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No.42 (Japanese) - 弘前大学大学院医学研究科/医学部医学科
1面:医学研究科長医学部長寄稿 2面:弘前医学会総会報告 3面:鵬桜会総会報告 4面:科研費補助金採択状況 5面:第1回がん診療市民公開講座 6面:新任教授紹介・巻渕ラウンジ 7面:富山大・東京医科大 教授紹介 8面:卒後研修必修化をめぐる新プログラム 9面:研究室紹介 統合機能生理学講座 10面:懇談会・オープンキャンパス 11面:ひらめき☆ときめきサイエンス 12面:東医体速報・人事異動 題字 弘前大学長 遠藤正彦氏筆 第42号 発行日:平成19年9月20日 発行者:医学研究科広報委員会 印 刷:やまと印刷株式会社 医 療 施 設 と の 明 確 な 協 力 関 め 、同 じ 分 科 会 に 参 加 し た い 参 加 者 を 得 る に 至 っ た 関 係を構築することも重要か 多 く の 大 学︵主 に 地 方 大 係者各位のご尽力に感謝致 も し れ ま せ ん 。 し か し 、 医 学 ︶が 大 学 院 充 足 率 の 向 上 し ま す 。 学 部 定 員 増 は あ く ま で 〝 臨 に 苦 労 し て い る 実 態 が 改 慰 霊 祭 に 先 立 っ て 、こ の 時〟であり、その後は本当 め て 明 ら か に な り ま し 数 年 来 恒 例 に な っ た 弘 前 に 医 師 養 成 数 を 減 ら し て い た 。 上 に も 書 い た と お り 、 大 学 医 学 部 職 員・学 生 な ど くのでしょうか?地域や専 少 な く と も 英 国 社 会 は 科 関 係 者︵弘 前 大 学 医 学 部 門診療科による偏在が顕在 学 者 と し て の 医 師 を 望 ん 管 弦 楽 団 と 創 立 五 十 周 年 化 し た 今 、 日 本 の 医 師 数 は で お り 、我 が 国 に お い て も 記 念 ア ン サ ン ブ ル 、 指 揮 ど う あ る べ き か 、 そ し て 医 医 学 教 育 は 科 学 者 の 養 成 馬 場 正 之 氏 ︶に よ る 慰 霊 の 療費はどうするのか?いず を 目 指 す べ き だ と 私 も 思 た め の 音 楽、﹁溢 れ よ わ 私 た ち は 地 域 医 療 の 崩 壊 を れ も 抑 制 が 必 要 だ と し た い ま す 。 臨 床 医 を 目 指 す が 涙 ﹂と ﹁ 人 の 望 み の 喜 び く い 止 め る た め に 最 大 限 の ら 、 社 会 の 共 通 理 解 が 必 要 学 生 や 若 い 医 師 た ち の 一 よ ﹂、 が 演 奏 さ れ 感 動 を 与 努力をするつもりです。附 であると一国民としては感 部 に 科 学 へ の 指 向 が 低 下 えました。 属病院における研修制度の じています。 し て い る と す れ ば 、そ れ を 引 き 続 き 式 に 入 り 、全 員 見 直 し も 行 っ て 来 ま し た 翌 日 の ワ ー ク シ ョ ッ プ 元 に 戻 す こ と が 私 た ち の に よ る 黙 祷 の 後 、荘 厳 な 葬 し 、 今 後 も 考 え 続 け る こ と で は 、大 学 院 教 育 を テ ー マ 努 め で あ る こ と は 間 違 い 送 行 進 曲 が 流 れ る な か 解 剖 体 の ご 芳 名 が 奉 読 さ れ、 が必要と思っています。卒 と し た 分 科 会 に 参 加 し ま ありません。 つぎに佐藤医学部長によ 後 研 修 に 関 し て は 、 地 域 の し た が 、も ち ろ ん 本 学 を 含 る 祭 詞 、学 生 代 表 ︵ 医 学 科 三 年 宮 奈 穣 君︶に よ る 弔 辞、代 表 者 献 花︵佐 藤 医 学 部 長 、 花 田 病 院 長 、對 馬 保 健 学 科 長 、遠 藤 弘 前 大 学 長 、学 生 代 表 医 学 科 三 年 吉 田 達 也 君 、学 生 代 表 保 健学科作業療法学専攻二 生体構造医科学講座教授 加 地 隆 年 佐 藤 真 央 さ ん 、参 会 者 代 表 奥 田 稔 白 菊 会 理 事 長 ︶が 行 わ れ た 後 、花 田 病 院長からお礼の言葉があ り ま し た。そ し て 最 後 に 心に沁みるようなしめや かな調べのなか参会者全 員 に よ る 献 花 が 行 わ れ 、式 は 終 了 し ま し た。い つ も ながら心洗われるひとと き で あ り 、責 任 の 重 さ を 再 確認させられるひとときで した。 慰 霊 祭 終 了 後、医 学 部 長、病 院 長、保 健 学 科 長、 関 係 教 員・事 務 職 員 は 弘 前 市霊園にある医学部長期 納骨施設および埋骨施設 に お 参 り し 、慰 霊 祭 で 奉 読 された献体者名簿を長期 納骨施設にお納めしまし た 。 好 天 に 恵 ま れ 、車 の 窓 から見えたリンゴの花が 印象的なお墓参りでした。 ﹁チームのリーダーになれ る ﹂、八 十 四 % が﹁ 診 断 能 力 が 優 れ て い る ﹂、 七 十 % が ﹁ off protocol で仕事ができ る﹂を選択したとのことで し た。最 後 の 回 答 は﹁マ ニュアル医師ではない﹂と いうことかと思います。も 七月末に医学教育振興財 ちろん、私たちは、診断や 団の主催による医学教育者 治療の能力が優れた医師の フォーラムに出席する機会 養成を目指さなくてはなり を得、翌日に行われた文部 ませんが、やはり、その能 科学省主催の医学・歯学教 力は総合力であって、科学 育指導者ワークショップと 的能力と人格に裏打ちされ 両方に参加しました。以前 た総合的能力が医師には求 は、 〝 若 手 の 教 授 〟が 交 代 で め ら れ て い る も の と 思 い ま 出席していましたので、私 す。これは英国での調査結 個人としては約十年前に初 果ではありますが、われわ めて出席して以来、二度目 れにも大変参考になるもの の経験でした。前回もそう でした。 でしたが、大いに意義のあ 第二には、新しい医学部 る会議だったと思います。 を設立するに当ってのカリ そして、その成果をいろい キュラム編成に興味が持た ろな機会を通して学内でも れました。二〇〇二年から 共有すべきと思い、今回は 学 生 受 け 入 れ が 始 ま っ た それについて書くことにし 医科歯科大学で Peninsula ました。 は、妊娠から死までのライ 一日目のフォーラムで印 フ サ イ ク ル に 従 っ て カ リ 象 的 で あ っ た の は、英 国 キュラムが組み立てられて の いることと、人体解剖実習 Medical Schools Council で、新 設 さ れ た が無い点が特に印象的でし chairman 医 科 歯 科 大 学 学 た。同大学が新設というこ Peninsula 部 長 で も あ る Sir John と も あ り ま す が 、 カ リ キ ュ 教授の講演でした。 ラムを常に見直しており、 Tooke 第一に、社会が望む医師像 私たちにとっても必要なこ に関する英国での国民調査 とだと思います。 結果が紹介されました。調 視点は全く違いますが、 査に応じた二千三百五十七 第三に、英国政府は、一九 人中、最も多い九十五%の 九〇年代末に医師数を増や 人々は﹁深い科学的知識を すことを決定し、二〇〇〇 持 つ ﹂を 、以 下 、九 十 二 % が 年 代 に 入 っ て い く つ か の 医 学部が新設されているので す 。 上 記 の Peninsula 医科 歯科大学もその一つです。 人口当たりで言うと日本よ り医師数の多い英国におい て更に医師数を増やす決定 がなされた背景は、長寿、 慢 性 疾 患 の 増 加、医 療 技 術・治療法の進歩︵これに 対する国民のアクセスを抑 制 す る こ と は で き な い︶ 等々、医療に対する需要が 増大している英国社会全体 の変化と、もう一つは﹁医 学部の設置はその地域のヘ ルスケア及び経済活性化に 貢献する﹂ということでし た。さまざまな制度の違い や、国として個別の事情な どもあり、直ちに見習うこ とはできないとは思いま す。また、我が国でも、主 として医師サイドから、同 趣旨の発言もあるので、こ のような問題意識は新しい ものでもありません。しか し、少なくとも日本では、 近い将来の医療の在り方に 関する根本的な議論が十分 なされているとは思えない ことがそもそも問題ではな いでしょうか。地方の地域 医療崩壊の原因は、卒業生 を地元に留めることができ ない地方大学医学部の責任 と、医師紹介能力が低下し た 大 学 医 局 の 責 任、そ し て、新医師臨床研修制度の 影響になってしまっていま す。本当にそれだけで良い のでしょうか?もちろん、 平 成 十 九 年度の弘前 大学医学部 解剖体慰霊 祭 は、系 統 解 剖、病 理 解 剖、法 医 解剖の合同 慰霊祭とし て五月十一 日︵ 金 ︶午 後 一時半から 弘前文化セ ンターで開 催されまし た。ご 遺 族 の 方 々、白 菊会員の皆 様においで い た だ き、 また遠藤弘 前大学長を はじめ各方 面からの来賓もお迎えし、 医学部医学科および保健学 科の教員・事務職員・学生 とあわせて総計約三百名が 出席して行われました。 慰霊祭はこのところ長い 間 秋に行われておりまし たが、新しいカリキュラム で人体解剖学実習の時期が 夏休み前から後へと移行し たことに伴い、慰霊祭の時 期も本年から春に変更にな りました。約二十年程前迄 は慰霊祭は春に行われてお りましたので、時期に関し ましては以前に戻ったこと になります。時期を再び移 すにあたっては色々と問題 点もありましたが、種々の 困難を乗りこえて桜やリン ゴの花が咲く暖かなよい季 節での慰霊祭開催にこぎつ け、さらには例年よりも多 平成十九年度解剖体慰霊祭 弘前大学大学院医学研究科長・医学部長 佐 佐佐 藤藤 藤 敬敬 敬 医医育育 医 育機機 機関関 関とと としし してて て目目 目指指 指すす すもも ものの の 長 稿 科 寄 究 長 研 部 学 学 医 医 第 91 回 弘前医学会総会報告 病態薬理学講座教授 元 村 成 第九十一回弘前医学会総 会が平成十九年六月九日 ︵ 土 ︶、 大 館 北 秋 田 医 師 会 の担当で、大館市の秋北ホ テルで開催された。十一時 三十分からは評議員会、続 医学部ウォーカー第 42 号 平成 19 年 9 月 20 日 いて十三時からは総会が、 今回の総会長の佐藤祥男大 館北秋田医師会長の司会の 下に開催された。議事の前 に平成十八年度にご逝去さ れた会員十一名︵小鹿ふみ 先生、石田邦夫先生、田中 正一先生、亀田定吉先生、 梅村芳宏先生、高垣啓一先 生、堀米孝尚先生、千葉陽 一先生、村元和則先生、高 屋 誠 章 先 生、枡 田 忠 巳 先 生︶に対し黙祷を捧げた。 佐藤 敬弘前医学会長の挨 拶に引き続き、平成十八年 度 事 業 報 告︵元 村 成 庶 務 幹 事 ︶、 収 支 決 算 報 告 ︵ 保 嶋 実 会 計 幹 事 ︶並 び に 監 査 報告︵田村豊一監事・大館 北 秋 田 医 師 会︶が 報 告 さ れ、異議無く承認された。 更に平成十九年度事業計画 案、予算案が提示され、弘 前医学会の例会、日時につ いてのご意見があったが問 題なく承認された。平成二 十年度の第九十二回弘前医 学会総会は新しく総会開催 地 の ロ ー テーション に加わった 弘前市医師 会 の 担 当 で、平 成 二 十年六月十 四 日 ︵ 土 ︶、 十 五 日︵ 日 ︶ に予定され ていること が田村瑞穂 弘前市医師 会長から報 告 さ れ た。 次 い で、平 成二十一年 度の第九十 三回総会は 北五医師会 を候補とす ることが承 認 さ れ た。 又、本 年 度 の四月から弘前大学医学部 の大学院部局化に伴い、大 学所属評議員の所属講座名 が変更になったこと、特に 旧基礎医学講座の名称変更 が大幅であることにご留意 頂きたい旨紹介された。加 えて新評議員として、澤村 大輔皮膚科学講座教授、早 狩 誠 薬 剤 学 講 座 教 授 、三 上 史雄むつ下北医師会長、河 津俊太郎青森労災病院長、 吉田茂昭青森県立中央病院 長が紹介された。さらに新 年度に向けての弘前医学会 の役員の交代が承認された。 これ以降は、高橋彰彦大 館北秋田医師会副会長の総 合司会の下で進行された。 先ず、弘前医学会一般演題 十三題の発表が行われた。 今回は、土曜の午後一日で 一般演題も特別講演もと盛 り沢山な上に、大館北秋田 医師会の先生方のご奮闘で 一般演題開始時には出席者 総数六十五名︵大館地区二 十 五 名、大 学 関 係 二 十 五 名、その他の地区十五名︶ という盛況でしたし、座長 の 先 生 方︵ 早 狩 誠 薬 剤 学 教 授 、猪 野 満 大 館 北 秋 田 医 師 会理事・ニプロ株式会社大 館工場専属産業医、小松良 彦大館北秋田医師会理事・ 小松内科胃腸科医院長︶の 進行で質疑応答も活発で、 弘前医学会本来の姿に戻り 弘弘前 弘 前前医 医医学 学学会 会会優優 優秀 秀秀発発 発表表 表賞賞 賞をを をいい いたた ただ だだいい いてて て 弘弘前前 弘 前医医 医学学 学会会 会優優 優秀秀 秀論論 論文文 文賞賞 賞をを を受受 受賞賞 賞しし してて て う で う れ し い こ と で す。し つつあるなと意を強くしま かし、その寿命が長くなって した。引き続き行われた弘 いる分が、介護を受ける期間 前医学会授賞式で、今回の 保保健健 保 健学学 学研研 研究究 究科科 科健健 健康康 康支支 支援援 援科科 科学学 学領領 領域域 域 齋 藤 久美子 や寝たきりの期間となるの 演題から大館市立総合病院 老老年年 老 年保保 保健健 健学学 学分分 分野野 野教教 教授授 授 で は 困 り ま す。出 来 る だ け 第二内科の小笠原仁先生の ﹁当院における外来化学療 この度は、平成十八年度 L自立レベルか要介助レベ ると、要介護期間は六十五 病気を予防して健康に過ご 法 室 の 現 状 ﹂ が 優 秀 発 表 賞 弘 前 医 学 会 優 秀 論 文 賞 を い ル か を 分 類 し 、 A D L 四 項 歳 の 男 性 一・五 年 、女 性 二・ せるよう、現在さまざまな取 に 輝 き 、 阿 部 由 直 選 考 委 員 た だ き 、 驚 き と と も に 大 変 目 の 推 移 を も と に 生 命 表 法 八 年 で 、 六 十 五 ∼ 八 十 五 歳 り組みがなされており、効果 長 か ら 発 表 さ れ 、 受 賞 さ れ う れ し く 思 っ て お り ま す 。 