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寄稿 - 独立行政法人 国立青少年教育振興機構
寄 稿 11 12 自然体験の必要 加藤 尚武 どうして自然体験が必要なのか。という質問に対して、「人間は文明化することによっ て、本当の人間性を失ってしまったので、根源的な自然を取り戻す必要があります」と答 えたとしよう。この答えは「文明・文化はすべて悪い、自然・原始はすべて良い」という 価値観が、自然体験を必要だと見なす根本原理だという主張をともなっている。 本当に原始生活がすべて良いか。私の生活で、どうしても必要な文明の産物を挙げると、 水道、眼鏡、調理設備、鎮痛剤、抗生物質、自動車、冷暖房などなどとなる。私は、自分 の死に際で痛みにさいなまれるのは嫌だから、どうしても鎮痛剤は必要だと思っている。 トルストイの「生命論」を読むと、痛みに耐えることは人間として大切なことだと書いて ある。歯科医に「鎮痛剤を使わないでください」という気持ちは私にはまったくない。 文明人より自然人の方が、精神的にすぐれているという思想は、ギリシャ時代には「樽 のディオゲネス」という人が有名で、「家はいらない。樽でいい。食器はいらない、手で すくう」などの言動をしたために「犬のディオゲネス」と呼ばれたそうだ。 近代ではジャン・ジャック・ルソーの「学問・芸術論」が、文明化することで失ったも のがある、文明化は必ずしも進歩ではないと説いたので、彼の影響は現代にまで続いてい る。ロビンソン・クルーソーの物語、ソローの「森の生活」、タヒチ島にわたったゴーギ ャン、ターザン映画など、めんめんと続いている。 都市生活はやめよう、田園生活がいいという都市批判派もいて、「パリの憂鬱」を書い たボードレールは有名だが、「アスピリン・エイジ」のイザベル・レイトンはほとんど知 られていない。影響は千昌夫の「北国の春」にまで届いている。 どうして自然体験が必要なのか。文明化、都市化には常に行きすぎがあって、自然人の 能力を意図的に目覚めさせないと、そのバランスがくずれてしまう。当面の答えは、これ だ。 13 ドイツにおける校外教育施設「学校田園宿舎」について 長島 啓記 学校田園宿舎(Schullandheim、シュールラントハイム)は、自然豊かな、あるいは気 候が良好な地域に設けられた校外教育施設である。生徒は集団で宿泊し、学習活動をはじ めとして種々の活動を行うことができる。わが国には、これまで「学校田園宿舎」、「学校 田園寮」として紹介されてきた。 【歴史】 学校田園宿舎は、20 世紀初めにドイツ各地に設けられるようになった。その成 立と展開は、歴史的に「新教育運動」と密接な関わりをもつ。新教育運動とは、19 世紀末 から 20 世紀初めにかけて、日本も含め世界各国で展開された子どもの経験や自主的な活 動を重んじる教育改革運動であり、ドイツでは「改革教育学」(Reformpädagogik)とい われた。また、戦後の旧西ドイツの学校田園宿舎は、1960 年代、70 年代の教育学に登場 した「解放」(Emanzipation)や「反権威」(Antiautorität)といった概念による影響も 受けた。旧東ドイツでは、学校田園宿舎は廃止され、 「ピオネールの家」や「少年自然科学 者・技術者ステーション」などの校外教育施設が設けられた。1990 年のドイツ統一後、こ れらの施設の一部は、学校田園宿舎をモデルとして再編されることになった。 【現状、意義】 ドイツ学校田園宿舎連盟(Verband Deutscher Schullandheime e.V: http://www.schullandheim.de/)によれば、同連盟に加盟している学校田園宿舎はおよそ 350 施設、年間の利用者は 100 万人以上である。 学校田園宿舎の設置形態として、学校設置者である市や郡が設置するもの、学校田園宿 舎の地方協会が設置するもの、個別の学校が設置するものなどがある。生徒はクラス単位 やグループ単位で学校田園宿舎に滞在し、授業や種々の集団活動を行う。各州の文部省は、 学校田園宿舎の滞在や活動について法令を定めている。