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すべてが「未曾有」の体験想像力を働かせて対応を考える

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すべてが「未曾有」の体験想像力を働かせて対応を考える
寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言
すべてが「未曾有」の体験
想像力を働かせて対応を考える
立教大学 コミュニティ福祉学部 教授 陸前高田市自殺予防対策庁内連絡会アドバイザー
蓄積された知見に加え、想像力を働
を陸前高田のみならず、南三陸でも
り、地区全体に何も無いという風景
女川でも石巻でも仙台でも、いわき
かせて全体的なアセスメントをして
いくことが求められている。
知らない。昨年度は「サポートハウ
極めて特殊であると感じている。も
しかし、陸前高田市の被災状況は
でも見た。
ス」に約100日間滞在し、震災前
ちろん、被災規模や深刻さなどは比
筆 者 は、 震 災 前 の 陸 前 高 田 市 を
の地図や写真を集めて比較しながら
較する性質のものではない。どこの
の街で営みが失われ、それぞれが大
( 元 の ) 街( が あ っ た 所 ) を 歩 き、
そ の 中 で 個 人 的 に、 市 職 員 の 助
きな喪失を経験しているのだから。
街がもっとも被害が深刻か、などを
けができないかと考えていた。住民
ここでは被害の深刻さというよ
ここにどのような生活があったのか
市職員に対する
に直接サービスを提供するボラン
りも、その特殊性を指摘したい。そ
論じるつもりは全くない。それぞれ
サポートも重要
ティアは多かったが、市職員が置か
れを踏まえてメンタルヘルス対策が
を想像して過ごした。
東 日 本 大 震 災 は、『 未 曾 有 』( 未
れた独特の問題に目を向ける人がい
立てられていくことが必要と考える。
真
ト」を立ち上げた。その目的は、学
だかつて経験の無い)の被害をもた
るのかが、気になった。市職員のサ
陸前高田市における被災状況の
松山
部 の 理 念「 い の ち の 尊 厳 の た め に 」
らしたと言われているが、まさしく
ポートにかかわるなかで、職員たち
「東日本大震災復興支援プロジェク
月、
の実践的な活動として、教員・学生
従来の知識・技術では対応できない
当 学 部 で は、「 立 教 大 学 コ ミ ュ ニ
回り道のようでも復興への歩みと考
● 年以上何も無い場所での生
活が続いていること
●多くの行政職員も犠牲になっ
たこと
こと
●災害
時に機能しなければなら
ない機関も被災してしまった
しまったこと
●市役所等を含む市街地が、一
部ではなくすべてなくなって
4
ティ福祉学部では、2011年
が一丸となって、被災地・被災者に
震災に立ち会ったわれわれに何がで
に継続することで何かの一助になれ
陸前高田市の被災状況
「 つの特殊性」
点に要約される。
を め ぐ る 状 況 が 少 し で も 整 え ら れ、
き る の か?」
「ソーシャルワークと
ティ福祉学部 陸前高田サポートハ
お
ウス」として、岩手県陸前高田市小
ばと願って継続している。
を当てて考察するようにとの依頼で
今回の大震災において津波被害
は甚大であった。家の土台だけが残
特殊性は、次の
事態をあらゆる学問が経験している
いう実学は、被災地のコミュニティ
友町に一軒屋を借りている。そこを
良い住民サービスを提供することが、
や人間にどう対応していくことがで
ベースに支援活動を続けている関係
続することである。それは「この大
きるのか?」という課題を追究する
上、本稿は「陸前高田市の現状を踏
地自治体職員のメンタルヘルス対応
書いているが、ここでも従来の知見
えたからだ。微力ではあるが、長期
ことでもある。本稿では、現在も継
まえたメンタルヘルス対策」に焦点
の み な ら ず、
「復興」のあり方につ
で は 対 応 困 難 で あ る と 考 え て い る。
4
とも
続しているこの活動を通じて、被災
に違いない。
寄り添う伴走的支援を、長期的に継
筆者の所属する立教大学コミュニ
Contribution
いて、所感を述べてみたい。
2
4
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2013.8
