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隊 員 た ち の 体 験 と 思

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隊 員 た ち の 体 験 と 思
❷1面続き
ネパール大地震を振り返る
隊員たちの体験と思い
H E A D L I N E
8000人を超える多数の方々が犠牲になったネパール大地震。4月 日の発生
から約4カ月が経過した。国内外の被災地で医療支援活動を展開するNPO法人
TMATは、地震発生の翌日、ネパールへの先遣隊派遣を決定し、計496人(最
終集計)の被災者の診療にあたった。TMAT隊員たちは、どのような体験をし、
何を感じてきたのか。また、どのような思いで被災地まで行き、活動してきたの
日本でも事態の深刻さ に
者数が増え、遠く離れ た
日に同国入りし、空港内
ネパールに向かった。
遣隊のメンバーが集結、
だろうか。今回、4人の隊員に改めて活動を振り返ってもらった。
誰もが息を飲んだ。
ネパール入りしたのは、 日夜から派遣を視野に 準
ーズがあると判断し、 同
さなどから現地で医療 ニ
TMATは被害の大 き
の状況から医療チーム本
すませ、カトマンズ市内
MTs)としての登録を
寄り、外国医療チーム(F
の国連機関ブースに立ち
日の午後、成田空港に 先
式に派遣を決定し、そ の
の派遣を決定。第1陣
体が必要と判断、第1陣
備を開始。翌
日昼に 正
人
人。医師5人、看
先遣隊4人と第1陣
の計
護師7人、管理栄養士1
、
人は、先発隊3人と後発
隊7人に分かれ、
日にそれぞれ出発した。
大地震の発生後、ネパ
ールに対しては世界各国
から支援の手が差し伸べ
られ、救助チームだけで
なく、医療チームも続々
と入った。しかし山岳地
日から5月5日まで
診療活動を実施。
ラビセという村を拠点に
東の山岳部に位置するバ
TMATはカトマンズ北
診療所での診療と巡回診
の6日間にわたり、仮設
療。5月7日までに全隊
患者さんら496人を診
高血圧など内科系疾患の
人道問題調整事務所)の
国連機関OCHA(国連
への支援活動を調整する
世界各国からの被災地
ャ
員が無事に帰国し、活動
チ
療によって、挫滅創など
に現地で活動を開始した
は日本の団体として最初
オ
創傷や骨折、打撲など外
発表によると、TMAT
ざ めつそう
科系疾患、感冒、胃腸炎、 を終えた。
重責を果たすも心残り
FMTs。JICA(国
診療人数だけで災害医療
の成果を語ることはでき
ないが、約500人の患
者さんに触れ、手当てを
した事実に変わりはない。
「ネパールは山岳地帯の
小さな集落ごとに患者さ
んが散在しているのが特
いう気持ちでした」
。こ
ようにしかならない』と
由に、コースを変更。イ
マンズの空港の混雑を理
を発った飛行機は、カト
った。ところがバンコク
では、周囲の方々の理解
「今回のネパール大地震
ができた。
スピードで入国すること
援助隊(JDR)と同じ
ため、とても忸怩たる思
診療に参加できなかった
ところでネパールを離れ
は先遣隊の任務を終えた
かし今回、私個人として
充実感がありました。し
肝要との考えから、髙力
災害医療はスピードが
とができたと思います」
である機動力を生かすこ
ができ、TMATの特徴
よって医療を届けること
日昼に到着するはずだ
う話すのは、先遣隊の隊
ンド東部のコルカタにあ
と協力のもと、自分も参
「あの時は『あとはなる
長を務めた髙力俊策・湘
る空港に着陸・待機する
徴でしたが、巡回診療に
南藤沢徳洲会病院(神奈
など曲折を経た後、日本
際協力機構)の国際緊急
川県)外科部長だ。20
分の役割をしっかりと果
前回のフィリピンでの診
通して496人を診療。
TMATは活動期間を
などに力を入れていきた
を広げるための人材育成
整備し、TMATの裾野
動き出しのできる体制を
じく じ
10年のハイチ地震、同
たすだけでしたので、機
療人数(393人)より
部長は今後、より迅速な
いが残りました」
トマンズに到着したので
中では『なるようにしか
時間
ある。
ならない』と半ば開き直
い考えだ。
年の東
それでも医療チームと
も多い。もちろん一概に
日本大震災、同年のトル
しては、かなり早い段階
ることができ、任務や置
リピン台風被害と国内外
年のフィ
の災害医療を多数経験。
での入国を果たすことが
コ東部地震、
“あの時”とは、成田空
国連機関のブースも立ち
港施設内に人があふれ、
のレスキュー隊などで空
空港到着直後は、各国
ばいいかなど、はっきり
着したら自分がどう動け
地の状況や、被災地に到
めてのことばかりで、現
「入国審査の段階から初
気候で、とくに日中は日
セは湿度が高く蒸し暑い
きました。5月のバラビ
崩落しているのが目につ
ンガや土壁の脆い建物が
セに近づくにつれて、レ
“個別性”の大切さを実感
上がる前で、発災直後の
