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あらた会2014会報H26春季号
あらた同窓会会報 (7) 支 部 便 り 京滋あらた会だより 「京滋あらた会報告」 済法科大学の技術研究所で教育と研究を行われました。 今回の話は、2005年現在における農業用のロボットが どの程度利用されているか、また世界でどの程度まで研 究が進んでいるかという興味深い話でした。 京滋あらた会の前身である京都あらた会は、1924年 (大正13年)に京都の吉田山の料亭「東洋花壇」に12名 が集まり、創会されたと聞いています。1987年(昭和62 年)に京滋あらた会と改称した頃から、従来の宴会形式 の総会を少なくし、野外で開催することが増えました。 しかし、近年のライフスタイルの変化でしょうか2011年 (平成23年)度の総会で本会の維持が困難になったこと が確認されました。その後、役員や有志でも検討しまし たが、会の運営が困難であるとの結論に至り、本会を 2012年(平成24年)12月末で閉会しました。本会の活動 は2003年にご報告して以来、未報告でしたから、2004年 以降の活動をご報告します。 京滋あらた同窓会 2005年6月25日(京都植物園) 前列左から 福元、迫田、梅林、佐藤 後列左から 横山、洪、乾公正、松﨑、清藤、川越、藤本 2004年(平成16年)度 活動報告 2004年6月21日(土)に京都府立植物園で総会が開催 されました。7名出席。総会の後、懇親会をかねて講演 会を開催しました。 佐藤 守先生に「ビタミンCとコラーゲン」と題して お話を伺いました。 タンパク質は動物のからだの20%を占める重要な成分 です。そのタンパク質の約2/3はコラーゲンとよばれる タンパク質で、骨、軟骨、皮膚、歯、血管、腺などに分 布します。このコラーゲンの合成にビタミンCが必須で、 ビタミンCが欠乏するとコラーゲン合成は阻害されま す。動物には、ビタミンCが合成できる動物(両生類、 は虫類)と、合成できない動物(霊長類、昆虫、無脊椎 動物など)があります。魚は合成できないと考えられて いましたが、佐藤先生たちのグループは、魚の中にもコ イやウグイのようにビタミンCを合成できるものがある ことを発見されました。 2005年(平成17年)度 活動報告 総会は2005年6月25日 (土) 京都植物園で開催されまし た。出席者12名。総会終了後に写真撮影行い、3時過ぎ まで懇親会。天候にもめぐまれ、 なごやかな一時でした。 総会の議事に先立って、本会の会友である洪 隆宣氏 2006年(平成18年)度 京滋あらた会報告 2006年の総会は6月24日(土)京都植物園で開催され ました。参加者は9名。名簿の管理と文書の発送は、本 年度年から清藤幸一氏が担当されることになりました。 に「農業用ロボットについて」と題して話をしていただ きました。洪氏は鹿児島大学農学部では農業機械を専攻 され、 学生時代はボート部の一員として活躍されました。 総会の後に、清藤幸一氏が「エチルアルコールと地球温 暖化防止」と題して話をされました。 高知県の実家では子どものときに、みそ、しょうゆ、 1964年 (昭和39年) に卒業と同時に、京都大学大学院の農 業工学科に進学されました。博士課程を終了後は大阪経 焼酎も自家製だったそうです。大学では農芸化学を専攻 され、卒業後に宝酒造に入社され、40年のうち16年間ア (8) あらた同窓会会報 ルコールの仕事に従事されました。その間にバイオマス から効率的にアルコールを製造するための基礎的な研究に されました。また、会友の洪 隆宣が2010年10月18日に 食道ガンで逝去されたことが報告されました。