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9世紀における瑞花双烏文八稜鏡の初源形式

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9世紀における瑞花双烏文八稜鏡の初源形式
9世紀における瑞花双烏文八稜鏡の初源形式
長久智子
はじめに
日本製青銅鏡の形式のうち外形が八稜形をなし、内区文様に一対の植物文と双鳥文を交互に表すも
のを瑞花双烏文八稜鏡と称する。平安時代初期(9世紀後半頃)に現れるこの形式は従来、中国・唐
時代の八稜・八花鏡を祖型とし、その文様モチーフを日本で取捨選択・再構成したものとされている。
本論は中国・唐時代における八稜・八花形鏡の盛期と日本における瑞花双烏文八稜鏡の出現時期に約
半世紀の隔たりがある点、また瑞花双烏文八稜鏡の出現以前の日本製鏡、いわゆる唐式鏡にも八稜形
の作例がほとんどない点を指摘した上で、唐八稜鏡と瑞花双烏文八稜鏡をつなぐ形式を持つ大陸製花
鳥文稜・花形鏡が9世紀に存在した可能性を導くことを目的とする。
まず出土作例を中心に型式分類を行い、日本における瑞花双鳥文八;陵鏡の出現年代とその形式を明
確にする。次に、祖型とされている唐時代の稜形・花形鏡、そして舶載唐鏡を原型とする唐式鏡の作
例を挙げ、瑞花双烏文八稜鏡形式が出現する素地となる可能性を検討する。最後に、唐時代の八稜鏡
と瑞花双鳥文八稜鏡をつなぐ形式を持つ大陸製花鳥文稜・花形鏡の存在を示唆する作例として、晩唐
期以降の製作と考えられる大陸製花鳥文稜形鏡の作例を検討する。ここから結論として、盛唐期の唐
鏡を祖型とする晩唐期以降の大陸製瑞花双烏文八稜鏡が存在したことが推定され、この形式が日本の
瑞花双烏文八稜鏡の直接の原型となった可能性が高いことを指摘する。すなわち日本の瑞花双烏文八
稜鏡は唐鏡を日本独自に再構成した形式であるという従来説を否定し、唐一奈良時代以降にもたらさ
れた新しい大陸の一形式の発展型である可能性を提示する。
1.研究史概略
瑞花双烏文八稜鏡について、唐鏡をもとに再構成した日本の鏡であると明文化したのは高橋建自氏
が噴矢で、奈良時代の舶載唐鏡から「I:1本独自の和鏡」へ推移するIlJ間形式とする(註I)。続く広瀬
都巽氏(註2)、後藤守一氏(註3)、中野政樹氏らもこの説を踏襲し、また唐鏡、唐式鏡といった用語
の定義を行う。現在、中野政樹氏による「唐式鏡」の定義(1.舶載唐鏡2.唐鏡を原型として日本で
再箔鋳造した鏡3.唐鏡を模して日本で原型をおこし鋳造した鏡、が含まれる広範なもの)と、その
対極として、平安時代に現れる日本独自の文様を持つ鏡(註4)である「和鏡」の定義が通説となっ
ている。さて、瑞花双烏文八稜鏡についての数少ない先行研究は現在のところ考古学的見地からの編
年を主眼としたものに限られている。ところが平安時代の瑞花双鳥文八稜鏡には紀年銘のある作例、
年代の明らかな出土作例は少なく、半世紀幅以上の編年は難しい。そうした編年試案と併行して、唐
鏡と伝世作例をどのように関連づけるかという研究がある。まず、広瀬都巽氏が四種類の唐鏡から派
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生させる複系列編年(註5)を試みた。しかし、唐時代の八稜・八花鏡から瑞花双烏文八稜鏡までの
時期的・形式的な飛躍を説明するまでには至っていない。広瀬氏以降の編年試案として、杉山洋氏が
出土作例を交えた単系列編年を試みるものの、文様変遷を単系列に考察した結果として型式分類に矛
盾が生じ、逆に瑞花双鳥文八稜鏡形式が複系列で発生、推移することを示唆する結果となった(註6)。
いまひとつ、唐鏡と瑞花双烏文八稜鏡の関係性については広瀬氏の提示した編年試案と、原型として
設定された四種類の唐鏡形式を肯定する後藤守一氏の考察がある(註7)。
唐鏡と瑞花双烏文八稜鏡には、双鳥文や八稜形といった共通の構成要素が存在する一方で、本来な
らば線対称に相対するべき双烏文が左右で倒立して点対称的な構図となる点、烏文と植物文を紐を中
心に点対称で配置する点、唐鏡にも他工芸品にも類例のない植物文(いわゆる「瑞花」文)等、瑞花
双烏文八稜鏡のみの要素も存在する。こうした造形的特徴を日本で独自に考案された要素と結論でき
うるだろうか。そこでまず瑞花双烏文八稜鏡の構成要素を型式分類し編年を試みた上で、祖型とされ
る唐鏡・唐式鏡形式との比較対象とするためにその最初期の形式を導くことにする。
2文様・鏡胎形式の型式分類と編年
写真・拓本、実見作例を文様および鏡胎形式から型式分類・検討する。以下、まず鏡胎形式の型式
分類基準を述べる(図l)。
[縁]縁の断面の形状によって3種類に分類する。「直角厚縁」は直角に近い台形で、なおかつ上部が
平坦であるもの。「台形縁」はいわゆる蒲鉾式縁である。「直角細縁」は台形縁より外側がさらに垂直
になり、また厚みも増すもの。
[界圏]外区と内区を区切る界圏の形状によって3種類に分類する。「無間」は界圏が表されない。「円
圏」は界圏が円形であるもの、「稜圏」は界圏が外形と同じく八稜形であるものである。
[外区と内区の段差]界圏によって区切られた外区と内区の段差を3:種類に分類する。「高」は内区
の胎厚のおよそ2倍以上のもの。「低」はそれ以下のもの、「無」は段差の全くないものとした。
[鉦孔]「円」と「半円」の2種類に分類する。唐鏡は半円状の鉦孔を持つ特徴がある。後述するよ
うに唐鏡はほとんど揚州で鋳造されているとされているので、半円状の紐孔を製作する工房グループ
はこうした地域の唐鏡鋳造技術を受け継いでおり、正円状の紐孔を製作する工房グループは別系統の
鋳造技術集団であると考えることができる。
次に文様形式の型式分類基準を述べる。
[群]内区に表される主文様である鳥の数で3群に分類する。「A群」は烏が2羽の型式。「B群」は
烏が3羽の型式。「C群」は鳥が4羽の型式。これはつまり鏡背文様の区画分割数を示す。
