...

市制50周年特別企画 大和の景観 いまむかし写真館

by user

on
Category: Documents
11

views

Report

Comments

Transcript

市制50周年特別企画 大和の景観 いまむかし写真館
平成21年3月26日発行
やまと街づくりメールマガジン
市制50周年特別企画
大和の景観 いまむかし写真館
其の一
平成21年2月1日 大和市は市制50周年を迎えました。
大和市は、昭和34年2月1日、県下14番目の市として、人口約35,000人で誕生しました。それか
ら半世紀が経ち、現在は22万人を超える市民が暮らす都市へと成長しました。その間、時代の移り変わり
とともに街は大きく発展し、また景観も大きく変化していきました。今回は市制50周年特別企画として、大
和の「むかし」と「いま」の景観の写真を集めてみました。「むかし」と「いま」を見比べてみると、時代の流れと
街並み景観の移り変わりが感じられます。
昭和39年頃の大和市役所です。当時
は、現在の保健福祉センターの場所に位
置していました。
左の写真は昭和39年頃の大和駅小田急改札前で、右側
に相鉄線ホームへの連絡通路が見えます。右上は昭和50
年代後半の小田急線改札前です。現在はプロムナードと駅
ビル「プロス」が街のシンボルとなっています。
昭和39年頃の大和駅前中央通り商店街で
す。現在も当時の面影を残していますが、街並
みにあわせて看板などの広告物も大きく変化
しています。
今からちょうど50年前の昭和34
年、市制施行記念パレード車が鶴
間駅脇の踏切を通過するところで
す(現在の旧国道246号)。
駅周辺
街の景観
人口の増加、商業の発達に
伴い、駅前の街並み景観も
大きく発展していきました。
看板や店の変化も、時代を
感じさせます。当時行きつけ
だ っ た お 店 も写 っ てい る か
も・・・。
写真上が昭和42年頃、中央が昭和50年代後半
の大和駅前です。当時は相鉄線が地上を走ってお
り、踏切が駅前の人の流れを分断していました。現
在は相鉄線は地下を走り、その上はプロムナードと
して整備されています。
昭和37年頃の南林間駅前です。お
そらく西口を撮影したものと思われま
す。現在はバスロータリーが整備さ
れています。
編集発行 / 大和市 都市整備課 街づくり推進担当 TEL:046(260)5483 FAX:046(264)6105 E-mail:[email protected] URL:http://www.city.yamato.lg.jp
平成21年3月26日発行
やまと街づくりメールマガジン
市制50周年特別企画 大和の景観 いまむかし写真館
人口の増加の波は、市街地にも押し寄
せます。昔は森林や農村だった景観も、
次第に住宅地に変わっていきました。ま
た、高度経済成長期に向かって、工場が
多く立地していたことも、時代背景を物語
っています。
其の二
市街地
農村・住宅地の
街並み景観
昭和3 9年頃 の国道東 京沼津
線、現在の246号線です。目黒
交差点から大和市内に入る付近
と思われます。
沿道
昭和41年頃の藤沢町田街道、現在の国
道467号線です。藤沢方面に向かって
相鉄線の踏切と交差する付近(現在はプ
ロムナード)です。通り左側には、当時のま
まの形で現在も建物が建っているのが見
えます。
工業
地帯
昭和39年頃の深見
工業地帯です。現在
の生涯学習センター
付近と思われます。
昭和39年頃の下鶴間工業地帯
です。右に見える車体工業は現
在オークシティ(イトーヨーカドー)
に変わっています。旧国道246
号線を横浜方面に向かって撮っ
ています。
農村・
住宅地
昭和44年頃のつきみ野です。手前に見
えるグランドは大和高校と思われます。付
近一帯を東急電鉄が開発し、現在は緑が
豊かで閑静な住宅地となっています。
昭和42年頃の深見
入村の農村景観で
す。川(境川)の向こ
うが横浜市で、相鉄
線の土手から南を向
いて撮影したもので
す。
編集発行 / 大和市 都市整備課 街づくり推進担当 TEL:046(260)5483 FAX:046(264)6105 E-mail:[email protected] URL:http://www.city.yamato.lg.jp
Fly UP