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アチェ実習報告書 ver03 - 決断科学

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アチェ実習報告書 ver03 - 決断科学
インドネシア・バンダアチェ津波災害調査
平成 26 年
九州大学 持続可能な社会を拓く
決断科学大学院プログラム
災害モジュール
-1-
目次
頁
1.
はじめに
3
2004 年スマトラ沖地震津波のアチェの被害
調査目的
事前学習・準備
現地交流と現地へのフィードバックについて
現地地図
実習参加者
現地調査行程
2.
現地の状況
12
現在の街の状況
津波災害関連施設
津波博物館
3.
津波避難ビルに関する聞き取り調査
47
A Group
B Group
C Group
4.
専門家レクチャー
74
藤原先生
布施先生
5.
防災教育
78
6.
最終日 意見交換会
82
7.
役所表敬(メダン総領事館)
84
8.
実習を終えて
86
-2-
報告書執筆分担
項目
担当
はじめに
専任教員(杉本,佐藤)
現地の状況(街の様子,津波災害関連施設)
津波避難ビルに関する聞き取り調査
永田麻梨子
-
A グループ
姜怡辰(Kang Ijin)
B グループ
孫昊田(Sun Haotian)
C グループ
中西隆之介
津波博物館
野口修司
専門家レクチャー(藤原先生,布施先生)
仲野美穂
防災教育
新川登志朗
役所訪問(メダン領事館)
小林淳二
最終日 意見交換会
小山彰彦
実習を終えての感想
学生全員
編集
専任教員(井手)
-3-
1.はじめに
2004 年スマトラ沖地震津波のアチェの被害
東日本大震災と同じマグニチュード(M)9 クラスの津波が、2004 年にインド洋で起こ
った。インド洋では遠地津波の警報システムがなかったため、インド洋の周辺国にとどま
らず、アフリカまで被害が出るなど犠牲者約 23 万におよぶ被害が出た。インドネシアは
被災した各国の中で最も多くの犠牲者を出した。とりわけスマトラ島北端のアチェ特別州
西海岸は甚大な被害を受け、州都バンダ・アチェや西アチェ県のムラボがひどかった。源
に近かったシムルー島(英語版)
、ニアス島やアチェ特別州では、津波だけではなく地震の
揺れによる被害も大きかった。現在のところ死亡者は 131,029 人、負傷者は最大で 10 万
人、行方不明者は 37,603 人とされており、政府は「国家災害」を宣言した。なおアチェで
はインドネシア政府との独立戦争が続いていたが、アチェ人武装勢力は地震直後に停戦を
宣言し、2005 年 8 月に政府側もこれに応じた。
○スマトラ島沖地震
震源の位置(USGS) ジャカルタバンダ・アチェ
本震 発生日 2004 年 12 月 26 日 7:58:53(現地時間)
津波 平均 10m、スマトラ島北部で最大 34m の津波
被害 死傷者数 死者 23 万人
負傷者 13 万人
被害総額 9 億 7,700 万ドル
被害地域 スマトラ島を中心とするインドネシア、およびマレーシア、タイ、ミャンマー、
インド、スリランカ、モルディブ、ソマリアなど
( 2005 年 6 月現在、ロイターおよび WHO による)
参考資料:
外務省「日本の津波支援」の評価報告書(特にインドネシアの箇所)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hyouka/kunibetu/gai/tsunami/jk08_01_in
dex.html
-4-
調査目的
遠地津波の被害を重く見た国際社会は、インド洋津波警報システムを国連で支援するこ
とが決定し、ユネスコが担当することになった。日本は、津波国家にも関わらず支援せず、
津波のないドイツが津波早期警戒警報システムを支援するなど、ちぐはぐな国際支援が行
われた。国際支援による早急な復興プロジェクトにより、約 3 年で恒久住宅を完成した。
しかし、タイの首相が「第二の津波」と呼んだ国際支援は、現地のニーズにあったものば
かりでなく、現地の経済市場を壊滅的に破壊するほどの莫大な経済規模の支援がされ、被
災国でマネジメント出来るスケールのものではなかった。さらに、2012 年 12 月に M8.4
のアウターライズ地震が起きたときは、住民はパニックを起こし、大渋滞と交通事故が起
き、死亡者が出た。これらから、今年で 10 年の復興を迎えるアチェにおいて、国際支援
による復興は必ずしも評価できるものばかりではなかったことが分かる、
では、実際にどういう状況なのだろうか。学生自身の視点で短期の調査を行う。今回は、
授業で反響があった日本が ODA 支援を行った津波避難ビルの1つが、いまだに住民に使
われずに放置されている問題について取り組む。2012 年M8.4の地震が起きたときも使
われなかった。
以下に学生のフェイスブックの意見を抜き書きする。

日本の ODA による津波の避難ビルは使われなかったということが一番気になりまし
た。住民との対話がうまくいかなかったため、住民が日本の建てた建物を避難ビルで
あると認識していなかったことが原因ということでした。支援はただ与えるだけでは
ダメで、現地の方々とともに復興、復旧するスタンスが大切ですね。

