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巨大地震がもたらした被害 2011年3月11日14時46分、 マグニチュード9.0の巨大地震が東北・関東地方を襲った。未だかつて、 経験したことのない大きな揺れが3分程続いて、その後に、沿岸部は大津波に襲われた。 滑走路に津波が押し寄せた仙台空港。無数の車や粉砕された家屋、小型機も流され、一面残骸の海原となった。 写真奥は旅客ターミナル=11日午後4時ごろ(河北新報社提供) 震災で炎上した仙台港の石油ガス施設 (多賀城市) 仙台市宮城野区港2丁目で津波に流され 電柱にたたきつけられた車。後方の仙台 港でコンビナートが燃えている=12日午 前6時ごろ(河北新報社提供) ② 仙台市若林区の荒浜地区は津波に襲われ壊滅的な被害を受けた。=18日午後3時10分ごろ(河北新報社提供) 津波の猛威 救助犬を連れて津波で破壊された家屋の捜索にあたる捜索隊(仙台市若林区) 1階部分が水没した校舎(仙台市宮城野区) すべてが押し流され、海岸の防潮林が 見通せる荒浜地区(仙台市若林区) ③ 根元からへし折られた荒浜の防潮林 (仙台市若林区) 東北新幹線ホームでは天井の板がはがれて落下。壁が崩壊し、漏水も生じた=14日正午ごろ、JR仙台駅(河北新報社提供) M9.0の 破壊力 地盤の弱いところでは崖崩れが起こった。(仙台市青葉区) 「危険宅地」の判定ステッカーが貼られた 家屋(仙台市太白区) 倒壊建物 応急危険度判定 ステッカー (仙台市若林区) 津波で流された車両(仙台市宮城野区) ④ 仙台港ではコンテナが崩れた(仙台市宮城野区) LNGを送るパイプが断裂し、ガスの製造ができなくなった仙台市ガス局の港工場=19日、仙台市宮城野区港4丁目(河北新報社提供) くらしへ の影響 給油に並ぶ車の列 ボランティアセンターの掲示板 GSのようす 避難所のようす(仙台市宮城野区) 買い物に並ぶ人々 ⑤ 2011. 3. 11 東日本大震災 3月11日14時46分ごろ 15時50分過ぎ 所を設けて応急給水。定期収集の生 活ごみ、事業ごみ、し尿の収集中止。 三陸沖を震源とするマグニチュード 仙台市沿岸部をはじめ東北、北関東、 (医療)仙台市立病院、東北大病院 (M)8.8(13日に9.0と修正)国内 北海道の太平洋沿岸の広い範囲に大 高度救命センター、仙台逓信病院、 観測史上最大の巨大地震発生。 津波が押し寄せていたと思われる。 仙台オープン病院、JR仙台病院、 広南病院、仙台赤十字病院、東北厚 各地の震度は以下の通りである。 16時12分 全閣僚出席の緊急対策 生年金病院、長町病院 震度7 本部開く (電気)東北電力は東北6県と新潟 震度6強 宮城野区 16時30分ごろ 雪が降り出し冷え 県で約430万戸が停電。 震度6弱 青葉区、若林区、泉区 込む。仙台市中心部は、停電で信号 (通信)電話がつながりにくい状況続く。 震度5強 太白区 が消え、道路は車で帰宅しようとす 地震名は「平成23年(2011)東北地 る人々で夜半まで交通渋滞に陥った。 方太平洋地震、震央地名三陸沖(北 停電や通信規制で情報も途絶えがち 緯38.1度、東経142.9度、牡鹿半島東 の中、市内に設けられた避難所では、 救助者が13市町村で2万人を超える 南東約130km付近)、震源の深さ約 帰宅できない人々も加わるなどして 可能性。全国の避難者数は45万人以 24km(暫定値) 不安な一夜を過す。 上。北海道から九州にかけての津波 19時03分 政府が東京電力福島第1 注意報全面解除。 原発について「原子力緊急事態宣言」 午前ドイツ、スイスの救助犬チーム 気象庁は青森県から千葉県にかけて 20時00分ごろ 仙台港製油所で爆 成田空港に到着 の太平洋沿岸に大津波警報を発表。 発音、火災発生、翌朝まで燃え続けた。 13時00分 村井宮城県知事が県内 (栗原市) 14時49分 14時50分 首相官邸に危機管理セ 3月12日 3月13日 宮城県内で孤立状態になっている要 の死者数について「万単位になる」との 認識を示す。 ンターに官邸対策室設置 一夜明けて氷点下の朝を迎えた。天 (ライフライン)水道は断水人口約 14時52分 岩手、宮城、福島、青 気は回復したがライフラインはすべ 50万人、破裂した水道管の復旧を急 森県の4知事陸自に災害派遣を要請。 て遮断されたまま、ラジオなど一部 いでいる。ごみは収集のめど立たず。 (電気)県内で約125万戸が停電、復 14時53分には、津波情報伝達システ の情報手段から巨大地震と大津波の ムが起動した。 甚大な被害のようすが伝わり始める。 旧したのは仙台市青葉区中心部、各 15時00分 福島、女川、東海の原 被害の把握と捜索、救助が夜を徹し 区の一部。 発計11基が自動停止 て続けられたが、被災範囲の大きさ 3月24日 東北自動車道全面再開。 15時04分 仙台空港が飛行機の離 と通信手段の途絶から、各自治体も 3月25日 死者が1万人を超える。 発着を全て停止。JR東日本管内の 全体をつかみきれない状況。 3月28日 仙石線あおば通―小鶴新 新幹線が地震直後から終日運休。こ 3時59分ごろ 長野県北部震度6強 田間運行再開。宮城県で大震災によ の頃東北6県で広域的な停電発生。 の地震発生、十数人けが。 るがれき量推計1,800万トン、年間処 15時05分 仙台市で大規模停電、 15時36分ごろ 福島第1原発1号 理量に換算すると23年分にあたる。 ガス漏れ、火災発生。 機で水素爆発。 3月31日 東北線仙台−岩切間運行再開。 15時25分 海上自衛隊停泊中の全 (交通)仙台市地下鉄全面運休、市 4月1日 政府が地震名を「東日本大 艦隊宮城県沖へ バス・宮城交通は主要幹線道路を中 震災」と発表。 心に不定期に運行。JR東日本は仙 4月4日 仙山線仙台―愛子間、東北 台支社管内は全線見合わせ、JR仙 線仙台―岩沼間運行再開。 宮古、釜石、大船渡、石巻、相馬で 台駅は立ち入り禁止。 4月7日 東北新幹線一関以北再開。 最大波を観測。大船渡市で23.6mの (ライフライン)ガスは市内全域で 記録も。 供給停止。水道は拠点給水施設18か 15時18∼50分ごろ ⑥ 東日本大震災の記録 震 災の記録 4月7日23時32分 (河北新報記事抜粋) 4月21日 東北線全線復旧。 5月18日 宮城丸森の牧草から5倍の 4月23日 放射性セシウム検出。 八木山動物公園、マリンピ 震度6強の最大余震発生!3人死亡、 ア松島水族館再開。仙山線全線復旧 141人けが。東北6県で約26万7,000 4月25日 東北新幹線東京―仙台間 戸 が 停 電 。 市 内 で は 火 災 2 件 発 生 。 運行再開。 5月19日 内閣府発表、GDP(国 内総生産)3.7%減。セントラル自動 車はトヨタ自動車小型車カローラア 断水、ガス漏れ、泉中央駅の窓ガラ 4月28日 仙台市で義捐金支給開始。 クシオ50台初出荷。 スが割れるなど3月11日の本震を上 4月29日 回るほどの強震に見舞われた。 北新幹線全線開通。 李明博大統領が宮城入り。名取、多 4月10日 4月30日 賀城の被災地を訪問。 仙台管区気象台、桜開花 を発表。3月29日から支援のイスラ 仙台地下鉄全線開通。東 あすと長町地区の仮設住 宅へ入居始まる。 5月23日 市バス4路線区内延長、通 常経路再開。 (蒲生、六丁の目岡田、深 エル医療チーム活動終える。 4月11日大震災から1か月 5月21日 中韓首脳、温家宝首相、 5月3日 仙台製油所(宮城野区)ガ 沼、福田町四丁目)。仙台東部道路 ソリンなどの石油製品、出荷再開。 に仮設階段設置。例年より約20日遅 東北6県で死者1万3,013人、不明1万 5月6日 東北大学1か月遅れで入学式。 れで仙台市荒井で田植。 4,608人(総数2万7,621人)。避難者15 5月7日 国連教育科学文化機関(ユ 5月24日 身元不明者特定のため、 万1,115人。市内の小中学校154校で ネスコ)の諮問機関が「平泉の文化 不明家族ら3,140人分のDNA採取。 始業式、入学式。福島などで震度6弱 遺産」の世界遺産登録を勧告。 5月28日 仙石線東塩釜―高城町再開 の地震。 5月9日 浜岡原発(静岡県)運転停 5月29・30日 東北の太平洋側で 止へ、中部電力受けれ。 大雨と強風被害。台風2号、温帯低気 4月12日 いわき市で震度6弱、土 砂崩れで2人死亡。長野、千葉で震 5月10日 仙台で午後0時半に26.2℃。 圧に変わって東北へ。5月の風雨記録 度5弱。東北新幹線東京―福島間運 県警の発表、宮城で死者8,941人。 更新、仙台で1時間に80.0ミリ(観測 行再開。原子力・安全保安院が福島 大型連休期間中、県内の被災地で活 史上最多)、石巻で風速34.5メート 第1原発事故を「レベル7」に引き上 動したボランティアは計4万1,704人。 ル を 記 録 。 地 盤 沈 下 区 域 で の 浸 水 、 土砂崩れ、がけ崩れ、道路冠水、J げ。延期されていたプロ野球が開幕。 4月13日 仙台空港羽田、伊丹便運 R在来線運転見合わせ、東北道仙台 行再開。東北新幹線盛岡―新青森間 5月11日大震災から2か月 運行再開。総務省統計では津波浸水 東日本大震災は大地震、大津波、東 域は宮城が最多、15市町村、9万 京電力福島第一原発事故が加わった 6月1日 宮城県漁協が操業自粛を解除。 7,705世帯、27万7,952人。 複合災害で、1万4,949人が死亡、行 6月2日 仙台市体育館再開。 4月14日 政府の復興構想会議が初 方不明9,880人、避難所に身を寄せる 会合。 住民は12万人。 宮城―泉間上下線とも一時通行止め。 6月11日大震災から3か月 4月16日 仙台市内ほぼガス復旧 被災地で同時刻に黙祷。死者数全国 (北海道から九州まで51の全国ガス 5月13日 死者が1万5,000人を超える。 で15,413人、行方不明者8,069人(警 事業者、延べ約10万人の支援を受け 5月14日 最大の避難所(一時1,500 察庁まとめ)。3か月を機に、不明者 て、津波被害のあった東部沿岸部を 人収容)南三陸町のアリーナ閉鎖。 は災害弔慰金受給などの手続き上、 除いてガス供給可能に) 5月15日 仙台商工会議所調べで、 「死亡」と認定される。 4月18日 会員の45%が被災、74事業所建物消失。 宮城県内の死者は県警の11日発表で 東北大地震噴火予知研究 観測センター海野徳仁教授、余震域 福島で原発被害による計画避難開始。 9,222人(行方不明者4,781人)、約2 は南北500キロ(三陸沖∼房総半島)、 東北道ボランティア情報センター閉 東西250キロと発表。 所。緊急地震速報、2か月で73回。 4月19日 5月17日 間再開。 仙石線小鶴新田―東塩釜 石巻市で津波被災地を除 く市内で都市ガス工事完了。 ⑦ 万2,300人が避難生活を送っている。 6月12日 1978年の宮城県沖地震から33年 ︽特別寄稿︾ 2011年東北地方太平洋沖地震 ∼地震の概要と今後の展開∼ 東北大学地震・噴火予知研究観測センター長 教授 海 野 徳 仁 マグニチュード(M)9.0の地震とは 県金華山沖)でも10m以上の地震時すべりが得られてい 地震は地下深部に存在する弱面(断層面)が急激にず によって想定宮城県沖地震のアスペリティは破壊された れる現象であると考えられている。しかしながら、この と考えられる。しかし、今回の地震時すべりは非常に大 弱面の深さは地表から少なくとも数km以上の深さにあ きな量であり、想定宮城県沖地震のアスペリティの地震 るため、直接的に眼で確かめることはできない。内陸地 時すべり量とその周辺の安定すべり域のすべり量の関係 震を引き起こす弱面は、我々が生活している陸のプレー がどのように変化したのかを解明しない限りは、次回の ト内部の浅部(地下十数kmまで)に存在する。一方、 宮城県沖地震の発生予測は困難である。さらに、海底地 想定宮城県沖地震の弱面は、日本海溝から西方に沈み込 殻変動観測点では3∼5mの海底隆起が観測されており、 む太平洋プレートと陸のプレートが互いに接する場所、 これらの大規模な地殻変動が大津波を引き起こした原因 すなわち、ふたつのプレートの境界面がそれにあたる。 である。 2011年3月11日14時46分頃に発生した東北地方太平洋 余震と誘発地震 る。この結果が正しいとすると、東北地方太平洋沖地震 沖地震はプレートの境界面が大きくずれたことによる超 巨大地震であった。この地震でずれたプレート境界の面 断層面上において本震時すべりで解放されずに残って 積は、東西に約200km、南北に約450km程度と考えられ しまったひずみが、その後に時間をかけて少しずつ解放 ている。これほどの広い面積のプレート境界は瞬間的に される(ずれる)現象が余震であると考えられている。 ずれることはできず、ずれ始めてから終わるまでに2分 半から3分程度の時間がかかっている。ずれ始めの場所 を震源と呼ぶが、今回の地震の震源は宮城県沖であり、 想定宮城県沖地震のすぐ東隣りであった。プレート境界 のずれは、震源から西側に進行して想定宮城県沖地震の 震源域を破壊し、北側の岩手県沖にも破壊が進行した。 さらには、福島県沖から茨城県沖まで破壊が進行して、 結果としてM9.0という膨大なエネルギーを放出した。地 震発生の際に大量のエネルギーを放出した断層面上の領 域をアスペリティ(固着域)と呼ぶ。地震前に貯めてい たひずみエネルギーの量が多ければ、そこから放出され るエネルギーも多いはずである。 今回の地震は、岩手県沖、宮城県沖、福島県沖、茨城 県沖のアスペリティが連動して破壊した結果によるもの であろう。これらのアスペリティの連動破壊様式の解明 は、様々な困難が伴うとは思うが、西南日本地域の東南 海・南海地震や世界中の超巨大地震の発生機構の研究に 大いに資するものと考えられる。 アスペリティの空間分布を推定するためには、プレー ト境界における地震時すべりの分布を調べる。地震波形、 地殻変動、津波などの観測データを用いて推定したすべ り量分布がいくつか提唱されている。