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平成21年度教師海外研修プログラム(ブラジル) 研修報告書
学校名
上田市集中日本語教室
氏
名
池田 恭子
■ 印象に残る写真3点 ■
●「地域警察プロジェクト 交番の前に立つお巡りさんたち。」
交番の働きで、この周辺の地域の治安はかなり改善された、
とのこと。この効果がサンパウロ中、ブラジル中に広まるよう、
頼みましたよ。
[Ikeda_DSCF2121]
●「初心者マークの飛行機」
サンパウロ→ブラジリアで乗った機体には、初心者マーク
が付いていました。大丈夫かなあ。
(Coração verde e amarelo です。)
[Ikeda_DSCF2187]
●「ジャングルクルーズ」
川岸の学校へ向かっている途中。天気が良くて、酸素が濃
くて、とても気持ちが良かった。しかしこの後予期せぬアク
シデントが・・・
[Ikeda_DSCF2203]
1.現地研修に対する各自の目的 とその達成度
研修に参加することを決めた一番の目的は、「ブラジルの学校を知る」ことでした。現在勤めている日本語教室で
勉強している、またはしていた子どもたちの大半がブラジル国籍であるため、彼らのいた環境、受けてきた教育の様
子を知ることが、日本の学校や日本文化への適応を促すヒントになるのでは、と考えたためです。
今回での研修では、インフルエンザ問題のため、当初期待していた学校の訪問は残念ながら叶わなかったので
すが、訪れた先々での子どもたちの様子に、勉強をすることの楽しみを感じられたこと、またお会いした方からブラジ
ルの学校についてのお話をうかがえる機会を持てたこと、そして、彼らの国、ブラジルを、課題は多々あるにせよ、改
めて「いい国だ」と思うことができたのは、大きな収穫だったと思います。
2.訪問国から学んだこと (気づいたこと、わかったこと、大切に思ったことなど)
訪問国から、と言うより、訪問先の方々のお話からなのですが、教育というものの重要さ、壮大さ、すばらしさ、そ
して責任の重さを伝えていただいたと思います。図らずも関わることになった教育という分野で、(正直に言うと続ける
ことを迷っていたのですが)もう少し頑張ってみようと思えました。また、それぞれの場所でそれぞれに使命を持って、
情熱を持って生きている方たちにお会いして、一つではない、いろいろな生き方があってそれぞれが素晴らしいこと
を感じました。そしてそれが素晴らしいのは、やはり皆さんが目的を持って生きておられるからだと、この研修で出会
った全ての人(一緒に行った先生方も含めて)から知らされました。そして、日本とブラジルという国とのつながりの深
さを改めて感じることができました。
3.現地研修の経験を生かす授業実践の意欲やねらい
目的を持って生きることの大事さを伝えること。ひとりひとりに夢を持たせてあげること。夢は何?と訊かれたとき
に、笑顔で答えられるような手助けけができることが理想です。授業実践としては、まず肯定的にブラジルを紹介す
ること。あなたたちの国ってこんな所だよ、素晴らしいね。という授業をしたいです。ブラジル国籍でありながらブラジ
ルに対して否定的な子どもや、ブラジル?何それ?な子どもがいますので、自分の国を好きになれるようになってほ
しいです。そして、日本語力と年齢がある程度高い児童(生徒)がいれば、日本とブラジルを結びつけた、移民につ
いて、その歴史や背景、日本人移民のブラジルでの貢献、ブラジル社会への影響を伝え、その子孫であることに誇り
を持てるような授業をしたいです。
4.JICAの国際協力事業 の 「良い!と思ったところ」 と 「今後あるといいなと思う視点」
ありとあらゆる分野で協力事業が行なわれていることを知ることができて、よかったと思います。現地の人々の命
に関わる分野から、よりよい生活をめざすところまで、協力の形も様々あることを知りました。印象に残ったのは、「三
角協力」です。ブラジルの国の発展を感じるものでもあり、独り立ちを手助けする親のような、縁の下の力持ち的役割
がすてきだと思いました。ブラジルの抱える一番の課題といえる、治安と貧困について、警察への協力は見ることが
できたのですが、貧困問題へはどのように援助をしていったら良いのか、難しい問題です。草の根活動で明るい兆し