フォーラム
地方公務員 安全と健康
特集
特集 寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言
以下、少し詳しく陸前高田市にお
言っていい状況である。
限り被害を受け、何も無くなったと
思 わ れ る。 民 間 で も、 ケ ア マ ネ ー
もそれぞれ持ち場に向かっていたと
職員の多くも犠牲となった。
の設営や避難誘導を担当していた市
難所ですら津波に襲われたため、そ
地がすべて無くなったことの喪失感
業務として行動していた人たちが大
当する高齢者の様子を見に行くなど、
ける被災状況の特殊性を見てみたい。
ジャーやホームヘルパーが自分が担
市街 地 が す べ て 無 く な る ―
は極めて大きい。
この日常生活の場であった市街
その 喪 失 感 は 極 め て 大 き い
● 年
以上何も無い場所での生活が
続いていること
その中で、市職員だけでも293
災後から現在までほとんど風景が変
陸 前 高 田 市 の 最 大 の 特 徴 は、 震
勢いたはずである。
人が犠牲となった。嘱託や臨
した人を含めると421人中113
時職員が多い地方都市であり、そう
を修理したり仮設店舗が建ち、商店
他 市 町 で は、 浸 水 地 域 に も 建 物
人中
中心地高田町の市街地のみなら
近い方が亡
●災害時に機能しなければならない
機関も被災してしまったこと
市( 町 ) の 一 部 が 津 波 に よ っ て
ず、本来災害時に機能するはずの公
人、実に職員の
日 の 地 震 発 生 は、
時
1
わらないということである。
消えたのではなく、中心部高田町に
的機関のほとんどが被災し、機能で
が 再 開 さ れ て い る。 生 活 の 匂 い が
月
分。もちろん通常業務が行われてい
分の
おいては街並みすべてが消えてし
くなっている。前述したように、避
べての機器とデータが失われた。そ
院、NTT、水源地などが被災、す
市役所庁舎、消防署、警察署、病
きなかった。
m の 津 波 に よ っ て、
階 ま で 水 没 し た。 市 役 所、
mから
最大浸水高 ・6m、市の中心部
でも
ビルの
月
のため電力、通信、水道などのライ
日、水道は
デパート、病院、ホテルの屋上に上
月
フラインの復旧は大幅に遅れた。電
気の復旧は
がった人がかろうじて水面から出て
分間で駅前商店
日であった。さらに、避難所に指定
助かった。わずか
街、市街地、公共施設が消えてしま
け せん
高田町と川を挟んだ隣の気仙町
今泉地区は、江戸時代には代官所と
おおきもいり
地域(現在の陸前高田市、大船渡市、
た時間である。マニュアルに従って、
大肝入屋敷が置かれ、長い間、気仙
住 田 町 ) の 中 心 地 で あ っ た が、
14
市職員は市内各地の避難所の開設や
26
● 多くの行政職員も犠牲になったこと
されていた市民体育館、市民会館な
26
い、 コ ン ク リ ー ト の 建 物 の 外 壁 が
6
ど市の施設の多くも津波に襲われた。
20
残ったに過ぎない。
5
604戸中597戸が流失し、まさ
11
避難誘導を業務として担当している。
3
に壊滅的被害となった。平地以外は
震災後。荒涼
とした草原の
ようである
6
その他、消防・警察あるいは消防団
「街がすべてなくなる」という状態は、読者のほとんどはイメージできないだ
ろう。そこで写真の力を借りて、お伝えしたい。下の写真 2 点は、JR 陸前高田
駅前の商店街の震災前後。通りの両側に立ち並んだ店、アーケードなどすべてが
流れ去り、道路だけが、そこが街であったアリバイのように残っている。
まった。
●市役
所等を含む市街地がすべてな
くなってしまったこと
2
写真提供:タクミ印刷(有)
震災前の駅前
通り。落ち着
いた佇まいの
中に、確かに
生活の匂いが
した
15 17
ほとんど山であることから、見渡す
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地方公務員 安全と健康
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街がなくなるということ― 商店街が消えた
4
14
4
戻ってきている。しかし、陸前高田
れた状況を考えると、深く悲しむこ
し か し、 陸 前 高 田 市 職 員 の 置 か
る人が、みな知っている人で