日本の ODA による津波の避難ビルが使われないことに驚きました。現地の人のコミュ
ニケーションの重要性を感じました。夏にアチェに行ったときには、現地の人と積極
的にコミュニケーションを取りたいです。
-5-
事前学習・準備
日程
5/7
修士1年(C)
博士過程(A)
東日本大震災による津波災害と復旧(島谷、杉本)/ガイダンス(厳島)
5/21
5/31-6/1
修士2年(B)
インドネシアにおける津波災害と復旧(杉本)
【現場実習】佐賀平野における伝統的治水技術の驚くべき総合性を学ぶ(島谷、高尾、厳
島、佐藤、井手)
6/4
中国の水環境の現状と流域管理(佐藤)
東日本大震災被災地現地調査の
調査計画立案(高尾・厳島)
6/18
近代以降の河川計画と整備(厳島)
インドネシア実習打合せ(杉本、佐藤、井手)
6/28-30
【現場実習】東日本大震災被災
地現地調査(2 泊 3 日)
(高尾、
厳島)
7/2
森林と河川の関係-森林は洪水や渇水を緩和しうる
か?(井手)
インドネシア実習打合せ(杉本、佐藤、井手)
7/4
東日本大震災被災地現地調査と
りまとめ(1)
(高尾・厳島)
7/5-6
【現場実習】川内川激特事業における合意形成とデザ
インの技術を学ぶ(島谷、高尾、厳島、佐藤、井手)
7/8
海外研修におけるリスク管理(TED 演習、矢原)
7/16
信頼関係構築を目指す事業マネジメントの技術(高尾)
7/18
東日本大震災被災地現地調査とりま
とめ(2)
(高尾・厳島)
7/30
防災・減災とは−ハザード、社会、リスクの関係(塚原)
インドネシア実習打合せ(塚原、杉本、佐藤)
感染症リスクの説明会(井手が代表で参加)
インドネシア実習参加者懇親会(塚原、杉本、佐藤、井手)
8/24-30
【Project Z】
【Project Z】
インドネシア
インドネシア
※「海外実習」
※「国際共同研究」
-6-
現地交流と現地へのフィードバックについて
現地の人たちのご協力で調査を行わせていただくお礼も兼ね、自分たちの持っている知
見を共有するため、8 月 28 日にアチェ第一高等学校の高校生に防災教育を英語で行う。
内容は 6 月 5 日に防災科学技術研究所でインドネシア型住宅の振動台実験を行った結果
のビデオを用いるものである。代表で実験に参加した新川君の作ったスライドを学生参加
者全員で手分けしてすでに英語に訳した。
1995 年の阪神大震災では耐震性の低い安い木造建築の大学生の犠牲者が多かったため、
学生に耐震性のある住宅に住む必要性を説く目的である。これは、持続可能社会というも
のが、先進国と途上国の共生の下によってしか成り立たないことを具体的な取り組むこと
が目的にある。学術調査にありがちな現地の知見を現地に還元しない姿勢を、決断科学の
学生には疑問に思うような人間になってもらいたい。
また、29 日の経由地のメダンにおいて日本総領事館を訪問し、今回の調査の報告を行い、
また北スマトラ大学との交流を行う。その際にも防災教育に使ったビデオを使って現地の
大学生に説明を行う。今後、アチェの今回の訪問先に加え、北スマトラ大学との定期的な
交流を継続していくことも考えている。
-7-
現地地図
バンダアチェにおける訪問地の位置(Google Earth より)
-8-
アチェ実習参加者
氏名
教
職
員
学
生
専門
1
塚原 健一
防災計画
2
杉本 めぐみ
災害リスクマネジメント
3
井手 淳一郎
森林水文学
4
佐藤 辰郎
河川工学
5
菊地 梓
社会心理学
6
藤原 敬大
森林政策学
7
布施 健吾
生態学
1
姜 怡辰
地質学(堆積学)
2
小山 彰彦
河川生態
3
孫 昊田
森林水文学
4
中西 隆之介
土木工学
5
新川 登志朗
土木工学
6
小林 淳二
土木工学
7
仲野 美穂
土木工学
8
野口 修司
土木工学
9
永田 麻梨子
生命科学
-9-
現地調査行程
8 月 24 日
・移動(福岡→シンガポール→インドネシア・メダン)
8 月 25 日
・移動(インドネシア・メダン→バンダ・アチェ)
・アチェ市内の津波災害関連施設の視察(Graveyard、伝統家屋、打ち上げられた船)
・バンダアチェ市観光省訪問、Rafmanadani 氏よりレクチャー
・意見交換会
・津波避難ビル訪問
8 月 26 日
・津波博物館視察
・家にのったボート視察
・津波避難ビルの聞き取り調査
班分け
●
A グループ
○カンイジン
新川登志朗
小林淳二
B グループ
○Sun Haotian 永田麻梨子
野口修司
C グループ
●小山彰彦
○中西隆之介
学生リーダー
仲野美穂
○グループリーダー
8 月 27 日
・津波避難ビルの聞き取り調査
・植生と環境破壊の視点からの現場レクチャー(布施先生より)
・インドネシアにおける森林管理についてレクチャー(藤原先生より)
8 月 28 日
・地元高校での防災教育
・各グループからの調査結果報告および意見交換会
8 月 29 日
・観光省訪問
・移動(バンダ・アチェ→メダン)
・メダン総領事館訪問、北スマトラ大学との交流会
- 10 -
・移動(インドネシア・メダン→シンガポール→福岡)
8 月 30 日
・福岡空港到着、解散
- 11 -
2.現地の状況
現在の街の状況
2.1 メダン
メダン(Kota Medan)は、スマトラ島東北部に位
置する北スマトラ州の州都であり、かつ、デリ・セ
ルダン県の県庁所在地となっている。スマトラ島最
大の都市で、人口規模からいえば、ジャカルタ(首
都)
、スラバヤ(東ジャワ)
、バンドゥン(西ジャワ)
に次ぎ、インドネシア第四の都市である。面積
265km²、人口約 210 万人。まだ歴史の浅い都市ら
しく、発展し始めたのは 19 世紀後半のことである。
メダンはオランダの指揮するプランテーションによ
って作られた商品作物の中心的集荷地となり、各種
図 1 メダンの位置
(Wikipedia より転載)
企業や政府機関も進出して、スマトラ島東北部の中心地として発展したのである。特筆す
べきことに、メダンの治安は悪い。インドネシアリサーチセンターは今年 3 月 21 日、国内
で最も治安が悪い都市は北スマトラのメダンであるという調査結果を発表した。調査方法
には疑問がもたれているが、それだけ悪名高い都市であるらしい。特に交通マナーは、イ
ンドネシア全体だと思われるが、日本に比べとても悪かった。24 日(初日)のホテルへの移
動と 29 日の在メダン日本国総領事館訪問のためのみの滞在であったが、道路の混乱ぶりは
常軌を逸していた。メダンはインドネシアで一番交通マナーの悪い町ともされ、無謀運転、
無理な割り込み、信号無視、逆行運転等は日常茶飯事のようだった。常にクラクションが
鳴り響いていた。驚いた事に、私たちの乗る車
が一般常用車と衝突したにも関わらず、目を合
わせるだけで何の問題にもならなかった。歩行
者優先といった意識も無いので、横断歩道があ
っても道路横断の隙がない。トヨタ・ホンダ・
ニッサン等の日本車が多く見受けられた一方、
メダンでの車の運転は日本人にはかなり難しい
ようだった。アチェにもあったが、ベチャ(三
輪タクシー)が目新しかった。
メダンの公式 HP– http://pemkomedan.go.id/new/
- 12 -
図 2 ベチャ(三輪タクシー)
2.2 バンダ・アチェ
面積約 61 km2、人口約 22 万人のバンダ・アチェ市はイン
ドネシアの人口比率で最大の宗教であるイスラム教の最
初の伝導地であることからか、住民のアチェを愛する気持
ちは大きかった。オランダ植民地からの独立運動史に関し
ても高い誇りを持っている。国旗でもあり日本からの独立
のシンボルである赤白二色の旗(図 3)が建物・道の至る所
で目立った。独立時の名残らしい。上半分の赤を merah、
図 3 インドネシア国旗
白を putih とインドネシアの方は呼んでいる(親しみを込
めた呼び方)らしい。また近年では天然ガス輸出収入の地
元還元等を争点として独立運動があり、武装勢力(GAM)
と国軍の抗争から危険地帯となっていて、外国人の渡航が
制限され、学術的な調査研究にも慎重な行動が求められた
らしい。バンダ・アチェはマラッカ海峡に面しており、香
辛料・コーヒーなどの産物の輸出やその媒介のための貿易
で栄えてきた土地だった。交易によってイスラム教がもた
図 4 バンダ・アチェの位置
らされ、インドネシアの中でもイスラム教の強い信仰があ
(Wikipedia より引用)
ることからもうなずける。そのため、アチェの商業は移住
した華人式のものが多いそうだった。交通状況はメダンに比べると平和であった。メダン、
バンダ・アチェ共に二輪バイクへの2、3人乗りが多かった。大人1人に子供 3 人が乗っ
たバイクもあった。植生は災害の後だからか自然植生のものは尐なく、年月の浅い木々が
布施健吾さん曰く多かった。人工にしても道路沿いには沢山の木々が植えられており、幹
がガードレール状に白・黒に塗られていて、目印として使われていた。メダン市民に比べ、
バンダ・アチェ市民はムスリムが厳格で、外にいる女性はほぼ全員ヒジャブと呼ばれるス
カーフのような布を頭に巻いて髪をかくしていた。首もとをまち針のようなもので止めて、
緩まないように工夫されていた。そのためか女性は髪をヒジェブで隠した方が、周りの対
応も穏やかなものだった。
バンダ・アチェにあるモスク(Mesjid Raya Baiturrahman)も視察した。
- 13 -
図 5 バンダ・アチェにあるモスク
我々はムスリムではなかったため、このモスクに入る事を許されなかった。津波が起こっ
た時、信頼を寄せるモスクへ避難した住民も尐なくなかったという。屋根は全て黒光りし
ており、他の住居に比べ遥かに丁寧に造られた建物であるため住民はここに避難したとい
うのもうなずける。
図 6 モスクの前で手を合わせるユリ、イジン(九
大)、ミタ、ダラ
- 14 -
観光省訪問、ラマダニ氏よりレクチャーがあった。以下にその資料とレクチャーのスライ
ドを掲載する。
図 7 レクチャー資料 1(その1)
- 15 -
図 7 レクチャー資料 1(その2)
- 16 -
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- 18 -
- 19 -
- 20 -
- 21 -
- 22 -
- 23 -
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図 8(複数) レクチャー資料 2
- 38 -
図 9(複数) 日本新聞で掲載されたラマダニ氏、津波レクチャー時の様子、集合写真
- 39 -
津波災害関連施設
津波はアチェで何が、どのように記念されているのか。アチェでは、津波以後に建てられ
たさまざまなメモリアルを見ることができる。そのなかには、津波の被害をそのままの形
で残しているもの、津波の被害から修復して残しているもの、津波の被害から形を変えて
記念しているもの、津波を契機に新しく導入されたものなどがある。
2.3 墓地(Graveyard)
アチェでは、集団埋葬という形で津
波犠牲者が弔われていた。集団埋葬
地は、津波直後に町のあちこちに散
乱していた犠牲者の遺体を集めて
埋めたところだ。津波被災者の追悼
式場として使われているところを
視察した。建てられた白い壁には津
波の絵が記されていた(図 10)。集団
埋葬地には、行方のわからない遺体
が多く埋められており、追悼式を行
図 10 津波を表したもの
う場所ではあるが、アチェ社会の伝統的な考え方に従えば「墓地」ではない。イスラム教
徒であるアチェの人々にとって、墓地とは埋葬された死者一体一体に墓碑が立てられ、断
食明けに墓参りしてコーランのヤシンの章を詠んで供養する場所である。集団埋葬地には
津波犠牲者の遺体が埋葬されているものの、津波で失われた家族・親戚や友人・知人の遺
体が実際にその集団埋葬地に埋められているかわからない。津波で海に流されてしまった
犠牲者もいるし、流されずに陸地に残ったとしても、どこに埋葬されたかわからないため
だ。そのため、集団埋葬地には個人の名前を書いた墓石も置かれていない。そして、集団
埋葬地の管理の主体は行政や NGO であって村などの地域社会ではない。故に集団埋葬地は
遺体を埋葬して供養する場所としての墓地ではない。1 人 1 人の死が家族や友人の死ではな
く、津波被災という大きなできごとを象徴し、記念するものとして扱われている。逆に津
波で家族・親戚や友人・知人を失った人たちは、その集団埋葬地に遺体が埋葬されている
かどうか確信がもてなくても、集団埋葬地を訪れて死者への追悼の気持ちを捧げることが
できる。
- 40 -
2.4 伝統家屋
とても大きく立派な家屋(rumoh)だった。この構造であれば津波避難ビル(後述)のように、
一階は突き抜けているため、津波の被害も尐なかったのかもしれないが、紛争により建物
が壊されたり、伝統がうまく伝えられていなかったりして、結果被害の規模が大きくなっ
てしまったという見方もできるようだ。伝統的家屋は(視察に行った建物以外のものも)
東西に棟が向くように建設され、南に面して入口にかかる階段があるようだ。内装を中に
入って見ることは出来なかったのが残念だ。外観の色は特徴的だった。赤・黄・緑・白の
装飾にはそれぞれ赤/勇気・英雄といった象徴、黄/王・貴族・陛下の象徴、緑は不明だが、
日常生活又は平和の象徴、白も不明だが司祭・信頼の象徴、基盤となる黒は大地か何かの
象徴であるらしかった。意味を込めて色彩処理されていた。視察した家屋にはオランダ軍
が残した日本に対する大砲も残されていた。
2.5 津波で流され残った船
被災を契機に災害に強い社会を作る芽を見た気がする。津波によって内陸まで船が流され
たものを観光スポットとして再利用されていた。住宅地に流れ着いた船と、大きな発電船
を視察した。船が流れる程の津波は想像ができない。船にも国旗が沢山掲げてあった。今
回中には入らなかったが、まわりにはお菓子や衣類などの露店と車の駐車スペースがあり、
被害当時の DVD も販売されていた。これらも被災が被災社会にもたらしているもののひと
つだった。
図 11 発電船の前に selamat dating(welcome)の看板
- 41 -
図 12 バンダ・アチェ 建物等位置情報(バンダ・アチェ視察前に配布された資料)
- 42 -
津波博物館
日時
8月26日(火)
場所
インドネシア北西部・アチェ州・バンダアチェ
参加者(先方)
観光省職員
参加者(当方)
杉本めぐみ,井手淳一郎,佐藤辰郎,菊地梓,藤原敬大,布施
健吾,姜怡辰,小山彰彦,孫昊田,中西隆之介,新川登志朗,
小林淳二,仲野美穂,野口修司,永田麻梨子
目的・概要
バンダアチェの当時の被災状況を学ぶことと津波避難ビルと
してどのような機能(特徴)を有しているのかを視察することを
目的として津波博物館を訪問した.
本研究での津波博物館の訪問目的は,バンダアチェの当時の被災状況を学ぶことと津波避
難ビルとしてどのような機能(特徴)を有しているのかを視察することであった.津波博物館
は,バンダアチェで2004年12月26日に発生したスマトラ沖地震による大津波被害
の記憶を当時の被災状況を後世に伝える(津波教育と観光)ことと災害発生時の津波避難ビ
ルとして機能することを目的として建設された.津波博物館は4階建てになっており,大
津波発生時に避難するのに十分な高さとなっていた.総工費は約560万ドル(約5億44
50万円)で,仮設住宅に住んでいる約700世帯の住民からは「被災者の救済を先にすべ
きだ」と批判の声が出た(2009年2月26日)ことからも復興の順序は要検討を行う必要
があるように思う.津波博物館の内部は,津波の到達高さと壁の高さを同じすることなど
によって当時のことを記録していた.展示物としては,ミニシアター,被災時やその時の
支援の様子の写真,被災後に発見された自転車,巨大ジオラマ,地震・津波が発生するメ
カニズムの解説などがあった(図3―5).外部には復興支援をした国の名前が掘られた石像
(図6)などがあった.この石像のように支援国を紹介するものは,博物館内部にもあったが,
日本の支援を紹介するものは尐ないように感じた.
- 43 -
図 1 津波博物館
図 2 津波博物館内部
- 44 -
図 3 津波博物館に展示されている写真
図 4 被災後に発見された自転車
- 45 -
図 5 巨大ジオラマ
図 6 支援した国の名前が刻まれている石像
- 46 -
3.津波避難ビルに関する聞き取り調査
A グループ

調査概要
Figure 1. Location of field survey in Aceh, Indonesia
A グループは主に海岸沿いに位置している津波避難ビル周辺の住民に対して聞き取り調
査を行った。
調査は LAMBUNG→防災センター→TEUNGOH→GRUMFANG の順で行い、
全部で29標本の調査ができた。
調査項目は、まず個人情報(名前、性別、年齢、職業、家から避難ビルまでの距離)を
収集し、大質問として 7 項目、大質問の応答により小質問に展開した。調査項目の内容と
その意図について下の表に表す(Table 1)
。
Table 1
番号
Interview contents and purposes
大質問
意図
1
津波避難ビルの存在を知っていますか?
2
建設当時,住民への話し合いがありましたか?
参加しましたか?
避難ビルの周知度
避難ビルの建設において、住民の
意見の反映度
3
(避難ビルの)立地は適切だと思いますか?
4
(避難ビルの)改善すべき点はありますか?
より良い避難ビルにするため
5
避難訓練はありますか?参加しましたか?
防災への意識度調査
6
普段はどのように利用していますか?
地元住民への密着度
7
災害時の情報はどこから得ていますか?
災害発生の情報源
- 47 -

Question Sheet in Japanese
0. 名前
9. 職業
性別
ビルからの距離
年齢
1. 津波避難ビルの存在を知っていますか?
Yes-2012 年の地震時,津波避難ビルの存在を知っていましたか?
Yes-当時使用しましたか?避難人数は何人程度でしたか?
Yes-交通手段は何で避難ビルまで移動しましたか?
No-何だと思いましたか?
2.
建設当時,住民への話し合いがありましたか?参加しましたか?
Yes-No
3.
立地は適切だと思いますか?
どの場所が良いと思いますか?
4.
改善すべき点はありますか?
5.
避難訓練はありますか?
避難訓練に参加しましたか?参加した,しなかった理由は何ですか?
6.
普段はどのように利用していますか?
7.
災害時の情報はどこから得ていますか?
- 48 -

Question Sheet in Indonesian
A. Identitas
- Nama
:
- Jenis Kelamin
:
- Umur
:
- Pekerjaan
:
- Jarak tempat tinggal dan gedung evakuasi :
(menit)
B. Pertanyaan :
1. Apakah anda mengetahui tentang Gedung Evakuasi Bencana ( Escape
2.
3.
4.
5.
6.
Building) yang berada disekitar desa ini?
Sebelum Gedung Evakuasi Bencana dibangun, apakah telah dilakukan
musyawarah bersama dengan masyarakat desa ?
Apakah lokasi Gedung Evakuasi Bencana yang ada disekitar desa ini
sudah cocok ?
Apakah ada saran untuk bangunan Gedung Evakuasi Bencana tersebut ?
Apakah pernah dilakukan simulasi bencana di Gedung Evakuasi Bencana
tersebut?
Apakah bangunan tersebut pernah difungsikan selain untuk evakuasi
bencana?
7. Ketika gempa terjadi, melalui cara apakah informasi gempa tersebut
dapat diketahui warga desa?
- 49 -