GPSによる陸上の 地殻変動データと海底地殻変動観測データを併せて求め 図1.GPS連続観測および海底地殻変動観測から推定した本震 時すべりの空間分布(飯沼卓史作成)。カラースケールはプレー ト境界面上でのすべり量を表す。日本海溝沿いに最大約30mの 地震時すべりが発生した。想定宮城県沖地震の震源域でも10m 程度のすべりがみられる。 た地震時すべり量分布を図1に示す。宮城県沖の日本海 溝近傍で最大約30mという大きさのすべりが発生してい た可能性がある。また、想定宮城県沖地震の領域(宮城 ⑧ 大地震のあとは余震活動が活発であるが、今回のM9.0の 本震の後では、プレート境界での大きな余震のみならず、 周辺で様々なタイプの地震が発生した。 これらの地震は「広 義の」余震、 あるいは誘発地震と呼ばれる。 本震発生後から6月8日までの期間に発生したM5以上の地 さらに、 日本列島の様々な場所では活発な誘発地震活動が 震の震央分布を図2に示す。本震と同様にプレート境界で発生 みられるが、 時間の経過にともなって地殻内部の応力状態は変 した「狭義の」余震を赤色丸印で、 広義の余震をその他の色で 化していると考えられる。 この応力変化にともなって、 今後、 新た 示す。水色は39分後のアウターライズの正断層型地震、 青色は な誘発地震が発生する可能性があるとも考えられる。 4月7日の逆断層型のスラブ内地震、黄色は4月11日の正断層 おわりに 型の福島県南部の地殻内地震である。本震発生後の1ヶ月の 期間に様々なタイプの地震が発生した。 M9の超巨大地震は「想定外」の規模であった。地震観測が さらに、本震発生後には日本列島のいろいろな地域で活発 始まって100年余りが経過しており、 我々は主に100年間の地震 な地殻内地震活動が観測されている。例えば、3月12日に長野 履歴をもとにしてそれぞれの場所での地震発生予測を推定し 県北部でM6.7、同日秋田県沖でM6.4、3月15日に静岡県東部 てきた。福島県沖から茨城県沖にかけての日本海溝付近では、 でM6.4、 6月30日に長野県中部でM5.4の地震が相次いで発生 過去に大地震は一つも発生してはいなかった。100年間もの期 した。M9.0の地震発生前にはプレート境界が固着していたため 間で大地震が発生していない場所は、 プレート境界の固着は に、 日本列島の地殻は東西方向に圧縮されていた。3月11日の 弱くて、大地震を引き起こすために必要なひずみエネルギーを 地震発生によりプレート境界の固着が弱まり、地殻内部の応力 蓄積できないであろう、 と考えたのが誤りであった。 その場所は、 状態が変化したため、各地で様々な地震が誘発されたと考え 長期間にわたって固着してじっとひずみエネルギーを蓄積して られる。誘発された地震のタイプや発生時期が異なっているの いたのであろう。今回の地震が1000年に一回の出来事であ は、 それぞれの地域の特性によるものであろう。 これらの誘発地 ったとするならば、100年間のデータの不完全な部分を補うだ 震の発生機構の解明も重要な研究課題である。 けの知恵を出さなければならないし、様々な種類の観測データ を取り入れた研究を推進していく必要があると考えている。 今後の展開は? 大地震の後の余震の中で最大のものを最大余震と呼ぶが、 一般には本震のMより1程度小さい。7月5日の時点での最大余 震は図2に示された3月11日の茨城県沖のM7.7の余震である。 最大余震は数ヶ月後に発生した場合もあるので、 今後も注意が 必要である。 M9を超える超巨大地震は100年間で6回発生したが、 5回は 太平洋の周辺地域である。残りの1回は2004年スマトラ地震 (Mw9.1) である。 いずれの地域も、 海洋プレートが陸のプレート の下に沈み込んでいる。 スマトラ地震の約3ヶ月後には南隣のプ レート境界でM8.6の大地震が発生していることから、 今回の地 震に隣接した岩手県北部・青森県沖と房総沖のプレート境界 で大地震が誘発される可能性は否定できないであろう。 また、 太平洋プレートが日本海溝から沈み込む地域(アウター ライズ) では、正断層型の大地震の発生も懸念される。前述の 本震39分後のM7.5の地震の北隣では1933年昭和三陸地震 ( 図2.本震および余震の震央分布(気象庁資料)。3月11日か ら6月8日までの期間のM5以上の余震を示す。気象庁が設定し た余震域を太線枠で表す。赤丸はプレート境界で発生した余震, その他の色の丸印は広義の余震である M8.1)が発生しているが、南隣の福島県・茨城県沖のアウター ライズでは過去に正断層型の大地震が発生したというデータは 残されてはいない。 ⑨ ︽特別寄稿︾ 1967年山梨県立日川高校 卒業。1971年東北大学理 学部卒業、東北大学助手、 助教授を経て、2003年東 北大学教授。1988年∼ 1989年米国カーネギー研 究所研究員。2008年より 現職。専門は地震学。地震 調査研究推進本部地震調 査委員会委員、日本地震学 会代議員、仙台ライフライ ン防災情報ネットワーク代 表等。 ︽特別寄稿︾ 3月18日から災害保健 医療支援室のスタッフ とし て 、被 災 地 の 保 健・医療・福祉分野の 後方支援活動を展開中。 19 6 4 年10 月生まれ 、 博士(工学)、一級建築士。 東日本大震災からの 教訓と課題 東北大学災害制御研究センター 准教授 佐 藤 健 1. はじめに 当てはまらない。参考までに、マグニチュードが1違う 今回の災害が“想定外”と表現されることが少なくな と地震のエネルギーは約32倍となり、1.5違うと約178倍 い。地方自治体では、地震被害想定調査を実施し、その となる。 結果を参考に地域防災計画を策定している。しかし、地 宮城県の第3次地震被害想定調査による予測被害と、 震被害想定調査により予測された被害と今回の実際の被 今回の地震による宮城県内の実被害の比較を、死傷者数 害は、全く異なるものであった。 と避難者数についてのみ表1に示す。死者数を想定宮城 これほど大規模な津波災害を想定した地域防災計画や、 県沖地震(単独モデル)の場合と比較すると、総数で2 災害対応マニュアルなどの準備はほとんどできていな 桁の違いがあり、その発生分布も想定とは全く異なるも かったといえる。準備ができていなければ、災害発生直 のである。また、避難者数の想定は、長町―利府断層に 後の混乱した中で適切な災害対応を迅速に実現すること よる場合が最大であり、その大部分が仙台市で発生する は極めて困難である。 予測となっていたのに対し、32万人を超す短期避難者が すなわち、今回の災害の教訓の一つとして、“備えが 沿岸部を中心に発生した。 ないことはできない”ということが言える。この言葉は、 このように、東北地方太平洋沖地震による実被害は、 震災直後から災害保健医療支援室(以降、支援室と記 地震被害想定による予測被害とは大きくかけ離れている す)をいっしょに運営してきた東北大学大学院医学系研 ことから、“想定外”と言わざるを得ない。 究科の上原鳴夫教授によるものである。支援室の活動を 3. 災害保健医療支援室の活動 通して感じた私なりの教訓と課題を述べたい。 私は、先に紹介した上原教授らとともに、宮城県保健 2. 被害想定と実被害との比較 福祉部医療整備課と連携した形で、支援室の一員として、 私達にとっての想定地震は3つあった。その一番手は、 被災地の保健・医療・福祉分野に対する人的、物的、情 誰もがよく知る平均発生間隔が約37年の宮城県沖地震 報支援を行ってきた。活動の詳細はホームページ1)を (マグニチュード7.5前後)であった。この地震は、1978 ご覧頂きたい。 年6月12日に発生した宮城県沖地震と同じ規模の地震で 災害対応は一義的に市町村の役割と言われている。ただ あり、宮城県沖地震の単独モデルとも呼ばれる。2番手 し、沿岸部の市町では役場や職員が被災し、行政機能が低 は、ひとまわり規模の大きい宮城県沖地震(マグニ 下した場合が少なくなかった。被災した市町を代替する指 チュード8.0程度、連動モデル)であり、3番手は、長町 揮体制や、支援体制のしくみが必ずしもなかった。行政は予 ―利府断層による直下型地震であった。 め定められた任務を超えることは難しいうえに、民間は行政 今回の東北地方太平洋沖地震の規模はマグニチュード の指示がなければ勝手に動くことはできない。ボランティア 9.0と巨大であり、先に述べた3つの想定地震のどれにも 団体も効果的な連携が必ずしもできていなかった。 表1 予測被害と実被害の比較 地震 死者(人) 負傷者(人) 短期避難者(人) 長期避難者(人) 宮城県沖地震 (単独モデル) Mw7.6 宮城県沖地震 (連動モデル) Mw8.0 長町−利府断層 Mw7.1 東北地方 太平洋沖地震 Mj9.0 9,196 *1 96 164 620 15 24 611 11,003 707 3,427 *1,*2 4,014 6,170 1,248 2,114 10,772 2,273 90,335 122,174 173,239 320,885 *3 28,107 39,095 165,446 13,010 16,669 41,066 ― ― ― 被害想定の季節・時間の設定はいずれの想定地震でも冬の夕方18時 表下段の色塗り部分は、仙台市部分の数値で上段の宮城県の数値の内数 *1 2011年6月30日時点、宮城県 *2 石巻市を含め沿岸部の市町は現在も調査中で数値に含まれない *3 2011年3月14日時点、宮城県 *4 2011年5月11日時点、宮城県 ⑩ 96,710 32,854 *4 1,935 1. 通信・情報関係 (1)衛星電話(携帯がつながらないところでの通信に使用) (2)携帯電話(ドコモ、ソフトバンク、au) (3)インターネットアクセス(WiFiルーターまたは3Gモデム) (4)パソコン (5)その他 2. 移動関係 グローバル型 3Gモデムタイプ2 3 2 6 (1)自転車・原付 または 電動自転車 (2)車 原付(ヘルメット含む)スクーター 軽2、コンパクトタイプ、ミニバン2 1 5 3. 機器・機材 (1)コピー機 (2)FAX機、スキャナー、プリンター (3)検査機器 (4)その他の機器・機材 複合機2、カラープリンター1 乳幼児の身長計・体重計 2 3 2 保健師5(5月以降)、事務職1 データ3、管理1、調理3 6 7 4. 人の派遣 ・補充要員(例:保健師職、事務職等) ・業務補佐要員(例:データ入力要員、調査補佐要員、避難所管理・調理要員等) ・情報IТ要員(ネット管理、メール管理、データ入力・集計等) ・アドバイザー(助言・指導ー例:栄養評価と対策、避難所調査、要介護者対策等)など ・避難所ボランティア、介護者、ケアマネージャーなど ・その他 アドバイザー 介護2、ケアマネージャー2 マスク(N95)、ゴーグル 3 4 各1000 このような混乱した状況の中で、被災した市町の保健 に関するニーズやオファー、避難所や仮設住宅における 福祉部局から支援室に対して寄せられた要望書の一例が 衛生状態や夏季対策などさまざまな問題について、関係 図1である。この要望書の書式は、やはり上原教授が作 者間での情報共有化と問題解決に一定の役割を果たして 成し、必要な数字を書き込むだけの状態にして被災した きている。 市町に手渡したものである。図1は、実際には数字等が 発災からの時間経過とともに日に日に変化する被災地 手書きされたものであるが、地震から約1か月後の4月9 のニーズや状況の変化に対して、後方支援者がタイム 日にファクシミリで送られてきた用紙を清書したもので リーに応えて行くためには、メーリングリストやホーム ある。役場の建物が浸水や流出したことや、公用車など ページなどでの情報共有化が有効であることは間違いな も流出したことを裏付けるように、図1の要望書には、 い。被災直後の拠点施設において、インターネットの通 人の派遣以外にも車や原付バイク、インターネット接続 信環境を誰が、どのように整備するかについて、事前に 可能なパソコンの要望も多く見受けられる。 計画しておく必要がある。 また、このような要望を実現するにあたり、要望の出 5. まとめ 所がたとえ市町の保健福祉部局であったとしても、所管 支援室の活動を通した雑感を述べた。宮城県や仙台 する県の保健福祉部局だけでは対応しきれない場合も多 市に影響を及ぼす次の地震ばかりでなく、東海・東南 い。そのため、支援室が自ら直接調達することや外部の 海・南海地震の被害想定地域に対して、被害の拡大防止 支援機関とのマッチングなどで一定の役割を果たした。 のために改善しておくべき課題について、上原教授の提 4. 被災地の変化するニーズに対応するための情報共有化 言とあわせていくつか列記する。 被災地のニーズは、日に日に変化する。その変化する * 大規模津波災害を想定した災害対応マニュアルづくり ニーズは、被災地からまずは発信されなければ後方支援 * 災害時に緊急で市町村が自由に使える基金(ファンド) の創成 者は応えようがない。携帯電話の移動基地局等が整備さ れた段階で、パソコンとルーターを被災地に持ち込めば、 インターネットによる情報通信が可能となる。しかし、 * 被災した市町をどこかの都道府県がまるごと支援する 行政間ペアリング * 補正予算等の事業を市町でスムーズに実現化するため 地震発生から2週間が経過しても被災地内のある拠点機 の支援体制づくり 関と宮城県災害対策本部との情報のやりとりは、紙媒体 * 規模が大きく異なる地震・津波の発生確率(頻度)を での定期便が1日1往復という状況も存在した。このよう 考慮した多段階の地域防災計画の策定 な状況を少しでも改善するために、支援室では、ノート パソコンや3Gルーターを調達し、被災地の拠点施設に 最後に、今回の震災を受けた今後の子ども達に対する 持ち込み、インターネット接続ができるセットアップま 防災教育のあり方として、「本当に効果的な津波からの での作業を行った。