を分解して栄養を送り、間接的に
共生している例がある。一対一の関係だけではなく、マメ科植物のように根粒菌と菌根菌が
同時につくように、一対複数になる多重共生の例も多い。総じて、植物は微生物や動物に取
り巻かれて共生状態で暮らしているといえるだろう。
全体を通して、菌類の生活法は寄生から腐生へ、さらに共生へと進化し、明らかに植物
と共進化しきた。動物に比べると、より共生的な方向へ進化しているのは確かである。これ
は人間も含めて、従属栄養生物の生きる方向を示すものとして注目に値する生き方である。
女性は共生型、男性は競争型
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植物は共生の原理に従って進化し、動物は餌をめぐって競争の原理によって進化してき
た。人間に置き換えてみると、一般的に女性は子供を守って互いに助け合い、争いや殺傷を
好まず、平和に生きることを願ってきたといえるだろう。例外もあるかもしれないが。
一方、男性は孤立して行動し、異性や食物、住み家を求めて争ってきた。常に平和主義
者は弱く、臆病者と蔑まれ、戦闘を好む者が勇気のある名誉を重んじる人とされてきた。実
際、これを美化することによって、原始の時代から殺人や略奪、人権無視を正当化し、正義
の名において殺戮を繰り返してきたのである。これは男性の倫理観、いわば動物的本能に根
ざした行為といえるだろう。
人間は集団行動をとる社会性動物の一種で、階層社会を作り、分業化を進め、生活圏を
拡大する方向へと進んだ。その結果、様々な理由を挙げて自分たちの縄張りを広げるために
絶えず戦争を引き起こし、ほかの動物には見られない種内の殺し合い、いわゆる「正義の戦
い」ひいては「聖戦」を重ねてきた。
地域社会や国家は、本来その構成員が共生するための仕組みだったが、それが力を蓄え
るにしたがって欲望が膨張し、他と覇権を争うようになった。これは人間性の中に「競争と
共生」の相反する意識が潜在しているためである。この相反する二面性、いわゆる「戦争と
平和」が交互に顕在化してきたのが人類の歴史だったといえるだろう。
さらに、産業革命以後、エネルギーを浪費して地球上の自然環境を撹乱し、ついに取り
返しのつかない段階に踏み込んでしまった。地球環境問題に対して、我々は加害者であり、
被害者でもあることを忘れてはならない。この肥大し続ける人間の本性は容易に変わらない
かもしれないが、早急に方向転換しない限り、人類生存の場である現在の地球環境を破壊し 、
人類自体を破滅に追い込むことになりかねない。男性優先の競争社会から、平等を重んじる
共生型社会への転換が、今世界中で求められている。
柔軟な物差しで測る
「共生」という行為は、たやすい生き方ではない。共生するためには、まず相手の存在
を対等と認めることから始めなければならない。もし、自分のほうがより優れていると思え
ば、相手を軽んじて抑圧することになり、劣っていると思えば、卑屈になって妬ましく思う
ようになる。現実問題として、完全に対等ということはありえないが、自分を知り、相手の
長所を認めれば、折れ合う機会を見つけることができるはずである。
人はそれぞれ、自分に都合の良い目盛の入った物差しを持っており、それで他を測り、
自分に都合のよいほうに解釈しがちである。対等と信じるためには、まず自分の価値観を変
える、いわゆる物差しを変えることが必要である。言い換えれば、できるだけ物差しを柔軟
にし、時には目盛をつけ換えるのが望ましい。もし、自分の物差しに固執すると、自由度の
ない硬直したモノポリーに堕してしまう。
さらに共生して生きるためには、無理のない形で互いに対等の立場にあることを理解し 、
接し方を工夫しなければならない。一方的な押し付けは「小さな親切、大きなお世話」にな っ
て、単なる偽善に終わってしまう。これまでに体験した海外協力の場面でも、対等の立場で
共生するか、一方的に親切の押し売りをするか、耐えず迷いながら進めてきた。東日本大震
災に見られる災害救援の場合でも、永続させるためには経済行為を伴ったものに転換する必
要があるだろう。そのためには、自分と相手との間に双方が納得できる共通項を設けること
が重要になってくる。
一つの尺度として、経済、平たく言えば金銭がその仲介になる場合が多い。すなわち、
共生が成り立つためには、相互の利害が折り合わなければならないのである。植物と菌の共
生を見ても、生存に必要な栄養物の交換や水のやり取り、共通の敵からの防衛など、一種の
経済行為に等しい物の流れが見られる。植物と動物との相互関係も同様である。
先にも触れたように、アーバスキュラー菌根は 4 億年もの間、キノコと樹木は 1 億年以
上も共生関係を保ってきた。互いに利益があること、相利共生を目指すことによって物差し
の隔たりを縮め、共存できる条件を整えてきたのが、現在も続いている「共生」現象なので
ある。ここにも、人間を含むあらゆる生物に通じる原則が見られる。
共生を永続させるために
樹木と菌との共生、たとえばマツタケとマツとの関係をよくみると、共生を永続きさせ
るためのキーが見えてくる。その一つは菌糸の成長が遅く、根の成長と同調していることで
ある。第二に、培養できないものが多いことからもわかるように、腐生菌に比べて利用でき