と想像することができま
差しがきつく
度を超え
もろ
慌ただしい雰囲気に包ま
せんでした。そのため、
スムーズに医療活動に入
ていたと思います。ネパ
ールは朝と夜の1日2食
の習慣でしたので、自分
たちも昼は水や軽食です
浅野・看護副主任は東
ませるなど、現地に合わ
日本大震災時にTMAT
せて生活していました」
など先遣隊の重責を果た ( 医 療 安 全 管 理 者 ) は、
隊員として医療支援活動
奈川県)医療安全管理室
第1陣の後発隊7人のひ
に従事。関西出身で19
の浅野昌子・看護副主任
した。しかし髙力部長に
とりとして、現地時間5
95年の阪神・淡路大震
との関係構築や宿舎の確
は心残りがあるという。
時)頃、活動拠
月1日午後8時(日本時
した後も、ある程度、診
際、先遣隊の役割を果た
に従事した。
月5日まで診療活動など
第1陣先発隊と合流。5
点のバラビセに到着し、
療への関心をもち続けて
途切れることなく災害医
災で自ら被災してから、
被害で現地支援に入った
療活動を行ってから帰国
「カトマンズからバラビ
(2面に続く)
していました。それによ
きた。
って医療を行ったという
間午後
「 年のフィリピン台風
保、物資調達手段の確認
は不安がありました」
である
Iwamura
Memorial
湘南鎌倉総合病院(神
(岩村記念病院)
Hospital
ーパート
(現地協力機関) っていけるかどうか当初
先遣隊4人はカウンタ
れていた。
ることに集中しました」
かれた状況を冷静に考え
28
できた。
年のチリ地震、
加できました。あとは自
「課題はもっと早く被災現場に入ること」と當
麻部長(右)
。有本看護師は「今後も継続して災
害医療に携わっていきたい」
日午後3時頃にカ
27
港を出発してからカトマ
ンズのトリブバン国際空
港に到着するまでを指す。
今回、先遣隊は出だしで
難関にぶつかった。飛行
日夕
プーム国際空港を経由し、
イのバンコク・スワンナ
方に出発後、予定ではタ
成田空港を4月
着かなかったのである。
る被災者がいることから、 機がなかなかネパールに
られずに取り残されてい
「災害医療は『患者さんのた
めになりたい』という初心を
思い出させてくれます」と浅
野・看護副主任
NPO法人TMATの福島安義理事
長(一般社団法人徳洲会副理事
長)は「カウンターパート
(現地協力
機関)
である Iwamura Memorial
Hospital(岩村記念病院)と連携し、
家屋が脆弱で被害の大きい山岳地
帯の村落に入って被災者の方々を
「新人とベテランを組
診療できたのは今回の活動の大き み合わせながら底上
げを図っていきたい」
な成果」と振り返る。
と福島理事長
国内の医療チームとして最初に
活動を開始できたことから「持ち味である機動力を海
外派遣でも発揮できました」と評価。
今後について「もう少し組織を大きくしていきたい」
と抱負を語り、国内災害時の医療支援活動に言及。
「東
日本大震災の時も被災地の近くにある病院を拠点に
活動を展開しましたが、必ずしも拠点を確保できると
は限りません。そのような場合にも自立的に医療を展
開できるよう国内ではモバイルクリニック(車両やエア
ーテントなどによる移動式診療所)などの導入を検討
していきたい」と将来構想を明かす。
組織拡大の鍵は人材育成だ。福島理事長は「新人
とベテランを組み合わせながら徐々に底上げを図り、
ベーシックコース受講者を増やし裾野を広げていくこ
とが重要」と話している。
30
直 言
25
11
月曜日
9 月7 日
帯の集落には医療を受け
バラビセを拠点に巡回診療を実施。山道を1時間か
けて歩き孤立集落を訪問したことも
❸徳 洲 会 指 導 者 養 成 講 習 会・成 人 教 育のあり方を学 習/
2015 年度災害看護研修・防災知識・技術を学ぶ/学会基
準の嚥下食提供
「持ち味の機動力発揮」
26
頚椎症で握力 30 ㎏まで回復した症例も
28
10
30
人、事務職員1人という
構成だ。
マグニチュード7・8
日午後3
の大地震が発生したのは
日本時間4月
㎞
分。震源地は首都カ
トマンズから北西約
の地点とされる。地震発
生後、徐々に被害状況が
伝わってくるにつれ死傷
11
13
26
13
患者さんの生命を尊び痛み和らげる
ブロック注射は年間約1000例超
29
30
福島TMAT理事長
「世界のどこかで大きな災害
があると、
『早く行かなきゃ』
といつも思います」と髙力部長
10
80
時
25
発行:一般社団法人徳洲会
〒102-0083 東京都千代田区麹町3-1-1 麹町311ビル8階 TEL:03-3262-3133
制作:一般社団法人徳洲会 編集室
〒102-0083 東京都千代田区麹町3-1-1 麹町311ビル8階
TEL:03-6272-3687 FAX:03-3263-8125 Email:[email protected]
ぜ い じゃく
7/SEP.2015 No.
