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すべてが「未曾有」の体験想像力を働かせて対応を考える
寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言 すべてが「未曾有」の体験 想像力を働かせて対応を考える 立教大学 コミュニティ福祉学部 教授 陸前高田市自殺予防対策庁内連絡会アドバイザー 蓄積された知見に加え、想像力を働 を陸前高田のみならず、南三陸でも り、地区全体に何も無いという風景 女川でも石巻でも仙台でも、いわき かせて全体的なアセスメントをして いくことが求められている。 知らない。昨年度は「サポートハウ 極めて特殊であると感じている。も しかし、陸前高田市の被災状況は でも見た。 ス」に約100日間滞在し、震災前 ちろん、被災規模や深刻さなどは比 筆 者 は、 震 災 前 の 陸 前 高 田 市 を の地図や写真を集めて比較しながら 較する性質のものではない。どこの の街で営みが失われ、それぞれが大 ( 元 の ) 街( が あ っ た 所 ) を 歩 き、 そ の 中 で 個 人 的 に、 市 職 員 の 助 きな喪失を経験しているのだから。 街がもっとも被害が深刻か、などを けができないかと考えていた。住民 ここでは被害の深刻さというよ ここにどのような生活があったのか 市職員に対する に直接サービスを提供するボラン りも、その特殊性を指摘したい。そ 論じるつもりは全くない。それぞれ サポートも重要 ティアは多かったが、市職員が置か れを踏まえてメンタルヘルス対策が を想像して過ごした。 東 日 本 大 震 災 は、『 未 曾 有 』( 未 れた独特の問題に目を向ける人がい 立てられていくことが必要と考える。 真 ト」を立ち上げた。その目的は、学 だかつて経験の無い)の被害をもた るのかが、気になった。市職員のサ 陸前高田市における被災状況の 松山 部 の 理 念「 い の ち の 尊 厳 の た め に 」 らしたと言われているが、まさしく ポートにかかわるなかで、職員たち 「東日本大震災復興支援プロジェク 月、 の実践的な活動として、教員・学生 従来の知識・技術では対応できない 当 学 部 で は、「 立 教 大 学 コ ミ ュ ニ 回り道のようでも復興への歩みと考 ● 年以上何も無い場所での生 活が続いていること ●多くの行政職員も犠牲になっ たこと こと ●災害 時に機能しなければなら ない機関も被災してしまった しまったこと ●市役所等を含む市街地が、一 部ではなくすべてなくなって 4 ティ福祉学部では、2011年 が一丸となって、被災地・被災者に 震災に立ち会ったわれわれに何がで に継続することで何かの一助になれ 陸前高田市の被災状況 「 つの特殊性」 点に要約される。 を め ぐ る 状 況 が 少 し で も 整 え ら れ、 き る の か?」 「ソーシャルワークと ティ福祉学部 陸前高田サポートハ お ウス」として、岩手県陸前高田市小 ばと願って継続している。 を当てて考察するようにとの依頼で 今回の大震災において津波被害 は甚大であった。家の土台だけが残 特殊性は、次の 事態をあらゆる学問が経験している いう実学は、被災地のコミュニティ 友町に一軒屋を借りている。そこを 良い住民サービスを提供することが、 や人間にどう対応していくことがで ベースに支援活動を続けている関係 続することである。それは「この大 きるのか?」という課題を追究する 上、本稿は「陸前高田市の現状を踏 地自治体職員のメンタルヘルス対応 書いているが、ここでも従来の知見 えたからだ。微力ではあるが、長期 ことでもある。本稿では、現在も継 まえたメンタルヘルス対策」に焦点 の み な ら ず、 「復興」のあり方につ で は 対 応 困 難 で あ る と 考 え て い る。 4 とも 続しているこの活動を通じて、被災 に違いない。 寄り添う伴走的支援を、長期的に継 筆者の所属する立教大学コミュニ Contribution いて、所感を述べてみたい。 