滞在期間の上限は、学校段階や学 年により異なり、初等段階では 5 日間まで、後期中等段階では 10 日間までと規定してい る州もある。 また、各州文部大臣会議(KMK)による勧告「学校田園宿舎滞在の教育的意義及び実施 について」(1983 年 9 月 30 日)によれば、学校田園宿舎滞在の教育的意義は、教授と訓 育が互いに結びつけられることにあり、教師と生徒が一定期間、終日宿舎に滞在すること により、通常の学校の場におけるのとは異なる、教科横断的なテーマの授業、芸術的活動 への取組、スポーツやハイキングの実施、生徒相互の理解や配慮の促進、グループ内の葛 藤の克服を学ぶ機会の提供、余暇の有意義な形成などが可能になるとされている。 【施設の具体例】 バイエルン州の学校田園宿舎をみてみよう。同州の学校田園宿舎協会 (Bayerisches Schullandheimwerk e.V.:http://www.schullandheim-bayern.de/)によれ ば、州内に 36 の学校田園宿舎がある。設置者は郡、市、学校田園宿舎地方協会、学校(ギ 14 ムナジウム) 、州立身体障害児学校 財団、ボーイスカウト連盟などで ある。図からも明らかなように州 内に広範に立地している。規模は 障害児を対象とした 15 ベッドと いったものから、1 クラス 33 ベッ ド、4-5 クラス 142 ベッドといっ たものまで、多様である。用意さ れている活動として、施設により、 環境教育、スポーツ、演劇、音楽 教育、交通教育、歴史教育、平和教育、地理教育、障害を有する者と有しない者の交流な どがある。各施設には、生徒用宿泊室、教員用宿泊室、食堂、シャワー室、グランドなど が設けられている。 1 例として、Web ページを参考に、学校田園宿舎シャイプパッハ(Schullandheim Schaippach)を取り上げる(http://www.schullandheim-bayern.de/schullandheime/ schullandheime.html)。同宿舎は、ウンターフランケン地方マイン-スペスアルト (Main-Spessart)郡、ゲミュンデン(Gemünden)から 4 ㎞のところに設けられている。 設 置 者 は 学 校 田 園 宿 舎 シ ャ イ プ パ ッ ハ ス ミ ュ ー レ 有 限 会 社 ( Schullandheim Schaippachsmühle gGmbH)。施設として、生徒用宿泊室 12、同伴者用宿泊室 8、食堂 2、 教室 2、小工作室 1、読書室 1、卓球室 1 があり、 敷地には運動場、回転ブランコ・ブランコのあ る遊び場、広い草地、キャンプファイヤー場、 グリルがある。用意されている活動等は、学校 演劇・劇場・音楽教育、環境教育(湿地草原、 ビーバー、ジン川、森)、交通教育(交通博物館)、 平和教育(戦没者埋葬地) 、スポーツ(サッカー、 ハンドボール、バレーボール、バスケットボー ル、卓球)、工作などである。 【利用】 ドイツ学校田園宿舎連盟、各州の学 校田園宿舎協会、州文部省等は、利用のための手引き、資料を用意している。各学校では、 これらの手引きや Web ページなどを参照して、親や生徒の協力も得ながら、計画を立てる。 なお、学校田園宿舎の滞在は正規の教育活動であるが、費用が発生することから、参加し ない生徒も出てくる。その場合、生徒は学校で他のクラスの授業を受けることになる。 <参考文献> 天野正治『現代ドイツの教育』学事出版、1978 年。小峰総一郎「学校田園 寮について」 、『中京大学教養論叢』第 41 巻第 1 号、2000 年、853-898 頁。 15 アメリカ合衆国における自然回帰運動と青少年教育の歴史 野田 研一 アメリカ合衆国における青少年教育と環境教育の出発点を考える場合、歴史学者ピータ ー・J・シュミットによる研究書、 『自然回帰—アメリカ都市におけるアルカディア神話』 (1969) は重要な手がかりとなる。この研究でシュミットは、19 世紀末(1880)から 20 世紀初期 (1920)の 40 年間に焦点を当て、この時期にアメリカにおける自然観の根本的な変質があ り、かつそこで今日の自然保護運動と環境教育の基盤となる大きな動きがあったことを指 摘している。 