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就学前読み書き指導の基本原理
千葉大学教育学部研究紀要 第6 1巻 2 5 5∼2 6 2頁(2 0 1 3) 就学前読み書き指導の基本原理 首 藤 久 義 千葉大学教育学部 How Should We Support the Infant Literacy Learning? SHUTO Hisayoshi The Faculty of Education, Chiba University, Japan 読み書きの自然学習は就学前の言語生活の中で始まっている。幼児の読み書きに現れる間違いは,発達と創造の証 しである。文字はコミュニケーションの手段であり,その学習は通じ合いの中で最も効果的に成立する。就学前の文 字指導は「幼稚園教育要領」 「保育所保育指針」に示されているように「日常生活の中で,文字などで伝える楽しさ を味わう」経験と環境を豊かに用意することを基本にして,平仮名などの確実な定着を図る指導は小学校で行うべき である。小学校で行うような文字指導を就学前の教育機関で行うことは学習困難の解決にならないだけでなく学習困 難児の出現時期を早める結果をもたらす。指導上大事なことは,個人差に応じることであり,個人差を受け入れて, 子ども一人一人にふさわしい指導をすることである。有効な指導を実現するためには,子どもをよく見て理解するこ と(キッドウォッチング)が必要不可欠である。 キーワード:読み書き能力(Literacy) 就学前教育(Preschool Education) 個人差(Differences among Individuals) キッドウォッチング(Kidwatching) 文字(Letters and Characters) 1.言葉の自然学習 人は生まれながらに言葉を学ぶ力を持っている。言葉 が使われる生活の中に生まれ,まわりの人に助けられて 生活し育ちながら言葉を学んでいく。生きるためには, まわりの人とのコミュニケーションが必要になる。言葉 はそのための大事な手段である。生きるための必要が, 人に言葉を学ばせる。それが自然の姿である。そのこと を,ケネス・グッドマンは,次のように説明している。 言葉は,ほんの一握りの人々にだけ贈られるもの ではない。言葉を発達させる能力は,すべての人が 生まれつき持っている。そして,私たちのうちの多 くが,生活の必要に応じて,一つ以上の言語を学ぶ。 (中略)私たち人間は,他の人と伝え合う潜在能力 と必要とを持って誕生し,自分自身で言葉を生み出 していく。自分で言葉を生み出していく過程で,一 人一人の言葉は,その人が属している家庭や地域社 会の言葉に近づいていく。 (中略) 人は言葉を使って自分の考えを表現するわけであ るが,しかし,言葉がまったく自分だけのものなら ば,他の人と伝え合うという必要に応えることはで きない。言葉を通して他の人とコミュニケートでき るようになるためには,両親や,家族や,近所の人 たちや,仲間の人々と言葉を共有することが必要と なる。言葉を生み出す個人的な力は,他の人を理解 したり他の人に理解してもらったりするという社会 的な必要によって,形を与えられるのである。その 連絡先著者:首藤久義 2 5 5 ようにして,個人の言葉は,すみやかに,その人が 属する集団の言葉の規範に合致するようになるので ある。(Kenneth Goodman『What’ s Whole in Whole Language?』Heinemann Educational Books,1 9 8 6年, p.1 2) 私たちの目の前にいる子どもは,生活の中で言葉を使 い,言葉を使いながら言葉を学び続けている一人の言語 生活者であり,言語学習者である。 2.就学前の読み書き 子どものまわりでは,話し言葉だけでなく書き言葉の 生活も行われている。 1歳の男児が,自宅の絵本棚に並んだ絵本の背表紙を 見て,お目当ての絵本を引っ張り出すということがある。 そのような場合,背表紙の文字を読むことはできないけ れど,文字を含む線や形や色の特徴を手掛かりにして読 み分けるという心理作用が働いていると認めることがで きる。 幼児が看板や絵本の文字を自分流に読み上げたり,字 を書くと称して小さな線を書き並べ,それを読み上げて みせたりするようなところから,すでに読み書きが始 まっているのである。 絵本の表紙に小さく印刷されている「ことばあそび」 という文字の,「こ」に指を置いて「コチョバ」 ,「と」 に指を置いて「アチョビ」と読んでくれる子(2歳女児) がいる。 「とびうお」が描かれている絵本を持ちだしてきて, これ読んであげるねと言って絵本のページをめくりなが ら,どのページも同じく「トビウオサンノデキルコト」 千葉大学教育学部研究紀要 第6 1巻 ¿:教育科学系 とはっきり声を出して読んでくれる子(保育園3歳児ク ラスの女児)がいる。開いたページに印刷されている文 字群に正確に対応する読み方ではないが,その文字群を 読むかのように,ページをめくるたびに「トビウオサン ノデキルコト」と読んでくれる。文字をたどって読んで いるわけではないが,あたかも読んでいるかのように 堂々と読むのである。 