2 4 10 2013.8 フォーラム 地方公務員 安全と健康 特集 特集 寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言 以下、少し詳しく陸前高田市にお 言っていい状況である。 限り被害を受け、何も無くなったと 思 わ れ る。 民 間 で も、 ケ ア マ ネ ー もそれぞれ持ち場に向かっていたと 職員の多くも犠牲となった。 の設営や避難誘導を担当していた市 難所ですら津波に襲われたため、そ 地がすべて無くなったことの喪失感 業務として行動していた人たちが大 当する高齢者の様子を見に行くなど、 ける被災状況の特殊性を見てみたい。 ジャーやホームヘルパーが自分が担 市街 地 が す べ て 無 く な る ― は極めて大きい。 この日常生活の場であった市街 その 喪 失 感 は 極 め て 大 き い ● 年 以上何も無い場所での生活が 続いていること その中で、市職員だけでも293 災後から現在までほとんど風景が変 陸 前 高 田 市 の 最 大 の 特 徴 は、 震 勢いたはずである。 人が犠牲となった。嘱託や臨 した人を含めると421人中113 時職員が多い地方都市であり、そう を修理したり仮設店舗が建ち、商店 他 市 町 で は、 浸 水 地 域 に も 建 物 人中 中心地高田町の市街地のみなら 近い方が亡 ●災害時に機能しなければならない 機関も被災してしまったこと 市( 町 ) の 一 部 が 津 波 に よ っ て ず、本来災害時に機能するはずの公 人、実に職員の 日 の 地 震 発 生 は、 時 1 わらないということである。 消えたのではなく、中心部高田町に 的機関のほとんどが被災し、機能で が 再 開 さ れ て い る。 生 活 の 匂 い が 月 分。もちろん通常業務が行われてい 分の おいては街並みすべてが消えてし くなっている。前述したように、避 べての機器とデータが失われた。そ 院、NTT、水源地などが被災、す 市役所庁舎、消防署、警察署、病 きなかった。 m の 津 波 に よ っ て、 階 ま で 水 没 し た。 市 役 所、 mから 最大浸水高 ・6m、市の中心部 でも ビルの 月 のため電力、通信、水道などのライ 日、水道は デパート、病院、ホテルの屋上に上 月 フラインの復旧は大幅に遅れた。電 気の復旧は がった人がかろうじて水面から出て 分間で駅前商店 日であった。さらに、避難所に指定 助かった。わずか 街、市街地、公共施設が消えてしま け せん 高田町と川を挟んだ隣の気仙町 今泉地区は、江戸時代には代官所と おおきもいり 地域(現在の陸前高田市、大船渡市、 た時間である。マニュアルに従って、 大肝入屋敷が置かれ、長い間、気仙 住 田 町 ) の 中 心 地 で あ っ た が、 14 市職員は市内各地の避難所の開設や 26 ● 多くの行政職員も犠牲になったこと されていた市民体育館、市民会館な 26 い、 コ ン ク リ ー ト の 建 物 の 外 壁 が 6 ど市の施設の多くも津波に襲われた。 20 残ったに過ぎない。 5 604戸中597戸が流失し、まさ 11 避難誘導を業務として担当している。 3 に壊滅的被害となった。平地以外は 震災後。荒涼 とした草原の ようである 6 その他、消防・警察あるいは消防団 「街がすべてなくなる」という状態は、読者のほとんどはイメージできないだ ろう。そこで写真の力を借りて、お伝えしたい。下の写真 2 点は、JR 陸前高田 駅前の商店街の震災前後。通りの両側に立ち並んだ店、アーケードなどすべてが 流れ去り、道路だけが、そこが街であったアリバイのように残っている。 まった。 ●市役 所等を含む市街地がすべてな くなってしまったこと 2 写真提供:タクミ印刷(有) 震災前の駅前 通り。落ち着 いた佇まいの 中に、確かに 生活の匂いが した 15 17 ほとんど山であることから、見渡す 2013.8 フォーラム 地方公務員 安全と健康 11 68 街がなくなるということ― 商店街が消えた 4 14 4 戻ってきている。しかし、陸前高田 れた状況を考えると、深く悲しむこ し か し、 陸 前 高 田 市 職 員 の 置 か る人が、みな知っている人で 人ばかりだった。運ばれて来 にとって大事だったんだとわ て い た こ と が、 こ ん な に 自 分 ことがない。