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平成23年度教師海外研修プログラム(ブラジル) 研修報告書 学校名 長野県上田市立丸子中央小学校 氏 名 村山 弘子 ■ 印象に残る写真3点 ■ ●「越知学園でチーム全体の出し物「南中ソーラン」をやりラストのポーズを決めたところ」 ちょうど研修行程の折り返しの日でした。各グループに 分かれて模擬授業でふれあって大奮闘した後、名古屋 にいるときからみんなで一生懸命練習してきた南中ソー ランを発表しました。踊っている最中に汗が流れおちて 行くのがわかりました。それでも「がんばるっきゃない。」 と思い必死で踊りきりました。チーム一丸となった踊りは 大きな拍手をもらえとてもうれしかったです。 [ MOR 0482 ] ●「アマゾン川のもとになる川で堅かったハスの花の蕾を水で開いた瞬間」 ホームステイ2日目にアマゾン川のもとになる川のほとり でバーベキューをしました。そこで水着を急きょ借りて泳 ぎました。透き通った水、魚、花・・・そこで堅い蕾も水の 力できれいに開けることを教えてもらい実際にやってみ て開いた時のうれしさいっぱいの表情です。現地の人の 知恵とコミュニケーションを知った日でした。 [ SZK 1032 ] ●「樹齢何百年という原生林の樹木」 原生林の中を歩くと、いたるところに樹齢何百年という大木 がそびえていました。アマゾンの雄大さ不思議さ無限に広 がる可能性を強く感じました。 [ SZK 1043 ] -1- 1. 現地研修に対する各自の目的 とその達成度 自分は今回「ブラジルの帰国子女の様子を知ると共にブラジルの学校と日本の学校との違いを知りたい。また、ブ ラジルと日本の生活の違いや似ているところを知りたい。」という目的がメインの参加でした。さらには、現在のブラジ ルの様子・自然・日系社会の様子も知りたいと考えていました。実際にブラジルに行ってみて様々なことを見、知る機 会を得たことによって、まさに「百聞は一見に如かず」で日本とブラジルの違い、あるいは共通点を肌で感じることが できました。自分と同じ市から帰国した子どもたちとも会って話ができました。参加して本当にいい勉強になったと思 っています。 これから、自分はブラジルから来た子供たちに対してより、その子の立場に立って物事を考えていけると実感して います。そして、その子に会った学習環境や声掛けが出来るように思います。有意義な研修でした。 2. 訪問国から学んだこと (気づいたこと、わかったこと、大切に思ったことなど) 一番はコミュニケーション力を学ばせてもらいました。明るい笑顔はブラジルの魅力です。スキンシップも大切だと 学びました。学校現場でも2学期からどんどん自分からそういう種をまいて行きたいと感じました。 また、バイタリティーのすごさ、生きる強さもビンビン伝わってきました。日系社会の人々は特に日系1世の方々中心 に強いコミュニケーション社会の中、すごいバイタリティーで生き抜いてきている。それは、本当に想像しがたいくら いの苦労の上に生き抜いてきたからこそだということは、訪問先の様々なお話の中からすごく伝わってきました。 人として生まれ、人として関わり、人として自分らしく生き抜いていくことの大切さを広大なブラジルの大地の中で、 明るく生きぬいているブラジルの人々から学ばせてもらいました。 3. 現地研修の経験を生かす授業実践の意欲やねらい まずは、自分のクラスの子どもたち小学校3年生に分かりやすくブラジルの魅力を伝えていきたいです。その中で 自分が感じたり体験したブラジルの良さ・日本と似ているところ・違うところを知ってもらいたいです。 主な展開の流れ さあ 出かけよう ブラジルまでの旅・現代と移民のころ⇒到着、ブラジルの花・生きもの⇒ ブラジルの人々(子ども)の生活、日本との違い 日本と同じ所 遊びについても知ろう⇒ 日本との関係⇒食べ物を知ろう ピラニア・楽器・匂いのする草・バナナのお菓子・こしょう・お菓子 まとめ ブラジルごっこで体験しよう ハグ、簡単なポルトガル語でのあいさつ、笑顔・・・ブラジルの良さを表現 こんな流れで子どもたちの中に伝えていきたいです。 4. JICAの国際協力事業 の 「良い!と思ったところ」 と 「今後あるといいなと思う視点」 ・「良い!と思ったところ」 チエテ川の事業・CANTA・アグロフォレストリー・という環境問題の大きな中心と言う事業に積極的に、いやむしろ 先見の目を持って早めに推進していっているところがすごいと思いました。