英語絵本の消防車のイラストの下に印刷された「fire engine」を3回に分けて指さしながら「ショー・ボー・ シャ」と読んでくれる子(3歳4カ月男児)がいる。 これらの例は,1字1字をたどって正確に音声化して いる例ではない。自分がこれまでに獲得した言語力と想 像力を駆使して,自分流の読み方を創造しているのであ る。社会で通常行われている読み方からすると,誤読と いうことになるが,「想像読み」あるいは「創造読み」 ともいうべき,創造的な読み方なのである。 家庭や幼稚園・保育園で,大人から見るとどう読めば よいかわからないような文字らしき形を書き連ねて「リ ンゴ!」と読んだり,「オトーサン」と読んだりするよ うな光景を見かけることは珍しいことではない。幼い子 どもが書く文字らしき形は,書いている本人にとっては, 言葉を記録する文字として働いているのである。この文 字らしき形を筆者は「擬文字」 (ぎもじ)と呼んでいる。 幼児は文字をどう書いているだろうか。図1は3歳7 ヵ月の男児が,図2は3歳1 0ヵ月の女児が,幼稚園の自 由画帳に書いたものである。 この子はこれらの片仮名の字形イメージや音をほぼ正 確に把握しているようである。「バ」 「ガ」の字形は大体 正しい。「ク」は一筆で書いているようだが形はまあま あ。「ダ」は「タ」の部分はほぼ正確だが,濁点の形が 小さい「ヘ」を二つ重ねたような形になっている。「チ」 は,縦画の上部が突き出ているところと,横画の長短が 上下逆になっているところが通常の字形と異なる。「イ」 はこの中でもっとも特徴的で,鏡映字形がさらに9 0度右 に回転しているように見える。 この子の家庭も,この子が通う幼稚園も文字のとりた て指導をしていない。幼稚園にも家庭にもたくさんの絵 本があり,絵本の読み聞かせを日常的に行っており,家 庭にはベニヤ板の両面に張り付けられた大判の絵入り平 仮名表と片仮名表がある。そういう環境の中で,いつの 間にか,片仮名の音=文字対応関係をほぼ把握している と思われる。字形は自分流に把握して,その字形を構成 する線を自分流に分解認知し,それを自分流に組み合わ せて文字を書いたものと思われる。 この語は通常「千葉大学」と漢字で書かれるので,こ の男児がこの時点までに,「チバダイガク」という片仮 名表記をしばしば目にしているとは考えられない。なの に,この子は通常見かけないであろう片仮名表記でこの 語を書いている。しばしば見かける片仮名語「チョコ レート」などとは事情が異なるのである。 それから推測すると,この子はこの時点までに,この 語を構成する音節を「チ・バ・ダ・イ・ガ・ク」という ように六つに分解して弁別認知することができるように なっていて,それらの音節に対応する片仮名の大まかな 字形が書けるようになっていたと推測することができる。 (首藤久義著『生活漢字の学習支援』東洋館出版社,2 0 0 3年, p.1 6 3参照) 図1 この子は同じ頃,大人が知らない間に図4のような文 字を書いて,冷蔵庫にマグネットで張り付けた(同書, 。 p.1 6 4参照) 図2 どちらも,ずいぶん文字らしくなっていて,擬文字か ら文字に移行しているところであろう。 これらの子どもたちは,文字というものを知っている のである。文字の働きや形の特徴を知っているのである。 文字という形が言葉を記録する働きをする特別な形であ り,図や絵とは別種の言語記号であるということを知っ ているのである。これは文字の機能や特質に関する大事 な認識である。 3.書字行動に見られる子どもの創造力 図4:4歳4ヵ月男児の遊び書き 平仮名・算用数字・片仮名の長音符号が使用されてい ることも興味深い。「お尻マン1号」という語は,「お尻」 という語に,「マン」や「号」など造語力の高い接尾語 を添えて造語されている。ここにも子どもの想像力の発 現を見ることができる。 この子は「号」を「5ー」と書いている。このような 表記は子どもの環境には存在しないので,何かを見て書 き写したとは考えられない。 図3:4歳4ヵ月男児の書字 図3は,4歳4ヵ月の男児が父親に対して「『ちばだ いがく』って書いてあげるね。 」と言って,何も見ない で書いたものである。 2 5 6 就学前読み書き指導の基本原理 分の名まえ程度しか読めぬ少数の群れもあらわれて, 「3」は通常二つの弧をつなぐ一筆書きで書かれるが, いわゆる「J字形」のカーブのグラフができる。こ この男児は,これを4本の直線を組み合わせて書いてい れはちょうど「地震・津波現象」 (あるところに急 る。これは一言で言うと誤字である。が,全くの誤字と 激な変動が現れると水位の高低が現れる)に似て, も言い切れない。言うならばほとんど「3」である。字 子どもはある程度の文字に触れ,学習能力ができる 形の全体像の8,9割は正しいと言えよう。 と以後,豊かな文字環境が与えられれば,急速にか 大人に手を取って教えてもらって「3」を書いたのな な文字を読みつくすことを示している。2 0字とはグ らば,この片仮名の「ヨ」のような字形が現れることは ラフの谷間に刻印されたところで,文字の学習能力 決してないであろう。 の完成時を示すわけだ。(村石昭三『ことばと文字の さらに考えると,この「3」は算用数字の「3」をじっ くり見て書き写したとも考えにくい。