前のことが思い 出される。 知ってもらえると取材に応じ 12 2013.8 フォーラム 地方公務員 安全と健康 市(特に高田町や気仙町・今泉地区) 市街地が瓦礫の山と化している有 かった。今職場で生き残った 現在でも見渡す限り平地で、あたか り様を目の前で見るという衝撃の後、 いまま、無我夢中で時間が過 辛かった。 も草原のようである。大きな道路が 自分の身すら危険に晒され、家族の ぎてしまった。今なにかしな ・震災直後はマスコミがたくさ ん 来 て、 話 を 聴 き た が っ た。 とができたとは、到底思えない。 かろうじてそこに街があったことを 安否も分からない中で、市職員とし きゃいけないと思う。自分が 被災地の職員として話すこと で は、 元 市 役 所 や 元 駅 前 に 立 つ と、 示す痕跡となっている。新しい建物 て市民の安全確保という業務に当た 生き残ってしまったことが申 人が少なく、そういう普通の は今年に入って建てられた瓦礫処理 らなければならなかったと思われる。 で、 多 く の 人 に こ の こ と を ・同僚たちと何気ない会話をし ・同僚やお世話になった先輩た ちにきちんとお別れもできな 場以外には無い。 し訳ないと思う。 親戚も、同級生も、近所の人たちも、 自 分 の 家 族 だ け で は な く、 同 僚 も、 深く悲しむことや 多くの関係する人を目の前で亡くし、 街も消えた中で自分が残った、とい う体験は想像を絶する。にもかかわ らず、その中で業務を担い、自分の もなかったであろうし、誰にもその ・遺体安置所の担当でした。運 ばれて来る人は、津波で身体 「東北の湘南」と呼ばれる陸前高田は、気候温暖、風光明媚な地として有名だっ た(写真上) 。津波は名勝・高田松原だけでなく、街のすべてをことごとく奪い 去った(写真下) 。高田松原は海となり、街は消えた。コンクリートの建物の外 壁が辛うじて残っているが、現在はそれすらも撤去されている。こんな景色が 2 年余も続いている…… 気持ちをぶつけることもできない こ れ ら の 特 殊 性 が、 メ ン タ ル ヘ ルスへ与える影響を考えてみる。 ことよりも業務を優先せざるを得な 喪 失、 し か も 親 し い 人 を 失 う こ 気持ちをぶつけられない辛さがあっ い立場にあった。悲しむ時間も余裕 とにより、人は大きく傷つく。特に たと想像できる。喪失への対処が全 ■喪失と悲嘆反応 別れが予期せずに起こった場合には、 くできなかったと思われる。 で、我慢しないほうが良いとされる。 中が真っ黒で誰だかわからな を聴いた。 市 職 員 か ら は、 次 の よ う な 言 葉 その傷はさらに大きくなる。時に悲 嘆反応と呼ばれる症状が出る。しか しこれは正常な反応であり、決して 悲 し い 時 に は、 悲 し さ の 深 さ だ け、 い。でもそのほうが良かった。 異常な反応ではない。むしろ激しく 泣かなければならない。深く悲しむ 顔を拭いてやると知っている 写真提供:村田プリントサービス 被災直後の写 真 。美しかっ た街が、一 瞬 にして消えた 写真提供: (有) 第一印刷 震災前。写真 上方・高田松 原の緑が濃い 泣く・物に当たるなどの反応は必要 ことにより、立ち直ることができる。 街がなくなるということ―すべてがことごとく消えた 特集 寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言 な く、 街「 全 体 」 が 失 わ れ た た め、 人が何か大きな悲しみから立ち つの 間の基本的欲求は 段階とされてい 泄・ 性 欲 な ど ) が も っ と も 低 次 で、 る。「生理的欲求」(食事・睡眠・排 T 」 が 必 要 で あ る と 言 わ れ て い る。 次 に「 安 全 欲 求 」( 安 全 で 経 済 的・ 直っていくためには、通常「 い。被災していない街並みを歩き思 Time( 時 間 )、 Ta l k( 話 す )、 元の日常生活を取り戻せる場所が無 たくない。もういい加減にして い出に浸る、あるいは気を休めるこ 健康的に安定した生活)があり、次 くれと思う。 つである。 