人ばかりだった。運ばれて来
にとって大事だったんだとわ
て い た こ と が、 こ ん な に 自 分
ことがない。前のことが思い
出される。
知ってもらえると取材に応じ
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フォーラム
地方公務員 安全と健康
市(特に高田町や気仙町・今泉地区)
市街地が瓦礫の山と化している有
かった。今職場で生き残った
現在でも見渡す限り平地で、あたか
り様を目の前で見るという衝撃の後、
いまま、無我夢中で時間が過
辛かった。
も草原のようである。大きな道路が
自分の身すら危険に晒され、家族の
ぎてしまった。今なにかしな
・震災直後はマスコミがたくさ
ん 来 て、 話 を 聴 き た が っ た。
とができたとは、到底思えない。
かろうじてそこに街があったことを
安否も分からない中で、市職員とし
きゃいけないと思う。自分が
被災地の職員として話すこと
で は、 元 市 役 所 や 元 駅 前 に 立 つ と、
示す痕跡となっている。新しい建物
て市民の安全確保という業務に当た
生き残ってしまったことが申
人が少なく、そういう普通の
は今年に入って建てられた瓦礫処理
らなければならなかったと思われる。
で、 多 く の 人 に こ の こ と を
・同僚たちと何気ない会話をし
・同僚やお世話になった先輩た
ちにきちんとお別れもできな
場以外には無い。
し訳ないと思う。
親戚も、同級生も、近所の人たちも、
自 分 の 家 族 だ け で は な く、 同 僚 も、
深く悲しむことや
多くの関係する人を目の前で亡くし、
街も消えた中で自分が残った、とい
う体験は想像を絶する。にもかかわ
らず、その中で業務を担い、自分の
もなかったであろうし、誰にもその
・遺体安置所の担当でした。運
ばれて来る人は、津波で身体
「東北の湘南」と呼ばれる陸前高田は、気候温暖、風光明媚な地として有名だっ
た(写真上)
。津波は名勝・高田松原だけでなく、街のすべてをことごとく奪い
去った(写真下)
。高田松原は海となり、街は消えた。コンクリートの建物の外
壁が辛うじて残っているが、現在はそれすらも撤去されている。こんな景色が 2
年余も続いている……
気持ちをぶつけることもできない
こ れ ら の 特 殊 性 が、 メ ン タ ル ヘ
ルスへ与える影響を考えてみる。
ことよりも業務を優先せざるを得な
喪 失、 し か も 親 し い 人 を 失 う こ
気持ちをぶつけられない辛さがあっ
い立場にあった。悲しむ時間も余裕
とにより、人は大きく傷つく。特に
たと想像できる。喪失への対処が全
■喪失と悲嘆反応
別れが予期せずに起こった場合には、
くできなかったと思われる。
で、我慢しないほうが良いとされる。
中が真っ黒で誰だかわからな
を聴いた。
市 職 員 か ら は、 次 の よ う な 言 葉
その傷はさらに大きくなる。時に悲
嘆反応と呼ばれる症状が出る。しか
しこれは正常な反応であり、決して
悲 し い 時 に は、 悲 し さ の 深 さ だ け、
い。でもそのほうが良かった。
異常な反応ではない。むしろ激しく
泣かなければならない。深く悲しむ
顔を拭いてやると知っている
写真提供:村田プリントサービス
被災直後の写
真 。美しかっ
た街が、一 瞬
にして消えた
写真提供:
(有)
第一印刷
震災前。写真
上方・高田松
原の緑が濃い
泣く・物に当たるなどの反応は必要
ことにより、立ち直ることができる。
街がなくなるということ―すべてがことごとく消えた
特集 寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言
な く、 街「 全 体 」 が 失 わ れ た た め、
人が何か大きな悲しみから立ち
つの
間の基本的欲求は
段階とされてい
泄・ 性 欲 な ど ) が も っ と も 低 次 で、
る。「生理的欲求」(食事・睡眠・排
T 」 が 必 要 で あ る と 言 わ れ て い る。
次 に「 安 全 欲 求 」( 安 全 で 経 済 的・
直っていくためには、通常「
い。被災していない街並みを歩き思
Time( 時 間 )、 Ta l k( 話 す )、
元の日常生活を取り戻せる場所が無
たくない。もういい加減にして
い出に浸る、あるいは気を休めるこ
健康的に安定した生活)があり、次
くれと思う。
つである。