[類]烏文の種類によって4類に分類する。「I類」は双驚形(註8)の鳳鳳文。「Ⅱ類」は舞鳳形の鳳
鳳文(註9)。「III類」は鴛鴬文である。「Ⅳ類」は双驚形と舞鳳形の胤鳳文の組み合わせで、I類とII
類の折衷型式とした。
[式]烏文の配置構成によって4式に分類する。「l式」は紐を中心に相対する線対称の構図。「2式」
は鉦を中心に旋回する点対称の内向構図。「3式」は鉦を中心に旋回する点対称の外向構図。「4式」は
2式と3式の折衷型式で、c群にのみ存在する。
烏文の型式分類に加えて、内区のもうひとつの主文様である植物文を8分類する。
[扇状瑞花文I]蕊が扇状に開き、先端部に球状の満、さらにその上部にアーモンド形の花弁を表す花
井文である。瑞花は中央に配置され、蕊中央部から2枚ないし4枚の葉が左右対称に伸びる型式。
[扇状瑞花文Ⅱ]花が2つ表され、葉を中心に左右対称に花が伸びる型式。
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[扇状瑞花文Ⅲ]蕊が半円形になり、アーモンド形の花弁は中央に稜を備え、その先端部は鋭くなる。
扇状瑞花文Iがより技巧的に変化した型式と考えることができる。
[つる草文]花井はなく、つる状の茎部分のみが大きくl巻きする植物文。
[葉文'1つる草文の発展型と考えられる。’本のつる草状の茎から葉が伸びる折枝型式。
「葉文Ⅱ]1本の茎から左右対称に葉を広げ、茎の先端にアーモンド形の善がつく型式。
(葉文Ⅲ]二等辺三角形状のシダ様の葉が左右対称に配される型式。
[つる状瑞花文]左右対称に細い茎が伸び、中心に特異な花弁文が表される型式。
上記各型式をもって分類する(表l)。対象作例は、全国出土八稜鏡(附表)、広瀬都巽の瑞花双烏
文八稜鏡拓本資料(以下「広瀬拓本集」と略称、集成総数86面)、また一部の伝世作例中のうち文様・
鏡胎形式の明瞭であるもの総計146面とする。なお、出土八稜鏡は管見の限りでは現在総数338面、
うち草花文鏡・無文鏡79面と破片17面を除き、なおかつ文様・鏡胎両形式が明白な作例は108面で
ある。以下、型式別にその形式と特徴をみる(表2)。
I類(双驚形)にはA群(2羽)型式30面、B群(3羽)型式はなく、C群(4羽)型式が1面、分
類される。なかでもA群型式の2式(内向旋回)が27面(A群中の90%)であり、これがI類の主流で
ある。この[A群-1類-2式]形式には、旧・京都府竹野郡鳥取村(現・京都府京丹後市弥栄町)木棺
墓出土鏡(以下「鳥取村墳墓出土鏡」と略称、東京国立博物館蔵、挿図l)が含まれる。鳥取村墳墓
出土鏡は伴出遺物に石帯をもち、同墳墓には同様の木棺墓形式に比して9世紀前半の年代を充てるこ
とができる作例である(註10)。本作例が半円状の鉦孔グループである点、また[A群-1類-2式]形式
中でも半円状の鉦孔グループである点で、唐鏡系列の技術を持つ工房の製作とみる。
Ⅱ類(舞鳳形)はA群型式74面のみで、B群型式、C群型式はない。その内訳は3式(外向旋回)
が56面、2式が17面、I式(線対称)1面である。Ⅱ類のうち75%を占める[A群-11類-3式]形式に
は、永延2年(988)刻銘鏡(個人蔵、挿図2)、長野県松本市・南栗遺跡SKl76出土鏡(以下「南栗
遺跡出土鏡」と略称、挿図3)が含まれる。南栗遺跡SKl76は伴出の灰紬椀が虎漢山l号窯式である
ことから10世紀後半の年代を充てることができる(註11)。さらに、この南栗遺跡出土鏡が植物文中
の葉文Ⅱとの組み合わせを持つ形式であることに着目すると同じく葉文Ⅱと組み合わさる[A群-11
類-3式・葉文Ⅱ]形式は3式の75%にのぼる42面が確認でき、内41面は円形の紐孔グループである。
このことから[A群-11類-3式・葉文11]形式は、紐孔を円形に製作する工房グループによる製作であ
るといえる。[A群-11類-3式・葉文Ⅱ]形式の出土鏡年代は、ほかに福島県郡山市・馬場中路遺跡4号
・住居跡出土鏡(挿図4)が伴出黒色土器から10世紀末−11世紀の年代を与えうる(註12)こと、また
広島県福山市・亀山1号古墳SXlO28出土鏡(挿図5)も伴出黒色土器から同年代を与えうる(註13)
こと、さらに2006年に出土した岩手県北上市・国見山廃寺跡SBO43付近出土鏡(挿図6)も10世紀
後半から11世紀の年代を与えられている(註14)。これらの出土作例から[A群-Ⅱ類-3式・葉文Ⅱ]
形式が発展・流通した年代を10世紀後半-1i世紀と推定することが可能であり、この年代を円孔製作
工房の最盛期とみることもできる。
III類(鴛鴬形)はA群型式に37面、B群型式に1面ある。3羽型式のB群については、現状では
三分割構図は非常に特殊な形式である。またA群型式では3式が35面と、ⅡI類の94%を占めており、
この群の主流は[A群-111類−3式]形式である。この形式で組み合わされる植物文は、つる状瑞花(14
面、IⅡ類中37%)と扇状瑞花ⅡI(10面、III類中27%)が多く、1A群-1Ⅱ類-3式・つる状瑞花]形式
と[A群-1Ⅱ類-3式・扇状瑞花IⅡ]形式が主流であったと結論する。この類でも円孔製作工房の作例
が半円孔製作工房のそれより勝っている。さらに、I類・Ⅱ類の作例では円圏型式が主だが、III類で
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は両製作工房とも圧倒的に稜圏型式が多いことが指摘できる。この類の主流である[A群-111類-3式・
扇状瑞花Ⅱ11形式の作例に(│日)兵庫県神戸市・石峯寺経塚出土鏡(以ド「旧石峯寺鏡」と略称、神
戸市立博物館蔵、挿図7)がある。この作例は兵庫県神戸市・石峯寺境内経塚出土品ではなく福岡県・
某処経塚で出土した資料である可能性が濃厚であるものの、文献資料から本作例と奥書銘経巻はやは
り従来通り伴出と考えてよい(註15)。そこで本作例の推定製作年代を経巻奥書にある永久五年(1117)
によって、12世紀前半に設定することができる。さて、各形式を持つ出土鏡を整合し、それぞれの主
流形式におおよその年代を当てはめると以下のようになる。