この調達から現地への持ち込みに際 避難方法を、子ども達が自分で考えることができる防災 しては、企業名やボランティア名は差し控えるが、多く 学習の必要性」が指摘されている2)。事業所や町内会な の協力者によって実現できたことであり、この場を借り どの住民組織についても、それぞれが置かれている場所 感謝申し上げたい。 により、地理的な自然環境が異なり、組織を構成する また、支援室では、ホームページを立ち上げ情報提供 人々の年齢構成や人数も異なる。そこで、地震・津波に するとともに、利用目的に応じた複数のメーリングリス 対する備えを個々の状況をふまえた上で組織ごとに自ら トを構築して関係者間の情報共有化を図った。特に、被 再検討してみることも重要であると考える。 災者支援のためのメーリングリストは、保健・医療・福 祉関係の県・市町の行政職員,医療コーディネータ、医 1) http://www.dcrc.tohoku.ac.jp/wiki/index.php 2) 渡邉正樹:今回の災害を子どもにどう伝えるか、月刊教職 研修、2011年6月号、pp.52∼55 療救護チーム、外部の支援機関、災害関連エキスパート など被災地内外の約200名が登録されている。支援物資 ⑪ ︽特別寄稿︾ 図1 被災した市町からの要望書の例 ︽それぞれの立場から︾ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 避難所運営のきめ細かな配慮の一例 イコールネット仙台の “せんたくネット” 写真は代表理事の宗片恵美子さん 以前から、女性の視点を取り入れた た。 また、避 難 所 内の設 備についても、 災害対策を提言しているN P O 法人 「更衣室や授乳室、 仕切りがほしい」など “イコールネット仙台”が、今回の大震 の声も聞かれ、 避難所運営にはこうしたき 災に際し立ち上げた活動について、代 め細かな配慮も必要であることが確認で 表理事の宗片氏にお話をうかがった。 きました。 必要な時に必要なものを 4月上旬からスタートしたこの活動は、 阪神淡路大震災で、災害時に女性た 好評をいただきながら週2回のペースで6 洗濯物を入れる袋。中身が見えないように ちが抱えるさまざまな困難が明らかとなり、 ファスナーをつけたり、ネットを組み合わ 女性のニーズに沿ったきめ細かな防災の せたりと工夫されている。 月下旬まで続けました。 ※一部南三陸町への支援は今も継続中 です。 取組が必要であることが言われるように なりました。 の洗たくをしていただくボランティアを募 今回、 これまでに体験したことのない大 集したのですが、 おかげさまで280人に及 変な災害になったわけですが、 ぶ方々に協力いただけることになりました。 震災から3か月が過ぎましたが、避難 そうした中、何か私たちに出来ることはな 洗たく物を入れる袋も、県外の女性支 所生活が終わっていない地区はまだまだ いかと避難所に足を運んでみました。避 援団体からの寄付と財団の協力で200 あります。 〝 せんたくネット〟は一応役目を 難所でいろいろお話を伺っていると、 特に 個の手提げ袋が用意されました。 終えましたが、今、新たに取り組みはじめ 女性が困っていたのは自分の衣類や下 また、 被災者から洗たく物を回収したり たのは、仮設住宅で暮らす女性や乳幼 着の洗たくの問題でした。衣服を洗おう お届けを担当する運搬ボランティアもお 児を抱え孤立しがちな母親などを対象に、 にも洗剤も洗たく機も十分にない、 コイン 願いしたのですが、女性にとって他の人 集会所や児童館でサロン活動(人と人と ランドリーに行きたくても車が流されて足 に衣類や下着が運ばれるのは最大のプ の語らいの場) を行うことです。肉体的に がないなど、男性なら多少は我慢できる ライバシー問題になりますから、運搬のた も精神的にも辛い思いをされている方々 のでしょうけれど、女性にとっては非常に びに担当の方が替ると心を開いてもらえ に、 ホッと安心できる、 そんな場所を提供 大きな問題 です。 ないのではと考え、 いつも決まったボラン したいと考えているのです。 そこで私たちイコールネット仙台は、会 ティアの方に担当していただきました。 員80名のネットワークを活かし、せんだい 今後に向けて、息長く 少し落ち着きましたら、 この震災で女性 男女共同参画財団と協力しあい、洗たく こうした活動を続けているうちに、初め たちが何を思い、何を考え、 どんなことで 代行システムとして “せんたくネット” を立ち は遠慮がちだった女性からも 「支援物資 困っていたのか、 そうした女性でないとな 上げたのです。 でいただいた衣類のサイズを合わせたい かなか気付いてもらいにくい視点 でまとめ、 ので裁縫道具がほしい」 とか、 「ズボンの 今後の災害のために備えたいと考えてい 丈つめをしてくれる人がいないだろうか」 ます。 2か月間の活動 準備として、 まず自宅で被災者の衣類 などの新たな希望も出てくるようになりまし ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ⑫ 鈎取ニュータウン町内会では 家族全員無事の合図は “黄色い旗” 玄関先に出された黄色い旗 町内のほぼ中央に位置する集会所 手軽に作れることが決め手でした。 まざまな町内活動に取り組んできたこ 「かぎとりファミリー館」で最初に目に 次に進めたのは集会所を一次(臨時) とがあると考えています。 付いたのが防災備蓄倉庫と青色の天 避難所として体制を整えることでした。 例えば、毎月町内会で行っている公 水桶。集会所の中には、数々の活動を 集会所には自家用発電機1台、投光器、 園清掃は情報伝達の場にもなり、お祭 記録した写真や家具転倒防止器具の テレビ、飲み水(2㍑ボトル100本)、プ りなどのイベントは仲間意識を育てます。 説明の掲示があり、防災活動に力を入 ロパンガス20kgボンベ1本、座布団、毛 住宅用火災警報器や家具転倒防止器 れていることがわかります。 布、車椅子、担架、スピーカーなどが常 具の普及に取り組んだ時も、お年寄り 3月11日、太白区鈎取ニュータウン 備されていましたが、足りないものは各 の家庭では住宅用火災警報器を取り付 町内会(京谷会長)は、安否確認のた 家庭から持ち寄りました。 (なお、避難 けることすら大変なことなので、町内会 めに会員に周知していた〝黄色い旗〟 時の食料(米、他)は各自持ち込み。) 員であることを証明するベストを着た役 の掲出が功を奏し、地震から僅か35 トイレの水は天水桶に貯まった水を 員が取り付けに伺いました。 分で129全世帯、約400人の安否を 利用し、夜は自家発電で明かりを灯し 防災訓練もマンネリ化しないよう、い 確認しました。 テレビも見られたので地震の情報を映 ろいろ目先を変える工夫をしてきました。 地震当日! 像とともにリアルタイムで知ることがで 夜間に訓練を行なったり、″黄色い旗〟 きました。 掲出訓練もその一つです。 地震の日、集会所に直ちに災害対策 自主的に集まってくれた町内の女性 こうした活動の 積み重ねが会員同士 本部を設置しました。 (震度5強以上で たちが、持ち寄った食糧で炊き出しを の信頼につながり、今回の大災害でも 設置する取り決めにしていたとのこと。) 行い、おにぎりと豚汁の暖かい食事を 落ち着いたスムーズな対応ができたと 役員はすぐさま町内を回り、各家庭 提供することもできました。 考えています。 の玄関先に掲げられた〝黄色い旗〟を見 地域一帯が暗闇に包まれると、集会 て、約80%の無事を確認し、黄色い旗 所の明かりを頼りに町内会以外の人々 今後に向けて が掲げられていない家庭は直接訪問し も立ち寄るなど、地 震 当日は 8 5 名が 今後の課題としては、長期の避難所 て安否を確認しました。導入したのは ホールで一夜を明かしました。 運営に向けて次の問題を解決する必要 2006年で、効率よく会員の安否を把握 翌日、避難所運営に必要な米や燃 があると考えています。 する方法はないかと考え、話し合いの 料の調達には、役員が持つさまざま ①自家用発電機、暖房、炊き出しに必 結果生まれたアイデアが“黄色い旗”で な交流ネットワークが役立ちました。 要な燃料の備蓄を増やすこと した。大地震などの際、無事な家庭は 結果的に3月20日に避難所を閉鎖す 玄関先に掲出すると目立つということ、 るまで、延べ166名の方々が利用した ことになります。 ②熱源、通信網を充実させるために発 電機をもう1台追加すること ③飲料水の備蓄(今回は断水がなく水 道水が確保できたが断水が続けば お集りいただいた方 前列左、京谷国雄会長、右、東出副会長 後列左から鈴木防災担当副会長、 佐藤総務部長、平吹民生・児童委員 阪神淡路大震災を教訓に 不足する) これらの対応がスムーズだった背景 ④様々な災害(状況)を想定した防災 には、阪神淡路大震災を教訓に、町内 訓 練を手掛けること 会を円滑に運営するには、人と地域の ※安否確認は最大余震があった4月7日 結びつきが非常に大切であるとの考え もスムーズに行われ、1時間後には を基に、防災活動にとどまることなくさ 対策本部を解散したそうです。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ⑬ ︽それぞれの立場から︾ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ︽それぞれの立場から︾ ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ 市名坂東町内会では 主婦パワーを 結集! 写真左から清水さん、高橋さん、会長の草さん 全役員が女性だけで構成された、市 が指定避難所なのですが2kmも離れ 若い人のサポートを力に 名坂東町内会(泉区 約130世帯)。平 ていますし、途中に仙台バイパスが横 3月11日の地震発生後、直ちに集会所 20年4月から運営が開始されたもの 切っています。そのような理由から災害 を一次避難所として開放、本来は町内 の歴史の浅い町内会が東日本大震災 時に身近に活用できる集会所の設営が 会に入っている人のための施設ですが をどう乗り切ったのか、真新しい集会 求められていました。努力の結果、集会 頼って来られた方すべてを受け入れま 所に代表の方々にお集まりいただきお 所が完成したのは発足から2年後の平 した。当日は100人余りが身を寄せ合っ 話をうかがいました。 成22年7月でした。その集会所が1年も て一夜を過しました。余震が多く灯油ス たたないうちに避難所としての機能を 多くが震災未体験 トーブは使用できませんでしたが、ペッ 果たすことになったわけです。 トボトルの水、クラッカー、アルファ米 私たちの町内会は比較的若い世帯が 集会所は備蓄品の収納を考え、ロフ を配布したり、足りない毛布等は持ち 多く、単身赴任家庭の方もいますので、 トを作ってスペースを確保しました。ラ 寄って、暗闇の中、夜明けを待ちました。 町内会発足当初から日中の活動に男性 イフラインの復旧は電気が一番早いと 夜半に松森消防分団の分団長が見回り が加わるのは難しいと考えていました。 いうことでオール電化、I Hクッキング に来てくれたのがとても心強く勇気づ それに県外から移り住まれた方も多 ヒーター設備を取り入れました。 けられました。 いので宮城県沖地震を体験された方も 翌日は役員が中心となり、徒歩で2 あまりおられません。それは災害の時、 ㎞先の小学校まで支援物資を取りに行 その場にいるのは、多くの震災未体験 きました。子どもたちが各戸への連絡を 者、女性、子どもだけという危機意識に 手伝ったり、近くの学生が避難所でお つながりました。 世話になったお礼にと、子ども達の相 手をしてくれたり、若い人たちのサポー 一方、家族構成が若いので子ども会 を通した母親同士のつながりやコミュ ニケーションが培われたことも事実で、 備蓄倉庫(水、クラッカー、アルファ米 などが備えられている) トもとても力になりました。 今後に向けて そのような中、いつしか男性に頼らず私 防災活動や訓練に一工夫 今後の備えとして防災無線のような、 たち女性だけで町内会を運営して行こ 防災活動や訓練はマンネリ化を防ぐ 町内会の方々にリアルタイムに情報を提 うと、これも自然の成り行きだったよう ため毎年努めて違う活動を行っていま 供できるものがあればいいなと考えて に思います。 す。夏まつりには町内の人たちに「ぐら います。また停電に備えて自家用発電 ら(地震体験車)」で地震の怖さを体 機の必要性を感じています。物資の運 集会所を避難所に 験してもらったり濃煙体験もしました。 搬や避 難 運営について、役員以外 の 町内会の防災環境ですが、役員の中 また、災害時の炊き出し訓練を兼ねて、 方々の協力体制を整えることが課題と では草(くさ)会長だけが宮城県沖地 常備米でおにぎりを作って試食をした して残りましたが、とり合えず今回の一 震を体験していて、もしまた大きな地震 り、他にも同地区の宗教施設に、いざと 次避難所としての役割は果たせたと考 が来たら無事に乗り切れるだろうかと いう時の避難所として受け入れをしても えています。 不安に感じていました。市名坂小学校 らうよう防災協定を結んだりしました。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★ ⑭ 《大震災と津波の歴史》 1.仙台平野の巨大津波の歴史 平成23年3月11日14時46分頃発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)か ら約2ヵ月後の平成23年5月13日、旧知の仙台市消防局予防課主幹櫻井明也氏の助 東日本大震災と 歴史上の巨大津波との類似性 言のもと、日本消防設備安全センター長澤良治理事とともに、仙台市周辺の被災地 を調査する機会を得ました。 じょうかん じょうかん 今回の地震は、約1000年前の貞観11年(869)の「貞観地震・津波」以来といわれ る大きな被害をもたらしましたが、ちょうど400年前の慶長16年(1611)にも「慶長三 陸地震・津波」が発生しています。