Question Sheet in English
10. Do you know the escape building?
Did you know the escape building in 2012 earthquake?
How many people did escape this building in 2012 earthquake?
How to come to here in 2012 earthquake?
Do you think what this building is?
11. Did you join the meeting about construction of the building?
12. Is it the best place to build the escape building?
Do you think where better place is?
13. Do you want to modify the building?
14. Have you ever attended an escape practice (simulation)?
Why did you join escape simulation? Or not?
15. How do you use this building, in general?
16. When tsunami coming, how do you get tsunami information?
- 50 -

調査内容
日時
2014. 08. 27.
場所
LAMBUNG 避難ビル周辺
参加者(先方)
避難ビル周辺の住民、小学校の先生
参加者(当方)
姜怡辰、小林淳二、新川登志郎、Yuliana Rachim、Mifthahul
Jannah
LAMBUNG 地域の津波避難ビルでは 10 票本の調査を行った。ここでは小学校での聞き
- 51 -
取り調査ができ、小学校でどのような避難訓練を行っているかを聞くことができた。避難
訓練は先生がベールを鳴らすと学生が一斉に避難ビルまで走っていくという訓練であった。
しかし、避難順序(学年ごとやクラスごとなど)は決まっておらず実際の避難の時には混
乱が予想される。平日の午前中に調査を行ったため、男性よりも女性の応答者が多かった。
主婦の応答者はほぼ 2004 年以降に移住してきたと答え、2004 年の津波で女性と児童の被
害が大きく、他の地域から新しく移住してきたことが分かった。
- 52 -
日時
2014. 08. 27.
場所
防災センター周辺
参加者(先方)
センター周辺の商人や漁師
参加者(当方)
姜怡辰、小林淳二、新川登志郎、Yuliana Rachim、Mifthahul
Jannah
- 53 -
防災センター周辺では商人と漁師について3標本を得ることができた。商人とのインタ
ビューで防災センターが周辺の住民に避難ビルとして知られてはいるが、避難ビルとして
の情報が尐ないため、避難場所としてはあまり使っていないことが分かった。その理由と
して、防災センターの建物がどのぐらい地震や津波に耐震性を持っているかが知られてい
ないため、避難ビルとしての信頼ができないという応答であった。
- 54 -
日時
2014. 08. 27.
場所
TEUNGOH 避難ビル周辺
参加者(先方)
参加者(当方)
姜怡辰、小林淳二、新川登志郎、Yuliana Rachim、Mifthahul
Jannah
目的・概要
- 55 -
TEUNGOH 地域の津波避難ビルは位置的に沿岸部でも海の方に突き出ているところに
位置している。ここでは10標本の調査ができた。この地域は海と最も隣接している特徴
のせいで、2004 年の津波について住民のトラウマがとても強かったところである。特に、
避難ビルに関する認識調査の結果、避難ビルが丈夫で立地もいいと知ってはいるが、実際
2012 年の地震の時や今後の津波が起きたときの利用度は低かった。また、建設当時の住民
との話し合いはあったが、元々モスクの予定地であったため(2004 年津波で空地になる前
もモスクがあった。
)
、住民の中で反対の意見もあったということが分かった。
- 56 -
日時
2014. 08. 27.
場所
GRUMFANG 避難ビル周辺
参加者(先方)
参加者(当方)
小林淳二、新川登志郎、Yuliana Rachim
目的・概要
GRUMFANG(GEULUMPANG)地域の避難ビルでは6標本の調査ができた。ここでは主
に学生を相手にして調査を行った。
2012 年の地震以降 GRUMFANG に移住した人が多く、
津波避難ビルを本来の目的で使用した人は尐なかったが、津波避難ビルの役割は周知され
ていた。通常時は津波避難ビルを遊び場として用いることが多いようで、テニスコートや
ビリヤード台のような娯楽施設を増やしてほしいといった意見を得ることができた。また、
津波避難の時のみの対策ではなく、高潮対策として防波堤を作成してほしいという意見も
あった。
- 57 -

調査のまとめ
- 58 -
- 59 -
- 60 -

結論
1.津波避難ビルの周知性は高い。
17.
調査を始める前の情報からは、津波避難ビルが避難場所としてほぼ使わ
れていなく、どうすれば利用度を高めることができるかを今回の調査の目的としてい
た。しかし、実際に聞き取り調査を進めていくと避難ビルが避難場所としての周知性
が高く、普段にも様々な利用をしていることが分かった。今回の調査は避難ビル周辺
だけであったため、今後の調査では避難ビルから離れている地域の調査が必要である。
2.建設時の合意形成はあった。
津波避難ビルが使われなかった理由の仮説として、
「ビル建設時に住民との話合いや
合意形成が無く、住民の認知度が低かったので使われなかった。
」を設定し調査を行っ
た結果、実際には合意形成はあり、避難ビルとしての認知度も高かった。しかし、住
民の避難ビルについての情報不足で、災害時の避難ビル利用に不安を感じ、避難ビル
利用より遠くへ逃げたいという行動につながっている。避難ビルに対する住民の不安
を解消し、利用を促進するためには合意形成だけではなく、建設後も掲示板などで十
分な情報提供をする必要がある。
3.立地は適切であるが、今後の津波時の利用率は低い。
2004 年インド洋沖地震・津波の時のトラウマが強く、津波避難ビルの立地や安全性
を知ってはいるが、心理的な不安やトラウマで時間があれば近くの避難ビルよりも遠
くの山や避難ビルに避難したい、海を見たくないという意見が多かった。
4.建物への不安を感じる。
防災センターの場合、避難ビルとしての安全性に関する情報提供がなかったため、
避難場所としてあまり使われていないことが分かった。他の地域の避難ビルでの調査
でも、改善してほしい部分として、もっと高く・大きく・強くしてほしいという応答
があった。これも同じく住民への情報提供が不足しているため、避難ビルへの安全性
について不安に感じていると考えられる。避難ビルの外部に 2004 年の津波時の浸水し
た高さを表示することや耐震性に関する情報を提供することが必要である。
5.避難訓練の男女差がある。
2004 年の津波時に女性と児童の被害が大きかったという聞き取り調査の結果からも、
女性と児童に対する災害避難訓練が必要である。児童は学校での避難訓練、女性は女
性コミュニティやコミュニティレベルでの防災訓練の日程を増やすことで住民の全体
をカバーできる避難訓練を実施することが重要だと考えられる。
以上の結論から、現在アチェ州では津波避難ビルの新設のようなハード面での整備よりも、
住民への津波避難ビルに関する十分な情報提供や防災教育のようなソフト面での整備が必
要だと感じた。ソフト面の整備を通じて、住民の津波という災害に関する理解を深め、避
難ビルの信頼性を高めることで、災害の被害を最小化することができると考えられる。
- 61 -
B グループ
日時
2014.8.27
場所
Alue Deah Teungon, Lambung
参加者(先方)
Sun Haotian, Shuji Noguchi, Mariko Nagata
Jibur, Dara (Indonesian students)
参加者(当方)
Local people
目的・概要
To acquire the current condition of the tsunami evacuation building
and make proposal to improve the current condition
概要
On the third day of our Indonesia trip, we divided into groups to conduct survey among the local
people. From our observation, the tsunami evacuation building was not properly utilized during the
non-disaster time. The objective of the survey was to acquire the current condition of the tsunami
evacuation building and make proposal to improve the current condition. We designed 6 fixed
questions (four of them with follow up questions) to help achieve our goal. The questions are listed
as follows:
1. Do you know this building is built for evacuation?
A. Yes
B. No
2. Do you think more building like this should be built In this area or not?
A. Yes
B. No.
+If so, you prefer the domestic support or international support?
A. Domestic support
B. International support
3. What kind of support do you need from government in order to live in this building or use this
building?
A. Wide road access
Regular gathering
B. Water supply
E. Market
C. Electricity supply
D.
F. Others_____________
4. What kind of information did you get regarding to the tsunami
evacuation building?
A. For evacuation
B. For evacuation training
D. For meeting E. For recreation
C. For sports training
F. Others_____________
+ How did you get this information?
A.By TV news
B. By newspaper
C. By radio
E. Others__________
5. How do you think the community can make use of this tsunami
evacuation building for the 1st floor?
- 62 -
D. By Internet
A. Tsunami education
market
B. Basecamp
C. Flee market
D. Regular
E. Others_____________
+For the other floor?
A. Tsunami education B. Basecamp C. Flee market D. Regular market E. Others___________
6. If the tsunami happens in the future, are you willing to evacuate
to this building?
A Yes
B. No
+ Are you willing to join the evacuation training if the community organize it?
A.Yes
B. No
We conducted our survey base on these fixed questions and some other random questions which
were brought up during the process of the survey. And the questions were translated by Jibur and
Dara into Indonesian language. Due to the limitation of time, we chose two local communities
which were near two of the three tsunami evacuation buildings to conduct the survey. We went to
Alue Deah Teungon in the morning and Lambung in the afternoon. We managed to get 40 local
people to answer our questions. 14 surveys were conducted in the morning, while 28 surveys were
conducted in the afternoon. The less number in the morning was due to the time conflict with the
local people’s working hours. Female consists of 70 percent of the respondents.
The results of the survey showed that 37 out of 40 respondents knew the evacuation function of
the tsunami evacuation building. This showed the well acknowledgement of the building in this
area.
25 of them thought that more tsunami evacuation should be built in this area. While 17 out of
these 25 respondents prefer the international support to the domestic support in constructing such
building and provide other support. This showed that the need of people for the tsunami
evacuation building is still high. And the international support gained their favors for the quick
reaction to the tsunami back in 2004, which resulted in their favor for the international support.
Water supply, electricity supply, wide road access and food were the top four choices of the
respondents in the case to use the building as evacuation choice or daily facility. We suspected that
the translation misunderstanding may affect to the answer to this question as the word ‘live’ in
Indonesian language favors the meaning of evacuation. However, the results still showed that much
work needs to be done by the government in order to meet the local people’s needs.
As of the information of this building that the local people got, 34 out of the 40 respondents knew
the building was for evacuation only. Three thought the building should also be used for evacuation
training. And 25 of 40 respondents got the building information from the local people, which
showed the importance of the community office in the information delivery process. The results
indicated that the local office should do more propaganda regarding to the daily use of the building.
For the non-disaster time usage of the tsunami evacuation building, the respondents provided
- 63 -
various of answers, such as sport, local activity, tsunami education, training (handicraft training).
We summarized the results and made a proposal based on the favor of the local people. We
propose the first floor of the building should be used for sports activity, while the second and third
floor should be used as multi-function hall for tsunami education (library and small scale exhibition),
handicraft training, regular meeting and party.
For the last question, we found out that 35 out of 40 respondents were willing to evacuate to the
building if disaster happens, and 34 out of the 35 willing respondents were willing to join the
evacuation training if the community organize one, which emphasized the high feasibility of an
evacuation drill in the community.
For the random questions, we found out that 13 out of the 17 respondents don’t have an
emergency kit in their house. We suggest that the community office should help the local people to
make emergency kit.
Based on the above results would like to make proposal to the community office. The results
showed that the community office is the critical linkage between government and local people. And
a well functioned community can help the cause of disaster education as well as the non-disaster
time usage of the tsunami evacuation building.
We propose that the community office should:
1. Do more propaganda regarding to the building information, disaster knowledge,
non-disaster time usage of the building.
2. Propose an organized floor utilization plan and put it into action.
3. Make emergency kit instruction based on the common knowledge, special local needs, and
local products availability.
4. Organize tsunami evacuation drill in the community.
To summarize, this survey was fairly well conducted. And the current conditions of the tsunami
evacuation building were well understood. The local people were more than cooperative in the
survey. Though much work needed for the communities, the willingness of cooperation from the
local people bodes a bright future for the utilization of tsunami evacuation building in this area both
during non-disaster time and disaster time. We truly hope our survey and proposal can help in this
great cause.
- 64 -
C グループ
日時
8/26,8/27
場所
津波避難ビル①・②,モスク付近の市場,扇状地の村
参加者(先方)
1.
津波避難ビル①
村長さん・尐年
2.
津波避難ビル②
Basri Ahmad さん・Diah さん・Hashiah さん(住民)
Ronni Mantaha Asri さん(村長)
3.
モスク付近の市場
Risky Anugrah Souvernir さん(モスク前のお土産屋)
4.
扇状地の村
Nurlaila さん・Ridwan さん・Zulkifli さん・Zainal さん(住
民)
参加者(当方)
学生:D1 小山彰彦・M1 中西隆之介・M1 仲野美穂
Isna・Zaki
教員:藤原・菊地・
(布施)
目的・概要
津波避難ビル(Escape building)がなぜ使用されなかったの
かを把握することを聞き取り調査の目的とする。聞き取り調査
では,全ての人に同じ質問をするのではなく,2004 年と 2012
年の地震発生時の所在やその時どのように行動したのかを尋
ねるのを基本とし,回答に応じて必要な質問をすることに徹し
た。訪問地は津波避難ビル付近にこだわらず,聞き取り調査中
に得た情報とグループ内の意見を基に決定した。
- 65 -
【津波避難ビル①における聞き取り調査】
8/26 の午後,津波避難ビル①にて,その地域の村長さんや避難ビルの掃除の手伝いにき
ていた子供から話を聞くことができた。まず,避難ビルに関して尋ねてみたところ,結婚
式や選挙,子供の遊び場として日常的に利用されていることがわかった。また,このビル
の目的が津波から避難するための建物であることを認識していた。そこで,2012 年の津波
の際に,なぜこの津波避難ビルを利用しなかったのか尋ねてみたところ,次の2つの理由
が得られた。1つは,2004 年の津波のトラウマ,恐怖である。おそらく,津波避難ビルの
安全性の説明不足や海の近くに立地していることなどが影響していると考えられる。もう 1
つは,車で(内陸に)逃げれば家財も守ることができるからである。当時は,MATAIE と
いう村を目指して逃げたそうだ。また,2012 年の時点では利用しなかったが,今後津波が
発生した場合は津波避難ビルを利用したいという意見も得られた。
ビルで出会った尐年からは,小学校では 6 年生から避難訓練があること,津波に関する
知識は両親からではなく,親族の方からビデオを見せてもらって得たことなど聞くことが
できた。また,彼はサッカーが好きらしい。たしかに,サッカーのユニフォームのような
服を着ている子供たちが多く,インドネシアの人気スポーツであることがうかがえた。
- 66 -
【8/27 の聞き取り調査の方針】
8/26 の聞き取り調査の内容を基に,8/27 に実施する聞き取り調査の方針について検討し
ました。そこで,2012 年に津波避難ビルが使用されてなかったという問題に対して次のよ
うな仮説を立てました。