に 基 づ い て 、 健 康 寿 命 を 計 の ど の 年 齢 階 級 に お い て が 期 待 さ れ ま す。そ の よ う も、女性の方が男性よりも な取り組みの効果を計る尺 た 。 又 、 平 成 十 八 年 度 弘 前 誠にありがとうございます。 算 し ま し た 。 医 学 会 優 秀 論 文 賞 は 、﹁ 弘 テ ー マ は 、﹁ Active Life そ の 結 果 、 健 康 寿 命 は 六 長 い 値 を 示 し ま し た 。 ア メ 度として、健康寿命が有用で 前医学﹂第五十八巻に掲載 Expectancy of the Elderly 十 五 歳 の 男 性 で 十 七 ・ 二 リ カ の 報 告 と 比 べ て も 、 A す。簡 便 で 正 確 に 健 康 寿 命 された弘前大学大学院保健 Population in a City of the 年 、 女 性 で 二 十 ・ 七 年 で し 市 は 平 均 寿 命 に 占 め る 健 康 が 算 出 で き る よ う に な る と ﹂ た 。 男 性 と 女 性 を 比 較 す る 寿 命 の 割 合 が 高 い こ と が 分 良いと思っています。 学研究科の齋藤久美子先生 Tohoku District in Japan 今回のこの論文は多くの の 〝 Active Life Expectancy で 、 青 森 県 内 の A 市 在 住 の と 、 平 均 余 命 、 健 康 寿 命 と か り ま し た 。 of the Elderly Population in 六 十 五 歳 以 上 の 方 を 対 象 と も 、 女 性 が 男 性 よ り 長 い 結 世 界 の 中 で 日 本 は 平 均 寿 方 々 の ご 協 力 、 ご 指 導 の も a City of the Tohoku し て 、 健 康 寿 命 の 算 出 を 行 果 で し た 。 そ れ ぞ れ の 平 均 命が長く、医療、人々の意識、 と に ま と め る こ と が 出 来 ま ︵東 北 地 いました。心身共に自立し 余命と健康寿命の差から求 衛生状態や環境など総合的 した。この場をお借りして Distinct in Japan 方の一都市における六十五 て活動的な状態で生存でき めた期間を要介護期間とす に良いと認められているよ 感謝申し上げます。 歳以上の活動的平均余命︶ る期間を健康寿命と言って が選ばれ、上野伸哉弘前医 おります。しかし、健康の 学編集委員より発表され、 定義や算出方法が統一され ていないため、痴呆がない 受賞された。 大館 大大 館館市市 市立立 立総総 総合合 合病病 病院院 院 第第 第二二 二内内 内科科 科 小笠原 仁 今 年 度 総 会 の 特 別 講 演 期間やADLに介助を要し は、藤沢洋一大館市立総合 ない期間など、それぞれの 平成十九年六月九日大館 したが、治療を受ける患者 てきました。幸い当院にお 病院副院長の座長の元で、 健康寿命が報告されており 市において開催されました さんの快適性安全性更には きましては診療各科の協力 弘前大学大学院医学研究科 ます。今回、我々は健康な 第九十一回弘前医学会総会 治療を行う医療者側のリス にて開設までこぎつけるこ の A D において私の演題﹁当院に クの軽減のためには場所を と が で き、ま た 比 較 的 ス 総 合 診 療 医 学 講 座 の 加 藤 博 状 態 を 、 Katz index 之教授により﹁卒後臨床研 L四項目全てで介助を要し おける外来化学療法室の現 集約化し専任スタッフのも ムーズに運用されておりま 修必修化の理念と功罪︱プ ないこととし、また、一度 状﹂に優秀発表賞を授与し とで行う必要があるのは当 す。抄録に書きましたが今 ライマリ・ケアの立場から ADLに介助を要する状態 ていただき主催者及び会員 然であります。そのために 後院内でのプロトコール管 ︱﹂というタイトルで行な であっても回復することが の皆様に心から御礼申し上 外来化学療法室を開設して 理 な ど も 必 要 に な り ま す われ、ご自身の経験・経歴 あるため、その回復率を考 げます。余談ではあります おりますが最近はさまざま が、まずは安全確実な癌化 法 を 用 い て が選考の際に私と同点の方 なメディアを通じ国内の有 学 療 法 の 実 践 と、治 療 ス を 踏 ま え て 、 本 来 で あ れ ば 慮 す る Rogers 医 学 生 に 聞 か せ た い 内 容 健康寿命を算出しました。 が三名おられたとのこと、 名病院での外来化学療法室 タッフの養成を確実に行っ で、非常に時宜に叶ったお 基礎データ収集には、対象 開催地の利を生かした受賞 が紹介され、その様子につ て い こ う と 思 っ て お り ま となる住民に二回のADL でもありました。 話を伺うことが出来た。 いては医療関係者でなくと す。これから、開設予定の 第九十一回弘前医学会総 調 査 を 行 う 必 要 が あ り ま 今回、私は当院で行って も情報が入手可能でありま 医療機関の関係者の方、ま 会も盛況裡に終了し、大館 す。今回は初回と初回から おります外来化学療法室を す。しかしそのどれもがと た、私も他院でどのように 北秋田医師会の心尽くし懇 三年後に調査協力の得られ 紹介しその実際の運用につ ても立派で地方の病院にお 運用されているか見学させ 親会で大いに交流を深めま た約一万人の結果から、そ いて発表いたしました。昨 いては実現不可能とさえ思 ていただきたいと思ってお した。大館北秋田医師会の の期間のADL四項目の推 今、癌患者さんは増加の一 われます。私も当院で外来 りますし、当院︵現在病院 先生方には大変お世話にな 移を観察しました。対象者 方でありますが治療に当た 化学療法室を開設する際に 新築中ですが化学療法室に りました。厚く御礼申し上 の一人一人について、AD る人員及び場所がどこの医 はまず、安全性の確保のた つきまして古い建物の中で 療機関︵特に地域中核医療 めに院内の一箇所に集約す 内部の改装で継続していき げます。 次の弘前医学会は、平成 が予定されております。最 機関︶でも絶対的に不足し ることを考えました、そし ます︶の実際を御覧になり 二 十 年 二 月 一 日 ︵ 金 ︶ に 医 後 に 今 年 度 は 、 庶 務 幹 事 と て い る の が 現 状 で あ り ま て 、ス タ ッ フ︵ 看 護 師 ︶の 養 た い 方 が お り ま し た ら 私 ま 学部コミュニケーションセ して臨床検査医学講座の保 す。当院におきましても、 成についてはもっとも大事 でご連絡いただければ幸い ン タ ー ︵ M C C ︶ で 第 百 四 嶋 実 教 授 、会 計 幹 事 と し て こ れ ま で ︵ 昨 年 三 月 ま で で あ り ま す 。 こ れ ま で 複 数 で あ り ま す 。 十五回例会が開催される予 感染生体防御学講座の中根 は︶診療各科でばらばらに の診療科において癌診療に E-mail : 定で、一般演題と第十二回 明夫教授が担当することに 自科の処置室等で抗がん剤 比較的長期にわたりあたっ [email protected]. の調剤点滴を行っておりま てきた看護師をまず人選し 医学部学術賞受賞記念講演 なりました。 akita.jp 〟 平成十九年度弘 前 大 学 医 学 部 西 澤 常 務 理 事 よ り 説 明 が あ り ま し た。研 究 奨 励 として弘前大学白菊会へ の 助 成 、学 事 助 成 と し て 弘 前大学医学部医学科主管 の全国規模の医学的行事 及 び 国 際 学 会 、弘 前 国 際 医 学フォーラム第十一回学 術 集 会 、弘 前 医 学 会 、弘 前 大学全学同窓会の教育並 びに学事助成のための鵬 桜 会 負 担 金、第 十 二 回 弘 前大学医学部学術賞授賞 式 、弘 前 大 学 医 学 部 医 学 科 学 生 へ の 助 成、機 関 誌 及 び 会 員 名 簿 の 刊 行、医 学 部ウォーカー及び弘前大 学同窓会報配布の計画が 説 明 さ れ ま し た。以 上 審 議 承 認 を 求 め た と こ ろ、 全員異議無く原案通り承 認されました。 第二号議案 : 平成十九年度 事業計画の件 宇 野 千 春 理 事 よ り 説 明 が あ り ま し た。収 入 合 計 が二千百四十五万二千八 百 二 十 八 円、支 出 合 計 が 千八百四十六万六千百八 十 一 円、差 引 残 が 二 百 九 十八万六千六百四十七円 であることが報告されま し た。以 上 審 議 承 認 を 求 め た と こ ろ、全 員 異 議 無 く原案通り承認されまし た。 第一号議案 : 平成十八年度 収支決算報告の件 西澤常務理事より説明が 第六号議案 : 役員改選並び に新理事選出の件 三浦常務理事より説明が ありました。予算は会員よ り一件の申し込みがあると して組んだことが報告され ました。以上審議承認を求 めたところ、全員異議無く 承認されました。 第五号議案 : 特別会計︵鵬 桜職業紹介委員会︶平成十 九年度収支予算審議の件 三浦常務理事より説明が ありました。昨年は会員の 申し込みはなかったことが 報告されました。以上審議 承認を求めたところ、全員 異議なく原案通り承認され ました。 第四号議案 : 特別会計︵鵬 桜職業紹介委員会︶平成十 八年度収支決算報告の件 宇野理事より説明があり ました。支出の部で、学会 助成金が〇円なのは、趣意 書が届いていないため、機 関誌支出は鵬桜会報第四十 六号の発行が四月となった ためと説明されました。以 上審議承認を求めたとこ ろ、全員異議無く原案通り 承認されました。 第三号議案 : 平成十九年度 収支予算審議の件 小児科学講座教授 伊 藤 悦 朗 鵬桜会総会報告 平 成 十 九 年 度 弘 前 大 学 医 学 部 鵬 桜 会 総 会 が、平 成 十 九 年 六 月 二 日︵ 土 ︶ 、 午後四時から医学部コ ミュニケーションセン タ ー ︵ M C C ︶に お い て 開 催 さ れ ま し た。西 澤 一 治 常務理事が開会を宣言 し、物 故 会 員 に 黙 祷 を 捧 げ ま し た。石 戸 谷 忻 一 理 事 長 よ り 挨 拶 が あ り、三 年次編入生が卒業した が、一 人 し か 弘 大 に 残 ら ず大変残念であると述べ ら れ ま し た。出 席 者 は 石 戸谷忻一理事長以下十八 名 で し た が、正 会 員 の 過 半数を超える二千六百五 十 六 名 の 委 任 状︵ 総 会 員 数 四 千 五 百 四 十 五 名 ︶の 提 出 が あ り ま し た。定 款 二 十 四 条 に 従 い、議 長 に 佐 藤 眞 先 生 が 選 出 さ れ、西 澤 常務理事より出欠確認が 報告され総会成立が宣言 さ れ ま し た。議 事 録 署 名 人として町田清朗先生と 佐 藤 敬 先 生 が 選 出 さ れ 、報 告 事 項・議 事 が 進 め ら れ ま した。 西澤常務理事より、平成 十八年度庶務報告が行われ ました。次に、町田監事よ り平成十八年会計監査報告 が行われ、町田、八木橋両 監事が元帳及びその他の関 係書類を監査した結果、収 支決算及び会の運営はすべ て適正であったと報告され ました。 議案及びその審議内容と 結果は以下の通りです。 平成 19 年 9 月 20 日 医学部ウォーカー第 42 号 ありました。役員改選に当 三浦常務理事より説明が た り 腹 案 が 提 示 さ れ ま し ありました。故千葉陽一理 た。木村常務理事より提出 事の後任に五十嵐勝朗理事 された辞職願が理事会で受 を あ て る 提 案 が あ り ま し 理された旨の説明があり、 た。承認を求めたところ、 木村常務理事及び昨年亡く 提案通り承認されました。 なられた千葉陽一理事を除 く理事十二名、監事二名の 第八号議案 : 鵬桜会本部移 再任が承認されました。新 転の件 理事には蓮尾 豊先生を推 挙する案が提出され、審議 三浦常務理事より説明が 承認を求めたところ、全員 ありました。駅前区画整理 異 議 な く 承 認 さ れ ま し た。 のため現在地を移転せざる また被選任者は役員就任を を得ない。移転先は未定で あるが、理事会に任せてほ 承諾されました。 しいとの説明がありまし た。承認を求めたところ提 案通り承認されました。 第七号議案 : 職業紹介事業 所担当理事後任の件 報告事項 : 弘前大学医学部鵬桜会永 年勤続理事の木村然二郎常 務理事、故千葉陽一理事に 感謝状が贈られました。東 医体優勝の団体・個人を表 彰しました。 その他、弘前大学長より 弘前大学創立六十周年記念 事 業︵ 二 〇 〇 九・十 予 定 ︶に ついて鵬桜会への協力要請 があり、鵬桜会では全面的 に協力したい旨の報告があ りました。 以上、平成十九年度弘前 大学医学部鵬桜会総会につ いてご報告しました。 平平成 平 成成十 十十九 九九年 年年度 度度動 動動物 物物慰 慰慰霊 霊霊祭 祭祭に にに寄 寄寄せ せせて てて 大大学学 大 学院院 院医医 医学学 学研研 研究究 究科科 科附附 附属属 属動動 動物物 物実実 実験験 験施施 施設設 設長長 長 中 中中 根 根根 明 明明 夫 夫夫 標記されている動物実験の 原 則 で あ る﹁ 3 R ﹂、す な わ ち動物実験を必要最低限に す る こ と ︵ Reduction ︶、 動 物実験を有効に行うこと ︵ Refinement ︶、代 替 手 段 が あればそれに置き換えるこ と ︵ Replacement ︶に つ い て動物実験を行う研究者は 常に認識すべきであること を 述 べ ら れ ま し た。続 い て、出席者による献花が行 われ、厳かな中で慰霊祭は 無事終了しました。 慰霊祭に引き続き記念講 演が行われました。本年は 高度先進医学研究センター 分子生体防御学講座伊東 健教授に﹁凍結受精卵を用 いた遺伝子改変マウスの系 統維持について﹂と題する 講演をいただきました。近 年、分野を問わず標的分子 ︵︵感 ︵ 感感染 染染生 生生体体 体防防 防御御 御学学 学講講 講座座 座教教 教授授 授︶︶ ︶ 去 る 五 月 二 十 二日医学部基礎 講 堂 に お い て、 遠藤正彦学長を は じ め と し て、 多数の教員およ び 大 学 院・学 部 学生のご出席の も と、平 成 十 九 年度動物慰霊祭 が行われまし た。