また、近くは、明治29年(1896)の「明治三陸地 震・津波」、昭和8年(1933)の「昭和三陸地震・津波」もありました。私たちの主た る関心事は、そのような過去の歴史上の巨大地震・津波と今回の地震・津波とを比 較し、歴史に学ぶ点はなかったのかということにありました。 仙台市付近の歴史上の主な巨大地震・津波 貞観11年(869) 5月26日 貞観地震・津波 M8.3 慶長16年(1611)10月28日 慶長三陸地震・津波 M8.1 明治29年(1896)6月15日 明治三陸地震・津波 M8 1/4 昭和8年(1933)3月3日 昭和三陸地震・津波 M8.1 平成23年(2011)3月11日 東北地方太平洋沖地震 M9.0 (注)Mは、マグニチュードで『理科年表』によります。 貞観地震や慶長三陸地震とそれに伴う津波被害については、既に、飯沼勇義氏が 『仙台平野の歴史津波−巨大津波が仙台平野を襲う!−』 (宝文堂)(1995年発刊。 絶版)で詳細に調べられ、津波防災の必要性について、警告を発しておられます。私 たちの調査もこの本をベースに行いましたが、過去の津波災害とのあまりの類似性 に驚くばかりでした。 2.貞観地震・津波と末の松山 (1)三代実録と末の松山「小佐治物語」 まず、貞観地震とは、いかなる地震だったのでしょうか。貞観地震に関しては、平 安時代の901年に編さんされた、清和・陽成・光孝3天皇の時代の史記である「日本 三代実録」が唯一の史料です。原文は、読みにくいので、現代語訳すると、概ね次の な が さ わ じ ゅ ん い ち 長 澤 純 一 【職業】 財団法人日本消防設備安全センター理事長 【略歴】 昭和47年3月東京大学法学部卒業、同年 4月自治省入省、宮城県地方課長・財政課 ようになります。 「貞観11年(869)5月26日、陸奥の国で大地震が起きた。流光が昼のように光 り、暫くの間、人々は叫び、立っていることができなかった。ある者は倒れた家の 下敷きとなり、ある者は地割れに呑み込まれた。牛や馬が驚いて走り出し、互い に踏みつけあった。城郭、倉、門櫓や牆壁が無数に崩れた。海は、雷鳴のような海 鳴りが聞こえて潮が湧きあがり、川が逆流し津波が長く連なって押し寄せ、たちま 長(昭和57年4月∼昭和60年7月)、京 ち城下に達した。海から数十百里の先まで涯も知れず水となり、野原も道もすべ 都府総務部長(平成5年4月∼平成8年3 て大海原となった。船に乗る暇もなく、山に登ることもできず、千人ほどが溺れ死 月)、消防庁総務課長・消防庁審議官・自 治大臣官房審議官(平成8年4月∼平成 11年7月)、福岡県副知事(平成11年7 月∼平成14年3月)、独立行政法人消防 研究所理事(平成14年5月∼平成18年3 月)等を経て平成20年7月から現職 に、後には資産も田畑も、ほとんど何もなくなった。」 この三代実録に見える「城郭」とは陸奥国国府としての多賀城のことといわれ、逆 なな き た 流した川は、七北田川(現在の砂押川)といわれています。 また、 『多賀城六百年史』 (宮城県教育委員会)には、 「貞観の大地震と大津浪」 について、次のように書かれています。 ⑮ 《大震災と津波の歴史》 「昔本村八幡には上千軒、下千軒と云って澤山の商家が軒を並べて繁昌し ていたが、何時の頃のことであったか、大津浪に全部押流されて砂原と化 「小佐治物語」 してしまった、と云う伝説が今でも残っている。又、末の松山に関係のあ こ さ じ る小佐治物語も大津浪と八幡(ヤハタ)の繁昌とを伝へている。」 上記「小佐治物語」は、同じく『多賀城六百年史』に紹介されていますが、要旨を 私なりにまとめると次のような物語です。 【要 旨】 しょうじょう 昔一軒の居酒屋があり、小佐治という19歳の娘盛りの女が働いていた。ある日この店に猩々が現れ、小佐 治が酒を与えると喜んで、盃に少々の鮮血をそそいで、頭を下げて出て行った。この鮮血は、唐紅で、幾世 を経ても変わらないことから酒代の数倍の値で売れた。店の主人の女房である玉芝が、主人に、今度猩々が 来たら刺殺して多くの血を取り黄金に替えようと話していたのを聞いた小佐治は、猩々に忠告したが、仮に 命をとられても甘露の味が忘れられないと酒を要求し、もしも我が身がここで死んだら三日のうちに必ず東 方から大津波が起こる。その時、あなたは西の方、末の松山に難を避けなさいと教えてくれた。 欲深い玉芝が猩々を酔いつぶれさせて、殺し、鮮血を全身から搾り取った。 死体を袋に入れて、小池に投げ入れた。その後、小佐治が猩々の話を思い出 し、はっと思って東方を見ると、真っ暗になったので、津波が押し寄せて来 るであろうと、一目散に末の松山目指して走り、やっと松の根に取り付いた 時、天地鳴動して二千戸の市街、船舶、人畜共に天に巻き上げられ、怒涛に 飲まれ、阿鼻叫喚の声ものすごく、いうべき言葉がなかった。きのうまで上 千軒、下千軒と栄えた八幡の町も、とうとう一朝にして砂原と化した。猩々 の屍を投げ入れた小池は「猩々ヶ池」と呼ばれている。 (2)今回の津波と末の松山(多賀城市八幡) 以上の歴史と伝承を念頭において、私たちは、多賀城市八幡2丁目8にある 「末の松山」に向かいました。末の松山は、「小佐治物語」にもあるように、 貞観津波のとき、逃げ上って避難した人が唯一助かった小高い場所とされてい ます。今回の地震・津波での被害状況はどうだったのかが私たちの関心事でし た。 近づくにつれ、道の両側に瓦礫の山が築かれているのが見え、緊張感が増し ます。私たちが目標として向かったのは、末松山宝国寺です。 末の松山は、その宝国寺の裏(西)の小高い場所に、今でもありました。高 さはさほどありませんが、確かにここだけが周囲より高いことがわかります。 末の松山 大きな二本の松があり、「末乃松山」石碑と次の二首の歌碑があります。 「君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなん」 (『古今和歌集』巻20(東歌)) 「契きなかた身に袖をしぼりつゝ末の松山浪越さじとは」 (『後拾遺和歌集』『小倉百人一首』(清原元輔)) 末の松山を詠んだ古今和歌集は905年又は914年の成立、また、清原元輔は 908年∼990年の人で、いずれの歌も「末の松山」を波が越すことを起こり得な いことの比喩に用いています。つまり、869年の貞観地震の大津波ですら波が 津波の線 越えなかったという意味で歌われていますから、よほど印象深い場所だったの ・・・ ・ に違いありません。ちなみに、「小佐治(こさじ)物語」は、「末の松山浪越 ・・ さじとは」と関連がありそうです。 ⑯ 《大震災と津波の歴史》 末の松山の南の坂道を下っていくと、1分も歩かないうちに「沖の井(石)」という 池があり、案内板には、古来歌に詠まれた歌枕で、古代の情景を伝えていると書か れています。驚いたことに、この池の周辺に津波で流され、転倒した車が数台積み 重なっていました。また、坂を上って末の松山に戻る途中、民家の石垣に水に浸かっ た線の跡があるのを見付けました。道行く女性に聞いたら、ここまで津波が来たと のことです。 あとで、国土地理院の「浸水範囲概況図 宮城県版」で見ると、この周辺まで津 波が浸水し、末の松山だけが浸水せず残っていることがわかりました。まさに貞観 地震そのままです。東北大学の調査によると、現在の仙台平野は貞観当時よりも海 沖の井(石) と転倒した車 岸線が約1kmほど沖側に移動していますが、今回の津波は、貞観津波より規模が大 きいため、ほぼ同じ場所まで浸水しているそうです。 3.慶長三陸地震・津波 慶長三陸地震は、東日本大震災のちょうど400年前、慶長16年(1611)10月28日午 前10時過ぎに発生、 マグニチュード約8.1と推定されています。大津波が来襲し、伊達 藩領内で1783人、牛馬85匹が溺死、南部・津軽等も海辺の在家・人馬等3000余溺死 という記録が残っています。この津波に関し、各地に伝説が 残っていますので、その 跡を訪ねて調査しました。 浪切不動堂への急坂 つつじがおか (1)浪切不動堂(仙台市宮城野区榴ケ岡) つつじがおか 浪切不動堂は、仙台市宮城野区榴岡天満宮(仙台市宮城野区榴ケ岡23)の下の東 の急坂を挟んで向かいの角にあります。浪切不動堂の名前の由来は、1611年の慶長 三陸津波が梅田川を駆け上がってきた最終到達点、即ち津波の波切りであったこと に由来するといわれます。当時の梅田川は、現在と流れが違い、現在の七北田川を 横切り、白鳥団地を流れ、蒲生竹の内周辺を流れ、現在の仙台港が梅田川の河口で はないかとされています。 行ってみると、ここからは、さすがに津波も駆け上がらないだろうと思われるよう 浪切不動堂 な急坂の下にあります。この辺りは、今回の地震の被害の跡は見られません。今回の 津波による浸水は、ここより約6km東にある仙台東部有料道路で止まっていました。 ねんぶつだ なみなぎ (2)念佛田と波凪(仙台市宮城野区岡田) 慶長三陸津波のとき、津波が押し寄せて来て、岡田地区で冠水し、8日間も水浸 しになりました。付近住民は、当時小高い高台(高塚古墳)にあった「念佛田」に多 数避難し、東方の海と天を仰ぎながら手を合わせ、念仏を唱えました。その願いが かなえられて、ようやく海水が引いていったということでこの地は「波凪」といわれる ようになったと、飯沼著に書かれています。 念佛田の石仏 「念佛田」も「波凪」も地図にないので、私たちは、七北田(ななきた)川の南にあ る岡田小学校を目標に行ってみました。岡田小学校はすぐわかりましたが、その斜め 前(南西)の下岡田公会堂で大勢の年配の女性に聞いても「念佛田」はわかりません でした。しかし、「波凪」を聞くと、ここから南の方向にあるとのことです。公会堂の 東横の道を南に行けば花栽培農家があるので、そこで聞くとよいと教えられました。 教えられた公会堂の東横の道を南に行って、やや広い道路に突き当たると、 右手に花栽培農家があり、やや広い道路を隔てて向いに地蔵尊(寛政十年) と南無阿弥陀仏像(明和三年)などの石仏を見付けました。地蔵尊は、倒壊 ⑰ 倒壊した地蔵尊 《大震災と津波の歴史》 していました。そのとき、軽い異臭を感じました。 花栽培農家のご主人から話を聞くことができました。ここは 「念佛田」ということ、100歳以上長生きした父親の話では120 年前の津波の際、ここまで来ないようにと念仏を唱えたらここま で来なかったこと、 「波凪」というのはここから南の方に見える 集落のことであることを教えてもらいました。 「120年前の津波」 下部の線まで水に浸ったビニールハウス(念佛田) というと、慶長三陸津波ではなく明治29年(1896)の三陸津波の ことが伝えられていることになります。 また、3月11日の地震の時は、ビニールハウスの中にいて、岡田小学校からの防災 無線も聞こえず、周りが何となくざわざわしているので変だと思ってビニールハウスを 出てみたら、津波が来ているのが見えたので、家族5人車に飛び乗って大急ぎで西 の仙台東部有料道路の方向に逃げたそうです。おかげでビニールハウスの下部まで 水は来たが、助かったと、生々しい話が聞けました。 国土地理院の「浸水範囲概況図 宮城県版」によると、今回の津波は、ここを越 えて約1km西の仙台東部有料道路まで浸水しています。慶長三陸津波や明治三陸 波凪への道中の倒れた小屋 津波より浸水範囲が広かったようです。また、慶長三陸津波の当時は、小高い高台(高 塚古墳)だったといいますが、今は、あたり一面平坦な平野になっています。なお、こ のご主人の話から、普段この地域で防災訓練が行われていることが伺えました。 次に「波凪」地区に向かいました。飯沼著では念佛田のことを「波凪」といったと 書かれていますが、現地で教えられた「波凪」は、約3 50m南にあります。行ってみる と、 「波凪」地区は、被害甚大でした。「波凪」に向かう途中、小屋や石油タンクが ひっくり返っている光景が目に付きました。 「波凪」には残っている家にも住んでい る人の気配はありませんでした。 石油タンク 「念佛田」も「波凪」も、過去の歴史は、必ずしも当てはまらないという例でした。 ⑱ 《大震災と津波の歴史》 波凪の惨状 (3)浪分神社(陸上自衛隊霞目飛行場東:仙台市若林区霞目2丁目37) 仙台市若林区霞目、海岸線から約5kmの所に浪分神社があります。慶長三陸津 波では現在の神社の位置が浪分けの地となって、ここより二つに分かれて引いて いったといわれています。以来この社には浪分不動尊をご本尊として祀り、浪分神社 というようになったとのことです。 今回の地震でも、国土地理院の「浸水範囲概況図 宮城県版」によると、慶長 三陸津波と全く同じように、ちょうどここが浪分けの地となっており、ここより東は浸 水地滞となっています。近くの民家は被 害を受けてビニールシートが被されており、 西にある陸上自衛隊霞目飛行場は被害を免れています。慶長津波との類似性に驚く ばかりでした。 浪分神社 4.歴史に学ぶ点 今回の地震は、約1000年前の貞観津波や400年前の慶長津波と、驚くほど類似し ていました。災害は、過去の歴史に学ぶ必要があること、それも、1000年以上の長い スパンで見る必要があることを実感しました。一方で、過去の津波がここまでしか 来なかったから大丈夫という見方もできないことも事実です。 「念佛田」や「波凪」 がその好例です。 「浪切」や「浪分」などの名前には、重大な意味 があったのです。仙台周辺だけで なく、各地に津波や災害にまつわる地名や名前が残っています。このような地名や名 すぐ近くの民家 前の由来については、それに関する伝承とともに、関心をもって調べて、知り、受け 継いでいくことが大事です。むやみに変えるべきではありません。そのことが今回の 地震で実証されたと思います。 自然の力は、1000年前と変わりませんが、自然の猛威に立ち向かう人の知恵が 1000年前と同じでは寂しいと思います。今回は、仙台東部有料道路で津波が止まっ たことによって、浸水区域が縮まったという区域もあります。