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医療法人財団はまゆう会・腎友会 - 医療法人財団はまゆう会 新王子病院
雑 文 集 76 号 (2013年12月号) 医療法人財団はまゆう会・腎友会 表 紙 の 紹 介 ○医療法人財団はまゆう会王子病院のこれまでの経緯 1976年(昭和51年)4月 黒崎クリニック開設 1980年(昭和55年)9月 有床診療所として東王子町に新築移転 1988年(昭和63年)5月 黒崎クリニック改め王子病院を開設 1989年(平成元年)2月 医療法人財団はまゆう会を設立 1990年(平成2年)9月 管理棟新築 2014年(平成26年)5月 八幡西区鉄王(相生リハビリテーションク リニック西側)へ新築移転予定 ありがとう王子病院 ご苦労さま王子病院 新たなる第一歩へ 表紙を飾る、みなさんからの写真・絵・イラストを募集しています。 趣味でやっておられるものでも構いません。ご協力をお願いいたします。 目 次 〜 2013年12月発刊 第76号 〜 私のニュース&そしてこれから… 「私のとっておきの場所」 …………………………… 松 野 虎 雄 1 「名曲「湖畔の宿」の歌碑を訪ねて」 ………………… 吉 田 哲 夫 2 「ひたすらに待つ」 …………………………………… 市 丸 喜一郎 4 「私のニュース&そしてこれから…」 ……………… 吉 村 美 紀 5 「若き日の挑戦」 ……………………………………… 匿 名 希 望 6 香春岳(かわらだけ)………………………………… 鶴 我 勝 8 二つの病気 …………………………………………… 岩 山 正 光 9 『感謝』 ……………………………………………… 匿 名 希 望 10 昔 ムカシ …………………………………………… 中 川 満 11 伊都国のロマン ……………………………………… 森 達 也 14 お母さんありがとう ………………………………… 江 田 ふさ子 15 川 16 テーマ・自由課題 母 …………………………………………………… 幸 子 花と美女達 …………………………………………………………………… 17 佐 藤 幸 子 18 楽しかったバスツアー ……………………………… 瀬 川 康 之 19 腎友会バスハイク「大刀洗平和記念館」…………… 大 谷 麻 岐 20 ……………………………………… 俳句・川柳・短歌 腎友会バスハイク 探訪 はまゆう会あれこれ 黒崎クリニック開業祝いの龍の絵 ………………… 市 丸 喜一郎 22 人の動き ……………………………………………………………………… 23 編集後記 ………………………………………………………………………最終頁 ✣ ✣ ✣ ✣ ✣ 雑文集はまゆう77号 つづき 2014(平成26)年 夏号 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━ 「私のとっておきの場所」 松 野 虎 雄 (相生透析 火木土AM) 70の手習いで作文を書いてみました。 私は先日9月22日、23日の連休を利用して1年ぶりに故郷別府の田舎に父母の 墓参りに帰りました。村に入ると小川が流れています。小川の橋を渡ると車を 止めて外に出て思いきり深呼吸をすると四方を見渡しました。小川のせせらぎ の音水遊びや魚釣り、岩滑りした小川も昔と少しも変わっていない。道を挟ん だ上下には日本棚田百選に一つの内成の棚田が広々と見渡せます。黄金色の稲 穂が風にゆれ今やおそしと刈り入れを待つばかりです。また、あっちこっちの 棚田の中には子供のころから見慣れた案山子さんが赤青黄色や色とりどりの着 物を着て出迎えてくれる。帰って来たか、元気だったか、お前も年を取った な。秋祭りは近いよ。と口々に言っているようだ。案山子さんありがとう。 村の家々の横には大きな柿の木が色づき始めている。そういえば我が家にも 10mくらいの大きな木があり、学校から帰るとよく登って食べていた。すると 下から親父が怒鳴る。柿ばかり食うちょらんで勉強せんか。すると私は木の上か ら下に向かって言う。アイウエオ、カキクウケイコ、サシスセソ。親父が一言バ カタレと言った。故郷はいいなぁ 空気はうまい。米も水もおいしい、果物や野菜 もたくさんある。本当にいいなぁ。子供のころは嫌でたまらなかった故郷の田舎 が年々、年を取るごとに懐かしくなる。さて兄貴が待っている、行くとするか。 原発事故でふるさとを追われた福島の皆さんが一日でも早くふるさとに帰れ ますようお祈りいたします。 最後に私のとっておき内成の棚田を一度見てください。