慰 霊 祭 で は 、佐 藤 敬 医 学 研究科長から祭 詞をいただきま し た。こ の 中 で は、動 物 実 験 の 医学研究におけ る多大なる貢献 に 加 え、昨 年 に 引 き 続 き﹁動 物 愛護及び管理に 関 す る 法 律﹂に を強制発現させたりその遺 伝子発現を欠損させたりと いう遺伝子改変動物︵マウ スが主体となりますが︶が 作製され、人間と同じよう に空を飛んで世界各地の研 究室に分布しています。し かし、遺伝子改変動物を使 用する実験を行う場合問題 となる事項があります。そ の中で二つ挙げます。ひと つは、使用しない時でもそ の系統を繁殖・維持してお かなくてはならないことに な り、余 分 な 人 的 エ ネ ル ギーや飼育費をかけざるを 得ないということがありま す。二つ目は、専門業者か ら動物が納入される場合は あまり問題になりません が、大学など研究施設間で の遺伝子改変動物のやりと りをした場合、供与施設の 微生物学的保証がなされる かということです。たとえ ︵規定 specific pathogen-free された病原微生物が陰性で ある状態︶で飼養された遺 伝子改変動物でも、時には 微生物汚染があって、受け 入れ施設での微生物汚染の 原因となり、受け入れ施設 の他の動物への感染の拡大 により直接関係のない研究 者の研究を阻害することに もなりかねません。このよ うな問題を解決する方法と して、培養細胞が凍結保存 されているように、生殖工 学的技術を用いて遺伝子改 変動物の胚や精子を凍結保 存し、必要なときに個体に 戻し繁殖させる技術が進み 実用化されています。本学 では伊東教授の研究室にお いて受精卵の凍結保存とそ れによる系統維持を行って いるため、今回伊東教授に 講演をしていただきまし た。講演では受精卵の凍結 保存および凍結受精卵から 個体へ戻すプロセスの詳細 かつ具体的な技術について 解説をいただきました。さ らに、遺伝子改変マウスを 用いた先生ご自身の研究に ついても紹介していただ き、大 変 勉 強 に な り ま し た。本学動物実験施設も五 年先を目指して、他施設か らの遺伝子改変マウスの搬 入は個体ではなく、受精卵 の供与により行うことと し、動物実験施設で個体に 戻す体制を確立すべく、伊 東教授にお願いしてその準 備を始めているところで す。 最後に、動物実験施設兼 任教員について紹介させて いただきます。昨年六月動 物実験施設石田邦夫先生 ︵当時助手︶が逝去され、 後任ポストが空席のままで し た。昨 年 十 二 月 に 蔵 田 潔前動物実験施設長の後任 として施設長に就任した 際、専任教員の代わりとし て兼任教員を置くことを佐 藤医学部長および医学部動 物実験施設運営委員会で認 めていただき、五名の兼任 教員が任命されました。相 澤 寛 先 生︵ 統 合 機 能 生 理 学 講座︶、原田伸彦先生︵分 子 生 体 防 御 学 講 座︶、胡 東良先生︵感染生体防御学 講座︶、古川賢一先生︵病 態 薬 理 学 講 座︶、森 文 秋 先生︵脳神経病理学講座︶ ︵五十音順︶の各先生は兼 任教員として、動物実験施 設の運営に尽力をしていた だいています。動物実験施 設のこれからのありかたも いろいろと変わっていくか もしれません。また、運営 面でも先生方にいろいろと ご協力を仰がなくてはなら ないかと思います。先生方 には、今後とも動物実験施 設についてご理解とご協力 をお願いいたします。 新潟中越沖地震に派遣されて 研究調書作成はもう間もな くです。研究の益々の発展 のため、今から周到に用意 したいものです。 救急・災害医学講座教授 浅 利 靖 平成十九年度 状況となっています。 惜しむらくは、やはり申 請数の低迷です。附属病院 では若干の増加がみられま すが、医学研究科では少な くなっています。併願の更 なる工夫や、研究科・附属 病院内はもとより、全学、 他学との共同研究の開拓に より、研究科・附属病院が 一致団結して申請件数の増 加に努め、次年度は本年度 を上回る採択件数を目指し ましょう。 さ て 科 研 費 の 申 請 方 法 は、年々利便性が向上して います。年毎に変わる申請 方法は些か戸惑うことも あったかも知れませんが、 数年にわたる試行錯誤の成 果か、最近ようやくウェブ の使い方が格段に易しく なったことが実感できると 思います。平成二十年度の 法医学講座教授 黒 田 直 人 科 学 研 究費補助金採 択 状 況 医学研究科および附属病 院における平成十九年度の 科学研究費採択状況が公表 されました。まずは付表を ご覧ください。 平成十八年度と比較する と、採 択 件 数 は 若 干 減 と なっており、採択率もわず かに低下しています。しか し交付額としては、平成十 九年度から新たに間接経費 が盛り込まれたことも一因 かと思われますが、約二千 万円の増となっており、研 究規模の拡大が示唆される 医学部ウォーカー第 42 号 平成 19 年 9 月 20 日 海の日で休日の七月十六 各部署の方々のご協力を得 日午前十時十三分、新潟県 ながら準備を進め、医薬品 中越沖地震が発生した。発 及び水、缶詰、カップヌー 災から二十分後に厚生労働 ドル、卓上型ガスコンロ、 省より全国の災害派遣医療 寝袋などを浅利の自家用車 チ ー ム D M A T ︵ Disaster に 詰 め 込 み 自 己 完 結 型 の ︶に チームとして、発災から三 Medical Assistance Team 対して待機が要請され、当 日目の十八日水曜日の昼に 院でも救急部の医師が待機 弘前を出発した。本来、D した。十四時過ぎ、新潟県 MATは発災から四十八時 に隣接した県に対してDM 間以内に活動するために準 ATの出動が要請された。 備されている。この超急性 しかし、それ以外のDMA 期には、瓦礫の下から救助 Tに対しては、十七時過ぎ した後の医療など重症傷病 待機が解除された。十八時 者を救うための救命救急医 過ぎ、花田病院長より携帯 療が必要なためである。し 電話に﹁弘大病院のDMA かし、今回はこのフェーズ Tは新潟に行かないのか? に被災地に入ることは困難 行くならサポートする﹂と で、DMAT終了後の救護 連絡が入り、この電話から 所などでの医療を目的とし 弘大病院のDMATのすべ て出発した。また、今回の てが始まった。この後、看 派 遣 チ ー ム は 勤 務 の 都 合 護部、薬剤部、事務部など 上、派遣は四日間で、医師 は 浅 利 の み、 看護師は救急 看護認定看護 師の山内真弓 看護師のみと な っ た。そ こ で平素より救 急部に自主的 に出入りして いる医学部五 年の寺西智史 君と国際医療 研究会でタイ へのスタディ ツアーに毎年 参加していた 石原佳奈君を 誘い込んだ。 発災から四 日目の十九 日、午前七時 からの柏崎市 災害医療本部 での会議で弘 大チームは避 難所の一つで ある柏崎小学 校内の救護所 で日赤の医療 チームとともに活動する こととなった。 医 療 活 動 は 十 九 日 、二 十 日 の 二 日 間、救 護 所 で 打 撲 、切 創 、感 冒 な ど の 被 災 者の診療と被災地域の巡 回診療を行った。 以 下 、医 学 部 五 年 生 の 石 原 佳 奈 君 、寺 西 智 史 君 の 言 葉を紹介する。 ︱︱○︱︱○︱︱ 医学部五年 石原佳奈 被災地はやはり想像以上 に悲惨なものでした。地震 の足跡は確実にそこに生活 している方々から多くのも の を 奪 っ て い ま し た。ま た、避難所はとてもストレ スの多い場所であることも 行ってみて初めてわかりま した。蒸し風呂のような体 育館の中でも暑さに負けず 走り回る子供たち。敷き詰 められたシートやじゅうた んの上に寝そべる高齢者。 そしてそこには、いつこの 苦しさから開放されるのだ ろう、我が家がなくなりこ れからどうしていけばいい の だ ろ う。と い う 不 安 が 漂っていました。活動中、 私にできたことは救護所で のサポートと不安を抱え救 護所を訪れる方や町内で生 活している方々のお話に じっくり耳を傾けることく らいでしたが、様々な不安 とともに生活している方々 に、健康面での安心を供給 していくことは非常に重要 であると感じました。 医学部五年 寺西智史 被災現場へと進む車内か らの風景は、新潟県の長岡 市まで普段の状態と変わら ず、人 も 街 も 大 地 震 が 起 こったことを微塵も感じさ せないほどだったが、柏崎 市へと入った途端、これが 現実のものなのかと目を疑 いたくなる光景が目の前に 広がってきた。凹凸ができ た道路、一階部分が崩れ車 道へ飛び出している家屋、 道路が割れ、その裂け目か ら砂が噴出している部分も あった。そんな状況でも人 は生活しているし、避難所 では子供たちが元気に走り 回っている。この現状を目 の当たりにして、自分の中 で何か不思議な思いが生ま れていた。矛盾というかジ レンマというか、今でもよ くわからない感情がある。 日赤医療チームとの巡回診 療では、倒壊家屋に住んで いた高齢者の方を診療し、 色 々な話を聞いたが、﹁地震 が起こって家が倒れて、も うこれからどうすればいい んだ⋮﹂と言われ、自分自 身がどう返答していいかわ からず、黙ってしまってい ると﹁あなたたちは何も言 わなくていいんだよ、ただ 話を聞いてくれるだけで。 それだけで私の気持ちは楽 になるんだから。本当にこ こまで来てくれてありがと う。﹂と言われ、その時の ことが今でもしっかり思い 出せるくらいに印象的だっ た。 ︱︱○︱︱○︱︱ 医 学 生 が 被 災 地 に 入 り、家 族 や 家 財 を 失 っ た 被災者、負傷したり体調を 崩した被災者に接すること は医の本質を実感し授業や 実習では得ることができな いことを体感できる。医学 生は全員バスに乗せ、寝袋 と飲み水と乾パンを渡 し、二 日 間、被 災 地 の 中 で自分に出来ることを探し てボランティアして来いと 送り出してもよいのではと 常日頃から思っている。そ のような体験をした医学生 は将来、どのような科にす すんでも病気を診るのでは なくヒトを診ることの出来 る医師になるのではないだ ろうか。 最 後 に 救 急 部・集 中 治 療 部のスタッフをはじめ派 遣に当たりご協力いただ きました皆様に感謝申し 上 げ ま す 。 ま た 、こ の 災 害 で命を落とされた方々の ご冥福と被災地の早期の 完全復興を心からお祈り 致します。 平成 19 年 9 月 20 日 第1回 弘大病院がん診療市民公開講座 放射線科学講座教授 阿 部 由 直 第 一 回 弘 大 病 院 が ん 診 療 市 民 公 開 講 座 を﹁切 る ガ ン 切 ら な い ガ ン﹂と い う主題で七月七日弘前文 化センターにおいて弘前 市の共催のもと開催しま し た。会 場 に は 三 百 名 弱 の市民の方々が参加しま 医学部ウォーカー第 42 号 し た。ま ず 花 田 勝 美 病 院 長から公開講座の主旨と 情 報 公 開 す る 意 義、さ ら に附属病院が津軽地域の 医 療 の 中 心 で あ り、中 央 の医療レベルと遜色がな いことをアピールした挨 拶 が あ り ま し た。講 演 は、消 化 器・血 液・膠 原 病内科の福田眞作准教授 か ら﹁胃 が ん﹂に つ い て 最 新 の 内 視 鏡 治 療、手 術 治療そして化学療法を含 め て 解 説 い た だ き、つ い で消化器外科の袴田健一 准 教 授 に は﹁肝 が ん﹂の 治療についてラジオ波凝 固 治 療 か ら 手 術、さ ら に は肝移植そして経動脈血 管塞栓術について紹介し て い た だ き ま し た。呼 吸 器外科の對馬敬夫講師に は﹁肺 が ん﹂の 主 と し て 外科治療について胸腔鏡 下手術を含め解説いただ き、最 後 に 放 射 線 部 の 青 木 昌 彦 准 教 授 か ら﹁放 射 線 治 療﹂に つ い て 最 新 の 治療技術まで紹介してい た だ き ま し た。い ず れ も この分野でのエキスパー ト に よ る 講 演 で あ り、参 加者に分かりやすく話を さ れ ま し た。こ の あ と、 パネル形式で質疑応答を 行い活発な討論がなされ ま し た。会 の 締 め く く り に佐藤 敬医学部長から医 学部としてもがん医療に 積極的に貢献すること と、最 後 ま で 熱 心 に 参 加 されたことに対するお礼 の 挨 拶 が あ り、会 は 散 会 しました。 会の主旨は弘大病院では 津軽地域のがん診療を積極 的に行っており、治療成績 も国内トップレベルである という現状を市民の皆さま に理解していただき、今後 図書館だより 再認識するためにも講演会 は重要な位置を占めると考 えます。 会場に来られた方には弘 大病院﹁がん診療の特徴と 実績﹂平成十九年度版を配 布いたしました。原稿は診 療各科からお寄せいただい たものを編集し、各診療科 の現状を少しでも伝えられ るように構成したもので す。今後、内容について改 訂を重ね、分かりやすい形 でがん診療の情報発信の場 としたいと考えておりま す。 医事課と総務課の有志の 皆様のご協力により今回の 市民公開講座を無事成功さ せることができました。ま た、弘前市の後援により市 報等に広報することができ 感謝しています。最後にな りましたが、公益信託あお もり高度先進医療基金から 病院に寄付された基金の一 部を使用しました。関係者 皆様の心温かい有形無形の ご支援ご援助に感謝申し上 げます。 ある。問題を複雑にしてい 比率に応じて各学部が経 る の は 、こ の Science Direct 費 を 負 担 す る 案 が 現 在 検 の 購 読 が Elsevier 社 の プ リ 討 さ れ て い る。し か し、 附属図書館医学部分館長 蔵 田 潔 ン ト 版 の 総 額 と の 込 み で 算 こ れ ま で﹁ 無 料 ﹂ で ︵統合機能生理学講座教授︶ 出 さ れ て い る こ と で あ る 。 を利用し Science Direct つまり、個別の雑誌の値上 てきたので、受益者負担 現在、本学で閲覧できる げに伴い、もしプリント版 による急な経費増に困惑 オンライン版は出版社ごと を中止したとしても、オン している学部もあり、現 に契約する必要がある。本 ライン版との総額はほとん 時点で結論が得られてい 学 の 中 央 経 費 と し て 電 子 ど変わらず、プリント版を ない。