が見えていることは嬉しかったのですが、まだまだ根は深いというか、支援が届かない裾野は広いことを車窓から見
るファベーラから感じました。
5.ここまでの研修自体 (国内・海外) に対して 「良かったこと」 と 「今後あるといいなと思う視点」
普段あまりに頭を使わずに生活していることを思い知らされた研修でした。その、いやがおうにも頭を使わざるを
得ない、自分の考えをまとめて語らなければならない、問いかけられる体験的学習というものは素晴らしいものだと思
います。それと同時に、慣れていない分とても疲れるものではあります。自分自身、知識詰め込み型の教育を受けて
きて、その通りに育っていることをひしひしと感じました。現在関わっている子どもたちには、自分自身を反面教師とし
て、表現ができる力を身につけていってもらいたいと思います。研修に対する希望としては、今回は状況が許さなか
ったためではあるのですが、現地の学校、教育制度に関してもう少しじっくり見て、知ることができる機会があれば嬉
しかったかな、というのが正直な感想です。
6.訪問先ごとの 「感じたこと」 や 「学んだこと」
●8/1 :JICAサンパウロ支所ブリーフィング
JICA の取り組みについて説明を受けたかと思います。時間も押していて、とても簡潔に説明をしてくださったの
が有り難かったです。ブラジルに対しては、技術協力などもするが、もう途上国ではないので、パートナーとして協力
しあい第三国を支援する、と言う三角協力が印象に残りました。
ブラジルの治安についてのレクチャーは、この国が発展していく中での大きな課題を感じました。まだそんなに危
ないのか、良くならないものだな、と言う感想でした。そしてこれからはじまる研修に、気を引き締めてのぞまなけれ
ばならない、無事に日本に帰れるように、との心構えができました。
●8/1 :日系社会ボランティア(現職教師等)との対話
みなさんとても明るく活発な方ばかりで、ブラジルに到着したばかりでまだもうろうとしている頭で、このくらいの明
るさを持っていないとブラジルに来ようなどとは思わないのか、それとも少しでもブラジルで生活をしていると誰もがこ
のように、語弊があるかもしれませんが、ラテンの血が呼び覚まされたようになるのか、ブラジルの空気の強力さを感
じ、また自分自身に不安を覚えたものでした。
●8/1 :デカセギ問題パネル
できることでしたらば、到着当日ではなく、何日かしてからお聞きしたいお話でした。デカセギ帰りの問題は、ここ
1・2年の話ではなく、長い期間この問題に取り組んでおられる方々がいることを知りました。これから日本から帰国す
ることになる児童、生徒がでてくると予想できますが、是非ともこの取り組みを紹介しようと思いました。ただサンパウロ
以外に行く子どもたちこそ、大きな壁が待ちかまえているでしょうから、このような取り組みが一層広がってくれること
を、他力本願ながら望むばかりです。お話にもありましたが、ボランティアだけでどうにかなるものではなく、市、州、
国を挙げての支援が必要な問題だと感じました。今の日本に果たしてその余裕があるかどうか、難しい世の中です。
●8/2:地域警察プロジェクト
実際に日本のシステムが、ブラジルの治安向上に役立っていることを知れて良かったです。JICA の協力に対し
て、それまではどれだけの役に立っているのか疑問に思っていた面もありましたが、同じように考えていたという交番
のジョージさんが、このシステムは素晴らしい、サンパウロ中にこのシステムを広めていきたい、とおっしゃっていた
のを聞いて、ようやく、効果のあるものだと思うことができました。この研修で、私は、「やっぱりこの国が好きなのだ
な。」と再確認ができたのですが、じゃあ住もうか、となるのをとまどう最大のネックが、治安の問題だといえます。日本
に住むブラジル人からも、日本に永住を希望する理由が、「ブラジルは危ないから」が多く聞かれます。警察というも
のがあまり信用されていないことも感じていました。それでも、ここでお話を聞いて、とても熱心にブラジル(サンパウ
ロだけのようではありますが)の治安を良くしていこうと働いている警察の方の姿を見ることができ、この国が更に素晴
らしい国になる希望を持つことができました。5年後、今より安全なブラジルの姿を期待したいです。
