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NOTES ON THE THAI
SUMMARY −25− Ⅸ 泰緬鉄道の建設を始める以前に,日本軍はすでにクラ地峡を横断してタイとビルマを短い距 離で結ぶ鉄道の建設を始めていた。その鉄道はチュンポンからクラ河の小さな支流のラウン川 沿いのカオファーチーまでの90キロを走った。物資はカオファーチーで舟に積みかえられて, ラノンを通ってビルマの最南端の町ビクトリア・ポイント(今日のカオソーン)まで運ばれた。 しかし,連合軍の激しい爆撃のために,この鉄道は戦争が終わる前に放棄された。この鉄道建 設には連合軍の捕虜はかかわることはなかったが,マラヤから徴発された労働者(中国人,イ ンド人,そしてマラヤ人)に対する苛酷な扱いは,後の泰緬鉄道の悪い先例となった。この稿 では,後に建設された半島を横断するマーグイ(今日のメェイク)道路についても触れている。 掲載した写真は,2003年に行ったこの地域への研究旅行の際に撮ったものである。