見ながら書けば, 幼児教育』ひかりのくに,1 9 7 4年,p.6 4) 曲線が直線になる可能性は低いと考えられる。では,ど 村石が「文字の学習能力の完成時」と呼ぶこの時期を のような心理過程を経てこのような字形が生まれたのだ 私は「仮名の発見期」と呼びたい。「仮名の発見」とは, ろうか。たぶんこの子は,「3号」の「3」を書くに当 一つ一つの平仮名が一つ一つの音節に対応しているとい たって,自分の脳裏に「3」らしき字形イメージを想起 う事実に気づくことを意味している。「仮名の発見」と したのであろう。そして,その字形を自分流に四つの直 いう転換点を通過したということは,聴覚的な面では, 線に分解し,その直線を1本ずつ書いて組み合わせるこ 語を音節にまで分解して弁別抽出できるまでになってお とによって,ここに見られる,片仮名の「ヨ」のような り,視覚的な面では,文字群を一つ一つの文字に分解し 字形を造形したのであろうと考えられる。 て識別できるようになっており,かつその音節と文字と そう考えると,子どもの誤字は,いわばその子が創造 を対応させることができるようになったということであ した文字であり,その子の工夫の産物であると言える。 る。 このような誤り事例は,子どもの創造力の現れであると それより1年前の時点,つまり幼稚園4歳児クラスの 考えることができるのである。これを単に間違いとして 1 1月段階でも,平仮名が1字も読めない幼児は9. 3%し かいない。つまり,小学校入学の1年半ほど前にすでに 片付けるか,子どもの創造力の発露と見るかによって, 指導者の対応は1 8 0度違ってくる。 大部分(9 0. 7%)の幼児が1字以上は読めるようになっ ているのである。同じ時点で,平仮名が6 0字以上読める 幼児は3 3. 7%,2 1字以上読める幼児(「仮名の発見」を 4.幼児の読み書きに関する全国調査 した幼児)は5 2. 6%にのぼっている。 就学前の幼児たちが,漢字を含むいろいろな文字を読 んだりするのは,多くの親たちが見ていることであろう。 ¹ 平仮名の書き 村石昭三・天野清著『幼児の読み書き能力(国立国語研 次に,同じ時点の幼児の,平仮名を書く能力の実態に 』 ついて見ると,1 1月の時点で平仮名が正しい筆順で1字 (東京書籍,1 9 7 2年)は,幼児の読み書き能 究所報告4 5) 力に関する全国調査の報告書である。調査の主眼は平仮 も書けない幼児は,幼稚園の5歳児クラスでは5. 2%し 名の読み書き能力であるが,その調査結果は次のように かおらず,4歳児クラスでは2 6. 8%しかいない。 なっている。(同書,pp.426―427による) つまり,小学校入学の半年ほど前に,すでに9割以上 の幼児が,平仮名を1字以上は正しく書けるようになっ ¸ 平仮名の読み ているということであり,それより1年半ほど前でも7 まず平仮名を読む能力の実態についてみると,幼稚園 割以上の幼児が,平仮名を1字以上は正しく書けるよう の5歳児クラスでは,1 1月の時点で平仮名が1字も読め になっているということである。 ない幼児は1. 1%しかいない。つまり,小学校入学の半 同じ時点で,平仮名が正しい筆順で6字以上書ける幼 年ほど前にすでに,ほぼ全員(9 8. 9%)の幼児が1字以 児は,5歳児クラスで8割余り(8 1. 5%)あり,4歳児 上は読めるようになっているのである。同じ時点で,平 クラスで半数近く(4 5. 5%)あり,2 1字以上正しく書け 仮名が6 0字以上読める幼児は,6 3. 9%,2 1字以上読める る幼児が,5歳児クラスで6割近く(5 9. 0%)あり,4 幼児は8 1. 6%にのぼっている。 歳児クラスで2割余り(2 1. 0%)あることが報告されて 8割以上の幼児がこの時点で,2 1字以上の平仮名が読 いる。 めるようになっている。これは,5歳児クラスの大部分 の子どもが1 1月の時点ですでに,「仮名の発見」という º 平仮名以外の文字の読み書き これまで見てきたのは,平仮名の読み書きについての 重要な転換点を通過していることを意味する。この転換 全国的傾向である。音節を表記する平仮名について,こ 点を超えると,あっという間に,残りの平仮名が読める のような傾向が現れているということを考えると,音節 ようになる。 よりもより具体的な意味を有していて,そのまとまりが 2 0字ほどの平仮名が読めるようになると,あとは急速 より早期に,より容易に認知できると考えられる単語を に一通りの平仮名が読めるようになる現象について村石 表記する文字としての,漢字や算用数字などが,幼児の 昭三は,「地震・津波現象」という表現を使って次のよ 生活の中ですでに相当数読み書きできるようになってい うに説明している。 るのではないかということが予想される。 かな文字4 6字の読みのテストをすると,大部分の この全国調査では,仮名文字以外の文字についての全 子どもはかな文字のほとんどが読めるのに,また自 2 5 7 千葉大学教育学部研究紀要 第6 1巻 ¿:教育科学系 国水準調査はなされてはいないが,しかし,ある程度以 上平仮名が読める幼児7 2名(4・5歳児クラス)につい ての特定幼児調査がなされ,そのうちの5歳児クラス4 1 名を対象に分析がなされていて,「特定幼児4 1名の就学 直前までの習得範囲は,かたかな・漢字・数字・アル ファベットに及び,大部分がひらがな・数字の読み書き 「幼 およびかたかなの読みを習得した。 