また、アマゾンペーパープロジェクトも着 眼点がすばらしいと思いました。イニャンガピーの農漁村や魚の養殖事業も根底に人々の生活の向上をしっかりね -2- らった事業なの有だと効性を感じ取れました。また、正しく幅広い層の教育もこの国には必要です。これについてもJI CAはしっかりホローしていることを知り感心しました。 ・「今後あるといいなと思う視点」 細かいシステムが分からないのであんまり具体的には言えないですが、アマゾンペーパープロジェクトには第2段 の支援があると波にのれるかな・・・と感じました。例えばマーケットの提携みたいなものです。また、アグロフォレスト リーもパームやしのプランテーションに食われないためになにかしら優遇するシステムとか日本に紹介して、そこで やっている事業の大切さと商品の契約に一役買ってやるっていうのもいいかなって・・・思いました。原生林保護を自 分の農場の一部を使ってやっている方のためには是非何かしら協力の手を差し伸べてほしいです。 5. ここまでの研修自体 (国内・海外) に対して 「良かったこと」 と 「今後あるといいなと思う視点」 「良かったこと」 たくさんの出会いによって刺激を受けました。 体験型学習を経験したり実践したりすることによって日々の授業に速攻で生かすことが出来ました。ブラジルの事の みでなく様々な視点で地球環境等の話を聞けて大変参考になりました。 発表すること・まとめること・聴くこと・読み取ること・・・様々な自己訓練になっています。 NIEDの方のまとめかた、のせかた、進め方・・・なるほど、と思うことが多々あり教師として参考になっています。私も ああやって人を引き付けられるようになりたいと、いつも思って学ばせてもらっています。 6.訪問先ごとの 「感じたこと」 や 「学んだこと」 ●7/30:JICAブラジルからのブリーフィング ブラジルにおけるJICA4つの使命を知りあらためて、様々なプロジェクトをJICAがサポートしたり立ちあげているこ とがわかり、ブラジルにおけるJICAの存在感が伝わってきました。日系社会の努力と貢献、その支えとしてJICAがき ちんとすわっているシステムがすごい有効だと思いました。例えば日系研修員を日本の各地へ受け入れていること や、ブラジルのトップ大学サンパウロ大学の教授の2割が日系人であること・・人口比で1割に日系人がならないのに、 この数字はまさに、日系社会の人々の努力とJICAの支えが一体となった形であると思いました。 ●7/30:サンパウロ教育事情(講義) サンパウロ州教育理事日野さんのお話が心に残りました。日本の戦後生まれで、小学校5年生でこちらへ来て小学 校1年生からやったという経験からは言葉がわからず苦労した様子が伝わってきました。そして彼らが日本人の事ば かりでなくブラジルの人々のために大学を増やしたりして、子どもたちの教育環境を整えることをがんばっていること に、感動しました。また、日本文化を伝え残そうとすることもしっかり伝わってきました。お互いの事を思いやりあい、 自分たちの歴史を大切にするという今の日本には逆にないものを教えられた気がしました。 ●7/30:現職教員・ボランティア&JICA沖縄メンバーとの交流 現職教員のみなさんはそれぞれが、輝いて見えました。現職において自分の夢の実現のために現場を一度離れ ボランティアとして参加するということは大きな決心と決断力が必要だったと思います。それを乗り越えて今、ブラジル -3- の地で活躍している志の強さを見習いたいと思いました。こういう先生方が実際にいて頑張っていることを知れただ けでも大きかったです。なんだかこちらまで、うれしくなりました。うらやましかったです。 沖縄のみなさんとの交流は楽しかったです。私たちよりも2日ほど早く現地入りしていることや、沖縄の明るい文化 がありとても伸びやかで頼もしく見えました。 出会いは宝、刺激されるいい出会いでした。 ●7/31:日伯援護協会/PIPA青空学級(講義) 「26万の移民、180万と言われる日系人、そして日本へ30万出て行っている人々のために何かしたい。」という会 です。と最初に話してくださった表情がとても気品と自信にあふれていました。人間として後世に残そうとする大切な 姿だなあと思いました。 PIPA青空学級の話も心に残りました。現在は1万3000人~1万5000人の会員がいるそうです。