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る栄養源の範囲が狭い。第三に毒素を出して生きた細胞を殺したり、高分子化合物を分解し
たりする酵素を欠いている。第四に胞子の量は多いが、乾燥や高温に弱く、発芽率も低いの
が一般的である。一般に菌根菌は自己抑制型の暮らし方をしているといえる。
これに比べて、腐生菌やそれから生まれた寄生菌は分解力が強く、餌のえり好みが少な
く、栄養物が乏しい場合でも生き残ることができる。胞子は環境耐性が高く、発芽しやすい
ので、繁殖力が強い。また、生活環が多様で、生き残りのためのバイパスを持っており、高
い適応能力がある。生物としては、かなり強い生命力を持ち、したたかに生きているといえ
るだろう。
キノコと菌根を作る樹木のほうも、草本植物と違って、根や根株に糖分をためる性質が
あって、菌を養うだけのゆとりがある。細根や根毛の量が少なく、そのためキノコの菌糸が
根の代行をするようになっている。また、いずれも大木になる性質があって、灌木状のもの
にはキノコが菌根を作らない。
相利共生の状態に達するまでに、何度も試行錯誤があったと思われるが、 相手の成長を
抑えたり、殺したりしていたのでは、共生は成り立たない。パートナーが死ねば、自分の生
存も危うくなるというのが、本当の共生であり、双方が互いに譲り合って、暮らすほかない
のである。この危険を避けるために、樹木は複数の菌と菌根を作り、菌は複数の宿主に菌根
を作っている。
共生には、偏利共生、相利共生、任意共生の三通りのタイプがある。「偏利共生」はマ
ツタケのような寄生菌に近い性質を持った菌がついて、病気に似た疑似菌根ができる場合で
ある。「相利共生」はショウロのような純共生菌が根に着いた場合で、互いに被害の兆候が
見られない共生状態をいう。「任意共生」は腐生菌がたまたま特定の宿主に出会って、根に
菌根類似の状態で着生した場合をいう。俗な言い方をすれば、「偏利共生」は「ヒモ」、
「相利共生」は「相思相愛」、「任意共生」は「今晩おひま」ということになる。
このような菌と植物の関係を人間の生き方に置き換えてみると、教えられることが多い 。
哺乳類の中でも、人類はかなり共生状態に近づいている生物である。人間はここ数千年の間
に食物を栽培して手に入れ、家畜を飼い、魚介類を養殖し、海藻やキノコまで栽培するよう
になった。木材も植えて利用するまでになり、収奪の段階を抜けようとしている。人間に飼
われている動植物も大きくなって数を増やし、大面積を占めて繁栄している。その結果、互
いに相手が滅びれば、生きていけない状態に達してしまった。いうなれば、農林水産業は人
類が共生状態に達した証しだともいえるだろう。
しかし、その農林水産業でも、欲望が大きくなりすぎると、海を汚し、家畜が病気にか
かり、農薬を多用しなければ、作物が栽培できなくなるなど、次々と新たな問題が生じてい
る。人間が楽をしようと、機械を開発して化石燃料を浪費したことによって地球の環境が乱
れ、共生の相手だけでなく、自らをも滅ぼしかねない状態に陥っている。
少欲知足
今、私たちがしなければならないことは、「共生する木と気」を大地と人の心に植える
ことである。木を植える行為は、今のためではなく未来のためであり、己れのためではなく 、
他のためである。この行いは仏教に言う利他行であり、木を植えることは、それを自然に実
践していることにつながる。
「共生する木」とは、マツやナラ、スギなどのように、日本人の生活に密接にかかわっ
てきた菌根性樹木のことである。木本植物の 99 パーセントはキノコやカビと共生しているの
だから、木を植えることは即「共生する木」を植えることになる。
「共生する気」とは、私たち自身が平和に生きるために、最も必要とされる心掛けであ
る。人の心のつながりによって安定した社会が保たれ、争いを無くすことができれば、世界
全体を安心して暮らせる場所に変えることができるはずである。身近の人に「共生する気」
を吹き込むことは、とりもなおさず、欲望を抑えて他を思いやる心を植え付け、世界平和に
貢献することにつながる。
我々がこれまで謳歌してきた近代文明は、はたして正しかったのだろうか。いまだに世
界中で続いている紛争や最近の原発事故に見られるように、宗教や近代科学は私たちに何を
与えたのだろう。「科学は善、進歩は正義」とする思考パターンには、明らかに疑問の余地
がある。これからは、行き過ぎを是正する科学を育て、「共生の哲学」を広める必要がある
だろう。
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自分がとった行為の責任が自分自身にることを認め、自分の存在意義を正しく捉えるこ
とができれば、小さな争いから大きな戦争に至る破滅の危機を避けることができるはずであ
る。共生という生き方は「汝自身を知れ」という原点から始まる。今人類が追いつめられて
いる危機的状態から逃れるためには、『涅槃経』にいう「少欲知足」を実践するほかないよ
うに思うのだが。
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