●8/2 :Mercado Municipal 市場
野菜、果物、魚を食べる習慣が根付いていることを感じました。それが日本人の功績であることが嬉しく、また誇り
に思えました。ここに買いに来ているどれだけの人がそのことを知っているのか、全く知らないのではないかと思える
様子に、本当に今はこの食文化が当たり前になっていることを感じられました。あとは、やっと、ブラジルに来たのだ
な、と言う実感が持てたときでもあったと思います。
●8/2:日本移民史料館
まずは、このような立派な資料館ができていることに感動しました。移民の歴史がとても丁寧に解説されていて、
情報量の多さと、展示の仕方もとてもセンスよく工夫がされていたのが印象に残りました。博物館としての価値も、高
いものなのではないかと思います。じっくりすみからすみまで見て、消化するのには、あと1時間か2時間、ほしかっ
たかな、とは思いました。貴重な資料や展示物たち、永く未来まで引き継いでいって欲しいです。
●8/2:リベルダージ地区
以前に見たリベルダージからは、少し様変わりしたように感じました。日本人街から、東洋人街になっていること
を、並んでいるお店から感じ、日系のお店が年々少なくなってしまっていることに、さみしさを覚えました。5 年後、10
年後にはどうなってしまうのでしょうか。日本人がブラジル社会に同化していく過程では仕方のないことなのでしょう
が、やっぱり何となく残念です。
●8/3:JICAオンダリンパプロジェクト
まさに現地の人々の生活や生命にかかわる部分で、日本の支援があり、日系企業までが協力をしていることに驚
きと感動を覚えました。本当に、知らないところで、日本はいろいろな国と繋がっているのだな、と思いました。ただこ
れだけの重要な事業にもかかわらず、様々な制約を受けていることや、手続きの煩雑さに悩まされている点は、ブラ
ジルのお役所の改善しなければならないところなのでしょう。
●8/3:無収水管理プロジェクト
東京のほうで、水道水がおいしいですよ、というようなコマーシャルを目にしたことがあるような記憶があります(と
ても曖昧ですが)。蛇口から水を飲む文化、私の住んでいる地域では当たり前なのですが、それを見ても、やはり東
京の都市部で水道水をそのまま口にすることには、正直に言ってためらいがありました。地元に帰ってくると、水道水
が飲めるのって、すばらしいことだな、と感じていましたが、関東、関西でも、水道水は安全でおいしいものになって
いることを知り、またその陰に多くの方々の努力があることを、初めて認識しました。一番衝撃を受けたのは、は、ブラ
ジルで水道水が飲めるところがあること!この研修で一番、新鮮な驚きでした。
●8/4:憩いの園
入居されている方々の、生き生きとした様子が印象的でした。「自分は今、幸せなんだ」という気持ちが、言葉に
も、雰囲気にも表れていて、それまで精一杯生きてこられた証のような気がしました。私自身、何十年か後、あのよう
な姿でいられるのかどうか、まだ想像もつきません。
●8/4 :モンテ・アズール・ファベーラ(プレゼン)
訪問できなかったことが、とても残念でなりません。以前訪れたときはファベーラだということを感じさせないような
穏やかな雰囲気でした。短い時間では、本当の姿・潜んでいる暗い部分までを感じ取るのは難しいでしょうが、それ
でもあの場で出会った人たちはみんな朗らかで明るくて、楽しかった記憶しかないので、訪問できないこと自体も残
念でしたし、行けなくなった理由もショックでした。これだけ環境が改善されたモンチアズールでさえ、まだ、麻薬や
犯罪はある、ということで、この問題の難しさを考えさせられました。
●8/5:漁村&農村における学校
学校にたどり着くまでの方が記憶に強く残っています。ボートからの景色。移動時間は長かったのですが、車と
は違い、外の空気に触れられて開放感があり、360度、それ以上に自然の美しさと大きさをフルに感じられたこと。そ
して予想外のハプニングというおまけもあり、すべてひっくるめて、最高に楽しかったです。学校に到着したら、子ど
もの数と同じくらい大人たちも集まっていることに驚きました。その後に訪れた農村の学校でも同じ様子で、学校とい
うところが、子どもが勉強するだけではなく、お母さんたちのコミュニティーセンターにもなっているようでした。保護