医学研究科として ジャーナルにかけられる予 減らせば減らすほどオンラ は 受 益 者 負 担 に 対 応 する 算 に は 限 り が あ り 、 個 々 の イ ン 版 を 維 持 す る た め の 経 た め 、従 来 Elsevier 社のプ ジ ャ ー ナ ル の 値 上 げ を カ 費が増加する﹁パッケージ リント版をやめ、その購 バーできていない。本年に 契約﹂になっているのであ 読のために拠出してきた なって 誌がオンライ る。全 学 で 購 読 し て い る 経費を電子ジャーナルの Nature ンで見ることができなく 社 の 雑 誌 の 大 半 は 経費に充てる方針を打ち Elsevier なってしまい、大変なご不 医学研究科が費用を拠出し 出している。プリント版 便をおかけしていることは て購読しており、これがオ が減ることにより、利用 承知しているが、これは本 ンライン版の維持を支えて 者にご不便をおかけする 年 度 か ら Nature 誌が大幅な き た と い っ て 過 言 で は な ことは承知しているが、 値上げを行い、その値上げ い。 それよりはるかに多いタ 分をカバーできなくなった しかしながら、今年度以 イトルを閲覧できる電子 からに他ならず、苦渋の選 降の予算について、オンラ ジャーナルを優先するこ 択の結果であることをご理 イン版にかかる経費は受益 とにご賛同いただきたい 者負担で対応せよとの方針 と考えている。さらに、 解いただきたい。 本学で閲覧できるオンラ が全学から示されている。 をはじめ Science Direct イ ン 版 と し て 最 大 規 模 で あ こ れ に 基 づ き 、 Science と す る 電 子 ジ ャ ー ナ ル が ると同時に、最大の経費が に つ い て は 学 部 ご と ﹁無料﹂で利用できるの Direct か か っ て い る の が Elsevier の ア ク セ ス 比 率 が 明 ら か に で は な い こ と に ご 留 意 い 社 に よ る Science Direct で なっているので、アクセス ただければ幸いである。 図書館の役割として、 開架図書や雑誌の閲覧を 含め、学習や研究の場を 提供することが重要なの はいうまでもない。しか し、近年のインターネッ トの普及に伴い、学術雑 誌が発行されるのと同時 にオンライン版で文献を 教室にいながらにしてダ ウンロードすることがで きることは大変な恩恵で ある。このオンライン版 は出版社そのものが提供 するものであるが、その 購読にかかる契約事務等 を行っているのが図書館 であり、その重要性はま すます増大しているもの と考えられる。このオン ライン版について、学内 で最近大きな動きがあ り、本文をその紹介に充 てさせていただきたい。 も情報を市民の皆様に提供 し、発信していくというこ とです。この会を一年に一 回でも継続していければ市 民ならびに地域住民の理解 が一層向上するのではない かと期待しているところで す。何よりも大切なことは 一歩を踏み出すことで、こ こから全てが始まるといっ て過言ではありません。が ん診療は地域の中で実践し ていかなければなりませ ん。この考えは﹁がん対策 基本法﹂ならびに﹁がん対 策基本計画﹂にも盛り込ま れ て い ま す。弘 大 病 院 も ﹁あずましい、おらほの病 院﹂で な け れ ば な り ま せ ん。その目標に向い、かつ ご 挨 拶 ました。 私の学生時代の思い出の 多くは、すばらしい部活の 仲 間 と と も に あ り ま す。 小・中学校と野球をやって いた私は、あまり激しいス ポーツはつらいかな・・と 考え、 ﹁ ピ ン ポ ン ﹂を イ メ ー ジして卓球部に入部しまし た。実は、非常に過酷でか つメンタルなスポーツであ ることを入部後まもなく知 りました。私の部活の同輩 八名︵実はSGTも一緒︶ は、全員違う専門へ進みま したが、今でも数年毎に集 まっては交流を深めていま す 。﹁ 医 療 は チ ー ム ワ ー ク である﹂と良く言われます が、医師同士、コメディカ ルスタッフ等との良好な人 間関係を構築する上で、部 活での経験は将来必ず役立 つ は ず で す。学 生 諸 君 に は、是非とも部活やサーク ルに参加していただき、豊 かな人間性を育んでいただ きたいと思います。 楽 し い 学 生 生 活 の 後 半、 卒業後の進路を決める出 来事が五年生の夏に訪れ ま し た。東 医 体 の 合 宿 中 に第一内科に入院するこ と に な っ た の で す。そ の 時の第一内科の主治医が 棟 方 昭 博 先 生︵当 時 講 師︶ で し た。棟 方 先 生 を は じ めとする消化管グループ の 先 生 方 の 卓 越 し た 診 断・ 治療技術と柔和な人柄に 触 れ 、い つ し か﹁ 第 一 内 科 で 消 化 器 内 科 を や り た い﹂ と思うようになりまし た 。 そ し て 、当 時 吉 田 豊 教 授︵ 前 弘 前 大 学 学 長 ︶が 主 宰されていました内科学 第 一 講 座 に 入 局 し 、消 化 器 内科医としての第一歩を 踏 み だ し ま し た。同 時 に 内科学第一講座の大学院 に 入 学 し、高 杉 滝 夫 先 生 ︵ 現 三 戸 病 院 院 長 ︶、 相 澤 中 先 生︵ 現 西 北 中 央 病 院 院 長 ︶の ご 指 導 の も と 、消 化 吸収関連の研究で学位を 取 得 致 し ま し た。学 位 取 得後まもなく弘前市立病 院 へ 赴 任 し 、三 年 間 多 様 な 臨床経験を積むことがで き ま し た。と く に 白 血 病 の 診 療 経 験 は 、当 時 の 白 血 病の治療成績は極めて不 良 で あ っ た こ と も あ っ て、 私には非常にショッキン グ な も の で し た。何 も の にも代え難い貴重な経験 で あ り 、現 在 の 私 の 血 液 疾 患診療の出発点でもあり ま す 。 ま た 、当 時 弘 前 市 立 病院は消化器領域におい て も 、先 駆 的 な 内 視 鏡 的 治 療︵特 に 食 道 静 脈 瘤 治 療︶ を 行 っ て お り、後 に 私 は 様々な内視鏡治療に関わ る こ と に な る わ け で す が、 その基礎を弘前市立病院 で培ったといっても過言 で あ り ま せ ん。こ れ ま で 大学病院そして関連病院 と色々な病院に勤務しま し た が 、ど こ に お い て も 優 秀で人間味あふれる先輩 の熱心な指導を受けまし た。ご 指 導 下 さ い ま し た 諸先輩に心から感謝する と 同 時 に 、優 れ た 指 導 医 の 育成が私の重要な使命の 一 つ で あ る と 肝 に 銘 じ 、後 消化器血液内科学講座教授 福 田 眞 作 この度、平成十九年八月 一日付けで、棟方昭博教授 の後任として、弘前大学大 学院医学研究科消化器血液 内科学講座を担当させてい ただくことになりました。 私は秋田県︵現在の大仙 市︶に生まれ、豊かな自然 に囲まれながら、部活︵野 球︶に明け暮れる少年時代 を過ごし、その後秋田県の 名門校である県立横手高校 へ進学しました。私は最初 から医学の道を志ざした訳 ではなく、高校卒業間近に は漠然と理学部で化学の研 究をしたいと考えていまし た。当時は一期校、二期校 と二つの国立大学を受験で きましたので、両親・担任 の勧めで二期校は弘前大学 医学部を受験しました。随 分と悩みましたが、最終的 には﹁医学部には生化学と ういう講座もあるらしい﹂ という当時の担任の今思え ばいい加減な助言で医学部 進学を決めました。もしあ くまで﹁化学﹂に固執して いたならば、遠藤正彦教授 ︵現学長︶あるいは土田成 紀教授のお世話になってい た で し ょ う。し か し な が ら、講義や臨床実習を経験 するにつれて、徐々に臨床 医学の魅力に惹かれていき 医学部ウォーカー第 42 号 平成 19 年 9 月 20 日 進の指導にあたりたいと 思います。 平成四年大学に戻ってか らは、当初上部消化管を中 心とした診療を行っていま したが、やがて上部・下部 消化管疾患および胆膵内視 鏡治療にも従事することに なりました。細分化されて いた臓器別診療を、マンパ ワー不足で維持できなく なったことがその背景にあ ります。私自身がより幅広 い領域の専門的知識・診療 技術を習得できただけでは なく、この診療体制は守備 範囲の広い消化器内科の育 成に役立っています。一方 で先進的医療の提供は大学 病院の使命の一つですの で、今後も中央の関連医療 機関との交流・連携を継続 しながら、地方にあっても 中央と同等の医療を提供で きるようマネージメントし ていきたいと思います。研 究面では、学位論文のテー マであった消化吸収に関す る研究を衛生学との共同研 究で継続してきました。そ の他、ヘリコバクター・ピ ロリ菌関連の研究や内視鏡 関連の研究に携わり、現在 にいたっています。今後は 消化器領域に止まらず、新 たな研究テーマに取り組 み、新知見を創造していき たいと考えています。しか しながら、ご存じのように 臨床系講座の医師不足は深 刻で、若手医師が十分な研 究時間を持つことが困難な 状況にあります。レベルの 高い研究成果を上げるに は、豊富な知識と卓越した 研究手法をお持ちの基礎医 学講座の先生方のご協力、 ご指導が不可欠と考えてい ます。今後とも宜しくお願 い申し上げます。 我々が卒業した頃、各講 座・病院全体が若い医師で ではなく、各講座・診療科 等の許されるスペースも十 分活用して、貪欲に自らを 教 育 し て 下 さ る ことを改め てお願いします。 最後になりましたが、巻 渕様には改めて心より感謝 医医学学 医 学研研 研究究 究科科 科長長 長 佐 佐佐 藤 藤藤 敬 敬敬 申し上げます。今後も、微 力ではありますが、教育環 に巻渕基金が創設され、教 お願いします。また、これ 境の整備に努めて行くこと 育 の た め の 使 途 を 検 討 し て を 機 に 、 B S L の 学 生 は ラ で 、 ご 厚 志 に お 応 え し たい き ま し た 。 学 生 か ら の 要 望 ウ ン ジ に ば か り 集 中 す る の と思います。 も考慮した結果、臨床研究 棟三階に学生のためのラウ ンジを新設す ることができ ました。 六月二十七 医医学学 医 学科科 科五五 五年年 年 石 原 佳 奈 日 に は﹁巻 渕 ラ ウ ン ジ﹂開 設 式 が 行 わ ﹁ 私 た ち の 声 を 大 学 に 届 ち の 考 え や 意 見 を 大 学 に 届 れ、学 生 代 表 けたいね﹂クラスメイト数 けたい!大学、教員、学生 から頼もしい 人との会話、それが巻渕ラ が歩み寄ることによって、 意向の表明が ウ ン ジ 開 設 へ の 第 一 歩 に もっともっと素敵な弘前大 ありました。 なったように思います。ま 学になるはずだ!という考 幸 い 自 治 会 を た 、 そ れ は 私 た ち 弘 前 大 学 え の 基 、﹃ あ な た の 五 分 で 中心として、 医 学 部 学 生 自 治 会︵通 称 大学が変わる﹄をキャッチ 学生自らが運 ︵ Medical Information フ レ ー ズ に 、 私 た ち は 独 自 M.I.C. 営に当たるこ ︶︶ の 活 動 の 始 の 学 生 ア ン ケ ー ト を 行 い ま Community と に も な り ま ま り で も あ り ま し た 。 私 た し た 。 そ の 中 に 、﹁ 学 生 ラ し た。学 生 諸 ウンジがあった 君 に は 、知 識 、 らいいと思いま 技術の習得と すか?﹂という 人格陶冶の場 項目がありまし の一部として た。 有効に利用し そ の 結 果、多 て下さるよう くの学生が学生 ラウンジ開設を 希望しているこ とがわかりまし た。私たち学生 一人一人の声が 一つの大きな声 になり、大学に 届けるという初 めての成果を挙 げることができ ま し た。﹁学 生 の考えをできる だけ聞きたい。 可能なことは積 入学試験が終わったその日 の夕方、大相撲春場所千秋 楽で弘前出身の初代貴ノ花 が北の湖を破って感動的な 初優勝を飾りました。地元 市民と一緒に歓喜した瞬間 を今でも鮮明に記憶してい ます。あれから三十三年間 弘前で過ごし、弘前大学に 育てられて参りました。今 後とも母校の発展のために 尽 力 し た い と 思 い ま す。ど うぞ宜しくお願い致します。 ︵次ページへ続く︶ 巻巻渕 巻 渕渕ラ ララウ ウウン ンンジ ジジ開 開開設 設設式 式式典 典典 開 開開催 催催に ににあ ああた たたっ っって てて ﹁巻渕ラウンジ﹂について 志半ばにして夭逝された 巻渕秀夫先生︵昭和五十四 年卒︶のご遺志と、お母様 の巻渕美智子様のご厚志に より、弘前大学医学研究科 あふれ、活気に満ちていま した。ところが、国の政策 による医学部定員の削減、 そして新卒後臨床研修の必 修化以降、弘前大学で研修 する医師が激減し、医学部 全体が極めて深刻な医師不 足の状況に陥っています。 医学部における臨床・研究 の魅力と母校の温かさを医 学生に訴え続け、そしてい つの日か活気に満ちた医学 部を取り戻したいものです。 昭和五十年春、医学部の この度平成十九年七月十 六日をもちまして、富山大 学法医学講座を担当させて 頂くことになりました。早 速、本紙面にてごあいさつ の機会を頂き、広報委員会 の諸先生をはじめとする全 ての関係者の皆様に心より 感謝申し上げます。 私は、北海道立函館中部 高校を卒業後、昭和六十年 に弘前大学医学部へ入学致 しました。今振り返ります と、お世辞にもまともとは いえない学生生活をほぼ一 貫して過ごし続けました が、友人や所属した卓球部 なっていくことと思いま す。このような場所をいた だけたことは、私たち学生 にとって大きな意味を持ち ます。学生の声が一つにな り、学生が望んでいた空間 を与えていただいたこと。 大学と学生が歩み寄りまた 一つ弘前大学に素晴らしい 場所が増えたことは、弘前 大学の歴史に残る瞬間だと 思っております。そしてこ れと同時に、私たちが医師 になるにあたり、本当に多 くの方々のご理解とご協力 があるということを改めて 感じさせてくださった部屋 でもあります。学生を代表 を中心とする先輩、後輩に 恵まれて平成三年に無事卒 業させて頂き、当時永井一 徳教授が主宰されておりま した病理学第一講座に大学 院生として入局させて頂き ました。大学院在学中に、 八木橋操六教授がご就任さ れ、そのご指導の下で糖尿 病性末梢神経障害の形態学 的研究を行い、平成八年に 学位を頂きました。