本年度の 従事され、 ブラジルや中国に技術指導にも行かれました。 2007年(平成19年)度 活動報告 総会では、役員は決定せず、会も休会とすることが話し 合われました。そして、2012年12月15日付けで全員 (会友 3名を含め計86名) に閉会する旨の連絡を郵送しました。 総会は2007年6月30日(土)京都府立植物園で開催さ れました。参加者は12名。横山和正氏の「神からの贈り 物-毒きのこ-に魅せられて」と題した講演の後、総会 あらた会の皆様方のご健康と、ますますのご活躍をお 祈り致します。 (2013.3.18 京滋あらた会事務局 横山和正記) を開きました。午後は全員で昼食をとりながらの懇親会。 満開のアジサイを見学し、帰途につきました。 2008年(平成20年)度 活動報告 2008年度の総会は、2008年6月28日(土)京都府立植 物園で開催されました。参加者は7名。農学部開学100 周年記念誌に「京都あらた会から京滋あらた会へ(85年 の歩み) 」と題して京滋あらた会の歴史を投稿したこと が報告されました。天候にも恵まれ、午後に懇親会を行 い、2時過ぎに解散しました。 2009年(平成21年)度 活動報告 2009年度総会は6月27日(土)京都府立植物園で開催 されました。会員7名が出席。本会の文書の印刷と発送 を担当していただいていた迫田逸己氏は2008年11月に脳 出血のため、お身体がご不自由になられたので、副会長 を辞任されたことが報告されました。 2010年(平成22年)度 活動報告 2010年度総会の総会は2010年6月26日(日)に膳所城 趾公園(大津市丸の内町)で開催されました。あいにく の雨天でしたが、参加者5名は城門を入り右100mの所に ある東屋に集まり、琵琶湖を眺めながらの総会でした。 総会終了後、あらた会功労表彰祝賀会を開きました。 30年以上にわたり京滋あらた会の役員として、また会長 として10有余年お世話を頂いた梅林氏に本会より大津絵 をお贈りしました。 総会の開催地は、旧膳所藩のお城の跡が公園として整 備された所で、近くには藩校(現 膳所高等学校)や本 多候ゆかりの寺や神社、武家屋敷など多数の史跡があり ます。湖にうかぶ優美なお城だったそうですが、今はお 城は取り壊され公園として市民に親しまれています。 200年前に出版された膳所城の図を眺めながら、時の流 れを肌で感じながらの、 なごやかな語らいの一時でした。 2011年(平成23年)度 活動報告 2011年度の総会は、2011年5月28日(土)に京都植物 園で開催されました。7名の会員が出席しました。本会 の名簿の管理をパソコンで行っていただいていた辰本全 敏氏が、2011年1月10日に77歳で急性腎不全のため逝去 岡山あらた会だより 「岡山あらた会だより」 平成25年5月26日、岡山あらた会の総会が岡山市の 「まつのき亭」で開催されました。今回は大学あらた同 窓会の林 満常任副会長のご臨席をいただきましたが、 会員7名の出席となりました。例年ご出席の堤 兼利 (獣・S29卒)は家庭の事情で、副会長の池田 勉(獣・ S37卒)は退院後の自宅療養中、川池 紀夫 (林・S39卒) は腰痛、川原 洋平 (林・H14卒)は仕事の都合等の欠席 者のメッセージの披露があり、 再会できずに残念でした。 濱脇 吉乃夫会長(農・S37卒)の開会挨拶の中では、 故郷種子島産の安納芋(焼き芋)の試食があり、6次産 業として頑張っている出身地の友人の話があり、林 満 先生の挨拶では、新設獣医学部の同窓会の扱い、配布い ただいたあらた同窓会学生会員向け会報で新しくなった 学科を知り、学生の記事では学生生活を懐かしむ事がで きました。 