自分の気持ちを抑え込み、気丈に振
街 だ け で は な く、 家 族 や 同 僚・
■日常生活の喪失状況が続いている
計り知れない。
体験であり、その精神的ストレスは
重ねていく中で、こころは次第に癒
「遠慮せずに泣けること」。これらを
係 の 中 で 思 い を 語 る こ と 」、 そ し て
間 」「 温 か く サ ポ ー テ ィ ブ な 人 間 関
常生活を送りながら過ぎていく時
病気や事故で家族を失った場合、「日
と続く。低次の欲求がある程度満た
(自分の能力や可能性を発揮したい)
定感など)、そして「自己実現の欲求」
られ尊敬されたい、あるいは自己肯
的 )、「 承 認 の 欲 求 」( 他 者 か ら 認 め
他者に受け入れられているなど情緒
に「 所 属 と 愛 の 欲 求 」( 人 間 関 係、
る舞っておられたに違いない。それ
親戚・友人などを失った喪失体験に
やされていく。
し か し こ れ は 通 常 の 場 合 で あ る。
だけに、深く悲しむ、気持ちをぶつ
よ り、 悲 嘆 反 応 が 出 る 場 合 が あ る。
し か し、 陸 前 高 田 で 過 ぎ る
ま さ に 不 眠 不 休、 無 我 夢 中 の 中 で、
う な 気 持 ち で 過 ご さ れ た だ ろ う か。
けることができなかったのではない
人によって異なるが、適切に対処さ
の店も古い街並みも思い出の場所も
落ち着く場所が全く無い。行きつけ
充足していく過程といえる。すなわ
の復興はこの基本的欲求を段階的に
充足されない状態に陥った。その後
あり、そこで過ぎていくTime(時
生活は、いまだになお非日常生活で
跡ばかりである。そこで過ごす日常
も難しい。どこに行っても震災の傷
設住宅では手足を伸ばして寝ること
ある生活へと戻っていく。こうして
る。家にいる人たちも電気や水道の
により、ある程度の安全も保障され
フラインの復旧や仮設住宅への入居
睡眠などをある程度保障する。ライ
ち、 避 難 所 を 設 営 し、 食 事、 排 泄、
・
間 )は、 こ こ ろ を 癒 や す ど こ ろ か、
「安全欲求」が次第に充足されていく。
し か し、 人 の 欲 求 は 複 雑 で あ る。
■欲求を抑圧する生活が続いている
ていく。おにぎり一つ、ろうそく一
とが、継続する中で不満へと変わっ
避難所に入った当初は安心できたこ
心 理 学 者 マ ズ ロ ー に よ れ ば、 人
ていくと考えられる。
逆にじわじわとダメージを与え続け
失われている。
畳しかない仮
震 災 に よ り、「 生 理 的 欲 求 」 す ら
されている。
されると、次の欲求が生じてくると
だろうか。
無い中での生活は、まさに未曾有の
Tear(涙)の
て話していた。でも、もう話し
5
とができない。あったはずのものが
3
T i m e( 時 間 )は、 通 常 で は な い。
月で
年以上も見続
5
震 災 後 時 間 が 経 つ に つ れ て、 そ
。そんな景色を
渡す限り野原になってしまった街
―
海から約1.5kmの距離にあった、かつての陸前高田市役所。3階まで水
没し、屋上ぎりぎりまで津波が迫った。現在は解体され、山間部に仮
庁舎が建てられている。
れないと数年も継続することもある。
こ の 方 々 は、 震 災 直 後 に ど の よ
3
4
の影響が出ることが懸念される。
■街全体が消えるという喪失感 日常生活の中にある、住居、職場、
飲 み 屋、 理 髪 店、 喫 茶 店、 商 店 街、
学 校、 シ ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー、 駅、
娯楽施設、それらを含む街並み、住
年
み慣れた街並みが消え、その状況が
年以上も続いている。
3
ほとんどの建物の解体が終了し、見
13
街 の「 一 部 」 が 失 わ れ た の で は
ける生活が続いている。
2
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地方公務員 安全と健康
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本が有り難かったのに、自分の好き
抑える生活となっている。
い生活は潤いもなく、様々な欲求を
「 被 災 者 」 と 呼 ば れ て は い る が、
◆復興を実感する