取り入れ前は壮大です。 1 ━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「名曲「湖畔の宿」の歌碑を訪ねて」 吉 田 哲 夫 (相生RC リハビリ) 平成24年11月、私の希望で新装成った東京駅のステーションに泊まった。家 族4人の旅行だった。ステーションホテルのある丸の内の駅舎は、大正3年に 辰野金吾の設計で建てられた赤レンガ造りの駅舎だったが、昭和20年の東京大 空襲で3階部分が破壊された。平成24年、67年振りにその駅舎が完全修復され たのだ。 今度の旅行の目的は、甦った大正時代の東京駅の姿を見ることだった。駅舎 は、周辺の味気ない高層ビル群の中にあって高さは低いが、大正ロマンを主張 するかのように光り輝いていた。又、ドーム状建屋の内面も、日本では珍し く、動物像をあしらった純白の芸術作品で見事だった。東京駅では美しい駅舎 を見て大満足。 次に宿泊した草津温泉の帰途、道路案内で榛名湖が近いことが分かり車を向 けた。榛名湖は、歌う映画スターとして人気だった高峰三枝子が歌った名曲 「湖畔の宿」の歌碑で有名な所だ。青い湖畔のほとりに来ると、〝湖畔の宿公 園〟はすぐに分かった。歌碑のある小高い展望台まで、はやる気持ちを抑え て、やっと自力で登り切ったと思ったら、「お父さんは、好きな所なら手摺り が無いでも登るネ」と子供から一発食らった。昨日の草津温泉では、ホテルの 車椅子で、〝西(さい)の河原(かわら)公園〟までの、ひどい凸凹道の行き帰りを 一生懸命で押してくれた子供の実感だろう。ちなみに、「湖畔の宿」の一番の 歌詞は次のとおり。 ♪山の寂しい湖に ひとり来たのも悲しい心 胸の痛みに堪えかねて 昨日の夢と焚きすてる 古い手紙のうす煙 訪れた時は、榛名湖周辺も榛名山ロープウェイも観光客で賑わっており、山の 寂しさはなかった。又、この歌は、榛名湖と直接の関連はないが、イメージが 2 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━ ぴったりなので湖畔に碑を建てたと以前、聞いたことがある。「湖畔の宿」 は、昭和15年に佐藤惣之助作詞、服部良一作曲で発表されたが、この年は、昭 和12年に始まり泥沼化した日中戦争の収束ができぬまま、アメリカと戦う太平 洋へと戦線を広げる画策を進めた最悪の年だった。そして太平洋戦争は昭和16 年に開戦。こうした状況下で発表された「湖畔の宿」は、当局から「いかにも ひ弱く女々しく感じられ唾棄すべき惰弱さがあり、あまりにも感傷的に過ぎ る」として発売禁止となった。政府が禁止したのだ。 ところが、これには以下のような後日談が判っている、それは、戦況が悪化し 始めた昭和18年11月、東京で開催された「大東亜会議」、これの出席者の1 人、ビルマのバーモウ首相が、主催者である日本の東條英機首相に、こっそり と「湖畔の宿」の歌を、生で聞きたいと頼んだ。困ったのは東條で、国の大切 なお客様からの希望とは言え、政府が禁止している歌を公に聞かせることは難 しい、そこで仕方なく、港区芝(現在の東京タワー付近)の紅葉館に高峰三枝 子を呼び出し、モンペ姿の高峰がバーモウ首相を迎えて「湖畔の宿」を歌って 聞かせたと云う話。戦争中は、発売禁止となって歌えなかった「湖畔の宿」 も、戦後は、晴れて多くの国民に歌われたことは、本当に嬉しいかぎりだ。 3 ━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「ひたすらに待つ」 市 丸 喜一郎 (医療法人財団はまゆう会理事長) 人生とは何かを失いつつも常に何かを追い求めていくものか、それともただ ひたすらに待つことに耐えることだろうか。 私の人生はただひたすらに何かを待つことにあったように思うし、とても目標 を立て、それに向かって歩み、プロセスを楽しむゆとりはなかった。幾許かの 土を耕し幾粒かの種を播いたとしても、これまで口に糊することができたのは 多くの人達のご好意とご支援があったに他ならない。若い頃には無限の時間が 掌にあると、ときには傲慢にも早送りの人生を夢見たこともあった。しかし後 期高齢者の仲間入りを目前にすると妙に電波時計の発信音が耳につき始める。 最近よく口にするのは“構想は楽観的に、計画は悲観的に、実行は極楽トン ボのように楽観的に…”の言葉である。今回のはまゆう会移転統合プロジェク トにしてもその概要が定まり、一旦実行ボタンが押されれば、あとは変化を受 容しつつプロセスを楽しみながら事の成るのを待てれば最高の幸せである。 