また、付属農場で生産の黒米『北辰米』の販売PR等 があり、農場の取り組みをつぶさに知り得た事で会員が 過ごした当時の農場も脳裏に浮かび上がったと思ってお ります。本田 隆志(農・S50卒)は黒米を利用してい るとの事、1袋500gで500円は60kg換算6万円であり魚沼 産コシヒカリと較べて高いのではと会長の意見もあり …。 (比較するのもおかしな話ですが) あらた会同窓会会員名簿を一冊いただき、新会員発掘 に利用させていただきます。 総会の後、石野 厳(農・S23卒)の乾杯で懇親会が 始まり、総勢8名の宴席なのでその場で誰とでも話がは ずみ、林先生のお蔭で大学、鹿児島の話題で花が咲きま した。 先ずは鹿児島から岡山の移動で林先生が九州・山陽新 幹線で所用時間2時間57分となった話から石野先輩は1 日がかり(後日、ネットで検索すると急行にて17時間37 分でした。 ) 、本田さんは夜行急行「開聞」で約12時間、 荒金 知宏(畜・H14卒)は新幹線、特急で約8時間と それぞれに時代の流れを感じました。 あらた同窓会会報 (9) 開学100周年記念事業の玉利池の整備時のスギナの除 草の話からは、竹の除草の話となり約1mの丈で切って 任いただくことを決定していましたので、新旧会長を含 め総会出席者には予め総会では役員改選の議決をしない 除草剤の原液を幹の中に入れると効果的とか、注射針で の注入等農に通じた皆様の話題となりました。 また、会長持参の焼き芋からは、しばし、芋談義に花 旨の了解をいただいておりました。 次に、岩井教授から同窓会本部や母校の近況報告をい ただきました。 が咲き、焼酎の話題に進展、あれこれ銘柄、麹菌等々、 焼酎の飲み方など学生時代の経験まで飛び出し、賑やか な時間が過ぎていきました。 続いて、特別講演は近畿あらた会員で姫路市在住の石 田 光氏(化平5)が「食品容器硝子と揖保乃糸」につ いてスライドを活用して、ガラス容器の性質や業界の変 総勢8名のこじんまりとした会合でしたが、今回岡山 あらた会としては初めて女性の参加者である甲斐 みち の(獣・S59卒、旧姓大石)の出席をいただき、明るい 雰囲気での談笑で時間を忘れた会となりました。来年か 遷など日本硝子に勤務されていた経験を踏まえて、興味 深い報告をいただいた。 特に、ミニチュアボトルや紹興酒の瓶は長年経過すると 鉛やヒ素が溶出するから注意するようにとの忠告もあった。 らは、獣医仲間の勧誘を期待できる様であり、ジリ貧の あらた会に明るい光が見えてきました。 なお、同氏は素麺製造販売業の菅哉物産 (株) で品質管 理に従事されているが、兵庫県手延素麺協同組合には 最後に鎌田 巖男(総・S39卒)より閉会の挨拶があ り、母校とあらた会の益々の発展とご健勝を祈念して閉 会となりました。 (工・S45卒)寺尾 国一 記 470社が加盟し、共販を行っているとのことであった。 これから素麺の季節になるが、ゆでた後のもみ洗いが 美味しく食べるコツだと説明され、パンフレットと商品 見本を配布していただいた。 その後、神澤亀貴氏から叙勲の受章報告と謝辞が述べ られ、記念撮影の後、14時50分に岩井教授の乾杯の音頭 で祝宴に入り、ビールや焼酎やワインなどを酌み交わし て時間を忘れ歓談し、最後に渡邊幸博氏(獣27)の発声 で寮歌や校歌を合唱して17時に祝宴を閉じました。 おって、本年は常連の会員が健康上の理由や自治会活 動などのため欠席されましたが、来年は当会が当番で5 月25日 (日) 、同会場で合同総会を開催の予定ですので、 多数の出席をお願いする次第です。 左上より 寺尾、甲斐、荒金、本田 左下より 鎌田、濱脇、林先生、石野 近畿・兵庫あらた会だより 「平成25年度近畿・兵庫合同総会の概要」 平成25年度の通常総会は、5月26日(日)13時からJR 尼崎駅北側のホテル「ホップインアミング」で近畿あら た会との合同総会として開催されました。 