I類(双驚形)‐A群(2羽)‐2式(内向旋回)‐葉文Ⅱ/扇状瑞花l/つる草:半円釦:孔工房系
基準作例:鳥取村墳墓出土鏡年代:9世紀前半
II類(舞鳳形)‐A群(2羽)‐3式(外向旋回)‐葉文Ⅱ:正円釦:孔工房系
基準作例:南栗遺跡出土鏡年代:10世紀後半−11世紀
'Ⅱ類(鴛鴬形)‐A群(2羽)‐3式(外向旋回)‐つる状瑞花/扇状瑞花ⅡI
基準作例:旧石峯寺経塚鏡年代:12世紀前半:正円鉦孔工房系
つまり、日本の瑞花双烏文八稜鏡はまず9世紀頃に半円鎚孔工房系=唐鏡系工房によって「I類(双
費形)‐A群(2羽)‐2式(内向旋回)‐葉文Ⅱ/扇状瑞花I/つる草」形式が製作されはじめ、その
後、正円鉦孔工房系の製作による「Ⅱ類(舞鳳形)‐A群(2羽)‐3式(外向旋回)‐葉文Ⅱ」形式が主
流となる。この正円釦:孔工房系が半円紐孔工房系とどのような関係にあるのかは明らかではないが、
この正円紐孔工房系がⅡ類.ⅡI類という新しい烏文を2回にわたって取り入れていることなどから、
少なくとも半円釦孔工房系にみる従来の8世紀の唐鏡系技術系統ではなくおそらく9世紀になって新
規導入された鋳鏡技術系統に属すると考えられ、この9世紀になんらかの形で新しい技術、新しい鏡
形式が日本に導入された可能性がみえてくる。
3唐鏡・唐式鏡にみる稜形鏡・花形鏡の検討
唐鏡における稜形鏡・花形鏡には、八稜・六稜、八花・六花形がある。現在までのところ、八稜鏡
では神龍二年(706)河南省値師市・宋‘偵墓から出土した作例(挿図8)がもっとも早い例である(註
16)。紀年唐墓出土鏡の総数78面のうち、八稜鏡は10面、八花鏡は11面知られている。これを時期
別にみると、700年-725年では八稜鏡46%(6面)八花鏡7%(1面)六稜鏡7%(1面)、725年−750
年では八稜鏡21%(3面)八花鏡28%(4面)六稜鏡14%(2面)六花鏡7%(1面)、750年-775年
では八花鏡33%(4面)、775年-800年では八花鏡8%(1面)六花鏡25%(3面)、800年−907年で
は八稜鏡3%(1面)八花鏡3%(1面)となる(%は各期紀年墓出土鏡総数中の割合)。つまり稜形鏡
は8世紀第1四半期にもっとも多く、8世紀第2四半期にかけては花形鏡が主流となり、8世紀第3
四半期以降は円形や方形が主流となっていく傾向にある。
さて、紀年唐墓出土八稜鏡にみる文様では、双獣双鳥旗同文が40%(4面)烏旋回文が30%(3面)
騎仙双獣旋回文が10%(1面)瑞獣文が10%(1面)素文が10%(l而)、六稜鏡では双獣双烏旋回文
が100%(3面)である。一方、八花鏡では双獣双烏旋回文が9%(1面)烏旋回文が9%(1面)双烏
相対文が37%(4面)双獣相対文が9%(1面)飛仙旋回文が9%(1面)雲龍文が9%(1面)伯牙弾
琴鏡が9%(1面)草花文が9%(1面)、六花鏡では蓮花文が25%(1面)双烏街綬旋回文が50%(2
面)草花文が25%(1面)となる(%は紀年唐墓出土稜形・花形鏡総数中の割合)。つまり稜形鏡の文
様は旋回形式(3式)、花形鏡の文様は線対称形式(l式)が主流であったと結論する。
中国での稜形・花形鏡製作状況が明らかになったところで、次に奈良時代の日本の唐式鏡を検討す
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ると、唐鏡をどのように受容したかが明らかになってくる。現在判明している出土・伝世唐式鏡の総
数215面から無文鏡を除く184面のうち、八稜形は14面(7%)、八花形は57面(31%)、六花形は5面
(2%)である。これは9世紀以降約3世紀にわたって主流であった瑞花双烏文八稜鏡形式の前段階と
しては意外であるが、8世紀の日本においては鏡の外形の主流は円形で八稜形は主流ではなかった。
その八稜鏡の作例には以下のものがある。
(1)唐花八稜鏡[秋田県仙北郡中仙町出土、水神社蔵]径14cm(挿図9)
扇状にひらく花井の上部に双鴬形の水鳥を置き、左右に葉がひらく文様を1単位として、鉦を中
心に4単位配置する。各単位の中間には蝶文が配される。界圏がなく、紐も紐孔も類例のない型
式で、総卿体に舶載唐鏡とは趣が異なる。
(2)飛雲花喰烏八稜鏡[栃木県日光市男体山山頂遣跡出土、二荒山神社蔵]径179cm(挿図10)
半球状の鉦、内区と外区の段差などには唐鏡の影響が残るものの、本鏡と同様の文様形式は唐鏡
にはない。
(3)飛雲双鴬双鳳八稜鏡[栃木県日光市・輪王寺伝世]径14.4cm(挿図11)
I類(双鴬形の鳳鳳文)とII類(舞鳳形の鳳鳳文)を紐中心に交互に旋回させる。緑の上部は幅広
く平坦で、界圏はない。
(4)月宮八稜鏡l群馬県富岡市・貫前神社伝世]径20.6cm(挿図12)
舶載唐鏡であるが、この月宮文形式は日本にはほかに出土・伝世例がない。
(5)花弁麟鳳八稜鏡[長野県茅野市守屋ケ岳山麓出土、諏訪神社蔵l径258cm(挿図13)
草花文の表現には箆押し技法かと思われる部分がある。
(6)唐草飛禽八稜鏡[三重県鳥羽市・八代神社伝世]径9.1cm(挿図14)
同施八稜鏡が同社に一面ある。唐鏡には例があるが、日本ではほかに出土・伝世例がない。
(7)唐花唐草八稜鏡I奈良県奈良市・東大寺法華堂本尊不空調索観音像宝冠縦装]径5cm(挿図15)
宝冠内部頭頂部に縦装されている(挿図16)。唐鏡小型鏡にある植物文とみることができる。
(8)仙人花虫背八角鏡[奈良県奈良市・正倉院南倉34号]径11.4cm(挿図17)
鶴・一角獣・獅子に騎乗する4仙人を旋回させる構図で、唐鏡の踏み返しであろう。同施鏡が正
倉院南倉35号八角鏡、南倉36号八角鏡である。この文様形式はほかに日本では例がない。
(9)鳥獣花背八角鏡|奈良県奈良市・正倉院南倉12号]径51.5cm(挿図18)
(10)花鳥背八角鏡[奈良県奈良市・正倉院南倉33号]径14.6cm
舶載唐鏡と考えられる。以上、正倉院蔵鏡は白銅製。
(11)花禽双鴬八稜鏡[奈良県五条市霊安寺塔吐出士]径12.5cm(挿図19)
同箔鏡は6面、うち5面は八花形。舶載唐鏡を踏み返したものである。