者との関係に悩まされている日本の学校現場からすると、羨ましいような雰囲気でした。子どもたちは、最初は何だ何
しに来たんだこの外国人たちは。という様子でしたが、徐々になじんでくれました。先生が子どもたちに教える中で大
事にしていることが、礼儀正しさだ、と言われたことに、少し驚きました。「礼儀正しい」ことを重要視するのは日本的な
考えなのかと思っていましたが、世界で共通すると言っていただけたようで、これから自信を持って子どもたちに伝え
ていこうと思いました。最後に見せてくれたアサイー採り、彼らにとっての日常が、私たちには驚くべきパフォーマン
スでした。
●8/5 :環境調和型養殖
環境教育を、そこに住む人々にとって一番身近な視点から行なっているとのことでした。また、それぞれのお話
から、子どもへの教育がとても重要なこと、教室の中だけではなく、体験する学習の有効性、子どもを通じて大人の意
識も変えられること、未来を変えられることを教えられました。ここでも、時間がだいぶ遅くなってしまったにもかかわ
らず、地元の SESC の教室でしょうか、子どもたちと先生たちが待っていてくれて、お話を聞かせてくれました。短い
時間でしたが、子どもたちもとても私たちのことを受け入れてくれて、この日一日は、子どもたちのいろいろな笑顔に
会えたことで、私自身も笑顔にしてくれました。
●8/6:越知日伯学園(小学校)
越知先生に一番初めにお目にかかったとき、日系のようではない、日本人の方に見えまして(当たっていたので
すが)、どういった経歴で、どのような経緯でブラジルに、ブラジル人児童のための学校を開かれているのか、興味が
わきました。後でお話をうかがって、起伏ではありませんが、変化に富んだ人生を歩いてこられて、新しい場所で新し
い目標を見つけ、それに対して全力で取り組んでいらっしゃる姿、バイタリティーに、感銘を受けました。
学校での教えについても、学ぶことが多かったです。生活教育、教科学習ではなく、生きていく力を身につける学
習を大事にされているということ。ここでも躾という言葉が出てきましたが、自分のすることに責任を持つこと。自由を
獲得するには自立が必要だということ。また、教材・教科書などが何もないところから始めるのが「楽しい」、家庭の中
で親が教えるべきことを「お手伝いができる」、このプラスの考え方は私にはできていなかったところで、心にとめて
おこうと思いました。そして、「外国で、日本の文化や言葉を勉強している子どもがいる」ということを、今関わっている
子どもたちにしっかり伝えたいと思います。
●8/6 :汎アマゾニア日伯協会&アマゾン入植80周年委員会
アクレー、ホンドニア、ホライマ、アマパー。以前ブラジルに滞在していた頃、日本人が誰もいなそうな「辺境の
地」(大変失礼な言い方ですが)に行ってみたいと思って旅行を考えていたのですが、あまりに遠くて断念した各州
です。しかしこちらでのお話で、この各州にも日本人がいるどころか、入植地もあり、日本語学校(教室)まである、と
言うことを知り、驚きました。堤さん、須藤さんの、絶妙な掛け合いとユーモラスな話術に眠くなる暇もなく、行きたかっ
た辺境の州を写真で旅行することができて、とても嬉しかったです。ただ、どこまでが本当で、どこからが冗談なのか、
判断力が問われるときでもありました。
●8/6 :アマゾンペーパープロジェクト
まだこれから発展していくだろうプロジェクトで、課題もある、とのことですが、ここで働いている職人のかたがた
の、生の声を聞けたのが良かったです。お二人にお話を聞いて、どちらも、このプロジェクトに出会ったことで人生が
変わった、大きな夢を持てるようになった、と言う内容のことをおっしゃっていて、その言葉だけで、ある面でこのプロ
ジェクトは成功した、と言えるのではないかと考えました。採算をとって、普及させていく、売っていくことが最大の課
題とのことで、売り上げに貢献できなかったことは申し訳なく思っています。いつか日本の技術が産んだこの紙が、日
本でもたくさん見られるようになればいいです。
●8/7:Ver o Peso 市場
苦い思い出です。学んだことは、「時間はきちっと守りましょう」と、コミュニケーションの大切さ、です。
警察官の護衛付き、それも一人や二人ではない厳重な警護の下、民芸品や、何に使うのか、珍しいものをたくさ