古代の男共は狩りを終えて洞穴に戻るとすぐに焚を囲み、じっと炎を見詰 め、明日の獲物を夢見たという。ファンタジーの世界を求めて黙々と活字を拾 い、ひたすら時の過ぎるのを待つ己と古代の男とを重ね合わせてみると、昔か らそこに寄り添っていた世の女性達は何を思い、何を考えていたのだろうか。 人の話を聞けなかった男は、これからもただひたすらに残り少ない時を待ち続 けるのであろうか。 晩秋の夜にふと思ったこと。 4 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━ 「私のニュース&そしてこれから…」 吉 村 美 紀 (王子病院 管理栄養士) 『私のニュース…』。まず、年明けから日記をつけてみようと思いたって5 年日記帳を購入、つけはじめました。その昔、交換日記をしていた事を思い出 したからではありせん。長い間パソコンには日記をつけていましたが、文字を 書く事が少なくなり、漢字が書けなくなっているように感じた事と、自分の汚 文字を矯正しなければと思ったからなのですが、最近ではたった数行をまとめ て綴る日が増えてきたような…。今日も反省の言葉が並びそうです。 次は母が長年希望していたチューリップの国、オランダにやっと連れて行く ことが出来ました。4年前にも計画し、旅費も振り込んで毎日ルンルン、その 日を待っていましたが、新型インフルエンザの影響であえなくキャンセル…。 作っただけだったパスポートも使わせてあげられたし、落ち込んだ母の姿も思 い出さなくてよくなりました。 三番目はやっぱりジャイアンツのV2達成でしょう!5年前に再会した昔懐 かしい9人制バレーボールのチームメイトだった小学校時代の友人も同じジャ イアンツファン。私達にとっての聖地、東京ドームに2年連続で行ってきまし た。現地で思い切りオレンジのタオルを振り回し、『闘魂込めて』を熱唱、気 分爽快でした!福岡県人ですからもちろん、パ・リーグではソフトバンクを応 援しています。2000年のように、ヤフーオクドームでの日本シリーズを願って やみません! 元来落ち込む事が少ないO型の私。寝付きも目覚めも優良、平成25年も楽し く充実したアッと言う間の一年でした。『そしてこれから…』を考えてみる と、折角のつけはじめた日記がただの老後の楽しみにならないよう、今日の反 省は明日へと繋げ、1日の終わりは幸福度が高まると言われているポジティブ な言葉を続けていきたいと思います。 5 ━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 「若き日の挑戦」 匿 名 希 望 (王子病院 看護師) 2013年、残念ながら特筆するような出来事もなかったので10年近く前の事 ですが、私の体験談を書かせていただこうと思います。 私は王子病院に就職する前の1年間、ワーキングホリデービザを取得しカナダ に滞在していました。2010年の冬季オリンピックで有名になったバンクーバー とウィスラーでそれぞれ5ヶ月ずつ生活し、そして残りの2ヶ月はカナダ・アメ リカ横断の一人旅に出ました。旅と言っても、グレイハウンドという長距離バ スを乗り継ぎ、1泊2000円前後のユースホステルを泊まり歩く貧乏旅行です。 英語も片言しかしゃべれません。とにかく勢いで出発しました。バンクーバー を出て、東へ向けバンフ、レジャイナ(途中省略)ナイアガラ、トロント、オ タワ、プリンスエドワード島、モントリオール、ケベック、そしてアメリカ、 ニューヨークへ渡り、今度は西へ向けワシントンDC、シカゴ、グランドキャ ニオン、ラスベガス、ロサンゼルス、サンフランシスコを経てバンクーバーへ 帰ってくる、55日間の旅でした。 この中で私が一番印象に残っているところを1つ挙げるとしたら、サンフラン シスコです。なんといっても名物のケーブルカー。オープンデッキ(正式名称 は分かりませんが・・)の手すりにつかまって立ち、坂道を下っていく、その 爽快感と言ったら・・・本当に最高です。それから、監獄島とも呼ばれるアル カトラズ島。旧刑務所内のツアーに参加したのですが、背筋がゾクゾクしたの を覚えています。 ユースでは同じように1人旅をしている人達にもたくさん出会えたし、また現 地在住の日本人の方に親切にしていただいたこともあるし、なぜか、現地のア メリカ人と食事へ行くことになったり(笑)、治安の悪い所に足を踏み入れ、 怖い思いもしたし、ホテル代を浮かすために時々夜行バスに乗り、バスの中で 睡眠をとることもありました。とにかく色々な物を見て・聴いて・感じた、人 生で一番濃厚な時間を過ごした55日でした。 