自閉症は9~10 万人いる中、1998年のスタートにこぎつけた熱い思い、そしてその姿から日本人の一生懸命さがブラジル人に伝わ り信用を得ていったと聞いて、一つの熱い思いの中、信念を貫いていくことの大切さ、大きさを学ばされました。世代 を超えてこういう思いが残っていくんだと思います。 日伯援護協会も、PIPA青空学級も、そこに対する思いがそれぞれの経営を成長させているんだと感じました。デイ ケアーセンターがあり、ボケ防止の活動が行われている日本顔負けの機能が備わっている病院、薬は飲ませないで 一生懸命家族や、子どもたちの思いを大切に考え運営しているPIPA青空学級、そして「今後の課題は教育に携わる 人たちの育成であり、自分たちは10年後にはいなくなるので、その間にブラジル全体に向けて広げていきたい。」と はっきり自分たちの道を見据えている方々の志が本当に一本の柱のようにきちっとしていて、日本人は「勤勉・努力・ 正直」と語る姿そのものであると思いました。 ●7/31:日本移民史料館/リベルダージ地区 すざましい苦労と努力の歴史を見せていただきました。移民の記念モニュメントの後ろに回った時そこに移民の記 念の文字が直接書き込まれていてドキッとしました。力強い字でした。日系の方々も初めて知ってびっくりしていまし た。サンパウロの日本人街にこの資料館がある重みを感じました。船で何日も何日もかかって日本からやってきて何 もないところから今日の地位を築いてきた日系移民の人々。特に1世のみなさんの乗り越えてきた様々なことは想像 を絶すると感じました。病気・暑さ・開拓・猛獣・・・今 現在でも大変な様々なことを乗り越えてきた方々を心から尊敬し、 同じ日本人として誇りに思います。 ●7/31:チエテ川流域環境改善事業 まず、びっくり・・・あぜん・・・これがあのブラジルか・・と・・・今回の研修で一番ショックな出来事でした。これを、こ の現状を様々な人々に伝えていきたいです。メタンガスがわきあがり、悪臭漂う川、ゴミの川、魚はいず、大きなカピ バラがごみをあさっていました。10年前は泳いだりしていたという写真がありました。生活排水が原因だそうです。こ こが今JICAの援助を受けて環境改善事業を行われている話を聞き、心に少し明かりがともった気持ちでした。かつ ての日本がそうだったように、きっといつか・・・この川が以前の魚が住める川になる日が来ることを信じてブラジルを 見守り、応援していきたいです。 -4- ●8/1:地域警察プロジェクト(交番) 地域密着型の交番にとっても親近感を覚えました。中でも出産を手伝うということにはびっくりしました。そして、その ために警察学校ではしっかり出産についての勉強もするというようにシステム化していることもすばらしいです。まさ に市民のための警察・交番です。5つのプロジェクトにも「なるほど。」と感心しました。園芸・環境教育・高齢者支援・ 犯罪の服役者に対するホロー・治安 これを聞いてさらに地域に密着していることを実感しました。私たちの質問にも 優しい笑顔で警察官としてのプライドを持って気持ちよく答えてくださる姿が心に残りました。 ●8/1:サンパウロ公立学校・デカセギ帰国児 校長先生のライールさんは校長先生としての貫録と包容力を兼ね備えた女性の校長先生でした。フランス語・イタリ ア語・そして今年から日本語を希望でやっていると聞いてびっくりしました。 そして何よりもびっくりしたのは自分の勤務校と同じ長野県上田市からの帰国児の3人兄弟がいて出会えたこと。遠 いブラジルで出会えるなんてすごいと感動しました。えみさん、けいじ君、りゅうじ君の3人は日本とブラジルの学校 の違いを語ってくれました。 「ブラジルにはルールがない。廊下を走る。喧嘩を平気でする。ゴミを下に捨てる・・・日本に帰りたい。日本がい い。」と言っていた彼ら。日本でもそういうルールを平気で破る傾向が出てきている。日本の子どもたちに聞かせてや りたいと感じた。両国のギャップのひずみに埋もれてしまいそうな子どもたちがいることも感じた。日本で過ごした子 は日本の生活が好きでいごこちがいいと感じ、逆にブラジルから日本へ来た子は、ある意味制約されている日本の 学校をいごこちが悪いと感じている。自分たちはそんな子どもたちを少しでも助けたり楽にしたりしてやりたい。その ために例えば ① 日本を出るとわかった子にはポルトガル語を少しでも身近にしてやる。 ② 日本へ来た子にも、日本語とポルトガル語のケアー 言葉や習慣の違いを丁寧に伝えてやる。 というような一歩が地道にできればな~と思いました。 ●7/30-8/1:サンパウロ州での移動途中(サンパウロ市内) 壁の落書きの多さやダイナミックさにはびっくりするとともに、国民性も感じました。きっと細かいことは気にせず寛容 なんだろうと・・・。後、自動車の多さは意外でした。ラッシュはもちろんのこと結構常時自動車がのべつまくなく走って います。また、市街地はアップダウンが多く道が計画的に整備されないことも、急激に発展した市の様子をよく表して いました。立派なきれいな教会のすぐ横が市内で一番危険な地域で自分たちは近寄ってはいけないくらいのところ である現実にもびっくりしました。市内のあちこちにブラジルの今抱えている問題が見え隠していると感じました。 ●8/2:アマゾンペーパープロジェクト 貧困と環境の問題の改善点としてJICAの支援を受け立ちあがったプロジェクト。中で働いていたエジソンさんの表 情や語ってくれた言葉がこころに焼きつきました。彼は日本に技術取得のために行ったこともあるそうです。エジソン さんは「このプロジェクトに参加する前はただ、うろうろしているだけの日々だったけど今は生きる意味を見つけた。こ の仕事に誇りを持っている。」と自信いっぱいに語ってくれた姿はすてきでした。目が輝いていました。また、今はうま -5- くこの工場が回転していない現状も見て自然環境に目を向けることは大切だけれど、そこに壁があったりしてうまくい かないこともあることを学びました。でも、いつかこのプロジェクトをきっかけにして工場が活性化してエジソンさんた ちが豊かになっていくことを願っています。 ●8/3:イニャンガピの教育施設 及川さんの熱い語りや生き方がすごく心に響きました。イニャンガピは本当にいいところだと思いました。 整った教育施設は及川さんや郡長さんの熱い思いあってのことだと思いました。サンパウロやベレンにはないあった かさ、良さ、整った教育環境だと感じました。及川さんは日本へ何度か足を運んで研究したりしつつ日系でありながら ブラジルの教育環境向上のために農漁村で一生懸命がんばっていてすごいです。「奥さんにはいつもおこられてい るんだよ。」と笑う表情はほんとはすごく誇らしげでした。「自分たちに自信を持たせて自分たちでさせること。」と私た ちも感じている教育の基本を繰り返し語っている及川さん。様々な日系人がいる中で彼の様にイニャンガピの村にし っかり定住して10年以上もの長いスパンで自己利益でなく住民のためにがんばって人生をそこにかけている姿を見 て感動しました。 ・水族館を作りたい。 ・義務教育をしっかりさせたい。 ・若者たちの就職の確保 自分より年上の及川さんの夢は続きます。ひとつひとつが確実にかなって行くことを祈るとともに、今自分に出来るこ とはなんだろう、これからの自分の夢はなんだろう。と自問を繰り返しました。 ●8/3:環境調和型養殖・環境教育活動 ここでも及川さんの役割は大きかった。「仕事を見せて伝えていく。」「スポンサーしてください。っていうより見せる のが一番。」「ここで納得して初めてスポンサーになってくれる。」というお話や、「一人の人間として人間への投資」と 言う言葉が心に残りました。 環境調和型養殖は自然の真っただ中で養殖という概念自体を伝えて行くことが大変だっただろうに粘り強く一生懸 命やってきた成果が出てきていて私の方までうれしくなってしまいました。親子3人の笑顔がすてきでしたし、及川さ んとの信頼関係もすごくしっかりしていることが伝わってきました。 ●8/4:ベレンの Ver o Peso 市場 結構大きい市場で生の市民の様子が伝わってきました。ユニフォームを売る人々、山もりに地面においてある椰子 の実、色とりどりの野菜、くだもの、おまじないの意味のある匂いのする小瓶の数々、そして自分がなんたってまいっ てしまったのが魚の種類の多さ、魚の大きさ、リアルさです。アマゾンの豊かさを象徴しているようでした。エビもどっ さり、かにもいました。お土産のコーナーには、いいにおいのする草があり、それを一生懸命商品になるように編ん だりしている方がいたり、音のなる楽器が売っていたり、ピラニアの燻製があったりしました。庶民の活気あふれる市 場でした。 ●8/4:汎アマゾニア協会 象徴として入口に設置してある赤い鳥居は印象的でした。みなさんの熱い思いが凝縮されているようでした。 そして、今抱えている問題は「世代交代の日系組織の存続」「同化現象⇒結婚・文化・習慣面」「日本語教育」「2世 -6- 層の定着問題・就職」という具体的な話を聞いてこういう日系社会の問題があることをあらためて感じました。