ん目にし、買い物ができました。周囲から見たら、少し異様な光景だったかもしれませんが、おかげで安心してゆっく
りとまわることができたと思います。横に流れる河の雄大さにも、心身共に癒されました。
●8/7:熱帯果実加工工場
ブラジルと言えば、私にとってはコーヒーではなく、種類が豊富で新鮮なフルーツのジュースです。食事の度に
それが楽しみでした。が、そのジュースが日本でも飲めることは、恥ずかしながら知りませんでした。住んでいる地域
の近くにはありませんが、都会のほうへ行く機会には、必ずお店を見つけ出したいと思います。これからの構想として、
カカオの種の加工も考えているとのことで、コーヒーと同じく、チョコレートも銘柄が付き、好みや気分で選べるように
なるのか、「アマゾンチョコレート」の登場が楽しみです。
●8/7:トメアスー文化協会
移民資料館を見せていただきました。私のトメアスーに対する以前の印象は、胡椒景気でとても栄えたけれど、
それがうまくいかなくなって・・・で止まっていましたが、その後のトメアスー住民の方々の工夫と努力によって、アグロ
フォレストリー(名前は後から付けられたようですが)が始まり、ジュースの工場ができ、更に新しい試みにまで発展し
ていこうとしていることを知りました。
●8/8:トメアスー産業組合
前日に訪れた移民資料館の、最後を飾っていた「坂口のぼるさん一家」の写真がとても気になり、10年後の今、
この方たちはどうしているのだろうと考えていましたので、坂口のぼるさんの息子さん、わたるさんがいらっしゃったこ
とには驚きと、納得するものがありました。トメアスーの歴史をうかがい、ここの方たちは、何度も困難に立ち向かい、
独自の工夫によって今までやってきたことを感じました。歴史の始まりからがそもそも大きな困難であったし、戦時中、
組合の活動ができなくなったこと、軍事政権下、自分たちで船を持ち、輸送・販売まで行なったこと、胡椒の浮き沈み
から、果物の生産に重点を置くようになった移り変わり、そして現在へ。これだけの変遷と困難を乗り越えてこられた
のは、坂口さんに代表される、何とかしなければ、と言う使命感・責任感だったのではないかと思います。トメアスー
の話題だけではなく、ブラジルの日系社会など様々なお話をしていただいたのですが、全ての言葉、一つ一つに深
みがある、人間の大きさを感じさせられる方でした。
●8/8:アグロフォレストリー(小長野農場、乙幡農場、高木農場)
一口に「アグロフォレストリー」と言っても、それぞれの農場で、考え方も農業の方法も違うことを感じました。大き
な農場を持っていらっしゃると、日本の農業とは全く性質の異なるもので、「お百姓さん」ではない、ちょっとした企業
の経営者のような視点でいらっしゃるし、仕事も経営者、と言う感じでした。
小長野さんの話で、日本人が蓄えることを覚えたのは気候の影響だと聞き、なるほどな、と思いました。年中温か
いブラジルでは、今日食べるものは今日とる、明日食べるものは明日とる、反対に言えば、今日とったものは全部今
日食べてしまう、と言うことになるのでしょうか。今までいろいろな場面で聞いたブラジル人の傾向に重なる面があり、
DNA に組み込まれた習性だったら仕方がないのか、と思えるようになりました。
●8/8−9:ホームステイ
とても快く迎えてくださったことにまず感謝したいです。本当に、せめてあと一泊したかった。
お世話になった笹原さんは、戦後トメアスーに入植され、原生林を切り開いた経験のある方でした。原生林と戦っ
た、などというのはずっと過去、戦前までの話だと今までは思っていたので、まず驚きました。そして、アグロフォレス
トリーの先駆者的存在だそうです。環境に配慮した「アグロフォレストリー」と騒がれることになったのは最近の話で、
当時はもちろんそんな言葉もなく、何とかしようという工夫から生まれてきた方法だと言うことでした。前日に感じた、ト
メアスーの農家は、経営者だ、と言う考えがここで早くも変わりました。笹原さんは、経営者と言うよりもどちらかというと
お百姓さん、の感じを受けまでした。ご本人もお話しされていたのですが、経営とか、利益の追求よりも、お百姓をし
ながら、この地で生きていくんだ、と考えていらっしゃることが印象的でした。
そして、奥様の、何でも手作り料理、とてもおいしかったです。日本の食卓とは正反対の、何から何まで、原材料ま