」 (同書,p.4 3 0) 児はテレビ・絵本などに登場する宇宙人や怪獣名によっ て,かたかなを学習し,また,地名・人名を通して漢字 「絵や文字を書いて遊ぶ, を学習する。 」 (同書,p.4 3 1) 絵本を見る,日記を書くなどの読み書き活動が幼児の生 活の中で活発に行われることによって,文字習得をいっ そう確かにする。 」 (同書,p.4 3 1)という結果が報告され ている。図5は,その1例(1 9 6 8年2月1日の自由書き) である(同書,p.386)。 図6:5歳9ヵ月頃の男児による自由書き 6.育ちの歩みは間違いの歩み 図5:5歳児クラス幼児の自由書き 5.幼児はさまざまな文字を読み書きしている 就学前の子どもの生活環境には,平仮名だけでなくさ まざまな文字がある。就学前の子どもが,駅名表示板や, 自分が通う園の表札に書かれている漢字や,頻繁に目に する看板に書かれている漢字や平仮名やローマ字の混 じった語句や,あるいは,マンションの号棟を表示する 「A」や「B」や「1」 「2」などの文字,さらには, 好きな絵本の題字などを読み上げたりするのは,しばし ば見られることである。 就学前の子どもの遊びの中で,平仮名だけでなく,片 仮名や漢字や算用数字やローマ字(アルファベット文字) などが書かれる光景も珍しいことではない。図6は,5 歳9ヵ月頃の男児が自由に書いた六つの自由書きを筆者 が忠実に書き写して,説明メモを添えたものである。こ こにも,平仮名・片仮名・漢字・算用数字・ローマ字 (アルファベット文字)などが出現している。 本格的な文字指導は小学校入学後に開始される。まず 国語科で平仮名が指導され,算数科で数字が指導され, その後,片仮名,漢字,ローマ字というような順で指導 がなされるわけである。が,しかし,文字が利用されて 役立っているこの社会で生活している子どもは,大人の 計画とは別の順序で文字を読み始めたり書き始めたりす ることが多いのである。 2 5 8 就学前の長い成長の過程で,いつの間にか,読める文 字や書ける文字が増えてくる。その過程では,読み間違 いも,書き間違いもしばしば起こる。が,それでよいの である。間違いを繰り返しながら,徐々に読み書き能力 が伸びていくのである。 幼い子どもが片言を発すると,まわりの大人たちはそ の片言をほほえましく受け止める。その片言を使って幼 児と会話する母親もある。それが,言葉を使うことの喜 びを子どもに感じさせ,言葉をもっと使おうとする意欲 を増進させる。 同じことが,文字の読み書きについても言えるはずで ある。しかし文字のことになると,その寛大さを失う大 人や指導者が多いようである。文字の読み書きの子ども らしい間違いをも,「文字の片言」とほほえましく受け 止めて,長い目でその向上を見守ることはできないだろ うか。 通常の日本語は,平仮名・片仮名・漢字・算用数字・ ローマ字の5種類の文字の組み合わせによって書き表さ れる。これらの文字を一通り習得して,通常の文章が読 み書きできるようになるには,長い時間がかかる。その 途上では,たくさんの間違いが現れるが,その間違いを いちいち指摘することなく,長い目でおおらかに受け止 めて見守ることはできないだろうか。 7.通じる喜びが言語(文字)学習の原動力 子どもが習得する言葉や文字に,相手に通じる形を与 えるのが,話したり書いたり聞いたり読んだりして伝え 合う生活の場である。言葉や文字を使って伝え合う相手 がいる場で,子どもは言葉や文字を使うことの意義を感 じ取り,自分でも言葉や文字を使おうとして,幼い子な りの話し方で話し始めたり,書き始めたり,読み始めた りするのである。 言葉を使って意思表示をして,それが通じた喜びがさ らにコミュニケーションの意欲を生むことになる。言葉 の発達のために,まず必要なことは,通じる喜びである。 就学前読み書き指導の基本原理 と書いている。句読点もない。文字や語句の重複もある。 でもこれが母に通じるのは,母親が読み取って理解しよ うとするからである。ここに文字を通したコミュニケー ションが成立している。この手紙を通して,子どもの心 が母の心に通じたのである。生活の中で幼児が文字を役 立てた好例である。こういう,通じ合いの経験が,文字 の働きを実感させ,文字への親しみを一層深くするので ある。 帰宅してこの手紙を見た母親が,このメモに気づいて その内容を理解したことはもちろんである。この時もし, この母親が,内容を理解することよりも,子どもの書き 方の間違いを指摘することに熱心であったらどうだった ろう。子どもの間違いを指摘するばかりで,この手紙を 書いて伝えてくれた思いを受け止めることをしなかった らどうだったろう。この子たちは,文字や書くことが嫌 いになったかもしれない。 幼い子どもが不十分な言葉を使った場合でも,それを受 け止めて通じ合おうとする大人の愛情が子どもの言語発 達を助けるのである。自分が発した言葉が通じたという 喜びが,言語学習の原動力になるのである。 2 0 0 8年に告示された「幼稚園教育要領」では,その喜 びが「言葉を交わす喜び」として明示されている。