そんな中 で堤 剛太さん63歳とすどうさん78歳の仲の良さはすてきでした。お互いの事を軽いジョークで明るくからかいなが ら話を進めて行く姿からは深い信頼関係でつながっている友情を感じました。 すどうさんは、21歳でブラジルへ来たそうです。そこまでの経歴もすごかったです。東京で生まれ7歳から14歳ま で上海。終戦の1年前に日本へもどり会津喜多方へ。そこで終戦を迎え東京へ。1954年(昭和29年)に「どうせなら 日本人がいないところへ行く。」と言って日本を出発。日本から16日でブラジルへ。そしてまた17日かけてアマゾン をのぼって行った・・・なんてすごいバイタリティーだろうと感心しました。 そして日本人を見るのが初めての人々と何もないところからのスタート。3年で帰ろうと思ったけれど一つ一つ始め て行くうちに3年という気持ちは消えて落ち着く覚悟ができていった・・・とさりげなく語ってはいましたがその裏には血 のにじむような苦労の山だったことは間違いありません。だからこそ、その後「57年たって今は農場も大きくなって家 族は立派に生活している。ここへ来たことは後悔していない。」という力強い言葉につながっているんだと思いました。 ほかにも沢山の苦労話を聞きましたが、話をしているつつみさんの表情がなんともいえない自信と気品にあふれて いたことが一番感動的でした。つつみさんとすどうさんがこれからもいつまでもブラジルの地で夢を追いかけて輝い ていかれることを願っています。 ●8/4:越知日伯学園 環境を大切にしてモンテソーリ教育(一人一人をよく見て自立を大切にする教育)を推進しているという話を聞いて 大変興味を持って参加することが出来ました。校長先生の人柄や、エネルギーは同じ教育に携わる女性として大き な刺激を受けました。また、バイリンガル教育やトライリンガル教育も興味深かったです。校長先生が繰り返しはなし てくれた女性を助けるということや世の中のためになるということには共感しました。ブラジルにおいてもその教育方 針に共感する人が増え今では入学者がかなり伸びているという現状もうなずけました。また、校長先生の教育の裏に はいつも日本のしつけの精神が生きているきがしました。「努力すれば神様が必ず手伝ってくれます。」という言葉を 大切にしていきたいと思いました。 三年生の教室で模擬授業を交流しながらやらせてもらえたことはいい勉強になりました。全体の前でチーム一丸と なって踊った南中ソーランは思い出深いです。上を向いて歩こうも心を一つにして歌えました。 ●8/5:トメアスー総合農業共同組合(CAMTA)&熱帯果樹加工工場 坂口さんが一生懸命語ってくれた姿が心に残りました。ちょっと前は船しかなく(2002年に舗装)道もちゃんとなか ったときでびっくりしました。さまざまな苦労があってその上に現在の工場やCAMTAの組織ができたことが分かりま した。 滴り落ちる汗が出る暑い中で山ほどの胡椒を見せてもらいました。農家から胡椒が運び込まれ干されたりして山積 みにされていく所を見せてもらい、いい勉強になりました。これから自分は胡椒を見た時この工場の様子を思い出し、 今までよりも大切にする気がしました。他にも、カカオやパーム油が出来て行く様子も見せてもらえました。ブラジル の地でみんなが力を合わせて農業協同組合を作った団結力に感動しました。 ●8/6:トメアスー文化協会(ACTA) -7- 入植82年のすずきさんのお話を聞きました。胡椒の黄金時代を経験し、また、逆の時代を経験した中だからこそ できた組合。現在180人の会員がいるそうです。みんなで盆踊りをしたりして地域の人たちと交わっているという動き は大切なことだと感じました。三世の世代になると言葉の問題がなくなってきたと喜んでいる顔がよかったです。まじ めで頑張りやといわれている日本人の良さを生かし、こそこそしているという日本人の欠点を補おうとしている工夫が いいと思いました。 現在はオイルパーム(ヤシ)をどんどん植えているという中でトメアスの人口もどんどん増え、土地も三倍の値段に なっていると聞きました。トメアスがいい方向を探りこれから発展していくことを祈ります。そのためにはACTAの人の 力が大きいと思います。がんばってください。 ●8/6:アグロフォレストリー 小長野道則さんが自分のやっているアグロフォレストリーを誇らしげに語る姿が心に焼きつきました。現在40人~ 60人の人が働いているそうです。一年中いろいろなものが採れるようになっているそうです。5~8月がカカオ、6~ 12月胡椒、9~4月アサイとなっています。