両教授 を始めとする教室スタッフ の先生、大学院の先輩、関 連病院の諸先生はみな親切 で優秀な方ばかりであり、 昼夜を問わず、不出来な私 を暖かく教育して下さいま した。特に、故伊原勝雄先 生︵ 当 時 青 森 労 災 病 院 ︶、方 山揚誠先生︵八戸市立市民 病院︶には診断病理学に関 し、充実したトレーニング を さ せ て 頂 き、平 成 八 年 に、無事専門医を取得する しこの場をお借りして御礼 申し上げます。本当にあり がとうございました。私た ち学生は、このことを忘れ ることなく、巻渕ラウンジ を大切に使わせていただき たいと思います。 最後になりましたが、ご 子息を亡くされた深い悲し みの中からも暖かいご寄付 をくださいました巻渕美智 子氏に学生一同深く感謝し ております。私たちがきち んと成長し、一人前の医師 になることで御恩に報いた いと思います。本当にあり がとうございました。 ことができました。 学位取得後は国立循環器 病センター病理部門で三年 間後期研修をさせて頂きま した。当時の同センターは 剖検率が高く、豊富な臨床 データが残った貴重な症例 の剖検を多数手がけさせて 頂きました。また、蓄積さ れていた多数の剖検例を用 いた臨床病理学的研究、特 に肺血管原性高血圧や大動 脈瘤破裂、心原性脳塞栓例 の解析結果を多くの学会の シンポジウムやワーク ショップ等で発表させて頂 いたことは、大変貴重な経 験となりました。昼夜を問 わず仕事に熱中した期間で あったものの、研修医であ るが故に生活は決して楽で はなかったのですが、関西 在住の弘前大学出身の病理 の諸先生に、物心両面の多 大なご援助を賜りました。 富富山 富 山山大大 大学学 学大大 大学学 学院院 院医医 医学学 学薬薬 薬学学 学研研 研究究 究部部 部法法 法医医 医学学 学講講 講座座 座 西 西西 田 田田 尚 尚尚 樹 樹樹 就就任 就 任任ごご ごああ あいい いささ さつつ つ 極的に取り組みたい﹂とい つも私たちの声に耳を傾け てくださり、まさにそれを 受け取ってくださった医学 部 長 佐 藤 敬 先 生 、学 務 委 員 長 奥 村 謙 先 生 、副 学 務 委 員 長鬼島 宏先生を始め多く の先生方や職員の方々のご 理解ご協力のもと素晴らし い巻渕ラウンジがついに完 成を迎えました。 これから巻渕ラウンジは 多くの学生が、ゆっくり昼 食 を 取 っ た り、休 憩 を 取 り、将来の夢を語り合った り、授業や実習での学び多 き出来事を話し合う場に ︵前ページより︶ 平成 19 年 9 月 20 日 医学部ウォーカー第 42 号 おかげさまで家族共々本当 に思い出深い関西生活にな りました。心よりお礼申し 上げます。 セ ン タ ー 在 籍 中 に 、心 臓 原性の例を始めとする突 然死の病態解析をしてみ た い と 考 え る よ う に な り、 平 成 十 一 年 の 春 に 、症 例 を 多数有している法医学分 野 の 門 を 叩 き 、九 州 大 学 の 法医学教室にお世話にな る こ と に な り ま し た。以 前 弘 前 大 学 に い ら っ しゃった池田典昭教授か ら法医解剖のご指導を受 け る 一 方 、乳 幼 児 や 成 人 の 突然死例の剖検例におけ る 、心 刺 激 伝 導 系 や 中 枢 神 経の病理学的解析をス タ ー ト さ せ ま し た。平 成 十 四 年 秋 に 、秋 田 大 学 医 学 部 へ 移 っ て か ら は 、剖 検 率 の更なる向上に取り組む 一 方 、外 力 と 心 刺 激 伝 導 系 損 傷 の 関 連 や 、中 枢 神 経 疾 患を有する突然死や不慮 の事故死の解析などにも 研 究 テ ー マ を 広 げ 、大 変 充 実した日々を送らせて頂 き ま し た。ま た 秋 田 で は 秋田脳血管センターの客 員 研 究 員 を さ せ て 頂 き 、同 門の吉田泰二病理学研究 部 長 に 、変 性 疾 患 を 中 心 と し た 中 枢 神 経 疾 患 の 診 断、 研 究 に 関 し 、多 大 な ご 指 導 を賜りました。 富 山 に は 全 く 知 人 が い ない状態でやって参りま し た が 、方 山 先 生 か ら 、同 門である富山県立中央病 院病理部の三輪淳夫部長 を 御 紹 介 頂 き、ご 挨 拶 に 参 っ た と こ ろ 、県 内 の 病 理 の 先 生 を 御 紹 介 頂 い た り、 土地の事情を教えて頂い たりと大変お世話になっ て お り ま す。私 は 全 国 各 地で勉強させて頂いて参 り ま し た が 、い つ も そ こ に は同門の優れた先輩がい 就就任任 就 任ごご ごああ あいい いささ さつつ つ 弘 前 の 皆 様、同 窓 の 皆 様、お久しぶりです。この たび、私は東京医科大学外 科学第四講座教授[霞ヶ浦 病院一般外科]を拝命いた しました。よろしくお願い 致します。私は弘前大学医 学部を昭和四十六年に卒業 し、直ちに弘前大学医学部 第二外科教室[大内外科] に入局、一般外科学、消化 善を目指す必要性があるも のと考えております。その 際、法 医 学 講 座 に お い て も、より精度の高い剖検を 行うための内部体制の整備 がより求められることは言 うまでもなく、遺族、医療 サイド、司法当局のいずれ もが納得しうる客観的かつ 学問的な剖検に努めていか なくてはならないと考えて おります。剖検率、質の向 上を目指し、その剖検結果 を社会貢献としての死因の 究明に留めず、研究領域や 卒前、卒後教育に積極的に 活用していくことで、講座 を発展させ、後進に法医学 実務、人体病理学、研究の 必要性を伝えていければと 願っております。今後とも ご指導、ご鞭撻の程、よろ しくお願い申し上げます。 器外科学を学びました。そ の後、昭和五十八年十月に 東京医科大学霞ヶ浦病院外 科消化器科に移籍しまし た。霞ヶ浦病院は東京医科 大 学 病 院[ 新 宿 ]、八 王 子 医 療センターとともに東京医 科大学の三つの病院の一つ で、茨城県南の阿見町にあ ります。ここは日本第二の 広さをもつ霞ヶ浦や筑波山 に近く、自然豊かな田園地 帯です。 当地に着任以来、約二十 四年間、一般外科消化器外 科の全般に渡り診療、そし て教育、研究を行ってきま したが、その間でも、特に 大腸疾患[炎症性腸疾患、 癌]の外科的治療法の研究 に大変興味を持ってきまし た。これは大内外科時代か ら引き続くものです。 今回、このページをお借 りして、我々が施行してい る直腸癌切除後の再建法に ついて紹介したいと思いま す。直腸癌に対する手術法 は 、以 前 に は 直 腸 切 断 術 、永 久人工肛門造設とされてき ま し た が 、最 近 で は 、上 部 直 腸癌でほぼ全例、永久人工 肛門造設が避けられ、術後 再発、術後肛門機能不全な どの問題を解決した肛門括 約筋温存術が、下部直腸癌 に対しても約八十%に施行 されるようになりました。 直 腸 切 除 後 の 再 建 方 法 と し て 、経 肛 門 的 に 自 動 吻 合 器 を 挿 入 し 、端 端 で 吻 合 する手技が広く一般に普 及 し て い ま す。こ の 方 法 は 効 果 的 で、容 易 で す が、 経肛門的に自動吻合器を 出 し 入 れ す る た め 、術 後 の 肛 門 括 約 筋 損 傷 や 、肛 門 管 静止圧減弱による肛門機 能不全が約十 ∼ 二十%に 発 生 す る と さ れ ま す。そ こ で、我 々 は、便 の 漏 れ、 失禁の原因となるこの肛 門括約筋不全の防止のた め に 、肛 門 管 を 完 全 に 温 存 す る こ と と 、直 腸 膨 大 部 摘 出 後 の 貯 留 能 喪 失 か ら 、速 や か に 回 復 さ せ る 、即 ち 頻 便の早期改善を目的とし て 側 端 吻 合 を 採 用 す る 、こ の二つを目的として自動 吻合器を使用した経肛門 的操作のない結腸直腸側 東東京 東 京京医 医医科 科科大大 大学学 学外外 外科科 科学学 学第第 第四四 四講講 講座座 座 中中 中 田田 田 一 一一 郎 郎郎 ︻︻ 霞霞ヶヶ ︻霞 ヶ浦浦 浦病病 病院院 院一一 一般般 般外外 外科科 科︼︼ ︼ ら っ し ゃ い ま し た。歩 み が止まりかけた時に足下 を照らして頂きました皆 様に改めて感謝申し上げ ます。 本邦は、欧米諸国に比し て異状死体の剖検率が極め て低く、死因の究明や正確 な死亡統計の作成という観 点からは大きな問題となっ ております。富山県は、特 に剖検率が低く、関係方面 に対し、着任のご挨拶を兼 ねて剖検率の向上と剖検シ ステムの整備の必要性を説 明して歩いております。こ の剖検システムの不備は、 昨今言われております医療 関連死の原因究明や、医療 側と遺族間、司法当局との 疎通がスムーズに行われな い原因の一つとなっている ものと考えられ、早急に改 端 吻 合 法 、 Abdominal Stapled Side-to-End Anasto︵ Baker m o s︵i s A S S E ︶ A ︶︵ I. Nakada, et al. type Colorectal disease 2004; 6: ︶を 施 行 し て い ま 165-170. す。 一 九 九 八 年 か ら 、連 続 し て九十六例に本法を施行 し た 結 果 を 見 ま す と 、縫 合 不 全 は 五 例︵ 五 . 二 % ︶に 発 生 し ま し た が 、術 後 の 肛 門 機 能 検 査 に 異 常 な く 、便 の 漏 れ 、脱 糞 例 は 認 め ら れ ま せ ん で し た。術 後 の 排 便 回 数 の 推 移 に つ い て も、 二ヵ月後には検査全例で 四行以下となり良好でし た。そ れ で 直 腸 癌 切 除 後 のASSEAは術後のQ O L を 良 好 に 保 つ 、安 全 か つ 容 易 な 方 法 と 思 わ れ、 我々は本法を標準術式と しています。 次いで、最近の卒後医学 教育の現状について見ます と、新医師臨床研修制度の 施行後、大学病院での研修 を避ける傾向にあるようで す。さらに医療訴訟の増加 で外科医を希望する新卒医 師が減少していること、外 科専門医制度の実施によっ て、経験症例数のみが重視 さ れ 、 Surgical scientists 外 科科学者になることを望む 医師が激減しています。将 来にとって良い状況ではあ りません。私は、もう少し の間、外科科学者の養成に 努めて行きたいと思ってい ます。 当地は霞ヶ浦に近いと述 べ ま し た。暇 を 見 つ け て は、学 生 時 代 か ら 覚 え た セーリングをし、また冬に は 、安 比 高 原 、万 座 温 泉 、蔵 王温泉スキー場などへ行 き、スキーを楽しんでいま す。今後ともよろしくお願 い致します。 別に見ると、全国総マッチ 者数八千九十四名のうち、 東 京 、神 奈 川 、埼 玉 、千 葉 、 愛 知 、大 阪 、京 都 、兵 庫 、福 岡の九都府県のマッチ者は 四 千 七 百 三 十 六 名︵五 十 八・五%︶を占めている。 すなわち約六割の研修医は 大都市圏に集中しており、 残りの約四割の研修医を他 の三十八道県で分け合うと いう図式になっている。国 の施策については具体的に どのような手段によって 〝 是 正 〟や〝 対 策 〟が 行 わ れ るのかも、とても気になる ところである。医師を地方 に誘導するための手段とし て新聞等で報道されている よ う な﹁ 奨 学 金 ﹂ ﹁将来の良 いポスト﹂という〝アメ〟 や、﹁へ き 地 医 療 の 義 務 化﹂﹁へき地医療の経験が なければ将来不利になる﹂ といった〝ムチ〟でコント ロールする案に違和感︵ほ とんど不快感︶を感じるの は私だけであろうか。そも そも我々医師は誰から言わ れたわけではなくても、長 年にわたり﹁医療﹂という 社会的に不可欠な役割を当 然のこととして黙々と果た し て き た、誇 り 高 い プ ロ フェッショナル集団ではな かったのか? 国が何らか の対策を立てるのであれ ば、アメやムチで縛るより も、できるだけ我々医師の 自己裁量を尊重し、同時に それでも十分にやっていけ るような環境の整備︵経済 的な保証、誇りを持って働 けること、自らの健康を害 さずに働けること︶を望む ものである。医師は基本的 には﹁社会に貢献したい﹂ ﹁患 者 さ ん の 役 に 立 ち た い﹂と純粋に思っているも のなのだから。 ︿更なる進化を目指した本 学のプログラムの変更点﹀ さ て 、誇 り 高 い 、独 立 し た プロフェッショナル集団で あ り 続 け る た め に は、常 に 社会およびクライエントの ニ ー ズ を 捉 え、同 時 に 絶 え 間のない自己研鑽を続けな く て は な ら な い。研 修 プ ロ グラム改善のための努力も し か り で あ る。平 成 二 十 年 度本学卒後研修プログラム に は、研 修 医 の ニ ー ズ に 応 え、良 い 研 修 を 通 じ て 社 会 に貢献できるよう更に工夫 を 加 え た。即 ち よ り 進 化 し た も の を 目 指 し、メ ン タ ー 制 度 の 新 設、プ ロ グ ラ ム D の 新 設、選 択 科 研 修 の 期 間 の 延 長︵逆 に 必 修 科 目 で あ る 小 児 科 、産 婦 人 科 、精 神 科 は 各 一 ヶ 月 に 短 縮 ︶、 内 科・ 外科研修の選択の幅の拡 大、な ど の い く つ か の 変 更 点 を 設 け た。中 で も メ ン ター制度は目玉であると考 え て い る。メ ン タ ー 制 度 の 概要は以下の通りである。 メンターとは研修医が二 年間の研修期間を通じて、 困ったときの相談役となる 医 師 の こ と で あ る。メ ン ターのそもそもの語源はギ リシャ神話に登場する賢者 ﹁メントール﹂である︵オ デュッセウス王の友人であ り、王子テレマコスの家庭 教 師 を 務 め た と い う ︶。 メ ンター制度はビジネス界な どでは既に先行して普及し ており、新入社員に対する 個別の指導者として数年上 の先輩社員をつける制度が 行われているとのことであ る。また研修医に対するメ ンター制度を持つ病院もあ るようである。本学附属病 院で設けようとしているメ ンター制度では、研修医に まず研修を開始するにあた り、本院の各科の指導医の 中から、自分の最も信頼す る医師をメンターとして指 名してもらう。そして医師 生活のスタートを切る当初 の二ヶ月︵内科系︶ないし 一・五 ヶ 月︵ 外 科 系 ︶を 、内 科研修または外科研修の一 環としてメンターの所属す る科で、メンターにより直 接﹁初歩の初歩﹂とも言う べき手ほどきを受ける。