ここでは旅の事しか書けませんでしたが、1年間の海外生活で精神的に強くな 6 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 私のニュース&そしてこれから… ━━━━ れたし、視野も広がったと思います。いま改めて振り返ってみて、「よくやっ たなぁ∼」なんて思いますが、これからも、仕事でも、プライベートでも、 色々なことにチャレンジしていきたいと思います。 7 自由課題 香春岳(かわらだけ) 鶴 我 勝 (王子透析 月水金PM) 王子病院の4階の階段の壁に、 “Michiko”とサインのある香春岳(かわらだけ) の一ノ岳(いちのたけ)の絵が懸かっている。山頂や山腹の採掘跡の形から確信を もって言えるのだが、描かれた時期は昭和40年前後である。私は通っていた高校 から絵の通りの景色を眺めていた。絵の視点は高校の裏門付近だろうと思う。 風景画を描くときは、作者の意図によって見えるものの一部を省略したり配 置を変えることも多いが、この絵には近景の田の積み藁中景の工場の白いス レート屋根、山腹にあるコンベヤ建屋や石灰岩の露頭などが正確かつ克明に描 きこまれている。それらは私の記憶と見事に一致していて、ながく眺めている と涙腺が緩みそうになる。作者は、以前病院で開かれていた絵画教室の指導を していた方だそうである。 私の幼少期から青年期にかけて、一ノ岳ではセメント原料の石灰岩の採掘が 盛んになって山容が変わっていった。南側に山腹に採掘跡はあったもののまだ 緑に覆われた丸い山頂があり、魁偉な人物が平野に身を乗り出すように座って いる姿にみえた小学時代、山頂も平らに削られ始めた中学時代、絵に描かれて いるように、肩から上が消えて山腹の採掘跡も拡がり、表情の乏しくなってし まった高校時代と、山の変貌がその時々の記憶と結びついている。いまの一ノ 岳はというと、背後の二ノ岳(にのたけ)が丸見えになるほど低い切り株のよ うな台地になってしまった。 私は気が向くと4階の透析室への昇り降りにエレベーターではなく階段を使 い、絵にちらっと目をやって、楽しかった高校生活を思い出しては懐かしい気 分を味わっている。 8 自由課題 二つの病気 岩 山 正 光 (王子透析 火土PM) 私には、8年程前から、「二つの病気」が同時進行していたようである。一つ 目は「慢性腎不全前の腎臓疾病」、二つ目は「自律神経失調症」である。この、 二つ目の「自律神経失調症」が、なかなか分からず、大変苦労し、病院関係者 の方にも大変ご迷惑をかけてしまった。悪いことに私の場合この「自律神経失 調症」が透析を実施することで増悪してしまい、透析をした後で増々体調不良 になってしまっていたのである。 体調不良が続いた時、「透析を導入すれば、体調はよくなりますよ。」と言わ れて透析導入したのに全然良くならない。「脳神経外科」「心療内科」「他の透 析病院」「めまい診療」等沢山の病院で診察してもらっても、何処も悪く無く、 「透析をされているからある程度は仕方ありませんよ」との意見が殆どであっ た。会社も1年半の休職に追い込まれてしまった。 休職中に「膠原病」の診察を受診した時、先生から「膠原病ではありません が、休職しているのならば神経内科に入院してみたら」と言われ、3週間の入 院をして、初めて「自律神経失調症」と病名を言われた。 私自身も体調不良の原因は、「腎不全」だとばかり思っていたので、この二つ 目の病名を言われた時は、非常に嬉しく「これで何とかなる」と喜んだもので ある。 透析導入から2年半は、この「透析をすれば体調不良」が続き、私自身も苛 立ってしまい病院関係者の方に大変ご迷惑をかけてしまった事は反省している が、兎に角八方塞がりでどうしようもなかったのである。二つ目の病気がわ かってから3年半が経つが、今では無事透析を受ける事が出来、「透析」によっ て命をつなげてもらっていると思っている。 9 自由課題 『感謝』 匿 名 希 望 (王子透析 火木土AM) 「ふくじんきょう」「ぜんじんきょう」の本を読み、長年病気と共に透析をさ れている方が多いのにびっくりしました。 私はまだ、日が浅い方だと思います。 これから一生、取り組んでいかなくてはいけないと思いました。 病院の先生や各スタッフの皆さんのお陰です。感謝しております。 毎日の食事や体重の事が気になります。 勉強会には、なるべく主人も一緒に行くようにして、一言声を掛けて手伝って 貰います。 一週間の経つのが、早く感じます。 来年は病院が移動する計画になっていますが、楽しみです。 また、スタッフの皆さんにお世話になります。 どうぞ、よろしくお願い致します。 