(12)鳳馬八稜鏡「奈良県吉野郡金峯'11伝来、東京蕊術大学大学美術館蔵]径20.8cm(挿図20)
唐鏡に似るが、文様の配置の乱れなどから日本製とされる。
(13)唐草麟鳳八稜鏡[京都府京都市・稲荷大社伝世]径21.8cm
(14)双龍双烏八稜鏡[兵庫県宝塚市平井古墳出土]径13cm(挿図21)
線対称の構図である。同箔鏡は2面、いずれも八花形。
八花鏡の作例には以下のものがある。
(1)竣猟双簿八花鏡[栃木県日光市男体'11山頂遺跡出土]径92cm(挿図22)
同値鏡は八花形8面、円形1面。相対する双驚形の鳳鳳文、すなわちI類一l式で、植物文ではな
く獲狼(獅子)を配した構図。唐鏡の踏み返しである。
−99−
(2)瑞雲双鴬八花鏡|千葉県香取郡・香取神宮伝世]径11.7cm(挿図23)
同箔鏡は八花形9面、円形1面。相対する双驚形の鳳鳳文、すなわちI類−1式で、植物文ではな
く雲文を配した構図。唐鏡の踏み返しである。
(3)唐花双鴬八花鏡「千葉県香取郡谷津経塚出土]径16.1cm(挿図24)
相対するI類−1式と、植物文と烏文が配される。舶載唐鏡と考えられる。
(4)双龍双鳥八花鏡[和歌山県東牟婁郡・那智大社伝世]径13cm(挿図25)
舶載唐鏡。同施鏡は八花形1面、八稜形1面。八稜鏡(14)の兵庫県・平井古墳鏡である。
(5)盤龍八花鏡[奈良県生駒郡・法隆寺伝世|径27.5cm(挿図26)
舶載唐鏡。盤龍文は本鏡のほか(8)正倉院北倉16号鏡と(14)大分県鏡しか日本には出土・伝世作例
がない。
(6)花弁双蝶八花鏡|奈良県奈良市・興福寺金堂出土鎮壇具]径6.95cm(挿図27)
同箔鏡は正倉院南倉38号鏡・奈良県西大寺金堂吐出土鏡など八花形6面。鉦中心に蝶文と花枝文
を配するが、唐鏡には同じ形式がないので踏み返しではない。
(7)唐花双鴬八花鏡I奈良県奈良市・興福寺金堂出土鎮壇具]径15.6cm(挿図28)
同箔鏡が香川県・極楽寺祉から出土している。先の(6)花弁双蝶八花鏡同様、興福寺金堂須弥壇鎮
壇具として埋納されたことから、本鏡は養老四年(720)以前に舶載された唐鏡であると考えられ
る(註17)。唐鏡では花形鏡は8世紀第2四半期に多くみられるようになるという前章の結果を裏
付けるもので、その早い段階の作例として重要である。
(8)盤龍八角鏡[奈良県奈良市・正倉院北倉16号]径31.7cm(挿図29)
(9)鳥獣花背八角鏡l奈良県奈良市・正倉院北倉1号]径64.5cm(挿図30)
(10)鳥獣背八角鏡[奈良県奈良市・正倉院北倉3号]径43.0cm(挿図31)
(11)花鳥背八角鏡I奈良県奈良市・正倉院北倉14号]径33.6cm(挿図32)
以上、正倉院蔵鏡は近年の蛍光X線分析によって舶載唐鏡と考えられる(註18)。
(12)鶏鵡花綬八花鏡[京都府京都市・醍醐寺伝世]径17.7cm(挿図33)
唐鏡には頻出する文様形式であるが、日本ではほかに(11)正倉院北倉14号鏡、鳥取県・三怖寺伝
世円鏡があるのみである。いずれも舶載唐鏡。
(13)伯牙弾琴八花鏡「大阪府藤井寺市・道明寺天満宮伝世]径14.15cm(挿図34)
同施鏡のうち八花形2面、円形9面。本鏡は舶載唐鏡と考えられる。伝・菅原道真遺愛品。
(14)盤龍八花鏡[大分県別府市」
文様が鮮明でないことから、日本製である可能性を指摘されているが詳細は不明(註19)。
六花鏡には以下の作例がある。
(1)唐花六花鏡[奈良県奈良市・東大寺金堂須弥壇出土鎮壇具]径9.5cm(挿図35)
銀貼鏡を原型にした踏み返し鏡と考えられている(註20)。同箔鏡は正倉院南倉37号鏡ほか2面。
(2)双鴬稜狙六花鏡|京都府乙訓郡・長野古墳出土]径14.8cm
詳細は不明。
中国本土における出土鏡のうち紀年墓出土稜形・花形鏡、そして日本出土・伝世の唐式鏡を比較し
てみると中国での八稜鏡・花形鏡は8世紀第1−2四半期頃を生産のピークとしており、それはほぼ日
本での唐式鏡の生産時期と歩を同じくしていることが、興福寺鎮壇具唐鏡や正倉院宝物鏡などから判
明する。しかし文様形式においては、唐鏡では相当数みることができる文様が日本の唐式鏡では稀で
ある例や(「鵜鵡花綬八花鏡」)、「伯牙弾琴鏡」のように特定の文様が多く踏み返されている例がみら
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れる°中国では8世紀前半から中葉にかけて花烏文稜形・花形鏡が大きな主流であった。後述するよ
うにそれは、唐時代、一大鋳鏡地域として高名であった江蘇省・揚州の名物として詩に躯われてもい
る。それを受けて日本・奈良時代でも花形一線対称の双烏文鏡が一定数受容されてはいるが、稜形鏡は
非常に少ない。それでは、正倉院宝物鏡群や東大寺法華堂宝冠厳装鏡を除くとわずか10面しか作例が
確認できない八稜形式が、唐鏡の八稜形式から約50年間の時間差を経て、どのような経緯で9世紀前
半に日本で瑞花双烏文八稜鏡として忽然と、かつすでにひとつの完成された形式として再登場するの
だろうか。次に、盛唐期以降・9世紀頃の製作と考えられる唐鏡系鏡の形式を検討する。
4大陸製双烏文八稜鏡の作例
双鴬形鳳鳳文が紐を挟んで相対する八花形の唐鏡には、日本の瑞花双烏文八稜鏡にみる2式の倒立
する烏文形式はない。ところが、唐鏡を模倣したと思われる製,作地不詳の倒立する鳳鳳文形式の八花
鏡が存在する。管見の限りでは以下の5点が確認できる。
l・東京芸術大学大学美術館蔵径21.3cm縁高0.6cm重’1209(挿図36)
2.大阪歴史博物館蔵径203cm車683.99(挿図37)
3.個人蔵(「鏡の美一讃岐出土・伝来の和鏡を中心として』高松市歴史資料館、1995年掲載)
径212cm縁高0.4cm
4.泉屋博古館蔵(『泉屋清賞続編鏡鑑部』漬田耕,作編、1926年掲載)径21.51cm重918.759
5.韓国・国立中央博物館蔵(開城付近出土)径21.6cm
このうち実見する機会を得た東京芸術大学美術館蔵鏡(以下、芸大鏡と略称)と大阪歴史博物館蔵