自分の気持ちを抑え込み、気丈に振 街 だ け で は な く、 家 族 や 同 僚・ ■日常生活の喪失状況が続いている 計り知れない。 体験であり、その精神的ストレスは 重ねていく中で、こころは次第に癒 「遠慮せずに泣けること」。これらを 係 の 中 で 思 い を 語 る こ と 」、 そ し て 間 」「 温 か く サ ポ ー テ ィ ブ な 人 間 関 常生活を送りながら過ぎていく時 病気や事故で家族を失った場合、「日 と続く。低次の欲求がある程度満た (自分の能力や可能性を発揮したい) 定感など)、そして「自己実現の欲求」 られ尊敬されたい、あるいは自己肯 的 )、「 承 認 の 欲 求 」( 他 者 か ら 認 め 他者に受け入れられているなど情緒 に「 所 属 と 愛 の 欲 求 」( 人 間 関 係、 る舞っておられたに違いない。それ 親戚・友人などを失った喪失体験に やされていく。 し か し こ れ は 通 常 の 場 合 で あ る。 だけに、深く悲しむ、気持ちをぶつ よ り、 悲 嘆 反 応 が 出 る 場 合 が あ る。 し か し、 陸 前 高 田 で 過 ぎ る ま さ に 不 眠 不 休、 無 我 夢 中 の 中 で、 う な 気 持 ち で 過 ご さ れ た だ ろ う か。 けることができなかったのではない 人によって異なるが、適切に対処さ の店も古い街並みも思い出の場所も 落ち着く場所が全く無い。行きつけ 充足していく過程といえる。すなわ の復興はこの基本的欲求を段階的に 充足されない状態に陥った。その後 あり、そこで過ぎていくTime(時 生活は、いまだになお非日常生活で 跡ばかりである。そこで過ごす日常 も難しい。どこに行っても震災の傷 設住宅では手足を伸ばして寝ること ある生活へと戻っていく。こうして る。家にいる人たちも電気や水道の により、ある程度の安全も保障され フラインの復旧や仮設住宅への入居 睡眠などをある程度保障する。ライ ち、 避 難 所 を 設 営 し、 食 事、 排 泄、 ・ 間 )は、 こ こ ろ を 癒 や す ど こ ろ か、 「安全欲求」が次第に充足されていく。 し か し、 人 の 欲 求 は 複 雑 で あ る。 ■欲求を抑圧する生活が続いている ていく。おにぎり一つ、ろうそく一 とが、継続する中で不満へと変わっ 避難所に入った当初は安心できたこ 心 理 学 者 マ ズ ロ ー に よ れ ば、 人 ていくと考えられる。 逆にじわじわとダメージを与え続け 失われている。 畳しかない仮 震 災 に よ り、「 生 理 的 欲 求 」 す ら されている。 されると、次の欲求が生じてくると だろうか。 無い中での生活は、まさに未曾有の Tear(涙)の て話していた。でも、もう話し 5 とができない。あったはずのものが 3 T i m e( 時 間 )は、 通 常 で は な い。 月で 年以上も見続 5 震 災 後 時 間 が 経 つ に つ れ て、 そ 。そんな景色を 渡す限り野原になってしまった街 ― 海から約1.5kmの距離にあった、かつての陸前高田市役所。3階まで水 没し、屋上ぎりぎりまで津波が迫った。現在は解体され、山間部に仮 庁舎が建てられている。 れないと数年も継続することもある。 こ の 方 々 は、 震 災 直 後 に ど の よ 3 4 の影響が出ることが懸念される。 ■街全体が消えるという喪失感 日常生活の中にある、住居、職場、 飲 み 屋、 理 髪 店、 喫 茶 店、 商 店 街、 学 校、 シ ョ ッ ピ ン グ セ ン タ ー、 駅、 娯楽施設、それらを含む街並み、住 年 み慣れた街並みが消え、その状況が 年以上も続いている。 3 ほとんどの建物の解体が終了し、見 13 街 の「 一 部 」 が 失 わ れ た の で は ける生活が続いている。 2 2013.8 フォーラム 地方公務員 安全と健康 13 2 本が有り難かったのに、自分の好き 抑える生活となっている。 い生活は潤いもなく、様々な欲求を 「 被 災 者 」 と 呼 ば れ て は い る が、 ◆復興を実感する 欲 求 の は け 口 と し て、 大 声 を 出 ◆ストレスを抑圧しないで発散する 機会をつくる ることが、もっとも良い。