996
バラビセの風景。手前に見えるのは避難生活用のテ
ント。この一角に TMAT の仮設診療所を設けた
14
❹腹膜透析 100 例を突破・開始からわずか3年で達成/全日
本実業団5連覇・全試合ストレート勝ちで優勝/ YouTube
モバイルクリニック構想
NPO法人
T M AT
11
生 命だけは平等だ
い の ち
聞
新
洲
徳
❶ 平成 27 年 9 月 7 日 月曜日│No.996
い の ち
現在では週1回の鍼治療をす
した。地域コミュニティの再
ックコースではインスト
害救護・国際協力ベーシ
TMATが主催する災
が、ネパールでは難しい
時安静にする処置を行う
スでは、日本であれば常
れた骨折患者さんのケー
だろうか。
當麻部長は
「不
心境で現地に向かったの
(1面から続く)
とがで き る た め 外 来 に
生に、それを利用したら良い
ため最低限の固定を保つ
要性を実感できたという。
勤務歴が長く、一般外科、 れたことで、個別性の重
巻読み、すっかり塩野氏に
助や準備、さらに物品管
診療での外科的処置の介
かし、仮設診療所や巡回
ある。こうした経歴を生
実体験に基づくアドバイ
う初心を思い出させてく
のためになりたい』とい
し た。
「 以 前、 名 古 屋 徳
クコースで教える際にも、 医療関係の看護師を選択
れます。今後、ベーシッ
洲会総合病院に勤務して
機会を得やすいことから
生かし、海外で貢献する
仕事を選ぶ際も、資格を
々をこれまで旅行で訪問。 初めてという有本看護師
国外の災害医療現場は
えました」と振り返る。
めたりしながら活動に備
り合い、現地の情報を集
MAT事務局と連絡を取
ほうが強かったです。T
るぞ』という意気込みの
安よりは『よし、やった
る程度にまで回復した同様の
ラクターも務める。国外
けいつい
力を入 れ て い ま す 。 1
のではと思います。
処置を実施。このように
症例もあります。また、頚椎
の被災地に赴いたのはネ
日平均 の 外 来 患 者 さ ん
リーダーの条件は先を読み
現地の環境やニーズに合
症で手は動くものの握力がほ
とんどない方が来院、頚部硬
〜
戦場で先頭に立ちぶれない
パールが初めて。
人で、ペイ
は約
ンクリ ニ ッ ク と 鍼 治 療
膜外ブロックを有効と考える
整形外科の各病棟の看護
「被災地では『患者さん
わせたサポートに、携わ
作家・塩野七生氏の『ローマ
業務に就いていたことも
ER(救急外来)での
人の物語』を直言で紹介され
は地元出身。女性職員は3人
私は世界的な英雄をアレキ
理やカルテ集計の重要な
スができると思います。
なな み
回復したケースもあります。
ていましたので、文庫本で全
以前、鈴木隆夫理事長が、
第1診療室 は ベ ッ ド が 5 つ
笠利病院で働く職員は12
㎏まで
並び、私が施 行 し て い る ブ ロ
0人ほどですが、職員の多く
回数施行し、握力が
奄美大島本島北部の笠利病
ック注射は手 袋 を 使 わ ず に 行
星 状 神経節(頚部の交感神経
以上のお子さんがいる方が多
サンダー大王とナポレオンと
役割も担った。巡回診療
な
院は、人口約6000人の笠
う工夫をして い ま す 。 こ れ で
と近く、交通の便が非常に良
が集まる部位 ) ブ ロ ッ ク が 安
く見られます。子どもをたく
思っていましたが、読後、第
念願であった航空・船舶運賃
鹿児島へは1日7便。住民の
沖縄などへの直行便があり、
ンクリニック を し て い る 医 師
ツでは鍼治療 が 盛 ん で 、 ペ イ
その間に鍼を 行 い ま す 。 ド イ
ク後の安静時 間 は
で 子 ど も を 守 っ て い く 習 慣・
ることができたり、地区全体
ちゃんや隣のおばさんに預け
きていることを学びました。
り、現在の世に彼の教えが生
であるとともに政治家でもあ
信しました。素晴らしい軍人
と険しい山道に足を踏み
現地の案内人の先導のも
か、孤立集落を目指し、
では日中の高い気温のな
ていただきました」
とても貴重な経験をさせ
でTMATの活動の紹介
いた時に、病院のロビー
魅了されてしまいました。
が離島割引制度により、通常
の7割は鍼を 併 用 し て い る と 、
風土があったりするおかげで
入れることを繰り返した。
関心をもつようになりま
した」
。
鍼治療は好評 で す 。 脳 出 血 後
リハビリ後に 鍼 を す る 方 な ど 、
痛みの改善 で 鍼 を 続 け る 方 、
私の家族は福岡県太宰府市
なかったと思います。
れば、ここまで少子化が進ま
ミュニティがしっかりしてい
すが、奄美のように地域のコ
体では少子化が進行していま
員参加で楽しみます。日本全
祖父母、町の多くの方々が全
よる多数のご支援があるから
コメディカル・事務職などに
グループ内外の医師・看護師・
考えています。当院は徳洲会
頭に立って診療に励みたいと
シーザーに習い、病院でも先
てぶれないことを学びました。
ち、素早い判断を行い、決し
に先を読み、戦いの先頭に立
記』に、リーダーたる者は常
當麻俊彦・整形外科部長
第1陣副隊長を務めた
は振り返る。
た」と浅野・看護副主任
の大切さを実感できまし
じて「個別性のある看護
ネパールでの経験を通
害医療に対して特別な関
當麻部長はもともと災
で、そうした患者さんへ