10 自由課題 昔 ムカシ 中 川 満 (王子透析 月水金AM) 世の中は 何のへちまと思えども ぶらりとしては暮されもせず 佐藤垢石のホーデン侍従の中の川柳です。正に読んで字の如しです。 人は遊んでばかりでは生きて行けない、努力しながら他人と交わり生きられ る。そんな事でしょう。 一週間程前、ナースの方から雑文集に投稿の依頼を受けた。昨年もあったが 体調が悪くそんな気に成れないと断った経緯もあり、今回は断れないなあと 思った。封筒に二枚ほど用紙が入っており、俳句でも二、三首書けば良いかと 軽い気持ちで受け取った。俳句だと二枚では多過ぎると迷ったが、短文でも書 こうと思い、何時か王子病院の先生も好きだと雑文集に書かれていた山頭火の 事を書くことにした。私も山頭火が好きだし、大変な思いを強いられた事も あったからだ。 私の耳学問では、明治に山口で生まれ、家業は造り酒屋。どこかの大学を中 退し家業を継ぐが、家業に失敗。出家してお坊さんに成り、荻原井水泉に師事 し、自由律の層雲に属する。本名は種田正一。昭和十四年頃(?)死亡した。 作品は自由奔放、明るくやさしく豪快。万人から愛され親しまれた。私は俳句 のホトトギスの方だから、それも旧制の中学の時一二四句会に参加した程度。 浅学も甚だしいと恐れ入るばかりです。 その山頭火が托鉢放浪の旅に出た時、飯塚に立ち寄り庵を営むのだと言うの です。桂川か山田の当りと言っていました。友人Мが短歌集を出版した祝賀 パーティでの席でした。彼も又自由律だったので是非其の跡を見たいと申し、 自動車を持っている私に連れて行ってくれと頼まれたのですが私も少しは興味 がありましたから、後から電話するとの事でした。 其の後私はすっかり忘れていて七月の中頃の土曜日、家には麻雀と言って出た ものの気が乗らないものの、なんとなく虫の知らせというかやっぱりスポーツ 麻雀を打ちに行った。ツキがよくないのでもう止めようかと思っていた時、店 11 自由課題 の店員が私に電話だと言ってきた。止めるタイミングだと思い電話に出てみる とМだった。明日日曜日だから行きたいと言われた。私はすっかり忘れていた ので何かよく解らなかったけど、パーティの時の約束を思い出した。これ幸い と席を立ち負けの分を精算して帰った。 朝七時にМが一番の汽車で来たと言って張り切っている。私とМの二人の山 頭火の足跡捜しである。街中はインフラの最中、郊外はガタガタ路。特にあの 時は遠賀川の堤防がひどかった。穴ボコだらけ、田舎の方はまだ自動車が普及 しておらず混んでいないのが幸いだった。 日頃は口数の少ないМだが私に気遣ってか色々苦労話や子供の成長の事等話 し掛けてくるけど、七月の暑さ、新型のクーラーが付いている車だったけど性 能はあまり良くなくとにかく暑かった。それでも山頭火の話は覚えている。正 月過ぎの二月。雨まじりの霙の日、それも夕方、飯塚の山頭火に土地の知人が 訪ねて来たという。 山頭火は夕飯の最中、菜粥を自在に懸け温かいところをすすっていた時だっ たそうだ。知人も山頭火の在所が解らず訪ね訪ねて来たので夕刻になったと詫 びたそうだ。山頭火はその労をねぎらって良く来てくれたと自分の茶碗の残り 粥を急いですすり、箸と茶碗を急いで水洗いし、更に自在の菜粥を温め直し知 人に食べるよう勧めたという。 四方山話も楽しく自由律の句の話で盛り上がり、一組だけの布団は知人に勧 め、自分はすきま風の吹き込む板壁に背中を押し出し、それも知人に気づかれ ぬように夜明けまで話し込んだとか。 私たちも何軒もその所在を聞いた。午前十時前に桂川に着き、田舎道を尋ね 尋ねぐるぐる廻って何人聞いただろうか。田圃で働く人に何人聞いただろう か。ああでもないこうでもない、この道はさつき道よ。七月の西日は強い。そ れでもМは粘る。私も付き合う。夏の日は長い、暑い。それでも何とかとМは 粘る。午後五時過ぎ、もうこれが最後、解らなかったら涼しい時に来て探そう とМは不服そうな顔する。又私も付き合う事に。まだ夏の日高い。私は半分諦 めていた。それでもМは粘りを見せる。 まっすぐな田舎にしては幅広い道に出る。前進するうち右手に大きな家があっ た。昔の庄屋さんの様な家だった。漆喰の倉が二棟有る豪邸だった。あの家の 人だったら知っているかも。急いで門迠自動車を走らせた。門は開いている。 12 自由課題 期待が心の底から湧くと思い、Мも急ぎ足になり、大きな声でごめんください と叫ぶ。返事がない。番犬もいない。Мは庭に這っていく。更に叫ぶ。返事が 無い。私もたまらず自動車から降りて一緒になって叫ぶが誰も出て来ない。玄 関の引戸にМが手をかけた。開いて更に叫ぶ。私と一緒になって叫ぶ。誰も出 て来ない。留守なんだ。