本年度の総会には、同窓会本部の常任幹事(庶務担当) である農学部生物生産学科病害虫制御学講座の岩井 久 教授(農学昭55年卒)に昨年に引き続きご臨席をいただ いた他、昨年6月米寿を迎えられ高齢者叙勲を受章され た神澤亀貴顧問(化19)が10年ぶりに参加されるなど総 勢23名(うち本会会員9名)で和やかに行われました。 総会に入り、本年度から新たに就任された近畿あらた 会の内田 昭会長(獣25)と当会の日高康貴会長(獣 37)が新会長としての抱負を込めて挨拶をされました。 なお、先に開催された役員会で山本 稔会長(林22) が健康上の理由で辞任され、後任に日高康貴副会長に就 あらた同窓会会報 (10) 東海あらた会だより 「東海あらた会だより」 東海地区(愛知・岐阜・三重)の、あらた同窓生の集 いは、昭和42年(1967年)以来毎年欠かす事なく秋に催 されております。 第47回目になる今年度は、立冬が間近とは思われない 暖かな日和に恵まれた、平成25年11月2日(土)に、例 の発声で始まりました。 なお、久保氏から外国での困難な技術指導に携わてい た折には、校歌を歌う事で、勇気、元気ずけられて仕事 が遂行出来た。とのお話があり、感銘致しました。 校歌、寮歌、北辰斜めに、の歌声が流れる中で、焼酎 も出回り賑やかな歓談で盛り上がっていた寮席も、午後 3時半となりましたので、飴本秀夫氏の音頭で“万歳三 唱”をして閉会いたしました。 (秋吉輝夫 記) 年通り名古屋城側にある名古屋市中区丸の内2丁目の 「アイリス愛知」で正午より開催されました。 大学農学部あらた会本部よりは、大変ご繁忙の中にも 関わりませず、昨年度に引き続き岩井 久先生(農学部 生物生産学科病害虫制御学講座・教授・副学部長)が御 出席下さいました。 定刻には参加者も揃い、事務担当の原田 涬氏(農学 芹川 岩井先生 懇親会は、久保清昭氏 (農学科・昭和22年卒) の “乾杯” 飴本 下さった、屋敷安雄氏(農学科・昭和18年卒)が昨年6 月に永眠なされたので、ご冥福を心からお祈りし謹んで 黙祷を捧げました。 高橋会長 引き続いて、会場前のロビーにて記念写真を、飴本英 夫氏(獣医学科・昭和40年卒)に撮って頂きました。 懇親会に移るに先立ち、同窓会には良くお顔を見せて 久保 年卒)から寄稿された「発酵微生物の魅力」 「名城大学 農学部ブランド・華名城アイスクリームの誕生」を拝読 致しました。 原田 子を拝聴させて頂きました。 (2)発酵微生物の魅力について。 名城大学農学部応用生物化学科・食品機能学 教授と して、ご活躍されている芳賀聖一氏(畜産学科・昭和47 満 前会長 成24年・秋季号」 「鹿児島大学同窓会連合会報 No.16」 による母校並びに同窓会が益々充実発展を遂げている様 秋吉 科・昭和36年卒)の司会で進められました。 先ず、高橋 剛会長(蚕糸学科・昭和38年卒・岡崎市) から開会の挨拶と併せて、ご多用の中遠路ご臨席を頂き ました岩井先生へのお礼が申し述べられました。 議長は高橋 剛会長が務め、次の各議案について原田 涬幹事から説明がなされて諮られました。 1. 「経過及び会計報告について」 2. 「東海あらた会役員について」 3. 「次期開催計画について」 議題1.については、報告のとおり承認された。 2.と3.については、次回の役員会で話合いをさせ て頂くことになりました。 4. 「その他」 (1)同窓会の現状について。 岩井 久先生から、ご提供下さった「あらた同窓会平 第47回東海あらた会 平成25年11月2日(土) 於:名古屋市丸の内2丁目・アイリス愛知 あらた同窓会会報 長崎あらた会だより 「平成25年度例会の開催」 (11) 総会では会務・経理報告を行い、新年度へ向けて組 織・活動の強化をはかることとしました。 