この歴史学的研究の重要なポイントは、都市化という近・現代的な社会的条件の変化へ の着目である。書名に示されているように、都市化が、その反対概念たる牧歌的理想郷を 意味する「アルカディア神話」と結びついたという逆説的な事実であり、その逆説を現実 化するために〈郊外〉(suburb)というトポス1が前面に現れ出てきた。「都市化するアメリ カこそが野生の呼び声を求めている」—これこそが、アメリカにおける青少年教育と環境教 育、さらにはアメリカ社会と文化の根底に横たわっている事実である。 アメリカ社会は、20 世紀末の 1990 年の国勢調査の結果、 〈郊外〉住民の人口がついに合 衆国総人口の 50%を上回った「郊外型国家」(a nation of suburbs)である。アメリカ合 衆国における郊外指向は、19 世紀初頭の 1820 年代に始まり、20 世紀に入るとその「大衆 化」が始まる。1950 年には 25%、1960 年には 30%、1970 年には 37%という具合に増加を 続け、ついに人口の過半数が郊外居住民となった。そこでは「郊外文化」と呼ばれる独自 の価値観が醸成され、それが結果的にアメリカ政治の動向にも大きな影響力をもつに至っ たともいわれる。ちなみに、社会学者ロバート・フィッシュマンは、 〈郊外〉を次のように 定義している。 郊外とは、中産階級の住宅コミュニティであり、都市の中心部より外部に位置するが、 経済的には都市に依存しており、その特徴は低人口密度の環境にあり、単一世帯の 家が多くを占め、周囲は開放的かつ公園的な緑の多い環境にある。 シュミットの歴史研究は、このような都市化→郊外化という社会現象と不可分な形で進 行したこの時期の自然観の根本的な変質、自然保護運動と環境教育の基盤となる大きな動 きに注目する。そして、これらの変質と動きに通底する思想的な展開をシュミットは、 《自 然回帰運動》(Back to Nature Movement)として概括し、その歴史的な動向を跡づけた。 《自 1 共通の概念を想起させることで、特定の場所を意識させるもの。特定の場所に導くことで、人間関係を 構成する位相。 16 然回帰運動》には、もちろん、18 世紀後半から 19 世紀前半にかけてヨーロッパそしてア メリカを席捲したロマン主義的思潮、なかでも自然カルト的指向や「博物学の黄金時代」、 そしてエマソンやソローの文学的ロマン主義(超越主義)がその前史としてある。ただし、 この運動の中心を担ったのは、ソローの代表作『ウォールデン』(1854 年)刊行以降に生ま れた若い世代であった。たとえば、作家であり美術史家でもあったジョン・C・ヴァンダイ ク(1856 年生)、 「アメリカ園芸学の父」といわれ、ネイチャースタディ運動のリーダーと なったリバティ・ハイド・ベイリー(1858 年生)、『そばかすの少年』など少年少女小説で 著名なジーン・ストラットン・ポーター(1863 年生)、西部文学の草分け、メリー・H・オ ースティン(1868 年生)、 「ロッキーマウンテン国立公園の父」と呼ばれるイーノス・A・ミ ルズ(1870 年生)、ソローを超える優れた作品を残したヘンリー・ベストン (1888 年生)な どである。 このように、 《自然回帰運動》の背後には、都市化→郊外化があり、世代交替がある。こ れを端的に表すのが、「自然回帰」(back to nature)という表現である。ポイントは「土地 回帰」(back to the land)ではないという点にある。アメリカには、建国以来標榜された 農本主義的な思想の伝統が厳然と存在していた。しかし、シュミットのいうこの時期の《自 然回帰運動》は、 「農」への回帰ではなかった。文字どおり、はるかに抽象的な「自然」へ の回帰であった。これは一面では農的自然概念を否定するものを含んでおり、それゆえに こそ、ウィルダネスや野生の自然の保護という革新的な思想の登場が可能になったのであ る。なぜ、 「農」への回帰ではなくなったのか。