具 体的内容としては、 ︵ 一 ︶患 者さんとのコミュニケー ションのとり方、 ︵ 二 ︶医 療 面 接 の 仕 方 、︵ 三 ︶ 身 体 診 察 、︵ 四 ︶ カ ル テ 記 載 法 、 ︵五︶処方箋、注射箋の書 き方、 ︵ 六 ︶病 棟 に お け る 指 示の出し方、 ︵ 七 ︶採 血 、点 滴等の病棟における日常的 処置、 ︵ 八 ︶上 記 事 項 に お け る安心と安全面への配慮、 など︵メンターが外科系指 導医である場合には、これ 弘弘前前 弘 前大 大大学学 学医医 医学学 学部部 部附附 附属属 属病病 病院院 院 総総 総合合 合診診 診療療 療部部 部教教 教授授 授 加加 加 藤 藤藤 博 博博 之 之之 同同 同 卒卒 卒後後 後臨臨 臨床床 床研研 研修修 修セセ センン ンタタ ターー ー長長 長 ﹁﹁卒卒 ﹁ 卒後 後後研研 研修修 修必必 必修修 修化化 化をを をめめ めぐぐ ぐるる る昨昨 昨今今 今のの の 動動 動向向 向とと と本本 本学学 学のの の新新 新ププ プロロ ロググ グララ ラムム ム﹂﹂ ﹂ ︿〝必修化〟を取り巻く昨 今の医療情勢の動向﹀ 新医師臨床研修制度︵卒 後研修必修化︶がスタート して三年半が経過した。制 度そのものを見ればそれな りに定着してきた感がある が、一方もっとマクロ的な 視点すなわち国民・患者の 視点から、この間の医療を 見 れ ば﹁ 医 師 不 足 ﹂ ﹁医療崩 壊﹂ ﹁ 地 域 格 差 ﹂な ど が 急 速 に 進 行 し 、〝 地 域 社 会 で 安 心して暮らす〟ことや〝安 心して生み育てる〟ことに 不安を感じる三年半であっ たと言えるかもしれない。 もちろんこれらの問題の原 因がすべて卒後研修必修化 にあるわけではなく、必修 化はあくまで引き金になっ たにすぎないとする意見が 多い。元来医療の現場は潜 在的にたくさんの問題を抱 えていたが、卒後研修必修 化が発端となり、これらが 連鎖的に次々と顕在化した というわけである。しかし ﹁地域住民の命と健康を守 る﹂という医療本来の機能 が現実に危機に瀕している 以上、国も傍観しているわ けにはいかない。対策とし て政府・与党は本年五月に ﹁都市への研修医の集中是 正﹂など六項目を内容とす る〝緊急医師確保対策〟を 打 ち 出 し た 。﹁ 研 修 医 の 都 市圏への集中﹂は事実相当 なものであり、例えば昨年 十月のマッチング結果を県 医学部ウォーカー第 42 号 平成 19 年 9 月 20 日 らに加えて、手術に関連す る初歩的日常業務を含む︶ であり、その後の研修生活 を円滑に行うための基盤を 形成することに力点を置 く。そ の 後 は 各 科 を ロ ー テーションして研修を行う が、その間もメンターは研 修医の希望に応じて、研修 修了まで相談役を務める。 ︿メンター制度に期待する 役割﹀ ご存知のように新医師臨 床研修制度ではローテート する科と期間が細かく規定 されており、研修医は短期 間で多数の科を回ることを 余儀なくされる。そのため 研修医は各科にローテート するたびに、新しい環境に 短期間で慣れることを要求 される。このような場合、 研修医の適応能力は個人に よりかなり幅があり、新し い環境に溶け込むことが得 意な人もいれば、そうでな い人もいる。場合によって は研修医に相当の精神的ス トレスがかかることがあり うるわけである。旧制度で あ れ ば、い わ ゆ る 入 局 に よって将来専攻する科が決 まると同時に、新人に対し ては各科の先輩医師たちが 公私にわたって世話をする 環境が自然に出来上がって いた。しかし新制度ではこ のようなシステムが崩れた ことから、卒後臨床研修セ ンターがあるとはいえ、従 来に比べれば研修医に対し 〝かゆいところに手が届く ような〟目配りはしにくく なっているのが現状であろ う。メンター制度はこのよ うな新医師臨床研修制度の 弱点を補うものとして強い 期待が寄せられている。医 師人生のスタートを切る大 切な時期に、自分が最も信 頼する指導医から手ほどき をしてもらうことができる なら、本当に素晴しいこと である。更に卒後三年目以 降の専門研修を含む医師と しての将来設計を相談でき るのであれば最高である。 メンターの語る﹁自分はな ぜ こ の 道 を 選 ん だ の か﹂ は、その研修医にとってと ても重みのある〝道標〟に なるはずである。 ︿新設された第四のプログ ラムD﹀ メ ン タ ー 制 度 に 並 ぶ も う 一つの大きな変更点として プログラムDの新設が挙げ ら れ る。従 来 か ら 設 置 さ れ ているA、B、Cの三つのプ ログラムの基本骨格に変更 は な い。す な わ ち プ ロ グ ラ ムAは一年目、二年目とも大 学病院、プログラムBは一年 目が大学病院、二年目が研修 協力病院、プログラムCは一 年目が研修協力病院、二年目 が 大 学 病 院 で あ る。プ ロ グ ラムDはこれらに次ぐ第四 のプログラムで、プログラム AとプログラムBの中間的 性 格 を 持 つ。す な わ ち 二 年 間のうち一年半を大学病院 で研修し、二年目の半年間を 研修協力病院で研修するも の で あ る。内 容 的 に は 一 年 半の大学病院での研修で基 本 科 目、必 修 科 目 で あ る 内 科、外科、救急・麻酔、小児 科、産婦人科、精神科、地域 保健・医療を修了し、研修協 力病院では半年間選択科を 研 修 す る。従 っ て 研 修 医 本 人と研修病院側の意向が一 致すれば原則として何科を 研 修 し て も 自 由 で あ る。半 年間一つの科だけを研修し てもよいし、二︱三ヶ月ずつ いくつかの科を研修しても 構わない。 ︿臨床実習中の〝出会い〟 や〝思い〟を大切に﹀ 私、医学部こぼれ話をスー パーネズミより引き継ぐこ ととなりましたが、キャラク タ ー 名 は ま だ あ り ま せ ん。 最初ということで、こぼれ話 と い う よ り、医 学 部 ウ ォ ー カーにものを書くというこ とに関して最近感じるとこ ろを少し。 このところ、医師、病院、 大 学、公 務 員、先 生、警 察 などなど、厳しい目にさらさ れ る 職 種 で す。医 学 部 大 学 病院で働く医師であれば、厳 しい目の五乗くらいになり そ う で す。様 々 な 批 判 に 関 して、様々なメディア報道の 中には、少し誤解もあるので はと、感じる面もあるのです が、そういったことを、きち んと主張する場はないのか、 取り上げてもらいにくいよ うに思えます。振り返って、 医学部ウォーカーが、その場 だというには少し短絡的す ぎるかと思います。ただ、こ の医学部ウォーカーの影響 五年生の臨床実習︵BS L︶や 六 年 生 の ク リ ニ カ ル・クラークシップの実習 先である病院が研修協力病 院になっていることも多い ので、五・六年生のときに 実習先で﹁○○先生に指導 してもらえて本当に良かっ た﹂とか﹁○○科で特に充 実した実習ができた﹂など の〝素晴らしい出会い〟が あったのであれば、卒後は 是非本学プログラムの中で 〝出会い〟を継続・成長さ せてほしい。医師人生の中 で尊敬できる師や興味の持 てる科に出会えるというこ 力は、たずさわっている者が 思っている以上に弘前大学 の中だけでなく、病院、大学 OBを含んだ多方面にわた ることを、市中病院へ出かけ る 際 に 実 感 さ せ ら れ ま す。 現在、弘前大学のホームペー ジからも、医学部ウォーカー を以前のものから見ること ができ一般にも開かれたも の に な っ て い ま す。殊 に 受 験生諸君がよく見ているよ うです。今更ながら、書き言 葉、活字の威力を知るのです が、同時に活字となったもの は、発言者の表情、声の調子 抑揚、身振りなどの雰囲気、 状況などの情報を伝えられ ま せ ん。活 字 の み で す。怖 いですね。しかし、この医学 部ウォーカーの担当を、名前 を明かさずに書くという気 持 ち に も な れ ま せ ん。と い うわけで、脳研 脳神経生理 学講座上野がしばし担当し ます︵ネタがどれだけ続くや らーー︶。 と は 幸 せ な こ と で あ り、 ラッキーなことである。学 生・研修医一人ひとりの思 いを生かせるプログラムと して是非本学のものを活用 してほしい。詳しくは平成 二十年度本学プログラムの 広報冊子﹁君の未来がここ にある﹂を御参照下さい。 連絡先 〒 八五六二 :〇三六 − 青森県弘前市在府町五番地 弘前大学医学研究科学務グ ループ臨床研修担当. 電話 〇 :一七二 三 −九 五 −一七八 Eメール : [email protected] 捉えようとするからであ る。網膜はどの領域も光を 感じ取る能力を有している が、中心窩が大半の視力を 生成している。もし中心窩 が何らかの病変で損傷する と、それ以外の網膜が健常 であっても視力は著しく低 下する。見るものの対象が 網膜周辺部に出現すること が頻繁に起こるが、このと き、対象となる網膜周辺領 域から中心窩までの視覚空 間上のずれ︵誤差︶が上丘 で計算され、その誤差に相 当する眼球運動を同じ上丘 が生成することにより、中 心窩で対象物を捉えるとい う変換が行われている。こ れ も、手 の 到 達 運 動 同 様 に、眼球運動の座標変換系 として上丘が機能している ものといえよう。また、上 丘はそれのみで機能してい る の で は な く、そ こ に 大 脳、基底核、それに脳幹な ど別の中枢領域からの状況 に応じた調節を受けて動作 しているので、これらの機 能の解明を目指している。 脳の神経活動と代謝活動の 関連性に関する研究 第三の主要テーマは山田 准教授を中心とするグルー プが行っている神経活動と 代謝血流量との関連性に関 す る 研 究 で あ る。こ の う ち、脳活動のエネルギーは 専らグルコースに依存する ため、脳内ブドウ糖低下を 感知することは重要であ り、この検知機構と神経活 動依存的局所脳血流調節機 構の解析を行っている。特 に、中脳黒質網様部ニュー ロンがグルコース濃度低下 を感知する事を見いだして おり、単離細胞、脳スライ スを用いたパッチクランプ や組織学的検索を組み合わ せてその機序の解明を目指 中 路 重 之 している。さらに神経活動 と代謝血流量との関連性を 調べる手法としてイメージ ングによる解析を行ってい る。脳は神経興奮領域で血 流が局所的に増大すること が知られているが、この機 構に血管平滑筋型ATP感 受性カリウムチャネルが重 要な役割を果たしているこ とがノックアウトマウスを 用いた脳血流応答および血 管構築の解析結果から明ら かになってきているので、 蛍光で可視化した脳血管の リアルタイム変動を共焦点 顕微鏡によって画像解析を 行っている。これらの研究 世話人 弘前大学大学院医学研究科社会医学講座教授 蔵 田 潔 ︵統合機能生理学講座教授︶ もが日常的に行っている。 この到達運動に際して、わ れわれの脳は、まず到達す べき目標を眼で捉え、それ が自分の頭や体に対してど の空間的位置にあるかを認 知する。すなわち、脳内に はまず視覚空間認知マップ が形成され、次にそのマッ プにもとづきどのような手 の運動をすべきかを計算す るものと思われる。このよ うな情報変換は視覚空間か ら運動空間への座標変換と 呼ばれており、脳の多数の 領域がこれに関わっている と考えられる。中でも、中 心前回の一次運動野の前方 に存在する運動前野と呼ば れる領域がこの変換系とし て重要な役割を果たしてい ることを、これまで到達運 動遂行中のニューロン活動 の解析により明らかにして き て い る ︵ 蔵 田 ︶。 さ ら に 、 これに密接に関連した研究 として、本学附属病院内の 脳 磁 図 計︵ M E G ︶を 用 い 、 ヒトの随意運動制御に関す る高次脳機能の研究を行っ ている。 急速眼球運動の制御に関す る脳機能の研究 第二のテーマは、急速眼 球運動の制御に関する相澤 准教授の研究である。急速 眼球運動の主要な中枢は脳 幹の上丘と呼ばれる領域で ある。われわれが眼を動か すのは、網膜中心窩という 小さな領域で見たいものを 「日本そして青森の医療の 将来像について」を終えて 統合機能生理学講座 生理学教室の統合 当教室は、大学院医学研 究科の部局化に合わせて旧 第一生理と第二生理が統合 された講座となり、統合機 能生理学講座として本年四 月一日からスタートした。 従来これら二講座で行われ てきた研究は、旧第一生理 ではパッチクランプ方によ る細胞レベルでの生体応答 の研究であり、他方、旧第 二生理は高次脳機能を中心 とする研究であるので、そ の意味でミクロレベルから システムレベルまでの多角 的な神経研究を行う講座と してスタートしたといえよ う。この機会に、本講座で 行われている研究内容を以 下に紹介したい。 手の到達運動の制御に関す る脳機能の研究 第一のテーマとして、動 物、特にヒトと相同な脳機 能を有して いると考え られる霊長 類 を 用 い、 手および眼 の随意運動 制御に関す る脳の高次 機能の研究 で あ る。手 の運動制御 系としての 研究の対象 は物体への 到達運動で あ る。ア メ リカ大リー グ で イ チ ローが行う 華麗な到達 運動として のボールの キャッチは 誰にでもで きるわけで は な い が、 基本的な到 達運動はわ れわれの誰 日本予防医学会第4回講演会 平成 19 年 9 月 20 日 医学部ウォーカー第 42 号 の詳細については、本年三 月に発行された医学部 ウォーカー第四十号に山田 准教授が寄稿されているの で、そちらを参照されたい。 脳機能の統合的解明に向け て 現在、文部科学省科学研 究費の特定領域として五領 域からなる﹁統合脳﹂研究 が全国規模で行われてい る。ここではミクロレベル からマクロレベル、さらに 脳疾患の解明と治療に向け た研究が精力的に行われて いる。本学では本講座の蔵 田と神経精神医学講座の兼 子教授が公募班員として研 究の一翼を担っている。脳 研究は単一の方法論で解明 できるものではなく、さま ざまな手法を駆使した、正 に﹁統合的﹂な研究が求め られている。本講座がその 名の通り、脳研究の統合的 解明に貢献できるよう教室 員が力を合わせるととも に、現在求められている研 究の動向に対応できるよ う、最大の努力をしたいと 考えている。そのためにも 若い力は必須であり、研究 に参加してくれることを大 いに期待したい。 日本予防医学会の第四回 た。 