実は津波避難ビル(特に1番最初に視察したもの)は使用されているのではないか。

津波避難ビルの周囲の居住人数,津波発生時のビル付近の人数に対しては適切に使用
されていたのではないか(評価の仕方が間違っているのではないか)
。

内陸にいくほど,津波避難ビルは使用されているのではないか(津波から逃げるため
に内陸に行きたいという心理が働くため)。
以上のような仮説から,C グループでは 2004 年と 2012 年の地震発生時の所在やその時
どのように行動したのかを尋ねるのを基本とし,津波避難ビルの認知度や津波に対する住
民の心理的な部分を探ることにした。
【津波避難ビル②における聞き取り調査】
8/27 は調査を円滑に進めるため,まず地図を調達した。地図を見ながら,場所の把握な
ど情報共有を行い,津波避難ビル②へ向かうことにした。はじめに,近所に住む Basri
Ahmad さんから話を聞くことができた。
彼は 50 年間ずっとこの土地に住んでいるそうだ。
しかし,2004 年の津波発生時は奥さんの父の村(Lampaseh Kota)に居たので,津波の被
害にはあっていないらしい。何度も津波による被災があった地に住んでいてこわくないの
か尋ねたところ,こわいけど勇敢に住んでいる(住まざるをえない)という回答が得られ
た。彼は,津波避難ビルの主目的が避難のためであることをしっかりと認識しており,津
- 67 -
波が発生したら津波避難ビルに逃げるという意見も得られた。さらに,近所に住む Diah さ
ん,Hashiah さんに津波避難ビルに関して尋ねてみたところ,Basri Ahmad さんと同様
の回答が得られた。また,避難訓練の有無についても尋ねてみたが行われていないようで
ある。
聞き取り調査を進めていたら,Basri Ahmad さんの紹介で村長の Ronni Mantaha Asri
さんから話を聞くことができた。この村には,津波後も新しく移住してくる人がおり,現
在の村の規模は全体で 254 世帯(original:100,others:154)
,841 人の村であるそうだ。村
長の役割として,避難訓練を 1 年に 1 度実施しているが,避難訓練とはいっても,政府な
どからの情報を与えるのみで,実際に避難ビルに逃げるなどのシミュレーションは行われ
ていない。その他に,アチェ政府や NGO などの団体により避難訓練は実施されているそう
だ。また,津波発生時は村長としての役割はなく,個人の判断で逃げるらしい。10 歳以上
の子供は津波を経験しているので何をすべきかわかっているし,小学校で津波に関する教
育が行われているので,誘導等は必要ないというのが村長さんの考えである。また,村長
さんから東北の震災について,アチェは震災遺構を多く残しているが,東北は全て無くし
てしまっている。歴史を消すのはよくない,という言葉もいただいた。
津波避難ビル②での聞き取り調査により,ODA 支援の津波避難ビルが避難のための建物
だと認識されていることがわかった。また,津波避難ビル①と同様に結婚式等で日頃から
活用されており,もしも津波が発生したときは利用したいという意見が得られた。
- 68 -
【昼食・礼拝】
昼食はたくさんの人で賑わっている料理店に連れて行ってもらいました。席につくと,
何も注文していないのに料理が運ばれてきたので,尐し驚きました。手をつけた料理の分
だけお金を払うシステムだそうです。手をつけずに途中で下げられた料理は他のテーブル
に回されたのでしょうか。大きなテーブル一面に料理が並んでいたので,とてもリッチな
気分でした。中西の個人的な感想ですが,インドネシア実習も後半に差し掛かっていたの
で,この時は食べ物にも慣れ,言葉にも慣れ,ある程度順応できていたと思います。
昼食後は,全員でイスラム教の礼拝を行いました。手を洗い,足を洗い,顔を洗い,体
を十分に清めてから行う礼拝の動作は非常に不思議な感じがしました。一度に 20 分ほどか
かる礼拝を毎日 5 回しているというのは,私たちからしてみればすごいことだと思いまし
た。また,それだけ強い信仰心を抱いているとも感じました。
- 69 -
【モスク付近の市場における聞き取り調査】
午後からは,津波避難ビル付近の住民の津波避難ビルに対する認知度が高いというデー
タが得られたので,モスク付近の市場で聞き取り調査を実施することにした。そこで,
Masjid Raya Baiturrahman(モスク)近くの Risky Anugrah Souvernir さん(お土産屋)
で津波避難ビルに関して尋ねてみた。ODA 支援の津波避難ビルについては,津波から避難
するためのビルとして認知されていた。しかし,当時もこれからも津波が発生したらモス
クへ逃げるという意見が得られた。モスクが近いから,海の方へわざわざ行きたくないか
ら,という理由もあるかもしれないが,信仰心の強さがモスクを選択する理由の1つじゃ
ないかとも考えられた。津波発生時は,かなりの高いところまで浸水被害あり,多くの被
害が出たがモスク付近では避難訓練はないそうだ。地震が起きる前は,今よりも小さい雑
貨屋だったが,津波後は紛争もなくなり,お店も大きくなったらしい。津波後の平和協定
が旅行客を増加させ,お店にとって良い効果をもたらしていると考えられる。売れる商品
も旅行客向けのものが増えていったそうだ。
- 70 -
【扇状地の村における聞き取り調査】
アチェ市場でもやはり津波避難ビルについては認識されていた。そこで,どこまで津波
避難ビルが認識されているのか気になり,津波避難ビル①での聞き取り調査時に挙がった
MATAIE という村を目指してみることにした。
MATAIE という場所はアチェ市場から車 15
分から 20 分のところにあった。人気がなかったので,もう尐し先へ進み,DESA Umbamg
という場所(扇状地にある村)で聞き取り調査を実施した。ここでは,Nurlaila さん,Ridwan
さん,Zulkifli さん,Zainal さんの 4 人に質問に答えていただいた。結論から述べると,津
波避難ビルの存在については認識していた。津波ミュージアムについては場所やその役割
も把握していたが,ODA の津波避難ビルについては場所や日本の支援があったことなどは
知らなかった。ここは,標高の高い場所であったが,海岸に近い場所だったので被災して
おり,1m くらいの高さまで水が来たそうだ。また,市街地の方から避難してくる人も多く
いたようだ。比較的安全な場所であるが,もしもの時はさらに高いところへ逃げると言っ
ていた。喫茶店だったので,暑い中熱々のコーヒーをいただきました。コーヒーの粉にそ
のままお湯を注いだようなコーヒーで,底に溜まった粉をかき混ぜて粉を噛み締めながら
飲みました(アチェのコーヒーはこうやって飲むらしい)。
- 71 -
【まとめ】
あまり時間のない中で実施した聞き取り調査ではあったが,仮説と似たような結果が得
られた。なぜ ODA 支援の津波避難ビルが津波発生時に使われなかったのかに対する回答と
しては,建物自体に対する不安や海が物理的に近いことによる恐怖などが挙げられた。こ
れらの理由から住民たちは内陸で標高が高いところへ逃げたいと考えるようである。しか
し,津波避難ビル付近の住民は結婚式や選挙などで津波避難ビルを日常的に利用しており,
次に津波が発生したときは利用したいと前向きな意見が得られた。避難訓練については実
施されていない(知らないだけかも?)場所もあったが,地元主催の避難訓練の他に外部
組織により多数の避難訓練が実施されているという回答を得られた。しかし,地元主催の
避難訓練(防災教育)と言っても,レクチャーのみでシミュレーションが行われていない
など,津波避難ビル活用のための防災教育という点においてもまだまだ不十分なようであ
った。私たちがアチェを訪れる前に想定していたよりも津波避難ビルに対する認知度は高
い結果となったが,内陸に住む人は海岸近くの津波避難ビルを利用するよりも山へ逃げる,
もしくはモスクへ逃げると判断するようである。イスラム教の礼拝や実際に移動してみた
- 72 -
経験からも住民の判断は非常に合理的であると考えられる。
今回の ODA 支援の津波避難ビルに関する聞き取り調査では,調査期間も短く十分な人数
に話を聞くことができなかったが,津波避難ビルは日常的に使われており,その目的も地
域に浸透していることがわかった。また,津波避難ビル付近の住民からは非常時には使い
たいと前向きな言葉を聞くことができた。2012 年には,あまり使用されなかったかもしれ
ないが,防災教育の継続や内容に工夫を凝らせば,将来来るかもしれない津波の時に避難
ビルとして利用されるのではないだろうか。
- 73 -
4.専門家レクチャー
藤原 敬大先生(テーマ:インドネシアの森林管理について)
日時
8月27日 夕食時
場所
ホテルのレストラン
参加者(先方)
参加者(当方)
姜 怡辰、小山 彰彦、孫
昊田、中西 隆之介、新川 登志
朗、小林 淳二、仲野 美穂、野口 修司、永田 麻梨子、塚
原 健一、杉本 めぐみ、井手 淳一郎、佐藤 辰郎、菊地 梓、
藤原 敬大、布施 健吾
目的・概要
はじめに世界からみた森林の定義やその機能について、森林と言うと一般的に思いつく
生態系や水源涵養機能だけではなく、信仰や文化、人々の生活に密接しているという新た
な視点を含めた森林における概要が説明された。FAO によると、世界の地表のうち、31%
(40 億 ha)が森林であり、森林は木材資源、水源涵養、生物多様性などの機能の他に信仰
文化の対象であり、エコツーリズムやスポーツといった機能も持っている。また世界で 16
億人が森林に依存した生活を送っており、20 億人が料理などにバイオマス燃料に依存した
生活をしている。森林の定義については各国の政府が法律により定義している。日本では
土地に注目して定義されているが、インドネシアではエコシステムの単位に注目して定義
されている。また場所によってプランテーション区や保護区など様々な役割を与えている
のも特徴である。その後森林劣化について、その定義と統計的な見方についてのレクチャ
ーがあった。世界的にも森林面積は減っている。しかしその森林劣化の定義は、ある単位
面積において、森林が 10%以下になると森林劣化という統計上の定義であり、それまでの
森林消失の率は統計情報に反映されないという課題もある。
(学生の質問より)世界の森林
被覆率はロシアなどの地球上の北の法で増えており、ブラジルやオーストラリアなどの地
球上の南の方で減っている傾向にある。森林劣化はインフラの発達や農業面積の拡大、木
材伐採などの直接的な要因と生態系や政策、文化的などの間接的な要因などが複雑にから
みあって発生している。
インドネシアでは、森林に関する許可が 6 種類ある。そのうち 3 つの許可(コミュニテ
ィ・村・コミュニティプランテーション)において、森林管理に国民が参加できるように
なっている。アチェ州では 1986 年に保全することが決まり、多くが保全林地域となってい
る。プランテーションにより森林被覆率が上がって、定義にも森林となっても生物が戻っ
てきたとは限らず、これは統計上には現れないという意味か?という質問も学生からあが
った。GHG emissions in 2004 によるとインドネシアは森林劣化率が世界で一番高い状況
- 74 -
である。The Concept of Emission Reduction では、森林劣化を減らす努力をすると国際社
会から努力した分に合わせてお金がもらえる仕組みもあるなどの国際的な取組みについて
の概要も説明された。
インドネシアの森林管理の話に移る。アチェ州では前述のとおり、森林保全区域が設け
られ、面積は 75 万 ha にも及ぶ。このように、政府により森林の役割が明確に決められて
いることにより、森林依存の生活をしている市民としばしば問題になることがあるそうで
ある。企業がプランテーションの権利を得たが、立ち退きを拒否した住民に対して家に放
火するなどの紛争が発生している現状がある。インドネシアのプランテーションの開発権
利を持っている企業の中には日本の企業もあり、大学生協でも取り扱いのある紙製品など、
私たちの身近にもある。持続的な森林管理を行うために、原則等をクリアした商品である
ことを証明するマークなどもあり、スターバックスの紙袋の下やお菓子のフランのパッケ
ージの裏などに掲載されている。インドネシアの森林の状況は遠い海の向こうの世界のよ
うであったが、以外にも私たちの身近な生活にも関わっているのだということを実感した。
森林管理は生物多様性を守ることに重点を置いて行うべきか、生活資源を得るために行う
べきなのか、難しい選択であるという言葉で締めてレクチャーを終わりました。
- 75 -
布施 健吾先生(テーマ:マングローブ林のほかインドネシアの徴的な植生について)
日時
8月27日 ヒアリング調査時
場所
参加者(先方)
参加者(当方)
姜 怡辰、小林 淳二、新川 登志朗、佐藤 辰郎、杉本 め
ぐみ、布施 健吾
小山 彰彦、中西 隆之介、仲野 美穂、菊地 梓、藤原 敬
大、布施 健吾
目的・概要