それはこの運動の担い手が都市インテリゲ ンチャ階層であり、近代都市論的な意味における《郊外》の成立こそ、 《自然回帰運動》の 主役だったからである。 問題となっている 1880 年~1920 年という時期は、まぎれもなく、アメリカにおける自 然保護運動の黎明期に相当している。72 年にイエローストーン国立公園が発足し、同時期 にバイソン狩りが隆盛を極め、86 年にオーデュボン協会が設立されている。90 年、フロン ティア消滅宣言、ヨセミテ国立公園の制定、92 年、シエラクラブ設立、97 年、森林管理法 制定、06 年には合衆国森林局が設置され、07 年には国有林設置、12 年、ヘッチヘッチー 渓谷のダム建設認可、14 年、リョコウバトの絶滅確認。16 年、国立公園局設置。合衆国の 人口もこの期間に爆発的に増加し、1890 年に 6,294 万人だったのに対して、1920 年のデー タはないが、1930 年には 1 億 2,277 万人に達している。 都市化の結果としての郊外化が指向され、《自然回帰運動》がその思想的基盤となった。 リバティ・ハイド・ベイリーは、その教育的実践としての「ネイチャースタディ運動」を 展開し、未来のアメリカ人は「田舎育ちでもなければ、都市育ちでもない、両極を併せ持 った郊外育ちの人間となるであろう」と予見した。また、当時、動物文学の作家として人 気を集めたアーネスト・T・シートンは、青少年教育の実践者としても知られ、1902 年に は後のボーイスカウト運動の前身となる Woodcraft League of America を創設し、1934 年 17 まで活動したほか、Campfire Club of America、Boy Scouts of America などの中心的存 在として活動した。都市化による「荒廃」からアメリカ文化を救うための自然回帰と自然 教育が多様に展開された。自然教育を謳ったリバティ・ハイド・ベイリーの著書 The Nature Study Idea は、シートンの Two Little Savages と同じ 1903 年に刊行されている。青少年 を「野外生活に親しませ、森で生き抜くスキルを教え、野生の自然を通して、フロンティ ア時代の独立独歩の精神を教える」こと―これがシートンのめざす教育であった。 参考文献:野田研一「都市とウィルダネス─ボーダーランドとしての郊外」、笹田直人編『〈都 市〉のアメリカ文化学─シリーズ・アメリカ文化を読む3』、ミネルヴァ書房、2011 年. 18 青少年教育とボランティア活動 ~地域社会の中で学び、市民として成長する~ 東京ボランティア・市民活動センター 山崎美貴子・河村暁子 青少年のボランティア活動への支援 東京ボランティア・市民活動センター(以下、TVAC)は市民たちの営利を目的としな い主体的な社会貢献活動(市民活動)を推進・支援することを目的とし、1981 年に設立さ れ、社会福祉法人東京都社会福祉協議会が運営している。 TVAC では 1977 年より、国および東京都の補助事業として『児童生徒のボランティア 活動普及事業』を実施しており、都内の公私立の小・中・高等学校を「ボランティア協力 校」として 3 ヶ年指定し、子どもたちがボランティア活動に取り組むことを区市町村の社 会福祉協議会(ボランティア・市民活動センター)との連携の中で支援してきた。また、 1980 年からは『青年ボランティア活動推進事業』として東京都の補助を得て、15 歳以上 の青少年たちを対象として、夏休みのボランティア体験やボランティア・ワークキャンプ などを実施してきた。そして、この夏休みのボランティア体験は、その後、全国各地に広 がっていくとともに、その対象も小学生から社会人までに拡大していったのである。 日本・英国・米国での取り組み その後 2002 年に『総合的な学習の時間』が全国の小・中・高等学校で開始されるとと もに、上記の『児童生徒のボランティア活動普及事業』は一部の地域で独自に実施する場 合を除いて、終了した。この『総合的な学習の時間』が目指したものは、子どもたちが現 代社会のさまざまな課題を解決するための「生きる力」を育むことであり、そのためには 知識偏重の座学ではなく、主体的で体験的な学習を行うことが求められていたのである。 