取り残されていましたの
で街まで下りて来られず、 「現地に合った方法が大
なん
巡回診療で、ある患者
た」と振り返る。
あれこれ考えていまし
な状況なのだろうかと、
から行くところは、どん
の様子を見ながら、これ
地に着くまで、空港や街
嬉しいと思いました。現
ルに行けることは素直に
目標でしたので、ネパー
は「海外の被災地支援は
い所です。私は院長として赴
全にでき、年 間 約 1 0 0 0 例
さん育てられるのは、地域の
一人者はシーザーであると確
運賃の約半額で島の方たちは
東北大学病院 の 漢 方 内 科 の 教
シーザーが書いた『ガリア戦
展示を見て、災害医療に
鹿児島と奄美各島を行き来で
す。小学校の運動会は父母、
以前は午前の外来が午後2時
の右完全麻痺の女性が「麻痺
に住んでいます。子どもたち
と、第1陣後発隊のひと
心はもっていなかった。
時半には終
先生が常勤医として赴任され、
たが、現在では
はり
ま
ひ
しび
巡回診療は重要な取り組み
災地の医療支援活動に従
設診療所と巡回診療の両
方に携わった。ネパール
語が公用語のため、患者
さんへの問診を行う際に
は、岩村記念病院の学生
が通訳を担当、英語を介
して患者さんへの問診を
膏を塗布しガーゼを当て
包帯を巻くという処置を
実施。必要量を渡して数
日間継続するよう指導す
る場面があった。ガーゼ
をとめるテープは現地に
ないものだったため、使
い切った後のことを考慮
行うことができたという。 し、包帯の先を切って固
定する方法を教えた。
組みでした。仮設診療所
「山間部の被災者は自力
事であることを改めて確
では骨折など外傷、風邪、 題はもっと早く被災現場
認する機会となりました」
整形外科医の招集がかか
胃腸炎、下痢など内科系
當麻部長は「今後の課
ンドネシア・ジャワ島中
り、當麻部長に白羽の矢
疾患の患者さんを診療し
事した経験がある。
こう
頃までかかることがありまし
側の手足の痺れ、痛みがいつ
が小学生の時、通学班があっ
りである有本菜実子看護
ところが、
インドネシア・
さんを手当てした際、軟
わるようになりました。外来
もあり泣いて い ま す 」 と 訴 え 、
師のふたりは八尾徳洲会
の巡回診療は重要な取り (有本看護師)
ふたりは5月1日午後
患者さんの待ち時間が減少す
ブロック注射 を 頼 ま れ ま し た 。
こそ現在があると考えます。
総合病院(大阪府)に勤
ジャワ島中部地震の時に
7年間は常勤医1人でした
る一方、患者さんが増加し良
て、年長の子が班長となり近
今後も離島・へき地医療の
年のイ
にバラビセに到着し、仮
い循環が生まれています。仲
この症例で治 療 を し た と の 報
くの子どもたちを連れて登校
充実を目指し、ご協力いただ
務。當麻部長は
子どもたちに明るい未来を
田先生が 鍼 やブロック注射を
告はありませ ん が 「 や っ て み
していました。この時、親た
ければ幸いです。この場を借
が、4月から外科の仲田一男
習得し、交代で訪問診療や他
ましょう」と 、 星 状 神 経 節 ブ
ちは集合場所を決めて集まっ
りて深く御礼申し上げます。
たとえば巡回診療で訪
の業務を行えるようになり私
ロックを麻痺 側 に 有 効 と 考 え
て見送りをするなど、小学校
だ ざい ふ
の負担は軽くなりました。
を核にコミュニティがありま
床ですが、外来は
年のハイチ地
が立ってジャワ島で診療
部地震、
に取り組んでいるうちに
こと。急性期の外傷医療
一方、有本看護師はも
次々に患者さんが訪れて
年の東日本大震災
ともと海外に対する関心
くれました」
(當麻部長) 携わっていきたい」とそ
はスピードが勝負ですか
会から離れていた時期が
が強く、東南アジアやオ
ることが口コミで伝わり、 ら 」
、 有 本 看 護 師 は「 今
あり、その間に東日本大
セアニア地域の多数の国
れぞれ抱負を語っている。
後も継続的に災害医療に
震災が発生。TMAT隊
日本を出発後、どんな
員としてではないが、被
震、
に入り、診療を開始する
でTMATとして活動。
興味をもつようになった。 ました。診療を行ってい
06
有本看護師は一時、徳洲
10
当院は
すすむ
お か
11
12
一般病院と同じように行うこ
㎏まで回復した症例も
患者さんの生命を尊び痛み和らげる
ブロック注射は年間約1000例超
笠利病院院長
岡 進
皆で頑張りましょう。
る回数施行し 、 鍼 治 療 も 併 用
巡回診療の様子(左は先遣隊の村上楽・徳之島
徳洲会病院内科部長)
したところ痛 み や 痺 れ が 消 失 。
地域コミュニティ充実させ
授にうかがい ま し た 。
けい ぶ
任して8年目を迎えました。
超を実施して い ま す 。 ブ ロ ッ
コミュニティがしっかりとあ
43
きるようになりました。
15
せ い じょう
現在、東京、大阪、福岡、
るからです。子どもをおばあ
巡回診療先で患者さんに外科処置を施す
分間で、
あか き
ます。奄美空港から車で5分
30
に特色 を 出 し て い ま す 。
80
利町 赤 木名 地区に立地してい
かさ り
70
頚椎症で握力
30
89
平成 27 年 9 月 7 日 月曜日│No.996 ❷
聞
新
洲
徳
生 命だけは平等だ
徳洲会指導者養成講習会