鏡(以下、大歴博鏡と略称)を中心に検討する。東京芸術大学大学美術館蔵鏡は径213cm、縁高0.6cm
で、個人蔵鏡・泉屋博古館蔵鏡・国立中央博物館蔵鏡とほぼ同じ寸法であるが、若干重がまさる。内
区と外区の段差はほとんどなく界圏が凸線で表現され、縁が直角に立ちあがり上部は幅広く平坦であ
るという朝鮮半島製の鏡にみられる特徴をもつ。また文様の肉は非常に浅く、全体に模糊として踏み
返し鋳造の可能性が高い。鉦は半球形をしており、縁よりも高い。また紐座はなく、紐孔は革紐が通
されているため不完全な確認であるが半円状である。総体つやのない黒褐色で、部分的に緑青を生じ
ている。鳳鳳文は双驚形で、綬を街える古様形式である。植物文はつる草状の折枝と、右方向へ散る
l葉で文様単‘位を構成しているが、本来ならば双鳳文と等間隔に配されるべきところ中心軸が傾斜し
てバランスを崩している点、外区文様が省略されている点などやはり本鏡が唐鏡ではなく唐鏡系統に
属する別のグループであることを示唆している。大歴博鏡もやはり内区と外区の段差がほとんどなく、
界圏は凸線で表現される。縁の側面・上部にはヤスリで平らにならした形跡があり、一部大きく凹凸
すら出来ており、その製鋤作]二房の技術レベルの一端を示している。文様の肉もやはり薄いが、その上
辺はほぼ平坦にならされている。また紐は芸大鏡と同じくかまぼこ形をしており、縁よりも高く、そ
の上部はやや平面に近い。鉦座はなく、釦孔はやはり半円状である。総‘体にぶい緑青に覆われており、
髭や欠けがある。鳳鳳文・植物文は芸大鏡と同じ表現をとるものの、いっそう細部に繊細さがなくな
り、その鋳上がりと相まって全体に鈍重な雰囲気をもっていることから、芸大鏡よりもさらに踏み返
しを繰り返した結果とみることができる。
この「瑞花双鴬街綬八花鏡」は重量には多少の差はあるものの5面とも径21cm前後で、文様形式
はまったく同じである。法量は唐鏡とほぼ同等であることからこれらを唐鏡に分類する見解もあるが、
唐鏡中の八花鏡をもとに新たにデザインしたのではないか、とする見解もある(註21)。ところで、
この文様は鳳鳳文と植物文とで型を捺しているのではなく右向鳳鳳文十足下のつる草でi文様単位に
1
0
1
なった型を2回捺して成り立っている。つまり1つの型を2回押すことで唐鏡の相対対鳥文を真似よ
うとした製,作技法の簡便化が、鳳鳳文の倒立形式を生んだといえる。日本の瑞花双鳥文八稜鏡にみる
I類2式の倒立する鳳鳳文はこうした簡略化から生まれた文様形式であり、A群I類2式の形成に影響
を与えている可能性が大いにあるだろう。実際、・倒立する烏文鏡は他にも作例が存在しており、香川
県仲多度郡の金刀比羅宮蔵「唐花双驚鏡(挿図38)」は同様に倒立した鳳鳳文を持つ。ここでも右側
の鴬と下の唐花が反対側のものとまったく同じ形をしていることから、同じ1つの型を捺しているこ
とが知られる。この鏡は日本で再箔した鏡とみられるが、同施鏡は他に例がないという(註22)。ま
た、この鏡はもともとは八花形をしていた鏡の内区部分だけを模したものと考えることもできよう。
先の「瑞花双鴬術綬八花鏡」と同じく、文様の鋳出がにぶく鋳肌も荒れており、量産品である。文様
の配置にみる対称性の崩れや外区文様の消滅などは8世紀の唐鏡にはない特徴である。「瑞花双驚街綬
八花鏡」については文様の上部を平坦にする手法や全鋤体に模糊とした鋳上がりから、あるいはその製
作地を朝鮮半島に比定することも可能であろう。
9世紀に製作年代を推測できる作例中の八稜鏡には以下がある。栃木県日光市の輪王寺伝来「唐花
双鴬双鳳八稜鏡」(以下、輪王寺鏡と略称、挿図11)は、縁の上部が平らな大陸製鏡の特徴を備えて
いる。この鏡は慈覚大師円仁(794-864)承和14年(847)帰朝時の招来品で、嘉祥元年(848)に二
荒山権現の神宮寺・中禅寺へ施入したものであるという寺伝をもつ(註23)。すなわち、日光山にの
こる元禄時代の写本「図に和尚入富山記」に、
仁明天皇御宇、嘉祥元年農四月十六日、園仁和尚、始入営寺。(中略)又於社殿内、奉備財施等。
自師主大唐団玄法寺法全和尚、所博待、金剛経井蘇悉地経尋金字法華鰯、善無畏三蔵所持菩提
樹子念珠繊、八葉唐鏡而、海中現生禰陀四撮所座蓮華蚕、水牛香脆一、大象牙築薬暑揚州国司、
所進海龍王赤衣雨、奉施入催現畢。(中略)審衡二年証月上毛野擢講師尊鎮記之。
(仁明天皇の御宇、嘉祥元年戊辰(848)四月十六日、図仁和尚、初めて富寺に入る。(中略)また
社殿内において、財施等を備え奉る。師主大唐園の玄法寺の法全和尚より博持したるところの、
金剛(頂)経井びに蘇悉地経一巻、金字の法華経一部、善無畏三蔵持せしところの菩提樹子の念
珠掲磨将来、八葉の唐鏡一面、海中に現生せる(阿)揃陀(如来)の四綴(菩薩)の座するとこ
ろの蓮華一茎、水牛の香順一、大象牙の筆業一管、揚州の圃司進むるところの海龍王の赤衣一領、
権現に施入し奉り畢る°(''1略)脊衡二年(855)乙亥正月上毛野の椎講師尊鍍之を記す)(註
2
4
)
とあるなかの「八葉唐鏡一面」がこの輪王寺鏡であるという。この写本の資料的価値は高くはないも
のの、史実として承和5年(838)第19吹遣唐使に従った円仁らがこの年の7月揚州海陵県に漂着し、
さらにここから揚子江を遡って揚州府に入り暫く留まっていることは注目に値する。輪王寺鏡の文様
は8世紀前半の烏旋回鏡形式唐鏡のそれに近い。この唐鏡の烏旋回鏡形式では小禽4羽か、あるいは
双鳳十双禽の組み合わせであること、また界圏が設けられて外区文様と内区文様があること、鉦は半
球状であることが特徴としてあげられる。一方の輪王寺鏡は4羽の鳳鳳文であること、界圏がないこ
と、鉦が上部を平坦にした形状であることなど唐鏡にはない形式的特徴を持ち、また文様の鋳出も鈍
く烏文の間に挿入される草花文・雲気文の構成も整然としたところがないことから、その製作年代を
102
盛唐期以降、8世紀末から9世紀すなわち寺伝の施入時期頃に充てて矛盾はないといえる。
ところで唐鏡には共通した形式が各地で出土する特徴があり、その製作が一地域に集約されていた