例会に出席するあらたの仲間は、どちらかと言うと公 的職場に関係する方々が多い。多くの職域から多様な仕 長崎あらた会会長 森永鉄美(林学科F38) 平成25年度の長崎あらた会例会・総会は、鹿児島から 事関係の人々が「あらた会」に集い、広く地域に貢献す ることができればとの願いで一致しました。 懇親会、情報交換会は顧問吉岡庭二郎様の乾杯で始ま 農学部副学部長 岩井 久 先生のご臨席をいただい て、県央の諫早市のホテルで平成25年11月16日に開催し ました。 り、それぞれの青春が蘇りました。 宴の終わりには農学科46年の川瀬大三さんの指揮で寮 歌・応援歌の大合唱で大いに盛り上がり、次の再会を期 岩井先生には、最近の鹿大農学部の研究や学生の活動 などについてご講演をいただきました。 出席者は研究活動の現状、成果に感銘し、農学部に在 して散会しました。 最後になりましたが、今回の例会開催にあたりあらた 同窓会本部の皆様のご支援ご協力をいただきました。厚 籍する女子学生の多さに、おじさん世代の会員は隔世の 感を抱きました。 また長崎県から鹿大農学部へ進学した学生の多いこと に意を強くいたしました。 くお礼申し上げます。 (副会長 三浦徳明 獣48) (事務局長 寺本 健 農59) (事務次長 市原泰博 農平1) (12) あらた同窓会会報 福岡県立学校あらた会の報告 福岡県立学校あらた会 幹事 江藤 秀夫 平成24年度福岡県立学校あらた会を平成25年3月9日 (土) に福岡市中央区天神の平和楼本店にて開催いたしま した。年度末の大変お忙しいなか10名の会員にご参加い ただきました。現在、会員総数55名で、その内9名が現 役教諭として教鞭をとっています。残念ながら現役教員 の割合が少なく、平成10年度卒業生が最も若い年齢とな っています。 そのようななか、OBより馬場 誠先生(昭和31年度 卒) 、樋口 欽一先生(昭和33年度卒) 、山崎 賢一郎先 生(昭和42年度卒)の三名にご参加いただきました。厚 く御礼申し上げます。会では福岡県立糸島農業高等学校 教諭の赤松 昭博会長(昭和50年度卒)のもと会の活性 化について議論するとともに参加者の近況報告を行いま した。鹿児島大学在学中の思い出や、当時の鹿児島の様 子、現在の鹿児島の町並みの変化など鹿児島の話で終始 盛り上がりました。また、教員になったきっかけや生徒 との思い出話、農業高校の現状など職場とは違った同窓 生の関係だからこそできる話もできました。今後は、後 輩の入会と参加人数の増加を目指してより一層会員相互 の連絡を密にとっていきたいです。 最後になりますが、全国のあらた同窓会のますますの 発展を祈念しまして終わりの言葉とさせていただきます。 鹿児島在住者は年1回ほど飲み会を開いてきました。 ところで、会の会計を担当しておられた國分賢一さん が肺炎のため平成25年2月14日に逝去されました。誠に 哀惜の念に堪えません。 この度、奥様から賢一氏が預かっておられた会費残を 引き渡したいとのこと申し出があり、 5月9日竹山 茂、 元野 繁、山口信雄、山口荘治の4名が出席して、 49,000円を引き継ぎました。 この金の今後の処置について協議の結果、 「あらた同 窓会」に寄付することが最善の方法であろうとの結論に 達しまして、5月13日元野 繁、山口荘治の両名が「あ らた同窓会事務局」に出向いて寄付手続きしましたので お知らせいたします。 同期の皆様方の今後のご健勝をお祈り申し上げますと ともに「あらた同窓会」の益々のご発展をご祈念申し上 げます。 (山口荘治 記) まだまだ続く C-23クラス会 思えば平成9年春、八代の森兄らの音頭で石垣の美し い熊本城を望む料亭「城見櫓」にて第1回のクラス会11 名で開催、出席は九州各県、そろそろ第二の人生が始ま り頭の白さもふえる。次回の声は無く会は休眠となった。 実はこの会の前に昭和35年ごろ小生の呼びかけで久留 米「小松荘」に、小規模ながら福岡県内の有志にC︲25 の三宅兄(故人)を加えて6名集合、得業後12年の元気 盛り、頭髪も黒々、仕事も油の乗る頃、クラス会のルー ツでもあった。しかし残念ながらこれまた休眠。ところ が思いがけなく平成19年春、八代の森と下関の林両兄双 方から発起あり、福岡の西山と久留米の小生が世話人と 昭和23年林科卒の鹿児島在住者同窓会 平成20年に鹿児島大学農学部同窓会館で開催されまし た同期生会を最後に、 「あらたF23年会」は幕を閉じま したがそれから5年経過しました。同期の皆様にはその 後如何がお過ごしでしょうか案じております。この間、 母校玄関前 あらた同窓会会報 (13) なり所は朝倉の里、原鶴「泰泉閣」桜並木の秋月城や筑 後川堤防がえんえんと菜の花畑に包まれる。かくして再 を纏めて分厚いアルバムが出来あがり、また、冥土の土 産がふえた。 会第1号は5名の集り、初参加の者感激で言葉は無用。 翌 20年春、西山兄のお世話で福岡は「シーホークホ テル」で日帰り開催。今回もC︲25三宅兄の参加で大い 翌朝、解散後、北に帰る津野、林両兄を案内、筑前町 の「太刀洗平和記念館」かつての特攻隊基地と飛行機製 作所跡を尋ねた。思えば昭和20年3月27日晴れの卒業式 に盛り上がる。会のあと黒田公ゆかりの舞鶴公園、万朶 の桜を愛でつつ春を満喫(小生は三宅兄を甘木までおく る) 。 の最中に空襲警報で中断、退避、北東の空を圧する超低 空で銀翼の大編隊、頼もしい日本機と喝采した途端、太 刀洗方向が大爆発、その後7回600機の爆撃で、避難の 次ぎは21年秋、クラス会も活況に入り林兄の当番で所 は「湯布院クラブ」 ご存知錦秋に照り映える双耳峰を 仰ぎ、おりしもこの年「あらた開校100周年」を祝って 吟醸の「あらた百」を林兄がわざわざ取寄せ乾杯し母校 小学生まで約1000人の犠牲、友人も2人亡くなる惨事が 続いた。記念館でこの空襲の犠牲者と特攻隊員の遺影を 追悼し今更ながら平和の有難さを実感。現在、年間約10 万人の来訪者があると言う。 の本格焼酎に感激、恩師蟹江先生に感謝感謝でした。な お東京の松下兄が初参加、61年ぶり歓談交々深夜に及ん 見学後、北帰する両兄と鳥栖駅で別れ来年の会は林兄 の番で遂に関門海峡を超え本州に上陸し長州下関での出 だ。 翌 22年秋、森兄の番で人吉「ホテル鮎の里」そぼふ る秋雨に鹿児島から3名、地元人吉から腰痛療養中の山 田兄もかけつけ12名、名産球磨焼酎「ごくらく」の洗礼 で全員すっかり極楽行きとなった。山田兄の闘病ご健闘 を祈ります。 さて 翌23年秋、いよいよ懐かしい鹿児島集合、会場 はシンボル桜島と錦港湾の大パノラマが展開する「サン ロイヤルホテル」地元の長倉、小山田、田中兄らが当番、 倉敷の鮫島兄同伴にて初参加で10名。 翌日、念願の母校・同窓会館にて林副会長様のご挨拶 後校内見学、在学当時の木造建築はシンボルの講堂すら 今は無く、残るは鉄筋の図書館、今は重文の総合研究博 物館となる。繁茂する植物園の木立は1世紀を伝えてい る。苔むす「タノカンサー」像にも六十余年ぶりに再会。 会いを期待。 さて、この分だと会はまだまだ当分続きそうである。 何故だろうか、それは多分 会の最後に歌う校歌・寮歌 のあと必ず歌う「同期の桜」の文句ではないが「血肉分 けたる仲ではないが、なぜか気が合うて別れられぬ」た めであろう。 隠塚 克己 記 次いで焼酎学教室「北辰蔵」前で恩師蟹江先生に合 掌・ご冥福をお祈りし記念撮影。