普段使用しながらいざ という時に堤防として役立つというこのような施設は、今後の復興のヒントになると 思います。岩手県釜石市や宮古市田老地区の巨大防波堤が、無残にも破壊されたこ とに無力感が漂いますが、さらに、近代的な科学技術を駆使した津波対策が考えら れないものでしょうか。例えば、今回、松島の島々が津波を和らげたということをヒ ントに、人工島や高度な消波ブロック等により、津波を拡散することができないか、 津波を迎え撃ち波を吸収してしまうような技術が開発できないか等です。津波など の情報伝達のあり方や避難の仕方も見直す必要があります。マグニチュードの表現も、 0.2違えばエネルギーは2倍、1違えばエネルギーは30倍というのが一般人にはわか りにくく、もっと端的に大きさがわかる表現にするべきではないでしょうか。 いずれにしても、「三代実録」の時代と違って、さまざまな記録手段を持った私た ちは、今回の巨大地震を後世に伝えていかなければならないと思います。 ⑲ (参考資料) ・飯沼勇義著『仙台平野の歴史津波− 巨大津波が仙台平野を襲う!−』(宝文堂) ・「浸水範囲概況図 宮城県版」 (国土地理院) ・「東北大学による東日本大震災1ヶ月 後緊急報告会」 (平成23年4月13日) の「貞観 地震津 波と今回との比較」 (東北大学大学院工学研究科附属災 害制御研究センター・東北大学大学 院理学研究科・菅原大助・今村文彦・ 箕浦孝治) ・『新訂増補国史大系4 日本三代實録』 2 0 07年 6月3 0日編 輯 者黒 板 勝 美 (吉川弘文館) ・三塚源五郎著『多賀城六百年史』(宮 城県教育委員会) ・『新収日本地震史料第二巻』 (東京大 学地震研究所) ・『理科年表』(国立天文台編)(平成21年) ◎地震防災に関するアンケート調査回収結果 ・調査期間:2011/05/26∼07/14 ・126人による回答 1 地震発生の意識について (3)揺れの最中、頭をよぎったことは何ですか ※個人的見解で構いません 複数回答可 (1)地震に対する危機感はどの程度お持ちでしたか(人数) □ 身の危険 (54) 無回答(1) 危機感は なかった(7) □ 死の恐怖 (15) 強く意識していた(42) □ 建物の倒壊 (74) □ 家族の安否 (66) □ 宮城県地震が来た (68) やや意識して いた(76) □ 大丈夫と思った (15) □ 覚えていない ( 0) □ その他 (15) ・患者の安全 ・今まで経験したことのない揺れに、ただ事ではない (2)あなたはいつ頃大きな地震が来ると考えていましたか 来ないのではないか(3) しばらく来ない(13) ・想定の宮城県地震より大きい ・館内の方々の安否 いつ来てもおかしく ない(59) ・早く揺れがおさまってほしい ・家族、職場の安否 ・津波の恐怖、津波が必ず来ると確信した 数年中(51) その他(0) 3 揺れが止まってからの行動について ※3/9に少し大きめの 地震有った為、しばら く来ないにチェック (1)最初にとった行動は何ですか ※複数解答可 □ テレビやラジオをつけた (50) □ 周囲にケガ人がいないか確認した (89) □ 家族や職場に電話した (50) 2 地震時の対応について □ 火の始末やガスの元栓を締めた (22) □ 建物の外に出た (47) (1)地震の時、あなたはどこにいましたか ※複数回答可 □ 事業所内 (100) □ 津波を考え高い所に移動した ( 0) □ 屋外 ( 4) □ しばらく呆然としていた ( 2) □ 運転中 ( 6) □ その他 (17) □ バス・電車等に乗車中 ( 1) ・被害箇所の確認 各テナントの誘導 館内の状況確認 □ 顧客先 ( 2) ・エレベーター閉じ込めの確認 □ その他 (15) ・他事業所との連絡 ・施設の被害状況把握とニュースで状況把握 ※洗車場 デパート 自宅6人 病院 マンション内部 ・落下しそうな物の対処 出張先東京 勝山館 仙台駅2F 外食中 (2)地震直後の情報収集で最も有効だったメディアは次のどれ (2)揺れの最中、あなたはどんな行動をとりましたか ですか ※複数回答可 □ 机の下などに隠れ身の安全をはかった(24) □ テレビ (13) □ ラジオ (101) □ 身を守るよう従業員に指示した (44) □ 携帯電話 (11) □ ワンセグ放送 (26) □ 倒れそうな物を押さえた (37) □ インターネット( 3) □ ツイッター ( 0) □ その他 ( 8) □ 戸や窓を開けた (23) □ 火の始末やガスの元栓を締めた (11) ・何も使えなかった □ 建物の外に出た (32) ・自動車用テレビ □ 車を止めた ( 9) □ 何もしなかった ( 7) 4 避難誘導について □ その他 (15) (1)お客様や従業員の避難をスムーズに行えましたか □ 問題なく誘導できた (74) ・落下物の無いスペースに移動 □ ややスムーズさに欠けた (25) ・避難誘導・患者の安全確保 ・放送で屋外への避難指示を出し自らも外へ 理由: ・館内への非常放送 ・妊婦や新生児を屋外に避難させるべきか悩んだ ・お客様の身の安全を図った ・誘導人員が少なかった ・職員に子どもの安全を守るように指示し、自分は扉に ・訓練どおりに行動できなかった つかまり外も内も見られるように立っていた ・電子錠の誤作動により、閉じ込められる状況が発生 ⑳ アンケート結果 ・混乱と停電によって館内放送ができなかった ・避難階段の壁が破損 ・指定の緊急避難場所が駐車場化していたため、計画に ない場所に非常放送で誘導しなければならなかった ・あまりに強大な地震のため全体がパニックになっていた ・外へ避難させるべきかどうか判断に悩んだ ・大きな揺れが済んでも余震が続いたため避難のタイ ミングがずれたのと集合場所での確認が大変だった ・余震続きでビル脱出の指示が出来ないうちに、各自 の判断で外に出てしまった □ できなかった (11) 理由: ・恐怖感があり思うような誘導ができなかった ・事務所内に書棚転倒、ガラス破片が散乱し、身動き がとれなかった 無回答 事務所の外にいた (11) 5 地震対策について (1)ロッカーや書棚などの転倒防止措置を行っていましたか □ 大体は固定していた (34) □ 主に危険と思われる棚等の固定をしていた(16) □ 固定していなかった (49) 無回答 ( 1) (2)転倒防止措置をしていた事業所に伺います 固定は効果がありましたか □ 効果があった (46) □ 堅固に取り付けていないため倒れたものが あった (14) □ 効果があるとは言い難い (11) ・全て(ほとんど)倒れたが、向きによっては効果が あったものもあった 無回答 (32) (3)有効な固定方法は何でしたか □ アンカーボルト締め (26) □ L字金具 (30) □ チェーン ( 6) □ 突っ張り棒 (12) □ その他 ( 5) ・市販のグッズ、ワイヤーロープ、滑り止めシート、 棚に転倒防止器具をつけていた。必要以外は処分し 高さを制限 ・アンカーボルトは抜けた、L字金具は金具ごとはずれた、 突っ張り棒は折れた、壁のボードは役にたたない (4)その他、多少に関わらず震災の備えはありましたか ※複数回答可 □ 懐中電灯・ロウソク(99) □ 非常用飲料 (52) □ 非常用食料 (51) □ カセットコンロ(35) □ ラジオ (75) □ 救急医薬品 (76) □ 特に備えはなかった(3) □ その他 (18) ポリタンク、乾電池、AED、 毛布、ヘルメット、自家用発電機、担架、簡易トイレ、 テント、寝袋、マスク、タオル、生理用品、 使い捨てカイロ、レスキュー用品、ランタン、炭、炊き 出し用具、手袋、ハンマー、バール、拡声器。 6 津波について (1)あなたの事業所は津波の影響があった地域ですか □ はい ( 6) □ いいえ (120) (2)津波の情報を何で知りましたか ※複数回答可 □ テレビ (38) □ ラジオ (91) □ 携帯電話 (10) □ ワンセグ放送 (32) □ インターネット ( 2) □ ツイッター ( 0) □ 行政機関等の広報(消防車や津波情報システムに よる屋外拡声装置の広報を含む) ( 4) □ その他 ( 6) IP電話、友人の携帯電話を通して家族経由で情報 が届いた、同じビル内にいた知人より(口コミ)、 ヘリコプター、車内テレビ (3)津波の被害に遭われた会員事業所に質問します。 津波警報を知ってどう行動しましたか ※複数回答可 □ 従業員等に避難の指示を出した ( 4) □ 内陸方面に逃げた ( 1) □ 高い建物(場所)をさがしそこに逃げた ( 1) □ 事業所(家)が危険と思い警報が出ている地域に向か った ( 1) □ 何をすることもできなかった ( 1) □ まさかここまで津波が来ると思わなかったので逃げな かった ( 0) 7 貴事業所の消防計画について ・自衛消防組織の行動をはじめ、災害時のさまざまな行動 マニュアルである消防計画は機能しましたか □ 機能したと評価できる (39) □ まずまず機能した (34) (機能したと考える点を端的にご記入ください) ・機械設備等の即時停止および電源停止を最優先で実施 できた ・お客様の避難誘導、点検箇所の把握ができた ・負傷者の把握、建物の被害の把握、一時措置がスムー ズだった ・担当者による自主的誘導、各テナント名とその従業員 の人名確認ができた ・ある程度指令系統が機能した アンケート結果 35 ●消防用設備等について 30 25 ・お客様の誘導、安全確認、さらに従業員の安全確認 ができた ・稼働中の車両と交信でき指示できたこと、従業員の 安否確認ができたこと、事業所内の安全点検を行ったこと ・災害時マニュアルが整備されていたこと、連絡体制 が整備されていたこと ・各テナントと協力できた方だと思う、ただし津波へ の備えは十分でなかった ・普段使用しない避難通路や非常口を、パニックにな らぬ様に落ち着かせながら、けが人もなく無事誘導 できた ・災害伝言ダイヤルで外に出ている者と一部連絡できた ・出火を防ぐ行動、お客様の誘導、避難誘導がしっか りできた ・機能した部分もあったが、その場の状況に対応する ことが優先となった ・地震後の初動がうまくいったと思う ・非常放送設備による避難誘導 ・初期動作 □ あまり機能しなかった (33) (その理由を端的にご記入ください) ・自分の(身を守る)ことで精一杯であった ・たまたま今回は必要とならなかったが、情況からし てもっときっちりしたマニュアルが必要であると判 断した ・想定外の異常事態であった ・本部(職)員をはじめ従業員に対しての防災教育の 不足による稚拙な危機意識・防災意識が障害となった ・(あまりに)揺れが大きくバラバラに避難してしまった ・(担当者が)出張や休暇でいない場合を想定してい なかった ・安否確認(手間取った)、電話・メールがなかなか つながらなかった ・あまり取り決めを行っていなかった ・建設業なので社内に残る従業員がほぼ女性だけにな り、役割の担当者が在席していなかった ・非常放送設備が作動しなかった ・津波対策は全く準備していなかった ・規模の大きさにおどろき冷静な行動ができなかった ・フロアが分かれており、役割分担が不十分でした ・ライフラインの長期停止。津波のマニュアルがなかった ・携帯電話が使えなかったので、マニュアル通りの連 絡網が出来なかった □ 今後見直しする予定である ( 7) (その理由を端的にご記入ください:) ・当初の計画から年数が経過している ・マニュアルを想定の水準に上げたものにする ・マニュアルがきちんと整備しきれていない ・全く機能せず、女子職員のみで誘導等を行った。男 性は役に立たなかった 20 15 10 5 0 8 消防用設備等について ・消防用設備等を設置している事業所にお伺いします。避難の 際などに、次のどの設備を使用(自動作動含む)しましたか ※複数回答可 □ 拡声器 (29) □ 非常放送設備 (29) □ 自動火災報知設備 (15) □ 避難器具 ( 4) □ 誘導灯 (34) □ 使用しなかった (35) □ その他 (10) トランシーバ、ヘルメット、停電で作動せず、非常照 明、緊急地震速報、自家用発電機 無回答 (16) 9 事業所経営に対する影響について ・あなたの事業所は地震でどんな影響を受けましたか □ 経営の継続そのものが深刻となった ( 4) □ 事業の正常化まで暫く時間がかかる (71) □ 取引先が打撃を受けたので、自社で使用する資材(商 品)等の納入に支障をきたしている (22) □ 取引先に、自社からの商品(資材)等を納入できなく なり迷惑をかけている ( 9) □ その他 (25) ・営業再開まで約1ヶ月を要した ・復旧までに時間がかかり、資金繰りが大変である ・異例事務が増大し、本店・他支店から事務対応要員 の応援を受け対応 ・建物等に一部被害はあったが通常業務が可能 ・退去テナントが多数出た ・ライフライン(都市ガス)がストップしたため、 (営 業時間を)通常よりも短くした ・壁に亀裂があったり、天井が落下した部分はブルー シートで対応するなどし、営業時間を短縮した ・販売所が流されたり、購読者も被災したため影響が 出ている ・取引先の被害が大きくて取引額が減っている ・テナントに損壊箇所が見られ、移転を考えている ・利用者様が被害を受けた ・工事現場の中断、及び新規発注工事、発注時期の延 期または中止 ・売り上げの減少 アンケート結果 項目10 今後について※自由記述 (1) 今回の地震から学んだこと、感じたこと、役に立った対策、その他どのようなことでも構いませんので自由にお書きください (2) 今後の当協会の活動にどのようなことを望みますか ■ 男・55歳・サービス業・自社屋(太白区 津波被害有り) (1)最低生活できる水、食料の備蓄は事業所でも必要である事 を学び、又、通信手段を従業員、家族間で決めておく様にしなけ ればならない。 (2)会員間での物資の備蓄状況の共有化と日常会員間のコミュ ニケーション。 ■ 男・68歳・社会福祉事業・自社屋(泉区) (1)電気の大切さをしみじみ感じた。