日 か ら 2 日 間、 す。皆さんも、そのよう
南部徳洲会病院が開催
成人教育のあり方を学習
南 部 徳 洲 会 病 院( 沖 縄 県 ) は 7 月
か、この2日間で学んで
その敬意をどう表現する
回徳洲会グループ指導者養成講習会を開催した。 な気持ちだと思いますが、
こ れ は 厚 生 労 働 省 の「 医 師 の 臨 床 研 修 に 係 る 指 導 医
いただければと思いま
第
病院に加え沖縄県下7病院の医師らが参加。総
講習会の開催指針」に準拠したもので、
今回はグルー
プ
勢
クターで同院小児科部長
その後、コースディレ
人が研修医教育のあり方について学ぶとともに、 す」と呼びかけた。
教育にかかわる疑問点などを協議した。
むりぶし
導に必要な事項を学習す
ることができる。
を守るため、患者さんを
が多くの医師から挙がり、 クアップが何より大切」
経験豊富な指導医に比べ、 守る研修医を家族のよう
修医が抱えるストレスは
副委員長(八尾徳洲会総
指導者側にも改めるべき
と、サポート体制の充実
合病院総合内科医長)
、
はるかに大きいことを説
加者らは達成感に満ちた
修了証書を手にした参
ださい」と要望して締め
笑 顔。「 明 日 か ら 指 導 の
ロールプレイングでは、 明。ストレスの現れ方は
に見守る気持ちでいてく
点があるとの意見も出た。 も課題として浮上した。
感覚が大切です。指導者
た研修医と、それに対応 「〝いつもと違う〟という
診療について相談に訪れ
だけでは気付けないこと
仕方が変わると思います」
、
ま た、
「 離 島・ へ き 地
宇山真司・南部病院麻酔
科医長。さらに、特別講
で活躍する理想の医師
する上級医などを参加者
もあるので、まわりを巻
同講習会は、座学だけ
総合診療能力や高齢者
上級医」を演じた参加者
さい」と訴えた。
早めにキャッチしてくだ
きます」と参加者は心構
をさえぎらず最後まで聞
個々人で異なることから、 くくった。
像」をテーマにしたグル
が熱演。腰の重い上級医
き込み、研修医の変化を 「 こ れ か ら は 研 修 医 の 話
なか
師として徳洲会外から中
ープワークでは、徳洲会
やダメ出しばかりする上
がみ
頭病院の新里敬・感染症
所属の医師が実体験に基
級医など、敢えて「嫌な
しょう へ い
内科部長を招聘した。
づいた見識を紹介。
医療の知識・技術など診
も い て、
「自分の研修医
でなくグループワークや
議時間も設けていること
療 面 だ け で な く、 生 活・
時代を思い出しました」
る と し、
「俺の若い頃は
新しい教育法が必要であ
が「ぜひ今後の研修に生
最後に今西・副委員長
離島・へき地研修中の
特別講演のテーマは
「研
ロールプレイングなど協
が特徴。グループワーク
精神面におよぶ項目を列
と反響は大きかった。
えを新たにしていた。
でとくに意見が噴出した
挙した。
また、新しい時代には
のが、問題のある研修医
かしてください」と呼び
参加者は真剣な態度で受
護部門は8月5日から2
参加者が各自の体験談
への対応だ。
……という発想はもはや
厚労省は同講習会の修
修医の健康管理」
。新里
了を指導医の要件として
研修医へのフォローにつ
の今西康次・徳洲会研修
おり、途中退出では資格
かけ、閉幕した。
委員会副委員長がコース
の概要を紹介。
通用しません。患者さん
団法人徳洲会と群星沖縄
病
部長は、経験の乏しい研
臨床研修センターが共 催
学会基準の嚥下食提供
今回の指導者講習会は
を務めた。グループ
い て は、
「上級医のバッ
グラムのデザインや学習
講に臨んでいた。
日間、仙台徳洲看護専門
松元陽一・岸和田病院副
を 相 談 す る と、
「最終的
に責任は上級医が取るべ
きだが、いずれ研修医も
一般社団法人徳洲会看
方を協議。マンパワーと
で少しでも効率良く対応
医療資源が限られるなか
を中心に、全国の徳洲会
するにはどうすべきか、
防災知識・技術を学ぶ
責任を取るべき上級医に
人
グループ病院から約
グループごとに意見交換。
チェックリストやトリア
代に伝えていかなければ
理論的にきちんと後の世
年)の被災病院として、
湘南藤沢徳洲会病院
(神
が参加した。
洋主任らが講師を務めた。 交え、災害医療の実際を
徳洲会東京本部の野口幸
解説した。野口主任は日
ならないと実感しました」
ATの隊員として被災地
いずれも国内外で災害医
本の災害医療体制と医療
で活動したエピソードを
療支援活動を展開するN
支援団体をテーマに、災 (津軽幸恵・看護師長)
。
ート。その後、防災マニ
部会責任者の挨拶でスタ
の基礎知識」と題する講
組 み を 説 明。
「病院火災
などが誕生した背景や仕
初日は菊池玲子・教育 ( 災 害 医 療 派 遣 チ ー ム )
TやDMATの活動につ
紀・看護師長)、
「TMA
い と 思 い ま す 」( 安 部 美
ンカードをつくってみた
害 拠 点 病 院 や D M A T 「 早 速、 自 院 で ア ク シ ョ
ュアルやトリアージ(重
いてよくわかりました」
地元での開催というこ ( 阿 部 洋 美・ 看 護 師 長 )
義も行った。
地域と九州地域での開催
同研修は今年度、関西
とそれぞれ手応えを感じ
護師長が参加。研修を終
を予定している。
ともあり、研修には仙台
え、