だけどこんな家で夕方で鍵もかけないで、さすがに田 舎だなあとつくづく思った。 諦めて帰ろうとした時、門の側に大きなザクロの木があり、花は満開。可愛ら しい朱色の花が沢山咲いている。こんなの觀の私は初めてだった。石榴の木は ここでは自然に育てられこんな大木になったんだなあ。伸び伸び高さは七、八 米はある。花も沢山付いている。私はそれを見ただけで助かったと思った。昼 食も取らず一日中山頭火の足跡を探し廻り、疲れ果て、遅い夕食も飯塚の町で とったが、Мはビール一本だけで済ませた様だった。又涼しくなったら探しに 来るよ、付き合うよと言って、その頃から参拾年か。 今年の流行語は決まったのかな。たしか「おもてなし」という言葉がノミネー トされている。後諸々沢山あるとテレビ放映されていた。 まさに山頭火の話と共鳴するものがある。 13 自由課題 伊都国のロマン 森 達 也 (相生RC 通所リハ) 所属する文芸同好会、今は、たまに短い文と、少しばかりの俳句をのせても らっているだけだが、年に一回、日帰りバスハイクがある。そんなに遠くまで 行けないが、実によく考えられており、日頃なかなか行かない興味ぶかいとこ ろへ連れていってくれる。係の人の尽力の賜であろう。それに、なぜかいつも お天気に恵まれる。身体の効かない私だがご迷惑と思いつつ、ちゃっかり参加 させてもらっている。今年は糸島の伊都国巡りだという。 福岡都市高速を抜けて、糸島へ、田園都市の趣なのだが、近年は、九州大学キャ ンパスの移転や、福岡市のベットタウンとしてにわかに、にぎわいだしている。 まずは、芥屋の大門遊覧へ、船で巡るのは初めてで、乗船が大変であった。板 一枚で岸に繋がっている。揺れる板の下は海である。 「怖い」妻では不安であ る。同行の男性達に抱きかかえられるようにして乗船した。さだめし、大変なこ とだったろうと、感謝のかぎりである。海からの芥屋の大門は、玄海の冬の波白 く自然の造形の不可思議を思わせ、圧巻であった。妻が耳元で「私の力では、こ んな遊覧船には乗せてやれない。しっかり見ておいてね。」とつぶやいた。 次は、伊都国歴史博物館へ、ここ糸島の地は、日本で初めて、大陸から人類 が渡ってきたと言われ、ここから日本民族が全国に広まっていったという一説 もある。石器時代には日本一賑やかだったのではなかろうか。様々な出土品、 西日本に多く出土される特徴的な甕棺だとか、ほとんど完成形の人骨とか、よ く磨かれた石器の数々等。 また、博物館の入り口には、栴檀の実が黄色くたわわに実っていた。 それから、旨い昼食の後、雷山のふもとの千如寺へ、御堂の前の大カエデは もちろん、なんとも見事な紅葉であった。 道の駅に立ち寄り、談笑で賑わうバスの中、ぐっすり居眠り、幸せな一日を しめくくった。 大いなる芥屋の大門や冬怒涛 千如寺の紅葉綾なす好一日 14 自由課題 お母さんありがとう 江 田 ふさ子 (王子病院 ナースエイド) 私の母は、日田で透析をしていました。 軽い認知症が出、普通の生活が出来なくなり北九州市に連れて来て療養型の病 院でお世話になることが出来ました。 ところが、入院すると大声で叫び、透析中も静かにすることがなく私が透析中 だけ付き添い、その後は仕事帰りに食事の介助や話し相手に行き、帰宅は夜9 時頃でした。先の見えない不安で、どうすることも出来なくなって、そんな 時、同僚や看護師さん達が励まし助言してくれ気持ちが楽になり、前向きにな り、母が愛しく可愛いと思うようになれました。 今まで寂しい思いをさせた分いっぱい話そう、私の所に来てくれたことにも 感謝しよう、少しづつ落ち着きを取り戻しながらも、今日も叫んだ?と問う と、ちょっと叫んだと笑っていました。 子供たち夫婦、孫、みんなに見守られながら、3年前に他界しました。穏や かな、優しい、母の顔でした。 15 自由課題 母 川 﨑 幸 子 (王子病院 ナースエイド) 母は、よく働き、よく笑い明るい人です。 通販好きで、これまでに、健康食品・化粧品(自分には合わなかったとかで、 私へ回ってきます)・調理器具(思ったより使いづらいと箱の中へ)・健康器具 (首を痛めたとかで、しばらく中断)を購入。 どこどこのニンジンがおいしいと聞けば箱買いをして、わが家の食卓にはニン ジン料理が続きます。そして母が大切にしている庭のレモンの木には、たくさ んの実がぶらさがっています。数日中には注文したハチミツが届くことでしょ う。 これからも元気でね!お母さん。 16 花と美女達 (匿名希望) ①花より団子でたくさん買物をしまし た。重たそうでしたが、苦になりま せん。 実は買物は「柿」と「梨」です。 ②何の花でしょうか。