こうした教育改革に対応するため、TVAC では 1999 年より民間財団の助成を受け、同 じく 2002 年に開始される英国の教育改革についての調査研究事業を開始した。英国では Citizenship Education(以下、市民学習)という名称で、子どもたちの市民性(citizenship) を育む教育が初等・中等教育の中で開始されようとしていた。広義の市民性とは、学童期 から地域社会の一員としての自覚をもち、積極的にさまざまな社会的活動に参加していく ことを意味している。英国において市民学習が必要とされていた背景には、多様な社会課 題に対して行政だけでは十分ではなく、市民たちの地域活動への参加や助け合いが必要と されていたこと、また、青少年自身の学力や就業能力の低下、精神的・行動的問題の多発、 地域社会への帰属感の低下、政治的無関心などの問題があったからだという。 英国の教育改革は民間非営利組織などが企画から参加し、カリキュラムやテキストの開 発、先生方のトレーニングなども実施しているところに特徴があった。そこで、まず、TVAC ではその中心的な役割を担っているコミュニティ・サービス・ボランティアズ(以下、CSV) 19 という民間非営利組織の方々をお招きし、日本の青少年教育関係者を対象として、市民学 習についてのセミナーやワークショップ、モデル授業などを実施していただいた。同時に、 CSV の許可を得て、生徒用テキスト(Student Guidebook)と教師用マニュアル(Teacher’s Manual)の翻訳を行い、関係者に配布した。 そして、英国の市民学習が米国のサービス・ラーニング(地域社会への貢献活動と学校 の教科学習とをつなぎあわせた学習法)をモデルとしていることがわかり、TVAC は次の 段階として、米国への視察を実施した。全米のボランティア・センターのネットワークを 持ち、サービス・ラーニングを推進しているポインツ・オブ・ライト財団(Points of Light Foundation)にご協力いただき、日本の青少年教育関係者が米国メリーランド州の学校や NPO を訪問させていただいたのである。 日本での今後の展開について TVAC ではこうした 3 年間に及ぶ交流研究事業と並行して、日本の学校や公民館、福祉 施設、NPO、ボランティア団体、ボランティア・センターでのモデル・プログラムの開発 を行った。しかし、その取り組みを全国に広げていくには、学校の先生方の負担がないよ うに支援することが必要である。そこで TVAC が着目したのが企業や社員のもつ教育力だ った。 2003 年、つまり『総合的な学習の時間』が開始された翌年、外資系企業である日本ジェ ネラル・エレクトリック株式会社と一緒に『地域に役立つ発明家になろう!プロジェクト』 を立ち上げた。これは、平日または土曜日に、子どもたちのグループが主体的に地域社会 の課題を見つけ、その解決案を考え、プレゼンすることを社員がサポートするというプロ ジェクトである。1 年目は都内の 5 か所の学校と 1 か所児童館で実施したが、その後、全 国の学校・PTA・児童館・公民館に拡大していった。また、このプロジェクトが皮切りと なり、企業各社が子どもたちへの教育活動を学校や NPO と一緒に展開していくようにな った。 現在、 『総合的な学習の時間』は基礎学力の向上や IT 教育、英語教育、キャリア教育な どに活用され、ボランティア活動や地域活動の機会は少なくなってきているようだ。しか し、子どもたちが、地域社会の中で、さまざまな人々との出会いから多くのことを学び、 地域社会を好きになって、自分たちも地域社会の一員、つまり市民として、積極的に参加・ 貢献していくようになることは、子どもたちにとっても、日本社会にとってもとても重要 である。 今後、全国各地のボランティア・市民活動センターが青少年教育施設や社会教育行政と 連携しながら、環境保護、国際理解、福祉、まちづくりなどをテーマとして、市民が参画 し、市民同士が学びあうような地域社会における教育活動を積極的に展開していけるので はないかと期待している。 20