で自家製の和食が食べられて幸せでした。
●8/5∼9:パラ州での移動途中(ベレン−イニャンガピ、ベレン−トメアスー)
トメアスーに向かう間、ずっと窓の外を見ていたのですが、私が以前滞在していた、ゴイアスの風景、セハードに
良く似ているな、と感じました。パラ州北部なので植生としては熱帯雨林の地域だと思っていたのですが、そのような
風景が全く見られないことに驚きました。運転手さんのお話では、やはり森は切られてしまって牧場になって、とのこ
とでした。環境問題と、その場所に住む人の生活、兼ね合いが難しい問題です。
●8/10:ブラジル教育省
国の庁舎に立ち入るという経験ができたことは貴重でした。建物の中もとても斬新な造りで、かと思えば各事務所
はとても質素で、社会見学に来た小学生のように辺りを見回してしまいました。資源が豊富で使い捨て文化の発展し
そうなブラジルで、環境教育をしていくことは、きっと困難なことなのだろうと思います。美しい自然や町並みを守るた
め、まずポイ捨ての禁止を訴えてほしいです。
●8/10:JICAブラジル事務所 報告会
どれだけいじめられるのか緊張して行ったのですが、皆さん温かく迎えてくださって、記者の方からの追究もあまり
なく無事に終わることができ、安堵しました。途中、自分が何を言っているのか分からなくなりましたが。ここで働いて
いる日系の方、親のデカセギで日本に行き、帰ってきたという方たちに、日本で勉強しているブラジルの子どもたち
の希望を見ることができました。子どもの頃から二つの国の文化や言葉に関わっていることを幸運と思ってもらえるよ
うな、言い方は悪いですが、成功例として、こんな風になれるんだよ、と是非とも紹介したいです。もっとお話をうかが
いたかったのですが、時間があまりなかったことが残念でした。
●8/10ブラジリア市内見学(世界遺産等)
最後の息抜きでした。飽和状態の頭がやっと休まることができて、ほっとしていました。同時にブラジル滞在時間
が残りわずかなことに寂しさも少々、でもほとんどは安堵感でのびのび「観光」をさせていただきました。ブラジリアは、
やっぱりスペースが広い。首都でありながらこんなにゆったり土地を使ってあることに、国の広大さを感じました。
7.その他全般を通じての感想・意見など
一言で言うと、とても密度の濃い時間でした。大いに感じ、大いに学び、大いに考え(自分なりに、です)、大いに
笑い、大いに食べた14日間だったと思います。そして、あらゆる意味でとても疲れた14日間でもありました。移動に
次ぐ移動と睡眠不足(自分にとっては)で、体もきつかったこともありますし、精神的にも緊張しっぱなしでした。学びの
連続に頭も飽和状態なのを面白いくらいに自分で感じられました。それでも、「とても楽しかった」と言えるのは、受け
入れてくださった当地の方々と、何より一緒に行った9人の皆さんのおかげだと思います。ありがとうございました。
希望を言うならば、本当に時期が悪かった所為なのではありますが、学校の授業参観ができれば良かったです。
もっと欲を言えば、一日中一つの学校で、一日の流れを見る、もしくはその学校の先生についてアシスタントのような
ことができたら、面白かったのではないかと思います。後は、もう少し余裕を持ったスケジュールを立てていただけれ
ば・・・。
8. 来年度参加する先生へのアドバイス (持ち物、必要な準備、学びの視点、注意事項など)
体調管理は難しいです。とてもハードなスケジュールなので、絶対に甘く見てはいけないと痛感しました。甘く見
ていて痛い目に遭いました。日本で備えられること・ものは全部やっておいて、無駄になったら、何事もなくて良かっ
たな、と考えればいいのかな、と思います。荷物の量には困りますが・・・。
お土産については、現地のブラジル人の方、日系の方(2世以降くらい?)、日本人の方(と1世の方?)の3パター
ンを想定した方が良かったかな、と思いました。私は、全く現地の方への、日本を紹介するようなお土産だけを持って
いったのですが、訪問先は割と日本人の方や1世の方が多くて、日本人にこれを渡しても・・・となってしまいましたの
で。ある程度仲間内で分担されても良いかと思います。
以上
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