その 前後を含めて引用すると次のようである。 言葉は,身近な人に親しみをもって接し,自分の 感情や意志などを伝え,それに相手が応答し,その 言葉を聞くことを通して次第に獲得されていくもの であることを考慮して,幼児が教師や他の幼児とか かわることにより心を動かすような体験をし,言葉 を交わす喜びを味わえるようにすること。(2008年 告示「幼稚園教育要領」第2章,言葉の3の¸) 同年に告示された「保育所保育指針」に同じ文言はな いが,基本姿勢は同じである。 言葉の発達を助けようとする大人や指導者にとってま ず必要なことは,通じ合いの相手になることによって, 子どもが通じ合う喜びを味わうことができるようにする ことである。 先に取り上げた乳幼児の片言の例も同じである。どん な片言にも耳を傾けて何とか理解しようと心を尽くす聞 き手の存在が言葉の育ちを支えるのである。 聞く側が聞く耳を持たない場合は,話し手がいくら話 しても通じることはない。コミュニケーションが成立す るためには,話す側の努力だけでなく,聞く側の聞き取 ろうとする姿勢や能力の存在が必要である。コミュニ ケーションは,発信する側の努力だけではなく受信する 側の協力を得て初めて成立するものなのである。 8.幼稚園・保育園での文字指導 幼稚園や保育園ができる文字指導としては,遊びを含 む生活の中で,自然な形で文字に触れさせたり,絵本を 読んで聞かせたりするというような指導が考えられる。 絵本との出会いは文字との出会いでもある。 出版されている絵本には,自然や社会や人生やその他 いろいろな役に立つこと,楽しいことがあふれている。 「幼稚園教育要領」や「保育所保育指針」の,五つの領 域すべてにわたる内容が絵本の中に含まれている。それ らが写真や絵や文字によって,事実に即して説明されて いたり,空想的に物語られていたりする。絵本の中には, 心をふくらませイメージの世界に遊ばせてくれる詩の絵 本や,声に出して歌うことのできる歌の絵本もある。こ れらの絵本を見たり,読んだり,読んでもらって聞いた りして楽しむことは,絵本の作り手が発信した思いや情 報を受け止めて楽しむことである。ここに,絵本を作っ た人の心と絵本を受け止めて楽しむ人の心との間のコ ミュニケーションが成立しているのである。絵本の楽し みは,そういうコミュニケーションの楽しみでもある。 絵本との出会いの場を作り,書き言葉の豊かな世界を体 験させることは,就学前教育で,これまでも大事にされ てきたし,今後も大事にされるであろう。 ちなみに2 0 0 8年告示の「幼稚園教育要領」と「保育所 保育指針」は,絵本などを楽しむことについて,次のよ うに示している。 絵本や物語などに親しみ,興味を持って聞き,想 像する楽しさを味わう。(「幼稚園教育要領」第2章の 言葉の2のÀ。 「保育所保育指針」第3章1の¹のエの 図7:5歳4ヵ月の男児による置き手紙 イ のK) ½ 図7は,就学前の5歳4ヵ月の兄と3歳1 1ヵ月の弟が 協力して書いた置き手紙である。母親が兄弟を自宅に残 して外出している間に外に遊びに行くことになって書い たものである。書く際に二人は,必要な文字を,大判の 絵入り平仮名表の中から探し出し,文字を弟が指で押さ え,兄がその文字を書き写すという共同作業をしたそう である。 文字に間違いがあり,助詞の「は」 「へ」を「わ」 「え」 2 5 9 子どもが文字に触れるのは,絵本だけではない。子ど もの絵描き遊びの中にも文字が出てくる。ごっこ遊びの 中で作られる切符や看板や商品札やメニューやチラシや 広告やお知らせや手紙の中にも,子どもが書いた文字が 出現する。これらの文字は,どれも,遊びの中でのコ ミュニケーションの働きをしている文字である。 あるいはまた,絵は子どもが書き,文字は指導者が書 いてやって絵本作りをするというようなこともある。そ 千葉大学教育学部研究紀要 第6 1巻 ¿:教育科学系 の折に,「絵本の言葉で言ってちょうだい。 」と頼むと, ちゃんと書き言葉のスタイルで表現してくれる子どもが いる。この場合などは,自分で文字は書かないけれど, 文章を作ることはしているのである。いわば「口頭作文」 をしているのである。 絵本を読んでもらうときには,自分で文字を読むわけ ではないけれど,耳から受けている言葉は,まぎれもな く文字に書かれていた言葉なのであるから,書かれてい ることを聞いて理解しているのである。これを筆者は 「耳からの読み」と称している。耳からの読みも口頭作 文も,自分で読んだり自分で書いたりするための大事な 土台を作る活動になる。 そのような経験を豊かに積ませることを通して,文字 や書き言葉の魅力に触れさせることが,幼稚園・保育園 が行う文字指導の基本になる。 2 0 0 8年告示「幼稚園教育要領」は,文字などを使って 伝える喜びや楽しさについて次のように述べている。 幼児が日常生活の中で,文字などを使いながら 思ったことや考えたことを伝える喜びや楽しさを味 わい,文字に対する興味や関心をもつようにするこ と。(第2章,言葉の3の») 同年告示「保育所保育指針」も同じ基本姿勢をとって いると考えられる。 