実際にアグロフォレストリーを生で見れてよかったです。土地を大切にす るアグロフォレストリーをみてほっとしました。しかし、アグロフォレストリーの抱えている問題も知りました。小長野さん は「どうして土地の悪い場所に日系人ががんばっているのか。それは日本人の血は土地を大切にする血だからで す。」と熱く語ってくれました。「さらに、ここからは出ません。」と強く語ってくれました。小長野さんのすばらしい点は さらに「けっして自分は自分だけ儲けようとは思っていません。10%は盗まれてもいいと思っています。大きな気持 ちでやっています。借金もあります。」と明るい表情で信念を持って語り、実行していることです。スイカを運んできて くれた奥さんもとても爽やかでした。これからこの地に、小長野さんのような人が増え、土地を守っていってくれること を期待します。 将来の小長野さんの夢は大きな土地でモデル農業の基礎を作って育てた職員に任せて、自分は世界旅行に行き たいと言っていました。その夢がかなうことを願っています。素敵な夢だなぁと思いました。 ●8/7-8:ホームステイ ブラジルの日系の一般的な農家の家庭に入れてよかったです。80歳のおばあちゃん(昭和7年生まれ)が日系一 世として元気に暮らしていました。おばあちゃんの手は太かったけどあったかかったです。おばあちゃんの手を握り ながら旅の疲れを癒して眠ってしまった自分でした。出会った人々は宝だなぁと思いました。お父さんやお母さん、 息子さん夫婦、お孫さん・・・・・・・・・・・・おばあちゃんは日本のおばあちゃんそのものでした。でもとても元気で、朝5 時に起きて広い農地に水やりをし、俳句を楽しんでいる姿は生き生きとしていました。また、たくましくもありました。今 の日本のお年寄りにない生き生きとした姿でした。 2日目は川に遊びに行きました。アマゾンの元となる川で気持ち良く泳げました。透き通っていて、ハスの花が咲き 小魚もいました。ハスの花の蕾を水で開いてあげることも教わりました。仲良しの日系のご家族も集まって来てみんな でこうやって泳いだり、おしゃべりをしたり、バーベキューをしたり、しているそうです。あったかい人間関係を築いて いることが伝わってきました。希薄な人間関係の日本にはない姿だなと思いました。こういうコミュニケーションがある からこそ移民してからの苦しい日々を乗り越えられたんだろうなと思いました。大切なことを学ばされました。 -8- ●8/2-8:パラ州での移動途中(ベレン-イニャンガピ、ベレン-トメアスー) 移動途中は様々な面でブラジルを感じられることがありました。 タクシーの運転手さんの優しさ、心使いはブラジル人の自然な温かさが出ていて研修の厳しい日程の中で心のオ アシスのようでした。太田さん・アベジアスさん・クレイトンさんのことは今でも鮮明に覚えています。3人には本当に お世話になりました。別れるときは悲しかったです。また是非会いたい人々です。この3人のおかげで少しだけポル トガル語も身に着きました。タクシーの中は大切です。 ベレンからの移動途中で昼食をとったレストランの横の小学校に突撃訪問ができました。ホールのようなところで授 業をしているところでみんなで「上を向いて歩こう」を歌えたりしたことが結構いい思い出です。突然のお願いなのに 明るく受け止めてくれたブラジルの包容力にも感動しました。 果てしなく広がる牧場にはびっくりしました。・・・一つの自然破壊の原因だと思います。 暑さなんてなんのその、バイクや自転車で元気いっぱい行きかう人々の活力はすごいです。 広い大地をまっすぐ何時間も走る。これ自体ブラジルの広さあってのことだと思いました。 ガソリンスタンドではよく売っていたヤシの実のジュースがおいしかったです。 ●8/8:アマゾン違法伐採監視プロジェクト 違法伐採とともに多いのは森林火災だと聞きました。多くの人々の労力と科学の力でアマゾンの森を守ろうとして いることがわかりました。しかし現実はそんなに甘くなく、お金がほしい人々の生活や教育を変えて行くことも必要に なっていることも感じました。そのために、伐採した人々を育てるように指導していたり、その人たちに植樹を教えたり しているそうです。その成果と地球の命の源であるアマゾンの大自然を地球全体の財産として地球全体で投資してこ のように守りぬいていきたいと思いました。 JICAのサポートがとても大切であることを、また強く感じました。 ●8/9:JICAブラジル事務所報告会&懇親会 JICAのブラジル教育次長吉田さんのメッセージは心に残りました。