「災害看護の基礎技
ループワークを取り入れ
たとえば緊急時の行動
術がとくに勉強になりま
ていた。
指標として、現場に集っ
徳洲会病院から3人の看
たスタッフに配布するア
ながら講義を進めた。
別)などをテーマに、グ
症度・緊急度の判定・選
経験者。
PO法人TMATの参加
した。東日本大震災(
は得られないことからも、 を 語 り、
「あの時どうす
目標の設定法、ベッドサ
に加え、田村幸大・徳洲
なることを理解してもら
学校で2015年度災害
同講習会は、研修プロ
イド教育の重要性とあり
会研修委員会委員長(大
わないといけない」
、
「研
人、県下7病 院
冒頭、南部病院の赤 崎
方、対話のコツ、問題の
隅鹿屋病院副院長兼内科
修医の希望する科でない
院から
満院長が「昔は、技術 は
ある研修医への対応、研
部 長 )、 佐 土 原 道 人・ 徳
ージについても協議した。
る こ と を 強 調。「 相 手 が
フィードバックの方法、
るべきだったか」と対応
先輩から盗むものでし た
修医の評価や健康管理、
洲会専門医研修部会長(岸
奈川県)の髙力俊策・外
2日目は座学形式によ
誰であっても敬意をも っ
院長兼小児科部長、髙原
人の医師が参集 。
が、今はそのような育 成
EBM(根拠に基づいた
看護研修を実施した。自
科部長、四街道徳洲会病
る講義。髙力部長はTM
卒前・卒後研修のトレン
クションカードのつくり
法は通用しません」と 、
医療)の指導法、心に響
和田徳洲会病院副院長)、 診療科の研修の時は、真
院の防災に関する意識向
院(千葉県)の栁澤修平・
て接しないと、人は育 て
2015年度災害看護研修
現在は自身が育った時 代
剣でない態度を怒るだけ
上や災害対策の充実化を
看護師長、一般社団法人
講師は今西・副委員長
と教育方針が大きく異 な
くプレゼンテーションや
でなく指導法を変えるべ
図るのが狙い。東北地方
41
から
グループワークでは闊達に意見交換
き」といったアドバイス
ぜんがゆ
講堂を会場に2日間、集中して学んだ
12
良典・徳洲会研修委員会
そ しゃく
11
11
24
10
これまで咀嚼や嚥下機能
に問題のある方の食事は
各施設、地域が独自に工
夫し提供してきたが、他施
設に転院したり入所したり
する際に食事の柔らかさや
とろみの統一基準がないと、
嚥下調整食分類の導入を推進した(左から)菅沼
うまく情報共有できないこ
部長、東出副主任、三好美里 ST、内山主任
とから、日本摂食嚥下リハ
ビリ学会は2013年、国内初の統一基準として嚥下調整食分類を発
表した。同分類では、最も嚥下機能の低い方を対象とした「0」
(と
ろみ水など)から、常食に近い介護食の「4」
(全粥など)まで5段階
に嚥下食を分類している。
札幌東病院はこれを昨年8月に導入。それまでも嚥下食「2」に該
当するミキサー食や、
「4」に該当する刻み食を提供していたが、重
症者や
「3」に該当する患者さんに対応できていなかった。
しかし食形態を細分化したことで、
「重度の嚥下障がいを抱える
方に嚥下食『0』や『1』の嚥下訓練食を用い、早期から嚥下訓練を
開始できるようになりました」と菅沼宏之リハビリテーション科部長
(リハビリ医)
。
嚥下食「3」は、以前は訓練用ゼリーしかなく不足カロリーを点滴
で補っていたが「ゼリー食導入後は点滴離脱時期が早まりました」
と、嚥下訓練を担当する言語聴覚士(ST)の東出志帆リハビリテー
ション科副主任は成果を語る。東出副主任は、
「患者さんの嚥下機
能を的確に評価し、選択肢が増えた嚥下食をフル活用して、より
早期の経口摂取や自立を目指していきます」と意欲を示している。
また味や見た目にもこだわったため食欲増進の効果もあった。
食材ごとに分けてミキサーにかけたり、ゼリー食はある程度形状
を保てることから長方形や魚の形に型を抜いたりと工夫を凝らした。
素材の味を生かせるよう水分量にも配慮。ゼリー食は液体をゼ
リー状に固めるゲル化剤を用いるため、料理に水分を足すことが
少なくない。その際に味が薄くならないよう、だし汁を足すなどし
ている。ただ、
「野菜や果物は季節や産地によって内包する水分量
が異なり、同じ柔らかさ、同じとろみにするためにゲル化剤をどれ
くらい入れるかは、最終的には人の感覚が頼りです」と内山絵里・
栄養科主任(管理栄養士)は標準化の難しさを吐露する。調理師と
ともに試作を繰り返し、ようやく現在のレシピにたどりついた。
課題は地域との連携だ。菅沼部長は「嚥下機能に合わない食形
態は誤嚥性肺炎にもつながりますから、地域全体で嚥下食に取り
組めるよう、今後は周知活動や
勉強会を行っていきたい」と思い
を語る。
菅沼部長は、ゼリー食導入前
後の点滴離脱までの期間の差や
誤嚥性肺炎発生率などを論文に
まとめ、嚥下食の有用性をアピ
札幌東病院で提供しているゼリー食。普
ールしていく方針だ。
通の人が食べて美味しい食事を目指した
ド――など医学教育・指
受講生 34 人は2日間の講習会を無事終了
られないと痛感してい ま
多くの人に経口摂取を
徳 洲 会
看護部門
ご えん
20
34 12
札幌東徳洲会病院
南部病院が主催、一般社
えん げ
札幌東徳洲会病院は日本摂食嚥下リハビリテーション学会の「嚥下
調整食分類2013」
にできる限り準拠した食事を提供している。個々の