欲 求 の は け 口 と し て、 大 声 を 出
◆ストレスを抑圧しないで発散する
機会をつくる
ることが、もっとも良い。震災から
す、物を壊す、アルコールを飲むな
目に見える形で復興が感じられ
年余が経過し、新しい段階に入っ
ど も 効 果 は あ る。 カ メ ラ や 旅 行 と
いった趣味でもいいが、手っ取り早
ていることが実感できるからだ。
陸 前 高 田 市 で は、 今 年 に 入 り 目
い方法、準備が要らず、すぐに終わ
るストレス解消方法も必要である。
立ってダンプカーの交通量が増えた。
年余経って
も無我夢中であったので、気づけば
震 災 直 後 は、 不 眠 不 休 で 働 い て
余暇を楽しむ施設はほとんど無い。
店やレンタルビデオ屋も無い。
娯楽・
行くこともできない。時間つぶしの
とんど無い。仕事帰りに一杯飲みに
いえ、歩いて行ける場所には店はほ
手 探 り と な っ て い く か も し れ な い。
ような方法が適切なのかについても
応を考えていくしかない。またどの
つぶさに観て、想像力を働かせて対
定説と言われる対策と現地の状況を
生活状況も「未曾有」の体験である。
うな過酷な被災状況や被災後の業務、
最 初 に 指 摘 し た よ う に、 こ の よ
民にとっても職員にとっても、明る
が増えてくるだろう。このことは市
える、形の残るものに関連した業務
も、橋や堤防、漁港といった目に見
ことを実感できる。行政職員として
こうしたことから復興が進んでいる
係 者 か、 い か つ い 男 性 が 大 勢 い る。
いる。旅館の風呂に行くと、工事関
数少ない飲食店にも客が入って
我慢して発散しないことは、後に大
必要な施設である。発散したい時に
ケーノ・ルーム』は、市役所にこそ
求 を た め 込 ま ず に 発 散 す る『 ボ ル
続きするはずはない。ストレスや欲
行僧のようである。そんな生活が長
消する場所が無い中での生活は、修
も飲まず娯楽も無く、ストレスを解
こうした行為は異常ではない。酒
つの点に留意されたい。
我慢せずに発散できるようにするた
めに、次の
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フォーラム
地方公務員 安全と健康
な物を食べたいという欲求に変わっ
ていく。仮設住宅がうれしかったが
当然普通の人であり、様々な欲求を
持った人である。住んでいる地域全
長引く仮設生活に疲れ、早く普通の
家に住みたいと願う。これらはごく
体が、人の欲求を抑制する状態が
年以上も継続している。
自然の欲求であって決してわがまま
ではない。欲求は満たされると次の
飯 場 も 建 ち 始 め た。(
アメリカの病院には死後処置を
生活することそのものがこころ
であるが)見晴らしのいい高台にホ
する看護師のために『ボルケーノ・
欲求が生まれてくるのであるから。
のケアになるはずが、逆にストレス
テルの建築も始まった。市役所前の
年 余 り が 経 過 し た 今、
を与えることになっていると解釈で
ル ー ム( 火 山 の 部 屋 )』 が 設 け ら れ
人びとの欲求の段階にはバラツキが
山は切り崩され、広い平地となった。
ている場合がある。親を亡くした子
きる。
これまでの変化は山の中で起き
の た め の 施 設 に も 設 け ら れ て い る。
大声を出せるよう防音となっている
年余が経ち人々が目に
できる場所で変化が起き始めた。目
部屋。スポンジのバットで何を叩い
ていたが、
に見える変化、しかも新しい物がで
てもいい、柔らかいサンドバッグが
基本は「孤立しないこと」
きるという変化は、人々のこころに
あり蹴っても殴っても良い。
いるし、自分の持てる力を人びとの
こ の よ う な 状 況 の 中 で、 今 後 ど
も変化を与える大きな要因となる。
気持ちを発散する場も必要
ま た、 こ れ と は 別 に「 文 化・ 娯
のようなことに気をつけていけば良
それだけ時間が経っていたという程
果を発揮すると信じて、実践してい
き な 反 応 と し て 現 れ る こ と も あ る。
い材料となる。
年以
上が経過し、体力も気力も続かない。
くことが重要であろう。
2
日常的な楽しみも娯楽の機会も少な
2
度だったであろう。しかし、
しかし、一つひとつの積み重ねが効
求」の段階にある人もいる。
楽の欲求」もまた生じてくる。しか
いのだろうか?