震災から す、物を壊す、アルコールを飲むな 目に見える形で復興が感じられ 年余が経過し、新しい段階に入っ ど も 効 果 は あ る。 カ メ ラ や 旅 行 と いった趣味でもいいが、手っ取り早 ていることが実感できるからだ。 陸 前 高 田 市 で は、 今 年 に 入 り 目 い方法、準備が要らず、すぐに終わ るストレス解消方法も必要である。 立ってダンプカーの交通量が増えた。 年余経って も無我夢中であったので、気づけば 震 災 直 後 は、 不 眠 不 休 で 働 い て 余暇を楽しむ施設はほとんど無い。 店やレンタルビデオ屋も無い。 娯楽・ 行くこともできない。時間つぶしの とんど無い。仕事帰りに一杯飲みに いえ、歩いて行ける場所には店はほ 手 探 り と な っ て い く か も し れ な い。 ような方法が適切なのかについても 応を考えていくしかない。またどの つぶさに観て、想像力を働かせて対 定説と言われる対策と現地の状況を 生活状況も「未曾有」の体験である。 うな過酷な被災状況や被災後の業務、 最 初 に 指 摘 し た よ う に、 こ の よ 民にとっても職員にとっても、明る が増えてくるだろう。このことは市 える、形の残るものに関連した業務 も、橋や堤防、漁港といった目に見 ことを実感できる。行政職員として こうしたことから復興が進んでいる 係 者 か、 い か つ い 男 性 が 大 勢 い る。 いる。旅館の風呂に行くと、工事関 数少ない飲食店にも客が入って 我慢して発散しないことは、後に大 必要な施設である。発散したい時に ケーノ・ルーム』は、市役所にこそ 求 を た め 込 ま ず に 発 散 す る『 ボ ル 続きするはずはない。ストレスや欲 行僧のようである。そんな生活が長 消する場所が無い中での生活は、修 も飲まず娯楽も無く、ストレスを解 こうした行為は異常ではない。酒 つの点に留意されたい。 我慢せずに発散できるようにするた めに、次の 14 2013.8 フォーラム 地方公務員 安全と健康 な物を食べたいという欲求に変わっ ていく。仮設住宅がうれしかったが 当然普通の人であり、様々な欲求を 持った人である。住んでいる地域全 長引く仮設生活に疲れ、早く普通の 家に住みたいと願う。これらはごく 体が、人の欲求を抑制する状態が 年以上も継続している。 自然の欲求であって決してわがまま ではない。欲求は満たされると次の 飯 場 も 建 ち 始 め た。( アメリカの病院には死後処置を 生活することそのものがこころ であるが)見晴らしのいい高台にホ する看護師のために『ボルケーノ・ 欲求が生まれてくるのであるから。 のケアになるはずが、逆にストレス テルの建築も始まった。市役所前の 年 余 り が 経 過 し た 今、 を与えることになっていると解釈で ル ー ム( 火 山 の 部 屋 )』 が 設 け ら れ 人びとの欲求の段階にはバラツキが 山は切り崩され、広い平地となった。 ている場合がある。親を亡くした子 きる。 これまでの変化は山の中で起き の た め の 施 設 に も 設 け ら れ て い る。 大声を出せるよう防音となっている 年余が経ち人々が目に できる場所で変化が起き始めた。目 部屋。スポンジのバットで何を叩い ていたが、 に見える変化、しかも新しい物がで てもいい、柔らかいサンドバッグが 基本は「孤立しないこと」 きるという変化は、人々のこころに あり蹴っても殴っても良い。 いるし、自分の持てる力を人びとの こ の よ う な 状 況 の 中 で、 今 後 ど も変化を与える大きな要因となる。 気持ちを発散する場も必要 ま た、 こ れ と は 別 に「 文 化・ 娯 のようなことに気をつけていけば良 それだけ時間が経っていたという程 果を発揮すると信じて、実践してい き な 反 応 と し て 現 れ る こ と も あ る。 い材料となる。 年以 上が経過し、体力も気力も続かない。 くことが重要であろう。 2 日常的な楽しみも娯楽の機会も少な 2 度だったであろう。しかし、 しかし、一つひとつの積み重ねが効 求」の段階にある人もいる。 楽の欲求」もまた生じてくる。