2 0 0 8年告示の「幼稚園教育要領」と「保育所保育指針」 には,同じ領域「言葉」の内容として,どちらにも, 日常生活の中で,文字などで伝える楽しさを味わ う。(「幼稚園教育要領」第2章の言葉の2のÁ。「保育 イ のL) 所保育指針」第3章1の¹のエの½ という全く同じ内容が示されている。 9.文字は幼児の育ちを害するか? をつかまえて文字の練習を無理強いすることである。効 果も上がらないし,文字や読み書きを嫌いにさせてしま う可能性があるからである。そのようなことは,小学校 でも,賢明な指導者はしないことである。 幼稚園や保育園段階で文字指導をどこまでやるべきか について,結論を先に言うと,それは目の前の一人一人 の子どもに教えてもらえばよいということになる。目の 前の子ども一人一人の発達の実情を理解する心眼を最大 限働かせて,子どもに教えてもらうしかないのである。 目の前の子どもが,今どういう助言や指導が必要かを教 えてくれるのである。目の前の子どもに,それを教えて もらうためには,次節で取り上げる「キッドウォッチン グ」が役に立つ。 10.キッドウォッチングのすすめ 1 9 9 5年に国際読書学会(IRA)が出版した『リテラシー 辞典』 (Theodore Harris & Richard Hodges編『The Literacy Dictionary』International Reading Association発 行)には,「kidwatching」 (キッドウォッチング)とい う合成された用語が一つの見出し語として提出されて, the close observation of child behavior, especially in language development, by teachers.(同書, p.1 2 8) と解説されている。これを直訳すると, 子どもの行動とりわけ子どもの言語発達について の,指導者による注意深い観察 というような日本語になる。「キッドウォッチング」を 一言で言うと,「子どもをよく見ること」である。 「キッドウォッチング」は,子どもの言語発達や国語 学習の指導者による効果的なサポートを実現するための 鍵となる。 がんばれば届く課題に挑戦するとき,子どもの力は最 大限に伸びる。子どもは,自分が背伸びしてやっと届く 高さにあるものを取る場合のように,努力すれば届く課 題に立ち向かうとき,最も意欲的に取り組む。しかし, 自分の力ではとうてい対応できないような難しすぎる課 題や易しすぎる課題に対しては,意欲もわかず,学習効 果もあがらない。学習課題の程度は,高すぎても低すぎ ても効果がない。その子どもにとってちょうどよい課題 を選ぶことが大事なのである。 この,ちょうどよい課題は,たぶん,ヴィゴツキーが 言うところの「発達の最近接領域」 (ヴィゴツキー著・柴 文字そのものは悪いものではない。生活に役立つ便利 な道具である。言葉を記録したり目に見えるようにした りするための便利な道具である。文字は生活の中のさま ざまな場面で使われて役立っている。表示板や案内板, 手紙,メモ,絵本,新聞,広告,ビラなどは,そのほん の一部である。 幼児の生活から文字を排除するのは不可能なのである。 ならば,問題は,文字を排除すべきかどうかではなくて, 幼稚園や保育園では,文字をいつごろ,どの程度,どの ように扱えばよいかということになる。が,これも難し く考える必要はない。子どもが学ぶほかの事柄と同じよ うに,一人一人の子どもの育ちに応じて,おおらかに見 田義松・森岡修一訳『子どもの知的発達と教授』明治図書, 守りながら,必要に応じて励まし,助け,導けばよいだ 1 9 7 5年参照)の範囲内にある課題に相当するであろうと けのことである。 思われる。「発達の最近接領域」についての易しい解説 が鈴木美佐子によってなされている。それは次のような この字どう読むの?と尋ねられたら教えればよいし, 読んでちょうだいと頼まれれば読んであげればよい。 ものである。 ごっこ遊びで使う商品札や切符の文字を書いてやっても 「発達の最近接領域(ZPD:zone of proximal deよいし,書き方を教えてもよい。あるいはまた,壁に文 velopment) 」とは,ロシアの心理学者ヴィゴツキー 字の表を張り出してもよいし,遊具の中に文字積み木を が提案した概念で,子どもが自分ひとりでできるこ とと,大人に少し手助けしてもらえればできること 加えてもよい。これを無理強いするのではなく,文字が との差の領域を意味しています。子どもの言葉の発 役立つ環境や,文字で遊ぶ環境を作ればよいのである。 達を促す上で,この概念はとても大切です。子ども そして,子どもの求めに応じて助ければよいのである。 の発達段階より簡単すぎると発達を促すことにつな してはならないと断言できる指導は,いやがる子ども 2 6 0 就学前読み書き指導の基本原理 文字指導にも同様のことが当てはまる。殻の中で成長 する雛の様子に耳を傾ける親鳥のように,指導者が子ど もを注意深く観察して,必要な時に必要な助けをすれば よいのである。その必要な時を見極めるために,キッド ウォッチングが役立つのである。 がりにくいですし,反対に難しすぎると子どもはイ ヤになりチャレンジしなくなってしまいます。 (引用はインターネット上のサイト「プロに聞こう」 より) http://www.junglecity.com/pro/speech/6.htm ちなみに,「発達の最近接領域」 (zone of proximal development)に関するヴィゴツキーの説明は次のように なっている。 It is the distance between the actual developmental level as determined by independent problem solving and the level of potential development as determined through problem solving under adult guidance or in collaboration with more capable peers.(L.S. Vygotsky, Edited by Michael Cole and others, Mind in Society: The Development of Higher Psychological Processes, Harvard University Press,1 9 7 8, p.8 6) 目の前の子ども一人一人にちょうどよい課題のレベル は,全国平均や標準的発達段階説が教えてくれるわけで はない。発達の事情は一人一人異なるわけで,ある年齢 までに,全員がある共通の水準に達するというような仕 方で,すべての子の力が伸びるわけではない。平均はあ くまで平均に過ぎないのであって,一人一人の子にとっ ての発達の事実ではない。だから,一人一人の子どもを よく見るキッドウォッチングが必要なのである。 何をどう指導すればよいかは,子どもを見れば見えて くるのであり,子どもを見なければ見えてこないのであ る。単元も,学習材も,活動形態も,個別指導の方法も, どういうものが適切であるかを判断するためには,子ど もをよく見ることが必要なのである。 指導の効果を上げるためには,キッドウォッチングに よって得られた子ども理解に基づいて,子どもにどうい う活動をさせればよいかを考え,活動する子どもの姿を 見ながら,指導の仕方や活動のあり方を修正していくこ とが必要である。 キッドウォッチングは,子ども一人一人の実情を把握 することによって,どういう程度のどういう内容をどう いう順番で学ばせるかを考えるためにも役立つ。どうい う程度のどういう内容をどういう順番で学ばせるかとい う計画が,すなわちカリキュラムである。キッドウォッ チングはカリキュラム作成に役立つだけでなく,カリ キュラムに沿って実際の指導を展開する際にも役立つ。 一定の計画に沿って指導しながら,その計画を,キッド ウォッチングを通して子ども一人一人に適合するように 修正するためにも役立つ。 「 啄同時」 (そったくどうじ)という言葉がある。卵 殻の中の雛鳥が殻を破って生まれ出ようとする時,殻を 内側から雛がつつく行為と,その音を聞いた親鳥が外か ら殻をつついて,雛が外に出るのを助ける行為とが同時 になされることを意味する言葉である。 親鳥が殻をつつき割るタイミングは,早すぎてもいけ ない。遅すぎてもいけない。雛の命にかかわるからであ る。今つついてほしいという絶妙なタイミングをはかる ことが必要である。そのタイミングを,雛が殻の内側か らの音で教えてくれるのである。 ! 2 6 1 11.字形や筆順の間違い 小学校に入学してきた子どもが,変な形の字を書いた り,間違った筆順で書いたりするのは,幼稚園や保育園 での教え方が悪いからだ,一度間違って覚えると直すの に苦労するから,下手な教え方はしないでもらいたいと いう声を聞くことがある。 しかし,教えようと教えまいと,自分で書き始めるの が子どもである。その中に間違いが現れるのは,育ちの 途上における自然な現象である。教えられなくても正し く書くことがあるし,正しく教えても間違うことがある。 間違って教えられても,正しく書くことがある。子ども は,教えたように育つとは限らないものである。 間違いをすべて,それ以前の学校段階における指導の せいにするのはおかしなことである。小学校の先生が幼 稚園や保育園のせいにし,中学校の先生が小学校のせい にし,幼稚園や保育園の先生は家庭のせいにする,とい うように,責任のなすり合いをすることは,今受け持っ ている子どもの助けにはならない。自分が受け持った子 どもがもし間違って覚えていたら,その子が自分の間違 いを直すのを手助けすればよいだけのことである。 人はそのようにして育っていくものであり,その育ち を助けるのが指導者の仕事である。字形や筆順の間違い は,一度指摘されれば直るとは限らない。長い目で気長 に丁寧に,子ども一人一人の育ちの実情に応じて助け続 けることが必要である。 12.就学前の文字指導は学習困難の予防になるか 文字を覚えないで小学校に入ると授業についていけな くなる。その予防のために,就学前の幼児教育の中で文 字を教えておく必要があるとの声がないわけではないし, 実際困っている子がいることも事実である。 が,ここには大きな勘違いがある。文字を教える幼稚 園や保育園を卒園した子は全員が読めて,そうでないと ころを卒園した子は全員が読めないというわけではない。 