姜
怡辰、小林 淳二、新川 登志朗、佐藤 辰郎、杉本 めぐみ、布施 健吾
マングローブ林とは汽水域に生息する植物の総称で、例えば、ネコ属の○○ねこ、△
△ねこのようなことではなく、ネコ属とイヌ属みたいな感じのものである。
マングローブ林の中の植物は塩分によって好みの生息場所が異なる。淡水の影響が大
きい河口域から海水の影響が大きい沿岸部までマングローブ林の組成が異なってい
る。逆にマングローブ林のデータをたくさん集めることで、マングローブ林の組成か
ら塩分も推測できることもある。
マングローブ林の破壊の原因は以下の 3 点が主である。
1.エビ養殖の過密化や拡張による破壊
2.炭制作のための伐採
3.パルプ制作のための伐採
マングローブ林は本来とても複雑な群集であるため、これらが破壊により消滅してし
まった後に再び復元することはとても難しく、植樹してもすぐ枯れてしまったり、小
さな環境変動でも死んでしまったりということがあり、これらの十分な研究がされて
いないのが現状である。

小山 彰彦、中西 隆之介、仲野 美穂、菊地 梓、藤原 敬大、布施 健吾
布施先生と藤原先生両名による、チーク材についてのレクチャーでした。チーク材は
シソ科で、水に強く腐らないため 1 本 4~50 万円くらいで市場に出回る高級木材とし
て、東南アジアで広く栽培されている。原産地はミャンマー、ラオス、インドであり、
400 年前にインドネシアに持ち込まれ、現在世界シェアの 35%を占めている。チーク
材は出荷までに 5~60 年かかり、植えた後に草刈や枝打ち、間伐や下草刈りなどの管
理がとても大変である。東南アジアでは庭に植えられることも多く、子どもが生まれ
ると、庭に植え、結婚する際に財源にすることもあるそうである。
- 76 -
Figure 2 チーク材の花
Figure 3 チーク材
Figure 4 チーク材全体
- 77 -
5.防災教育
日時
8 月 27 日(水)
場所
アチェ
参加者(先方)
SMA N1 Banda Ache(バンダアチェ市内の高校)の学生
参加者(当方)
研修生全員,シャクアラ大学学生
目的・概要
防災教育を行うため
8 月 27 日の午前中にバンダ・アチェ市内の SMA N1 Banda Ache 高校で 55 人の高校生
に対して防災教育を行った.シャクアラ大学の学生の協力のもと住宅の耐震に関するプレ
ゼンテーションである.このプレゼンテーションは筑波防災科研の協力のもと,インドネ
シア住宅に使われるレンガを日本に輸送して作ったインドネシアの一般的な住宅とそれに
耐震補強した住宅の振動大実験の耐震性を検証する実験である.この実験結果は,阪神淡
路大震災の兵庫南部地震の 100%加振の場合において,一般的住宅は崩壊するが,耐震補強
した住宅は地震の影響を受けなかった.日本では 1995 年の阪神淡路大震災では耐震補強さ
れていない住宅に住んでいた 20 代が比較的多く亡くなった.しかし,2011 年の東日本大
震災ではほぼ全ての住宅が耐震補強されており,多くの 20 代は救われた.このように,住
宅の耐震補強の重要性を認識してもらい,比較的安価な今回の耐震補強手法を広めること
を目的とした.
今回のプレゼンターは新川と小林であり,共に英語での発表は初めてであり事前の準備
に余念が無かった.高校生は地震や津波に関心が高く,プレゼンを非常に熱心に聞いてく
れた.約 10 分のプレゼン発表終了後,質問時間では多くの高校生が質問をした.例えば,
「耐震補強の仕組みはどうなっているのか?なぜその方法で補強されるのか?」といった
質問や「耐震補強にかかる費用はいくらか?」,「耐震補強された住宅は津波に耐えられる
のか?」など非常に多くの質問を受けた.2004 年に巨大な津波を受け甚大な被害を出した
アチェにおける高校生の地震や津波に対する関心の高さが伺えた.高校生の質問に対して
新川と小林が議論をし,より分かりやすい返答ができた.最終的に質問時間は約 1 時間に
及び高校生の熱意が感じられた.この後の高校生との集合写真の時に,「高校生にプレゼン
は良かったか?」という質問を投げかけたのに対して,すべての高校生が「とても良かっ
た」と答えてくれた.九州大学の学生もシャクアラ大学の学生も高校生もみなで楽しく学
習する時間を共有することができ,非常に良い時を過ごせたと思う.
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6.最終日 意見交換会
日時
8 月 28 日(木)18:00~19:00
場所
ホテルオアシス
参加者(先方)
参加者(当方)
全員
目的・概要
ヒアリング調査の結果報告
8 月 28 日(木)において、意見交換会を実施した。各グループが前日に実施した避難ビ
ルに関するヒアリング調査の結果をまとめ、意見交換を行うことが目的である。ヒアリン
グ調査の主題は「なぜ日本の ODA 支援によって建設された津波避難ビルが使用されていな
いのか」である。2004 年のスマトラ島沖地震に伴う津波被害を受け、日本の ODA 支援に
より、2007 年までに市街地付近において数カ所の津波避難ビルが建設された。しかし、2012
年 12 月に発生した地震の際に、いくつかの避難ビルは利用されず、結果として、交通渋滞
やそれに伴う事故などが生じた。これらの背景を踏まえ、本調査は 8 月 26 日(火)の午後
から 27 日(水)の夕方まで実施し、28 日に調査結果をとりまとめた(下の写真を参照)
。
意見交換会では、A グループ、B グル―プ、C グル
ープの順で発表、質疑応答が実施された。各班の発表
時間は 10 分、質疑応答 5 分で、Powerpoint によるプ
レゼンテーションが行われた。
A グループのプレゼンテーションでは調査地、ヒア
リング項目を簡潔に述べた後、得られた結果をグラフ
など統計的な手法を用いての説明を行った。また、A
グループでは本調査の主題だけでなく、避難ビルの改善点や防災教育の参加率など、
「津波
避難ビルを利用してもらうにはどうすればいいか」という新たな主題を取り上げ、考察を
行った。B グループでは「避難ビルの効果的な利用法」
「災害に関する知識」など問題の解
決にむけてヒアリング調査を行い、グラフなど統計手法を用いての発表を行った。C グルー
プではグラフや表を用いず、写真を多用したスライドにて発表した。
C グループにおいても、
2 班と同様に主題である「津波避難ビル未使用問題」だけでなく、「震災前後での生活環境
の変化」にも着目し、とりまとめていた。
各班の結果をまとめると、共通する考察がいくつか見出された。1 つ目は「地域住民は避
難ビルの建設目的を知っている」ということである。今回のヒアリング調査において、性
別、職業、年齢などが異なる様々な人にアンケートをとった結果、多くの人が「ビルが津
波からの避難を目的として建てられた」ことを知っている結果となった。特に B グループ
の場合、アンケートに答えた 40 人中 37 人(92.5%)の住民が避難ビルを認知しているこ
とが明らかとなった。また、2 つ目として、B・C グループで、「津波発生時には避難ビル
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を利用したい」という住民の意見が得られた。A グループに関しては、津波発生時には、ビ
ルを利用するよりも遠方(内陸側)へ避難する、という結果が得られているが、十分に避
難する時間が無い場合は、ビルを利用したい、という意見も得られた。では、ビルの目的
も知り、災害時には利用したい、という意見が得られたにもかかわらず、なぜ、地域住民
は 2012 年の地震発生時に避難ビルを利用しなかったのか。この疑問に関しては、A・C グ
ループが考察した。2 班は「心理的なトラウマ」をとり挙げた。2007 年に避難ビルが建設
されてから 2012 年まではわずか 5 年程度であり、2004 年の震災からは 8 年程度しか経過
していない。当時、津波の被害を受けた人からすれば、災害に対する恐怖はまだ克服でき
ておらず、災害発生時に海の近くに留まることに恐怖を感じる。そのような心理的状態で、
海岸線付近に建設されたビルに避難する、という行動をとることは困難であった、と考察
された。また、別の理由として、C グループにて内陸に避難するメリットが挙げられた。車
等を利用し内陸(山地)に避難すれば命だけでなく、家財も守ることができる点、また内
地には大規模のモスクがあり、多くの人々がそのモスクを目指して避難したことがモスク
付近でのヒアリングから得られた。信仰する宗教から生じる心理的な背景も踏まえて、地
元住民は海岸付近に立地する避難ビルを利用しなかったと考察した。
「なぜ日本の ODA 支援によって建設された津波避難ビルが使用されていないのか」とい
う問題に対しての解答が、意見交換会によって考察された。これにより、主目的は達成さ
れたが、各班、
「どうすれば、現在使われていない避難ビルを地域住民に利用してもらえる
ようになるか」と、問題をさらに発展させたプレゼンテーションを実施した。各班の意見
を集約すると、避難訓練の実施、訓練の内容改変、やビルの設備をより機能的にする、な
ど解決に向けた意見が数多く得られた。また、「高く、頑強なモスクを建設する」という意
見が出された。モスクは他の建物と比べ、頑強に建設される点、また、礼拝によって日々
人々に利用される点から避難の場として効果的であると考察された。
発表時間がとても短く、各班が調査したすべての結果を発表できたとは言い難い。しか
しながら、意見交換会では、柔軟なプレゼンテーションに加え、活発な質疑が行われた。
結果として、避難ビル未使用問題の解決策を考察するまでに至った。前日の調査も踏まえ、
充実し、かつ実りのある意見交換会となった。
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7.表敬訪問
メダン総領事館
日時
2014/8/29
場所
メダン領事館
参加者(先方)
濱田総領事ほか,領事館スタッフ,北スマトラ大学関係者 12
名
参加者(当方)
九州大学のスタッフ 7 名,学生 9 名,
目的・概要
日本への帰国の際の経由地であるメダンで日本総領事館を訪
問し,今回の調査の報告を行い,北スマトラ大学の学生との交
流を行った.その際に,防災教育の際に使用した発表資料とビ
デオを用いて現地の大学生に説明を行った.この交流会を皮切
りに,北スマトラ大学との定期的な交流を継続することも検討
している.
当初の予定は,双方簡単な挨拶を済ませた後に,防災教育の際に使用した発表資料とビ
デオを用いて現地の大学生に説明を行い,その発表内容を元に意見交換会を開催するもの
であった.しかし,メダンの空港から日本総領事館にバスで向かう際に,交通渋滞に巻き
込まれてしまい,本来の予定であれば 1 時間程度で到着するところが,2 時間程度の時間を
要してしまった.メダン市内における交通渋滞を車内から撮影したものを図-1 に示す.帰
路についても込み合うことが想定されたために,当初の予定を変更し滞在時間を大幅に縮
めることになった.そのため,各個人が英語で簡単な自己紹介をした後に,自身と専門が
似通った北スマトラ大学の学生と意見交換を行うという形式になった.
意見交換会は,各班が 5 人程度のグループを作成し,それぞれ異なるテーマについて議
論を行なった.意見交換会の様子を図-2 に示す.私は,北スマトラ大学の学生の前で使用
する予定であった資料とビデオを用いて,新川君,カンさん,および 3 人の北スマトラ大
学の学生と意見交換を行った.北スマトラ大学の学生に家が倒壊するビデオを見せると,
前日の防災教育と同様に驚いた反応を示していた.どのようにすれば,このビデオのよう
な家の倒壊を防ぐことができるのか,どのようにしたら地震による犠牲者をへらすことが
できるのかを 6 人で議論した.
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図-1 交通渋滞の様子
図-2 意見交換会の様子
○メダン総領事館訪問に関する九大広報の記事(佐藤)
平成25年度文部科学省「博士課程教育リーディングプログラム・オールラウンド型」
に採択された「持続可能な社会を拓く決断科学大学院プログラム(以下,決断プログラム)」
は,災害,環境,医療分野を中心とした国際プロジェクトへの参加を核として,専門知識,
学際知識を統合して社会的な問題解決へ導くグローバルリーダーの育成を目指しています。
平成 26 年 8 月 24 日~30 日に災害モジュールの海外実習として,スマトラ島沖地震(2004
年)で壊滅的な津波被害を受けたバンダ・アチェ市を訪れ,現地住民の方へ聞き取り調査を
行いました。また、平成 26 年 8 月 29 日には,決断プログラムにおけるインドネシア津波
災害実習の成果報告をかねて,インドネシア在メダン日本国総領事館を表敬訪問しました。
メダン総領事館ではまず,濱田総領事よりスマトラ島の歴史の紹介を交えてご挨拶頂き
ました。その後,決断プログラムの災害モジュール・サブリーダーの塚原教授より本プロ
グラムの紹介を行うとともに,杉本助教よりアチェ実習の報告がなされました。また,北
スマトラ大学大学院長の Munir 教授や,スマトラ日本フォーラムの Huda 女史等の北スマ
トラ大学の教員や学生に集まって頂き,各自の専門に分かれて,住宅の耐震構造や小水力
発電など幅広い話題について,活発に意見交換が行われました。
今後,インドネシアにおける決断プログラムの国際共同プロジェクトや個別の研究交流
がより一層進むことが期待されます。
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8.実習を終えての感想
永田麻梨子
津波により、アチェは『紛争地』から『被災地』へと変化した。アチェの人々に、津波は