ことを示している(註25)。たとえば『新唐書』地理志には井州(現・山西省太原)と揚州(現・江
蘇省揚州)の2カ所が鏡を朝廷に献上していたことが記される。
太原府太原郡、本井州、開元十一年為府。士貢、銅鏡、鎌鏡、(後略)
「新唐書』巻39,志第29、地理3
揚州匿陵郡、大都督府。(中略)土貢、金、銀、銅器、青銅鏡、(後略)
『新唐書』巻41,志第31、地理5(註26)
井州の鋳鏡活動については記録に乏しいものの、揚州についてはいくつかの記録をみることができる。
(前略)天賓元年(742)(中略)若匿陵郡船即於背上堆巌陵所出錦、鏡、銅器、海味、(後略)
『旧唐書』巻105、列伝第55、章堅
(前略)大暦十四年(779)(中略)巳宋、揚州毎年貢端午日江心所鋳鏡、(中略)皆罷之。(後略)
『旧唐書』巻12、本紀第12、徳宗上(註27)
ちなみに「江心鏡」とは唐王朝へ献上する鏡のことで盤龍鏡のたぐいであったようである。揚州は献
上銅鏡のほかに各地の需要に応える銅鏡の市場であった。稜形で双鴬街綬帯鏡や双鳳鏡といった花鳥
を主題とする文様形式の多いことが揚州出土鏡の特徴であり、その鋳鏡活動のピークは開元・天資年
間およびその後8世紀前半∼中葉であることが伴出墓誌から明らかになっている。唐鏡は徳宗(在,位
779-805)以降、すなわち晩唐期になると種類も減り、技法も衰え、また文様でも花鳥文にかわって詔・
八卦・故事といった宗教的な意味合いを持つものが盛行する。そうしたなかで倒立する鳳鳳文形式や、
あるいは界圏のない回旋形式の鏡というような8世紀・盛唐様式を模倣する復古唐鏡が、9世紀にあ
る地域で製作されはじめ、それが日本へも舶載されているということになる。
さらに、日本に先行して中国ですでに瑞花双烏文八稜鏡の要素を持つ稜形花鳥文鏡が存在した可能
性を示唆する例を挙げる。河北省定州市・静志寺舎利塔は晴時代に創建され、唐・会昌6年(846)の
排仏令、また947年の遼軍による破壊を経て、北宋・大平興国2年(977)に再建されたものの、現在
は失われている。この舎利塔基の地宮から出土した北貌・興安2年(453)、晴・大業2年(606)、唐・
大中12年(858)、龍紀元年(889)、北宋・大平興国2年(977)の石函や金銀器・銅器・玉器・ガラ
ス器・定窯白磁などの陶磁器など700.件あまりの遺物と27000枚以上の銅銭がある。この遺物中の「双
烏花枝文六稜鏡」(以下、静志寺舎利塔地宮出土六稜鏡と略称、挿図39)は径6.4cmの小型鏡である。
半球状の素鉦で鉦座はなく、縁は上部が平たく、面径と比較して縁幅は広く、紐も大きい。本作例と
同じ文様形式の花形小型鏡は唐鏡になく、また踏み返しによると思われる鋳上がりの悪さから、五代
∼北宋・10世紀頃に製作年代を比定されている。ただし北宋時代の鏡に類似作例はなく、先の輪王寺
鏡の鳳鳳文の表現と近似する点から唐・大中12年(858)9世紀中葉まで遡りうるだろう。本作例は
日本の瑞花双烏文八稜鏡の特徴のひとつである旋回双烏植物文の形式を持っており、8世紀八稜唐鏡
にない文様構成がすでに大陸に存在している点、稜形が復活している点があげられる。以上の作例か
ら、8世紀前半・盛唐の稜形花鳥文鏡と9世紀の日本・瑞花双烏文八稜鏡の時間差・形式差の中に、9
世紀の大陸での稜形・花形花鳥文鏡の復活と日本への導入を加えることができる。それは、突如日本
で八稜鏡形式が復活したと考えるよりもスムーズであり、日本・瑞花双鳥文八稜鏡の初源形式;「I類
(双鴬形)‐A群(2羽)‐2式(内向旋回)‐葉文Ⅱ/扇状瑞花I/つる草」形式により近い作例の存
在をもそのミッシング・リンクとして仮定できるのである。
最後に、大陸製稜形花鳥文鏡が9.世紀のみならず10世紀にも日本へ舶載されている例を挙げる。長
103−
野県塩尻市の吉田川西遺跡SKl28土塘墓から、緑紬陶器・灰紬陶器・土師器・乾漆の容器(八角形か)
に入って出土した「瑞花双烏文八稜鏡」(以下、吉田川西鏡と略称、挿図40)である。SKl28は伴出
緑紬陶・灰紬陶の年代から10世紀後半に比定できる。本作例もまた縁や紐、界圏の形式から日本製で
はなく大陸製、あるいは大陸製鏡を踏み返した鏡である可能性が高い。またこの吉田川西鏡が示す鉦
の上部を平面にする技法は、鋳型の形式が変わり湯口が紐の部分に設けられた宋鏡と共通する点であ
る。吉田川西鏡が10世紀の大陸製鏡であるとすれば、瑞花双烏文八稜鏡が同時期に日本だけでなく大
陸でも発展していたことになる。しかし吉田川西鏡の文様表現と同時期に盛行していた「II類(舞鳳
形)‐A群(2羽)‐3式(外向旋回)‐葉文Ⅱ」形式では様式に大きな差がみられることも事実である。
すなわち、日本の瑞花双烏文八稜鏡はその初源形式を大陸製稜形花鳥文鏡に求めることができるもの
の、その後は数回の技術的導入を経ながらも独自に形式発展したと結論できる。
むすび
8世紀第1.2四半期に中国・唐で盛行した八稜鏡と、9世紀の日本の瑞花双烏文八稜鏡[A群-1類
-2式]の間の形式的・時代的隔絶は9世紀の大陸に双烏文八;陵鏡・八花鏡を想定することで消滅する。
瑞花双鴬街綬八花鏡、輪王寺鏡、静電志寺舎利塔地宮出土六稜鏡、吉田川西鏡はそれぞれ9世紀から10
世紀にかけて大陸で製・作されたとみられる作例であり、唐時代末期に主流であった円形・方形故事・
八卦文鏡とは鏡の形式も方向性も一線を画し、一貫して8世紀前半の花形・稜形花鳥文鏡を志向して
いる。すなわち当時すでに古式であった半世紀前の盛唐期唐鏡の復古様式であり、9世紀に登場する
日本の瑞花双烏文八稜鏡もまた復古唐鏡様式の一種とみることができるのである。
その背景に9世紀から10世紀にかけて唐文化、特に盛唐文化の摂取と復古に熱心であった周辺国家
の文化(潮海、新羅等)の存在を併せて考える必要がある。日本もまたこの時期、従来いわれていた
ように排他的に独自の文化(「和様」)を育んでいたというより、むしろ一層鋭敏に「唐物」と「和物」、
すなわち外来文化と土着文化を使い分けはじめていた(註28)。日本の瑞花双烏文人稜鏡の初源形式