また,小学校入学時に大部分の子が平仮名を読めるよう になっているといっても,読み書きできる字の種類や習 熟の度合いは多様である。すべての子の育ちが同一とい うわけではない。 子どもの育ちには個人差があり,文字指導が個人差を なくすわけではない。個人差がある限り,その指導も個 人差に応じるものでなければ,効果があがらない。たと え小学校に入学した子ども全員が平仮名全部を習得して いたとしても,それでもなお指導者は,個人差に応じて 指導しなければならないのである。そうしないと,小学 校で困る子が,本当には無くならないからである。 さらに言うと,小学校で学習することは文字だけでは ないのだから,就学前に無理して文字だけはなんとか身 千葉大学教育学部研究紀要 第6 1巻 ¿:教育科学系 につけてきたところで,小学校で個人差に応じる指導を しない指導者に当たれば,学習困難に直面することは目 に見えている。文字さえ覚えていれば,学習困難に陥る 心配が無くなるということではないのである。 学習困難に陥る子を減らす決定的な方法は,小学校の 授業が変わることである。画一一斉一辺倒の授業形態か ら抜け出して,個人差のある子どもたち一人一人の育ち に応じる授業にすればよいのである。そうしなければ, この問題が解決されることはないのである。つまり,就 学前における文字指導は,小学校入学後の学習困難予防 の決め手にはならないのである。 育ちの個人差は幼児にもあるので,このままの状況下 で,幼稚園や保育園に画一一斉の文字指導を持ち込むと, 新たな困難の種を増やすことになって,結局は,幼稚園 や保育園における学習困難児を新たに生み出すことにも なりかねない。やはり個人差に応じる指導が工夫される ようにならなければ,根本的な解決にはならないのであ る。 1 3.個人差を受け入れる 個人差に応じると言っても,個々人の育ちの状況を綿 密に調べ上げて,その差を明らかにし,足りないところ を埋めて差を無くそうとしたのではかえって子どもを苦 しめることになる。 同一の学力水準を全員に保障すると言えば,聞こえは よいかもしれないけれど,現実には不可能である。個人 差があるのが現実である。その現実を受け入れ,目の前 の子ども一人一人の育ちの実情に応じる指導をすること がどうしても必要である。 個人差を無くそうとすることは,育ちの遅れを許容し ないということである。育ちの遅れを許さない指導者の 目は決して穏やかではないはずである。そういう冷たい 目に出会って,子どもはどう感じるだろうか。 指導を受ける子どもの側から見ると,自分の育ちに合 わない過大な要求や過小な要求をされても,その指導を 受ける時間は,難しすぎたり易しすぎたりで,意欲のわ かない,したがって効果のあがらない,無駄な時間にな る。個人差を縮めようとすることは,一人一人を一人一 人の人間として認めない態度である。そういう態度から 解放される道は一つである。それは,人と人を比べて評 価したり指導したりするところから抜け出すという道で ある。 個人差を許容しながら,それぞれの子を,その人とし て認め,その子の今の発達程度を肯定し,さらなる向上 に少しでも役立つことを願って指導に当たること,そう することが,この問題の根本的解決に近づく道である。 それが必要なのは,幼稚園や保育園だけではない。小学 校を含めて,学校教育全体がそうなることが必要である。 これは制度や行政の問題である以前に,指導者個々人 の人間観や教育観の問題である。 人差に応じる指導が大切である。個人差に応じる指導を 重視して筆者はかつて,「楽しく実りある国語学習―小 学1年生」という論考を発表した。その目次は次のよう である。 序章 入学前からの言語経験 第1章 文字・符号の学習指導 第1節 個に応じる指導 第2節 系統的仮名文字指導の問題 第2章 読むことの学習指導 第1節 本物で入門 第2節 読むことが役に立つ場で ¸ 読んで情報を得る ¹ 読んで楽しむ 第3章 書くことの学習指導 第1節 学年始めの自己紹介 第2節 招待状 第3節 手紙 第4節 学校行事の場で書く 第5節 生活科で書く 第6節 書くことが役に立つ場で 第7節 フィクションを楽しむ 第4章 教室の文字環境 第1節 活字資料 第2節 用具・設備 第3節 掲示 第5章 翻作のすすめ 第1節 翻作法 第2節 翻作のいろいろ A なぞる翻作 B 変える翻作 第3節 卯月学級の翻作実践 第4節 翻作と創作 第5節 コンクールと翻作 第6章 聞くこと・話すこと 第7章 単元を作る 第1節 教師が単元を作る 第2節 子どもの目的意識を核とする単元 第3節 プロジェクト単元 ¸ 作る活動 ¹ 演じる活動 º 味わう・楽しむ活動 » 解明する活動 ¼ 練習する活動 第8章 評価を生かす 第1節 目的を目指す活動を自己評価で調整 第2節 教育に生きる評価 第9章 おおらかな国語教育―安心の場で力を発揮 第1節 安心―間違うことを恐れない 第2節 一人一人が力を発揮する 第1 0章 その他の問題 第1節 分かち書きをどうするか 第2節 左利きをどうするか (首藤久義・卯月啓子共著『ことばがいっぱい1年 【補遺】小学1年生の読み書き指導 小学校入学後の指導のあり方についても,もちろん個 生』東洋館出版社,1 9 9 7年,より) 2 6 2