なおご案内の林先生に は大変御世話かけました厚くお礼申しあげます。 年が変わって24年秋は日本有数の別府温泉「パストラ パネトラルホテルでの大合唱 ルホテル」で大分の津野兄主催、鹿屋の田中兄参加で7 名。深緑の木立、静寂な高台、露天風呂からの朝日に輝 く景観は最高。さて、この会も九州一周を果たしそろそ ろ有終の美の頃合いではと予感するのだが…なかなか。 次いで25年秋、会は前進あるのみ、とうとう巡り巡っ て7年ぶりに振り出しの福岡に回帰、当番も小生、所は 「カンポの宿柳川」 北原白秋ら文人墨客の輩出の地 立花公ゆかりの「お花御殿」など格調高い南筑の水郷柳 川、参加者は5名、家族的な雰囲気で思い出話に夜はふ けり、珍しく碁会まで始まり御前様になる始末。 なお、いつも林兄からクラス会記念誌として学習的資 料を頂くが、今回は「桜島とあらた学園」がテーマであ った。大正3年1月大正大爆発を体験された植月虎男大 先輩(大正3年卒農化専攻)の体験記「桜島爆発の思い で」のリアルな緊迫、切迫感には圧倒された。この資料 カンポの宿玄関 (14) あらた同窓会会報 かけがえのない4年間 生物生産学科 家畜生産学講座 家畜管理学研究室4年 鹿児島大学 生物資源化学科 食品機能化学講座 栄養生化学・飼料化学研究室4年 永里 達郎 平原 拡大 私の4年間の大学生活は、楽しいことも、苦しいこと もたくさん経験出来た、悔いのない4年間だったと思っ 鹿児島大学。 「この大学以上にいい大学はない」そう 思って止まない4年間でした。国立大学には珍しい市街 ています。 1年生のときは、バイトを始めたり、学祭のときに学 科で模擬店を出し、そのリーダーをやったり、バンドサ ークルに入ったり、人生初のフルマラソンに参加したり と、多くの新しいことに挑戦した年でした。 2年生のときは、ひたすらサークルに没頭していまし た。講義に行くためではなく、バンドをするため、サー クルの仲間に会うために毎日大学に来ていたと言っても 過言ではありません。大学生活の中で、最もバンド練習 で忙しかった時期であり、最も遊んでいた時期でもあり ました。 3年生になると研究室に配属され、遊ぶ時間の制限が 増えました。特に、研究室運営のための係が4年生から 自分たちへ引き継がれると、 本格的に忙しくなりました。 また、公務員試験対策の講座も受けていたため、時間に 地という立地、大学を出ればすぐ目の前に騎射場という 学生の街、個性的な友人達、全てが完璧でした。強いて 悪いところを挙げるなら灰が降ることでしょうか…。 入学当初、周りは知らない人だらけ。どうも先輩方に は私が1年生には見えなかったらしく、新歓の時期に構 内のどこを歩いていてもビラをもらえず、スーツを着た 入学式の帰りにやっと1年生と認識され、ビラを貰えて 嬉しかったのがつい最近のことのように思い出されま す。 ビラに書いてある新歓イベントには全て参加したので はないかというぐらいでした。そこで仲良くなった多く の悪友は各々のサークルに所属したあとも交流が続き、 学部学科が違うのにも関わらず2010年度入学のくくりで 集まり、友達の友達が友達になりどんどん輪が広がって いきました。これもすべて騎射場という街と集まってく 追われ、毎日があっという間に過ぎて行きました。しか し、夏と春の長期休暇を利用して2回動物園実習にも行 き、本当に充実していた1年でした。 4年生のときは、研究室の仕事や卒論研究、そして就 る学生の気質の良さがあったからだと言っても過言では ありません。 常に楽しいことが絶えなかった4年間でしたが、自分 を最も成長させてくれたのはバイクでの長期旅行でし 活等で奔走する日々でした。卒論研究のために、普段読 まない文献をたくさん読んだり、就活のために畜産学を た。