に同時代のこうした大陸製双鳥文八稜鏡の影響を考慮することは、すなわち新しい技術・価値観の受
容が9世紀に存在し、同時に日本がこの時期むしろ食欲に外来文化・技術を吸収していたことの証明
にもなる。9世紀前半に大きく拡大する東アジア交易圏の中で、中国からもたらされる「唐物」の意
義とその社会的役割を考えるとき、日本の瑞花双烏文八稜鏡は奈良時代以降の唐鏡・唐式鏡の系譜上
に連なった「和様化」なる消極的なものではなく、むしろ積極的に同時代の大陸の盛唐様式指向に影
響を受けていたのだとみることができるのである◎
註
高橋達目『鏡と鋤と玉』?iii・上,'ド房、1911年、p89
7
広瀬都巽「唐草双鵬八稜鏡考」『考占学雑誌』第14巻第13号、1924年
﹁﹁里
4−コ67
後藤守一「瑞花双胤鏡について」『賛雲』第1冊、質雲舎、1932年
中野政樹「和鏡」『ロ木の美術』42、至文堂1969年、p33
前掲註2
杉山洋「「今様の鏡」と「古肺の鏡」−出土八稜鏡より見た平安時代の錐吟」『M(・SEUM』481,1991年
前掲註3
104−
8両翼を振り上げた鳳鳳(鴬)を側面観で表現する形式で、手前の翼は大きく振り上げ、奥の塊は提んでいるようにみえ
る。双鴬形は唐鏡中では線対称榊同に頻出することから、これを対鳥形烏文と捉える
9両翼を振り上げた鳳風を正面観で表現する形式。唐鏡中では異種鳥獣文とともに鉦を中心に旋回する点対称構図中に頻
出することから、これを旋回形鳥文と捉える。
10梅原末治「鳥取村の平安期初期の墳蕊」『京都府史蹟勝地調査会報告』第8冊、1927年、p61-66
黒崎直「近畿における8.9世紀の戦基」『奈良国立文化財研究所学報』第38冊、1980年、I).91-92
1l日本道路公団名古屋建設局、長野リ「!:教・iff委貝会、長野県埋蔵文化財センター『中央''1励虹道長野線埋蔵文化財発掘調査
報告書7松本市内その‘|南栗遺跡』199()年、!〕.157-159.また本鏡についての報杵はlIilp256-257小平和夫「第3章遺
物第2節古代の遺物3金凧製1V,」。なお木鏡伴出灰軸陶の年代は井上喜久ソj・愛知県陶磁盗料館館長補佐の教示によ
る
。
12郡'11市教育委員会『郡1.11#〔部111穴沢地K遺跡:穴沢館跡・黒田遺跡・馬場小路遺跡・馬場!'」路遺跡』1983年、p、227、
また本鏡についての報('テは同p246‘,
13広島県教育委員会『亀山遺跡第1次発掘調査慨報』1982年、p、11、SX1028および本鏡についての報告は同P、18.
14杉本良・岩田貴之「岩手県北上市国見山廃寺跡」『考古学研究』221号、考古学研究会、2009年、p、79-81
1s森田稔「「石峯寺経塚」遺物の再検討」『神戸市立博物館研究紀要』第8号、1991年p、i3-l4
16中国社会科学院考古研究所河南第二'二作隊「河南堰師杏園村的六座紀年唐墓」『浄古』1986年第5期
l7中野政樹「奈良時代におけるIlllZ・伝│Ⅱ:麿式鏡の基礎資料および同箔鏡の分布とその鋳造技術」『東京国立博物館紀要』
第8号、1973年p222
18成瀬正和「正倉院鏡を中心とした唐式鏡の科学的調査」(杉山洋「古代の鏡」『H本の美術』393、全文堂1999年)p88-89
19梅原末治「近時所見の本邦でのル11:式鏡志摩神ルル八代神社の遺品其他」『古代判1−3、「'1.代学協会1957熊p、242
20前掲註l7p、207
21季蘭瑛「高麗鏡研究』辛酉出版、2()03年I韓文1p、133-134
22前掲註17p237
23関根俊一「山岳信仰の美術・日光」『1.1本の美術467』至文堂、2005年
24日光山史編纂室編『日光山輪Iミ寺史』H光山輪王寺門跡教化部、1966年p」9-25
25孔祥明・劉一塁著、高倉洋彰・田崎博之・渡辺芳郎訳『図説中国古代銅鏡史』中国,If店、1991年p、192-198
26(宋)欧陽修、宋祁撰『新唐書』中堆I噂局、1975年
27(後晋)劉狗等撰『旧唐書』巾蕊井局、1975年
28皆川雅樹「九世紀日本における「唐物lの史的意義|『専修史学」第34号、2()()3年
主要参考文献
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中野政'樹「奈良時代における出土呼伝111J‘』I:式鏡の坐礁資料および同施鏡の分布とその鋳造技術」『束京国立博物館紀要』8,1973年
広瀬都巽「唐草双鵠八稜鏡考」『考古学雑誌』輔1.I巻篭13号、日本考古学会、1924年
−105−
−106−
ハーーー一一一一一’三>
挿図l京都府京ノ、l・後ilf弥栄町鳥取IIl-l:
径16cm
挿図2永延二年(988)刻銘
径lLl5cIn
挿図3長野県松本市・南栗遺跡川」:
径9.5cm
挿図‘l福島県郡ilIIli・馬場中路辿跡出土
径6.2cm
−,Cぞ、
捕似l5広島県柵'11市・亀山占噛出土
径10.8cm
挿図9唐陀八稜鏡(秋川・水神社)
径14cm
挿図6岩手県北上市。国見山鹿寺出土挿図’0飛雲花喰烏八稜鏡(栃木.−皇荒山)
径17.9cm
径11cm
挿図71p・禰崇碓経塚i11.1:
径12.76cm
挿画8河行催師市・宋偵蝋
神施_二年(706)
催11.15cm
107−
挿図11飛雲双駕双鳳八稜鏡(栃木・'論王寺)
径’’1.4cm,
挿図12凡宮八稜鏡(群馬・貫前神社)
径20.6(、、
挿図13長野・諏訪神社
挿例l7奈良・正倉院南倉34号
径25.8cm
径11.4cm
挿図l8奈良・正倉院南倉12号
挿図14三壷・八代神社
係51.5cm
径9.1cm
抑'叉ll5奈良・東大寺法華堂
径5cm
挿図l9奈良・霊安寺jll:lIl士
径12.5cm
挿図21兵庫県.W│古墳出土
径13cm
挿図22栃木・男体山山頂遺跡出土
径9.2cm
挿図23千業・香取神寓
径11.7cm
溌
一
鶏
‘
(
#霧
│
'
ら
,
j
#
挿岡16不空網索観音宝冠内部
挿図20束京蕊術大学大学美術館
径20.8cm
−108−
挿図24千葉・谷津経塚川上
径
1
6
.