自家発電の容量を増設。 (2)風化しないような広報活動の継続 ■ 男・59歳・サービス業・テナント入居(宮城野区) (1)まず、落ち着くこと→判断を正しく、かつ迅速に ■ 男・60歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)耐震構造にする。地震保険の見直し。防災設備の充実 (2)情報の提供を依頼します。 ■ 男・64歳・製造業・自社屋(若林区) (1)ケガなく避難できたが、社員の安否確認に課題を残した。 防災計画はあるものの計画通りに実行できなかった。 ■ 男・52歳・運送業・自社屋(青葉区) (1)建物に被害があったが、けがをされたお客様はいなかった。 けがをされた方が多ければ対応はどのようになっていたのか、 不安を感じました。 (2)他箇所の実例などを参考にし、今後の準備をしていきたい。 ■ 男・50歳・サービス業・自社屋(太白区) (1)日頃の消防避難訓練が有効に働いたので訓練の大切さを改 めて感じました。 ■ 女・58歳・サービス業・自社屋(太白区) (1)ガソリン、灯油、軽油が不足、プロパンガスと貯水槽に助けら れ、約60名ほどの社員や家族が店内に避難できました。 ■ 女・54歳・医療・自社屋(太白区) (1)患者、そして従業員を安全に避難することができ安心した。 自家発電機の燃料(軽油)の確保が大変であった。防災用品等 の備えがあったのは良かったが、ライフラインの復旧の見通しが 見えなく、すごく不安があった。 ■ 男・43歳・サービス業・テナント入居(青葉区) (1)常に地震に対する備えは必要だと感じた。 ■ 男・60歳・サービス業・テナント入居(宮城野区) (1)受水槽に緊急遮断弁を取り付けたため自社ビルで水の配給 ができた。緊急で共同防火管理委員会を開催したものの末端ま で指示が届かなかった。 ■ 男・49歳・研究所・自社屋(宮城野区) (1)備蓄品(毛布、食料、飲料、ラジオ、ランタン)が役に立った。 ■ 男・42歳・サービス業・ホテル(太白区) (1)水の大切さ、電気の大切さ、命の大切さ (2)町のためにいろいろと活動して行きたいです。 ■ 男・56歳・協同組合・自社屋(泉区) (1)連絡手段の機器(携帯電話・Eメール・災害伝言ダイヤル)が 何も機能しなかった。交通車両の燃料確保、非常時における相 互扶助 ■ 男・59歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)現場に残った者も自主的に自らの責任において行動するこ と、残った者同士の助け合いが基本 ■ 男・43歳・不動産業・自社屋(青葉区) (1)情報の共有・人と人とのネットワーク・指示系統 (2)危機管理対策についての講習 ■ 男・47歳・宗教法人・自社屋(青葉区) (1)当方は山間部にあるので、比較的被害は少ないほうでした。 ■ 男・51歳・サービス業・テナント入居(青葉区) (2)非常用備品等の斡旋 ■ 男・40歳・危険物物販・自社屋(宮城野区) (1)備えとは過剰なくらいでちょうどいい。 (母が大量の缶詰を 購入しており食べるに困らなかった。)アナログなものを見直し た。 (例えば、反射ストーブ) (2)ライフライン(電気・ガス・水道)が遮断された時、役に立つ 物や施設などの情報をまとめてほしい。 ■ 男・61歳・物流施設賃貸業・自社屋(宮城野区) (1)どんな災害か、またその大きさはどの位か、想定の度合いに よって対策がほとんど役に立たないということを実感した。 当社は建物施設を賃貸する会社であるが、宮城県沖地震はあと 2,3年は来ないだろうと考え、H24年までに耐震補強を終了さ せる予定であった。耐震診断についてもすでに終了し、OKが出 ているものもあって、骨組みの構造部は問題なく倒壊はしなかっ たが、壁、天井、基礎コンクリートが大きくこわれ、大規模な修 繕を今、行っている。 (2)1,000年に一度と言われるような津波被害が発生するとは、ほ とんどの人が想像していなかったのではないか。今、我々にでき ることは、この現象と被害を後世に残すことが重要なので、しっ かりした記録集を作成し保存して欲しい。 ■ 男・54歳・病院・自社屋(宮城野区) (1)正確な情報の共有化が必要。公衆トイレの確保 ■ 男・48歳・サービス業・自社屋(若林区) (1)震災から停電になると情報がほぼ切断されてしまう。津波警 報は地元民が知らなくてはいけない情報であろうが停電のため テレビが点かなかったから逃げ遅れた人々も多くいたのではな いか。(情報源はテレビ×、インターネット×、電話×、ラジオのみ ○だったのだろうか) ■ 男・50歳・研究開発センター・自社屋(青葉区) (1)建物に被害はあったが、幸いケガをした人はいなかった。や はり日常の備えや訓練は重要だと感じた。 (2)地震・津波に対する対策。電気、ガス、水道が止まった際の 日常の備え ■ 男・53歳・サービス業・駅高架下(青葉区) (1)今回の大震災後は、電気・水・ガスのライフラインが完全にス トップした生活、車はガソリン不足、携帯電話は電池不足で、今 まであって当たり前が、ない生活になり、我が家の食卓の照明は ロウソクの「火」になりました。ロウソクはあってもロウソク立て がないので大根を切って代用しました。 (2)津波についての講話会を望みます。 ■ 男・53歳・製造業・自社屋(青葉区) (1)情報入手のため、メディアとして携帯ラジオ、ワンセグテレビ (電池式)を常備し電池の備蓄、非常食、水の備蓄の増強につ とめたい。また、当社は社有車が多数あるので、インバータ (12V→100V)を搭載したい。 ■ 男・54歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)停電時は何も役に立たない。南町通りは地下鉄工事中のため 通行に支障をきたした。 (2)避難場所の確保にも関わってほしい。 ■ 男・51歳・製造業・自社屋(青葉区) (1)今回の震災で、 「震災マニュアルを作成してはいるが、マニュ アルはあくまで想定した事象について有効であり、最後は自分 の判断ですよ。」と話したところ、上司からそれではマニュアル にならないと改変を迫られた。 ●マニュアル通りに動いて死んだらどうするのか?? 防災の知識の無い者に対し事を解らせることがいかにむずかし いか!「もう、あの大きさの地震はデータから見るとこないから 大丈夫だ。」の一言には参りました。 ●利府―長町 (断層) の直下(型地震) が来たらどうするのか? ? ? アンケート結果 ※参考までに、自社アンケートによると通勤15∼30分圏内であ れば帰宅時間は倍、30分以上になると2∼3時間、またはそれ 以上との結果が出ている。 (2)事業所の防火管理者の権限や置かれている立場を、パンフ レット等でアピールしてほしい。もっと震災対策のアピールをして ほしい。 ■ 男・60歳・サービス業・自社屋(泉区) (1)画一的に指定避難所を学校にしているが危険で使用できな い所もあり、対応に困るので、第2次避難所も明確にしておくか、 避難所の見直しをする。 ■ 男・49歳・製造業・自社屋(宮城野区) (1)備蓄の必要性(水、食料、燃料)、石油ストーブが役立った。 建物の修復のタイミングがむずかしい。 (約1か月後の最大余震 で再度0からのスタートとなった。) (2)会員事業所への防災グッズの配布 ■ 男・60歳・運送業・自社屋(宮城野区) (1)緊急連絡体制の明確化を図る ■ 男・50歳・サービス業・自社屋(宮城野区) (1)お客様をまず、第一に考え、キャノピーの下から安全な場所に 誘導し、地下タンクの漏洩の有無を確認することができた。 (2)消防署での日頃の訓練がかなり役に立ちました。今後も進ん で訓練等に出席し、若者にも指導していきます。 ■ 男・45歳・情報・自社屋(青葉区) (1)訓練を積んでいる者、少なくてもイメージの持てる者は行動 できるが、そうでないと行動できないのが分かった。 ■ 男・35歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)備蓄、正確な情報 ■ 男・60歳・医療・自社屋(青葉区) (1)通常の体制に戻った5月より、改めて、災害対策本部機能そ して災害対策委員会を設置して、対応できる組織を確立したい と考えている。 ■ 男・57歳・製造業・危険物物販・テナント入居(宮城野区) (1)転倒防止の固定法として「突っ張り棒」も使用していたが、今 回の地震では天井(素材:ジプトンおよびベニヤ)が破断し転倒 防止が機能しなかった。 (震度5程度までは機能した)アンカー ボルト締め、L字金具、チェーンは有効でした。要するに固定す る相手の素材が脆弱な場合は機能しないことが判明。 (2)当社は幸い津波の影響を直接的には受けませんでした。しか しながら、当協会員でも多数津波の被災に遭った企業がありま した。今後も様々な災害の発生が予想されますので、当協会員 相互の協力体制(ボランティア的なもの)を検討してはどうか。 ■ 女・48歳・サービス業・自社屋(泉区) (1)消防訓練はいつも火災を想定して行っていたが、今回のよう に地震(停電)を想定して行わなければいけないと思った。又、 一旦避難して、持ち物等を取りに部屋に戻るタイミングの判断の 難しさを感じました。 ■ 女・54歳・小売業・自社屋(青葉区) (1)店内の天井や棚の落下物(ビン類)がひどくあったにもかか わらず、お客様、従業員にケガが無かったことが何よりと思いま した。私はその時に事務所でドアの開放をしていて、店内にはそ の後向かいました。従業員がお客様を駐車場へ誘導してくれた こと、感謝しております。消防訓練が生かせたと思う。 ■ 男・58歳・建設業・自社屋(若林区) (1)長時間に渡っての停電や都市ガスの供給停止といったライフ ラインのストップで例えば、都市ガスの他にプロパンガスボンベ を設置しておくとか、発電機を常備して置く等必要と思いました。 又、ガソリンの供給が途絶えた事によって移動手段が容易でな かった。食料品の補給にも苦労した。 ■ 男・52歳・その他・自社屋(青葉区) (1)被る被害や混乱を最小限に止めるためには、①企業トップの 強力な指導力が絶対に必要であること。②平時より災害時の参 謀となる人材を養成しておく必要があること。この2つの条件が 必要であることを痛感した。特に従業員や部署の数が多い 企業には不可欠の条件である。今回の震災では、この必要条件 を欠いていたため、総合的に判断・指示できる人材が本部にお らず、雑多な情報に対して充分な確認なしに、それぞれの理由 付けをして解釈したり、判断や指示を出したり、部署単位の解釈、 判断で行動することが多々あり、各現場が混乱を招き、それが長 く続いた。(2)今回の震災における具体的な対応例を数多く発信 していただきたい。 ■ 男・59歳・運送業・自社屋(宮城野区) (1)津波警報が出ても、これまでは大きな津波は来ないだろうと いう意識があったが、今後は津波警報が出たら、危険区域を走 行している車両には安全な場所(高台)へ避難するよう指示して いく。地震が来たらラジオ等で情報を入手することも。 ■ 男・35歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)震災に対する事前準備、情報の錯そうによる混乱の発生に 対し指示系統の統一を図る。 (2)継続した被災者の方々への支援案内。 ■ 男・44歳・卸業・賃貸(若林区) (1)震災に遭ったことにより、防災に関し何が必要かわかった。 ■ 男・56歳・病院・自社屋(泉区) (1)井戸水の使用は有効だった、通信機能の確保は重要である。 ■ 男・62歳・サービス業・テナント入居(若林区) (1)公的避難所に備蓄品が無かったことがわかった。 ■ 男・48歳・福祉・自社屋(宮城野区) (1)大規模な震災に対しては、多少の準備では不足ということが 解りました(3日分以上)さらなる準備と迅速かつ正確な判断が 大切であると思います。 (2)今回の大震災を本にして、ますますの広報を行ってほしい、ぜ ひ、この教訓を生かして欲しいと思う。 ■ 女・54歳・サービス業・自社屋(若林区) (1)社員全員がひとつになり、 がんばれた事。地震の後、 ボランティア の方々に協力していただいた事物の大切さ、思いやりをすごく感じた。 ■ 女・27歳・建設業・自社屋(宮城野区) (1)日頃からの備えや訓練が必要だと感じた。また、災害時の情 報収集も大事なことだと認識した。 (2)企業にとって、どのような対策をしていくべきか具体的に様々 な角度から情報発信してほしい。 ■ 男・62歳・団体職員・テナント入居(青葉区) (1)地震に対する備えをふだんからしておくべきだとつくづく感 じた。 (2) 防災グッズの紹介などを積極的にお願いしたい。 ■ 女・28歳・ ・自社屋(太白区) (1)万が一の備えが甘かったことを改めて感じさせられた。当た り前と思って使っている様々なものに、感謝の気持ちや節約する 気持ちを忘れずにいたい。 ■ 女・41歳・サービス業・テナント入居(宮城野区) (1)防火・防災合わせた訓練をしていたが、ビルからの指示はそ の時のやりかたと違っていた。ビルの指示に従えば良いと思って いたので、消防組織や避難場所について意識が薄かったと反省 している。(2)多くの事業所の経験談を集めていただき今後の防 災に役立てたいと思う。 ■ 男・63歳・卸売業・自社屋(青葉区) (1)連絡は電話1本であるため、通信会社の問題ではあるが、通 信回線を増やしてほしい。同様であるが、災害 伝言ダイヤル 「171」の収容能力が足りなく、安否確認が一日単位で遅れた。 ■ 男・61歳・製造業・自社屋(宮城野区 津波影響有り) (1)地震(=津波)の避難(訓練)を1回/年実施していたこと、 また、緊急地震速報装置の導入、BCP作成等、ある程度備えが あったことから1人の死傷者も発生させなかったことは、常日頃 の備えが如何に重要であるか改めて思いました。 ■ 女・50歳・サービス業・自社屋(泉区) (1)お客様の誘導が計画通りに出来なかったので、今後は定期 的に訓練をやるべきであると感じました。それから地震、津波 の影響でガソリンの確保が難しくなり、販売出来なくなったの アンケート結果 で、今後は店のタンクの在庫や自家用車用の在庫を日頃から注 意していかなければと思っています。 (2)これからも防災に関する情報の提供をお願いします。 ■ 女・59歳・不動産管理・自社屋(青葉区) (1)被害者への対応が遅い、柔軟性が感じられない(特に仙台 市)地震が来たら津波。特に海岸線の方は考えなくてはならな い。若林区は高い建物がないので考えなくてはならいと思う。震 災の備えは必要である(分かりやすい場所に備える) (2)東北地方太平洋沖地震の様を(防災に役立てるために?)事 業所毎に講習会を開いてほしい。 ■ 男・61歳・不動産管理業・自社屋(青葉区) (1)非常用備蓄品の保管場所の内部で棚が転倒し、取り出すの に時間がかかりすぎたので非常用備蓄品の置き場を変えた。 (2)被災した事業所と従業員に対する支援をスピーディにしても らうための国、県に早めの要請を行ってほしい。 ■ 女・45歳・保育所・自営(個人) (若林区) (1)携帯テレビが非常に役に立った。避難訓練は有効であった。 ランタン・ラジオは常備しておくこと、発電機は絶対倒れないよう に保管、大きい地震の速報機は役に立った、津波を想定し、近 隣の高い建物に避難できるように手続きをしておくこと (2)災害時に取るべき行動の研修・非常災害に備える備品等に ついての研修・保育所なので災害時は0歳∼6歳までの子ども を安全に守るための研修 ■ 男・28歳・サービス業・借地借家(泉区) (1)震災時の非常グッズを十分に備える必要がある ■ 男・61歳・建設業・自社屋(青葉区) (1)ぐらら(起震車)で震度7を体験しましたが、 (そのときは)椅 子などは固定、シートベルトを使用していたが、今回の地震では 立つこと(立っていること?)ができなかった。 (2)防災用品、防災機器等一覧表があればよいかと思います。 ■ 男・52歳・サービス業販売業・自社屋(青葉区) (1)津波に対する認識の甘さがあった。ライフライン復旧までの 備え(準備)不足 ■ 女・46歳・サービス業・自社屋(泉区) (1)避難訓練の大切さ、危険箇所の確認をしておくこと、非常ド ア等の確認をしておくこと (2)活動内容がわからない ■ 男・49歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)各種訓練(避難、建物点検、炊き出し、復旧及び支援)等が 役立った (2)防災意識、啓発活動の継続 ■ 男・43歳・医療業・自社屋(宮城野区 津波影響有り) (1)備蓄の不足、燃料の調達など災害時対応のすべて (2)物資の支給 ■ 男・69歳・製造業・自社屋(若林区) (1)工場設備等の費用投資が必要(になった)、家族との連絡不 通には参った、大地震は近い将来、もう来ない感覚あり ■ 男・73歳・幼稚園・自社屋(太白区) (1)想定外の地震で、一瞬どういう行動をとったらいいか判断に 迷った。降園時刻後で残っている園児も少なく、職員全員で園 児に対応できた。 (連絡がとれず)安否確認には手間取った。 ■ 女・60歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)年に2回消防訓練を行っている。毎回同じことの繰り返しで はあるが、行う事の大切さを認識しました。 ■ 男・40歳・専門学校 (宮城野区) (1)人の咄嗟の判断力の無さ(を感じた)。日頃からの危機管理 の徹底(が必要) ■ 女・63歳・一番町中央市場・組合(青葉区) (1)一番町界隈は地盤が硬いので安全な場所であるが、非常灯、 懐中電灯、ラジオ、水は備蓄しておくべきであるし、自転車は非 常時必需品である。 (2)停電時の非常電源、ニュースを見るための公共的なラジオ、 テレビを設置してください。 ■ 男・36歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)地震に対する準備(構造補強から備蓄、避難訓練)の必要 ■ 男・50歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)宮城県沖地震に備えていたこと。特に設備の安全確保が役 立った。地震の規模が大きすぎ、予想以上に事業所内は被害に あった。 ■ 男・50歳・倉庫業・自社屋(宮城野区) (1)停電による影響が大きかった。それにより使えないものが多 かったこと。通信、特に携 帯電話が使用できず、修 繕の依 頼 (応急措置)が出来ない状況となった。 ■ 男・35歳・製造業・自社屋(青葉区) (1)怪我人は無かったが、重大な怪我人が出た場合の対応が不 十分だと感じた。社員のなかで、家族が亡くなられた方、津波で 家を失われた方への心のケアをどのようにしたら良いか迷った。 非常食の備蓄は、1日分3食は必要だと思った。今回の地震は、 「春の火災予防運動」の直後ということで従業員の防災意識が 高かったことが幸いだったように思う。 (2)今回の地震を体験して、日頃の防災訓練や準備が非常に大 切だと思った。これまでは、社内のみでの訓練や勉強会を実施し てきたが、防災安全協会様からの視点での講習会や訓練を取り 入れたいと思う。 ■ 男・31歳・サービス業・テナント入居(泉区) (1)非常用発電装置があれば、色々と役立ったと思う。 ■ 男・51歳・自衛官・陸上自衛隊仙台駐屯地(宮城野区) (1)冷静に行動するためには普段からの訓練が必要だと再認識。 ■ 男・44歳・自衛官・陸上自衛隊仙台駐屯地(宮城野区) (1)地震対処に関するシミュレーションを何回も実施していたた めか、努めて迅速な対応ができた。ですので、何回も何回もシ ミュレーションをし、確かめる事が個々に必要なことであると改 めて感じた。今後を含め認識すべき事項 ・自己判断をしてはいけない ・最低でも車の内には震災グッズを積載しておく事 ・車の燃料は努めて満タンにしておく事 ■ 男・61歳・危険物物販・自社屋(若林区) (1)外出社員の安否確認(当日)ができなかった。NTTの「171」 も当日はつながらなかった。日頃の安全教育の重要性、ガソリン が入手困難だったこと津波のおそろしさ「幸い当社は被害な かったが…」 (2)経験情報の蓄積と公開(ホームページなど) ■ 男・48歳・建設業・自社屋(宮城野区) (1)日頃から地震等、災害対策としてのBCP策定が急務。 ■ 男・29歳・福祉サービス業・福祉施設(青葉区) (1)ライフラインが復旧するまで時間がかかり、心配な日々が続 いた。今回の地震から施設の地震マニュアルを見直し新たに作 成した。 ■ 男・56歳・危険物物販・自社屋(泉区) (1)飲料水、食料品の確保 ■ 男・60歳・サービス業・自社屋(太白区) (1)〈通信手段の確保〉℡と車(ガソリン)が使用できなかった ので、対策を検討しています。 ■ 男・33歳・サービス業(太白区) (1)建物が倒壊したが、従業員含めお客様も怪我をしなかった。 非常用器具も備えたので地震が来ても大丈夫だと思っている。 ■ 男・45歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)自家発電機の重要性、燃料、非常食のストックの必要性、L ED懐中電灯を備え付けていて役に立った。 ■ 男・38歳・サービス業・自社屋(青葉区) (1)地震=津波という認識が無く、多くの方が亡くなった。 (2)必ず次につながるよう対策を取ってほしい。 ■ 男・43歳・清掃業・自社屋(青葉区) (1)身の安全を確保して、非常食類(燃料を含め)のストックをし なければならない。非常用に小型発電機、カセットコンロ、LE Dランタンなども準備しなければならない。 余震に備えて! 地震のさなか・地震直後・震災当日の対応について、 一例ではありますが再確認しておきましょう。 地震のさなか 場面 事務機器等が凶器に! グラッときたらまず身の安全を図りましょ う。特に頭を守ることはとても大切です。 行動 ロッカーなどを押さえようとする行動は危 険です。キャビネットや電化製品などの転 倒防止措置をしっかりと施して、中身が飛び出さないよ うにしておくことも大切です。 場面 車を運転していた! 揺れが大きいとタイヤが跳ね、車体はバウ ンドし直進すら難しくなります。ハンドル 行 行動 をしっかり握り、車をゆっくり路肩に寄せ て揺れが収まるのを待ち、ラジオ等で情報 収集を行いましょう。次の行動を決定します。海岸付近 で揺れを感じた(知った)らすぐに高台に移動すること が重要です。 (※P●参照) 自宅 で 地 震 に 遭った時の考え 方も基 本 は同 じです。 街中は危険だらけ! 場面 街 街中はブロック塀の倒壊をはじめ、看板、 ガラス、電線、瓦、その他様々な落下物に 行動 注意を払 う必要が あります。公園などに逃 げ込めないケースが多い でしょうから、できるだ け建物などの構造物から 離れ、落下物に注意しま す。道路への飛び出しは 非常に危険です。 場面 エレベータに乗っていた! エレベータは揺れを感知して自動的に停止 するタイプとそうでないタイプがあります。 行動 いずれ揺れを感じたら、すべての階のボタ ンを押し て、止まったフロアに降 りて閉じ込め事故を防ぐ べきです。余震が頻発す る時期は極力使用を避け ることが賢明です。 場面 もっと津波の恐ろしさを! 揺れの大きさと津波の大きさは比例しない 場合があります。震源が遠いと大きな地震 行 行動 であっても小さな揺れにしか感じられない ことがあるからです。今回の震災の教訓は 大津波に対する認識が極めて低かったこと。海岸域(海 岸に近い平野部も含みます)で揺れを感じた(知った) 場合、すぐに高台へ避難して下さい。 津波の襲来に備え安全確実に逃げ果せる避 行動 難動線を確認しておきましょう。動線上に 行 は車の混雑を含め様々な障害があると認識 するべきです。また、年少、高齢、体が不 自由な方などの避難訓練も定期的に形骸化なく実施する のが良いでしょう。 余震に備えて! 地震直後 場面 家族や従業員の安否確認! 場面 情報収集で確かな状況判断! 家族の無事が確認できれば、従業員は安心 して事業所の復旧に専念できます。従業員 行動 の家族の安否確認は、企業が事業を継続す るうえで 非常に重要視される項 目(BCP)です。しか しながら電話回線が輻 輳し、警察、消防の重 要な通信を確保するな どの制御がかかり、固 定・携帯ともに通じに くくなると考えておか なければなりません。 そこで、 大地震が起こると電池式ポータブルラジオ が頼りになります。建物の内外問わずどこ 行 行動 でも簡単に情報を得ることができます。ラ ジオは消費電力が少ないのも大きな利点。 ただし自然放電を考えて少なくとも6カ月に1回程度、 新しい電池と交換するのが良いでしょう。ポータブルラ ジオがなければ車のラジオという手もありますが、車の ラジオは他の部品にも電気が供給されるため消費電力が 非常に大きく、走行中を除きバッテリー上がりに注意が 必要です。 災害用伝言ダイヤル:171 NTTの「災害用伝言ダイヤル:171」(※家族などが録 音した音声メッセージを聴くことのできるサービス) 災害用伝言版 携帯各社が行う「災害用伝言版」(※「無事です」など と文字情報を表示したり、100文字以内のコメントで安 否の確認ができるサービス)の活用を考えたいものです。 もちろん事業所と従業員間の安否確認にも利用できます ので、災害用伝言版等の使い方について、従業員に指導 しておく必要があるでしょう。 「体験サービス」 なお、平成23年6月末現在、どちらのサービスも 利用法を覚えていただくために、毎月1日、15日防 災週間などに、体験できるサービスが提供されてい ますので試しておくと良いでしょう。 家族にせよ従業員にせよ、非常時の連絡方法を確 立しておくことは次の動きを決定する上でとても重 要なことです。 ワンセグ機能付き携帯電話で情報を得る方 ワンセ 法もあ 行動 法もありますが、消費電力が大きいので初 期情報を得る時のみの使用と考えるべきで 期情報 しょう。ただし回線の輻輳が落ちつき始め、 しょう つながるようになれば、普及度の高い携帯電話での情報 つながるようになれ 収集(情報交換)はとても有効です。今回の震災では携 収集(情報交換)は 帯電話のバッテリー切れで連絡手段を絶たれた方も非常 に多かったはず。バッテリー切れに備え、普通の乾電池 や専用蓄電池によ る携帯電話用充電 器が市販されてい ますので、メー カーとの整合性を 確認し準備してお くと良いでしょう。 携帯電話用充電池の例 今回の震災ではパソコンやスマートフォン 今回の などを 行動 などを使用した、スカイプ、フェイスブッ ク、ツイッターなどによって、津波から難 ク、ツ を逃れたり、出張先から仙台への帰路情報 を逃れ を得た方々が多かったということです。情報収集に有効 を得た方々が多かっ な手段ならば、若い人専用 な手段ならば、若い ではもったいないと思えま す。導入するしない、使え る使えないの最終判断はあ なたですが、研究する価値 はあると考えます。 余震に備えて! 震災当日の対応 不安な夜を過ごすこ 場面 何より、暗い、不安な夜を過ごすことを考える 停電で暗闇になると不安が増し、震災の 行動 ショックが加わって夜がとても長く感じら れます。事業所も家庭でも後片付けができ ず体を休める スペースすら作れません。 懐中電灯は少なくても2個 用意しておくと良いでしょ う。ひとつは固定用、ひと つは移動用です。ヘッドラ ンプがあると両手が空くの で移動用としても片付け用 としても重宝します。 ①暗くなる前であれば、急ぎ、夜を安全に 過ごす環境を作ります。壊れた窓やドアを 行動 ブルーシートで覆ったり、割れたガラスな どを片づけ、ラジオ、懐中電灯、電池、カ セットコンロ、食料品、飲み水、食器、毛布、スリッパ、 救急用品などなど集められるものを1か所にまとめ、と りあえず一夜を安心して過ごせるスペースを確保します。 ②日が暮れてから震災に遭った場合は、割れたガラスの 踏み抜きなどによる二次的なケガに十分な注意を払い、 落ち着いて明りを手に入れましょう。そのためにも懐中 電灯、ロウソクの類は定位置に備えておくべきです。 ③ただし家屋に大きなダメージがあったり、明りがな かったり、一夜を過ごす状況にないと考えられる時は、 庭などの安全な場所で一夜を過ごすか、地域の避難所へ 避難することも必要です。 行動 背の高いローソクは余震があると倒れて危 険。キャンプ用のカップタイプが安定しま す。とはいえ地震直後の火の使用は怖いも の。裸火の使用は極力控え ましょう。ロウソクはロウ ソクでも、電池式の省エネ LEDキャンドル(ロウソク) などのグッズもあります。 ラジオや懐中電灯の電池が切れて予備もな 行動 ければ、停電で使えなくなった電気器具の リモコン、ゲームのリモコン、おもちゃ、 掛け時計、目覚まし時計、電気シェーバー、 家庭用血圧計などの電池が使えるかもしれません。単四 や単三電池を、単二や単一に変換できるアダプターも市 販されています。残念ながらその逆はありません。 東日本大震災はこれまでの地震対策にさまざまなアンチテーゼを投げかけることになるで しょう。防災対策でこれまでどおりで良いもの、否、訂正しなければならない事柄、常識と 云われていたことや非常識と云われてきた事柄にも問題提起があるかもしれません。これら の検証や取りまとめはもう少し後のことになるでしょうが、皆さんが身をもって体験した、 あの経験が「恐ろしかった」だけで終わらないよう、また「しばらく来ないだろう」ではな く、後世に伝えていくことも私たちの重要な使命とご認識ください。 一概に固定とは言うものの、転倒防止器具等を効果的に固定するには それなりの勘どころがあります。代表的な転倒防止器具等の取り付け方 をまとめてみました。 L字金具 壁面の位置に合わせて家具等をL字型の金具で固定するために使用します。取 り付けは、壁体内の桟をハンマーで軽く叩いて見つけ(専用のプッシュピンやセ ンサーが市販されている) 家具の天板にある桟 (ない 場合は板で補強する)とを固定長めのネジで固定しま す。確実に取り付けることにより耐震性も高まりま す。特殊な壁や石膏ボード、薄いベニヤ等の壁には 取り付けできません。壁の芯材や柱、カモイ、桟な どのしっかりとした部分に取り付けてください。 突っ張り棒 天井がコンクリートの場合など、しっかりと突っ張ることができれば効果的で す。また、天井と家具との隙間が少ない方がより効果があります。天井部材に耐 力がないと効果がありません。そのような場合は、天井と器具の間に厚めの板を 渡して補強し面で力が加わるように固定します。取り付け位置は、家具の両端の 奥に取り付けます。手前に取り付けると大きな揺れに耐えられず棒が外れてしま います。また、適切な長さの物を利用してください。 固定ベルト パソコン・プリンター・FAX・テレビ等を固定して、転倒、落下等を防ぎま す。粘着パッドやネジで強力に固定し、設置後のメンテナンス時もコインネジで 簡単に脱着できる物もあり、主にOA機器の固定用として利用されています。多 種、多様なものが販売されており、使用目的、固定する機器に合ったベルトを選 択する必要があります。 家具転倒防止板 家具やロッカー等を後ろに傾け、前方下部に斜めにカットされた「くさび」状の転 倒防止板を差し込むことにより傾斜を利用して転倒 を防止します。家具やロッカー等は壁面との隙間がな いように置くと倒れにくくなります。壁のない所では 使用出来ません。また、床が畳等柔らかい素材の場 合は効果が半減します。Pタイルやフローリング等堅 い床上で背の低い家具の転倒防止に適しています。 開き扉ストッパー 地震時の振動や揺れで開かないよう、書棚や食器棚等の開き戸をストッパーで 固定し、内容物の落下を防ぎます。片扉、両扉用の 金具、チェーン等がありますので開き戸の形状に応 じて取り付ける必要があります。地震時の揺れに対 して自動的にアームが下り、閉まっている扉をロッ クするストッパーもあります。棚に滑り止めマット を利用すると効果的です。 転倒防止器具 転倒防止器具等、取り付けのコツ! 転倒防止器具 転倒防止器具等、取り付けのコツ! 耐震マット 主にOA機器や家電製品に利用され下に敷くだけで簡単に設置ができ、強い粘 着力と柔軟性で機器の転倒、ズレ防止に力を発揮します。対荷重や形状等それぞ れの物があります。目的に応じて設置することにより効果が期待できます。また、 水洗いしてゴミを落とせば粘着力が復活しますので再利用もできます。取り付け の際は設置場所の汚れ、油分をよく落とし、底面の平らな部分をよく確認し設置 してください。 家具転倒防止金具(チェーン) 取り付け方法等は、L字型金具と同様です。固定すべき場所に桟がない場合に は取り付け位置が自由に設定できます。桟の位置等をよく確認し 30°以下の角 度で取り付けます。チェーンの強度が弱くチェーンが切れてしまう恐れや、 チェーンの取り付け位置が悪い場合は、家具が異動したりする場合があるので注 意が必要です。固定する物の重量、大きさ等を考慮し耐荷重の高いチェーンで弛 みのない様に固定してください。 ガラス飛散防止シート(フィルム) ガラスの破片が室内に飛び散るのを防ぎます。窓ガラスや食器棚など、それぞ れの用途に合ったシート(フィルム)を選びましょう。凹凸のある模様ガラス、 すりガラスには使用できません。 フィルムの貼り方 1.中性洗剤を含ませたスポンジでガラスの汚れをおとします。 2.水分をしっかりふきとり、乾燥させます。 3.セロハンテープでガラスに仮止めし、フィルムの裏面をていねいにはがしな がら、ゴムベラやタオルを使って中央から上下左右に空気を押し出すように貼 り付けます。 《検 証》 平成23年3月11日午後2時46分ごろ、巨大地震と大津波が東日本を襲い、多くの人々の 貴重な命と財産を奪いました。この震災で犠牲になられた方の多くは津波によるものでした が、過去の地震では、事務機器や家具の転倒等によって多数の死傷者が発生してきたのも事 実です。 そこで、今回の震災後に仙台市民に家具等の固定と効果の有無について聞き取り調査を してみると、事前に転倒防止措置を行っていた家庭ではほとんどの家具が倒れることなく安 全に避難できたとの回答を得ることができました。 この記事として掲載したもの以外にも事務機器や家具等の転倒防止の方法は多種ありま すが、東京消防庁の実験結果によれば、L字金具で家具と壁を直接ネジで固定する方法が最 も効果が高いことがわかっています。ただし、壁や天井及び床の状態によってその効果は大 きく変わってきます。また家具等を直接固定できない場合は、より効果が高くなるよう突っ張 り棒と耐震マットなど2個以上を組み合わせて設置すると良いでしょう。 地震時は、まず身の安全を確保し、慌てず落ち着いて行動することが大事です。大地震や 余震に備えた準備をもう一度実施しましょう。 データにみる東日本大震災 ■地震の概要 発生日時 平成23年3月11日14時46分頃 平成23年4月7日23時32分頃 震源地 三陸沖(北緯38.1度、東経142.9度、 牡鹿半島東南東130㎞付近) 宮城県沖(北緯38.2度、東経142.0度、 牡鹿半島東約40㎞付近) 震源の深さ 約24㎞ 約66㎞ 規模 マグニチュード9.0(暫定値) マグニチュード7.1(暫定値) 地震の特徴 断層の大きさ:長さ約450㎞、幅約200㎞ 断層のすべり量:最大20∼30m程度 主たる破壊の継続時間:3分程度(大きな破壊は3回) 政府 緊急災害対策本部 ホームページより 気象庁 ホームページより ■各地の震度と津波の高さ 震度7 宮城県:栗原市 震度6強 宮城県:仙台市宮城野区、涌谷町、登米市、名取市、蔵王町、川崎町、山元町、 塩竈市、東松島市、大衡村 福島県:白河市、須賀川市、鏡石町、楢葉町、富岡町、大熊町、双葉町、浪江町、新地町 茨城県:日立市、高萩市、笠間市、常陸大宮市、那珂市、築西市、鉾田市、小見玉市、 栃木県:大田原市、宇都宮市、真岡市、市貝町、高根沢町 震度6弱 震度5強 宮城県:仙台市若林区、泉区、気仙沼市、南三陸町、白石市、角田市、岩沼市、 大河原町、亘理町、石巻市、松島町、利府町、大和町、富谷町 福島県:郡山市、二本松市、桑折町、国見町、川俣町、西郷村、中島村、矢吹町、 棚倉町、玉川村、浅川町、小野町、田村市、福島伊達市、いわき市、相馬市、 広野町、川内村、飯舘村、南相馬市、猪苗代町 茨城県:水戸市、土浦市、石岡市、常総市、常陸太田市、北茨城市、取手市、 つくば市、ひたちなか市、鹿嶋市、潮来市、坂東市、稲敷市、かすみがうら市、 桜川市、生方市、つくばみらい市、茨城市、城里市、東海村、美浦村 栃木県:那須町、那須塩原市、波賀町、那須烏丸市、那珂川町 岩手県:大船渡市、釜石市、滝沢村、矢巾町、花巻市、一関市、奥州市 群馬県:桐生市 埼玉県:宮代町 千葉県:成田市、印西市 仙台市災害対策本部 ホームページより 仙台市太白区 痕跡等から推定した 津波の高さ 観測点名 津 波 消防庁災害対策本部 ホームページより 津波計等による津波の 最大の高さ(※) 2.7m以上 八 戸(青森県) 6.2m 久慈港(岩手県) 8.6m 宮 古(岩手県) 7.3m 8.5m以上※ 釜 石(岩手県) 9.3m 4.2m以上 大船渡(岩手県) 11.8m 8.0m以上※ 石巻市鮎川(宮城県) 7.7m 8.6m以上※ 仙台港(宮城県) 7.2m 相 馬(福島県) 8.9m ー ー 9.3m以上 気象庁 ホームページより ※津波情報(津波に関する 情報)で発表された速報値、 または、後日現地で回収し た津波観測点の記録の分析 結果(※印) ◎下線は気象庁の続報によ り観測値変更あり ■被害状況 人的被害 住家被害 死 者 15,555名 (内宮城県9,302名) 行方不明 5,344名 (内宮城県2,807名) 全 壊 107,920戸 (内宮城県66,996戸) 半 壊 118,944戸 (内宮城県54,905戸) 一部破壊 442,941戸 (内宮城県90,355戸) 発行:平成23年(2011年)9月1日 社団法人 仙台市防災安全協会 〒981-0933 仙台市青葉区柏木1丁目2番45号 フォレスト仙台ビル3F URL http://www.bosai-sendai.or.jp 印刷:高橋印刷株式会社 編集デザイン・レイアウト:デザインルームP&P 政府 緊急災害対策本部 平成23年7月12日発表 政府 緊急災害対策本部 平成23年7月12日発表 推奨防災グッズ 1 非常用飲食品(例) 保存食は人数分を3日間程度準備しておきましょう。賞味期限のチェックも忘れずに! ・非常用ドロップス(手軽にエネルギー補給ができます) (3年保存) ・カロリーメイトロングライフ(バランス栄養食1本100㌔cal,2本入) (5年保存) ・保存水(ナチュラルミネラルウォーター500ml・1,500ml)(5年保存) ・五目ごはん(アルファ米 熱湯で15分、水を注いで60分で出来上がり)(5年保存) ・餅(水を注げばアッという間に出来上がり、3品目、きなこ・あんこ・しょうゆ餅あります) (5年保存) ・災害備蓄用パン(1缶に柔らかなパンが2個入っています)(5年保存) 2 飲料水袋 東日本大震災で断水した市域の水道が復旧するまで約18日を要しました。 給水車等からの飲料水の補給に使用します。 ・背負い式飲料水袋(両手があき、安全に6㍑の水を運ぶことができます) ・給水用ポリ袋(手提げ式5㍑の飲料水容器) ・防災用ポリバケツ(伸び縮みする3㍑の容器で蛇口付き) 3 保温シート 非常時に雨・風や気温の変化から身を守るための軽量コンパクトなアルミ蒸着ポリエステル製の緊 急用シートです。海・山へのレジャー用品としても活用できます。 4 ラジオ&ライト(単4乾電池3本別売り) 正確な情報収集等に活躍するラジオ付ライトです。 5 ホイッスル 災害時に居場所を伝え緊急時の注意喚起にも役立ち内部に記録カードが入っています。 6 軍手とタオル(サイズ収納時95×65×30mm) ③ 2種類がコンパクトに圧縮収納され、倒壊した家屋や散乱した家財道具から手や身体を守ります。 ⑤ ④ 7 ツール ・多機能ツール 1台11役多機能ナイフ。軽量コンパクトで使い勝手も便利です。 ・緊急脱出用ハンマー 窓ガラスを割る。シートベルトやヒモ類を切る。 ⑧ 8 転倒防止用品 粘着性のマットでパソコン、ビデオなどを固定します。何度でも洗浄して使用できます。耐震荷重 1ケース当約36kg ⑥ 9 保安灯 ⑨ ⑦ 壁コンセントに差し込んでおくと、停電時や地震発生時に自動で点灯します。通常はナイトライト として使用し、非常時はコンセントから抜いて携帯ライトとして使用できます。 10 応急手当の必需品(サイズ200×110×110mm綿100%全布サイズ150×105×105cm) 頭、腕、脚部の傷の被覆に利用します。包帯、ガーゼにもなる大き目サイズの三角巾が便利です。 11 携帯・簡単トイレ 携帯トイレは弁と吸水ポリマーで尿を固め、臭い拡散と逆流を防ぎます。簡単トイレは便器にかぶ せて使用、尿は高速吸水凝固シートで固め大、小共に利用できます。 12 外傷キット(応急手当ガイド付) 地震時、救急車は重傷者の対応で精一杯。切り傷、擦り傷等は自分で応急処置をしてから、自宅近 くの医院を受診しましょう。 ・《消毒スプレー、くっつく包帯(50mm×3m)、絆創膏(10枚)、滅菌ガーゼ(小6枚)、マスク、 手袋(ディスポーザブル)、応急手当ガイド》 13 防災用品セット いざというときの必需品をセットにしました。2日分の水と食料が付いています。 すぐに持って出られる場所に置いておきましょう。中身のチェックも忘れずに! ・《保存水4、アルファ米4、缶詰パン2、簡単トイレ(大2・小10)、ダイナモ・ラジオ& ライト、緊急呼子笛、レスキューシート、軍手とタオル圧縮セット、多機能ツール、デイバック ⑩ ⑪ ⑫