珍しいので一緒 に写真を撮りました。 どなたか知りませんか。 ③少し時期が過ぎたようですが、まだ まだ美しいコスモスでした。カラー でしたらもっと美しいのですが残念 です。 ④七夕に願いごとをしました。 どうも叶いそうです。この笑顔 素晴らしいですね。 17 俳句・川柳・短歌 川柳・短歌 俳 句 俳 句 佐 藤 幸 子 ︵相生透析 月水金AM︶ 涌蓋山 しばらく見るや 秋の雲 馬蹄岩 のぞきて石蕗の 二つ三つ 枯れ生きる 山川草木 由布の山 18 腎友会バスハイク 腎友会バスハイク 平成25年10月27日 楽しかったバスツアー 瀬 川 康 之 (王子透析 月水金PM) 今年の腎友会主催のバスツアーは「大刀洗記念館」と「原鶴温泉」に、10月 27日(日)バス2台で行きました。参加者は会員とその家族で54名、スタッフは 10名で合計64名でした。昨年はバス3台でしたので、今年はいろんな行事とか さなった為に少なくなったようです。 いつものことですが場所を決めるのに苦労します。遠い所だと身体に無理があ りますし、近い所だとほとんど過去に行ったことがあると言われ役員一同いろ いろ頭をしぼり考えさせられています。又年々年をとり高齢代が進む中でバス ツアーはどうかという意見もありますが年一回の観光だけでなく会員同士の交 流の場として考え、楽しみにしていますという会員さんがおられるのでしばら くは続ける必要があると考えています。 さて今年は、大刀洗記念館に行ったわけですが、ここは筑前町立の平和祈念 館です。ここには大刀洗飛行場に関連する戦時資料や写真などを1F∼2Fま でテーマ別に展示されていました。97式戦闘機やゼロ戦の実物のほか、同飛行 場から飛び立った特攻隊員の写真や家族への手紙も展示されていました。飛行 基地であったために集中的な攻撃を受けて、近くの民間の人たち、非戦闘員で ある女性や子供たち又お年寄りの人たちなど多数が犠牲になったことが明らか にされていました。改めて戦争の悲惨さを感じ平和の大切さを実感しました。 食事は原鶴のグランドホテルで少し豪華な料理をおいしくいただくことが出 19 腎友会バスハイク 来ました。食事後温泉に入ったのですが、この温泉は保温効果のある弱アルカ リ性単純湯と古い角質や余分な皮脂を除去してくれる単純硫黄湯のダブルの美 肌効果が期待できる温泉です。広い大浴場で体を伸ばしひと時のリラックスを 楽しみました。 帰りは、道の駅「フォームバサロ」によって買い物をしました。私事ですが おいしい果物がたくさんあったのでつい「柿」「梨」「みかん」「いちじく」 などたくさん買ってしまいました。「カリウム」を増やすつもりですかと冷や かされました。帰りは5時前に到着しました。ゆっくりした楽しい旅行になり ました。 腎友会バスハイク「大刀洗平和記念館」 大 谷 麻 岐 (王子病院 看護師) 10月27日(日)前日まで心配された台風や雨もそれ、良いお天気でした。 「大刀洗平和記念館」へのバスハイクにご一緒させていただきました。 大刀洗平和記念館のホームページを開くと、“かつて東洋一と謳われた旧陸軍 大刀洗飛行場 その歴史を学び平和を語り継ぐ 筑前町立大刀洗平和記念館” と記されています。戦争を知らず、教科書やテレビで、またこのような記念館 でしか知ることのない私にとっては、「へえ∼」「わあ∼」と思いながら知る ことで胸が締め付けられる思いを感じていました。しかし、記念館の中になか なか入ろうとされず、入り口に立ち止っておられる方々…声をかけてみると、 20 腎友会バスハイク 「う∼ん、あんたたちは知らんやろうが、こんなきれいな話でも簡単な話でも ない…つらいなぁ。」と、ご自分の戦争体験を話してくださる方がいらっしゃ いました。 数名の方たちに、記念館の年表を見ながら、「この時にこんなことがあっ た。」とお話しいただきました。「特攻隊にあこがれ、かっこいいと思ってい た。死ににいくのが当たり前に教育されていた。おかしいなんて思ってもな かった。」まだまだ書ききれない、こんな話をしながら記念館を回れるとは思っ てもいませんでした。私にとっては、感慨深いバスハイクの経験になりました。 記念館を出る間際、とても小さな声で「動物園かなんかが良かったな…きつい な…」とうつむきながらつぶやかれた姿が印象的でした。 その後、昼食もしっかりいただき、胸もおなかもいっぱいになった1日でした。 けがも事故もなく過ごせ、良かったです。 21 探訪 はまゆう会あれこれ 探訪 黒崎クリニック開業祝いの龍の絵 医療法人財団はまゆう会理事長 市 丸 喜一郎 今回は開業以来ずっと私の生き様を見つめてくれた一 才の龍年に黒崎 幅の龍の墨絵についてお話ししましょう。