ブラジルの豆畑は日本の消費分を補うためで あることを再認識して心が痛かった。日本の豆腐やみその大豆、オレンジジュースはほとんどブラジル産、「それがな ければ3つともすごい高級品になっているんです。みなさんは今回のつながりを大切にしていってほしい。10年後2 0年後が大切。どうブラジルと関わっているかです。」と言われました。 今回の研修で出会った人々が一人一人思い浮かんできました。心あったかく、他者に優しいブラジル。一方日本は 年間3万人以上の自殺者がでている現状。教育も受け、仕事もあるのに・・・ブラジルでは教育もなく仕事もなくても生 きている・・・本当の教育ってなんだろう・・こんな話が教育者である自分にとっては一番響きました。 また、沖縄チームのみなさんも中部チームの皆さんもとっても中身ある研修の報告をしていました。みなさんの意識 高い発表にふれ、かなり刺激を受けました。 ●8/10:ブラジリア公立高等学校 日本に比べ開放的な雰囲気のある高校でした。(その雰囲気をもっともっと味わいたかったのですが、残念ながら 私はこの辺からお腹が絶不調でずっと暗い雰囲気のままとりあえずそこにいるっていう感じで・・・すきあらばトイレへ -9- 駆け込んでいました・・・悲し~)この高校で一番感じたのは先生方と生徒の関係がとってもうまくいっていること。近い 感じでとってもお互いフレンドリーであることでした。一つの教室では生徒へのインタビューも積極的にさせてくれま した。生徒たちも明るくて日本の同年代の生徒たちよりしっかりしていて大人びて見えました。服装は決して派手では なくジーパンにTシャツっていう感じが多かった気がしました。生徒たちはポルトガル語の他に英語を話せる子が多 かったです。日本のアニメが好きだといってアニメを書きためたノートを見せてくれたのにはちょっとびっくりしまし た。 ●8/10:Asa Sul 病院 (引き続き体調不良)説明してくださった帰国研修員の看護師さんがすごくエネルギッシュでポジティブな考え方を していることが印象的でした。これも14年間自分なりの思いでがんばってきた自信だと思いました。ある意味自分の 今のありかたを振り返りつつ彼女が説明したり逆に こちらに質問をぐいぐいしてくる様子を見ていました。病院はコ ンパクトな感じの病院なのに様々な配慮がされていてすごいなあと思いました。産婦人科へ行って生まれたばかりの 赤ちゃんや若いお父さん、お母さんに出会ったりしたけれど、とっても幸せそうでした。 ●8/10:ブラジリア市内見学 聖堂はきれいでした。夕日・・・月・・・飛行機雲・・・夕焼け・・・全ての思い出やこの研修行程や、がんばりを包んでく れるようなきれいさでした。中も神聖な美しさに包まれていました。思わず膝をついて祈りを捧げました。ここでの結 婚式は3年後までもう予約いっぱいだそうです。世界平和、地球平和・・。 国連の建物もこの地にふさわしく薄暗くなりかけた景色の中建っていました。自分の存在は小さいけれど、でも自 分なりに自分の道を生きていきたいなあとこの風景の中思いました。ブラジリアは計画的に作られた整備された街で した。 ●その他印象に残ったエピソード(原生林に入れたこと) ホームスティ先で2日目アマゾン川のもとになる川で水遊びしていた所へそこの場所の持ち主である日系のご夫 婦がいらっしゃいました。話をしているうちに「この辺でもそこにしかない原生林があるからつれていってやりましょう か。」と言ってくださいました。ここまでは完ぺきに虫対策をしてきたのですがホームステイ先で水着の短パンまで借 りて泳いでいた自分だったので何も着るものがなく、さすがの地元のみなさんにも「原生林を甘くみちゃいけないか らそのかっこうではやめたほうがいい。」と言われ出発して行きました。半ばあきらめかけた時私の行きたそうな様子 を目にしてホームステイ先のお母さんが自分の長い水泳スパッツを脱いで貸してくださいました。そのおかげで原生 林に行けることになりました。するとホームステイ先の息子さん(20代くらい)が「おれが、追いつけるように案内して やるよ。」とつれて行ってくれました。たくさんの人の温かい心に導かれたように私はアマゾンの原生林に入って行き ました。ほぼ1時間・・・いやもう少し長いくらいでしょうか。それでも原生林を歩いたあの時間は長い自分の人生の中 の宝となる大切な時間でした。アマゾン川の始まっていく過程も見ました。細胞の隅々まで原生林のパワーが浸みわ たって行きました。