ために使おうとする「自己実現の欲
ける「所属と愛の欲求」段階の人も
震災から
2
見られる。亡くなった家族を思い続
2
2
し、陸前高田の中に店が増えたとは
2
2
特集 寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言
つ欲求であることを知っても
常な欲求ではなく、誰もが持
・大声を出したい、物を叩きた
い、壊したいという欲求は異
社会が成り立っていた地である。
した人と人の密接な関係の上に地域
なタコが置いてあったりした。そう
ビが来たり、家に帰ると玄関に大き
が取れたから」と、取れたてのアワ
時に「先生!いるかー。今日アワビ
のストレスとなる。
街で暮らすことは、それだけで相当
無い街、車が無ければ何もできない
物を売る店すら数えられるほどしか
ろう。まして、生活に欠かせない品
しかし、建物ができることが復興で
け と め た い。「 復 興 」 の 途 上 に あ る。
造る・創る道のり」が始まったと受
しかし現状を「新しい市を、作る・
常業務が多く、言葉(方言)の壁も
と意気込んで来られるだろうが、通
ま た、 被 災 地 の た め に 頑 張 ろ う
愛着を持てるようになって、ようや
人々が、新しい市を自分の街として
はないだろう。そこに住み、暮らす
あったから。
らうこと
◆派遣職員について
応援派遣で陸前高田に来ている
豊かな自然の幸と人と人のつな
・その欲求を、反社会的あるい
は非社会的方法で充足するの
他自治体職員にも同じく配慮が必要
毎 日 あ ま り 残 業 も な く、 明 る い
がりが密な陸前高田、私にはそう思
く陸前高田が復興したと言えるので
と考えられる。最も考慮しなければ
うちに部屋に戻り、これと言ってす
える地域である。この良さを残して
ある。復興に直接寄与しているとい
ではなく、誰も傷つかない方
ならないのは、生活スタイルの変化
る こ と も 無 い 日 々 の 中 で、「 自 分 は
復興していただきたいと願っている。
はないか。
法で充足できるような道具や
で あ る。 特 に 都 市 部 か ら 来 た 人 は、
何 を し に 来 て い る の か 」「 役 に 立 っ
う実感は持ちにくいだろう。
施設を準備すること
田舎の生活そのものに慣れておらず
ていない」という自分を責める気持
ちを持ち始めると危険である。
こ こ で も 基 本 は「 孤 立 し な い こ
と」である。新しい人間関係を持つ
こと、派遣元と定期的に連絡を取り
教授 松山 真(まつやま まこと)
修士課程修了後、独立行政機構静岡
1958年生まれ。上智大学大学院
てんかんセンター、北里大学東病院
年
いる」という意識が持てるようフォ
合い、「一人ではない」「支えられて
立教大学 コミュニティ福祉学部
様々な不便さにストレスを感じるだ
流出したJR大船渡線に替わり、BRT(バス高速輸送システム)が運行
を開始。JR小友駅では、流出した駅舎、線路に替わり、BRT駅と数百
メートルの専用軌道が完成した
◆孤立せず、人間関係を広げていく
メ ン タ ル ケ ア の 中 心 は、
「孤立し
ないこと」である。小さな声かけか
らはじまり、勤務時間内も時間外も
人との触れ合いや、密な人間関係の
中に身を置くことである。
震災により多くの人間関係が絶
たれてしまった。新たに人間関係を
ルワーク。
査役も務める。専門は医療ソーシャ
ジェクト委員長、立教大学総長室調
委員長、立教大学復興支援教員プロ
東日本大震災復興支援プロジェクト
学部助教授を経て現職。現在、学部
間勤務。その後、関西国際大学人間
にてソーシャルワーカーとして
ローすることが重要である。
元の街に戻すのではなく
新しい市を作る・造る・創る
元の街に戻すという意味では、陸
18
築きながら、人に囲まれた環境、社
会をつくっていくことが必要である。
ア ワ ビ、 帆 立、 三 陸 ワ カ メ な ど
の 海 の 幸 に 恵 ま れ た 当 地 で は、
「震
災前はこういう物は買ったことがな
かった、人からもらう物だと思って
前高田市は「復旧」しないであろう。
浸水域が余りに広大で市の中心地で
2013.8
フォーラム
地方公務員 安全と健康
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いた」という、究極の地産地消の土
地である。サポートハウスにも朝
7
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