どう受け止められ、支援はどう認識されているのか。津波避難ビル以外にも、町のショッ
ピングビルにも日本国旗が柱に記されており、様々な国が支援している状況がみてとれた。
他の国・企業からの支援もあるらしい。アチェに津波被害前には無かった建物を、海外支
援者たちが自分たちの痕跡を残そうと建てたものとも見得るので、支援者側にもそのよう
なニーズがあるのかもしれないが、津波避難ビルの聞き取り調査からは住民はそれらを快
く受け入れているようだった。しかし交易が盛んな場所の住民は外部から来た人への人当
たりもよいと聞く。今回行われた聞き取り調査も、住民がこちらの求めている内容を予想
して回答した恐れがあると感じた。今後津波被害が風化していく中で、津波被害祈念の外
への主張も中への記憶への効果も期限のあるものだと思う。アチェの住民の津波防災意識
が薄れないような対策を取って欲しい。私たちの聞き取り調査グループでは津波避難ビル
付近の住民の津波の情報の不足と、防災訓練・グッズなどの対策がとられていなかったと
ころが浮き上がってきた。一方地域の役場の方は、住民には防災の認識があり防災対策が
なされていると述べた。考察を出すには情報が不足していたが、聞き取り調査により役場
が住民と政府とのつなぎ役として活躍すべきなのではないかという考察がうまれた。また、
アチェでイスラム教のしきたり・文化に触れ、宗教についても新しく興味が湧いた。イス
ラム教の厳格なアチェの地域は、宗教性があまり強く意識されていない日本や日本人だか
ら障壁は尐ないのではないか。そのため、アチェを国際社会に受け入れ、位置づける上で、
日本は積極的に関わっていく意義があると思われる。先進国が率いて世界を動かしている
中で日本はまだ『敗戦国』である。効果的な海外支援が行われれば無駄な金銭も費やされ
ず、関係も向上するし世界へのアピールにもなる。自分も国外との関係をもっと大事にし
ていきたいと思った。海外に初めて実際に赴いて触れることで、今まで教育されたイメー
ジより差し迫った現実を見る事ができたと思う。
姜怡辰(Kang Ijin)
今回のインドネシア研修では、津波という災害が被害地にどのような影響を与えたかを
実際に見学することができ、様々な専攻の学生と先生から多様な意見を行ける貴重な一週
間であった。
インドネシアに渡航する前に杉本先生のレクチャーや資料を通じて疑問として持ってい
たのが、
「インドネシアの地理的な位置の特徴上、地震による津波という災害が 2004 年に
始めて起きたとは考えにくい。しかし、なんで住民に防災に関する文化や事前知識がなか
ったのだろう。
」であった。この疑問は、バンダ・アチェに到着した初日に訪問したアチェ
の伝統家屋と津波博物館で解決することができた。
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アチェの伝統家屋は木材を利用して作られた家で、地上から1階分は柱で空洞になって
おり、2階から家として建てられていた。このような構造は津波に対抗するのではなく、
水の流れを良くして津波の力を逃すためであったと考えられる。このように1階を空洞と
する家づくりが元々アチェの伝統的な文化が現在までつながらなかった理由として、
「紛争
による文化断絶」が挙げられた。このアチェ地域は資源をめぐる紛争が続いた地域で、こ
の紛争により伝統的な建築文化が後代につなげられず、レンガで家を建てるのが一般的に
なってきたのである。このような津波に関する文化の重要性は津波博物館での説明でも明
らかになった。2004年の地震の震源に最も近かった Simeulue 島の場合、津波に関する
文化が現在までつながっており、災害による被害は7人の死亡に終わった。
インドネシアは現在津波のような自然災害の外にも、森林伐採による森林消失及び森林劣
化、マングローブ林に破壊など様々な問題におかれている。経済開発と自然保護の間で、
どのような決断をするかによって、今後インドネシアがの変化を見守っていきたいと思っ
た。
孫昊田(Sun Haotian)
From August 24th to 30th, the disaster module students join a trip to Aceh, Indonesia. I am
honored to be a part of this trip. The main purpose of this trip was to study the post tsunami
rebuilding condition and tsunami evacuation building condition in Aceh.
To be honest, this is my first time to be a leader for a group ever since I joined Decision Science
Program. I felt the needs to apply the knowledge we learned in this program, and try to be a
qualified group leader.
As of the trip, I was impressed by the greatness of Indonesian people. The religious country showed
a well momentum for rebuilding after the tsunami in 2004. The tour and explanation about the
Tsunami museum was particularly impressive. We experienced the fear of being trapped by the
tsunami by walking through the tsunami allay, which was a narrowly ghostly alley with waterfall on
both sides mimicking the atmosphere of the tsunami. By watching the documentary of the 2004
tsunami, we felt the sorrow and pain the tsunami brought, yet excited for the rebuilding processes!
At the exhibition hall, models were built to reproduce the processes of tsunami. And the
documentaries of the international supports were particularly inspiring. We also had the chance to
hear from the local people who experienced the tsunami. At last, we learn the knowledge about
the formation of earthquake and tsunami on the top floor.
The other activity that had to be mentioned was the survey of the current condition of the tsunami
evacuation building. We went through all kinds of difficulties to get this survey done. Every group
member participated very actively through the preparation and conduction process. I’m proud of
every group member for their incredible individual ability and the team spirits that they displayed
the whole time. The translation from Jibur and Dara (two Indonesian students that assigned to this
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group) were meticulous for both the questions and the survey. Without them, we cannot achieve
anything. Nagata san and Noguchi san showed improving English communication skills throughout
the survey. And the presentation on the second day of the survey was a blast.
The last day we made it to the meeting with the officers from the Medan Consulate General and
students from Medan Indonesia. Interesting topics between the cooperation of Japan and
Indonesia were brought up and discussed heatedly.
In summary, this trip had not only showed me Indonesia, the great country, but also showed me the
way to become a leader. I will treasure the knowledge I learned in this trip and put it to good use in
the future.
野口修司
今回の実習で 2004 年に起きた津波の被害状況や現地の方の考えを伺う機会を得られた.現
地を訪れなければ分からないことが分かり,大変貴重な体験をすることができた.当時の
被災状況などを写真などを目にして,被害の大きさを再確認した.また,現地の調査で特
に印象的だったのは,現地の被災された方々が,防災教育について関心が強かったことで
ある.
中西隆之介
初めての海外で文化や食事,言葉の違いに戸惑うことはありましたが,1週間アチェで過
ごして,アチェの人々の温かさを知ることができました。インドネシア語で挨拶や簡単な
言葉を話すだけでも,非常に好意的に接してくれたのが印象的でした。津波避難ビルのヒ
アリング調査を通して,災害の問題に立ち向かうとき,数値的なデータや定説だけを考慮
するのではなく,土地柄や人の心情にも焦点をあてて総合的な判断をすることが求められ
ると感じました。
仲野美穂
今回のインドネシア実習では、日本の ODA が建てた津波避難ビルが使用されているかど
うかについての調査がメインであった。2004 年に発生したスマトラ島沖地震とそれによる
津波の後に日本政府が支援に入り、インドネシア、特にアチェ州に対して行ったものを見
て回ることから始まった。最初は「使用されていない」と思い込んでいたが、実際に津波
避難ビルへ行ってみるとどの場所でも地域の人がいて、子ども達が遊んでいたり、おじさ
んが寝ていたり、おばさんが掃除していたりという状況であった。これを見て、何をもっ
て使われていないという判断がされているのだろうという疑問が生まれた。また、使用さ
れていないと判断材料となったものは、2012 年に発生した比較的な大きな地震であったが、
この 1 回の地震の際に「津波避難のために使用されなかった」という判断はいかがなもの
かとも思った。そこで、私たちの調査での仮説は津波避難ビルが使われているというもの
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に基づいて行った。津波避難ビルの周りを歩くと玄関に日本の国旗が載っている家もあり、
日本のことはインドネシアの皆さんがご存知だったことがとても嬉しかった。また、ヒア
リングをする中でも東北の津波の話を知っていたり、東北とアチェとの違いを教えてくれ
たりと、とても関心が高いということが意外だった。
インドネシアの学生との交流では、最初は言葉の壁があり、コミュニケーションもうま
く取ることができなかったり、互いに話すことを諦めてしまったりということが多々あっ
た。しかし、3 日間、共に同じ時間を過ごす中で双方がうまく英語をしゃべられない中でも
絵を書いたり、筆談したりと互いにうまく伝わるような工夫をしてコミュニケーションが
徐々にとれるようになってきた。アチェ語やインドネシア語を教えてもらったり、逆に日
本語を教えたりと、とても楽しいひと時であった。アチェでは、海がとても綺麗だったら
しく、インドネシアの子たちも恐ろしい思いをしながらも海をとても好きだと言っていた
ことに驚いた。私もアチェの海を見て帰ることができなかったことだけが心残りであった。
最後に、インドネシア渡航前から気にかけてご心配くださったり、インドネシアでもト
イレ事情を調べてくださったりと様々な面においてマネジメントして下さった杉本先生を
はじめ、佐藤先生、井手先生、藤原先生、布施先生、菊地先生、塚原先生に心から感謝の
気持ちでいっぱいです。また藤原先生、菊地先生は、C グループでの自由きままな行動で多々
ご迷惑をおかけしましたが、とても楽しく実習を終えることができました。この場をかり
て御礼申し上げます。ありがとうございました。
新川登志朗
