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東西冷戦下で両大国はどのような地図を

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東西冷戦下で両大国はどのような地図を
東西冷戦下で両大国はどのような地図を
国土環境株式会社(もと国土地理院)
はじめに
前回は,昭和に入っての我が国における地図作成の主力
が,いわゆる外邦地域と兵要地図に向けられたことを紹介
長岡正利
よび爆撃効果評価のため繰り返されていたが,戦後は,撮
影コースが太平洋から日本海まで抜けるような規模で行わ
れ,戦災復興用として日本に貸与された。
した。戦争遂行に地図は不可欠なものとして,当然に各国
米軍は,占領行政のために,上記の航空写真を用いて日
ともこれらを含む情報戦には力を注ぎ,第二次大戦終結後
本の5 万分1 地形図を作成した。これは,「米軍地形図」と
においても同様であった。高々度写真偵察の時代を経て,
称され,北方から進められて相当域の地図が作成された。
軍事偵察衛星が技術を先導して,民生用を含む衛星リモー
下図にその例を示す。また,昭和34 年11 月の日米協定に
トセンシングの時代が花開くこととなった。かつて米国と
基づき,日米双方が利用する5 万分1「特定地形図」の作成
ソ連邦(ロシア)が独占していた軍事偵察用の高解像度衛
も始められて,5 年間の短期間で,東北地方以南の454 面
星データについては,幾つかの国と一部の民間企業におい
が作成された。この過程で外注化が進められ,業界の発展
ても衛星を運用するようになって,解像度1m 程度の画像
に大きく寄与した。特定地形図は,後に,日本の地形図の
であれば,今日では誰もが容易に入手できるようになった。
更新のために大いに活用(図式切換え作業)された。
今回は,大戦後の東西冷戦下において,極東を舞台とし
なお,日本の外邦図は,朝鮮戦争などの緊張下において,
ての,米ソ両大国による地図作成の一端を紹介する。
広く極東地域の地図資料として利用された。
米国による地図
ソ連邦による地図
日本が外邦図を作っていたと同様に,米国陸軍極東地図
局(AMS)も日本の地形図を複製して対日戦略に使用した。
連合国軍(米軍)の日本進駐(占領)の後は,米軍により
全国土の航空(空中)写真撮影(4 万分1,平野部は1 万分1)
が進められた。撮影は,戦中の戦略爆撃の頃から,偵察お
ソ連邦は,その国土について各種縮尺の地形図(最大縮
尺1 万分1)を作成し,更新していたが,1980 年代後半以降
は財政の逼迫化とともにほぼ中断状態となった。
外国地域については,ユーラシア大陸の全域を中心に10
万分1 以下の縮尺の地図が作られた。ソ連邦瓦解とともに
米国 AMS による 5 万分 1 地形図「横浜」
, 1944・45 年航空写真により1945 年作成。日本の 2.5 万図を利用。1952 年修正,4 版(× 0.8)
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THE JOURNAL OF SURVEY 測量 2004. 12
ソ連邦参謀本部による 20 万分 1 地形図「金沢」,同部1953年作成の10万分1図により1967年作成。福井市周辺(×0.8)
「ソ連邦参謀本部/秘密」表示の図が一時的に購入可能と
た。2.5 万分1 地形図は,日本の陸地測量部によるよりも広
なった。後に,他国領域のものは販売停止されたが,現在
域に作成されたようだが,戦後の日本の地形図更新には利
でもWeb 販売している業者がある。
用されなかった。下に,例として静岡の図を示す。
日本についても全域に10 万分1 図が作られ,この編集に
静岡市は,全国の多くの都市と同様に,B29 の夜間爆撃
よって各種の小縮尺図も作られた。上図がその一例であ
で市街地の7 割が焦土となった。戦争終結のわずか2 カ月
る。軍用地図としての明確な目標を持った地図のゆえに,
前のことであった。下に掲載の米軍作成地形図では,戦闘
例えば,橋梁については,その構造や規格についての記載
とは無縁の一般住民に2 千人の死者を出したこの空襲によ
(図中の赤色文字)もある。日本の発行図も利用されたよう
だが,当時の日本の地図にはない植生区分もあるほか,前
述のような情報も載っている。
日本を対象とする10 万分1 図の作成は1950 年代末から
60 年代が中心のようだが,軍事偵察衛星の技術がさほど進
んでいなかった時代に情報源をどうしたのか,今となって
は杳としてとして判らない。なお,これらの地図の規格・
図式は,ソ連邦国内におけるものとまったく同じとされた。
る羅災地を,Ruins(廃墟)と表示している。
戦争は,古今を問わず悲惨・非人間的なものである。
■ 参 考
同史編集委員会編:
『測量・地図百年史』
,国土地理院(1970)
清水靖夫ほかの諸報文:
『地図情報』
,Vol.7- 4「特集 戦前の地図・戦後の
地図」(1988)
長岡正利ほかの諸報文:
『地図ニュース』
,No.275(戦争と地図 特集)
(1995)
大国であったソ連邦は,その広大な国土と周辺の広域に
延々と各種地図を作り続けた。中には,目を見張るような
大版の地質図など,多色刷り主題図もあったが,いずれ
も,現在の在庫がなくなれば増刷の機会はないようだ。こ
れらは,あたかも作ることのみが目的であったかのように,
秘密図として殆ど日の目を見ることなく,現在に至った。
ソ連邦が残した文化遺産である膨大な地図群は今,消滅
しつつあるように思える。
地図にみる戦禍
最後に,1 枚の地図をご紹介。
米軍は,すでに説明した5 万分1 地形図のほか,各種縮
尺の地図も作成したが,あまり巷間に出廻ることはなかっ
米国 AMS による 2.5 万分 1 図「静岡」,1945 年航空写真により修正。
図中の灰色部分(Ruins表示)が,空襲による焼失・羅災地(× 0.65)
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