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説教 牧師 池永順一
説教 牧師 池永順一 「悲しみは喜びに変わる」 旧約聖書の申命記 34 章 1∼12 節を見ると、そこにはモーセの最後が記されている。 モーセはモアブの地(アバリム山地のネボ山)で死んだ。モーセは、神の約束の地である カナンには入ることができなかったのである。 なぜモーセは、神がアブラハム・イサク・ヤコブに与えると誓われた土地に辿り着け ず、ネボ山で、その 120 年の生涯を終えねばならなかったのか。それは申命記 32 章 51 ∼52 節にあるように、メリバの泉でイスラエルの民が、神の御言葉に聞き従わずに不 平不満を述べたからである。 確かに、出エジプト記の 17 章を見ると、イスラエルの民は、荒野の中で、喉の渇き を覚えて、「我々に飲み水を与えよ」とモーセに訴えている。そしてイスラエルの民と モーセが言い争っているときに、主なる神は、モーセに命じてホレブの岩を杖で打たせ、 湧き水を与えられた。 以上のことから考えて、モーセは、イスラエルの民の不信の罪を背負ったゆえに、カ ナンの地に入ることが許されず、イスラエルの民は、荒野の中で、絶滅することなく、 乳と蜜の流れる約束の地に到着することが出来たのである。 次に新約聖書のヨハネによる福音書 16 章 16∼24 節を見ると、そこには主イエスの告 別説教が記されている。 主イエスは、十字架による死を前にして、愛弟子たちが不安と迷いを乗り越えていく ことができるように配慮を持って次のように語られた。 「しばらくすると、あなた方は、 もう私を見なくなるが、またしばらくすると、私を見るようになる」。 弟子たちは困惑し、一体どういうことなのかと論じ合っていると、主イエスは更に次 のように言葉を続けられた。「はっきり言っておく、あなた方は、泣いて悲嘆に暮れる が、世は喜ぶ、あなた方は悲しむが、その悲しみは喜びに変わる」。 主イエスは、弟子たちに対して、死による別離の悲しみは一時であり、復活して再び 会いまみえ、永遠に共に生きることを大いなる喜びとして語られたのである。 私共も、時代の混迷の中で、主イエスの御名によって祈り、主の到来に備えていくの である。 1