患者さんに、
より適した食形態が選択できるようになったことで、経口
摂取の栄養量が増えて点滴離脱が可能になる例が増加。味や見た
目にもこだわり、患者さんから好評を博している。
生 命だけは平等だ
い の ち
聞
新
洲
徳
❸ 平成 27 年 9 月 7 日 月曜日│No.996
い の ち
腹膜透析100例を突破
尿器科兼外科医長は今後、
腹膜透析が拡大していく見方を示し、
地域はもちろん「徳
活用するなど、工夫を施している。チームの中心的な役割を担う松本秀一朗・泌
102例を実施。腹膜透析導入後についても患者さんの管理にタブレット端末を
ら開始し、多職種や他施設との連携、職員への教育などで、今年6月末までに
鹿児島徳洲会病院は腹膜透析の実績が100例に達した。2012年5月末か
間で効率的な受診が可能
診療を受けるので、短時
報がそろってから医師の
てくれます。すべての情
で、患者さんも心を開い
きるだけ固定しているの
血液を浄化するという仕
い液と交換することで、
にたまった透析液を新し
医事課職員など
人が加
スタッフ、管理栄養士、
め、リハビリテーション
析看護認定看護師をはじ
看護ステーション、介護
ら地域の医療機関や訪問
腹膜透析を開始直後か
鹿児島病院は松本医長
――などの特徴がある。
③社会生活が維持できる
分などの制限がゆるい、
数が少ない、②食事・水
透析に比べ、①通院の回
所で行っている施設血液
め、一般的に病院や診療
かに把握するかが大切だ
の患者さんの生活を、い
スもあり、受診以外の日
4カ月に1回というケー
いれば外来の受診は3、
訪問診療などを利用して
透析の患者さんの場合、
多職種連携が重要。腹膜
わった。「腹膜透析では、
者さんが受診する日は外
し、情報を入手する。患
さん宅に直接連絡したり
報交換を図ったり、患者
携先の医療機関などと情
の日々の状態を把握。連
や管理栄養士が患者さん
在、腹膜透析の導入が決
ら
カ所にまで増加。現
3年間で連携先はゼロか
係を築いた。その結果、
る出張勉強会を通じ、関
院が打診し、各職種によ
る可能性のある施設に同
さんに、少しでもかかわ
腹膜透析を導入した患者
施設との連携にも注力。
開発し、画像をデータで
管理室副主任がアプリを
福留雄策・情報システム
のアプリを活用。同院の
とから、タブレット端末
に時間を要したりするこ
さばったり、取り出すの
析、腹膜透析は2・9%、 析が3割増加。こうした
5分以上が施設の血液透
査では、透析治療の9割
が行った
ている。日本透析医学会
透析の展開も視野に入れ
はもちろん、全国で腹膜
クトがありました」
(松
でしたが、とてもインパ
己管理が可能な方が対象
かわってもらえると患者
となく、多様な職種がか
構築。院内を移動するこ
ンストップシステム”を
にアドバイスを送る“ワ
査結果などから患者さん
依頼も増えてきました。
では施設からの勉強会の
ほど行っています。最近
「出張勉強会は年間
回
な連携を実現している。
開始するなど、スムーズ
さんの退院経路の検討を
との情報共有をさらに図
テとも連動させ、他職種
ようになった。電子カル
ータをすぐに抽出できる
り、必要な時に必要なデ
口部の変化を確認できた
これにより、時系列で出
管理できるようにした。
世界最大の腎臓病学会で、 院が全国に点在している
「昨秋、米国で行われた
変化が訪れると予測。
日本の透析医療に大きな
本医長は、この5年間で
部分を占めているが、松
%。施設の血液透析が大
在宅の血液透析は0・1
る。徳洲会グループの病
と思われます」と予想す
透析の割合が増えていく
恐らく日本も今後は在宅
治療成績も良いとなれば、
宅のほうが医療費は安価。
海外の動向をふまえ、「在
国ではここ数年で腹膜透
松本医長によると、米
本医長)
の入職により、2012
からです」と松本医長。
定した時点で、その患者
さんから好評だという。
りやすくした。
の経験のない病院などに
ことに触れ、松本医長は
勉強会以外にも連携先と
松本医長は「タブレッ
んを対象にした解析が発
赴き、導入をサポートし
年に米国で透析
は年2回の情報交換会、
テクニカルセミナーの定
ト端末はカンファレンス
表されました。それによ
たいと考えています」と
万人の患者さ 「 可 能 で あ れ ば 腹 膜 透 析
期開催を実施、質の維持
や外来・病棟でも活用し
ると週3回の施設血液透
を受けた
にも寄与しています」と
析に比べ、腹膜透析は
実際、へき地・離島で
意気込んでいる。
ています。情報共有がよ
験の浅い医療者への教育、 %生存率が良いというの
の腹膜透析支援に取り組
の出口部分は市販のデジ
起こしやすいカテーテル
法も充実。従来、感染を
ない、患者さんの管理方
導入件数の増加にとも
アプリのバージョンアッ
を細める。同院は今も同
ールになりました」と目
する意識向上が図れるツ
でき、出口部の管理に対
視覚的に回復過程を確認
人の腹膜透析患者
力を入れている。
など幅広く腎代替療法に
間で8例の腎移植も行う
なお同院では過去3年
さんがいるという。
在、
病院(鹿児島県)では現
んでおり、徳之島徳洲会
です。あくまでも家で自
タルカメラで撮影。デー
松本医長は今後、地域
プを継続しているという。
何より患者さんや家族が
タを出力し、ファイリン