因みに私は皇 紀2600年の龍年生れです。しかも 筒井通りに開業、その際お祝いに頂いたのが今回お話し する絵です。 ㎜ 以 贈り主の菊池辰巳さんは、藤見惺先生や阿部哲哉先生 はご存知かも知れませんが、当時収縮期血圧が Hg に沿えることはできませんでした。 れました。しかし小倉にお住まいでもあり転院のご希望 で透析された後しばしば黒崎クリニックに尋ねて見えら はありませんが、とても人懐こい方で、済生会八幡病院 済生会八幡病院在職中主治医であったかどうか定かで れ続けられた方でした。 析療法に移行、その後重症貧血と透析低血圧症に悩まさ んで、万策尽きて両腎摘出術を受けられ必然的に血液透 上にのぼるほど血圧コントロールが極めて難しい患者さ 250 この龍の絵は 年間私共の透析環境の推移と検証、進 を駆り立ててくれたことは確かです。 歩への取り組みを見守り、ともすれば萎えそうになる私 40 さて次は何にしましょうか。 22 36 人の動き ◆ 王 子 病 院 山 口 丞 晃 さん ナ ー ス エ イ ド パート 7月16日 吉 村 真由美 さん ナ ー ス エ イ ド パート 7月17日 坪 根 奨 さん 臨 床 検 査 技 師 パート 8月1日 渡 邊 悠 介 さん 臨 床 工 学 技 士 正 8月1日 高 松 由紀子 さん 看 師 パート 8月26日 士 正 7月22日 務 正 10月14日 士 正 11月1日 パート 12月1日 護 ◆ 相生リハビリテーションクリニック 曽 子 さん 作 森 若 有希子 さん 事 下 井 山 芹 裕 業 療 法 直 子 さん 理 順 子 さん ナ ー ス エ イ ド 学 療 法 ◆ 王 子 病 院 白 石 征 男 さん 月水金PM 松 山 佳 弘 さん 月水金PM 松 永 清 恵 さん 月水金AM 大 森 映 一 さん 火木土AM 野 崎 久 江 さん 月水金AM 森 廣 純 一 さん 火木土AM 藤 川 隆 三 さん 火木土PM 鹿 眞 國 浩 さん 火木土AM ◆ 相生リハビリテーションクリニック 大 林 治 男 さん 月水金AM 23 人の動き ◆ 王 子 病 院 豊 さん 北九州ネフロクリニック 宮 嶋 ミネ子 さん 管 間 記 念 病 院( 栃 木 県 ) 藤 山 好 一 さん 岡 川 村 泰 子 さん ひ び き ク リ ニ ッ ク 吉 田 靜 代 さん 社 会 保 険 直 方 病 院 森 本 垣 記 念 病 院 ◆ 王 子 病 院 平 田 正 志 さん 7月8日 常 盤 功 さん 9月20日 生 野 善 政 さん 7月22日 田 中 稔 郎 さん 10月25日 藤 﨑 泰 典 さん 9月6日 小 野 文 永 さん 10月30日 山 崎 武 夫 さん 9月11日 木 村 ハルエ さん 11月24日 ◆ 相生リハビリテーションクリニック 福 島 晃 さん 8月31日 木 下 寛 子 さん 9月23日 慎んでご冥福をお祈り致します。 やすらかに……。 24 編集後記 編集後記 私の透析指定席、相生RC2階窓際から新病院建設が一望できます。今はテ ントの中ですが建物の外観がわかるようになりました。来春5月予定の「医療 法人財団はまゆう会新王子病院」という私たちの命を守る器の誕生が待たれま す。当時、ただ一つの透析施設の済生会八幡総合病院を始まりに北九州クリ ニック(現小倉第一病院)、はまゆう会3施設(黒崎クリニック、王子病院、 相生RC)とお世話になりましたが、その度ごとに透析医療も環境も魔法のよ うに大きな変化を感じました。新王子病院にはどんな魔法が用意されているの でしょう。楽しみです。 今年も予定通りに2回の雑文集はまゆうを発行することができました。はま ゆう会の皆様と編集委員の皆様にお礼申し上げます。私的にも透析4?回目の 正月を迎えられそうで嬉しさ満杯です。皆様のおかげです。来年もよろしくお 願いします。穏やかで良い年をお迎えください。 あした天気にな∼れ∼ 来年いい年にな∼れ∼ 編集部 発 行 医療法人財団 姫 野 はまゆう会・腎友会 第一号発行 昭和53年8月(1978年) 王 子 病 院 北九州市八幡西区東王子町4番17号 (093)641−1239 相生リハビリテーションクリニック 〈腎友会は王子病院所属〉 北九州市八幡西区鉄王1丁目18-1 (093)631−2055 社会福祉法人 久岐の海会 ケアハウス あいおい 北九州市八幡西区鉄王1丁目18-2 (093)631−2525 はまゆう会ホームページアドレス http://www.ouji−byouin.jp/hamayuukai/ 平成25年12月号