しか いのだろうか? ために使おうとする「自己実現の欲 ける「所属と愛の欲求」段階の人も 震災から 2 見られる。亡くなった家族を思い続 2 2 し、陸前高田の中に店が増えたとは 2 2 特集 寄稿 陸前高田市の現状を踏まえた提言 つ欲求であることを知っても 常な欲求ではなく、誰もが持 ・大声を出したい、物を叩きた い、壊したいという欲求は異 社会が成り立っていた地である。 した人と人の密接な関係の上に地域 なタコが置いてあったりした。そう ビが来たり、家に帰ると玄関に大き が取れたから」と、取れたてのアワ 時に「先生!いるかー。今日アワビ のストレスとなる。 街で暮らすことは、それだけで相当 無い街、車が無ければ何もできない 物を売る店すら数えられるほどしか ろう。まして、生活に欠かせない品 しかし、建物ができることが復興で け と め た い。「 復 興 」 の 途 上 に あ る。 造る・創る道のり」が始まったと受 しかし現状を「新しい市を、作る・ 常業務が多く、言葉(方言)の壁も と意気込んで来られるだろうが、通 ま た、 被 災 地 の た め に 頑 張 ろ う 愛着を持てるようになって、ようや 人々が、新しい市を自分の街として はないだろう。そこに住み、暮らす あったから。 らうこと ◆派遣職員について 応援派遣で陸前高田に来ている 豊かな自然の幸と人と人のつな ・その欲求を、反社会的あるい は非社会的方法で充足するの 他自治体職員にも同じく配慮が必要 毎 日 あ ま り 残 業 も な く、 明 る い がりが密な陸前高田、私にはそう思 く陸前高田が復興したと言えるので と考えられる。最も考慮しなければ うちに部屋に戻り、これと言ってす える地域である。この良さを残して ある。復興に直接寄与しているとい ではなく、誰も傷つかない方 ならないのは、生活スタイルの変化 る こ と も 無 い 日 々 の 中 で、「 自 分 は 復興していただきたいと願っている。 はないか。 法で充足できるような道具や で あ る。 特 に 都 市 部 か ら 来 た 人 は、 何 を し に 来 て い る の か 」「 役 に 立 っ う実感は持ちにくいだろう。 施設を準備すること 田舎の生活そのものに慣れておらず ていない」という自分を責める気持 ちを持ち始めると危険である。 こ こ で も 基 本 は「 孤 立 し な い こ と」である。新しい人間関係を持つ こと、派遣元と定期的に連絡を取り 教授 松山 真(まつやま まこと) 修士課程修了後、独立行政機構静岡 1958年生まれ。上智大学大学院 てんかんセンター、北里大学東病院 年 いる」という意識が持てるようフォ 合い、「一人ではない」「支えられて 立教大学 コミュニティ福祉学部 様々な不便さにストレスを感じるだ 流出したJR大船渡線に替わり、BRT(バス高速輸送システム)が運行 を開始。JR小友駅では、流出した駅舎、線路に替わり、BRT駅と数百 メートルの専用軌道が完成した ◆孤立せず、人間関係を広げていく メ ン タ ル ケ ア の 中 心 は、 「孤立し ないこと」である。小さな声かけか らはじまり、勤務時間内も時間外も 人との触れ合いや、密な人間関係の 中に身を置くことである。 震災により多くの人間関係が絶 たれてしまった。新たに人間関係を ルワーク。 査役も務める。専門は医療ソーシャ ジェクト委員長、立教大学総長室調 委員長、立教大学復興支援教員プロ 東日本大震災復興支援プロジェクト 学部助教授を経て現職。現在、学部 間勤務。その後、関西国際大学人間 にてソーシャルワーカーとして ローすることが重要である。 元の街に戻すのではなく 新しい市を作る・造る・創る 元の街に戻すという意味では、陸 18 築きながら、人に囲まれた環境、社 会をつくっていくことが必要である。 ア ワ ビ、 帆 立、 三 陸 ワ カ メ な ど の 海 の 幸 に 恵 ま れ た 当 地 で は、 「震 災前はこういう物は買ったことがな かった、人からもらう物だと思って 前高田市は「復旧」しないであろう。 浸水域が余りに広大で市の中心地で 2013.8 フォーラム 地方公務員 安全と健康 15 いた」という、究極の地産地消の土 地である。サポートハウスにも朝 7