1
(
:
I
、
仰図25和敬山・那智入社
径13cm
挿図26奈良・法隆寺
経27.5cm
挿図27奈良・興福寺鎮魂具
径6.9cm
挿図28奈良・興祇寺鎮鞭呉
径15.6cm
挿図29糸良・正倉院北倉16・妙
従31.7cm
挿図3O奈良・正倉院北倉1号
篠6'1.5cm
挿図3l奈良・正倉院北倉3号
径43.0cm
挿図32奈良・正倉院北倉14勝
篠33.6cm
109−
挿図33ル(都・眺洲、IF
径17.7cm
挿図34大阪・道明が犬満宮
篠14.15cm
挿図35奈良・東大寺鋲噸具
径9.5cm
挿図36束京蕊術火学大学美術館
径21.3cm
挿図37大阪歴史博物館
I
蔚図38番川・金刀比羅宮
径20.3cIn
挿図39河北橘定州市・静志寺舎利塔
径6.4cm
挿図40災野・吉山川西遺跡出土
−110−
図1型式分類
I
群
I
(
類
I
【
式
リ
篭蕊篭溌蕊蕊
A・群[2羽]
I類[双驚形]
1式[相対]
伊勢(三重)多度経塚出土[部分]
広瀬拓本38−1‘正6
広瀬拓本27-7.1
B群[3羽]
2式[内向き旋回]
II類[舞鳳形]
広瀬拓本32-2
信濃(長野)南栗潰跡出土鏡[部分]
広瀬拓本.1-19‘梓5
広瀬拓本2259
大和(奈良)磯城郡出土
7
邑要昌戻r=Z早』
C群[4羽]
伊予(愛媛)大山祇神社・正$
111類[鴛驚形]
3式[外向き旋回]
5式[2式十3式]
伝福岡県内経塚出上(部分:
広瀬拓本59−2.棒l5
(1日・石峯寺経塚出土)
筑前(福岡)某処経塚出上
梓3
遠江(静岡)府八幡宮職
広瀬拓本592.棒15
i植物文亘
.ー燭.,
割′一 ア蕊一
毒
一
息
、
、
・8.,..守垂・・・
;
グー-号秀、、.
包︾諏蕊︾
①声
樋蛋瀞
葉文Ⅲ
広瀬拓本28-1[部分
広瀬拓本68-2‐部分:
窪や町牽
つる草文
伊勢(三重)多度経塚出土[部分i
一一一イー
声pロー︾可
扇状瑞花文I
こ・・.鴬.一対
一凸一−ず柏ロ
6
■
扇状瑞花文Ⅱ
葉 文 I つ る 状 瑞 花 文
大和(奈良)金堤山経塚出土[部分:
美濃(岐阜)下切観音堂出土[部分]大和(奈良)金緊山経塚出上[部分:
扇状瑞花文Ⅲ
葉文Ⅱ
京都・泉屋博古館蔵[部分:
信濃(長野)南蕊遺跡出土鏡[部分:
−111−
凡釧.『張率No.」は広瀬娼率に妃登れる州野である.
表1型式による分類
『正」=『和観照英』(1919〉I抗』=F1卿ロ哩鯛蕊』(1921)『碑jmI・狛捌梓緊』(1941)の閉祢とする.冊号は各笈“中の作品爵弓這ある‘
分銅は旦期.n期.弧鴎の湖に大jpL.伝世・出土地の地方公鈍国体コード叩にUV・訓.式の噸で記す.
界回
紐孔
1
W
円
内外区の段範 “
畠
打
円
q
J
鰯
台形
円
畠
禰
円
形
円
尾
何
円
台形
円
畠
補
,
豆
彫
円
局
詞
円
八
台形
円
扇
伺
円
A r
置形
円
国
刑
円
品
1
密*
日光市男体山
1
1
.
フ
下野
毒木
日光市努体11」
9.2
下野
揖木
日光市男蜘!』
9.9
下野
砺木
日光市男惇Lu
9.6
Z
下野
編木
白光市男体山
8・Z
日光論男偶u』
9
.
Z
期
厩状璃砺1
画
2
つる状娼
呉文ロ
福本NC
Ⅶ
甑に
E
1
1
震文、
TI−
下冠
蕊木
t
「
K
践文Ⅱ
文回
Ⅲ
下野
Z扇木 巳 光 茄 男 惇 山
璽
径
風
下野
廻淘又
、
皇!
A
市司村
胴圃塞
式
[空
御
台形
汚肥
材間
脇仲山山111遮跨
iリ琳山山1噸
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寛弘四無く1007)鮒絡爽京醜、大字大学美術鍾哩困要文化財【正4.線3】
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,
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京都市左京区大原室知平可珂弥館誓
11.凸石 230.6 両飼
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『
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詞
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88.5
岡川
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直勉渥
永久5年(1117)伴出I潅興圏(石系が鼎聴出土>神戸市立側吻館閣i孤蜜異斯品
|
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『山醐外型&邸睡liW品今池剛産太邸氏I
【
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1276 2Z6‘87 白銅
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侭
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「三一 : =I − 弓戸
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1.7
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−「 司「−可 戸
馬塀中路遺跡4号住鰭跡出土土師蕊、赤焼土鰐伴出(適跡無代:10世紀末−11
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郡山市西翻町
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阿顕謬術大学大学焚術鰭蔵E正5]
一﹂
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台形
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9.1
「 ‐ 1戸
戸
「 一
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一
’ ’1 1’ ’’ ’I ’門
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−114−
表2型式分類表(2)
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円圏
稜圏
、
1
I
外内区の段差(低)
外内区の段差(高)
稜圏
稜圏
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円圏
稜圏
円圏
1
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総数
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I
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1
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35}綴i年銘
2
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り全
Ⅲ
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B︵3羽︶
Ⅱ
2
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Ⅲ
2
I
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C︵4羽︶
Ⅱ
1
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一日
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〕
《
1
4
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I長久智子作成.
*Ⅳ(Ⅱ。Ⅲ)−5(2.3
−115−
5H即鯛土八崎醸璽瞳
附表全国出土八種鯛興成
穆迦府卿
■ 打 画 勇
壷遜
靴屋】
妬任幼
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呉・毛
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割111大縄*す詑苫$
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囚見山呪古野
1L崖伽訓11町
窪]
了鍵涜山
八鴨竿山
壱千
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趨乎.聯E、罪町
老}
師之醇FW(靴?8次】
凸盤舛11岬風、】
鋼誌
悩子1h千刈睡
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紬露
白届偲1
町堀'11小潮町
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麟匿
H屋崎3日
秋田
﹃︾
鋼
羽興山勘子侭沌
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民到中流
塞昌
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2唯畑鑑冥化卿センタ10ノl”t剃2006
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1,1哩肥初鄭
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平萱鋪代
ElI1I本荘11』金刺町
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平安翰伐
金刑町史姻阿安頁金金W11町礎.’1990
【師$率荘'1'雀,刈町
1
平童輔代
翻浬嬉介f秋田蟻段射山宇川.19“
1畠
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痩艮嫁介秋露黙箕計凸亭卿ざ1960
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甲 犯 ・ 諭 酎両1t
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秋国曝砿向妄国会鈍北瀧筒向肋蛎世兜厘皿両鯛fri当X】13
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