なんともいえないすばらしい経験でした。私を行けるように手助けしてくださった人の温かさがあ ってのことだということも忘れないでいたいです。そして、さらにその案内してくださった日系1世の方のお家におじ ゃまして、環境保護の視点地球環境の視点からのインタビューをさせてもらえることができました。あの原生林は自分 - 10 - の農地に手をつけないで保護していること。木が倒れていても、とてもいいツルがあってもそれに人間が手を出した ら原生林ではなくなってしまうので手は出さない。自然のままにしておく。アマゾンでもここ10年の気候の変化は激し く、またおかしい。今のままではいけない。だから自分のできることをしていきたい。と・・・80歳くらいの日系1世の方 の力強い言葉に感動しました。 6. その他全般を通じての感想・意見など 観光ではなく「研修」というきっちりした目的のもとスケジュールが決め込まれていることは忘れてはいけない事実 だったです。ハードすぎるくらいハードな日もあり(例えば朝5時半ホテル発で移動途中夜までほとんどきちんと食事 が取れないような日もありました)でも、そんな中で仲間の有り難さを知り、チームワークが自然と生まれ、思ったことを 伝え合い、のりきった日々は人生経験としてはかけがえのないものになったと思っています。研修としてまわれた 数々の場所で知ったことや体験したことも教師としてまたは、人間として本当に大切な経験になりました。たぶん自分 が人間としてちょっとは成長できたと感じています。出会った様々な人々の生き方にも学ぶことが大きかったです。そ して何よりブラジルが身近になり、ブラジルが大好きになりました。あの地で生きている人々を思い出すたびに懐かし さがこみあげてきます。日本より日本らしさを大切にしているブラジル。ブラジルらしさが輝いているブラジル。今では 語り出したらきりがありません。これも今回のブラジル行きが 研修であったことは大きいと思っています。ハードだっ たけど、過酷だったけど、参加して良かったと胸をはって言えます。 ありがとうみんな。ありがとう。 8. 来年度参加する先生へのアドバイス (持ち物、必要な準備、学びの視点、注意事項など) ・充電のコンセントはサンパウロとかでは大丈夫だったが、トメアスでは日本のでは対応できないので必要である。 ・虫よけ対策は絶対必要。特にトメアスでは必要。夕方6時を過ぎるとダニの一種のようなものが一斉に出てくるので、 その時間のは肌の露出は絶対しないこと。油断するとあっという間にびっしり刺され大変なことに・・・虫よけで利い たのは肌に直接、ぬるものがいい。 ・研修の計画はとにかくハードな日程で組まれている。出発前も打ち合わせ等で忙しい。1に体力2に体力忙しい 日々の中とにかく体調だけはしっかりと整えておくこと。 ・服装はメインは半袖のTシャツで十分。ここにいろいろ羽織ったりしてTPOや暑さに対応をするとよい。 ・水には注意。つまり水を使った氷にも注意。穴があいているものはミネラルウオーターを使用しているので大じょう ぶ。反対に穴が開いていないものは現地の水道水の可能性があるので何でも「氷を入れてください。」と頼んでいる と痛い目に。実際に氷を運んできてもらって自分の目で確かめるといい。 ・日焼け止めはそう大げさにする必要はない。室内の研修が多いせいもあるのであまりいらない。 ・車で何時間も移動する日々です。車に弱い人はきついです。 ・飛行機の旅、行きも帰りも本当に長い旅です。リラックスできるしたくを選びましょう。 ・おみやげは最後のブラジリアでみんなほとんど間に合わせました。それでも帰国後少し不安だったのでブラジルシ ョップでネットで買い足しました。 ・チームのみんなと力を合わせ心を通わせて旅をすることがとても大切だし、また自分もその方が楽しめ楽です。チ ームメイトを大切に。 - 11 - ・ブラジルタイムです。時間の延長は結構当たり前なので、あまりイライラせずにど~んと構えていきましょう。ただし 自分たちの行動は結構タイムスケジュール的には厳しく出来ているので時間厳守です。 ・ハードなスケジュールや暑い気候で胃腸や体力が低下します。そんな時ちょっと補給できる飴や何かがあるととて も重宝でした。自分も途中仲間が差し出してくれた補給の物でずいぶん心と体が助かりました。 ・時差ボケは重さは様々でしたが結構だれもがありました。睡眠は移動中じょうずに取りましょう。 ・ポルトガル語のガイドとして「ゆびさし会話」がとっても重宝でした。 以上 - 12 -