患者さんの管理を工夫
タブレット端末活用し
り正確で容易となり、経
年〜
「かかわるメンバーもで
年末の統計調
年5月末から腹膜透析の
来に多職種が集まり、検
本医長は振り返る。
高いと思いました」と松
く、腹膜透析のニーズは
るいは独居の高齢者が多
島県は離島・へき地、あ
同院では、主に看護師
訪問診療に注力
高度医療も導入 ウェブ動画で紹介
導 入 を ス タ ー ト。「 鹿 児
(松本医長)
組みだ。自宅で行えるた
になるというわけです」
洲会グループの病院で水平展開ができれば」と全国での導入に意欲を見せている。
ふく
腹膜透析は腎不全患 者
さんを対象に、腹膜( 腹
くう
腔の臓器を覆う膜)を 利
用して血液を浄化する 腎
代替療法のひとつ。手 術
で腹部にカテーテルを 挿
入し、カテーテルから 透
析液を腹腔内に注入し 、
6時間前後で血液中の 老
開始にあたり同院は多
職種からなる腹膜透析の
チームを結成。3人の透
13
10
廃物や余分な水分など が
石垣島徳洲会病院
松本医長は胸を張る。
05
腹膜内の血管を通じて 透
析液に移動する。腹腔 内
15
中部徳洲会病院(沖縄県)バレーボール部は7月
24日から4日間、石川県で開催された第68回全日本
9人制バレーボール実業団男子選手権大会で優勝、
5連覇を達成した。同大会は今年度最初の全国大会
で、一昨年以来のグランドスラム(年間3回ある全国
大会の完全制覇)実現に向け、最高の形でスタート
を切ることができた。
同院は初日に行われた予選のグループ戦と、2日
目の2回戦、3回戦を危なげなくストレート勝ちで突
破。
3日目の準々決勝で当たった明治大阪(大阪府)
戦では、センターの岡部圭治選手(同院デイケアセン
ター介護士)
、川満寛樹選手(同)の鋭いスパイクが
次々と決まり、2対0のストレート勝ち。続く準決勝
の富士通(兵庫県)戦でも有馬亨選手(同院デイケアセンター
介護士)
、金城直樹キャプテン(同院地域医療連携室副主任)
の両エースの活躍で、ストレートの勝利を飾った。
決勝戦の相手は前回大会でも決勝で顔を合わせた大阪府代
表の強豪、住友電工。セッターの小嶋隆二選手(同院デイケア
センター副主任で介護福祉士)のうまいトスワークに、センタ
ーの高橋直人選手(同院デイケアセンター介護士)を中心とす
るブロックや粘りのレシーブで終始、同院のペースで試合が運
び、セットカウント2対0で勝利。全6試合をストレー
ト勝ちし、
5年連続・通算8度目の同大会優勝を決めた。
同院の新城剛監督(総合健診センター係長)は「準々
決勝あたりから尻上がりに調子を上げ、高い集中力を
維持できました。準決勝、決勝は完璧といっても良い
試合展開でした」と笑顔で大会を振り返り、
「グランドス
ラムを目指して頑張っていきます。これからもご声援を
よろしくお願いいたします」と意気込みを見せている。
また同院は今年度から始まった全日本9人制バレー
ボールトップリーグ(V9チャンプリーグ)に参戦してお
り、第1回同リーグ戦の制覇も目指している。同リーグ
戦 は5〜10月 に か
けて全国5会場を舞
台に、
全国の実業団・
クラブチームの強豪
のなかから選ばれた
8チームによる総当
たり戦を行い、順位
が決定する。
攻守がかみ合い全試合ストレート勝ち
30
多職種による腹膜透析チーム(最後列右が松本医長)
全日本実業団5連覇
34
グしていた。しかし、か
12
介護施設の入所者さんが退院するため、
施設職員に機器の接続方法や感染を起こ
した時の対応などを指導
全試合ストレート勝ちで優勝
10
端末には患者さんの検査データや栄養状
態などを常時アップデート。画像を拡大
し表示することも可能
鹿児島徳洲会病院
中部徳洲会病院
バレーボール部
「どんな場所でも生命だけは平
等だ!」
徳洲会グループはインターネッ
ト上の動画サイト「YouTube」
に、
グループ病院の医療への取り組
吉俣院長(右)と高沢奈苗リポ みを紹介する番組を毎月配信。
ーター
今回は沖縄本島の南西約430
㎞に位置するリゾートアイランド、石垣島にある石垣島徳洲
会病院を訪ねた。同院の医療の特徴は訪問診療。
50人の患
者さんの自宅を回っている。
100歳を超える長寿の方も多く、
30
〜40人の家族・親族に囲まれ看取りを行うこともある。
高度医療にも力を入れ、心臓カテーテル検査では沖縄本
島にある南部徳洲会病院の医師が毎週、内視鏡による早期
がんの治療では大阪の岸和田徳洲会病院の医師が毎月来島
している。吉俣哲志院長は「人的な面でも設備の面でも、徳
洲会という大きな組織だから、離島の小さな病院でもできる
のです」
とスケールメリットをアピール。
番組へのアクセスは、徳洲
会グループのホームページ
(http://www.tokushukai.
or.jp)
のトップ画面にあるバナ
徳洲会グループのホームページに
ー
「どんな場所でも生命だけ あるこのバナーをクリックすると、
番組にアクセスできる
は平等だ!」
をクリック!
58
開始からわずか3年で達成
大会5連覇で優勝に花を添えた中部病院チーム
平成 27 年 9 月 7 日 月曜日│No.996 ❹
聞
新
洲
徳
生 命だけは平等だ
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