今回、インドネシアのアチェに海外研修に行きました。アチェは 2004 年のスマトラ島沖
地震の巨大地震、巨大津波を始め巨大地震の多発地域です。そのアチェにおいて。
私は初めて途上国へ行きました。これまで先進国には行ったことがありますが、途上国
は初めてでしたので、病気や犯罪、事故で不安でした。またアチェでは 2004 年以前は紛争
が絶えなかったと聞いていましたので、現地の人は怖い人が多いのかなと不安に思ってい
ました。しかし、現地に行ってみると来る前に思っていたよりもかなり安全でした。イン
ドネシアの人は皆明るく優しく積極的でした。以前のイスラムのイメージでは、女性は消
極的だと思っていたのですが、むしろ男性よりも女性の方が積極的だと感じるくらい本当
にアクティブでした。
2011 年東日本大震災で我が国は巨大津波によって甚大な被害を受けた。これは誰も想定
しえない巨大津波であったように思えるが、2004 年にインドネシア・アチェでは同様に巨
大津波が発生している。すなわち、我々はインドネシア・アチェでの巨大津波の教訓を上
手く生かせなかったということである。そこで今回、アチェの津波被災現場に行き被災後
の復興や防災対策を学習した。また、現地の高校生に対して住宅の耐震補強の重要性を認
識してもらい耐震補強住宅を普及するための防災教育を行った。現地では津波ミュージア
ムを訪れ津波の実態を学習した。津波ミュージアムは津波学習の機能だけでなく津波避難
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ビルの機能も兼ねている。また、街中では津波によって流れてきた船がそのまま保存して
あり、津波の高さを感じることが出来た。東日本でも、こういった津波の恐ろしさを忘れ
ないようにするための保存の必要性を感じた。8/28 にはアチェの高校生に対して NIED が行
った住宅の振動台実験のプレゼンテーションを行った。この実験はインドネシアの典型的
なレンガ造りの住宅とそれに耐震補強した住宅の耐震性をテストした実験である。阪神淡
路大震災の兵庫南部地震の 100%加振において耐震補強の無い住宅は倒壊し人的被害が大き
いのに対して、耐震補強の有る住宅はダメージを受けなかった。この結果より巨大地震で
命を守るためには耐震補強が重要だということをアチェ市内の高校生に対してプレゼンテ
ーションを行った。現地の高校生は地震や津波に対しての関心が物凄く高く、彼らの質問
は 1 時間にも達した。防災に対する意識の高さと向学心の熱意を感じた。今回の研修はイ
ンドネシアという途上国であり、私にとって初めての途上国だった。研修の前は、途上国
に対して治安や犯罪、事故など不安に思っていたが、想像していたよりもはるかに安全で
ありインドネシア人の優しさや温かさに触れることが出来た。途上国に対する思い込みが
無くなった。自身の旅行では、これまで先進国などの安全なところにしか行かなかったが、
今回の研修を通じて他の途上国にも積極的に行きたいと感じた。実際に現地に行ってみな
いと分からないことは山ほどあり、グローバルリーダーを目指す私にとって非常に貴重な
経験をさせてもらった。これからの研究や仕事では積極的に現地に行き実情を把握したい
と感じた。
小林淳二
過去に 1 度しか海外に行ったことのない私にとって,アチェでの研修は初めて体験する
ことが満載でした.まず,長距離の飛行機移動,ヨーロッパ等に行かれたことのある人で
したら短い移動時間であると思いますが,あんなに長い時間飛行機に乗るのは初めてでし
た.アチェにつくと,空港を出てすぐ地元の方?に現地語で話かけられ,謎の果実をいた
だきました.事前学習で生野菜,フルーツはあまり食べないようにと教育されていました
が,恐る恐る食べたこともいい思い出になりました.津波避難ビルに関する聞き取り調査
では,班のメンバーで協力して効率よく,そして質の良いアンケート結果を得ることがで
きました.得た結果を用いてまとめた内容も,我ながらすばらしいものができあがったと
思います.聞き取り調査を手伝ってくれたインドネシアの学生とは,今でも Facebook を通
じて連絡を取り合うような関係を築くことができました.また,地元の高校生に対する防
災教育ですが,想定していたよりも質問が多く戸惑ってしまう面もありました.しかし新
川君,ユリと協力して実りのある防災教育ができたのではないかと思います.防災教育が
終わった後は,私の人生最大のモテ期が到来し,現地の高校生と多くの写真を撮ることが
できました.ハードな日程でしたが,体調が悪くなることもなく,多くの物を得ることが
できた実習でした.段取りを組んでくださった先生方,共に過ごしてくれたメンバーに深
く感謝いたします.
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小山彰彦
インドネシア研修前に 1 つの不安があった。それは「現地の食事が合わなくて痩せるの
ではないか」というものである。結果、インドネシア(アチェ)の料理は食べやすく、毎
食満腹になるまで食事を摂取した。そして研修中に新たな不安が生まれた。それは「この
まま 1 日 3 食満腹になるまで食事をしたら太るのではないか」というものである。私は 1
日 2 食の生活を 3 年近く続けており、普段以上の食事量となる研修によって、今以上に体
重が増加してしまうことを恐れた。結果、帰国後体重を測定したところ、研修前と比べ増
加も減尐も見られなかった。私はその結果に疑問を覚えた。というのも、私が日本で 2 泊 3
日程度の遠征の調査を行い、後に体重を計ると必ず増加しているのである。遠征中は後輩
などに合わせて 3 食の生活に戻すのだが、たった 3 日間食生活を変えるだけで尐なくとも
1kg は増加する。しかしながら、今回のインドネシア研修では体重の増加が見られなかった。
不思議に思い、食事ダイエットに関して調べてみると、
「インディカ米はジャポニカ米より
も太りにくい」という記事を見つけた。確かに、研修中に食べたお米は全てインディカ米
だった気がする。研修中は普段よりも炭水化物による体重増加の要因が小さかったことを
把握した。さらに調べてみると、ダイエットにはカプサイシンの摂取が効果的らしい。カ
プサイシンは適量を摂取すれば代謝量を増加させ、発汗作用を強める働きがあり、サプリ
メントとしても販売されているほど有名なものである。研修中の食事には必ずと言ってい
いほどに香辛料の効いた煮込み料理やスープがあった。この効果によって、日本で生活し
ている時よりもエネルギー消費率が上がっていたのかもしれない。とにかく、私の体重に
増減が見られなかったため、当初抱えていた不安、研修中に生まれた不安は取り除かれた。
普段は気にも留めない「食事」という行動が、いざ海外に出てみると非常に気になった。
食事だけではなく、衣類や住居・インフラや宗教など、今回の研修は自身の生活の「日常」
「非日常」を改めて考える機会となった。また、今度体重が増加したらインディカ米ダイ
エットを試そうと決心した。
井手淳一郎
今回の研修は初めてのものが色々あったように思う。第一に,インフラの整備が行き届
いていない,新興国に滞在するのは今回が初めてであった。出張で海外渡航した経験はそ
れなりにあるつもりだが,そのほとんどが北欧や北米のようなインフラ整備が行き届き,
かつ水道水が安全に飲用できる国だった。今回の研修では水の使用に関してとくに不便を
感じた。アチェのホテルに到着して部屋の蛇口をひねると泥水が出てきたことには驚いた。
また,お風呂場のシャワーからはいっこうにお湯が出なかった。これらについてはフロン
トに連絡してすぐに改善してもらったが,水道水を口に入れようとは思わなかった。歯磨
きはミネラルウォーターで済ませた。
交通のカオスさにも驚かされた。道路に信号が尐なく,バイク,スクーターが縦横無尽
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に走行しており,日本と比べると非常に危うい交通事情であると感じた。自動車はバイク
との接触事故を避けるため,クラクションを絶えず鳴らしてその存在を周囲に知らせてい
たように思う。これが,新興国をイメージする際に思いつく,あのけたたましい騒音へと
つながっていることが今回の研修で理解できた。
インフラ整備の不十分さから住民の生活の不便さを想像した。一方で,町行く人々から
は活気を感じ,今回の研修でインタビュー調査に応じていただいた人々からは多くの笑顔
をいただいたように思う。また,交通のカオスさや町の喧騒からはインドネシアの,溢れ
出るようなエネルギーを感じた。
学生もおそらく,私と同様,インドネシアのエネルギーを感じたのではないかと思う。
とくに,アチェの高校で実施した,学生たちによる防災教育ではこのことを強く感じた。
アチェの高校生のノリは日本の学生のそれよりも軽快であった。自発的に発言し,かつ,
わからないことはわからないと明言する。九大の学生もこのノリに,いい意味で呑まれて
生き生きしているようだった。
私にとって,インタビュー調査も初めてのものであった(といっても学生の調査を後ろ
から見ていただけではあるが)
。今回,ほとんどの学生にとってもインタビュー調査は初め
ての経験であっただろう。私が担当した B チームは地元住民のお宅訪問という,かつてあ
ったテレビ番組の「アポなし取材」のような難関にチャレンジしていた。九大の学生は最
初こそ物怖じしていた様子だったが,シャクアラ大学の学生の手助けもあってスムーズに
調査を進めていたように思う。また,シャクアラ大学の学生に感化されてか,九大の学生
が次第に積極的になっていく様子は見ていて感心させられた。この研修を通じて学生はひ
とつたくましくなったのではないかと思う。私も学生に倣って尐しは成長できただろうか。
まあ別にそうでなくても,皆無事に帰国できたことが私の中では一つの成果のように感じ
られ素直に嬉しかった。
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以下,Facebook の記事から抜粋
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------姜 怡辰 8 月 25 日 23:12
災害モジュールの海外研修二日目の報告をします。
朝の便でアチェ空港に到着し、無事杉本先生と合流しました。
まず最初に、空港の近くにある津波モニュメントを訪問しました。杉本先生からこのよう
に集団で埋蔵するしかなかった背景とかを聞けました。(DNA 鑑定のできなく、イスラム
風習により火葬ができないなど)
次は、津波にたえられたアチェの伝統家屋を見にいきました。この家は木材にも関わらず
2004 年の津波にほぼ影響なしで残っていました。ここでは紛争により伝統文化が断絶され、
このような伝統家屋が尐なったせいで津波による被害が大きかったのではないかという話
を聞いて、私の「2004 年にいきなり津波が起きたわけではないだろうに、なんで建物、生
活とかで津波対策が全くなかったんだろう…」という疑問が尐し解けました。
その次は、海岸から 8 km も流れてきた船を見に行きました。しかし休館日で中には入らせ
てもらえず、周りの商人にアチェ語を尐し習いました。船には入れなかったけど「ハナプ
プ(大丈夫)
」です。
昼ごはんの後(食べることに夢中で写真がありません…おいしい魚料理でした。)、アチェ
市の観光署で博物館の総括担当者の Rahmadhani さんのプレゼン「Roles of Aceh Tsunami
Museum」を聞きました。すごく耳と目を引く印象的なプレゼンでした。
最後に実際に沿岸の津波ビルに行ってみました。登ってみたら、平たい低地が一目で入っ
て、走っても走っても高いところに行けなさそうで、津波ビルをもっと有効に使ってほし
いと思いました。
5 時半ごろホテルにチェックインし、夜ご飯の場所で明日一緒に聞き取り調査に行くインド
ネシアの学生たちと一緒にご飯を取りながら話をしました。
明日は今日臨時休館日で行けなかった津波博物館と本格的な現地調査のスタートです!楽
しみです!
— 場所: Banda Aceh
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------Haotian Sun‎8 月 26 日 22:26 · バンダ・アチェ ·
8/26 report
In the morning, we went to visit the Tsunami museum. We experienced the fear of being
trapped by the tsunami by walking through the tsunami allay, which was a narrowly
ghostly alley with waterfall on both sides mimicking the atmosphere of the tsunami. By
watching the documentary of the 2004 tsunami, we felt the sorrow and pain the
tsunami brought, yet excited for the rebuilding processes! At the exhibition hall, models
were built to reproduce the processes of tsunami. And the documentaries of the
international supports were particularly inspiring. We also had the chance to hear from
the local people who experienced the tsunami. At last, we learn the knowledge about the