身一つで友人と全国各地を旅して周り、北海道にあ る日本最北端宗谷岬にも行きました。人間やろうと思え 勉強しなおしたりと、4年間で最も勉強した時期だった と思います。 努力して成功したこと、羽目を外して怒られたことな ど、全てが大切な経験であり、今後の人生の糧となるこ ば何でもできるんだなと思いました。 あの頃に戻りたいとよく言う人がいますが、私は大学 4年間でそれを思ったことがありません。なぜなら常に 「今」が楽しかったからです。 「今」が過去になり思い出 とを信じています。 となるのだから「今」を楽しまなきゃ損、そんな生き方 を教えてくれた鹿児島大学の皆さんに感謝します。 あらた同窓会会報 大学生活を振り返って 生物環境学科 環境システム学コース 環境情報システム学研究室4年 (15) 学生生活を振り返って 獣医学科 臨床獣医学講座 画像診断学分野 上坂元 駿 鈴木 雄大 大学生活を振り返ってみると、たくさんの不安を抱え ながらスタートした大学生活も終えてしまえばあっとい 早いもので卒業まで残り1ヵ月を切ってしまった。6 年間の学生生活は文字通りあっという間に過ぎ去り、気 う間だったと感じています。大学に入学して、一番の財 産となったことはいろいろな人に出会えたことだと思い ます。たくさんのご指導をくださった先生方や、社会で 働く上での指導を厳しくしていただいたアルバイト先の 上司の方々、いつも遊んだり飲みに行ったりしてくださ った先輩、後輩、友人の方々など、本当にたくさんの人 達に出会えました。 自分は、大学生になったら接客業のアルバイトがして みたいと考えていて、コンビニや寿司屋、レストランな どでアルバイト経験を積みました。 「君の接客態度には、 大学生という感じが出ている。社会に出たらそんなもの は通用しない」と厳しい言葉で指導された時には、自分 の中でのアルバイトに対する考え方を反省し、より真剣 にアルバイトに取り組もうと気持ちを改めました。その 時に、真正面から叱って指導してくれる尊敬できる人に 付けばもう卒業目前。学生生活を振り返ってみて、1番 辛かったのも1番充実していたのも最後の1年間であ る。臨床系の研究室に所属するようになった4年からは 病院の仕事に実験に…と、忙しくも充実した日々を過ご してきたが最後の1年間は格別だった。 就活、臨床実習、卒論、国家試験と大きな“イベント” が目白押しだったが、なかでも国試部屋にいた期間は6 年間で1番濃厚な時間を過ごした。勉強時間に関しては もちろんのことだが、ここには書けないことまでいろん な“話題”にあふれた面白い期間でもあった。辛い時も、 この文章を読んで「話題ってあれのこと!?」と笑って話 せる友と、その話題たちに支えられてここまで来ること が出来た。また、多くの先生方、先輩方、後輩からの支 えや応援、同輩との支え合いも大きな力となった。本当 に感謝の気持ちでいっぱいだ。 出会えて良かったと感じました。 素晴らしい言葉にも出会うことができました。教授が おっしゃっていたのですが、 「自分の周りの人間をハッ ピーにするためにいきていく」という言葉がありまし この文章を書いている今は国家試験を終えて学生生活 最後の長期休暇を満喫している最中であり、4月からは 6年間過ごした鹿児島や共に学んできた友と離れる事と なる。6年間を懐かしみつつも、担任の窪田先生をはじ た。自分はこの言葉を聞き感動し、自分の人生の目標に したいと思いました。 め、支えてくださった多くの方々に“国試合格”で恩返 しできていると信じてここで筆を擱きたいと思う。 春からは、就職して働きます。大学生活で得られた経 験や、いままで知り合った方々とのつながりという財産 を大切にしながら、そして新たな出会いに期待しながら 頑張っていきます。