講演会が、弘前大学創立五 講師としては、私のほか 十周年記念会館﹁みちのく に青森県、青森県医師会、 ホール﹂にて、平成十九年 文部科学省から以下の三先 七月七日︵土︶の午後一時 生にお願いしました。 から五時まで行われました。 難 波 吉 雄 先 生 ︵ 青 森 県 健 私が本講演会を担当する 康福祉部長︶ ことになった時、講演会の 佐々木義樓先生︵青森県 テーマとしてまっさきに医 医師会長︶ 師不足の問題が頭をよぎり 三浦公嗣先生︵文部科学 ました。それは、全国でも 省 高 等 教 育 局 医 学 教 育 課 とくに医師不足が顕著な青 長︶ 森県に私が居住していたか 会の進行としては、まず らだと思います。当該問題 私が﹁医師不足の実態につ はまさに予防医学の根幹に いて﹂というテーマで基調 あるという確信もありまし 的 な 講 演 を さ せ て い た だ き、続いて三先生に 各々の立場からのご 講演をいただきまし た。その後約一時間 に及ぶ熱心な討論が あり、最後に原田康 夫先生︵元広島大学 長、広島市病院事業 管理者︶から特別発 言をいただきまし た。 週末ということも あり参加者が心配さ れましたが、結局百 名弱の方にご参加い ただくことができま した。遠藤正彦弘前 大学長、花田勝美附属病院 長 、佐 藤 敬 医 学 部 長 を は じ め、自治体病院院長︵西北 中央病院、弘前市立病院、 三 戸 病 院 ︶、弘 前 市 会 議 員 、 医師会役員、マスコミ関係 の皆さんなど、青森県のこ の分野の主立った顔ぶれが 勢揃いしたと言っても過言 ではありません。皆さんに は最初から最後まで熱心に お聞きいただき、討論にも 加わっていただきました。 医学生の参加と発言もあ り、医 師 不 足 の 問 題 を 知 り、考えるという講演会の 趣旨の最低ラインはクリア できたものと思います。と くに、討論の最後に遠藤正 彦弘前大学長から附属病院 運 営︵ 大 学 運 営 ︶の 現 状︵ と くに経済的困難性︶につき 鬼気迫る発言があり、参加 者一同、医師不足の問題の 根の深さと広がりを切実に 感じ取ることができまし た。ただやはり感じたこと は、勤務医不足あるいは過 酷な勤務実態の切実性が私 も含めて各講演のなかから いまひとつ伝わりにくかっ た の か と 思 い ま す。も っ と、現場の勤務医の声を反 映すべきだったと反省して います。いずれにせよ、こ の問題をもっと包括的に、 かつ具体的に討論できる場 が増えてくれればと思いま す。本講演会がその一助と なれば幸甚です。 講 演 会 終 了 後 の 懇 親 会 ︵弘前大学スコーラムにて 開催︶には五十名を超える 皆さんにご参加いただきま した。講師をつとめていた だいた青森県健康福祉部長 の難波吉雄先生のご挨拶の 中 で 、﹁ 参 加 し て 良 か っ た です﹂という一言をいただ いた時は、少しだけ報われ たという満足感を得ること ができました。 日本骨代謝学会学術集会 優秀ポスター賞を受賞して The 25th Annual Meeting of the Japanese Society for Bone and Mineral Research ∼後縦靱帯骨化症︵OPLL︶骨化進展における 血管因子と骨軟骨因子の関連∼ 第二十五回 関わらず、未だその病態解 明 に は 至 っ て い ま せ ん。 我々は二〇〇六年、患者脊 柱靱帯組織由来培養細胞 ︵OPLL細胞︶を用い、 RNA干渉法により骨軟骨 細胞分化特異的転写因子 をノックダウンする Runx2 ことによって、それにより 調節を受ける遺伝子を網羅 的遺伝子解析︵マイクロア レイ︶によるクラスター解 析を行い、いくつか同定し ました。その結果、骨・軟 骨関連遺伝子だけでなく、 血管関連遺伝子の顕著な変 動 が 認 め ら れ、な か で も の発現がO Angiopoietin-1 PLL群で有意に増加して いることに注目し ま し た。こ の 遺 伝 子は骨化促進刺激 に も 反 応 し、ま た そのノックアウト に よ っ て Runx2 の 調節を受ける遺伝 子の発現が抑制を 受 け る こ と か ら、 の 下 流 に Runx2 あってOPLLの 骨化進展に関与し ているものと思わ れ ま す。更 に 我 々 は、臨 床 研 究 に お いて出血時間や血 小 板・凝 固 因 子 の 異常がないにもか かわらずOPLL 患者の術後出血量 校、田名部高等学校、大湊 高等学校と十七校の進路指 導担当の先生方が出席しま した。昨年よりも四校多い 出席があり、弘前大学医学 部への関心がさらに高まっ ているものと考えられま す。佐藤医学部長のあいさ つの後、入試専門委員長か ら平成十九年度の入試結果 と平成二十年度の入試の変 更点について説明を行いま した。その後、大学と高校 間の質疑応答や意見交換が 行われ、二時間の懇談会が 終了しました。平成十九年 度から推薦入学県内枠が二 十名となり県内医学部志望 者に対する門戸がさらに拡 がったことから、進路指導 担当教諭から、地域医療や 医学研究に興味をもつ優秀 な生徒をより多く弘前大学 医学部医学科へ受験させる ことへの意欲が示されまし た。高校側から、推薦入学 の選抜試験時期の再検討、 学力を課さない選抜方法の 実施の検討など、いくつか の要望が出され、それに対 し医学部側も真摯に受け止 め検討することを述べまし た。来年以降も、このよう な機会を設け、高校とのさ らに密接な連携をとり、よ り多くの優秀な学生を弘前 大学医学部に集めることに 努 力 を し て い き た い と思っ ています。 そ の 一 月 後、 八 月 八 日 に は、 弘前大学オープ ンキャンパスが 開催されまし た。午 前 九 時 三 十分から受付が 始まりました が、会 場 で あ る 臨床大講義室に は今年も座席は す べ て 埋 ま り、 立ち見の見学者 も十名ではきか ない状態であ り、か な り の 盛 況となりまし た。午 前 十 時 か らプログラム開 始 で す。ま ず は 佐藤 敬医学部 長 か ら、オ ー プ ︵感染生体防御学講座教授︶ 医学科入試専門委員長 中 根 明 夫 県内高等学校進路指導担当教諭との 懇談会&オープンキャンパス開催 平 成 十 九 年 度 が 始 ま り、新 入 病態薬理学講座 大学院四年 岸 谷 正 樹 生が大学生活に が 非 O P L L 患 者 の そ れ も 慣 れ、青 春 を 平成十九年七月十九 − 二 よ り も 有 意 に 増 加 す る こ 謳歌している頃 十一日に大阪で開催されま と を 示 し 、 現 在 Europien で す が 、 入 試 関 した第二十五回日本骨代謝 学会学術集会にて優秀ポス に 投 稿 中 で 係の行事は平成 Spine Journal ター賞を頂きましたのでご す 。 以 上 よ り 、O P L L に 二 十 年 度 に む け 報告いたします。また、こ 何 ら か の 血 管 形 成 に 関 連 粛々と進行して の場を借りて我々が発表し し た 遺 伝 的 変 異 が あ る こ います。 た研究内容について、簡単 と が 示 唆 さ れ O P L L で 七 月 六 日、青 に紹介させていただきたい は 、遺 伝 的 要 因 を 背 景 と し 森 グ ラ ン ド ホ テ ﹁青 と思います。 血 管 の 脆 弱 性 や 血 管 過 形 ルにおいて、 OPLLの病態には、こ 成 な ど の 微 小 血 管 異 常 が 森県内高等学校 れまでの家系調査、双生児 隠 さ れ て お り 、内 軟 骨 性 骨 進 路 指 導 担 当 教 研究、DNAハプロタイプ 化 を 介 し た 骨 化 進 展・異 所 諭 と の 懇 談 会 ﹂ 解析などから遺伝的背景が 性 骨 化 に な ん ら か の 異 常 が開催されまし 強く関与しているとされ、 を き た し て い る 可 能 性 が た。こ の 懇 談 会 これまでも種々の病因候補 推 測 さ れ 、こ れ に つ い て 報 も 今 年 で 三 回 目 遺伝子が報告されてきまし 告 さ せ て い た だ き ま し と な り ま し た。 弘前大学側か た。しかし、種々の候補遺 た。 伝子が挙げられているにも 最 近 、正 常 な 骨 代 謝 に お ら 、 佐 藤 医 学 部 い て も 血 管 形 成 が 重 要 な 長︵医 学 研 究 科 役 割 を 果 た し て い る と い 長 ︶、藤 原 入 試 課 長 、瀧 川 医 う 認 識 が 高 ま っ て き て い 学研究科事務長をはじめ七 ま す。O P L L と い う 異 名、県内高校側は、青森高 所 性 骨 化 の 過 程 に お い て 等学校、青森東高等学校、 も 血 管 関 連 遺 伝 子 が 関 与 青森山田高等学校、弘前高 す る こ と を 報 告 し た 点 が 等 学 校、弘 前 中 央 高 等 学 評 価 さ れ 、今 回 の 受 賞 に つ 校 、 弘 前 南 高 等 学 校 、 東 奥 な が っ た も の と 考 え て お 義塾高等学校、弘前学院聖 愛 高 等 学 校、八 戸 高 等 学 ります。 最 後 に な り ま し た が 、研 校 、 八 戸 北 高 等 学 校 、 八 戸 究 を 行 う に あ た り 、御 協 力 聖 ウ ル ス ラ 学 院 高 等 学 校 、 い た だ き ま し た 整 形 外 科 光星学院高等学校、五所川 学 講 座 の 藤 哲 教 授 、脊 椎 グ 原 高 等 学 校 、 五 所 川 原 第 一 ル ー プ 諸 先 生 方 、病 態 薬 理 高 等 学 校 、 三 本 木 高 等 学 学 講 座 の 元 村 成 教 授 、な ら び に 研 究 の 指 導 を し て い 学省、厚生労働省の各科研 た だ い た 同 教 室 古 川 賢 一 費の支援を受けました。こ 准 教 授 に 感 謝 申 し 上 げ ま の場を借りて御礼申し上げ す。な お 本 研 究 は 文 部 科 ます。 医学部ウォーカー第 42 号 平成 19 年 9 月 20 日 ンキャンパス に参加した生 徒・保 護 者・引 率の教諭に対 する歓迎と弘 前大学医学部 をアピールす るあいさつが あ り ま し た。 そ れ か ら、奥 村 謙学務委 員長がパワー ポイントを 使 っ て、カ リ キ ュ ラ ム、C B T、O S C E 、B S L 、ク リニカルク ラークシッ プ 、部 活 動 、奨 学金を含む学 部紹介があり ま し た。引 き 続いて、若林孝一脳神経血 管病態研究施設長が﹁脳の しくみとその障害﹂と題し た模擬講義を行いました。 脳のしくみをわかりやすく 説明し、最後に脳疾患を紹 ︵次ページへ続く︶ 介したお話しに、生徒のみ ならず保護者も身を乗り出 して聴いていました。約四 十分の講義の後、今年新し く 設 け た ﹁学生コーナー﹂が 始まりました。医学科四年 生の工藤直美君、熊谷紀史 君、速水史郎君、淵之上康 平君︵小渡亮介君と佐渡和 也君は準備に貢献してくれ ました︶が、パワーポイン ト を 使 っ て 、﹁ 弘 前 大 学 医 学部には伝統があること﹂ ﹁弘 前 大 学 医 学 部 に は 研 究・臨床面で世界に誇る教 員 が 多 く い る こ と ﹂﹁ 全 国 最大定員の学士編入学制度 が あ る こ と ﹂﹁ 弘 前 大 学 医 学部には医師になるまで、 なってからも優れた環境で あ る こ と ﹂﹁ チ ュ ー ト リ ア ル・研究室研修の紹介﹂と いった内容を中心に、自分 たちの医学部志望動機、医 学部受験、医学生の生活の 実態、試験のことなどを含 めて十二時まで説明を行 い、参加者は身近な先輩達 ﹁ ひ ら め き ☆ と き め き サ イエンス ∼ようこそ大学 の研究室へ∼﹂は、独立行 政法人 日本学術振興会に よる研究成果の社会還元・ 普及事業であり、平成十七 年度からはじまった小中高 生のためのプログラムで す。これは、科学研究費補 助金のテーマを基盤に、現 在、活躍している研究者と 大学の最先端の研究成果の 一端を小学校五・六年生、 中学生、高校生が見る、聞 く、触れることで、学術と 日常生活との関わりや、科 学︵学術︶がもつ意味を理 解してもらうプログラムで す。研究者がプロデュース する体験・実験・講演など を通して、科学の疑問に答 えるもので、普段はめった に見ることができない大学 の研究や研究者との対話な どから、科学の楽しさ、難 部の四カ所に施設見学をお 願いしました。各グループ 二十名程度とし、順次見学 に回りました。しかし、例 年のように手術部への見学 者が多く、希望者の後半の 人達を長い間待たせてし まったことは、主催者とし て申し訳なく思っていま す。施設見学と並行して、 午後一時半に在校生と見学 者との意見交換会が行われ ました。あっという間に予 定の時間が過ぎ、医学科の オープンキャンパスが閉幕 しました。 今回の参加者は、延べ三 三六名となり、県内、東北 各地のみならず、茨城、埼 玉 、東 京 、神 奈 川 、富 山 、そ して大阪からの参加者もあ りました。今回のオープン キャンパスの盛況が受験者 増という成果となって現れ ることを期待しています。 来年のオープンキャンパス が、より素晴らしいものに なるように、これから一年 をかけてまた準備をしたい と思います。最後に、今回 のオープンキャンパスの準 備や当日の施行に多大な貢 献をいただいた各位に、深 く感謝いたします。 しさ、不思議に触れられる 後に顕微鏡実習・実験・フ リ ー ト ー ク・修 了 式・﹁ 未 来 機会となります。 今年度、弘前大学では二 博士号﹂授与式が行われま 件が選定され、そのうちの した。 一件が﹁がんとはどんな病 ︻プログラム紹介︼ 気? ︱がん細胞を見て、 がんとは、どのような病 がんを知る︱﹂であり、中 気なのでしょうか? がん 学生の皆さんが科学・医学 は、時として人の命を奪う を通して﹁がん﹂を正しく 病気です︵現在、日本の死 理 解 す る こ と を 目 的 に 、 平 亡 原 因 の 第 一 位 ︶。 一 方 、 成 十 九 年 八 月 十 日︵ 金 ︶ ・十 き ち ん と し た 治 療 を 受 け る 一 日 ︵ 土 ︶ に 医 学 研 究 科 こ と に よ り 数 多 く の 方 々 病理生命科学講座で開催さ が、がんを治しています。 れました。以下、プログラ このような﹁がん﹂のなぞ ムの概要を、報告書を基に は、がん細胞に隠されてい お示しいたします。なお、 ます。 中学生を対象としているた 我々のからだは正常な細 め、平易な文章で記載して 胞の秩序ある集合から成り 立 っ て い ま す が、が ん は おります。 ﹁がん細胞﹂という異常な ︻スケジュール︼ 八月十日︵金︶と十一日 細胞から構成されているの ︵土︶とは、同一のプログ です。ですから、がん細胞 ラムで実施され、午前にオ の特徴を明らかにすること ﹁ が ん ﹂が ど の よ う な 病 リエンテーション・研究者 で、 による講義・施設見学、午 気かを理解できるのです。 病病理 病 理理生 生生命 命命科 科科学学 学講講 講座 座座教教 教授授 授 鬼 鬼鬼 島 島島 宏 宏宏 ﹁﹁が ﹁ ががん んんと ととは ははど どどん んんな なな病 病病気 気気? ?? ︱ ︱︱が ががん んん細 細細胞 胞胞を をを見 見見て てて、 、、が ががん んんを をを知 知知る るる︱ ︱︱﹂ ﹂﹂ ひひらら ひ らめめ めきき き☆☆ ☆とと ときき きめめ めきき きササ サイイ イエエ エンン ンスス ス の話を一生懸命聴いていま した。ここで、昼食のため に一度解散しました。 午後一時に再び臨床大講 義室に集合し、青森県健康 福祉部から山中朋子先生に 来 て い た だ き 、﹁ 医 師 修 学 資金貸与制度について﹂と いう題でお話しをいただき ました。青森県の参加も今 年初めての試みですが、受 験生は大いに興味を示して い ま し た。そ れ に 引 き 続 き、施設見学の説明を行い ました。昨年と同様、手術 部 、薬 剤 部 、検 査 部 、放 射 線 ︵前ページより︶ 平成 19 年 9 月 20 日 医学部ウォーカー第 42 号 このプログラムでは、実験 や顕微鏡を使った実習を通 して、がん細胞がなぜ悪い 性質をもつのか、がんをコ ントロールすることは可能 なのかを考えます。 現代社会では多くの人々 が﹁ が ん ﹂に か か る た め 、が んを治すことや、がんにな らないよう予防することは とても大切な課題です。皆 さん、がんについて正しく 理解するために、このプロ グラムに参加して﹁がん細 胞﹂の特徴を探ってみませ んか? ︻ 講 義﹁ が ん ﹂と は 、ど ん な 病気? 要旨︼ ヒ ト の 体 に で き る 腫 瘍 ︵しゅよう︶とは、いわゆ る﹁ お で き ﹂の こ と で 、こ の うちで悪いおでき︵悪性腫 瘍 ︶が﹁ が ん ﹂と 呼 ば れ て い る 病 気 で す 。﹁ が ん ﹂は 、体 を構成する細胞の遺伝子が 変化をして発生するのです が、その大きな原因として は老化や環境︵発がん因子 の暴露など︶があげられま す。がんは、手遅れになる と治りにくい一方で、早期 発見・早期治療により十分 に治る病気です。 ︻顕微鏡実習︼ 正常細胞の遺伝子が変化 して、がん細胞が発生する た め、正 常 細 胞 と は 異 な り、がん細胞は﹁いかつい 容貌﹂をしています。顕微 鏡でがん細胞の特徴をとら えるとともに、なぜ、がん が悪い性質を示すのかを理 解しました。また、顕微鏡 でがん細胞を正確に検出す ることが、現在の医療にお いて﹁がんの診断﹂にとて も大切であることを認識し ました。 ︻実験︼ がん細胞の持つ遺伝子の特 徴を検出するために、遺伝 子の本体であるDNA︵デ オキシリボ核酸︶を大量に 増やすPCR法を行いまし た。電気泳動法は、増やし たDNAの大きさなどを確 認する重要な方法です。こ のような実験では、微量の 試料を用いるので正確な操 作が必要です。 ︻当日の様子︼ ︵一︶写真左上 : がん細胞 の顕微鏡標本作成。スライ ドガラスにのせたヒトのが ん組織を認識するために、 色素を使って細胞の染色を し ま し た 。︵ 二 ︶写 真 右 上: 顕微鏡標本観察。ヒトの正 常細胞とは異なり、がん細 胞は﹁いかつい容貌﹂をし ているのをはじめて観察 し、と て も 驚 き ま し た。 ︵三︶写真左中:がん細胞 の遺伝子を検出するための 電気泳動。微量の試料を扱 う細かな実験は、とても緊 張 し ま し た 。︵ 四 ︶ 写 真 右 中:実験がうまく行くと、 嬉しさのあまり笑みもこぼ れ ま し た 。︵ 五 ︶写 真 左 下: プログラム最後は、フリー トークと修了式。クッキー タイムを兼ねながら、楽し く今日のまとめをしまし た 。︵ 六 ︶写 真 右 下:め で た く﹁未来博士号﹂が授与さ れました。 第49回、50回東医体で弘大 驚異の大活躍!! 今夏の東医体・全医体で優勝11、準優勝5 昨年の総合で女子が2位、男女総合も僅差の3位 東医体理事 加 地 隆 本年の七月から八月にか けて東海大学の主管で行わ れた第五十回東日本医科学 生総合体育大会夏期大会に おいて、弘前大学学生は日 頃の練習成果を存分に発揮 して大健闘、個人競技、団 体競技ともに、また男女と もに輝かしい成果をあげ た。今後ともスポーツと医 学の習得を両立させて一層 の活躍を、そしてまた周囲 にも元気を与えてくれるこ とを期待したい。 結果を連絡のあったもの についてのみ、以下に掲げ る。北医体の成績は今回は 間に合わなかったので、別 の機会にでも報告したい。 形/一位、五〇 自由 背泳 バタフライ/二位: ︻水泳部︼ [個人]女子 二〇〇 須藤舞香[個人]男子 二〇〇 /八位:谷聡仁 /五位[個人]女子/五位:千葉英美 ︻ゴルフ部︼ [団体]男子/三位 女子 子 [団体] ︻空手部︼男子 ︵総合︶ /七連覇 ︻ラグビー部︼準優勝 ●大会本部から届いた総合成績 男子 ︵組 み 手︶ / 優 勝、 ︵型︶ / 優 勝 女 子︵組 み 手︶/ 準 優 勝 ︻剣 道 部︼女 ︿男女総合﹀順位 [得点] 学校名 1 [七十四・五] 筑波大学医学専門学群 子 優勝 ︻ラグビー部︼ 準優勝 ︶/ 準 障害︶/ バタフラ /一 / 1 [六十五] 慶応義塾大学医学部 ︿男女総合﹀ 夏冬総合成績︾ ︽第四十九回︵平成十八年度︶東医体 5 [十五] 山梨大学 5 [十五] 福島県立医科大学 5 [十五] 山形大学 4 [十九] 筑波大学医学専門学群 3 [十九・五] 群馬大学医学部 2 [二十四・五] 千葉大学医学部 1 [二十九] 東京女子医科大学 ︿女子総合﹀ 6 [四十・五] 山梨大学 5 [四十四] 山形大学医学部 4 [四十五・五] 弘前大学医学部 3 [四十九] 自治医科大学 [五十一] 慶応義塾大学医学部 木 / 六 連 覇 女 子 村 山 / 準 優 勝 2 [個人] ︻柔道︼ ︵無差別級︶男子 佐々 ︻空手部︼ 小渡 ︵組み手︶/優勝、 ︵型︶ ボール部︼男子/優勝 ●成績 ︵連絡のあったもの︶ /二位、三〇〇〇 障害/ 砲丸投げ/四位、やり投げ/四位:中 井芳美[個人]男子 一一〇 リ レ ー / 五 位:塩 2 [六十一] 筑波大学医学専門学群 /決勝トーナメント進出 ︿女子総合﹀ 6 [四十八] 山形大学医学部 5 [五十一] 旭川医科大学 3 [六十・五] 弘前大学医学部 ︻バドミントン部︼ [団体] 女子/三位 4 [五十六] 順天堂大学医学部 [個 人] 男 子 シ ン グ ル ス / ベ ス ト 1[二十七]東京女子医科大学 ︻ソフトテニス部︼ 女子/十位 八: 川野雄一郎[個人]女子 ダブ ル ス / 三 位:石 野 瞳 子・四 茂 野 恵 奈 2[二十五・五]弘前大学医学部 ベスト十六:小野佐代子・松下容子 3[二十四]筑波大学医学専門学群 6[十八]秋田大学医学部 5[二十一]山形大学医学部 4[二十三]群馬大学医学部 ︻バスケットボール部︼ 男子/四位 6[十八]千葉大学医学部 ︻サッカー部︼ 五位 差別級 男子/優勝:佐々木英嗣、女 平成十八年度東医体︻スキー部︼ [個 ︽冬期部門成績︾ ︻柔道部︼[団体] ベスト十六[個人]無 子/準優勝:村山綾子 ︻剣 道 部︼[団 体] 女 子 / 優 勝 男 子 / 人]女子 回転/四位:横山絵美 ベスト十六[個人]男子/三位:江浜 由 松 ベ ス ト 八:長 瀬 秀 顕[個 人]女 平成十八年度北医体︻スキー部︼ [個 人]女子 回転/二位:横山絵美 子 / 三 位:鈴 木 美 耶 子 ベ ス ト 八 / 篠田千穂 四、新人賞:山崎華加 ︻空 手 部︼男 子 総 合 / 優 勝 団 体 ︻卓球部︼女子 シングルス/ベスト 組み手/優勝 型/優勝[個人]組み 手/優勝、型/優勝:小渡亮介 弘前大学教授団 北日本病院懇親野球大会 二年ぶりの一回戦突破! 第49回 平成十九年八月五日午前 九時、弘前大学教授団チー ム は 、総 監 督 佐 藤 敬 医 学 研 究 科 長 、助 監 督 保 嶋 実 副病院長のもと、多くの教 授、准教授、事務並びに臨 床検査技師の方々、総勢約 二十名で一回戦に臨みまし た。対戦相手は弘前中央病 院ピリポクラブ。先発投手 は元村教授。昨年の医局対 抗戦にてダブルヘッター二 試合を連投し勝利を納めた こと、そして長年に渡る投 手経験からの先発でした。 今シーズンは試合当日まで 試合経験がなく立ち上がり が心配されましたが、見事 な投球で序盤を三点に抑 え、味方の反撃を待ちまし た。高齢な?先発投手の好 投に報いるべく、我が軍は 一大奮起!後半八点を奪取 して大逆転劇を演じ見事二 年ぶりの一回戦突破となり ました。 続く二回戦は奇しくも三 年連続でときわ会病院との 対戦となりました。ときわ 会病院は二年連続の優勝 チームであり、過去の試合 では全く歯が立ちませんで した。そこで今年は 当チームの秘密兵 器?として出場をお 願いした耳鼻科の欠 畑准教授の先発で臨 みましたが、秘策は 通じず五回コールド と残念な結果に終り ました。強豪?の教 授団チームを撃破し たときわ会病院は勢 いに乗り大会タイ記 録となる三連覇を成 し遂げましたが、と きわ会病院の連覇の 陰には教授団チーム の大きな貢献があっ たことは紛れもない 事実かと思います。 また、今大会には 従来の選手に加え、 ラグビーで鍛えた大 山教授、新任の澤村 教授、福田眞作教授 の参加、ご活躍によ り大きな一勝を挙げ ることが出来まし た。後日談ですが、 数日間筋肉痛に悩まされた ようですが、これに懲りず に今後の参加を切にお願い するところです。最後に参 加頂きました選手全員が出 場できるようベンチワーク の労をお執り頂いた、医学 科長の佐藤敬教授にも深く 感謝致します。 ●大学院医学研究科 辞職︵ ・6・ ︶ 内分泌代謝内科学講座 助教 村 上 宏 ︿板柳中央病院﹀ 脳神経生理学講座 助教 森山 朋子 ︿大阪バイオサイエンス研究所﹀ 採用︵ ・7・1︶ 内分泌代謝内科学講座 助教 柳 町 幸 ︿板柳中央病院﹀ 救急・災害医学講座 助教 菊 地 明 ︿整形外科医員﹀ 救急・災害医学講座 助教 塚 田 晴 彦 ︿整形外科医員﹀ 辞職︵ ・7・ ︶ 糖鎖工学講座 助教 山 口 真 範 ︿岐阜大学﹀ 昇任︵ ・8・1︶ 消化器血液内科学講座 教授 福田 眞作 ︿消化器血液内科学講座准教授﹀ ●医学部附属病院 昇任︵ ・6・1︶ 麻酔科 講師 櫛 方 哲 也 ︿麻酔科助教﹀ 辞職︵ ・6・ ︶ 泌尿器科 講師 大和 隆 ︿独立行政法人国立病院機構弘前病院﹀ 泌尿器科 助教 萩沢 茂 採用︵ ・7・1︶ いるといいます。今の高校 泌尿器科 助教 では理科が二科目選択でそ 岡 本 亜 希 子 ︿泌尿器科医員﹀ の 科 目 し か 勉 強 し な い よ う 泌尿器科 助教 ですが、私が高校生の時は 橋本 安弘 理 科 四 科 目 、物 理 、化 学 、生 ︿独立行政法人国立病院機構弘前病院﹀ 物 、 地 学 、 す べ て 勉 強 し ま した。私の時代の入学試験 昇任︵ ・8・1︶ も理科二科目選択でした 周産母子センター 講師 が、理科四科目選べるとこ 田中 幹二 ろがあればいいなと思いま ︿周産母子センター助教﹀ し た。理 科 好 き、イ コ ー ル、科学への高指向とは直 併任︵ ・8・1︶ 接いかないかもしれません 光学医療診療部長 が、本医学部でも理科三科 福田 眞作 目を検討してもいいかもし 形成外科科長 れません。 澤村 大輔 最近のいろいろなところ で、地方の医療崩壊、地方 医学部の医局員数の低下、 卒後研修制度などの問題が お悔やみ のべられ、悲観的記事が多 いのは確かです。私のいる 弘前大学名誉教授︵元内 皮膚科では、つい十五年前 科学第二講座教授︶小野寺 は関連病院の皮膚科のポス 庚午氏には、平成十九年七 トがうまり、このまま入局 月二十四日御逝去されまし 数が継続すると、自分の行 く病院がなくなってしまう た。享年七十六歳 ここに、謹んで哀悼の意 のではないかと思ったぐら を表し、御冥福をお祈りい い医局員が順調に増えてい たのが、信じられません。 たします。 ︵正四位瑞宝中綬章 受章︶ し か し 、 生 物 の 歴 史 を 見 て みると、苦境になってはじ めて、生物が急速に進化を するのも事実です。トヨタ 自動車だって、十年以上前 に一ドル八十円になった時 はつぶれるといわれ、生き 残りをかけ、八十円でも利 益がでるように組織を死に 物狂いで変えたと聞きま す。いま、百二十円ですか ら そ れ は も う か り ま す。 我 々 だ っ て、ス ク ラ ッ プ ア ン ド ビ ル ド。い ま な ら、ドラステックにシステ ムを変えることができま す。ピンチがチャンス。六 十年以上の歴史を持つ、弘 前大学医学部が、いま、大 きく発展飛躍する、千載一 遇の、絶好の機会かもしれ ません。 ︵澤村 記︶ 19 19 M M M ︻バ レ ー ボ ー ル 部︼ 男 子 / 三 位 女 子 ︻テニス部︼ 男子 四位 澤・小玉・青木・四條 小 玉 祐 四 〇 〇 一位:四條泰陽 走り高跳び/三位: M 冒 頭 に 佐 藤 敬 医 学 研 究 科長の寄稿、医育機関とし てめざすもの、に述べられ ているように、今の医学生 の科学への指向の低下があ るのは事実かもしれませ ん。確かに、なぜ医学部を 目指したのと学生に聞く と、医師は生活にこまらな い、医師は収入がいいから などの答えをきくことも、 多々あります。もちろん、 入学試験の面接などではこ のような回答はでることは ありません。最近、医学部 の入学試験で、理科を三科 目にするところも出てきて 19 (生体構造医科学講座教授) ︻陸上部︼ [個人]女子 八〇〇 位、一五〇〇 M M 三位:多和田有紀 走高飛び/四位、 M 19 / 優 勝 ︻陸 上 部︼ 女 子 多 和 田 ︵八 〇 〇 ︶/ 優 勝、︵一 五 〇 〇 自由形︶/優勝、 ︵五〇 M 優勝 ︻水泳部︼女子 須藤︵二〇〇 優勝 男子 四條︵一一〇 M M M イ︶/ 準 優 勝 全 医 体︻バ ス ケ ッ ト M 30 31 30 M 19 19 19 19 19 医学部ウォーカー第 42 号 平成 19 年 9 月 20 日