formation of earthquake and tsunami.
After the visit to the museum, we went to the site where a boat was brought by the
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tsunami and trapped on the roof of the building. The boat was kept for the memory of
the survivors. Stand underneath the boat made me feel as if the disaster had just
happened yesterday.
In the afternoon we went back to the tsunami evacuation build to have heated
discussion together with Indonesian students about the designing of the survey in the
next day. Many interesting question was brought up regarding to the utilization of the
tsunami evacuation building. I'm looking forward to a smooth and fruitful survey
tomorrow!
------中西 隆之介 8 月 28 日 2:16 ·
【災害モジュール 8/27 レポート】
こんばんは。工学府 M1の中西です。
今日は朝から布施先生とともにスターフルーツやパパイヤなどを観察しながらジャラン
ジャラン(散歩)しました!リスを発見したのですが,うまく撮影できなくて残念。道路
脇の草むらで俺的新種のバッタを発見したので載せておきます!
10 時からは,各グループに分かれて現地の人に津波避難ビルに関するヒアリング調査を
開始しました。私たちのグループは日本の支援によって建てられた避難ビルとアチェの市
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場周辺,扇状地付近の村に行きました。自由気ままに沿岸付近から山に至るまで行動でき
たので,とても充実したヒアリング調査ができました。現地の人たちは,スラマッパギ(お
はよう)やテリマカシー(ありがとう)など簡単な挨拶を交わしただけでも笑顔で歓迎し
てくれました。礼拝や市街,扇状地の散策など,様々な面からアチェの文化を垣間見るこ
とができたと思います。サポートしてくれた藤原先生,菊池先生,布施先生ありがとうご
ざいました!
夕食時には,塚原先生や他のグループとも合流して,藤原先生から Global Tropical Forest
Issues に関する講義をしていただきました。森林消失や森林劣化だけでなく,森林の生物
多様性が失われるのも問題というのが,本講義の主題の1つです。ただ植林すればいい,
土地を住民に貸して林業してもらえばいいという話ではないので,非常に複雑な問題だと
感じました。森林を保全するために,今は土地利用や人口,法律などが適切に組み合わさ
っていない段階であり,これから尐しずつ改善していかなければならないと思いました。
最後に,新川君の素敵な笑顔を皆さんに送ります!!
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------仲野 美穂‎8 月 29 日 1:11 ·
【災害モジュールインドネシア実習 8/28】
こんばんは、工学府 M1 の仲野です。
本日のメインイベントはアチェ第一高等学校の高校生に防災教育を行うことでした。工学
府 M1 の新川くん・小林くんが防災科学技術研究所で行ったインドネシア型住宅の振動台
実験の結果を英語で発表し、現地で一緒に調査を行っているシャクアラ大学の皆さんに詳
しい通訳などをしてもらいながら行いました。インドネシア型住宅のレンガはインドネシ
アから輸入していることなどを伝えると、会場に歓声があがり、大変盛り上がりました。
防災教育の後は高校生たちとたくさん写真を撮りました。特に、小山さんがモテモテでし
た。
その後、シャクアラ大学の先生他一緒に調査をして頂いた皆さん、津波ミュージアムのダ
ニー館長他スタッフの方々をお招きしてのランチをしました。最初は言葉の壁があり、コ
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ミュニケーションもうまく取れませんでしたが、3日間共に同じ時間を過ごす中で双方が
うまく英語をしゃべられない中でも絵を書くなどのうまく伝わるような工夫をしてコミュ
ニケーションが徐々にとれるようになってきて、アチェ語やインドネシア語を教えてもら
ったり、逆に日本語を教えたり・・・と本格的に仲良くなってきた時だったのでお別れは
とても寂しかったです。今後も facebook などで交流を続けていけたらと思います。
午後からは最後に一緒にショッピングをしました。アチェでの生活物品や大学生がどこで
買い物するか、アチェでよく食べられているフルーツなど様々なものを見たり、食べたり
できました。値引き交渉をしてくれたり、一緒に洋服の色を選んだりと、とても楽しいひ
と時を過ごせました。最後に一緒にホテルに帰り、そこで最後のお別れをしました。
その後、3チームそれぞれ津波避難ビルに関する調査の結果をまとめ、発表しました。最
初に津波避難ビルは使われていないと思って調査に臨みましたが、全員、調査を受けて、
意外と津波避難ビルは使用されているし、近くの住民も認知しているのかもしれない。決
して使われていない訳ではないのではないだろうか・・・という考えにまとまっていった
ように思います。
発表までの空き時間に布施先生、菊地先生、中西くんとジャランージャラン(散歩)に行き
ました。ドリアンを求めてさまよいましたが、結局出会えず...マンゴスチンを食べて帰
りました。
いよいよ明日が最終日です。明日に向けて意気込んでいる中西君の笑顔をお送りして、終
わります。
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------永田 麻梨子‎8 月 31 日 0:44 ·
【災害モジュール_インドネシア_8/30(土)】
こんにちは。
災害 M 実習参加者無事全員帰国しましたことを、お伝えします。
疲弊しつつも、皆様朗らかな表情をしていました。
私にとって、今渡航は初海外でした。幾度か冷汗不可避な困難に遭いましたが、海外玄人
の皆様のお陰で 突破し生還できました。
改めて深く恩礼申し上げます。
言わずもがなですが 衛生面の日本との違い、味覚の違い、飛行中の食物供給過多っぷりに
圧倒されました。
また、皆腹下るであろうと杉本先生が仰った時、何としても下すわけにはいかぬと思って
いましたが、現在消化不良で消化器系は只の管でしかない状態です。寝たら治ると思いま
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すが。
アチェの関わった方々の、アチェを愛する気持ちに心が温まりました。
渡航前は自分の予習不足の為か、現地住民にとっての海外支援は 先進国的なお金で解決建
前援助 なのではないかと懸念しましたが、そうでもなさそうなのを直接実感できて面白か
ったです。
海外支援が効果的になされるためには、現地の方々の身に沿うことは必須なのを目の当た
りにし、何にしても相手の立場に沿える関係を築きたいと感じました。
その他、
アチェの犬猫は、毛並みや色柄は日本と違いはないのに、眼光鋭いところも興味深かった
です。
日本を一週間離れ、疲弊しつつも渡航前より生きる活力が湧いています。寝不足のハイテ
ンションを凌駕する、インドネシアの方々はじめ皆様との活動の賜物だなぁと陶酔してい
ます。
写真をあまり撮れず味気ない投稿ご容赦ください。
もしよければ追加投稿していただけると幸いです。
お疲れ様でした。
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------菊地 梓‎8 月 25 日 0:41 ·
人間モジュールの菊地です。
災害モジュールのアチェ研修の活動状況のご報告です。
学生さんは,小林淳二くん,仲野美穂さん,中西隆之介さん,新川登志朗くん,野口修司
くん,Sun Haotia くん,カンイジンさん,小山彰彦くん,永田麻梨子さんの 9 人,教員は
佐藤先生,井出先生,藤原先生,布施先生,菊地で福岡国際空港を発ち,シンガポール経
由で,無事,メダンに到着しました。
日本との時差は 2 時間ですので,時差ボケはありませんが,みんな眠そうです。明日はい
よいよメダンからアチェに移動します。
シンガポールのチャンギ空港では,バタフライガーデンとビールを堪能し(昨日の比良松
先生ご一行のデジャブですね),メダン空港では,換金所でみんなでワイワイお金を数え,
先ほど無事にホテルに到着しました。
初海外の学生さんもおり,一つ一つの感動ポイントが新鮮です。
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------Fuse Kengo 8 月 28 日 0:27 ·
災害モジュールのバンダ・アチェ(インドネシア・スマトラ島の北端)実習に参加中の布
施です。
きょうは三つの班に分かれて行動しました。それぞれの班で特筆すべきネタがありすべて
を紹介する事が難しいのですが、中でも日本にいてはまず経験できないと思われる、イス
ラム教の礼拝シーンをご紹介したいと思います。
我々はもちろんのこと、アチェの皆さんもこの様な経験は初めてだった為始めはどうすべ
きか戸惑っているようでした。
(←藤原先生。この辺りの様子をだいぶ短縮しました。補足
コメントよろしくお願いします。
)
「相互理解」と言ってしまうことは簡単です。そして知識として分かったつもりになるこ
とも簡単でしょう。しかし本当のところは体験を通した上で、お互いの考えを出し合って
尐しづつ深めていくものなのではないでしょうか。
実習も残すところあと二日。学生の皆さんそれぞれが尐しでも充実した時間を過ごせるよ
う応援したいと思います。
(私は見守るのみです。
)
布施 健吾
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------井手 淳一郎 8 月 31 日 15:56 ·
災害モジュールの井手です。
アチェ研修の一環としての「津波避難ビル」をテーマとしたインタビュー調査に引率教員
として同行いたしました。
私は孫君,野口君,永田さん,そしてシャクアラ大学の Jibur 君,Dara さんから構成され
る B チームの調査に同行しましたので,その概要(8/27 の一日)を簡単に報告したいと思
います。
B チームは「津波避難ビルに対する住民の認識について」という調査テーマを設定し,アチ
ェにある 2 つの津波避難ビルの周辺住民へ聞き取り調査を行いました。海岸線に最も近い
(と思われる)津波避難ビルの周辺から調査は開始されました。B チームでは津波避難ビル
周辺住民の住居に直接訪問するという調査形式を選択しました。このため,九大の学生は,
インタビュー調査も初めてということもあり,尐し気後れしている感じでした。しかしな
がら,シャクアラ大学の学生が率先して住民のお宅を訪問してくれたおかげで,調査はス
ムーズに進行しました。幸いなことに,
(私の印象では)アチェは寛容な人が多く,ほとん
どの人がインタビューに応じてくれました。
当初,B チームでは 50 人にインタビューすることを目標としていたため,チームを 2 つに
分けて調査を開始しました。しかしながら,午前中は多くの住民が働きに出かけているら
しく,不在の住居が多くみられました。そこで,いったん合流して体制を立て直すことに
しました。その際,インタビューの内容について再確認を行い,前日に作成した選択形式
の質問に加え,自由形式の質問(その場で思いついたことを質問すること)もインタビュ
ーに含めることにしました。その後数回,チーム全体でインタビューした後,再び 2 手に
わかれて調査することにしました。
午後は別の津波避難ビルへ移動し,再び 2 手にわかれて調査しました。午後(2 時ごろ)は
昼寝をしている住民が多いみたいで,多くの住居が門戸を閉ざし静まり返った様子でした。
調査の後半,もう一つの津波避難ビルへ移動するかどうか B チームで集まって相談しまし
た。その結果,調査の残り時間が限られており,かつ,もう一つの津波避難ビルは周辺に
あまり住居がないということで,そのまま移動せずに調査を続行することにしました。
B チームでは最終的に 40 人へのインタビューを終えたところでホテルに戻り,調査結果を
まとめることにしました。
B チームはリーダーの孫君を中心に,非常にスムーズに調査を実施していると感じました。
また,他の学生も孫君に頼ることなく積極的に意見を出し合い,孫君も皆の意見に耳を傾
け,全員で調査方法を改善したり,調査の方向性を修正したりする様子が伺えました。今
回,インタビュー調査はどの学生も初心者であり,調査時間も限られていたので,まとめ
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のプレゼンテーションがどうなるのか尐し不安でしたが,想像していたよりもしっかりし
た内容で感心させられました。
B チームのみなさん調査おつかれさまでした!
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